菊地成孔が読み解く、カンヌ監督賞受賞作『黒衣の刺客』の“アンチポップ”な魅力

【リアルサウンドより】  韓流ドラマ以外は、日本映画が年間10本未満、アジア、中東、ロシア等々もせいぜい5本未満、アニメに至っては0本という菊地成孔が、低リテラシーのネット批評というけもの道を突き進む連載。第1回前編では、台湾の巨匠ホウ・シャオシェン監督の最新作『黒衣の刺客』を論じる。

「ホウ・シャオシェンは、えげつないほどゆっくり物語を進める」

 『黒衣の刺客』は公開を心待ちにしていた作品です。WOWOWで放送された、カンヌ国際映画祭の受賞式。オープニングでいろいろな国のグランプリ候補の映像が流れ、本作もそのなかにありました。ほんの一瞬だけ流れたアクションシーンが半端なくスゴくて、今流行のワイヤーやCG全く無しの、しかもミニマリズムだったんで、一発でヤラれてしまい、どうしても観たいと思ったんです。結論から言うと、これがめちゃめちゃいい映画だった。  とはいえこの映画は、ブルース・リーを代表とする“カンフー映画”ではなく、「武侠モノ」って言うんですが、中国の大衆小説の中の冒険物や、日本でいうところの「チャンバラ」みたいなモノです。アメリカだとパルプ・フィクションとか言いますよね、或はマーベル作品みたいな。中国では武侠モノの小説やコミックから、多くの作品が娯楽映画・ドラマ化されている。それを芸術家肌の監督がアーティスティックに撮る。ワイヤーアクションなどのド派手な演出はなく、アートとして表現しています。  このコンセプトの前例として、ウォン・カーウァイの『楽園の瑕』(1994年)が有名です。僕は大好きな作品ですが、公開当初はほとんど評価されていませんでした。    っていうか、世間一般に言われるのは、これがウォン・カーウァイのつまずきというか(笑)『欲望の翼』(1990年)『恋する惑星』(1994年)という名作連発で成功し、さあいよいよ巨大な資金を投じて、ローカルアーティストからインターナショナルアーティストへ。というポイントで「武侠モノを新解釈でやる」と。んでまあ、いろいろな意味でコケたと。確か、完成当初、すぐには日本では公開されなかった記憶がありますね。  <有名な武侠モノの主人公をポストモダン感覚でミックスした作品>ということで、世間の期待度は大変なものでした、それで多くの武侠モノ愛好家は『ルパン対ホームズ』(モーリス・ルブランによる小説。1908年に単行本化)のような作品になると期待していたんだけど、出来上がったら『エル・トポ』(1970年/アレハンドロ・ホドロフスキー監督)みたいな前衛的な内容になり、「やっちゃったな」という感じだったという(笑)。  豪華キャストに原作の権利料、製作期間もかけ巨額の資金を投入したにもかかわらず、大衆からそっぽを向かれてしまう……というのは、映画界ではそう珍しくない。ただ、『楽園の瑕』は後に再評価されており、デビット・リンチにおける『デューン/砂の惑星』(1994年)のように、ウォン・カーウァイにとってツイストした勲章となる作品になりました。よくある話ですが、今見返すと、全然解りずらくないし、さほど前衛的でもない。とても美しい映画で、ワタシも大好きです。  さて、『黒衣の刺客』のホウ・シャオシェン監督も、インタビューで「カンフーアクションやワイヤーアクションには関心がなく、黒澤明監督のサムライ映画の動き、背景に大自然が映るような部分に興味があった」という趣旨の発言をしており、最初からチャンラバ期待の大衆の方を、あんまり向いていない感じ。「どうなるんだろ?」と思ったんですが、カンヌでティーザー見たら、、、と話は冒頭に戻ります。  ただ、全編を通してみたら、“アンチポップ感”というか、まず、物語の速度がものすごくスローなんですよ。いまの映画は物語の速度感が上がっていて、ちょっとしたセリフでもすべて何かのフックになっていたり、時間が遅延されていく感覚がない。そこに来て、そもそもホウ・シャオシェンはゆっくり物語を進める人なんだけど、どんでん返しや複雑な人間関係のない、ストレートな活劇を、ものすごおおおくゆっくり進めるんで(笑)、テンポのよさを求める人には退屈に感じると思います。  しかしそこには、アジアではなく、アマゾン川流域ではないかというほどの、グロいぐらいの大自然が、5年以上かけたロケハンと撮影によって、奇跡的な美しさが切り取られていて、それが延々と続く。これが中国の底力というか。“アジアの大自然” “もう見慣れてしまったブルーレイの世界遺産”といったレベルから次の段階に上がっていて、自然の姿によって現実感が乖離するぐらいの巨大な力を感じました。しかも総てがとてつもない遠景で、主人公達が蟻みたいに並んでゆっくり動いている。1カ所だけ笑っちゃうようなワイヤーアクションがありましたが、あとは全部凄まじいリアリズムで構築されていて、かなり格調高いエンタメになっている。  ただ、ホウ・シャオシェン監督にはそんな意図はなかったと思いますが、これが “カンヌ(映画祭で受賞するための)対策”になっちゃってるんですよね。カンヌは “森”が描かれている作品の評価が高い。“ヨーロッパ以外の森に甘い” とも言えます。アニミズム(全てのものに霊魂が宿っているという考え)とくっついたりすると萌えてしまうというか、無条件で高得点をつけてしまうのではないかと。カンヌの常連である河瀬直美監督の作品がオーバーレイテッドされているとは決して言いませんが、2007年にグランプリを受賞した『殯の森』でも、奈良の森が出てきますし、殆どの作品に森とアニミズムが描かれます。いわゆる“カンヌ好き”の映画というものはあると思うんです。『黒衣の刺客』は衣装もスゴかったし、観る側としたら焦れるギリギリのライン――反近代的なスピード感も含めて、カンヌ対策にはなっていると思います。結果として、ですが。

「久しぶりにこれだけ黒澤明監督の影響を受けた映画を観た」

 ストーリーの進行もゆっくりなら、製作期間も長く、5年の歳月を費やしています。妻夫木聡さんが「台湾の有名映画監督の作品に出演します」と語ってからずいぶん時間が経った印象で、やっと公開されたと思ったら、セリフがほとんどなかった。しかも、日本で公開されたのは「日本オリジナル・ディレクターズカット」であり、海外版では妻夫木さんの出番はもっと少ないし、忽那汐里さんは出演すらしていない。いずれにしても、彼らが大活躍することはないので、そこをお楽しみにしているファンの方はガッカリするかもしれません。  しかし、妻夫木さんは非常にいい役を演じている。中国人同士の血なまぐさいお家騒動に紛れ込んだ遣唐使の役で、冷徹なアサシンの心を溶かす。かなりの“天使役”で、ストーリーの鍵は握っています。中国を舞台にしたチャンバラ映画でありながら遣唐使である日本人を天使役にするということは、やっぱり台湾映画だからできたのかなと思いますね。    いずれにしても、パンフレットを読んでも彼が演じる「鏡磨きの青年」がどんな過去を持ち、この話に登場する人物か劇場パンフレット以外にはまったく書かれていません(笑)。というか、全体的に説明が省かれた映画で、ストーリーは非常にシンプルであるものの、そうとう分かりにくい。馴染みのない固有名詞がたくさん出てくるし、遠景の撮影が多くてクローズアップが少ないから、主人公以外の女性の顔がなかなか判別できない。そういう“謎”が深みになっていて、ハリウッド的な、或は香港式のガチガチのエンタメにしない、というのがベーシックなコンセプトだとはいえ、これも辛い方には辛い点でしょう。  そんなこともあって、それほど多くの観客が入っていない、という話もある。『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014年/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)も、アカデミー賞をはじめとする数々の映画賞を受賞しているのに、それほど興行収入は多くありませんでした。賞と批評と興収はまあ、そもそも100%の関係ではない、とはいえ、観客は、『セッション』(2014年/デミアン・チャゼル)に代表される毒々しかったり、萌え記号や刺激が強かったりする映画が観たい気分なんじゃないでしょうか。バブル末期で、かなりの前衛もお洒落なら喰える、という時代ですら前述の『楽園の瑕』はノーを喰らった。『黒衣の刺客』は、カンヌで念願の監督賞受賞しかし観客をガツガツ呼び込むには格調が高すぎた。まあ時代ですよね。  あとびっくりなのは「最近、ここまで黒澤明リスペクトな映画見てねえよ!!」というぐらいのリスペクトっぷりで、まあ、ホウ・シャオシェンはもう68歳で、この時代にここまで分かりやすい黒澤オマージュをするのは彼くらいの年齢でしかありえないのかも知れません。冒頭にある様に、これは本人がはっきりと発言している訳だから、言行一致な訳ですが、殺陣が『七人の侍』(1954年)の宮口精二さんの動きなんですよね。最小限の動きで、相手の攻撃をギリギリで躱す。ちなみに、宮口さんは黒澤監督に「殺陣なんてやった事ないから出来ない」と言って、黒澤に「僕の言うとおりに動いてくれればそれでいいので」と言われて、そのとおりに演じたところ、剣術の達人の様にしか見えない、あの演技が出来た。という有名な逸話があります。『黒衣の刺客』の切りあいのシーン――特に傾斜がかかった白樺並木で戦うシーンの激しく、かつ最小限のムーブしかしないミニマリズムは、『七人の侍』宮口さんが2人いて、鏡面で戦っている様な感じです。あと、女主人公の父親が、もう千秋実さんにしか見えない(笑)。  他にも『蜘蛛巣城』(1957年)で三船敏郎が実際に矢を撃たれた有名なシーンと、そうとう似たシーンもあり、「これ、日本まで来て、同じ城で撮ってないか?」というぐらいでした。何れにせよ、久しぶりにこれだけ黒澤明監督の影響を受けた映画を観たな、という感じ。宴会の群舞や、男性主人公の顔つき等も『隠し砦の三悪人』や『乱』を否が応でも想起させ、僕よりも映画に詳しい方が観たら、他にも多くの場面で同じことを感じると思います。  映画の引用問題は音楽におけるリスペクト/パクリ問題と似ていて、受け手のリテラシーによって見方がかわり、またどのネタを使うかというところで、制作者のセンスが問われるところ。本作については、黒澤映画の影響を堂々と見せ、それがまったくみっともなくない。リスペクトの良例だと思います。  さらに、本作は音楽が素晴らしく、カンヌ映画祭でも「最優秀映画サントラ賞」を受賞しています。私は不勉強で知らなかったんですが、音楽を担当したリン・チャン(林強)は台湾のロックシンガーで、日本でいうところの矢沢永吉さんのような人だそう。ただ、実際に彼が作った曲というのはごく一部で、それぞれの場面ではその国の民族音楽が使用されていました。日本を舞台にしたシーン、忽那汐里さんが巫女として踊るところでは、篳篥などを含めた、本格的な雅楽が演奏され、中国の国内でも田舎だ宮廷だ、宴席用だ、農作業用だと場面に応じて音楽を変えているのですが、衣装やセット、台詞等と同様に、音楽も時代考証ががしっかりとしており、本当に息を呑むような素晴しさです。坂本龍一さんが『ラスト・エンペラー』の音楽で中国楽器を使ったように、エキゾチックな雰囲気の曲をつくるのも、いわゆる“カンヌ対策“ということになるかもしれません。  ただ、これがリン・チャン氏の仕事かどうかは判然としません。たまに流れる、プログレ的なシンセの曲があるんですが、「あ、コレだけじゃないかな」と思ったりまします。というのは、絵に演奏シーンがある様なものではない、純然たるアンダースコア(劇伴)がこの曲だけだからなんですが。

「ホウ・シャオシェンはフェミニズムを強く意識している」

 また、これは同じく台湾人監督で、カンヌでは競い合う立場になったアン・リーに対する牽制なのかどうか、ホウ・シャオシェンはフェミニズムを強く意識しており、「男は生き物としてはつまらない、女性のほうが複雑で独特な感受性を持っていて、そういう面に自分は惹かれるんだ」という趣旨の発言もしています。確かに、『黒衣の刺客』に登場する男は総じてつまらない人間で、女性はキャラクターが豊かです。  アン・リーは2005年、ゲイをテーマにした『ブロークバック・マウンテン』をヒットさせ、その後には『ラスト、コーション』というポルノ映画ギリギリの際どい性描写で話題になりました。しかし、ホウ・シャオシェンはそういう方向には行かず、本作もまったくエロがない。師匠は女性はおばさんだし、女性の殺し屋だというのに殺しのシーンにエロがない。そして、女性性の象徴である大自然が描かれているということにおいて、フェミニスティックな志向が見られます。しかしながら、女性の顔が判別つかない時点でフェミニスティックな映画だとは言えないし、全体的にはサムライ映画を下敷きにしたマッチョな印象。今作では、ホウ・シャオシェンは黒澤リスペクとは見事に出来るが、フェミニズムを「理念としてはやりたいんだけど、実際はできない」ということが分かり、その部分にちょっとした好ましさも感じました。正直な感じですよね。誠実というか。  あらためてまとめると、『黒衣の刺客』はまったく“現代的なお楽しみ”がない娯楽映画で、女殺し屋が主人公のチャンバラという、オタクが喜びそうな設定を使いながら、まったく萌えさせない。だからといって現代人に対しての何らかのメッセージがあるわけでもない。娯楽小説をここまでアーティスティックにブロウアップして、さらにヨーロッパ人が喜びそうな要素が詰め込まれている。ケレン味なく誠実で、良くも悪くも“おじいさん”の仕事ですが、カンヌでの高い評価に今後、世界中のマーケットがどう反応していくか、気になるところです。「現代的なお楽しみ」だけで出来たパフェみたいな『キングスマン』みたいな映画と好対照で、とはいえ僕は『キングスマン』系の未来も若干行き詰まっていると感じているので、尚更ですね。 (取材・構成/編集部) ■公開情報 『黒衣の刺客』 監督:ホウ・シャオシェン 脚本:チュー・ティエンウェン、ホウ・シャオシェン 撮影:リー・ピンビン 出演:スー・チー、チャン・チェン、妻夫木聡、忽那汐里 原題:「刺客 聶隱娘」 英題:「THE ASSASSIN」 原作:「聶隱娘」/ハイ・ケイ 配給:松竹(株)メディア事業部 (C) 2015 Spot Films, Sil-Metropole Organisation Ltd, Central Motion Picture International Corp.

嵐、『紅白』司会降板は濃厚!? NHKに届かなかった“贈賄”バームクーヘン

<p>A TOKIO・国分太一の結婚は、かなり大きな波紋を呼びましたね。こういうとき、舞台やミュージカルの合間にジャニー喜多川社長が、御用達媒体のみを集めて取材に応じるのは恒例ですが、そこでまさかの「適齢期になったら遠慮なく結婚するべき」と発言したという。</p>

吉澤ひとみ、AKB48メンバーも? 芸能界に広まる“ハリウッドセレブ仕様の輝く歯”に違和感とリスクの懸念

yoshida0908
吉澤ひとみ公式サイトより
 先日、IT企業経営の年上男性との婚約を発表した元・モーニング娘。の吉澤ひとみが16日、都内で総合繊維メーカーの発表会に登場。婚約発表後に公の場へ登場するのは初となり、記者たちに婚約を祝福されると、「恥ずかしいけどうれしいです」と、笑顔いっぱいで喜びのコメント。その表情は幸せに満ちていたのだが、ネット上では「歯茎の色がグロテスクだな」「E-girlsのAmiも同じような歯茎してるよな」などという指摘が飛び交っている。 「欧米では昔から、歯並びはステータスを表し、今では90%以上のハリウッドスターがインプラントや差し歯にしているともいわれています。その価値観は日本の芸能界にも広まり、“芸能人は歯が命”という言葉がひところ流行ったように、今では事務所から歯を審美治療するように打診されるタレントも少なくないようです」(芸能関係者)  矯正器具を装着して歯列矯正をする場合、大人だと治療に1~3年もの長い年月を要してしまうが、差し歯あるいはインプラント治療であれば短期間で治療は済む。先日、税金の申告漏れが発覚したAKB48グループの運営会社「AKS」は、メンバーの歯の治療も経費で落としていたとされているが、今の芸能界では美容整形も含め、事務所がタレントに“お直し”を促進することが、昔以上にポピュラーとなっている。しかし、何ごとにもリスクはつきまとうものだ。 「差し歯の土台に金属が使われている場合、その金属が歯茎に入り込んで酸化し、歯茎が黒ずんで見えてしまうことがあるようです。歯茎に合わずに痛むこともありますし、歯並びが良すぎたり白すぎたりして不自然な印象になり、人によっては自歯のままの方が良かったと後悔するケースもあるようです」(同)  少し以前には八重歯がかわいいともてはやされ、わざわざ付け八重歯をするアイドルや一般女性が急増していると騒がれた時期もあったのだが、主体性のない人間が生きていくには、余計な出費が益々かさんでいく時代になったようだ。