アンジェリーナ・ジョリー、歳を重ねていくことが幸せ

アンジェリーナ・ジョリー(40)は歳を重ねていくことが嬉しいそうだ。87パーセントの確率で発がんするという結果を受けて予防のために両乳房切除手術を2年前に受けているアンジェリーナは、自身の家系の女性たちは比較的早くに命を落としていることから、歳を重ねて長生きできることが幸せだと語った。「今年、40歳になってとても嬉しい。私の家系の女性は、ほとんどが40代になると病気になって死んでいってしまうの。だから、50歳、60歳になるになることがとても嬉しいことなのよ。歳を重ねるのって大好きだわ」 アンジェリーナの母親は56歳の若さで2007年に卵巣がんで亡くなっており、祖母は同じ病気により45歳で死去している。 そんな命の有難みが身に染みてわかっているアンジェリーナにとって、夫ブラッド・ピットと6人の子供たちが人生の中で仕事よりも最も大事なものであると続けた。「今私にとって重要な映画の仕事をしていて、子供たちとも本当に楽しんでもいるの。子供たちにあまりにも支障をきたすことがあったら、私が彼等から離れなければならなかったら、映画はしないわ。若いころは、自分のことを試して、すべてのことに疑問を持っていたわ。でも、今はそういうことは少なくなっていて、長い間家族との生活が主体となっているの」

上戸彩の産後復帰に大バッシング発生!「HIROさんの稼ぎで十分なはずなのに」「赤ちゃんと一緒にいたくないの?」

 2012年にEXILEのHIRO(46)と結婚し、今年8月に第一子となる長女を出産したと発表した女優の上戸彩(30)。そんな彼女が12月6日に生放送される若手漫才日本一決定戦『M-1グランプリ2015』(テレビ朝日系)の司会を務めることがわかった。  同番組は上戸にとって6月に産休に入って以来の公の場。ここ数年は常にドラマ主演をこなし続け、妊娠後も連続ドラマ『アイムホーム』(テレビ朝日系)に出演していた彼女だが、生放送番組の司会という単発仕事はドラマや映画とは違って拘束時間も少ないため、産後の初仕事としてちょうどいいものだったのかもしれない。  しかし、ネット上では上戸の産後復帰について否定する声が続出している。「産んだばかりなんだから子育てに専念しないと」「旦那のHIROさんの稼ぎで十分なはずなのに?」「赤ちゃんと一緒にいたくないのかな。かわいそう」といった意見が多く書き込まれる事態となっている。また、彼女の所属事務所の方針で早めの仕事復帰が決定したのでは、と見て、「オスカー働かせすぎじゃない?」と事務所批判する向きも。  上戸だけでなく、産後数カ月で仕事復帰する女性芸能人は多いが、いつまでたっても世間からは毎回同じような「子育てしろ」バッシングが飛ぶ。 ■長谷川京子の離婚報道に見え隠れする「金持ちの妻は働くな」の抑圧 http://mess-y.com/archives/10768 ■実業家・神田うのに「自分で子育てしろ」の大バッシング。「会食やパーティー三昧」は“母失格”なのか http://mess-y.com/archives/20430 ■山田優叩きが異常なまでに過熱!! 産後の激ヤセや谷間強調、仕事復帰まで難癖 http://mess-y.com/archives/16746  今回、上戸に対して「旦那さんの稼ぎで十分なはずなのになぜ働くの?」という声があったことからもわかるように、「金銭的に困窮しているなど、やむを得ない事情がない限り、母親は子育てに専念するべき」という考え方はいまだに根強い。もちろん子育てを最優先にしたい母親はすればいいが、そこにあるのは優先順位を子供>仕事に変換できない女性は母親失格で強欲だ、とでも言わんばかりの抑圧である。  さらには「子育てに専念することは子供、母親両方にとって幸せ」であるとの決め付けや、母性の過剰な尊重、「母親なら子育てに専念したいはず」といった価値観も蔓延っている。「自分はそうしたい」と個人が宣言するだけなら良いが、それのみを唯一正義と勘違いして他者に押し付けようとすれば害悪でしかない。産後数カ月で仕事復帰する女性を、母親失格と罵る向きすらあり、これでは女性が輝く社会も少子化改善も夢のまた夢である。  上戸が子供の生後何カ月で仕事を再開しようと彼女の自由であり、赤の他人が「お子さんがかわいそう」と同情を寄せるなどバカバカしいことこの上ない。そもそも育児環境は各家庭によって様々で、劣悪な環境下で子供が虐待されているなどの事情がない以上、その方針に他人が干渉すべきではないだろう。「良かれと思って」口出しし、結果的に親を追い詰めるケースもある。  繰り返しになるが、子育てに専念したい人はすればいいし、産後早めに仕事がしたければすればいい。もちろん、子育てに専念したいが仕事もしなければならない人、仕事がしたくとも子育てをサポートしてくれる環境が整わず働きに出られない人もいる。人によって状況が違って当然だ。「子育てに専念せず仕事をしている=子育てがおろそかになっている、子供への愛情不足につながる」「産後数カ月で女性が仕事復帰=金銭的に困窮、夫の稼ぎが悪い」といった勝手な憶測で良し悪しを決めつけるのは、あまりにもナンセンスである。母親のライフスタイルにこれという最善はないことが周知されるには、まだまだ時間がかかるのかもしれない。 (シュガー乙子)
カテゴリー: 未分類

【パリ同時テロ】「死者130人は、シリア内戦で1日で死亡する人数より少ない」という現実

【不思議サイトトカナより】  13日夜(日本時間14日早朝)、フランスのパリでコンサートホールや北部のサッカー競技場などを標的とした同時多発テロによって、約130人が死亡する悲惨な事件が起きた。中東の過激派「IS」(イスラム国)が犯行声明を出したことで、欧米諸国によるIS支配地域への空爆に対する報復であることが明らかになっている。  このテロ事件によってかき消されているのが、12日にレバノンの首都ベイルート南部で起きた同じくISによる同時多発自爆テロ事件だ。イスラム教シーア派組織「ヒズボラ」の拠点地区である住宅街で発生、少なくとも41人が死亡、200人が負傷した。
続きは【トカナ】で読む

      
   
					

深田晃司監督が明かす、『さようなら』で描いた“メメント・モリ”と独自の映画論

【リアルサウンドより】  劇作家・平田オリザの戯曲を原作に、死にゆく人間と死を知らぬアンドロイドの交流を描いた『さようなら』が11月21日に公開となる。監督を務めたのは、前作『ほとりの朔子』でナント三大陸映画祭グランプリ&ヤング審査員賞をW受賞した深田晃司。リアルサウンド映画部では、深田監督にインタビューを行い、本作の製作背景や映画に対する思いなどを語ってもらった。

「メメント・モリ(死を想え)の芸術を映画で表現したかった」

20151116-sayonara-fukada.JPG

深田晃司監督とジェミノイドF

ーー本作は平田オリザさんのアンドロイド演劇が原作です。なぜ映画化しようと思ったのでしょうか。 深田:「フェスティバル/トーキョー」という国際舞台芸術祭が毎年池袋で開催されていて、2010年に舞台で初めて同作を観たときに、すぐ映画化したいと思ったんです。それで、オリザさんに「映画化していいですか?」と聞いたら、「ああ、いいよ」っていう一言だけで、あっさりと映画化権の許可をもらって動き始めた感じです。 ーー条件とか、こうしてほしいみたいな要望もなく? 深田:全くないですね、フリーハンドです(笑)。自由にやってくれと。 ーーなるほど(笑)。平田さんは実際に完成した映画をご覧になって、どんなリアクションだったんですか? 深田:一言「面白かったよ」って言ってくださいました。原作の戯曲自体は、15分ぐらいの短い演劇で、何もない真っ暗な舞台に椅子を並べて、そこでアンドロイドと女性が2人で対話する。観客にとっては、その女性が何者なのか全くわからないし、その場所がどこかもよくわからない。そういったシチュエーションで観客の想像力を最大限に引き出して、“死”というものをイメージさせる、極めて演劇的なアプローチでした。今回の映画では、より映像寄りの手法で、二人の周辺をもっと具体的に描き込んで、死体そのものも物質的に見せていきました。なので、演劇的な手法から映画的な手法への拡大、翻訳みたいなところを楽しんでもらえたと思っています。
20151116-sayonara06.jpg

ーー具体的にオリザさんの原作戯曲のどのような部分に惹きつけられたのでしょうか? 深田:1番惹きつけられたのは、死んでいく女性と死ぬことのないアンドロイドの対話を通して、強烈に“死”というものをイメージさせる、いわばメメント・モリ(死を想え)の芸術だというところですね。生き物はみんな死んでいきますが、概念としての死を認識できるのは人間だけだと言われています。だからこそ、“死”という逃げようのない巨大なインパクトからもがくように、古今東西の芸術家はいろいろな“死”を題材にした文学だったり絵画だったり音楽だったり、そういったものを作ってきた。そのようなメメント・モリの表現の最先端となるものが、アンドロイド演劇の『さようなら』だと思ったんですね。それはもともと僕の関心の高い分野だったので、これをスクリーンに持っていきたいと思ったんです。
20151116-sayonara09.jpg

ーーもともとアンドロイドに興味があったんですか? 深田:特にそういうわけではなくて、最初に描きたいと思ったのはその“死”の部分で、その“死”を描くのに、アンドロイドはちょうどいいなと思って。ただ撮ってみてやっぱり面白いなと思ったのは、今の科学技術の成果でもあり限界も一緒に併せ持ったアンドロイドと人間を共演させることによって、強烈に「人間とは何か」「アンドロイドとは何か」ということに想いを巡らせざるを得なくなってしまう。そこへの関心は確かに昔からあったんですね。アンドロイドと人間はすごく差があるようだけど、結局人間なんてものすごい複雑なアンドロイドに過ぎないのではないかという想いですね。

「『さようなら』は全部で38シーンぐらいしかない」

20151116-sayonara05.jpg

ーー本作はクラウドファンディングで資金集めをしていましたよね。そのときは尺が90分予定となっていたのですが、実際にできあがった作品は2時間近くありました。これは脚本段階で延びていったのでしょうか? それとも製作段階でしょうか? 深田:クラウドファンディングを始めたときはまだ脚本が出来上がっていなかったんです。もちろん脚本段階で膨らんでいる面もあると思うんですけど、たぶん撮影段階ですね。僕も最近脚本を見直してみて驚いたことがあったんです。ちょうど今、僕は新作映画を撮影しているんですけど、シーンの数が145シーンぐらいで、2時間ちょっとかなってぐらいの長さの映画なんですよ。でも『さようなら』は全部で38シーンぐらいしかないんです。だから1シーン1シーンがものすごく長いんですね。何でもない時間をものすごく長く撮ったりしているので。例えば、ターニャが部屋で寝ていて、起き上がってお茶を飲んで戻って来るっていう流れを全部1カットで長く撮るとか。そういうことをやっていったので、尺が長くなっていったんだと思います。 ーー舞台版でも主役だったブライアリーさんを、映画版でもターニャ役で主演に迎えようというのは最初から決めていたんでしょうか? 深田:それは最初から決めていました。外国人でありながらアンドロイドと日本語で話している奇妙な面白さもそうですが、多言語を話せる彼女の無国籍な個性というのも映画の中で活かせたら面白いなと思い、人間らしさとアンドロイドらしさのイメージを崩していくポイントになりましたね。あとはやっぱり、日本が破滅して日本人が苦しむというドメスティックな話ではなく、災害が起こったときに苦しむ人たちに国籍は関係ないという世界観を取り入れたかったので。映画化すると決めてオリザさんに許可をもらった時点で、ブライアリーさんにも出演をお願いをしました。彼女は製作段階の資金集めのところから動いてくれて、プロデューサーの1人としても名前を連ねています。
20151116-sayonara08.jpg

ーー今回、レオナ役のアンドロイド・ジェミノイドFも主要キャストの1人ですが、役者陣だけでの撮影と比べて大変なことも多かったんじゃないでしょうか? 深田:それがですね、ものすごい大変なエピソードがあったら面白いんですけど、あんまりなかったんですよ(笑)。演劇の方では、公演中にアンドロイドが止まって大変だったみたいな話を聞いたり、その場に立ち会ったりもしたんで、「映画はもっと大変だぞ」と思ってたんですけど。撮影日数も11日しかなくて短期間だったので、途中でジェミノイドが止まったり壊れたりしたらもう撮影中止だ、みたいな。そう思ってハラハラドキドキでみんな覚悟して臨んだんですけど、結局撮影中にジェミノイドが止まることはほとんどありませんでした。撮影のほうもスムーズで。それはやっぱりアンドロイド演劇が2010年から繰り返し演じられていて、技術者の方もブライアリーさんも演劇のほうでもずっと一緒だったので、経験の蓄積があったんですね。あとはやっぱり、2時間だったら2時間、90分だったら90分、ノンストップで動き続けなきゃいけない演劇と比べて、映画はどんなに長くても1カット数分で終わって、1回カメラを止めてまたセッティングできるので、アンドロイドにとっては映画のほうが演劇に比べて負担が少なかったんじゃないかと思います。

「社会派だから原発を描いたわけではない」

20151116-sayonara04.jpg

ーー難民問題や原発問題といった社会問題も作品の随所に散りばめられていますが、このようなテーマを組み込もうと思った理由はなんでしょうか? 深田:原作の『さようなら』は第1部と第2部があって、第2部には福島のことが出てきて、最後は壊れたアンドロイドが福島に派遣されるところで終わるんですけど、僕が観て原作にしようとした第1部には、原発も何も出てこなかったので、僕が映画にする上で勝手に付け加えました。前作『ほとりの朔子』でも、福島からの避難民という少年を描いているんですけど、僕が社会派だからそのような問題を描いてメッセージを伝えたいという思いは全くなくて。ただ、世界にはそういうこともありえるというレベルで描きたいと思っていて。それはつまり、『ほとりの朔子』に例えて言えば、恋愛ごっこに興じる少年少女の物語で、本来そこに原発問題なんか入れなくても済むといえば済むんですよ。でも、彼らの立つ地面は、福島や世界中で起きているあらゆる災害と地続きであるという、そういった世界観は忘れず持っていたいという気持ちがあったんです。 ーーその原発が原因で、様々な人々が映画の中に出てきては消えていきますよね。中でも、山下(村上虹郎)と木田(木引優子)がでてくるシーンが印象的でした。 深田:全体的な大枠で言えば、“孤独に死んでいく女性”というのが1番の核として描かなければいけないモチーフだったんです。ターニャの周りに、恋人、友達、家族など、いろいろな人物がいて、彼らが彼女の元から離れていってしまった後に、ターニャとアンドロイドだけが残される。世界そのものが死に進んでいくような…ある意味、陰湿でネガティブな世界観の中で、基本的には未来が閉ざされていくような話なんですけど、村上さんと木引さんが出てくるシーンだけは、未来を感じさせたかったんです。国が滅びて故郷を追われるというのは、ものすごくネガティブで悲しくて辛い出来事だと思うんですけど、実際の人々の受け止め方は多様だと思うんですよね。ひとつの災害があって、そこに100人の人がいれば、100通りの受け止め方があると思うんです。その中には、「外国の新しい生活楽しみ!」と素直に前向きに受け止めている人も絶対いると思うんです。だから、あのカップルはそういったことの象徴で、今起きていることをそんなにネガティブに捉えていないんですね。
20151116-sayonara11.jpg

ーー今回、イレーヌ・ジャコブさんと、ジェローム・キルシャーさんという、海外で活躍している2人も参加しています。彼らはどのような経緯で出演に至ったのでしょうか? 深田:もともと僕が『ふたりのベロニカ』という作品が大好きで、イレーヌ・ジャコブさんの大ファンだったんです。実はこの2人は、『変身』という、オリザさんの別のアンドロイド演劇に出演しているんです。僕はその撮影も少し手伝っていて、そのときに「ファンなのでよかったら観てください」と『ほとりの朔子』のDVDを渡しました。そしたら「面白かったよ」とメールが届いて。それで、「実は今こういう映画を作っているので出演してくれませんか」って聞いたら、「いいよ。何時に行けばいい?」みたいな(笑)。あっさりOKをもらいました。 ーーそこもあっさり決まったんですね(笑)。確かに深田監督の作品は海外の方々にも高く評価されています。海外の方にも分かりやすいように作品を作ろうと意識はしていますか? 深田:それは全く考えてないですね。映画を作るときには、自分が最初の観客だと思って、まずは自分が面白いと思えるものを作ろうと。基本的にはそれしかないと思っています。ただ、これは作家なりのセンスの問題にもなってくると思うんですけど、そういうときに普遍的な題材を選べるか、普遍的な価値観を示せるかどうかじゃないかなって。僕にとって普遍的だと思えるテーマやモチーフを扱うことができて、それがうまくいけば、日本人に限らず世界中の人がちゃんと何かしら面白がってくれるはずだと思っています。

「例外的な演出意図がない限り、絶対にバストショットよりは寄らない」

20151116-sayonara07.jpg

ーー前作『ほとりの朔子』ではエリック・ロメール、今回の『さようなら』ではアレクサンドル・ソクーロフの影響も見受けられます。ご自身が影響を受けた監督や作品へのオマージュを自作の中でも取り入れようというのは、意識的に行っているのでしょうか? 深田:意識的というよりは、そういう性なんです(笑)。僕が映画を撮るのは、映画の現場が楽しいからとかではなくて、小さい頃から本当に映画ばっかり観ていた、ただの映画ファンなので。好きな映画の背中を追っかけて作っているという感じはありますね。やっぱり何か映画を作ろうと考えたときに、「ロメールだったらどうするんだろう」みたいなことは考えてしまいますし。ただ、どんなに参考にしても、真似をしても、オマージュを捧げても、滲み出てしまうものがオリジナリティだと思いますね。
20151116-sayonara03.jpg

ーーターニャとアンドロイドが車で移動するシーンで、引きのロングショットが使われていたのが印象的だったのですが。 深田:単純に車が走っている画が好きなんですよ(笑)。ただ、車中の会話を聞かせると同時に、世界を見せられるという点では意味があるかなと思います。やっぱり人があって世界があるけど、世界があって人があるというか。今回の作品に限らず、僕の作品は比較的引きの画が多いんですね。自分の中でルールとして決めていることがあって、例外的な演出意図がない限り、特に人物を映すときは、絶対にバストショットより寄らない。それは、3人称で描くということだと思っていて。ある特定の登場人物の気持ちや感情に同化するような作り方をするのではなくて、あくまでカメラは一歩引いたところで、関係性をフラットに眺めていくという。その方が観客にとっても、関係性の想像力を自由に広げられるだろうと。なので、そういうことをやっていくと、比較的引きの画が多くなっていくんですね。
20151116-sayonara10.jpg

ーーなるほど。そのこだわりは面白いですね。あと、今回の作品では時間の経過や原発事故後の空気感を表現しているような照明が素晴らしいなと思ったんですが、そこはやはり監督としてもこだわった部分なのでしょうか? 深田:そうですね。照明にこだわってやろうというのは最初から決めていました。もともと照明をちゃんとやろうと思ったのには3つ理由があって。1つは美学的な問題で、単純にああいう陰影の濃い画って美しいと思うので、今回はそれをやりたかった。日本で日常のドラマを描こうとすると、ほとんどが全体照明なので、なかなか陰影って出にくいんですよね。でも、今回は原発が吹き飛んで電気がなくなったという状況設定なので、思いっきりリミット外してできると思って。なので、照明の永田(英則)さんや撮影の芦澤(明子)さんには撮影前から相談して、陰影の濃い、ある意味、語弊はありますが西洋絵画的な画を作りたいと伝えしました。僕の中では2006年に撮った『ざくろ屋敷』という作品と向き合い方は近いので、その作品を観てもらいました。理由の2つ目は時間ですね。今回の作品の場合、時間が流れていくっていうのがものすごい重要で。それは主人公の女性が1秒1秒死に向かっていくという、その時間を描く映画なので、全く静かな画の中でも、確実に時間は進んでいるっていう。それは観客に対して無意識レベルに訴えかけるぐらいでいいと思っているんですけど。そのために、動いていないようなものでも、空間の中で光が揺らいでいたりして、確実に時間は進んでいるんだっていうことを表現したかったんです。3つ目は大気、空気を感じさせるってことですね。放射能の本質的な恐怖って見えないことなんですよね。見えないけど、確実にそこにあるという恐怖だと思うので。見えない放射能を感じてもらうには、最低限でも映像の中に空気が感じられるようにしないといけないと思ったので、光だったり、風に揺れるカーテンだったり、そういうものを意識しました。
20151116-sayonara02.jpg

ーーカメラマンの芦澤さんは黒沢清監督とよく組まれていますが、彼女を起用した理由は? 深田:これまで一緒に仕事をしてきたカメラマンの方も、今新作で一緒に仕事をしていて、素晴らしいカメラマンなんですけど、今回はちょっと趣向を変えたかったんです。あとは、単純に芦澤さんの撮る映像が好きなんです。黒沢さんの『叫』での廃墟のすごい陰影の濃い表現とか、『トウキョウソナタ』での冒頭でカメラがグワーって動いてなめていくような光と影の表現とかが素晴らしくて。是非一緒に仕事をしたいカメラマンの1人だったので、僕としては胸を借りるつもりでお願いしました。 ーー映画の中でも描かれているように、今後アンドロイドが一般的に普及すると思いますか? 深田:既にPepperとかが発売され始めてますけど、今回の映画で描かれているような、何かを介護するようなロボット、癒すためのロボット、コミュニケーションをとるためのロボットっていうのは普及してくるんじゃないかと思います。これは石黒先生も言ってましたが、やっぱりアンドロイドだとおじいさんやおばあさんが抵抗なく話せるらしいんですね。相手に基本的には人格がないから気を遣う必要もないし、これ言ったら怒るんじゃないかみたいなことも気にせずに話せる。あとは今後高齢化社会や少子化が進んでいけば、当然介護や老後の孤独が問題になっていきますよね。そういった意味でも、孤独死を癒す存在、あるいは孤独に死んでいく人を看取る存在としてのアンドロイドは、今後どんどん増えていくんだろうなと思いますね。 (取材・文=宮川翔) ■公開情報 『さようなら』 11月21日(土)新宿武蔵野館ほか全国ロードショー 脚本・監督:深田晃司 原作:平田オリザ アンドロイドアドバイザー:石黒浩 出演:ブライアリー・ロング、新井浩文、ジェミノイドF、村田牧子、村上虹郎、木引優子 配給・宣伝:ファントム・フィルム (c)2015「さようなら」製作委員会 公式サイト:http://sayonara-movie.com/

嵐、滝沢、山下ら“黄金期Jr.”集結! V6の20周年を祝した「緊急同窓会」が大盛況

arashi_sweet.jpg
「テンションの上がった松潤」に覚える“暴君”感と末っ子感

 嵐、タッキー&翼、山下智久ら“ジャニーズJr.黄金期”のメンバーがプライベートで集結したことが、ジャニーズファンの間で話題になっている。1998~99年頃にV6やKinKi Kidsなどのバックダンサーを経験し、ゴールデンタイムで『8時だJ』(テレビ朝日系)というバラエティが放送されたほど、Jr.ブームを巻き起こした彼ら。11月1日にV6がデビュー20周年を迎えたことを機に、懐かしい顔ぶれの“同窓会”が行われたようだ。

 この豪華な集いが明らかになったのは、14日放送のラジオ『タッキーの滝沢電波城』(ニッポン放送)でのこと。滝沢秀明が仕事終わりに嵐・松本潤から突然「来て!」という“雑な電話”があったと切り出した。その日はV6のデビュー日にあたる11月1日で、嵐メンバーは『V6 LIVE TOUR ‐SINCE1995~FOREVER‐』のアンコール曲でバックダンサーを担当。テンションの上がった松本から「今からV6のバックダンサー時代のメンバーを全員集めるから!」との誘いを受けて滝沢が店に向かったところ、嵐全員と「4TOPS」こと生田斗真、山下、風間俊介、長谷川純などが集まったとか。

日本テレビ内に『スッキリ!!』加藤浩次降ろしの動きが……後釜には“アノ”大物司会者が!?

katoh1116.jpg>
日本テレビ系『スッキリ!!』公式サイトより
 日本テレビの情報番組『スッキリ!!』のMCを務める加藤浩次に、来年3月以降の降板がウワサされている。日テレ関係者からは「ある大物司会者が後任を狙って、局の有力者に営業をかけている」という話まで聞かれるのだ。  加藤の降板については、これまで何度かささやかれたことがあった。過去、生放送中に退席するという珍事や遅刻などがあり、そのたびに理由の説明が遅れて謎めいていたのだが、10月9日にも突然の欠席で降板のウワサが持ち上がっていた。  番組開始時、上重聡アナウンサーが「今日は加藤さん、お休みです」と説明したものの、具体的な理由は明かされず、これは所属事務所から「身内の不幸があった」と説明されたが、実のところ真相は「キレやすい性格の、加藤の突発的な行動」だともいわれる。  加藤といえば、“狂犬”の異名で知られる、自他ともに認める短気な性格で、芸人仲間からも「自分が正しいと思ったら、周囲を敵に回しても衝突する」と評されており、テレビマンからは「ゲストのアイドルのいじり方で、相手側の大手事務所からクレームが入ったときも絶対に折れなかった」という話が聞かれた。そのためか、日テレ内部には加藤に反発する者もいるという。 「加藤さんは夏にフジテレビの『27時間テレビ』で丸刈りになったんですが、『スッキリ!!』側にそのことを根回ししていなくて、局の役員会で問題になったんです。番組スタッフはそこまで深刻に考えてなかったんですが、役員会に出ている有力な人物は、加藤降板を推しているみたいで……」(日テレ関係者)  そして、その有力関係者と親しいのが、かつてワイドショーで昼の顔となっていた大物司会者だ。この司会者は事情あって現在、仕事をセーブしているところで、以前ほどの仕事量をこなしていないが、昼の帯番組への未練は大きいものがあり「ネックとなっていたギャラを半額に下げてでも、と頭を下げている」(同)という。 「芸能方面の実力者にも話をしているとかで、かつて司会者だったときに用意させていた希望メニューの食事なんかもいらないと言っていたそうです」(同)  加藤は、3月で降板したテリー伊藤の件に関してもスタッフとぶつかったと伝えられているが、一方で大きな収入となっている『スッキリ!!』の仕事を加藤サイドがやすやすと手放すわけがないという話もある。 「加藤さんは、業界で“スッキリ!!御殿”といわれる推定5億円以上の豪邸を手に入れ、ここで定期的にホームパーティーを開いては、業界内のコネクションを広げているという話もありますからね。吉本興業もこの番組を守るために日テレとの関係をかなり強固にしている感じで、大物司会者の横ヤリに対しては、この司会者のゴシップを記者に流すぐらいのことはやりそうです」(同)  もしも加藤が降板するとなれば、番組自体が消滅して新番組が始まりそうな気もするが、日本テレビにそのあたりについて聞いてみたところ、当然のように「そのような話は聞いておりません」と一蹴された。果たして……。 (文=ハイセーヤスダ)