
前編はこちらから
■日本での日々を支える「聴界」
――アブディンさんを見ていると、目が見えないって全然わからないです。
アブ 実は見えているかもしれないよ(笑)。
――見えているとしたら相当な詐欺師ですが、実際のところアブディンさんは日本語がうますぎですよね。アルバイトもしているんですか?
アブ マッサージや翻訳のアルバイトを時々やったこともありますが、僕は人の何倍も勉強に時間がかかるんですね。教材が読めないから、スキャンしてテキストにしてもらって音声ソフトで聞き取って……となると、すごく時間がかかるので、アルバイトをしていたらたぶん勉強できないと思います。でもラッキーなことに僕は奨学金が途切れたことがなくて、ずっと渡り歩いているんです。かわいそうな盲人の外国人に奨学金をあげなくてどうする、みたいな感じで、そこはやっぱり弱者の武器として共感を抱いてもらってる(笑)。
――確かに、それなら食いっぱぐれなさそうですね。
アブ でも、審査に落ちたこともありますよ。文部科学省の奨学金は大使館推薦と大学推薦があって、日本語が話せることが条件なんですが、最終審査に残ったのが僕と日本語のできない外国人で、当然自分がもらえると思っていたのに落ちたんですよ。日本語が話せることが条件だったのに。結局そのあとに違う奨学金がもらえたんですけど、日本語が話せない外国人はたぶん落ちたら国に帰るしかなかったので、やっぱり捨てる神あれば拾う神ありで、結果としてはよかったのかなと思っています。
――いくら日本語が流ちょうとはいえ、音やにおいの情報だけでの異国暮らしの実態は、どんな感じなんですか? というか、音やにおいだけで、普通に行動できるんですか?
アブ 東京外国語大学1年生の時、寮から御茶ノ水を経由してキャンパスに行く途中にある、シュークリーム屋のにおいを目印にしていました。目印があればあるほど楽なんだよね。家の近所にはガソリンスタンドがあるので、においですぐわかる。においを発する店や、音を発するパチンコ屋があればあるほど、それを目印というか耳印にするんです。
――雨が降るとにおいとか消えると思うんですが、そうなるとどうなるんですか?
アブ 雨が降るとダメ。僕の移動は徒歩が基本だけど、いつもは人にぶつからないのに、雨の日はぶつかるんですよ、本当に。「視界」という言葉がありますが、「聴界」が狭くなるんです。頭から袋をかぶって歩いている感じになって「もしかしたら行き止まりかな?」という感覚がわからなくなる。湿度が上がって空気が濁るから、聴界が悪くなるんです。
――聴界が発達しているというのはわかりました。著書『わが盲想』の中では、声だけで美人かどうかわかると書かれていますが、それは本当ですか?
アブ 本当だよ。もちろん失敗はあるけど(笑)。基本的には声と、あとは握手した感覚。声だけの場合は、音声データをもとに、輪郭を再現するわけ。当たる率が高いかどうかの実際のところは、まあ自称なので、よそから見れば全然違うかもしれないけど、僕が美人だと思えばいい。でも付き合う場合は「あいつは見えないから騙されたんだ」と思われるのは嫌なので、そこはこだわるね。
――相手の人となりは、外観や輪郭や声の高さなどの情報をもとに、会話しながら徐々に判断していくんですか?
アブ もちろん第一印象はあるよね。外見で判断してはいけないと思っても、相手が一言発する前に、とりあえず印象はインプットされるでしょ。話していく過程でその印象が変わることも、もちろんあったりするけど。
――健常者はイケメンかどうかとか、美人かどうかで判断するわけですけど、アブディンさんの場合は、いい声かどうかで判断する。
アブ 自分の耳が雑音と認識しない、心地いい声とかね。でもそれだけじゃないですよ。会話の内容とか話が合うかどうかとか。入り口は必要だから。
――著書の中で「あ、いい声だ友達になりたい」って書かれていますが、イケメンとか美人と同じ意味合いでの「いい声」っていうのはあるんですか?
アブ 目が見えていても、いい声はあるでしょ? 20代前半の時は甲高い声が好きだったんだけど、どんどん低い声のほうがセクシーに聞こえてきて……。
――アブディンさんって、結構スケベですよね(笑)。
アブ ムッツリじゃないから、いいじゃない! 男は基本的にスケベですよ(笑)。
――さわやかスケベな感じで織り交ぜてくる、オヤジギャグの評判はどうなんですか?
アブ まあやっぱり女性は引くよね(笑)。でもオヤジギャグって、言葉遊びだから楽しいんだよ。自分でも発見があるし。言おうと思って言っているんじゃなくて、スッと啓示が降りる。神の啓示じゃないけど、ひらめくんだよね。
流れで自然に出てくるのが一番いい。版元のポプラ社で宣伝部の人たちに挨拶をしたとき、「こんにちは、金沢です」と言われて「福井です」と考えずに返しちゃった。これはくしゃみと一緒ですよ。本人はスッキリするけど、周りには変な菌をいっぱい飛ばしているから。自分はオヤジギャグを言ってスッキリするけど、周りはストレスを感じているかもしれない。
――聴覚以外の感覚って、どうなんですか? 著書の中で「肌触りのいい本」とか「肌触りのいい教科書」という言葉を使っていますよね。
アブ 使っている素材によると思うのですが、点字本には丸みを帯びた紙や鋭い紙があるんです。鋭い紙は読むときにひっかかるし、痛い。たくさん読まれて、いい案配に潰れていって読みやすくなったものもあるし、表紙がツルツルしていて肌触りがいいとか、大きさがちょうどいいとか、そういうのもある。
まだ弱視だった子どものころは、インクも活字も黒で太めの字なら読めた。中途半端な色合いの字は読めなかったけど、歴史の教科書は自分で読めたので、ずっと読んでいましたよ。そんなことがあったからか、その歴史の教科書の感触に似た肌触りのものを選ぶようになった。日本に来たばかりの頃は、全部チンプンカンプンだから、どの教科から勉強するかを教科書の手触りで決めていたの(笑)。
東京外国語大学の入学試験で日本史を選択したこともあって、今でも日本の歴史は大好きです。特に好きな偉人は大久保利通ですね。侍ではなくて政治家として。彼はその時代に合わせて何をするべきかというリアリスティックな考えを持っていた。裏切り者として冷ややかに見る人もいて「西郷隆盛は男だ」とか言うけど、法治国家の視点から見れば、あれは国家への反逆に当たるという捉え方もできなくはないですね。
――熱くなっているところ申し訳ないですが、本題に戻します。その場の空気で相手の機嫌も推し量ったりできると、本に書いてありますが?
アブ そうですね。機嫌が悪いかどうかは、新聞をめくる速度とかでもわかるんですよ。特に自分の父親はライオンのような存在で、機嫌は大事なことだし生死に関わる問題だったから(笑)。
――音や手触りなどの観察力が発達しているのはわかりましたが、アブディンさんは東京外国語大学という日本の中でも外国人が多い特殊な環境にいますよね。相手が名乗る前に、国籍や人種がわかったりするんですか?
アブ よく当てますよ。外国人の話す日本語には、いろいろなアクセントがあるでしょ。例えばインドネシア人は「わたしは」ではなく、「わたすぃは」と言うんです。イタリア人もイタリアのアクセントで「アブディンさんは大学に行きま~したか~」としゃべるから面白いんですよ。中国人は「っ」が言えないから「ちょっと待ってください」ではなく「ちょと待てください」になるし、韓国人は濁点が言えなくて「がっこう(学校)」ではなく「かっこう」になる。結構な確率で当てられますよ。
ただ、発音はきれいだけど教科書的な日本語をしゃべっているなと思ったら帰国子女だった、ということはありました。ほかにも1時間近く女の人だと思って話を聞いていた人が男の人だったとかね(笑)。
(後編に続く/取材・文=丸山佑介/犯罪ジャーナリスト<
http://ameblo.jp/maruyamagonzaresu/>)