「絵がダサイ」有吉弘行が『ジャンプ』新連載を痛烈ディス!? しかし「注目して欲しい」という想いも

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『Dr.STONE』週刊少年ジャンプ公式サイトより
 3月12日放送のラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系)で、有吉弘行が「週刊少年ジャンプ」(集英社)の新連載マンガを得意の毒舌で評し、そのコメントにマンガ・ジャンプ好きから注目を集めている。  有吉が触れたたのは2017年14号より連載がスタートした『Dr.STONE』(集英社)。同作は、原作を『アイシールド21』(集英社)の稲垣理一郎、作画を『サンケンロック』(少年画報社)や『ORIGIN』(講談社)のBoichiが担当する新連載ということで、期待を寄せられていた一作。 『Dr.STONE』は、ある日世界に降り注いだ謎の光によってほぼ全ての生物が石化してしまうというストーリーからスタート。強靭な精神力によって、石化している約3,700年の間意識を失わなかった真面目で体力馬鹿な“大樹”と、その友人で科学に詳しい“千空”は、西暦5738年に石化から解放され、文明が滅びた石の世界(ストーンワールド)で冒険を始める――。  壮大なSF冒険譚を期待させてくれる同作には「既にめちゃめちゃ面白い」「第一話で確信した。これは確実にヒットする」「ここ最近の色んな新連載の中でも別格のクオリティだわ」と、SNSなどネット上では好意的な意見が多く上がることに。しかし有吉の見方は違ったようだ。  有吉は多くの気になる点や引っかかるところがあると指摘し、まず「ちょっと絵がダサイのよね」「絵が古いんだよな」と作画を一刀両断。千空に関しては「凄い髪型をしていて非常に絵がダサイ」と具体的な箇所を挙げていた。さらに千空は石化している間ずっと時間を数えて意識を保っていたのだが、それについても「ありえない」といった感じで大笑いしていた。また、壮大すぎる設定については「大丈夫?」と心配をする場面も。  ただ有吉は単に同作をディスっているわけではないらしい。「最近、ジャンプでちょっとハズレが多くて」と、マンガファンとして「ジャンプ」の近況を憂いているという姿勢をアピール。 「『Dr.STONE』注目して欲しいんですよ」と有吉は話し、ダサいといってる絵についても「上手いのは上手い、意図しているのかちょっと古いタッチ」とフォローもしていた。3月12日には自身のTwitter(@ariyoshihiroiki)で、少年ジャンプ編集部アカウント(@jump_henshubu)の『Dr.STONE』宣伝ツイートをリツイートし、「うーWBCすげぇ試合。プロレスもDr.STONEも気になるが、頑張って日本!!」と綴っていた。この有吉のツイートには稲垣理一郎もTwitter(@reach_ina)で「わ、ちょっと嬉しい!」と反応。  有吉も注目の『Dr.STONE』は今後どんな展開を迎えていくのか。非常に楽しみだ。

人生をやり直したのは「普通」に生きたかったから、もうやり直したくないのは今が幸せだから/『カルテット』第九話レビュー

 TBS火曜ドラマ『カルテット』、いよいよ佳境です。夢が叶わなかった30代男女4人、真紀(松たか子)、すずめ(満島ひかり)、愉高(高橋一生)、司(松田龍平)が“偶然”出会って軽井沢の別荘で共同生活を送りながら弦楽四重奏を組むところからこのドラマははじまりましたが、“嘘つきは大人のはじまり”。4人はそれぞれ“嘘”や“秘密”を抱えており、全員、真紀を狙って(それぞれ違う意味で)わざわざ出会ったのでした。ひとつひとつの謎が毎回明かされ、張り巡らされた伏線を回収しまくってここまで来ましたが、第八話ラストで最大の謎が投下され、もう視聴者は大混乱、一週間脳内カオス状態だったのではないでしょうか。  二話で司、三話ですずめ、四話で愉高と、彼らの嘘・秘密・過去が徐々に明かされていき、やがて真紀の夫さんで失踪中だった幹生(宮藤官九郎)も姿を現し、紆余曲折を経て離婚に至ったのが前々回。前回は、“全員、片想い”として「愉高→すずめ→司→真紀」の好き好き光線(今となっては死語でしょうか。使用するの小学生以来です……)模様が繰り広げられ、もうみんながみんな片想い過ぎて、切なくて切なくて……、高橋一生に萌えキュン♡でした。  が、ラストシーンで怒涛の展開、衝撃事実が。真紀の元義母・鏡子の元に富山県警の刑事・大菅直木(大倉孝二)と船村仙一(木下政治)がやって来て、“真紀は真紀じゃない、本物の真紀は別にいる”ことを告げたものだから、もうまさかの「まさか」。ってことは、“最後の嘘つき”は、真紀……。 真紀が「普通の主婦」になりたかった理由  そして迎えた最終章・前編こと第九話。真紀の嘘が発覚するきっかけとなったのは、富山で自転車泥棒を働き、捕まった女(篠原ゆき子)が、14年前、闇金絡みの業者に戸籍を売っていと警察に明かしたこと。女は戸籍の売買が罪になると思い込み、住民票を取らず、ツタヤのカードも作れず生きてきましたが、大菅刑事曰く「戸籍って他人に売っても罪にならない」そうです。へぇ……。無知って怖いですね。とはいえ、戸籍売買を行っていた業者には捜査が入り、14年前に、女・早乙女真紀の戸籍を購入したのが、カルテットの真紀だった、と。冒頭、別荘のシーンで愉高が「ホッチキスはステープラー、バンドエイドは絆創膏、ニモはカクレクマノミ。本当の名前を言って」と(いつもの面倒くささで)メンバーに熱弁を奮いますが、では、真紀の本当の名前は。  大菅刑事が鏡子に語った真紀の生い立ちは、こうでした。 「本名は山本彰子(やまもと・あきこ)、富山市出身。10歳の時に母を事故で亡くし、その後、母親の再婚相手である義理の父親に預けられた。その父親から日常的な暴力を受け、家出を繰り返すものの連れ戻されていた。平成15年12月19日、現金300万円で戸籍を購入し、それ以来姿を消した」  14年前、平成15年(2003年)に戸籍を買ったのであれば、真紀は当時23歳です。また、亡くなった母・山本みずえ(坂本美雨!)は、元は売れない演歌歌手で『上り坂下り坂ま坂』というタイトルの曲を発表していました。真紀が時々、口ずさんでいる不思議な曲はこれだったんですね。  そして警察は、真紀が義父の暴力から逃げるために戸籍を買った、とは思っておらず、別の疑いを抱いている様子です。真紀が姿を消したのと同じ頃、義父は心不全で亡くなっているのです。警察は、真紀に殺人容疑をかけている、ということでしょうか。鏡子からこの話を聞かされた幹生(現在コンビニ強盗の罪で拘留中)は、信じられない様子でした。真紀からは結婚の際、「子どもの頃に父親は病気で、母親は事故で死んでいる」と聞いていたようです。  回想、というか鏡子が警察から聞いたことを元に幹生に語った内容が、幼き日の真紀(山本彰子)母子の風景として映し出されます。右手にヴァイオリンケース、左手に楽譜を抱えた10歳の真紀(彰子)は、母・みずえと連れ立って富山の田舎道を歩いていました。長い髪をお嬢様結びしてピンクのコートに身を包み、赤い靴を履いた真紀と、上品な装いの母(およそ演歌歌手らしさは皆無)。田舎の風景が似合わない母娘です。2人が風に飛ばされた楽譜を拾っているところに、下り坂を降りてきた中学生の少年(12)の漕ぐ自転車が衝突……。真紀をかばった母は亡くなり、遺された真紀は、義父(母の元再婚相手)に預けられます。  自転車事故の被害者遺族である真紀には加害者家族より賠償金が支払われ、その額、2億円。弟の誕生を心待ちにしていた加害者の少年は、産院に駆けつける途中にこの事故を起こし、結果、家族は家と職を失い、少年が弟と暮らすことはできなくなり……それでも被害者遺族である真紀の家族、すなわち義父は12年間に渡って賠償金を請求し続けました。12年間というのは、つまり、真紀が失踪する前までということ。義父は賠償金で真紀をバイオリン教室や大学に通わせました。その一方で、真紀の顔には痣ができていることもあったそうです。このお話がどこまで事実か、誤解をどれくらい含んでいるのか、まだ油断はできませんけど。  幹生は、真紀は義父が加害者遺族に賠償金を請求するのをやめさせたくて、戸籍を買って失踪したのではないかと推測、「俺の知ってる真紀ちゃんはそういう人ですよ」と刑事に食ってかかります。話しながら結婚生活での真紀の様子を思い出し、幹生はハッと気が付くのでした。自分は彼女に特別さを求めていたけれど、真紀は普通の人になって生きたかったのだということに。真紀は幹生と結婚して名前が<巻真紀>になることを望み、ときめきよりも安らぎある「家族」を求め、ヴァイオリンを続けることよりも専業主婦になって「家庭」を守ることに固執していましたが、その理由が今になって腑に落ちたのでしょう。他人の名を騙ることで生き延びた真紀は、早く普通の人になりたかった、表に出るより家庭という裏方に回って安心したかったのだ、と。  確かに真紀の過去、つまり結婚以前の生活についてはずっと明かされなかったし、上品で育ちのよさそうな女性として描かれていることから、てっきり東京か、あるいは神奈川、埼玉あたりのそれなりに裕福な家庭に育って、ヴァイオリンを習い、音大に進み、プロになったんだとばかり(賠償金で真紀が進んだ大学は音大なんでしょうか)。偽名で生きている人って、世間をはばかりながらひっそり暮らすイメージがありますが、真紀は失踪後もヴァイオリンを続け、楽譜の出版社でバイトするなど比較的大胆に行動しています。ネットやSNSが普及した現在、いつ自分の正体が発覚してもおかしくありません。だからカルテットを組んで表舞台に立つことを拒まなかったことも、視聴者としては不思議なのですが……真紀は内心びくびくしながらも、心のどこかで覚悟を決めていたのでしょうか。 女同士の嘘なき信頼関係  何も知らないカルテットの4人は、いつものように食卓を囲み和やかに過ごしています。前回の全員片想い問題は、おそらくそのまま放置された感じなのでしょうね。目下の悩みは、現在暮らしている別荘(司の祖父所有)の売却問題。司から打ち明けられて他3人は、それぞれ自活しながらカルテットを続けるとの考えを示しますが、司は「そっち(バイトなど)が本業になっちゃう」と断固反対。「飢え死上等、孤独死上等じゃないですか。僕たちの名前は、カルテットドーナツホールですよ。穴がなかったらドーナツじゃありません。僕はみなさんのちゃんとしていないところが好きなんです。たとえ世界中から責められたとしても、僕は全力でみんなを甘やかしますから」「少し時間ください。この別荘は僕が守りますから」と力説、説得。司は幼少時から「きちんとしようよ」と周囲を諭し続けてきた自分が音楽家として大成せず、「きちんとして」いなかった周囲の子どもたちが世界に羽ばたいていきました。カルテットのメンバーと出会ってその「ちゃんとしていないところ」に魅力を感じるにつれ、自分自身も杓子定規な生き方を変えようと決意したのですね。  あるとき、すずめは真紀に「ずっと東京でしょ?」と問いかけ、真紀は「うん」と答えたものの目を逸らしました。それに気付かず、真紀のことが大好きなすずめは、もしかしたら昔、たとえば真紀が中学生で自分が小学生の頃地下鉄ですれ違っていたのかもしれない、もっと早く出会っていればと残念がります。 すずめ「周りは嘘ばっかりだったから。自分も。どっか遠くに行きたいなあっていっつも思ってて、真紀さんみたいに嘘がない人と出会ってたら、子どもの頃も楽しかったかな」  そんなすずめに、真紀は子ども時代の思い出として、家から少し離れた場所にある廃船で一晩中星を見ていたことを話します。 真紀「そこにいるとね、そのままわぁって浮き上がって星を渡る船になって、どっか遠くに行けそうな気がしてた」 「(軽井沢にたどり着いた現在は)あ~ここに来たかったんだなぁって、今はね思う。もう十分」  しかし、ようやくたどり着いた安住の地に真紀は長くはいられません。土砂降り雨の夜、大菅刑事らが来訪。真紀に任意同行を求めます。「何かの間違いじゃないですか」と事態を呑み込めないすずめとは対照的に、真紀は冷静に応対、任意同行は明日のノクターンでの演奏後になりました。もちろん、そんなのは外面で実際は、突如訪れた幸せの終わりに、真紀は激しく動揺。部屋にこもって、爪を噛んだり、服を投げつけたり……その取り乱しぶりに、二話で自分に告白してきた司に「捨てられた女舐めんなよ!」と怒りを露わにしていた姿を思い出しました。手に入れたと思っていた幸せが自分の手からするりと落ちていく瞬間や、それを思い出した時の真紀はとても激しいのです。  真紀は観念し、メンバーに懺悔します。「私昔、悪いことをしたから、それが今日返ってきたんです」と。 真紀「ごめんなさい。私、早乙女真紀じゃないです。嘘ついてたんです。私嘘だったんです。本名は別です。別にあります。14年前、戸籍を買いました。戸籍買って逃げて東京へ来ました。それからずっと早乙女です。偽、早乙女真紀です。成りすましてました。幸い、幸いずっとバレなくて、調子乗って結婚しました。名前貰ってしれーっとしてずーっと騙してました。みなさんのことも騙しました。カルテットなんかはじめちゃって、仲よくしたふりして……、私嘘だったんですよぉ。見つかったので、明日の演奏終わったら警察行ってきます。もうお終いです。お世話になりましたね。本当の私は……、私は……、私は……」  声を絞り出すように過去を打ち明けようとする真紀を、すずめは「真紀さん、もういい」「いい、いい、いい、いい」と必死にかばいます。真紀が昔誰だったかなんてすっごくどうでもいいのだと訴え、さらに「人を好きになることって絶対裏切らないから。知ってるよ真紀さんがみんなのこと好きなことくらい。絶対それは、嘘なはずないよ。だってこぼれてたもん」と、自分たち4人の関係は紛れもない“本当”であるのだと伝えるすずめ。 すずめ「好きになった時、人って過去から前に進む。私は、真紀さんが好き。今信じてほしいか、信じてほしくないかそれだけ言って?」 真紀「信じてほしい……!」  4人は最後の夜を楽しみます。映画を見たり、ドミノ倒しをやったり、小学生がするようなじゃんけんゲームをしたり。愉高はこんなことを言いました。「人生やり直すスイッチがあったら、押す人間と押さない人間。僕は、もう押しません。みんなと出会ったから」。地獄と称する結婚生活を送っていた頃は「子どもに戻りたい」と思っていた愉高ですが、今は違うようです。この手のセリフって、一歩間違えば陳腐というか、たとえば先日怒涛の最終回を迎えた『奪い愛、冬』(テレビ朝日系)で同じ台詞があっても「さむいわぁ」と思っちゃいそうですが、『カルテット』だと人生に“穴”を抱えた4人がそれぞれ自分の人生を受け入れはじめたんだな……と肯定的に捉えられました。  翌日の夜。ライブレストラン「ノクターン」にて、カルテットドーナツホールの週末だけの定期演奏会が開かれました。客席には刑事たちの姿があります。最後の曲は「モルダウ」。「モルダウ」は、第一話、結成したばかりのカルテットドーナツホールが「ノクターン」にて初演奏した時にも演奏されていた曲で、弦楽器初心者である役者たちにとって難易度の高い楽曲だそうです。初回では、謎だらけで腹に一物ありそうな4人の演奏する姿がひとりずつ映し出され、彼ら彼女らの心にはどんな思いが交錯しているのだろう、と考え込んでしまったものです。  終演し、真紀はいよいよ行かなくてはなりません。あくまでいつも通り、明日の朝のパンがないから買って帰らなきゃとか、シャンプーの買い置きとか、普通の生活の話をしたい彼ら。でも、真紀はこのあと一緒に別荘に帰ることは出来ないのです。  真紀は一人ずつ、言葉をかけます。愉高には「私も、人生やり直しスイッチはもう押さないと思います」。司には「あの日カラオケボックスで会えたのはやっぱり運命だったんじゃないかな」。そして、真紀をもっとも慕っていたすずめには(司がいるので、そう言っていいのかわかりませんが)、ヴァイオリンケースを託します。真紀の誕生日は、8月10日ではなく、本当は6月1日。「(ヴァイオリンと)一緒に待ってるね」と応じるところがすずめらしい。けれど真紀が行ってしまうと、すずめは泣き崩れるしかありませんでした。  真紀は富山県警の車に乗り込み、大菅刑事らとともに軽井沢を去っていきました。真紀ともっと早くに出会っていれば……とすずめは言っていましたが、真紀もまた、もっと早くにすずめと出会っていればと思いを馳せているようで、前回の“全員、片想い”をも超える切なさ、やりきれなさが、第九話にはありました。というか、前回すずめが「好きな人(司)の好きな人(真紀)のことも私は好き」って言っていたのが、今回より一層説得性を帯びたような。困難の多い子ども時代を過ごし、大人になってからも過去から逃れられなかった孤独な女である真紀とすずめは、嘘を介しながらも、“嘘のない信頼関係”を芽生えさせていました。正直、最初はここまで女性2人の絆がクローズアップされるとは思っていなかったです。真紀不在の食卓で、残されたカルテットメンバー3人が、すずめの作った夕食を食べるシーンをもって、第九話は終了しました。  来週はいよいよ最終回。真紀、すずめ、愉高、司。4人のこの先の人生はどこへ向かっていくのでしょう。これまで散々視聴者をびっくりさせてきた『カルテット』ですので、やっぱり最後の最後の最後まで見当がつかないし、目が離せません。  ちなみに「ノクターン」の目が笑っていないアルバイト店員・有朱(吉岡里帆)は、お店をクビになりました。シェフの大二郎(富澤たけし)に色時掛けするも全く効果ナシで(愛人になってカネをせびろうとしたのでしょう)、現場を大二郎の妻・多可美(八木亜希子)に見られたのに悪びれない有朱、でも当たり前に即日解雇です。別れ際、「不思議の国に連れてっちゃうぞぉ~(2回繰り返し)、有朱でした、バイバイ♡」と元地下アイドルらしい決めポーズで去っていった有朱ちゃん、もちろん目は笑っていませんでした。この子は最終回にも出てくるんでしょうか。

浅田真央、現役引退後はテレビ朝日『報道ステーション』スポーツキャスターに内定か

浅田真央、現役引退後はテレビ朝日『報道ステーション』スポーツキャスターに内定かの画像1
 2月に韓国で行われたフィギュアスケート「四大陸選手権」の女子シングルで、三原舞依がパーソナルベストの200.85点を叩き出し優勝。一躍、トップ選手の仲間入りを果たした。  1年後に迫った平昌五輪代表選考では、今大会は欠場したものの、国際大会で安定した成績を残すエース宮原知子を中心に、三原、樋口新葉、本田真凜、本郷理華、そして奇跡の復活を狙う浅田真央の6人での熾烈な争いが予想される。 「現時点で一番厳しいのが浅田でしょうね。昨年の全日本選手権で12位に終わってしまい、今季のGPシリーズの出場が厳しくなった以上、今年の全日本での優勝が絶対条件になってしまった。全日本に出場するには、中学1年以来東日本/西日本大会で上位入賞しなくてはならず、ヒザに爆弾を抱える浅田はコンディションを整えるのも大変。それを乗り越えて、なおかつ全日本で優勝するには、文字通り“奇跡”が必要でしょう」(スポーツライター)  五輪出場を逃せば、即引退は既定路線。それを見越してか、水面下ではすでに各局の“浅田争奪戦”が繰り広げられているという。テレビ関係者が明かす。 「ここにきて、テレ朝のキャスターに内定しているという情報が飛び交っています。視聴率が低迷する『報道ステーション』(テレビ朝日系)の起爆剤として期待されており、松岡修造との2枚看板で平昌五輪をリポートすることになりそう。『報ステ』は、古舘伊知郎から知名度の低い富川悠太アナに代わり、視聴率が3%近く落ちています。国民的人気アスリートの浅田が加われば、数字は急回復するかもしれませんね」(同)  浅田には悲願の金メダルを獲ってもらいたいと願う半面、「熱血×天然」の掛け合いも見てみたい気がするが……。

浅田真央、現役引退後はテレビ朝日『報道ステーション』スポーツキャスターに内定か

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 2月に韓国で行われたフィギュアスケート「四大陸選手権」の女子シングルで、三原舞依がパーソナルベストの200.85点を叩き出し優勝。一躍、トップ選手の仲間入りを果たした。  1年後に迫った平昌五輪代表選考では、今大会は欠場したものの、国際大会で安定した成績を残すエース宮原知子を中心に、三原、樋口新葉、本田真凜、本郷理華、そして奇跡の復活を狙う浅田真央の6人での熾烈な争いが予想される。 「現時点で一番厳しいのが浅田でしょうね。昨年の全日本選手権で12位に終わってしまい、今季のGPシリーズの出場が厳しくなった以上、今年の全日本での優勝が絶対条件になってしまった。全日本に出場するには、中学1年以来東日本/西日本大会で上位入賞しなくてはならず、ヒザに爆弾を抱える浅田はコンディションを整えるのも大変。それを乗り越えて、なおかつ全日本で優勝するには、文字通り“奇跡”が必要でしょう」(スポーツライター)  五輪出場を逃せば、即引退は既定路線。それを見越してか、水面下ではすでに各局の“浅田争奪戦”が繰り広げられているという。テレビ関係者が明かす。 「ここにきて、テレ朝のキャスターに内定しているという情報が飛び交っています。視聴率が低迷する『報道ステーション』(テレビ朝日系)の起爆剤として期待されており、松岡修造との2枚看板で平昌五輪をリポートすることになりそう。『報ステ』は、古舘伊知郎から知名度の低い富川悠太アナに代わり、視聴率が3%近く落ちています。国民的人気アスリートの浅田が加われば、数字は急回復するかもしれませんね」(同)  浅田には悲願の金メダルを獲ってもらいたいと願う半面、「熱血×天然」の掛け合いも見てみたい気がするが……。

草なぎ剛が番宣で言ってた「出演者みんなでつく大きな嘘」って!?『嘘の戦争』最終回の満足度

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 元SMAP・草なぎ剛主演の復讐三昧ドラマ『嘘の戦争』(フジテレビ系、関西テレビ制作)も、ついに14日の放送で最終回を迎えました。平均視聴率は11.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)で、期間平均は11.3%。フジというハンデを背負いながら、全話2桁で完走しました。  放送数時間前の同局『みんなのニュース』では、草なぎの番宣インタビューを放送。最終回の見どころについて、「出演者みんなで一緒になってつく大きな嘘が1つあって、この嘘に多分、みなさん騙されると思う」と語っていました。  全出演者一丸となって視聴者を騙す展開なんて、想像力に乏しい私は“夢オチ”と『蒲田行進曲』のラストシーンくらいしか思いつきません。早速、あらすじを振り返りましょう。

六車のトラバサミ傷が治ってない……

 前回のラストで警察に追われるも、猛ダッシュで逃げ切った一ノ瀬浩一(草なぎ)。次の一手として、興三(市村正親)に守(大杉漣)が30年前の事件の決定的証拠を持っていると思い込ませます。  興三は早速、暗殺者・六車(神保悟志)に「殺せ」と命令。守を拘束しますが、浩一が警察を仕向け、六車と警察の銃撃戦に。すかさず、守がケガをしている六車の足をキックし、六車は転んで銃をポロリ。六車ってば、前々回でトラバサミに挟まれた足が治ってないんです。トラバサミの威力ってすごい!  そして、六車が警察に連行される様子を見届けた浩一が道をテクテク歩いていると、道端で隆(藤木直人)が登場。警察から逃げてる浩一をあっさり見つけるなんて、さすが一生懸命な隆!   その後、楓(山本美月)に接触し、「今夜で(復讐を)全部終わりにする」と告げる浩一。「憎むよ、あなたのこと、ずっと……、さよなら」と号泣する楓に、浩一は「ごめんな」と言って頭をナデナデ。ああ、そんなんされたら、また好きになっちゃうよ。  この夜、山中の建物に興三と隆を呼び出す浩一。今からネットで生中継するから、カメラの前で謝罪しろと興三に迫ります。「断る」と微動だにしない興三ですが、浩一は謝罪しないと空き家の窓から見える小屋を爆発させると脅迫。この小屋には、楓が閉じ込められているんです。  ちなみにこの小屋は、浩一たちの場所から50メートルくらいしか離れていないように見えますが、浩一いわく「手前には谷があって、小屋に行くには30分はかかる」んだそうです。絶好の土地を見つけましたね。

興三の心筋梗塞再発が心配……

 観念した興三は、カメラの前で事件の真相を話すも、「部下が勝手にやった」「警察が事件を見逃しただけ」とこの期に及んで悪あがきをします。しかし、爆弾のボタンを押そうとする浩一を見て、「私が悪かった」とついに土下座。それでも、浩一は一度嘘をついた罰として、爆弾のスイッチをポチッ。小屋がゴーゴー燃えさかり、「これが俺が30年前に味わった地獄だよ」とキメゼリフをかまし、その場を立ち去ります。  自分の傲慢さのせいで楓が死んだことにビエンビエンと泣き崩れる興三。しかし、浩一は人を殺さない主義なので、当然、楓は死んでいません。浩一がそのトリックをネタばらしすると、隆に「そのためだけに、こんな大掛かりな……」とドン引かれてしまいました。  この直後、浩一を追う警察が到着。崖に追い詰められたところで突然、晃(安田顕)が登場し、浩一をナイフでブスリ! 浩一はそのまま崖から海に転落し、晃は現行犯逮捕されてしまいました。  しかし、これも浩一の計画通り。あらかじめお腹に雑誌を仕込んでおり、晃にわざと刺すよう命じていたとか。驚くことに、このことも隆は見破っていました。今日の隆は、日本の警察を超えたと言っていいでしょう。  浩一が海に落ちた後は、ユウジがボートで救出。浩一は隆に手術支援ロボットの設計データを笑顔で返却し、名前を変えてタイに戻っていきました。めでたし、めでたし。

「大きな嘘」ってどれ?

 って待てよ? 草なぎが『みんなのニュース』で言ってた「出演者みんなで一緒になってつく大きな嘘」って、どれ? 本当は最終回じゃないとか? ずっと藤木直人だと思ってた隆は、双子の兄のほうだったとか? 草なぎがすでにジャニーズから独立してるとか?  それとも、「浩一は死んだ」という嘘でしょうか?「みんな」ではないものの、少なくとも浩一の詐欺仲間と仁科家の人間、あと多分守(?)が隠していますから……(違ったらすみません)。なんだか「みんな」という言葉に惑わされすぎて、『蒲田行進曲』的な大ドン返しを期待して勝手にハードルを上げてしまいました。『みんなのニュース』見なきゃよかった……。  まあ、それでも、浩一は30年前についた嘘を真実に変えることに成功しましたし、事件に関わった人間は罪ほろぼしができましたし、至極キレイなラストという印象。それに、復讐後の浩一は、もともと手を染めていた“ゴーゴーバー詐欺”に戻るという、視聴者も大満足の終わり方と言えるのではないでしょうか? まさに「1本満足ー!」って感じです。  ただ、一つ気がかりなのは、拘留中の晃に面会した楓が、浩一からプレゼントされた指輪(ゾウの毛入り)を捨てずに持ち歩いていたこと。楓はキスした相手とホイホイ婚約しちゃうような純粋な娘ッコですから、浩一をタイに探しに行っちゃうかもしれません。もしかしたら、“戦争シリーズ”の次作は、ハルカ(水原希子)と楓が浩一を取り合う『恋の戦争』かも!? (文=どらまっ子TAMOちゃん)

銀幕を彩る古今東西の女優へ、等身大の愛を語る『パツキン一筋50年 パツキンとカラダを目当てに映画を見続けた男』

銀幕を彩る古今東西の女優へ、等身大の愛を語る『パツキン一筋50年 パツキンとカラダを目当てに映画を見続けた男』の画像1
『パツキン一筋50年 パツキンとカラダを目当てに映画を見続けた男』(キネマ旬報社)
 私が初めて秋本鉄次さんの映画批評を読んだのは、1979年の春、「キネマ旬報」誌に掲載された角川春樹プロデュース&村川透監督による東映映画『白昼の死角』評だった。  当時は日本映画界が2本立プログラムピクチュアから1本立大作路線へとめまぐるしく変貌していった時期で、映画マスコミはそれらの作品群を「贅肉のつきまくった大作」と頭ごなしに批判しまくっていたが、このとき秋本さんは「そんな贅肉なんて、バリバリ食ってやる!」といったエネルギッシュな気概で当時の風潮を一蹴し、その上で『白昼の死角』を贅肉の少ない映画として評価されていた。  SNSなどの影響もあってか、もはや1億総評論家時代なんて言葉すら死語になりつつある中、昔も今も映画評論というやつは権威主義的で上から目線の傲慢なものか、シネフィル気取りでやたら小難しいことばかり書き連ねるか、逆にわざとおちゃらけながらオバカを装いながら、ともに己のエリート意識を満たすかのようなものが大半を占めてしまいがちではある。  しかし、秋本さんの映画批評は常に簡潔かつ明快で歯切れがよく、その上Hだ。  要は「この映画に出ているパツキンの女優はエロい!」といった一言で、その映画を見たくなるような文章を書ける人なのである。  この「エロ」という要素、一歩間違うと下世話になるし、あまり高尚に書いても気取りと捉えられて反感を買うし、実はものすごくモノカキにとって表現が難しいものなのだが、そこを秋本さんは軽々と、それこそ天性の才能(?)でクリアーしているのがすごい。  現に秋本さんの文章は、男性のみならず、実は女性ファンが多い。  このたびキネマ旬報社から刊行された著書「パツキン一筋50年 パツキンとカラダを目当てに映画を見続けた男」(何というタイトルじゃ!?)の担当編集者も女性で、そもそも彼女は「キネマ旬報」誌で秋本さんが長年連載している「カラダが目当て」「カラダが目当てリターンズ」(キネ旬で、このようなタイトルのコラムが存在していること自体、奇跡的!?)の編集担当で、およそ10年に及ぶこの長期連載を抜粋して1冊の本にまとめるべく奔走し、めでたく悲願(?)を達成したのであった。  彼女だけでなく、秋本さんには「いざ鎌倉」ではないが、何かあったら協力は惜しまないという想いを誰しも抱かせる、そんな人間的かつ文章的魅力が備わっているのだ。  帯に「ボクは頑迷なパツキン原理主義者」と記載されているように、本書の中身は明快で、それこそキャバクラに通うかのように映画を見ては、その中の女優たちを愛で、讃えることを主旨としている。ロリ的少女趣味は皆無に近く、あくまでもグラマラスなねーちゃんがお好き。  基本はパツキン女優だが、アンジェリーナ・ジョリーのような非パツキンも無問題。世界最愛の女優はキム・ベイシンガーで、ミラ・ジョジョヴォヴィッチを「美裸女菩」と、スカーレット・ジョハンソン(秋本さんはヨハンソンではなく、この呼び方にこだわってらっしゃる)を「スカ・ジョ」と呼ぶ。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15)にスキンヘッドで登場したシャーリーズ・セロンにも「エア金髪のシャリ子」と最大級の賛辞を惜しまない。キッ子ことニコール・キッドマンが全裸で街をさまよう『虹蛇と眠る女』には「やっぱり全裸は勲一等だね」などと、読んでる側が思わずウンウンとうなづいてしまうほどに、うれし恥ずかしといった言葉のオンパレードなのである。  古今東西の西洋の女優陣に比べると、日本をはじめとする東洋系女優の登場はさすがに少なくなるが、それでも風吹ジュンや余貴美子といった熟女勢から小池栄子に真木よう子などなど、「ああ、秋本さんお好きだよね、ああいうタイプ」とニマニマさせる名前が連なるのであった。  一方でパツキンまみれの本かと思いきや、時折ふっとオンナ断ちして『007』シリーズのダニエル・クレイグやリーアム・ニーソンなどの男優に言及する「オトコ旬報」化する回もあり、それはそれで秋本さんの映画観賞の原点が活劇にあることを露呈させてくれている。  同時に、こういった秋本さんの一貫した姿勢からは、男女の俳優の別を問わず「映画はやっぱりスターから」という映画の楽しさの基本を思い起こさせてくれるものがある。つまりスターが銀幕の中で映えてこその映画の楽しさであり、そんな彼ら彼女らを魅力的に引き立ててこそ、監督はじめスタッフの功績として讃えるべきで、そこに難解な物言いなど必要ないし、ゴラクであろうがゲージュツであろうが、どっちでもいいからとにかくねーちゃんをエロく美しく魅せてくれ!  そういった秋本さんの批評に触れるたび、何かと背伸びしようとしては上手くいかずに、反省するのみの己の未熟さを思い知らされる。そんなことよりも必要なのは、やはりどんな贅肉でもバリバリかみ砕くだけのエネルギッシュさと明快さをもって、その映画を褒めようが貶そうが見たくなるような、そんな姿勢なのである。  さすがにアニメーションだけは苦手なご様子だが、だからといってこれみよがしにアニメを批判したり悪口を言ったりするようなことは一切ない潔さがあり、その伝ではジブリや押井、細田あたりのメジャー作品しか見ずに「今どきのアニメは……」などとしたり顔で評する巷の連中より、よほど人としても信頼できる(最近はルパンやエヴァのパチンコを打ったりすることもあるようなので、そのあたりの作品ならば少しは知識もおあり……かな!?)。 「飲む」「打つ」「見る」といった映画無頼派としての生きざまを、硬派でも軟派でもなく等身大の好もしいバランスで示し続ける秋本さんの男気とその批評は、昔も今も私の指標のひとつである。 (文=増當竜也)
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銀幕を彩る古今東西の女優へ、等身大の愛を語る『パツキン一筋50年 パツキンとカラダを目当てに映画を見続けた男』

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『パツキン一筋50年 パツキンとカラダを目当てに映画を見続けた男』(キネマ旬報社)
 私が初めて秋本鉄次さんの映画批評を読んだのは、1979年の春、「キネマ旬報」誌に掲載された角川春樹プロデュース&村川透監督による東映映画『白昼の死角』評だった。  当時は日本映画界が2本立プログラムピクチュアから1本立大作路線へとめまぐるしく変貌していった時期で、映画マスコミはそれらの作品群を「贅肉のつきまくった大作」と頭ごなしに批判しまくっていたが、このとき秋本さんは「そんな贅肉なんて、バリバリ食ってやる!」といったエネルギッシュな気概で当時の風潮を一蹴し、その上で『白昼の死角』を贅肉の少ない映画として評価されていた。  SNSなどの影響もあってか、もはや1億総評論家時代なんて言葉すら死語になりつつある中、昔も今も映画評論というやつは権威主義的で上から目線の傲慢なものか、シネフィル気取りでやたら小難しいことばかり書き連ねるか、逆にわざとおちゃらけながらオバカを装いながら、ともに己のエリート意識を満たすかのようなものが大半を占めてしまいがちではある。  しかし、秋本さんの映画批評は常に簡潔かつ明快で歯切れがよく、その上Hだ。  要は「この映画に出ているパツキンの女優はエロい!」といった一言で、その映画を見たくなるような文章を書ける人なのである。  この「エロ」という要素、一歩間違うと下世話になるし、あまり高尚に書いても気取りと捉えられて反感を買うし、実はものすごくモノカキにとって表現が難しいものなのだが、そこを秋本さんは軽々と、それこそ天性の才能(?)でクリアーしているのがすごい。  現に秋本さんの文章は、男性のみならず、実は女性ファンが多い。  このたびキネマ旬報社から刊行された著書「パツキン一筋50年 パツキンとカラダを目当てに映画を見続けた男」(何というタイトルじゃ!?)の担当編集者も女性で、そもそも彼女は「キネマ旬報」誌で秋本さんが長年連載している「カラダが目当て」「カラダが目当てリターンズ」(キネ旬で、このようなタイトルのコラムが存在していること自体、奇跡的!?)の編集担当で、およそ10年に及ぶこの長期連載を抜粋して1冊の本にまとめるべく奔走し、めでたく悲願(?)を達成したのであった。  彼女だけでなく、秋本さんには「いざ鎌倉」ではないが、何かあったら協力は惜しまないという想いを誰しも抱かせる、そんな人間的かつ文章的魅力が備わっているのだ。  帯に「ボクは頑迷なパツキン原理主義者」と記載されているように、本書の中身は明快で、それこそキャバクラに通うかのように映画を見ては、その中の女優たちを愛で、讃えることを主旨としている。ロリ的少女趣味は皆無に近く、あくまでもグラマラスなねーちゃんがお好き。  基本はパツキン女優だが、アンジェリーナ・ジョリーのような非パツキンも無問題。世界最愛の女優はキム・ベイシンガーで、ミラ・ジョジョヴォヴィッチを「美裸女菩」と、スカーレット・ジョハンソン(秋本さんはヨハンソンではなく、この呼び方にこだわってらっしゃる)を「スカ・ジョ」と呼ぶ。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15)にスキンヘッドで登場したシャーリーズ・セロンにも「エア金髪のシャリ子」と最大級の賛辞を惜しまない。キッ子ことニコール・キッドマンが全裸で街をさまよう『虹蛇と眠る女』には「やっぱり全裸は勲一等だね」などと、読んでる側が思わずウンウンとうなづいてしまうほどに、うれし恥ずかしといった言葉のオンパレードなのである。  古今東西の西洋の女優陣に比べると、日本をはじめとする東洋系女優の登場はさすがに少なくなるが、それでも風吹ジュンや余貴美子といった熟女勢から小池栄子に真木よう子などなど、「ああ、秋本さんお好きだよね、ああいうタイプ」とニマニマさせる名前が連なるのであった。  一方でパツキンまみれの本かと思いきや、時折ふっとオンナ断ちして『007』シリーズのダニエル・クレイグやリーアム・ニーソンなどの男優に言及する「オトコ旬報」化する回もあり、それはそれで秋本さんの映画観賞の原点が活劇にあることを露呈させてくれている。  同時に、こういった秋本さんの一貫した姿勢からは、男女の俳優の別を問わず「映画はやっぱりスターから」という映画の楽しさの基本を思い起こさせてくれるものがある。つまりスターが銀幕の中で映えてこその映画の楽しさであり、そんな彼ら彼女らを魅力的に引き立ててこそ、監督はじめスタッフの功績として讃えるべきで、そこに難解な物言いなど必要ないし、ゴラクであろうがゲージュツであろうが、どっちでもいいからとにかくねーちゃんをエロく美しく魅せてくれ!  そういった秋本さんの批評に触れるたび、何かと背伸びしようとしては上手くいかずに、反省するのみの己の未熟さを思い知らされる。そんなことよりも必要なのは、やはりどんな贅肉でもバリバリかみ砕くだけのエネルギッシュさと明快さをもって、その映画を褒めようが貶そうが見たくなるような、そんな姿勢なのである。  さすがにアニメーションだけは苦手なご様子だが、だからといってこれみよがしにアニメを批判したり悪口を言ったりするようなことは一切ない潔さがあり、その伝ではジブリや押井、細田あたりのメジャー作品しか見ずに「今どきのアニメは……」などとしたり顔で評する巷の連中より、よほど人としても信頼できる(最近はルパンやエヴァのパチンコを打ったりすることもあるようなので、そのあたりの作品ならば少しは知識もおあり……かな!?)。 「飲む」「打つ」「見る」といった映画無頼派としての生きざまを、硬派でも軟派でもなく等身大の好もしいバランスで示し続ける秋本さんの男気とその批評は、昔も今も私の指標のひとつである。 (文=増當竜也)
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『東京タラレバ娘』で“説教芸”に興じる東村アキコは、愚かなお笑い芸人のようだ

3月22日に最終回を迎える『東京タラレバ娘』(日本テレビ系)。ドラマの内容が話題になる中、漫画は発売当初からそのメッセージ性に対する議論が巻き起こってきました。8巻が4月に発売予定で、ドラマが最終回を迎えようとする中、同漫画について少女マンガ研究家の小田真琴が語ります。

◎女性を罰しつつ、言い訳を繰り返す東村
 筆が重いし、気も重い。東村アキコ先生のことは大好きだった。おしゃれすることの喜びに溢れた『きせかえユカちゃん』(集英社)、ウイング関先生という稀代のオタクキャラを創造した『ひまわりっ ~健一レジェンド~』(講談社)、そして最高傑作と言っても過言ではない『かくかくしかじか』(集英社)。どれもマンガ史上に残る傑作であるし、個人的にも思い出深い作品ばかりだ。ところが『東京タラレバ娘』(講談社/以下、タラレバ)と来たらどうだろう。これは女性を罰し、自己責任を押しつけ、主体性を奪うマンガではないのか。私には今の東村先生が、売れた途端にスーツをまとい、万能感を持って偉そうに世相を斬り始める愚かなお笑い芸人のように見える。

 序盤こそ強く、切れ味鋭いメッセージを次々と繰り出して、いかにも瞬発力の作家である東村先生らしい作品だと感じ入ったのだ。ところが物語が続くうちに疑問ばかりが募りゆく。それは主に卑劣なダブルスタンダードによるものだ。

 たとえばあとがき。東村先生の「おまけマンガ」と言えば、バルセロナ五輪男子マラソン銀メダリスト・森下広一選手への一方的な愛を『海月姫』(講談社)1巻から3巻にわたって描いた「クラゲと私とバルセロナ」をはじめとして名作揃いなのだが、タラレバのそれにおいては醜悪な言い訳が冗長に展開される。いわく、「別に私は『女は結婚しなきゃダメ』とか『女の幸せは男で決まる』とか『結婚できない女はかわいそう』なんて全く思ってません」とのこと。

 一方、本編では平気でこんなことを言ってのける。「30過ぎたら女は『愛する』よりも『愛される』幸せを選ぶんタラ!!」「酔って転んで男に抱えて貰うのは25歳までだろ。30代は自分で立ち上がれ。もう女の子じゃないんだよ? おたくら」「才能なんて関係ないんタラレバーッ。そうレバ、この世は金とコネと……そして女は若さと美しさタラ!!!」「女は結婚すればセコンドにまわって、旦那さんや子供をサポートしながら応援して生きていくレバ」。

 縄文人もびっくりの時代錯誤な言動である。主人公・倫子の妄想の中に現れるキャラクター・タラとレバや、ヒーロー役らしきイケメンモデル・KEYのこれらの言葉に、アラサー女性が打ちのめされるというのが本作の基本的な構図だが(一応は「女性蔑視だよ、それ」なんて反論したりもするが、その声はすぐにかき消される)、どうやら作者は「おまけマンガ」で言い訳をすれば何を言ってもいいものと勘違いしている様子だ。たとえば『キングダム』(集英社)の原泰久先生が、あとがきで「でも人殺しはよくないよ!」などと書くだろうか。あるいは、『あなたのことはそれほど』(祥伝社)のいくえみ綾先生が「不倫絶対ダメ!」などと書くだろうか。それは本編で引き受けるべき問題であり、作品のクオリティに直結する問題である。

 タラレバのメッセージらしきものの大半は明らかに女性差別であり、完全にアウトだ。しかしこうした保守反動的な言葉は、一部の読者には熱狂的に受け容れられた。「刺さる~刺さる~」と彼女らは言う。しかし彼女らは「刺さる~」と言いたいだけではないのか。作者との説教プレイに興じたいだけではないのか。それが証拠にテレビドラマの視聴率は、恋愛パートが比重を増した第7話で視聴率が2%近く下降し、1ケタ台が目前となった。

 そもそもからしてこの作品はキャラクターもストーリーも非常に弱い。さんざん引っ張ったKEYのトラウマ話も驚くほど陳腐で、世界的な映画監督とされる堂越はてっきり『メロぽんだし!』(講談社)のトミーさん的なお笑いキャラだと思ってしまったほどである。男性キャラは総じて書き割りのようで、女性キャラの生臭さとのバランスは至極悪い。

◎陳腐な色恋展開、設定間違いの雑さが目につく
 極めつきは本筋となるべき倫子とKEYの色恋沙汰である。1巻でKEYは倫子の脚本を「あまりにもご都合主義でおめでたくて、なんで30越えたおばさんがこの2人の男に一方的に言い寄られるのか、あまりにもリアリティがなさすぎだなって、そう思っちゃったんですけど」と評しているが、これは昨今のタラレバの展開にこそ当てはまる話だ。あまりにも露骨なので、もしかしたらこれが何らかの伏線になっているのかもしれないが、だからと言って展開の陳腐さが許容されるわけではない。ちなみに「ユリイカ」(青土社)平成29年3月臨時増刊号「総特集☆東村アキコ」の本人インタビューによると、KEYが「私自身の化身というか、もし自分がこういう美青年だったら、タラレバ娘たちにこう言ってただろうな、という想像で描いています」とのことである。となると、本作はなかなかに入り組んだメタ構造を抱えているということにはなる。

 細部の詰めも甘く、単行本1巻ACT1では大卒の設定だった倫子が、「KISS」3月号に掲載された「番外編 ビフォータラレバ娘」では専門卒になっていたり、「ビオのシャルドネ」がどうのこうのと言っていた早坂が、7巻ACT23ではカヴァも知らない男に成り下がっていたりと、雑な仕事ぶりが目につく。

 これらの瑕疵が悪目立ちするのは、ひとえに本作においては東村先生の最大の武器であるギャグ要素が希薄であることが原因である。決して恋愛が描けない作家ではない。『ひまわりっ ~健一レジェンド~』や『主に泣いてます』(講談社)で見せた、恋する者の感動的な愚直さは、あのギャグの奔流の中でこそ描き得たものなのだ。ところが恋愛要素だけで勝負しようとすると途端に風景は寒々しくなる。これは同時連載中の『海月姫』にも言えることであり、ラブストーリーではないものの最近作の『雪花の虎』(小学館)や『美食探偵 明智五郎』(集英社)がぱっとしない一因でもある。

 女性差別的なセリフを乱発した不愉快な前半から、陳腐なラブストーリーを物語る退屈な後半へ。現在までのタラレバを要約するならばそういうことになるだろう。どちらがマシかと言えば作者の語り口が活きていたという点において前半ではあるのだが、それすらもまどろっこしいエクスキューズのせいで相殺されている。東村先生は一体何がしたいのだろうか。

◎「刺さる~」と言いたい人だけが読めばいい
 おそらく周囲が、読者が喜んでくれるからそうしているだけなのだ。結婚や恋愛に関して一貫した強いメッセージがあるわけではない。それは「おまけマンガ」で自ら述べているとおりである。では本編のあの言葉たちは何なのかと言えば、求められるからやっただけの(おそらくは『ひまわりっ ~健一レジェンド~』の副主任をルーツとする)説教芸なのだ。その様子もやはり「おまけマンガ」で言い訳されている。1巻では東京オリンピックが決まった直後に「結婚したい」と言い始めたという周囲の女性が、2巻では本作を読んで不安になったという女性芸人たちとの交遊録が(以前はこんなもの描く人じゃなかったのに……)、4巻や7巻では結婚したいと言う女性に道端で突然声を掛けられるエピソードが描かれている。いずれも「求められて仕方なくやった」という体だ。

 余談だが、ある女友達がこんなことを言っていた。「年下の女が年上の女とコミュニケートするときって『結婚したいんです~』とか言っておくのがいちばんラクなんだよ」と。確かにそれは社会的地位も結婚歴もある年上の女性に対して、下手に出つつ、先輩を立てつつ、円滑なコミュニケーションを成立させるためのよい方法であるように思える。特に酒席においては。

 タラレバを読んで腹が立った、傷ついた、ショックを受けたという人は、どうか今すぐ読むのをやめてほしい。これはあなたたちのための物語ではない。「刺さる~」と言いたい人だけが読めば良い。これは単なる酒の席での与太話だ。それは作者が批判する「女子会」にも劣る、人を不快にさせるだけの不毛な交流である。世界にはもっとすてきなマンガがたくさんある。

 タラレバをたまたま読んで我が意を得たりとニヤついている中高年男性は、勘違いをしないでいただきたい。アラサー/アラフォー女性の現実であり総意であるかのように描かれているが、実際はそうではない。あなた方が周囲の女性とうまくコミュニケートできないのだとしたら、それは女性の側の問題ではなく、あなたの雑な現状認識に起因するものだ。

 マンガはマジョリティのエンタテインメントでありコミュニケーションツールであると同時に、はぐれ者たちにとっての自由の王国でもある。かつて『ひまわりっ ~健一レジェンド~』ではぐれ者たちの底抜けに楽しい日々を描いたのは、ほかならぬ東村先生ではなかったか。他者の生を罰し、毀損し、自由に対して制限をかけようとするマンガを、私は心底軽蔑する。今後タラレバが自己肯定と自由のマンガとなるわずかばかりの可能性を願いつつ、筆を置く。

小田真琴
(おだ・まこと)
女子マンガ研究家。1977年生まれ。男。片思いしていた女子と共通の話題が欲しかったから……という不純な理由で少女マンガを読み始めるものの、いつの間にやらどっぷりはまって、ついには仕事にしてしまった。自宅の1室に本棚14竿を押しこみ、ほぼマンガ専用の書庫にしている。「SPUR」(集英社)にて「マンガの中の私たち」、「婦人画報」(ハースト婦人画報社)にて「小田真琴の現代コミック考」連載中。