月別アーカイブ: 2012年9月
仁義なき戦い~道頓堀私闘編~
「ようやく正式発表も……」舞台で復帰の酒井法子 前途はやっぱり多難すぎる!

涙の会見から3年。
覚せい剤事件で執行猶予中の酒井法子が12月に芸能界復帰すると報じられていたが、27日になって俳優の斎藤歩が『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)に出演し、自らが脚本演出を務める『碧空の狂詩曲~お市の方外伝』に酒井の出演が決定したことを明かした。
酒井の元には中国をはじめ国内外から映画などの出演依頼が多数寄せられていたが、酒井が選んだのは女優の原点ともいうべき「舞台」。一時は芸能界復帰をあきらめていたが、中学1年の長男を抱えるシングルマザーとして「(子どもとの)生活のために自分が一番何ができるのかを考えた」末の結論という。
酒井が“贖罪”を胸にどのような演技を見せるか興味は尽きないが、一方で業界関係者からは懐疑的な目も向けられている。
ある舞台関係者は「発表によれば、席数700ちょっとの渋谷さくらホールで14公演。つまり大入りなら1万人の動員ということになる。従来の時代劇ファンはスキャンダルを嫌って来場を見送るでしょうし、かといって今の酒井にそれだけの動員力があるとは思えません。これは大きな賭けだと思いますよ」と話す。
ワイドショー関係者によれば、水面下で複数のマスコミが取材をかけたことで「当初10月に発表する予定だった酒井復帰のニュースが早まった。そのぶん、劇場やキャスト、予算など、すべてにおいて急場しのぎになってしまった」という。
「仮に舞台が成功したとしても、テレビ局や映画会社も、あれだけ世間を騒がせた酒井を起用するにはリスクが高いと考えている。一緒に出たがる役者はいないだろうし、スポンサー集めも厳しいだろう」(芸能プロ幹部)
酒井を待っているのは“イバラの道”のようだ。
2012年に見る『ロンバケ』、山口智子のハイテンション演技がキツイ理由

『ロングバケーション』/ポニーキャニオン
今回ツッコませていただくのは、9月26日から首都圏で夕方に再放送され始めた『ロングバケーション』(フジテレビ系)。いわずもがな、今から16年前の1996年に放送され、平均視聴率29.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)、最高視聴率36.7%(最終回)を記録した、木村拓哉、山口智子主演の大ヒットドラマである。
10月にスタートする、キムタク主演のフジテレビ月9ドラマ『PRICELESS~あるわけねぇだろ、んなもん!~』(それにしても、ものすごいタイトル)の宣伝のためなのだろうけど、久しぶりに見て感じたのは、90年代半ばのキムタクは、今見てもやっぱり“キムタク”だったということ。ある意味、いつの時代でも変わらないものを提供し続けてくれる、安心ブランドだと思う。
また、ちょっと意外だったのは、稲森いずみが記憶していたよりも若くてツヤツヤでキレイだったこと、松たか子がまだ眉太で野暮ったかったこと。当時はオシャレな感じがした挿入歌がダサく感じられるなど、時代の流れを感じてしまう部分は多々あったけれど、中でも最大の驚きは、2012年現在に見ると最もキツイのが、山口智子だということだ。
ついに正式決定の情報も! 今年の紅白歌合戦は“韓国枠”ゼロが確定的に

第63回 NHK紅白歌合戦
今年のNHK『紅白歌合戦』で、“K-POP枠”が消滅することが正式決定されたという。
昨年は東方神起とKARA、少女時代の3組が出場したが、竹島をめぐる日韓関係の悪化により「出場させるのは視聴者の反感を招く」(同局関係者)と結論づけた模様だ。
放送時間は午後7時15分から同11時45分までで、震災復興をテーマに掲げた昨年と同じ過去最長タイ。NHKの松本正之会長本会長は、今月6日の定例会見で「ロンドン五輪で日本の選手団が史上最多38個のメダルを獲得して、日本に大きな力を与えた。今度は歌で力強く踏み出そうとメッセージを伝えたい」とコメント。日本人歌手中心の選考になると暗に示した。
音楽業界関係者は「韓国人アーティストの大半は、日本での活動は単なるビジネスと割り切っている。祖国に帰れば『独島は我々のもの』と言ってはばからない者もいる。そんなアーティストを生放送に出して、万が一、政治的なメッセージを送られでもしたら、受信料の不払い騒動どころじゃなく、国際問題になる。NHKの判断は賢明ですよ」と話す。
古くから「芸能の世界は政治の話は持ち込まない」という暗黙のルールがあるが、もはやそれどころではない。竹島問題を機に、日韓両国の文化交流が途絶えかかっているのは紛れもない事実だ。K-POP排除――。『紅白』という日本の看板番組が下した決断の持つ意味は大きい。
ついに正式決定の情報も! 今年の紅白歌合戦は“韓国枠”ゼロが確定的に

第63回 NHK紅白歌合戦
今年のNHK『紅白歌合戦』で、“K-POP枠”が消滅することが正式決定されたという。
昨年は東方神起とKARA、少女時代の3組が出場したが、竹島をめぐる日韓関係の悪化により「出場させるのは視聴者の反感を招く」(同局関係者)と結論づけた模様だ。
放送時間は午後7時15分から同11時45分までで、震災復興をテーマに掲げた昨年と同じ過去最長タイ。NHKの松本正之会長本会長は、今月6日の定例会見で「ロンドン五輪で日本の選手団が史上最多38個のメダルを獲得して、日本に大きな力を与えた。今度は歌で力強く踏み出そうとメッセージを伝えたい」とコメント。日本人歌手中心の選考になると暗に示した。
音楽業界関係者は「韓国人アーティストの大半は、日本での活動は単なるビジネスと割り切っている。祖国に帰れば『独島は我々のもの』と言ってはばからない者もいる。そんなアーティストを生放送に出して、万が一、政治的なメッセージを送られでもしたら、受信料の不払い騒動どころじゃなく、国際問題になる。NHKの判断は賢明ですよ」と話す。
古くから「芸能の世界は政治の話は持ち込まない」という暗黙のルールがあるが、もはやそれどころではない。竹島問題を機に、日韓両国の文化交流が途絶えかかっているのは紛れもない事実だ。K-POP排除――。『紅白』という日本の看板番組が下した決断の持つ意味は大きい。
服装がカラフルな人はお腹が空くと怒る!? ヒステリーとうまく付き合う方法

更年期障害……じゃないですよね
残業・休日出勤当たり前、付き合い合コンや職場飲みは強制参加、愛想笑いを振りまき、周囲のご機嫌取りにも気が抜けない......なーんて、すっかり"職場奴隷"になっていませんか? しかも! その原因はすぐそばにいる上司や同僚、部下に取引先のお客さんなどなど、"職場の天敵"のせいだ! という人も多いはず。そこで、そんな天敵の行動パターンから、手玉に取れる"退治方法"をお教えしましょう......。
「聞ける雰囲気じゃないよ!」引退を発表した阪神・金本知憲の“最大タブー”となった離婚情報

『金本知憲―心が折れても、あきら
めるな!』(学習研究社)
12日に兵庫県内で会見し、今季限りでの引退を発表した“アニキ”ことプロ野球・阪神タイガースの金本知憲。阪神の生え抜きではないが、広島から移籍してきた2003年に18年ぶりのリーグ優勝に貢献し、連続フルイニング出場の世界記録を達成するなどファンから愛され、金本が背負う背番号6を永久欠番にする動きもある。そんな金本の離婚情報を「週刊文春」(文藝春秋)9月27日号が報じた。
金本といえば、07年から09年までは年俸が当時球界最高額の5億5,000万円(推定、以下同)で、10年は4億5,000万円+出来高、11年は3億5,000万円+出来高、今季は2億2,000万円+出来高と、ここ3年は年々ダウンしているものの、懐具合はかなり潤っていたようだ。しかし、同誌は昨年、金本が財テクにハマるも08年9月に発生したリーマン・ショックの影響でのかなりの損失を出し、共同出資者とトラブルになっていることや、兵庫県芦屋市に新築した自宅をほとんど住むこともなく売りに出すなど、カネに困っていると報じていた。
そして、今号によると、09年ごろから自宅マンションで妻の姿が見られなくなったというのだ。お手伝いの女性が炊事や洗濯をするようになり、若い女性が出入りすることもあって、妻とは離婚したものの、小学生の娘のことを考え、同じマンションの別フロアに住んでいるという。
この話が事実なら大ニュースだが、タイミングがタイミングだけに、どこも報じることができないようだ。
「今年の阪神はまったく優勝争いに絡むことなく、5位に低迷。甲子園のみならず、昨年までなら阪神ファンで盛況だった神宮球場のヤクルト戦まで観客動員が落ち込んでいる。そこで、今シーズン終了までは金本を使った“引退ビジネス”で観客動員をアップさせようという狙い。このタイミングで離婚について書いた記者とメディアは確実に出入り禁止にされる。それにここ数年、金本はなかなかまともに報道陣の取材を受けず、かなり扱いが難しかったので、とても離婚について聞ける雰囲気ではなかった」(スポーツ紙デスク)
金本といえば、09年1月に大手レコード会社・エイベックスのマネージメント部門と契約して芸能活動のサポートを受けており、「なかなかしゃべりが立つので、引退後は解説者のみならず、バラエティ番組でも引っ張りだこだろう」(同)というが、馬車馬のように稼がなければならない事実もあるようだ。
「どうやら、元妻からはかなりの額の慰謝料と養育費を請求されており、財テクで損失を出したおかげで、来年の税金の支払いも厳しいようだ。芸能界を引退したものの、飲食店経営などでまったく生活に困っていない島田紳助とも親交のある金本だが、紳助のみならず、このご時世だけに、ポンと金を出してくれるタニマチがいるとは思えないのだが……」(週刊誌記者)
金本の“第2の人生”は、なかなか苦しいスタートとなりそうだ。
「東スポが噛んでる可能性も」ニセ板野騒動、芸能界デビューへの布石?

まあ板野さんも元は誰かのコピーで
すし
21日、都内で行われた『第25回東京国際映画祭(TIFF)』において、AKB48を卒業した前田敦子“初の公の場”が霞んでしまう事件が発生した。記者席に板野友美の「そっくりさん」が現れ、取材に訪れたメディア関係者が騒然としたのだ。
さらに翌日、東京スポーツはこの件を一面で報じた。それによると、「ニセ板野」の狙いは、ある媒体の「前田敦子を騙せるか?」というドッキリ企画で、国際映画祭事務局にも許可を得ずに敢行されたという。また一部メディアは板野がニセモノだと気付かず「あっちゃんをお忍び応援」とネットで報じてしまい、所属事務所からのクレームですぐさま記事を削除させられてしまった。
会社はこうして潰れていく…ある元ベンチャー起業家の告白
昨年12月、社長の村上太一氏が史上最年少で東証マザーズ上場を果たしたリブセンス。10月には、東証一部へ市場変更することになり、東証一部でも最年少社長の記録をつくることが話題になっている。 今や、会社設立は資本金1円でも可能となり、起業すること自体は敷居が低くなった。しかし、起業した会社の10年後の生存率はわずか5%といわれる今日、最も難しいのは会社を存続させること。リブセンス成功の裏には、倒産した企業が無数にあるのが現実だ。 そこで今回、20代でベンチャーを起業したものの、数年前、解散に追いやられたA氏に、 「ゼロから起業し、ベンチャーを運営していくということの難しさ」 「会社は、どのように壊れていくのか?」 について語ってもらった。 ――会社を立ち上げたきっかけは? A氏 大学生の頃、広告の仕事をしたいと漠然と考えていましたが、卒業後にたまたま小さな広告会社に契約社員として入社しました。何年か働いて、ノウハウも吸収したので、フリーランスとして独立しようと考えていたとき、大学の同級生だったBと「会社をつくろう」という話になりまして、Bが社長になって2人で立ち上げました。私自身は自発的ではなく、軽い気持ちでしたね。ただ、後でわかったのですが、実はBには込み入った事情があったんです。 ――どんな事情ですか? A氏 Bの知り合いの税理士で、かなりブラックな感じの人がいまして(笑)。脱税を目的に、一回お金をプールしておくための受け皿として、その税理士にそそのかされてBは会社をつくらないといけなくなったみたいでした。B本人にあまり自覚はなかったようですが……。 ――会社の設立資金は、どのくらいかかりましたか? A氏 資本金は、現在は1円でもつくれるので、登記申請や定款作成などのために司法書士に払う数十万円程度で済みました。 何も知らなくても会社をつくれる? ――ゼロから会社をつくるためには、どういうことが必要になりますか? A氏 税金や会社法のこととか知ってないといけないのですが、ホント軽い気持ちで起業したので、細かいことはよくわかっていなかったですね。決算とかも、基本的には前出のBの知り合いである税理士に任せていて、まったくノータッチでした。 ――起業直後、生活できるくらいの給料は得られましたか? A氏 設立当初は、友人の友人を紹介してもらうなどツテを頼って、小さい仕事はすでに持っていましたが、ギリギリで結構厳しかったです。給料が出ないときもあって、最初の1〜2カ月間は、空いた時間で出会い系サイトのサクラのバイトとかしてましたね。 半年くらいして、ある会社に営業をかけたところ、うまいこといき、その後は定期的に仕事をもらっていました。徐々に軌道に乗って、最終的に1年目で1000万円くらいの売り上げがありました。給料は少なくて、手取りで月額20万円ちょっとくらいでした。 ――2年目の売り上げと給料は? A氏 売り上げは3000万円くらいに増えましたが、この頃も給料は30万円くらいに抑えていました。というのも、設立して半年間の厳しい印象が二人とも強くあったので、堅実にやっていましたね。 ――当時の仕事ぶりは? A氏 とにかく働きっぱなしで休みはなく、一日23時間くらい会社にいましたね(笑)。同時にお金はどんどんたまっていきました。二人ともお金には無頓着で、特に将来のビジョンなども考えておらず、目の前の仕事をこなすだけで、たまったお金をどうするか考えていませんでした。決算では、税金を取られないように、前出の税理士が、ほぼ利益が出ないよう処理していたことを、後から知りました。 ――具体的には、どのような処理でしょうか? A氏 架空の請求書をつくって、経費として税理士の知り合いの会社に振り込んだりとか……。今思えば完全にアウトなことをやっていましたね。当時は、私は完全に任せていたのでまったく知らず、税理士が処理していたので問題ないと思っていました。 ある人物の入社から、徐々に歯車が… ――その後は、どのような感じになっていきますか? A氏 せこせこ小さい会社から受ける仕事ばかりやっていても未来はないと感じ始めていました。そこで、以前から仕事上で付き合いのあったCを社員として雇いました。というのも、Cは営業寄りのクリエイターで、僕らにはない人脈もいろいろ持っていたので、面白くなりそうだなと。C本人も、フリーの仕事に限界を感じていたらしく、僕らの会社が景気がいいのを見て、「オレ、入るわと」(笑)。 ――Cの仕事ぶりはどうでしたか? A氏 期待していたような、新規の仕事を取ってくるといったことに関しては、全然ダメでしたね。Cの性格は、世渡り上手でずる賢く、サボリ屋、私利私欲でコンプレックスの塊で、人に嫌われるタイプ。Cが入ったあと、何人か社員を雇い、5人体制で仕事をしていました。 ――その頃の会社の売り上げは、どれくらいでしたか? A氏 売り上げは年間7000万円くらいありましたが、給料は変わらず定額でした。ただ、だんだんと、私とCは、社長のBに対して物足りなさを感じてきました。というのも、広告会社は徹夜が当たり前ですが、Bは定時で帰れるような“普通の会社”を望んでいました。一方、私とCは、そろそろ次のステップが必要じゃないかと思っていました。 とはいえ、そういったマネジメントに関する話が、まったくなかったですね。今思えば、将来の経営について、きちんと3人で話し合いをするべきでした。そもそもBは仕事が雑で、私は尻拭いばかりしていました。 一方、CはCで会社の実権を掌握したがっていて、社長のBを見下していました。Cは途中で取締役になったのですが、Bに「株をよこせ」とか言い初めました。こうして、お互いに溝が徐々に深まってきた感じです。 仲の良かった経営陣 ――その頃は、お互いに会話はなかったのですか? A氏 業務的なことはよく話していました。もともと3人はすごく仲が良くて、飲みにいったりとかもしてましたし、あのころが一番幸せだったな……。 ――それが、だんだんお互いの間の溝が深まってきたと。 A氏 ええ。その後、一時期社員を増やし、資金がショートギリギリになってしまった時があったのですが、それでも社長であるBは、資金繰りなど特にしていませんでした。さすがにまずいとなって、私が一部の社員をやめさせたりしましたが、その頃から誰が実権を握っているかわからなくなりました。私とCは徒党を組む感じで、社長のBと対立的な雰囲気になりました。とはいえ、私も完全にCのことを信用はしていませんでしたが。 象徴的な事件として、ある年の決算前に、例の税理士が、海外の会社に、ウチの利益をいったん預けるという話をBから聞いたのです。Cは「そういうことはすべきじゃない」とBに訴えました。Bは、それまでの厳しい経験も踏まえて、「現金がなくなったときに備えてだ」と言い張り、Cの意見を受け入れませんでした。 そんなこんなで1カ月くらい、毎日ドンパチしてましたね。話はいつも平行線でした。BとCの対立構造は深まるばかりでしたが、自分は仕事にも追われていたので、調整役に徹していました。 社長の辞任 ――その後は、どういう方向になっていったのですか? A氏 当然、雰囲気はよくなく、みんなモンモンとしてました。Cが結構大きい仕事を取ってきたときも、Bは「やる必要がない」と拒否したりして、またドンパチしてましたね。経営のみならず、業務としても方向性がズレてきていましたね。Bは全部を抱え込んで悩んでいた感じでした。 それである日、Bが私と2人きりのとき、「オレ、会社辞めるわ」と。 ――それを聞いて、引き留めたんですか? A氏 気持ちは半々でしたね。Bとは友人で、そこからスタートしたわけですが、一方でBが会社の成長を止めているのは許せないという気持ちもありました。そもそもBは、友人関係とビジネスを分けられないタイプで、私はまったく逆。そうして割り切っている私を見て、Bは「仕事をしているときのAは嫌いだよ」と。大学時代のように腹を割って話をしているBを見て、心を揺さぶられましたが……。ただ、もう一緒に仕事はしたくないと思いました。 ――Bさんが辞めるということを聞いて、Cさんはどう思ったんでしょうか? A氏 Cにとっては、願ったかなったりの状況になったわけですよね。Cは私に「Aが社長になるのは当たり前だよ」と言いまして、実際、その手続きを進めていました。ですが、私も特に会社のビジョンを持っていたわけではなかったし、経営的なセンスもないのはわかっていたので、躊躇はしていました。 そこで、残っていた社員2人に「Cに社長をやってもらおうかとも考えているんだ」と話したところ、2人は「それなら私たちも辞めます」と口を揃えて言ったので、どうしようかなと。 そんな時、まずは新しい税理士を雇ったのですが、帳簿や決算書を見せたら、「これ、ヤバいですね」と……。 私は、もうそんな会社を引き継ぎたくないし、Cとは一緒に続けていけない気持ちもあったので、それなら別々の道に分かれて、会社を解散しようと決めました。Cにもそれを伝え、了解をもらいました。 同情してくれるクライアント ――解散と決めてから、どうしたのですか? A氏 まず、それまでのクライアントに事情を説明していきました。一部のクライアントからは、「突然すぎるよ」と怒られましたが、「ウチへ来ないか」と誘ってくれる人もいたり、おおむね皆さん同情してくれました。 ――解散すると、退職金みたいなものは得られたのですか? A氏 いえ、何も。数年間がむしゃらに働いてきて、結局これかと……。でもそれ以上に、当時はとにかく早くこのゴタゴタから解放されたいという思いが強かったですね。 ――起業したことを後悔していますか? A氏 いきなり会社を立ち上げたことは、間違っていたかもしれません。起業前はBやCとも仲が良かったですが、実際に仕事をしてみると、いろいろ見えてきました。結局、私とBとCとは、お互いに認め合うことができなかった、最悪の関係でしたね(笑)。 ――起業と解散という経験を通じて、ベンチャー起業で成功するためには、何が大切だと思いますか? A氏 社員全員が、「何に幸せを感じるのか」という人生観を共有できないと難しいかもしれません。また、成功しているベンチャーは、ワンマン社長で、「この人についていきたい」と思わせる人なんですよね。 会社といっても、結局、人と人だなと思います。トップの人柄次第かなと。それと、私は社員の多様性を認めたいと思っていましたが、それは社員が10〜20人になったときの話で、数人規模の状態でそれを求めるのは、少し早すぎたかなと思いましたね。 (構成=編集部) ■おすすめ記事 人事採用担当者覆面“本音”座談会「こうやって採用は決まる」 ユニクロとコラボの「ビックロ」開店 ビックカメラはどこへ向かう? 審査書類は偽造でも融資OK!? 大手サラ金社員が“裏”指南 リコール問題で表面化した軽自動車1位スズキの内紛 NHKが地域別に受信料支払率を公表、最も払ってない地域は…「Thinkstock」より
