美しすぎる母が、息子と近親相姦…! 悲劇の殺人事件【バーバラ・ベークランド】の全貌!!

【バーバラ・ベークランド 近親相姦殺人事件】
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画像は、事件を報じた「DailyMail」より。バーバラ・ベークランド
 1981年3月20日午後、ニューヨーク市イースト川の真ん中に位置する悪名高き収監施設ライカーズ刑務所の監房で、祖母への殺人容疑で逮捕されていた男が遺体となって発見された。首から上はプラスチック製の袋でぐるぐる巻きになっており、死因は窒息死。自殺だった。  壮絶な死を遂げたこの男の名は、トニー・ベークランド。享年35歳。曾祖父はプラスチックを発明し大金持ちとなった偉大なる科学者レオ・ベークランドという、ハイソサエティーな一族だった。  しかし、曾祖父は素晴らしい男だったものの、生まれながらに富豪だった父親ブルックスは小説家と自称し遊び暮らす気弱な男だった。 ■トニーの母・バーバラが父・ブルックスと出会うまで  母親のバーバラは、美しい女性だった。しかし、10歳のときに父が借金を苦に車の排気ガスによる一酸化炭素中毒自殺をはかる。これが事故だと判断されたため、多額の生命保険金がおり、金には不自由なく育った。しかも、バーバラの母親は精神疾患を抱えており、安定した生活ではなかった。そしてある日、バーバラの母は、金持ちとの出会いを求めてニューヨークの高級ホテルに子どもとともに移住。すくすくと育ったバーバラは、そのたぐいまれなる美貌のおかげでモデルとして活躍するようになり、有名ファッション誌『ヴォーグ』にも採用され、社交界で引っ張りだことなった。バーバラはさらにリッチな男を捕まえるため、ハリウッド女優になろうと決心。受けたオーディションで、同じく女優志願だったコルネーリア・ベークランドと知り合い、彼女の兄のブルックスを紹介してもらったのだった。  美しく、気高く、野心家のバーバラは、イケメンでプライドは高いが劣等感を抱いていた気の弱いブルックスこそ探し求めていた金持ちだと確信。すぐさま体の関係を結び、彼を虜にした。そして出会って数週間後には、「妊娠したみたい」と打ち明け結婚を迫り、夫婦になったのだった。 ■“普通じゃない”結婚生活 ダリも訪れた真夜中のパーティ  バーバラが結婚するにあたりブルックスに隠していたことは偽装妊娠だけではなかった。実は彼女は、母親同様、精神病を発症しており、ブルックスと交際する少し前から精神科の治療を受けていたのだ。医師はバーバラが結婚したことを知らず、人づてに結婚したと聞いたとき「おぉ神よ。どうか子どもだけは授からないように……」と苦しげな表情を見せたと伝えられている。彼女の精神病はそれほど悪いものだったのだろう。  嘘を積み重ねて結婚したバーバラとブルックスだったが、新婚当初は夫婦仲が良かった。浪費家で見栄を張ることが好きという共通点を持ち、ニューヨークのアッパー・イースト・サイドにある超高級マンションで、セレブ友達を招いては、優雅なパーティー三昧の日々を送っていたからである。  世界的画家のサルバドール・ダリや、『ソフィーの選択』などの名作を執筆したウィリアム・スタイロン、詩人のディラン・トマスら著名人とも交流した。わいせつな遊びもよくしたそうで、下半身を露出し上半身を隠した男性招待客を一列に並ばせ、妻やパートナーに当ててもらうというゲームなども好んでいた。  しかし、この「普通でない暮らし」はバーバラの精神を少しずつ蝕むようになっていく。ブルックスが「この部屋に入ってきた最初の女性とセックスしよう」と提案したことがあり、この発言にバーバラが逆上。客が帰宅した後、外に飛び出し「じゃあ、あたしも最初に車に乗せれくれる男性とやる」と見ず知らずの男が運転する車を止めて乗り込んだこともあった。セレブたちの「金がすべてを解決する」というクレイジーな日常が、バーバラの精神状態を悪化させたのだ。バーバラの感情の起伏はどんどん激しくなっていった。スキーリゾートで、真夜中に外に出て泣きわめいたり、何の脈絡もなく突然逆上したり、ブルックスと取っ組み合いの喧嘩をするようになり、友人たちも戸惑うようになっていった。 ■そして、トニーの誕生 サドの文章を朗読させる
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画像は「Murder Pedia」より。トニーの誕生
 しかし、そんな最悪の状態になっても2人は別れなかった。1946年8月に最愛の息子トニーが誕生したからだった。24歳で出産したバーバラはトニーを溺愛。ブルックスも自分がダメ男だった分、息子に大きな期待をかけ、2人は自宅パーティーに来る客に、いかに我が子が天才かを披露した。描いた絵、話した言葉、それだけでなく、マルキ・ド・サドのエロチックな文章を大きな声で朗読させ、客をどん引きさせた。過度に期待するわりには、遊んだり、かわいがったりしてくれない親に不満を抱いたトニーは、暗い表情でハエの羽をちぎったりしていた。しかし、バーバラとブルックスはそれを見て、戒めるどころか「素晴らしい。何かの才能がある」と褒めた。  トニーが8歳になると、2人は「より良いハイクラスな環境」を求め、ニューヨークを出て、ヨーロッパを転々とするようになった。彼らが滞在するリゾート邸宅には、グレタ・ガルボ、テネシー・ウィリアムズなどのハリウッドスター、女優リタ・ヘイワースと世界屈指の大富豪アーガー・ハーン3世の息子を両親に持つ、プリンセス・ヤスミン・アーガー・ハーンら、超一流セレブたちが訪れた。  美形の両親の血をひいたトニーは、絵に描いたような美少年へと成長していったが、2人にとって彼はアクセサリーでしかなく、世話はしなかった。2人は「子どもがいるから別れない」と言いつつ、リゾート地で浴びるように酒を飲みながら社交に没頭。トニーは金持ちの子どもたちが通う寄宿学校に入れられ、休暇で戻ってきたときもほったらかしにされた。 ■奇行・性的虐待… 親の愛を知らないトニー
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画像は「Murder Pedia」より。美しく成長したトニー
 親の愛を知らずに育ったトニーは、12歳の時に海辺でカニを捕まえて素手で引きちぎっているのを目撃されたり、14歳の時に邸宅を一緒に借りていた家族のベビーフードを盗んで食べるというような奇行をする子になった。  後にトニーは精神科医に対して「最初に性的虐待を受けたのは8歳のとき。寄宿学校で、相手は男性だった。それから男性と性的関係を持つようになり、14歳の頃から自分でセックスする男性を探すようになった」と告白。その言葉を裏付けるように、14歳頃から親が外出するたび、年上の男娼を連れ込んではセックスしまくるのを一家の料理人らに目撃されている。そして、15歳になると、トニーが同性愛者であることは周知の事実となった。  ブルックスはトニーの性癖を知っていたが、そのことに関してはあまり興味を示さなかった。女癖の悪かった彼は、この頃パリで知り合った15歳年下のイギリス人外交官の娘に夢中になっていたからだ。一方のバーバラは、トニーが同性愛者であることを決して認めず、「お前はゲイなんかじゃないのよ!」と罵り、息子の性癖を徹底的に否定した。 ■自殺未遂を繰り返すバーバラ  1963年、ブルックスは意を決してバーバラに「離婚してほしい」と伝えた。息子の性癖だけでなく、夫の女癖にも苦しめられるのかと逆上したバーバラは、大量のクスリを飲み、自殺未遂をした。気の弱いブルックスは、愛情はないがバーバラを死なせるわけにはいかないと離婚を踏みとどまり、それをいいことに、バーバラは狂言自殺をしまくるようになった。招待客の前で、「今朝、5時に私はどこにいたでしょう?」と問い、「答えは緊急病棟です」と包帯を巻いた手首を見せ微笑み、ブルックスを精神的に痛めつけるようになった。「ブルックスを傷つけたい」という彼女の願望はエスカレートし、自分はまだ魅力的だと見せつけるためスペイン人の物理学者と浮気までした。しかし、ブルックスは焼きもちを焼くどころか、もう離婚しようと提案。焦ったバーバラは愛人と別れ、再び狂言自殺を繰り返す日々へと戻った。 ■バーバラを気遣うトニー だが…  その頃、トニーは妖しい魅力を持つオーストラリア人男性の虜になっており、ドラッグを使ったゲイセックスに没頭していた。心配した友人がバーバラに「薬物で言いなりにされている、助けてあげて」と連絡。驚いた彼女はトニーを救い出し、スイスに連れて行こうとしたが、トニーのパスポートがなかったため入国審査で止められ拘束されてしまった。手錠をかけられたトニーを見て、バーバラは顔を輝かせ「やっとママのものになったわね」と笑みを浮かべたと伝えられている。  トニーはこのことをすまないと思ったのか、その後、カダケスで知り合った若くて美しいフランス人女性シルヴィと親しくした。バーバラは「同性愛が治った」と大喜び。彼女をディナーに招き、結婚しなさい、金持ちの暮らしができるわよと大はしゃぎした。しかし、男しか愛せないトニーはシルヴィと深くつき合うことはできなかった。そして、なんと、あろうことか、ブルックスがシルヴィを気に入ってしまい、男女の関係になってしまったのだ。  2人の関係を知ったバーバラは大量の薬をウオッカで飲み自殺を図ったが、ブルックスは「もうこれ以上は無理」「勘弁してくれ」と離婚を決行。別れる直前、追いつめられたバーバラは「私、息子の同性愛を治せるのよ。私とセックスすればすぐに治るわ」と言い放っち、ブルックスは「お願いだから、それはするな」とうんざりとした声で止めた。だが、夫を失い、息子しかいなくなったバーバラは、真剣に息子の同性愛を治そうと思いつめるようになっていった。 ■母との近親相姦セラピーが始まる
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画像は、『美しすぎる母』(角川エンタテインメント)。この事件を元にした映画
 1969年の夏、バーバラとトニーはマヨルカ島に友人が借りてくれたリゾートハウスに滞在。バーバラはトニーにマリファナと酒を強要し、ふらふらになったトニーと性的関係を持った。バーバラは息子が自分に性的反応を示してくれたことが嬉しかったのか、友人たちに自慢げに「息子とセックスした」「これはセラピー」「これで息子の同性愛が治る」と語った。誰もが唖然としたが、バーバラは満足げだった。そして、その後、くりかえし近親相姦した。母親の言いなりになるしかなかったトニーは精神的に追いつめられ、父親に「ママのところに戻ってきて下さい。ママはまるで8歳の少女のようで、困っています」という手紙を送った。しかし、ブルックスは何もしなかったのだ。 ■トニーの崩壊が始まる  そのことに絶望したのか、トニーは暴れ、物を壊し、荒れまくるようになった。休暇後に、ニューヨークの芸術学校に入学した後も奇行は続き、果物をスケッチしなければならないのに、流血している人物を描いたり、周りに沢山の人がいるのに突然動かなくなり自分の殻に閉じこもったり、友人に対して、「オレは母親とファックしてるんだ。どうしたらいいのかわからない」と訴えるようになった。しかし、バーバラは息子の奇行を「みんな、息子のことを誤解しているのよ。天才なのに」と笑い、近親相姦を「セラピーよ。ホモを治す、ね」と説明。自宅のリビングルームを息子との写真で飾りまくり、ますます息子にのめり込んでいった。  満足げなバーバラとは対照的に、生まれてからずっと親の都合で振り回されメチャクチャな生活を強いられてきたトニーは、母親に「治療なのよ」と夜な夜なセックスを強要されることで、とうとう精神が崩れてしまった。幻聴が聞こえ、幻覚に怯え、バーバラに対して激しい暴力をふるうようになったのだ。さすがのバーバラも精神科医の治療が必要だと思い、入院させたが治療費が高額のため途中で退院させることに。ブルックスを頼ったが、精神科医の治療などインチキだ、必要ないと主張し助けてくれない。処方薬が底をつきトニーは再び暴れるように。木の棒でバーバラが失神するまで殴ったり、夕食中にバーバラの顔に卵を投げつけたり、ペンで彼女の目を刺して失明させようとしたり、骨折させたり、手のつけられないようになった。1972年7月には、「バーバラを殺す」と言ってナイフを振りかざすようになり、外に逃げた彼女を執拗に追いかけ、車に轢かれるようにと車道に突き飛ばし、とうとう警察に逮捕されたが、バーバラはただの親子喧嘩だと説明。息子を連れて家に帰ってしまった。 ■統合失調症だと診断されるが……  8月になると、トニーは突然失神したり手を強く握りしめたり、無意識のうちに体を前後に揺らすようになり、誰の目から見ても精神状態が正常でないことが分かるように。10月30日にバーバラは友人に強く勧められ紹介された精神科医に相談するが、「間違いなく統合失調症です。それも重度の。きちんと処方薬を飲ませないと悪化していくのみです」「正直、このままだとあなたは息子さんに殺されるでしょう。とても心配だ」と言われ、「なんですって!大げさな」と激怒。医師は心配になり、その頃、彼女たちが住んでいたロンドンの一等地ケンジントン・チェルシー自治区にある超高級住宅マンション、カドガン・スクエア近くの警察に、「危険人物が住んでおり、母親が危ない」と警告の電話を入れているが、警察は「まだ何も起こっていないのに、介入できない」と動かなかった。  しかし、精神科医の不安は的中してしまう。バーバラは「息子さんに殺されますよ」と言われた18日後、カドガン・スクエアの自宅ペイントハウスで、トニーに心臓めがけてナイフを刺され、即死してしまったのだ。 ■母を殺害後、レストランに出前を頼む  騒ぎを聞いた近隣住民からの通報を受けて救急隊員と警察官が駆けつけたとき、トニーは中華レストランに出前の電話をかけている真っ最中だった。母の死体に動揺しないトニーは明らかに精神が病んでおり、殺人罪で逮捕された後ブロードモア保安病院に収容され、7年間にわたり様々な治療を受けた。1980年7月21日、友人や親族の陳情運動が受け入れられ、トニーは退院。すぐにニューヨークに飛び、バーバラの母親で87歳になっていたニナのもとに身を寄せた。  だが、トニーは治っていなかった。退院した6日後の7月27日、祖母であるニナを殺意を持ってナイフで切りつけたのだ。ひょっとしたら処方箋を飲むのを止めて再び症状が出てしまったのかもしれない。しかし、「まるで母のようにオレのことをなじった。ママみたく!」と興奮しながら自供した言葉からは、薬さえも抑えきれないほどの深すぎる傷と暗すぎる闇が見え隠れしていた。なお、ニナは8箇所刺され、複数箇所骨折したが、命には別状なかった。 ■母を殺害後、レストランに出前を頼む  トニーは駆けつけた警察官に逮捕され、ライカーズ刑務所で拘束されることになった。精神科医の検査を受け、看守から酷い扱いを受けながら8カ月間過し、1981年3月20日、保釈されることを期待し裁判所に出廷した。しかし、イギリスからこれまでの診療記録が届いていないとして、保釈は認められなかった。このことを悲観して、皮肉にも祖父が開発したプラスチック製の袋を顔にぐるぐるまいて窒息による自殺を遂げたのだった。  息子の悲惨な死を知ったブルックスは、「聡明な人間の、あまりにも酷い失敗例だ」とコメント。バーバラとトニーの狂った母息子関係は2007年に『美しすぎる母』というタイトルで映画化され、世界中に大きな衝撃を与えた。

NEWS新曲発売で、「ゆきりんとチュムチュム」「きゃりーと共演」で手越祐也がお騒がせ?

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持ち前のアスリート魂で女をどんどんキメていく手越

 24日に発売されたNEWSの新曲「チュムチュム」が、初日に7.4万を売り上げ、23日付のオリコンデイリーCDシングルランキングで1位を獲得した。6月上旬には、手越祐也がAKB48・柏木由紀との親密写真を「週刊文春」(文藝春秋、6月18日号)に報じられ、騒ぎが収まらぬ中でのリリースとなり、今年1月発売の「KAGUYA」の初日売り上げ8.1万枚を下回る滑り出しとなった。

 チュムとはインドの言葉でキスを意味し、全編インドをテーマにした独特な歌詞や、メンバーの増田貴久がデザインを手がけたインド風の衣装が特徴。初回盤A・B・通常盤の3種リリースで、先着特典購入でいずれもポスターが付くほか、初回Aに付くDVDには、Music Clip&メイキングを収録。初回B、通常盤にはそれぞれ別の楽曲が収録されている。

能年玲奈“3ショット写真”掲載は事務所への威嚇!?「いずれは小泉今日子の事務所へ……」

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「07' nounen 能年玲奈オフィシャルブログ」より
 所属事務所からの独立騒動で渦中の女優・能年玲奈だが、その近況を「女性自身」(光文社/7月7日・14日合併号)が報じている。  同誌によると、能年は都内で今月6日から3日間、出演している「かんぽ生命」のCM撮影に臨んだ。そのため、事務所との“雪解け”も近いと思われたが、直接テーブルに着いて話し合いを求める事務所に対して、能年は弁護士を通じてそれを拒否。CM撮影は昨年から決まっていたもので、ようやく行われたという。  現在、能年は自宅マンションで、独立騒動の発端になったと報じられている、“生ゴミ先生”と慕う演技指導の女性とその弟子を迎え入れ、共同生活中。しかし、家賃は25万円以上で、このままだと家賃が払えなくなりそうだ。 「NHKの朝ドラ『あまちゃん』に出演後、一時期の能年は事務所の稼ぎ頭に近かった。そんな能年をこのまま“飼い殺し”にしたところでなんのメリットもないため、事務所は話し合いを求めたが、能年は拒否。そのせいではないと思うが、事務所はメディアの中で唯一“能年寄り”の記事を書いた『週刊文春』の発行元である文藝春秋などに対し、『記事で名誉を傷つけられた』として、計約1億1,000万円の損害賠償と謝罪広告を求める訴訟を東京地裁に起こした。裁判になったら、能年も出廷することになりそうで、ますます芸能活動再開が難しくなってしまう」(週刊誌記者)  そんな中、能年は21日に更新した自身のブログに、『あまちゃん』で共演した歌手で女優の小泉今日子と女優の渡辺えりとの3ショット写真を掲載。都内で上演中の小泉の出演舞台を渡辺とともに観賞したそうで、「セットも凄く素敵で、こんなセットの中で演技してみたい……と思いました。舞台っていいなあ」「ママ(=小泉)はいつ見てもかっこいい。えりさんはいつも楽しい!」などと書き込んだ。 「どうやら能年が、人を介して、小泉が所属するバーニングプロの幹部と接触した模様。そのため、いずれは小泉が設立した個人事務所に移籍して芸能活動を再開する可能性が、ますます濃厚になった。渡辺は演出家・劇作家としても活動し、舞台人としては一流。能年が頭を下げれば、いつでも舞台の仕事を入れることができる。能年がブログに小泉と渡辺との3ショットを掲載したということは、2人との強固な関係をアピールして、事務所を“威嚇”したのでは?」(芸能デスク)  ファンのためにも、能年と事務所はしっかり歩み寄り、話し合いをまとめてほしいものだ。