博多華丸が“娘の目は偽装”発言! 将来的に、レディー・ガガと共演の可能性も?

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

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『さくら学院」公式ページより。
 16日、都内で行われた『福岡よかもん市場・福岡よかとこ旅行券』のPR会見に、福岡県出身の博多華丸・大吉が登場。記者からの囲み取材では、最近発覚し話題となった、アイドルグループ「さくら学院」に所属する、博多華丸の次女・岡崎百々子に関する質問が飛び交い、「目が似ている」と記者から指摘されると、「(娘は)ものすごく目を見開いて撮ってますね。偽装です、偽装」と、照れ隠しなのか冗談を交えて笑いを誘った。 「2012年に放送された『アメトーク』(テレビ朝日系)では、『娘デレデレ芸人』として出演し、娘への溺愛ぶりを披露していました。会見では『共演は自宅だけ』と否定していましたけれど、今後、岡崎との共演が実現する可能性はありそうですね。業界が放っとかないでしょう」(芸能関係者) 「おたぽる」で続きを読む

佐野研二郎だけじゃない、師匠の佐藤可士和にもパクリ疑惑の過去! クールジャパンロゴにコシノジュンコが激怒

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佐藤可士和オフィシャルサイトより
【本と雑誌のニュースサイトリテラより】  東京オリンピックエンブレム白紙撤回後も、いっこうに収束する気配のない佐野研二郎のデザイン盗作問題。  そんななか、サノケンが師匠と仰ぐ広告デザインの第一人者・佐藤可士和が、2016年5月に行われる伊勢志摩サミットのためのロゴマーク選考委員座長に就任するとのニュースが報道された。  佐藤可士和といえば、ユニクロ、楽天、TSUTAYA、森永製菓の「ウイダーinゼリー」など、普段の生活でも目にする数多くの商品や広告を手がけたトップデザイナー。サノケンも佐藤可士和がキリンビールの発泡酒「極生」を手がけていたときは、彼の下でデザイナーとして働いていた。  そんな輝かしい経歴をもつ、師匠・佐藤可士和だが、「女性セブン」(小学館)15年9月24日号によれば、彼も過去に弟子のサノケン同様パクリ騒動を起こしているらしい。  事件は、11年、佐藤が「クールジャパン」政策のロゴを手がけたときに起こった。元ネタとして告発したのは、パリコレへの参加など華々しい経歴をもつファッションデザイナーのコシノジュンコであった。  当時、「産経新聞」11年9月18日朝刊では以下のように報道されている。 〈アニメやファッションなど日本発の文化産業を海外に売り込む政府の「クールジャパン」戦略の一環で、知的財産戦略推進事務局が発表したロゴマークが、日本オリンピック委員会(JOC)のエンブレムとの類似性を指摘されていることが17日、分かった。  ロゴマークはユニクロのロゴマークなどを手掛けたアートディレクター、佐藤可士和さんのデザイン。公募で集まった99案から絞り込み、野田佳彦首相が最終判断した。  ところがロゴを発表した13日以降、同事務局に「JOCのエンブレムに酷似している」との指摘が寄せられた。似ているとされたのはコシノジュンコさんがデザインしたもので、JOCは対策を協議するという〉
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左・佐藤可士和の「クールジャパン」のロゴ/右・コシノジュンコのJOCの第二エンブレム
 類似性が指摘されたのは、1993年にコシノジュンコがデザインしたJOCの第二エンブレム。98年の長野冬季オリンピックに向けての商業ロゴとしてつくられたものだった。  前出の「女性セブン」によれば、コシノジュンコは11年に騒動が勃発した当時、大変に憤り、以下のようなエピソードもあったという。 〈あるパーティーで、コシノさん本人が、時の首相だった民主党の野田佳彦氏がクールジャパンのバッジをつけているのを見て大激怒。“これはどういうこと?”と大変な騒ぎになったのです〉  この件を受けて、筆者も二つのロゴを確認してみた。日の丸の左側に躍動感を表現したと思われる“尾”があつらえられている点はどちらも共通している。佐藤可士和の方は“尾”が9本、コシノジュンコの方は“尾”が11本という違いこそあるものの、パッと見はよく似ている。少なくとも外見だけ見ると、パクリという声があがっても仕方がないだろう。  では、ロゴをつくるにあたっての「考え方」はどうか? サノケンの一件では、エンブレムについて「(リエージュ劇場のロゴとは)考え方がまったく違う」として、パクリではないと釈明していたのが印象的だった。しかし、この佐藤・コシノの一件は「考え方」までよく似ている。  コシノジュンコはデザインコンセプトについて「動く太陽を表すことで、躍動するこれからの日本を打ち出した。シンプルで強い印象を心掛けた」(「読売新聞」93年10月21日朝刊)と説明。  一方、佐藤可士和は「日本が前へと進んでいく瞬間を押さえた躍動感のあるデザイン(中略)「次の新しい日本」へ向けたもの」(「Fashionsnap.com」11年9月13日配信)と、東日本大震災からの復興を背景としたロゴメッセージを発表している。ようは、両方とも「日の丸の前進」を表す“尾”が「日本の未来」を象徴する記号として使っていたというわけだ。  もっとも、この、クールジャパン政策ロゴマークとJOC第二ロゴの件は、前述の通り新聞沙汰にまでなるが、サノケン事件のように社会問題化することはなく、うやむやのうちに収束していったので、これが本当にパクリだったのかどうか、真相は藪の中だ。  ただ、かつてこのような問題を起こした人物が、サノケン騒動冷めやらぬこの渦中にサミットロゴマークという大仕事に携わって大丈夫なのだろうか。  9月2日に開かれた伊勢志摩サミットロゴマーク選考のための第一回会合では、『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)『ワイドナショー!』(フジテレビ系)などテレビ出演も多い社会学者・古市憲寿が「プロセスを透明にして、人々が納得できるロゴを選びたい。東京五輪と同じような“炎上”騒ぎは絶対すべきではない」と発言した。佐野研二郎エンブレム撤回による損失は5700万円にもおよび、国民から大変な批判を浴びている。同じ轍は二度と踏んではならない。  いや、しかし考えてみれば、そもそも一般の国民の目にはほとんど触れないであろうサミットのロゴにそんな一流デザイナーや有名な社会学者を呼ぶ必要があるのだろうか? 佐藤可士和とコシノジュンコの一件にしても、一時話題になったもののすぐに収束したのは、クールジャパン政策のロゴ自体がそもそも一般の国民の目に触れるようなものではなかったからだ。血税の無駄遣いはこういうところから是正されていけば良い。今回の騒動ではあまり議論の対象になっていないが、公共のイベントに関するロゴマーク制作のあり方そのものにも今後はメスが入っていくことを期待する。 (井川健二)

やっぱり嵐は数字がない? SMAP vs 嵐で徹底比較、バラエティ番組視聴率の勝敗

<p> 人気・実力ともにジャニーズ事務所の先頭を走っているSMAPと嵐。CD売り上げはSMAPの「Otherside/愛が止まるまでは」(9月9日発売)が初週15.0万枚を売り上げた一方で、嵐の「愛を叫べ」(9月2日発売)は初週46.3万枚を記録。CDセールスでは嵐に軍配が上がっているものの、嵐は数年前からテレビ界で「視聴率が稼げない」といわれている。2015年は両グループの出演番組が数字としてどう表れているのか、検証する。</p>

【止まらぬ不幸の連鎖】加護亜依、バラエティ復帰も新たな"金銭問題"が浮上

【アガるニュースをお届け!デイリーニュースオンラインより】
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加護亜依写真集 『LOS ANGELES』
 元モーニング娘。の加護亜依(27)が所属するガールズユニット「Girls Beat!!」が再始動し、アイドルフェスへの出演を重ねている。といっても、加護の出演はなし。2014年10月に加護の当時の夫に出資法違反(高金利)容疑で逮捕状が出されて以来、同ユニットは活動を停止。約10か月の活動停止を経て9月から復活したが、加護の復帰は見送られた。同ユニットは当初3人組だったものの、現在は加護と姫乃稜菜しかメンバーがおらず、当面は姫乃が一人でイベントに出演するという。 「加護は今年6月末に前夫との離婚が成立。親権問題がこじれて暴力を振るわれ、DV事件として前夫が逮捕されるなどカオス状態でしたがケジメをつけた。その2か月後、元夫が絡んでいる個人事務所との契約も終了させました。現在、加護はフリーとなっていますが、Girls Beat!!は前事務所の所属ユニット。復帰すれば前夫との関わりが避けられないため、今のところユニットの活動を黙殺しているのでしょう」(芸能関係者)  どうやらアイドル活動はしばらくお預けの様子。さらにフリー転向で仕事がなくなると心配された加護だが、8月28日に放送された『ダウンタウンなうSP』(フジテレビ系)でゴールデンタイムのバラエティーに出演。モー娘。脱退の原因となった未成年喫煙騒動やAVオファーについて赤裸々に暴露し、ダウンタウンや視聴者を相手にインパクトを残した。  暴露系の需要ながら、バラエティー復帰できれば再浮上の目も見えてくる。だが立て続けにバラエティーに出演するわけでもなく、加護は「どれもこれもOKというわけにはいかない」と慎重。仕事の打ち合わせは入っているようだが、断ってしまうことが多いという。加護は1児の母でシングルマザー。離婚した前夫は借金まみれとも伝えられ、慰謝料や養育費は期待できそうにない。また、モー娘。時代の稼ぎは親の借金返済に消えたといわれており、あまり経済的な余裕はないとされている。  しかも事務所に所属しないフリーとなれば、がむしゃらに稼ぐしかないように思える。にもかかわらず、なぜ動きが鈍そうに感じられるのだろうか。
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倖田來未は劣化したGENKING? “引退詐欺”と非難を浴びる妹・misonoとともに人気失墜か

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『SUMMER of LOVE』(rhythm zone)
 16日、日本ネイリスト協会の創立30周年記念パーティーに出席した倖田來未の姿がネット上で話題を呼んでいる。「金髪ロング姿だけ見たら、一瞬、GENKINGかと思った」「劣化したGENKINGって感じ」と、謎の美男子として注目を集めているGENKINGの劣化版だという声が上がっているようだ。 「GENKINGがマスコミに登場した頃から、倖田來未に似ているという声は上がっていました。ただ、全盛期の倖田ならまだしも、現在のに似ているといわれることに対しては、GENKINGも怒り出すでしょうね。倖田の『エロカッコイイ』のキャッチフレーズも、今では遠い昔の話。去年12月に行ったデビュー15周年記念特別ライブでは、全シングル58枚の表題曲62曲をメドレーで歌うハードなステージを披露したものの、話題になったのは『整形せんでもいけるんや』という発言に対して『整形してるだろ!』とネット上で総ツッコミをくらったことのみでした」(音楽業界関係者)  倖田來未といえば、妹のmisonoも人気失墜が顕著となってきている。 「昨年の9月に引退宣言をしたものの、その後も活動を続けていることに対して非難が集中。心苦しくなったのか、今年の3月、LINEの動画配信でmisono本人が直接謝罪する事態となりました。『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)などで共演することも多い有吉弘行ですら、これには不快感を露わにし、自身のラジオで『引退詐欺みたいなことされると、無性に腹が立つよね』と世間の声を代弁。元々、好感度の低いタレントではありましたが、ますます下がったといわれています」(同)  芸能界を引退してキャバ嬢になると宣言していた時期もあるmisonoだが、芸能界で一度おいしい思いをしてしまうと、簡単には離れられないのだろうか。

【動画あり】これが本物の「おっぱいコーラチャレンジ」よ!

こんにちわ♫
グラビアアイドルライターの白いん子です❤皆さんいつも記事読んでくれてありがとうございます♫
前回の『おっぱいビールチャレンジ』の反響が凄くて、調子に乗って第2段をさせて頂く事になりました( 〃▽〃) ※youtube再生数3万回❤うれしーーー♪はずかしーーー(/ω\*)・・・(続きは探偵ファイルで)

日テレジェニックのアイドルが「愛人契約」?暴露動画が流出で騒然!

日テレジェニックに選出されたアイドルが「愛人契約」を結んでいたと暴露する動画が出回り、騒然となった。問題の動画は、いくつかに分けてアップロードされた。それらの動画をアップロードした人物の素性は、現時点までに明らかになっていない。・・・(続きは探偵ファイルで)

山木の心霊事件簿◆T病院の怪

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。探偵Kでございます。
先日、山木が探偵ファイルのイベント優勝者・あねもね様のリクエストに答えて藁人形を斬ったわけだが。
あねもね様いわく...

「アンタ馬鹿ぁ!?アタシは、帰らずの森の藁人形を斬れと言ったのよ!なのに、
 違う人形じゃない!しかも失敗してるし!刺してるし!!っとにも~、今度、
 アタシも連れてってください。」

と言われてしまった。・・・(続きは探偵ファイルで)

リアム・ギャラガーと元妻、金銭的な争いでそろって出廷

リアム・ギャラガー(42)と元妻ニコール・アップルトンが16日(水)、金銭を巡る裁判にそろって出廷した。1年以上前に破局した2人は、ロンドンのセントラル・ファミリー・コートで行われた未公開の審問に出席した。証拠を検証するマーティン・オドワイヤー裁判官がこの訴訟ついての内容の公表について制限を設けているものの、ニコールが訴えを起こし、2人は金銭的なことで争っているようだ。まもなく判決と同時にその詳細が明らかになると見られている。 2008年のバレンタインデーに結婚し、14歳になる息子をもうけた2人は、アメリカ人ジャーナリストのリザ・ゴルバーニとの隠し子、さらには現在共に暮らしている元マネージャーのデビー・グィザーとの浮気が発覚したことで2013年に破局している。ニコールがリアムが「全国紙が発行される前に浮気を認めていた」と発言した後、昨年4月に離婚仮判決が下されていた。 リアムはリザとも2歳になる隠し子の養育費を巡る裁判を繰り広げていた。

小説もやっぱり「あまぁ〜い!」 セカイの小沢一敬らしさしかない小説 『でらつれ』

お笑いコンビ、スピードワゴンの小沢一敬が2010年に発表した小説『でらつれ』(講談社)は自伝的な小説ではないし、お笑いの世界を描いた物語でもない。作品のなかには、現在「セカオザ(SEKAI NO OZAWA)」は不在であるにも関わらず、彼の世界観が読者の目の前に現れてくる。 全体を構成する16篇の短編は、それぞれ独立している。各物語の主人公は全員35歳。この設定は「おやっ? また35歳か」と読者に物語のつながりを匂わせる。そして案の定、「実はこの物語は……」という最後にすべての短編をつなげるオチをもってくる。 また、この作品の構造は、鳥居みゆきの『余った傘はありません』(幻冬舎)とよく似ているが(作中で仕掛けてくるギミックにはタネが完全にカブっているものさえある)、『余った傘はありません』のほうが8倍ぐらい読み応えがあった。 そもそも、それぞれの短編の内容が取り立てて面白いものではない。そこがまったく鳥居の作品と違う。たとえば冒頭の「ときどき海、どきどきキス」はこんな話だ。離婚した主人公が生まれ育った海のある町に戻ってくる。中学時代に思いを寄せていたクラスメートとの思い出の地である海岸に主人公は立ち、当時の不器用な恋愛を回想する。するとそこにそのクラスメートが偶然通りかかり、ふたりは20年ぶりに再会する。当時、伝えられなかった思いをふたりは初めてそのとき伝えるのだが……。 ……と、16編全てがこんな具合である。どこかで読んだ/観た/聞いたことのあるような青春ドラマや『世にも奇妙な物語』(フジテレビ)の陳腐なパロディが集まっているだけ、と切り捨てることもできる小説なのだが、恐ろしいのは小沢がそれをパロディとしてあえて書いているのではなく、本気で書いているところにある。刊行時のインタヴューでは、この「ときどき海、どきどきキス」をフリッパーズ・ギターの『海へ行くつもりじゃなかった』から着想を得た、と彼は語っている。 小沢「……フリッパーズ・ギターの『海へ行くつもりじゃなかった』っていうアルバムのタイトルがピッタリくる小説を書こうと思って書いたんだ。……ドラマだったらここ(筆者注:最後のシーン)でこの曲を流したいなと思って書いてたの(笑)。分かる?『Goodbye my classmate, goodbye my math teacher』って、『さよなら僕のクラスメイト、さよなら数学の先生』っていうこの歌がずっと流れてた」(スピードワゴンの小沢一敬 小説『でらつれ』(講談社刊)で作家デビュー!) ◎セカオザファンのための小説? 2010年にフリッパーズ・ギターを恥ずかしげもなく出す、そのセンスの寒さ・痛さに半笑いになってしまうのは評者だけではないだろう。真顔で「男も岡崎京子を読むべきだよね、女の子の気持ちを理解するためにさぁ」とか言いそうだ。 一方で、そうした陳腐さ・寒さ・痛さこそがセカオザらしさであり、彼の世界観とも言える。そして、それは表現の節々からも感じられるだろう。たとえば、こんな文章。 「女の子の唇はキスするためについているんじゃないかなんてすら思う。/だったら、男の唇は何のためについているんだろう?/そうだよ。大好きな女の子とキスをして、その帰り道に口笛を吹くためについているのさ」(「ときどき海、どきどきキス」) よく読むと男女の唇の意味が変わってないし、帰り道に口笛を吹く意味もまったく意味がわからないが、「あまぁ〜い‼」と叫ぶ相方、井戸田潤の声が聞こえてくるようだ。そして、読者はこの陳腐さ・寒さ・痛さのなかにセカオザの世界を目撃してしまうのである。残念ながら世界のなかに読者を没入させるだけの力はこの小説にはない。ただ、その世界を目にする、という面白さがあるようにも思われる。「ああ、あの人の小説らしい」という読み方で、小沢一敬のファンであればそこそこ満足してしまうのではないか。 空虚な小説の「なにを」読んでいるのか 一般的に、小説の評価はストーリーの良し悪しで判断されることが多いように思われる。それゆえに「世界観を読む」ような小説の読み方は邪道に思われるかもしれない。しかしながら、そうした読み方をさせる小説は特別なものではない。日本でもっとも商業的に成功した小説家のひとり、村上春樹の長編も常にそうしたものだろう。 社会と没交渉的でやや特殊な職業についている主人公(やたらとモテて、自炊をする)、飛び切りの美人ではないがチャーミングな顔のヒロイン(物語の途中で消えてしまう)、あまり有名ではないクラシック音楽、謎の邪悪な存在、超自然的な体験、「やれやれ」……。ストーリーは違っても小説の世界観はいつも同じ「村上春樹的なもの」である。そして村上春樹の場合、ストーリーがよくわからなくても世界観を目にするだけで読んだ気になってしまうことも十分にありえる。小説を読んでいるつもりが「◯◯らしさ」を味わうだけ、という読み方だ。 もっとも、そういう読み方はあらゆる小説において可能であろう。宮部みゆきの小説には「宮部みゆきらしさ」があるだろうし、伊坂幸太郎の小説には「伊坂幸太郎らしさ」が、森博嗣の小説には「森博嗣らしさ」があるように。(こうした有名作家の小説とセカオザの小説と並べるのもどうかと思うが)「セカオザらしさしかない」というこの作品の空っぽさは、読者は「なにを」読んでいるのか、という問題を顕在化するようでもある。