「モー娘。は整形したらクビ!」保田圭が明言するも、「どう見てもしてるだろ…」

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14年前かー。(ビデオ『ちょこっとLOVE』Zetima)
 元モーニング娘。の保田圭が、7日放送された『私の何がイケないの?』(TBS系)の「女盛り30人月収&整形大告白SP」に出演し、モーニング娘。の整形疑惑について完全否定したことが「嘘くさすぎる」と話題となっている。  番組では「美容整形をしたことがある?ない?」という質問に、スタジオの女性芸能人30人中11人が「ある」と回答。そのうちの3人が「どこをどういじったのか」を告白するも、残り8人が誰なのかは伏せられたままだった。  告白をしたのは、大人気となったNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』での好演も記憶に新しい美保純と、草刈正雄の長女で派手な容貌・破天荒な発言で話題をさらっている紅蘭(くらん)、そしてTBSの吉田明世アナウンサー。美保は先日、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)出演時にも「ずっとエッチだと言われ続けるのが嫌で」という理由でアゴ下のホクロを除去したことを明かしていたが、今回は27歳のときに交通事故で顔面を負傷したことを…… つづきを読む

「エスパー伊東を合コンに持っていける権利」についた、妥当すぎるお値段

<p> 「やっぱりか」の消費税8%の大本営発表で、与党の真価が問われた9月末~10月初旬。端っこ芸能人の台所事情というミニマルな視点から日本経済を斬る……わけねへへだろほほッ!! の「さざ波ニュース」です。</p>

借金を抱えて失踪、死亡説も……発明家になっていた日活ロマンポルノの伝説・曽根中生

IMGP4049.jpg 「借金を抱えてヤクザに殺された──」  2011年に湯布院映画祭に姿を現すまで、そんな話が半ば事実として語られていた。日活ロマンポルノの名監督として知られた、曽根中生氏のことである。  生存が確認された後も、曽根氏は大分県に暮らし、インタビューに答えることも少ない。  ところが今回、映画関連書籍で知られるワイズ出版から『曽根中生 過激にして愛嬌あり』(倉田剛・著)が出版されるにあたり、東京で特集上映が開催され、曽根氏も上京するという。いまや日活ロマンポルノはサブカルチャーのアイテムとして、男性のみならず女性も楽しむものとなった。そんな時代の変化を、曽根氏はどう捉えているのか? また、20年あまりにわたる失踪の真実を知りたい。  そんな欲望を満たすべく、かつて、曽根氏と共に製作会社の運営に携わっていたという映画編集者の鵜飼邦彦氏のツテをたどって、今回、取材の段取りをつけたのである。  10月5日、土曜日。映画興行にとっては恵みの雨とも呼べる秋雨の中、オーディトリウム渋谷にて、『ソネ・ラビリンス 曽根中生 過激にして愛嬌あり』と銘打った特集上映が初日を迎えた。朝から6本立て上映のプログラムすべてを鑑賞した熱心な邦画ファンもいるほど、各回とも満員の客席は熱気に包まれていた。  今回の特集上映では、齢76歳になるベテラン映画監督・曽根中生氏の日活ロマンポルノ時代の傑作選的なラインナップが組まれ、初日と2日目には監督がトークショーを行うという事前告知が功を奏し、大方の予想を上回る動員を記録したわけだが、これほどの大入りなった背景には、それなりの理由があったのだ。  この曽根氏、かつて横山やすし主演の『フライング 飛翔』(1988)を監督した直後、忽然と映画界から姿を消してしまい、20年近くも失踪状態にあった映画監督なのだ。関係者の間では失踪直後よりさまざまな憶測が飛び交っており、いわく「借金が返せず、コンクリート詰めにされて海底に沈んだ」「北九州でヤクザの親分をやっている」「ダンプカーの運転手になった」等々、出所不明の黒いウワサがまことしやかに業界内でささやかれ続けてきた、まさに生きる都市伝説なのである。  上映初日、トークショー出演のために大分県より上京した曽根氏を直撃し、それら都市伝説の数々を検証すべく、取材班は「日活ロマンポルノ」監督時代からの軌跡をインタビューによってたどっていった。 「(日活ロマンポルノは)私の生みの親なんです。お袋みたいなもんですね。しかも、なんというか、私生児みたいなもんですよね。私のお袋は男に逃げられてしまった。その後、神代(辰巳)さんや、田中登とか、私みたいな映画監督がゴチャゴチャと産まれちゃった。そういう意味で、日活ロマンポルノは時代の異端児でしょうね。異端っていうのは、歴史の傷ですからね。傷は絶対に消えないんですよね」(曽根)  確かに、「日活ロマンポルノ」は30代前半の曽根中生という日活の助監督を、映画監督へと昇進させたのだ。  1962年、日活へと入社した曽根氏は、助監督として現場でのキャリアを積む傍ら、強烈な個性で知られる映画監督・鈴木清順や若松孝二などのシナリオを手掛け、ロマンポルノ路線後の71年に『色暦女浮世絵師』で念願の監督デビューを果たした。  以降、続々と話題作を発表し、88年の「日活ロマンポルノ」終焉までを第一線の監督として支え続け、ポルノのほか『嗚呼!!花の応援団』シリーズ(76~)や『博多っ子純情』(78)等の一般映画でも成功を収め、瞬く間に映画界のメインストリームへと躍り出たのだが、そんな曽根氏を輩出した「日活ロマンポルノ」の定義とは、そもそもなんだったのか?  60年代、石原裕次郎、小林旭らによるアクション映画路線で隆盛を極めた日活も、70年代に入るとテレビの普及と共に観客動員は衰退し、斜陽産業と呼ばれるようになっていった。そこで日活は起死回生の一打として、一般映画から撤退し、成人映画中心の製作にシフトしていくことを発表したのだが、この日本最古の映画会社でもある日活の決断は世間に強い衝撃を与えた。  「10分に1回、絡みのシーンを入れる」「上映時間は70分程度」等々、一定の条件や低予算という制約がロマンポルノ製作にはつきまとった。しかし、それら苦渋の選択が、皮肉なことに、若き映画作家たちの才能を飛躍的に開花させる役割をもたらしたのである。 「製作費は安いけれども、予算のない中でポルノを隠れ蓑にして、やりたいことをやってやろうじゃないかっていう機運が高まってきた。でも、そこは当然、男女の絡みに時間を取られちゃうわけだから、合間にさまざまな要素を詰め込んでいったんです。それで、だんだんと面白くなってきたんじゃないのかなぁ、と思います」(曽根)  そんな、過去の「日活ロマンポルノ」作品の魅力に、現代女性が惹き付けられつつあるのも事実だ。  セックス産業やアダルトコンテンツが充実していなかった70年代の世情とも相まって、当時のロマンポルノ上映館は、男性客で埋め尽くされていった。しかし昨今、徐々にではあるが、「日活ロマンポルノ」の特集上映が、ミニシアター系劇場を中心に企画されるようになると、かつて見かけることのなかった女性客が、座席の半数近くを占めるという現象が巻き起った。そんな現実を曽根氏にぶつけてみたところ、 「それはうれしい限りですね。ほかのいろんな映画の記憶なんていうのは、バンソコ(注:絆創膏)でも貼っておけばすぐに消えちゃう傷なんですよね。でも、ロマンポルノだけはバンソコではちょっと治らないくらいの傷だと、いまだに思ってるんですよ」(曽根)  まさしくロマンポルノ作品の劇中に登場する多くの女性たちは、心に何かしらの深い傷を負っている。だが、それにもめげず、現状を突破しようともがく行動力が共感を呼び、底抜けに明るく笑うことの少ない現代女性にとって、スクリーンで自由奔放に振る舞うロマンポルノのヒロイン像に憧れを抱いてしまうのだ。さらに、女性本来の姿で身を晒す体当たり演技と、妖しげな存在感に少なからず理解を深めていくようになるのだという。事実、劇場を後にする女性客の表情には、多少の戸惑いを感じつつも、その底知れない魅力に触れたすがすがしさに満ちあふれているのだ。 IMGP3977.jpg ■ヒラメの養殖が面白くなりすぎて  映画人としての曽根氏の話は尽きない。ただこちらは、冒頭で紹介した倉田氏の『曽根中生 過激にして愛嬌あり』に譲るとして、少々、興味本位の話題に移ろう。  やはり、筆者が聞きたいのは失踪中の出来事である。多くの業界関係者は、失踪の理由を、映画製作で莫大な借金を抱えたことだと語る。しかし、どうして失踪までしなければならなかったのか。そのあたりは不明瞭なところも多い。 「私自身は、いなくなったつもりはないんです」  曽根氏は、笑いながらそう答えた。会社を作って映画製作に乗り出したが、客の入りが悪く、借金をかぶったのは事実。その返済を考えていたときに転機が訪れた。 「横山やすしさんと大阪で飲んでいたのですが、彼も借金だらけだという。そこで、笹川良一さん(日本船舶振興会会長)に頼んで、競艇の映画を撮らせてもらおうということになったんです」  話はとんとん拍子に進み、映画は完成した。ところが、完成した映画は曽根氏にとって「撮るべき映画ではない」というデキであった。「そんな横道にそれたら、もう映画は撮れない」と、曽根氏は自身を恥じた。 「その時、競艇選手会の会長だった野中和夫さんに、飲み屋で“この映画を誰が見るんだ?こんな映画を作っていていいのか”とボロクソに言われてしまいました」  「もう映画はやめよう」と思った曽根氏は、自分の名前を刻んだ位牌を刻み、葬式を行った。そんな彼に野中氏は「九州でヒラメの養殖をやらないか」と、声をかけたのだ。 「それで、養殖を始めたら面白くなっちゃったんです。何しろ、この養殖場の社長が失敗ばかりするんですよ。何度やっても稚魚が死んじゃって、そのたびに野中さんに泣きついて“タマゴを買うからお金をください”と……。もう、熱くなってたんで、東京で私が失踪したってウワサになっているなんて、まったく知らなかった」  結局、養殖はうまくいかなかったが、映画とは違うモノづくりに曽根氏はのめり込んだ。ゴミを処理する機械などの発明に乗り出し、開発には理論も必要だと、九州大学に入学するまでに至ったのである。  今なお曽根氏は、新たな技術開発に熱心だ。最近は、生ゴミを入れるとバクテリアが処理してくれる生ゴミ処理機を実用化するべく力を注いでいる。しかも、この処理機はいま問題になっている福島第一原発の汚染水処理にも役立つと曽根氏は語る。 「汚染水をコンニャクにして、処理機に食べさせちゃえばいいんじゃないかと思っています。ただ、今のままだとコンニャクが足りなくなるので、まずは全国の休耕田にコンニャクを植えるところから始めて……」  生ゴミ処理機の商品名を『カラスも真っ青』にしようと提案したり、次々とアイデアを繰り出す曽根氏。ステージは変わっても、熱さだけは変わらない点に、真似できない人間力を感じた。 (文=昼間たかし/インタビュー=山口夢) <開催中> 曽根中生監督特集上映『ソネ・ラビリンス 曽根中生 過激にして愛嬌あり』 オーディトリウム渋谷 10/5(土)~11(金) <http://a-shibuya.jp/archives/7619

「吉本内で映画の話はタブー……」松本人志監督『R100』が興収5,282万円で大コケ確定か

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『R100』来場者特典のカード
 ダウンタウン・松本人志が監督を務め、全国225スクリーンで公開中の映画『R100』が、公開初日の5日と翌6日の2日間で、興収5,282万円を記録。松本映画史上、最低の客入りだったことが分かった。  公開初日からTwitter上では、「客が3人しかいない」「ガラガラ……」「貸切状態」などと上映館の状況を伝える衝撃的なツイートが相次いだが、それが数字でも証明されてしまった。  同作は、劇中劇と現実が行き来する“入れ子構造”。家具店に勤務する男(大森南朋)がSMクラブに入会。日常生活に現れる女王様たち(大地真央、片桐はいり、寺島しのぶ、冨永愛、佐藤江梨子、渡辺直美)に、いたぶられ続ける……という映画を、100歳を迎える映画監督が製作し試写会を開くも、なかなか理解が得られない、というストーリーだ。  客の感想をうかがうと、「一切理解できず、悲しい気持ちになった」「最低限の起承転結は欲しい」「松ちゃんが何を伝えたいのか分からなかった」と理解に苦しんだ人が大半。また、「何も心に残らない作品」「『しんぼる』や『さや侍』は“命”や“誕生”といったシンプルなテーマがあったから許せたが、今回はただただつまらない」「“コント映画”なりに、もっと笑わせてほしかった」という声も。  過去の作品を振り返ると、2007年に松本が企画・監督・脚本・主演を務めた『大日本人』は、「初監督」という点が大きな話題となり、初動2億2,691万円と好スタート。10億円の製作費に対し、興収は約11億6,000万円であった。  だが、2作目から大赤字へ一転。09年に海外を意識して製作された『しんぼる』は、初動1億330万円と伸び悩み、最終的にも5億円に届かず。続いて11年の3作目『さや侍』も、主演に演技未経験の一般人・野見隆明氏を抜擢するも、初動1億2,387万円と振るわず、結果6億円あまりだった。  今回の『R100』も数億円に上る赤字は必至とみられており、ある吉本興業関係者は、「後のパッケージ売り上げを加味しても、回収は絶望的」と話す。 「不入りを受け、吉本関係者の間では『R100』の話題はタブーという空気が漂っています。ただ、『しんぼる』の時も同様の空気だったので、もう慣れましたが(笑)。よく『松本監督は、映画がコケてもめげずに作り続けるからすごい』と評価する人がいますが、そもそも本人が酷評を気にしていないので、めげようがない。長年、お笑い界をけん引してきた松本さんは、根底に『自分が本当にやりたい表現が、そう簡単に理解されるわけがない』という気持ちがあるようです」(同)  6日の初日舞台挨拶では、「1人くらい、こんなメチャクチャな監督がいてもいいと思う。機会があればまた頑張りたい」と次回作への意欲を口にした松本監督。作品が広く評価される日は来るのだろうか?

紗栄子、東尾理子、叶姉妹に学ぶ「職業・芸能人」としての美への欲望

「成人の身体の約60%は水分でできている」――新生児は75%、子どもは70%、そして老人は50%が水分といわれているように、人は本当に「干からびて」いくのです。ああ、水って本当に大切。じゃあ、いい水を摂って体を若く保たないと……なんて、お水にもこだわる人が多い今日この頃。軟水、硬水、温泉水、ろ過水、蒸留水などあるけど、いい水って、どんな水? 今回は、みずみずしく(お水っぽいという意味ではない)若くある芸能人たちがどんな水を摂取しているのかをリサーチ。ついでに、彼女たちの御用達サプリメントもご紹介。題して、「あの人が瑞々しいのはなぜ? 水とサプリで人気キープ、いや、右肩上がりだ、いつか見ていろ倍返し!?」。

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『Saeko One and only』(集英社)

【エントリーNo.1】紗栄子(26)
「アルピナウォーターサーバー」(995円/12L)
「フラコラ 高麗人参つぶ5000」(3,500円/30日分)

「タレント」という呼び名が私を変えた~デヴィ夫人がどんなオファーも断らない理由~

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撮影=後藤秀二
 歯に衣着せぬ物言いで、芸能界になくてはならない存在となったデヴィ夫人。元インドネシア大統領夫人という経歴を持ち、多くのセレブリティと交流を持つ彼女が、いつからだろうか、ジャージで泥だらけになりながら自転車に乗ったり、瓦割りをしたり、時にははるか上空からスカイダイビングしたり……リアクション芸人たちのお株を奪うような活躍を見せるようになったのは。夫人が体を張るその理由と、そこに至るまでの葛藤を、視聴者おなじみの豪華すぎるリビングで伺った。 ――単刀直入にお伺いいたしますが、「デヴィ夫人は、どんなオファーも断らない」という都市伝説は本当ですか? デヴィ フフフ。入ってきたお仕事は全部こなしたい、という気持ちはありますね。私はさまざまなことに対して挑戦する気持ちを、いつまでも持っていたいと思っているんです。挑戦する気持ちを失った時が、自分が年を取ったということになるんじゃないでしょうか。若さを保つには、何事にも好奇心を持って、興味を持って、探究心を持って挑むことが大事。 ――だから信じられないくらい若々しいのですね。 デヴィ みなさん私のことを非常にインドアな女性だと思っているでしょ? いつもきらびやかなドレスを着て、宝石を身にまとってっていう。全然違うの。人を驚かせるイタズラが大好き。少女時代はガキ大将でしたから。アウトドア・タイプです。 ――あの美貌でガキ大将!? デヴィ そう。スポーツも大好きで、今でも年に一度はスキーに行きます。水上スキーもスキューバも。海水に30m潜水できるライセンスも持っているのよ。ヨーロッパに行けば馬術。ゴルフはクラブがまだ木だった頃から。しないのは……そうね、野球とボクシングくらい(笑)。アナタ、『世界の果てまでイッテQ!』のイルカとのショーの回はご覧になりました? ――はい。あれは本当にすごかった……。 デヴィ ホホホ。本当に大変でしたのよ。ほら、この傷(※向こう脛に数カ所擦り傷アリ)は、あの時のね。海で泳いでいるわけではないので、自分が作った波が壁にぶつかって戻ってくるんです。そこをバランス取らなければならないので、すごく疲れる。プールの高い壁に何度も足を打ちつけられましたし。やっている時は夢中なので痛みも感じないんですけど、終わったら青アザだらけ。 ――イルカの上に乗ってプールを一周する技は、特に難しそうでした。 デヴィ あぁ“サーフィン”ね。あれは絶望的にできなかったんですけれども、最後にやっとコツがわかって。基本的に全部、練習の時のほうが上手にできたわね。本番は時間に追われちゃって。出川(哲朗)さんも練習のほうがよかったんじゃないかしら。 ――あれらはすべて4日間で会得されたんですよね? デヴィ そうですね、3日と半日くらいでしたね。本来水族館の人たちが、1年~1年半かけて覚えるところを、私たちは3日半で覚えなければならなかったの。 ――そもそもイルカショーに出ることが、すごいことだと思うのですが。特にデヴィ夫人の年齢で。 デヴィ 騙されたんです。「海でイルカと泳ぎたい」って言ったら、ああいうことになっただけで。 ――(笑)。出川さんとの相性はいかがですか? デヴィ そうですね。彼はすごくお行儀のいい、真面目な人なんですね。私がそう言うと「営業妨害です」って嫌がられますけど(笑)。でも、日本で一番抱かれたくない男とか、一番モテない男とか、そのキャラを全うしてるのは立派だと思いますね。実際は、いいとこの坊やですのよ。横浜の海苔屋さんの息子さんで。 IMG_8688.jpg ――プロフェッショナルなんですね。 デヴィ あの方は完璧な「アクション芸人」ですから。 ――……リアクション芸人でしょうか。 デヴィ そう! リアクション! 温泉湯に足突っ込んで「アツアツ~」ってね。私手を突っ込んでみたら、全然熱くないんですよ。 ――(苦笑)。リアクション芸人として、出川さんから学ぶことはありますか? デヴィ 彼は与えられた仕事を完璧にこなすでしょ。私自身も期待されていることを全うして、見ている人に楽しんでもらえるいいものができればいいという感じになっていますね。 ――以前サイゾーでインタビューさせていただいた頃(2007年10月)は、ご意見番的な立場でテレビ出演されることが多かったと思うのですが、徐々に体を張る方向にシフトしていきましたよね。 デヴィ それこそ、私のチャレンジ精神ね。私の年齢でああいうことをするって、人間の大いなる可能性ではないですか。みなさんに元気や夢、希望を与える存在に今なりつつあると思うんですよ。だんだんやることがエスカレートしていますけど(笑)。 ――体を張る大変なお仕事を受けるようになったきっかけは? デヴィ 何からでしょうね……えっと、やっぱり『イッテQ』や『うわっ!ダマされた大賞』ですかね。スタッフの方も、最初はビクビクしながら「こんなこと、お願いできますか……?」って訊いてきていたんですよ。それを私がすべて見事にこなしてしまうので、だんだんと大胆になってきて、今じゃ「これもあれも」と。高所恐怖症なのに、バンジージャンプもしました。普通のバンジーじゃなくて、橋の上からのね。あれは本当に怖かったですね。 ――高所恐怖症でバンジー……。 デヴィ あの時はバンジージャンプと川下りがあって、私コロラドリバーで川下りはよくしていたので「それならいいわ」と。川下りをやればバンジーはやらなくてもいいって思っていたの。そしたら両方ですって、アナタ。私が苦い顔をすると監督さんがあまりにがっくりして頭を抱え込んでしまったので、お気の毒で「無理です」とは言えなかったわ(笑)。人生最初のバンジーはマザー牧場というところで、私が催眠術にかかってバンジーができちゃうっていう企画でした。はたから催眠術なんて信じていませんが、私が飛ばなかったら催眠術が偽物だって証明することになっちゃうでしょ。その時も、その催眠術師を助けるために飛びましたよ。 ――さすがにこれは無理……という企画は? デヴィ 私、ジェットコースターがダメなの。絶対乗れない。できないのは、ジェットコースターとマラソンね。 ――しかし、今までマラソンよりジェットコースターより厳しいことを、たくさんされてきたと思いますが。 デヴィ いいえ、マラソンはね、あれは心臓と肺活量の問題ですから。私、肺活量が少ないんです。 ――スカイダイビングとか、イルカショーとか、以前ナイナイの番組で瓦割りにも挑戦されていました。セレブなお仲間たちから「そんなこともするの?」と驚かれませんか? デヴィ それはもう年がら年中(笑)。「ビックリしましたよ。アナタ怖くないの?」って。そりゃスカイダイビングなんて4,000mから飛び降りるわけですから、その瞬間は、それこそ南無阿弥陀仏よ。でも、落ちた途端の美しさや終わった後の達成感から比べたら、どうってことないわよ。私、あと30年は生きたいと思っているの。やっぱり元気の秘訣は、いい仕事をして充実感を得ること、それから楽しくよく遊ぶこと。どんなに仕事で疲れても、時間さえあれば銀座に行ってよく飲んでますのよ。ほとんどの方は毎日を「生活」していますが、私は毎日を「生きて」いる。この差、わかります? IMG_8709.jpg ――なんとなく過ごすのではなく、その時その時を真剣にということですか? デヴィ そう。仕事も遊びも限界を決めない。 ――夫人が、これからやってみたいと思う企画はありますか? デヴィ だんだんすることがなくなってきて(笑)。これから何をしたらいいのかしら……。そもそもあの人たち(テレビスタッフ)は、私が出した提案は絶対採用しないの。南極に行きたいわって言ったら、「1人2,000万かかる」で終わり。地球上で唯一アメリカのイエローストーンにいるアメーバーが見たいって言ってるのに、それもダメ。「NHKの番組になっちゃう」って。イモトさんは結構いろいろなところに行ってるのに。 ――やはりギャップが欲しいんじゃないですか……? デヴィ夫人のパブリックイメージとのギャップが。 デヴィ カナダの大森林で、クマがパシーンって鮭を獲るのも見たいし。 ――(聞いてない……) デヴィ そうそう、アマゾンの奥地にすごいブルーの蝶がいっぱいいるんですよ。キラキラ光る玉虫色の。それを獲りに行きたいって言ってるのに「アマゾンは大変です」でおしまい! ――(……) デヴィ バイカル湖にもプライベートで2回くらい行ってますけど、あの奥にかわいらしいペンギンがいたなんて、その時は知らなかったの。イモトさんは、それを見ているのよ! なんてうらやましい! そういう意味でイモトさんは私のライバルね。 ――まさか夫人のライバルがイモトだったとは!! デヴィ 彼女、私のしたいこと、行きたいところ、全部制覇しちゃってるのよ! ――最後にひとつ教えてください。夫人は、どういう肩書で呼ぶのが正しいのでしょうか? デヴィ やはり何十年「デヴィ夫人」と呼ばれてきましたから、それが芸名みたいになっていますね。スカルノというのは偉大な名前であり政治的な意味もありますので、あまりテレビに出るときには向かない気がします。外交団のレセプションパーティーや晩さん会などでは「デヴィ・スカルノ夫人」となるわけですが。だから逆に「デヴィ夫人」という名前は、ひとつのスイッチになっているともいえますね。  思えば、大統領夫人から社交界の華になり、ビジネスウーマンになってまた社交界に戻り、そして今日本にいる。ずっと「大統領夫人」という肩書で生きてきたのに、日本でのテレビ出演が増えるに従って「タレント」と呼ばれるようになりました。私それがすごいショックで。いつの間にか、私はタレントになっちゃったんだって……。それを自分の中で消化したときに、オファーされた仕事はなんでも受けようと心に決めたんです。そこで殻を脱いだのね。「大統領夫人」という立場も「東洋の真珠」と呼ばれた過去も。ただ余生は思い切り楽しんで生きようと決心しました。それまでは日本に帰るなんて頭の片隅にもなかったんです。私は日本を追い出されたと思っていますし、日本のマスコミとの40年にわたる戦いもありました。彼らに叩かれて叩かれて、抹殺されんばかりでしたから。私の間違った既成概念を作ったのは日本のマスコミです。 ――そのかたくなな気持ちを変えたのが、「タレント」という呼び名だったと。 デヴィ 私の中で「革命」でした。あぁ、それならそうやって生きてやると。プロのタレントとしてね。今まで世界中の王侯貴族とお付き合いしたり、スーパーセレブの方たちと世界の素晴らしい舞台に立ってきましたが、もうそういうことに未練はありません。今は、日本が私にとって最後の場所になるんだと思っています。これからは今まで私が得た幸せを、いろんな形で世の中に還元していけばいい。それは動物愛護やチャリティーね。皆さん意外とご存じないですけど、私テレビの仕事と同じくらいチャリティー活動をしているんですよ。これは最後に、ぜひ書いておいてくださいね。 (取材・文=西澤千央) ●ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ 1940年生まれ。59年、インドネシアの初代大統領スカルノと結婚。日イ友好協会名誉会長に就任し、両国の文化交流、親善に努める。スカルノ政権崩壊後、パリに亡命した後は社交界で活躍。“東洋の真珠”と賛美され続けている。現在は、ボランティアに注力して、野生動物や熱帯雨林の保護、先住民の権利保護など、さまざまな環境保護活動を行っている。 公式ブログ <http://ameblo.jp/dewisukarno/>

松本人志監督作品『R100』、最低評価の裏で大絶賛された、佐藤江梨子の○○

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映画『R100』公式サイトより

 10月5日から公開となった、ダウンタウン松本人志監督映画『R100』。1年間という期間限定でクラブ「ボンテージ」に入会してしまった有名家具店勤務の男・片山(大森南朋)が、謎の美女たちに誘われて、未知の世界を体験していくという異色のストーリーだ。

 トロント国際映画祭に出品され、地元紙が最低評価を下したことで話題になり、ネット上では「これはひどいww」「さすが天才芸人w」「逆に見たい」などと辛口な意見が飛び交ったが、唯一誰もが認める“見どころ”と言われているのが、出演する佐藤江梨子のボンテージ姿だという。

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【小明の副作用】第85回生放送アーカイブ「IDOL LIFE IS LIKE A ROLLING ストーンストーン!!」

公式メルマガ始めました!! 2013年10月3日22時00分よりニコニコ生放送で生中継された、アイドルライター小明のトークバラエティ「小明の副作用」アーカイブ。 イベント当日に蕁麻疹が出て、馬のお面をかぶったままステージをこなすなど、著しくアイドル適正に欠けた日々を送っている小明さん。せっかく前売りを買った映画を番組中にネタバレされるなど、災難つづきのようです。 ともあれ、OSK番組公式パンフレット売ってるのでよろしくおねがいします。(http://www.cyzo.com/akr/2013/04/post-27.html) そして!樫原先生の手によるエンディングテーマソング「君が笑う、それが僕のしあわせ」とc/w「星が見えない会えない夜は」のCD&着うたはまだまだ発売中! 【小明の副作用】第85回 放送終了後のお楽しみ【サイゾーテレビ】 →次回生放送 ●着うたURL http://r.dwango.jp/iCG8D6mW ●新作ポスター販売中『サイゾーショップ』 http://cyzo.shop-pro.jp/?pid=48746847
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