山崎賢人と「深夜焼肉」報道の土屋太鳳、ブログの「無駄に意味深」発言に厳しい声

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『土屋太鳳 2016年 カレンダー 壁掛け B3』(トライエックス)
 女優の土屋太鳳と俳優の山崎賢人が“密会焼肉デート”をしている様子が「週刊文春」(文藝春秋)でスクープされた。昨年の朝ドラ『まれ』(NHK)で“夫婦役”で共演し、昨年末に公開された映画『orange』でも再び共演した2人のロマンスということで、注目されている格好である。  ただ、『まれ』の評判が近年の朝ドラの中でも格段に低かったためか、ネット上には「騒ぐニュースじゃない」「どっちも実力以上に持ち上げられすぎ」など厳しいコメントが目立つ。 「まあ2人とも21歳ですし、何度も共演してお互いにいい関係を築いたという話は以前よりありましたから、特に驚きはないでしょう。予定調和という印象が大きいからこその反応じゃないでしょうか」(芸能記者)  ただ、単に焼肉を食べに行っただけという可能性も否定はできない。土屋も以前、自身のブログで「私は今まで、仕事に届くために恋愛はしないと決めてきました。でもこれから先、それだと成長できない気がしたので人を好きになる気持ちも自分の中で大切にしようと思うようになりました。でもそれは、今すぐ誰かととか、いま参加してる撮影で誰かを好きになるということではありません」と語っていただけに、すぐ「前言撤回」にはならないような気もする。まあ温かく見守ろうという声も多かった。  しかし、「週刊文春」のウェブサイト上でこの速報が報じられた23日の深夜、土屋が自身のブログを更新。その内容が世間の反感を買ってしまったようで……。 「土屋はブログで自身の受験シーズンの経験などを語った後『本当はもうひとつお伝えしたいことがあるんですけど、確認などを待っていて、まだそれをここに書くことが今日は出来ません。でも、確認をいただけたら必ず書こうと思ってるので、その時は、読んでいただけたらとてもありがたいです』と発言しました。タイミング的には山崎との関係についてなのではという声が非常に多く、“確認”とは双方の事務所の対応かと思われます。ただ、わざわざそんな意味深な発言をする意味はあるのかとネット上では批判が相次いでいて、『かまってちゃん』という意見も出ています」(記者)  自ら“地雷”を踏みにいってしまった状況の土屋。今後この件に対してのコメントはあるのだろうか。まあこれまでの芸能界のノリからいえば「お友達」ということで納めてしまいそうだが……。

「恋愛を成長につなげる」藤原紀香の“LOVE理論”が小っ恥ずかしく感じるワケ

<p> 耳当たりがよく、頻繁に聞くこともあるけれど、よく考えると意味のわからない言葉がある。例えば、「他人の痛みがわかる」という表現。かつて離婚直後の西川史子が『ノンストップ!』(フジテレビ系)をはじめとした番組で「離婚をして、他人の痛みがわかるようになった」と発言していた。西川はそれまで「失敗する人は、努力が足りないから」と思っていたが、離婚によって、努力してもどうにもならないことがあることを知ったそうだ。一見正論なようだが、西川がわかったのは“他人の痛み”ではなく、“離婚の痛み”であり、それはつきつめていけば“(離婚をして傷ついた)自分の痛み”ではないだろうか。</p>

韓国映画人が集団ボイコット!? 釜山国際映画祭“露出バトル”は今年もお預けか

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釜山国際映画祭の歴史に名を刻んだオ・インヘ
 アジア最大の映画祭として、周辺国のトップスターが集う「釜山国際映画祭」の今年の開催をめぐって、韓国の映画人たちがボイコットを宣言して話題になっている。9つの映画団体からなる「釜山国際映画祭を守る汎映画関係者非常対策委員会」は3月21日、記者会見を開き「釜山市が映画祭の自立性を否定し続けるなら、今年の映画祭への参加を全面拒否する」と宣言した。  事の発端は、2014年の同映画祭で『ダイビング・ベル』を上映したことに始まる。この作品は、セウォル号沈没事故時の政府対応を批判的に描いたもので、釜山市はイ・ヨングァン組織委執行委員長に上映中止を求めていたが、イ委員長は上映に踏み切った。その後、イ委員長は釜山市から辞任を要求される。映画界から「上映への報復」との批判の声が上がる中、イ委員長は今年2月25日に開かれた組織委総会で執行委員長職を離れることになった。  要するに、自律性や表現の自由が確保されるべき映画祭に、“政治的な介入”があることに対して映画界は怒っており、それがボイコット宣言へとつながっているわけだ。  とはいえ、韓国の政治勢力が映画祭に口出ししたのは、今回が初めてではない。  例えば、12年11月の第7回ロンドン韓国映画祭。開幕作として上映が予定されていた『観相』は、ほかの作品に差し替えられている。同映画祭は、文化体育観光部(「部」は日本の「省」に相当)と映画振興委員会などが支援するイベントで、当時の開幕式にはパク・クネ大統領も参列していた。後々明らかになったのだが、『観相』の上映が取り消されたのは、同作の制作会社が収益の50%をソウル市長パク・ウォンスンが設立した「アルムダウン財団」に寄付することを決めていたからだという。パク・ウォンスン市長は民主党で、パク・クネ大統領とは政治的に対立する人物である。  また、13年にスイスで開催された韓国とスイスの国交樹立50周年映画祭の開幕作は、済州島4.3事件を題材にした『チスル』が選定されていたが、韓国大使館が猛反対。結局、韓国大使館や韓国企業は約束した支援を十分に履行せず、激怒したスイスの映画人たちが自主的にお金を集めて映画祭を行う事態になっている。  いずれにせよ、韓国の映画人たちが釜山国際映画祭をボイコットするとなれば、イベント自体が中止になる可能性もある。面白いのは、特別映画に興味のない男性たちからも、同映画祭の中止を危惧する声が上がっていること。というのも、同映画祭は、女優たちの過激な“露出バトル”が繰り広げられるイベントとしても有名だからだ。  例えば、11年には、当時無名女優だったオ・インヘがノーブラで限界ギリギリのドレス姿を披露。これが大きな話題となり、一気に知名度が上昇した彼女は、映画の主演を務めるまでになった。また、その翌年には、ペ・ソウンが背中のパックリ開いたドレスで登場、“第2のオ・インヘ”として注目の的に。いずれも同映画祭での過激な露出をきっかけに、女優としての人気を獲得したわけだ。近年、露出バトルがセーブ気味であるため、「今年こそ」と期待している男性たちも少なくない。  政治的介入に対する批判からエロ目的までを含めて、当分、話題が尽きそうにない釜山国際映画祭。果たしてどんな決着がつくのか、注視していきたい。 (文=S-KOREA<http://s-korea.jp>)

韓国映画人が集団ボイコット!? 釜山国際映画祭“露出バトル”は今年もお預けか

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釜山国際映画祭の歴史に名を刻んだオ・インヘ
 アジア最大の映画祭として、周辺国のトップスターが集う「釜山国際映画祭」の今年の開催をめぐって、韓国の映画人たちがボイコットを宣言して話題になっている。9つの映画団体からなる「釜山国際映画祭を守る汎映画関係者非常対策委員会」は3月21日、記者会見を開き「釜山市が映画祭の自立性を否定し続けるなら、今年の映画祭への参加を全面拒否する」と宣言した。  事の発端は、2014年の同映画祭で『ダイビング・ベル』を上映したことに始まる。この作品は、セウォル号沈没事故時の政府対応を批判的に描いたもので、釜山市はイ・ヨングァン組織委執行委員長に上映中止を求めていたが、イ委員長は上映に踏み切った。その後、イ委員長は釜山市から辞任を要求される。映画界から「上映への報復」との批判の声が上がる中、イ委員長は今年2月25日に開かれた組織委総会で執行委員長職を離れることになった。  要するに、自律性や表現の自由が確保されるべき映画祭に、“政治的な介入”があることに対して映画界は怒っており、それがボイコット宣言へとつながっているわけだ。  とはいえ、韓国の政治勢力が映画祭に口出ししたのは、今回が初めてではない。  例えば、12年11月の第7回ロンドン韓国映画祭。開幕作として上映が予定されていた『観相』は、ほかの作品に差し替えられている。同映画祭は、文化体育観光部(「部」は日本の「省」に相当)と映画振興委員会などが支援するイベントで、当時の開幕式にはパク・クネ大統領も参列していた。後々明らかになったのだが、『観相』の上映が取り消されたのは、同作の制作会社が収益の50%をソウル市長パク・ウォンスンが設立した「アルムダウン財団」に寄付することを決めていたからだという。パク・ウォンスン市長は民主党で、パク・クネ大統領とは政治的に対立する人物である。  また、13年にスイスで開催された韓国とスイスの国交樹立50周年映画祭の開幕作は、済州島4.3事件を題材にした『チスル』が選定されていたが、韓国大使館が猛反対。結局、韓国大使館や韓国企業は約束した支援を十分に履行せず、激怒したスイスの映画人たちが自主的にお金を集めて映画祭を行う事態になっている。  いずれにせよ、韓国の映画人たちが釜山国際映画祭をボイコットするとなれば、イベント自体が中止になる可能性もある。面白いのは、特別映画に興味のない男性たちからも、同映画祭の中止を危惧する声が上がっていること。というのも、同映画祭は、女優たちの過激な“露出バトル”が繰り広げられるイベントとしても有名だからだ。  例えば、11年には、当時無名女優だったオ・インヘがノーブラで限界ギリギリのドレス姿を披露。これが大きな話題となり、一気に知名度が上昇した彼女は、映画の主演を務めるまでになった。また、その翌年には、ペ・ソウンが背中のパックリ開いたドレスで登場、“第2のオ・インヘ”として注目の的に。いずれも同映画祭での過激な露出をきっかけに、女優としての人気を獲得したわけだ。近年、露出バトルがセーブ気味であるため、「今年こそ」と期待している男性たちも少なくない。  政治的介入に対する批判からエロ目的までを含めて、当分、話題が尽きそうにない釜山国際映画祭。果たしてどんな決着がつくのか、注視していきたい。 (文=S-KOREA<http://s-korea.jp>)

自分の価値観無しに恋愛しても幸せになんてなれない。自分はどうありたいか、他者とどう関わるかを説く新しい恋愛・生き方指南

◎そこに“自分”はあるの?

「実は私、離婚したんだよね」久しぶりに会った友人からの突然の報告。

 30にもなると、周りで離婚するカップルがちらほら出てくる。私は離婚自体にネガティブなイメージはあまりない。もちろん、おめでたいことではないけれど、上手くいかなかった関係を清算して次の道へ進もうという積極的な行為であって、そこに踏み切った彼・彼女らを応援したいと思う。なんなら自分だっていつ同じことになるか分からない。

 とはいえ、離婚は結婚の倍の労力が必要だと聞く。そんな大変な思いをした後だ、「あの人と結婚したのが間違いだったのかなぁ」と愚痴を言いたくなるのも当然の心理なんだろう。でもたまに「えっ」と思うケースに遭遇する。結婚生活が上手くいかなかった理由を周りのせいにするのだ。「親がすすめたから」「紹介してくれた人が『いい人だよ』っていったから」「結婚をせっつかれて焦っていた時にちょうど付き合ってたのが彼だったから『まいっか』と思って」……まるで「親が悪い」「焦らせた周りが悪い」とでも言いたげな口ぶりだった。

 いやいや、今は2016年だよ。戦前じゃあるまいし、別れることになったとはいえ、よっぽどの事情がない限り、一度は「この人を伴侶に」と最終的に決めたのは自分だ。そこに自分の価値判断は存在しないのか?

 結婚に限らず、何かを選択・判断するには基準が必要だ。もちろんそれは理路整然とプレゼンテーションできるようなロジカルなものから、「肌に合う」「しっくりくる」といった直感的なものまで様々だろう。ただ、「幸せだ」と思える決断を下すためには、“自分で”その基準を持っておくことが重要だ。そうすれば、良い方向に物事が進めば自信を深められ、たとえ結果として良くない方向に進んでしまっても、それを自分事として受け止めて、決断の際の基準を省みることが出来る。次の判断は、より「幸せ」へとつながりやすいはずだ。

 じゃあ、この判断の基準をどう定めていけばいいんだろう。基準は自分の価値観から派生する。

◎『仕事ができて、小金もある。でも、恋愛だけは土俵にすら上がれてないんだ、私は。』(ワニブックス)

 自分の価値観をどう醸成させていくかについて恋愛を通じて指南しているのが、2月26日に発売された『仕事ができて、小金もある。でも、恋愛だけは土俵にすら上がれてないんだ、私は。』(ワニブックス)だ。著者の桐谷ヨウさんは、恋愛に悩む人へのブログが大ヒットし、コラムニストとして多くの恋愛系Webメディアで連載を持たれている。そんな恋愛指南のプロ桐谷氏のデビュー作は当然、恋愛エッセイだ。ちなみに表紙に書かれている肩書は『天才恋愛コラムニスト』……自分の肩書に「天才」とつけるケースを、私は『スラムダンク』(ジャンプ・コミックス)の桜木花道以外、知らない。

 内容の話に戻ろう。恋愛エッセイである以上、もちろん恋愛の話が大半を占める。男性目線で男の本音を語り、恋愛のイロハを入門編から分かりやすく解説し、応用編へと展開する。結婚を含む長期のパートナーシップについても丁寧に言及している。著者が長年書いてきたノウハウが詰まっていて、恋愛に悩む女性にとっては学ぶところの沢山ある、うってつけの一冊といえるだろう。

 しかし、この本の真髄はそこではない。

◎自己の価値観の確立と、恋愛における女性像の転換

 この本は、恋愛指南本であり、自己啓発本だ。あくまでも恋愛を切り口にしながらも、表面的なモテやくだらないテクニック論には価値を置かず、“自分の価値観をいかにしっかりと見定め、それにあったパートナーとの関係を築くか”に主眼を置いている。そしてかなりのページ数をさいて、その自分の価値観をどう見定めていくかについて指南する。自分と対峙するための様々なアプローチが紹介されているので、一気にではなくても一つずつ実践していければ、今までボンヤリしていた自分の内面をより正確に認識できるかもしれない。

 この発見が活きるのは、恋愛シーンのみに限られないだろう。家族、友人や同僚との人間関係はもちろんのこと、どこに住みたいか、どんな仕事がしたいか、とどのつまり「どう生きたいか」をクリアにすることにつながる。この軸が(変化することはあれど)見つかれば、そこから派生する一つ一つの判断が、より自分の“幸せ”や“心地よさ”に直結しやすくなるんじゃないだろうか。

 先ほど述べた“自分の価値観をいかにしっかりと見定め、それにあったパートナーとの関係を築くか”という命題は、自分との対峙以外にも大きな意味を持つと私は感じる。これまで巷に溢れていた恋愛本は、“どうやっていい男に選ばれる女になるか”に主眼が置かれたものが多かった。しかし、上記の命題は、従来の“選ばれる女”から、“自分の価値観をもとに主体的に相手を選び、パートナーシップを築く女”への転換をはかっている。もちろん相手にも選ばれなければ双方向の人間関係は成立しないけれど、「選ばれる女になるために合わせよ、演じよ」という受動的側面よりも「どう選ぶか」の主体的・能動的側面に力点を置いている点で、これまでの恋愛本とは一線を画する印象だ。

 繰り返しになるが今は2016年だ。着飾って待っていれば王子様が白馬に乗ってやってきて幸せにしてくれるなんてことは99.999%ない。女性も意志と価値観を持って、自分の手と足で幸せを築いていく時代だ。

 いま、ちょうど大学生の就職活動の時期である。もし自己分析も企業研究もせず、肩書やイメージや周りのすすめでなんとなくエントリーシートを出し、面接はマニュアル本完全コピーで乗り切って、内定が出たからそこに就職する――そんなスタンスの就活をしたら、実りある社会人生活を送れる可能性は低い。よっぽど運よく相性の良い企業に入るか、「ここで頑張る」と覚悟を決めていない限り、「転職したい……」となるだろう。恋愛だって同じこと。「なんか違う」と思う恋愛を繰り返しているのなら、果たして自分は能動的・主体的に相手を選んできたか、それは自分と相手をよく知ったうえでの選択だったかを振り返ってみるべきだ。

◎他者と関わる大前提とは?

 さて、ここまでは自分の価値観を見定めること、そして主体的に相手を選ぶ重要性について述べてきた。さきほどちらっと触れたとおり、恋愛は双方向の感情があってこそ成り立つ行為。相手と向き合うこと抜きには語れない。ここで、「どう他者と関わっていくか」が問題になる。この点に関して本書のスタンスは終始一貫している。恋愛関係に限らず、すべての人間関係において、『しょせんは他人だから分かりっこない』(p26)と認め、ただしそれを前提に『”それでも分かりあおうとする努力”をお互い続けること』(p26-27)が幸せな人間関係を達成する鍵である、と。

 実際、自分の思うように相手を変えようとするのは勝手なわがままであり、甘えだ。最近の社会のキーワードであるダイバーシティ(多様性)も、まずは、自分は自分、他人は他人としっかり認識して、たとえ他人について理解や共感ができなくても尊重することが第一歩だ。

 本書では“自分を知る”段階と同様、他者と関わることについても様々な視点からヒントを提示している。読んで得た発見を、ぜひそれぞれのやり方で取り入れてみてほしい。

◎さまざまなスタンスの女性が、“自分”“他者との関わり”を考えるきっかけに

 恋愛指南書としても自己啓発本としても示唆にとんだ本書。自分自身との対峙や他者との関わりについて興味・関心の強い人は、自分の考えと照らし合わせながら存分に楽しめるだろう。逆に、これまであまりそういうことについて考えてこなかった、考えているのにうまくいかなかったという人にとっては、もしかすると書いてあることがピンと来ないかもしれない。だからこそこの本はチャンスだ。ピンとこない内容もあるかもしれないけれど、ピンとこないのは、裏を返せば吸収するものが沢山あるということ。もし今以上に、他者との心地よい関係や、自分の価値観に合う恋愛を望むなら、出来ることから一つずつチャレンジしてみるのはどうだろう。

 また、読者によっては賛同できない箇所も出てくると思う。私も、「うーん、ここはどうだろう」と首をかしげたところがあった。人の考え方なんてバラバラなので、それは当然のこと。でもその違和感も、自分の考えの輪郭をクリアにする一助になる。本書に限らず何か違和感を覚えることに遭遇したとき、「私はなぜこれに賛同できないんだろう」と自問自答することは有益な作業だ。

 私は、恋愛至上主義者ではない。結婚もそう。どちらも「したい人が、したいときに、したい相手とすればいい」と思っている。そんな調子なので、恋愛や結婚への強迫観念や焦燥感をあおるような本は好きじゃない。でもこの本は興味深く読めた。「恋愛本」の枠にはおさまらない新しいジャンルの自己啓発本として、未婚・既婚を問わず女性が長く愛読できる1冊だと思う。

 最後に。余談だが、この本の各章の終りには、偉人たちの名言が引用されている。初めて読んだとき私は『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)を思い出した。かつて明石家さんまさんが司会をされた人気番組だ。後日聞いた話によると、桐谷さんご自身も『恋から』を意識されたらしい。やはり。いつか、『桐谷ヨウの恋のから騒ぎ』を観てみたい。弁舌さわやかな桐谷さんのことだ、きっと個性の強い女性たちのトークに、ビシビシ愛あふれるツッコミをいれてくれるだろう(もう10歳若かったら出たかったなぁ)。
(吉原由梨)

成海璃子は初濡れ場でどこまでさらけ出したか? 痛みを伴う大人への通過儀礼を描いた『無伴奏』

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成海璃子主演作『無伴奏』。アジ演説、クラシック喫茶、回覧ノートといった1960年代ならではのユースカルチャーがオシャレに描かれていく。
 成海璃子演じるヒロイン・響子は教室でいきなり学生服を脱ぎ始め、下着姿になる。制服廃止闘争委員会の委員長をつとめる響子は、同級生たちに向かってアジ演説を行なう。「我々女子高生はオシャレする権利と自由を取り戻すべきである!」「異議なし!」。映画『無伴奏』は1960年代終わりの、まだ学生運動が熱かった時代の仙台を舞台にした“痛い”青春ドラマだ。実際に女子高で制服廃止闘争委員会をやっていた直木賞作家・小池真理子の自伝的要素の強い同名小説を原作に、成海璃子が大人への階段を上がっていく響子役を等身大で演じている。初めて官能シーンに挑んだことでも話題の作品だ。  響子(成海璃子)はメンソール系のタバコをしばしば吸う。そうやって気分を落ち着かせていないと、体の中を駆け巡る血の気を抑えることができない。学生運動に参加している響子だが、本当は沖縄の基地問題にもベトナム戦争にもさほど興味はない。でも、何か他の人と違うことをせずにはいられないのだ。親や学校の言うことに従って、おとなしく受験勉強なんて出来やしない。近くの大学で開かれている決起集会に加わり、機動隊を相手に一触即発になる緊張感を味わっている。周囲から子ども扱いされるのが嫌で嫌で堪らないが、その反面では芯から学生運動にのめり込めない空虚さも感じていた。そんなとき、響子はクラシック喫茶「無伴奏」で育ちのよさげな大学生の渉(池松壮亮)と出会い、渉の親友・祐之介(斎藤工)やその恋人・エマ(遠藤新菜)と一緒に遊ぶようになる。響子は今まで知らなかった大人の扉を開けることに夢中になる。  矢崎仁司監督が描く『無伴奏』は、山下敦弘監督の『マイ・バック・ページ』(11)やトラン・アン・ユン監督の『ノルウェイの森』(10)とほぼ同時代の物語である。映画化された『マイ・バック・ページ』や『ノルウェイの森』は学生運動華やかなりし1960年代に対して一定の距離を置いて描かれていたのに対し、原作者・小池真理子の4歳年下になる矢崎監督はその時代にほんの少しの差で乗りそびれた世代ゆえに、憧れの念を込めて1960年代後半の世相を再現している。あの時代ならではの若者たちの熱気と苛立ちを、ノスタルジックなファッションとして成海璃子は身にまとう。あの時代の意識高い系女子が成海璃子にはよく似合う。『戦国自衛隊』(79)の千葉真一が戦乱の世にタイムスリップして目がギンギンに輝くように、成海璃子も60年代の喧噪の中に送り込まれ、とても自然にその時代に溶け込んでいく。
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どこかミステリアスな雰囲気のある大学生の渉(池松壮亮)に、女子高に通う響子は魅了される。茶室で2人はいいムードに。
 響子が渉と出会ったことで大人の階段を上がっていくように、成海璃子にとっても本作は大人の女優への通過儀礼的な作品となっている。響子は渉と初キス、そして初体験を済ませることになるが、その舞台となるのは竹林に囲まれた隠れ家のような一軒の茶室だ。渉と祐之介はその茶室で共同生活を送っており、エマもここに入り浸っている。遊びに呼ばれた響子は、茶室の小さな入口「にじり口」をくぐって茶室の中へと入る。茶室の入口である「にじり口」は異界へのエントランスだとされている。女子高育ちで性に関しては頭でっかち状態だった響子だが、そんな彼女の前で祐之介はエマを相手に激しいペッティングに耽る。胸をはだけたエマは股間を祐之介に愛撫され、目をとろんとさせ、甘い声を漏らす。狭い茶室いっぱいにエロ~い空気が立ち込める。その様子を見ていた渉と響子も唇を合わせることになる。60年代のビンテージもののエロスが生々しくスクリーンに再現される。  童顔の池松壮亮だが、濡れ場に関しては若手男優屈指のスペシャリストだ。『愛の渦』(14)では門脇麦、『海を感じる時』(14)では市川由衣、『紙の月』(14)では宮沢りえを相手に大胆なベッドシーンを演じた。子役からキャリアを重ねてきた成海璃子だが、官能シーンは今回が初めて。2歳年上の池松は頼もしい共演者だった。くだんの茶室で、今度は渉と響子が裸になって体と体を重ね合う。全裸になった2人の前にはコタツがあり、大事な部分だけカメラの死角になっている。コタツに見守られながら、響子は処女を喪失することに。だが、響子と渉が結ばれるのを見届けていたのは、コタツだけではなかった。薄暗い茶室の中を、小さな「にじり口」から祐之介がじっと見つめていた。祐之介の熱い眼差しに気づき、慌てふためく響子。ここから物語は、ノスタルジックな青春ドラマから妖しい恋愛ミステリーへと転調していく。
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響子、渉、祐之介、エマは海へと向かう。このときの響子は、まだ自分を含めた4人の複雑すぎる人間関係に気づいていなかった。
 4度にわたる官能シーンに加え、未知なる禁断の世界に遭遇することで内面の葛藤を生じる響子役はかなりの難役であり、演技キャリアのある成海璃子だからこそ演じ切れた役だろう。響子とは性格もファッションセンスもまったく異なるエマ役を演じた遠藤新菜は、オーディションで抜擢され、ワークショップを経ての参加となった新進女優。成海璃子、池松壮亮、斎藤工ら若手実力派のアンサンブルの輪の中に、遠藤新菜は体当たりで入っていく。エマ役に成り切るために髪をショートカットにし、小ぶりな美乳もあけっぴろげに披露する。人前で屈託なくヌードをさらすエマ、初体験中もバストトップだけはしっかり腕でガードする響子。濡れ場でのリアクションも対称的だったエマと響子は、その後も真逆な運命が待ち構えている。響子、渉、祐之介、エマたち4人の青春物語は苦味のある結末へと収斂していく。  響子が奇妙な大人の世界を知る直前、とても青春映画らしい清々しいシーンが用意してある。響子たち4人は車に乗って海へと出掛ける。水着に着替えた4人は、荒々しい海のしぶきに嬌声を上げながら海水浴を楽しむ。美しい青春のひとコマだ。浜辺で渉と2人っきりになった響子は、昼間は見えないはずの月の話を始める。「ねぇ、気づいていた? 初めてキスをした夜の月は、まだアメリカの足跡はなかったのよ」。まだアポロ宇宙船は月面に到着しておらず、月は汚れを知らなかった。イノセントな輝きを月が地球に届けていた最後の短い夏。もう二度と戻ってくることのない大切な時間が、スクリーンの中を流れ去っていく。 (文=長野辰次)
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『無伴奏』 原作/小池真理子 監督/矢沢仁司 出演/成海璃子、池松壮亮、斎藤工、遠藤新菜、松本若菜、酒井波湖、仁村紗和、斉藤とも子、藤田朋子、光石研  配給/アークエンタテインメント R15+ 3月26日(土)より新宿シネマカリテほか全国ロードショー (c)2015「無伴奏」製作委員会 http://mubanso.com

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成海璃子は初濡れ場でどこまでさらけ出したか? 痛みを伴う大人への通過儀礼を描いた『無伴奏』

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成海璃子主演作『無伴奏』。アジ演説、クラシック喫茶、回覧ノートといった1960年代ならではのユースカルチャーがオシャレに描かれていく。
 成海璃子演じるヒロイン・響子は教室でいきなり学生服を脱ぎ始め、下着姿になる。制服廃止闘争委員会の委員長をつとめる響子は、同級生たちに向かってアジ演説を行なう。「我々女子高生はオシャレする権利と自由を取り戻すべきである!」「異議なし!」。映画『無伴奏』は1960年代終わりの、まだ学生運動が熱かった時代の仙台を舞台にした“痛い”青春ドラマだ。実際に女子高で制服廃止闘争委員会をやっていた直木賞作家・小池真理子の自伝的要素の強い同名小説を原作に、成海璃子が大人への階段を上がっていく響子役を等身大で演じている。初めて官能シーンに挑んだことでも話題の作品だ。  響子(成海璃子)はメンソール系のタバコをしばしば吸う。そうやって気分を落ち着かせていないと、体の中を駆け巡る血の気を抑えることができない。学生運動に参加している響子だが、本当は沖縄の基地問題にもベトナム戦争にもさほど興味はない。でも、何か他の人と違うことをせずにはいられないのだ。親や学校の言うことに従って、おとなしく受験勉強なんて出来やしない。近くの大学で開かれている決起集会に加わり、機動隊を相手に一触即発になる緊張感を味わっている。周囲から子ども扱いされるのが嫌で嫌で堪らないが、その反面では芯から学生運動にのめり込めない空虚さも感じていた。そんなとき、響子はクラシック喫茶「無伴奏」で育ちのよさげな大学生の渉(池松壮亮)と出会い、渉の親友・祐之介(斎藤工)やその恋人・エマ(遠藤新菜)と一緒に遊ぶようになる。響子は今まで知らなかった大人の扉を開けることに夢中になる。  矢崎仁司監督が描く『無伴奏』は、山下敦弘監督の『マイ・バック・ページ』(11)やトラン・アン・ユン監督の『ノルウェイの森』(10)とほぼ同時代の物語である。映画化された『マイ・バック・ページ』や『ノルウェイの森』は学生運動華やかなりし1960年代に対して一定の距離を置いて描かれていたのに対し、原作者・小池真理子の4歳年下になる矢崎監督はその時代にほんの少しの差で乗りそびれた世代ゆえに、憧れの念を込めて1960年代後半の世相を再現している。あの時代ならではの若者たちの熱気と苛立ちを、ノスタルジックなファッションとして成海璃子は身にまとう。あの時代の意識高い系女子が成海璃子にはよく似合う。『戦国自衛隊』(79)の千葉真一が戦乱の世にタイムスリップして目がギンギンに輝くように、成海璃子も60年代の喧噪の中に送り込まれ、とても自然にその時代に溶け込んでいく。
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どこかミステリアスな雰囲気のある大学生の渉(池松壮亮)に、女子高に通う響子は魅了される。茶室で2人はいいムードに。
 響子が渉と出会ったことで大人の階段を上がっていくように、成海璃子にとっても本作は大人の女優への通過儀礼的な作品となっている。響子は渉と初キス、そして初体験を済ませることになるが、その舞台となるのは竹林に囲まれた隠れ家のような一軒の茶室だ。渉と祐之介はその茶室で共同生活を送っており、エマもここに入り浸っている。遊びに呼ばれた響子は、茶室の小さな入口「にじり口」をくぐって茶室の中へと入る。茶室の入口である「にじり口」は異界へのエントランスだとされている。女子高育ちで性に関しては頭でっかち状態だった響子だが、そんな彼女の前で祐之介はエマを相手に激しいペッティングに耽る。胸をはだけたエマは股間を祐之介に愛撫され、目をとろんとさせ、甘い声を漏らす。狭い茶室いっぱいにエロ~い空気が立ち込める。その様子を見ていた渉と響子も唇を合わせることになる。60年代のビンテージもののエロスが生々しくスクリーンに再現される。  童顔の池松壮亮だが、濡れ場に関しては若手男優屈指のスペシャリストだ。『愛の渦』(14)では門脇麦、『海を感じる時』(14)では市川由衣、『紙の月』(14)では宮沢りえを相手に大胆なベッドシーンを演じた。子役からキャリアを重ねてきた成海璃子だが、官能シーンは今回が初めて。2歳年上の池松は頼もしい共演者だった。くだんの茶室で、今度は渉と響子が裸になって体と体を重ね合う。全裸になった2人の前にはコタツがあり、大事な部分だけカメラの死角になっている。コタツに見守られながら、響子は処女を喪失することに。だが、響子と渉が結ばれるのを見届けていたのは、コタツだけではなかった。薄暗い茶室の中を、小さな「にじり口」から祐之介がじっと見つめていた。祐之介の熱い眼差しに気づき、慌てふためく響子。ここから物語は、ノスタルジックな青春ドラマから妖しい恋愛ミステリーへと転調していく。
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響子、渉、祐之介、エマは海へと向かう。このときの響子は、まだ自分を含めた4人の複雑すぎる人間関係に気づいていなかった。
 4度にわたる官能シーンに加え、未知なる禁断の世界に遭遇することで内面の葛藤を生じる響子役はかなりの難役であり、演技キャリアのある成海璃子だからこそ演じ切れた役だろう。響子とは性格もファッションセンスもまったく異なるエマ役を演じた遠藤新菜は、オーディションで抜擢され、ワークショップを経ての参加となった新進女優。成海璃子、池松壮亮、斎藤工ら若手実力派のアンサンブルの輪の中に、遠藤新菜は体当たりで入っていく。エマ役に成り切るために髪をショートカットにし、小ぶりな美乳もあけっぴろげに披露する。人前で屈託なくヌードをさらすエマ、初体験中もバストトップだけはしっかり腕でガードする響子。濡れ場でのリアクションも対称的だったエマと響子は、その後も真逆な運命が待ち構えている。響子、渉、祐之介、エマたち4人の青春物語は苦味のある結末へと収斂していく。  響子が奇妙な大人の世界を知る直前、とても青春映画らしい清々しいシーンが用意してある。響子たち4人は車に乗って海へと出掛ける。水着に着替えた4人は、荒々しい海のしぶきに嬌声を上げながら海水浴を楽しむ。美しい青春のひとコマだ。浜辺で渉と2人っきりになった響子は、昼間は見えないはずの月の話を始める。「ねぇ、気づいていた? 初めてキスをした夜の月は、まだアメリカの足跡はなかったのよ」。まだアポロ宇宙船は月面に到着しておらず、月は汚れを知らなかった。イノセントな輝きを月が地球に届けていた最後の短い夏。もう二度と戻ってくることのない大切な時間が、スクリーンの中を流れ去っていく。 (文=長野辰次)
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『無伴奏』 原作/小池真理子 監督/矢沢仁司 出演/成海璃子、池松壮亮、斎藤工、遠藤新菜、松本若菜、酒井波湖、仁村紗和、斉藤とも子、藤田朋子、光石研  配給/アークエンタテインメント R15+ 3月26日(土)より新宿シネマカリテほか全国ロードショー (c)2015「無伴奏」製作委員会 http://mubanso.com

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ついに“糸”が切れた!?  『報道ステーション』古舘伊知郎の「シマウマ逃走事件」コメントが意味不明

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 これはヤケクソなのか天然なのか、判断が難しい。 『報道ステーション』(テレビ朝日系)でMCを務める古舘伊知郎は、今月で同番組を降板することがすでに決定している。最近ではコメンテーターを務めていたショーン・マクアードル川上氏の「経歴詐称」が発覚するなど、いまだ周囲は騒がしい様子だが……。  そんな中での23日の放送で、視聴者からすれば「大丈夫かこれ?」という場面があった。  番組後半で取り上げられたのが「乗馬クラブ脱走のシマウマがゴルフ場で死亡」のニュース。23日、メディアの多くで取り上げられたこのニュースが『報ステ』でも報じられたわけだが、逃げるシマウマと捕まえて保護しようとする人々の映像を流すのに、そこそこの時間を割いていた。  シマウマをなかなか捕獲できない様子、とにかく素早く逃げてしまうシマウマ、最後は麻酔銃で撃たれ、衰弱して池に落ち、死んでしまう様子までも流していた。はっきりいって気分のいい映像ではなく、多くの人がシリアスにこの映像を見ていたのではないか。  しかし、スタジオはそうではなかった。映像を見ながら古舘は「見てて思うんですが、なんであんな白黒分かれているんでしょうかね」と極めてのんきなコメント。さらに、シマウマがゴルフ場のグリーンで佇んでいると「いやーグリーンとシマウマの色のコントラストが」と続けるなど、まるで緊張感のないコメントに終始していた。最後の麻酔銃で池に落ちて溺れる様子などは「獣医師の方も懸命に……」などと語ってはいたものの、映像とコメントにずいぶんとギャップがあったように思う。 「シマウマが死んだことは間違いなく悲劇で、武井壮など有名人も残念なコメントをしている中、古舘のテンションはズレているようには感じましたね。あまりにもノリが軽いですよ。もうすぐ番組を降板するとあって、張り詰めた気持ちがなくなったのか、あるいはもともとそうだったのか……」(記者)  古舘のよくわからない発言にアシスタントMCの小川彩佳アナが困ったような顔をするのは同番組の定番で、このシマウマの出来事に関してもそれは同じだった。このやりとりも、そろそろ見納めである。

朝ドラ女優・シャーロット、主演ドラマ大爆死! 次期ドラマ『OUR HOUSE』に早くも暗雲

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『名探偵キャサリン』公式サイトより

 「エリーブーム」は、いずこに――NHK連続テレビ小説『マッサン』(2014年度後期)で、ヒロイン・亀山エリー役を演じ、大ブレークを果たしたシャーロット・ケイト・フォックスの勢いが止まってしまった。朝ドラ終了後、民放各局が熾烈なシャーロット争奪戦を繰り広げたが、獲得に成功したのがテレビ朝日。昨年9月5日には、民放初の主演となったスペシャルドラマ『名探偵キャサリン』が放送され、その視聴率は11.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)とまずまずだった。

 その後、シャーロットは本国アメリカでミュージカル『CHICAGO』の主役に大抜てきされ、同12月には東京、大阪で日本公演も行われた。

朝ドラ女優・シャーロット、主演ドラマ大爆死! 次期ドラマ『OUR HOUSE』に早くも暗雲

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『名探偵キャサリン』公式サイトより

 「エリーブーム」は、いずこに――NHK連続テレビ小説『マッサン』(2014年度後期)で、ヒロイン・亀山エリー役を演じ、大ブレークを果たしたシャーロット・ケイト・フォックスの勢いが止まってしまった。朝ドラ終了後、民放各局が熾烈なシャーロット争奪戦を繰り広げたが、獲得に成功したのがテレビ朝日。昨年9月5日には、民放初の主演となったスペシャルドラマ『名探偵キャサリン』が放送され、その視聴率は11.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)とまずまずだった。

 その後、シャーロットは本国アメリカでミュージカル『CHICAGO』の主役に大抜てきされ、同12月には東京、大阪で日本公演も行われた。