フェイクドキュメンタリーの金字塔が初DVD化! 一線を越えた“映画愛”の結末『ありふれた事件』

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HDリマスター版として初DVD化された『ありふれた事件』。殺人鬼ベン(ブノワ・ポールヴールド)の凶行がドキュメンタリータッチで描かれる。
 ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(50)、ティム・バートン監督の『エド・ウッド』(94)、デヴィッド・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』(01)、今敏監督の『千年女優』(02)、アミール・ナデリ監督の『Cut』(12)など、“映画”そのものをテーマにした映画は少なくない。映画監督たちの映画への溢れんばかりの情熱が観る者を魅了するわけだが、そこには映画人ならではの“狂気”も同時に描かれている。日本では1994年に劇場公開されたベルギー映画『ありふれた事件』(92)にも、そんな映画人たちの一線を越えてしまった野心と狂気がモノクロ映像の中にくっきりと映し出される。劇場公開から20年の歳月を経て、映画マニアたちに愛され続けてきたカルト映画『ありふれた事件』が初DVD化されることになった。  フェイクドキュメンタリーとして作られた『ありふれた事件』の表向きの主人公は“連続殺人鬼ベン”ことブノワ・バタール(ブノワ・ボールヴールド)だが、本当の意味での主人公はベンを密着取材している監督のレミー(レミー・ベルヴォー)、カメラマンのアンドレ(アンドレ・ボンゼル)ら撮影クルーたちだと言っていい。レミーらは斬新な自主映画を作りたくて堪らない。連続殺人鬼の日常を追ったドキュメンタリー映画を撮り上げることで、寝ぼけた映画界に殴り込みを掛けてやろうと企んでいる。園子温監督の『地獄でなぜ悪い』(13)のファックボンバーズように、まだ誰も撮ったことのない衝撃作を撮りたくて悶え苦しんでいるビンボーな若者たちの物語だ。「このドキュメンタリー映画が公開されれば、映画界の歴史を塗り替えることができる」という熱い想いを抱き、ベンが殺人を次々と犯していく様子をカメラで追っていく。  レミーたちが被写体として追うベンは、ホラー映画にありがちな快楽殺人鬼ではない。食べていくための生業として、強盗殺人を重ねている。いちばんのターゲットは郵便局員だ。月はじめの郵便局員のカバンには、街中の高齢者たちに届ける年金が入った現金書留がたんまりとある。しかも、年金生活している高齢者たちの住所まで手に入って一挙両得だ、とベンはにんまり笑顔を見せる。ひとり暮らしの高齢者が暮らすマンションを訪ねたベンは、同行取材する撮影クルーをうまくダシに使う。「どうも! お年寄りの方たちに“孤独”に関する意識調査を行なっています。ちょっとインタビューいいですか?」と言葉巧みに部屋に上がり込み、高齢者たちの余命とタンス預金をいただいてしまう。
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ベンの狂った日常生活を追う撮影クルー。ベンのカリスマ性に感化され、被写体と取材者との境界線が次第にあいまいになっていく。
 恐ろしく悪知恵が働き、残忍な手口で殺人及び死体遺棄を繰り返すベンだが、普段は陽気で、自作の詩を朗読するなど独自の美学の持ち主でもある。そんなベンとレミーたち撮影クルーが懇意になっていくきっかけは“お金”の問題だ。レミーたちはいつも金欠で、フィルムを買うのも苦労している。見かねたベンは「フィルム代は気にするな。俺が出す」と気前よく申し出る。もちろん、そのお金は罪なき犠牲者たちから頂戴したもの。ある晩、ベンが強盗に押し入った家から、両親の惨殺現場を目撃した少年が逃げ出した。ベンは「早く捕まえろ」と叫ぶ。カメラの前に戻ってきたレミーの腕の中には、逃げ出した少年がいた。今や撮影クルーは取材者ではなく、ベンの凶悪犯罪を手助けする共犯者だった。ドキュメンタリータッチで描かれた『ありふれた事件』は、本作を観ている自分もその現場に居合わせたような後ろめたい気分にさせしてしまう。  映画の撮影現場にはコンプライアンスは存在しない。監督とスタッフとキャストとの信頼関係があるかないかだけだ。『ありふれた事件』の撮影クルーは「まだ誰も観たことのない面白い映像を撮る」ことのみに体を張り、そして被写体であるベンは彼らに自分のすべてをさらけ出すことで応えようとする。殺人鬼ベンとすっかり昵懇の仲になった撮影クルーとの関係性を象徴するシュールなギャグシーンがある。ベンがアジトにしている廃墟で、ベンと敵対する殺し屋と遭遇し、壮絶な銃撃戦となる。流れ弾に当たった録音技師は絶命。ベンは辛うじて殺し屋を返り討ちにするが、その殺し屋の後ろにはテレビ局の撮影クルーが気まずそうに立ちすくんでいた。テレビ局の撮影クルーも、殺し屋を主人公にしたスクープドキュメントを狙っていたのだ。レミーたちが旧式のフィルム用機材なのに対し、テレビ局のクルーは最新のビデオ機材である。ベンに命じられるまでもなく、レミーは商売仇であるテレビ局の撮影クルーを射殺してしまう。取材者と被写体という関係性の境界線はもはや存在しなかった。  「この映画が完成すれば、映画の歴史が変わる」という『ありふれた事件』の撮影クルーたちの尋常ならざる想いは、現実のものとなった。これぞ、フェイク(噓)から生まれたリアル(真実)。『ありふれた事件』は各国の映画祭で賞讃され、世界中の映画マニアたちにその熱気は伝播していった。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(99)やその亜流である『パラノーマル・アクティビティ』(07)といった大ヒット作も、『ありふれた事件』が存在しなければ、生まれなかっただろう。怪獣パニック映画『クローバーフィールド/HAKAISHA』(08)も、青春サイキックドラマ『クロニクル』(12)も、ジョージ・A・ロメロ監督の復活作『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(07)もなかったかもしれない。フェイクドキュメンタリーと呼ばれるこれらの作品は、低予算で済むというメリットだけでなく、手持ちカメラによる臨場感たっぷりな主観映像が魅力だ。映画を撮っている側と観客との敷居が非常に低く、観客に「どこまでがフィクションで、どこまでがリアルなのか」と現実と虚構のボーダーラインをさまよわせる面白さが妙味となっている。  日本で『ありふれた事件』に衝撃を受けたのが、『あんにょん由美香』(09)や『フラッシュバックメモリーズ3D』(12)など型破りなドキュメンタリー映画を次々と発表している松江哲明監督。16歳のときに『ありふれた事件』を劇場で観て、「これなら自分にも映画が撮れる」という想いに駆られたと話す。また、『ありふれた事件』の世界に笑いの要素を加え、独自の作風に進化させているのが白石晃士監督だ。低予算を逆手にした撮影スタイルに触発され、『オカルト』(09)や『超・悪人』(11)などの爆笑フェイクドキュメンタリーを放っている。5月3日(土)より劇場公開される『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 史上最恐の劇場版』も現実と虚構の境界線上に現われた空中楼閣を探検するような面白さに溢れている。予算の代わりに映画的アイデアとありったけの情熱を注ぐことで成立するのが、フェイクドキュメンタリーだと言えるかもしれない。
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残酷な手口で殺人を重ねていくベン。バイオレンスシーンがあまりに迫真すぎ、「本物のスナッフフィルムでは?」と劇場公開時に騒ぎとなった。
 最後に「ゆうばり国際・冒険ファンタスティック映画祭’94」に参加するために来日した『ありふれた事件』の3人の共同監督ブノワ・ポールヴールド、レミー・ベルヴォー、アンドレ・ボンゼルにまつわるエピソードを。このとき3人と一緒に夕張まで同行したのは叶井俊太郎だった。後にホラー映画と間違って買い付けた『アメリ』(01)を大ヒットさせるなど映画業界の名物宣伝マンとなっていく叶井俊太郎だが、『ありふれた事件』はまだ業界に入って間もないド新人時代の作品だった。ドラッグを欲しがるブノワに「ジャパニーズドラッグだ」と日本の風邪薬を渡したところ、ブノワは一気呑みし、真っ青になってぶっ倒れてしまった。このとき同じホテルに宿泊していたのが、「ゆうばり映画祭」に審査員として呼ばれていた伝説の俳優デニス・ホッパー。叶井俊太郎から事故が起きたことを知らされたホッパーは、ブノワの胃にあった薬を吐かせるなどの救命措置を行ない、大事に至らずに済んだという。危うくあちらの世界に渡ってしまうところだったブノワを、かつてドラッグ中毒で苦しんだ経験を持つデニス・ホッパーが救ったというちょっといい話。  共同監督を務めたレミーとアンドレの消息は不明だが、ホッパーに命を救われたブノワは今も俳優として活躍を続けている。そして、叶井俊太郎はホンモノの殺人鬼を主人公にしたガチなドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』(現在公開中)の宣伝プロデュースを手掛けている。 (文=長野辰次) arifuretajiken04.jpg 『ありふれた事件【HDリマスター版】』 製作・監督/ブノワ・ポールヴールド、レミー・ベルヴォー、アンドレ・ボンゼル 脚本/レミー・ベルヴォー、ヴァンサン・タヴィエ、アンドレ・ボンゼル 撮影/アンドレ・ボンゼル 音楽/ジャン=マルク・シェニェ 出演/ブノワ・ポールヴールド、レミー・ベルヴォー、アンドレ・ボンゼル、ジャン=マルク・シェニェ、ジェリー・ドリエ、ヴァンサン・タヴィエ、アラン・オペッツィ  発売・販売/アルバトロス 税抜き価格/3800円 発売日/5月2日(金) (c)1992 Belvaux-Bonzel-Poelvoorde for Les Artistes Anonymes. http://www.albatros-film.com/movie/arifureta-jiken

戦争中のベトナムで撮影した幻の作品が初公開!『ナンバーテン・ブルース/さらばサイゴン』

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撮影から39年目にして劇場公開されることになった『ナンバーテン・ブルース/さよならサイゴン』。オールベトナムロケ作品だ。
 数奇な星のもとに生まれた1本の日本映画が劇場公開される。その映画のタイトルは『ナンバーテン・ブルース/さらばサイゴン』。ベトナム戦争の末期、陥落が迫っていた南ベトナムの首都サイゴン、現在は世界遺産に登録されている古都フエ、政府軍最大の軍事拠点だったダナンなどでオールロケ撮影したロードムービー仕立てのクライムアクションだ。深作欣二監督の『恐喝こそ我が人生』(68)、藤田敏八監督の『修羅雪姫』(73)、市川崑監督の『犬神家の一族』(76)など日本映画史に残る傑作映画のシナリオを手掛けた脚本家・長田紀生にとって『ナンバーテン・ブルース』は初監督作品になるはずだった。北ベトナムによる全面攻撃が直前に迫っていた1975年1月〜3月に撮影され、4月にサイゴンでアフレコを済ませものの、この映画は日本で公開されることなくお蔵入りしてしまう。  主人公である日本人商社マンのアンチヒーロー色が強いことにプロデューサーが難色を示したことと、配給を予定していた大手映画会社が高額な保証金を要求したことなどがお蔵入りの要因だった。スタッフとキャストが命懸けで撮った『ナンバーテン・ブルース』は一般公開されることなく姿を消してしまう。ところが2012年になって、行方不明状態となっていたフィルムが東京国立近代美術館フィルムセンターに保存されていることが判明する。残されていたプリントは色褪せていたものの、ネガフィルムをデジタル化した素材を編集し、撮影から39年目にして『ナンバーテン・ブルース』はついに劇場公開に。ベトナムから帰国後は再び脚本家生活に戻っていた長田紀生は、71歳にして監督デビューを果たすことになった。  『ナンバーテン・ブルース』の主演は川津裕介。人気テレビドラマ『ザ・ガードマン』や『ワイルドセブン』などアクションもので人気のあったスター俳優だ。大島渚監督の『青春残酷物語』(60)に主演するなど、映画では屈折した役を好み、『恐喝こそ我が人生』でも殺し屋役で強い印象を残している。『ナンバーテン・ブルース』のストーリーはこうだ。日本から単身やってきた商社マンの杉本俊夫(川津裕介)はサイゴンで気ままな生活を謳歌していた。高度経済成長を遂げた日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と海外でもてはやされた。ある日、杉本は現地で雇ったベトナム人の青年を金銭トラブルから誤って殺してしまう。戦争真っただ中の南ベトナムで警察や裁判所の世話になるのはご免だと杉本は海外逃亡を決意。杉本の恋人である歌手のラン(ファン・タイ・タン・ラン)、日本人とベトナム人のハーフである若者タロー(磯村健治)に窮地を救われた杉本は、3人で戦車や装甲車が点在する戦地を駆け抜けて北上していく。しかし、杉本が商社から横領した大金に目を付けた裏社会の追っ手が行く手を阻むことに……。
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商社マンの杉本(川津裕介)はベトナムで犯罪に手を染めていく。「経済成長で浮かれる日本人をアグリージャパニーズとして描きたかった」と長田監督。
 数カ月後には陥落することになるサイゴンの街は、ざらついた空気の中に日常生活を営む市民の活気が複雑に混じり合う。杉本の潜伏先は戦火から逃れた人たちが暮らす難民部落だ。ベトナム戦争で最大の激戦となったテト攻勢によっておびただしい銃痕が壁に残るフエの王宮では、クライマックスとなる銃撃戦が撮影された。戦争中のベトナムでしか撮り得なかった殺伐としたシーンの数々に思わず目を見張る。しかし、なぜ戦争中のベトナムで映画を撮影したのか? どうして危険を冒してまで4カ月もベトナムに長期滞在したのか? 長田紀生監督はこう答える。 長田「危険だからやめようという発想はまるでなかった。当時の映画屋は危険だから逆にやってみようという気持ちのほうが強かった(笑)。もともとは注文仕事でした。『ベトナムでアクションものを作るから脚本を書いてくれ』と。そこで僕は『脚本を書くから、監督もやらせてほしい』と頼んだんです。当時は米国では黒人暴動が起き、フランスでは若者たちがカルチェラタンを占拠し、日本でも頻繁に学生デモが続いていた。沖縄の米軍基地からは爆撃機が毎日のようにベトナムに向かって飛んでいた。いわば、ベトナム戦争の空気が世界中を覆っていたんです。ならば、渦中のベトナムに行って映画を撮ってみようじゃないかと。そうしてサイゴンに着いて、真っ先に感じたことは懐かしさでした。僕は昭和17年生まれ。日本中に焼け野原が広がり、あちこちに闇市が立っていたことが幼い頃の記憶に残っています。戦争が始まってすでに10年以上経っていたベトナムの風景も、かつての日本にすごく似ていたんです。カメラの望遠レンズを火器と間違えられて威嚇射撃されたり、死体を見たことも二度三度あります。フエでは宿泊していたホテルが翌日ロケット砲で爆破され、懇意にしていた支配人や従業員たちが亡くなったことを新聞で知りました。そんな状況での撮影でしたが、人間とは何事にも慣れるもので、3カ月も過ごしているとそれが日常になっていくんです。逆に日本に帰ってきてしばらくは、緊張感のない生活に違和感を感じていた。僕の中でのリアリティーは経済成長で浮かれている日本よりも戦争中のベトナムにずっとあったんです」  ラストシーン、杉本たちはベトナムから脱出するべく、海辺に停泊していた密航船に乗り込もうとする。このシーンの撮影は北ベトナムから解放戦線が目前に迫っていたことから、それまで献身的に働いていたベトナム人スタッフは撮影に参加することを拒否。日本人スタッフのみで撮影せざるを得なかった。このラストシーンがなければ、映画として完成しないからだ。凄まじい緊張感の中で、一発撮りでラストシーンの撮影が決行された。その数時間後、同じ海に停泊していた本物の密航船が政府軍によって撃沈されている。まさに命を賭けた撮影だった。それなのにお蔵入りすることを余儀なくされた心情とは、どれほどのものだっただろうか。
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戒厳令が敷かれたサイゴン市(現ホーチミン市)での撮影。長田監督らは民間機の最終便で日本に帰国。その10日後にサイゴンは陥落した。
長田「ベトナムで撮影していたときから忸怩たる想いはあったんです。戦争をしている国にまできて、娯楽映画を撮っている自分たちは一体何なんだと。お蔵入りしたことは、これはある種の報い、こういう形で落とし前をつけるしかなかったんだと納得するしかなかった。それが40年近く経って、劇場公開されることになった。運命論者である川津裕介さんは『それがこの映画の運命だったんだ』と言ってますよ(笑)。僕にしてみれば、この映画は大傑作ではないかもしれないけど、非常に生命力が旺盛な作品だということですね。僕は『映画を撮りたい』『監督をやりたい』とベトナムに行くまでずっと思っていたけれど、日本に帰ってから憑き物が落ちるように薄れていったんです。『一本の映画で数本分の体験をしたんだからもう充分じゃないか』と諦めていたんです。ところがどっこい、僕の子どもであるこの映画は生きていた(笑)。戦時中に生まれた僕が、1970年代の高度経済成長という日本の転換期にベトナムで映画を撮り、東日本大震災後の原発再稼働問題で揺れる今、公開されることになった。そこには大きな意味があるように僕は感じているんです」  杉本の恋人を演じたベトナムの人気女優ファン・タイ・タン・ランは戦争終結後に亡命を果たし、現在は米国で暮らしている。2013年の「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」で完成した『ナンバーテン・ブルース』を初めて鑑賞し、今はなき母国の風景に涙を流したそうだ。『ナンバーテン・ブルース』には“懐かしい戦争”の匂いが刻み込まれている。 (文=長野辰次) number10blues04_s.jpg 『ナンバーテン・ブルース/さらばサイゴン』 監督・脚本/長田紀生 音楽/津島利章 撮影/椎塚彰 照明/松尾清一 録音/菊地進平 編集/大橋冨代 出演/川津裕介、ファン・タイ・タン・ラン、磯村健治、ドァン・チャウ・マオ、きくち英一 配給/プレサリオ 4月26日(土)よりテアトル新宿にてロードショー (c)2012 PRESARIO Corp. https://www.facebook.com/Number10Blues

池脇千鶴が“ジョゼ虎”以来となる本格覚醒だ! 10年に一度の勝負作『そこのみにて光輝く』

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『そこのみにて光輝く』のヒロイン・千夏を演じた池脇千鶴。いいシナリオと肝の据わった女優がいれば、面白い映画ができることを実証してみせた。
 池脇千鶴が久々に本気を見せている。普段はユーティリティープレイヤーに徹し、打線のつなぎ役として製作サイドに重宝がられている池脇だが、きっちりとクリーンアップに据えられたことで、期待どおりの実力を発揮してみせた。彼女が女優としてのポテンシャルを遺憾なく発揮しているのは、『ジョゼと虎と魚たち』(03)以来ではないか。あの名作“ジョゼ虎”から、すでに10年経つ。10年の歳月を1本の映画のために惜しくもなく捧げてしまう、そんな豪気さと覚悟を池脇千鶴という女優は感じさせる。この作品のために10年間エネルギーを蓄えていたのではないか、そう思わせるほど『そこのみにて光輝く』の池脇千鶴は輝きを放っている。男たちを救済することも破滅に導くこともできる、生命とエロスの化身であるヒロイン・千夏役を見事に演じ切っている。  『そこのみにて光輝く』は函館出身、熊切和嘉監督によって映画化された『海炭市叙景』(10)などで知られる作家・佐藤泰志(1949~1990年)が、唯一残した長編小説が原作。仕事を失い、ただ漫然と生きながらえていた主人公・達夫(綾野剛)が、千夏(池脇千鶴)というひとりの女性と出会うことで生きる気力を取り戻していく物語だ。浜辺の粗末なバラックで暮らす千夏には、寝たきりで性欲だけは旺盛な父、その介護をする無職の母、前科があるため保護観察中の弟・拓児(菅田将暉)という家族がいる。千夏ひとりで一家を支えなくてはならない。北国の小さな街に仕事は少なく、千夏はスナックで男たちが求めるままに体を預け、そのお金で家族を養っている。不幸のロイヤルストレートフラッシュを引き当ててしまったような女だ。だが、どこにも自分の居場所を見つけることができずにいる達夫は、パチンコ屋で知り合った拓児に連れられてきたバラックで千夏と出会い、猛烈に惹かれてしまう。この女のために生きてみよう。家族との温かい思い出のない達夫がそんな気持ちになるのは初めてのことだった。
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達夫の職業は、造船会社の元社員から採石場の爆破技師に変更。達夫(綾野剛)も千夏(池脇千鶴)も、死の影に囚われながら生きてきた。
 童顔な印象のある池脇だが、黒い下着姿がなんともエロ哀しい。自分の股を開くことでしか稼ぐことができないという自己嫌悪と、家族を見捨てることができない健気さが複雑に絡み合う。20代の頃のピチピチした若さとは異なる、30代の緩み始めた裸体が、この千夏という女性のやりきれなさを雄弁に物語っている。裸になることで、ひとりのキャラクターをここまで饒舌に表現できる女優もそうそういないはずだ。押し潰されてもおかしくない不幸を背負い込みながらも、千夏はしっかりと地に足を付けて生きている。根なし草のような生活を送ってきた達夫にとって、千夏はかけがえのない女となっていく。北国の短い夏、綾野剛と池脇千鶴が海中で立ち泳ぎしながら、お互いの体を求め合うシーンが激しく、切なく描かれる。  第1部と第2部に分かれている原作小説を、思い切った脚色で2時間の尺にまとめてみせたのは、『さよなら渓谷』(13)の脚本家・高田亮。『さよなら──』の真木よう子もチャーハン作りを得意にしていたが、『そこのみ──』の池脇が作るチャーハンもうまそうだ。脚本家・高田亮にとって、いい女とはセックスだけでなく、チャーハン作りが得意なことも必須条件らしい。若手女性監督・呉美保の起用も、『そこのみ──』を味わい豊かなものにしている。呉美保監督は1977年生まれの大阪芸大出身(山下敦弘監督と同期)。関西を舞台に『酒井家のしあわせ』(06)『オカンの嫁入り』(10)とほんわか系のホームドラマで評価を得てきた。そんな呉監督に、男と女の情交シーンをたっぷり盛り込み、さらにバイオレンスシーンもあるハードボイルドタッチの作品の演出を任せたことで、型にハマらない瑞々しいものに完成したように思う。
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腐れ縁の男・中島役の高橋和也が名演技を見せる。ゲスの極みを演じることで、池脇の存在感をいっそう際立たせている。
 ホームドラマを得意とする呉監督らしさが出ているのは、達夫、千夏、拓児の3人が地元の定食屋(津軽屋食堂)で食事をかき込むなんでもないシーン。千夏が抱え込んでいるものすべてを一緒に背負うことを覚悟した達夫は、お調子ものの拓児に促され、ビールを注いだ千夏のコップと自分のコップを合わせ、初めて乾杯をする。新しい家族が誕生した瞬間だ。純白のドレスも結婚指輪もそこにはないが、千夏と達夫にとってはまごうことなき祝杯の儀式の場である。それまでずっと日陰者の人生を歩んできた2人だが、この祝杯を挙げた瞬間から、幸せになることを約束された小さな新しい家族として旅立ちを迎える。弟の拓児が立会人だ。映画史上、こんなにも質素で美しい結婚式シーンは見たことがない。  暗い夜道をひとりで歩き続けてきた達夫にとって、明るい太陽となる千夏。千夏という女性は、特別な女なのだろうか。答えはYESでありNOでもある。多分、千夏という女は達夫にとって特別な存在であるのと同時に、あらゆる女性に通じる普遍性を持った女性像でもある。『そこのみ──』に登場する男たちは、達夫も、弟の拓児も、寝たきりの父親も、そして千夏とは長年情夫の関係にある“地回り”の男・中島も含め、すべての男たちの殺生権は千夏が握っている。男たちが生きるか死ぬかは、彼女次第なのだ。千夏はエロスの化身であると同時にタナトス神でもある。そしてそんな千夏に渦巻く業は、すべての女性が抱えている核心部分でもある。池脇千鶴という女優は、女の本性を裏表なくあけすけに具象化して見せた。彼女にはこれから一体、何度驚かせられるのだろうか。 (文=長野辰次) hikarikagayaku04.jpg 『そこのみにて光輝く』 原作/佐藤泰志 脚本/高田亮 音楽/田中拓人 撮影/近藤龍人 監督/呉美保 出演/綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉、高橋和也、火野正平、伊佐山ひろ子、田村泰二郎 配給/東京テアトル R15 4月19日(土)よりテアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国ロードショー  (c)2014佐藤泰志/「そこのみにて光輝く」製作委員会 <http://hikarikagayaku.jp>

札幌で大ヒット! お金で買えない幸せの在り方『KAZUYA 世界一売れないミュージシャン』

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札幌でソロミュージシャンとして歌い続けるKAZUYA。映画出演料=呑み代だったため、いつもホロ酔い状態でインタビューに答える。
 メロディはキャッチーだし、声もいい、ルックスだってかなりイケてた、地元のライブハウスを賑わせ、周りからは「きっと全国区に駆け上がっていくだろう」と期待されていた。でも、結局はメジャーデビューを果たすことなく、やがてバンドは解散してしまった。多分、そんなミュージシャンたちはごまんといるはずだ。彼らがプロデビューできなかったのは何故だろうか。時代のニーズに合っていなかったのだろうか、それとも「何が何でもプロデビューしてやる」という執念が足りなかったのだろうか。『KAZUYA 世界一売れないミュージシャン』はプロデビューすることなく地元・札幌で地道にライブ活動を続けている元PHOOLのボーカリスト・KAZUYAを1年5カ月にわたって密着取材したドキュメンタリー映画だ。インディーズシーンで勢いのあったPHOOL時代と違って、KAZUYAのソロライブにはわずか数人しか客は集まらない。月収は3万円あるかないか。実質、同棲中の彼女に食べさせてもらっているというヒモの生活。でも、51歳になったKAZUYAの弾き語りは何とも言えない味わいの境地に達している。売れることの意味、自分の好きなことを続けていく喜びと煩わしさ、そんな諸々のことをじんわりと考えさせてくれる映画である。  まず映画はKAZUYAがプロデビューできなかった理由を探っていく。KAZUYAを中心にしたPHOOLは1990年代の札幌で絶大な人気を誇っていた。確かにバンド時代の曲を聴くと耳馴染みのよいメロディとナイーヴな歌詞に惹き付けられる。札幌のファンはみんなプロデビューすることを疑っていなかったし、バンドのメンバーも東京のレコード会社から声が掛かるのを待っていた。でも、KAZUYA以外のメンバーは仕事があったため自分たちから積極的に打って出ることはせず、ライブ活動は道内に限定していた。KAZUYAが「東京に出て、勝負しようぜ」とメンバーをけしかけていたら違った状況になっていたかもしれない。カメラの「なぜ、全国ツアーに出なかったの?」という質問に対する答えがKAZUYAという人物のパーソナリティーを物語っている。「ライブは楽しいと思うよ。でも、知らない街に行くのが怖かった(苦笑)」。そうこうしているうちにバンドの人間関係がぎくしゃくするようになり解散へ。KAZUYAはソロミュージシャンとして弾き語りを続けるが、10年前にソロアルバムを1枚出したきり。どうやら、面倒臭いことは極力やりたくないという性格であることが分かる。
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酒の呑み過ぎで声の調子がイマイチなこともあるが、ライブハウスで自分の曲を演奏していればご機嫌。お客の多い少ないは関係ない。
 音楽の才能はあるけど、曲づくり以外では努力という言葉にまったく縁がない人間らしい。この状況を見かねたのが、本作を撮っていた田村紘三監督だ。まぁ、監督といってもこれがデビュー作で、本職は札幌の美容師で、スープカレー屋も経営している。若い頃からせっせと汗水流すことで成功を手に入れた人物である。PHOOLの大ファンだった田村監督はKAZUYAをカメラで追ううちに、自分のサポートとカメラの力で何とかKAZUYAをもう一度売り出すことはできないかと考え始める。というか仕掛けを用意しないと、ただプロデビューできなかった残念なオッサンの昔話だけで終わってしまう。そこで田村監督はKAZUYAに10年ぶりとなるアルバムの製作を持ち掛ける。完成したアルバムは音楽配信やAmazonで全国販売する。地元のラジオ番組に出演し、道内でアルバム発売記念ライブツアーも組む。腰が重く、いつも酒ばかり呑んでいるKAZUYAのケツ叩きに田村監督は懸命になる。伝説のバンドのその後を追っていた記録映画は途中からモードチェンジし、『ASAYAN』(テレビ東京系)がデビュー前後のモーニング娘。に数々の試練を仕掛けていたようなスタイルに移行していく。この『ASAYAN』もどきの演出が、思いがけずKAZUYAの素顔を浮かび上がらせていく。  結果をいうと、KAZUYAは10年ぶりとなる新アルバム『それは、ほんの始まり』をリリースするものの、日常生活に劇的な変化が訪れることはない。だが、アルバム製作の過程をカメラが追う中で、ただの酔っぱらいのオッサンにしかそれまで映っていなかったKAZUYAの葛藤やこだわりが見えてくる。KAZUYAだって人間だ。50歳をすぎた今も「売れたい」という気持ちは残っている。田村監督が元PHOOLの音楽プロデューサーの紹介で東京から連れてきた人気作詞家とのコラボレーションを受け入れる。若い頃のKAZUYAだったら「もういい、アルバムは製作中止」と言い出したはずだが、さすがにいい年齢なので大人の対応する。東京から来たプロの作詞家の実力を認め、レコーディングは順調に終える。温厚なKAZUYAの怒りが爆発したのは、アルバムに収録する曲を決めるときだ。  アルバムに収録する11曲のうち、作詞家が書いた曲は1曲だけ収録のはずだったのが、2曲に増え、さらに他のミュージシャンとの共作の曲も入ることになった。KAZUYAは自分のアルバムに3曲も他人が作った曲が入ることが許しがたかった。KAZUYAはテーブルを蹴り倒す代わりに、口を閉ざしたままメモ用紙が真っ黒になるまで「フザケルナ」と書き殴り続ける。曲の善し悪しやアルバムが売れる売れないの問題ではないのだ。自分自身が純粋に歌いたいと感じて書いた曲を歌うこと。それが北の都で、ひとりぼっちになってもずっと歌い続けてきた彼にとって、いちばん大切なことだったのだ。50歳を過ぎて定職のないダメダメなオッサンだが、KAZUYAの心はとことんピュアだ。
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実家に帰省中のKAZUYA。50歳を過ぎて定職に就くことができずにいることを親に心配されているが、今さら生き方は変えられない。
 この映画を撮った田村監督がどんな動機からカメラを回し始めたのか気になり、電話取材を申し込んだ。電話の向こうで田村監督は以下のように答えるのだった。 「20代の頃は美容師の修業に明け暮れ、30代はお店の経営に情熱を注いだんです。その甲斐あって、自分のお店を支店も含めて持つことができ、スープカレー屋も経営でき、趣味でドーベルマン犬のブリーダーもやってます。ところが、40歳のときに離婚を経験するなど、40代になって非常にしんどい状況に陥ってしまった。仕事もあるし、お金も稼げるようになった。でも、自分にとって幸せって何だろうと悩んだんです。そんなときに頭に思い浮かんだのが、PHOOL時代からの大ファンだったKAZUYAさん。仕事もなく、お金もないのに、すごく生き生きとしている。もうひとり、いつも楽しそうにしている人物の顔が浮かんだのが、映画監督の中川究矢さん。園子温監督の助監督をやってた人で、彼の『ドッグショー』(07)というドキュメンタリー映画に僕が出演したことで交流するようになったんです。映画監督ってお金がないと大変なはず。でも中川監督もまたすごく楽しそうに生きている。幸せとは何か、人生における成功とは何かを確かめてみたくなったんです(笑)。それで中川監督にアシストしてもらいながら、大好きなKAZUYAさんのドキュメンタリー映画を撮ることにしたんです」  約200万円掛かった映画製作費のうち「半分はKAZUYAさんの呑み代に消えてしまった」とこぼす田村監督だが、その口調はどこか楽しげだ。お金では買うことのできない幸せの在り方は評判を呼び、札幌のミニシアター・蠍座は連日満席となり、異例となるアンコール上映が組まれたほど。現在は世界各国の映画祭からも声が掛かっている状況である。そして、札幌でのヒットに気をよくしたKAZUYAは、新宿K’s cinemaでの公開にあたり、人生初となる上京をついに決意。飛行機が怖いので、田村監督に伴われてフェリーとバスを乗り継いで、東京まで舞台あいさつにやってくるそうだ。  一本のドキュメンタリーを撮ったことで、ひとりのミュージシャンの人生が大きく変わったわけではない。でも、一本のドキュメンタリーがきっかけで、ひとりの男の生き方がほんの少しだけ広がりをみせた。40歳をすぎて監督デビューを果たした田村監督も、ビジネスでの成功とは違った喜びを噛み締めているようだ。 (文=長野辰次) kazuya04.jpg 『KAZUYA 世界一売れないミュージシャン』 監督・編集/田村紘三 プロデューサー/貝澤昭宏 編集・アソシエイトプロデューサー/中川究矢 ナレーション/サエキけんぞう 出演/KAZUYA、SHIBA、ワタナベマモル、梶原信幸、あさくらせいら 4月12日(土)~25日(金)新宿K’s cinemaにてレイトショー上映(イベントを多数予定) (c)KAZUYA映画実行委員会2012  <http://www.kazuya2011.com>

メディアリテラシーを磨く最適のテキストか? “次世代原発”という甘い果実『パンドラの約束』

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カメラを手にしたロバート・ストーン監督とジャーナリストのマーク・ライナース氏。2人とも環境保護から原発推進派に転向した。
 小泉元総理が“脱原発”を訴えるようになったのは、ドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』(10)がNHKで放映されたのを観たことがきっかけだ。その後、小泉元総理は『100,000年後の安全』の舞台となったフィンランドの核廃棄物最終処理場「オンカロ」を視察。核廃棄物の処理が日本では不可能なことを実感し、“原発ゼロ”を主張するに至った。この国の首相経験者を方向転換させてしまうほどの影響力を、『100,000年後の安全』という一本のドキュメンタリー映画は持っていた。では、小泉元総理はこちらのドキュメンタリー映画を観たら、どのようなリアクションを見せるのだろうか。『パンドラの約束』なる、反原発派にとって厄介な作品が公開される。これまで環境保護の立場から原発に反対していた米国や英国の識者たちが、最近になって次々と“原発推進派”に転じていることを『パンドラの約束』は伝える。2013年に米国のサンダンス映画祭で上映された際に、事前調査では観客の75%が原発反対だったのが上映後には約8割が原発賛成に変わったという。  『パンドラの約束』を撮ったのは、英国出身、NY在住のロバート・ストーン監督。初めて撮った反核映画『Radio BIKINI』が1987年にアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされるなど“反原子力”の立場で映画を撮り続けてきた。ところが地球環境保全の重要さを訴えた『Earth Days』(09)を制作するうちに考え方が一変する。このまま原発に反対し火力発電に依存したままだと、地球は温暖化によって近いうちに破滅してしまう。地球を温暖化から守るためには、CO2を排出しない原発しかない。風力発電や太陽光発電は当てにならない。というのがストーン監督の論旨だ。福島の悲惨な状況を日々見ている日本人の多くから「おいおい、ちょっと待てよ」という声が聞こえてきそうだが、ここはもう少しストーン監督の考えを聞いてみよう。  ストーン監督をはじめ、『パンドラの約束』に登場する環境活動家たちが原発推進派に鞍替えした主な理由はこうだ。1950年代に米国で原発の実用化の研究が進み、2種類の原発が開発された。軽水炉型原発と増殖炉型原発である。増殖炉型は燃費がとてもよく、燃料を再処理・再利用できる。優れものの夢の新エネルギーだった。一方の軽水炉型はシンプルな構造ゆえに低予算で建設することが可能だが、大量の廃棄物が生じてしまう。当時の米国はソ連と軍事、科学、産業、外交……とあらゆる面で競っており、国際市場にいち早く米国主導の原発を普及させるために見切り発車的に軽水炉を実用化させてしまった。スリーマイル島もチェルノブイリも福島も、原発事故はどれも軽水炉で起きたもの。増殖炉だったらメルトダウンは起きず、事故を防ぐことができたという。しかも増殖炉は廃棄物をちょっとしか出さない。増殖炉がこれから普及していけば、メルトダウンの恐れはなく、CO2も排出せず、核廃棄物の捨て場を探さなくても済む。すべて万々歳というわけだ。
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フクシマでの事故以降、環境保護を訴える人たちはヒステリックに原発に反対していると『パンドラの約束』は異議を唱える。
 原発はとてもクリーンで安全だとストーン監督は言い切る。米国のスリーマイル島事故が大騒ぎになったのは、事故の直前に劇映画『チャイナ・シンドローム』(79)が公開されていたために人々は恐怖心を煽られてパニック状態に陥ってしまったのだと。でも、米国では原発によって誰ひとり死んでいないと誇らしく語る。チェルノブイリ事故で100万人が亡くなったと反原発派がヒステリックに叫ぶのは根拠がないと否定する。チェルノブイリ事故で亡くなった人はわずか56人にすぎないのだと。東日本大震災から1年経過した福島をストーン監督はジャーナリストのマーク・ライナース氏と共に訪ね、避難所生活を送る人々に同情を寄せつつも、子どもを外で遊ばせないのは放射能を過度に怖がりすぎだと指摘する。IFR(一体型高速炉)と呼ばれる第四世代の原子炉が実用化さえすれば、世界中に電気が行き渡り、発展途上国で暮らす人々を貧困と病気などの苦しみから救うこともできると力説する。  月刊誌「WEDGE」(ウェッジ社)の2013年9月号にロバート・ストーン監督のインタビューが掲載されている。気になった箇所を抜粋してみよう。 「我々はおよそ50年の間、商業用の原子力を保持してきました。その間に、世界では3回の原子力事故が起こりました。スリーマイル島、チェルノブイリと福島です。国連の最も信頼できる科学的見識によると、人の死や放射能による発病が起こったとされている唯一の事故はチェルノブイリです」 「化石燃料による汚染によって、毎年300万人が亡くなっていると推定されています。毎年です。それに比べ、商業用の原子力による死者として確認されているのはたった56人のみであり、そしてその全ては(設計に欠陥のある施設で異常な判断ミスのあった)チェルノブイリで起きたものです」
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NY、パリ、東京、福島、チェルノブイリ……と世界各地で放射能値を測定。原発があるなしに関わらず、どこにでも放射能は存在する。
 これはストーン監督の明らかな間違いだ。日本では2004年に福井県美浜原発で蒸気噴出事故が起き、点検中だった作業員5名が亡くなっている。商業炉ではないが、1997年には茨城県東海村のウラン加工施設「JCO東海事業所」で臨界事故が起き、2名が被曝で亡くなっている。世界初の高速増殖炉である福井県敦賀市の「もんじゅ」では事故が相次ぎ、関係者が自殺に追い込まれた。またストーン監督が挙げた犠牲者の数には、今回の福島第一原発事故の復旧作業に従事していた作業員たちが事故や体調不良を訴えて亡くなったケースや避難生活での関連死は含まれていない。でも、そのことを伝えてもストーン監督は、化石燃料や地球温暖化がもたらす災いに比べれば、無視できるほどの微々たる数字ではないかと反論するのだろう。原発先進国としてフランスのエネルギー政策を激賞しているが、フランスでも大なり小なりのトラブルは起きているのではないのか。ストーン監督は原発推進派にとって不都合な部分には言及しない。  原発推進派がどのくらいの認識で自説を主張しているのかを知っておく意味でも、『パンドラの約束』は反原発派も観るべき価値のある作品だといえる。また、冒頭で小泉元総理が方向転換したことに触れたが、言い換えれば元総理は現職中は核廃棄物の危険性を充分理解していなかったということでもある。一国の舵取りを任された為政者でも、原発についてその程度の知識しか持ち合わせていなかったのだ。原発賛成派も反対派も、まずは『100,000万年後の安全』と『パンドラの約束』の2作品を見比べてみたほうがいい。経済効果や環境保護について議論する前に、自分たちが普段当たり前のように使っている電気がどのような仕組みで作られているのかを、もう少しまともに知っておく必要がある。  『パンドラの約束』は次世代原発によってクリーンなエネルギーが隅々まで行き渡った地球が燦然と光り輝く姿を予想して終わりを告げる。このラストシーンもそのまま受け入れることはできない。地球上から闇が消えてしまうことが本当に明るい未来なのだろうか。最後の最後まで観る側のメディアリテラシー力を問い掛けてくる、挑発的な作品である。 (文=長野辰次) pandra_pro04.jpg 『パンドラの約束』 監督・脚本/ロバート・ストーン 出演/スチュアート・ブランド、ギネス・クレイヴンズ、レン・コッホ、マーク・ライナース、リチャード・ローズ、マイケル・シェレンバーガー、チャールズ・ティル 提供/フィルムヴォイス 配給/トラヴィス 4月12日(土)より名古屋・伏見ミリオン座にて先行上映、19日(土)より渋谷シネマライズほか全国順次公開  <http://www.pandoraspromise.jp>

フランスからやってきた、超弩級の官能大作! 禁断の恋の行方『アデル、ブルーは熱い色』

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高校生のアデル(アデル・エグザルコプロス)は、青い髪の美大生・エマ(レア・セドゥ)にどうしようもなく魅了されてしまう。
 寒色系のブルーは理性や穏やかさを表す色だとされているが、フランスからやってきた官能大作『アデル、ブルーは熱い色』を観てしまうとそんな従来のイメージは一変してしまうだろう。それほどまでに主人公たちは運命的な恋に身を焦がし、赤い炎よりもさらに情熱的に、青白くメラメラと燃え上がる。人間と人間がこんなにも激しく愛し合えることに驚きを覚える。ただし、この映画が他の多くの恋愛映画と少しばかり異なっているのは、恋の炎に身を委ねる2人が女性同士だということだ。“バンドデシネ”と呼ばれるフランスのコミック『ブルーは熱い色』(DU BOOKS)を映画化した本作。原作では主人公の女の子はクレモンティーヌという名前だが、チュニジア系フランス人のアブデラティフ・ケシシュ監督は主演女優アデル・エグザルコプロスにすっかり惚れ込み、彼女の名前をそのまま役名にしただけでなく、作品名まで変えてしまった。アデルの自然な演技と年上の恋人を大胆に演じたレア・セドゥ、そしてケシシュ監督の3人にカンヌ映画祭最高賞であるパルムドールが贈られている。  アデル(アデル・エグザルコプロス)は高校に通うごくフツーの17歳の女の子。同じ高校に通うイケメンの先輩トマ(ジェレミー・ラユルト)とチラ見し合う仲で、周りから囃されるようにして交際を始めた。トマとの初デートに出掛けるアデルだが、その途中で運命の出会いをしてしまう。街ですれ違った青い髪の女性の姿が強烈で、目に焼き付いて離れない。トマと映画館デートし、しばらくして初体験まで済ませたものの、どうもアデルは気もそぞろ。そんなとき、ホモっ気のある男友達に連れられて、同性愛者たちがたむろする夜の繁華街へ。念願の青い髪の女性・エマ(レア・セドゥ)と再会を果たす。彼女は美大の4年生だった。ユニセックスな雰囲気と知的な会話に、すっかり魅了されるアデル。2人は一気に恋に墜ちていく。
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アデル・エグザルコプロスは1993年11月パリ生まれ。ナチュラルな演技に加え、思いっきりのいい脱ぎっぷりも素敵です。
 エマとアデルのベッドシーンが迫力に満ちている。全裸になった2人は貪るように、お互いの体を求め合う。経験豊富なエマが秘蜜のポイントを巧みに責めていく。トマとの初体験では得られなかった快感に身悶えするアデル。さっきまで下になっていたアデルが今度は上になる。複雑に絡み合う2人の体は、まるで2つのジグゾーパズルをごちゃ混ぜにしたかのようだ。ひとつひとつのピースを、お互いの体に埋め合わせていくエマとアデル。2度目のセックスはさらに過激さを増す。お互いの女性器と女性器をズンズンと重ね合わせる肉弾戦が繰り広げられる。汗びっしょりになったエマとアデルは思う。これは運命の恋なのだと。性別を越えた2人の激しい愛し方は、男性から観ても感動的ですらある。  身も心も結ばれたエマとアデルは、一軒家で一緒に暮らすようになる。エマはアデルをヌードモデルにして情熱的な絵を描き、新進画家として売り出していく。高校を卒業したアデルは教職に就き、エマが画廊のオーナーや芸術家仲間を集めたパーティーを開けばいそいそと料理を準備する。アデルはエマに尽くせることが幸せだった。だが、運命の恋も行き着くところまで行き着けば、後はもう落ちていくしかない。ピークを極めた2人の愛は放物線を描くように徐々に落下していく。エマは展覧会の準備で忙しくなり、アデルは職場に通うだけの淋しい日々を過ごすことになる。あんなに狂おしい愛を知ってしまったアデルは、心の中にすきま風が吹き込むのが耐えられない。  同性愛という禁断の世界を描いた本作だが、2人の仲を破綻させてしまうのは同性愛に対する世間の冷たい目というよりも2人の生まれ育った境遇の違い。芸術を愛でる裕福な上級社会で育ったエマは「あなたには文才がある。自分の才能を生かすべきよ」とアデルに勧めるが、アデルはエマと一緒に過ごすだけで充分幸せだった。労働者階級育ちのアデルには芸術のことはよく分からない。でも、かつてはあれだけ情熱的な絵を描いていたエマが、プロの画家になってからは世間の流行に迎合した通俗的な作品を描くようになったことは素人のアデルにも分かる。自分が働くから、エマには本当に描きたい絵だけを描き続けてほしかった。でも本音を言うと、絵なんかどうでも良かった。2人でずっと愛し合うことができれば、他には何も要らなかった。
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青い髪のエマを演じたレア・セドゥは上流階級育ち。『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』(11)では女殺し屋でした。
 本作の味わいを特別なものにしているのは、美しい同性愛映画であること以上に、主人公アデルの成長ぶりが鮮やかに描かれている点だろう。破局を迎えた恋人たちは深夜のファミレスやハンバーガーショップで往々にして罵り合うものだ。「あなたと付き合った今までの時間を返してよ」「それだったら、お前のために使った食事代とホテル代を先に返せよ」などなど。人間は誰しも終わった愛を悔やみ、激しい負の感情に囚われる。アデルもまた、エマが自分にとって最高のパートナーであることを知った上で、愛の終わりを苦々しく受け入れる。物語の冒頭、まだあどけない少女だったアデルが、すっかり大人の女に成長を遂げていることに再び驚く。  報われぬ恋、許されぬ恋、歪んだ恋……、どんな愛の形であれ、生きとし生きるものは愛を知ることで育まれていく。『アデル、ブルーは熱い色』は愛の真理について穏やかに、そして情熱的に語り掛けてくる。 (文=長野辰次) adele-blue04.jpg 『アデル、ブルーは熱い色』 原作/ジュリー・マロ 脚本/アブデラティフ・ケシシュ、ガリア・ラクロワ 出演/レア・セドゥ、アデル・エグザルコプロス、サリム・ケシゥシュ、モナ・ヴァルラヴェン、ジェレミー・ラユルト、アルマ・ホドロフスキー、オーレリアン・ルコワン、カトリーヌ・サレ、ファニー・ラモン、バンジャマン・シクスー、サンドール・フンテク 配給/コムストック・グループ R18+ 4月5日(土)より新宿バルト9、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー  (c)2013- WILD BUNCH - QUAT’S SOUS FILMS – FRANCE 2 CINEMA – SCOPE PICTURES – RTBF (Télévision belge) - VERTIGO FILMS <http://adele-blue.com>

戦争映画の悲劇のヒーロー像にNOを突き付ける! 戦場で生き残る恐怖と痛み『ローン・サバイバー』

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ネイビーシールズ設立以来の大惨事となった「レッド・ウィング作戦」をリアルに再現。200人のタリバン兵を相手にわずか4人で戦うはめに陥る。
 みんなはもう知っている。「この作品は反戦がテーマです」という戦争映画の製作者たちの言葉はただの建前でしかないことを。殺戮シーンや大炎上シーンを撮りながら、ミリタリー好きな製作者たちはカタルシスを感じていることを。「戦争という狂気を描きたかった」と言うのなら分かるが、「反戦がテーマ」ではあまりに薄っぺらでテキトーすぎる。その点、戦争映画としてはかなり規模の小さい『ローン・サバイバー』はそんな見え透いた建前は口にしない。最前線に送り込まれた兵士が体感する恐怖と絶望感をリアルに再現することに全力を注ぎ、観客を否応なしに戦場へ引き摺り込んでしまう。  『ローン・サバイバー』は米国の海軍特殊部隊ネイビーシールズに所属したマーカス・ラトレルが2007年に出版した実録小説『アフガン、たった一人の生還』(亜紀書房)が原作。2005年にアフガニスタンで行われた「レッド・ウィング作戦」に参加した当事者の視点から描いたものだ。このレッド・ウィング作戦だが、米軍が誇るネイビーシールズ史上最大の惨事とされている。アフガニスタンに拠点を置くタリバン勢力の指導者アフマド・シャーの暗殺を計画したものだったが、偵察部隊としてアフガニスタン山岳地帯に潜入したラトレルたち4人のシールズ隊員たちは200人のタリバン兵に包囲されるという絶望的状況に陥ってしまった。逃げ場のない最悪の状況下での3日間、4人は何を考え、どのように行動したかが描かれていく。  ネイビーシールズは、選び抜かれた屈強な兵士たちのみで構成された最精鋭部隊だ。『ゼロ・ダーク・サーティ』(12)でも描かれたように、オサマ・ビンラディン殺害に成功し、その実力を広く知られている。本作はシールズの厳しい訓練の様子から始まる。マーカス・ラトレル一等兵(マーク・ウォールバーグ)たちシールズ隊員は2年半に及ぶ訓練に耐え、固い絆で結ばれていく。身体能力や戦闘術に優れている以上に、どんな局面になっても決してギブアップしない強靭な精神力が最大の武器だった。だが普段は、みんな家族想いで、故郷を愛し、ユーモア好きな愉快な奴らだ。そんな彼らに極秘作戦が言い渡される。アフガニスタンで米兵を虐殺しているタリバンの指導者アフマド・シャーを暗殺せよ。狙撃兵兼衛生兵としてマーカスが選ばれた他、通信兵のダニー・ディーツ二等兵、狙撃兵のマシュー・アクセルソン二等兵、そして指揮官にマイケル・マーフィー大尉の計4名が偵察部隊としてアフガニスタンの山岳地帯に舞い降りる。ターゲットであるシャーの姿はすぐに確認することができた。だが、前線基地との連絡が繋がらない。そんな折、マーカスたちが潜んでいた森を地元の山羊飼いたち3人が通りがかり、ばったり遭遇してしまう。このことからマーカスたちの運命が大きく変わっていく。
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潜伏中の森の中で山羊飼いたちと遭遇してしまうマーカス(マーク・ウォールバーグ)たち。彼らを解放すれば、タリバン側に所在を知られてしまう。
 ひとまず3人の山羊飼いを拘束したマーカスたちだったが、その対応の仕方をめぐって4人の意見は紛糾する。口封じのために山羊飼いたちをこの場で殺すか、木に縛り付けて放置するか(日没後に凍死するか野獣に食べられる)、釈放してタリバン兵と戦うか。選択肢はその3つしかなかった。マーカスは「彼らは民間人だ。釈放するべき」と正論を唱え、アクセルソンは「彼らは射殺する。俺にとっていちばん重要なことは4人で無事に帰還することだ」と反対意見を主張する。4人の生命を左右する重大な判断はマーフィー大尉に託されることになる。  撤退することを余儀なくされたマーカスたちだったが、さらなる決断が求められる。土地勘がまるでない中、どこへ逃げるのか。タリバン兵たちの追撃を受けにくい場所へ逃げるのか、それとも基地と連絡がとれる可能性がある山頂を目指すのか。これもまた難しい判断だ。だが、悩んでいる余裕はない。予想以上にタリバン兵がマーカスたちに追いつくのが早かった。逃げ場のない崖っぷちでの抗戦を強いられる4人。死を恐れないタリバン兵と「仲間を守るためなら、自分の生命は惜しくない」という信念を持つシールズとの凄まじい銃撃戦が始まる。  世界最強を自認するマーカスたちだったが、4人vs.200人はあまりにも多勢に無勢すぎた。マーフィー大尉の「撤退だ」という指示のもと、断崖から飛び降りるはめに。岩場に叩き付けられ、マーカスたちの骨は砕け、まともに動けなくなる。さらに崖の上からタリバン兵は容赦なく銃弾の雨を降らす。マーフィー大尉が決死の覚悟で衛星電話での基地とのコンタクトを試みる。ついに救援のヘルコプターが颯爽と登場した。だが、信じられない光景が次の瞬間に広がる。着陸地点を探していたヘリコプターがタリバン兵の放ったロケット砲を浴びて撃墜されてしまったのだ。マーフィー大尉も通信兵のダニーも山羊飼いをめぐって口論となったアクセルソンも血だらけの肉塊と化し、ヘリに乗っていた16名も全員戦死した。そしてマーカスだけが戦場にたったひとり取り残されてしまう。
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逃げ場のない崖っぷちでの銃撃戦が生々しい。アフガニスタン山岳地帯に似たニューメキシコ州サンタモニカ国立森林公園で撮影された。
 父親が海軍の歴史研究家で、ユニバーサル記念大作『バトルシップ』(12)を任されるなどハリウッドきっての海軍マニアであることを自認しているピーター・バーグ監督だが、レッド・ウィング作戦の唯一の生還者であるマーカス本人と1カ月間にわたって生活を共にすることで、現地で起きたことをつぶさに吸収した上で本作の脚本を執筆している。その甲斐あって、単なる好戦的な戦争映画とも反戦映画とも異なる渾身の作品に仕上がった。現役シールズ隊員たちが主演したことで話題となった『ネイビーシールズ』(12)がシールズを徹底美化して描いたプロモーション映像だったのに対し、本作ではシールズが犯した大きな過ちにも言及する。マーカスたちから2度連続で定時連絡がなかったにも関わらず、本隊は救援部隊を出動させなかった。マーフィー大尉の命懸けの通信でようやく救援ヘリコプターを緊急発進させるが、護衛機をスタンバイさせていなかったために、ヘリコプターは狙い撃ちされてしまった。いくら最強部隊であっても、指揮系統が機能していなければまったくの無意味。前線に送り込まれた兵士たちは犬死にするしかない。  戦争映画の名作とされる作品の多くが戦場における過酷な現実の中で主人公たちが狂気に侵蝕されていく姿を描いてきたのに対して、マーカスたちシールズ隊員もタリバン兵もどちらも自分たちが信じるもののために迷うことなく生き、そして殉じていくという点も異色に感じる。死の匂いを至近距離で感じながらも自分の信条のために忠実に生き、その信条を守るために生命を投げ出す男たち。仲間を失い、満身創痍状態となったマーカスだが、思いもしなかった相手から救いの手が差し伸べられる。それはアフガニスタンに古来より伝わるパシュトゥーン・ワーリ(パシュトゥーンの掟)だった。「傷ついて救いを要する客人はどんな犠牲を払ってでも守り抜け」という教えに従って、現地のアフガニスタン人はマーカスを救い出す。アフガニスタンの人々はパシュトゥーン・ワーリを守ることで、厳しい自然環境と大国に侵略され続けてきた歴史を生き抜いてきたのだ。  主人公がヒロイックな活躍を見せた後に非業の死を遂げることで、観客の感動と号泣を呼び起こそうとする戦争映画が非常に多い。だが、本作の主人公マーカスは唯一の生存者として粛々と帰還を果たす。それはマーカスを守ってくれた仲間たちが最後の最後までどのように生き抜いたのかを、遺族に伝えるという使命が彼に残されていたからだ。マーカスは重い役割を背負って、母国に帰ってきた。今でも毎晩のようにアフガニスタンの山で起きた出来事にうなされるそうだ。 (文=長野辰次) lonesurvivor04.jpg 『ローン・サバイバー』 原作/マーカス・ラトレル&パトリック・ロビンソン 監督・脚本・製作/ピーター・バーグ 出演/マーク・ウォールバーグ、テイラー・キッチュ、エミール・ハーシュ、ベン・フォスター、エリック・バナ 配給/ポニーキャニオン、東宝東和 PG12 3月21日(金)よりTOHOシネマズ日本橋ほか全国ロードショー (c)2013Universal Pictures  <http://www.lonesurvivor.jp>

“オナニー”は恋人と神に対する冒涜行為なのか? 古来よりの命題に挑んだ笑撃作『ドン・ジョン』

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『ドン・ジョン』を初監督したジョセフ・ゴードン=レヴィット。ビッチなヒロイン役は当初よりスカーレット・ヨハンソンをイメージしたもの。
 世間的にはまったくどうでもいい問題だが、男性にとっては重大な問題がある。それは奥さんや恋人がいる男性がこっそりエロコンテンツを鑑賞してオナニーをした場合、浮気になるのかどうかということ。多分、女性に質問したら「バッカじゃないの!」と一笑に付されるのがオチだろう。しかし、女性が「もうお腹いっぱい」と言いながらも「デザートは別腹だから」とスイーツに手を伸ばすように、男性にとってオナニーはセックスとは異なる別腹みたいなもの。かといって奥さんや彼女に「あっちさえちゃんとやってくれれば別に構わんよ」と公認されるのは、ちと違う。あくまでも内緒の秘め事、密やかな愉しみでありたいのだ。こんな男性にとって切実でありながら、今まで誰も口にしなかった問題を堂々と映画化したのが、ジョセフ・ゴードン=レヴィット主演・監督作『ドン・ジョン』。『(500)日のサマー』(09)や『インセプション』(10)などに出演したイケメン俳優のジョセフが、大マジメかつユーモアたっぷりに“オナニーの自由化問題”を論じているなんて親近感が湧くではないか。  独身青年のジョン(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は甘いマスクで清潔好き、ジム通いが趣味というマッチョ野郎。シャツの上からも分かる筋肉質のボディで、女性たちを虜にしてしまう。男友達と夜ごとクラブに繰り出しては、お目当ての女性を口説き落とせるかどうか賭けを楽しんでいる。まぁ、だいたいの女性はモノにできる。現代のドン・ファンこと“ドン・ジョン”が彼の愛称だ。日替わりの美女たちとベッドを共にするジョンだったが、もうひとつ欠かせない日課が彼にはあった。それは自宅のパソコンのエロサイトを鑑賞しながらのマスターベーション。もちろん生の女性とのセックスもいいが、マスターベーションだと自分の好きなタイプの女性を相手に、自分の好きな体位で、しかも自分の好きなタイミングでイクことができる。ジョンに言わせれば「正常位なんて、女の子の胸がぺちゃんこになるサイテーの体位」らしい。ジョンにとっては、オナニーこそがイマジネーションの世界で自由自在に楽しむことができる至福の時間なのだ。
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美男美女のお似合いカップルの誕生と思いきや、AV中毒者と恋愛映画マニアが出会ってしまった悲喜劇の始まりだった!
 そんなジョンに運命の出会いが待っていた。サイコーのルックスとエロ~いボディを持つバーバラ(スカーレット・ヨハンソン)に目がクギづけとなるジョン。バーバラは全身からエロエロ光線を発している。「このビッチ、すぐにエッチできる」と踏んだジョンだったが、バーバラは意外にも身持ちの固い女性だった。「ちゃんとお付き合いした相手じゃないとエッチしない」とのこと。いいじゃない、いつもと違った焦らしプレイとしてお付き合いしようじゃないの。バーバラと恋愛映画を観に出掛けたり、ドライブデートしたりとエッチまでの手順を律儀に踏むジョン。果てには「私、学校に通っている男性が好き」という不可解なバーバラの希望に従って、夜学に通い始めるジョンだった。まぁ、これだけお預けをくらった後なので、バーバラとの初セックスはそりゃ燃えましたよ。巨乳ちゃんだし、ちゃんとフェラもしてくれる。男性としてはこれ以上はない満腹感。でも、やっぱりその晩も、バーバラが寝ている間にベッドを抜け出してエロサイトを開いてしまうジョン。カルマは急に止まらないってね。「オナニー、最高!」とジョンが心の歓声を上げようとした瞬間、バーバラがむっくり起きてくる。「信じらんない!」と怒り出すバーバラ。「いや、これは男友達から来たエロメールなんだ」と必死でごまかすジョン。誰もが羨む最高の恋人を手に入れたジョンだが、何だか気の毒に思えてくる。  「もう二度とエロサイトは見ない」と誓わせられたジョン。その後も「お友達を集めて食事会を開きましょう」「ご両親に会わせて」とバーバラの希望を叶えていく。絵に描いたような幸せに向かって突き進む2人だったが、どこか釈然としないものをジョンは感じる。そんな折、夜学でワケありふうの熟女・エスター(ジュリアン・ムーア)と出会うことに。ジョンが教室の片隅でスマホのエロ動画を眺めているのに気づいたエスターは「これ、おすすめ。名作よ」と古いポルノ映画をジョンに手渡す。なんだ、このオバはん。妙に慣れ慣れしいし、キモいよ。ところがエロサイトが原因でバーバラとケンカしたことを相談しているうちに、あらまベッドを共にする仲に。ただのオバはんと思っていたエスターだが、エッチの経験は豊富。何よりもジョンをしっぽりと包み込むように、またこちらと呼吸を合わせて、今まで知らなかったような超絶快感の世界に誘ってくれる。なっ、なんてセックスって奥が深いんだ! ドン・ジョンと呼ばれていい気になっていたジョンだが、自分はお釈迦さまの手の平で粋がっていた一匹のサルにすぎなかったことを思い知らされる。
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夜学で知り合うワケありふうな熟女エスター(ジュリアン・ムーア)。フラワーチルドン世代っぽい、大らかなセックス観の持ち主。
 オナニー問題を論じる上で見逃せないのがジョンの宗教観。本作ではジョンはイタリア系米国人で、毎週欠かさず家族と一緒に教会に通う敬虔なカトリック信者という設定になっている。ちなみにバーバラはユダヤ系の子女という設定。みなさんもご存知のとおり、オナニーの語源は旧約聖書の創世記にまで遡る。ユダの息子オナンは亡くなった兄の嫁タマルと結婚するが、オナンはタマルを妊娠させることを嫌って膣外射精する。そのことからオナンは神の怒りを買って絶命することに。死んで名を残したオナン。古来よりオナニーは命懸けの行為だったことが分かる。ジョンもまた、神ならぬバーバラにエロサイトを観ていることがバレないか、ひやひやしながらエロ妄想に耽るのだった。  至高の美女バーバラ、超絶熟女エスターとタイプの異なる女性の狭間で、ジョンは愛の意味をおぼろげながら知ることになる。恋愛は自分の理想を相手に求めがちだ。相手が自分の理想に近ければ近いほど、自分の理想像を相手に押し付けてしまう。でも、それはとても独りよがりな行為だったことにジョンは気づく。数多くの女性たちとセックスしてきたジョンだが、これまでのセックスはどうやらオナニーの延長でしかなかったらしい。ワオッ、まるでセカンド童貞になったような気分♪ そんな初々しい表情を現代のドン・ファンは見せるのだった。 (文=長野辰次) donjon04.jpg 『ドン・ジョン』 監督・脚本/ジョセフ・ゴードン=レヴィット 出演/ジョセフ・ゴードン=レヴィット、スカーレット・ヨハンソン、ジュリアン・ムーア、ロブ・ブラウン、グレン・ヘドリー、ブリー・ラーソン、ジェレミー・ルーク、トニー・ダンザ 配給/KADOKAWA R15+ 3月15日(土)より角川シネマ有楽町、ほか全国ロードショー (c)2013 Don Jon Nevada,LLC.ALL Rights Reserved. <http://donjon-movie.jp>

東京女子流の“制服”姿が異常なほどかわいい! 偏愛が招いた奇跡の瞬間『5つ数えれば君の夢』

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『5つ数えれば君の夢』で映画初主演を飾った東京女子流。右から小西彩乃、庄司芽生、新井ひとみ、山邊未夢、中江友梨。
 男子禁制の花園に、うっかり足を踏み入れてしまった。東京女子流の初主演映画『5つ数えれば君の夢』にはそんなヤバさが漂う。2012年に女性グループとしては史上最年少記録となる日本武道館ライブを果たした5人組のボーカル&ダンスグループ・東京女子流。平均年齢16歳の彼女たちが初主演した本作は都内の女子高が舞台だ。文化祭を間近に控えて校内がざわつく中、5人の少女たちのそれぞれの思惑が交錯する様子を、23歳の山戸結希監督が限りなくナイーヴに撮り上げている。  これまで青春映画と呼ばれる作品に登場してきたヒロインたちの多くは、純真かつ慈愛に満ちた存在として描かれてきた。男性監督の願望を反映したフィクション上の聖少女たちだ。ところが、『5つ数えれば君の夢』に登場する5人の女の子たちは純真ではあるが、その純真さの奥には身勝手さや小さな悪意が潜んでいる。それぞれの度合いは違うが、わがままで、自己チューで、冷酷で、いい子のふりをして相手を欺く。そして始末が悪いことに、それゆえに彼女たちはキラキラとまぶしい。男性監督の脳内で描かれた架空の聖少女とは異なり、リアルな生身の女の子としてスクリーンの中で息づく。  山戸監督は上智大学在学中に『あの娘が海辺で踊ってる』(12)でデビューを果たした新鋭。第2作『おとぎ話みたい』(13)も含め、山戸作品はどれも女子高生を主人公にしているが、彼女たちは厳密に言うと人間ではない。それは宇宙人だとかモンスターだとかという意味ではなく、彼女たちはまだ人間になる前の“少女”という名の小動物なのだ。彼女たちがスクリーンの中で囁いていることの半分くらいは理解できないし、頭の中で考えていることはもうさっぱり分からない。ひとつだけ分かることは、山戸作品のヒロインたちはみんな、ひどく生き急いでいるということ。人間とは異なる少女という名の別種の生き物である彼女たちは、自分たちが輝ける時間があまりにも短いことを自覚している。イライラと焦燥感を抱き、周囲にいる誰かを傷つけるか、自分の思い込みを善意として相手に押し付けようとする。あまりにも身勝手な生き物だ。男にはこの繊細なクリーチャーを飼い馴らすことは到底できない。
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都内のお嬢さん学校が舞台。一見、清楚そうに映る校内だが、学園祭のミスコンに誰が選ばれるかという話題で盛り上がっている。
 『5つ数えれば−』の舞台となる女子高の文化祭でいちばんの盛り上がりを見せるのは、各クラスから代表者1名を選出して競われるミスコンの開催。ミスコンの本命、対抗馬、推薦者、主催者、傍観者、それぞれの立場から5人の物語が奏でられていく。少女たちの過剰な思い込み、いたずら心、華奢な身体を押しつぶしてしまいそうな大きな夢が渾然一体となって、文化祭当日に大爆発を起こす。思春期ホラーの金字塔『キャリー』(76)の卒業パーティーを彷彿させるクライマックスだ。本作は血みどろのホラー映画ではないものの、男子がこれまでちょっと見たことのないような怖いくらい美しい悪夢的な世界が待ち受けている。文化祭を終え、可憐さを競う少女たちの胸の中で何かが死に、新しい何かが生まれる瞬間を目撃することになる。  山戸監督は処女作『あの娘が海辺で踊ってる』に続き、第2作『おとぎ話みたい』でもダンスと物語を巧みに融合させ、その独自のスタイルを3作目となる本作で完成させた感がある。現在公開中の『キック・アス ジャスティスフォーエバー』でもクロエ・グレース・モレッツのダンスシーンが盛り上がったように、10代の女の子の特異な身体性を表現するのにダンスは非常に有効的なようだ。少女の踊りには、言語化が不可能な感情の吐露、肉体の輝き、さらには未完成な官能美、そして生命の神秘性まで実に様々な要素が込められている。男子にとって長年にわたってアンタッチャブル扱いされてきた禁断の世界の扉がここに開く。
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園芸部所属のさく(山邊未夢)。おとなしく目立たない少女だが、思いがけず“伝説のミスコン”のキーパーソンとなってしまう。
 『5つ数えれば−』の少女たちの魅力をさらに増幅させているのは、彼女たちが通う架空の高校「私立手越女子高」の制服だろう。通販サイトhaco.で知られるフェリシモ製作のこのセーラー服が尋常でないくらいかわいい。しかも、冬服だけでなく夏服も登場させるという、制服マニアにはたまらない至せり尽くせりぶり。通販サイトhaco.で実際に販売されているそうだが、こんなセーラー服を現実世界で女子高生たちが着て通学したら、街じゅうがパニック状態に陥るのではないかと余計な心配をしてしまう。山戸監督の女子高生への並々ならぬ偏愛ぶりがオリジナル制服にも強く感じられる。  この作品のもうひとつのユニークさは、クラウドファンドで募ったお金が宣伝配給費に当てられているという点。日本最大のクラウドファンド・プラットフォーム「CAMPFIRE」で『5つ数えれば君の夢』応援プロジェクトが告知され、目標金額300万円をわずか3日間で達成し、トータルで704万7000円が集まったとのこと。映画サイトやチラシ・ポスターの製作、試写会やPRイベントの開催、公開劇場の拡大などに使われるそうだ。東京女子流の初主演映画を成功させたいと願うファンたちの熱い想いが、エンドロールの長い長いクレジットにほとばしる。『5つ数えれば君の夢』は、アイドル映画の新しい夢の形なのかもしれない。 (文=長野辰次) 5tsukazoere04.jpg 『5つ数えれば君の夢』 監督・脚本/山戸結希 音楽/Vampillia 主題歌/「月の気まぐれ」東京女子流 出演/山邊未夢、新井ひとみ、庄司芽生、小西彩乃、中江友梨 配給/SPOTTED PRODUCTIONS 3月8日(土)より渋谷シネマライズほか全国順次公開  (c)2014「5つ数えれば君の夢」製作委員会  <http://5yume.jp>

映画館が“乱交パーティー”会場と化す『愛の渦』8人の男女が組んず解れつ全裸でお付き合い!!

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都心のマンションに集まった8人のスケベ人間たち。男と女の本音やセックス観の違いなどが次々と表出していく。
 映画館に足を運んだあなたは、客席が暗くなった途端に巨大な渦に巻き込まれるだろう。性欲という名の激しい潮流にあなたは逆らうことができず、スクリーンの中へどっぷり引きずり込まれてしまう。『愛の渦』は、“乱交パーティー”に集まった男女のひと晩だけの関係を描いたR18指定作品。あなたは、自分自身があたかも乱交パーティーに参加したスケベ人間になったかのようなドキドキ感ワクワク感を抱いて、このドラマを最後まで体感することになる。  『愛の渦』は人気演劇ユニット「ポツドール」が2005年に初上演した舞台の映画化。「ポツドール」を主宰する三浦大輔監督は、この作品で演劇界の芥川賞と呼ばれる岸田戯曲賞を受賞している。ドキュン系の男女のイタい恋愛模様を描いた大根仁監督の『恋の渦』(13)も「ポツドール」の舞台を映画化したものだ。あまりにも下世話すぎる世界で、身も蓋もないような男と女の本音丸出しトークが飛び交うのが三浦作品の魅力。『愛の渦』ではマンションの一室に集まった8人の男女がオールナイトでまぐわいつつ、身も心も裸になっていく様子が描かれる。  上映時間123分中、着衣時間はわずか18分半という本作に、出演した女優陣は全員オーディションで選ばれた。三浦監督によると、オーディション参加者にはバスタオル姿になってもらったそうだが、どれだけ本作への出演意志があるのかを本人に直接確かめるという意味合いもあったらしい。バスタオル・オーディションの結果、ヒロインに選ばれたのは新進女優の門脇麦。NHK大河ドラマ『八重の桜』で綾瀬はるかの姪を演じ、東京ガスのCM「ガスの仮面」でバレエを踊っていた注目株。さらに『東京大学物語』(06)で水野遥を演じた三津谷葉子、満島ひかり主演作『カケラ』(10)でレズ友を演じた中村映里子、舞台で活躍する赤澤セリといったチャレンジ精神溢れるプロフェッショナルな女優たちが抜擢されている。女優陣に絡む男優陣も『ラストサムライ』(03)の子役からすっかり大人に成長した池松壮亮、人気ドラマ『半沢直樹』(TBS系)でブレイクした名バイプレイヤーの滝藤賢一、日本映画界でヒール役を一身に担う新井浩文、『SRサイタマノラッパー』(09)のデブラッパー役でおなじみの駒木根隆介という個性派ぞろい。どんな組み合わせでも、面白いドラマが展開しそうな顔ぶれではないか。
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ニート青年役の池松壮亮と性欲の強い女子大役の門脇麦。2人ともブレイクが確実視されている期待の若手俳優です。
 舞台版の初上演の際に「3~4回、実際に乱交パーティーに参加した」とあっけらかんと話す三浦監督だけに、乱交プレイが始まる直前のリビングルームに漂うモヤモヤ感がとてもリアルに描かれている。男も女もみんなエッチ目的で集まっているのに、誰かが口火を切るまではお互いに空気を読み合い、ビミョーな駆け引きが繰り広げられる。すでにバスタオル一枚で臨戦態勢になっているものの、まだ自分の性欲に素直になりきれない男たち女たち。初対面の集まりでは、ついつい遠慮しがちでお行儀のいい日本人。裏風俗を舞台にした『愛の渦』だが、裸の日本人論としても興味深い。  無口な女子大生(門脇麦)とニートくん(池松壮亮)、ヤリチンのフリーター(新井浩文)と派遣OL(三津谷葉子)、サラリーマン(滝藤賢一)と保育士(中村映里子)、童貞(駒木根隆介)と常連(赤澤セリ)の顔合わせで一回戦がひとまず済み、リビングルームは一転して和やかな雰囲気に。打ち解けたムードの中で、それぞれ自分の職種やパーティーに参加した動機を語り始める。お互いに恥ずかしい部分を見せ合った仲なので、普段は家族や知人にも話さないような本音まで打ち明けてしまう。まぁどうせ、ひと晩だけの付き合いだし。一期一会の男女の関係が何だかものすごく高尚なものにさえ感じられてくる。そして二回戦へと進むと、密室下に置かれた8人の男女関係は早くもズブズブなものになり、遠慮も恥じらいもない下半身主体の対話へと移行していく。ここらへんの空気感、人間関係の変容ぶりは、長年にわたって舞台演出を手掛けてきた三浦監督だけに抜群にうまい。
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大胆なヌードシーンに挑んだ門脇麦。心が揺れ動く様子がそのまま表情に現われるところが彼女の魅力だ。
 乱交パーティーを主宰する店長役の田中哲司、従業員役の窪塚洋介、途中から参加するスワッピング希望のカップルを演じた柄本時生と信江勇も含め、キャスト全体のアンサンブルが実にお見事。その中でもひと際印象に残るのは、やはりマジメそうな女子大生を演じた門脇麦。乱交プレイが始まるまでバスタオル姿でリビングルームに佇んでいる様子からはガチな緊張感が漂う。新人に近いキャリアでいきなり初ヌードに挑むことになってしまい、マジで緊張しまくっていたらしい。それがベッドルームでは一転、大胆な騎乗位プレイで鮮烈なエロスと汗を発散させる。緊張した表情から一気に感情を解放させていく姿には、誰しもクギづけになるだろう。  ひと晩だけの秘密の関係。本音と性欲を存分に吐き出したからといって、パーティー参加者たちの人生がこの夜をきっかけに大きく変わるわけではない。でも、8人の男女の痴態を観ているうちに、いやおうなく湧き出てくる性欲と社会的動物としてのモラルとの狭間で揺れ動く人間の他愛なさが、無性に愛おしく感じられてくるはずだ。人間とは、どうしようもなくバカでスケベで面倒くさ~い生き物らしい。『愛の渦』は人間と呼ばれる動物の正体を真っ正面から描いてみせた。映画を観ていた自分自身の正体を見破られたようで、上映が終わった後はどこか清々しさを感じさせる。 (文=長野辰次) ainouzu04.jpg 『愛の渦』 原作・脚本・監督/三浦大輔 出演/池松壮亮、門脇麦、新井浩文、滝藤賢一、三津谷葉子、中村映里子、駒木根隆介、赤澤セリ、柄本時生、信江勇、窪塚洋介、田中哲司 R18+ 配給/クロックワークス 3月1日(土)よりテアトル新宿ほか公開  (c)2014「映画 愛の渦」製作委員会  <http://ai-no-uzu.com>