普段意識することはないが、人の体は自分で食べたものでできている。手足も血液も脳も、五感も思考も食べるもので左右される。食の世界を広げることは、生き方を広げることにつながるのかもしれない。そんな、食の世界を広げるきっかけになる本3冊を紹介する。
■『おじさん酒場』(亜紀書房/著:山田 真由美、イラスト:なかむらるみ)
「いい酒場にはいいおじさんがいる」
そんなフレーズを合言葉にした『おじさん酒場』は、酒場で見つけた“気になるおじさん”観察を通して、主に首都圏(たまに大阪)の大衆酒場25軒を紹介するエッセイだ。特に、客同士の距離も近く、人との交流も楽しみの一部になり得る大衆酒場の魅力を、“おじさん”の姿を肴に伝えている。
おいしそうに酒を飲み、店員とも客とも上機嫌で話すおじさん、男同士2人の世界で抱擁し合うおじさん、消えゆく思い出の酒場をイラストで記録するおじさん、ハイボールの炭酸の強さについて製造会社まで把握して講義してくれるおじさん――。どのおじさんも、「カッコいい」「粋」という言葉では、はみ出してしまうチャーミングな人間臭さがある。コラム1編1編が、そんな個性豊かな男性の鮮やかなスケッチになっていて、なかむら氏のイラストも合わせて、名も知らないおじさんの佇まいが酒場の空気と共に立ち上ってくる。
著者は最後に「毎回、いい出会いに恵まれたわけではない。むしろ、不発に終わることのほうが多かった」と言うように、本書に取り上げられたおじさんはやはりどこか特別で、見知らぬ人との距離感が絶妙だ。親しげに話しかけてきても、飲み方を押し付けたり無理やり距離を詰めたりはしない。そんなスマートなおじさんを常連に掴まえているような居酒屋は、確かに大人の酒呑みに愛される店になるのだろう。
おじさん観察だけではなく、店自慢のメニューや店主の個性、お酒の品ぞろえもさりげなく紹介され、大衆酒場初心者にも優しいガイドになっている本書。何より、口コミサイトではなかなかわからない、その居酒屋を好む人々の雰囲気が伝えられている。入ってみたいけれども、つい店の前で躊躇してしまうような初心者にとっては、食の世界を広げてくれる1冊になるだろう。
■『野食のススメ 東京自給自足生活』(星海社新書/著: 茸本 朗)
『野食のススメ 東京自給自足生活』も、読むだけで、これまで日常の景色の一部にすぎなかった街路樹の植え込みや川の風景に、違った視点を加え、新たな世界を見せてくれる1冊だ。
「野食」とは「野外の食材をとって食べる」こと。首都圏でも利用できる採集・捕獲できる食材を紹介し、素材を生かす調理法、法律上の注意までも指南してくれる本。スーパーに売っている食材だけでなく、ドライモリーユ茸、トリュフ(に近い種類)、手長エビなど、少しいい店で買うような食材も、都心近くで収穫・捕獲できることに驚かされる(もちろん密漁に当たらない、法律の範囲内でのガイドになっている)。
本書のコンセプトは「都心で無理なく続けられる自給自足指南」。その点で、単に「変わったもの・ゲテモノを食べて、紹介する」という本とは一線を画している。しかし、魚介類や植物のみならず、アオダイショウやウシガエル、コオロギなど、一歩引いてしまうような食材の採取から最適な調理法、味や食感の描写も豊富で、まず読み物として一級の面白さがある。人気コミック『ダンジョン飯』(KADOKAWA)や『ゴールデンカムイ』(集英社)が好きな人なら、それらの“現代東京版”としても楽しめるだろう。
そして、発見と失敗を繰り返しつつ、野生の食材をベースに、ラーメン、カップケーキやぜんざいまで作ろうと挑戦を重ねるレポートは、遠くまで出掛けているわけではないのに、非日常で味わうような冒険心にあふれている。料理も、1種の“創造”であることを思い出させてくれる本だ。
■『世界のおばあちゃん料理』(河出書房新社/著: ガブリエーレ・ガリンベルティ)
「どんな料理を作り、食べるか」は、確実にその人の一面を象徴する。『野食のススメ』と同じく、そんなことを感じさせてくれる『世界のおばあちゃん料理』は、世界50カ国・58の家庭料理が掲載されたレシピ集だが、目次にずらりと並んでいるのは、各国の女性の名前。この本で紹介されているのは、著者が世界中を旅している中で訪れた“普通の家庭のおばあちゃん”の得意料理だ。各レシピには、食材や料理と共に、58人のおばあちゃんが、普段使っている台所やリビングで、写真を撮られている。
77歳、夫を亡くし1人で暮らすノルウェーのシノーヴェさんは、キョツパ(牛肉と野菜のスープ)を作りながら、趣味のピアノや絵画について語る。62歳、丘の上にある家に住んでいるモロッコのエイジャさんは、家族が畑で働く様子を見下ろしながら、庭におこした火で鶏肉のタジンを作る――。得意料理や今好きなことについて語る彼女たちのインタビューや写真を通して、単なるレシピ以上に各国の風土や家庭の日常がありありと描かれている。
おばあちゃんたちは、それぞれふっくらした二の腕や、ムラのある日焼けした肌を思い思いの装いで飾り、自室で笑顔を見せる。その背後に見えるキッチンもさまざまで、変色したまな板、端の焦げたミトンや洗い物が雑然と重ねられたキッチンも多い。そんな、一般的なレシピ本ではそっと除かれがちな生活感が、かえって写真の趣を深めているのは、インタビュアーであり、カメラマンでもある著者の温かい視線が感じられるからだろう。
掲載された料理は高級料理ばかりではないし、オシャレでもないかもしれないが、1レシピ4ページの中に詰められた、各国それぞれの生活感を堂々とまとった女性と食卓の写真は、カラフルで、活力に満ちている。
世界には、好きな服を好きなように着て、得意料理を得意げに振る舞うおばあちゃんがたくさんいる。それは、日本だと「ばあさん」「ババア」なんていうふうに呼ばれたりもするが、いつか、願わくば自分もそういうババアになりたい……と、大げさながら生きる希望が湧いてくる本である。
(保田夏子)
中野瑠美(なかの・るみ)