
東京シティ競馬に登場の剛力彩芽に「聞こえねぇぞ!」「おっぱい見せて!」ヤジ殺到も……


作家の百田尚樹氏が自民党若手議員の勉強会で「沖縄の2つの新聞は潰さないといけない」などと発言したことに、当該の琉球新報と沖縄タイムスをはじめ、各メディアから非難の声が相次いでいる。一方、保守層からは2紙の報道姿勢を疑問視する声はいつにも増して高まっており、左右の対立は深まるばかりだ。 だが、その沖縄2紙を深読みすると、全国紙とは一味違った記事が多く、なんだか面白い。軍事マニアからは「潰れたら困る!」という意外な声も出るほどだ。 この2紙を郵送で購読しているという東京都に住む軍事マニアのAさんは、「通常、ミリタリー系の雑誌は月刊誌なので、2~3カ月以上前の情報が掲載される。一方、沖縄の新聞は米軍基地への飛来機や配属部隊の動向など、動向をすばやくキャッチして写真入りで報道する。米軍への執念を感じさせる」と、その報道姿勢を高く評価する。6月16日付琉球新聞のトップニュースは、具志堅用高の国際ボクシング殿堂入りがトップニュースに
たとえば6月17日付の琉球新報1面には「外来機7機、嘉手納に」という見出しで、米バーモント州空軍所属のF16戦闘機7機が飛来する記事があり、沖縄タイムスも飛来時間を詳報。両紙ともF16の着陸シーンをばっちり撮影している。「嘉手納だけでなく、普天間基地、那覇空港にも目を光らせている。スゴいのは機体が搭載する爆弾の種類まで割り出したり、米軍が公表しないトラブルも写真入りで報道するなど、こと米軍への取材は徹底している」とAさん。彼は両紙で米軍の動きをチェックし、東京から沖縄に向かう撮影旅行の判断材料にしているという。 「日本政府への批判、活動家が行う平和系イベントや講演会といった記事が多いが、社会面は全国紙にない面白さがある。特に辺野古にいる“市民”の動きを徹底マークしている。この攻防がアツい」(同)6月17日付の琉球新報
6月11日付琉球新報の社会面は、米軍花火の苦情
琉球新報は「辺野古 強行の現場から」という辺野古問題取材班が建設現場に張り込み、時系列で“市民”の動きを詳報。工事の進捗状況とともに、抗議のカヌー隊が突入し、海保が拘束するという騒動を、日々報道している。Aさんいわく、このカヌー隊 VS海保の果てしなき戦いの記録がたまらないのだという。また、「中2の2人窃盗容疑 『じじがり』中高年狙いか」といった治安の乱れや、駐留米兵の暴力や飲酒運転といった犯罪行為など、全国紙に載らない細かい事案まで網羅している。飲酒運転で逮捕されたドライバーの年齢や職業一覧があったり、10人以上の同じ苗字が連なる死亡広告やら「軍用地売ります」といった不動産広告も、全国紙に慣れた目で見ると驚きの連続だ。 一部報道では2紙を「ほとんど読んでいない」と答えた百田氏に、実は『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)っぽいネタだらけの紙面を、ぜひ一読いただきたいものだ。辺野古カヌー隊の攻防を伝える、6月11日付の琉球新報
韓国人男性との出会いを求める日本人女性から依然として人気が高いのが、日韓出会い系サイト。日本の出会い系は怪しすぎると見向きもしない女性たちが、なぜか日韓出会い系になると途端に警戒心が薄れる。口ではみんな「韓国語の勉強相手がほしいだけ」とか「こっちも全然本気でやってないしー」とか言ったりするが、実はけっこう本気で運命の出会いを期待していたりするのも事実。で、ころっと騙されてしまうこともあったりする。
今回紹介するのは、日韓出会い系サイトで出会い1週間後に福岡でデートし、1カ月後には韓国人彼の暮らすソウルの家で同居生活を始めた、元金融系OLナツキさん(38歳)のお話。
ちなみに同居を始めるまでにナツキさんと彼が会ったのはたったの1回。福岡でお茶した数時間のみ。2人はカタコトの日本語とカタコトの韓国語で会話しているが、ナツキさんがいうには「ほぼ会話は成立していません」とのこと。
「顔写真が誠実そうだったのと、『公務員試験に向けて勉強中』という紹介文が気に入って彼とやりとりすることにしたんです。年齢は10歳下の28歳。私は32歳と嘘をついていたんで、4歳違いですね(笑)。彼が1週間後に福岡に遊びに来る予定があると聞いて、これも何かの縁かなと、福岡で会う約束をしました」
とナツキさん。ちなみに彼女が暮らすのは岐阜県! もちろん会いに行けない距離ではないが、サイトでちらっとやりとりしただけの相手に会うにしては、なかなかの距離である。
「メールのやりとりをしているうちに、すごく距離が近い感じがしてきて、不思議なぐらいに会いたい気持ちが増すんですよ。彼氏もいないし、男友だちもいない私は、ふだんあまり男の人とメールのやりとりをすることもなかったんで、舞い上がっていたのは確かです。待ち合わせた天神駅で彼の顔を見た瞬間、恋に落ちました(笑)。はっきりいって顔はブサイク。でも笑顔がステキだったのと、マナーがあって、カフェでドアを開けてくれる姿にときめきました」
◎会いたい気持ちに火が点いて
待ち合わせには彼の友だちの日本人男性もいた。韓国語が話せるその日本人男性のおかげで、カフェでも話が弾んだそう。
「カフェで会ったのは2時間ぐらい。その日以降メールのやりとりが頻繁になって、毎回『会いたい』『ボゴ シッポ(会いたい)』と書き合うようになり、すっかり恋人気分。私は彼と出会う少し前に仕事を辞めていて時間もあったので、自然と『今度は私がソウルに遊びに行くね』となりました」
3カ月の短期留学を決心したナツキさん。福岡デートから1カ月後、キンポ(金浦)空港で再会したふたりは、「韓流ドラマみたいに空港で抱き合った」そうだが、「楽しかったのはその日まで(笑)。ここからまさか!! の連続でした…」と話すナツキさん。韓国滞在中はゲストハウスに泊まれるよう彼に手配をお願いしていたが、
「連れて行かれたのは彼が両親と暮らす家。それもソウルの中心地から地下鉄で1時間ぐらいかかる不便な場所。彼から『家での食事代やシャワー代で1カ月50万ウォン(約5万5000円)ください』と言われたときは、電子辞書の翻訳が間違っているかと思いました」
そこでナツキさんは思い出す。たしか彼、サイトで出会ったときから公務員試験の準備中とは聞いていたけど……。
「それって要はプータロー。毎日家でゴロゴロしていて、福岡で会った彼とはまるで別人。彼の両親は私のことをどう思っているのかもわからないし、デートに連れて行ってくれるわけでもないし、語学学校が唯一の楽しい時間です」
そんなナツキさんと彼の不思議な同居生活もまもなく3カ月。当初の予定では語学学校の授業も終わり日本へ帰るはずだが、
「今年いっぱいは韓国にいることにしました。日本に帰ってもやることないし、彼のことも嫌いなわけじゃないし。先のことは暮らしながら考えます」
ちなみにナツキさんの最近のラッキーは、「居候代が50万ウォンから40万ウォンに下がったこと」だそう。
■韓 美姫/先日スーパーで買い物中のペ・ヨンジュンに遭遇。顔がまん丸、体も少しぽっちゃりしてたから二度見しちゃいましたけどww
アメリカの人気ラッパー、リック・ロスが6月24日(現地時間)、暴行や誘拐の疑いで逮捕されたが、なぜかこの話に「やっぱり」と話したのが野球記者。 「実は千葉ロッテマリーンズの大松尚逸が大のヒップホップファンなんですが、少し前に彼がこのラッパーの曲を登場曲に使ったんです。大松が曲を使ったアーティストは逮捕されるとかいうジンクスがあったので、まさにその通りになったんですよ」 現地報道によると、ラッパーのロスは自身のボディガードとともにアトランタ郊外の邸宅で男性を拳銃で殴るなどして一時監禁。首と顎に重傷を負わせたという。 ロスの逮捕は今月2度目で、5日にも愛車に違法なスモークフィルムを貼って運転中、停車を命じた警官に止められ、車内からマリファナが見つかって逮捕。しかし、翌日の保釈後はその足で美容室に向かったことをインスタグラムで報告するなど、余裕の態度だったことが伝えられている。 ヒップホップ好きで知られる大松は登場曲をヒップホップで統一しており、登場ごとに曲を変えるほどのヒップホップマニアだ。 「本人は趣味が音楽を聴くことだと公言するほどヒップホップにハマっていて、特にギャング系のチョイ悪ラッパーが好きなようです。ベンチで一部のフレーズを口ずさんでいることもあるそうですが、聞いたところでは同じチームの外国人選手の影響だとか」(同記者) 大松がロスの曲を使ったから逮捕されたなんてことは、都市伝説みたいなものでしかないが「以前、大松がフロー・ライダーというラッパーの曲を使ったら、ライダーが飲酒運転で逮捕され、クリス・ブラウンという歌手の曲を使ったら、これまたブラウンも暴行で逮捕されてしまった。同じような例は他にも数えきれないほどある」と記者。 現実的に見れば、単にヒップホップ系のアーティストに逮捕者が多いだけだろう。逮捕されたロスはマイアミ出身で元看守という異色の経歴が同業のラッパーから批判され、ラッパー同士の抗争にも発展しているトラブル男で、麻薬所持などでの逮捕歴もある根っからのワルだ。 それでも、大松が使ったラッパーは不幸になるというジンクスは、関係者間で「大松が他人の運を吸い取ってる」なんて話に発展。逮捕者が出れば大松自身が幸運に見舞われるかもしれないというウワサになっている。 大松は2005年、ルーキーイヤーに2軍の日本一に貢献し、1軍昇格後は08年に24本塁打を放つなど大活躍したが、10年ごろから不調を見せるようになり、今季は2軍に甘んじている。しかし、野球記者によると「巨人の原監督が大松の腕と性格を高く評価していて、近々トレード交渉に入る」というから、これが幸運のチャンスなのかもしれない。話がまとまれば水色ユニフォームでヒップホップをBGMに登場する大松が見られるのか。 (文=ハイセーヤスダ)『オーナーズリーグ OL19 N(B) 大松 尚逸/ロッテ』

AKB48・柏木由紀
【作品名】「美人教育」(後編) 【作者】『ご近所の悪いうわさ』
【作品紹介】イケメンのパパに似るように祈っていたのに、ブスな私に似てしまった娘。ある日、娘が連れてきたのは、大人びた美人の友達。お母さんもさぞ美人だろうと思っていると、やって来たのは中高時代のブスな友達・雪乃! 娘をモデルにするため「間食禁止」「外での体育は見学」って正気なの?
【サイゾーウーマンリコメンド】「子どもでブス返上どやさ!!」という、まるで大漁旗にでも載っていそうな豪快なキャッチコピーが印象的な本作。しかしそれ以上に、予定調和一切ナシのラストシーンは必見ですよ~! どやさ!!
<p>嵐の櫻井翔と松本潤が出演するJAL国内線「スマートスタイル」新CMが6月20日より放送され、話題を呼んでいる。同CMでふたりは、グレーのスーツをスタイリッシュに着こなしたビジネスマンに扮し、国内線「JALスマートスタイル」のサービスを颯爽と利用する様子を演じた。</p>
マイリー・サイラスが自身のわき毛を画像処理しなかったカメラマンを称賛した。Tシャツを脱ごうとしているようなかたちでわきの下が見える姿を映したその写真をシェアしたマイリーは、過去には自身のわき毛を画像処理して削除していた人がいたと批判した。22日(月)にその写真をインスタグラムに投稿した際、マイリーは「一部の人のように私の体毛をリタッチ加工しないでくれてありがとう」とキャプションを付けた。
その写真は33万件以上のいいね!を受けた一方で、2290万人にのぼるマイリーのフォロワーからは賛否両論入り混じったコメントが寄せられていた。
わき毛を堂々と見せたセレブはマイリーが初めてではなく、昨年にはマドンナがわき毛の見える姿を映した写真をインスタグラムに投稿し「長い毛ね...気にしないわ!自由のためのアート」とキャプションを添えていた。
小保方晴子、号泣議員……と、メチャクチャ濃いお騒がせキャラクターが登場しまくっていた2014年。その中で、唯一の勝ち組ともいえるのが作曲家の新垣隆だ。 耳が聞こえない作曲家ということで、「現代のベートーベン」なんて呼ばれていたあやしいおっさん・佐村河内守のゴーストライターを長年やっていたということを告白した結果、佐村河内さんのほうはすっかりメディアから消えてしまったのに対し、新垣さんはなぜか人気者となってしまい、バラエティ番組などに引っぱりだこという不思議な状況となっている。 そんな新垣さんが、ゴーストライター事件をはじめとした、自分の人生を振り返った著書『音楽という<真実>』(小学館)を上梓した。「真面目そうではあるけど、だいぶ変わってる人だな~……」とは思っていたのだが、この本を読んでみたら、それ以上に意外な一面も。 「ゴーストライター」として有名になった彼は、果たしてどんな人生を送ってきたのか、そして、佐村河内さんって実際どんな人なの!? ■YMOとの出会い ――例の記者会見や、その後の活動を見ていて、音楽一筋で世間知らずな人が、うさんくさいおじさんに騙されちゃったのかな? ……と思っていたんですが、今回の本を読んでも、やはり子どもの頃から音楽ばっかりで、浮き世離れしているなという印象を受けました。漫画なんかは、読んでいなかったんですか? 「兄が4つ上だったものですから、兄が買ってきた漫画は読んでいましたよ。『ドカベン』や、中村雅俊さん主演でドラマ化もされていた『ゆうひが丘の総理大臣』なんかが好きでした。ただ、ある時期からは、ほとんど漫画も読まなくなってしまいましたね」 ――アイドルなどにも興味を持たず? 「そうですね。子どもの頃はテレビっ子だったものですから、アニメの再放送やドラマの再放送、野球中継なんかはよく見ていたんですけど。『巨人の星』『タイガーマスク』『はいからさんが通る』なんかが好きでした。ただ、夜9時くらいには寝てしまう子でしたね。中学校までは学校が家から近かったですし、帰宅部だったので帰ったらすぐにテレビをつけて……みたいな生活を送っていたんですが、高校になると学校も遠くなり、オーケストラ部に入って練習に打ち込んでいたので、テレビはほとんど見なくなりました」 ――高校からは音楽一直線という感じなんですね。いわゆる、クラシック以外の音楽というのは聴いていなかったんですか? 「子どもの頃は、両親が持っていたカーペンターズのレコードをかけてもらうのが好きでした」 ――初めて自分で買ったレコードは? 「レコードは、なかなか買えなかったんですよ。だから5本で1,000円くらいの、どこのメーカーかわからないようなカセットテープを買ってきて、ラジオから録音して聴いていましたね。初めて自分で買ったレコードは、小学校5~6年くらいの時、シンセサイザーで有名な冨田勲さんの『展覧会の絵』です。それから、やはり兄の影響でYMOとかも聴くようになりました」 ――バンドブーム直撃世代だと思いますけど、バンドなんかはやらなかったんでしょうか? 「自分ではやらなかったですね、周りにそういう仲間がいなかったんで。それにYMOを聴くようになってから、いわゆる歌謡曲などを突然見放すようになってしまいましたね(笑)。それまではあらゆる音楽を浴びているという感じだったんですが、中学校2年生くらいから、パッタリ流行歌というようなものを聴かなくなっちゃったんですよね。さらに、高校に入ってほとんどテレビを見なくなっちゃったんで……」 ――それくらい、YMOとの出会いは大きかったと。 「特に坂本龍一さんですね。クラシック畑から出てきて、現代音楽を通過してきた人だったので、すごく格好いいなと。その影響もあり、音楽のみならずアートや現代美術にも興味を持つようになって、そういうのが格好いいな、と思っていました」撮影=河野英喜
■自由に作るよりも、指示や制限があったほうが…… ――その頃から、将来は作曲家になりたいと思っていたんですか? 「具体的に展望を持っていたかどうかはわからないですけど、作曲家になりたいというのは、子どもの頃からずっと思っていました」 ――現代音楽の作曲家になるためには、どういうルートを経るのが普通なんでしょう? 「作曲家で食べていく、ましてや現代音楽でというのは、ほとんど不可能なんですよね。それだけをなりわいにして、というのは無理。だから普通は、別に音楽関係の仕事をしながら、仲間とイベントをしたりコンサートを開いたりするという……つまりはアマチュア……趣味の世界なんですよ」 ――新垣さんも、同じような感じで活動を? 「ずっとピアノを習っていたので、演奏の仕事というのはあったんですね。そういうアルバイトをしながら、趣味レベルで、って自分では芸術活動と思ってるんですけど(笑)、やっていました」 ――本には、大学の非常勤講師としての給料も書かれていましたが、こんなに安いのか(年100万円程度)って驚きました。当然、それだけで生活するのは難しいですよね? 「そうですね。演奏のアルバイトをしたり、たまにアレンジャーや、コマーシャル用の作曲仕事なんかも入ってきていましたが」 ――そういう請け負いでの作曲仕事と、自分の作品を作曲するのは違うという認識なんでしょうか? 「私は現代音楽、現代美術に憧れてきましたので、そういうアートとしての音楽をやりたいという思いがある一方で、コマーシャルの音楽や映画音楽というのにも興味はありました。80年代の坂本龍一さんや、私の作曲の先生である中川俊郎先生なんかは、コマーシャル音楽なんだけれども、アートとして成り立っている曲をよく作っていて、そういう仕事をしたいなと思っていました。それに、相手とのやりとりでできていくので、請け負い仕事のほうがうまくいくということも多かったんですよね」 ――自由に自分で作るよりも、指示だったり、制限があったほうが? 「『これこれこうやってよ』と人から言われて引き出される曲というのはありますね」 ■人間としては凡庸な、普通の人でした ――コマーシャル音楽などは、わりと誰が作ったのかわからない、匿名性の高い音楽だと思いますが、佐村河内さんの案件も当初はそういう感覚で引き受けたものなんでしょうか? 「そうですね。映像に音をはめていくということに興味があったものですから、やりたいなと思っていた矢先……悪魔の声が聞こえてきたんですよ(笑)」 ――最初は、いつものような請け負い仕事が来たという認識だったんですよね? 「まあそうですね。……かなり変な人でしたけど」 ――最初から、あんなルックスだったんですか? 「最初からです、全然変わらないです。ちょうどその頃、ビジュアル系という……聖飢魔IIみたいな、そういう人たちがクローズアップされてきた時期だったんですが、デーモン小暮(現・閣下)さんとか、そういう感じの風貌だったんですよ」 ――デーモンさん!? 白塗りしていたんですか? 「化粧はしていなかったですけど、ロングヘアーで、黒い服を着て。いかにもという格好をしていました。ビジュアル系自体があやしいとは決して思わないですけど、佐村河内さんはあやしかったです」
――あやしさを感じたら断るという手もあったと思いますけど、仕事としては魅力的な話だったんですか? 「彼が映画音楽を作ることになっているという話自体は、本当だったんですね。だから、映画音楽を手伝ってみたかったということもあり……。結果的に、大部分を私が作曲して仕上げたわけですけど、それを佐村河内さんがすごく喜んでくれて『あくまでも自分の名義ということにしてくれ』と。その時は、特に自分の名前を出す必要性も感じなかったので、『いいですよ』と要請に従ってしまったわけです。思えば、それが問題の原点ですよね」 ――その時のギャラに関しても、うやむやになっているらしいですね。 「『いくらでやってくれ』という話はなかったので……。クラシックの世界でもそういう風潮はあるんですけど、ビジネスとして契約するというよりも口約束で。それまでのアレンジやコマーシャル音楽でも、それでうまくいっていたので、金額に口を出したことはなかったんですよ」 ――まあ、ノーギャラでも名前が出るんだったら、次につながるからいいか……という考え方もあると思いますが、名前も出ない、ギャラも出ないじゃ、やる意味ないんじゃないですか? 「それに関しては、彼がすごく情熱的に、その映画音楽に取り組んでいたというのもありますね。『秋桜』という映画だったんですが、非常に燃えていました。あの時はたぶん、彼の持ち出しでオーケストラにギャラを払っていたはずです。それと、作曲の名義は佐村河内 さんにしたわけですが、演奏のほうで私の名前をクレジットしてくれたんですよね。まあ、寄せ集めの学生オーケストラだったんですけど『新垣チェンバー・オーケストラ』と名づけてくれて(笑)、CDにもクレジットされています」 ――クレジットされたことがうれしかったから、ということですか? 「別にうれしくはなかったですね。どちらでもよかったです」 ――その後のギャラは18年間で700万円程度ということで、あまり高くはないと思うんですが、作業量には見合っていたんですか? 「彼のリクエストは、たとえば30分の曲とか、オーケストラの曲だとか、規模が大きかったので、時間はかなりかかっていましたね」 ――仕事としては、ワリに合ってなかった? 「安いといえば安いですけれども……。それでも、ある程度まとまったお金をもらって生計が助かっていたという認識はあります」 ――佐村河内さんって、ものすごく極悪人でサギ師みたいな言われ方をしていますが、作曲もできない、楽譜も書けないで、あれだけ仕事を取ってくるというのは、プロデュース能力だけはすごかったんじゃないかと思っているんですが。 「まあ、すごいといえばすごいんだろうな……という感じです。人間としては凡庸な、普通の人でしたね。普通の人なのだけれども、ちょっと度が過ぎてしまうタイプですよね。自分がのし上がるためになんでもしてしまうという、ちょっと困ったところがあるんです」 ――もともと佐村河内さんって役者志望だったり、「第二の矢沢永吉」という触れ込みでレコードを作ったり、いろいろやってきた人なんですよね。 「そういうチャンスはいろいろとあったと思うんですけど、ことごとく失敗してきているんですよね。まあ、役者としては、なかなかいい味を出していましたけど。80年代にチョイ役でテレビドラマに出ていたんですが、川崎麻世さんにぶっ飛ばされる姿はなかなかよかったですよ(笑)」 ――そのまま役者でいけばよかったのに、という感じですか? 「まあ、ある意味、役者をしてたわけですね。『作曲家だ』っていうキャラクターを演じていたんですから」
■誰も知らないなら…… ――ゴーストライター事件に関して、新垣さんが佐村河内さんに騙され、心酔して従っていたのかなというイメージを持っていたんですが、お話を聞いていると、わりと冷静に見て距離を保っていたんですね。それでも「やめる」という判断はできなかったんですか? 「最初の数年間は、ところどころで『何を考えているんだ?』というようなことはあったにせよ、大きな問題はなかったんですよ。その時は映画音楽やゲーム音楽をやっていたので、作曲者の名義がなんであれ、そのプロジェクトのスタッフの一員としてコンテンツをちゃんと作ることができればいいなと思っていたんですね。しかし、ゲーム音楽である程度の成功を収めて、彼はそれを元にして世界に打って出ようというような野望を抱いたんですよ。そのためにいろんなことをやっていたみたいですけど、ことごとくうまくいかなくって、私は『そのまま失敗し続けてくれ』と思っていたんですが……」 ――うやむやに終わっていけばいいなと? 「最終的に彼が誰にも相手にされなくなって、もうゴーストライターをやらなくていいという状況になればいいなと思っていました」 ――しかし佐村河内さんが「耳が聞こえない」というギミックを利用して世間から注目されてしまうわけですね。 「そういうことを言って注目を集めるまでは、誰も彼のことを知らなかったわけですよ。もちろん、それでも世間を騙していることには違いなかったんですが、誰も知らないから『存在していない』わけです」 ――そこで「耳の聞こえない作曲家」という顔をして、世間に出てきちゃうと、ちょっと違うんじゃないかと。 「今『HIROSHIMA』と呼ばれている曲は、彼が失敗し続けていた時期に、おそらく演奏されることはないだろうという前提で作った曲で、案の定そのプロジェクトはポシャッて、お蔵入りになっていたんです。しかし、そういったことで注目を集めた結果、実際に演奏されることになってしまったんです。まさかと思っていたことが起こってしまったという。……これは参ったなと」 ――「耳が聞こえない」というギミックがあったとはいえ、『HIROSHIMA』は大きな評価を受けたわけですが、そこに喜びというのはなかったんですか? 「あの曲は『お蔵入りになってよかったな』と思っていた半面、『せっかく作ったんだから、演奏されたら、そんなに悪いもんじゃないと思うけどな』とも思っていたんですね。もちろん、世間を欺いてまで演奏されてはいけないとはわかっていましたけど。それが作ってから5~6年たって、うっかり蘇って実際に演奏されて、評価を得てしまった。オーケストラの方々がとてもいい演奏をしてくださって、そのこと自体はもちろんすごくうれしいことだったんですけど、作曲家としてやってはいけないという気持ちは強かったです」
■この本は、ライターの先生がうまくまとめてくださったものです ――すべての仕事がなくなってしまう覚悟でゴーストライターをやっていたことを告白した結果、逆に今、仕事が増えているんじゃないかと思いますが、音楽の仕事はともかくとして、バラエティ番組に出る必要はないんじゃないですか? 「まあ、あれだけ世間を騒がせてしまってですね、すごく顔を知られるようになって、いろいろな番組から依頼が来たんですね。そんなことは自分にとって今までにないことですから、断ればいいという話ではあるんですけど……迷うところではあったんですけど、断らないということを選んだわけです」 ――佐村河内さんの件といい、断るのが苦手なんですか? 「(笑)。そうですね。そういう部分もあるんですけど……。日常生活で無理なことを言われたら『できないことはできない』と断れますけどね。私はあくまで音楽家であって、音楽の仕事はプロとしてやる自信があるわけです。バラエティは音楽でもなんでもないんですけど、拡大解釈をすると、あれもステージなわけですね。ステージに立つというのは音楽家の仕事のひとつともいえるんじゃないかと……。あとは、世間を騒がしたお詫びをさせてもらう機会を頂いたら、なるべくきちんとお話ししたいという気持ちもありました」 ――それにしても、ダウンタウンの番組(日本テレビ系『ダウンタウンのガキの使いや あらへんで!!大晦日年越しSP』)に出てクワガタに鼻を挟まれ血を流すみたいなのは、音楽と全然関係ないじゃないですか。 「全然関係ないですね(笑)。私は、長い間テレビを見ていないという生活を続けていたもので……DVDなんかは見るんですけど、テレビは映らないんですね。自宅にいても、曲を描いているか、本を読んでいるか、寝っ転がっているかという毎日なんで。だから、ここ10年くらいのテレビの状況が、まったくわからないんですよ。あの番組は、年末の人気番組だということはお聞きしていたので『はい、わかりました』と引き受けたんですが、何をやらされるかはわかっていなかったですね」 ――音楽の仕事も、記者会見以前と比べたらすごくたくさん来ていると思いますけど、おそらくああいったことがなく、地道に音楽活動をやっていたら、こういう状況にはなっていませんよね? そこはラッキーだったと思いますか? 「そうですね……。ああいうことを公表して、もう二度と音楽の仕事はできないんじゃないかと思ってたんですが、多くの方が支えてくださったおかげで、少しずつ再スタートすることができて、その点においてはラッキーだったとは思いますね。ただ、地道な活動というのも、自分にとっては幸福なものだったんですよ。楽しく、気楽にやっていたんです」 ――今のように脚光を浴びている状況は、うれしいわけではない? 「うれしくないとは言いませんが、そこを目指していたわけではないですからね。逆にこういうことになって、前の状況に戻れなくなってしまったわけですよ。もちろん、すごく恵まれた状況ではあるので、チャンスであり、どう生かしていけるのかというのは考えています」 ――このゴーストライター事件のせいで、僕のような文章を書くライターは少々迷惑を被ったんですが、今回の本も新垣さん本人が書かれているわけではないですよね? 「そうですね。私がインタビューに答えていくという形で、ライターの先生がうまくまとめてくださったものです」 ――そのライターさんの名前もちゃんとクレジットされていますし、出版の世界では普通の仕事なわけなんですが、世間ではこういうのも「ゴーストライターだ」と思われてしまったフシがあるので、最後に新垣さんから説明していただければ……。 「もちろん、文芸作品などを本人以外が書いていたということになると別だと思いますが、ひとりの音楽家が、世間を騒がしてしまった事件のあらましを関心のある方々に伝える……という今回のような本を、私が語ってライターさんにまとめていただくというのは、なんら問題のない作業だと思います。こんなことをわざわざ説明しなければならないという状況になっていること自体が、申し訳ないことなんですけどね(笑)」 (取材・文=北村ヂン)
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