迷宮入りした怪事件をメソッド演技で解明する!? 芸能界の闇と舞台がリンクする『貌斬り KAOKIRI』

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骨太な作風で知られる細野辰興監督の最新作『貌斬り KAOKIRI』。人気スターの移籍問題の度に騒がれる“芸能界の闇”が描かれる。
 天才漫画家・楳図かずお先生を取材する機会があり、興味深い話を聞いた。子どもの頃に「宇宙の果てはどうなっているの?」「人間は死んだらどうなるの?」という素朴な疑問を周囲の大人に投げ掛けたものの、誰も答えてくれなかったそうだ。それならば、自分が描く漫画の世界で自分自身が科学者や神様となってその答えを導き出してやろう。そう考えた楳図少年が大人になって完成させた作品が『14歳』だった。『14歳』のラスト、楳図先生と我々読者は共に宇宙の果てに辿り着き、生命の神秘に触れることになる。想像力を駆使したフィクションの世界を通して、現実世界の謎に迫る―。『シャブ極道』(96)や『竜二Forever』(02)で知られる細野辰興監督の新作『貌斬り KAOKIRI ~戯曲「スタニスラフスキー探偵団」より~』を観ながら、あらためてフィクション世界の深遠さに気づかされた。 『シャブ極道』では役所広司がシャブ中毒のヤクザに迫真の演技でなりきり、『竜二Forever』では自分の命と引き換えに主演映画『竜二』(83)を残す俳優・金子正次の太く短い青春を高橋克典が全身全霊で演じてみせた。細野監督は骨太な題材をもとに、俳優たちのポテンシャルをぐいぐいと引き出す名演出家だ。そんな細野監督の『私の叔父さん』(12)以来4年ぶりとなる新作『貌斬り』もまた、タブー知らずの挑発的な作品となっている。日本映画全盛期に二枚目俳優として大活躍した長谷川一夫が松竹から東宝に移籍する際に暴漢に襲われ、カミソリで顔に大きな傷をつけられたスキャンダラスな事件の真相を探るものだ。芸能界の闇を感じさせるこの迷宮化した怪事件を、細野監督はフィクションの力を使って究明しようとする。 『貌斬り』の舞台となるのは、高円寺にある小さな劇場「明石スタジオ」。ここでは舞台『スタニスラフスキー探偵団』の公演が行なわれている。この公演は映画監督(草野康太)や映画プロデューサー(山田キヌヲ)たちが新作映画の脚本の打ち合わせをしている様子を描いたバックステージもの。劇中劇という形で、新しいドラマが生まれる瞬間を追っている。映画監督たちは長谷川一夫の顔斬り事件を題材にした野心作を撮ろうと考えているが、消えない傷を負ったまま芸能活動を続けた長谷川一夫は事件の真相を生涯口にすることがなく、実行犯に襲撃を命じた黒幕の正体は闇に包まれたままだった。真犯人は誰か、犯行の動機は何だったのか? その手掛かりを探すために、映画監督は助監督たちと一緒に会議室でロールプレイを始める。このロールプレイが、思いがけず人間の心の闇を引きずり出してしまう。
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『渚のシンドバッド』(95)や『月光の囁き』(99)での好演が印象に残る草野康太が主演。舞台上で映画監督に扮し、ロールプレイを始める。
 会議室に篭った監督たちはロールプレイと称して、顔斬り事件の被害者・実行犯・関係者をそれぞれスタッフがなりきって演じ、事件を様々な角度から再現していく。事件をリアルに再現することで、当事者たちがそのとき心に生じた感情までも甦らせようというものだ。これは演劇用語でスタニスラフスキー・システム、いわゆる“メソッド演技”と呼ばれているもので、アクターズスタジオ出身のマーロン・ブランドやジェームズ・ディーンはこのメソッド演技を取り入れ、名優としての評価を手に入れている。だが、人間の深層心理のダークサイドに触れすぎ、同じくアクターズスタジオ出身のマリリン・モンローやモンゴメリー・クリフトは情緒不安定に陥ったとも言われている。劇中の監督、プロデューサー、助監督たちも長谷川一夫移籍騒ぎをめぐる芸能界の暗部だけでなく、自分たちの心の闇にも向き合わざるをえなくなる。  メソッド演技を活用して、迷宮入りした事件の真相を探ろうというアイデアがユニークだ。この発想はどのようにして生まれたのか、細野監督に尋ねた。 細野「『シャブ極道』を撮り終えて、『売春暴力団』(97)の脚本を書いていたとき、富士の御殿場に車で行った帰りに、『黒澤明の別荘がこのあたりにあるから探してみよう』ということになったんです。しかし、別荘が見つからない。そこでスタニスラフスキー・システムで黒澤明になりきって探してみようという話になり、何と本当に見つかった(笑)。スタニスラフスキー・システムという言葉は知っている。でも、そんなこと大げさに標榜しなくても役者も演出する側も分かっているよという、おちょくり半分、真剣半分から生まれたアイデアが舞台『スタニスラフスキー探偵団』(2010年初演)だった。映画ではいろいろ考え直し、再構成しています。長谷川一夫の顔斬り事件の本質は、非近代性だと僕は思う。ヤクザと映画界ががんじがらめの核となり、芸能の民が生きていた。そういう時代だった。しかし、日本人の意識も変化し、一般人がテレビに出始め、芸能の民がいらなくなってしまった。土地を売って金を得るバブルがダメ押しした。だからこそ、流浪承知で芸能の民として生きていこうとする人たちをこの映画で描いてみたいと思ったんです」
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演出家を演じるのはアクの強い作品に欠かせない木下ほうか。舞台役者たちに「その気になったら、本当に斬りつけてしまえ」と耳打ちする。
 衣装やメイクによって外見を変えるだけでなく、内面まで他人になってしまう。芸能の民=俳優という職業の特異性がクローズアップされる『貌斬り』。本作の映画監督たちはメソッド演技を用いた“安楽椅子探偵”となるわけだが、マーロン・ブランドやジェームズ・ディーンといったメソッド演技の達人は名探偵にもなりえただろうか? 細野「なるほど……。あの2人なら、なりえたかもしれません。ジェームズ・ディーンは出演作が少なく、資質でやっていたかもしれませんが、マーロン・ブランドはいろんな役をやっているから、なりきるタイプの人な気がする。ダニエル・デイ=ルイスも、なりきるタイプでしょう。役所広司さんもそう。役に入ると、『えっ、彼は役所さん?』となってしまう。予定調和の中だけで芝居をしない人です。役へののめり方が凄かったのは、『竜二Forever』の高橋克典くん。減量から始まり、『竜二』のシーンを再現し、私生活の金子正次も演じなくてはいけなかった。まったく自分と資質の異なる金子正次役に果敢に挑んでみせた。『竜二』の金子正次さんにもそれは言える。世間では金子正次=竜二と語られているけれど、『竜二Forever』の脚本を作るときに金子さんの実家を訪れ、部屋に入ると18歳の写真があり、とてもいい笑顔で写っていた。それを見たとき、金子さんは竜二じゃない、努力して竜二をつかんだなと思ったわけです。そういう点で、今回の『貌斬り』は『竜二Forever』と繋がっていると言えますね」  演技というフィクションの世界を通して、現実世界の暗部にスポットライトを当てる。そこに浮かび上がるのは、非近代的な土壌の芸能の世界からビジネスとしてすべて割り切られる現代社会へと一本の細いロープを綱渡りするひとりのスター俳優の姿だ。背景となる闇が深ければ深いほど、ロープ上のスターは輝きを増していく。非近代から現代へ、フィクションからリアルへ。『貌斬り』で斬り裂かれた顔の傷口から、意外な真実が見え隠れしている。 (文=長野辰次)
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『貌斬り KAOKIRI ~戯曲「スタニスラフスキー探偵団」より~』 プロデューサー・脚本・監督/細野辰興 出演/草野康太、山田キヌヲ、和田光沙、金子鈴幸、向山智成、森谷勇太、森山千有、南久松真奈、日里麻美、嶋崎靖、佐藤みゆき、畑中葉子、木下ほうか  配給/マコトヤ 12月3日(土)より新宿K’s cinema、12月10日(土)より名古屋シネマスコーレ、17年1月14日(土)より福岡・中洲大洋劇場にて公開 (C)2015 Tatsuoki Hosono/Keiko Kusakabe/Tadahito Sugiyama/Office Keel http://kaokiri.makotoyacoltd.jp

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映画監督の願望と性癖が露呈する新作ロマンポルノ『ジムノペディに乱れる』&『風に濡れた女』

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行定勲監督作『ジムノペディに乱れる』。これまでBOMIとしてミュージシャン活動してきた芦那すみれが官能シーンに初挑戦している。
 昭和世代には懐かしく、平成生まれには新鮮に感じられる日活ロマンポルノ。1971年~88年に量産された成人向けプログラムピクチャーのブランド名であり、セックス抜きでは語ることができない大人の恋愛事情を赤裸々&しっぽりと描いた名作が少なくない。若手女優・橋本愛が高校卒業後にハマっていたことをカミングアウトするなど、ロマンポルノを彩ってきた女優たちの官能美に魅了される女性ファンも近年増えつつある。そんな時流に乗って、企画されたのが「ロマンポルノ・リブート・プロジェクト」。行定勲、塩田明彦、白石和彌、園子温、中田秀夫といった脂が乗り切った時期にある実力派監督たちが、それぞれオリジナル作品でエロスを題材に競作を果たしている。  第1弾を飾るのは、『世界の中心で、愛を叫ぶ』(04)以降も『今度は愛妻家』『パレード』(10)、『ピンクとグレー』(16)が高く評価されている行定勲監督の『ジムノペディに乱れる』。若手時代に麻生久美子&つぐみ主演作『贅沢な骨』(01)で官能表現に挑んだ行定監督だが、メジャー進出後はごぶさた状態。今回の日活からのオファーに意欲をみせ、2本のオリジナル脚本を書き上げている。1本は映画業界に伝わる伝説を描いた本作で、もう1本はスカトロものだった。後者は日活からNGを出されたが、行定監督は「そっちは自主制作でやる」と意気込むほど、「オリジナル脚本で官能映画を」という日活からのオーダーに触発された。エリック・サティの代表曲をタイトルに使った『ジムノペディに乱れる』の主演男優は板尾創路。『私の奴隷になりなさい』(12)で壇蜜を相手に濃厚な調教プレイを見せた名優・板尾が孤高の映画監督に扮し、毎晩違う女たちと交わる愛欲まみれの1週間が描かれる。
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映画監督の古谷(板尾創路)は新作を撮ろうとするが、主演女優の安里(岡村いずみ)からヌードになることを拒絶される。
 映画監督の古谷(板尾創路)はかつて海外の映画祭で賞讃を浴びた時期もあったが、商業ベースにうまく迎合できずに過去の存在となりつつあった。金に困った古谷は主演女優のヌードがあることが売りの低予算映画を撮ることになるが、肝心の主演女優・安里(岡村いずみ)が撮影当日になってベッドシーンに難色を示し、撮影中止に。「精神が研ぎ澄まされていれば、金がなくても映画だ」と以前は語っていた古谷だったが、もはや「こんな現場は映画じゃない」と愚痴るしかなかった。手持ち無沙汰に昔なじみの衣装スタッフとラブホで体を重ねるが、翌朝には映画が正式にお蔵入りした知らせが入る。行き先を失った古谷は街でばったり出会った映画専門学校の教え子・結花(芦那すみれ)が暮らすマンションに転がり込む。お金も仕事もない古谷は、知り合いの女たちのもとを転々とすることに。女たちとの情事に溺れる古谷の頭の中に、思い出の曲「ジムノペディ」が流れては消えていく。  古谷が棲んでいる自宅は立川の米軍ハウス、新作映画の撮影場所は新宿、ラピュタ阿佐ヶ谷でのトークイベントもある。『ジムノペディに乱れる』のロケ地はどこもJR中央線で見覚えのある景色ばかりだ。撮りたい映画が思うように撮れない主人公の葛藤は映画監督なら誰もが抱えているものだが、女たちを渡り歩く主人公には実在のモデルがいる。生涯独身を貫き、荻窪の西日が差し込むアパートで暮らし続けた相米慎二監督だ。映画製作に情熱を注ぎ続けた相米監督は、撮影現場で俳優たちに終日ダメ出しを続ける厳しさで知られたが、昔ながらの映画屋気質はスタッフから愛され、特に女性にモテモテだったそうだ。中央線沿線で暮らす女たちの家を泊まり歩き、1週間自宅に戻らなかったという逸話を残している。打ち合わせと称しては酒を呑み、女たちを愛し、そして他の誰にも撮れない傑作の数々を残し、53歳の若さで相米監督は亡くなった。そんな伝説の監督に対する、行定監督の羨望が本作の根底には流れている。エリック・サティもまた、パリのシャンソン酒場でピアノを弾き続けた。こぎれいな会議室ではない、酒場の喧噪と女の匂いから生まれてきたような映画を、行定監督は撮りたかったのではないだろうか。
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こちらは塩田明彦監督の『風に濡れた女』。神代辰巳監督の『恋人たちは濡れた』(73)のオマージュシーンから始まる。
 第2弾となる塩田明彦監督の『風に濡れた女』も、塩田監督自身の心情が投影された作品となっている。高校生男女のSM関係を描いた『月光の囁き』(99)で鮮烈なデビューを飾り、『どこまでもいこう』(99)や『害虫』(02)などの珠玉作を放った塩田監督だが、『カナリア』(05)以降はなかなかオリジナルの劇場映画を撮ることができずにいる。そんな監督自身の溜め込んでいた澱を吹き飛ばすかのように、『風に濡れた女』のヒロイン・間宮夕貴は本能の赴くまま、おっぱい剥き出しで暴れ回る。塩田監督作品のヒロインたちは『月光の囁き』のつぐみ、『どこまでもいこう』の芳賀優里亜、『害虫』の宮崎あおい……、みんな頭で考えるよりも先に体が動き出し、感情がそれを追いかけていく。『風に濡れた女』は塩田監督の原点回帰を感じさせる清々しさがある。  オーディションで選ばれた間宮夕貴は、石井隆監督の『甘い鞭』(13)で壇蜜の少女時代に扮して注目を集めた若手女優。『甘い鞭』は監禁陵辱される超ハードな役だったが、『風に濡れた女』では正体不明な野性味たっぷりのヤリマン女・汐里を実に楽しげに演じている。山奥で人知れず隠遁生活を送る元劇作家の柏木(永岡佑)を相手に、組んず解れつの肉弾戦を全編にわたって繰り広げる。濡れ場というよりも、男と女のどちらが恋愛&セックスの主導権を握るかの格闘技戦だ。本能の赴くままに責めてくる汐里に、理詰めで考える柏木は防戦一方で常にマウントポジションを取られてしまう。塩田監督作品は『ギプス』(01)の佐伯日菜子、『黄泉がえり』(03)、『どろろ』(07)の柴咲コウとS系の顔立ちのヒロインが多いことにもふと気づく。女優たちがフルヌードを披露するのと同じように、それを撮る監督自身の性癖や願望も官能映画には如実に現われる。間宮夕貴のワイルドさは塩田監督だけでなく、海外の女性たちの目も釘付けにし、20代の女性審査員が半数以上を占めたロカルノ国際映画祭の若手審査員賞に『風に濡れた女』は選ばれている。  新世紀のロマンポルノに参加した5人の監督たちに対し、日活側が出した条件は「撮影期間は1週間」「10分に一度の濡れ場」という往年のロマンポルノとほぼ同じものだった。メジャー大作を経験している5人の監督たちにとっては難儀なはずだったが、レイティングを気にせずにオリジナルの新作を自由に撮ることができるこの企画は楽しくて仕方なかったようだ。官能映画というジャンルの中で、実力派監督たちがオリジナル色を競い合ったロマンポルノ・リブート・プロジェクト。年明けに待機している白石和彌監督の『牝猫たち』(1月14日公開)、園子温監督の『アンチポルノ』(1月28日公開)、中田秀夫監督の『ホワイトリリー』(2月11日公開)は後日あらためて紹介したい。 (文=長野辰次)
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『ジムノペディに乱れる』 監督/行定勲 脚本/行定勲、堀泉杏 音楽/めいなCo. 出演/板尾創路、芦那すみれ、岡村いずみ、田山由起、田嶋真弓、木嶋のりこ、西野翔、岩谷健司、宮本裕子、三浦誠己、伊藤洋三郎、風祭ゆき  配給/日活 R18+ 11月26日(土)より新宿武蔵野館、横浜シネマ・ジャック&ベティほか全国順次公開 (c)2016日活 http://www.nikkatsu-romanporno.com/reboot
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『風に濡れた女』 監督・脚本/塩田明彦 音楽/きだしゅんすけ  出演/間宮夕貴、永岡佑、テイ龍進、鈴木美智子、中谷仁美、加藤貴宏  配給/日活 R18+ 12月17日(土)より新宿武蔵野館、横浜シネマ・ジャック&ベティほか全国順次公開 (c)2016日活 http://www.nikkatsu-romanporno.com/reboot

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初めて逢うのに、どこか懐かしいアイヌの人たち。極上の音楽体験ドキュメント『カピウとアパッポ』

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アイヌの伝統歌を歌い継ぐ姉妹デュオの葛藤を追った音楽ドキュメンタリー『kapiwとapappo アイヌの姉妹の物語』。
 初めて聴く音楽なのに、ずいぶん昔から知っていたような気がする。初めて逢った人たちなのに、なぜか懐かしさを覚える。脳で知覚するデジャヴ感とは異なる、もっと体の芯から温かく包み込まれるような郷愁に似たものを感じてしまう。ドキュメンタリー映画『kapiwとapappo アイヌの姉妹の物語』を観ていると、不思議な気分になってくる。タイトルに謳われているようにアイヌの里出身の姉妹デュオ“カピウ&アパッポ”を主人公にした音楽ドキュメンタリーなのだが、アイヌ文化のことをまったく知らないにもかかわらず、幼かった頃に故郷の野原や浜辺で夕暮れまで遊んでいた記憶、家族や親しい人たちと過ごした思い出がゆらゆらと立ち上がってくる。  耳慣れないカピウとアパッポとはアイヌの言葉。カピウはカモメ、アパッポは福寿草のこと。北海道の阿寒湖アイヌコタンで生まれ育った姉妹の絵美と富貴子は、それぞれカピウとアパッポをニックネームにしている。小さいときからアイヌウポポ(アイヌの伝統歌)を歌ってきた仲良し姉妹だったが、性格は真逆。2つ上の姉・絵美は実家を出て、カモメのように各地を渡り歩き、今は東京でグラフィックデザイナー兼ウポポの歌い手として暮らしている。妹の富貴子は福寿草のように地元に根を張り、アイヌ料理店を営みながら阿寒湖の遊覧船で歌や民族楽器の演奏を披露している。東京と北海道で別々の人生を歩んでいる姉妹だが、お互いに3人の子どもを育てる母親となっていた。そんな折、2011年の福島第一原発事故がきっかけで、絵美は子どもたちを連れて故郷でひと夏を過ごす。幼い頃から地元の人たちに愛されてきた2人は姉妹デュオを結成し、ライブデビューすることになる。  ところが、すんなりとカピウ&アパッポのライブデビューとは事は進まない。東京で暮らしていた絵美はインディーズ系の音楽家・海沼武史とともに、アイヌ音楽を現代的にアレンジしたユニット「リウカカント」としてCDをリリースしていたが、伝統的なスタイルから離れての音楽活動にどうも気が乗れずにいた。煮え切らない絵美に対し、海沼は「歌っている瞬間にしかアイヌ民族はいないんだよ。だって日常生活にアイヌ語を使っているわけじゃないでしょ?」と厳しい言葉を発する。一方の富貴子も地元で観光客を相手に歌っていたが、いつの間にか歌うことは“生活の手段”となっていた。少女時代はまっさらな気持ちでアイヌウポポを歌っていた姉妹だったが、アイヌ民族としての帰属意識や音楽へのスタンスに迷いを生じるようになっていた。
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都内でアイヌ関連のイベントに呼ばれて歌う姉・絵美。家事や育児に追われているが、生活に根づいた歌唱スタイルを身に付けつつある。
 台本のないドキュメンタリーならではの面白さが中盤で待っている。絵美は子どもたちを連れてアイヌコタンに里帰りし、富貴子たち一家が温かく迎え入れる。仲良くハグしあう姉妹。ところが周囲のお膳立てでライブデビューの日程が決まり、しばらくすると姉妹間の雲行きが怪しくなってくる。富貴子が夫と経営しているアイヌ料理店で、子どもたちを寝付かせた後、かなり深酒した富貴子の感情が爆発する。ライブが迫っているのに満足に練習する時間がないこと、姉のライブデビューは自分がプロデュースしたかったこと……。多くの人に愛され、才能豊かな姉に対する憧れと嫉妬心が酒に酔って、いっきに吹き出す。「まぁまぁ」と富貴子の夫が仲裁に入ろうとするが、火に油を注ぐかっこうに。福寿草は美しいだけでなく、毒花でもあったことを思い出させる。だが、普段はのほほんとした姉の絵美も黙ってはいない。「フッキは何のために歌うの? 私は仕事のためじゃないよ。フッキと歌うときは仕事は関係ないよ」。故郷を離れて都会の片隅で暮らす姉と故郷に残って地元に根づいて暮らす妹、2人の本音がカメラの前で激しくぶつかり合う。  5年がかりで本作を完成させたのは、山形出身で東京在住の佐藤隆之監督。大林宣彦監督や堤幸彦監督らのもとで助監督を務め、本作で劇場監督デビューを果たすことになった。アイヌ文化に魅了され、姉妹のドキュメンタリーを自主映画として撮ることになった経緯をこう語った。 「覚えている人は少ないと思いますが、『REX 恐竜物語』(93)という北海道を舞台にした映画があり、僕は助監督として就いていました。常田富士男さんがアイヌの老人役で出ており、所作指導としてアイヌのエカシ(長老)に来てもらったんです。そのときのエカシの存在感に僕は圧倒され、『いつかアイヌの映画を撮ってみたい』とアイヌについて調べるようになったんです。明治初期に東北や北海道を旅した英国人イザベラ・バードの『日本奥地紀行』という旅行記があるんですが、アイヌ民族のことを彼女は『彼らのように純朴で善意の人たちは見たことがない』と書き記しているんですね。僕もコタンを訪ねる度に同じように感じていました。100年前と違って今では生活様式は変わってしまっているはずなのに、それでもどこか居心地のよさ、懐かしさを感じさせるんです。姉妹のライブデビューを追ったドキュメンタリーですが、姉妹を育んだアイヌのコミュニティーそのものを撮りたかったのかもしれません」
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大ゲンカした翌日の姉妹。佐藤監督は「ここは撮らないでということはなかった。表現者としての大らかさが彼女たちにはあった」と語る。
 姉妹は日々の仕事に追われながらライブの練習に励むが、彼女たちを取材している佐藤監督も似たような状況だった。長い助監督時代を経て、テレビドラマで監督デビューすることはできたが、逆に監督になると食べていくことが難しくなる。一度は映像業界を離れてタクシードライバーに転職したが、ずっと胸の中にモヤモヤしたものが残っていた。若い頃に考えていたアイヌの映画を撮ろう。タクシー業と並行する形でアイヌの取材を再開し、そんな中で絵美と富貴子に出会った。食べていくための大切な仕事と生きていることの証である自己表現の両立。それは姉妹だけではなく、佐藤監督自身の命題でもあった。  本作のクライマックスを飾るのは、カピウ&アパッポのデビューライブだ。釧路のライブハウスに、姉妹を昔から知っている人たちが集まり、アットホームな雰囲気の中でライブが始まる。深酒して大ゲンカした姉妹だったが、本音を出し合った翌日からは仕事のちょっとした合間を縫って練習や打ち合わせを重ねてきた。大人になってから姉妹でステージに立つのは初めてゆえ、ライブスタート時は緊張感が漂う。だが、姉・絵美が歌い始め、妹・富貴子が後を追うウコウク(輪唱)スタイルのアイヌウポポが進むにつれ、2人の息が見事なほどに合ってくる。いつもはカジュアルなかっこうをしている2人だが、アイヌウポポを歌っているうちにアイヌコタンで生まれ育った姉妹としてのアイデンティティーが発露されていく様子がはっきりと分かる。  アイヌウポポはアイヌの言葉ゆえ、歌詞はまるで聞き取れない。佐藤監督が姉妹に教えてもらった訳詞がテロップで流れ(姉妹も完全には分かっていないらしい)、それによるとカムイ(神)が降りてくるから、カムイが座る場所を作ろう、といったシンプルなものだ。代々歌い継がれてきた古い歌の中に、アイヌの自然観、宗教観、生活観がしっかりと息づいている。姉妹の歌声に耳を澄ませているうちに、どこか懐かしい世界に帰ってきたかのような奇妙な感覚に陥ってくる。それはアイヌウポポやムックリなどのアイヌ楽器の演奏によってトランス状態になったのか、それとも故郷の生家を失った人間のノスタルジアがもたらした幻想風景なのか。カピウとアパッポの懐かしい歌声に、酩酊している自分がいることに気づく。 (文=長野辰次)
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『kapiwとapappo アイヌの姉妹の物語』 企画・監督・撮影・編集/佐藤隆之 音楽/メカ・エルビス(サイバーニュウニュウ) 製作/office+studio T.P.S、オリオフィルムズ  配給/オリオフィルムズ 11月19日(土)~12月2日(金)渋谷ユーロスペースにて21時よりレイトショー公開 http://www.kapiapamovie.com

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誰よりも盤上で奔放に、極太に生きた男の伝説! 松ケン主演のノンフィクション映画『聖の青春』

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大崎善生のノンフィクション小説『聖の青春』を松山ケンイチ主演で映画化。松山は18キロ増量して撮影に臨んだ。
 怪童と呼ばれ、29歳の若さで亡くなった伝説の男がいた。村山聖(さとし)がその伝説の男だ。広島で生まれた村山は幼少期は野原を駆け回る活発な子どもだったが、5歳のときに難病ネフローゼを患い、以降は入退院を繰り返す人生を歩む。まともに学校に通うことができなかった村山だが、病院のベッドで将棋の本を貪り読み、将棋の心得のある相手を見つけては勝つまで指し続けた。81マスある棋盤の世界では、村山は病身を気にすることなく自由奔放に闘うことができた。病室で過ごす時間の長い村山にとっては、将棋を指すことが外の世界と繋がる唯一の方法だった。やがて厳しいプロ棋士の競争社会に身を投じることになるが、常に死を意識しながら指す村山の将棋は、対戦相手を圧倒し、周囲の人間の心を動かすものがあった。同世代の天才・羽生善生とほぼ互角の戦績(6勝7敗)を残していることからも、村山の凄さが分かる。将棋を指すことで生の輝きを放ち、そして将棋の世界で若くして散った伝説の男に、松山ケンイチは『聖の青春』で成り切ってみせた。  原作は将棋雑誌の編集長を務め、村山を公私にわたって見守り続けた大崎善生の同名ノンフィクション小説。原作小説では村山の生い立ちからプロ棋士になる過程なども詳細に語られているが、高校球児の青春映画『ひゃくはち』(08)で鮮烈なデビューを飾った森義隆監督は思い切って村山の最期の4年間に絞った形で映画化している。阪神淡路大震災に見舞われた1995年、26歳になった村山(松山ケンイチ)は師匠・森信雄(リリー・フランキー)のもとを離れ、住み慣れた大阪のアパートから単身で上京を果たす。すべては生涯最大のライバルである羽生善生(東出昌大)を倒すため。羽生を破って名人位に就く、それが村山の生きる目標だった。『ひゃくはち』でベンチ入りを競い合う球児たちの葛藤をつぶさに描いてみせた森監督は、本作では棋盤上で羽生と村山が知力の限りを尽くして闘う様をけれんみを排して、ストイックに再現してみせる。  森監督に本作のオファーが届いたのは、『ひゃくはち』が公開された直後の8年前。『ひゃくはち』と同様な男くさい将棋の世界に森監督は魅了された。プロ棋士たちの対局は「頭脳の殴り合い」のように思えた。オファーを受けた森監督は29歳で、ちょうど村山が亡くなった年齢だった。『ひゃくはち』で念願の監督デビューを果たしたばかりだった森監督には、名人を目指して遮二無二生きた村山がその夢を叶える一歩手前で病魔に倒れたことがあまりにも痛切に感じられた。将棋会館がある千駄ヶ谷に引っ越して将棋道場に通い始めるほど、本作の映画化に情熱を注ぐ森監督だったが、将棋という地味な印象を与える題材ゆえに製作は難航。クランクインするまでに7年の歳月が流れ、その途中で宇宙飛行士になる夢に突き進む兄弟を主人公にした『宇宙兄弟』(12)を監督する。だが、7年の歳月は無駄ではなかった。外見を近づけることで演じるキャラクターの内面まで自分のものにする松山ケンイチが『聖の青春』の映画化を聞きつけて、出演を逆オファーしてきた。松山ケンイチはちょうど29歳だった。
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7冠を制した羽生善生(東出昌大)と竜王戦で激突。「東の羽生、西の村山」と呼ばれた2人の対局は大いに注目された。
 李相日監督の力作『怒り』の撮影中は体を絞っていた松山だったが、『聖の青春』のクランクインまでの2カ月間で体重を18キロ増量し、村山のぽっちゃり体型へと肉体改造した。森監督がストップを掛けるまで、松山は増量を続けた。『三月のライオン』を愛読し、棋士たちと交流があった東出昌大も出演を希望し、演じることは容易ではない羽生役を引き受けた。東出は羽生の細かいクセや表情をコピーし、羽生本人から愛用していたメガネを譲られるなど、徹底した役づくりに打ち込んだ。本人たちに成り切った松山と東出が、村山vs羽生の死闘をカメラの前で再現してみせる。  映画の中盤、竜王戦という大一番を終えた村山は羽生を誘って近くの大衆食堂に入る。酒を交わし合いながらの、お互いのこれまでの棋士人生についての感想戦だった。普段はクールな羽生が好敵手・村山に心を開くこのシーンが何とも味わい深い。棋盤を海に例える羽生は「あまりに深くまで潜ると、戻ってこれなくなりそうで怖くなる。でも、村山さんとならどこまでも潜っていけそうだ」と語る。天才にしか見えない光景がある。村山は大天才・羽生にその光景を一緒に見ようと誘われたのだ。棋士として、こんなにうれしい言葉があるだろうか。村山にとって、大衆食堂で呑んだこの日の酒は人生最高の味だったに違いない。
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対局に敗れた後の村山は体調を崩すことが多かった。師匠の森信雄(リリー・フランキー)や弟弟子の江川(染谷将太)が看病した。
 クライマックスは村山と羽生との最期の対局となったNHK杯決勝の様子を克明に再現してみせる。このシーンを撮影するにあたって、森監督は松山と東出に実際の対局で行なわれた棋符を一手一手すべて正確に暗記するように伝え、2時間30分にわたってカメラを一度も止めることなく長回しで撮り切った。実際の映像は編集されているものの、それでも2人の闘いの緊迫感がスクリーンから伝わってくる。森監督が「村山聖が降りてきたかと思った」と振り返るほど、撮影現場は異様な空気に包まれたという。  もうひとつ、印象に残るシーンがある。村山は無類の少女漫画好きで知られていたが、劇中では行きつけの古本屋で『イタズラなKiss』の最新刊を探すシーンが盛り込まれている。将棋の順位戦、そして病気とも闘い続けていた村山にとっては心のサプリメント『イタキス』と同じくらい、古本屋に勤めている女の子(新木優子)は気になる存在だった。何でもない会話を交わすだけで、学園生活を満足に送ることができなかった村山はドキドキしてしまう。これは原作にはなく、映画での創作エピソードだ。森監督は生前の村山を知る関係者を詳細に取材した上で、「孤独に死と向き合っていた村山には、誰にも見せなかった顔があったはず」という想いから、恋愛と呼ぶには淡すぎるこのエピソードを加えている。壮絶な闘いの日々を送る村山が垣間見せた純朴な一面が、とても愛おしく感じられる。“伝説の男”として語り継がれる村山聖とは異なる、ひとりの生身の男・村山聖がスクリーン上には確かにいた。 (文=長野辰次)
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『聖の青春』 原作/大崎善生 脚本/向井康介 監督/森義隆  出演/松山ケンイチ、東出昌大、染谷将太、安田顕、柄本時生、鶴見辰吾、北見敏之、筒井道隆、竹下景子、リリー・フランキー 配給:KADOKAWA 11月19日(土)より丸の内ピカデリーほか全国ロードショー (c)2016「聖の青春」製作委員会 http://satoshi-movie.jp

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芸能界の荒波を生きるのんと主人公が重なり合う、戦時下における日常アニメ『この世界の片隅に』

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能年玲奈あらため、のん主演の劇場アニメ『この世界の片隅に』。物資のない戦時下、主人公すずは自分の居場所を探し続ける。
 広島市出身の漫画家・こうの史代の『夕凪の街 桜の国』と並ぶ代表作『この世界の片隅に』が劇場アニメーションとして公開される。戦時下の広島と呉を舞台にした『この世界の片隅に』は単純に反戦映画と括ることが難しい。主人公のすずは18歳で嫁入りし、嫁ぎ先に溶け込むことに懸命で、日本が戦争を始めた理由も戦況もよく分かっていない。むしろ、嫁ぎ先の呉は軍需産業で成り立っている町で、軍縮が叫ばれていた時期は町に失業者が溢れて大変だった。すずは日々の暮らしに精一杯で、国際情勢や戦局を分析する見識も余裕もない。小さな世界で生きるすずの健気な、でも周囲の人々から見ればかなり天然な、毎日の生活が丁寧に描かれていく。戦時下の日常アニメという新鮮みのある作品に仕上がっている。  映画の冒頭、現在は広島平和記念公園となっている広島市中島町一帯が広島県産業奨励館(原爆ドーム)をはじめ見事な色彩で再現され、思わず目を奪われる。原作に魅了され、6年がかりで本作を完成させたのはベテランのアニメーション作家・片渕須直監督。前作『マイマイ新子と千年の魔法』(09)では平安時代の街並みを鮮やかに甦らせた片渕監督が、今回は原爆によって一瞬で消えてしまった広島の街並みを、そこで暮らしていた人たちの息づかいと共に再現してみせる。本作を見ている自分たちは昭和18~20年にタイムスリップし、すずと一緒に戦時中の庶民の生活を体感することになる。  広島市の海沿いの町・江波で生まれ育った主人公すず(声:のん)は感受性豊かな女の子。子どもの頃に怪物に連れ去られそうになったり、祖母の家で座敷童子のような不思議な少女に出会ったりした。無垢なすずの心の中では、リアルとファンタジーが仲良く共存している。絵を描くことは得意だが、それ以外のことはボンヤリしているすずは18歳になり、縁談話が持ち上がった。断る理由もないことから、呉で軍関係の裁判所に勤めている北條周作(声:細谷佳正)のもとに嫁ぐことに。気分はまだ子どものままのすずは、同じ広島県内とはいえ顔見知りがまったくいない呉での周作一家との同居生活にはすぐには馴染めない。久しぶりに広島の実家に里帰りして、うたた寝から目覚めると「あせった……。呉へ嫁入りする夢を見とったわ」と大ボケをかまし、両親からあきれかえられる始末だ。
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すずのことを気に入っているという周作のもとに嫁ぐ。戸惑いながらも、嫁ぎ先で新婚初夜を迎えることに。
 すずは毎日のように小事件を巻き起こすが、そんなすずの天然ぶりを夫の周作は気に入っており、嫁ぎ先の北條家でも笑いが絶えないようになっていく。食料事情は次第に悪くなるものの、すずは近所で野草を摘んでは代用食づくりに励み、ヤミ市に出掛けては縁日気分ではしゃぎ、砂糖の値段が高騰していることにヘコむ。そんなすずを中心にした慎ましい日常生活が、たまらなく愛おしく感じられてくる。だが、70年後の未来から戦時中にタイムスリップしている我々は、これからすずたちの身の上に降り掛かる恐ろしい出来事を知っている。すずのちょっとズッコケた日常生活がいつまでも続けばいいのに。そんな願いも虚しく、広島の街並みを詳細に再現したリアルさで、米軍による大空襲が描かれる。圧倒的な暴力がスクリーンを覆い、そこにはすずを育んできたファンタジー要素が顔を出す余地はまったくない。すずが懸命に築いてきた日常生活はあっけなく破壊されていく。  すず役を演じたのは、本作が声優初主演となる、のん(本名・能年玲奈)。慣れない声優の世界に飛び込んだのんと、嫁ぎ先の北條家で悪戦苦闘する主人公すずの姿が重なり合う。周作との新婚初夜や幼なじみの水兵・水原(声:小野大輔)と同じ布団に入るなどセクシャルなシーンも用意されているが、すずが周作の職場にまで帳面を届けに行く1シーンが印象深い。帳面は急ぎを要するものではなく、いつも姑や小姑と顔を付き合わせているすずに街の空気を吸わせてやろうという周作の気遣いだった。そのことを知ったすずは、しばらく間を置いてから彼女らしい感情表現を見せる。「しみじみニヤニヤしとるんじゃ!」というすずのひと言から、所属事務所を独立し、ようやく待望の作品に出会えた新生のんの喜びが伝わってくる。  戦時下の庶民の暮らしをディテールたっぷりに再現してみせた片渕監督は、アニメーション界の苦労人として知られている。日大芸術学部在籍中に宮崎駿監督が手掛けたTVシリーズ『名探偵ホームズ』(84)で脚本家デビューを飾り、「青い紅玉」「海底の財宝」などの名エピソードを生み出したが、途中から製作体制が変わってしまった。続く劇場アニメーション『NEMO/ネモ』(89)では高畑勲、近藤喜文、大塚康生ら熟練アニメーターたちのアシスタントを務めたが、完成した作品は片渕監督とは関係のないものになっていた。『魔女の宅急便』(89)は当初は監督に予定されていたが、宮崎監督が現場復帰し、演出補に回ることになった。世界名作劇場『名犬ラッシー』(96)でようやく監督デビューを果たすものの、長編アニメ『アリーテ姫』(01)はたびたび企画中止に追い込まれ、渾身作『マイマイ新子と千年の魔法』は予算がなく、まともに宣伝することができなかった。本人がいくら頑張ってもどうにもならない、ビジネス上の都合に振り回されてきた。
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すずと最初に仲良くなる周作の姪っこ・晴美。彼女が指差す先には、戦艦大和や巡洋艦青葉など多くの軍艦が海に並んでいた。
 そんな片渕監督の作品には共通して流れているテーマがある。『名犬ラッシー』で主人公が“永遠の少年性”の象徴である愛犬ラッシーのことを思い続けていたように、片渕作品の主人公たちは自分にとっていちばん大事なものを懸命に守ろうとし、また消えゆく運命にあるものを大切に思い続けるということだ。ままならない人生を生きていくには、せめて自分が本当に大切にしているものを心の中で守り抜くしかない。形は失われても、心の中で思い続けることで、大切なものは本人と一緒に生き続けることができる。  すずが大切にしていたもの、守ろうとした世界を、片渕監督はアニメーションとして甦らせ、そしてのんが声優としてその世界に命を吹き込んだ。愛すべき日常生活がスクリーンの中に息づいている。126分間にわたるタイムトラベルを終えた我々は、70年前にすずが味わった喜びと痛みを同時に体感することになる。 (文=長野辰次)
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『この世界の片隅に』 原作/こうの史代 監督・脚本/片渕須直 音楽/コトリンゴ  出演/のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、藩めぐみ、岩井七世、牛山茂、新谷真弓、澁谷天外 配給/東京テアトル 11月12日(土)よりテアトル新宿ほか全国公開 (c)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会 http://konosekai.jp

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知らぬ存ぜぬは許しません!! 90歳の認知症患者がナチス狩りに燃える復讐談『手紙は憶えている』

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もうすぐお迎えが来るので、怖いもの知らず。90歳になるゼヴ(クリストファー・プラマー)は手紙を頼りに、ナチス狩りを始める。
 法が裁かぬ極悪人に鉄槌を喰らわせてやりたい。自分の人生を狂わせた相手に同じ目を遭わせてやりたい。復讐心という感情は、人間を突き動かす大きなエネルギーとなる。サスペンスものを得意とするアトム・エゴヤン監督の新作『手紙は憶えている』(原題『Remember』)はこれまで数多く作られてきた復讐ドラマの中でも、最上級の設定が用意されている。主人公はあの世からもうすぐお迎えが来そうな90歳の老人。カナダの名優クリストファー・プラマー演じるこの主人公は第二次世界大戦時のユダヤ人強制収容所からの生還者で、70年前に家族を皆殺しにしたナチス兵への復讐を果たすことを生き甲斐としている。あの憎きナチス兵をぶっ殺すまでは、おちおち死んではいられない。認知症を患い、ゆっくりとしか動かない体を奮い立たせ、生きているか死んでいるのか分からないナチス兵を探し出す復讐の旅へと向かう。  90歳になるゼヴ(クリストファー・プラマー)は高齢者向けの施設で何不自由なく暮らしていたが、認知症が進み、眠りから覚めると傍らに妻ルースがいないことに動揺する。ルースは1週間前に亡くなっており、そのことを思い出す度にゼヴは深い喪失感に見舞われてしまう。そんなゼヴに同じ施設に入っているユダヤ人のマックス(マーティン・ランドー)から「1週間前に渡した手紙を覚えているか。今こそ手紙に書いた約束を実行してほしい」と告げられる。その手紙には自分たちはアウシュビッツ収容所からの生還者であり、家族はナチス兵によって殺されたこと、そのときのナチス兵は名前を偽って米国で暮らしていることが記されていた。ナチス兵は“ルディ・コランダー”と名乗り、4人の容疑者が米国にいるところまでマックスは突き止めていた。車椅子でしか動けないマックスが情報を集め、容疑者の現住所リストや宿泊先の手配は整えてくれていた。後はまだ体が動くゼヴが現地へ赴き、本人かどうかを確かめた上で処刑を行なうだけだった。覚束ない手つきで拳銃をかまえる90歳のナチスハンターはこうして誕生した。
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ゼヴと共にアウシュビッツ収容所から生還したマックス(マーティン・ランドー)が情報収集を担当。二人三脚でナチスへの復讐を果たす。
 荒唐無稽な復讐劇のように思えるが、物語を構成している要素はリアリティーのあるものばかりだ。終戦の混乱に乗じ、身分や名前を偽って海外に脱出したナチス関係者は、アドルフ・アイヒマンをはじめ多数に及んだ。ナチスハンターとして活躍したサイモン・ヴィーセンタールは生涯に1100人ものナチス戦犯を捕らえ、彼の名前を冠したLAの「サイモン・ヴィーセンタール・センター」ではホロコースト関係の記録を保存し、世界各地に今も潜伏しているナチス戦犯についての情報を収集している。マックスはこのセンターから“ルディ・コランダー”についての情報を得たことになっている。また、ナチスによる戦争犯罪は時効が成立せず、アウシュビッツで事務仕事をしていた実在の人物オスカー・グレーニングは2015年に94歳で起訴され、4年の刑を言い渡されている。だが、オスカーのように刑が確定するケースは稀で、高齢化したナチス戦犯の多くは告訴されても裁判中に自然死してしまう。ゼヴやマックスはそれを許さない。ルディ・コランダーが生きている間に復讐を果たそうと、ゼヴはもつれそうになる足を懸命に前へ前へと進める。  4人いる容疑者をひとりひとり訪ねて回るゼヴ。今どき個人情報はなかなか教えてもらえないが、90歳のおじいちゃんのゼヴは戦時中の古い親友を探し歩いているようにしか見えず、旅先の人たちからは親切にされ、容疑者宅に無事辿り着くことに成功する。だが、ゼヴがそこで見る光景は、ドイツから逃げるようにして米大陸に渡り、ひっそりと暮らしてきた者たちの痛々しい姿だった。ある者は「ドイツ軍にはいたが、アウシュビッツで何が起きていたのか戦時中は知らなかった」と無罪を主張し、またある者はゼヴのことを元ナチス兵だと勘違いして、ハーケンクロイツの旗を飾った部屋で手厚く歓迎しようとする。ゼヴと同様に、4人の“ルディ・コランダー”たちもまた生々しい戦争の記憶に取り憑かれたままだった。悲惨な復讐旅を続けるゼヴとドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』(87)の怪人・奥崎謙三との姿がどこか重なって映る。自分自身で落とし前をつけなくては、彼らはどんなに時間が流れても終戦を迎えることができないのだ。
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ハーケンクロイツの旗が飾られた容疑者宅。ナチス崇拝者が米国にいまだにいることを、ゼヴは目の当たりにする。
 脚本は本作でデビューを飾った新人ベンジャミン・オーガストのオリジナルストーリー。実績のない新人の脚本を読んだプロデューサーのロバート・ラントスは「この物語を現在の物語としてみせるには、今すぐ撮るしかないと思った。もし10年後に作ってもリアルじゃなくなってしまう」と速攻でアトム・エゴヤン監督に連絡し、製作に着手した。エゴヤン監督とは、ホロコーストの30年前に起きたアルメニア人大虐殺を題材にした『アララトの聖母』(02)でタッグを組んだ仲だった。終戦からすでに70年以上の歳月が経過し、戦争体験者は年々減りつつある。認知症に悩まされ、手紙を読み返さないと自分が何者であるかも容疑者の名前もすぐに忘れてしまう哀しい復讐鬼・ゼヴは、1929年生まれのクリストファー・プラマーでなくては演じられない役だろう。  復讐ものの常で、結末は非常に後味が悪い。『手紙は憶えている』は最上級の復讐ドラマゆえに、最上級の後味の悪さが待っている。この舌先にザラザラと残る苦味は、復讐ミステリーとして不完全さがあるからなのか、それとも戦争体験は敵味方の区別なく忌わしさを植え付けるものだからなのか。70年という歳月に比べればほんの一瞬に過ぎないが、映画を見終わった後、かなり長く後味の悪さが尾を引くことになる。 (文=長野辰次)
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『手紙は憶えている』 脚本/ベンジャミン・オーガスト 監督/アトム・エゴヤン  出演/クリストファー・プラマー、マーティン・ランドー、ブルーノ・ガンツ、ユルゲン・プロホノフ、ハインツ・リーフェン、ディーン・ノリス、ヘンリー・ツェニー   配給/アスミック・エース PG12 10月28日(金)よりTOHOシネマズハンテほか全国ロードショー (c)2014,Remember Productions Inc. http://remember.asmik-ace.co.jp

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地上最強の幻覚剤を求めてジャングルクルーズ! カルト映画になること必至の難作『彷徨える河』

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アマゾンの密林で暮らす先住民カラマカテを先頭に、男たちは地上最強の幻覚剤ヤクルナを求めて旅に向かう。
 口当たりのよいスナック菓子的な映画ばかりに接していると、簡単には咀嚼できない作品かもしれない。異なる時代に実在した2人の探検家の旅行記をベースに、コロンビアの新鋭シーロ・ゲーラ監督が撮った『彷徨える河』は非常にカルト色の強い作品だ。例えるなら、日本屈指のカルト漫画家・諸星大二郎の『マッドメン』の世界観を、フランシス・F・コッポラ監督の『地獄の黙示録』(79)的なドラマツルギーで描いたらこうなったと言うべきか。ジャングルという緑色の闇に魅了された男たちはカヌーに乗って、長い長い河を遡行していく。その旅の途中で、彼らは異なる文明の衝突、歪んだ形で広まる宗教、そして強力な幻覚作用をもたらす伝説の薬草と遭遇することになる。映画館にいながら異界の闇に触れたような、心のざわめきが止まらない。  舞台はアマゾン河が流れる南米の密林地帯。どこまでも広がるジャングルの奥地に、若き呪術師・カラマカテ(ニルビオ・トーレス)が孤独に暮らしている。そこへ重い病気を患ったドイツ人の民俗学者(ヤン・ベイヴート)が現われ、助けを求める。白人を忌み嫌うカラマカテは治療を一度は拒否するが、民俗学者が口にした幻の薬草ヤクルナに興味を示す。このヤクルナが手に入れば、南米ではポピュラーなアヤスカワやコカの葉よりも強力な幻覚剤を調合することができ、どんな病にも効くとされていた。地上最強の幻覚剤を求めて、男たちはカヌーでの旅へと向かう。序盤のストーリーは極めてシンプルである。  ところが、ジャングルは不思議な空間だ。緑色の闇の中に迷い込むと、方向感覚だけでなく、時間の概念さえも溶解していく。若いカラマカテがドイツ人民俗学者と共にヤクルナを探す旅に出た直後、年老いたカラマカテ(アントニオ・ボリバル・サルバドール)が現われる。ドイツ人民俗学者との旅からすでに数十年が経過したらしく、孤独に生きてきたカラマカテは記憶も感情も失った空っぽの存在“チュジャチャキ”となっていた。そこへ今度はアメリカから植物学者(ブリオン・デイビス)が訪ね、やはりヤクルナを探しているという。かつてヤクルナを探す旅に出たはずのカラマカテだったが、ヤクルナがどんなものだったのか思い出せない。再び白人とカヌー旅に出れば、空っぽになった記憶が戻るかもしれない。若き日のカラマカテ、年老いたカラマカテという時代の異なる2つの冒険が同時に進んでいく。このパラレルな関係にある2つの旅が、やがてお互いに影響を与え合うことになる。
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呪術師であるカラマカテは幻覚剤を病人の鼻孔に吹き込むことで、だいたいの病気は治してしまう。
 呪術師であるカラマカテは、ジャングルにおけるタブーに厳しい。また、様々な薬草を調合して幻覚剤を作り出し、寝たきり状態の病人を元気にすることができる。幻覚剤の力で弱っている病人の魂を活性化させ、病魔を追い払うというのがジャングルでの伝統的な医療法だ。自然を崇拝し、伝統を重んじる一方、白人のことをひどく憎んでいるカラマカテ。白人がジャングルに眠る豊かな資源を求めて押し寄せてきたために、先住民にとって未知なる病原菌がバラまかれ、多くの集落が死滅してしまった。白人を追い返そうとした一族は次々と虐殺された。イーライ・ロス監督のモンド映画『グリーン・インフェルノ』(13)では先住民が恐ろしい食人族として描かれたが、先住民からしてみれば、文明人のほうが災いを招く悪魔であり、侵略者なのだ。  カラマカテの話す言葉は先住民独特のもので、宗教観や自然観がまるで異なるため、その意味を理解することは容易ではない。中でもカラマカテが度々口にする“チュジャチャキ”という言葉が印象深い。民俗学者がカラマカテを撮った写真を見せると「これは俺のチュジャシャキか?」と尋ねる。どうやら外見は自分そっくりだが、中身が空っぽな存在のことをチュジャチャキと呼ぶらしい。カラマカテによれば、誰にでも自分そっくりなチュジャチャキがいて、この世界をさまよっているとのこと。そういうカラマカテも、数十年後には先祖の教えや自分の生い立ちをすっかり忘れたチュジャチャキ状態となってしまう。聖なる薬草ヤクルナを求めてジャングルへやって来た民俗学者たちも、西洋社会に馴染めず、魂が抜け出しかかっている半分チュジャチャキみたいなものだろう。ヤクルナが手に入れば、チュジャチャキではない完全なる人間となることができるのだろうか。この映画を観ている我々もチュジャチャキではないのかという不安を感じながら、彼らと共にさらなるジャングルの奥地へと旅を続けることになる。
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カラマカテの2度目の旅。米国から来た植物学者の見た夢を手掛かりに、再度ヤクルナを探す旅に出る。
 コッポラ監督は『地獄の黙示録』でアジアのジャングルへ、ドイツのヴェルナー・ヘルツォーク監督は『アギーレ 神の怒り』(72)と『フィツカラルド』(82)で南米のジャングルへ、そして宮崎駿監督は『もののけ姫』(97)で縄文時代から続く原生林へ、それぞれ主人公の姿を借りて哲学的思索の旅に向かった。巨匠監督たちは結局のところ、大自然と文明との融和を果たすことなく旅を終えることとなった。1981年生まれのコロンビア人であるシーロ・ゲーラ監督の『彷徨える河』が、名作とされる巨匠監督たちのそれらの作品と異なる点は、カラマカテたちは幻覚剤の力を使って大自然との同化を試みているということだろう。人間も動物であり、本来は大自然の一部であったはず。だが、社会を築くことで、人間は自然との繋がりを意識的に遮断している。『彷徨える河』の主人公たちは伝説の幻覚剤ヤクルナがもたらす神秘的な力によって、人間がまだ文明を持たずに森の中で暮らしていた頃の原始の記憶を呼び戻し、大自然との一体化を図る。  本作のクライマックス、カラマカテたちと一緒に密林を旅していたはずの我々の意識は、SF映画の金字塔『2001年宇宙の旅』(68)、もしくは『アルタードステーツ 未知への挑戦』(79)のようなインナーワールドへトリップすることになる。カルト映画好きな人は、ぜひとも映画館の闇の中でこの奇妙な体験を味わってほしい。 (文=長野辰次)
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『彷徨える河』 監督/シーロ・ゲーラ 脚本/シーロ・ゲーラ、クリスティーナ・ガジェゴ 撮影監督/ダヴィ・ガジェゴ  出演/ヤン・ベイヴート、ブリオン・デイビス、アントニオ・ボリバル・サルバドール、ニルビオ・トーレス、ヤウエンク・ミゲ  配給/トレノバ、ディレクターズ・ユニブ 10月29日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー (c)Ciudad Lunar Producciones http://samayoerukawa.com

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“カメラは人間の魂を吸い取る”は迷信じゃない!? 黒沢清監督の恋愛幻想譚『ダゲレオタイプの女』

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黒沢清監督が撮ったフランス映画『ダゲレオタイプの女』。170年前にフランスで発明された銀板写真による撮影が現代に蘇る。
 日本以上に海外で評価されている黒沢清監督の作品の中でも、終末世界を描いた『回路』(00)はひときわ人気が高いホラー作品だ。ある解体業者がたまたま赤いテープで目張りした“開かずの間”をつくったところ、その空間があの世とこの世とを結ぶ回路となって、幽霊たちが人間社会に溢れ出してくるという不気味な物語だった。オールフランスロケで撮られた新作『ダゲレオタイプの女』もまた、あるシンプルな回路が恐怖の扉を開くことになる。ダゲレオタイプという忘れ去られた初期形態のカメラによって、この世とあの世との像が結ばれ、カメラの前に立った被写体の魂は削り取られ、銀板に焼き付いた虚像に永遠の命が宿ることになる。“カメラは人の魂を吸い取る”という古い都市伝説を、黒沢監督は哀しい恋愛ミステリーへと仕立てている。  ダゲレオタイプとは、フランス人のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが1839年に発案した世界初の実用的カメラのこと。ダゲールは元はだまし絵を得意とする画家で、ジオラマ館などを経営する興行師でもあった。そんなダゲールが手描きのだまし絵以上に世界中の人々を驚かせたのが、現実と瓜二つの虚像を銀板に焼き付けるダゲレオタイプだった。19世紀の各地の風景が銀板に残され、死の直前に撮った幻想作家エドガー・アラン・ポーの肖像画はダゲレオタイプを代表する一枚として知られている。銀板に収められたポーは死神に取り憑かれたかのような不機嫌そうな表情を今も浮かべている。ダゲレオタイプは撮影時間が10~20分を要したため、ポーならずとも肖像画の中の人物たちはしかめっ面をしていることが多い。たちまち大ブームとなったダゲレオタイプだったが、19世紀後半には数秒で済む新しい撮影技術が考案されたため、ダゲールが考案しただまし絵はあっけなく廃れていくことになる。  現代人が忘れてしまった一種の呪術であるダゲレオタイプに、本作に登場する写真家ステファン(オリヴィア・グルメ)はこだわり続けていた。古い屋敷で暮らすステファンは、人間の背丈よりも大きなダゲレオタイプのカメラでかつては妻を、妻が亡くなってからは娘マリー(コンスタンス・ルソー)を撮り続けていた。職のない青年ジャン(タハール・ラヒム)はその撮影アシスタントとしてステファンの屋敷に通い始める。ステファンはマリーに対し、カメラの前で1時間静止しているように命じる。ジャンはマリーの体が動かないよう、拘束具をあてがい、ネジで固定していく。その瞬間、「あぁ」と小さなうめき声を漏らすマリー。ダゲレオタイプでの撮影は、まるでSMの拘束&放置プレイのようだ。だが、マリーが苦痛に耐えた分だけ、銀板に焼き映されたマリーの美しさは息を呑むほどだった。
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被写体を固定するための拘束具。理想の女性を自分ひとりのものとして独占したいという倒錯愛がほとばしる。
 ダゲレオタイプは1回の撮影につき1枚の銀板しか残せず、また銀板に焼き付ける際には水銀を使うため危険を伴う。長年にわたってダゲレオタイプに関わっていると水銀中毒になる恐れがあった。しかもステファンは妻や娘のマリーを長時間撮影するために、微量の筋肉弛緩剤を呑ませていた。極微量の毒を妻や娘に毎日盛ることで、ダゲレオタイプでの撮影に耐えうる体へと改造していたのだ。ステファンのダゲレオタイプへの傾倒は常規を逸していた。そのことに耐えきれなくなってステファンの妻は自殺を遂げたことを、ジャンは知る。屋敷内には時折、ステファンの妻と思われる亡霊が姿を見せるが、本物の幽霊なのか薬物中毒による幻覚なのかは定かではない。「永遠の命を与えたのに、何が不満なんだ!」と妻の遺影に向かって怒り叫ぶステファン。こんな屋敷に長居していては、おかしくなってしまう。いつしかマリーと恋仲になっていたジャンは、屋敷から共に抜け出すことを考えるようになる。 “ダゲレオタイプの女”とはステファンの妻や娘のマリーだけを指した言葉ではない。カメラの前でポーズを決めるモデルや映画監督の想いを汲んで役になりきる女優たち全般を指したものだろう。モデルや女優たちは写真や映画の世界で永遠の生命を与えられる代わりに、カメラマンや監督に自分の愛情の一部を、魂を部分的に削って捧げてみせる。削られ、捧げられた愛情を現像液や感光材料を使って固定化してみせたものが名画・名作と呼ばれるものの正体である。そこには長い時間を要した分だけ、深い念が込められている。ステファンは、そして黒沢監督はデジタル撮影が主流化した現代にダゲレオタイプという名の呪術を甦らせることで、自分の理想の女性像を永遠にこの世に残そうとする。
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序盤は少女のような雰囲気だったマリー(コンスタンス・ルソー)だが、大人の愛を知り、妖艶さを漂わせるようになっていく。
 物語の後半、マリーは尋常ではない長時間の撮影を終え、心身ともに疲弊しきってしまう。父親が操るダゲレオタイプに若さを吸い取られたマリーは、生きているのか死んでいるのかもはや区別がつかない。そんな陽炎のような存在となったマリーをジャンは連れ出し、小さなアパートでの同棲を始めた。家族の束縛から脱した恋人たちの束の間の新婚生活だった。ジャンは愛するマリーが生者なのか死者なのか分からず、気が気ではない。ただ、ジャンが抱きしめているマリーは、以前よりもずっと美しくなっていることは確かだった。人間がもっとも憧れ、どんなに札束を用意しても手に入らない恋愛感情とは、何ともあやふやで足元がおぼつかないことか。  永遠の愛は死を呼び寄せ、一瞬の生が美しい夢のように奏でられる。黒沢監督が異国で念写した幻想譚はとても甘く、そしてせつない。19世紀に活躍したエドガー・アラン・ポーやサニエル・ホーソーンの幻想文学を彷彿させる妖しさが、観る者の心を奪う。“カメラは人の魂を吸い取る”という古い都市伝説を、本作を観た後では単なる迷信だとは思えなくなる。 (文=長野辰次)
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『ダゲレオタイプの女』 監督・脚本/黒沢清 撮影/アレクス・カヴィルシーヌ 音楽/グレゴワール・エッツェル  出演/タハール・ラヒム、コンスタンス・ルソー、オリヴィエ・グルメ、マチュー・アマルリック  配給/ビターズ・エンド PG12 10月15日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国ロードショー (c) FILM-IN-EVOLUTION - LES PRODUCTIONS BALTHAZAR - FRAKAS PRODUCTIONS - LFDLPA Japan Film Partners - ARTE France Cinema http://www.bitters.co.jp/dagereo

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幸福そうな一家を崩壊に追い込む八坂の正体は? 家族への幻想を砕く浅野忠信主演作『淵に立つ』

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深田晃士監督のオリジナル作品『淵に立つ』。家族はお互いに支え合うもの、という幻想を粉々に打ち砕くシリアスドラマだ。
 カンヌ映画祭「ある視点」部門 審査員賞を受賞した浅野忠信主演作『淵に立つ』を観て、古いSF映画を思い出した。子どもの頃にテレビ放映され、とても印象に残っていた作品だ。そのSF映画のタイトルは『禁断の惑星』(56)といい、今なおカルト的な人気が高い。『禁断の惑星』には人気キャラクターであるロボットのロビーの他に、“イドの怪物”という姿の見えないモンスターも登場する。太陽系外の惑星アルテアにやってきた宇宙船アンドロメダ号は、このイドの怪物によって次々と犠牲者を出すことになる。スクリーン上で不気味な存在感を放つ浅野忠信を見て、子どもの頃に脳裏に刻まれたイドの怪物の恐怖が甦った。  断っておくが、深田晃士監督のオリジナル脚本作『淵に立つ』はSF映画ではない。ごくフツーの家族がひとりの闖入者を迎え入れたことで、暗渠のように普段は隠されている家族間の闇を否応なく覗き込んでしまう物語だ。舞台は郊外にある小さな金属加工工場。この工場を営む鈴岡家は、家業を継いだ口数の少ない利雄(古舘寛治)、その妻で敬虔なクリスチャンである章江(筒井真理子)、10歳になる娘の螢(篠川桃音)の3人。そこへ、ひとりの中年男性・八坂(浅野忠信)がふらりと現われる。八坂の過去を知る利雄は、章江たちに相談することなく住み込みで八坂に働いてもらうことを決める。常にアルカイックスマイルを浮かべる八坂には、周囲の人間を不安にさせる得体の知れなさがあった。  突然現われた居候との共同生活に、最初は章江も螢も戸惑いを覚える。だが、八坂はひどく礼儀正しく、几帳面な性格だった。螢のピアノの練習にも喜んで協力するため、螢が真っ先に八坂に懐く。やがて、八坂の過去が分かってくる。八坂は若い頃につまらない理由で殺人を犯しており、長い刑務所暮らしを経験していた。クリスチャンである章江は同情し、一緒に教会に通うようになった八坂に心を許し始める。休日のピクニック、鈴岡家と八坂は川のほとりで一枚の記念写真に収まる。それは血縁や地縁にかかわらない、新しい理想の家族像として微笑ましく映った。  物語の後半、八坂はぷっつりと姿を消してしまう。八坂を温かく迎え入れていた鈴岡家に、修復が不可能なほどの大きな痛手を残して。痩身だった章江はすっかりメタボ体型となり、ちょっと物に触れただけで過剰に手を洗う強迫性障害となっていた。逆に利雄は口数が多くなり、ムリに明るく努めている。そして、ピアノの演奏会を控えていた螢は、八坂がいなくなった日からほとんど部屋から出てこなくなってしまった。不在のはずの八坂が、ずっと鈴岡家を苦しめ続けている。利雄は「俺たちはようやく家族になったんだ」とこの状況を懸命に受け入れようとする。一見すると平穏そうだった鈴岡家をズタズタにしてしまった八坂とは、一体何者だったのか?
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鈴岡家に住み込むで雇われた八坂(浅野忠信)。いつも白いシャツを着た八坂は、ご飯を食べるのが尋常ではなく速かった。
 八坂を見て思い出したイドの怪物だが、どんな武器も歯が立たない不死身の怪物の正体は人間が持つ潜在意識だった。禁断の惑星アルテアにはかつて人類よりも遥かに進んだ先住民族が栄えていたが、文明が洗練されすぎた結果、押し隠していた潜在意識がコントロールできないほどの巨大なモンスターとなり、文明を滅ぼしてしまった。そのイドの怪物が今度はアンドロメダ号の船員たちに襲い掛かる。八坂もまた鈴岡家の潜在意識を読み取ってしまう。ひとりで長い刑期を終えた八坂に対して、利雄は深い罪の意識を抱いている。妻の章江は八坂のことを受け入れるのと同時に、男性的な興味も感じるようになっていた。八坂は鈴岡家の人々が心の中で密かに思っていることを、善悪の区別なしにそのまま具現化してしまう。八坂とイドの怪物はとてもよく似ている。  八坂が姿を消して8年の歳月が流れ、ひとりの若者・山上孝司(太賀)が利雄の工場で働き始める。山上は屈託のない好青年で、彼が新しく鈴岡家に加わったことで、一家は調和を取り戻すのではないかと観客は期待を寄せる。純朴そうなこの若者が、家族再生のためのキーパーソンになるに違いないと。ところが山上の身の上を知ったことで、鈴岡家はより過酷な運命を辿ることになる。家族や血の繋がりといったものに対する甘い幻想を、深田監督は八坂と共に容赦なく剥ぎ取っていく。  1980年生まれの深田監督のシビアな家族観がとても興味深い。劇場用パンフレットに掲載されたオフィシャルインタビューで、このように語っている。
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八坂が消えた鈴岡家で働くことになった山上(太賀)。八坂と同じように、彼もまた鈴岡家の人々とドライブへ出掛けるが……。
深田「家族制度に対する不信感は子どもの頃からあります。映画やテレビを観ていても、理想の家族像を描くことで、ある種の感動を呼ぶ作品に違和感を抱くことが多かった。いわゆる家族ドラマとは違うジャンルの作品、例えばハリウッドのアクション映画などでも、バラバラだった夫婦や家族が困難を克服することで絆を取り戻す話は多い。ある理想の家族像をフィクションが拡散することは、それ自体が多様な家族像への抑圧ではないかと思っていたし、作り手の多くがそれに無自覚であることには怒りさえ感じていた」  深田監督の言葉に従えば、映画やドラマ製作者たちの無自覚な意識が予定調和的な多くの虚像を繰り返し生み出し、人々を苦しめ続けているということになる。まさにイドの怪物ではないか。気になる『淵に立つ』というタイトルだが、これは深田監督が演出部として所属している劇団「青年団」を主宰する平田オリザの「人間を描くということは、崖の淵に立って暗闇を覗き込むような行為」という言葉から思いついたものだそうだ。意を決して崖の淵から闇を覗き込むと、冷たい目をした八坂が黙ってこちらを見つめ返してくる。八坂はやはりイドの怪物なのだろうか、それとも温かい家族という幻想をきれいに食べ尽くしてくれる獏のような存在なのだろうか。くれぐれも気をつけて、淵の下を覗いてみてほしい。 (文=長野辰次)
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『淵に立つ』 監督・脚本・編集/深田晃士 出演/浅野忠信、筒井真理子、古舘寛治、太賀、三浦貴大、篠川桃音、真広佳奈  配給/エレファントハウス、カルチャヴィル  10月8日(土)より有楽町スバル座ほか全国ロードショー (c)2016「淵に立つ」製作委員会/COMME DES CINEMAS  http://fuchi-movie.com

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咲き乱れる若手女優たちのおっぱいとキスの嵐!“毛皮族”江本純子の異色青春記『過激派オペラ』

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R18級の過激なエロシーンが続く『過激派オペラ』。男女の性交ではなく、女同士の愛の交歓なのでレイティングはR15で済んでいる。
 乱交パーティーに集まった男女の痴態と本音を描いた三浦大輔監督の『愛の渦』(14)は映画館に異様な興奮をもたらしたが、『過激派オペラ』も演劇界の鬼才がタブーに縛られることなく、人間が抱える自己顕示欲と性欲とを赤裸々に描いたエロくて熱い作品だ。『愛の渦』が人気演劇ユニット「ポツドール」の代表的舞台の映画化だったのに対し、『過激派オペラ』を監督したのは劇団「毛皮族」を主宰する江本純子。彼女の半自伝的な青春小説『股間』(リトルモア)を原作とし、女性だけの劇団の愛欲にまみれたドラマがスクリーンに映し出される。  本作の主人公は演出家兼舞台女優の重信ナオコ(早織)。女性だけの新しい劇団「毛布教」を立ち上げ、その旗揚げ公演『過激派オペラ』を上演するにあたって、新メンバーを募集する。ところが、ナオコはとんでもない女たらしで、ちょっとかわいい娘を見つけるとすぐ手を出してしまう。演技指導という名のもとに、劇団の女の子たちに執拗にキスをしまくり、胸をもみまくるパワハラ野郎だ。そんな劇団へ飛んで火にいる夏の虫とばかりにオーディションを受けに現われたのが、主演女優志願の岡高 春(中村有沙)だった。ひと目で岡高のことを気に入ったナオコは即採用。速攻で脚本を書き上げるや、「今日うちに来ない?」とレズっけのない岡高を口説きにかかる。  90分の上演時間中、『過激派オペラ』はエロシーンのオンパレードだ。冒頭から裸女たちの絡み合いから始まる。ナオコは劇団の稽古場となる倉庫を使わせてもらうために、倉庫の持ち主である女性・吹雪(範田紗々)と手合わせする。一糸まとわぬ姿で、何もない倉庫の中で女たちは相手の体を貪り尽くす。プレイは次第に激しくなり、お互いの秘部を愛撫する69の体勢からプロレス技のローリングクレイドルのように倉庫中をゴロゴロと転がっていく。これは男女ペアでは絶対にできない秘技である。男がこの技に挑むと、男性器を噛みちぎられる可能性が極めて高い。演出家・ナオコの性欲ボルテージの高さに比例するように、女による女だけの劇団は猛然と走り出していく。
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演出家のナオコ(早織)は新しく入った女優の岡高(中村有沙)にひと目惚れ。岡高のおばあちゃんの家まで付いていく。
 連日の熱い稽古が続く毛布教だったが、久々のオフ日。気分転換に田舎へ里帰りすることにした岡高にナオコも付いていく。海辺で暮らすおばあちゃんの家にスイカを買ってお邪魔する岡高とナオコ。入団してからこれまで主演女優と演出家という関係性を頑なに守ってきた岡高だったが、「セックスしたら、もっと芝居は面白くなる」とナオコに囁かれ、ついつい「一回だけですよ」と体を許すことに。海が見渡せる一軒家の和室で、昼間から激しく愛し合うナオコと岡高。男女のセックスは男が射精することがピリオドとなるが、女同士のセックスラリーにはピリオドがなく、お互いに満足がいくまで延々と続く。この一泊旅行がきっかけとなり、2人は相思相愛の関係に。ナオコの思惑どおりに、毛布教は絶好調の状態で公演初日を迎える。  このレズハラ演出家・ナオコを演じているのは早織。『ケータイ刑事 銭形雷』(TBS系)や『帰ってきた時効警察』(テレビ朝日系)に出演していた小出早織時代から演技ができるアイドル女優と評されていたが、2010年に早織に改名してからは本格的な女優として演技の幅を貪欲に広げようと努めてきた。安藤サクラがボクサー役に挑んだ『百円の恋』(14)の主演オーディションを早織も受けていたが、一歩及ばずに妹役に回ったという経緯もあった。改名後、ようやく手にした主演映画が本作となる。井口昇監督の快作『まだらの少女』(05)や『ゾンビアス』(12)に主演した中村有沙を相手に、すっぽんぽんになっての体当たり演技に挑んだ。早織演じるナオコは、劇団員や客演女優、さらにはファンにまで節操なく手を出す最低最悪なアンモラル人間なのだが、彼女が演出する舞台は観客を惹き付けて止まない。観客はモラルを乞いたくて舞台や映画を観にくるわけではない。退屈な倫理観に縛られない美しく自由な肉体とむきだしの本音が奏でるカタルシスを求めて人々は集まる。江本監督の分身であるナオコは、みんなが求めているものを率直に提供しようとしているだけだ。ナオコも岡高もどちらも身勝手な自己チュー女だが、自分に正直すぎる憎めないキャラクターとなっている。
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「君のために面白い芝居を書き続ける」というナオコの甘い言葉に釣られ、岡高は体を許すことに。すべては舞台のためだった。
 才能に対するリスペクトと恋愛感情が公私混同しまくった小劇場の1シーンを切り取ってみせた本作。毛布教はナオコを教祖にしたカルト教団のようにも思えるし、岡高の元彼はそれこそ「気持ち悪いレズ劇団」と吐き捨てる。でも、ナオコも岡高も他の劇団員たちも、みんな「これまでにない面白い芝居をやりたい」「演劇界に革命を起こしたい」という想いで一致団結している。それこそ、若松孝二監督が『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08)で描いた全共闘運動に身を投じた若者たちのように怖いくらいに純粋である。部外者からバカにされればされるほど、劇団員の結束は固くなる。放水を浴びて、彼女たちはキラキラと輝きを発する。  生まれたての劇団が恋愛感情と創作意欲とをシンクロさせることで熱狂の渦の中で初公演を成功させ、やがて恋愛温度の低下と共に劇団はあっけなく崩壊していく。舞台も映画も恋愛感情をエネルギー源にした一種の疑似生物であることが、本作を観ることでよく分かる。ナオコ、岡高、そして劇団員たちが惜しみなく青春を捧げた舞台『過激派オペラ』が無性に愛おしく思える。 (文=長野辰次)
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『過激派オペラ』 原作/江本純子『股間』 脚本/吉川菜美、江本純子 監督/江本純子  出演/早織、中村有沙、桜井ユキ、森田涼花、佐久間麻由、後藤ユウミ、石橋穂乃香、今中菜津美、趣里、増田有華、遠藤留奈、範田紗々、宮下今日子、梨木智香、岩瀬亮、平野鈴、大駱駝艦、安藤玉恵、高田聖子  配給/日本出版販売 R15+ 10月1日(土)よりテアトル新宿、29日(土)より大坂・第七藝術劇場、11月12日(土)より名古屋シネマテークほか全国順次公開 (c)2016キングレコード http://www.kagekihaopera.com

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