2017年には、正式にドナルド・トランプ大統領が生まれることになる。1つの転機を迎えたアメリカで、近年ベストセラーになった2冊を紹介したい。
■『ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』(ジョン・クラカワー著・菅野楽章翻訳、亜紀書房)

『ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』は、10~12年に連続して明るみに出た、米名門大学の強豪アメフトチームに所属する男子学生たちが起こした複数のレイプ事件の深層を探ったノンフィクション。戦地取材の経験もあるジャーナリストが、長期にわたり関係者に綿密に取材し、全米でベストセラーとなっている。本作は、専門家への取材や、最新の統計研究にも触れることで、一般に持たれがちな「レイプ犯罪」に対する偏った認識を修正してくれる一冊でもある。
近年米国では、大学生、特に入学したばかりの女子学生が高い確率でレイプ被害に遭っていることが「キャンパスレイプ」と呼ばれ、大きな社会問題になっている。これは日本で似たケースも見られるが、本書で取り上げられた事件は、少し事情が異なる。加害者とされた男子学生たちは、この地域のスターであり、シンボルのような存在でもあるモンタナ大学のアメフトチーム「グリズリーズ」のメンバーだった。
同時期、同じ大学で起こったアジア系男性によるレイプ事件は、圧倒的に被害女性へ同情が寄せられた一方で、「グリズリーズ」メンバーの起こした事件は、地域やメディアを巻き込み、加害者が「守られている」ように見える。主な理由は、「彼らが、レイプするほど女性に不自由するはずがない」「女性はレイプされたとよく嘘をつく」「アルコールや薬物の入った若い男女の諍いである」といったものだ。
本書には、女性がレイプをでっち上げた事件も含め、複数の事件が取り上げられている。その中で最も詳しく描かれた事件の加害者は、「グリズリーズ」の中でもスター的存在で、男女問わず人気があり、友人や家族から紳士的なスポーツマンだと思われていた。しかし一方で、過去にもレイプ未遂を起こし(男女含むグループが、彼の犯行を必死で止め、未遂となった)、自分の罪を認め、被害者に謝罪した後でも、周囲にはそのこと自体を隠し、「前から性交渉があり、合意の上だった」と平然と事実無根の中傷を続けるような一面もあったのだ。
レイプ犯罪というと、“異性との関係をうまく築けない男性が、見知らぬ女性を襲う”というケースが、1つの典型のように思える。しかし、レイプの85%が顔見知りによる犯行で、加害者がモテそうなタイプであることも珍しくなく、そして、その被害のほとんどが届けられていないと推定されているデータを見れば、むしろ、本書に取り上げられたようなケースの方が典型的であるといえる。少数の“隠れレイピスト”が、訴えられないことを隠れみのに犯罪を繰り返すため、多数の被害者を生み出しているのが実情だ。
米国女性の19.3%、男性の1.7%がレイプ被害を受けた経験があるという、米疾病予防センターの報告書を引きつつ、この犯罪における「女性の虚偽報告の高さ」を検証する研究も取り上げる。著者は、被害報告が虚偽である可能性が、特別に高いわけではないことを、データに基づいて淡々と示していく。本書での結論は、「レイプ被害者が話を信じてもらえないことで受けるダメージは、少なくとも、無実の男性がレイプで不当に訴えられて受けるダメージと同じ」「そして疑いなく、前者の方が後者よりもはるかに頻繁に起こっている」と書かれている。
私がもし男性だったら、雰囲気で一夜を共にした女性に、後から唐突にレイプ被害を訴えられるのは怖いし、先に挙げたようなデータは、そんな悪意ある女性に都合が良いように思えるかもしれない。しかし、本書を読めば、女性がレイプ被害を訴えるメリットは、そう大きくはないことがわかる。PTSD(心的外傷後ストレス障害)にさいなまれ、周囲の中傷に耐えながら、次の被害者を生まないよう自身を奮い立たせている女性が多く存在する。そして、レイプ犯罪は、男性にとっても人ごととは言えない。本書では、“隠れレイピスト”は児童への虐待率が高いことも示されている。自分の子どもや恋人が、そして自分自身が被害に遭わないとはまったく言い切れないのだ。
米国でも、また日本でも、表に出ているレイプ犯罪は氷山の一角で、その裾野には膨大な同様の犯罪、そしてグレーケースが眠っていることは想像に難くない。裁判に関わった市民陪審員は、著者の取材に“女性が死ぬまで抵抗すれば、レイプ事件は認められる”という趣旨の感想を漏らす。被害者が普通に生き延び、加害者には当たり前に罪を負わせられる世界になるまでの道のりの長さ、荷の重さを思うと暗澹たる気持ちになるが、一人ひとりがレイプ犯罪に対する正確な知識を持つことが、その道の荷物を少しずつ分け合うことにつながるのだと信じたい。
■『ありがちな女じゃない』(レナ・ダナム著・山崎まどか訳、河出書房新社)

その重い荷物を人一倍抱えながら、パワフルに歩いている女性の1人が、エッセイ『ありがちな女じゃない』の著者、レナ・ダナムだ。
『ありがちな女じゃない』は、27歳で米誌「TIME」の“世界で最も影響力のある100人”に選ばれたレナ・ダナムによる初めてのエッセイ。13年、ドラマ『Girls/ガールズ』で脚本・監督・主演を務め、ゴールデン・グローブ賞(テレビの部)でミュージカル・コメディー部門の作品賞・主演女優賞を受賞した彼女は、日本での知名度はまだ高いとはいえないが、米国では若い世代を代表するクリエイターの1人として注目を集めている。
そんな華やかな経歴を持つレナのエッセイは、9歳の時「高校卒業までは処女でいる」と誓いを立てたものの、19歳になるまで、その誓いが脅かされるような機会自体がなかったという、地味な話から始まる。大学を卒業しても定職に就かず、何の展望もないまま「成功したい」と野心だけを持て余していた時期の焦燥、太りすぎてマタニティウェアしか着られるものがなかったこと、ダイエットと摂食障害、映画監督としてハリウッドデビューして出会った業界のおじさんたち(レナいわく“若いエキス吸い取りじじい”)に認められたくて消耗したことなど、順風満帆にキャリアを積んでいるように見える彼女の、格好いいとはいえないエピソードが、適度なユーモアと品のなさで痛快に語られている。
本書が、単なる才能あふれる成功した女性のありがちなエッセイに終わらないのは、自分の失敗や黒歴史、みっともない動揺を、自虐でもなく、「自分の一部」としてカラッと振り返っているところだ。親しい女友達に明かすような語り口で、イケてない初体験を語るレナにつられて、読者も彼女と会話するように、普段は忘れている恥ずかしい行動、恥ずかしい経験を記憶の底から取り出し、ほとんどの記憶は笑い飛ばすことができるだろう。
基本的にはユーモアたっぷりに、軽快につづられる本書だが、笑い飛ばせない過去については、真剣に振り返る。学生時代、彼女が顔見知りから受けたキャンパス・レイプと、その後遺症について語った「バリー」の章も、その1つだ。
被害を受けたとき酩酊状態だったレナは、『ミズーラ』でレポートされた被害者と同じように、「自身の経験はレイプと呼ぶほどではない」「たいしたことではない」と自分に言い聞かせ、笑い話として扱おうとしていた。しかし、大人になった彼女は、友人や恋人との会話をきっかけに、その経験でどんなに傷ついていたかを初めて自覚することになる。おそらく米国でも、本章で書かれたことが、レイプかどうかについては意見が分かれるところだろう。それでも、「第三者からどう思われても、自分はその経験で傷ついている」という事実を受け入れることの大切さに気付かされる。
レナが「この本はそんな私が戦う最前線からお届けする、希望に満ちた緊急メッセージなの」と書くように、『ありがちな女じゃない』は、少女時代から現在に至るまで、人一倍たくさんのものと戦ってきた現代女性の戦記だ。全戦全勝ではない、立ち直れないと思えるほどの経験もオープンにした彼女の言葉の端々から感じられるのは、自慢や自虐ではない。多かれ少なかれ、同じような壁にぶつかる同世代の女性たちに向けた、「何回負けても、そして負けたことを認めても、自分が駄目になるわけではない」というメッセージだ。そのエールは、海を越えて私たちにも届く。日本で生きる女性たちが歩む道も明るくし、勇気づけてくれるだろう。
(保田夏子)





















