11月6日放送の『バイキング』(フジテレビ系)で、俳優ケヴィン・スペイシー氏が俳優アンソニー・ラップ氏から、過去の性的アプローチについて告発された件を取りあげていた。
この問題については、すでにwezzyでも言及をしている。詳細は下記を参照いただきたい。簡単にまとめると、ハリウッドの大物映画プロデューサーであるハーベイ・ワインスタイン氏による性的暴行問題が告発された流れを受け、ラップ氏が未成年の頃にスペイシー氏から性的なアプローチを受けたことを発表。スペイシー氏は、30年ほど前のことで当時のことは記憶にないが、不快な思いをさせたのであればお詫びしたいと謝罪し、その上で、自身が現在はゲイとして生きていることをカミングアウトした、という話だ。
・ハリウッドで発展するワインスタイン騒動が日本に波及されない理由
件の『バイキング』では、出演者のIKKO氏が積極的な発言をしていた。しかしその発言には疑問点と問題点が多かった。
はじめにIKKO氏は、この問題は、未成年に成人した男性が性的虐待を与えてしまったことが重要であり、ゲイであるとか、ないとかではない、という発言をする。これは至極まっとうな指摘だろう。IKKO氏が発言する前に流された、本事件についての番組側のまとめは、スペイシー氏による性的暴行疑惑よりも、むしろスペイシー氏が謝罪の上で自身がゲイであるとカミングアウトしたことに焦点をあてる構成となっていた。
バイキング番組側は、ラップ氏の告発を報じたあとに、それだけではここまで大事にならなかったのではないか、と言い、スペイシー氏のカミングアウトについて言及していた。明らかに、カミングアウトに焦点をあてる構成だろう。番組の中で、スペイシー氏が謝罪とカミングアウトを同時にしたことについては、「問題のすり替えである」「ゲイは小児性愛であるという偏見を強化しかねない」と、アメリカでも批判が殺到していることについて触れているのにもかかわらず、だ。
だからこそIKKO氏の最初の発言は非常にまっとうなものだった。
問題は他にある。実はIKKO氏は、司会の坂上忍に話を振られた後に、こんな発言をしていた(以下は要約)。
「後ろから羽交い絞めにされてレイプされたらすごく嫌。だけど正直な話、そのときの二人の関係はどうだったのかは二人にしかわからないこと。(ラップ氏が30年間も)我慢していたんだったら、前に言えばよかった。アカデミー賞がセクハラの問題を言い始めたときに、なんでその時言えなかったんだろう。言える人と言えない人がいるっていうのもあると思うんですけど……」
「(同性間でも性犯罪として成り立つという話のあとに)内容によりますよ。未成年ということは置いておいて、成人した男性同士のレイプは、どこからどこまでがレイプなのかわからない。刺激されて、まさぐられて、その人が興奮したってことは犯罪にはならない。どっちかっていうとその人が悪い」
なぜいまラップ氏が当時のことを告発するのかという疑問を呈しているが、長い時間が経ったからこそようやく言えるようになったという可能性は十分にある。この点については『バイキング』でもゲスト出演していた弁護士が指摘していた。また、いまワインスタイン氏の告発によって、アメリカの映画界で性暴力の問題が重要視されているからこそ、言えるようになったことも大きいだろう。なぜいまなのか、という疑問は、過去に受けた性暴力の話はずっと黙っていなければいけない、ということになりかねないという意味で、非常に問題がある。
「成人した男性同士のレイプはどこからどこまでがレイプなのかわからない。興奮したなら犯罪にはならない」という発言の問題は言うまでもないことかもしれない。例え性暴力の最中になんらかの身体的な反応が起きたとしても、それはあくまで生理現象であって、被害者が加害を受け入れた、あるいは快を覚えた、という話ではない。そもそもが暴力であって、これを「レイプではない」とするのは大きな間違いである。「どっちかっていうとその人(おそらく被害者だろう)が悪い」などというのは、言語道断だ。
こちらも発言者は不明だが番組内(女性の声だった)で、「同意がなかった…」という声がマイクに拾われていた。同じコーナーの中で、この指摘はもっとはっきりとするべきだったのではないだろうか。
こうした話の中で、坂上氏は「LGBTの問題はいまテレビでもデリケートで全然言えない。IKKOさんが言っていいことを僕は言っちゃいけないとか。よくわからない。オープンにした方がいいんじゃないのって思っちゃうんだけど、無責任?」と発言する。
IKKO氏もデリケートに扱われることに疑問を覚えているという態度のようだ。「昔はカマ野郎とか言われたり、石を投げつけられたり、汚いと言われたりしていた。だけど毎日のことだったから、私たちは明るく生きていくしかないって思って、みんな新宿2丁目とかに来た。いまはナーバスな問題もいろいろあると思うし、でも一緒くたに腫物みたいにしていくと……」「ナーバスなことはナーバスにちゃんと言った方がいいと思う。でもあまりにもなりすぎた状態を作り上げてしまうと、私たちが苦しくなっていくこともある。だからそこは見極めてやらないと。難しい問題」と話していた。
この「LGBT」を社会問題化することによって、むしろ当事者とされる人びとが息苦しさを覚えてしまうという指摘は、ときおり見かけるものだ。以前、「保毛尾田保毛男」の件について、ミッツ・マングローブ氏も類似の話をコラムに執筆していた。
だが、性暴力の問題は、しかも報道の中で安易に「ゲイ」であることと性暴力や小児性愛を結びつけるような問題は、非常に繊細なものであり、発言のひとつひとつに注意が必要なものなのではないだろうか? むしろ「一緒くたに腫物みたいに」忌避するのではなく、丁寧に扱うことが求められているはずだ。それは言論の不自由を意味しない。
IKKO氏は、番組内で、「私達の場合は、相手が自分のことを好きだと思っていたのに、それが違うってこともある。それを一概に、その人たちふたりの問題で、どこかがどこまで(レイプなのか)って問題は(言えない)。お互いの話を聞いているだけだから」とも言っていた。
初めにこの問題は「ゲイであるとか、ないとかではない」と述べていることからも、もしかしたらIKKO氏は、常に「これは二人の間で起きた問題であって、外野が安易にジャッジするべきではないし、ゲイと結びつけるべきではない」と言いたかったのかもしれない。だがたとえそうだとしても、「成人した男性同士のレイプはどこからどこまでがレイプなのかわからない。興奮したなら犯罪にはならない」という発言はやはり問題だろう。相手の同意なしに襲いかかったとしてもそれが恋愛のスタンダードであり、相手も好意を持っていれば受け入れるし、好意がなければ拒絶する……そういう「恋愛」の文脈で読むと、性暴力の問題はいっそう見えにくくなってしまう。
それにしても、ワインスタイン騒動の取り上げ方もそうだったが、『バイキング』制作陣は性暴力の問題をどのように考えているのだろうか。スペイシー氏によるセクシュアル・ハラスメント疑惑よりも、カミングアウトを取りあげるのは、「カミングアウトの方が受ける」と考えたのか、「セクハラの問題は大したことじゃない」と考えたのか、それともそのどちらも、なのか。「デリケートで全然言えない」「よくわからない」という司会者が、取り上げていい問題とそうでなものがある。また芸能人が集まって「よくわかんないけど、こうじゃないの?」と井戸端会議に終始するような番組では、偏見を強化したり、差別的であったり、セカンドレイプに繋がったりと、多くの視聴者を抱えるテレビという媒体では不適切だろう。せめてその分野でしっかりと発言できる専門家を呼んで、発言する時間を十分に割るくらいは、してしかるべきだ。
(wezzy編集部)