6日放送の『アウト×デラックス』(フジテレビ系)に、第153回芥川賞を芸人のピース・又吉直樹と共に受賞した作家の羽田圭介が登場し、大きな話題になっている。 羽田は、いきなり手作りのクッキーを配り始めたり、自分のことを超合理主義者だと分析し、「結婚してる女友達に会うと、意味ねーなぁって思う。何も起こらないわけですからね。一番無意味なことだと思う」「カレーが食べたくなったら、業務用のスーパーで材料買い込んで、50人分のカレー作って、そればっかり食べる」「印税が入らないから、文芸誌に自分の作品が載っても告知はしない」などと、かなりテレビ慣れした様子でトークを展開した。 これには初対面のマツコも「私、あんたのこと好きかも」と珍しく絶賛。矢部浩之も賛同するように手を叩き、南海キャンディーズ・山里亮太も「又吉の陰に、こんな特濃キャラがいたなんて」と、芸人として少し悔しげな表情を浮かべた。 また、芥川賞受賞の連絡が入った際に、デーモン閣下メイクでカラオケを熱唱していた羽田。その映像を見たデーモン閣下本人に「もうちょっと高音部分に研究の余地があるな」とダメ出しされたことが悔しかったと述べ、「じゃあ、今リベンジしてみる?」とマツコに言われると、躊躇する様子もなく白塗りメイクを済ませ、見事な歌唱力を見せつけて番組を大いに盛り上げた。 番組では当然、ピース又吉のことにも触れる。「(又吉の陰に隠れて)損したと思わない?」とマツコに振られると、「そう言われることが多いけど、逆に又吉さんのおかげでメディアへの露出が増えました。又吉の隣で見切れて肩口だけ映ってる奴は誰だ? って検索してくれる人もいますから」と、本人的にはポジティブに捉えている様子。 「番組の趣旨通り、かなり“アウト”な人で、これから需要が出てくる可能性はありますね。3年前に同賞を受賞し、『もらっといてやるか』発言で話題になった田中慎弥さん以来のキャラ立ちした作家さんじゃないでしょうか」(テレビ局関係者) 芥川賞受賞時こそ、完全に又吉に話題をさらわれてしまった羽田だが、この放送を機に、今後バラエティで見る機会も多くなるかもしれない。“死神”と称され、芸人としてはキャラの薄い又吉にとって、羽田の特濃キャラはうらやましい限り?
日別アーカイブ: 2015年8月8日
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島袋寛子の最新画像に「激変した!?」「エレキテル連合みたい」と驚き
岡田准一と宮崎あおいの不倫熱愛はまだマシ!? イジメ、出禁…芸能界不倫カップル5選!!
6日発売の「女性セブン」(小学館)が、V6・岡田准一と宮崎あおいの熱愛を報じた。同誌によると今年春頃から交際が始まったという。この2人は、11年末に『週刊文春』(文藝春秋)で温泉旅行をしたことがスクープされていた。当時、宮崎は元夫の高岡奏輔と離婚前であったことから不倫疑惑が浮上するなど大いに話題になった。それ以来、約4年ぶりの熱愛発覚となったふたりはこのままゴールインできるのか? 恋の行方が気になるところだが、芸能界では不倫関係から結婚した芸能人も少なくない。5組の泥沼不倫愛を紹介しよう。 ■内村光良×徳永有美 『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)など、人気番組で司会を務める内村光良と、徳永有美(元テレビ朝日アナウンサー)の交際が発覚したのは03年。当時、徳永は同局のディレクターと結婚していたこともあり、不倫愛として報じられ、徳永は担当していた番組を軒のみ降板させられるという事態にまで発展した。同年9月、徳永の離婚が成立し、2年後の05年3月に内村との結婚を正式に発表。その後徳永はテレビ朝日を退社した。現在は、2人の子供に恵まれ、幸せな家庭を築いているようだが、この一件以来、内村はテレビ朝日に出禁ともいわれている。 ■佐々木主浩×榎本加奈子 佐々木主浩は91年に結婚していたが、05年に離婚。その後、不倫関係にあったグラドル・榎本加奈子とできちゃった再婚した。前妻との間に生まれた2人の子供を引き取り、生活していたが14年9月に発売された「週刊文春」(文藝春秋)で、長女が取材に応じ、佐々木家の複雑な家族関係を告白。その内容は、継母である榎本からお弁当に豆腐一丁と醤油を持たされたことや、金銭面の援助を求めた時に「風俗でもやれば」と言われたなど、イジメがあったという凄惨なものだった。一時はこれを苦に、自殺未遂を図るまで追い詰められたという。これについて佐々木は「週刊女性」(主婦と生活社)で反論。親子の意見は食い違い、真偽のほどは、未だ不明だ。 ■篠原涼子×市村正親 01年に舞台『ハムレット』の競演をきっかけに交際を深めた2人。しかし、当時、市村正親は女優の八重沢真美と結婚していたため、不倫交際として報じられた。兼ねてから度重なる市村の女性関係に八重沢は心痛していたようで、03年に結婚生活にピリオドを打つ。その後、05年に市村は篠原と再婚。08年に第一子、12年には第二子を出産するなど、25才の年の差を感じさせない幸せな夫婦生活を送っているようだ。※イメージ画像:「AOI MIYAZAKI official web site - 宮﨑あおい」より
■糸井重里×樋口可南子
コピーライターの糸井重里は、81年に一般女性と結婚、同年には娘が生まれたが、翌82年に女優・樋口可南子との不倫が発覚。糸井はこれに対し「弁解するつもりはない」「女房も誰にでもあることと分かってくれています。そういう女房を僕は選んだのです。離婚もありません」などとコメント。樋口も「結婚は望んでいません」「妻子ある人を好きになったんじゃありません。その人にたまたま家族があっただけです」と発言するなど双方が不倫を認めた。ふたりの不倫関係は約10年続き、糸井と前妻との離婚成立後、93年、ついに糸井と樋口は結婚し、正式な夫婦になった。
■安藤優子
長年、ニュースキャスターとして公明正大に活躍する安藤優子だが、私生活は自身の欲望に忠実な女性であるようだ。安藤は、89年に広告代理店勤務の10才年上の既婚男性に手を出した。なんとか結婚にこぎつけたものの、その93年に結婚生活は破綻した。またその後06年に再婚したが、その相手は17年連れ添った妻子があるフジテレビプロデューサー。つまり、安藤の結婚は2度とも不倫・略奪婚を行ったのだ。さすがフジテレビの女帝と言われるだけあり豪腕だ。
世間一般で不倫や略奪愛が、もし発覚すれば修羅場であるし、なによりも世間体が悪い。しかし、紹介したいずれの男女は平然とやってのけただけでなく、涼しい顔をして芸能活動を続けている。果たして罪の意識はないのか? 疑問だが、芸能界ではそのような些細なことなど関係ないのだろうか。
宮台真司の『バケモノの子』評:言葉ならざる親子の関係を描く、細田守監督の慧眼
ポイントは「渋谷」と「渋天街」の対比
細田守監督は、概念的に徹底的して物事を考え、シナリオに落とし込むタイプなのかもしれません。あるいは、実在の父親にかけてほしかった言葉がたくさんあったのかもしれない。シナリオには「言葉が多すぎる」ことを中心に、注文をつけたい部分があります。でも、この水準の映画はなかなか作れないと思います。いい映画だと思います。 本作のポイントは、現実を精確にトレースした「渋谷」と、バケモノ界の「渋天街」の対比にあります。「渋谷」はわれわれがよく知る看板にあふれ、文字に満ち満ちていますが、「渋天街」に入れば、文字がありません。そして主人公の九太(蓮)と熊徹の擬似的な親子関係はすべて、文字のない渋天街で行われます。 なぜ「文字に満ちた街」と「文字が一切ない街」を対比させたのか。僕がいろいろなところで書いているように、最近の若い人は「言葉にならない」ものを恐れる傾向が強い。統計データに従えば、この二十年間の、若い世代の性的退却は実に著しい。これも「言葉にならないもの」=エロス的なものを、忌避するからだと、僕は考えています。 性愛関係だけでなく、親子関係も、感情で動くエロス的なものです。精神分析家ジャック・ラカンの言い方では「想像的なもの」。つまり「言葉にならないもの」が多くを占めます。にもかかわらず、言葉にしがみつく人は、言葉の外側にある否定的メッセージを見ないようにします。だから、かえって潜在的不安が大きくなるのではないか──。 これはグレゴリー・ベイトソンに大きな影響を与えたR・D・レインという統合失調症の専門家が言っていたことです。言語以前的な世界を忌避して言語にしがみつくと、親子関係も性愛関係も不安定ゆえに怖いものになるのです。言葉を使って生活しながら「言葉の世界なんて本当はどうでもいい」というトーンをどう発するかがポイントです。 ヒトがチンパンジーから分岐して500万年くらいですが、音声言語を使い始めてからは5万年、文字言語を使い始めてからは大抵の地域で5千年以下。それに鑑みれば、僕らの心の動きは、基本的にエロス的なものの領域にあって、言葉の概念的な使用は「かさぶた」のようなものに過ぎないだろうと考えなければなりません。 かさぶたの下に血や肉がある。かさぶたに執着するのは血や肉を見ないこと。フランスの思想家ジョルジュ・バタイユはその血や肉を「呪われた部分」と表現しました。社会学者マックス・ウェーバーが言うように計算可能性を高めるべく文字言語に専ら傾斜した近代社会であっても、家族と性愛の世界は今でも言語外の感情に支配されるのです。 だから、近代社会では、人は家族の中で育つことで、概念的な言語世界(象徴的なもの)の外にある言語以前的なもの(想像的なもの)に免疫をつけていきます。古い社会では家族の外にもそうした免疫化の機制がありました。それが祝祭です。言葉は不完全で世界を覆えないから、原点に戻るために祝祭で「呪われた部分」を噴出させるのです。 ギリシャ史を遡ると、紀元前五世紀前半までのギリシャ----プラトン前期に当たる----までは、言葉の概念的使用への依存を、絶対神への依存と同様に、徹底的に却けて、かわりに、言葉にならない理不尽や不条理に心身を開くことを推奨してきました。ホメロスの叙事詩もソフォクレスのギリシャ悲劇も、そうした推奨に向けたメディアでした。 ところか、ペロポネソス戦争でアテネがスパルタに負け、状況が変わります。貨幣経済の浸透と共に奴隷がのし上がり、市民が金を奴隷に借りて甲冑を買って戦争に出かけるようになります。異邦人も増えて、市民の共通感覚や共同身体性が通用しなくなります。それゆえ、かつてと違い、言葉を概念的に使わなければ統治ができなくなりました。 ペロポネソス戦争後の後期プラトンも考えを変え、言葉の概念的な使用にこだわるようになって、イデア概念に行き着きます。非言語的な佇まいやオーラは極めて近接的で文脈依存的です。音声言語はそれに比べれば非近接的で非文脈依存的です。それでも音声言語は文字言語に比べればずっと近接的で文脈依存的です。そうした階梯があります。 プラトンが文字言語に専らの重きを置くようになったのは、統治において、文脈依存性や近接性をできるかぎり排除しなければならなくなったからです。ちなみに、前期プラトンの時代まで----初期ギリシャと言います----、教育も娯楽も布告も伝承もすべて、韻律と挙措を伴う音声言語で行われていました。今でいうラップに相当するでしょう。 哲学史家のエリック・A・ハブロックによれば、音声言語につきものの韻律と挙措は、記憶の内部化に向けたメソッドです。しかし近接性と文脈依存性が高い。複雑な社会ではこうした状況依存性から脱する必要があります。そのためには記憶を外部化しなければなりません。そうした記憶の外部化に向けたメソッドが文字言語なのだと言います。 翻って現在、資本主義・民主主義・国民国家が、両立しなくなりました。グローバル化(資本移動自由化)を背景に中間層が分解、格差化と貧困化が進んでいます。社会がダメになりつつあるのです。だからこそ、もともとのアテネのようなマイクロ・エリアで「言葉にならないもの」----共同体感覚----を復権することが課題になっています。 そんな中、「絆がないと、何かあったときに助からない」という損得勘定に由来する概念的な話をするバカがいます。これがまるでバカなのは、絆とは、助かりたいがゆえに追求する「手段」ではなく、何があっても助けるという「目的」だからです。言い換えれば、損得勘定の「自発性」を超えた、内から湧き上がる力の「内発性」だからです。 このバカこそ、言葉の概念的な使用への固着を示します。そうしたバカが蔓延しつつある時期に、細田監督が「親子」モチーフにこだわり、その関係を文字言語以前の何かとして見出したことが、素晴らしい。監督自身が前作『おおかみこどもの雨と雪』の公開後に父親になったということもあるのでしょうが、慧眼だと言うほかはありません。脚本から透けて見えた、細田監督の"自信のなさ"

宮﨑駿には描けない人の絆=共同体感覚を描く、達人の領域

ジャニーズの次期ゴリ押しはふぉ~ゆ~!? 異例の“プロフィール資料12枚”配布に記者あ然
ジャニーさん、まさか光一から直電あった?
4人組のジャニーズJr.内ユニット・ふぉ~ゆ~が、銀座の博品館劇場で単独座長公演に初挑戦する舞台『壊れた恋の羅針盤』の会見が4日に開催された。会場では、報道陣に“あるモノ”が配られ、ジャニーズ事務所が彼らを売り出していこうという雰囲気が、色濃く伝わってきたという。
ふぉ~ゆ~は、名前に“ゆう”がつく福田悠太、越岡裕貴、辰巳雄大、松崎祐介の4人で、2011年に結成。06年から『Endless SHOCK』に出演していたが、近年ではラジオ番組『ふぉーゆーのぴたラジ!』(CBCラジオ)がスタート、情報番組『ゴゴスマ~Go Go Smile!~』(CBCテレビ)の金曜レギュラーになるなど、ジャニーズJr.としては異例の活躍を続けている。
泉谷しげる“ギター投げ”で提訴 過去には「ラブライブ!」の“チョコ投げ”がトラブルになった例も
歌手で俳優の泉谷しげるがライブ中に投げたギターでケガをした女性が、約300万円の損害賠償を求めて提訴したことが6日にわかり、メディアを騒がせている。 問題となるライブが行われたのは2014年6月22日。泉谷が客席に投げた弦の切れたギターが女性の額に当たったという。これに対し事務所側は、ファンに楽器を“渡す”ことはあるとして、慰謝料を支払う用意はあるが「事実関係や慰謝料の額では争う」としている。 このニュースを受け、ネット上では「切れた弦の先が目に当たったら失明の危険もあった」など泉谷の行為を批判する声も多く見られるが、泉谷がこのようなパフォーマンスをすることをファンなら承知しておきべきだとする向きもある。 アーティストが、ライブ中にステージから物を投げるのは珍しいことではない。ギターやベースのピック、ドラムのスティックは定番だ。変わった例だと、aikoがTシャツをばらまいたり、東方神起がホワイトデーに行ったライブで飴を投げたことがある。泉谷のように客に当たってしまった例としては、ワン・ダイレクションが14年に行ったライブで、ハリーが投げた飲み終えたペットボトルが客にクリーンヒット。空のペットボトルだったため大事には至らなかったようだが、ハリーは当たってしまったことに気づいて驚きの表情を浮かべる……という出来事が海外メディアで報じられた。 こうした事例を見ると、ステージ上から物を投げるという行為そのものではなく、ギターという重く硬いものだったから問題になるのだと結論付けたくなる。しかし、「チョコ」という小さなモノでもトラブルに発展してしまったケースもある。それは現在、劇場版の興行収入が22億円を超えるヒットで話題を集めるアニメ『ラブライブ!』の声優陣が出演するライブでの出来事だったという。アニメ雑誌の編集者はこう話す。 「メンバーの久保ユリカが投げたチョコが、観客の間で奪い合いとなってしまったんです。チョコの引っ張り合いならまだしも、目や背中、腕を殴られた。被害者は後日、眼帯姿や腫れ上がった腕の画像をSNSにアップし炎上騒ぎとなりました。また、同じくメンバーの三森すずこが投げたチョコはヤフオクに出品され、イタズラ入札で30億円の値がつくなど、炎上の種をばらまいてしまう結果に終わった。『ラブライブ!』は一部のファンの行き過ぎた言動が問題視されており、投げたらどうなるかの予想が甘かったスタッフ陣の責任といえるでしょう」 アーティストがファンにプレゼントをしたいと思う気持ちは否定されるものではないだが、“ファン層”を考えた上でパフォーマンスをする必要があるだろう。泉谷の件を受け、今後は自粛傾向が強まるかもしれない。 (文=清水翔子)



