加藤綾子アナ『しゃべくり』日テレ初出演で“他局解禁”も、フジのイメージが強すぎて使えない!?

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 昨年4月末にフジテレビを退社し、フリーに転身したカトパンこと加藤綾子アナが、来月3日に放送される『しゃべくり007 2時間SP』(日本テレビ系)に出演。本格的に他局解禁となった。  カトパンといえば、CM出演などで話題を呼んだ一方で、フジ退社後も『ホンマでっか!?TV』『優しい人なら解ける クイズやさしいね』『スポーツLIFE HERO'S』にレギュラー出演し、テレビでの活動は古巣にとどめてきた。 「女子アナのフリー転身については“1年間は他局には出ない”との暗黙のルールがある。しかも、カトパンの場合は、フジの亀山千広社長と直接この約束を交わしていたため、ようやくこれからが本当の意味での“フリー”となるわけです。しかし、あらゆる番組が大爆死中のフジだけに、カトパンの番組への貢献度でいえば、局アナ時代に比べると、いささか物足りない。とりわけ『HERO'S』は視聴率2%台の日もあり、本人も『辞めたい』と漏らしていました。他局でレギュラーが決まれば、番組を降板するのではないでしょうか」(制作会社スタッフ)  しかし、フジから解放されたカトパンを他局が三顧の礼で迎え入れるかどうかは、怪しい雲行きだ。他局のプロデューサーがその理由を明かす。 「今回の『しゃべくり』出演に注目が集まっています。その数字いかんでは、秋からのレギュラー番組起用が検討されるようです。しかし、カトパンはあまりにもフジのイメージが強すぎるため、彼女が出演しているのを見た視聴者がフジの番組だと勘違いしてしまう可能性が高い。良質な番組を作ったとしても『フジがいい番組を作っている』と誤解されては、瀕死のフジを逆に生き返らせてしまうことになりかねない。日テレ以外の局も、みな同じことを考えており、二の足を踏んでいるようです」  カトパンが縦横無尽に活動するには、今度は「1年間フジの番組には出ない」という申し合わせが必要になる!?

新生活スタート前に読んでおきたい! ジャニーズアイドルの名言集『ジャニーズゴールド・メッセージ』

ジャニーズの人気アイドルたちは、どのように人生に立ち向い、どんな思いを胸に抱いてきたのだろう?
光り輝く存在のアイドルとして、真正面から現実と向き合い、苦難を乗り越えてきた嵐、Kis-My-Ft2、Hey!Say!JUMP、NEWS、Sexy Zoneのメンバーによる「金言」=Gold Message集!
道に迷い、つまずいたりした時に、そっとあなたの背中を優しく押してくれる愛と勇気のメッセージを、メンバーの元気いっぱいのフォトと共にお届けします!

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あっけなく掠め取られた、安田美沙子にとって唯一の商売道具

――毒舌コラムニスト・今井舞が、話題のアノ人物やアノニュースをズバッとヒトコトで斬り捨てる!

 

#instagood #ゴロゴロ #おりこうにしてます #ソファ #夕寝 お家にいるときは、ソファが居場所💕

安田美沙子さん(@yasuda_misako)がシェアした投稿 –

◎意外な結末
 ずっとはんなりで飯を食ってきた安田美沙子。マラソンやってはんなり。競馬やってはんなり。愛犬の名前は「はんな」、命名した競馬馬の名前も「ハンナリト」。

 結婚しても妊娠しても不倫されても、はんなりはんなり。このマインドを使いこなせる人間は私以外にいないという自負の元、灰になるまで席を独占のつもりが、とんだルーキー現る。

 吉岡里帆。お茶のCMで見せるカワイイはんなりの世界観。これまで安田美沙子が、嗤われながらも1人でコツコツ築き上げ、死守してきた椅子が、たった15秒で奪われるとは。吉岡本人が、そこまではんなりに拘泥してないというのがまた皮肉である。美沙子はん、おきばりやす……。

◎着火失敗
 渡辺謙、不倫。えー……。確かにビッグネームのスキャンダルなのだが。「ひどい、そんなふうに見えなかったのに! ダマされたわッ!」的な即点火にはつながらず。だってイメージ遠いんだもん。

 お相手は元ナンバーワンホステス。田中みな実似。この要素だけで、ほかの俳優だったらかなりの火薬量だが。「数々の闘病」「南果歩との夫婦の絆」「アメリカで役者として大成功」と、心地いいエピソードで固められ続けてきた結果、脳がなかなかついて行けず、発破なし。

 今から書き換えめんどくせー。その上、きっとしばらく帰国しないし。夫婦どっちも。向こうで仕事に邁進し、その間も南果歩はデキた嫁として振る舞い続け、間に闘病もして、忘れた頃にご来日と。ハリウッド・スターは咀嚼する相手にあらず。ただ崇めるのみ。あんな帽子被ってNY歩かれたらもうさぁ。その方がラクだもの。そうして、ケン・ワタナベは続いてゆく。

◎自主規制
 早くも今年の流行語大賞ノミネートが確実視されている「忖度」。言われる前に相手の気持ちを汲み、推し量って行動する。下々の者が上の人間に対し行うことが多い。何を隠そう私もその空気の経験者だ。

 テレビ改編期毎に、ドラマ批評の仕事をさせてもらってるのだが。とある雲の上の方々の原作ドラマは、取り上げないことになっている。理由は特にない。特に雲の上から直接何かお達しがあったわけではない。そうではなく、何かお達しがあるような事態になったりしたら大変じゃい、という、下々の推し計らいの結果なのである。雲上は、そんなお達しが出されていることさえ知らないだろう。本人も知らないレベルで行われる、それが忖度。気を使われていることに気づかないほど、気を使われることが日常化。そんな人間の周りで、今日も忖度は行われている。一度でいいから、されてみてぇ。

mishuran
今井舞
(いまい・まい)
週刊誌などを中心に活躍するライター。皮肉たっぷりの芸能人・テレビ批評が人気を集めている。著書に『女性タレント・ミシュラン』(情報センター出版局)、近著に『気になる「あそこ」見聞録』(新潮社)がある。

高校新教科書の【竹島は日本の領土】に韓国人が大激怒!「日本にもバカにされているのか?」

高校新教科書の【竹島は日本の領土】に韓国人が大激怒!「日本にもバカにされているのか?」の画像1
外務省公式サイトより
 竹島問題をめぐり、また韓国人が怒り狂っている。事の発端は3月24日、日本の文部科学省教科用図書検定調査審議会が、来年から高校で使われる社会科の教科書の検定結果を確定したことだ。  文科省の検定を通過した教科書は日本史、世界史、現代史、地理、政治経済など24種類。世界史の5種類を除く19種類の教科書に「竹島は日本の領土」という内容が記述されており、その割合は全体の79.2%に上る。  文科省は4年周期で2回に分け、社会科教科書の検定を発表しており、2011~12年の検定時には全60種類のうち37種類(61.7%)に「竹島は日本の領土」と記述されていたが、今回の検定により、その割合はおよそ15%増えた。  これについて韓国メディアは、日本政府が14年1月に「中・高校学習指導要領」の解説書と「高校教科書検定基準」を改訂し、竹島は日本の領土であることを明記したが、近現代史に関しては政府の統一見解を記述するよう要求したことによる影響が大きいとみている。安倍総理の就任以降、小中学校の地理・歴史教科書で、この記述のある教科書が大幅に増えたことを強調するメディアも多い。    検定結果を受け、韓国政府は、在韓日本大使館総括公使を呼び出し、抗議の意思を伝えた。外交部スポークスマンの声明では「独島(竹島の韓国呼称)に対する不当な主張を含め、歪曲された認識を与える高等学校教科書を、またしても検定通過させた日本政府に対して強く抗議するとともに、即刻、是正を求める」としている。    韓国ネット民も「ここまでくると怖い。子どもたちの精神を改造する国なんだな」「もはや日本は、韓国と親しくする意思を失ったのだろう」「日本には第2次世界大戦時に記録を消す専門機関があったというけれど、これもか?」といった日本批判を繰り広げている    一方で、韓国政府の対応に問題がある、という指摘も散見される。ネット上では「外交部は何をしているんだ。中国にやられっぱなしだから、日本もわれわれをバカにしているんじゃないのか?」「“遺憾”という言葉しか言えない韓国政府にイライラする。国土も盗まれ、慰安婦問題も100億ウォン(約10億円)を受け取って合意して」「仁川空港に大型掲示板を作って、日本が独島は韓国の領土だと認めた地図と史料を年中掲示しろ」といった書き込みが続いている。    ちなみに最近、韓国では、韓国の中学・高校で使われる教科書に関しても政府への怒りの声が高まっている。歴史教科書が国定化されるということで、ここ数年、議論が続いていたのだが、今年1月にその最終版が発表されると、「1948年に大韓民国“政府”樹立」から「1948年に大韓民国樹立」に表現が変わったことや(記事参照)、前大統領・朴槿恵容疑者の父である朴正煕に関する記述が「経済開発を強調しただけで、クーデターに関する過ちは巧妙に隠されている」(韓国専門家)ことなどが非難の的となった。なお、国定教科書最終版では、竹島について「韓国領土である」と明記されている。    歴史問題となると、敏感に反応する韓国人。過去には「竹島問題」が引き金となり、過激なデモにつながったこともあったが、現在の韓国国内の盛り上がりを見るに、日本に対する怒りは当分収まりそうにない。 (文=S-KOREA) ●参考記事 ・韓国の歴史教科書が「大韓民国樹立」を“1948年”に確定し、大混乱!! 一体何が問題なのか? (http://s-korea.jp/archives/10246?zo) ・韓国の新しい“歴史教科書”が公開…「韓国樹立」「朝鮮戦争」「独島」「東海」どこが修正された? (http://s-korea.jp/archives/11492?zo

高校新教科書の【竹島は日本の領土】に韓国人が大激怒!「日本にもバカにされているのか?」

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外務省公式サイトより
 竹島問題をめぐり、また韓国人が怒り狂っている。事の発端は3月24日、日本の文部科学省教科用図書検定調査審議会が、来年から高校で使われる社会科の教科書の検定結果を確定したことだ。  文科省の検定を通過した教科書は日本史、世界史、現代史、地理、政治経済など24種類。世界史の5種類を除く19種類の教科書に「竹島は日本の領土」という内容が記述されており、その割合は全体の79.2%に上る。  文科省は4年周期で2回に分け、社会科教科書の検定を発表しており、2011~12年の検定時には全60種類のうち37種類(61.7%)に「竹島は日本の領土」と記述されていたが、今回の検定により、その割合はおよそ15%増えた。  これについて韓国メディアは、日本政府が14年1月に「中・高校学習指導要領」の解説書と「高校教科書検定基準」を改訂し、竹島は日本の領土であることを明記したが、近現代史に関しては政府の統一見解を記述するよう要求したことによる影響が大きいとみている。安倍総理の就任以降、小中学校の地理・歴史教科書で、この記述のある教科書が大幅に増えたことを強調するメディアも多い。    検定結果を受け、韓国政府は、在韓日本大使館総括公使を呼び出し、抗議の意思を伝えた。外交部スポークスマンの声明では「独島(竹島の韓国呼称)に対する不当な主張を含め、歪曲された認識を与える高等学校教科書を、またしても検定通過させた日本政府に対して強く抗議するとともに、即刻、是正を求める」としている。    韓国ネット民も「ここまでくると怖い。子どもたちの精神を改造する国なんだな」「もはや日本は、韓国と親しくする意思を失ったのだろう」「日本には第2次世界大戦時に記録を消す専門機関があったというけれど、これもか?」といった日本批判を繰り広げている    一方で、韓国政府の対応に問題がある、という指摘も散見される。ネット上では「外交部は何をしているんだ。中国にやられっぱなしだから、日本もわれわれをバカにしているんじゃないのか?」「“遺憾”という言葉しか言えない韓国政府にイライラする。国土も盗まれ、慰安婦問題も100億ウォン(約10億円)を受け取って合意して」「仁川空港に大型掲示板を作って、日本が独島は韓国の領土だと認めた地図と史料を年中掲示しろ」といった書き込みが続いている。    ちなみに最近、韓国では、韓国の中学・高校で使われる教科書に関しても政府への怒りの声が高まっている。歴史教科書が国定化されるということで、ここ数年、議論が続いていたのだが、今年1月にその最終版が発表されると、「1948年に大韓民国“政府”樹立」から「1948年に大韓民国樹立」に表現が変わったことや(記事参照)、前大統領・朴槿恵容疑者の父である朴正煕に関する記述が「経済開発を強調しただけで、クーデターに関する過ちは巧妙に隠されている」(韓国専門家)ことなどが非難の的となった。なお、国定教科書最終版では、竹島について「韓国領土である」と明記されている。    歴史問題となると、敏感に反応する韓国人。過去には「竹島問題」が引き金となり、過激なデモにつながったこともあったが、現在の韓国国内の盛り上がりを見るに、日本に対する怒りは当分収まりそうにない。 (文=S-KOREA) ●参考記事 ・韓国の歴史教科書が「大韓民国樹立」を“1948年”に確定し、大混乱!! 一体何が問題なのか? (http://s-korea.jp/archives/10246?zo) ・韓国の新しい“歴史教科書”が公開…「韓国樹立」「朝鮮戦争」「独島」「東海」どこが修正された? (http://s-korea.jp/archives/11492?zo

嵐・二宮和也、Sexy Zone中島健人が出演!『世界一受けたい授業SP』放送 4月1日(土)ジャニーズアイドル出演情報

――翌日にジャニーズアイドルが出演予定の番組情報をお届けします。見逃さないように、録画予約をお忘れなく!

※一部を除き、首都圏の放送情報を元に構成しています。
※番組編成、及び放送日時は変更になることがあります。最新情報は番組公式サイト等をご確認ください。
※有料放送の視聴方法等については公式サイトをご確認ください。

●TOKIO

6:00~ 8:00 『週刊ニュースリーダー』(テレビ朝日ほか) 城島茂

【ゲスト】
23:55~25:15 『博多華丸のもらい酒みなと旅2』(テレビ東京系) 松岡昌宏

●V6

21:00~21:54 『出没!アド街ック天国』(テレビ東京系) 井ノ原快彦

●嵐

【ゲスト】
19:00~21:54 『世界一受けたい授業SP』(日本テレビ系) 二宮和也

※『嵐にしやがれ』(日本テレビ系)、『天才!志村どうぶつ園 』(日本テレビ系、相葉雅紀)は放送休止。

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嵐・二宮和也、Sexy Zone中島健人が出演!『世界一受けたい授業SP』放送 4月1日(土)ジャニーズアイドル出演情報

――翌日にジャニーズアイドルが出演予定の番組情報をお届けします。見逃さないように、録画予約をお忘れなく!

※一部を除き、首都圏の放送情報を元に構成しています。
※番組編成、及び放送日時は変更になることがあります。最新情報は番組公式サイト等をご確認ください。
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●TOKIO

6:00~ 8:00 『週刊ニュースリーダー』(テレビ朝日ほか) 城島茂

【ゲスト】
23:55~25:15 『博多華丸のもらい酒みなと旅2』(テレビ東京系) 松岡昌宏

●V6

21:00~21:54 『出没!アド街ック天国』(テレビ東京系) 井ノ原快彦

●嵐

【ゲスト】
19:00~21:54 『世界一受けたい授業SP』(日本テレビ系) 二宮和也

※『嵐にしやがれ』(日本テレビ系)、『天才!志村どうぶつ園 』(日本テレビ系、相葉雅紀)は放送休止。

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アカデミー賞受賞作品『ムーンライト』は「LGBT映画」か? 人種、セクシュアリティ、男らしさ、貧困…複雑な背景をめぐる一人の人間の成長譚

アメリカ・マイアミ州のリバティシティを舞台にした『ムーンライト』は、一人の少年の成長を追った三部構成の物語で、一見すると退屈と感じる人たちもいるかもしれない。しかし、主人公を構成する、セクシュアリティ(性的志向)、ジェンダー(社会上の性的表象やアイデンティティ)だけでなく、貧困、生育環境、人種といった要素に注意しながら観賞すると、さまざまな差別の内側に入り込み、この物語のロマンティックな核を味わうことができる。

本作は地味だけれど、ひるがえって、わざとらしい悲劇や喜劇に仕立て上げていない証左であり、つまり、わかりやすいキャラクタードラマ化を回避していると言える。一面的ではないということであり、作中の登場人物はいずれも実際、マイアミのどこかで生きているだろうと感じさせられる。監督・脚本のバリー・ジェンキンスも、原案『In Moonlight Black Boys Look Blue?』(月夜の下で黒人少年は青く見えるか?)を書いたタレル・アルバン・マクレイニーも、仰々しい話を盛り込んだりせず、登場人物らの人生に勝手に関与してねじ曲げたりしないよう注意深く、そっと彼らに寄り添う。

そういう意味でも『ムーンライト』について「LGBTを扱った映画」と紹介するのは正しくない。なぜなら本作ではゲイまたはバイセクシュアルかもしれない男性しか登場しないからだ。

「LGBT」はそれぞれ、Lは女性を恋愛対象とする女性を指すレズビアン、Gは男性を恋愛対象とする男性を指すゲイ、Bは男性と女性の両方が性愛の対象になる人(あるいは性愛対象に性別を問わない場合も含む)を指すバイセクシュアル、そして生物学・解剖学的性別(セックス)に付与された社会的性別(ジェンダー)に違和感を覚えて移行する(トランス)人々を指すトランスジェンダー、の頭文字だ。

この語を性的マイノリティの総称として使っているだろうと想像されるケースがメディアでも後を絶たない。本作について、NHKでも「映画『ムーンライト』を見てLGBTに理解を」という報道があったけれど、理解という言葉に一面的な傲慢さを感じる。そもそもLGBTという略語にはキャッチーさがある一方で、インターセックスなどそのほかの性の在り方は含まれておらず、包括的ではなく、万能な言葉ではないという前提が忘れられてはならない。

また、「ゲイ映画」と矮小化してまとめる見方にも、疑問がある。

確かに『ムーンライト』では、男性である主人公とその幼いころからの友人ケヴィンのあいだで、親密な感情の交流や接触が描かれている。とりわけ十代のパートでは、二人は互いにそのコミュニケーションに慎重で、戸惑い、しかし掛け替えのない瞬間を味わっているように見える。

これを「ゲイを描いた」と一言で済ませることもできるかもしれないけれど、先述のとおり、それでは本作の真髄にふれているとは言えないとわたしは考える。なぜなら彼らは一度も、自分について「ゲイ(またはバイ)だ」と自称はしておらず、自己定義する未分の状態にあるからだ。だからこそ、セクシュアリティの文脈で本作について話すには、より一層注意が必要だと思う。

「同性愛=ホモセクシュアリティ」という概念が作られたことで、人間が同性愛者と異性愛(ヘテロセクシュアリティ)者を分けて見られるようになり、これが差別や排他を生んだ。ヘテロの人に考えてみてほしいのだけど、ヘテロと自覚していない人の恋愛映画を、わざわざ「ヘテロを扱ったラブストーリー」などと言わない。つまり「ヘテロセクシュアルは当たり前」だと考えられているということだ。当人が「ゲイだ」と名乗っていない以上、いくら「同性間の親密性や性的接触」がうかがえても他人が名付けをするのは危険で、あくまで同性愛的経験としてとらえるのが適切だとわたしは考える。

他人が他人の性に勝手に名前を付ける暴力性は、『ムーンライト』の持つ、素朴な感情や欲求という抽象性の美しさには、ほど遠いと感じる。「ゲイの美しいラブストーリー」と言ってしまえば、一聴とてもロマンティックに思われるけれど、そこには「差別に屈しないマイノリティ像の消費」という卑下の意識が潜んでいると言えるだろう。しかし、同時に、「i-D」の記事で指摘されているように、黒人とクィアという、ひとりの人間の多層性を描くうえでの革新性は注目され、丁寧に検証されるべき点だと思う。

ちなみにクィアとは、近刊の森山至貴『LGBTを読みとく』(ちくま新書)から引用すると、

〈「非規範的な性(を生きる人)全般」「性に関する社会通念を逆手にとる生き方(をする人)」「性に関する流動的なアイデンティティ(を生きる人)のどれかまたは複数を指す〉

このような在り方と言え、本作の核とも結びつく。クィアという視座は、「同性愛者」というような形でセクシュアリティのみで一人の人間の人格を規定するのではなく、多層的なものととらえ、さまざまな問題と接続する可能性を含んでいるからだ。

先述した、「同性間の親密な関係や接触」に対する戸惑いにフォーカスしてみると、主人公とケヴィンの心情にはもしかしたら、同性愛が「普通ではない」「例外だ」とされている現状の社会において「同性間の親密な関係性は避けられるべきもの」として考えられ、だから、自身の内から湧く「同性である他人に対する情愛や欲望」に立ちすくんだ、と解釈することもできそうだ。

なぜなら、彼らが住むような危険な地域では「男は男らしくあるべき」という規範が漂っているだろうし、また自身も生き延びるために「男らしくあろう」と努めるだろう。また、異性愛が一般とされる社会における「男らしい」には「女に欲望する」ことが当たり前のこととして含まれていると考えられるため、同性愛的感情や欲求は自発的に抑えられようとするものとして見るのが、自然に思う。実際、主人公が成人した三部では身体は屈強に鍛え上げられており、洒落た車を乗り回し、金のグリル(歯の装具)をつけ、典型的な「男らしさ」をまとった姿になっている。

この姿は、父親のいない主人公にとって身近なロールモデルだったであろう、ドラッグディーラーのフアンと重なる。母親はドラッグ中毒で、学校でもからかわれたり除け者にされ、ケヴィン以外に友人がいない様子の主人公と、フアンとその恋人・テレサとの交流には、圧倒的な包容力で肯定される様子がうかがえる。だから主人公は心を許したのだろうし(つまり『ムーンライト』は「居場所」のドラマでもある)、フアンのように成長するのだろう。ここでも「自分は何者であるか?」という自己定義というテーマが顔を出す。「自分」というものは、周囲との関係や環境、ロールモデルの参照などによって左右されるところが大きい。

このフアンの存在も決して一面的に善いものとして描かれているわけではない。フアンは、主人公の母親の堕落の原因になっているドラッグの元締めであるのだから。この多層性が物語に奥行きを与えるけれど、そこに説明はほとんどない。

こうした有色人種をめぐる負のルーティン、貧困と薬物中毒、就労困難、階級再生産といったアメリカの病巣については、同じく第89回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー部門にノミネートされていたエヴァ・デュヴァーネイ監督の『13th -憲法修正第13条-』(Netflixで配信中)が把握しやすいのでおすすめしたい。この作品では、奴隷制の廃止のタテマエとなっている憲法修正13条が存在しながらも、未だに有色人種とりわけ黒人が社会構造上、(実質上)二級市民として隷属されやすいのはなぜか、その歴史的経緯を知り、現状を考える材料となり、『ムーンライト』の物語の背景がより深まってとらえられると思う。もちろん、ドラッグ売買や所持は『ムーンライト』の社会でも日本でも犯罪だが、それを一様に「悪いこと」と言い切れなくなる。

また、フアンはキューバ出身のアフロ・キューバンで、黒人の中でも肌の色が濃い。こうした人間が社会に溶け込むためには努力が必要と言われている。わたしたちは一口に「黒人」と言えてしまうのだけど、その内実も多様で、アフリカンアメリカンだけではないという示唆も含まれている。

ここまで、主人公の名前を記述してこなかった。公式サイトと字幕では「シャロン」とされているが、ツイッターで、ブラックカルチャーに明るい翻訳家の押野素子氏らが指摘するように、これでは女性に付される名前(例:シャロン・ストーン)になってしまう。聞き取りが難しいかもしれないが、確かに「シャイロン(Chiron)」と発音されている。なぜなら、名前をいじる文化というのは存在し、ほんの少しちがうだけで、主人公のアイデンティティの形成に影響が出てしまうからだ。特に『ムーンライト』では「シャイロン」は「オカマ(faggot)」といじられており、名前が「シャロン」という女性的なものだったら、いじめに利用されただろうと考えられる。この点からわたしも疑問を抱き、配給会社には申し訳ないが、「シャロン」が正しいとは言えないのでこの記事でも使用を避けた。

本作では色調のトーン管理が徹底されており、目を引く。マイアミの熱のなか黒人たちの肌は照り、湿度を帯びて見える一方で、タイトルにもなった肌を青く見せる月下のシーンでは、詩情を誘う。その鮮やかさは、人生の一回性を味わう青春の輝きにも見えるし、だからこその侘しさにも見える。

要所で流れる音楽もすばらしく、過剰にドラマの偏りを演出するのではなく、不安定な感情の襞を、適切な奇妙さで彩っていた。これらはいずれも、劇場の大きな画面と優れた音響で味わうべきものだと思う。

本作の後半でも、同性間の接触が描かれているけれど、その様子は少年時代に戻ったようにも見えながら、大人になったからこその探り合いがひりひりと貼りついてもいる。こうした多層性は、観る側ひとりひとりがどういう価値観を持って解釈するか問われるし、懐が深いとも言える。「ゲイのラブストーリー」というような矮小化された仰々しさはなく、実にさりげなくて、様々な観客を包み込んでくれるよう。

『ムーンライト』は、一人の黒人を追ったシンプルなストーリーに複雑さが内包された、とても美しい傑作だ。
(鈴木みのり)

『ムーンライト』
3月31日(金)、TOHOシネマズシャンテ他にて全国公開
監督/脚本:バリー・ジェンキンス 原案:タレル・アルバン・マクレイニー
出演:トレヴァンテ・ローズ、ジャハール・ジェローム、アシュトン・サンダース、ナオミ・ハリス、マハーシャラ・アリ、ジャネール・モネイ
配給/宣伝:ファントム・フィルム
2016年/アメリカ/英語/111分/カラー/シネスコ/原題:MOONLIGHT

アカデミー賞受賞作品『ムーンライト』は「LGBT映画」か? 人種、セクシュアリティ、男らしさ、貧困…複雑な背景をめぐる一人の人間の成長譚

アメリカ・マイアミ州のリバティシティを舞台にした『ムーンライト』は、一人の少年の成長を追った三部構成の物語で、一見すると退屈と感じる人たちもいるかもしれない。しかし、主人公を構成する、セクシュアリティ(性的志向)、ジェンダー(社会上の性的表象やアイデンティティ)だけでなく、貧困、生育環境、人種といった要素に注意しながら観賞すると、さまざまな差別の内側に入り込み、この物語のロマンティックな核を味わうことができる。

本作は地味だけれど、ひるがえって、わざとらしい悲劇や喜劇に仕立て上げていない証左であり、つまり、わかりやすいキャラクタードラマ化を回避していると言える。一面的ではないということであり、作中の登場人物はいずれも実際、マイアミのどこかで生きているだろうと感じさせられる。監督・脚本のバリー・ジェンキンスも、原案『In Moonlight Black Boys Look Blue?』(月夜の下で黒人少年は青く見えるか?)を書いたタレル・アルバン・マクレイニーも、仰々しい話を盛り込んだりせず、登場人物らの人生に勝手に関与してねじ曲げたりしないよう注意深く、そっと彼らに寄り添う。

そういう意味でも『ムーンライト』について「LGBTを扱った映画」と紹介するのは正しくない。なぜなら本作ではゲイまたはバイセクシュアルかもしれない男性しか登場しないからだ。

「LGBT」はそれぞれ、Lは女性を恋愛対象とする女性を指すレズビアン、Gは男性を恋愛対象とする男性を指すゲイ、Bは男性と女性の両方が性愛の対象になる人(あるいは性愛対象に性別を問わない場合も含む)を指すバイセクシュアル、そして生物学・解剖学的性別(セックス)に付与された社会的性別(ジェンダー)に違和感を覚えて移行する(トランス)人々を指すトランスジェンダー、の頭文字だ。

この語を性的マイノリティの総称として使っているだろうと想像されるケースがメディアでも後を絶たない。本作について、NHKでも「映画『ムーンライト』を見てLGBTに理解を」という報道があったけれど、理解という言葉に一面的な傲慢さを感じる。そもそもLGBTという略語にはキャッチーさがある一方で、インターセックスなどそのほかの性の在り方は含まれておらず、包括的ではなく、万能な言葉ではないという前提が忘れられてはならない。

また、「ゲイ映画」と矮小化してまとめる見方にも、疑問がある。

確かに『ムーンライト』では、男性である主人公とその幼いころからの友人ケヴィンのあいだで、親密な感情の交流や接触が描かれている。とりわけ十代のパートでは、二人は互いにそのコミュニケーションに慎重で、戸惑い、しかし掛け替えのない瞬間を味わっているように見える。

これを「ゲイを描いた」と一言で済ませることもできるかもしれないけれど、先述のとおり、それでは本作の真髄にふれているとは言えないとわたしは考える。なぜなら彼らは一度も、自分について「ゲイ(またはバイ)だ」と自称はしておらず、自己定義する未分の状態にあるからだ。だからこそ、セクシュアリティの文脈で本作について話すには、より一層注意が必要だと思う。

「同性愛=ホモセクシュアリティ」という概念が作られたことで、人間が同性愛者と異性愛(ヘテロセクシュアリティ)者を分けて見られるようになり、これが差別や排他を生んだ。ヘテロの人に考えてみてほしいのだけど、ヘテロと自覚していない人の恋愛映画を、わざわざ「ヘテロを扱ったラブストーリー」などと言わない。つまり「ヘテロセクシュアルは当たり前」だと考えられているということだ。当人が「ゲイだ」と名乗っていない以上、いくら「同性間の親密性や性的接触」がうかがえても他人が名付けをするのは危険で、あくまで同性愛的経験としてとらえるのが適切だとわたしは考える。

他人が他人の性に勝手に名前を付ける暴力性は、『ムーンライト』の持つ、素朴な感情や欲求という抽象性の美しさには、ほど遠いと感じる。「ゲイの美しいラブストーリー」と言ってしまえば、一聴とてもロマンティックに思われるけれど、そこには「差別に屈しないマイノリティ像の消費」という卑下の意識が潜んでいると言えるだろう。しかし、同時に、「i-D」の記事で指摘されているように、黒人とクィアという、ひとりの人間の多層性を描くうえでの革新性は注目され、丁寧に検証されるべき点だと思う。

ちなみにクィアとは、近刊の森山至貴『LGBTを読みとく』(ちくま新書)から引用すると、

〈「非規範的な性(を生きる人)全般」「性に関する社会通念を逆手にとる生き方(をする人)」「性に関する流動的なアイデンティティ(を生きる人)のどれかまたは複数を指す〉

このような在り方と言え、本作の核とも結びつく。クィアという視座は、「同性愛者」というような形でセクシュアリティのみで一人の人間の人格を規定するのではなく、多層的なものととらえ、さまざまな問題と接続する可能性を含んでいるからだ。

先述した、「同性間の親密な関係や接触」に対する戸惑いにフォーカスしてみると、主人公とケヴィンの心情にはもしかしたら、同性愛が「普通ではない」「例外だ」とされている現状の社会において「同性間の親密な関係性は避けられるべきもの」として考えられ、だから、自身の内から湧く「同性である他人に対する情愛や欲望」に立ちすくんだ、と解釈することもできそうだ。

なぜなら、彼らが住むような危険な地域では「男は男らしくあるべき」という規範が漂っているだろうし、また自身も生き延びるために「男らしくあろう」と努めるだろう。また、異性愛が一般とされる社会における「男らしい」には「女に欲望する」ことが当たり前のこととして含まれていると考えられるため、同性愛的感情や欲求は自発的に抑えられようとするものとして見るのが、自然に思う。実際、主人公が成人した三部では身体は屈強に鍛え上げられており、洒落た車を乗り回し、金のグリル(歯の装具)をつけ、典型的な「男らしさ」をまとった姿になっている。

この姿は、父親のいない主人公にとって身近なロールモデルだったであろう、ドラッグディーラーのフアンと重なる。母親はドラッグ中毒で、学校でもからかわれたり除け者にされ、ケヴィン以外に友人がいない様子の主人公と、フアンとその恋人・テレサとの交流には、圧倒的な包容力で肯定される様子がうかがえる。だから主人公は心を許したのだろうし(つまり『ムーンライト』は「居場所」のドラマでもある)、フアンのように成長するのだろう。ここでも「自分は何者であるか?」という自己定義というテーマが顔を出す。「自分」というものは、周囲との関係や環境、ロールモデルの参照などによって左右されるところが大きい。

このフアンの存在も決して一面的に善いものとして描かれているわけではない。フアンは、主人公の母親の堕落の原因になっているドラッグの元締めであるのだから。この多層性が物語に奥行きを与えるけれど、そこに説明はほとんどない。

こうした有色人種をめぐる負のルーティン、貧困と薬物中毒、就労困難、階級再生産といったアメリカの病巣については、同じく第89回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー部門にノミネートされていたエヴァ・デュヴァーネイ監督の『13th -憲法修正第13条-』(Netflixで配信中)が把握しやすいのでおすすめしたい。この作品では、奴隷制の廃止のタテマエとなっている憲法修正13条が存在しながらも、未だに有色人種とりわけ黒人が社会構造上、(実質上)二級市民として隷属されやすいのはなぜか、その歴史的経緯を知り、現状を考える材料となり、『ムーンライト』の物語の背景がより深まってとらえられると思う。もちろん、ドラッグ売買や所持は『ムーンライト』の社会でも日本でも犯罪だが、それを一様に「悪いこと」と言い切れなくなる。

また、フアンはキューバ出身のアフロ・キューバンで、黒人の中でも肌の色が濃い。こうした人間が社会に溶け込むためには努力が必要と言われている。わたしたちは一口に「黒人」と言えてしまうのだけど、その内実も多様で、アフリカンアメリカンだけではないという示唆も含まれている。

ここまで、主人公の名前を記述してこなかった。公式サイトと字幕では「シャロン」とされているが、ツイッターで、ブラックカルチャーに明るい翻訳家の押野素子氏らが指摘するように、これでは女性に付される名前(例:シャロン・ストーン)になってしまう。聞き取りが難しいかもしれないが、確かに「シャイロン(Chiron)」と発音されている。なぜなら、名前をいじる文化というのは存在し、ほんの少しちがうだけで、主人公のアイデンティティの形成に影響が出てしまうからだ。特に『ムーンライト』では「シャイロン」は「オカマ(faggot)」といじられており、名前が「シャロン」という女性的なものだったら、いじめに利用されただろうと考えられる。この点からわたしも疑問を抱き、配給会社には申し訳ないが、「シャロン」が正しいとは言えないのでこの記事でも使用を避けた。

本作では色調のトーン管理が徹底されており、目を引く。マイアミの熱のなか黒人たちの肌は照り、湿度を帯びて見える一方で、タイトルにもなった肌を青く見せる月下のシーンでは、詩情を誘う。その鮮やかさは、人生の一回性を味わう青春の輝きにも見えるし、だからこその侘しさにも見える。

要所で流れる音楽もすばらしく、過剰にドラマの偏りを演出するのではなく、不安定な感情の襞を、適切な奇妙さで彩っていた。これらはいずれも、劇場の大きな画面と優れた音響で味わうべきものだと思う。

本作の後半でも、同性間の接触が描かれているけれど、その様子は少年時代に戻ったようにも見えながら、大人になったからこその探り合いがひりひりと貼りついてもいる。こうした多層性は、観る側ひとりひとりがどういう価値観を持って解釈するか問われるし、懐が深いとも言える。「ゲイのラブストーリー」というような矮小化された仰々しさはなく、実にさりげなくて、様々な観客を包み込んでくれるよう。

『ムーンライト』は、一人の黒人を追ったシンプルなストーリーに複雑さが内包された、とても美しい傑作だ。
(鈴木みのり)

『ムーンライト』
3月31日(金)、TOHOシネマズシャンテ他にて全国公開
監督/脚本:バリー・ジェンキンス 原案:タレル・アルバン・マクレイニー
出演:トレヴァンテ・ローズ、ジャハール・ジェローム、アシュトン・サンダース、ナオミ・ハリス、マハーシャラ・アリ、ジャネール・モネイ
配給/宣伝:ファントム・フィルム
2016年/アメリカ/英語/111分/カラー/シネスコ/原題:MOONLIGHT

W杯予選がつまらなくなる! アジア枠拡大のメリットとデメリットは?

W杯予選がつまらなくなる! アジア枠拡大のメリットとデメリットは?の画像1
イメージ画像(Thinkstockより)
 30日、FIFA(国際サッカー連盟)は、2026年W杯から現行の出場国数32から48への拡大にあたって、アジア枠を現在の4.5から8へと引き上げる案を発表した。5月に行われるFIFA理事会で承認されれば正式決定となる。他の地域は、欧州は13→16、南米4.5→6、アフリカ5→9、北中米・カリブ海3.5→6、オセアニア0.5→1へと変更になる見通しだ。  日本にとってW杯出場への追い風になるような今回の出場枠の増加だが、意外にもファンは複雑な心境のようだ。 「出場国拡大でW杯全体のレベルが下がることが問題視されていますが、強豪国ではない日本にとって、そこはあまり問題ではありません。問題は予選での緊張感です。ロスタイムで出場を逃した“ドーハの悲劇”の1994年大会は、アジア枠はわずか2でした。初めて出場した98年大会の時が3.5。2002年日韓共催は、ホーム出場枠合わせて4.5。それ以降ずっと4.5です。今でも余裕があるのに、8になると一試合の緊張感が一気になくなってしまうんですよ。いくらテレビ局が煽っても、注目度は薄れてしまうでしょうね。ファンからも『見る必要なし!』『ある意味予選が一番面白かったのに』『下手したら海外組招集しないこともあるんじゃない?』という声が上がっています」(スポーツライター)  予選の注目度が下がれば、本大会の注目度も下がる。サッカー人気が完全には根付いていない日本にとって、これは致命傷になりかねない。出場枠拡大のデメリットは思ったより大きいのかもしれない。では、逆にメリットはあるのだろうか? 「予選通過が楽になったおかげで、チーム作りの方向性が変わる可能性があります。アジアにおいて日本は強豪国なので、どの国を相手にしても強者の戦い方をしてきました。ボールを保持して主導権を握るサッカーです。しかし、W杯本選になると相手は格上ばかり、予選を勝ち抜いた戦術が通じなくなり敗退していました。これが、枠を拡大したことによって、本戦用のサッカーを試すことができるようになります。対戦相手のレベルが本戦より低いことに変わりはありませんが、今までのぶっつけ本番に比べたら大きなメリットになると思いますよ。他にも新しい選手を試したり、相手国のラフプレーが減る可能性もありますね」(同ライター)  格下相手に取りこぼすことが許されず、手堅い采配ばかりで今まで日本代表は窮屈そうに戦っていた。出場枠拡大の余裕でさまざまな形に挑戦すれば、また違った日本代表を見ることができるのかもしれない。 (文=沢野奈津夫)