
黒沢清監督のSFサスペンス『散歩する侵略者』。長澤まさみ、松田龍平、長谷川博己ら黒沢作品初参加組が人類滅亡の危機を救う!?
家の中に赤の他人がいる。かなり不気味なシチュエーションである。ただし、その他人との間に婚姻届が交わされていれば、他人同士は夫婦として世間から認められた当たり前の光景となる。でも、ときどき妻(夫)もしくは同棲中の恋人が、まったく見も知らぬ他人に感じる瞬間はないだろうか。紅茶に入れた角砂糖が溶け出していくように、当たり前だと思っていた日常風景が少しずつ壊れていき、やがては世界全体が崩壊へと向かっていく。黒沢清監督の最新作『散歩する侵略者』は、ありきたりな夫婦の関係の変化から世界の滅亡が始まるスケールの大きなSFサスペンスとなっている。
劇団イキウメを主宰する前川知大の同名舞台を原作にした『散歩する侵略者』だが、映画版は黒沢清監督のカラーが強く滲み出た集大成的な作品である。すでに壊れてしまった夫婦が旅に出ることで再生を目指すというストーリーラインは、浅野忠信&深津絵里主演の『岸辺の旅』(15)を思わせる。世界が滅亡へと向かう恐怖は『回路』(00)、侵略者による容赦ないバイオレンスは『クリーピー 偽りの隣人』(16)を連想させる。サスペンスなのかコメディなのか、油断ならないドラマ運びは『ドッペルゲンガー』(03)や『トウキョウソナタ』(08)っぽくもある。長澤まさみ、松田龍平、長谷川博己ら黒沢清監督作品に初出演するメインキャストたちは、日常生活から秩序が失われていくアンバランスな黒沢ワールドで右往左往するはめに陥る。

宇宙人に意識を操られている真ちゃん(松田龍平)。散歩中に出会った人たちから、次々と概念を奪っていく。
東京から離れた静かな地方都市で、鳴海(長澤まさみ)と真治(松田龍平)の夫婦は一軒屋で暮らしている。すでに夫婦間には、すきま風がビュービューと吹いている状態。鳴海から「真ちゃん」と呼ばれる夫は勤務先の年下の同僚と浮気しており、在宅でイラストの仕事をしている鳴海は締め切りに追われ、夫の浮気に気づかないふりをしている。よくある夫婦だった。そんな形骸化した夫婦関係を木っ端みじんに吹き飛ばす事件が起きる。3日間にわたって音信不通状態だった真治が病院で保護されるが、まったくの別人となっていた。見た目は以前と変わらないが、一般常識が欠落した明らかに異なる人物だった。一時的な記憶喪失だろうということで、鳴海は真ちゃんを自宅に連れ帰り、仕事をしながら介抱することになる。
「僕は宇宙人なんだ」と説明する真ちゃん。夫の体の中に不定形な宇宙人が入り込み、意識をコントロールしているらしい。バカバカしい冗談だと思って鳴海は信じようとしないが、真ちゃんは次々と奇妙な振る舞いをする。最初の犠牲者は鳴海の妹・明日美(前田敦子)だった。一般常識が欠落した義兄である真ちゃんに、明日美は「家族」という概念を教えようとするが、真ちゃんが「その概念、もらった」と人差し指をかざした瞬間に、明日美から「家族」という概念が奪われてしまう。家族という概念を失い、ひと粒の涙を流す明日美。その後も真ちゃんは、散歩中に出会った人たちから概念を奪い続ける。一連の騒ぎに戸惑う鳴海だが、真ちゃんは鳴海からは概念を奪おうとはしなかった。真ちゃんいわく「鳴海は僕の大切なナビゲーターだから」危害を加えるようなことはしないとのこと。かつては愛した夫の姿をした謎の存在から信頼されていることに、鳴海は不思議な安堵感を覚える。破綻していた夫婦関係がリセットされ、喜びを感じる鳴海。相当におかしな夫婦ドラマである。
地球を狙う宇宙人たちが、人間から概念を奪うというアイデアがユニークだ。また、口数が少なく、何を考えているのか分からない真ちゃん役に松田龍平がよく似合う。ほとんどの人は概念をひとつでも奪われると、日常生活に支障をきたすようになるが、逆にハッピーになる人もいる。ずっと自宅に篭りっきりだったニートの若者(満島真之介)は、散歩中の真ちゃんから「所有」という概念を抜き取られたことで、明るい開放的な性格に生まれ変わる。もうひとり、根っからおめでたい人もいる。教会の若い牧師(東出昌大)は真ちゃんに頼まれ、「愛」の概念を懸命に教えようとするが、真ちゃんはこれを奪うことができない。どうも、この牧師が頭の中で思い描いている「愛」は本質的なものとはズレているらしい。ルポライターの桜井(長谷川博己)と彼をナビゲーターに選んだ宇宙人・天野(高杉真宙)たちの侵略計画も同時進行し、世界は破滅へと確実に向かっているのに、ところどころでコメディ要素が散りばめられ、事態はまるで予測できない局面へと転がっていく。

ルポライターの桜井(長谷川博己)は、宇宙人だと自称する天野(高杉真宙)と立花(恒松祐里)の地球侵略を手伝うはめに。
浮気していた夫がようやく自分のところに戻ってきて、これで平穏な家庭を築けると思っていたら、人類はどうやらもうすぐ滅亡するらしい。鳴海の人生はままならない。「まいっちゃうなぁ」と八の字眉で呟く長澤まさみがひどく切なく、とても愛しく思えてくる。人々からいろんな概念を奪って、すっかり人間らしくなった真ちゃんは、すまなそうな表情ができるようになっていた。人類最期の日を2人で過ごすべく、ラブホテルに真ちゃんと入った鳴海は、ある真実に辿り着く。それまで世間的なわかりやすい愛を追い求めてきた鳴海だったが、本当の愛は求めるものではなく、与えるものだということに気づく。このときの長澤まさみは、まさに母性の塊、生きた菩薩さまのようだ。
黒沢清監督はこれまでに『降霊』(99)、『トウキョウソナタ』『岸辺の旅』『クリーピー』、そして『ダゲレオタイプの女』(16)と夫婦の物語を繰り返し描いてきた。先日、黒沢監督にインタビューする機会があり、黒沢監督と奥さんとの夫婦関係が映画にも投影されているのかを尋ねたところ、「作品の中で描いている夫婦は架空のもの」「うちはいたって普通の夫婦です」と照れながらも、大学時代からの付き合いである奥さんとは観た映画の感想を話し合ったり、脚本づくりの際にアイデアをもらったりしていることを話してくれた。黒沢監督は意識していないというが、ありのままの自分を受け入れてくれるパートナーへのリスペクトと信頼感が『散歩する侵略者』からも感じられる。
本作と同じ9月9日(土)公開の『三度目の殺人』も、黒沢清ファンには見逃せない作品となっている。辛口ホームドラマで人気の是枝裕和監督が初めて挑んだ司法サスペンスだが、福山雅治扮するエリート弁護士が拘置所の接見室で対峙することになる殺人犯を演じているのは黒沢清作品の常連俳優・役所広司。ダークな黒沢清ワールドから、ヒューマニズム溢れる是枝作品へ音もなく忍び込んできた侵入者のような怪しい存在だ。しかも役所広司が演じる殺人犯の三隅は、相手の心を読み取る特殊能力の持ち主。三隅に心を読まれることで、エリート弁護士(福山雅治)も足の不自由な少女(広瀬すず)も常識で雁字搦めになっていた心の扉を解放され、それと同時に従来の社会のシステムから遊離してしまうことになる。役所広司演じる怪人物・三隅は、黒沢監督の傑作ホラーファンタジー『CURE』(97)に登場した催眠術師によく似たキャラクターとなっている。
日常生活が機能しなくなる悲喜劇を描いた『散歩する侵略者』と司法という信頼すべくシステムの危うさをクローズアップした『三度目の殺人』。黒沢清監督と是枝裕和監督、どちらも高度にシステム化された現代社会の歪みを見つめる映画監督ゆえに、生み出された作品に共通項があるのは自然なことだろう。
(文=長野辰次)

『散歩する侵略者』
原作/前川知大 脚本/田中幸子、黒沢清
出演/長澤まさみ、松田龍平、高杉真宙、恒松祐里、前田敦子、満島真之介、児嶋一哉、光石研、東出昌大、小泉今日子、笹野高史、長谷川博己
配給/松竹、日活 9月9日(土)より全国ロードショー
(c)2017「散歩する侵略者」製作委員会
http://sanpo-movie.jp
『三度目の殺人』
監督・脚本・編集/是枝裕和
出演/福山雅治、広瀬すず、満島真之介、市川実日子、松岡依都美、橋爪功、斉藤由貴、吉田鋼太郎、役所広司
配給/東宝、ギャガ 9月9日(土)より全国ロードショー
http://gaga.ne.jp/sandome

『パンドラ映画館』電子書籍発売中!
日刊サイゾーの人気連載『パンドラ映画館』が電子書籍になりました。
詳細はこちらから!