独身女性が既婚男性とつきあっている場合、関係が長くなるにつれ、女性は自身の結婚や出産への選択肢が狭まっていくことを実感していく。そして言葉は悪いが、彼への愛情と天秤にかけるのだ。自分の幸せを追求していくのは人間の常だから、それは当然のことだと思う。だが、実際にはそこで不倫の関係を清算し、新たな道に向かうのは至難の業でもある。
(第1回:「出産リミットが見えて焦りが」長期不倫8年目、結婚と出産願望で揺れる38歳の岐路)
(第2回:「40歳を迎えてラクになった」19歳から10年不倫を繰り返した女の、結婚・出産願望)
(第3回:「産まないという選択肢はなかった」W不倫12年、“彼”との子どもを育てる女の決意)

「彼がすべて」の日々を送った
リサコさん(45歳)は、都内でとある企業の契約社員として働いている。1年ごとに契約が見直されるので、毎年、更改時期になると戦々恐々としているとか。
「大学卒業が1996年で、バブル崩壊の煽りを受けて就職がとても厳しかったんです。今だから白状しますが、私は父のコネでなんとか有名企業に就職できました。そこで出会ったのが、不倫相手となるTだったので、今思えば、無理して有名企業に入らなくてもよかったんじゃないかと後悔がありますね」
彼女がいる部署に、T氏が課長として異動してきたのが2年後。当時35歳だったT氏はすでに家庭をもっていたが、女性社員たちに人気があった。人当たりがよくて社交的で、男女の差別なく適性を見て仕事を割り振るので、女性たちのやる気が促進されたという。
「私も彼に引き立ててもらって、仕事が楽しくてたまらなくなりました。若手女性だけでチームを組んでプロジェクトを立ち上げたりして。そこで課長とも、ぐっと親しくなったんです。仕事の場でも飲み会などでも、家庭の匂いを漂わせることがほとんどなかったので、私は個人的にひとりの“男”として見るようになっていきました。それがよくないことだとわかったのは、すでに関係を持ってからでしたね」
関係を迫ったのはリサコさんからだという。学生時代からつきあっていた彼にフラれ、落ち込んでいた時期があった。
「課長が『メシでも行くか』と誘ってくれて。私の様子がおかしいと思ったんでしょう、話を聞いてくれたんです。私は詳しくは話しませんでしたが、結婚を考えていた彼と別れたということは言いました。実際は、彼が私の友だちと関係をもって、彼女が妊娠、結婚することになったんですよ。当時は本当につらくてたまらなかった。課長と2人でもう1軒もう1軒とはしごして、最後は『帰りたくない』と泣いたんです。課長は朝まで付き合うと言ってくれました。私から抱きついてラブホテルに連れ込んだような形でしたね」
恋人にフラれたのはつらかったが、実際には当時、彼女の心はT課長に移りつつあった。友だちに裏切られたのはショックだったにしても、恋人を失ったことについては、それほどの痛手はなかったかもしれないと、リサコさんはつぶやく。
「ふたりきりになれば、課長と部下といえども男と女。結局、課長も私を拒みきることはできなくて関係を持ったんです。私はそれまで恋人とは感じたことのなかった快感を覚え、課長も『実は僕もきみのことが好きだった。だけどこういう関係になってはいけないと思っていた』と白状してくれました。身も心も相性がよかったんですよね」
離れられなくなる予感はあった。そこから、2人の関係が始まっていく。彼女はひとり暮らしを始め、彼は3日にあげずやって来た。
当初は、寝ても覚めても彼のことしか考えられなかったと、リサコさんは振り返る。
「一時期は、会社で彼がほかの女性と話しているのを見るだけで、胸が苦しくなって。どれだけ好きになったらいいんだろう、“好き”という気持ちに限界はあるんだろうか、いろいろ考えました。だけど彼と関係を続けるためには、とにかく私が仕事を頑張らないといけない。そういう結論に達したので、仕事にのめり込みました」
仕事で頑張れば頑張るほど、課長との距離も近くなる。そう思っていたリサコさんだが、3年後、課長が東京近郊の支社に転勤となった。
「栄転だったんです。だけど、私は心にぽっかり穴があいてしまった。課長も『同じ会社なんだから、リサコのやることは見える。がんばれ』と言ってくれたけど。次に来た課長と折り合いが悪かったこともあって、30歳になったとき転職しました。もちろん、T課長にもいろいろ相談して。会社が変わってもふたりの関係は変わらないと言ってもらえてうれしかったです」
しかし、次の会社でも彼女は「やりがい」を取り戻すことができなかった。3年で退職、それからは契約社員として仕事をするようになった。
それでも彼が言った通り、2人の関係は変わらなかった。
「私が揺れたのは35歳を迎えようとするときですね。契約社員でも、その頃はまだ契約更新されるかどうかわからないという状況ではなかったので、仕事は楽しくやっていました。収入もそこそこでしたし。ただ、ふと周りを見渡すと、友だちはほとんど結婚していて、子どももいる。あれ、私、社会に出てから何をしてきたんだろうと恐怖感を覚えたのを思い出します。正社員でもないし、形として見える家族も築いていない。足元がぐらぐらするような感じがありました。この先の人生が怖い。そう思ったけど、彼にはそんなことは言えなかった」
転勤になっても、彼は足繁くリサコさんの部屋に来てくれた。外で食事をしたり、ときには映画を見に行くこともあった。当時、彼は40代後半に差し掛かっていたところ。思春期の子が2人いたが、ほとんど家庭のことは話さなかった。
「あとから聞くと、子どもが受験だったとか、今年は家族中でインフルエンザにかかったとか、そんなことをつぶやくこともありました。でも私の前ではあまり家庭で何があったという話はしなかった。特に奥さんのことは。その頃で、すでに10年付き合っていたわけですけど、奥さんがどういう人かはまったくわかりませんでしたね」
それでもときおり、家庭の影がちらつくことはある。10年という時を経て、リサコさんは自分自身が「家庭を持てない境遇」に飛び込んでしまったことが実感されるたび、彼の奥さんが多少なりとも気になっていたという。
「私が結婚や出産を意識すれば、当然、彼の家庭も気になるわけで……。彼の奥さんは、彼が10年にも及ぶ不倫をしていることを知っているのか。知っているはずはない。知ったらどうなるんだろう。そんなことも漠然と考えていました」
ただ、自分には「どうしても家庭を持ちたい」という意欲がなかったとリサコさんは言う。それは彼がいたせいかどうか、今となってはわからない。ただ、仕事と彼が直接、密接に関与していた20代と違って、30代で転職してからはどこか「もやもやと割り切れない感じ」を抱えていたようだ。
「この人生をどこかで変えないといけないかもしれないと思いながら、彼との関係は続いていたし、仕事もそれほど窮地に陥っていたわけではないので、なんとなく、全てがずるずると来てしまったんですよね。40歳になったとき、出産はあきらめようと決めました。決めたとたんに、いや、今からでも間に合うかもしれないと思い直して、結婚相談所に入会したり学生時代の仲良しにダンナさんの友人を紹介してもらったりしたんです。でも、ほかの男性に会うたびに、『私にはやっぱりTさんしかいない』と、かえって彼のよさばかりが見えてしまう。このまま彼といけるところまでいけばいいんだ、彼以上の男性はいないと思えたのは43歳の頃でしたね」
半年ほど前のある日の夜、携帯電話に知らない固定電話の番号から電話がかかってきた。出てみると、「Tの妻です」という女性の声。
「思わず黙り込んでしまうと、女性は『もしもし。リサコさんでしょ』と。今、あなたの家のすぐ近くにいるんだけどと言われ、窓の下を見ると女性がこちらを見ながら立っていました。逃げも隠れもできません。仕方く出て行って、近くの喫茶店で会いました」
心の準備ができていなかった。T氏の妻はリサコさんと同世代だろうか、落ち着いた感じのきれいな人だった。
「どうしてこんなきれいな奥さんがいるのに、私と付き合っているんだろう。まず思ったのはそのことでした」
妻は終始、冷静だったが、それが逆にリサコさんを追いつめた。
「ヒステリックに騒ぎ立ててくれれば対処のしようがあるんだけど、冷静に理詰めでくるんですよ。いつから付き合っているのか、最初から既婚だと知っていたのか、いけないことだと思わなかったのか……。全てを知っていて、確認をとるような口調でしたね。これはウソをついても意味がないと思ったんですが、いつから付き合っているかという質問に対しては、さすがに1年くらいと言いました。彼女はにやりと口の端を上げるように笑って、『へえ、そうですか……』って。怖かった。『私が知ってしまったからには、あなたに対して精神的な損害賠償を請求します』と言われました。あとで弁護士から話がいきますって。私はほとんど何も言えなかったんですが、奥さんに何か言いたいことはありますかと言われて、『すみません』とひと言だけ。奥さんは立ち上がって、『すみませんと思っているなら、最初からやらないほうがよかったですね』って。冷たい言い方でした。当然ですけど」
妻が出て行った喫茶店で、彼女はしばらく呆然と座り込んでいた。ようやく立ち上がって店を出ようとしたとき、支払いが済んでいることを店員から伝えられた。自分の夫と関係をもった女の分まで支払う妻の心理を考えて、彼女はいても立ってもいらなくなったという。
「家までとぼとぼ歩いて帰る途中、彼から連絡が来ました。彼はまったく知らなかったんでしょうね。『今日は何かあった?』なんて、いつものメッセージ。なんていうのかなあ、悔しいとか悲しいとか、そういう感情ではなく、今まで感じたことのない『消えてなくなりたい気分』が押し寄せてきました。彼に言うのをやめようかとも思ったんですが、ノーテンキにしている彼にも腹が立ってきて、一部始終を伝えたんです。彼はそれから帰宅するはずだったのに飛んで来てくれました」
彼の愛はまだ失ってはいない。そこで彼が帰宅するのか自分のほうに来てくれるのかは、リサコさんの立場では重要だ。彼の気持ちが自分にあるなら、貯金など失ってもいいと彼女は思った。
「ところが逆に考えれば、奥さんにとって、それがいちばん腹が立つことですよね。どうやら携帯にGPSがつけられていたようで、彼がその日、私のところに泊まったのがバレたんです」
翌日夜、彼から公衆電話で電話がかかってきた。妻に携帯を壊された、と。明日、新たに買うから前の携帯には連絡しないようにということだった。
「それから不穏な状態が続いていたんですが、ついに彼の奥さんが自殺を図ってしまったんです。手首をちょっと切っただけらしいので、私は狂言自殺だと思ったけど、彼は自分が妻をそこまで追い込んだと取り乱して。1カ月ほどたったとき、彼が私の前で土下座しました。『もう無理だ』って。奥さんのご両親にも自分の親にも責められたようで、すっかりやつれた彼を見たらもう何も言えなかった。私としてはせめて、それでもほとぼりが冷めたら会えるようにするからという言葉がほしかったけど、彼はもう『オレが死んだと思ってほしい。今もリサコを好きだけど、オレはもう誰も愛さない』と泣いていました。今思えば、彼の一世一代の芝居だったかもしれませんけど、それに私も乗るしかなかったんですよね」
急に1人になった。仕事の方も会社の業績悪化が原因で、契約社員が切られるというウワサも流れた。ここ数年、毎年誰かが切られているのだ。それが自分であってもおかしくないとリサコさんは感じた。
「さらにTさんの奥さんの弁護士からは100万円で示談にという話も来ました。今、100万円は厳しい。困り果てて、別れたTさんに相談しました。結局、彼が私に100万円くれて、それを払うことに。私も精神的な損害賠償を請求したいくらいですけど、もちろんそれは成立しない。夫の浮気を知ってしまった妻も、20年にわたる関係をぶったぎられた私も、精神的な傷という意味では変わりないような気がするんですけどね」
正妻であれば訴えることができて、いわゆる愛人関係には何の保証もない。もちろん悪いのは自分だが、「恋愛は1人では成立しない」とリサコさんは言う。それも、またもっともな話である。
40代半ばになって、リサコさんは不惑どころか戸惑いの連続だ。
「足元がぐらぐらどころか、もはや自分の存在意義さえ見いだせません」
生きてさえいればいいことがあるよ、と軽々しくは言えない雰囲気が彼女にはあった。
亀山早苗(かめやま・さなえ)
1960年東京生まれ。明治大学文学部卒。不倫、結婚、離婚、性をテーマに取材を続けるフリーライター。「All About恋愛・結婚」にて専門家として恋愛コラムを連載中。近著に『アラフォーの傷跡 女40歳の迷い道』(鹿砦社)『人はなぜ不倫をするのか』(SBクリエティブ)ほか、多数。