『快楽ヒストリエ』マンガ家・火鳥《楽しい日々》へのささやかな恩返し

 昨年、希代の革命家である外山恒一を取材した。話題は必然的に、やがて訪れる「革命」の具体的なイメージになった。「革命は、人の力でどうにかして起こせるものじゃない。革命様が降臨されるぞと、待ち望んでいる宗教みたいなもの……いくら信仰していても、いざ革命の時には使ってもらえないかもしれないですよね」。

 遠大な人類の歴史を顧みると、人が一人、何かができる時間は、刹那に過ぎない。さまざまな説があるが、人類がアフリカを出発してからだけで14万年あまり。日本の歴史も、2700年目が手の届くところまで来ている。その中で、人の営みはわずかに70年程度。何かの書類に年齢を書いたりした時、あるいは、朝夕の身体の疲れに、人生の黄昏を予感して歩みを止める者は尽きない。自分の限界を感じ、どうしようもない時間の流れの中で、無力さを冷ややかに笑いながら、ただ身を任すのだ。

 でも、絶望の中で生ける屍となる者は少ない。ふとした思いがけないことが、限られたさまざまな枷の中で、それに抗おうとする機会を与えてくれる。日々、世に送り出される文章やマンガ、音楽などには、そうした力があると思っている。

 歴史家のハーバート・ノーマンは、歴史の女神の容貌を奈良中宮寺の弥勒菩薩に仮託した。

「彼女は人間の営み――その愚かしさ偉大さを、この世の情熱や功名心を、無関心や尊大さではなしに限りない忍耐と同情の面もちで見まもっている。私はその顔があざけりにくもらないユーモアにかがやくのを心に描くことができる。多くの月並みな仏像とちがって、この姿には冷ややかな近づきたいものが少しもない。むしろ温か味と共感を、私の印象ではギリシアの像よりも多く、ただよわせている」(『クリオの顔』岩波文庫)

 平成という年号の終わりが、刻一刻と近づいている。耳を澄ませば、その足音が聞こえるようになってきた。人は、いつの世も新しい時代の幕開けよりも、時代の変化への不安に包まれていた。それは、今でも変わらない。

 火鳥『快楽ヒストリエ』という、1点のマンガが単行本になったのは、そんな足音について言及されるようになった、年の暮れだった。コンビニでも販売されている雑誌「快楽天ビースト」(ワニマガジン)の巻末に掲載されているギャグマンガ。いわゆる「エロマンガ」が掲載されている雑誌の中で、このマンガは、ちょっとしたお色気を添える程度。性別や年齢にかかわらず、誰もが気軽に読むことのできる、純粋なギャグマンガである。

 雑誌の中では、明らかに異色の作品の単行本化。それを多くの人が待ち構えていた。雑誌の読者は「待ってました」と買い求めた。その面白さは、SNSなどを通して拡散していった。あたかも、火薬や紙の製法が世界へ広まっていったかのごとく。

 それは、出版元のワニマガジン社にも予想外のことだったのだろう。発売から1カ月あまりを経た現在、初版の在庫は払底し重版の出荷が待たれている。

 この作品がテーマとしているのは、歴史。

 そこでは、失われていた「歴史の真実」が次々と明らかにされていく。

 白亜紀の地層から書物を抱いた人間の化石が発見された。

 8,000万年前……人類は既に購読していたのだ。エロマンガ(快楽天ビースト)を!!

 一揆の総大将・四郎。その知名度に反して謎多き人物である。

 しかし経済的に恵まれており学問に親しんでいたこと……また当時16歳という年齢から、少なくとも女子高生であったことは疑いようがない。

 古代エジプトには、神や王を語るための神聖文字「ヒエログリフ」が存在し、エロマンガは、その対極「ドエログリフ」と呼ばれていた。

 読者の教科書程度の歴史知識を背景に、火鳥は<真実の歴史の探究>を記していく。ともすれば「出落ち」。第1話を頂点に、あとは次第にテンションは下降してしまう危険もある。けれども、連載の開始以来、勢いは途切れることはない。むしろ、回を重ねるごとに描かれる登場人物たちは、生き生きと動いている。

 ギャグマンガゆえに、文字や会話で、その面白さを説明するのは困難である。でも、どうしてもそれをしたくなる衝動と熱が、この作品には確かにある。人類の歴史の中では、わずかに過ぎない人間の一生。その貴重な時間で、この作品にいくばくかの時間を費やしてよかった。ネットで『快楽ヒストリエ』を検索すれば、そんな読者の思いが、画面の向こうから送られてくる。

火鳥(ヒトリ) 今日、ここに来る時に考えてたんです。さぞ歴史への深いなにかがあって描かれたと期待されてるかも知れないけど、どうしよう、面白い答えなんてなにもない……。そうは言っても何か話さないと、読んでくれる人に申し訳ないなって……。

『快楽ヒストリエ』の連載が始まったのは2016年の4月から。「快楽天ビースト」の表紙が変わり、新装刊することになったからと編集さんが声をかけてくれて。このワニマガジンの編集さんはぼくのデビュー以来の付き合いで、連載の話は何年か前にもあったんですよ。その時は一度お断りしたんです。でも、今回は気が変わったというか……首都圏に引っ越すことを決めたタイミングでもあって、連載を持っておこうと思ったんです。

 それで悩みました。ぼくは、何を描いたら、いいんだろうか。

 もともと自分は、直球で18禁そのものは描けないんです。まだ20歳くらいの頃には興味があったんですが、結局描かずじまいで……。一言で言えば、恥ずかしかったんです。照れくささという壁を越えられるほど、エロというジャンルへの情熱がなかった。思うに、ぼくという作家はギャグ、つまり「スケベ」や「変態」が大好きなんであって、エッチなシーンそのものが描きたいわけでは全然ないんです。これが根幹です。一度お誘いを断った理由もそれでした。

 なので、連載を引き受けると決めてからは、ずいぶんと考えました。毎月描き続けることができそうなテーマで、「快楽天ビースト」という雑誌にふさわしい、読者が楽しんでくれるのは、どんな作品なんだろうか……。

 最初の案は、まったく別の作品でした。いわば、四畳半押しかけSFものみたいな内容です。マンガ家のアパートに異星人の女の子たちが集まって、地球人の読んでいるエロマンガをあれやこれやと指摘するような物語です。

 ただ、あまりネームが膨らまずに困ってしまって……。ほら、その手の物語はすでに激戦区というか、相当工夫しないと他の作品に埋もれてしまいますし。

 その時、同時に頭の隅にあったアイディアが『快楽ヒストリエ』でした。ただ、これはぼくにとって「できればやりたくない」腹案だったんです。何しろ、最初に与えられていたページは、8ページ。今は10ページに増えましたけど……その限られたページ数で、毎回さまざまな時代を描いていくのは、絶対に大変だろうと。歴史上の事件をバックボーンにすれば題材には困らないかもしれませんが、1回1回のコストが割に合わないだろう……そう恐れていたんです。

 じゃ、なぜ『快楽ヒストリエ』にしたかというと、ほかに思いつかなかったんです。

 ジリジリと〆切の日が近づいてきて、そろそろネームを描かないとまずいですよって時になって、とうとう観念して編集さんに連絡しました。

《すみません、宇宙人のはやめて、歴史物にします》

 だから、最初に考えていたのは、原始編の物語……原始の地層から快楽天ビーストが見つかったというネタだけだったんですよね。

 * * *

 連載が始まったのは「快楽天ビースト」2016年5月号。単行本の巻末には、雑誌掲載時の号数が記されている。単行本では、原始編以降、日本の歴史をテーマにした作品を時代順に追った上で、世界の歴史をテーマにした作品へと並べられているが、実際の掲載順とは異なる。だから、改めて雑誌掲載順に読んでいくと、新しい発見がある。回を追うごとに、丁寧に描かれた歴史物語のようにキャラクターが生き生きとしていく。とりわけ、生き生きさが増すのは、デフォルメされたモブたちの様子。新撰組に強襲される池田屋に集う尊王攘夷派の志士ならぬエロマンガ家たちであったり、民衆たち。そうした有象無象たちの存在が「真実の歴史」のような錯覚を読者に与えているのだ。

「エロマンガをみんなで読むためだけに集団・定住化したワシらに稲作など無理じゃて」
「これ高床式倉庫。虫やカーチャンたちからエロマンガを守るために片手間でつくった」
(単行本収録・古代編)

火鳥 物語の方向性が固まり始めたのは、モブを描くようになってからかもしれないですね。

 第1回の「原始篇」を今振り返ると、主人公やヒロインは「エロマンガに夢中な変人」という感じ。でも、回を重ねていくうちにエロマンガに熱狂するモブたちが出しゃばってきて、描いている自分も何かをつかんだんです。「全世界エロマンガ第一主義」という素敵な世界観をしっかり示すのが、『快楽ヒストリエ』という作品なのだと。

 その上で、馬鹿馬鹿しい作品を支える一番大事なことは、マジメな資料集めだと思います。とは言っても、たった10ページの連載ですから、赤字にならない程度にね。図書館が最大の味方です。ネットも大いに役立ててはいますけど……、専門書に比べると、ネットには、かいつまんだ情報が多いし、ウソかホントかわからない話も多いので、やっぱり本を読んでおくと安心します。Wikipediaの記事なら、参考文献から主要なものを選んで、自分も目を通しておくとか。もともと歴史の知識はさっぱりなんですよ。なので、連載前に懸念していた通り、そこが毎月の苦労です。

 その点で言えば、編集さんのほうが学があるので、毎回相談しています。単行本ではアオリ文の類は消えちゃってますけど、戦国編の雑誌掲載時、ハシラに「月さびよ明智が人妻の咄せむ…末期のエロス特集号」という句が突然増えていて感心しました。知的だなあって。ぼくも対抗するように翌月、小早川秀秋の持つエロマンガに「三条河原で晒し乳首」と書きました。以来、作中に登場するエロマンガでの歴史ネタは恒例になっているので、これらの言葉遊びも『快楽ヒストリエ』の世界観を支えているのかもしれませんね。

 * * *

 現在、火鳥は31歳。一昨年、千葉に居を構えるまで、ずっと札幌の実家で暮らしてきた。父母と祖父母、それに姉一人。高校生の頃は曾祖母もおり、7人家族だった。マンガ家を目指すまでの人生を聞いた時、火鳥は内気だった幼い頃からの自分のことを、克明に語り始めた。

「おいしいけど……みんなで行ったバーミヤンのほうが、あたたかかったな……」
「カァーーッやっぱ、うめーもんはうめえ!! 仲間なんてただの飾りだな!!」
(「東京火鳥旅」2009年3月14日 pixivに投稿)

火鳥 祖父は若い頃、樺太に住んでいて……。戦争で命からがら脱出したあと、まだ炭鉱で栄えていた夕張に流れて、教師の職を得たそうです。それから、つてをたどって運良く札幌に。

 だから、ぼくは札幌しか知らないんです。でも、それも偶然のなせることだなって思いますね、祖父の話を聞いていると。もしかしたら夕張に生まれていたかもしれない。あるいは、祖父が海の藻屑に消えて、ぼくは生まれなかったかも知れない……。

 幸い、こうしてマンガ家になれた今、思い出すのは子どもの頃の記憶です。物心付く頃には、もう絵を描くのが好きでしたね。

 でも、その頃はマンガ家よりも「画家」になりたかった。なぜかっていえば、画家のほうがカッコイイ気がするから。それだけ。みんなお姫様とかロボットとかを描いている中で、ぼくだけすまし顔で風景画を描いていたら、すげえカッコイイじゃん……みたいな。早すぎる中二病ですよ。

 中身がない憧れですから、ぜんぜん、うまいわけじゃなかったです。でも、運動は苦手で内遊びが好きでした。いつも姉の後ろに隠れていたせいなのかな。とにかく内向的でした。小学校1年の通知箋に、先生がこう書いていたのを覚えています。「グラウンドに遊びにいかないの? と声をかけても、ボール遊びは嫌いなんだと寂しそうに言うので少し心配です」。

 そんな子どもだったから、両親は心配したんでしょうね。苦手なものも少しくらいはできるようにって、子ども向けのスポーツクラブや水泳、それに、音楽の授業でいつも苦労していたので、ピアノ教室にも通わせてくれました。水泳は嫌だったな。習い始めるのが遅かったから、周りの子より年上だったのに、なかなか上達しなくて……。

 でも、曲がりなりにも泳げるようになったから、両親には感謝しています。

 ピアノの先生には淡い恋心を抱いていて、絵を描いてプレゼントした記憶があります。先生が結婚しているって知った時は、ショックでしたね……。6年生まで習いましたが、ピアノそのものには最後まで興味が湧きませんでした。

 マンガは幼稚園ぐらいから読んでいたのかな。ぼくは「ボンボン」(コミックボンボン、講談社)派だったんだけど、祖父が間違えて買ってくることもあって「コロコロ」(月刊コロコロコミック、小学館)も読んでいた。姉が買っていた「なかよし」や「りぼん」も読んでましたね。姉の後ろでアニメの『美少女戦士セーラームーン』(講談社)も……。本当は見たかったけど、女の子のものを見るのが恥ずかしいじゃないですか。だから、チラチラと。うん、最初に興奮したのは、やっぱりセーラームーンだったんじゃないかな。

 でもね、本当に自分の根になっているものを選ぶとしたら、小学2年生くらいから買い始めた「月刊少年ガンガン」(スクウェア・エニックス)だと思います。

 それこそ、すべてのページを暗誦できるくらいに読んでいましたね。『魔法陣グルグル』とか『南国少年パプワくん』、そうそう、梶原あや先生が描いていた『けんけん猫間軒』は特に好きで……自分の描く猫みたいな小さなキャラクターも、あのマンガがあったからなんですよね。

 その頃、自分の内面にも変化がありました。転機と言っていいかもしれない。

 小学校で、札幌雪祭りの時に、市が主催する絵のコンクールがあったんです。それで、特賞をもらったんです。表彰された時は、ちょっとうれしいなと思ったくらい……でも、クラスメイトたちが話しかけてくるようになって。ぼくの絵を見てくれるんです。それまで、絵というのは自分の世界に閉じこもるための道具だと思っていたんですよ。周りは自分と違うから、一人で自分の世界で遊ぶ。ところが、まったく正反対の力があると気付かされたんです。自分の描いている絵を、もし外に向かって見せたら、人とつながることができるんだと。それからですね、マンガ家という職業を考えたのは。

 * * *

「小学校の頃は、一度はマンガ家になりたいと思ったことがある」街を歩いて10人に声をかければ、8人か9人くらいは、そう語る。それくらいに凡庸。だけれども、その夢を叶えられる人は、一握りにも満たない。だから、人は興味を持つ。なぜ、この人は夢を維持し叶えることができたのだろうか、と。

 同人誌即売会があるのでバイトを休みたい。そう頼むと、店長は言うんです。

Q「どんなマンガ描いてるの?」
A「女の子がパンツモリモリ食べるマンガですよ」
……なんて、正直に答えられるわけが無い。
(「東方裏日誌 裏表紙」2008年10月7日pixivに投稿)

火鳥 これ、自分で口に出していうと恥ずかしいんですけど……ぼくは、マンガ家になれないと思ったことがないんですよ。悪い意味でも、なれないという可能性を考えたことがなかった。だから、何も具体的なことをしないままに大人になっちゃったんです。

 高校を卒業するくらいに、やっと気づいたんです。もしかしたら、マンガ家になれない可能性があるんじゃないか……。

 高校の時は、絵は描いていたけれども、ストーリーものは、まったく描いていなかったんです。厨二病というか……設定ばかりつくっては満足する、作品を完成させられないパターンにハマっていました。というのも、それを仲間同士でやるのが楽しくて。

 そう、高校に入学してから、放送部に入ったんです。そこは、オタクの集まりで……クラスの仲間4人くらいで集まっていたんです。濃いヤツらが集まると、観る作品の幅も広がりますよね。

 絵のスキルも、そこでワンステージ上がりました。自分が中学生くらいの頃から、家庭でのインターネットはもう一般的になってきてたんですけど、いわゆる美少女系のイラストを初めて見て。すごいな、うまいな、ちょっと真似して描かなきゃいけないぞと思って模写したりして。それまで、二頭身キャラばかりだった自分の絵が、より人間らしいものになったんです。

『東方Project』にハマったのも、その頃。友達と行った札幌のメロンブックスでデモ映像が流れていて、友達が「面白いよ」と。初めて弾幕系シューティングってものを知ったので、すげーなあ、きれいだけど、こんなのクリアできるのかよって眺めてました。

 まあ、買ってしまったんですよね。買ったのは『東方永夜抄』。当時は「永新参」なんて揶揄されてたらしいですけど、そんなこと知りませんから、ただただプレイしていた。家にネットはあったけれども、不思議と当時、東方のことは調べた覚えがないですね。ただ普通に遊んでたんです。

 キャラ関係だってそうですよ。『東方紅魔郷』とかをプレイしていないから、ぜんぜんわからなくて。あ、咲夜とレミリアだけはわかりやすかった。メイド姿で、お嬢様って呼んでたので。

 ニコニコ動画が流行ってから、ようやくですよね。東方が同人で盛り上がっているのを知ったのは。

 じゃあ、ぼくも描こうかなと思って、描き始めました。ノートに鉛筆で……。

 そのまま、マンガも描かず、同人誌もつくらないまま卒業して大学へ。ここでもオタクレベルがひとつ上がりました。いい場所にあるんですよ。校舎の2駅となり、地下鉄大通駅で降りて35番出口(注:現在閉鎖中)から出る。するとすぐ前が、メロンブックスと、とらのあな。それに、アニメイトと、らしんばんと、ゲーマーズがあるんです。当時はゲーマーズは別の場所でしたけど。「35番出口」といえば札幌のオタクには通じます。大学で得たものはあったとも思うんですが、真面目に勉強するよりは、そこに通い詰めていました。

 飲食系のバイトも始めたんですが、バイト代はみんなコミックスと同人誌に消えました。それでも自分では同人誌の1冊も出していなかったんです。考えるばかりでした。『らき☆すた』とか『ぱにぽに』の同人誌とか、どうかな……と。考えるだけで、そこから踏み出せなかったんです。そしてついに、大学4年生になりました。

 * * *

 大学4年生になった2008年のことだった。高校の放送部のメンバーが、再び同じ目的の下に集った。目指すは10月の同人誌即売会、サンシャインクリエイション41。買う側ではない、描く側になるのだ。こうして、初めての同人誌『東方裏日誌』を携えて、火鳥と仲間たちは東京へと向かった。

始めまして。
杞憂煉獄と申します。
週刊日進月歩にようこそ。

このサイトは、高校時代の馬鹿四人が、数年の時を経て何故か再結集して結成されたサークル「vok41」の拠点サイトです。

「サークル作るんだから、ホームページくらい無いとね」

……とかいう軽はずみな発言により、ホームページを作成する事になったのは良いのですが。今現在僕以外のメンバ三人は同人誌の締め切りに向けての修羅場真っ最中でして、ホームページ作成の件は殆ど僕に丸投げ状態です。
(2008年9月29日の投稿)

火鳥 感謝しています。放送部の仲間たちは、ぼくがなかなか動かず、思い切ったことをしないから、放り込んでやらなきゃという気持ちだったんでしょうね。同人をやろう。〆切はここだ。申し込んだから描こう……と。

 そうして、描いたのが東方の4コマ。最初は、少ない部数しか持っていかなかったんです。でも、ジャンルが爆発していた時期だったからというのもあるんでしょう。完売したんですよね。

 それが自信になりました。もちろん、北海道から出てきているわけだから利益なんかないですよ。それでも、みんなで喜んで打ち上げをして、ほくほくしながら、次は何を描こうかと話しつつ帰ったんです。それからはもう、同人誌を描くのが楽しくって……。東方だけでなくボーカロイドも好きで描きましたが、特に東方はずっと続いています。長くジャンルにいる人はみんな言うけど、10年も描くとは思わなかったですよね。

 サンクリが終わってからは、pixivでも作品を投稿するようになりました。pixivは描き手のモチベーションを上げる設計が本当によくできていて、閲覧数やコメントが増えるようにがんばりました。それから、コミケに初参加するまでの間にも2冊、同人誌を出して……。

 そう、実は最初はサンクリではなく、コミケで初同人誌を出すつもりだったんですよ。それも、ボカロマンガのネタにしたんですけど、申し込み時期が半年前っていうのを誰も知らなかったんです。最初は「夏コミはつらいって聞いているけど、俺たち北海道民は冬コミなら大丈夫だ」なんて話して、いざ申し込もうとしたら、とっくに〆切は過ぎてる。だから、10月のサンクリに参加することになりました。それも幸いしたのかな。サンクリがきっかけでpixivでも活動を始めて、そこから次のコミケまでの間に、自分を知ってくれる人が増えたから。

 * * *

 初めてのコミケは、二泊三日の旅だった。朝、仲間と共に新千歳空港から飛行機に乗った。サークルの仲間との合同誌とは別に『魔理沙がぢになる話』を持ち込んだ。幾人もに素通りされる寂しさの後にやってくる「1冊ください」という、たった一度の言葉のうれしさを感じたかった。

「あちこち力注ぎすぎでしょうw爆笑させていただきましたw」
「完売の時に並んでましたが完売すんのはえぇとか思いながら拍手しましたよwww」
(2009年9月30日pixivに投稿した「【C76レポート】東京火鳥旅2【その3】」に寄せられたコメント)

火鳥 就職活動はしていないし、する気もなかったんです。卒業はできるかと思っていたら単位が足りなくてフェードアウト……中退してました。普通だったら将来について焦るところですけど、もう同人活動を始めてから楽しくて楽しくて、楽しさ以外吹っ飛んでいたんです。そんな中での、初めてのコミケだったんです。

 偶然、隣が『デンキ街の本屋さん』(KADOKAWA)の水あさと先生のサークルで、場所を間違えて段ボールを開けて設営しちゃったり、見本誌票を忘れちゃったり、土下座モンの迷惑をおかけしました。

 そんなドタバタしながらの参加だったんですけど、すごい早さで完売して……号泣してしまったんです。

 こんなに自分を認めてくれる人がいるんだと思って。

 そうしたら、うれしいような申し訳ないような気持ちになって……。結局、無意識下では、ぼくもそこまで楽観的じゃなかったってことですよね。楽しさで吹っ飛んだように見えても、いざ作品を携えて机に並べる、本当に売れるだろうかと待つ。どこかで怖かったんです。自分は、何になれるのだろうか。これからの人生はどうなるんだろうか。そんな自分の気持ちを受け止めてもらえた気がして。そうしたら、涙が止まらなくなって……本当に、ボロボロと泣いてしまったんです。後からレポマンガでは「皆さんから頂いたものは、本当にたくさんありました。それは、売上でした」と、茶化して描いたんだけど……そこにも、たくさんの人がコメントをくれて……「ハハハ正直だ」「お金は大事ですよね、火鳥さんらしい」とかね。日頃の行いのせいか、照れ隠しには誰も気付きませんでした。

 本当に、コミケは……あんないい場所ってないですよね。今でも人生のもっとも楽しい場所はコミケですよ。

 * * *

 同人誌を描き、即売会に参加することは楽しかった。そして、楽しさと共に火鳥は東方の同人で活動する人気作家となっていった。さまざまな雑誌の編集者が、火鳥に名刺を切り、仕事を依頼した。中には、自衛隊の広報マンガという一風変わった仕事もあった。作品を描くことは楽しかった。楽しいけれども、マンガ家には、なりきれていない感覚もあった。マンガ家が一人前として認められる一つのハードルが、月刊誌や週刊誌など、出版社から定期刊行される媒体で連載を持つこと。

「えっ!? メイド長のパンツの串揚げは」「大阪では二度づけ禁止!?」
(2016年10月開催の同人誌即売会「東方紅楼夢12」のためのサークルカット)

火鳥 人生に不安はありました。けれど、駄目人間なので、なんとかなるだろうとも思っていました。

 東京に出てきた理由の一つは、結婚したことです。ぼくの性格では、それくらいのきっかけがないと東京には出てこなかったでしょうから、よいタイミングだったと思います。これを機に全てをプラスの方向に動かしていきたいですね。経済的なことを考えても、ページ数の少ない『快楽ヒストリエ』だけでヒイヒイ言ってる場合ではないですから。

 考えることは、いっぱいあるけれど『快楽ヒストリエ』を描くのは楽しいです。やっぱり、歴史はいろいろと思いを馳せることができるから、面白いんですよね。単行本にする時に、解説ページをつくったんですけど、調べていると描きたくなるネタはいっぱいあります。読んでくれている方にも、毎号「次の作品を読みたい」と、思ってもらえたらうれしいです。

 でもね……何巻も続くような作品ではないとも思っています。次第にネタはかぶってくるだろうし……だから、どうやって終わるかも、ある程度は考えてあります。

 それから、次の作品の構想も。

 こういう作品を描いたので、次は下ネタは封印しようかなと思っています。下ネタのインパクトの強さで目立っていますけど、それだけで読んでもらっているわけではないはず。以前、ある編集さんにも「下ネタを封印したら、よい変化が起こるかもしれない」とアドバイスされたことがあるんです。難しいことですが、それはあるかもなと思って。自衛隊の広報マンガでは、もちろん下ネタは封印して、気を使って描いたんですが、いつもとは違う匂いのする作品が出来上がりました。いや、むしろノリは同じかもしれませんが、自分らしい作風のまま、読者層を新しく広げることはできるかなと。自分は、衝動のままで描くよりも、着地点を決めて描くタイプだと思っています。今は掲載誌が「快楽天ビースト」だから、エロマンガの読者に親しみやすい作品を狙う。そういう小器用さはあるつもりです。

 自分は、どうしても描いて伝えたいというものは、あまりないんです。それよりも、ギャグマンガを描きたい。よくTwitterでエゴサーチをしているんですけれど……ぼくの同人誌の感想で「鬱になった時に、火鳥さんのマンガだけは笑えた」というツイートを見つけたことがあって。それを、大事にしなきゃと思っています。

 だから、昔はTwitterでも、思ったことをなんでもつぶやいてましたが、今は、自分がマンガでやろうとしていることに逆行する弱音なんかは言わないようにしようと。明日も立ち向かわなきゃいけない人が、一時の笑いを得てくれればいいんです。ぼくのマンガに人生を導かれる人はいないでしょうけど……一時の元気を与えることはできるかもしれない。負の感情があったら、ぼくがせき止めて、世界に笑顔を増やさなきゃいけないと、それが自分の持てる矜持です。だから、結石になった時も、マンガにしたんです。その時も喜んでもらえたから……石ができてよかったありがとうと思ったんですよね。

 若い頃に漠然と憧れていた、名作や大作というものからは離れているかもしれませんが……いい意味で、自分の居場所を見つけて、長くマンガを描き続けることが大切かな……描かないとね!

 * * *

 その日の東京は数年ぶりの大雪だった。

 長いインタビューの後、喫茶店から外に出ると、すでに地面は真っ白に化粧していた。繁華街の目抜き通りには、人の姿の少なく、しんとした風景の中に雪だけが舞っていた。

《北海道の出身ですから、寒くはないのではありませんか?》
《懐かしいですけど……やっぱり寒いのは寒いですよ》

 最寄りの地下鉄の駅までのわずかな道のり。上を見上げると、雪と靄にすっかり包まれた高層ビルが見えた。

《霧が晴れたら、塔は高いんですよね》

 答えようがなかった。

《プロになろうと思っていたけど、いざ声をかけられたら、怖かったんです》

 でも、あなたはマンガ家になる夢を叶えて、一躍人気作家になったではないか、と思った。

《プロになった時に、目指す頂きがとても高いのが見えたから……》

 地下鉄の入口まで火鳥を見送ったあと、雪の中の静まりかえった道を歩いた。なぜか、雪を避けて駅に入る気にはならなくて、数駅も歩いた。どうして歴史の女神は、いま私が一時を共に旅したような人生へと火鳥を導いたのだろうかと思った。

《でも、今までたくさんの人に、いろんなものをもらってきたから……》

 雪の町に人の姿は少なかった。誰も歩いた跡のない真っ白な道が、まっすぐに続いていた。

《だから……》

 と、火鳥はいった。

《すこしでも返さないといけないと思っているんです》

(文=昼間たかし)

Twitter:@minatohitori

pixiv:火鳥(ヒトリ)
https://www.pixiv.net/member.php?id=194211

セレブなのに「豚クサ臭」!? “ペット30匹”のモデルM、高級住宅街で“鼻つまみ者”(漫画)

 音や匂いなど、個々の生活における習慣が引き起こす「ご近所トラブル」。昨年8月には、騒音を発端とした刑事事件まで発生しているが、何気ない生活音が、他人にはとってはひどい“雑音”として揉め事に発展したりなどは、一般人の間でもよくあること。

 とりわけ、名が知られた有名人ともなると、“ご近所トラブル”が発生する確率はぐんと多くなってしまう様子。

 まずは、世界的デザイナーの孫でもあるセレブお嬢様の女性芸能人・M。都心の一軒家をDIYでリフォーム中という彼女だが、彼女が溺愛しているペットに関連し、見過ごせない“トラブル”が発生していて!?

 芸能人の”ご近所トラブル事件簿”を、計4回にわたりマンガでレポート!

セレブモデル・M泉の「ペット御殿」は激クサ!? 【ご近所トラブル事件簿vol.1】

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 ペットは可愛いけれど、”動物臭”は周囲にも迷惑がかかるだけに、気をつけたいもの。次回をお楽しみに!
(続きは3月6日より公開)
<マンガ/くみハイム>

【サイ女の「芸能人トラブル」ニュース】
まだまだある! 芸能人の「ご近所トラブル」サイゾーウーマンの人気記事をとって出し!

小栗旬、松嶋・反町夫妻、蓮舫……有名人が起こした「ご近所トラブル」事件簿
「夫にも義父母にも上から目線」ご近所トラブルの火種をまく母に、娘は……
真っ黒な服で暴走......岸部一徳の妻が奇行でご近所トラブル!

 

関ジャニ∞村上信五、深夜ラジオで大暴走! 下ネタ・おっさんトーク&“キャバクラ通い”発言も飛び出す

 3月1日放送のラジオ番組『関ジャニ∞村上信五とジャニーズWEST桐山照史・中間淳太のレコメン!』(文化放送)に、ジャニーズWEST小瀧望がゲスト登場。レギュラー出演者の関ジャニ∞村上信五、ジャニーズWEST桐山照史・中間淳太と、“ボーイズトーク”で盛り上がる場面があった。

 今回は小瀧がゲストということで、「全国一斉!小瀧望の恋人テスト」なるコーナーを実施。小瀧の恋人にピッタリの相手を探すべく、価値観が合う人をリスナーの中から探し出すという企画だ。全15問の質問を設け、小瀧とリスナーがそれぞれ回答。この答えが全問小瀧と一緒だった場合、テスト合格となり、晴れて小瀧の恋人になれる……かもしれない、というものだ。

 テストの結果を発表している間、「料理ができる女の子がいい」「いつも下ろしている髪をアップにして、いつもと違う自分をアピールしてほしい」など、いたって普通のボーイズトークで盛り上がるWESTメンバー。一方、村上は「いつもパンツスタイルの子がスカートの方が、なんか“戦術”変えてきよったなって」と、WESTメンバーとは嗜好がやや違う様子。

 さらに村上は、「小瀧の気を惹くには、“さりげなくボディタッチ”“『今日なんか疲れてない?』と気遣う”」の二択質問に対し、「オレはこれ、どっちも混ぜてほしいな。『なんか今日疲れてない?』って言いながらさりげなく……あ! 六本木やな、今日」と、番組恒例の“キャバクラ通い匂わせ発言”をぶっこみ、後輩たちを大爆笑させていた。

 村上の“おっさんトーク”はその後も止まらない。「初デートで行きたい場所は? “お花見”“ディズニーランド”」という質問で、小瀧はディズニーランドをチョイスし、水族館にも憧れていると語っていた。その理由として、「ちょっと暗めな感じで……」と小瀧が言いかけると、「エロいことしようと思ってるんやろ!」と村上がツッコミ。中間と桐山が「バレたな」と小瀧をからかうと、「『バレたな』じゃなくって! イルカショーとかね!」と慌てて弁明。村上は「そっちの方か~。ごめんごめん、うす暗いとか言うから~」とつぶやき、中間に「そこでエロいことしようと思わないでしょ!」とツッコまれるなど、マイペースに場を盛り上げていた。

 質問も徐々に際どくなっていき、「あなたと一緒に寝る時は、小瀧くんにどうしてほしい? “腕枕してもらいながら寝る”“後ろから包んでもらいながら寝る”」という二択に、小瀧は「腕枕してもらいながら寝る」を選び、「腕枕したいですね。腕枕って、守る感じ出てません?」とアイドルらしい発言を。すると村上は「オレ、“バーン”って大の字で寝るタイプやから、どこでも枕にしてくれて(いい)。お前の好きなところで寝たらええがな」と、大人の男ならではの貫禄の一言。このセリフに後輩たちは「は~かっこいいわ!」と感心しきりの様子だった。

 時に下ネタを交えながらも、自然に場を盛り上げる村上のハイレベルな話術が光った、今回の放送。同番組を3月いっぱいで卒業すると発表されている村上だが、『レコメン!』ならではの自由な発言が聞けなくなるのは寂しい限りだ。

“芸人コメンテーター”の申し子・カンニング竹山が「ほとんどのテレビ番組はワイドショーになる」と断言!

 ひと口に「バラエティ」と言っても幅広い。現在、純粋な“お笑い番組”は減少の一途を辿っているものの、芸人は重宝され続けている。「バラエティ」というカテゴリーにトーク番組や情報番組が含まれることは多く、機転の効くお笑い芸人は戦力になり得るのだ。

■槍玉に挙げられた存在が“バラエティタレント”になるまでの流れ

 

 2月24日に放送された『俺の持論』(テレビ朝日系)に、カンニング竹山が出演。彼はここで、驚くべき持論を展開した。

「ほとんどのテレビ番組がワイドショーになる」

 現在、週に3本のワイドショーに出演する竹山だからこそ気付いた点があるのだろう。ずいぶんと振り切った主張だ。しかし、そんなことって本当にあり得るのだろうか?

 竹山は、ワイドショーが持つ“強み”を一つひとつ挙げていった。一つ目は「ぶっ飛んだキャスティングが可能」。

 アパ不倫でブレーク(?)した袴田吉彦や上西小百合、堀江貴文や亀田三兄弟らが渦中にいた時、バラエティ番組がオファーを試みても、なかなか出演には至らなかった。しかし、ワイドショーならばOKが出やすい。世間を騒がせた亀田史郎が『スーパーモーニング』(テレビ朝日系)へ出演し、やくみつると口ゲンカしたインパクトは大きかった。

 キャスティング力の序列について、竹山は「1位:報道、2位:ワイドショー、3位:バラエティ」とランク付けしている。報道番組に出演する首相やノーベル賞受賞者はイメージしやすいが、バラエティに出ることは、なかなかレアだ。

 さあ、ここで注目したいのがワイドショーの存在。「ワイドショーは報道の仮面をかぶったバラエティ」と、竹山は断言する。ニュースを扱うが報道ではないし、芸人が出演することだってある。

「あるところには『報道ですよ、ニュースですよ』という顔をするが、バラエティの方が良かったら『バラエティですよ~』って」(竹山)

 竹山はキャスティング力で、バラエティよりもワイドショーが優位と断言する。ワイドショーの方が、より旬に近いタイミングでキャスティングできるというわけだ。

 竹山は、話題の人物が世間に馴染むまでの流れをフローチャートにして解説した。

(1)タレントではない誰かが問題を起こす。

(2)ワイドショーに出演して散々叩かれる。
「そのうち、我々はその人に慣れてくるんです」(竹山)

(3)ほとぼりが冷めた頃、バラエティに出る。
「いつの間にかその人は、しれ~っとクイズ番組のパネラーか何かになってます。それでMCとかが『あの不倫どうなったの?』『やめろよ、不倫とかって!』って。下手したら、不倫した人がラーメン屋のロケに行ったりして」(竹山)

(4)世間が許せばバラエティタレントが誕生。

 見事だ。亀田興毅も新垣隆も上西小百合も、全て上記の流れに当てはまっている。

「いつの間にか、芸人が新垣さんの頭ひっぱたくみたいな」(竹山)

 要するに、ワイドショーで叩かれている人は、後にバラエティタレントになる可能性が非常に高い。そんな予測が立つ。

■「バラエティはフィクションでワイドショーはリアル」、それって本当か?

 

 もう一つ、竹山はワイドショーの持つ優位性を挙げた。

「報道とかワイドショーはノンフィクションでリアルだなってイメージをみんな持ってると思うんですよ。でも、バラエティは作りもの。『フィクションでしょ?』って」(竹山)

例 えば、バラエティで出演者同士がケンカしても「ヤラセでしょ?」と思われがち。しかし、ワイドショーならばドキドキする。その理由を、竹山は以下のように説明した。

「生放送だからです。同じ時間を共有してるんです。ケンカしたらそこで行われてることになるわけです、だから、ドキドキするんです」(竹山)

 

■全てはワイドショー化する。その申し子はカンニング竹山

 

 竹山が主張する“ワイドショーの強み”として、最も強力なのはこれだろう。「扱えるネタが豊富」。

「今、僕がここで覚せい剤とか薬物問題について話し出したら嫌でしょ? でも、ワイドショーはできます。政治もできますよね。安倍首相がどうのって言っときながら芸能人の不倫もやったりするんですよ」(竹山)

 ワイドショーは報道ではない。それでいて、笑いを取りに行ってるわけでもない。カメレオンのように、その時々でどちらかへ寄る。

「ワイドショーなんて、あんなのバラエティなんです。ちょっと曖昧なバラエティにコメンテーターとして芸人が出てるだけ」(竹山)

 そして、冒頭の持論につながる。「ほとんどのテレビ番組がワイドショーになる」だ。

「ワイドショーというテイだけど、1コーナーでは熱湯風呂をやる。別のコーナーでは芸人3人が海外に旅に行き、過酷な目に遭ってるとか。組み合わせでそういう手がいっぱいできるかもしれない」(竹山)

 確かに、現在のテレビ界を見渡すと、うなずける推測だ。昨今、芸人に求められるのは“面白さ”のみではない。芸人がワイドショーで重宝される現状が、それを証明している。

 世のトピックに対峙するスタンス、コメント、感情などが重視されるワイドショー。それらは、ネット上で執拗に観察される。ここで強度を持つには、持論を淀みなく解説するトーク力と揺るぎなさが重要となる。

 竹山は、全て併せ持っている。ワイドショーで引っ張りだこなのも当然だ。良くも悪くも、現在のテレビ界をいろいろな意味で体現するのがカンニング竹山。そんな気がしてならない。
(文=寺西ジャジューカ)

アレクサンダー、妻・川崎希の「ドケルバン病」を明かし「結構みんななる」と共感の声

 3月4日、モデルでタレントの“アレク”ことアレクサンダー(35)が自身のブログを更新。妻で元AKB48の川崎希(30)が「ドケルバン病」と診断されたことを明かした。

 この日、アレクは手首の痛みを訴える川崎に付き添って病院を受診。診察を待っている間には「のんちゃん手首大丈夫か?すぐ我慢するんだよな、、、痛い時は俺みたいに騒がないとだめだぞ」と投稿し、冗談を交えながらも川崎を気遣う優しさを見せている。

 その後、「ドケルバン病」というタイトルで新たにブログを更新。診察を受ける川崎の写真と共に「ホルモンの関係で妊娠中とか産後になりやすいみたい 腱鞘炎の一種みたいな しばらく安静かな」と診断結果を報告した。

 この投稿に対し、ネット上では「こんな病気があるの?」「初めて聞いた病名」と聞き慣れない病名に戸惑う人も。しかし、川崎と同じくドケルバン病を経験した女性からは「私も長男の出産前後になった」「結構みんななるよね」「めっちゃ痛かったのを覚えてる」など、共感の声が多く上がっている。

 また、働かないヒモキャラが定着しているアレクが川崎を気遣う様子に「キャラに似合わず優しいな!」といったコメントも寄せられた。

松本人志、『ワイドナショー』の不可解な編集に「なぜカット?」発言に共感の声続出

 ダウンタウンの松本人志(54)が3月4日、自身のTwitterを更新。投稿された内容が物議を醸している。

 同日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)に出演した松本。番組内では、平昌五輪後のスポーツ選手への報道について「選手たちは競技をしているときがいちばん輝いている。私生活はあまり見たくない」といった旨の発言し、マスコミに対して苦言を呈した。

 しかし、この発言には続きがあった。放送終了後、松本はTwitterに「メダリスト達はバラエティ番組なんて出なくて良いんですよ。の後ジャンクスポーツなんて一番出たらダメですね(笑)をなぜカット?」と投稿。相方の浜田雅功(54)が司会を務めるトークバラエティ『ジャンクSPORTS』(フジテレビ系)をオチにした発言をカットされたことに疑問を投げかけた。

 この投稿に、ファンからは「フジの忖度か?」「カットの意図が謎」「オチをカットするセンスのなさ」「そこをカットするとまったく意味合いが変わってきますよね」と不満が続出。また「ディレクターセンス無さすぎ」「笑いを分かってないディレクターなんでしょう」など、編集したスタッフへの批判も相次いでいる。

「生まれ変わったつもりだった」芸能界、年齢サバ読み&非公表で総スカンの女たち

 2月25日、元でんぱ組.incのメンバーである最上もがが自身のTwitterで「29歳になりました! ありがとうございます。二十代最後!」と年齢を公表したことが話題になっている。最上のように、芸能界では年齢を非公表にしたり、偽る女性タレントが多くいるようだ。

「真鍋かをりは30歳まで年齢を10カ月サバ読みしていました。その理由は、事務所が“18歳のグラビアアイドル”としてデビューさせたかったからだそう。実際の生年月日は1980年5月31日生まれですが、81年3月31日に変えて、およそ10年活動を続けました。また、真鍋と同じくグラビアで活動していた夏川純は、中学の卒業アルバムが流出したことで、3歳サバ読みしていたことが発覚。本人はブログで『名前を変えて生まれ変わったつもりになった』『10代の人に応援してもらいたい気持ちがあった』と年を若く偽った理由を明かしています」(芸能ライター)

 また、野口五郎の妻で、タレントの三井ゆりも、年齢を詐称していた女性タレントの1人。

「“お嫁さんにしたいタレントNo.1”に輝いたこともあった三井ですが、同級生が週刊誌に4歳サバを読んでいるとリーク。72年生まれとされていましたが、実際は68年生まれだったのです。当時、大活躍中だった三井は、この報道を受けて記者会見を開き、年齢詐称を認めて謝罪するまでの騒動に至りました。このサバ読みは今なお語り継がれており、芸能人の年齢詐称がニュースになるたび三井の名前が挙がるほどです」(同)

 年齢詐称で話題になる芸能人が多いようだが、女優の吉田羊は年齢を非公開にしている女性タレント。しかし、40代だということが判明している。

「吉田は、2016年1月に『第27回 日本ジュエリー ベストドレッサー賞』の“40代部門”を受賞。表彰式では、この賞を受賞するにあたり『40代と明記しますということで、マネージャーが「断るしかないね」と言ったのを、「ほしい」とふたつ返事をしました』とコメントしました。ネットで検索すれば、74年2月3日生まれとすぐに生年月日が表示されるものの、現在も公式には年齢非公表。SNSなどには『年齢非公表の意味がわからん』といった声が続出しています」(同)

 年齢を偽ることはファンを騙して裏切ることにもつながってしまう。事務所の方針との兼ね合いもあるようだが、実年齢を恥じるような姿勢では同性からの支持は望めないだろう。

故・有賀さつきさんは「超マイペースな人だった」関係者が明かす“意外な素顔”

 2月5日に死去のニュースが伝えられた元フジテレビのアナウンサー・有賀さつきさんは、1月中旬に体調を崩して入院し、同30日に亡くなったというが、本人が家族にまで闘病を伏せていたことが話題となった。フジテレビで一緒に仕事をしたことのあるベテラン関係者によると「良くも悪くも、超マイペースな人だった」という。

「フジテレビは八木亜希子、河野景子と同期の“花の63年組”と呼ばれたけど、元祖アイドルアナみたいなもので、みんなバブリーな振る舞いだったよ。中でも有賀さんは、局で車通勤が禁止されてるのに、愛車のベンツで乗りつけて大先輩の露木茂さんに怒られたけど、そういうとき彼女は大げさに号泣して謝るから、年配の上司にはむしろかわいがられていた。新人時代に『スーパータイム』のレポーターをやっていたときも原稿がうまく読めないだけで泣き出す始末で、それを上司が『有賀の持ち味だ』と、かばっていた。当時はぶりっ子女子アナが全盛だったから、たとえ生本番でミスをしても『それがカワイイ』と褒められたぐらい。有賀さん、ニッポン放送のラジオでラッツ&スターのことを『黒塗りしてバカみたい』とか発言して始末書を書かされたときも、上司が代筆したんだ」(同・関係者)

 奔放さが許された時代の空気のせいか、有賀さんは独身時代、男性遍歴も数多く伝えられた。大物俳優の息子やプロデューサーらと次々に交際のウワサが立っていた。

「局の打ち上げパーティでも、2次会の頃には、すでに男と2人で抜け出していたりね。大のF1好きで、レポーターの川井一仁さんとの仲を報じられたこともあったけど、彼は本命ではなく、レーサーの中嶋悟さんの宿泊先に押し掛けていたんだよ。その後はゴルフに傾倒して、有名ゴルファーとも交際していたけどね」(同)

 どこまで本当かわからないほどゴシップが出ていたのも、人気女子アナならではだったが、2002年に上司である解説委員の和田圭氏と結婚。ただ、「プロポーズを断ったけど妊娠が判明して、刑務所に入るつもりで籍を入れた」と本人が後に語ったように、結婚生活はうまくいかず、4年後には離婚した。

 そんな彼女が当初、守っていたのが「娘の顔出しNG」だという。

「当時は有名人が子どもをメディアで紹介することが当たり前だったけど、有賀さんは相川七瀬、渡辺美奈代、田中律子らと並んで、娘の出演を頑なに拒否。それでも娘が大きくなって何度か出演させたことはあったけど、もともと信用できる関係者からのオファーでないと受けないところがあった」(同)

 07年には参院選で当時の民主党から出馬のオファーがあったというが、これも本人が「ありがたいお話ですけど、私生活をいろいろ掘り返されるのが嫌なので」と断ったという話だ。ある知人女性によると、「友達にも連絡あるとき、ないときが激しくて、半年間も音信不通だったこともあったり、約束をドタキャンした理由が『急にバラ園に行きたくなった』とかだった」という。

 そんな超マイペースの有賀さんは、最期まで自分流を貫いた印象だ。
(文=片岡亮/NEWSIDER Tokyo)

故・有賀さつきさんは「超マイペースな人だった」関係者が明かす“意外な素顔”

 2月5日に死去のニュースが伝えられた元フジテレビのアナウンサー・有賀さつきさんは、1月中旬に体調を崩して入院し、同30日に亡くなったというが、本人が家族にまで闘病を伏せていたことが話題となった。フジテレビで一緒に仕事をしたことのあるベテラン関係者によると「良くも悪くも、超マイペースな人だった」という。

「フジテレビは八木亜希子、河野景子と同期の“花の63年組”と呼ばれたけど、元祖アイドルアナみたいなもので、みんなバブリーな振る舞いだったよ。中でも有賀さんは、局で車通勤が禁止されてるのに、愛車のベンツで乗りつけて大先輩の露木茂さんに怒られたけど、そういうとき彼女は大げさに号泣して謝るから、年配の上司にはむしろかわいがられていた。新人時代に『スーパータイム』のレポーターをやっていたときも原稿がうまく読めないだけで泣き出す始末で、それを上司が『有賀の持ち味だ』と、かばっていた。当時はぶりっ子女子アナが全盛だったから、たとえ生本番でミスをしても『それがカワイイ』と褒められたぐらい。有賀さん、ニッポン放送のラジオでラッツ&スターのことを『黒塗りしてバカみたい』とか発言して始末書を書かされたときも、上司が代筆したんだ」(同・関係者)

 奔放さが許された時代の空気のせいか、有賀さんは独身時代、男性遍歴も数多く伝えられた。大物俳優の息子やプロデューサーらと次々に交際のウワサが立っていた。

「局の打ち上げパーティでも、2次会の頃には、すでに男と2人で抜け出していたりね。大のF1好きで、レポーターの川井一仁さんとの仲を報じられたこともあったけど、彼は本命ではなく、レーサーの中嶋悟さんの宿泊先に押し掛けていたんだよ。その後はゴルフに傾倒して、有名ゴルファーとも交際していたけどね」(同)

 どこまで本当かわからないほどゴシップが出ていたのも、人気女子アナならではだったが、2002年に上司である解説委員の和田圭氏と結婚。ただ、「プロポーズを断ったけど妊娠が判明して、刑務所に入るつもりで籍を入れた」と本人が後に語ったように、結婚生活はうまくいかず、4年後には離婚した。

 そんな彼女が当初、守っていたのが「娘の顔出しNG」だという。

「当時は有名人が子どもをメディアで紹介することが当たり前だったけど、有賀さんは相川七瀬、渡辺美奈代、田中律子らと並んで、娘の出演を頑なに拒否。それでも娘が大きくなって何度か出演させたことはあったけど、もともと信用できる関係者からのオファーでないと受けないところがあった」(同)

 07年には参院選で当時の民主党から出馬のオファーがあったというが、これも本人が「ありがたいお話ですけど、私生活をいろいろ掘り返されるのが嫌なので」と断ったという話だ。ある知人女性によると、「友達にも連絡あるとき、ないときが激しくて、半年間も音信不通だったこともあったり、約束をドタキャンした理由が『急にバラ園に行きたくなった』とかだった」という。

 そんな超マイペースの有賀さんは、最期まで自分流を貫いた印象だ。
(文=片岡亮/NEWSIDER Tokyo)

“大学生”羽生結弦争奪戦にフジテレビが名乗り!?「局員になれば……」

 平昌冬季五輪のフィギュアスケート男子で66年ぶりに連覇を果たした羽生結弦が、連日連夜メディアに引っ張りだこだ。3連覇のかかった4年後の北京五輪への挑戦は未定とあって、その去就にも注目が集まっている。

「2015年8月に日刊スポーツが『平昌で終わり』という見出しで、羽生が平昌五輪後にプロ転向を決めていると報じ、『スケート以外で、いろいろなことをしたい』という彼の肉声を掲載しています」(スポーツライター)

 あまり知られていないが、実は羽生は現役の大学生でもある。

「13年4月に早稲田大学の人間科学部人間情報学科通信教育課程『eスクール』に入学しています。この学部は、インターネット環境があれば24時間授業が受けられ、学校へ通学せずともネットで受講して必要単位を取得し、進級していく仕組みです。しかし、多忙な羽生は単位が足りず留年となり、現在は5年生。順調にいけば、今年3月に卒業となるはずです」(同)

 晴れて卒業となれば、スポーツ界、芸能界を巻き込んだ、史上最大規模の「羽生争奪戦」が巻き起こるのは間違いない。広告代理店関係者も、興奮した口調で言う。

「複数の大手芸能プロが、契約金3億円超を用意して待ち構えています。CMも、メジャーリーガーのダルビッシュ有や大谷翔平の1億円を超える3億円が相場となるのは間違いない」

 そんな中、意外なところが争奪戦に加わってきそうだという。

「フジテレビですよ。フジといえば、1998年に長野五輪で金メダルを獲得した里谷多英が99年に入社、その後もフジ局員の肩書を持ちながら競技を続けていました。羽生に関しても、競技を優先することを前提に、リポーターやスポーツキャスター、あるいはアナウンサーとして活動してもらいたいようです。視聴率低迷、リストラ、登坂淳一アナのセクハラ降板と暗いニュース続きのフジですが、もし羽生が『局員』となれば、これまでのネガティブイメージをすべて吹き飛ばすことができる。彼が“就活”に踏み切れば、三顧の礼で迎える構えですよ」(業界関係者)

 もっとも、ファンの一番の願いは「現役続行」だろうが……。

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