浜崎あゆみが「第2のオノ・ヨーコ」に!? すっぴん写真でも“谷間丸出し”のスピリットが話題

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インスタグラムより
 歌手・浜崎あゆみの“おっぱいアピール”がエスカレートしていると話題だ。  先月31日の音楽番組『ミュージックステーション 3時間スペシャル』(テレビ朝日系)で、半年ぶりにテレビ出演した浜崎は、今月から“一座”と呼ばれるダンサーの男性たちを引き連れてフランスのパリへ。現地でデビュー20年目を迎えた浜崎は、身内で行ったパーティーの様子をインスタグラムで報告。男性に囲まれご機嫌な姿を投稿している。  そんな中、10日には「新鮮な空気を吸いにすっぴんのまま散歩へGO」と、顔をキャップのツバで隠しながら、パリの街を歩く姿を投稿。軽い散歩にもかかわらず、胸の谷間を大胆に見せながら歩く浜崎に、ネット上では「谷間がすごい!」「大胆すぎる」「顔隠して胸隠さずとは、これいかに」といった声が相次いでいる。  浜崎といえば、前出の『ミュージックステーション』でも「乳がすごい!」と話題に。大胆に胸元を見せた衣装に、放送中、「おっぱいがこぼれ落ちそう」「乳首出そうでハラハラする」といった声が上がっていた。  また、パリに移動してからの投稿写真も、まずおっぱいに目がいってしまうような写真ばかり。現在、パリの気温は3℃まで下がる日もあるほど肌寒いが、どうやら、コートの下は“谷間全開”というのが“あゆ流”のようだ。 「かつてより豊胸疑惑が付きまとっているあゆですが、年々巨大化しているようにも。現在のおっぱいが過去最大であることは間違いなく、あゆも今のおっぱいを気に入っている様子。また、今の浜崎のファッションは黒が多く、まるで“誰得おっぱい”と称されて久しいオノ・ヨーコのよう。このまま年をとれば“第2のオノ・ヨーコ”と化すのは間違いないでしょう」(あゆウォッチャー)  歌手デビュー後、みるみる巨乳化していった浜崎。一体、どこまで成長するのか楽しみだ。

ディズニー映画に隠されたメッセージを徹底解明! 見方がガラリと変わる『暗黒ディズニー入門』

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『暗黒ディズニー入門』(コア新書)
「ディズニー」という言葉ほど、人によって連想されるものが違う言葉はないだろう。印象も、知識の量も大きく異なるはず。『暗黒ディズニー入門』(コア新書)では、そんなさまざまなイメージを持つディズニーの正体の解明を試みる。  著者である高橋ヨシキ氏は、ディズニー好きを自負しており、本書はニュースサイト「ブッチニュース」で連載されていた「高橋ヨシキのディズニー大好き!」をまとめ、一部加筆した一冊。まえがきで著者は、ディズニーによって「魔術への信頼」という影響を受けたとしている。サブカルチャーを主な主戦場とする著者の源流が、ここにあるようだ。  第一章では、ディズニー34本目のアニメーション映画『ノートルダムの鐘』からディズニーを深掘りしていく。この『ノートルダムの鐘』は、テーマとモチーフに、キリスト教が前面に押し出されているという。  しかし、それはキリスト教を賛美するプロパガンダ的役割ではなく、“反キリスト”だというのだ。そもそも「アニメーション」の語源は、ラテン語で霊魂を意味するアニマ(anima)。由来は、自然界のあらゆるものに霊が宿るというアニミズム信仰からきている。対するキリスト教では、生命と無生物では大きな隔たりがあるとされており、その生命でも人とそれ以外では全く違う。すべてのものに霊が宿るという信仰と、神が生命を創造したという信仰のキリスト教とでは、決して相入れないのだという。同作品は、アニメ作品という点で、すでに“反キリスト”だといえるだろう。聖母マリアを示す言葉を冠した実在の教会を舞台にした作品だが、“反キリスト”のメッセージが巧みに隠された作品だというのは、なんとも皮肉である。  続いて『白雪姫』の項目では、ナチスドイツ総統アドルフ・ヒトラーがミッキー・マウスが大好きだったというエピソードが語られる。ヒトラーは、ディズニーアニメの大ファンで、その中でも特に『白雪姫』が好みだったとか。ヒトラーが『白雪姫』を好んだその理由や、同作品がのちの文化に与えた影響などが詳しく著されている。 “奇形と差別にまつわる物語”とされる『ダンボ』についての解説も。“奇形と差別にまつわる物語”といわれてもピンとこない人は、ぜひともこの章を読んでいただきたい。  本書には、以下のように書かれている。「ダンボは自らの奇形・短所を飛翔するための(文字通り)翼へと変えてしまいます。細かい差異を取り上げて『奇形だ』『変人だ』『我々とは違う』などと言い募る世間に迎合して『ノーマル』になる必要などない、『ダンボ』は高らかに謳いあげます」。そもそも、『ダンボ』とは英語でまぬけ、といった意味合いだし、劇中に登場する5匹のカラスは、黒人をイメージしているとされている。  一方で、同作品はそういった差別や偏見を受けたために、自分を変えるといった話ではなく、自分らしくあることで、世間の視線を変える物語として着地している。 『メリーポピンズ』、実写映画の『トゥモローランド』と続き、最後にはディズニーの本丸、ディズニーランドを徹底検証。「暗黒ディズニー」と銘打っているものの、単にディズニーを批判している書籍ではない。むろん、妄信的にディズニーを賛美する書籍でもない。歴史的な背景や、ディズニーが与えた文化的な影響を深く、それでいてわかりやすく解説しており、まさに入門書といえる一冊だろう。ディズニー好きはもちろん、そうではない人にも、ぜひともおすすめしたい。 (文=二木知宏[スクラップロゴス])

『なうぇすと』フォトも大充実の「J-GENE」5月号が発売中!

毎月23日発売。
ジャニーズアイドルたちの“素顔”がいっぱい!

Hey! Say! JUMP単独カウコンの初出しフォトを一挙公開!
なかよし♡わちゃわちゃフォトギャラリー・・・・1P~
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伊野尾慧・・・・20P~
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小山慶一郎×手越祐也・・・・41P~
増田貴久×加藤シゲアキ・・・・42P~
小山慶一郎×増田貴久・・・・43P~
手越祐也×加藤シゲアキ・・・・44P~

3.11・これまでもこれからもジャニーズとともにー・・・・48P~
Marching J・・・・49P~
SMAP・・・・50P~
TOKIO・・・・51P~
嵐・・・・52P~
タッキー&翼・・・・54P~
NEWS・・・・55P~
関ジャニ∞・・・・56P~
KAT-TUN・・・・57P~
Sexy Zone・・・・58P~

ジャニーズ基礎のキソ Vol.35
ジャニーズとレコードレーベル・・・・60P~
嵐/ Kis-My-Ft2 / Hey! Say! JUMP /ジャニーズWEST / Sexy Zone / NEWS /
TOKIO / A.B.C-Z / KAT-TUN / V6 / 関ジャニ∞/ SMAP / KinKi Kids / 山下智久 /
中山優馬 / タッキー&翼

ジャニーズWEST
CONCERT TOUR 2017 なうぇすと・・・・72P~
重岡大毅・・・・78P~
小瀧 望・・・・80P~
桐山照史・・・・82P~
中間淳太・・・・84P~
神山智洋・・・・86P~
藤井流星・・・・88P~
濵田崇裕・・・・90P~

懐かしMC プレイバック! Vol.25 Sexy Zone・・・・92P~
Sexy Zone Japan Tour 2013 2013 年5 月3 日 横浜アリーナ

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公共の場での授乳を推進する、セレブたちの授乳ショット

 米下着ブランド「ヴィクトリアズ・シークレット」のエンジェル(専属モデル)として活躍中のキャンディス・スワンポールが昨年末、どアップ授乳写真をインスタグラムに投稿し、「公共の場で堂々と授乳できないのはおかしい」「授乳はセクシュアルではなく、ナチュラルな、ものなのに!」と声を上げ、大きな反響を呼んだ。

 働く女性の多いアメリカでは長年人工乳(粉ミルク/液体ミルク)での育児が定着していたが、近年「母乳に勝る栄養はない」と母乳育児が推奨されるように。それに伴い「公共の場で授乳して、なにが悪い」という声が高まり、セレブママたちも、インスタグラムを通して授乳する姿を披露し、「自分の信念に基づき、自由に子育てしよう」と呼びかけるようになったのだ。

 日本でも、公共の場での授乳は、いまだ議論を呼ぶことが多い。今回は過去の投稿を含めて、セレブの授乳ショットを紹介したい。

 

公共の場での授乳を推進する、セレブたちの授乳ショット

 米下着ブランド「ヴィクトリアズ・シークレット」のエンジェル(専属モデル)として活躍中のキャンディス・スワンポールが昨年末、どアップ授乳写真をインスタグラムに投稿し、「公共の場で堂々と授乳できないのはおかしい」「授乳はセクシュアルではなく、ナチュラルな、ものなのに!」と声を上げ、大きな反響を呼んだ。

 働く女性の多いアメリカでは長年人工乳(粉ミルク/液体ミルク)での育児が定着していたが、近年「母乳に勝る栄養はない」と母乳育児が推奨されるように。それに伴い「公共の場で授乳して、なにが悪い」という声が高まり、セレブママたちも、インスタグラムを通して授乳する姿を披露し、「自分の信念に基づき、自由に子育てしよう」と呼びかけるようになったのだ。

 日本でも、公共の場での授乳は、いまだ議論を呼ぶことが多い。今回は過去の投稿を含めて、セレブの授乳ショットを紹介したい。

 

セレッソ柿谷曜一朗、いまいちパッとしない原因は「どんな料理にも和風ドレッシング」だった?

セレッソ柿谷曜一朗、いまいちパッとしない原因は「どんな料理にも和風ドレッシング」だった?の画像1
セレッソ大阪公式サイトより
 セレッソ大阪の柿谷曜一朗と昨年12月に結婚したタレントの丸高愛実のテレビ露出が増えている。『ダウンタウンDX』や『行列のできる法律相談所』(共に日本テレビ系)などで、柿谷との結婚に至るまでのなれそめや、柿谷が「どんな料理にも和風ドレッシングをかける」という仰天エピソードを披露しているのだ。  10代からユース日本代表で活躍していた柿谷だが、2009年には練習への遅刻が原因でJ1のセレッソからJ2リーグに期限付きで移籍させられた。そこで生活態度を改め、12年にセレッソへ復帰。13年には日本代表に初選出され、東アジアカップでは得点王にも輝いた。  だが、14年になると、パフォーマンスが下り坂に。2014 FIFAワールドカップブラジル大会には選出されたものの、結果を残せず。この年の7月にスイスリーグのFCバーゼルに移籍するのだが、結果はサッカーファンならばご存じの通り、失敗に終わった。  2人の交際がスタートしたのは、柿谷がスイスリーグに移籍する直前とのことだが、柿谷の調子が落ち始めたのも、ちょうどこの頃から。そんなこともあり、丸高の“下げマン”疑惑がサッカー関係者の間で浮上しているというのだ。 「丸高さんが下げマンかどうかは別として、柿谷選手がどんな料理にもドレッシングをかけるというのは、アスリートとして、あまり褒められたものではありません。味付けしていない料理ならば別ですが、すでに味付けしてあるものにドレッシングをかければ、塩分過多になります。塩分を取りすぎると、余分に水分が必要になる。試合中に水分を取りすぎれば、体が重くなります。また、持久系アスリートに欠かせないマグネシウムの吸収を阻害してしまいます。食事での塩の取りすぎが、パフォーマンスが上がってこない原因と考えることはできると思います」(スポーツトレーナー)  丸高は柿谷の健康面を支えるため、アスリートフードマイスターの資格を取得。インスタグラムではプロ並みの料理の腕前を公開している。そんなけなげな新妻の思いを踏みにじる柿谷に今のところ反省の色はなさそうだが、食生活を改め、13年時の圧倒的な存在感を取り戻してほしいものだ。 (文=TV Journal編集部)

知識を手にすれば、他者を傷つけずにすむ。『LGBTを読みとく』著者・森山至貴氏インタビュー

こんにちは。今回はいつもと少し趣向を変えて、本連載初のインタビュー記事を掲載したいと思います。先月出たばかりのちくま新書『LGBTを読みとく』を題材に、著者で私の大学院時代からの友人である早稲田大学文学学術院専任講師の森山至貴さんにインタビューをしました。主に私と、本連載担当編集者が森山さんに質問をし、答えていただく形になっています。本書は非常にわかりやすい入門書なのでとくに解説がなくても読めると思いますが、著者にじっくりお話を聞ける機会はなかなかないので、既に読んだ方も、まだ読んでいない方も、どうぞご覧下さい。フィクションではないので、ネタバレはありません。

◎『LGBTを読みとく』を読みとく

北村 学生にいきなりクィア・スタディーズの話をしてもわかってもらえないことがほとんどです。ですから『LGBTを読みとく クィア・スタディーズ入門』が出て本当によかったと思いました。いろんなトピックをカバーしていますし、クィア・スタディーズを紹介するはじめの一冊としてとても適していると思います。

森山 学生に「森山さん、クィア・スタディーズが専門なんですよね。何を読んだらいいですか?」って言われた時に、私自身、すすめられる最近の本があまりなくて、「ないなら自分で書かなきゃいけないんだな」と思っていたところもあったので、そういうふうに言っていただけると嬉しいです。

クィア・スタディーズの専門家は日本にもたくさんいて、英語圏も入れると文献は本当にたくさんあります。ただ、クィア・スタディーズを冠した私の授業を履修している学生にも、そもそもクィア・スタディーズの内容以前に、セクシュアルマイノリティについて全然知らない人が多いんです。まずはセクシュアルマイノリティについて、続いてクィア・スタディーズについても基本的なことが押さえられる本が欲しいと思っていました。この本はまさにその二枚の看板を掲げ、前半は準備編としてセクシュアルマイノリティについて、さらにクィア・スタディーズの基本的な発想や用語について後半で書くという構造にしました。

北村 LGBTという言葉は最近、日本で広く使われるようになっていますが、必ずしも正確に使われているとは言えないかと思います。たとえばトランスの方たちだけの話だったり、ゲイの方たちだけの話だったりするのに「LGBT」と言ってしまうことが見受けられます。「LGBT」という言葉が含む問題性と、なぜこの言葉をタイトルに選んだのか教えてください。

森山 本の中にも書いたように、LGBTはセクシュアルマイノリティの全てではないのに、そのことが忘れられて使われているし、LGBTそれぞれの間の差異についてもあまり考えられていません。たとえば、マーケティングやビジネスの分野ではLGBTの間の格差などを考えずにいろいろな人をひとまとめに指す用語になってしまっているところがあります。そういうわけで、LGBTは取り扱い要注意の単語であることを読者の方にわかってほしいなと思っていました。

タイトルの話に戻りますが、この『LGBTを読みとく』というタイトルは二種類に解釈できて、しかもその2つの解釈が私の本を読むことで読者の方にやってほしいことをそのまま表しているんです。ひとつは、セクシュアルマイノリティについて何も知らない人に対して、LとかGとかBとかTが何を指していて、それぞれがどういう社会的な枠組みのもとに成り立ってきたのかとか、それぞれの人たちがどういう社会的な戦いをしてきたかとかについてしっかり理解する=「読みとく」ということです。それぞれがどういうものなのか、そしてLGBTがセクシュアルマイノリティの全てではない、ということをわかってほしかったんですね。もうひとつの意味は、今の「LGBT」現象を批判的に解釈する=「読みとく」ということです。とりあえずLGBTって言っておけばいいとか、この言葉を使うと何かものが売れるとか、そういう現象そのものに対する批判的視点を獲得してほしいという狙いがありました。

つまり、『LGBTを読みとく』は、LGBTと言われているものの中身と、またみんながLGBTと言っている現象双方を理解し解釈するというダブルミーニングになっているんです。

北村 『LGBTを読みとく』には、LGBTとはどういうことを指すのか読みとく、というのと、現在起きているカッコつきの「LGBT」現象を読みとく、という2つの意味があるわけですね。とてもクィア・スタディーズっぽいタイトルの付け方だし、どちらも重要なことだと思います。

◎知識だけでは足りない?

北村 この本の冒頭には、「『知っていれば他者を傷つけずに済むことがあれば知っておきたい』というのは、とても前向きな考え方だと私は思います」(p. 8)と書かれており、全体として知識への大きな信頼があると思います。私もはじめの一歩としては知識が絶対に重要だと思うので、このポジティブな考え方には個人的には大賛成です。しかし一方で、知識を提供するだけではうまくいかないのではないかという不安があり、とくに教育の場ではそれを感じます。

専門家が知識を与えるだけでは、むしろ受け手が警戒・曲解してしまうことがありますし、「上から目線のポリコレ」みたいな反発がみられることもあります。専門家が知識を出すだけだと問題が起こってしまうというのは科学コミュニケーション論などでよく議論されるところだと思うんですが、ジェンダーやセクシュアリティなどでも問題が起こるところがあるのではないかと思います。本書でも94ページで紹介されているトランスフォビア的なフェミニズムの議論などは、知識だけでは偏見がなくならないということの例であるように思えます。この点についていかがお考えでしょうか?

森山 知識を注入すれば何かが解決するよ、っていうのはもちろん単純化された議論ですよね。

しかしながら、知識を持ち、良心にもとづいてその知識を使用していくことが必要だとした場合、私の本に限って考えるなら、問題の半分は解決済みとしていいだろうと思うんです。この本を手にとってくれた時点で、その人はLGBTになんらかの興味があるんじゃないかと思うんですね。知りたいと思っている人向けに書くという前提があるので、「知識を詰め込んで」やろうというのではなく、「相手が知りたがっていることを提供するんだ」という気持ちで書きました。漠然とLGBTに対して持っていたイメージのようなものを知識に置き換えることにより、人間同士のやりとりがスムーズになったり、差別を減らしたりすることができるようになりますよ、っていうポジションで書いています。逆に言うと、LGBTについて全く関心がないとか、反発心がもともとあるというような人に対して話す場合はこういう感じにはならないと思います。

一方で、ひねった答え方もできます。偏見が差別を生むという単純化はできない、ということもこの本では言っていますし、偏見がなくても差別は起こります。偏見と差別と知識の関係って単純なひとつながりの鎖ではないんです。この本については、あなたに偏見があるかどうかは知らないが、その有無にかかわらず知識があれば差別はしなくても済みますよね、という読み方をしてもらってもかまわないと思っています。たまに「あなたが私の内側にある偏見をなんとかしてくれないと私はあなたを差別します!」みたいな恫喝の仕方をする人がいます。でも、たとえばナイフで人を刺したいと考えている人がいたとしても、実際に刺さなければ周りの人に危害を加えることにはなりません。ここで大事なのは、その人の気持ちは知らないけど、ともかく刺すのをやめてもらうことです。だから、心の中に偏見があるのはまあ知らないけど、その偏見をこちらに向けないでほしいという考え方は十分あり得ると思います。

この本を読めば、何をすると偏見の表出になるのか、というのはけっこうわかると思うので、偏見を抱えたままでもかまわないからそれを表出して差別で人を傷つけることはするな、と突っぱねることも大事だと思います。知識だけで偏見はなくならないとしても、差別とそれによって人が傷つくことをなくすのにはやりようがあるはずです。これは若干戦闘的な応答になりますね。

北村 ここで偏見をなくすのに重要なのは、単に知識を出すだけではなく、そこから自分でいろいろと考えてもらうこと、そして現実に生きている人たちのことを想像してもらうことではないかと私は考えています。こういう思考力と想像力の問題について、たとえば森山さんであれば、この本を読み終わった人に何を考えてもらいたい、あるいはどういうところに想像力を使ってほしいと思いますか?

森山 想像力とか思考力については、たぶん知識にもうちょっと何かを積み増すことによって、差別が少なくなったり、人と人とがスムーズにやりとりしたりできるようになるのではないかということだろうと思います。これはそのとおりだと思いますね。

本の中でも触れているように、知識があるからこの人のことがわかった、この人に対応できる、というような過信に対しては、想像力でブレーキをかけてほしいなと思っています。何についてでも「これで全部がわかった」なんていうことはないので、考え続けないといけないんですね。終わらないプロセスになるので、ちょっとげんなりするかもしれませんが。それでも、この本の内容で全てだと思ってしまうような思い込みは解除してほしいですね。この本は「はじめの1冊」でしかないんです。

北村 それこそ「無知の知」、自分がよく知らないのだということを理解するところから知がはじまるという、古代ギリシア哲学以来、人間が直面してきた課題ですね。

――関心を持たない人にはどうアプローチすればよいのでしょう? 関心のない人は、能動的に知識を得ようとしたり、想像力を働かせようとはなかなか思わないと思います。

森山 最初から聞く耳を持たない人に聞く耳を持たせようとする必要は本当にあるんでしょうか。「LGBTマジ無理」っていう人を心替わりさせるほうに労力を割くよりも、なんかよくわからないけど差別したり傷つけたりしちゃいけないんじゃないかな……っていう人をこっち側に振り向かせるために労力を割いたほうがいいんじゃないかと思っています。関心が無い人に関心を持ってほしいと思うのは、傷つける側の論理を不必要に認めているというか、そちら側に媚びているというか、その時点で何かの罠にひっかかっているんじゃないかという感覚がありますね。

ただこれは私が教師だから感じることかもしれません。何百人もの学生を相手にしているので、1人1人を心替わりさせようとかは思わないんですよね。授業をする際には、心替わりが目的ではなくて、場全体が風通しの良いルールによって成り立つよう見守ったり、あるいはそのルールを決めたりするという発想になるんです。それに学生全員を心替わりさせようとするのは越権行為かな、と。それよりも、こういうルールに従うとお互いのやりとりがうまくいきますとか、人を傷つけずにすみますみたいなところに照準を合わせたほうがいいのかなと思っています。

北村 すごくよくわかります。ただ、それはたぶん私たちが教師だからそう考えるのであって、政治家だったらそうは考えないだろうという気もします。政治家だと有権者や他の議員を説得するため選挙活動やロビー活動をしないといけないから、反対の意見を持つ人を説得しようという発想もあるんじゃないかな……。

森山 一方で私には、人々が心替わりをしなければダメだろうという直感もすごくあるんです。心替わりを求めることの暴力性とか不可能性があると同時に、心替わりしてもらわないとどうにもならないだろうという感覚を私自身も抱えているし、皆も抱えているんじゃないかと思います。心の中に偏見があってもそれを外に出さないでくれれば別にいいから、と割り切れない自分もいます。だからこういう本を書いて、うっかり手にとって、うっかり心変わりしてくれる人がいることを期待している部分もあります。

◎クィア・スタディーズの地平

北村 最後の質問にいきたいと思います。この本はLGBTに絞っていますが、クィア・スタディーズと言った場合、かなり広くセクシュアリティに関する事柄を対象とすると思います。私は海外のシェイクスピア学会でひたすらお天気の話だけするクィア批評の発表をきいたことがありますし、また私がやっているask.fmに「クィア的な視点からBDSMについて扱ったものでおすすめがあったら教えてください」という質問が来て、あるはずですが全然、思い当たらなかったことがあります。この本はクィア・スタディーズの本としては本当に入り口の部分だと思いますので、おそらくこの本から想像されるものよりかなり広く深い射程を持ったクィア・スタディーズの魅力についてコメントをいただけますと幸いです。

森山 この本は、セクシュアルオリエンテーションとジェンダーアイデンティティという2つの概念の組み合わせでさまざまな性のあり方が見えるんだよ、っていうところから始まるんですが、そもそもこの2つの概念だけが重要なのか、という問題はあります。たとえばある人が、自分の性のあり方においてはBDSMみたいな嗜虐性や被虐性のほうが非常に大事なことだと考えているとしたら、なぜセクシュアルオリエンテーションとジェンダーアイデンティティだけがことさら重要とされるのか、という感覚は当然出てくるだろうと思います。

ですから、クィア・スタディーズではセクシュアルオリエンテーションとジェンダーアイデンティティの話だけをすると思われてしまうのはまずいんですね。しかしながらそれと同時に、全く何も知らない人にいきなりSMの話とかから入ると、読み手が非常にびっくりしてしまってちょっと逆効果かなとも思ったんです。この本ではあまり人から反感を持たれない部分からスタートして、性の持つある種の「きつい」部分みたいなところまでたどり着いてもらうことも実は狙っています。「この本はお行儀が良すぎる」というのは私にとてはもっとも避けたい批判の一つなので、それもあって読書案内では性に関する風俗の緻密な研究で有名な井上章一とか、BDSMや小児性愛に関して挑発的な文章を書くパット・カリフィアの名前をあげて、「行儀が良くてきれいなもの」だけだと思われてはいけないということを書いたつもりです。「好きになる人の性別が違うだけでどこにでもいるいい人なんですよね」みたいな話では全くないのだ、というのはどこかで言及しないといけないと思っていました。本の中にもある言葉を使えば、ここに書かれているよりも「下世話」な部分は絶対にあるはずです。クィア・スタディーズはきれいなだけの話ではないし、そうあるべきでもないと思います。それはこの本の次の段階として、読書案内を見ながら進んで欲しいと思います。

北村 私も、授業をしていて『ロミオとジュリエット』みたいな純愛ものだと学生がついてきやすいんですが、一方で泥沼不倫を扱った作品とか二股艶笑喜劇みたいなものを読んだりすると学生が引いてしまったりすることもあるので、なんとかきれいなところから入って、でも文学や映画はそれだけではないですよっていうところに行き着いてほしいなとはいつも思っているので、教員としてはその苦労がわかります。

また、もう一つ指摘しておきたいところとして、クィア・スタディーズが扱うものとしては不倫とか乱交とかいわゆる「下世話」なものがある一方、逆方向で「処女性」を扱うとか、ほとんどセックスが出てこないような事柄も研究対象としていると思います。クィア・スタディーズはセックスが山ほどある状態から全くないような状態まで、いろんなことを広く分析できる研究だというのを読者の方に知っていただけたらいいんじゃないかなと思いました。

森山 そうですね。お行儀のいい「普通」の市民としてのセクシュアルマイノリティの話だけをしたいわけではない、と気付く人には気付いてほしいと思って書きました。

北村 クィア・スタディーズの広さを意識しつつ、この本を読み終わった方々にはいろいろな方面に関心を広げていって頂きたいなと思います。

■北村紗衣
北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科専任講師。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。

知識を手にすれば、他者を傷つけずにすむ。『LGBTを読みとく』著者・森山至貴氏インタビュー

こんにちは。今回はいつもと少し趣向を変えて、本連載初のインタビュー記事を掲載したいと思います。先月出たばかりのちくま新書『LGBTを読みとく』を題材に、著者で私の大学院時代からの友人である早稲田大学文学学術院専任講師の森山至貴さんにインタビューをしました。主に私と、本連載担当編集者が森山さんに質問をし、答えていただく形になっています。本書は非常にわかりやすい入門書なのでとくに解説がなくても読めると思いますが、著者にじっくりお話を聞ける機会はなかなかないので、既に読んだ方も、まだ読んでいない方も、どうぞご覧下さい。フィクションではないので、ネタバレはありません。

◎『LGBTを読みとく』を読みとく

北村 学生にいきなりクィア・スタディーズの話をしてもわかってもらえないことがほとんどです。ですから『LGBTを読みとく クィア・スタディーズ入門』が出て本当によかったと思いました。いろんなトピックをカバーしていますし、クィア・スタディーズを紹介するはじめの一冊としてとても適していると思います。

森山 学生に「森山さん、クィア・スタディーズが専門なんですよね。何を読んだらいいですか?」って言われた時に、私自身、すすめられる最近の本があまりなくて、「ないなら自分で書かなきゃいけないんだな」と思っていたところもあったので、そういうふうに言っていただけると嬉しいです。

クィア・スタディーズの専門家は日本にもたくさんいて、英語圏も入れると文献は本当にたくさんあります。ただ、クィア・スタディーズを冠した私の授業を履修している学生にも、そもそもクィア・スタディーズの内容以前に、セクシュアルマイノリティについて全然知らない人が多いんです。まずはセクシュアルマイノリティについて、続いてクィア・スタディーズについても基本的なことが押さえられる本が欲しいと思っていました。この本はまさにその二枚の看板を掲げ、前半は準備編としてセクシュアルマイノリティについて、さらにクィア・スタディーズの基本的な発想や用語について後半で書くという構造にしました。

北村 LGBTという言葉は最近、日本で広く使われるようになっていますが、必ずしも正確に使われているとは言えないかと思います。たとえばトランスの方たちだけの話だったり、ゲイの方たちだけの話だったりするのに「LGBT」と言ってしまうことが見受けられます。「LGBT」という言葉が含む問題性と、なぜこの言葉をタイトルに選んだのか教えてください。

森山 本の中にも書いたように、LGBTはセクシュアルマイノリティの全てではないのに、そのことが忘れられて使われているし、LGBTそれぞれの間の差異についてもあまり考えられていません。たとえば、マーケティングやビジネスの分野ではLGBTの間の格差などを考えずにいろいろな人をひとまとめに指す用語になってしまっているところがあります。そういうわけで、LGBTは取り扱い要注意の単語であることを読者の方にわかってほしいなと思っていました。

タイトルの話に戻りますが、この『LGBTを読みとく』というタイトルは二種類に解釈できて、しかもその2つの解釈が私の本を読むことで読者の方にやってほしいことをそのまま表しているんです。ひとつは、セクシュアルマイノリティについて何も知らない人に対して、LとかGとかBとかTが何を指していて、それぞれがどういう社会的な枠組みのもとに成り立ってきたのかとか、それぞれの人たちがどういう社会的な戦いをしてきたかとかについてしっかり理解する=「読みとく」ということです。それぞれがどういうものなのか、そしてLGBTがセクシュアルマイノリティの全てではない、ということをわかってほしかったんですね。もうひとつの意味は、今の「LGBT」現象を批判的に解釈する=「読みとく」ということです。とりあえずLGBTって言っておけばいいとか、この言葉を使うと何かものが売れるとか、そういう現象そのものに対する批判的視点を獲得してほしいという狙いがありました。

つまり、『LGBTを読みとく』は、LGBTと言われているものの中身と、またみんながLGBTと言っている現象双方を理解し解釈するというダブルミーニングになっているんです。

北村 『LGBTを読みとく』には、LGBTとはどういうことを指すのか読みとく、というのと、現在起きているカッコつきの「LGBT」現象を読みとく、という2つの意味があるわけですね。とてもクィア・スタディーズっぽいタイトルの付け方だし、どちらも重要なことだと思います。

◎知識だけでは足りない?

北村 この本の冒頭には、「『知っていれば他者を傷つけずに済むことがあれば知っておきたい』というのは、とても前向きな考え方だと私は思います」(p. 8)と書かれており、全体として知識への大きな信頼があると思います。私もはじめの一歩としては知識が絶対に重要だと思うので、このポジティブな考え方には個人的には大賛成です。しかし一方で、知識を提供するだけではうまくいかないのではないかという不安があり、とくに教育の場ではそれを感じます。

専門家が知識を与えるだけでは、むしろ受け手が警戒・曲解してしまうことがありますし、「上から目線のポリコレ」みたいな反発がみられることもあります。専門家が知識を出すだけだと問題が起こってしまうというのは科学コミュニケーション論などでよく議論されるところだと思うんですが、ジェンダーやセクシュアリティなどでも問題が起こるところがあるのではないかと思います。本書でも94ページで紹介されているトランスフォビア的なフェミニズムの議論などは、知識だけでは偏見がなくならないということの例であるように思えます。この点についていかがお考えでしょうか?

森山 知識を注入すれば何かが解決するよ、っていうのはもちろん単純化された議論ですよね。

しかしながら、知識を持ち、良心にもとづいてその知識を使用していくことが必要だとした場合、私の本に限って考えるなら、問題の半分は解決済みとしていいだろうと思うんです。この本を手にとってくれた時点で、その人はLGBTになんらかの興味があるんじゃないかと思うんですね。知りたいと思っている人向けに書くという前提があるので、「知識を詰め込んで」やろうというのではなく、「相手が知りたがっていることを提供するんだ」という気持ちで書きました。漠然とLGBTに対して持っていたイメージのようなものを知識に置き換えることにより、人間同士のやりとりがスムーズになったり、差別を減らしたりすることができるようになりますよ、っていうポジションで書いています。逆に言うと、LGBTについて全く関心がないとか、反発心がもともとあるというような人に対して話す場合はこういう感じにはならないと思います。

一方で、ひねった答え方もできます。偏見が差別を生むという単純化はできない、ということもこの本では言っていますし、偏見がなくても差別は起こります。偏見と差別と知識の関係って単純なひとつながりの鎖ではないんです。この本については、あなたに偏見があるかどうかは知らないが、その有無にかかわらず知識があれば差別はしなくても済みますよね、という読み方をしてもらってもかまわないと思っています。たまに「あなたが私の内側にある偏見をなんとかしてくれないと私はあなたを差別します!」みたいな恫喝の仕方をする人がいます。でも、たとえばナイフで人を刺したいと考えている人がいたとしても、実際に刺さなければ周りの人に危害を加えることにはなりません。ここで大事なのは、その人の気持ちは知らないけど、ともかく刺すのをやめてもらうことです。だから、心の中に偏見があるのはまあ知らないけど、その偏見をこちらに向けないでほしいという考え方は十分あり得ると思います。

この本を読めば、何をすると偏見の表出になるのか、というのはけっこうわかると思うので、偏見を抱えたままでもかまわないからそれを表出して差別で人を傷つけることはするな、と突っぱねることも大事だと思います。知識だけで偏見はなくならないとしても、差別とそれによって人が傷つくことをなくすのにはやりようがあるはずです。これは若干戦闘的な応答になりますね。

北村 ここで偏見をなくすのに重要なのは、単に知識を出すだけではなく、そこから自分でいろいろと考えてもらうこと、そして現実に生きている人たちのことを想像してもらうことではないかと私は考えています。こういう思考力と想像力の問題について、たとえば森山さんであれば、この本を読み終わった人に何を考えてもらいたい、あるいはどういうところに想像力を使ってほしいと思いますか?

森山 想像力とか思考力については、たぶん知識にもうちょっと何かを積み増すことによって、差別が少なくなったり、人と人とがスムーズにやりとりしたりできるようになるのではないかということだろうと思います。これはそのとおりだと思いますね。

本の中でも触れているように、知識があるからこの人のことがわかった、この人に対応できる、というような過信に対しては、想像力でブレーキをかけてほしいなと思っています。何についてでも「これで全部がわかった」なんていうことはないので、考え続けないといけないんですね。終わらないプロセスになるので、ちょっとげんなりするかもしれませんが。それでも、この本の内容で全てだと思ってしまうような思い込みは解除してほしいですね。この本は「はじめの1冊」でしかないんです。

北村 それこそ「無知の知」、自分がよく知らないのだということを理解するところから知がはじまるという、古代ギリシア哲学以来、人間が直面してきた課題ですね。

――関心を持たない人にはどうアプローチすればよいのでしょう? 関心のない人は、能動的に知識を得ようとしたり、想像力を働かせようとはなかなか思わないと思います。

森山 最初から聞く耳を持たない人に聞く耳を持たせようとする必要は本当にあるんでしょうか。「LGBTマジ無理」っていう人を心替わりさせるほうに労力を割くよりも、なんかよくわからないけど差別したり傷つけたりしちゃいけないんじゃないかな……っていう人をこっち側に振り向かせるために労力を割いたほうがいいんじゃないかと思っています。関心が無い人に関心を持ってほしいと思うのは、傷つける側の論理を不必要に認めているというか、そちら側に媚びているというか、その時点で何かの罠にひっかかっているんじゃないかという感覚がありますね。

ただこれは私が教師だから感じることかもしれません。何百人もの学生を相手にしているので、1人1人を心替わりさせようとかは思わないんですよね。授業をする際には、心替わりが目的ではなくて、場全体が風通しの良いルールによって成り立つよう見守ったり、あるいはそのルールを決めたりするという発想になるんです。それに学生全員を心替わりさせようとするのは越権行為かな、と。それよりも、こういうルールに従うとお互いのやりとりがうまくいきますとか、人を傷つけずにすみますみたいなところに照準を合わせたほうがいいのかなと思っています。

北村 すごくよくわかります。ただ、それはたぶん私たちが教師だからそう考えるのであって、政治家だったらそうは考えないだろうという気もします。政治家だと有権者や他の議員を説得するため選挙活動やロビー活動をしないといけないから、反対の意見を持つ人を説得しようという発想もあるんじゃないかな……。

森山 一方で私には、人々が心替わりをしなければダメだろうという直感もすごくあるんです。心替わりを求めることの暴力性とか不可能性があると同時に、心替わりしてもらわないとどうにもならないだろうという感覚を私自身も抱えているし、皆も抱えているんじゃないかと思います。心の中に偏見があってもそれを外に出さないでくれれば別にいいから、と割り切れない自分もいます。だからこういう本を書いて、うっかり手にとって、うっかり心変わりしてくれる人がいることを期待している部分もあります。

◎クィア・スタディーズの地平

北村 最後の質問にいきたいと思います。この本はLGBTに絞っていますが、クィア・スタディーズと言った場合、かなり広くセクシュアリティに関する事柄を対象とすると思います。私は海外のシェイクスピア学会でひたすらお天気の話だけするクィア批評の発表をきいたことがありますし、また私がやっているask.fmに「クィア的な視点からBDSMについて扱ったものでおすすめがあったら教えてください」という質問が来て、あるはずですが全然、思い当たらなかったことがあります。この本はクィア・スタディーズの本としては本当に入り口の部分だと思いますので、おそらくこの本から想像されるものよりかなり広く深い射程を持ったクィア・スタディーズの魅力についてコメントをいただけますと幸いです。

森山 この本は、セクシュアルオリエンテーションとジェンダーアイデンティティという2つの概念の組み合わせでさまざまな性のあり方が見えるんだよ、っていうところから始まるんですが、そもそもこの2つの概念だけが重要なのか、という問題はあります。たとえばある人が、自分の性のあり方においてはBDSMみたいな嗜虐性や被虐性のほうが非常に大事なことだと考えているとしたら、なぜセクシュアルオリエンテーションとジェンダーアイデンティティだけがことさら重要とされるのか、という感覚は当然出てくるだろうと思います。

ですから、クィア・スタディーズではセクシュアルオリエンテーションとジェンダーアイデンティティの話だけをすると思われてしまうのはまずいんですね。しかしながらそれと同時に、全く何も知らない人にいきなりSMの話とかから入ると、読み手が非常にびっくりしてしまってちょっと逆効果かなとも思ったんです。この本ではあまり人から反感を持たれない部分からスタートして、性の持つある種の「きつい」部分みたいなところまでたどり着いてもらうことも実は狙っています。「この本はお行儀が良すぎる」というのは私にとてはもっとも避けたい批判の一つなので、それもあって読書案内では性に関する風俗の緻密な研究で有名な井上章一とか、BDSMや小児性愛に関して挑発的な文章を書くパット・カリフィアの名前をあげて、「行儀が良くてきれいなもの」だけだと思われてはいけないということを書いたつもりです。「好きになる人の性別が違うだけでどこにでもいるいい人なんですよね」みたいな話では全くないのだ、というのはどこかで言及しないといけないと思っていました。本の中にもある言葉を使えば、ここに書かれているよりも「下世話」な部分は絶対にあるはずです。クィア・スタディーズはきれいなだけの話ではないし、そうあるべきでもないと思います。それはこの本の次の段階として、読書案内を見ながら進んで欲しいと思います。

北村 私も、授業をしていて『ロミオとジュリエット』みたいな純愛ものだと学生がついてきやすいんですが、一方で泥沼不倫を扱った作品とか二股艶笑喜劇みたいなものを読んだりすると学生が引いてしまったりすることもあるので、なんとかきれいなところから入って、でも文学や映画はそれだけではないですよっていうところに行き着いてほしいなとはいつも思っているので、教員としてはその苦労がわかります。

また、もう一つ指摘しておきたいところとして、クィア・スタディーズが扱うものとしては不倫とか乱交とかいわゆる「下世話」なものがある一方、逆方向で「処女性」を扱うとか、ほとんどセックスが出てこないような事柄も研究対象としていると思います。クィア・スタディーズはセックスが山ほどある状態から全くないような状態まで、いろんなことを広く分析できる研究だというのを読者の方に知っていただけたらいいんじゃないかなと思いました。

森山 そうですね。お行儀のいい「普通」の市民としてのセクシュアルマイノリティの話だけをしたいわけではない、と気付く人には気付いてほしいと思って書きました。

北村 クィア・スタディーズの広さを意識しつつ、この本を読み終わった方々にはいろいろな方面に関心を広げていって頂きたいなと思います。

■北村紗衣
北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科専任講師。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。

Hey! Say! JUMP中島&Jr.道枝出演『母になる』スタート! 4月12日(水)ジャニーズアイドル出演情報

――翌日にジャニーズアイドルが出演予定の番組情報をお届けします。見逃さないように、録画予約をお忘れなく!

※一部を除き、首都圏の放送情報を元に構成しています。
※番組編成、及び放送日時は変更になることがあります。最新情報は番組公式サイト等をご確認ください。

●TOKIO

5:50~ 8:00 『ZIP!』(日本テレビ系) 山口達也
8:00~ 9:55 『白熱ライブビビット』(TBS系) 国分太一
11:25~11:30 『国分太一のおさんぽジャパン』(フジテレビ系) 国分太一
18:55~19:25 『Rの法則』(NHK Eテレ) 山口達也

※『TOKIOカケル』(フジテレビ系)は放送休止。

●V6

8:15~ 9:54 『あさイチ』(NHK総合) 井ノ原快彦
15:55~16:54 『よじごじDays』(テレビ東京) 長野博
21:00~22:09 『警視庁捜査一課9係』(テレビ朝日系) 井ノ原快彦

 

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