TOKIO・長瀬智也演じる主人公が、脳に銃弾を入れながら人を乗せて車を運転したりするメロドラマ『ごめん、愛してる』(TBS系)。10日放送の第9話の平均視聴率は、自己2番目に高い初回とタイの9.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)でした。 前回は、偶然、ばったり、偶然、ばったり……と、ドラマ的な展開が続きすぎて、ご都合主義が限界突破していた同作ですが、今回はどんな塩梅でしょう? あらすじを振り返ります。 ※前回のレビューはこちら
日別アーカイブ: 2017年9月11日
一度行ったら脱出困難な町……日本有数の謎地域(褒めてる)!? 和歌山県上富田町に観光案内所が誕生
この謎自治体は、ぜひ一度は訪れるべき。 「上富田町に観光案内所ができた」 そんなにわかに信じがたい情報を聞き、調べて見たところ確かに「紀伊民報」9月2日付に「朝来駅に観光案内所 情報発信の拠点に」と報じられているではないか。 と、ここまで数行を読んで読者は「なんだよ、上富田町って?」と思っているであろう。 一度地図を見てみるとよい。和歌山県上富田町は謎多き自治体である。 北は田辺市、南は白浜町。それぞれ、平成の大合併によって巨大化した自治体に囲まれながらも、合併をせず独立を保っているのである。 こんな孤高を保つ自治体というのは、何かしらお金が落ちる施設や産業などを持っているもの。しかし、調べてみても確かに幾つかの工場などはあるが、目立つものはない。 実は、上富田町が平成の大合併において独立を保ったのは、もっと単純な理由。意見が割れたからである。2008年、第2次市町村合併にかかる特例法の期限を前に住民の意向を調査したところ、周囲の市町村との合併反対が3,808人。賛成が3,747人。パーセンテージでは、49.86%対48.99%となったのである。 このあまりの僅差に、合併をしないという選択が決定したのである。もちろん、田辺都市圏のベッドタウンとしての機能もあるため、ある程度財源は確保されており、合併しないと町の財政がヤバいというような問題がなかったのも大きな理由。ともあれ、賛成反対が僅差過ぎて合併しないという、何か妙な興味が湧く自治体が生まれたのである。 さて、そんな上富田町であるが主な特徴は田園風景も広がるベッドタウン。今年の初夏、今月発売予定の『これでいいのか和歌山県』(マイクロマガジン社)の取材のために、筆者は、町のターミナル駅・朝来駅に降り立った(なお「あさぎえき」ではなく「あっそえき」である)。「かみとんだ」と読みます
そこに見えたのは「何もないなあ」という風景であった。何もないというのは、田舎過ぎて何もないのではない。国道に出れば交通量も多く店舗も並んでいる。でも、それはどこにでもありそうな、ロードサイドの風景にすぎなかったのである。あっそえき
もちろん、上富田町に名所がないわけではない。熊野古道も通る口熊野の一地域。町内には歴史を感じさせるスポットもいっぱいだ。町内にある救馬渓観音は、和歌山県における開運厄除けの霊場としても知られている。ものすごく普通
名所もあるにはある
でも、そのすべてが駅からは遙かに遠い。そして、朝来駅に停車するのは各駅停車のみ。それも時間帯によっては2時間に1本程度。バスも同様で、一度この町に入ったら容易には脱出できない仕様になっているのである。 そんな町にできた観光案内所は、前出の朝来駅の駅舎を利用したもの。これまで、駅近くには、町産業振興・文化交流館という観光案内所風の施設があったが、これは平日のみ営業という、まったく観光には使えない施設であった。まさか、新たな観光案内所も同様かと思い、電話で尋ねてみると「ちゃんと、土日も営業しています」という。そんな観光案内所のウリは、“レンタサイクルの貸し出しを行うこと”の様子……。 果たして、公共交通機関では訪問しにくい上富田町に、どれだけの観光客がやってくるのか? 実のところ、周囲を観光地に囲まれながら、とりわけ目立つ名所のない地域の絶妙なローカル感は、ブラブラと歩いていると面白いもの。人が押し寄せるような観光地に飽きた人は、こうした日常を巡ってみるべきと、すごくポジティブにオススメしたい。 (文=昼間たかし)こちらは櫟原神社
関ジャニ∞安田章大の誕生日! 笑顔とキメ顔のギャップにときめきっぱなしの1冊!
10周年のメモリアル・イヤーを締めくくった「第65回 NHK 紅白歌合戦会見」、11年目の新たなるレジェンドに向かうツアーとなった「関ジャニズム LIVE TOUR 2014>>2015」に完全密着!ドラマに映画にバラエティーにと、八面六臂のソロ活動も充実のエイト!会見のリラックスした貴重なオフ顔と、コンサートでのキメ顔に、エイターはますますギャップ萌え!の永久保存級フォトレポート!!
真木よう子主演『セシルのもくろみ』が、“歴史に残る駄作”とされる理由
9月7日、真木よう子主演ドラマ『セシルのもくろみ』(フジテレビ系)最終回(第9話)が放送された。初回から、5.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)の大コケスタートを切り、その後も3%台を記録するなど大低迷。打ち切りによって1話早く最終回を迎えたともいわれている。
同作は、体育会系の主婦・宮地奈央(真木)が、ある日ファッションライター・江里(伊藤歩)にファッション誌「ヴァニティ」の読者モデルとしてスカウトされ、一流のモデルを目指して奮闘していく姿を描いた作品。
最終回では、「ヴァニティ」を辞めた編集者の洵子(板谷由夏)とモデルを辞めた由華子(吉瀬美智子)が新たに女性誌「ジョワイユ」を立ち上げ、そのカバーモデルとして奈央を誘う。一方、「ヴァニティ」は看板モデルの舞子(長谷川京子)が打ち出したハイクラス路線が失敗し、売り上げ部数が減少。「ヴァニティ」編集部は、同誌が廃刊になるというネットニュースを見て、今後の身の振り方の心配をするなど愚痴を漏らしていた。
すると奈央は、「それって真実なんですかね?」「誰が誰に聞いて書いたかもわからないネットニュースが出る度にいちいち右往左往するのはどうなんでしょう」と語りだし、説教タイムへ突入。自分は「ジョワイユ」に誘われたが「ヴァニティ」に居続けることや、モデルという仕事の素晴らしさ、「ヴァニティ」を盛り上げたい気持ちなどを、実に7分ほど1人でしゃべり続けた。
「見せ場だと思われる奈央の演説ですが、視聴者からは大不評。『説教感が強すぎて無理』『長すぎ、早く終われ』『まったく心に響かない演説』『お前に言われてもって感じ』『薄っぺらい長話』『ネットニュース云々って自分に言い聞かせてるみたい』と散々な言われようです。せめて、カットを割らずに、長回しで7分間しゃべり続けたら、真木の女優としての株も上がったかもしれませんが……」(芸能ライター)
ともあれ、「ヴァニティ」を続けていくことになった奈央。部数が落ちてすぐに態度をあらためた舞子と新編集長の平林(石田佳央)は、これまでの“共感路線”の誌面作りを復活させることになった。
そして最終シーン。外国人のモデルとスタイリストが行きかうメイク室に、なんと奈央の姿が。どうやら奈央は海外のファッションショーにでるほどのスーパーモデルになっていたようだ。
「このラストにも批判が続出し、『は? 海外のショー? 乾いた笑いが出たわ(笑)』『身長20cmは足りないでしょ』『なにこれ、絶対ないわ』『とんでもない投げやり』『ヤケクソエンド』『最後に言わせて、クソつまらなかった!』『結局、誰が何を目論んでたの?』と散々な声が出ています。また、最後まで特に成長を感じられなかった奈央に対しては『主人公が少しずつオシャレになる物語だと思ったのに』『最後まで主人公が嫌いでした』と、不満ばかりが募る展開だったようです。真木も、脚本家も、そしてフジも、ただただ批判にさらされる結果となり、『歴史に残る駄作だった』なんて声も出ていますよ」(同)
最終回の視聴率は4.3%と、これまたもの寂しい数字に終わった『セシルのもくろみ』。真木には今後、汚名返上できる機会はめぐってくるのだろうか。
FA獲得の千葉ロッテ・涌井秀章 妻・押切もえの事情で「選択肢は1つ」しかない!?
千葉ロッテマリーンズの涌井秀章投手が9月4日、海外移籍も可能なFA権を取得。今オフの移籍が取り沙汰されている。モデルの押切もえを妻に持つ右腕は、どのチームに移籍するのか? 涌井は横浜高校からドラフト1位で西武に入団し、2007年には最多勝を、09年には最多勝と沢村賞を受賞。13年にFA権を行使して千葉ロッテに移籍し、15年には3度目の最多勝に輝いたが、今季はここまで5勝10敗(9月10日時点)と、成績は伸び悩んでいる。約13年のプロ生活で123勝を挙げた右腕は、来季どこに行くのか? プロ野球関連の取材も多い週刊誌記者が語る。 「涌井も妻の押切も千葉県出身ですが、とりあえずロッテを出ることは既定路線でしょう。もともとロッテに移籍したのは、西武時代から自分をよく知る伊東勤監督の強い引きがあったから。しかし、今季のロッテはボロボロで、伊東監督もすでに退任を発表しています。球団も表向きは流出阻止のポーズを取っていますが、2.5億円といわれる年俸を考えると、引き止める理由はないでしょう。メジャー行きが報じられていますが、それは厳しいと思います。涌井はスタミナはありますが、球数が非常に多いタイプ。球数で交代のタイミングを図るメジャーでは、球数を要するタイプは敬遠されます。メジャーで日本人投手の評価は非常に高いですが、与四球率も高く、150kmを超える速球もない涌井に、現状より高い年俸を出すチームはないでしょう。もっとも、妻の押切はNHK Eテレでずっと英会話番組に出演していましたから、妻が(米に)行きたいという可能性はありますが……」 となると、基本的に選択肢は日本球界。計算できる投手が欲しいのはどのチームも同じだが、涌井には選択肢が絞られる事情があるという。 「涌井は過去に何度も女性問題を起こしており、押切としては単身赴任は避けたいはず。押切の仕事も考えると、在京球団希望でしょう。となると西武、ヤクルト、巨人、DeNAの4チームですが、実質行けるチームは1つしかありません。まず西武は、在籍時に年俸調停でモメているので出戻りはあり得ません。次にヤクルトには、横浜高校の先輩・成瀬善久投手がいます。涌井は高校時代に成瀬にイジメられたことがあり、犬猿の仲。2人はロッテで1年間一緒にやりましたが、成瀬はあっさりロッテを出ました。一方、巨人には押切の元カレの野間口貴彦投手がスタッフとして在籍しています。そうなると、残りはDeNAということになります。DeNAは資金も潤沢で、山口俊投手をFAで巨人に取られましたが、涌井ならその穴は十分に埋めるでしょう」(同) 来季はセ・リーグで投げる涌井の姿が見られるかも?千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイトより
FA獲得の千葉ロッテ・涌井秀章 妻・押切もえの事情で「選択肢は1つ」しかない!?
千葉ロッテマリーンズの涌井秀章投手が9月4日、海外移籍も可能なFA権を取得。今オフの移籍が取り沙汰されている。モデルの押切もえを妻に持つ右腕は、どのチームに移籍するのか? 涌井は横浜高校からドラフト1位で西武に入団し、2007年には最多勝を、09年には最多勝と沢村賞を受賞。13年にFA権を行使して千葉ロッテに移籍し、15年には3度目の最多勝に輝いたが、今季はここまで5勝10敗(9月10日時点)と、成績は伸び悩んでいる。約13年のプロ生活で123勝を挙げた右腕は、来季どこに行くのか? プロ野球関連の取材も多い週刊誌記者が語る。 「涌井も妻の押切も千葉県出身ですが、とりあえずロッテを出ることは既定路線でしょう。もともとロッテに移籍したのは、西武時代から自分をよく知る伊東勤監督の強い引きがあったから。しかし、今季のロッテはボロボロで、伊東監督もすでに退任を発表しています。球団も表向きは流出阻止のポーズを取っていますが、2.5億円といわれる年俸を考えると、引き止める理由はないでしょう。メジャー行きが報じられていますが、それは厳しいと思います。涌井はスタミナはありますが、球数が非常に多いタイプ。球数で交代のタイミングを図るメジャーでは、球数を要するタイプは敬遠されます。メジャーで日本人投手の評価は非常に高いですが、与四球率も高く、150kmを超える速球もない涌井に、現状より高い年俸を出すチームはないでしょう。もっとも、妻の押切はNHK Eテレでずっと英会話番組に出演していましたから、妻が(米に)行きたいという可能性はありますが……」 となると、基本的に選択肢は日本球界。計算できる投手が欲しいのはどのチームも同じだが、涌井には選択肢が絞られる事情があるという。 「涌井は過去に何度も女性問題を起こしており、押切としては単身赴任は避けたいはず。押切の仕事も考えると、在京球団希望でしょう。となると西武、ヤクルト、巨人、DeNAの4チームですが、実質行けるチームは1つしかありません。まず西武は、在籍時に年俸調停でモメているので出戻りはあり得ません。次にヤクルトには、横浜高校の先輩・成瀬善久投手がいます。涌井は高校時代に成瀬にイジメられたことがあり、犬猿の仲。2人はロッテで1年間一緒にやりましたが、成瀬はあっさりロッテを出ました。一方、巨人には押切の元カレの野間口貴彦投手がスタッフとして在籍しています。そうなると、残りはDeNAということになります。DeNAは資金も潤沢で、山口俊投手をFAで巨人に取られましたが、涌井ならその穴は十分に埋めるでしょう」(同) 来季はセ・リーグで投げる涌井の姿が見られるかも?千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイトより
「岡田准一は2,000人に1人のイケメンだけど……」Dr.高須幹弥がV6の顔面をジャッジ!!
【第46回】「高須幹弥センセイ、V6のイケメン度を教えてください!」
1995年に開催された『バレーボールワールドカップ』のイメージキャラクターとして結成されたV6も、今年で活動22年目を迎える。メンバー全員がアラフォーとなり、グッと渋さを増した大人の男に成長したが、彼らの男前レベルはいかほど? 高須クリニック名古屋院・院長の高須幹弥先生、V6の顔面診断をお願いします!
■「頬がたるむのが早そう」な三宅健の顔
では、1人ずつの顔から見ていきましょう。
まずリーダーの坂本昌行さんですが、輪郭はそこそこきれいでパーツの位置関係も悪くないのですが、目が残念ですね。キレイな奥二重で目力はあるのに、眼球自体が小さく、目の横幅も狭いので、小さい印象が強くなってしまうんです。また、小鼻が横に広がって鼻の穴が大きく見える点や、口元がボコッと出ていることで、ほうれい線が刻まれてしまっている点など、そこそこイケメンなのにちょっと残念な要素が多く、“目の小さい猿顔”といったイメージになってしまっています。
長野博さんも、目がすごく小さいんですよね。二重はきれいな平行型二重で、目の開きも悪くないのですが、眼球自体が小さくて、目と目の距離も離れているんです。輪郭は頬骨とエラが適度に張って男らしいし、小鼻が横に広がってはいるものの、鼻自体は鼻筋の通ったきれいな形をしていて、ほかに悪い要素がないので、目だけが残念。ただ、全体的に整っていて、目は小さいけれど開きがいいので、威圧感のない優しい印象を与える顔だと思います。
森田剛さんも目が特徴的ですね。目自体も細いうえ、まぶたの外側に厚みがあって、たるんでかぶさっているので、“まぶたのたるみによるタレ目”になっています。いわゆる“老け顔のタレ目”ですね。そのうえ、若いときからずっと眉間にしわを寄せているので深く刻まれてしまい、老けるのが早く、いつも怒っているような怖い印象を与えています。輪郭はシャープできれいだし、パーツの配置もよく、グループ内では2番目のイケメン度なのに、怖い印象しか残らないのはもったいないです。
井ノ原快彦さんも、目尻にしわが刻まれて老けて見えますが、いつも笑っているように見えるので、森田さんとは逆に優しそうな印象を与えていると思います。ただ、とにかく目が小さいんですよ。眼球自体が小さく、横幅も狭くて目の開きも悪いうえ、まぶたの外側の皮膚がたるんでかぶさっているので、余計に細く見えてしまっています。笑うと糸のようですよね。口元が出ているので、ほうれい線が刻まれているのも気になります。イケメン度としては一般人の平均くらいで、正直、6人の中では一番イケてないですが、癒やし要素と他メンバーの引き立て役で、グループには必要な存在だと思います。
三宅健さんは、涙袋がとても大きく、エラや頬骨、顎先の出ていないシャープな輪郭で、女性的な印象が強いですね。目鼻立ちが整っている一方、男らしさに欠けるので、甘えてきそうな雰囲気の“可愛い系イケメン”です。童顔で肌もきれいなので年を重ねても老けにくく、38歳の現在でも25歳くらいに見えますが、頬骨やエラが張っていないし、顎も小さいので、頬がたるむのは早そう。そうなった場合、ずっと弟キャラという立ち位置でいるのは、ツラくなってくるかもしれませんね。
岡田准一さんは、美容整形に訪れる男性患者が希望する「なりたい顔」で常にベスト3にランクインしているほど、みんながあこがれるパーツがたくさんあります。目はきれいな平行型二重で、蒙古ひだの張りもなく、大きくて目力があります。彫りが深くて目と眉の距離も近く、鼻も、彫りの深い顔立ちにほどよい高さの鼻筋で、鼻先もきれいに下に伸びています。強いて言うなら、ちょっと鼻が長すぎて意地悪そうな印象があるくらい。輪郭も、頬骨やエラがそれほど張っていないので、少し女性的な印象のあるシャープできれいな輪郭をしています。大きな欠点がなく、グループの中で最もイケメンなのはもちろん、2,000人に1人いるかいないかのイケメン度だと思いますよ。男性も女性もあこがれる顔立ちなので、顔で得するタイプでしょう(笑)。
■V6は全体的に見ると「地味」
岡田さんはかなりハイレベルなイケメン、三宅さんもそこそこイケメンですが、森田さんは怖いし、坂本さん、長野さん、井ノ原さんというメンバーの半数は目が小さいので、グループとしては地味な印象になっています。芸能人は目の大きい人が多いから、目の小さい人は地味な顔立ちに見えて、テレビだと目立たないんですよ。そのせいか、全体的に見ると、あまりパッとしない気がします。引き立て役の井ノ原さんはいいとしても、坂本さんと長野さんをイケメンと入れ替えた方が、グループ全体が華やかになったかな。
とはいえ、このメンバーで活動してもう22年ですからね。デビュー当時から比べると、岡田さんと井ノ原さんはいい歳の重ね方をしていると思います。井ノ原さんは元がそれほどイケメンではないので、歳を重ねても老けたという印象になりません。岡田さんは彫りが深く、元から老け顔で、このまま老けていっても渋さが増すだけなので、ダンディなイケメンオヤジになっていくと思います。ただ、三宅さんは、今は可愛くていいのですが、この先顔にしわが刻まれていくと、可愛くも渋くもない中途半端な顔になってしまうかもしれないので、そこが不安ですね。
「イキそう」を我慢する寸止めオナニー・レッスンで尋常じゃないオーガズムに到達!
男性が射精を我慢する「寸止め」行為は、精液が逆流して、勃起障害や射精障害になってしまうおそれがあります。
▼射精の寸止め練習は危険、と彼氏に教えてあげてほしい理由
この「寸止め」。男性の場合、我慢したところでスッキリ感が増す程度というものらしいですが、女性が行った場合……、なんと! 肉体的な快感を高める効果があるというじゃありませんか!
※ちゃっちゃとオナニーを済ませたい! という場合には向いてませんので、ゆっくりとオナニー時間がある時にお試しください!
◎寸止めオナニー・スタート!
まずは、いつものご自身のやり方でオナニーを開始してください。早くイクためのオナニーをしがちな方は、いつもより優しい刺激で徐々に快感を上げていった方がよいと思います。
指で行う時も、アダルトグッズを使用している場合も「イキそう!」な絶頂の直前に刺激を与えることを止めて(スイッチを切って)、呼吸を整えます。落ち着いてきたら、また刺激を与えて快感を高める。「もう耐えられない!」と感じるまでこの行為を繰り返します。セルフ焦らしプレイですね。
◎10秒の我慢からはじめましょう
上級者になると何時間も寸止めを繰り替えすことが可能だそうですが、呼吸を整えても1度高まった快感が残っているため、初心者は再度刺激を与えるとすぐにイってしまうこともあるそうです。
1度寸止めをして、オナニー再開から10秒間ほど我慢することから慣れていきましょう。慣れてくると5分、10分の「寸止め」が可能になります。寸止めを繰り返して最後にオーガズムに達した時には、強烈な快感を得ることができます。オナニーでこのトレーニングを続けていくことで、セックスでも快感の高いオーガズムが得られるようになるかもしれません。「セックスでは、なかなかイケない」という方にこそ、トライしてみてほしい寸止めオナニーなのです。
◎快感倍増の「寸止めセックス」だけど……
「寸止め」プレイは羞恥オナニーとしてだけではなく、セックスでも楽しめるプレイです。イク直前になると腰をズラしてペニスを外したり、相手の腰を押さえてオーガズムの寸止めをしたり、協力的な男性の場合、イキそうな瞬間にペニスを抜いてもらうという羞恥プレイを楽しむのもツウ。
しかし! 寸止めセックスを楽しんでいたものの「寸止めのセックスが最高と言っていたから、毎度何度も寸止めプレイを繰り返していたら、彼女にキレられた」という男性の声も。本当にイキたい時に止められると、興奮を通り越して苛立ってしまう時がありますよねぇ。
彼女がよがる姿を見たいSっ気強めの男性や、女性が先にイッて疲れ果ててしまうのを防止するために寸止めを繰り返している遅漏の男性なども、こういった事態になり得ると思います。反対に女性側が自分のペースで勝手に相手の腰を押さえて寸止めを楽しんじゃうと、もっともっと動かしたい相手が苛立つこともあるかと思います。そこはお互いのコミュニケーションが大切ですね。
セックスで「寸止めプレイ」を取り入れる場合は、本気でイキたい時の合図などを決めておくようにしましょう!
Hey!Say!JUMP山田涼介が『幸せ!ボンビーガール』に登場! 9月12日(火)ジャニーズアイドル出演情報
――翌日にジャニーズアイドルが出演予定の番組情報をお届けします。見逃さないように、録画予約をお忘れなく!
※一部を除き、首都圏の放送情報を元に構成しています。
※番組編成、及び放送日時は変更になることがあります。最新情報は番組公式サイト等をご確認ください。
●TOKIO
8:00~ 9:55 『白熱ライブビビット』(TBS系) 国分太一
11:25~11:30 『国分太一のおさんぽジャパン』(フジテレビ系) 国分太一
18:55~19:25 『Rの法則』(NHK Eテレ) 山口達也
21:00~22:54 『幸せ!ボンビーガール SP』(日本テレビ系) 山口達也
●V6
8:15~ 9:54 『あさイチ』(NHK総合) 井ノ原快彦
24:58~25:28 『アメージパング!』(TBS系)
神社関係者の困惑→沈黙から5カ月あまり……神社擬人化ゲーム『社にほへと』が、ついに開発中止を宣言
本日、DMM GAMESがブラウザゲーム『社にほへと』の開発を中止したことを発表した。4月末に不具合を理由に事前登録受付を休止して以来、5カ月あまりを経ての発表である。 同社のお知らせによれば「配信の発表以降、クオリティの向上、不具合の修正のために開発を続けて参りましたが、度重なる検討の結果、正式サービスを行うためのクオリティの確保、並びにお客様への安定的なサービスの提供に支障があると最終的に判断し、開発の中止を決定」したとしている。 ただ、事前登録開始以来、このゲームをめぐっては重大な問題が提起されていた。 現在も信仰されている実在の神社を、相談することなく無断で擬人化に使用していることの是否。その擬人化されたキャラクターのレアリティを「大吉」や「凶」という言葉で表記していることの是否などが、それである。 4月に執筆したルポルタージュで、取材に応じた神社本庁の担当者は「信仰を持つ側としては気分のよいものではありません」という言葉を漏らした。 一方、DMM GAMESは「本ゲームは『神社』をイメージした“フィクション”である内容のため、実際に実在する人物・建物・団体とは一切関係はございません」とメールで返答するのみで、取材には応じてもらえず、その真意を諮ることはできなかった。 そのルポルタージュが公開されてから間もなく、事前登録受付は中止され、公開されていたPVも削除。ほとんど動くこともなかったTwitterアカウントも、中止の発表と共に削除されるに至った。 この『社にほへと』をはじめ、近年、神社が新しいカルチャーによって注目を集めることていることは、筆者はいくつも取材している。 『社にほへと』についても、単なるゲームそのものの是否ではなく、日本人の生活に根付いた信仰を考える機会として、ルポルタージュを執筆した。 そこでは、困惑する神道関係者の姿だけでなく、読者諸氏が神社について考える機会を提示したつもりだ。以下にその『社にほへと』についてのルポルタージュを再録するので、ぜひとも読んでほしい。 (文=昼間たかし) * * * 以下、「おたぽる」より転載(初出/2017年4月4日) 神社本庁も「これはちょっと……」と漏らした。「DMM GAMES」新作『社にほへと』から考えるオタクの信仰 『艦隊これくしょん-艦これ-』や『刀剣乱舞-ONLINE-』など数多くのヒット作を世に送り出してきた「DMM GAMES」が新たに発表した『社にほへと』。夏からのリリースを予定して、事前登録が始まっているこのタイトルは、神社を擬人化した「社巫娘」なる美少女キャラクターが登場する。 事前登録をすると、毎日1回おみくじを引くことができ、「伏見稲荷」「鹿島」「春日」などのキャラクターを引き当てることができる。だが、そこには神社や神道への理解、そして畏敬や信仰への畏敬を疑わざるを得ない面が見受けられる。「おみくじ」を引くと、大吉から凶までがキャラクターのレアリティによって分類されている。つまり、特定の神社は大吉、あるいは凶と分類されているようである。 信仰心や日本における神社の存在理由を少しでも知っていれば、ここに超えてはいけない線を越えていることを感じるのではないか。取材に応じてくれた神社本庁の担当者も、おみくじを見て「これはちょっと……」と顔を曇らせる。 また、凶の「おみくじ」を引くと登場するキャラクターに割り当てられた石清水八幡宮に話を聞いたところ「(神社の名前を)使用したい等の連絡は来ておらず、まったくの無断使用」というのである。 ところが、当の「DMM GAMES」にも話を聞いたところ「本ゲームは『神社』をイメージした“フィクション”である内容のため、実際に実在する人物・建物・団体とは一切関係はございません」という。そして「おみくじ」についても「結果の運勢に『社(やしろ)』がひもづいているものではない」というのである。 これをどういう形で書くべきか? 凡庸なニュースサイトのごとく、センセーショナルな部分のみをクローズアップして記すだけで、終わってはならぬように思った。すると、筆は勝手に走り続けたのである……。 昨年、縁あって御柱を曳く機会を得た。 御柱祭の年、諏訪大社の御柱祭が終わった後の秋、諏訪の神社では地域の人々によって、それぞれ御柱祭が催される。地域の人々によって山から切り出された御柱は、地域中で曳かれ、境内に建てられるのだ。 そうした神社のひとつに、岡谷市の洩矢神社がある。数年前の夏に偶然、私は神社を訪れて驚いた。普段は人もいない神社に設置された絵馬掛には、いくつものキャラクターを描いた絵馬が設置されていたのである。 そう、この神社はゲームに『東方Project』シリーズのキャラクター・洩矢諏訪子にゆかりのある神社だとされ、多くのファンが訪れるところになっていたのである。 いったいどのようなファンが集まっているのだろうか? たまたまTwitterで見つけた地元の人に聞いたところ、大みそかの夜には、地元の人々によって絵馬や熊手などの頒布も行われるという。ならば、ファンも集っているのだろう。早速、現地へ行ってみることにした。 2014年の大みそか。私のほか、わずかな客だけを乗せて走る夜の中央本線各駅停車。 上諏訪まで高速バスで行き、そば千(上諏訪駅近くにあったコンビニと合体した、立ち食い蕎麦屋)で年越し蕎麦を食べた後に向かおう。そんなスケジュールを考えていたのだが、行ってみると店は閉まっていた。年越し蕎麦を食べ損なったガッカリ感にどうしようもない気持ちを抱えたまま岡谷駅を降りると、雪がしんしんと降り積もっていた。 岡谷駅から洩矢神社へは、市街地とは逆方向の道を進むことになる。誰も歩いていない道の雪は、ただただ深かった。 そんな道を20分あまり。うっそうとした森に包まれた洩矢神社は雪化粧を施されて、夏に訪れたときとはまったく違う風景を見せていた。石段の道には提灯が並び、新年への期待と厳粛な空気とが混じり合い、幻想的な雰囲気に包まれていた。 石段を昇ると、普段は閉ざされている社殿の扉は開かれ、その横に設置されたテントでは、地元の人たちによって熊手と破魔矢の頒布も行われていた。そして私の姿を見ると、待ってましたとばかりに樽酒を紙コップに注いで勧めるのである。まったくの下戸である私だが、ひとまずは口をつける。ところが、まったく酔わない。それほどあたりは寒いということに気づいた。 頒布されている熊手や破魔矢を見る。驚いた。破魔矢には300円と書かれていた。おみくじは100円。前に訪れたときには、絵馬掛けの横に積まれ100円を賽銭箱に入れるように案内されていた絵馬は、無料で頒布されていた。安さには驚くが、決して値段の高い低いの問題ではない。本来は、地元の人のために頒布するものだからの値段なのである。儲けなど関係なく、神社への崇敬の念で、このような値段になっているのだろう。だからといって、ふと訪れただけの私にも、分け隔てなく頒布してくれた。ただそれだけのことなのだが、そこに何か神社の温かさというものを感じた。 さて、境内を見渡すと地元の人にまじって「東方民」は10人あまりだったろうか。それぞれ、ファン同士で交流したり、地元の人と会話を交わしていた。 そんな風景を眺めているうちに、年が変わると打ち上げ花火が上がった。それが合図だったのか、地元の人々がどっと神社に押し寄せてきた。それぞれ新年の挨拶をして、縁起物を手に戻っていく。それが、この地域での大みそかから新年にかけての過ごし方のようだった。 そんな混雑も30分あまり。すぐに境内には静寂が戻る。さて、これからどうしようかと考えた。東京のような異常な大都会とは異なり、新年を迎える夜に営業している店など、ほぼあり得ない。いまだに十代のときと変わらず野宿を楽しんでいる身ゆえ、駅のあたりで始発まで寝ようかと考えていた。あるいは、諏訪湖をほとりを歩いて下社への参拝くらいならできるだろう、と。 そんな時「東方民」の一人に、声をかけられた。 「一緒に、回りませんか?」 長野県在住の男性であった。彼は「せっかく来てくれたんだから」と、車で上下の四社、さらに御頭御社宮司総社と手長神社まで案内してくれた。道中、彼は仕事の合間にさまざまな神社を参拝していることを聞いた。ゲームをきっかけに、神社への関心を高める人も増えているのだろうか? そんなことを考えた。 神社に限らず、マンガやゲームがきっかけに違う何かが芽生える人々の姿は、それまでも見ていた。岡谷からさらに先、飯田線の沿線にある伊那市や飯島町が、そうだ。そこは、『究極超人あ~る』の「聖地」として知られる土地である。ここで2012年に飯田線開業100周年を記念した行事の一環として、作品のアニメ版で描かれた飯田線田切駅から伊那市駅までを自転車で走るイベントが開催された。参加者は申込みの上で、自転車を持参して田切駅に集合。そんなハードルの高い催しにもかかわらず、見物も含めて集まったのは100人あまり。以来、このイベントは毎年の恒例行事となった。 詳しくは別に書こうと思っているが、そこでは、マンガやアニメを軸にした「聖地巡礼」や地域起こしとは違うことが起こっているのを感じる。今でも参加者の紐帯が作品であることには変わりはない。でも、参加者の多くが、作品をきっかけにして地域の魅力を知り、何もないときにでも、ふらりと街を訪れるようになった。私も、その一人である。東京で、事務所の傍にあるコンビニの「ローソン」が、伊那名物の「ローメン」に見えてしまうほどである。「いつかは、このあたりに住もうか」そんなことを、考えている人も増えている。 だから、ゲームをきっかけに神社を訪れてその魅力を知り、信仰心や知的欲求を高める人もいるのは当然だと思った。何しろ洩矢神社は、ただ単にゲームのモデルとされた神社などという軽々しいものではない。諏訪の伝承では、そこに祀られるのは諏訪の土着神であり、ミシャクジ様とも同一視される洩矢神。その土地に、国譲りの際に、天津神に抗した建御名方神が出雲を追われ、この地へとやってきた。ここで出会った二柱の神は争った後に和解した。そして、建御名方神は祭神となり、洩矢神の子孫は明治まで、諏訪神社上社の神長官となった。その神の子孫である守矢家は今も続き、その自宅がある茅野市の神長官守矢史料館には、歴史と現在も続く信仰を伝える資料が展示されている。 諏訪の歴史や信仰は、それだけで何冊も本が書けるほどなので簡潔に記したが、自ずと畏敬の念の湧き上がるものだと思う。 前述の大みそかの参拝の際には言葉を交わす機会を逸したのだが、しばらく後にネット経由でT氏と知り合った。初めて出会ったのは、その年の秋の例大祭を訪問したときであった。ゲームのファンだと思っていたT氏は、法被を着て地元の人と一緒に働いていた。なぜ、そこまで地元になじんでいるのだろうかと驚いた。聞けば、ゲームのモデルが洩矢神社だとファンの間でささやかれ始めた頃に、彼は一人でこの神社を訪れたという。やはり、行事のないときの神社には人もおらず、当時は絵馬もなかったという。そこで見つけたのは、神社の案内板に記された例大祭の日時であった。何も情報がないまま、T氏は例大祭の日に神社を再訪した。その日はちょうど大雨の日だったという。神事を行っていた地元の人たちは、誰ともわからぬT氏を雨に濡れないところに案内してくれたのだ。それから、数年。埼玉県から通っているT氏は、すっかり地元になじんでいる。 「大社にお詣りするよりも、こちらにお詣りする機会のほうが増えましたね」 そして、諏訪の地域の信仰の魅力を語るのだ。変わらずゲームも愛好している。けれども、もはや東方ファンというよりは、洩矢神社のファン、信仰者というのが、彼の偽らざる姿である。 だが、人が増えれば必ずしもすべてが明るい方向にはいかない。昨年、大社の御柱祭が終わった頃から、T氏と幾度も話をしていたのは、洩矢神社の御柱祭のことである。私は、ぜひこの祭りに参加をしてみたいと思っていた。けれども、単なる「にわか」が「祭りがあると聞いて来ました」と参加してよいものだろうかと、畏れがあったのである。 というのも、人気のゲームの「聖地」として注目を集めることに対する地域の人々の想いには、複雑なものを感じていた。例大祭や、大みそかに参拝したときには、分け隔てなく歓迎してくれる。洩矢神社を管理している地元の自治会の神社委員の人たちは、各地から参拝に来てくれる人のために、絵馬だけでなく御守りまで作るようになった。それは「聖地巡礼」でありがちな、作品の舞台になり人が集まるようになったので、ここらで一儲けしよう、地域を活性化させよう、なとどいうものではない。あくまで、遠くから神社に参拝に訪れる人がいることの喜びから始まった自発的な活動だ。 つまり、主体は神社であり、ゲームは従にすぎない。その親切心にあぐらをかいてはならないと思っていた。そもそもゲームのモデル、すなわち創作の材料とされ、制作者の創造力の趣くままに使われていることが、単純に喜ばれているとは思えなかった。 前述の守矢家の現在の当主は、第78代の守矢早苗氏である。サイト「ニコニコ大百科」などでは、『東方Project』中に登場するキャラクター・東風谷早苗の「元ネタ」は、この人だと書かれている。さらに、制作者自らゲームに出す許可を取りに行ったと記しているサイトもある。自身がキャラクターとされていることや、ゲームのファンが訪れていることをどう思っているのか。自ずとそんな疑問が沸いた。 「お会いする機会があれば、来てみたい」と言ったところ、T氏には止められた。さらに、本人とも交流のある地元の郷土史研究団体の人は「それはやめておいたほうがいい」と、苦い顔をする。何かしらの形で許可は出したようだが、必ずしもゲームによい印象を抱いているわけではないことは、容易に感じ取れた。 ここは神社であって、作品の聖地でも観光地でもない。だから、洩矢神社の御柱祭も人が来るのは歓迎するけれども、大っぴらに宣伝するようなものではないというのが、地元の人々の考えのようだった。 それでも、Twitterなどに流れた洩矢神社に掲示されている神事の日程表などを見て、里曳きには十数人の「東方民」の姿があった。そこで、私はもしも公式サイトなどを立ち上げて、大々的に宣伝すれば、予想だにしない事態が起こるであろうことの片鱗を見てしまった。 今回の御柱祭は9月に山出しを終えたあと、10月9日に里曳き。そして、翌日に建御柱というスケジュールだった。てっきり、曳いているフリだけしておけばよいのかと思っていら、甘かった。柱も太いが人数も多い大社とは、まったく違った。地元の人たちを中心に、かなり必死に曳かねばならない、けっこうな重労働であった。御柱の進む先では、沿道の住民が振る舞いを用意して待ってくれているが、なかなかそこまでは進まない。一度神社に集まってから、御柱まで向かうときは「案外、短い距離だな」と思った。でも、まったくそんなことはなかった。加えて、坂もあり道は曲がっているために、なかなか先が見えない。 日頃の運動不足を恨みつつ、曳きながら、こんなことを考えた。このような大変な行事を、地元の人たちは7年に一度行っている。それは、なぜだろうか。単に伝統だからとか、そんな単純なことでできるものではない。観光客が来て儲かるわけでもない。金融資本主義にまみれたアメリカ風のドライな見方をすれば、なんら個人が利益を得る行事ではないのだ。にもかかわらず、地元の人が集い絶えることなく神事が続いている。それは、神社が単に人が拝み、神様が何がしかの御利益をくれるギブアンドテイクの関係の場所ではない存在であることを、教えてくれた。 その里曳きで、S氏と知り合った。Facebookで私が来ていることを見つけた伊那の友人が「その地区にSさんという、諏訪信仰に詳しい方がいるので探しなさい」と連絡をしてきた。T氏に「Sさんって、どの人?」と聞いたら、目の前にいた。 地域の信仰や歴史について、さまざま話をして、翌日の建御柱に守矢早苗氏が来てくれるという話になった。ご挨拶することはできないかと尋ねると、S氏はタイミングを見てつないでくれることを約束してくれた。 翌日、小雨の中で建御柱の神事は、始まった。先を切って尖らせて、木遣り唄の中を慎重に建てていく。その最中に、早苗氏に挨拶をする機会を得た。長く教師をしていたという早苗氏は、まったく気取るところもない親しみやすさのある女性であった。しかし、同時に本人や周囲の人々の立ち振る舞いからは、そこにある連綿と続いてきた信仰と歴史とが一人の人間を通じて、止めどもなく溢れているように感じた。神々しさなどとはまた違う、言葉では表現できないもの。遠い祖先から続く人間の営み。その積み重ねが、一人の女性を通じて現れ出ているのだ。そこに、畏敬があるのは当然であった。 けれども、集っている中には、別のものが見えている人もいた。前日から、初めてやって来たことに興奮気味だったゲームファンの若者が、早苗氏にノートを取り出してサインを求め、周囲の人に止められていた。それはまだ、気持ちがわからなくもない。若さゆえの過ちかもしれないからだ。 でも、もうひとつ、見たくはなかったものを見てしまった。御柱の先を尖らせるときにできた木片に、サインを求める人物もいたのである。この人物は、岡谷市内の別の地区の住人だと聞いていた。曲がりなりにも、地域に住みながら、どうしてそのような行為ができるのか不可解であった。 後日、この人物が「自分は、天照大神と話ができる」などと喧伝して、さまざまな神様を込めた勾玉を販売したりしていることを知った。さらに、この人物が長野県白馬村にある、やはり『東方Project』の「聖地」だと目されている城嶺神社が地震で倒壊したために再建の事業を手伝っていると聞いた。何か違和感を覚えて本人のFacebookを見てみると、勾玉を販売したりする傍らで、仮想通貨・ビットコインの勉強会を開催したり、情報商材を販売していることもわかった。それは、ゲームファンに注目されている神社に関わることに、ビジネスチャンスを見いだしているように見えた。 そこで、本人に尋ねてみたところ「私は手助けしたい一心で動いている」と言い張り、筆者の取材を再建の妨害とまで、非難してきたのだった。この件は、昨年別に記事にしたが(http://otapol.jp/2016/12/post-8967.html)、この人物によって作成された「洩矢神社公式ホームページ」は、この事件の後に、地域の神社委員の管理へと移行している。それでも、この人物はいまだに神社や神様をビジネスの場にしようとうごめいていると聞いている。近年、新聞やテレビでも当たり前のように報じられるマンガやアニメ発の「聖地巡礼」。その光と影の両方を、洩矢神社にはあった。 これまで、いくつもの「聖地巡礼」を体験し取材してきた。それは、必ずしも歓迎されるものではなかった。時として、地域の生活に負の要素をもたらす。人が増えれば、必ずしもよい人ばかりはやってこない。むしろ、迷惑な人や怪しげなビジネスを企画する人は、ここぞとばかりに寄ってくる。 神社は、そうした人々が土足で踏み入ってよい場所であるはずがない。 実のところ『社にほへと』は、さまざまな問題のほんの一部にすぎない。神社がマンガやアニメの舞台となり「聖地巡礼」する人々が集まっている。あるいは、神社の中にも、作品とのコラボをしてマンガやアニメのファンに盛んにアピールをしているところもある。こうした話題のネガティブな面が報じられることは、極めて少ない。いわゆるオタク系メディアの書き手は、そうしたネガティブな面を、私よりも知っているはずだ。けれども、そうした人々の多くは「御用」であることを相争い、目を背ける。 だからこそ、あらためて神社の存在理由や、神道というものについて、詳しく知りたい、ひとつの文章にまとめなくては、と思った。 そこで、神社本庁にアポイントメントを取った。神社本庁は、日本でもっとも多くの神社が加盟する宗教法人として知られている。ただ、キリスト教における教皇庁のような教義やら何やらを隅々まで指導する総本山ではない。あくまでも、全国の多くの神社が相互に協力し連絡しあうための組織といえる。 ただ、そうした役割は必ずしも正しく理解されてるとは言い難いと思う。やはり、総本山的な理解をしている人は多いし、昨今、左翼的な思想の人は政権批判と絡めて、その存在までをも批判する。これまた、神道への無理解や信仰というものが失われていっていることを示す、一つの事象であろう。 ただ、そのような状況だから、少し敷居の高さを感じたのも事実である。話の入口はゲームの話である。ともすれば「ゲームなんかの話で」と、断られるのではないかとか、どこから説明すればよいのか、考えながら電話した。 でも、それは杞憂であった。こちらの取材の趣旨を告げ、『社にほへと』の件に触れると「そういうのもあるみたいですね」と、すでに知っていたのである。 電話で応対してくれた神社本庁広報国際課課長の岩橋克二氏は、すぐ翌日に会ってくれた。 冒頭、和歌山県出身という岩橋氏は「関西弁でもいいですか?」と断った。その言葉や立ち振る舞いには、神職らしい「来る者は拒まず」の姿勢を感じ取れた。取材の中でも決して難しい言葉などを用いることがなかったのも、人柄を示すものだろうと思う。 そうして始まった取材。最初は、やはり発表になったばかりのゲームの情報まで知っていることに驚いた私の感想から始まった。聞けば『ポケモンGO』をはじめ、神社に何かしら関連があったり、影響が懸念されるコンテンツには、常にアンテナを張っているのだという。だから『社にほへと』も知ってはいた。ただ、実際に事前登録をして「おみくじ」を引いたりはしていなかった。 現在公開されている『社にほへと』では、「事前登録」のボタンを押すと、ページが遷移する。そこでは「おみくじ一覧」として、神社の名前を持つ美少女キャラクターを見ることができる。そして、Twitterで『社にほへと』のアカウント(@yashiro_staff)をフォローすれば、毎日1回「おみくじ」を引くことができるという仕組みだ。 私の持参したノートパソコンで「おみくじ一覧」を見てもらったとき、岩橋氏の顔が少し曇った。その「おみくじ一覧」には、キャラクターのレアリティ(希少度によるキャラクターのランク付け)によって大吉から小吉までが割り当てられているようであった。このレアリティが、どのように設定されているのかはわからない。ただ、ある神社は大吉、あるいは小吉とカテゴライズされているようだった(ゲームが稼働前のため、詳細なレアリティの設定などは不明)。 「これはちょっと……」 そう言葉を漏らし、少し間をおいてから、岩橋氏は続けた。 「ここまでは見ていませんでした。信仰を持つ側としては気分のよいものではありません。いったい、なんの根拠があってやっているのでしょうか……」 岩橋氏は決して、偏狭な考えから話しているのではない。あくまで、しごく真っ当な懸念であった。 「気になるのは、お宮自身が承諾をしているかどうかです。これが、ご祭神名であれば、逃げられるんですが……春日大社があるのに、鹿島神社もありますよね」 春日大社と鹿島神社は、同じ建御雷之男神を祭神とする神社である。神社を「擬人化」というのが『社にほへと』のコンセプトのようではあるが、開発段階で祭神を同じくする神社が重なっている。そこに、神道への理解の浅さを感じているようであった。 とりわけ、私も驚いた「おみくじ」の部分には、それを感じているようだった。大吉を引くと登場するキャラクターは、それを喜ぶ。かと思えば中吉のキャラクターは「せいぜい、中途半端な一日を過ごすとよい」と言うのだ。 「おみくじは、明確な定義のあるものではありません。大吉中吉小吉とあり、よく幸運の度合いを示すと理解している人もいらっしゃいますが、それはあくまでも現状のことであって、例えば凶が出たからといって、お先真っ暗なわけではありません。大吉を引いたからといって、人生遊んで暮らせるわけではありません。今はいいけど、気を抜かないでねという意味合いのもの。内容を見て、努力して改善していけばやがてよくなるというものです。ですから、ここにはやはり意味の取り違え、単純に格付けとして理解している感がありますね」 日本の神社には、熊野や八幡、諏訪などさまざまな「系列」は存在する。また、神社の社格というものあるが、これは、いわば朝廷や政府が管掌する上での分類。どこそこの神社は、○○神を祀っているから強いとか、御利益はほかの神社の三倍などということはない。だから、日本の神様はランク付けができるような存在ではないはずだ。 「確かに天照大神が一番貴い神様とはいわれますが、その一方で、天照大神のお一方ではできないこともあります。日本の神様は人間と同じく得手不得手もあるのです。たとえば、オモイカネ(思金神・常世思金神)という世の中のすべてを知っている神様もいらっしゃいますが、オモイカネは自分自身では動くことはできないのです。なので、神様同士で力を合わせて世の中をよくしていくというのが、日本の神様なんです。モチーフとしてこういうところに使うという気持ちはわかりますが、なぜ神様じゃなくて神社なんだという疑問はありますね」 ならば、こうしたゲームが登場したことによって、どのようなことが懸念されるのだろうか? 「神社とか日本の神様に対して、意識の薄い人たちが純粋にゲームとして楽しむかもしれません。怖いのは、そういう方たちが『舞台だから、登場人物だから』というだけで神社に行ったときに、ほかの参拝の方がいらっしゃる中で、不敬な行為を行うことです。神社側としては『節度を保ってください』とは言うのでしょうけど、ほかの参拝の方の気分を害しないのか、と」 マンガやアニメなどの作品により深く寄り添いたいと「聖地」を訪れるファン。彼らは作品の舞台を訪れたことに喜びを感じているかもしれない。けれども、その「聖地」が神社だったとき、彼らは神社をどのようなところとして捉えているのか。岩橋氏はそこに、いささかの疑問を感じているようだった。 「埼玉県の鷲宮神社が『らき☆すた』で注目を集めてから以降も、神社が舞台になることはよくあります。最近では『君の名は。』も、そうですよね。でも、訪問される皆さんが、そこを神社として認識しているのか、あるいは、単にアニメの舞台だから行っているだけなのか、そこはこちらとしては疑問です。もちろん、神様も人が来てにぎやかになることは好きですし、歓迎なんです。けれども、そこがお宮であること、そこには神様がいらっしゃるということをまったく埒外にして、記念写真だけ撮って帰るとかになるはどうでしょうか」 意味を取り違えたまま、神社を訪問してしまう。それは「聖地巡礼」に限った現象ではない。もはや、定着した感のある「パワースポット」でも、似たような問題は起こっている。神社本庁に隣接する明治神宮では、一時期境内にある「清正の井戸」が「パワースポット」であるとして、整理券も出すほどのブームになったことがある。けれども「清正の井戸」を写真に収めた後、お詣りもせずに帰る人もいたというのだ。 「やはり、清正の井戸が明治神宮の境内にある意味を考えていただきたい。もちろん、深く知る必要があるとは思いませんが、日本の神様というのは、より人間の近いところにいる存在です。よその家にお邪魔したときに、庭だけウロウロして挨拶もしないで帰るのと一緒になってしまいます」 だからといって「聖地巡礼」や「パワースポット」が、すべて神社にとっていらないもので、お断りというわけではない。むしろ、最近では『ポケモンGO』でもなんでも、せっかく来てくれるのであれば積極的に働きかけていこうとする気運も神社側にはあるという。 「気づきがある人が3割いればありがたい、と思っています。お越しいただいた中の3割にすぎなくても、その方たちが周りに広げてくれると思っていますから」 最近では、神社がアニメとコラボしてキャラクターの描かれた絵馬や御朱印帳などの頒布を始めたりもしている。岩橋氏は、それを真っ向から否定したりはしない。 「時代を捉えているとは思います。定期的にお宮に来ていただく手段としては、あり得ると思います」 一方でやりすぎのある神社があれば、神社本庁として指導していかなくてはならないともいう。ただ、テクノロジーがどんどん発展し、新たなビジネスのあふれる現代において、何をどのように指導していくかも難しい。例えば、すでにどこそこの神社で祈願しており、こういう御利益があるなどとうたった「祈願済み」の商品。これは、あってはならないものと即答する。 「神社というのは、そこに行って、神様に直接お願いすることに意味があるものです。なんとかご祈祷済みとか、ご祈願済みとか、こういう御利益がある商品というのは、つまり神様の名前を使った商売になってしまう。“神社も商売”と言われるとそこまでなんですけど。やはり、お宮の中で起こっていることと、外で行われていることは違うと思うんです」 一方で、意外だったのはインターネット参拝に対する意見だ。2000年代半ばに登場したこれは、多くの神社がサイトに設置したが、神社本庁は06年に「信仰の根幹に関わる問題だから、もう一度考えていただきたい」と注意喚起を出している。 「あれは、判断が難しいことでした。というのも、神社の信仰の中に遙拝(ようはい)というものがあります。例えば、式典では国旗を通じて伊勢神宮を遙拝することがあります。それが、バーチャル参拝とどう違うのかといわれることもあるんです。たぶん、その作法が長く定着しているので、受け入れられているのだと思うのです。伝統的なものとテクノロジーの発展というのは、かみ合うようになるまで時間がかかると思います。お賽銭に電子マネーが使える神社も議論を呼びましたが、お賽銭というのも貨幣経済が発達してから登場したものです。私自身も抵抗はあるけど、100年後にはインターネット参拝は、当たり前になっているかもしれません」 「聖地巡礼」も、インターネットが発達したことによって流行しているという一面がある。もはや、どんな作品であっても「モデルはここではないか」という情報が流れ、訪問記も当たり前のように見ることができるからだ。だから、ビジネスのチャンスと考えるのを止めることはできない。でも、欲にまみれて、やりすぎたりしていれば神様はちゃんと見ていることを、岩橋氏は語る。 「そこに力を入れすぎると、神様が軌道修正をします。急にブームがぴたっと終わってしまうでしょう。ですから、神主としては、欲に走ることなく、あくまで神社なんだということを常に忘れずにやっています」 だから「聖地巡礼」や「パワースポット」で神社に関心を持った人には、むしろ地域の氏神にも参ってほしいという。 「日本全国どこでも、どこかの氏子地域なわけですよね。いつも面倒をみてくれている神様がいるわけですから、そこにご挨拶に行かずに有名な神様のところに行っているのは、いけないと思うんですよね。私が父から言われたことですが、神様は頼むものではなく讃えるもの。大事にするから、おかげがいただける。お願いするのは、自分が十分やってから後の話なんです」。 やはり、神社とは歴史に裏打ちされた、数多の人間の想いによって成り立っているもの。それがゲームのキャラクター、それも、それぞれが1枚のカードのようなものにされてしまうことには、違和感を拭えなかった。 「自分の信仰が」だからではない。日本の歴史が2677年、そして神や人間の営みは、それ以前から存在する。それを、わずか数十年に満たない期間の間で勃興した「オタク文化」の中でもてあそんでよいとは思えないのだ。近年、マンガやアニメは、日本の中心的な産業のごとく位置付けられ、政府や行政機関までもが利用するものとなった。確かに今、この瞬間は価値と力を持つ文化なのかもしれない。だからといって、祖先から受け継いだ神社や神様を、簡単にもてあそんでよいものだろうか? でも、それは判断が難しい。100年後には完全なメインカルチャーとなっていているかもしれない。現在、神様の肖像として紹介される画像が浮世絵や日本画であるように、未来では神社に祀られている神様はすべてアニメキャラクターになっているかもしれない。 でも、今はどうなのだろうか? 神社本庁への取材の後、編集部と相談して神社にも取材をすることにした。電話で話を聞いたのは「凶」に割り当てられている石清水八幡宮である。対応してくれた担当者は、電話口の向こうで驚いているようであった。 「私が広報なんですが、こうした連絡はありません。無断使用です」 数日後、あらためて電話をくれた担当者は「ほかのお社さんとも話をして」しばらくは様子を見ることになったと教えてくれた。当初は、すぐにでも削除を要請することも考えていたようだが、まだリリース前でもあり、ゲーム自体がヒットするかどうかもわからないため、事態の推移を見守るという方針に落ち着いたようだ。一方で、正直な気持ちも伝えてくれた。 「あまり気持ちのいいものではないですね」 担当者は、キャラクターの名前を「石清水八幡宮」ではなく「石清水八幡」と、一文字だけ削ることで神社と無関係に見せる意図を感じ取っていた。それは、無断使用される以上に不快なものだったのだろう。 この取材と同時に、DMMにも取材を申し込んでいた。質問事項として送ったのは、次の2点である。 1.このタイトルでは神社の擬人化が行われておりますが、これは該当する神社には許諾あるいは、なんらかの事前折衝を行っていらっしゃいますでしょうか? 2.当方でも事前登録をさせて頂きましたが、キャラのレアリティに応じて大吉~凶に振り分けがなされております。これは特定の神社が、凶になってしまうことであり、当該の神社はよい気持ちを得るとは思えないのですが、いかがでしょうか? 願わくば、ぜひ会ってゲームの意図を聞きたいと思ってた。なぜなら、決して制作側も神道を貶めることを目的として開発している淫祠邪教の徒ではないはず。多くの人々に喜んでもらいたいと思って、ゲームを開発しているはずである。イラストレーターはキャラクターに愛情を込めて執筆しているはずだし、声優もそうであるはずだと思ったからだ。 しかし、願いは叶わず、メールで次の回答が返ってきた。 1.「社(やしろ)」の擬人化について 本ゲームは「神社」をイメージした「フィクション」である内容のため、実際に実在する人物・建物・団体とは一切関係はございません。また、実在する地域や神社等の関係性につきましても、一切関係がございません。 2.事前登録おみくじについて 事前登録おみくじは、結果の運勢に「社(やしろ)」が紐づいているものではなく、結果の運勢についてキャラクターが説明しているものになります。 あらためて、ネットでこのゲームを事前登録し「おみくじ」を引いている人たちが、どのような感想を得ているのか検索して見た。自分の縁のある神社の登場を期待する人。手に入れたキャラクターを喜ぶ人も多いが、やはりゲームとしてキャラクターの強弱やレアリティを気にしている人の存在も否めなかった。 これは、なんなのだろうか。 強弱どころか、多くのキャラクターがそうであるように、二次創作の形でエロを期待している人を見つけたときには、言葉にならない根源的な恐ろしさを感じた。 でも、それを真っ向から批判しても、なんら解決にならない。西洋的な異端や邪教を狩る行為は、日本には似合わない。誤りに気づき、感じさせるのこそが日本的な精神の根本であろう。だから今は、この推移を見守るしかないと思うのだ。 そう考えながら、しばらく氏神様にご無沙汰してしまったのを思い出して、参拝に向かった。 参拝の後、春の祭りの準備が進む境内を散策し、おみくじを引くと大吉が出た。けれども、決して思いのまま万事がうまくいくようなことは書かれていなかった。 あらためて神道の意味を感じた。 (文=ルポライター/昼間たかし http://t-hiruma.jp/)『社にほへと』公式HP







