チェコセンター東京所長に聞く、鬼才・シュヴァンクマイエルの楽しみ方

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(C)ATHANOR
 「チェコアニメの鬼才」「チェコを代表するアニメーション作家」などといううたい文句で紹介されることの多い人物、ヤン・シュヴァンクマイエル。確かに、チェコ出身であることとアニメーション作品を作っていることで、そう呼ばれるのも間違いではないが、本人いわくそうではないと。では、彼をなんと呼ぶか。「"シュルレアリスト"がもっともふさわしいでしょうね」と、日本でヤン・シュヴァンクマイエルを最もよく知る人物であるチェコセンター東京のぺトル・ホリー氏は言う。  27日より渋谷のシアター・イメージフォーラム他で公開となる映画『サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―』をはじめ、展覧会や書籍の刊行等、ヤン・シュヴァンクマイエルの話題が相次いでいる。各作品ごとにさまざまなテーマがあるが、シュヴァンクマイエル作品には「夢」を扱ったものが非常に多い。今回の映画『サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―』も主題が「夢」。主人公のエフジェンは、夢の中で美しい女性エフジェニエに恋をする。そしてエフジェンは、夢の内容が気になり、精神分析医にかかり原因を探ったり、夢の操作法を勉強し夢の中に入っていく。その先にあるのは......。といった内容。夢はその人にとってどんな存在であるのかを考えさせられるテーマである。  ......ということで、今回は残念ながらご本人の登場には至らなかったが、今年2月のライブストリーミング番組「DOMMUNE」出演時(ヤン・シュヴァンクマイエル本人と共に通訳として出演した)にも、ある意味で大きな存在感を示したチェコセンター東京のペトル・ホリー氏にご登場いただき、初めての方でも楽しめるヤン・シュヴァンクマイエルについて、また、新作『サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―』の楽しみ方について語っていただいた。 ──まずは、読者の方たちがホリーさんのことをご存じないかもしれませんので、ヤン・シュヴァンクマイエル監督との関係を教えていただけますか?
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チェコセンター東京所長、
ぺトル・ホリー氏。
ペトル・ホリー氏(以下、ホリー) 私は現在、チェコ共和国大使館勤務で、チェコセンター東京の所長をしております。シュヴァンクマイエル監督はもちろん有名だったので昔から存じ上げていました。私は日本文化と日本語を勉強して、1998年から日本に住んでいます。最初は『シュヴァンクマイエルの博物館』(国書刊行会)の翻訳で彼の仕事をさせていただきまして、2001年に映画『オテサーネク』で来日した時から通訳としてご一緒させていただいております。それからは、来日されるたびに身の回りのお世話をしたり、日本でいろんなところにお連れしたり......。 ──シュヴァンクマイエル監督の側には、いつも大きなホリーさんがいらっしゃる。ご自身もシュヴァンクマイエル映画のファンだったんですか? ホリー 最初に見たのは大学生のときだったと思います。その時は正直びっくりしましたが、すぐにハマってしまいました。こうして仕事をご一緒させていただき、監督本人からいろいろお話が聞けるのは、すごく貴重なことだと思います。 ──冒頭でも伝えましたが、シュヴァンクマイエル監督は映像作家やアニメーション作家ではなく、シュルレアリストであると? ホリー そうです。シュルレアリストの人たちに言わせると、シュルレアリスムというのは活動、運動、生き方であって、アートではないんですね。だから、シュルレアリスムに勤しんでいるのではなくて、自らのこれまでの体験が形になっている。自分の経験、自らの世界観をアニメーションや彫刻、フロッタージュ、アッサンブラージュといった、いろんな手法を道具として使って表そうとしているんじゃないかと思います。アニメーションというのは単なる手法に過ぎません。
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──もともとはチェコに古くから伝わる人形劇を学ばれていたと聞きました。 ホリー シュヴァンクマイエルが人形に目覚めたのは非常に早かったと聞きました。5、6歳のころに人形劇セットを親からもらったのがきっかけです。人形劇セットというのは、チェコの家庭では誰もがもらうものなのですが、そのまま遊んで忘れる人と、それを決定的な出会いと思い込んでしまって現在にいたるという人がいるんです。シュヴァンクマイエルはもちろん後者で、その後、54年にチェコ国立芸術アカデミーの人形劇学科に入学します。チェコの情勢を少しお話ししますと、50年代はスターリン主義の暗い時代、60年代は比較的自由な創作活動が許されていたそうですが、68年にチェコ事件が起こり、70年代には自由を失ってしまったんですね。その時に、ヴラチスラフ・エッフェンベルグルという思想家に出会い、妻のエヴァとともにシュルレアリスムのグループのメンバーとなり活動をスタートするんです。 ──なるほど。アニメーションの手法については? ホリー アニメーションは単なる手法ではあるのですが、「アニメーション=魔術的な何か」ということは常に言っていますね。チェコで言うところの、17世紀の錬金術師のような。普段動かないものを動くように見せる、まるでモノに魂が宿ったかのように。それはミステリアスなことでもあり、シュヴァンクマイエルにとって、アニメーションは自分の考えを表現するのに適した手法なのだと思います。 ──では、新作『サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―』についてのお話をお聞きしたいのですが、本作はシュヴァンクマイエル作品の入門編としてはすごくいいと個人的に思います。監督が持つアイロニーとユーモアはたっぷり織り交ぜつつ、内容としてはテーマが「夢」なこともあり、共感できる部分も多い。見ていて楽しい作品でした。
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ホリー そうですね。娯楽要素が多い作品かもしれません。この作品では、「夢」というのが私たちにとっていかに大事なものかということを考えさせられるのではないかと思います。映画の中に、夢をめぐる問答がありますよね。事務所の中で、エフジェンはすごく夢を大事に思っていて、もう一方の人はたまたま見たものといって軽く扱う。エフジェンはすごく深い世界を持とうとしていて、片方は朝起きて食べて寝るというありきたりの日常を過ごしている。もう片方は、今の文明の象徴ではないかと。シュヴァンクマイエルもすごく夢を大切にしていて、彼自身も夢日記をつけているんです。サブタイトルに「夢は第二の人生」とありますが、監督いわく「夢は第一の人生」かもしれないと。 ──確かに。現代は「目を開けている世界が本当の世界だ」と言われていますけど、例えば原住民で夢を非常に大切にしている部族があったりしますしね。シュヴァンクマイエル作品に過度な発展による文明、消費社会への批判も強くみられます。 ホリー シュヴァンクマイエルもプリミティブアートが大好きで、チェコで2番目のコレクションを持っていると豪語しています(笑)。それは余談ですが。シュヴァンクマイエル作品を見る時のキーワードみたいなものがいくつかあって。「夢」「文明への反抗」「欲望」「食への恐怖」「音へのこだわり」あたりでしょうか。人間の貪欲さというか、欲望を満たすためには何でもやるという人間の欲深さですね。 ──「食」は大きいですよね。今回の作品でも口元のアップが多かったり、食べ物が決しておいしそうに映らない。以前、記事で拝読しましたが、幼少時代に食べることが大嫌いだったそうで、そのトラウマが映像に反映されていると。 ホリー 強いトラウマがあると思います。子どものころに無理やり食べさせられたという記憶と、今の文明は全てを食べ尽くしてしまうという意味で、「食べる」行為についての表現もひとつの見どころかもしれません。
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──ただモノを動かすだけではなく、ひとつひとつの造形へのこだわりもすごいですよね。だから展覧会等で原画や作品も楽しめるし、それが書籍になっても面白いのだと思います。 ホリー 今回は、「切り絵アニメ」という手法でやっています。映画の冒頭で本人も言っていますが、最初は製作費の節約のためにとった手法だったんですが、フタを開けてみたら、人の写真を24コマ用に撮って、現像し、プリントする。数万枚にも及ぶプリントを1枚1枚丁寧に切り抜く作業が発生してしまいました。結局は製作費も割高になってしまったそうです(笑)。ただでさえコマ撮りの撮影は時間がかかるんですが、だいたい1日で30秒程度、結局製作には3年かかりました。それだけ、映画としてのクオリティーは非常に高くなっていると思います。 ──最後に観客の皆さんにひと言お願いします。 ホリー 作品を見て、純粋に楽しめるか? と聞かれたら、ちょっと難しいと答えます(笑)。やはりシュヴァンクマイエル作品は合うか合わないかが非常にわかれます。でも、1枚1枚の画の完成度の高さや、トラウマ・夢・食といったキーワード、哲学的なやりとり等、見方によっていろいろな解釈ができる作品です。シュヴァンクマイエル作品の中では、比較的分かりやすい部類なので、ぜひ注目してみてください。 (取材・文=上條桂子) <映画> 『サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―』 8月27日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー <http://survivinglife.jp/> <展覧会> 「ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展~映画とその周辺~」 9月19日(月)まで ラフォーレミュージアム原宿 11:00~20:00(最終日~18:00) <http://www.svankmajerjp.com/>
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「ランドセルを背負ったリアル"のび太"」金子良a.k.a.のびアニキって一体どんなアーティスト!?

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リアル"のび太"、渋谷に現る!
 「ド〜ラ〜え〜も〜ん! なんか出して〜」といつも泣きながらドラちゃんの未来道具を頼りにするさえない少年、それはみなさんよくご存じの野比のび太。一方でこの写真に写っている大きな男、丸眼鏡に黄色いトレーナー、黒いランドセル、小学生しかはかないような短パンに水色の運動靴(実は風呂用のビニール靴だったが)、その名を「のびアニキ」という。身長185センチのデカイのびアニキは、もちろん小学生ではなく職業はアーティスト。現在、トーキョーワンダーサイト本郷でTWS Emerging「金子良/のびアニキ[のびアニキのザッツエンターテイメント!]」が開催中だ。この男、話を聞いたり作品を見たりしてみると、勉強嫌いののび太の皮をかぶってはいるがどこかクレバーな工学系男子のにおいがする。しかも、岡本太郎現代芸術賞を受賞している期待の若手作家だ。しかし、どうやらドジっ子なのはのび太と共通しているらしい。うーむ、なにやら得体の知れないアーティスト・金子良a.k.a.のびアニキとは一体どんな人物なのだろうか。ざっくばらんに話を聞いてみた。 ──えーっと(笑)。その格好で渋谷駅から編集部まで歩いて来たんですか? 絡まれたりしませんでした? のびアニキ(以下、のび) はい。もう慣れてますから、別に大丈夫ですね。たまに職質されることもありますが、おまわりさんも結構笑ってくれます。 ──まあ、そうですよね。今回はのびアニキさんのことを知らない読者に向けて、まずはのびアニキって誰なんだ? そして、どんなアート作品を作っている人なのかということをお話しいただければと。 のび はい、分かりました。あの、まず、その雑誌(「月刊サイゾー」本誌)を伏せてもらっていいですか? ちょっとそういうの......苦手で......。 ──ああ、お姉さんの表紙が刺激的過ぎましたかね(笑)。失礼しました。では始めましょうか。まずは、いつのびアニキが誕生したんですか? IMG_3472_.jpg のび え、えー、まず、なんとなく話していて分かると思いますが、僕はそもそもすごく不器用な人間なんです。不器用なので人と話していると、ちょっとうまくコミュニケーションが取れないんです。急におしゃべりになったりとか、もごもごしたりとか。それで、工学系の大学を卒業した後にIMI(グローバル映像大学/旧彩都IMI大学院スクール)という専門学校に入ったんです。(現代美術作家の)ヤノベケンジさんが好きだったので。在学中から卒業して少したつまでの間は、ヤノベさんのスタジオでスタッフをしていました。でも、僕はすごくドジで、作品を倒しちゃったり、モノを壊しちゃったりして毎日のようにヤノベさんに怒鳴られていて。でも、いくらやってもドジが直らないから、最終的には掃除係になっちゃいまして。みんなが「ジャイアント・トらやん」(http://www.yanobe.com/aw/aw_g_torayan.html)とかを一緒になって作っている時に、僕は一人で棚をふいたり掃除機をかけたりして、みんなの作業を遠くから見てました。すると、自然とヤノベさんともみんなとも距離が離れていくんですよね。で、そろそろ実家に帰るべきかな、とも考えてたり。 ──確かに。せっかくアトリエで働いていても作品制作にかかわれないとつまらないですよね。それで? のび ある日、ドジな自分に嫌気が差して、この格好でアトリエに行ったんです。最初はみんなから嫌われるかなと思ったんですが、みんなが笑ってくれたんですよ。いつもの仕事をしているのに、みんな笑うんです。その日を境に、僕はドジをしても笑って許してもらえるようになったんです。 ──おお、ずいぶん唐突な(笑)。のび太の格好をすることで、単なるドジっ子が愛されドジっ子キャラになったんですね。 のび 僕自身がやっていることは、いつもと変わらないんです。この格好をしていても、モノを倒すし壊すし。それでも、「あいつだからしょうがない」ということで許してもらえるようになって、ヤノベさんも「面白い」って言ってくれて。この格好をしていると得だし、周りの人とコミュニケーションを取れるようになる、ということに気が付いたんです。 ──具体的に作品の中ではのび太、じゃなくて「のびアニキ」はどんなことをやるんでしょうか? のび 作品台の上に僕が布団を敷いて寝ていて、お客さんが呼び鈴を鳴らすと僕が起きる。のび太も寝るのが得意ですが、僕もすごく得意で。特に引きこもりをしていた時は、本当に寝てばっかりいたので、それをそのまま人前に出したという。あとは、お客さんに僕のプロマイドを渡したり、ツアーガイドをしたり。それと、壁にたくさんのインターホンが付いていて、お客さんが押したところに僕が行って話をする作品もあります。
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枕元には呼び鈴が置いてあり、鑑賞者がベルを鳴らすことで、
のびアニキは起き上がり、ブロマイドにサインをし
プレゼントをするなど鑑賞者とコミュニケーションを取る。
──壁一面を隔てて裏側の構造がすごく入り組んでいて、簡単にインターホンにはたどり着けない。だから変な顔でインターホン越しに話をすることになる。面白いですね(笑)。のび太にしてもそうですが、何かフィルターをかませて人とコミュニケーションを取る、その方法が笑えます。人とコミュニケーションを取りたいけどなかなかうまくとれない、そのネジ曲がって屈折した感じが伝わってきますね。メディアアートというか工学部っぽい印象も受けます。 のび ドラえもんの道具のできそこないみたいな作品もあります。『ドラえもん』って、のび太がいかにドラえもんの力なしで成長していくかっていう話なんです。僕もできるだけ一人でドラえもんの道具を作ってみようと思って考えたのがこれです。秘密道具を、身の回りのモノを使って作りました。
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「タイムマシーン」(左)と「どこでもドア」(右)。
──こういうの、子どものころやりましたね(笑)。工学部ご出身なら、ドラえもんの道具をまじめに作ろうっていう方向には行かなかったんですか。いわゆるメディアアート系の方や研究者の方で、そういう作品に取り組んでいる方もいると思いますが。 のび 工学部ではプログラミングを勉強してたんです。でもイスにずっと座っているのが嫌になって、体を動かしたくなったっていうのがあるので、コンピューターの中で起こっていることだけよりも実際に手を動かしてモノを作るのがいいですね。キーボードを打っていてもあんまりアイデアが浮かばないなと。あと、ああいう研究は、何年もかけて一つのことをやってたりするんですが、それだと僕には遅いのだと思います。 ──だからこういう日用品を使った、子どもの工作がダイナミックになったような、そんな作品が多いんですね。ちょっと話は変わりますが、以前ネット上に「渋谷にのび太がいた!」みたいな情報が流れたのを見たんですが。それも作品の一環なのでしょうか?
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「アラウンド運動 マウンテン運転」(岡本太郎賞展バージョン)。
釣りざおの先に取り付けたのびアニキのミニチュアが
展示空間内を冒険するインスタレーション。
のび Twitterでのび太の目撃情報があったのは岡本太郎美術館で展示をしている時で、あの時は、街中で目撃した人がたくさんツイートしてくれて、それでいろんなところでウワサが立ったんです。展示期間中は、閉館後に作品作りに夜の街に繰り出して映像を作ったり、展示に関係あることをするために街に出たりしていて。その話題をTwitter上で広めて、美術館に人が集約されるように考えました。美術館では釣りざおの先に吊るした小さな僕が、会場内を冒険するという展示をしていたので、実際の僕も街に出て冒険をしたんです。で、その目撃情報だけを集めてTogetter(例:「2月17日のびアニキ目撃談 渋谷編」http://togetter.com/li/102250)に集めたんです。なので、それはネットも含めてそのシステム自体が作品というか。「耳にピアスを開けた若い兄ちゃん」だとか、「身長が2メートル」っていうツイートがあったり。そういうのを見た人が、僕のHPだとか美術館で僕に話し掛けてくれるのが面白かったですね。 ──ネットワークとか人のウワサも含めて作品にしているってことですよね。それもコミュニケーションですよね。ウワサからコミュニティーを広げて、実際の展示にフィードバックさせる。のびアニキさんの作品を見ていると、すごく構造的な作品が多いように思います。一見ぐちゃぐちゃしているように見えるけれど、ちゃんと一つのルールに基づいて動いている、やっぱり理系っぽい。現在開催されているワンダーサイトの展示では、どんな作品が見られるんですか? のび インターホンの作品を少し形を変えて展示する予定です。壁の両面に呼び掛けるタイプとそれに答えるタイプが両方あって、それをケーブルでつなぎます。空間の中はケーブルだらけなので、すごく動きづらくて、いくつものケーブルを乗り越えてインターホンにたどり着くような作品を考えています。
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壁の対面にインターホンを設置、ケーブルを渡している。
──楽しみです。では最後に今後やりたいことを教えてください。例えば、"のびアニキ"を脱ぐ......ということはありますか? のび 僕は岩手県盛岡市出身なんですが、3週間程度ボランティアに行っていたんです。盛岡では被災者がホールなどに避難していて、そこでこの格好で子どもの遊び相手をしたんです。子どもたちが「のび太のおじちゃんだー」って(笑)、すごい喜んでくれて。宿題を一緒にやったり、インターホンを使って子どもと会話をしたりしました。結局遊んじゃって勉強できなかったんですけどね。最後には感動的な別れがあったり。質問の答えにはなっていませんね(笑)。んー、でも今のところ、のびアニキに飽きる予定はありません。今までもずっと、のび太を演じていたわけじゃなくて、僕(金子良)自身としてのび太の格好をしているので。それと、またボランティアに行きたいですね。 ***  ぐうたらのび太のイメージとは少々違うが、まじめ(多分ものすごく)で不器用(ものすごく)だけど、人一倍サービス精神旺盛なのびアニキ。ぜひ、気持ち悪がらないで積極的にのびアニキと会話してみよう! トーキョーワンダーサイト本郷の展示は6月26日まで。 (取材・文=上條桂子) ●かねこ・りょう/のびあにき 1980年、岩手県生まれ。美術作家。何をしてもドジ、他者とのコミュニケーションが上手く取れないという自らのコンプレックスから生まれたキャラクター。街へ繰り出し、新しい出会い、発見を求めて作品を制作する。また、展覧会やイベントに出没し、制作した作品をもとに、出会う人々とコミュニケーションを取ろうと図る。黄色いトレーナー、白いシャツ襟、紺の短パン姿という日本の代表的なマンガ/アニメの中のドジなキャラクターを自らと重ね合わせている。 <http://nobi-aniki.com/> ●TWS Emerging 156金子良/のびアニキ[のびアニキのザッツエンターテイメント!] 会 期: 2011年06月04日(土) ~26日(日) 休館日: 6/20 時 間: 11:00〜19:00 入場料: 無料 主 催: 公益財団法人東京都歴史文化財団トーキョーワンダーサイト 会 場: トーキョーワンダーサイト本郷 <http://www.tokyo-ws.org/hongo>
「のび太」という生きかた 実例。 amazon_associate_logo.jpg
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「"あたしが時代よ"ってアイドルはオーラが全然違う」 篠山紀信が明かすアノ人の素顔

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サービス精神旺盛な篠山氏。
 日本で最も有名な写真家、篠山紀信。手掛けた写真集は300冊以上。かつて「GORO」(小学館)の連載が生んだ「激写」は流行語となり、宮沢りえのヌード写真集『Santa Fe』(朝日出版社)は社会現象に。そして現在も有名雑誌の表紙を多数手掛ける一方で、新しい切り口のヌード写真を発表し続ける。  半世紀に渡り第一線でシャッターを切り続けた篠山氏が撮影秘話を綴ったエッセー集、『元気な時代、それは山口百恵です 31日間の現在写真論』(講談社)が発売となった。この本の話を聞くため、カメラマンと共に本人の事務所を訪れると、そこにいたのは「写真撮られるの好きじゃないんだよね~。撮りゃあお金もらえるけど、撮られたってお金もらえないじゃない(笑)」などと冗談を言ってはククッと笑い、子どものようにくるくると表情を変えながら語る、お茶目な70歳の写真家だった。 ――現在、毎週・毎月のレギュラーのお仕事って、何本くらいあるんですか? 篠山紀信(以下、篠山) 300本くらいかなあ(笑)。 ――わっ! そんなに回せるものなんですか!? shinoyama02.jpg 篠山 回せますよ。撮影なんてあっという間だもん。5分で終わっちゃう。 ――休日ってあるんですか? 篠山 ここ100年くらいは休んでないですね。休んだらダメでしょ。写真家ってスポーツマンと同じなの。野球のバッターが打てなくなったからって、山の中で座禅なんか組んでも打てるようにならないでしょ。やっぱり、毎日毎日バッド振ってないとね。 ――そんな日々の撮影エピソードが詰まった『元気な時代、それは山口百恵です 31日間の現在写真論』が発売となりましたが、意外にもエッセー集は初だそうで。 篠山 「初のエッセー集」なんて、はっきり言って恥ずかしい! だってこれ、たまたま講談社の人が「本にする」って言うからしちゃったけど、元々はスポニチの芸能面の片隅で連載してたコラムだもん。当時は海老蔵の殴打事件があったから、でっかい字と写真がガーッてある横で、ひーっそりと連載してたの(笑)。それにしてもこの本、1,200円は安いよねえ。 ――確かに、エッセー集と言っても写真満載ですし、山口百恵、ジョン・レノン、三島由紀夫、ミッキーマウス、宮沢りえ、ダライ・ラマ、AKB48......と、このラインナップが一冊に収録されているとは贅沢ですね。 篠山 よく皆、写真の掲載許可出してくれたよねえ......。 ――そういえば、KARAのページだけ、写真が「掲載不可」って記載されてますね。
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『元気な時代、それは山口百恵です 31日間の現在写真論』より(以下、同)
篠山 KARAは今、いろいろ大変なんでしょ? 僕、写真は"時代が生んだものを頂けばいい"って考えだから、社会が日々変わっていく中で、こういうことが起こるのはしょうがないって思ってるんです。それより、他の写真が全て載せられたのがラッキーだったと思うよ。 ――本のタイトルにもなっている"山口百恵から、AKB48まで"、長年トップアイドルを撮り続けてきたわけですが、篠山さんはどんなアイドルを撮るのがお好きですか? 篠山 僕はアイドルが好きなわけじゃなくて、「時のアイドル」が好きなんです。だから、人気のあるアイドルが好きだね。「あたしが時代よ」って人は、普通に撮っててもオーラやエネルギーが全然違う! そういう意味でもAKB48は本当に元気。元気の国から元気を広めに来たような人たちだね! ――篠山さんとAKB48のエピソードは、今回のエッセー集でも度々綴られていますが、中でも「篠田麻里子は僕を撮ってすぐブログに載せる」という話が面白かったです(笑)。 篠山 彼女はね、僕を見るといつも「あら、紀信ちゃ~ん? 一緒に撮って~」って来て、すぐブログに載せちゃうの。 ――世間からは巨匠と呼ばれてるのに、現場では随分フランクなんですね。 篠山 僕、巨匠なんて誰からも呼ばれたことないよ。「紀信ちゃん♪」って呼ばれてるよ。写真撮ってる時に上下関係なんてないですから。一番良いのはタメ口。
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――正直、もっとどっしり構えてる方なのかと思ってました。 篠山 どっしりしてなくて悪かったわね(笑)! ――いやいや、こんなに気さくな方だと思ってなかったもので......。とても70歳とは思えません。 篠山 あたし、本当はもう120歳よ。「きんさん、ぎんさん、きしんさん」で3人姉妹なの。薬飲んで50歳若返ってまだ生きてんの。それでもうすぐ死ぬのよ~、ふふふ。 ――何でいきなりオネエ口調なんですか(笑)。ところで、ディズニーのお話も聞きたいのですが。 篠山 なんでも、聞いてちょうだい。 ――2009年に出された写真集『篠山紀信 at 東京ディズニーリゾート MAGIC』(講談社)では、"閉園後のキャラクターたち"をテーマに撮られてますが、今回のエッセーでも"ディズニー愛"を熱く綴られてますよね。ディズニーキャラクターと、人間の撮影では、気持ち的に違いますか? 篠山 当たり前じゃない、全然違うよ! 人間は、ただの人間でしょう? ミッキーたちは特別な世界の、夢のような存在だもの。撮る時は、テンションも違うし、心のわななきも全然違うよ~。 ――エッセー集に掲載されている、ミッキー&ミニーにキスされてる篠山さんの写真ですが、篠山さんがすごくいい顔してますね!
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篠山 これは篠山じゃなくて、「シノラマン」っていうキャラクターなの。ミッキーたちと同じ種類の生き物になってるから、閉園後にも入ることが許されるわけ。閉園後は皆が遊んでて、見たこともない光景が広がってるから楽しいよ~ん。でも、あなたは入れないよ、人間だから。 ――は、はい、私はただの人間です。篠山さんが「シノラマン」に変身するのは、テーマパークのゲートを入る瞬間ですか? 篠山 魔法の扉があるの♪ 魔法の扉を開けると、瞬間的にそうなるの。扉の場所は~~、教えられないのっ!! ――わあ、「ゲート」とか言っちゃって、ごめんなさい! 篠山 そう。さてはミッキーの前で「中に入ってるの、本当は女でしょ」とか言ったの、あんたでしょう! そんなこと言ったら、ミッキー傷付くよ~。ミッキーはミッキーなの。ミニーはミニーなの。分かる? ――はい、すいません! あの、この辺で話題を変えて、エッセー集でも取り上げている三島由紀夫さんのお話を伺いたいのですが。 篠山 じゃあ、論調も変えないとね。(低い声で)どうぞ。 ――三島さんの「聖セバスチャンの殉教」の撮影エピソードとして、当時の心境を「映画のスチール写真を撮らされているような気分だった」と書かれてますが。 篠山 そりゃそうだよ。だって「"男の死に方"を演じるから撮ってくれ」って言われたけど、死の本質を語るわけでもなく、「血糊はマックスファクターの何番がいいんじゃない? 篠山君」とか、そんな話ばっかしてくるんだよ。切腹やら溺死やらいろんなのを撮ったけど、そんな作り物を撮影してても面白くないじゃない。 ――その後、本当に自決するなんて思いませんもんね。 shinoyama06.jpg 篠山 死んだことで、写真の意味がガラッと変わっちゃった。僕にとっては単なるフィクションだったけど、彼にとっては自分の死のドキュメンタリーだったんだよね。写真っていうのはさあ、撮ってる時と状況が変わるものなんだよ。これと同じようなのがジョン・レノンだよね。 ――『ダブル・ファンタジー』のジャケ写ですね。 篠山 あれだって撮ってる時は「2カ月半後に死ぬ」なんて思ってないもん。写真家っていうのはね、死に立ち会わざるを得ないことも間間ありますよ。 ――三島さんの"男の死に方"の写真は、数々撮った中でなぜ「聖セバスチャンの殉教」だけが世に出てるんですか? 篠山 これだけは、亡くなる前に発表したから。未発表の写真は、遺族を慮って出してないんですけど、当人の意思を思えばいつか出さないと、とは思ってます。まあ僕としては、そんなもん預けられちゃっていい迷惑だよね。 ――ところで、1968年に『篠山紀信と28人のおんなたち』(毎日新聞社)で、黒柳徹子さんのヌードを発表されていますが、撮影時の様子で覚えていることはありますか? 篠山 あの人ね、撮影前に化粧台で、どっちかのおっぱいを上げたりして、セロテープ貼ってたんだよね(笑)。「ちょっと黒柳さん、どうしたの!?」って聞いたら、「あたしこっちのおっぱいが小さいからさあ、こうやって上げてるの」だって。だから僕が「そんなことしなくても、僕が魔法のレンズでキュッキュッてやったら大丈夫だから」って言ったら、「あら、そういうもんなの~? ああ良かった」ってセロテープ剥がしてましたけど。 ――わ~、いい話! 篠山 「サイゾー」はこういうこと聞きたいんでしょ? 僕のとっておきの話をしたんだから、君、ちょっと脱いでごらんなさいな。今、撮るから。あなたキレイなおっぱいしてるよ。今んとこ乳首もピンクだし。 ――え!? 脱いでないのに分かるんですか? 篠山 顔と全体を見りゃあ、分かるさ~。それ以上も分かるけど、セクハラになるから言わない。......って、もう十分セクハラだよな(笑)。でもカメラマンなんてセクハラが商売みたいなもんだからしょうがないんですよ。あっはっは! はあ......、もう今日取材3つ目だから、このくらい相手をイジらないとやってらんなくなっちゃったね。早く終わりにしようよ(笑)。 ――では最後に、篠山さんが写真家以外にやってみたい職業ってありますか? 篠山 ないよ。だって写真家しか出来ないもん。写真家以外、何にも出来ない!! (取材・文=林タモツ/撮影=後藤匡人)
元気な時代、それは山口百恵です 31日間の現在写真論 定価1,200円/講談社刊 amazon_associate_logo.jpg
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車上生活で日本中を巡り「未来へ」と叫ぶアーティスト、遠藤一郎っていったい?

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ポジティブな気合いだけでアート界をひた走る遠藤氏。
 黄色い車体にネイビーの文字で「未来へ」と書かれた車に乗って全国をひた走り、道行く人たちに夢を書いてもらう「未来へ号」の運転手(兼住居)であり、自らを未来芸術家と名乗る男・遠藤一郎。この度トーキョー カルチャート by ビームスと3331 Arts Chiyodaを皮切りに都内近郊6カ所で彼の展覧会が行われる。その一大プロジェクトは「大遠藤一郎展」。遠藤一郎とはいったいどんな男なのだろうか。そして、この男の目的は? はたまたプロジェクトの全貌は......。 ──なんで6カ所で展覧会をすることに? ちゃんとスケジュール帳持ってますか? 遠藤一郎(以下、遠藤) 持ってないんですよ(笑)。いただいた話は極力断らずに自分のフィールドじゃなくても「はい」って言っちゃうんですよね。最初は2カ所だったんだけど、はい、はいって言ってたらそのうち6カ所になっちゃって。6カ所同時なんてあんまりないパターンで、"一人まちプロジェクト"みたいになってきた。なので、もうはばからず「大」とつけて「大遠藤一郎展」にしちゃいました。 ──各プロジェクトの概要を簡単に教えてください。 遠藤 例えばBEAMSさんの場合は、「美術手帖」(美術評論社)の連載の原画を中心に展示します。「美術手帖」の連載は「愛と平和と未来のために」というもので、毎回見開きで絵とメッセージがドーンと出ています。段ボールに殴り書きしていたり、自分のお腹にペイントしたり。幼稚な絵面だから、どストレート過ぎて安易っぽく見えるかもしれないですね。でも、ストレートにやりきっているから逆に響くかなと。そんな一見青臭いメッセージを、BEAMSさんのようなおしゃれなフィールドでドーンと見せたら、原宿にいる若い人たちにも響くんじゃないかと。「美術手帖」の連載は美術だけに向けたメッセージでもないので、もっと外に伝えていきたいと思っています。  3331はいわゆる美術の現場なので、僕がやってきた美術作品とか写真や横断幕ですね。以前、「家族」と書かれた幕をロンドンの美術館に持っていって展示して、見に来たお客さんにどんどんその幕に好きなことを書いてもらったんですよ。とくに決まりはないのに、「家族」と書いてあることで必然的に自分の家族の話を書いたりする人が増えてきて、それを見た次の人が同じように書いたり。そんなんで多国籍な人たちがたくさん集まってきて、その幕の前で写真を撮ったりするようになる。「We are family in the world. We are alive on the earth. Let's make the big ring for our future.」と言う、いつも僕が言ってるメッセージがあるんですけど、それを目に見える形で見せたかったんです。「ほら見ろ、ここに人の輪が見えているじゃないか」ということを。3331に置く幕には「世界のみんなこんにちは」と書いてあるんです。で、Ustreamとか世界に発信できる便利なツールがあるから、会期中に僕がおもむろに登場してメッセージを発信するようなことができたらいいなと。あとはライブペインティングをオープニングイベントでやります。 ■美術でも音楽でもなんでもいい。自分にできることをやる。 ──遠藤さんは、もともと10代のころからパフォーマンス活動をしていたそうですが、「未来へ」と言い始めたのも同じ時期? 遠藤 昔とやっていることは変わんないですね。「明日に向かって」ということだったり、人を楽しませたいということだったり、エネルギーを与えたいと思ってやっているんです。「未来へ」というキーワードはずっと同じで、自分ができることを探しているんですよ。若い頃はバンドをやってましたね。前向きな言葉でメッセージを伝えたいと思ってるのに、実際にやってるのはノイズ音楽だから、伝えたいのに伝わらない......(笑)。それでバイトとかいろいろやって、ひょんなことから現代美術家の会田誠さんと出会ったんです。そこで、メッセージの伝え方として、アートというていうやり方もあるんだなと思ったんです。だから、美術でも音楽でもなんでもいいんだけど、「過去を学んでいまを生きて明日に向かっていく」という意志を伝えるために自分ができることをやろうと。 ──それで「未来へ号」につながるんですね。
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「未来へ号」は車体に直接色が塗られているわけではなく、
細部に至るまで黄色いテープが張り巡らされている。
遠藤 はい。僕、車運転するの好きだし、人の目にもつくし。でも渋谷とかの街中に停めておくと、絶対にグラフィティされちゃう(笑)。そういう時は、子どもが夢を書きに来た時に、「グラフィティの上に書いてくんない?」って言ったり(笑)。子どもの夢が上の方にあればいいなと。書いてある文字ですか? あれは絶対に消さないんです。修理とかでやむを得ずにテープを剥がさなきゃいけないっていう時がきたら、伊勢神宮の古札奉納のところに持っていくんです(笑)。だって、みんなの夢が書いてあるから、集合絵馬みたいなもんでしょう。そういうの、ちゃんとやりたいんですよ。もちろん、めちゃくちゃ安全運転だし、事故とか絶対できない。 ──遠藤さんの、使命感というかパワーはどこからくるんですか? 遠藤 僕らっていつ死ぬか分からないじゃないですか。大きい出来事のひとつとしては、僕の姉ちゃんが23歳くらいの若い時に亡くなっているんです。その時、僕は高校生でした。やりたいこともできなくて、だけど人は死ぬんだなっていうのが、自分の中でリアルになったんです。だからできることをやろうと。僕らは明日死ぬ心配なんてしてない。だけど同じ地球の中に明日死ぬ心配をしている人がいっぱいいる。殺されるかもしれない、食べ物がなくなるかもしれないって。じゃあ僕らがやらなきゃダメだなって心底思っているんです。明日も分からない人達がこれだけ世の中にいるのに、僕らが背負わなきゃ他に誰が背負うんだろうって。その思いがすごく強いんです。僕らがやっていかないと世界のバランスが悪くなる、本当にどんどん暗くなっていっちゃうと思うから、日本人の僕らが明るくやっていくしかないで しょ。 ──あの、ちょっと聞きにくいんですが、ご両親は遠藤さんの活動をどう思ってるんですか? なかなか理解してもらえないんじゃないかと。 遠藤 そうなんです(笑)、うち御殿場の田舎の父ちゃんと母ちゃんで。実家にはそんな遠くないから関西に行く途中とかに帰るし、個人的に富士山大好きだからその時に寄ったり。年末に久しぶりに実家に帰ったんですが、なかなかの質問攻めが待っていました(笑)。「うん、父ちゃんの言うことは分かるよ、分かる。でもね、今僕がやってることは必要なことなんだよー。だってさ、やんなきゃいけないと思わない?」とか言い返して。でも、あの車のことは「いい車だ」って言ってくれるんです(笑)。 ──(笑)。じゃあご両親からの質問は交わしつつ。でも都内で6カ所もやるんだから呼んだら喜ぶと思いますよ。 遠藤 交わしつつ。ヘコみつつですよね。もちろん展覧会には呼びます。あの車でツアーしますよ。嫌がられるだろうなー。 ──やっていることが究極にシンプルだから逆に伝わりやすいんでしょうね。だって、「未来へ」とか「We are family!」とかって、ちょっと気恥ずかしくて言葉には出せなかったりするでしょう。それをやってくれる遠藤さんみたいな人が、いま求められているんだと思います。 遠藤 でしょー(笑)。引かれるんですよ。宗教臭いとか、普通に気持ち悪がられるし。でも、そのカナリア役っていうのはいつの時代にも必要なんですよ。今のご時世っぽいでしょう。普通のことを言ってる僕みたいなのを、冷めた目で見てキモイとか言う。だからこそ僕はやらなきゃと思って。「うるせーよ、おまえの言ってることなんて当たり前だよ」って普通に言われるまでやらなきゃいけないと。 endo02.jpg  僕がやっていることって、アートなのかパフォーマンスなのかとかよく言われるけど、アートっていうと、本来美術って、美しい術ってなんなんだろうって思っているんです。自分のセンスを大いに打ち出すのも美術なのかもしれない。だけど、本当に美しい術って自分一人では完結しないものだし、人がいるから自分がいる、自分がいるから人がいるっていう、よく考えてみたら普通のこと、その当たり前のことが本当に美しいことだったりするんですよね。それが真理だったりする。でも、それが失われかけていているから僕らもこうやってここにいるんだと思う。だったらやらなきゃいけない。だから僕はそのメッセージを伝えたい。自分のセンスを伝えたいのではなくて、今必要なメッセージを伝えたい。それが自分ができる一番分かりやすい方法だと思うんです。 ■お金には限界がある。必要なのは絆。 ──遠藤さんは今31歳とのことなんですが、30代になって自分の中で変わったことはありますか? そして、これからやりたいことを教えてください。 遠藤 なぜ「未来へ」なのか、ということをきちんと伝えなきゃと思っています。20代は突っ走っていろいろやってきて、自分が動いて車に乗っていろんなところに行って発言して、現場の人たちに直接伝えてきました。それをもっと広く深くというか、例えば本にして多くの人に伝えたり、僕が言うのも恐縮だけど、教育も必要だと思うんです。自分がやっている活動の表層のイメージというのは、ここ何年かでうれしいことについてきた。だけど、やっぱりそこで消費されてしまうところがあって。だから、今後はそれをコントロールしながら、埋め合わせるようなことをやっていかなきゃいけないと思っています。メディアに出て話をするとか、本を出すとか。  今後やってみたいのは、演劇ですかね。演劇って、音楽や視覚的なものや美術とか芸術も全部合わさっているから。お笑いみたいなのをやって、じかに人を笑わせていくっていうのを一回やりたいです。あと、5年後くらいにはバスを持ちたいですね。人を乗せるし、中にDJブースや御輿とかすべてセットされていて、行った場所ですぐに祭りが始められるような。特攻野郎Aチームみたいな、フェスティバルAチームみたいな感じの。それで世界を巡りたいですよね。ワールドプロジェクトだ! やりたいっつーかやる! やりゃいいんだと思っています。  今って、すごいいろんなものが細分化されてますよね。社会とか人とか、いろんな可能性がたくさんあるんだけどありすぎて盲目になっていて、本当に自分がやりたいことだったり、そういうことすら忘れてしまって通り過ぎちゃう。それで本当は自分がなにやりたいんだろうとか。じゃあ何が必要だって問われたら、昔から続いているものだったり普遍的なものが必要で。まず初心に戻る。それを意志として自分の中に取り入れる、それが必要だなと。例えばコミュニケーションだったり、絆だったり。資本っていうとお金を思い浮かべるかも知れないけど、でも金には限界がある。だったら次に何が出てくるかっていうと、絆だと思うんですよ。あとは夢とか希望。  とにかく僕は本当にしつこくやるので、今回の展示を見て何か感じてもらえたら。 (取材・文=上條桂子/撮影=佐久間ナオヒト) ●えんどう・いちろう 静岡県生まれ。車体に大きく「未来へ」と描かれ、各地で出会った人々がそのまわりに夢を書いていく『未来へ号』で車上生活をしながら全国各地を走り、「GO FOR FUTURE」のメッセージを発信し続ける。主な活動に各地アートイベントでの展示やパフォーマンス(「別府現代芸術フェスティバル2009 混浴温泉世界」わくわく混浴アパートメント、「TWIST and SHOUT Contemporary Art from Japan」BACC(バンコク)、「愛と平和と未来のために」水戸芸術館など)、デザイナー(多摩川カジュアル)、DJ。2009年より凧あげプロジェクト『未来龍大空凧』開始。2010 年より柏にてオープンスペースislandの発足に携わる。 <http://www.tamakaji.com/ichiro2.htm「大遠藤一郎展 未来へ」Go for Future 2011年1月13日(木)~2月13日(日) 詳細は下記ウェブサイトへ <http://www.goforfuture.com/>
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いま見ても面白い! アングラ演劇を支えた巨匠たちのアヴァンギャルド・ポスター

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「ジョン・シルバー 新宿恋しや夜鳴き篇」D:横尾忠則 1967年
(『ジャパン・アヴァンギャルド アングラ演劇傑作ポスター100』より )
 横尾忠則、赤瀬川原平など、今では著名な美術家と呼ばれる人たちの多くが演劇のポスターを手掛けてきたことはあまり知られていない。特に「アングラ演劇」全盛と呼ばれた1960〜70年代にかけて、ポスターは舞台と同じように必要不可欠な存在であり、その影響力は計り知れないものだったという。寺山修司率いる「天井棧敷」や唐十郎の「状況劇場」、そして佐藤信の「黒テント」など、数々の劇団が今でも名作として受け継がれているポスターを作り続けてきた。  演劇界のみならず美術界にまでその影響を及ぼした当時の革命的なポスターたちはどのようにして誕生したのだろうか? 「株式会社ポスターハリス・カンパニー」として演劇のポスターを貼り続け、先日『ポスターを貼って生きてきた。就職もせず何も考えない作戦で人に馬鹿にされても平気で生きていく論』(パルコ出版)を出版した笹目浩之さんが主催するトークイベント「あらあらしい時代の空気を吸い込んだポスター」が行われた。ともにアングラ演劇傑作ポスター集『ジャパン・アヴァンギャルドーアングラ演劇傑作ポスター100』(パルコ出版)を手掛けたカマル社の桑原茂夫氏、アートディレクターの東學氏をゲストに迎え、演劇ポスターの魅力について熱く語り合った。 ■タダ同然でつくっていたポスター  そもそも、今も昔も劇団には金がない。そんな経済状況の中でも、劇団にとって、ポスターを作成することは必須のことだったという。しかし、支払われるギャラもほとんどない中で、どうして美術家たちはポスターを書き続けてきたのだろうか?
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左から東氏、桑原氏、笹目氏。
桑原「70年代の頃ってデザイナーは演劇ポスターでは誰も食えなかったんです。ほとんどのデザイナーがタダ同然でデザインしていたんですよ。それでも、B全サイズ(728mm×1030mm)のポスターを作品として作れるということにデザイナーとしてはメリットがあった。それが町中に貼られることで自分のプレゼンテーションにもなるわけです」 笹目「たしかに昔のポスターにはお金の感覚がなかったですよね。デザイナーにとってはB全ポスターを作ることが最大の夢だったんです」 桑原「その意欲がデザイナーにもあったんですよ」 笹目「クマさん(篠原勝之)のポスターも横尾さんのポスターも、芝居を見てなくてもポスターから芝居が蘇ってくるようなイメージがあるんです。以前『ジャパン・アヴァンギャルド』を出版した時も、飲み屋とかで若い人に見せるとすごく気に入ってくれるんです。唐十郎の文字を見て『"とうじゅうろう"って誰ですか?』とか言われちゃうんだけど(笑)。この当時はポスター自体の威力が違うんだよね」 「僕がデザイナーになったきっかけは、天井棧敷の『レミング』のポスターを見たのがきっかけだったんです。それから演劇のポスターを調べまくったんですが、そうしたら横尾忠則さん、宇野亜喜良さん、粟津潔さん......そうそうたるメンバーの作品が出てきたんですよ。それが芝居のポスターを作ろうと思ったのがきっかけだったんです」
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(左)「レミング'82年改訂版 壁抜け男」D:戸田ツトム 画:合田佐和子 1982年
(右)「星の王子さま」D:宇野亜喜良 1968年
(『ジャパン・アヴァンギャルド アングラ演劇傑作ポスター100』より )
■ポスターにこだわる理由とは?  美術家たちがタダ働きでも作りたがったポスター。しかし、当時はオフセット印刷ではなくシルクスクリーンの時代。ポスターを印刷するには今以上に手間も時間もかかっていたことだろう。それにも関わらず、どうしてアングラ劇団たちはポスターにこだわったのだろうか? 笹目「何でポスターをつくるかというと公演を宣伝する目的の他に、劇団を結束させる旗印のためにポスターを作っていたんです。ポスターによって、スタッフや劇団員の結束が高まっていた部分が大きいですよね」 桑原「劇団員のアイデンティティを高めるためということもあった。ポスターに対しても劇団員みんながすごく愛着を持っていたんです」 桑原「横尾さんが手掛けた状況劇場の『ジョン・シルバー』のポスターは公演の初日に間に合わずに、終わった日に出来上がってきたんだよね」 笹目「よく見ると小さい文字で『遅れたことをお詫びします』と入ってるんですよね」 桑原「この時代のポスターの意義を表しているよね。ポスターそのものが演劇と拮抗する作品だったんです」  街頭や居酒屋に貼られたポスターは、宣伝だけのための物ではなかった。笹目さんも著書で「ポスターを旗印に劇団が戦っていた」と書くように、劇団にとっても観客にとってもポスターにもさまざまな意味が込められていたのだ。
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(左)「風の又三郎」D:篠原勝之 1974年
(右)「ブランキ殺し上海の春」D:平野甲賀 1979年
(『ジャパン・アヴァンギャルド アングラ演劇傑作ポスター100』より )
■ポスターは時代を映す鏡  現在は、ポスターを貼るだけにとどまらず、その収集・保存プロジェクトを実行している笹目さん。これまでにその数は2万枚にまで上っているという。街角に貼られ、時代とともに失われていくようなポスターたちを収集する意義とは一体なんだろうか? 笹目さんの思いを代弁するように、桑原さんはこう語る。 桑原「この時代のポスターが簡単に見られる状況を作っていくことはとても大事なことだと思いますね。ポスターは時代の空気をそのまま表現している。だから"とうじゅうろう"さんのポスターが欲しいと若い人も思えるんじゃないかな。文化がどのように作られるのかが見えてくるのがポスターなんです」  映画、演劇、美術など、さまざまな芸術運動に今では考えられないような勢いがあった60〜70年代の時代。そんな「あらあらしい時代」の空気をたっぷりと含んだポスターたちに注目することで、時代の空気が垣間見えてくる。街角に貼られたポスターの数々、そこから時代の空気を読み取ることができるだろう。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●笹目浩之(ささめ・ひろゆき) 1963年茨城県生まれ。87年株式会社ポスターハリス・カンパニー設立し、演劇のポスターを貼り続けている。また、60年代以降の舞台芸術系ポスターを収蔵し、各界の研究や演劇自身の活性化に役立てている。 ●桑原茂夫(くわばら・しげお) 『現代詩手帖』編集長を経て、76年に編集スタジオ"カマル社"設立。唐十郎と親しく、著書に『図説・不思議の国のアリス』『ジャパン・アヴァンギャルド』など多数。 ●東學(あずま・がく) 1963年、京都生まれ。父は扇絵師である東笙蒼。幼い頃から絵筆に親しみ、アメリカのハイスクール時代に描いた『フランス人形』はニューヨークのメトロポリタン美術館に永久保存されている。20歳でグラフィックデザイナー・アートディレクターとしての頭角を現し、主に舞台やテレビ、音楽関係などのグラフィックワークを手がける。97年、世界的に活躍する劇作家・松本雄吉にアートワークを認められ「維新派」の宣伝美術に就任。
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タイ人の想像力はハンパない! 究極のB級スポット満載『HELL 地獄の歩き方』

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(c) Kyoichi Tsuzuki
 デフレ不況に空前の円高と、低迷が続く日本の景気。そんな世の中に不安を抱いてか、若い女性を中心にパワースポットめぐりがブームになっている。神様仏様にもすがりたくなる気持ちは分からないでもないが、そんなパワースポットとは真逆をゆく、世界初(!)の地獄の歩き方を記した写真集『HELL』(洋泉社)が発売された。著者は、日本、そして世界のロードサイドに埋もれたアート、カルチャーを追い続けている都築響一氏。そんな都築氏が今回注目したのが、地獄庭園だ。  地獄とは最強にネガティブな場所、それ以外のなんでもない。しかし世の中には、そんな誰もが絶対に行きたくないスポットNo.1である地獄を、わざわざ手間ヒマかけて再現している人々がいる。彼らはプロのアーティストではなく、地元のコンクリート職人や寺の信者たち、そして時には子どもたちというケースも。まったくの素人ゆえ、"止まりどころを知らない"強烈な地獄の世界が作り上げられているのだ。  日本をはじめ、世界各国にはさまざまな地獄めぐりスポットはあるものの、そのなかでも群を抜いているのが、微笑みの国・タイだ。タイは国民の約95%が仏教徒というほどの仏教国。在家信者に向けた通俗仏教書と言われる「トイプーム」によると、宇宙には3つの世界(三界)、「欲界」、「色界」、「無色界」がある。「欲界」は、天、人間、阿修羅、餓鬼、畜生、地獄に分かれており、地獄庭園のジオラマもこの三界の説く世界観に基づいている。在家信者が守るべき戒律「五戒」を守らなければ悪いことが待っている、という因果応報観を現しているのだ。
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(c) Kyoichi Tsuzuk
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 本書の中には16カ所の地獄庭園が紹介されているが、どの庭園の造形物もグロテクス極まりない。「プレート」と呼ばれる死者の霊、冥界の人間たちが悶え苦しむ姿が、これでもかというほどリアルに表現されている。とくに彼らの目の据わり方、血走り方はハンパない。「こんな地獄に行きたくない」と身が引き締まる思いがするのは確かだが、その強烈なインパクトに腹の底から笑いがこみ上げてくる。  そして先日、この本の発売を記念したトークイベントが、青山ブックセンター六本木店で行われた。    そもそも、都築氏と地獄庭園の出会いは10年以上前。バンコクのホテルで現地の雑誌を眺めていると、ページの片隅におどろおどろしい立体地獄庭園の写真が載っていた。その写真に衝撃を受けた都築氏はすぐさまフロントで場所を突き止め、その足で現地に向かったという。
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独特の語り口調で地獄庭園の魅力を語る、
都築氏。会場は爆笑の渦だった。
「地獄庭園は『地球の歩き方』にはもちろん載っていないし、『ロンリ―プラネット』にも載っていない。『タイの田舎めぐり』みたいなタイ語のガイドブックでも一言も触れられていない。僕らにとってはB級の面白スポットだけれど、タイ人にとってはB級以下。観光地でもなんでもない、見下されるかわいそうなスポットなんです。本の中で紹介している場所はどこも情報がまったくなかった。それでタイ人の友達を総動員して、最初はバンコクに住んでる友達に聞くんだけど、英語が通じるような高い教育を受けているようなヤツらは、こういうものを知らない。『昔聞いたことはあるけど、行ったことはない』『なんでそんな場所に行くの? タイにはもっときれいな寺院はいっぱいあるよ』と言われる始末」 そこで、友人たちに各地の観光案内所に片っ端から電話をかけてもらい、地道に一カ所ずつ探しあてていったという。まるで宝探し状態。タイ人からみれば、さぞかし変わり者の日本人だったことだろう。イベントではタイ以外にも日本や台湾、そして中国本土にある"地獄スポット"もスライドショーで紹介された。 「聖書だろうが仏典だろうが、どこの宗教でも考えることは大体一緒。天国はバリエーションがあまりなくて、キレイな女の人がいるとか、おいしいごはんがタダでいっぱい食べられるとか、寿命が永遠みたいな感じ。退屈で平凡な描写しかできない。でも地獄にはバリエーションがある。みんな痛いのは嫌だから、なるべく痛いこととか嫌なことを考えていくと、人類は一つのところに行きつくのかもしれない。だからどこの地獄にも力が入っている。これって人間の不思議なところ」
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(c) Kyoichi Tsuzuk
 「タイしかり台湾しかり、ごはんとエステがよければ地獄もいい」というのは都築氏の持論だが、それにしても観光名所でもなんでもなく、タイ人にさえ知られていない地獄庭園。一体誰に向けて作られたものなのだろうか。 「地元の人が子どもを連れていって、そこで戒律を教えるわけです。『生き物を大切にしなさい、親の言うことは聞きなさい。そうしないとこうなるよ』という教育の場所なんです。子どもを怖がらせるために作られているんだけど、実際、子どもは大喜びして走りまわっている場合がほとんど。これで泣くのは4歳まで」  地獄庭園のコンセプトは寺の一番偉い僧侶が考えるらしいのだが、仏教のほかタイの精霊信仰とも絶妙にミックスされ、もはやなんだか分からない境地に達している場所も少なくない。また、小銭を入れると造形物が動き出す細工がされているものもあり、もっぱら寺の小銭稼ぎの場となっていることも。  「素人がやっているだけに、止まりどころを知らない。ここまでやることはないだろう、っていうのが多い。思いついたらとにかく作っちゃう。この考え方がすばらしい。グロもあるけどもちろんエロもある。タイは厳格な上座部仏教徒ですが、売春産業は盛ん。でもポルノはダメ。それなのに性器なんかばっちり作っている。あんまりにもリアルに作りすぎちゃうから地元のおばあさんとかから反感もあるけど、地獄のリアリティを出すにはこれは欠かせないということで説得したとか。それくらいちゃんと作っている。プロジェクト・イン・アビリティ精神というか、やる気がなくなるまでやり続けるって精神はすばらしいですね」
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(c) Kyoichi Tsuzuk
 こういった地獄庭園はバンコク周辺にはなく、たいてい田舎に作られている。だだっ広い土地に無数の「プレート」たちが何の脈絡もなく作られ、誰に見られるわけでもないのに、現在も延々と拡張され続けている。それらは例外なくまったくケアされておらず、それが地獄庭園の独特な雰囲気をさらに演出するのに一役買っているのかも知れない。 「これがタイの田舎にあって誰も行かないから六本木で笑われているけど、これが東京都現代美術館みたいなところにあったらパーフェクトに現代美術なわけよ。で、タイ人の名前なんかつけてりゃ、「おぉー」ってことになる。地獄庭園ってすごく面白いけど、素人が作って場所も場所だってことで、ぜんぜん美術だと思われていないものの典型。考えてみると、僕はここ30年ほどずっとそんなことをやってきた。秘宝館、ラブホ、暴走族しかり、バリエーションに過ぎないのかもという気もする。アートって不思議だよね。場所によってB級になったり、美術館にあると笑っちゃいけないものになる。一体基準はどこにあるのかって毎回思う」  これまでと同じアプローチでタイを旅したらどうなるか、ということで誕生した今回の写真集『HELL』。ただし、地獄庭園への具体的な住所や行き方は記載されていないのでご注意を。都築氏いわく、「この寺に行きたいってホテルのフロント係に言ったときに、『あぁ、それね。はい、パンフレット』って言われた時点で君の旅は負け」だそうです。 (取材・文=編集部)
HELL ~地獄の歩き方<タイランド編> 続編にも期待! amazon_associate_logo.jpg
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「二十年経ってやっと自分の写真になった」 森山大道が見た東南アジア

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「次はメキシコシティを撮りたい」と語る森山氏。御年72歳とはとても思えない。
「僕は街頭スナップ写真家だから」  写真家・森山大道氏は、自身のことをそう呼ぶ。モノクロでコントラストが強く、ギラっと締まった印象的な黒。粒子の粗さ、躍動感、ダイナミックな構図。犬、子ども、人、野菜、動物、商店......。街のあらゆる存在が森山氏の撮影対象となり、一枚一枚の写真から街の呼吸が伝わってくる。世界中の街を歩き回り、その姿をカメラに収めてきた森山氏。今回上梓した写真集『THE TROPICS』は、自身が二十数年前に撮影した、タイ・ベトナム・ラオスなど東南アジアの写真をまとめた一冊。なぜ、当時の写真をこの時期に本にまとめたのか。写真集出版の経緯と併せて、森山氏の街の歩き方について、写真についてお話を伺った。 ──まずは、写真を撮影された当時のお話をお伺いしたく。なぜ東南アジアに行かれることになったのでしょう? 森山大道氏(以下、森山) 最初は、僕の写真学校の教え子だった写真家の瀬戸正人くんという人がいて。彼はタイ生まれということもあって、よくタイに行っていて、その話を聞いていたんです。本の後書きにも書いたんだけど、当時の僕は北方思考を持っていて、何かと北に行きがちだった。だけど、瀬戸くんからの話を聞いて、南の方にも少しだけ惹かれる思いがあって、まずは行きたいという気持ちが湧いてきたんですね。僕は暑いところが好きじゃなかったんだけど(笑)。撮りたいというよりも、行きたいと。 ──東南アジアに降り立った時の印象はどうでしたか? 森山 まあ、当然のように面白かったわけ(笑)。何が面白かったかというと、常に僕が興味あるのは「人間が渾然といる場所」。街を歩いていると、子どもがゴロゴロたくさんいて、犬も猫もごちゃごちゃいる、人もいる生活もある。その雑多にいろいろなものが混在している感じが面白くなっちゃったの。もちろん街を歩くときにはカメラを持って撮影していたけれど、積極的に撮って本を出そうとは思っていなかった。でも、歩けば歩くほど面白くなっちゃって、たくさん撮ってしまった。最初にタイに行った後も、瀬戸くんに案内してもらってタイやラオス、ベトナムにも行って、結構撮りました。だけど、写真集を作るとか、自分の表現として発表しようとは思えなかった。 ──撮りたいけど本にはしたくないと。なぜそう思われたのでしょう? daidomoriyama02.jpg 森山 変な話だけどさ、面白い写真が撮れ過ぎるの(笑)。それは妙な感じで、自分の身体にきちんと入っていないっていうのかな。あの当時はまだ面白いとか珍しいとか、そういう気分で撮っていたから自分の撮った写真の実感みたいなものがなくて、写真と僕がまだ繋がっていなかった。当時、僕は渋谷の宮益坂に小さなプライベートギャラリーを持っていて、そこでプライベートに20~30点展示するという、小さな展覧会をやりました。それで、自分の中で東南アジアは一回終わっていたんです。 ──久々にネガを見て、このように写真集にまとめようと思われたのは何かきっかけがあったのでしょうか? 森山 ネガのケースにはタイトルが書かれているから、写真を整理する度にその文字を見ていて。中身を見たい気もするけど、なんとなくそのままにしてしまうってことを繰り返していて。ある時ふとネガを見て、写真から伝わってくる印象が変わって見えたんです。二十年以上の時間を経て自分と対面しているから、当時の自分の心情みたいなものがどこか薄れていて、写された対象だけが浮かび上がってきた。つまり写されたものだけが、しっかりと定着されていたように思えた。そんな風に自分の写真を見られるようになった。それで、東南アジアの写真集を作ってみようと、講談社の方に相談して実現しました。 ──写真って改めて見るとその当時の思い出が蘇ると言いますが、森山さんのそれはちょっと違うのでしょうか。時間を経て改めて見た時に、感情がなくなって写真を客観的に見られる。物質として写真が残るというのが面白いなと。 森山 全ての写真、特にスナップ写真というのは、最終的にはすべて記録として収れんされるんです。撮った時は撮った時の勢いや温度感があるけど、時間が経つと違った見方ができる。自分が撮ったものでも、再び出会った時に、違うコンテキストを見出すことができる。その構造が写真の一番の強度で面白いところだと思う。 ──撮影時に街に向かっていく時はどんなお気持ちなのでしょう? 森山 現場にいるときには暑いしさ、混沌としていて、そんな中で撮影すると既に自分が、ある種感電している状態で、街を探るセンサーみたいになっているから、あんまりいろんなことは考えないよね。身体的な感覚でヒートした状態になっている。もちろん撮る瞬間の思考はあるんだけど圧倒的に体感しながら撮っている。 ──写真を撮るときに街の人とのコミュニケーションはあるのでしょうか? それとも消えた存在になって撮っているのでしょうか? 森山 僕はほとんど対話はしないからね。理想は自分の存在を消したいところだけど、実際はカメラ持ったおじさんが単にいるってことだからね(笑)。小さいカメラを使ったりするくらいで。人間は、カメラのレンズという冷たい機械的なものに結構敏感なんだよね。深夜の新宿歌舞伎町でも、カメラを持って撮っていると、一瞬みんなふっと警戒する。視線を反らされたり、睨まれたりするよね。カメラっていうのはそういうヤバイ装置でさ。
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『THE TROPICS』より (c) Daido Moriyama
──写真を見ていると、ふっと写真家がいない瞬間があると思いました。 森山 写されたもの、その時に写された対象のエッジが際立つんだろうね。さっき話したその時の写真家の思いや気持ちがそぎ落とされて対象だけが浮かび上がってくる。撮るときの理論とか理屈とかはあるかもしれないけど、十年、二十年経つとそんなもんはさっと消えちゃうわけよ。特に街頭スナップ写真の場合は。 ──撮った写真を写真集に組んでいく時の作業というのは、どういう気持ちでページにしていくんですか? 本をめくるというのは時間を伴うものだと思うんですが、そういう時間軸のようなものは意識されてはいないのでしょうか? 森山 僕の場合はすべてではないけれど、基本的にストーリーを作るということはしない。もともとストーリーのある写真を撮っていないからね、街頭のスナップだから。だからページを繰るときの、ある種のインパクトやダイナミズムを大切にしている。時間はほとんど意識していなくて、あんまり重要じゃない。時間軸というよりも、すべてをシャッフルして、街の渾然、渾沌とした感じを見せる。今回はアートディレクターの町口覚さんに全部任せています。僕は数点この写真は入れて欲しいという話をしただけ。町口さんは町口さんで自分の哲学があって、それがとてもうまくいったということですね。 ──撮影される際に、惹かれる土地の特徴みたいなものはあるのでしょうか? 森山 それはね、人間が渾然といる場所。そうすると生活が見えるとかあるからね。圧倒的に街。街以外に興味はないよね。雑多に混在している場所。ということですよね、街であり都市である。そして野良犬がいっぱいいて、子どもがうろうろしているような。最近はそういう街も少なくなったけどね。日本でもちょっとローカルに行くと、街に人がいない。昔はもうちょっと人がいたよね。 ──いま興味のある街はどこでしょう? 森山 やっぱ東京だよ。僕が日本人だということの掛け値を抜かしたとしても、世界的に見ても東京なんじゃないかな。NYから帰ってきても、イタリアから帰ってきても、東京って変な街だねって思う。その「変さ」っていうのは僕にとっては魅力なわけ。今も、来年出そうと思って、東京の町を撮っているけど飽きないな。あと、外国ではメキシコシティに行きたいね。 ──常に好奇心を持って街に向かっていく、森山さんが放つエネルギーみたいなものを私たちは本から受け取っているような気もします。 森山 それは、エネルギーっていうよりも欲望なんじゃない? 僕の中には欲望があるんだよ。そこから出てくるんだよね、撮りたい気分、撮る対象との一瞬の衝突もね。だからスタティックな写真なんか撮ってたら街なんか撮れないのね。街にひっかき回されるからね。そうした外からの刺激を受けながら、それにリアクションしていって写真を撮る。
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『THE TROPICS』より (c) Daido Moriyama
──自分たちが普段生活していると慢心してしまって、外からの刺激に対して敏感に反応できない。写真を撮るという行為を通してそういった刺激に対して敏感になっていくというか。 森山 さっきエネルギーって言ったじゃない。もしそこにエネルギーがあるとしたら、そのエネルギーを作るのは街に出て写真を撮ることなんだよね。その中にしかエネルギーって生まれてこないから。あの、とにかく圧倒的にいろんなものがあるでしょう。だからちょっと理屈っぽくなるけれど、日常ってのは異常が集積している世界だから、どこ見ても異常なわけ。一枚変わればね。そういうところの行ったり来たりが面白い。写真ってのはその人のその時の経験だからさ。また、見る人ですべて解読のコードが変わる。自分の写真でも、見るタイミングによっても見方が変わる。それが面白いんだよね。 ──なるほど。確かに同じ写真でも、自分の精神状態で見方が全然違いますよね。そういう意味でも、この写真集はいろんな見方ができると思います。 森山 そうだね。パラパラとどこから読んでもいいし。だってさ、いろいろと考えてみたってしょうがないじゃない? 僕の写真は昔から難しいって言われていたんだけど、写っているのを見ればいいじゃないって思うわけ。シンプルに感じてもらえればいいと思う。もちろんコンセプチュアルな写真家の作品は、解読するためのコードがあると思うんだけど、スナップはね、目に入った部分だけを見ていればいいんだと思う。この写真集は、現代のタイの人たちにも見てもらいたいなと、現地の人の感想を聞いてみたいね。 ──ありがとうございました。森山さんの精力的な活動を見ているとこちらも元気が出てきます。 森山 だってさ、他に面白いことないじゃない。ごちゃごちゃした街に入っていって写真を撮ることだけがいちばんワクワクできる。ゴールデン街も飽きたしさ、俺、酒飲まなくなっちゃったから。勝手なもんで。写真がつまんなくなって酒が面白くなるよりいいんじゃない(笑)。 (取材・文=上條桂子) ●もりやま・だいどう 1938年大阪府生まれ。高校在学中から商業デザイン会社に勤め、後にフリ-の商業デザイナ-として独立。1960年、22歳の時に写真家・岩宮武二のスタジオに入り、翌61年に上京。細江英公の助手となる。以後「カメラ毎日」や「アサヒグラフ」「アサヒカメラ」などで活躍。「アレ、ブレ、ボケ」と形容されるハイコントラストや粗粒子画面の荒々しい写真表現は60~70年代の日本の写真界に一石を投じた代表作に『日本劇場写真帖』(68)、『狩人』、『写真よさようなら』(72)、『光と影』(82) 『サン・ルゥへの手紙』(90)、 『Daido hysteric』シリーズ(93~97)、『新宿』(02)、『記録』シリーズ(72~)など。 オフィシャルサイト<http://www.moriyamadaido.com/>
THE TROPICS 1980 年~90 年にかけて、東南アジアで撮影されながらも未発表のままお蔵入りしていた写真を集めた写真集。人々の息遣いや臭いまでもが感じられる森山節炸裂の圧倒的で濃密な世界。リアルで過酷な日常、ダイナミックな生命力にあふれた二十 年前のアジアの姿。 定価:本体7,500円(税別)/講談社刊 amazon_associate_logo.jpg
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「モチーフは髪の毛と指」 絵本で読む、束芋『惡人』の世界

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現代社会の断片的風景を独特の感性で切り取る現代美術家・束芋。
 手は口ほどにモノを言う。目ではない、手。最近映画も公開され、各地で話題となっている吉田修一の小説『悪人』の挿画を手がけたアーティストの束芋が、同タイトルの画集を上梓した。とある殺人事件の裏側に果てしなく広がる淋しさ、怒り、孤独を丁寧に描き出し「本当の悪人とは誰か?」を問う。束芋が描く手は、なんとまあおしゃべりなことか。触る、抱く、叩く、掴む、指さす、突く、ねじる、握りしめる、締め上げる......。墨とペンで輪郭と影が強調された、表情豊かな「手」は、人の感情の奥底にある暗部をえぐり出し独特なリアリティを放ち私たちに迫ってくる。絵と小説の断章から、小説とはまた違った世界を作り上げた束芋に、作品について、悪人について話を伺った。 ──まず新聞連載が始まった時のことをお尋ねします。最初にリクエストされたこと。それを受けて、ご自身の中で決められたルールのようなものがあれば教えていただきたく。 束芋 わたしが挿絵画家ではないということは、担当の方から吉田(修一)さんに伝わっていて、その上で吉田さんが新聞小説『悪人』に私の絵の雰囲気を選んで下さいました。当初から吉田さんは「絵は絵の世界で自由にやって下さい」と。その言葉があったからこの挿絵のお仕事を受けることに決めました。ルールとしては、連載担当者からの「束芋さんは、男前は描けませんよね」というもっともな言葉を受け、"顔を描かない(特に目を描かない)"という決まりごとを作りました。また、細切れに連載される新聞小説は、第一話を受けて第二話は展開し、そして第三話に続いていく。それを目に見える形にしたいと考え、私が原画を描く際のルールとして横長の和紙に右から左に描いていく。絵は右から左に流れ、時間軸も右から左で、繋がる絵は展開するストーリーを表現し、最終話まで連ねると長い長い絵巻物になるように描いていきました。絵を繋げていくためのモチーフとしては、私の日頃の描く対象物でもある髪の毛と手(指)を使いました。もちろん、毎回の絵は吉田さんの原稿がきてから、小説を読み込んで描きました。自身がその空間にある空気の粒子になった気分でぐるぐる見渡したとき、目につくモチーフや風景を描いています。 ──『悪人』は、誰もが持つ鬱屈とした、行き場のない感情が克明に描かれていて、主役は清水祐一なんだけれども、登場人物すべてに感情移入ができる、不思議な小説でした。純愛小説というよりは社会や哲学の色が強く、ジャーナリズムとは何かということも考えさせられました。束芋さんはこの小説をどうお読みになりましたか? 束芋 私もさまざまな登場人物に感情移入してしまいました。当初は殺された(石橋)佳乃に感情移入していたのですが、この作品の一人をモチーフにしてインスタレーション作品を作りたいと吉田さんにお話して、それをご快諾いただいてから実際に制作に入ったとき、私の興味の対象はストーリーの展開にそれほど絡んできていないように見える金子美保という存在に移行していきました。私は読んでいる間、この金子美保という存在は、私自身と同年代だと勝手に思い込んで読んでいました。  ヘルス嬢として働いていたときも祐一が自分に本気になってきたのを感じて、逃げてしまう彼女。頑張って小料理屋をオープンしたのに、過労で倒れてしまい、店は長期休業。病院で祐一を見て逃げる彼女や、思い切って祐一に声を掛けてみたものの、拒絶される彼女。超えるべきハードルを超えることなく彼女の人生は続いていく。その中途半端さや、フワフワした感じから同世代感を得たのだと思います。『悪人』のストーリーの中では、彼女の人生は点でしか描かれていない。その点と点の間には、祐一と出会ったように、他にもいろいろな出会いがあるのだし、祐一に拒絶されたその後も、彼女の人生は続いていく。そういったことを考えると、彼女の『悪人』の中での扱いは、私自身が出会った多くの女性のようでもあるし、多くの人が出会った私自身のようでもある。吉田さんはヘルス嬢という少し特異な職業を彼女にあてがうことで、"とっても普通の女"を描いたように感じられ、劇的な最後を迎える「悪人」の重要な鍵を握る佳乃よりも、点の存在しかない美保に私は共感するようになっていました。そして私にとって大切な作品となる「油断髪(ゆだんがみ)」(※)ができたのです。  この『悪人』という小説は一人を切り出しても凄い存在感を持ち続けます。だからこそ、全ての人物に感情移入ができ、そして誰が惡人だったのかという強い問いかけを残すのだと思います。感情移入した登場人物の存在により、その問いかけを自分のこととして考えてしまうからこそ、哲学の域にまで及ぶのではないでしょうか。吉田さんのすごさですね。 ──一番印象に残っているシーンを教えてください。また、描写に悩んでしまった、描きにくかったシーンはありましたか? 束芋 印象に残っているシーンは......全部なんです。やっぱり全てのシーンを精一杯描いたので、全て鮮明に思い出せてしまいます。描きにくかったシーンは、ラブホテルのシーンです。性描写が描きにくかったというのではなく、主人公二人がなかなかラブホから出てくれないんです。(10話分近く)最初に書いたように、私はその空間にある空気の粒子になった気分でぐるぐる見渡したとき、目につくモチーフや風景を描いているので、一カ所に複数話も居られると、描けるものが無くなってしまいます。目をよくよくこらして、ぐるぐるぐるぐる回って何とか採取しましたが。 ──絵本の企画というのは、どういった経緯で持ち上がってきたのでしょう? 束芋 元々、全部揃ったら作品集を作りたいという漠然とした思いはありました。2007年に友人が、新聞連載時の絵を切り抜いて文庫本サイズのノートに貼って、「この本に題字を描いて」と持ってきてくれたんです。その文庫サイズの重量感、新聞を切り抜いた感じがものすごく良くて、「こんなの作りたい!」と火がつきました。作っていくうちに、ただの作品集ではなく、絵本にしたいと思い、原画の状態とも新聞連載時とも違う世界を作っていきたいと思い、絵を再構成していき、吉田さんの承諾を得て文章をピックアップし、絵の一部としてレイアウトしていきました。吉田さんのご協力なしでは不可能な企画です。 ──小説に絵があるという連載とは違い、絵と断章からシーンをつないでストーリーを作るのは、映画やアニメーションに近いような気がします。絵本を作っていくにあたって、注意されたところを教えてください。 束芋 絵本としてページをめくる面白さは大切にしました。特に観音のページなどは、二次元の絵が開くという行為で三次元になる瞬間があります。その空間的な広がりを考えることは、とっても楽しませてもらいました。注意したことは、何が一番この絵本「惡人」に合うのかということ。紙質や本の重量感、表紙やカバーの関係性など。普通、本を作るときには当たり前のように誰でも考えることですね。 ──海、涙、血、スープ、珈琲、体液といったような水にまつわるモチーフや物が溶け出していき融合するようなイメージが多かったような気がします。登場人物の心に潜むじっとりとした感情がよく現れていました。液体に対して何か特別な思い入れがあったのでしょうか。 束芋 以前スウェーデンで個展をさせてもらったとき、インタビュアーに同じように聞かれ初めて気がついたのですが、私のインスタレーション作品にも液体が頻繁に登場します。そのとき、考えてみたのですが、液体は流動体であり、その液体の形はその液体の入っている容器の形で決まります。そこに容器を描かなくても、液体の形でそこに存在する見えない物体を感じることができ、液体が動くことによって、その容器に何かが起こったことを意味します。例えば、容器に穴があいたら、液体はその外に流れていく。そしてその外側の容器の形に定着する。また、液体が移動した先にはそれなりの空間が存在することも示唆します。そういった液体の動きを利用して、言葉でも描くことでも表現できなかった何かを表現できるようになったのです。『惡人』の中に登場する液体は必ずしもそういったことを含んでいるわけではありませんが、流動体は何かの媒体として、大いに利用させてもらっています。 (取材・文=上條桂子) (※)の「油断髪」は本年横浜美術館、国立国際美術館で開催された「束芋─断面の世代」にて展示された。 ●束芋(たばいも) 1975年兵庫県生まれ、長野県在住。1999年、京都造形芸術大学卒業。99年、映像インスタレーション《にっぽんの台所》が、キリンコンテンポラリー・アワード99最優秀作品賞を受賞。01年、第1回横浜トリエンナーレで最年少の作家として出品。以後、2002年、サンパウロ・ビエンナーレ、06年、シドニー・ビエンナーレ、07年、ヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア 館)など数々の国際展やグループ展に出品。06年、原美術館、パリのカルティエ現代美術館で個展を開催。2010年には、横浜美術館、国立国際美術館で初めての大規模個展を行った。11年のベネチアビエンナーレでは、日本館への出品が予定されている。
惡人 束芋が初めて新聞連載小説の挿絵を担当した吉田修一の代表作『悪人』に描き下ろした作品群を一挙に収録。指、髪の毛、内臓などをモチーフとする独自の作風が、小説のテクストと化学反応することで新たな深化を遂げる。横浜と大阪で開催の大規模な展覧会「断面の世代」で公開されたモノクロの原画を連載時のカラーで再現。 1890円(税込)/朝日新聞出版刊。 amazon_associate_logo.jpg
悪人(上) ブッキーまさかの金髪。 amazon_associate_logo.jpg
悪人(下) ふかっちゃん! amazon_associate_logo.jpg
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フォトグラファー腰塚光晃の写真展「Japanese」の先にある野望

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 NIKE、docomo、資生堂などの広告や、「Numero TOKYO」(扶桑社)、「GLAMOROUS」(講談社)などのファッション誌、あるいは安室奈美恵のアーティスト写真などで幅広く活躍するフォトグラファーの腰塚光晃氏が、東京・渋谷で9月3日より写真展「Japanese」を開催している。  この催しは単なる「カメラマンの作品を集めた個展」ではなく、写真、あるいは表現の現状に対する「このままでいいのか」という強い思いがあるという。写真展開催の直前、港区湾岸の自らのスタジオで準備に追われていた腰塚氏を直撃した。 ──今回の写真展の経緯は? 腰塚光晃(以下、腰) 今回の写真展「Japanese」は、9月にリリースする、同タイトルの写真集の出版に際してものです。会場となる代官山のSPEAK FORは、2~3万円くらいの写真プリントをインテリア的に展示して販売しているギャラリーで、今回作った写真集に収録されているカットも、その場で買えるようになってます。 ──この写真集『Japanese』はパッケージそのものが写真のフレームにもなっていて、収録されている52枚の写真シートを入れ替えることで、インテリアとしても機能するという、ユニークな装丁ですね。  写真集って、買ってきて一度眺めて、本棚に入れちゃったらほとんど見ないじゃないですか。でもこういう装丁なら、インテリアとして飾れるから、例えばプレゼントにしてもらってもいいし、2人で1冊を買ってもらって、好きな写真を分け合ってもいい。写真っていうものは、生活の中でだってもっと活用できると思うんですよね。 ──では、収録されている写真の内容は、どのようなテーマに沿ったものになっているのでしょうか?  タイトル通り、"日本"がモチーフです。例えば、ここ数年、自分がライフワークとして撮り続けているものに、「着物の型紙シリーズ」があるんです。着物を染めるときに使う型紙の向こうにモデル置いて、こちらから光を当てて撮影すると、モデルの肌に落ちる影が刺青みたいになって面白いんです。そういう実験的な写真のほかに、光の幾何学模様や風景ものなど、部屋に飾りやすいものを意識して取り入れたりもしてますね。
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──今回の写真集『Japanese』は、制作費を持ち出しで制作されたとか。これまで多くのファッション雑誌や広告で活躍されてきた腰塚さんが、ここにきて、なぜ自主制作なのでしょう?  出版不況や電子書籍という時代の流れでの中で、ファッションを扱うウェブマガジンなども最初は考えていた。でも、やっぱり紙で残すべきものは紙で残していきたいなと思ったんです。あとは最近、自由な表現の場がないということも感じていて。 ──というのは?  自分より下の世代のカメラマンって、「仕事でだって自由に写真を撮れる」ってことを知らない人が多いと思うんです。例えば、90年代半ばに「ジャップ」(光琳社出版)という雑誌があった。その雑誌では、次号の特集テーマを電話で聞いて、メイクやスタイリストと一緒に企画を考えて、編集長だった伊島薫さんにプレゼンして、面白ければその企画が通る、といったような作り方をしていた。いちいちラフを描いてタレント側の意向を確認して──みたいなことは一切なく。まあ、その代わり制作費は少ししかもらえないんだけど(笑)、それでもあの当時のカメラマンとかは、みんな「ジャップ」で仕事をやりたがったんです。 ──では、それがいまは「自由でなくなった」のはなぜなのでしょう?  ひとつに、「デジタル化」の影響は大きいと思う。デジカメだと、撮影現場ですべての写真が見られちゃうというか、逆に言うと、すべて見せなければ現場が終わらない、というような風潮になっちゃった。昔は逆で、最初にポラを切ってOKカットさえ見せたら、あとは結構好きにやれたんですよ(笑)。なんだかいまは、写真だけじゃなく、世の中全体がシステマティックになっている気がしますね。 ──そういう状況に対し、自由な表現の場を作るための「自主制作」なんですね。  僕は、これからが本当の「クリエイターの時代」だと思っています。ウェブを使えば、ユーザーはどんなマニアックな情報にもアクセスできる。だからこそ、薄っぺらな「情報」ではなく、クリエイターが本物の「クリエイション」を発表しさえすれば、それをユーザーがきちんと謳歌するという時代が来ると思うんですよね。  だから「Japanese」は、そうした本物の「クリエイション」の発表の場だと考え、さまざまなフォトグラファーやクリエイターが参加できるアート写真集シリーズとして、今後も定期発行していきたいなと思っています。だから、1冊目今回は、個人的にはまだスタートラインに足を乗っけただけという段階。これから先、もっと自由で面白い流れが生まれるといいなと思っています。 (構成=エリンギ) kosiduka02.jpg ●腰塚光晃(こしづか・みつあき) 1969年生まれ。プランナー、レーシングドライバー、編集者、スタジオアシスタントを経て、97年、写真家として活動開始。数多くのファッション誌のほか、AMEX、IPSA、Kanebo、Levi'sなどの広告写真、BONNIE PINK、m-flo、Perfume、SPITZ、安室奈美恵などのアーティスト写真などを手がける。小社発行の月刊誌「サイゾー」の表紙写真を撮影したことも。 公式サイト<http://www.morevisiontokyo.com/> ●写真展「Japanese」 「着物の型紙シリーズ」など、フォトグラファー腰塚光晃氏が撮りためてきた「日本」をテーマにした写真の数々を一挙公開。その場に展示された写真を購入できると同時に、展示された写真がプリントされた同タイトルの自主制作写真集『Japanese』(1万2000円)の購入も可能。 期間:2010年9月3日(金)~15日(水)(ただし。毎週木曜は会場休業日) 会場:GALLERY SPEAK FOR(東京都渋谷区猿楽町28-2 SPEAK FOR B1F) 時間:11時~20時(最終日のみ18時まで) 会場公式サイト<http://blog.galleryspeakfor.com/?eid=317497
へんで、いいよ。 うん、いいよ。 amazon_associate_logo.jpg
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フランス人にはまったく無視されていた! 芸術家・村上隆作品展をめぐる反対運動

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『芸術起業論』(幻冬舎)
 現代美術家・村上隆氏。9月14日からフランス・ヴェルサイユ宮殿で開催される彼の作品展をめぐり、フランスの右派団体などが「宮殿を侮辱するものだ」として反対運動を繰り広げ注目を集めている。誰もが知る彼の作品と言えば、2008年に競売会社・サザビーズが行ったオークションに出品され16億円で落札された、裸の少年が精液を飛ばすフィギュアだ。  ある意味「芸術」とは別の意味で注目されてきた彼の作品が、フランスではどのように理解されているのか。この反対運動は、彼の評価を知る絶好の機会とも言える。  フランス現地で、反対運動を呼びかけている「versailles mon amour(私の愛しいヴェルサイユ)」というサイトは8月31日の時点で3,861人の反対署名を集めている。このサイトでは、村上氏の作品展に反対する理由が次のように語られている。 「ヴェルサイユ宮殿を尊重しない挑発的な現代美術には、反対するべき。ヴェルサイユ宮殿はドゥコー(フランスの大手広告代理店)の広告のパネルではなく、我々の歴史と文化のシンボルである。村上も皇居で作品展を開くことは決してない」  そもそも今回の作品展は半数が未発表の新作。日本では、村上氏のフィギュアが下品だから忌み嫌われているのではないか。あるいは、オタク的な造型が批判の対象になっているのではないかなど、作品そのものが批判の対象になっているように受け取られているが、前述の精液を飛ばしているフィギュアのような作品は展示されない。それでも、「下品なアート」を子どもが目にする可能性があり、作品展は容認できないのだという。  それに加えて、彼らが批判するのは、現代美術の商業主義的な側面。彼らは村上氏の作品展や過去にヴェルサイユ宮殿で開催された現代美術の作品展も「投機のため、金儲けのためのアート」として厳しく非難を加えている。  日本では、この事件が報じられて以来、村上隆の作品の価値自体をめぐってネット上で活発な議論の応酬が見られる。ところが、肝心のフランスではどうかと言えば、まったく話題になっていない。  フランスといえば世界の芸術の中心地。この反対運動をめぐって、さぞや活発な議論が巻き起こっているのかと思いきや、この問題を取り上げているのは、いくつかのニュースサイトのみ。フランスの新聞・テレビ局のサイトをめぐってみたが、一連の騒動を取り上げている記事は、わずか一紙のみ。  この件を最初に報じたのはフランスのAFP通信なのだが、フランス国内では見向きもされていないのだ。ならば「現代美術」の評価が高いアメリカなどではどうだろうと探してみたが、やはり、アニメ・マンガの情報サイトが取り上げている程度にすぎない。つまり、世界的にもごく僅かの人々の間で注目されているだけに過ぎなかったというわけだ。  日本文化に詳しいフランス人研究者に話を聞いたところ、「フランスでは現代美術をめぐる論争は、しばしば見られる。ヴェルサイユ宮殿のような施設を使った展示を保守的な人々が批判することも日常的で、多くのフランス人は興味を示しません」という。  ヴェルサイユ宮殿では08年にも現代美術の作品展での展示方法をめぐりフランス王家の子孫が中止を求めて訴訟を起こす事件があった。それに比べると、今回の一件の注目度は極めて低い。この報じられ方自体が、村上氏が海外でどのような評価を受けているかを如実に現していると言えるだろう。  自ら主催する現代美術の祭典「GEISAI」を、台湾でも開催するなど世界規模で活躍しているかと見える村上氏。だが、世界に名を轟かせる芸術家になるには、まだ長い道のりが控えているようだ。 (文=昼間たかし)
芸術起業論 美意識なんて人それぞれ。 amazon_associate_logo.jpg
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