日本のノワール映画は“エグいジャパンクール”ーー菊地成孔が『木屋町 DARUMA』を読み解く

【リアルサウンドより】

ノワール映画もジャパンクール

 今回、取り上げる作品の一作目『木屋町 DARUMA』に関して、最初に本作の大きな構造を俯瞰すると、この物語は、川の流れる木屋町という綺麗な町の裏側に、実は異様な世界があって、主人公たちは最終的にその川に殺され落ちて浄化されていく……という構造になっています。この川はガンジス川と同じで、いろいろな汚れや悲惨な人生も飲み込んで流れていくもので、川による浄化。は、この作品の重要なモチーフだと思います。僕はあまり京都に詳しくはないので、実際の木屋町の様子はわからないのですが、映像を観る限りは素敵な観光の街という印象です。  しかし本作は、典型的な、しかし、一般映画界では数少なくなってしまった日本のノワール映画です。単純にヤクザ映画というより、社会の底辺にある黒い世界を描いた物ですが、日本には「Vシネ」という、一種の特別枠があるし『仁義なき戦い』といったクラシックまで持ち出さずとも、最近でも『龍が如く』『ミナミの帝王』のような、アイコン的作品もあるので、一種のジャンル・カルチャーですよね。好きな人は好き。といった。  とはいえ本作は「それモンの好きモン集合」というだけの志の映画ではない。よしんば、原作者が、よしんば監督が、よしんば映画全体がそのつもりだとしても、本作全体の志はそれを逸脱しています。  一言で言うと、四谷怪談あたりをオリジンとする「日本のエグい映画」と言う事が出来るでしょう。エグさの中には「やりすぎ」「(故に?)空虚」といった、極めて日本式のスタイルであって、一種のジャパンクールとも言えるかもしれない。考え方次第ですが、Jホラーなども「やりすぎ」と「空虚」は基底部に横たわっています。  ギャングスターの映画でも、ラブストーリーにしても、日・韓・米・欧ではぜんぜん違う。今回、後編で取り上げる韓国映画の『無頼漢 渇いた罪』は、完全な韓国ノワールですが、R指定にも関わらずカンヌ国際映画祭に出品されているくらいだから、もう、欧州が認めるアートフィルムな訳ですよね。  それに対して、『木屋町 DARUMA』は前述の「エグいジャパンクール」という意味では、かなり凄まじく、「やりすぎ」も「空虚」もしっかり根を下ろしています。  日本人というのはもともと、外見はあまりえげつなくない人たちですよね。旅行で東南アジアのリゾートとかに行って楽しく遊ぼうとすると、ゲットーがあったりスラムがあったりして、そこまでいかなくとも、物売りや物乞いがあって、OLさんが震え上がっちゃう。  なんだかんだ言ったって、日本は清潔だし治安もいいですし、基本的には、清潔で優しく、はんなりとしている。一方で韓国だと、普通にソウルを歩いていても、昔の日本のように怖い人がいる感じで、闇社会というのが身近にあるんですね。米軍が都心部にあるかないか?というのは大きいですね。  とはいえ日本にも当然闇社会というのはある。ただ、アンダーグラウンドに潜行してしまって、東京ではほとんど見えないくらいになっている。僕は歌舞伎町に11年住んでいて、どちらかというと夜中に歩き回るタイプで、観光地とかセーフティな所にはあまり行かない生活をしていましたが、任侠の方々に真っ向から遭遇、接触した経験は11年間で10回以下だったと思います。これがアムステルダムやハンブルグの歓楽街なら、もっと頻繁に会うと思うんですよ。日本は、平和で治安が良い。ただ、「平和」と「治安」の定義はシンプルではないけれども。  だからこそこういう、ヤクザモノ、しかもゲテモノぎりぎりの素材を扱うノワールを描こうとすると、力が入りすぎてしまうのでしょう。誰が観てもカリカチュアがすごすぎて、例えば竹内力さんみたいな見るからに恐ろしい記号的なヤクザがいろんな作品に出て来たりして、要するに「リアルじゃない」訳です。古い言葉ですが、パロディにどんどん近づいて行く。

「リアル」な黒社会。を日本は映画に出来るか?

「リアル」「フェイク」「アンリアル」「ファンタジー」といった現実感との位相は、映画のみならず、あらゆる虚構の基底部を決定する重要な同一性ですが、最近、山口組系のもめ事がテレビのニュースで、ほんのちょっとだけ流れて、実際の関係者が、ほんのちょっとだけ写りましたが、その「リアル」さには、本当に惚れ惚れします。日本にもまだ本物はちゃんといるのだ。本当に、これは任侠礼讃とかいったシンプルな話ではなく「日本の役者の顔つき」の話なんです。  かつて、日本も不潔で荒んでいた60〜70年代には、『仁義なき戦い』などのクラシックスがあって、そこに出てくる菅原文太さんたちの顔つきはリアルだった訳です。しつこいようですが、『仁義なき戦い』だけをどうこう言ってるんじゃありません。リアルの話なのね。『アウトレイジ』っていうのは、良い意味でそこを完全に見切っちゃって、パロディとしての「悪の顔」をいっぱいならべて、さあお楽しみください。あれが日本でヤクザ映画を作る上限でしょう。「フェイク」とか「アンリアル」とかでもない、あれは完全なファンタジーです。  これは悲観論でも楽観論でもないけれども、今の日本の娯楽映画で「リアル」を描こうとすると、オタクの映画にならざるを得ない。たとえば最近では『バクマン』とかね。同じ大根さんの『モテキ』でも何でも良いけど、オタクを描いていくというのが、良くも悪くも今の日本のリアリズムのマジョリティであって、ジャパンクールのメインコンテンツですよね。  後はフェイクになるか、アンリアルになるか、ファンタジーになるか、いずれにせよ「リアル」という強度は、ある程度捨てて、作品の立ち位置を「リアル」以外に設定し、ベストを尽くさないといけない。「ダメな映画」というのは、非常にシンプルに、それが出来ていない映画です。  オタクや引きこもりが一人も出てこなくても、スマホもゲームも画面に一切映らなくとも、良質でリアルな日本映画もあるわけだけど、気楽に見れる娯楽作品としてマーケットの規模も違う。マンガ原作で、アイドルが出る。こんなもん純度100%のリアルなジャパンクールなんですが、『るろうに剣心』みたいな傑作を生む可能性もあるし、駄作も死屍累々でしょう。  さて、その反動として地下でマグマ化したものがドワーと噴出する瞬間があって、『木屋町 DARUMA』のような作品が作られるのだと思いますが、冒頭に書いた通り、これは批判でも礼讃でもなく、『木屋町 DARUMA』が、もしジャパンクールのアンチだと自己規定していたとしても、ガチガチのジャパンクールだという事です。それがこの作品の総てだと言っても良い、  四肢欠損者の人生を描いた映画というと、若松孝二監督の『キャタピラー』(2010年)が思い出されるわけですが、というか、それ以外思いつきませんが(笑)、あれはジャパンクールじゃない。あれは時折出てくる「和式グランギニョル」というか、グランギニョルというのはフランスの残酷劇の事です。寺島しのぶさんは名誉フランス人ですから、グランギニョルの主役に適役です。え?他の和式グランギニョル?「佐川君からの手紙」とかね。映画になったっけあれ?(笑) まあ、なってないとしても(笑)。それこそ「東京グランギニョル」という劇団を率いていた飴屋さんの「ライチなんとかクラブ(飴屋さんスンマセン・笑・怖くてタイトルが憶えられない)」なども、そのジャンルに入るかどうか問われますね。  それに比べると『木屋町 DARUMA』は、ぜんぜんジャパンクール。近松門左衛門から腹切り女浄瑠璃から花園神社の蛇のみ女から『実話ナックルズ』から『神様の言うとおり』までを貫く伝統の中にあります。  「ちょっと待ってくれよ。こっちゃあ、男の世界を描いてんだよ。マンガ原作の学園ものと一緒にしないでくれよ」と言われるかもしれません。御説ごもっとも、それはその通りなんだけれども、前述の、「やりすぎ」と「空虚」が、「男の世界」「その美しさ」を描こうとするあまり、自走的に行き過ぎちゃってるんですよね。実話物で、男の世界を描こうとしても、気がつくとジャパンクールになる可能性がある、というより、あくまでワタシ個人は、ですが、歌舞伎や浄瑠璃や神話の類いもジャパンクールに含んでいるので、カテゴリーが広過ぎるかもしれませんが。  「やりすぎ」が往々にして引き起こす効果の一つですが、「笑ってしまう」という状態も引き起こします。<借金取りが四肢を欠損者を債務者の家に住まわせる事で、気も狂わんばかりの状態に陥れ、金を取り立てる>というのは、もう、ストーリーだけでも、ちょっと吹いてしまう方もいるかもしれないし、震え上がってしまう方もいるかもしれない。とはいえ、「やりすぎ」ないのであれば、それによる笑いは絶対に起こりません。  そしてこの物語は「リアル」であることを「実際に実話を元にした原作なんだから」の一点突破で行こうとするんですが、これはやや無理で、厳密には4層に別れます。 1)「誰の身にも起こりうる虚構」 2)「誰の身にも起こりうる実話」 3)「いやあオレには関係ないよこんな話。という虚構」 4)「いやあオレには関係ないよこんな話。という実話」  です。宮沢りえさんの『紙の月』が(1)の代表(相当な取材をしていますが)だとして、以下(2)はいっぱいありますよね。幸せなカップルの片方ががんで死ぬとか。(3)もいっぱいあります。『スター・ウォーズ』とか(笑)。  『木屋町 DARUMA』は(4)なんです。だから、観客がリアリティに誘導されない。「へえ、こんな凄い事も世の中にはあるんだね。こわー」と思うばかりで、作品が訴える物か、勢い「やりすぎ」と「空虚(自分との関係なさ)」に偏ります(前回からしつこく書いていますが「空虚」は、悪事ではないです)。  

各キャストの演技について

 「やりすぎ」の体現者は、原作者もそうでしょうし、監督もそうでしょうが、まずはなんといっても俳優でしょう。  主演の遠藤憲一さんはそもそも濃厚な顔立ちなので、これまでの映画の中ではそれほどオーバーアクトをしてこなかったと思うんですよ。ちょっと睨みを利かせるだけで充分に怖いから。ところが今作では「俺がオーバーアクトしなけりゃ誰がやる」という勢いで、完全にアヴェレイジ突破の凄まじい怪演を見せている。  遠藤さんは役者としても、個人としても大変素晴らしい方だと信じた上で、ディスではなく断言しますが、遠藤さんは「グロテスクでエグい表情」をやってはいけないんです。何故か? 雨上がり決死隊の宮迫博之さんにシュミュラクラ(簡単に言うと「似ている」「見えてしまう」こと)を起こしてしまうからです。  目をひんむいてヨダレは流すは、糞尿は垂らすは、セクハラはするは、怒り狂うは……とにかくすごい迫力で、途中から宮迫さんとのオーバーラップと闘う事になりました。寺島進さん演じる債務者の家に文字通り「転がり」込んで、はいつくばり、のたうちまわり、傍若無人の限りを尽くす様は、世の中にこれほど悪質でグロテスクな借金取りの方法があるのかと驚くばかりで、しかもこれが実話ベースだというから衝撃的です。  しかし一方、これは演者同士のアンサンブルなのかも知れませんが、舎弟である坂本健太役を演じた三浦誠己さんは、非常に良かった(遠藤三が悪い訳ではない。悪いも良いも無い位凄まじいので)。彼はこの映画のもう一人の主人公ともいえる役柄で、キャリアの中で培った余裕が感じられる、素晴らしい演技を披露しています。単なる抑えた演技でもない、静かな中にあらゆる複雑な感情が(劇中、最も複雑な感情を持つのが彼であることは間違いありません。だって、どんな仕事よ)、少ない台詞と、軽妙と言って良い程の軽い動きの中で、雄弁に伝わって来ます。   氏を含め、脇を固める人たちはみんなすごく上手なのですが、ほとんどの人が『ガキ帝国』『岸和田少年愚連隊』などの大阪の不良映画でデビューして、その後もVシネ一本槍というタイプの役者さんなのも、本作の興味深いところです。井筒和幸監督の大きな業績と言えるのではないでしょうか。この作品がある限り『ゲロッパ!』は許す。としか言いようがありません。  ただ、主人公の旧友であり組長である古澤武志を演じた木村祐一さんに関しては、これははっきりと明確にディスりですが、もうシリアスな劇映画に出ないほうが良いんじゃないかと思いました。  周囲の人たちの演技が圧倒的に上手なのもあって、どうしても素人感が目立ってしまっています(すげえ主要な役ですし)。木村さんは、坊主で細目でヒゲも生やしている強面で、映画監督もしているし、お人柄も良さそうなので、ついつい、映画に出演させたら名脇役になるんじゃないか、と自動的に判断したのは、この制作チームの犯した致命的な失敗だと思います。  繰り返しますが、氏の、コントの作家やダウンタウンの側近としてのお笑い芸人としては、未だに才覚は薄れていないように思うので、そちらに集中されるのが得策ではないでしょうか。  吉本興業は、かつて映画産業に参入しようとして木村祐一さんや板尾創路さん等「作家も出来る芸人に、がんがん映画を撮らせる」という、映画界参入計画に頓挫し(まあ、まだ続いてるんですけどね沖縄で。と、これ以上書くと、当連載が実話ナックルズになりそうなので自粛しますが)、結果としてテレビタレントさんに映画の制作費を与えてしまったのですが、残念ながら惨憺たる物です。  映画の学校を出て、才能があり、映画を撮りたい一心でクラウドファウンディングを行っている人が数多くいる世界で、お笑い芸人に、出来高と関係なくポンと映画を撮らせ、上映するのはかなりの悪徳です。いまはネットで毎日いろんなニュースが出てくるから、過去のこともすぐに忘れてしまいがちですが、「木村祐一監督作品」の存在を我々は忘れてはいけません。  もうひとつの「やりすぎ」は、正に歌舞伎、「血糊の量と勢い」です。さっき近松の歌舞伎に例えたばっかりの口で言うのもなんですが、こういう映画は作っているうちにスタッフも興奮してトランス状態になってくるのでしょう。ラストに向け「これじゃ懐かしの80年代。スプラッター映画だよ」というほど血を噴きます。  債務者の娘である不幸な少女を演じた武田梨奈さんは、主人公2人を、鯨漁利用かと思われるほどの厚身の長刀で一気に(文字通り)串刺しにします。  その設定自体は素晴らしいんだけど、そのあとの血糊の扱いが、「ちょっとお(笑)」というぐらいやりすぎで、刺された男が口から溢れ出た血を彼女の顔に、グレートムタみたいに噴きかけるわ、シャワー状に吹き上げるわ、まったくリアルではありません。完全な大歌舞伎です。ラストに向けて、花火みたいにドカンドカンやりたくなってしまったのだと思います。  次回扱う、韓国ノワールの『無頼漢』なんて、出血シーンは100ミリリットルに満たないです。その代わり、犯人宅に突入する際、刑事が金属バッドを握ってたり、テキに馬乗りになって、ダイヤル式の黒電話で顔に青あざができるほど何度も何度もゴンゴン殴るのは、暴力として震え上がる程リアルだし、ホントに恐怖心を煽ります。  それに比べると本作のバイオレンスシーンは、これぞクールジャパン爆発といえるのかもしれません。せっかく「木屋町という京都の美しい街に流れる、清流に、地の底を這って来た男2人の、毒のような血が流れ、しかし、それも清流は清めて行く」という本当に素晴らしい設定があるのに、そのまえに笑っちゃってるので(笑)ちょっと残念でした。でも、しつこいようですが、それが歌舞伎かも知れないですね。  監督もキャストも「まさか映画館で上映出来るとは思ってなかった。こんな強烈な映画」と口を揃えるのですが、全然そうでもないです。「タイトルでさえ、マスメディアでは言えないんですから」なんて言ってるんですけど、別に「ダルマ(四肢欠損者)」をタイトルに入れる必要性もなし、ほかのタイトルにすれば、もっと広く訴えかけることができたかもしれない。志の高い良い映画なのだから、全国ロードショー目指しても良いと思いました。何せ、ジャパンクールなのだから。

「女子目線」の在処

 中間地点の重要点として「フェミニズム」という敵はもう無視出来ない。というテーゼを上げさせて頂きます。  『仁義なき戦い』『龍が如く』等々の20世紀ノワールクラシックスに対し、 21世紀のヤクザ映画を描くならば、もう課題はひとつだけとも言えます。これは関係各位、猛勉強して頂きたい所です。  この映画は“女子の目線“というものを極端に排しているけれど、まあ、それがない、このジャンルにそんなもんなかったんですから(「鬼流院花子」とか、ああいう「女ヤクザ」「姉さん映画」は、女子目線ではありません)。  そもそも女性は観なくても良いという前提です。マーケットを絞るのは悪事ではありませんが、広げるのも悪事ではない。「あの『マッドマックス』にシスターフッド/フェミニズム的視点が!!」と騒がしい昨今ですが、今作では、そんなもん知るかい。というアティテュードで、それならそれで潔い訳ですが、問題は、潔くてもダメなもんはダメということです。  本作の「女の目線なんか知るか」という潔さは、「狭量さ」にしか映りません。  この犠牲を、武田梨奈さんがひとりで背負っている印象で、実際に彼女は現場でも相当にしごかれたそうです。しごかれる事自体は彼女はまだ若手だからしょうがない部分もあるのでしょうけれど、この現場で、もっと「若い女の子の魅力も出していこう」という空気があったら、さらに間口の広い作品になった気がします。これは決して彼女が悪いということではなくて、映画の構造上、そういうポジションになってしまっているんですけど。全然可愛く撮れてないし、例の「やりすぎシリーズ」で、もう、聴いていて嫌になるほどエロくて汚い言葉を吐散らすんですが、痛々しさしかなく「女が墜ちて行くちゅうのはこんなもんじゃい」と言われたらそれっきりですが、そんなもんは古くさいバカな男のファンタジーで、まったく共感出来ません。  たとえば、『アウトレイジ』などは女性の観客も含めてそれなりの興行成績を達成しました。それは加瀬亮がヤクザになったということ、つまり一般的に女子が好きな俳優がヤクザになったという意外性が、映画の魅力のひとつになっていたということだと思うんです。そういうお楽しみを少し入れてあげると、もっと良い作品になったとは思います。ただ、お金もそれほど使えなかったでしょうし、少ない仲間でちゃんとスタッフを賄っていかなければいけなかったでしょうから、それで男同士でがんばっているうちに、ものすごくブラザーフッドというか、ホモソーシャル的な映画になってしまうのはしょうがない。この制作チームの志はちゃんと買うので、その辺も踏まえて今後も良作を作り続けてほしいものです。

<正気>の人たちが形成する社会の底辺

 最後に、一番強調したいのは強調したいのは、こういう映画はすぐに「狂った映画」といった風なステレオタイプが口にされがちなんですが、実はこの作品は狂気ではなく、正気を描いている作品だということです。所謂、精神病的な狂人は一人も出て来ません。    設定こそアンダーグラウンドですが、出てくるキャラクターは全員が完全に正気で、寺島進さんなんかはだんだんと狂って行くんですが、追いつめられてるだけで、大して狂っていません。  現代的な狂気。たとえば『冷たい熱帯魚』の場合は、普段は熱帯魚屋として暮らしている善人が快楽殺人者であるし、『悪人』や『ヒミズ』の若くて美しい主人公たちは、狂おしい状況に身を置かれて、いわば狂気と正気の臨界的体験をこれでもかというほどに訴えかけてくるわけです。  この映画の主人公は身体こそ過酷な状況に陥っているものの、人間的には全然狂っていないわけで、むしろ屈強な精神を持っています。武田梨奈さんが演じる高校生だって、状況は悲惨だけれども、その“落ち方”も本当に狂っている感じではなくて、普通の昭和の女の落ち方です。人は殺すけど、殺す相手は間違えていないのだから、その行動は正気に基づいたもので、説明の付くものです。  いわば、正気の人たちが形成する社会でも、ちょっと裏に入ると、これだけのことが起こっている。その事を描いたのがこの映画の長所なのではないでしょうか。これは今に限った事ではありませんが「現代的な狂気をちょいと掘り下げてほい文芸作品一丁上がり」という映画が多過ぎるように思います。  『仁義なき戦い』の頃は、敗戦トラウマというのが横たわっていたからこそ、任侠というものが成り立ったのだと思います。しかし、いまはむしろ戦争へと向かっているわけで、いまの市井の人たちに敗戦トラウマはリアルではない。だから任侠というものがリアルやアンリアルという足場を失って、ファンタジックに一人歩きをしている。  最初に話しましたが、今年は山口組の揉め事もあって、組関連の何名かががテレビに映ったりしたんだけど、彼らは本当にいい顔をしてるんですよね。昔は、こういう顔をした日本人が、まだまだ地上にもいっぱいいたし、映画の俳優のなかにも、こういう人はいました。  でも、いまや彼らは完全にアンダーグランド化してしまって、現代の日本の悪い人というと、オタクをこじらせたりとか、あるいは精神的な病理があって狂気に陥っている人が浮かんでくる。お母さんたちが警戒しているのはヤクザではなく、自分の子供を狙う変態です。健康的な社会というのは、任侠社会というのが、一般の社会の脇にちゃんと寄り添っているのが、それを様々な方法で抑圧したから、行き場のなくした狂気が野に放たれてバランスを崩し、ロリコンやら快楽殺人者やらといった病理へと繋がったというのは、余りにステレオタイプな社会的病理の見方ですが、嘘偽りの類いとは言えないでしょう。  つまり、本作は「現代的な狂気」という「中身(病理的な実質)」があるので、「空虚」ではない、と仮説する事が出来ます。一見、空虚っぽく、真空っぽく見える「狂気」ですが、実際狂気の実質というのは、嵐のように激しい物です。  本作の「空虚さ」は、物語が、見るもの誰にも関係ない。という非現実感だけではなく、「現代的な狂気」という、ずっしりした実質がなく、正気がそろうだけで生まれて来る物語、という「空虚」さなのである。と仮説する事も出来ます。一般的に「ジャパンクール」と呼ばれる物の中に「狂気の登場人物」はいるでしょうか? 作者、ユーザー、そしてこの国の狂気はあるけれども。  様々な意味で懐かしさと志を感じましたし、ユーモアもあるし、それを支える井筒チルドレンの演技も素晴らしい。そういう意味では、好感の持てる作品でした。  ただ、余計なお世話かもしれませんが、まだ若い彼等が、「俺たちゃ男の世界で、オタクなんか関係ねえ」とかいった誤った自己既定から解き放たれ、更に出来うるならば、「女性性」を作品に組み込んだ時が、ネクストレヴェルでしょう。後編の韓国ノワール『無頼漢』で、その事を扱います。 ■公開情報 『木屋町DARUMA』 2015年10月3日(土)より渋谷シネパレスほか全国順次ロードショー キャスト:遠藤憲一、三浦誠己、武田梨奈、木下ほうか、寺島進、木村祐一 監督:榊英雄 (c)2014「木屋町DARUMA」製作委員会 公式サイト:http://kiyamachi-daruma.com/

やっぱり脇役向き? 『無痛』ワースト2位、惨敗続きの西島秀俊が次期朝ドラでヒロインの父役に

nishijima1106
フジテレビ系『無痛』公式サイトより
 来年4月4日スタート予定の次期NHK朝ドラ『とと姉ちゃん』で、“中高年女性のアイドル”西島秀俊が、ヒロイン(高畑充希)の父親役に起用されることが決まった。母親役を演じるのは木村多江。  同ドラマには、他に向井理、大地真央、片岡鶴太郎といった大物もズラリと名を連ねており、NHKの“本気度”が伝わってくる。他には、秋野暢子、ピエール瀧、平岩紙、片桐はいりのベテラン陣、元AKB48の川栄李奈、杉咲花、大野拓朗、坂口健太郎、阿部純子、相楽樹の若手メンバーが出演する。  西島といえば、13年のNHK大河ドラマ『八重の桜』で、主役の綾瀬はるかの兄役を熱演し、中高年女性を中心に人気急上昇。それをきっかけに、連ドラの主演が増えたが、どうにも視聴率が上がらないのが実状だ。  WOWOWとの共同制作で、香川照之とタッグを組んだ『MOZU』シリーズ(TBS系)は、『Season1~百舌の叫ぶ夜~』(14年4月期)こそ、全話平均11.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)でかろうじて2ケタを死守したものの、『Season2~幻の翼~』(同年10月期)は全話平均6.4%とズッコケた。  これまた、香川との共演となった『流星ワゴン』(同/15年1月期)は全話平均10.3%で、2ケタに乗せるのが精いっぱいだった。  現在、放送中の『無痛~診える眼~』(フジテレビ系/水曜午後10時~)は初回こそ、11.6%とソコソコだったが、第2話で7.1%と急落。以降、第3話=8.4%、第4話=4.7%(午後11時45分放送開始)、第5話=7.4%と低空飛行が続いており、裏の『偽装の夫婦』(日本テレビ系/天海祐希主演)に完敗を喫している状態。今クールの民放プライム帯の連ドラでは、最下位を独走する『結婚式の前日に』(TBS系/香里奈主演)に次ぎ、ワースト2位に沈んでいる。  この現状では、「西島の主演では視聴率が獲れない」というのが定説になりつつある。折しも、劇場版『MOZU』が11月7日公開だが、主役の西島にとってはコケるわけにはいかず、まさに背水の陣だ。 『八重の桜』では、実にいい味を出していた西島。主演作品が低迷続きとなれば、「やっぱり脇役向き」といわれかねない。 (文=森田英雄)