“精神病院24時”ここは生き地獄、それとも楽園? モザイク処理なしの裸の中国人像『収容病棟』

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鉄格子で覆われた精神病棟。カメラに向かって笑顔を見せる患者もいるが、ほとんどの患者はカメラがあることを意識せずに立ち振るまう。
 あなたの知らない世界を疑似体験させてくれるもの。映画という媒体をそう定義するならば、ワン・ビン監督のドキュメンタリー映画『収容病棟』ほど映画らしい映画はない。中国南部の雲南省のとある精神病院の鉄格子に覆われた収容病棟の中にカメラは入り、モザイクなしで患者たちの“ありのままの姿”を映し出す。しかも3時間57分にわたって。気力と体力に自信のない人は気をつけたほうがいい。スクリーンから発せられる負のオーラに引き込まれかねない。しかし、そのリスクに挑む価値は充分にある。テレビカメラに向かって反日、抗日を訴える中国人とは異なる、カメラをまったく意識していない“裸の中国人”像を知ることができるからだ。いや、政治や社会から隔離された人間本来の姿と言うべきかもしれない。  ワン・ビン監督が2013年1月~4月、ほぼ毎日にわたって密着取材した『収容病棟』。モザイク処理はおろか、ナレーションもBGMも流れない。収容されている患者の名前と収容された年月がクレジットされるだけ。収容者数は200人以上で、収容された理由は実に様々。精神異常犯罪者、薬物やアルコール依存者、家庭内暴力を振るうために収容された者、政府のひとりっ子政策に違反したために収容された者もいれば、認知症や鬱病などコミュニケーション障害がある者も一緒。家族や地域社会の手に負えなくなった人々が、ひとまとめに収容されている空間なのだ。経済成長が目覚ましい中国だが、中国当局は2010年に「精神病患者1億人」と発表している。社会の変化についていけなかった人たちである。彼らだけで、別の国がつくれてしまうではないか。そう、『収容病棟』は今まで知ることのなかった、もうひとつの中国を描き出している。  消灯後、病室で眠りに就こうとしていた男性患者は便所に行くのが面倒くさいのか、床に向かって放尿する。一応、床には洗面器が置いてあるものの、薄汚れた病室に湿った臭気が立ち込める。他の患者たちはもう慣れっこで、平気な顔で眠っている。収容されて間もない若者は元気を持て余している。上半身裸になって廊下をぐるぐると走り回る。それでも興奮が収まらず、他の患者のベッドを蹴り壊してしまう。医者から注射を打たれて、ようやくおとなしくなった。食事シーンも強烈だ。みんなで中庭に出て、雑炊みたいなものを一斉にかき込む。食べ物に執着する患者は、残飯を捨てたバケツにまで箸を伸ばし、「ゴミまで食べるな」と注意される。患者たちは、みんな口をそろえて願う。「早く家に帰りたい」と。裸で走り回っていた青年は「収容されてから、おかしくなった」と訴えている。ここはこの世の生き地獄なのか? いつしか自分も、彼らと一緒に収容病棟で暮らしているかのような恐怖心を抱いてしまう。
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200名以上の患者が収容された病棟の中で、氏名不詳のまま6年間暮らしているヤーパ。ひとりで眠るのを嫌い、他の男性患者のベッドに潜り込む。
 だが、数時間にわたって彼らと一緒に過ごすことで、徐々にだが自分の意識が変容し始めていることに気づく。ヤーパ(唖者)と呼ばれる男性患者は、発達障害か幼少期のネグレクトが原因で言葉をしゃべらなくなったらしい。夜、ヤーパは他の男性患者のベッドに潜り込む。最初はホモっけがあるのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。ひとりで眠るのが淋しいのだ。人肌が恋しくて、他の患者のベッドへと入っていくヤーパ。温もりを求めているのはヤーパだけではない。誰もが淋しくて淋しくて堪らない。ひとり寝に耐えられず、他の患者と添い寝し合うことで人肌の温かさを確認する。また、プーと呼ばれるオッサンは、下の階にいる女性患者と鉄格子越しに愛を毎晩のように語り合う。収容病棟で育まれるプラトニックラブ。プーのいる男性患者専用フロアに女性患者が上がってきて、鉄格子の隙間から飴玉を渡すシーンがある。この飴玉はどんな口づけよりも甘く、どんな媚薬よりも刺激的だ。一見、うらぶれた精神病院にしか見えないが、よく目を凝らして見ると、ここには愛が溢れていることに気づく。家に帰っても居場所のない彼らにとって、収容病棟は最後の楽園なのかもしれない。  精神科診療所を舞台にした想田和弘監督のドキュメンタリー映画『精神』(08)もモザイク処理なしで、患者ひとりひとりに撮影許可をもらった上で取材を進めた労作だったが、『精神』が外来の診療所だったのに対し、『収容病棟』は患者たちの生活をそのまま全部見せるという“ありのまま感”に圧倒される。ワン・ビン作品を『鉄西区』(03)以降、『無言歌』(10)『三姉妹 雲南の子』(12)と日本で配給し、本作の共同プロデューサーも務めた武井みゆきさんにワン・ビン作品の製作内情を聞いてみた。
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収容されて9年になるプー。毎晩大声で求愛し続けた甲斐あって、下の階にいる女性患者が逢いに来た。しかも差し入れ持参だ。
武井「中国というと厳格な中央集権国家の印象がありますが、あれだけ広い国なので、地方にまでは行政の目が行き届かないんです。ワン・ビン監督は最初は北京の精神病院に取材を申し込んだのですが、断られています。そのうち『三姉妹』の撮影取材で雲南省へ通ううちに病院関係者と知り合い、撮影OKな病院を見つけたようです。細かいことは気にしない病院だったようですが、ワン・ビン監督はドキュメンタリー映画として公開すること、でも中国では上映しないこと等、きちんと病院側に企画内容を説明した上で撮影しているんです。完成した作品も病院側に観てもらっています。ワン・ビン監督はとても倫理観が強く、相手を騙して撮影したり、盗撮などはできない人。また中国で資本を受けると中国側の検閲が入ることから、外国からの資本のみで作品を撮り続けている希有な映像作家なんです。怖いもの見たさでもかまいません。映画を観る動機は人それぞれですから。でも、劇場に足を運んでもらえば、自分が想像していた以上のものを何かしら発見できると思うんです」  『収容病棟』だけでも相当ハードだが、もう一本超ヘビーなアジア発のドキュメンタリー映画が公開される。カンボジア出身のリティ・パニュ監督の『消えた画 クメール・ルージュの真実』だ。1970年代、ポルポト政権下のカンボジアでは一般市民が数百万人規模で大虐殺された。少年期を地獄のような環境で育ったリティ監督は故郷に戻り、かつて大量の死体が埋められた水田の土と水をこねて泥人形をこさえ、往年の故郷を模したジオラマに泥人形を並べ、家族や友達が強制労働の中で次々と死んでいった悪夢の日々を再現する。泥人形の素朴なかわいらしさと大量殺戮というシリアスな事実とのギャップに、観ている自分の心も張り裂かれる。非業の死を遂げた泥人形が軽やかに空を飛ぶ場面があるが、これほど胸を掻きむしられるファンタジーシーンはかつて観たことがない。  映画は自分の知らなかった世界を疑似体験させてくれる。そして、数時間後には劇場は明るくなり、元の世界に戻ることができる。自分がいる世界がスクリーンの中とは別世界であることに、ほっとひと安心する。だが、本当にそうだろうか。劇場の扉を開けると、そこにはさっきまで観ていた収容病棟とそっくりな空間が待っていて、ひとつ先の角を曲がると泥人形たちが暮らすジオラマが広がっているのではないか。映画を観た後のあなたの目には、今までとはまるで違った世界が映っているはずだ。 (文=長野辰次) shuyobyoto04.jpg 『収容病棟』 監督/ワン・ビン 撮影/ワン・ビン、リュウ・シャンフイ 編集/アダム・カービー、ワン・ビン 製作/Y.プロダクション、ムヴィオラ 字幕翻訳/武井みゆき 監修/樋口裕子 配給/ムヴィオラ 6月28日より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中  (c)Wang Bing and Y. Production http://moviola.jp/shuuyou ku-meru.jpg 『消えた画 クメール・ルージュの真実』 脚本・監督/リティ・パニュ ナレーション/ランダル・ドゥー 人形制作/サリス・マン 配給/太秦 7月5日(土)より渋谷ユーロ・スペースほか全国順次ロードショー (c) CDP / ARTE France / Bophana Production 2013 All rights reserved http://www.u-picc.com/kietae/

中島哲也監督の“破壊衝動”が全編にほとばしる! 崩壊家族が織り成すポストホームドラマ『渇き。』

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「このミス大賞」を受賞した深町秋生の処女小説の映画化。暴力に満ちた社会を憎む加奈子(小松菜奈)は、暴力で社会に復讐しようとする。
 ベストセラーコミックの実写化『進撃の巨人』を降板した中島哲也監督にとって、4年ぶりとなる新作が『渇き。』だ。中島監督はこれまで『下妻物語』(04)や『嫌われ松子の一生』(06)などスタイリッシュな映像作品で人気を博し、前作『告白』(10)も暴力的な内容ながら極めて静謐かつ美しい作品に仕立ててみせた。東宝配給でヒット作を連発してきた中島監督だが、一度自分が積み上げてきたものを全部リセットしたくなったのではないか。そう思わせるほど、GAGA配給による『渇き。』は荒々しい破壊衝動に満ちている。まるで中島監督自身が巨人と化したかのように、スクリーンに映るものすべてを破壊して回る。家族も職場の人間関係も輝かしい記憶も、壊して壊して壊しまくる。  予兆はあった。2010年にAKB48がリリースしたシングル曲「Beginner」のプロモーションビデオを手掛けた中島監督は、ゲームの世界とはいえAKBの主要メンバーたちを血祭りにした。篠田麻里子が、渡辺麻友が、小嶋陽菜が、そして大島優子が次々と瞬殺されていった。多くの少女たちの犠牲の上で、前田敦子はゲームの世界から現実の世界へと覚醒を果たした。中島監督が構想していた実写版『進撃の巨人』も、そんな世界観の延長戦上にあったのではないだろうか。生きるか死ぬかのギリギリの世界。“痛み”を伴うことでしか得られない、生きていることの切実感を『渇き。』でも描こうとしている。  魔性のヒロインである加奈子役の小松菜奈をオーディションで抜擢した『渇き。』は、深町秋生のホードボイルド小説『果てしなき渇き』が原作だ。数カ月前までは刑事だった藤島(役所広司)のもとに、離縁した元妻・桐子(黒沢あすか)から連絡が入る。高校生の娘・加奈子(小松菜奈)が昨晩から帰ってこないので探してほしいという。世間体を気にする桐子は警察には届けることができず、藤島を頼ってきたのだ。久しぶりに藤島が自宅に戻ると、加奈子の部屋から高校生らしからぬ物が見つかる。覚醒剤と注射器のセットだった。加奈子がとんでもない事件に巻き込まれているのは間違いない。自分に似ず、品行方正で優等生だと思っていた娘がなぜこんなことに?
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失踪した娘・加奈子の足取りを追う藤島(役所広司)。中学時代の担任教師(中谷美紀)から“3年前の事件”を契機に加奈子が変わったことを知らされる。
 警察をクビになり、家からも追い出され、サイアクの状態だった藤島だが、この事件を独力で解決することで、父親として夫としての威厳を取り戻そうとする。うまくすれば、復縁して家族としてやり直せるかもしれない。元刑事の勘と長年培った捜査のノウハウで娘の消息をたどり始める藤島。同じ高校に通う森下(橋本愛)、中学時代の同級生・遠藤(二階堂ふみ)、神経科医の辻村(國村隼)らと接触するが、どうも加奈子は単なる被害者ではないらしい。加奈子の名前を出すと、みんな祟り神を恐れるように口を閉ざしてしまう。一体、自分の娘は何者だったのか。藤島は調べれば調べるほど娘の正体が分からなくなる。やがて藤島は、中学生の頃に加奈子が親しくしていた緒方という男子生徒が自殺していたことを知る。だが、どこをどう探しても加奈子の姿を見つけることができない。それは仕事にのめり込んで家庭を省みなかった藤島への娘からの挑戦状でもあるようだった。  突然姿を消した娘の行方を父親が這いつくばって探し続けるというストーリーは、ポール・シュレイダー監督の『ハードコアの夜』(79)を彷彿させる。ポール・シュレイダーは『タクシードライバー』(76)や『モスキート・コースト』(86)など強迫観念にとらわれた男が常規を逸した破滅的行動に突っ走る物語をやたらと描きまくった人物だ。『ハードコアの夜』の保守的で超厳格な父親(ジョージ・C・スコット)は仕事を放り投げ、失踪した娘を執念の末に探し当てる。ところが、娘は何者かに拉致誘拐されたのではなく、息苦しい実家から自分の意志で逃げ出し、ポルノ映画界の住人として暮らしていた……。『ハードコアの夜』はそんな苦いオチが待っていた。だが、藤島家の親子には、『ハードコアの夜』以上にハードコアな闇が待ち受けている。  よくR18指定にならなかったなと思えるほど、『渇き。』はバイオレンスシーンとアブノーマルセックスのオンパレードだ。公安や裏社会からの様々な妨害に遭い、ボロボロになりながらも娘の痕跡を追い求める藤島。娘の置き土産である覚醒剤を自分の体に注射することで、娘の意識とシンクロしようとする。もはや藤島が追い掛けているものは、幻影としての温かい家庭と愛すべき娘でしかない。幻想だとわかっていながらも、藤島はそれを追うことしかできない。クソ野郎! ぶっ殺す! 罵詈雑言を吐きながら、藤島は娘を探し続ける。
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イジメられっ子のボク(清水尋也)と不良グループに属する遠藤(二階堂ふみ)。姿を見せない加奈子によって、みんな巧みに操られている。
 バイオレンスものを得意とする韓国映画などに比べると、暴力描写が必ずしもハマっているとは言いがたい。刑事役のキャスティングにも一部難がある。ポップでスタイリッシュだと称されてきた中島監督ならではの映像センスが、今回は悪趣味なものに映る。これまでの中島監督作品の完成度の高さに対し、荒削りな印象が強い。だが、そういった荒々しさなくしては描けない世界に中島監督は挑んだのだ。無惨なまでに砕け散った家族像を描くことで、新しいホームドラマの在り方を模索しているようにも感じられる。粉々に砕け散った後に、果たして一体何が残ったのか?  クリエイターがどれだけ苦労したかに関わらず、すべてをエンターテイメントとして“消費社会”は一瞬のうちに食べ尽くしてしまう。まさに倒しようがない巨人のごとき存在である。CMディレクターとして業界でのキャリアをスタートさせた中島監督は、そんな巨人の恐ろしさを充分に知っている。それでも、中島監督は『告白』以上の猛毒を持って、貪欲な巨人と対峙しようとする。無敵の巨人に、一撃を加えんと立ち向かっていく。  この世界を支配する巨人に抗うためには、常識に縛られ、スタリッシュさや過去の評価にかまっていることはできない。もっと、もっと強烈な破壊衝動が必要だ。巨人を倒すには、自分自身が巨人化する覚悟がなくてはならない。また、巨人を倒した後の新しいビジョンも求められる。中島監督の手による実写版『進撃の巨人』を観ることは叶わなかったが、中島監督の体内に蓄積されていただろう破壊衝動は『渇き。』の中に充分感じることができる。巨人を引きずり倒せ! 巨人をぶっ潰せ! 巨人をバラバラに解体してしまえ! “巨人殺し”というテーマを、中島監督は今後も背負っていくのではないか。そんな予感を感じさせる。中島監督の渇きはまだまだ癒されていない。 (文=長野辰次) kawaki_nakashima04.jpg 『渇き。』 原作/深町秋生『果てしなき渇き』 脚本/中島哲也、門間宣裕、唯野未歩子 監督/中島哲也 出演/役所広司、小松菜奈、妻夫木聡、清水尋也、二階堂ふみ、橋本愛、オダギリジョー、中谷美紀ほか R15 配給/ギャガ 6月27日(金)よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国ロードショー (c)2014「渇き。」製作委員会  http://kawaki.gaga.ne.jp/

これが史上空前の“お蔵入り映画”の全貌だ! 脳内麻薬が大噴出『ホドロフスキーのDUNE』

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今年85歳となるアレハンドロ・ホドロフスキー監督。映画監督のみならず、コミックの原作者、タロットカード研究家など多方面で活躍している。
 「ドラッグがなくてもトリップできるような映画、観た人の意識を変えてしまう映画をつくりたかったんだ」。“キング・オブ・カルト”アレハンドロ・ホドロフスキー監督はドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』の冒頭で高らかにのたまう。『エル・トポ』(70)や『ホーリー・マウンテン』(73)でカルト映画ブームを巻き起こしたホドロフスキー監督にとって、映画製作は金儲けの手段ではなく、世界中の人々の意識を変容させてしまう一種の芸術革命だった。未知なる世界をスクリーン上に生み出すことで、観る人々の意識をより自由なステージへと導くことを目指していた。果たして、そんな高尚かつアバンギャルドな映画を本当に完成させることができたのか? いや、ホドロフスキーが思い描いた理想の世界は、砂でつくった城郭のように脆くも崩れ去ってしまった。『ホドロフスキーのDUNE』は映画史に語り継がれる未完の大作『DUNE』の全貌を明らかにすると共に、ホドロフスキー監督の脳内イメージを観客が分かち合うという刺激的な内容となっている。  SF作家フランク・ハーバードが1965年にシリーズ第1巻を発表した大河小説『DUNE』は、デヴィッド・リンチ監督がカイル・マクラクラン、スティングらの出演で『デューン/砂の惑星』(84)として映画化したことで知られる。砂漠が広がる不毛の惑星デューンを舞台に、人間の意識を拡張するメランジという麻薬の利権をめぐって権謀術数が繰り広げられた。現代も続く中東諸国と英米との戦いを投影したような内容だった。『デューン/砂の惑星』は壮大なストーリーを2時間17分で強引にまとめたこともあり、興行的に大コケして終わる。これに懲りたデヴィッド・リンチは、その後は『ブルーベルベッド』(86)など低予算映画をもっぱら手掛けるようになった。  デヴィッド・リンチにとっても黒歴史となった『DUNE』だが、1975年に企画されていたホドロフスキー版のキャスト&スタッフが悶絶級にすんごい。銀河帝国の皇帝にはアート界の巨人サルバドール・ダリ。空飛ぶ悪徳貴族・ハルコンネン卿には『市民ケーン』(41)の天才監督にして伝説の名優オーソン・ウェルズ。スティングがパンツ一丁で演じたラウサには人気絶頂期のミック・ジャガー。音楽はTOTOではなくピンク・フロイド。そしてフランスコミック界のビックネームであるメビウスが絵コンテを描き、新進画家のH・R・ギーガーが美術デザイン……。名前を聞いているだけでクラクラと陶酔感を覚えるような顔ぶれによって製作準備が進められていたのだ。カメラを前にしたホドロフスキー監督は70年代にタイムトリップしたかのように、エネルギッシュに製作当時を振り返る。ホドロフスキーの口から目から鼻から耳から、そして体中の毛穴という毛穴から脳内麻薬がドクドクと溢れ出す。
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『DUNE』製作時のホドロフスキー監督とキャラクターデザインを手掛けたメビウス(右端)。ホドロフスキーに感化され、メビウスは数々の映画に関わる。
 ホドロフスキー監督が世界各地を回って、スタッフ&キャストをスカウトするエピソードがサイコーに楽しい。サルバドール・ダリは出演OKするものの無理難題をふっかけてきた。プライドが高いダリは「君の映画に出演しよう。でもハリウッドでいちばんギャラの高い俳優に私はなる。撮影1時間につき10万ドルほしい」と要求してくる。お金に縁のない生活を送るホドロフスキー監督に時給10万ドルなんて払えるわけがない。当時28歳だった青年プロデューサーのミシェル・セドゥーでも無理だ。そこでここはトンチで切り抜けることに。完成した映画にダリが何分映っているかで時給換算することにした。銀河皇帝の出演パートはほんの数分程度だ。これなら充分払える。オーソン・ウェルズは彼の行きつけのパリのレストランへ押し掛けて出演交渉する。喰い道楽に堕ち、現場からすっかり離れていたウェルズは「もう映画には出たくない」と断るが、ホドロフスキーは「ギャラとは別に、このレストランのシェフを専属で雇う」と申し出る。パリの一流レストランのシェフが撮影スタジオで賄い料理をつくるという、うっとりする提案にウェルズは思わず出演OKしてしまう。  錬金術師を思わせるホドロフスキー監督の手八丁口八丁ぶりに、映画界のみならずアート界、音楽界からも偉人奇人変人たちが続々と集結する。ホドロフスキー作品にはフリークス集団が度々登場するが、ホドロフスキーにすればダリもオーソン・ウェルズも精神的な欠陥者だった。欠落した常識の代わりに、彼らの心には狂気が宿っていた。ホドロフスキーは自分が集めたそんなスタッフ&キャストを、敬意を込めて「魂の戦士」と呼んだ。世間の常識を打ち破るための仲間だった。映画史上前例のない壮大すぎる実験映画をホドロフスキーは打ち上げようとしていた。  ホドロフスキー監督は「魂の戦士」軍団を結成するが、哀しいかなそれでもハリウッドの牙城は突き崩せない。映画をビジネスとしてしか考えないメジャースタジオのお偉い方たちは、ホドロフスキーがSF大作を監督することをあまりにもリスキーだと考えた。結局、ホドロフスキーの映画革命はハリウッドから拒絶される形で無惨にも砕け散る。やはり、ホドロフスキーの偉大なる実験は大失敗に終わったのか。いや、そうではないと、本作を3年がかりで完成させたフランク・パヴィッチ監督はホドロフスキーの無謀な挑戦を極めてポジティブに解釈する。
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H・R・ギーガーが描いた建造物のデザイン画。『エイリアン』を思わせる重厚かつ邪悪な雰囲気だ。5月に亡くなったギーガーへのインタビューも収められている。
 「魂の戦士」のひとりとして、ジョン・カーペンター監督のデビュー作『ダーク・スター』(74)で特殊効果を手掛けていたダン・オバノンが参加していた。ダリの推薦で、まだ無名だったスイス人画家のH・R・ギーガーも美術デザイナーとして加わっていた。『DUNE』の企画はクランクイン前に頓挫してしまったが、ダン・オバノンが脚本を書き、メビウスがコンセプトデザイン、ギーガーがクリーチャーデザインを担当することで人気SFホラー『エイリアン』(79)が誕生する。また、メビウスが描いた『DUNE』の詳細なストーリーボードはハリウッドの各メジャースタジオに台本代わりに届けられており、『DUNE』用に描かれていた様々なビジュアルイメージやアイデアはその後のSF映画に流用されることになる。『DUNE』の企画がなければ、『スター・ウォーズ』(77)も『レイダース/失われたアーク』(81)も『ブレードランナー』(82)も『ターミネーター』(84)も違ったものになっていただろうと本作は指摘する。  ホドロフスキー自身も、『DUNE』が史上最大の残念映画となったことを悔いてはいない。自分の脳内で閃いたイマジネーションが、多くの作品に有形無形な影響を与えたことを喜んでいる。もともとお金儲けのためではなく、人々の意識を変えることが目的だったからだ。『DUNE』は未完成ながら、ジャンルを越えた気鋭の人材を輩出し、また後進のクリエイターたちを大いに触発した。ホドロフスキーの当初の野望は充分に叶えられた。ホドロフスキー版『DUNE』は映画としての形をなすことなく幻に終わったが、『DUNE』に登場する秘薬メランジのように『DUNE』の企画に触れた人々の意識を次々と変容させていったのだ。  偉大なる失敗作『DUNE』の薫陶を受けたパヴィッチ監督は、ホドロフスキーにちょっとしたサプライズを用意する。『DUNE』の企画が立ち消えになって以降、音信を絶っていたプロデューサーのミシェル・セドゥーとホドロフスキーとの再会の場をセッティングしたのだ。2人とも「相手は怒っている」と思い込み、35年間にわたって距離を置いていた。だが、久しぶりに逢ってみるとお互いに映画製作への情熱が忘れられない「魂の戦士」同士だった。ホドロフスキーが新作を撮りたいと申し出ると、セドゥーは企画内容を聞かずに資金提供を約束した。そうして生まれたのが、今年85歳になるホドロフスキー監督の最新作『リアリティのダンス』だ。  『リアリティのダンス』はチリの小さな田舎町で生まれ育ったホドロフスキー監督の自伝的映画であると同時に、お金をめぐる寓話でもある。今年4月に来日を果たしたホドロフスキー監督はこう語った。 「お金はただの紙切れにすぎません。それなのにお金は恐ろしいことに人間を奴隷扱いしてしまう。今の貨幣システムは変えなくてはなりません。でも、もし変えられないのなら、お金をうまく使うことが大事です。個人的な欲望を満たすためにお金を消費するのではなく、もっと活きたものとして活用するのです」  『DUNE』で人間の意識をより自由な世界へと解放しようとしたホドロフスキー監督。瑞々しいイマジネーションに満ちた最新作『リアリティのダンス』では、貨幣制度に縛り付けられている現代人の傷ついた魂を救済しようと試みている。ホドロフスキー監督の映画革命は今なお進行中だ。 (文=長野辰次) dune_04.jpg 『ホドロフスキーのDUNE』 監督/フランク・パヴィッチ 出演/アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H・R・ギーガー、クリス・フォス、ブロンティス・ホドロフスキー、リチャード・スタンリー、デヴィン・ファラシ、ドリュー・マクウィーニー、ゲイリー・カーツ、ニコラス・ウィンディング・レフン、ダイアン・オバノン、クリスチャン・ヴァンデ、ジャン=ピエール・ビグナウ  配給/アップリンク、パルコ 6月14日より新宿シネマカリテ、ヒューマントラスト有楽町、渋谷アップリンクほか全国順次公開中  (c)2013 CITY FILM LLC,ALL RIGHTS RESERVED  http://www.uplink.co.jp/dune dancereality.jpg 『リアリティのダンス』 監督・脚本/アレハンドロ・ホドロフスキー 衣装デザイン/パスカル・モンタンドン=ホドロフスキー 出演/ブロンティス・ホドロフスキー、パメラ・フローレス、イェレミアス・ハースコヴィッツ、アレハンドロ・ホドロフスキー、バスティアン・ボーデンホーファー、アンドレス・コックス、アダン・ホドロフスキー、クリストバル・ホドロフスキー  配給/アップリンク、パルコ 7月12日(土)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか全国順次公開  (c) “LESOLEIL FILMS”CHILE・“CAMERA ONE”FRANCE 2013 http://www.uplink.co.jp/dance

これが史上空前の“お蔵入り映画”の全貌だ! 脳内麻薬が大噴出『ホドロフスキーのDUNE』

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今年85歳となるアレハンドロ・ホドロフスキー監督。映画監督のみならず、コミックの原作者、タロットカード研究家など多方面で活躍している。
 「ドラッグがなくてもトリップできるような映画、観た人の意識を変えてしまう映画をつくりたかったんだ」。“キング・オブ・カルト”アレハンドロ・ホドロフスキー監督はドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』の冒頭で高らかにのたまう。『エル・トポ』(70)や『ホーリー・マウンテン』(73)でカルト映画ブームを巻き起こしたホドロフスキー監督にとって、映画製作は金儲けの手段ではなく、世界中の人々の意識を変容させてしまう一種の芸術革命だった。未知なる世界をスクリーン上に生み出すことで、観る人々の意識をより自由なステージへと導くことを目指していた。果たして、そんな高尚かつアバンギャルドな映画を本当に完成させることができたのか? いや、ホドロフスキーが思い描いた理想の世界は、砂でつくった城郭のように脆くも崩れ去ってしまった。『ホドロフスキーのDUNE』は映画史に語り継がれる未完の大作『DUNE』の全貌を明らかにすると共に、ホドロフスキー監督の脳内イメージを観客が分かち合うという刺激的な内容となっている。  SF作家フランク・ハーバードが1965年にシリーズ第1巻を発表した大河小説『DUNE』は、デヴィッド・リンチ監督がカイル・マクラクラン、スティングらの出演で『デューン/砂の惑星』(84)として映画化したことで知られる。砂漠が広がる不毛の惑星デューンを舞台に、人間の意識を拡張するメランジという麻薬の利権をめぐって権謀術数が繰り広げられた。現代も続く中東諸国と英米との戦いを投影したような内容だった。『デューン/砂の惑星』は壮大なストーリーを2時間17分で強引にまとめたこともあり、興行的に大コケして終わる。これに懲りたデヴィッド・リンチは、その後は『ブルーベルベッド』(86)など低予算映画をもっぱら手掛けるようになった。  デヴィッド・リンチにとっても黒歴史となった『DUNE』だが、1975年に企画されていたホドロフスキー版のキャスト&スタッフが悶絶級にすんごい。銀河帝国の皇帝にはアート界の巨人サルバドール・ダリ。空飛ぶ悪徳貴族・ハルコンネン卿には『市民ケーン』(41)の天才監督にして伝説の名優オーソン・ウェルズ。スティングがパンツ一丁で演じたラウサには人気絶頂期のミック・ジャガー。音楽はTOTOではなくピンク・フロイド。そしてフランスコミック界のビックネームであるメビウスが絵コンテを描き、新進画家のH・R・ギーガーが美術デザイン……。名前を聞いているだけでクラクラと陶酔感を覚えるような顔ぶれによって製作準備が進められていたのだ。カメラを前にしたホドロフスキー監督は70年代にタイムトリップしたかのように、エネルギッシュに製作当時を振り返る。ホドロフスキーの口から目から鼻から耳から、そして体中の毛穴という毛穴から脳内麻薬がドクドクと溢れ出す。
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『DUNE』製作時のホドロフスキー監督とキャラクターデザインを手掛けたメビウス(右端)。ホドロフスキーに感化され、メビウスは数々の映画に関わる。
 ホドロフスキー監督が世界各地を回って、スタッフ&キャストをスカウトするエピソードがサイコーに楽しい。サルバドール・ダリは出演OKするものの無理難題をふっかけてきた。プライドが高いダリは「君の映画に出演しよう。でもハリウッドでいちばんギャラの高い俳優に私はなる。撮影1時間につき10万ドルほしい」と要求してくる。お金に縁のない生活を送るホドロフスキー監督に時給10万ドルなんて払えるわけがない。当時28歳だった青年プロデューサーのミシェル・セドゥーでも無理だ。そこでここはトンチで切り抜けることに。完成した映画にダリが何分映っているかで時給換算することにした。銀河皇帝の出演パートはほんの数分程度だ。これなら充分払える。オーソン・ウェルズは彼の行きつけのパリのレストランへ押し掛けて出演交渉する。喰い道楽に堕ち、現場からすっかり離れていたウェルズは「もう映画には出たくない」と断るが、ホドロフスキーは「ギャラとは別に、このレストランのシェフを専属で雇う」と申し出る。パリの一流レストランのシェフが撮影スタジオで賄い料理をつくるという、うっとりする提案にウェルズは思わず出演OKしてしまう。  錬金術師を思わせるホドロフスキー監督の手八丁口八丁ぶりに、映画界のみならずアート界、音楽界からも偉人奇人変人たちが続々と集結する。ホドロフスキー作品にはフリークス集団が度々登場するが、ホドロフスキーにすればダリもオーソン・ウェルズも精神的な欠陥者だった。欠落した常識の代わりに、彼らの心には狂気が宿っていた。ホドロフスキーは自分が集めたそんなスタッフ&キャストを、敬意を込めて「魂の戦士」と呼んだ。世間の常識を打ち破るための仲間だった。映画史上前例のない壮大すぎる実験映画をホドロフスキーは打ち上げようとしていた。  ホドロフスキー監督は「魂の戦士」軍団を結成するが、哀しいかなそれでもハリウッドの牙城は突き崩せない。映画をビジネスとしてしか考えないメジャースタジオのお偉い方たちは、ホドロフスキーがSF大作を監督することをあまりにもリスキーだと考えた。結局、ホドロフスキーの映画革命はハリウッドから拒絶される形で無惨にも砕け散る。やはり、ホドロフスキーの偉大なる実験は大失敗に終わったのか。いや、そうではないと、本作を3年がかりで完成させたフランク・パヴィッチ監督はホドロフスキーの無謀な挑戦を極めてポジティブに解釈する。
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H・R・ギーガーが描いた建造物のデザイン画。『エイリアン』を思わせる重厚かつ邪悪な雰囲気だ。5月に亡くなったギーガーへのインタビューも収められている。
 「魂の戦士」のひとりとして、ジョン・カーペンター監督のデビュー作『ダーク・スター』(74)で特殊効果を手掛けていたダン・オバノンが参加していた。ダリの推薦で、まだ無名だったスイス人画家のH・R・ギーガーも美術デザイナーとして加わっていた。『DUNE』の企画はクランクイン前に頓挫してしまったが、ダン・オバノンが脚本を書き、メビウスがコンセプトデザイン、ギーガーがクリーチャーデザインを担当することで人気SFホラー『エイリアン』(79)が誕生する。また、メビウスが描いた『DUNE』の詳細なストーリーボードはハリウッドの各メジャースタジオに台本代わりに届けられており、『DUNE』用に描かれていた様々なビジュアルイメージやアイデアはその後のSF映画に流用されることになる。『DUNE』の企画がなければ、『スター・ウォーズ』(77)も『レイダース/失われたアーク』(81)も『ブレードランナー』(82)も『ターミネーター』(84)も違ったものになっていただろうと本作は指摘する。  ホドロフスキー自身も、『DUNE』が史上最大の残念映画となったことを悔いてはいない。自分の脳内で閃いたイマジネーションが、多くの作品に有形無形な影響を与えたことを喜んでいる。もともとお金儲けのためではなく、人々の意識を変えることが目的だったからだ。『DUNE』は未完成ながら、ジャンルを越えた気鋭の人材を輩出し、また後進のクリエイターたちを大いに触発した。ホドロフスキーの当初の野望は充分に叶えられた。ホドロフスキー版『DUNE』は映画としての形をなすことなく幻に終わったが、『DUNE』に登場する秘薬メランジのように『DUNE』の企画に触れた人々の意識を次々と変容させていったのだ。  偉大なる失敗作『DUNE』の薫陶を受けたパヴィッチ監督は、ホドロフスキーにちょっとしたサプライズを用意する。『DUNE』の企画が立ち消えになって以降、音信を絶っていたプロデューサーのミシェル・セドゥーとホドロフスキーとの再会の場をセッティングしたのだ。2人とも「相手は怒っている」と思い込み、35年間にわたって距離を置いていた。だが、久しぶりに逢ってみるとお互いに映画製作への情熱が忘れられない「魂の戦士」同士だった。ホドロフスキーが新作を撮りたいと申し出ると、セドゥーは企画内容を聞かずに資金提供を約束した。そうして生まれたのが、今年85歳になるホドロフスキー監督の最新作『リアリティのダンス』だ。  『リアリティのダンス』はチリの小さな田舎町で生まれ育ったホドロフスキー監督の自伝的映画であると同時に、お金をめぐる寓話でもある。今年4月に来日を果たしたホドロフスキー監督はこう語った。 「お金はただの紙切れにすぎません。それなのにお金は恐ろしいことに人間を奴隷扱いしてしまう。今の貨幣システムは変えなくてはなりません。でも、もし変えられないのなら、お金をうまく使うことが大事です。個人的な欲望を満たすためにお金を消費するのではなく、もっと活きたものとして活用するのです」  『DUNE』で人間の意識をより自由な世界へと解放しようとしたホドロフスキー監督。瑞々しいイマジネーションに満ちた最新作『リアリティのダンス』では、貨幣制度に縛り付けられている現代人の傷ついた魂を救済しようと試みている。ホドロフスキー監督の映画革命は今なお進行中だ。 (文=長野辰次) dune_04.jpg 『ホドロフスキーのDUNE』 監督/フランク・パヴィッチ 出演/アレハンドロ・ホドロフスキー、ミシェル・セドゥー、H・R・ギーガー、クリス・フォス、ブロンティス・ホドロフスキー、リチャード・スタンリー、デヴィン・ファラシ、ドリュー・マクウィーニー、ゲイリー・カーツ、ニコラス・ウィンディング・レフン、ダイアン・オバノン、クリスチャン・ヴァンデ、ジャン=ピエール・ビグナウ  配給/アップリンク、パルコ 6月14日より新宿シネマカリテ、ヒューマントラスト有楽町、渋谷アップリンクほか全国順次公開中  (c)2013 CITY FILM LLC,ALL RIGHTS RESERVED  http://www.uplink.co.jp/dune dancereality.jpg 『リアリティのダンス』 監督・脚本/アレハンドロ・ホドロフスキー 衣装デザイン/パスカル・モンタンドン=ホドロフスキー 出演/ブロンティス・ホドロフスキー、パメラ・フローレス、イェレミアス・ハースコヴィッツ、アレハンドロ・ホドロフスキー、バスティアン・ボーデンホーファー、アンドレス・コックス、アダン・ホドロフスキー、クリストバル・ホドロフスキー  配給/アップリンク、パルコ 7月12日(土)より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか全国順次公開  (c) “LESOLEIL FILMS”CHILE・“CAMERA ONE”FRANCE 2013 http://www.uplink.co.jp/dance

二階堂ふみは撮影現場で「鬼畜……」と呟いた! 常識に縛られない男女の危険な物語『私の男』

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二階堂ふみが「私の勝負作」と呼ぶ、映画『私の男』。中学生から25歳までの10年間を演じ切ってみせた。濃厚な濡れ場があることでも話題だ。
 男のロマンというと、すでに死語になって久しい言葉だろう。いい年齢してUMA(未確認生物)を追い掛けてしまうような人たちが夢見る世界のことを指す。大阪芸術大学の卒業制作『鬼畜大宴会』(97)でデビューを飾った熊切和嘉監督も、男のロマンを追い掛けている一人だと思う。「こんな映画を企画すればヒットする」みたいなマーケット戦略は考えず、「まだ誰も見たことのない、とんでもない映画を作りたい」という想いが頭の中を占めている。『鬼畜大宴会』は破壊衝動のみで撮り上げられた怪作だったが、その後は商業映画の世界でマイペースにキャリアを積み重ね、ひとつの街を丸ごと描いた『海炭市叙景』(10)などの佳作をものにしてきた。徐々にだが、頭の中で思い描いているスケール感と映画監督としての技量が噛み合ってきた感がある。桜庭一樹の直木賞受賞作『私の男』は、そんな熊切監督でなければ映画化できなかった作品だと言っていい。予算も製作日数も限られている日本映画の枠組みの中で、メインキャストを本物の流氷の上に立たせて対決シーンを撮ろうなんて考える監督はそうそういない。そしてまた、男のロマンに共感した二階堂ふみという女優の存在がなければ完成しなかった作品でもある。  『私の男』は“父”と“娘”との禁断の関係が描かれる。1993年に起きた奥尻島地震で家族を失った幼い少女・花が、海上保安庁に勤める遠縁の男・淳悟に養女として引き取られ、美しく成長していく物語だ。花役の二階堂ふみは丸々としたほっぺの中学生時代から、メガネ女子高生を経て、OL、そして結婚式前夜の25歳までの10年間を見事に演じ分けている。淳悟役の浅野忠信との濃厚な濡れ場にも挑んだ。フルヌードにこそなっていないものの、下着姿で絡み合い、ディープキスを交わし、お互いの指をベロベロとしゃぶり合う。初めての濡れ場ながらフルスイングだ。役に徹底的にのめり込む二階堂らしい。  二階堂の妖艶さとその魅力に淫らに墜ちていく浅野のダメ男ぶりに目が奪われる『私の男』だが、叙事詩的な荘厳さがそこには漂う。死者202名、行方不明者28名に及んだ奥尻島地震から、北海道拓殖銀行の破綻、さらには自殺者、大量の処分者が出た北海道警の裏金問題といった北海道の現代史が物語の背景となっている。震災で家族を失った花と、身寄りのない淳悟は、流氷の町・紋別で2人ぼっちの世界を築いていく。町の大地主で、花のことを気に掛ける大塩のおやじ(藤竜也)は「家族を知らん人間が家族を作れるのか」と厳しく淳悟を問い詰める。多分、大塩のおやじの言っていることは正しい。父親を早くに失い、母親から異常なほど厳しく育てられた淳悟は、温かい家庭を知らない。でも、知らないからこそ、欲しくて欲しくて堪らない。花は淳悟の善き理解者として、娘であり、妻であり、恋人であり、愛人であり、そして母親でもあろうとする。埋めがたいコドクを抱える淳悟にとって、花はすべてだった。俺の女だった。
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紋別で2人っきりで暮らす淳悟(浅野忠信)と花(二階堂ふみ)。2人には誰にも知られてはならない秘密が隠されていた。
 淳悟の愛情を全身に浴び、花はひっそりと咲く食中植物のように育っていく。養父と養女との関係を越えた2人の結びつきを知った淳悟の恋人・小町(河井青葉)は、町を静かに去っていくしかなかった。大塩のおやじも2人の秘密に気づき、忽然と姿を消すことになる。北海道出身の熊切監督が描く『私の男』は、父と娘の禁断の関係そのものがテーマではない。北国の過酷な環境の中で、タブーやモラルに縛られることなく、ひとりの少女が力強く生き抜いていく、美しくも歪んだ成長物語なのだ。エログロ度数の高い、もうひとつの『北の国から』と言っていいかもしれない。  熊切監督が二階堂ふみと出会ったのは、『莫逆家族 バクギャクファミーリア』(12)のオーディション会場。大人になったヤンキーたちの行く末をやるせなく描いたセンチメンタルバイオレンス『莫逆家族』のオーディションを受けるあたり、二階堂の男のロマンへの共感度がうかがえる。オーディション会場に集まった他の若手女優たちが元気よく「よろしくお願いします!」とあいさつする中、二階堂だけが不機嫌そうに佇んでいた。それを見た瞬間、熊切監督は「あっ、花がいた! 自分の意志で生きている女の子だ!」と思ったという。結局、二階堂は『莫逆家族』のオーディションに落ち、『私の男』のヒロインに選ばれる。R15作品である『私の男』は二階堂が18歳になるのを待ってから撮影がスタート。紋別でのクランクインに合わせるように、オホーツク海を南下してきた流氷がタイミングよく着岸。映画の神様が熊切監督に優しく微笑んだ。こうして、『私の男』のキモとなる二階堂と藤竜也の流氷の上での対決シーンが撮影された。セットでは到底表現できない流氷のパノラマがスクリーンいっぱいに広がる。  人としてのモラルを説く大塩のおやじと自分の本能に忠実に生きようとする花との火花を散らす攻防が、不安定な流氷の上で繰り広げられる。ぐらぐらと揺れる流氷は、人間社会そのものなのだろう。オホーツクの大自然に比べ、2人が乗った流氷の塊はあまりにもちっぽけだ。ちょっとでもバランスを失えば、海にどぼんと落ちてしまう。このシーンの撮影で、二階堂は制服の下にドライスーツを着込んでいたとはいえ、合計4回も冷水の中へ潜ることを余儀なくされた。濡れた手袋をしたままだった二階堂の指先は感覚がなくなってしまったそうだ。
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地元の銀行に勤める小町(河井青葉)は、淳悟の恋人として町の人たちが公認する仲。だが、花が現われたことで小町は居場所を失う。
 流氷シーンの撮影の帰り、熊切監督は「鬼畜……」という言葉を耳にする。それは撮影を終えた二階堂の呟きだった。「鬼畜大宴会」と二階堂は熊切監督のデビュー作のタイトルを口にしたのだ。伝説のデビュー作『鬼畜大宴会』から15年あまり。熊切監督の頭の中でずっと渦巻いていた、とんでもない世界が少しずつ形になりつつある。『私の男』はその第一歩となりそうだ。そして二階堂にとっても、少女時代の墓標と呼べる作品になったに違いない。 (文=長野辰次) watashinootoko04.jpg 『私の男』 原作/桜庭一樹 脚本/宇治田隆史 音楽/ジム・オルーク 撮影/近藤龍人 監督/熊切和嘉 出演/浅野忠信、二階堂ふみ、モロ師岡、河井青葉、山田望叶、三浦誠己、三浦貴大、広岡由里子、安藤玉恵、竹原ピストル、太賀、相楽樹、康すおん、吉本菜穂子、松山愛里、奥瀬繁、吉村実子、高良健吾、藤竜也 配給/日活 R15 6月14日(土)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー (c)2014「私の男」製作委員会 http://watashi-no-otoko.com

惚れた女の数だけ傑作残すウディ・アレンみたい 今泉力哉監督の新感覚コメディ『サッドティー』

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「正しい恋愛」とは存在するのか? カフェの店員・棚子(青柳文子)の視点から大人になれない若者たちの恋愛事情を描いた『サッドティー』。
 心がちょっとささくれたとき、さっと飲むお茶。それがサッドティーだ。本気で交際していた相手との別れは、体が引き裂かれそうなほど辛い。そんなときは、ひとり酒をあおって失恋の痛みが癒えるのをじっと待つしかない。では、恋人と呼ぶにはまだ早い段階の相手との別れは全然辛くないかとゆーと、思っていた以上に動揺している自分がいることに気づく。相手の存在がすでに心の中にまで侵蝕していたらしい。とは言っても、酒を飲むにはまだ日が高い。そんなとき、さっと飲むのがサッドティーだ。ほんの少しだけ、気持ちが軽くなった気がする。“ダメ恋愛映画の旗手”今泉力哉監督の恋愛群像劇『サッドティー』は、今までの恋愛映画が描くことのなかった様々なタイプのビミョーな恋愛感情が実に軽妙に描き出されている。  映画の世界で描かれるラブストーリーは、主人公の男女が障害を乗り越えて結ばれるハッピーエンドか、もしくは永遠の別れが待っている号泣系のラストシーンであることがほとんど。白か黒かの世界だ。だが、人間がA型、O型、B型、AB型の血液型4種類では到底分類できないように、人間の抱く恋愛感情はもっと複雑で多岐に及んでいる。「全然タイプじゃなかったけど、夏服に着替えた途端にときめいてしまった」みたいな小さな感情が膨れ上がって、いつの間にかその子のことが気になって仕方なくなってしまう。この感情はどうにも抑えがたい。『サッドティー』に登場する12人の男女は、それぞれ茶碗にぷかぷかと浮かぶ茶柱のようにプラトニックな恋愛感情とよこしまな浮気願望との狭間を漂い続ける。  『サッドティー』の軸となる人物は、二股交際している映画監督の柏木(岡部成司)。いつも変な寝ぐせヘアなくせに、女性にはよくモテる。同棲している恋人の夕子(永井ちひろ)がいながら、洋裁学校に通う緑(國武綾)のアパートにちょくちょく泊まる。といっても柏木は肉食野獣系ではなく、女性から「つきあって」と迫られると断るのが面倒という優柔不断男。柏木には高校以来の友人・朝日(阿部隼也)がいるのが、朝日は10年前に引退したマイナーなアイドル・いちごちゃんのことを一途に想い続けている。彼女が芸能界を去った記念日になると毎年海に出掛けて花束を捧げる儀式を欠かせない。かなり変わったヤツだが、柏木はひとりの女性を想い続けられる朝日のことがちょっとだけ羨ましい。一方、芸能界を辞めたいちごちゃん=夏(内田慈)はダメ男を渡り歩く人生。ようやく結婚することになった相手はDV男(吉田光希)。夏はネットで自分のことを今も想い続けているファンがまだいることを知り、結婚前に一度逢ってみようと思い立つ。浮き足状態の男たち女たち。みんないい年齢だが、未だに「ちゃんと好きになる」ことがよく分からない。そんな男女の恋愛曼荼羅がカフェの店員・棚子(青柳文子)の目線から描かれる。
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映画監督の柏木(岡部成司)は脚本が書けずにいるが、かわいい女の子とのおしゃべりは欠かせない。今泉監督自身を投影したキャラクターだ。
 本作を撮った今泉監督は、モト冬樹が主演した恋愛コメディ『こっぴどい猫』(12)が高く評価された次世代の注目監督。福島県出身、名古屋市立大学芸術工学部卒業後、大阪のNSC(吉本総合芸術学院)に1年間通ってネタづくりを学んだこともあり、コメディづくりに並々ならぬ情熱を注いでいる。『こっぴどい猫』はモト冬樹以外オーディションで選んだキャストの新鮮さが魅力的だったが、ワークショップ形式で製作にじっくり手間ひまを注いだ『サッドティー』も若手キャストのアンサンブルと展開の読めないオリジナルストーリーで楽しませてくれる。  今泉監督作品の主人公たちは、毎回のようにみんな浮気性であるか浮気願望を抱えている。『サッドティー』で脚本づくりに頭を悩ませている映画監督・柏木も2人の女性の間を行ったり来たりする。ウディ・アレン監督が“現役”バリバリだった頃の『マンハッタン』(79)あたりを連想させるキャラクターだ。今泉作品はコメディ映画の巨匠ウディ・アレンと作風が似ているというよりは、お気に入りの女優と出会う度に傑作を生み出すウディ・アレンの創作スタイルに通じるものを感じさせる。そのことを伝えたところ、今泉監督は大きくうなずいた。 今泉「創作活動する上で、女の子の存在ってすっごく大きいと思います。モチベーションが違ってきますから。それこそ、僕が映画監督を目指した理由はモテたくて(笑)。まぁ、映画をつくっているうちに“モテたい”より“面白いものを”の気持ちが強くなりますけど。僕が初めて映画賞をもらった『微温』(07)という短編映画があるんですが、僕が勤めていた映画館のバイト仲間に出てもらって撮った作品なんです。僕はその職場にいた女の子に一度告白して振られたんですが、ダメもとで出演交渉したらOKしてくれた。それで撮影が終わってからテンションが上がってもう一度告白したら、また振られてしまった。同じ子に二度も振られた(苦笑)。でも、一度好きになった人って、嫌いにはなれないんですよね。自分が好きだった子が出てるから下手な作品にはできないと気合い入れて編集した覚えがあります(笑)。傑作と呼ばれる作品が誕生する背景には、監督の創作意欲を刺激する存在があるんだと思います。今回の『サッドティー』でいえば、棚子役の青柳文子さんがその存在。青柳さんはモデルとしても活躍しているけど、人間的にも面白くて魅力的な女性。僕は結婚して子どももいるので実際に浮気はしないけれど、僕の短編映画に何本か出てくれた青柳さんと長編映画でがっつり仕事がしてみたいという気持ちが今回は強かったように思いますね(笑)」
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『大川端探偵社』(テレビ東京系)の第3話でデリヘル嬢を好演した内田慈がゲスト女優として参加。ダメ男ばかり引いてしまう元アイドル役。
 女優をきれいに撮る監督は信用できる。だって、自分の本能にすごく正直な人だから。今泉監督にとって記念碑的な作品となった『微温』だが、後日談がある。沖田修一、前田弘二ら若手人気監督を輩出してきた水戸短編映像祭で『微温』がグランプリを受賞した際、結婚する前の奥さん(映画監督の今泉かおりさん)から「(告白した彼女のことが)また気になってるんじゃないの?」と冗談っぽく言われたそうだ。普段はひょうひょうとした今泉監督だが、この何気ないひと言がきっかけで「僕はこれからも自分が魅力的だと思う人を撮り続けていくつもりだよ。それがダメなら、もう別れよう」とマジで大ゲンカになったらしい。今泉監督夫婦の場合は大ゲンカから大逆転して結婚というゴールテープを切ることになったわけだが、男と女の間には白か黒かで判別できないビミョーな感情の海が大きく横たわっているようだ。  新感覚の笑いに溢れ、女の子の最高にかわいい瞬間が収めてあって、そして従来の映画では描かれることのなかったレアな感情を紡いでいく今泉力哉監督。これからのブレイクが楽しみな存在なのだ。まぁ、奥さんは大変だと思いますけど。どうぞ、ご家族ご円満に。 (文=長野辰次) sadtea04.jpg 『サッドティー』 監督・脚本・編集/今泉力哉 音楽/トリプルファイヤー 出演/岡部成司、青柳文子、阿部隼也、永井ちひろ、國武綾、二ノ宮隆太郎、富士たくや、佐藤由美、武田知久、星野かよ、吉田光希、内田慈 配給/SPOTTED PRODUCTIONS 5月31日よりユーロスペース他にて全国順次公開中  (C)2013 ENBUゼミナール  http://www.sad-tea.com

中国の暗部をえぐる実録犯罪集『罪の手ざわり』“格差社会”が招いた哀しき犯罪者たちの慟哭!

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悪徳商人、不正役人は許すまじ! 梁山泊の義賊に想いを馳せるダーハイ(チァン・ウー)は自分を嘲笑した村人たちに次々と天誅を下していく。
 2010年にGDP(国内総生産)ランキングで日本を抜いて、世界第2位に躍り出た中国。2020年代には米国も追い抜き、世界最大の経済大国になることが予測されている。計画経済から市場経済に移行し、わずかな期間で目覚ましい経済成長を遂げた中国だが、その反面では社会格差も著しく生じている。安価で豊富な労働力が経済成長を支えてきたわけだが、一方的に搾取され続けている労働者たちの怒りと不満は爆発する寸前だ。“中国映画第六世代”の旗手ジャ・ジャンクー監督の新作『罪の手ざわり』は、現代中国で起きた4つの実在の事件を題材にしたもの。社会格差が陰惨な事件を誘発している現状を生々しく暴き出している。昨年のカンヌ映画祭で脚本賞を受賞し、世界40か国以上で配給が決まっているものの、中国本土では公開の目処が立っていない問題作だ。  最初に描かれるのは、2001年に中国北部・山西省の小さな村で起きた大量殺戮事件。村のトップである共産党支部書記をはじめ、71歳から10歳までの14人がひとりの男によって射殺された。事件の発端は、村の共有財産だった炭坑の採掘権がいつの間にか実業家の手に渡っていたことだった。炭坑で働く中年男のダーハイ(チァン・ウー)は、「社長のジャオが炭坑の利益をひとり占めしているのはおかしい」と村長らに訴えるが相手にされない。ダーハイとジャオは学生時代は同級生だったが、市場開放を機にジャオは成功を収め、今や勝ち組の代表。負け犬となったダーハイがいくら正論を吐いても誰も見向きもしない。北京にある中央規律委員会に告訴状を送ろうとするも、ダーハイはその住所を知らなかった。郵便局員からは「住所が書いてない郵便物は受け取れない」と告訴状を突き返されてしまう。きっと村長も郵便局員もみんなジャオから口止め料をもらっているに違いない。広場で上演されていた京劇『水滸伝』を観ていたダーハイは「自分こそは現代の義賊だ」と思い込み、猟銃を持って村役場、そしてジャオ社長のもとへと向かう。家族も希望もないダーハイは引き金を引くことを躊躇しなかった。死体の山を築き、返り血を浴びたダーハイは実に満足げな表情を浮かべる。  第二幕の主人公となるのは、出稼ぎ労働者から連続強盗殺人鬼へと変貌した平凡な男チョウ・コーホワ。中国西部・重慶出身のチョウ(ワン・バオチャン)は最初こそは真面目に働いて、田舎で暮らす家族にせっせと仕送りしていたが、働いても働いても生活は楽にならない。いつしかチョウは『山月記』の人虎のように平気で人を殺して、財布をいただく冷血鬼となっていた。強盗殺人を生業とするチョウだが、旧正月に故郷へ帰るときだけは家族想いの優しい男に戻る。妻は仕送り額が急に増えたことから、夫が危ない仕事に手を出していることに感づいている。だが、今さら元の生活に戻ることはできない。束の間の休みを終え、再び強盗業を再開するチョウ。銀行から出てきた裕福そうな夫婦に目をつけ、白昼の市街地で平然と銃弾を放ち、現金を奪い去る。この後、チョウはA級指名手配され、2012年8月に警察隊に射殺されることになる。
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セクハラ役人殺傷事件の加害者は、中国のネット上で女侠客として人気を集めている。演じるのはジャ・ジャンクー作品の常連女優チャオ・タオ。
 第三幕と第四幕は、中国の性風俗ビジネスが舞台だ。華中・湖北省の「夜帰人」という風俗サウナで受付係として働くシャオユー(チャオ・タオ)は、台湾系の縫製工場で工場長を務める男と長年にわたって愛人関係にある。男はいつまで待っても離婚する気配がない。女ひとりの稼ぎで食べていける豊かな時代になったものの、幸福な家庭とは程遠い侘しい生活しか手に入らなかった。そんな折、いかにも成金風の男性客たちがサウナを訪れ、シャオユーに「金は払うから、お前が特別マッサージをしろ」と執拗に迫る。「私は受付係で、娼婦ではない」と断るシャオユーの顔を男性客は札束で叩く。忍耐の緒が切れたシャオユーは男性客を果物ナイフで刺殺し、サウナを赤い血で染める。2009年に起きたセクハラ公務員殺傷事件がモデルで、実際はマッサージ室に置かれていた魚の目を取るための刃物(修脚刀)が凶器として使われた。  もうひとつの舞台は、中国南部・広東省にある高級クラブ「中華娯楽城」。ここでは若くて容姿端麗な女の子たちがコスプレ姿で男性客を楽しませてくれる。指名料とチップを弾めば、お気に入りの女の子が個室でスペシャルサービスもしてくれる。縫製工場で働いていた青年シャオホイ(ルオ・ランシャン)は賃金の安さが嫌で退職し、華やかそうな夜の世界へと飛び込んだ。「中華娯楽城」のボーイとなったシャオホイは同じ湖北出身の女の子リェンロン(リー・モン)と懇意になるが、自分の惚れた女が小金持ちのオヤジたちの性のオモチャとなっているのを直視できない。「ここを出よう。君と一緒ならどこでもいい」とリェンロンに告白するが、彼女は故郷に小さな子どもがおり、仕送りを送らなければいけない身だった。お金がなければ、恋をすることも未来を夢見ることもできない。絶望感に覆われたシャオホイは、強烈な破壊衝動に駆られる。  北京にある華やかなテーマパーク、でも張りぼての世界で働くコンパニオンを主人公にした『世界』(04)、三峡ダムの建設で沈みつつある『三国志』ゆかりの地・奉節で撮影した『長江哀歌』(06)など、ジャ・ジャンクー監督は中国の激変ぶりを庶民の視点から一貫して描き続けている。社会の変化に対応できないスリ師を主人公にしたデビュー作『一瞬の夢』(97)はベルリン映画祭ほか世界各地の映画祭で高く評価されたが、国の許可なく海外の映画祭に出品したことを監督仲間や当局から咎められ、長年にわたって中国国内での活動禁止処分を喰らっていた気骨ある映画監督だ。中国で表立った活動ができなかったジャンクー監督を支え続けてきたのが、「東京フィルメックス」のプログラム・ディレクターとして知られる市山尚三氏。市山氏が所属するオフィス北野が資金面や海外セールスをサポートしてきたことで、ジャンクー監督は映画製作を続けることができた。『罪の手ざわり』も市山氏がプロデューサー、オフィス北野の森昌行社長が製作総指揮に名を連ね、日本ではオフィス北野とビターズ・エンドが配給を手掛けている。ジャンクー監督初のバイオレンス映画といえる本作だが、北野武監督作品でおなじみキタノブルーに彩られたオフィス北野のオープニングロゴがすごくよく映える。
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風俗店でボーイとして働くシャオホイ(ルオ・ランシャン)は、同じ店に勤める同郷のリェンロン(リー・モン)と恋仲になっていくが……。
 下町育ちの北野監督が過激なバイオレンス描写で現代人の空っぽな哀しみを切々と伝えるように、ジャンクー監督もまた経済成長の代わりに多くのものを失った中国人の心の虚ろさをひりひりと描いてみせる。『罪の手ざわり』に登場する4つの犯罪エピソードの中でも、北野作品に通じる哀愁を強く感じさせるのは第二幕の連続強盗魔チョウだろう。ずっと家を留守にしたままで、たまに家に帰ってきても父親らしいことを何もできずにいるチョウは、まだ幼い息子の手を引いて夜の散歩へと出掛ける。旧正月を祝う花火が打ち上げられるのを息子は黙って眺めているだけだ。そんな息子に「花火を上げたいか?」と優しく問い掛けるチョウ。懐の奥に隠し持っていた商売道具の拳銃を取り出し、夜空に向かって銃声を響かせる。チョウの望郷の念とこれまで重ねてきた罪の色と息子の将来を案じる想いが複雑に入り交じった淡く切ない花火だった。多分、チョウの息子は父親の顔は忘れても、この夜に見た花火のことだけは生涯忘れることができないだろう。この花火は、ジャンクー監督が変わり果てていく祖国に向けた弔いの送り火でもある。ジャンクー監督の哀しみと北野作品のバイオレンス性が激しく共鳴する1シーンだ (文=長野辰次) tsuminotezawari04.jpg 『罪の手ざわり』 監督・脚本/ジャ・ジャンクー 出演/チャオ・タオ、チァン・ウー、ワン・バオチャン、ルオ・ランシャン、チャン・ジャイー、リー・モン、ハン・サンミン、ワン・ホンウェイ 配給/ビターズ・エンド、オフィス北野 5月31日(土)よりBunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー (c) 2013 BANDAI VISUAL, BITTERS END, OFFICE KITANO http://www.bitters.co.jp/tumi

ネット社会が生んだ新しい孤独にどう対処する? 家族の崩壊と再生の物語『ディス/コネクト』

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エロサイトでお金を稼ぐ未成年のカイル(マックス・シエリオット)。学歴も開業資金もない若者たちにとって、ネットビジネスは魅力的だ。
 時計さえ発明されなければ、人間は時間に追い掛けられずに済んだ。ある詩人はそう語った。現代のネット社会を見たら、その詩人は何と言うだろうか。ネットさえなければ、人間は新しい孤独に悩まされずに済んだ。そんな言葉を残したかもしれない。人間社会を豊かで便利なものにするはずのインターネットだが、日常生活に欠かせないものになるにつれ、ネット文化が招くマイナス面が年々大きくなっている。人と人とのコミュニケーションを円滑にする一方、誤解や犯罪も簡単に呼び寄せてしまう。米国映画『ディス/コネクト』はタイトルの通り、インターネットに依存するあまり家族や大切な人と接触不能状態に陥ってしまった人たちを主人公にした群像劇となっている。  『ディス/コネクト』はネット上で起きる3つの事件を描いている。SNS上での嫌がらせ、ネット詐欺、違法アダルトサイトと我々がいつ巻き込まれてもおかしくないケースばかりだ。ハイスクールに通う内気な少年ベン(ジョナ・ボボ)は、最近はとても機嫌がいい。ネット上にアップしていた自作の曲を「感動したわ」と書き込んでくれたジェシカという少女から度々メッセージが届くようになり、学校で友達がいないベンはうれしくて堪らない。ジェシカも家庭や学校に自分の居場所を見つけることができずに悩んでいる。2人は孤独を共有できる唯一の親友同士だった。ある日、ジェシカからヌード画像が送られてきた。驚くベンだったが、彼女に嫌われたくないあまりに自分も下半身を剥き出しにした画像を送り返す。ベンの裸の画像はすぐさまネット上にアップされ、学校中の生徒たちがベンを指差して大笑いした。ジェシカという少女は存在せず、同級生のジェイソン(コリン・フォード)が友達と悪ふざけでなりすましメールを送っていたのだ。初めての親友に裏切られたベンは自宅で首を吊り、病院へと運び込まれる。  生後間もない赤ちゃんが亡くなり、シンディ(ポーラ・パットン)とデレック(アレキサンダー・スカルスガルド)の夫婦仲はうまくいっていない。シンディの悲しみを癒してくれるのは、同じように大切なものを失った経験を持つ人たちとのチャットでのやりとりだった。仕事を口実に外出してばかりのデレックと違って、チャットの住人はシンディの言葉に真剣に耳を傾けてくれる。だが、そんな時に事件が起きた。チャットを介してシンディのパソコン上の個人情報が流出し、夫婦で共有していたクレジットカードが不正に使われ、気づいたときには残高ゼロになっていた。デレックは妻がネット詐欺に遭ったこともショックだったが、自分に話さないような悩みまで見知らぬチャット相手に打ち明けていたことに怒りを感じた。警察に届けてもらちがあかないため、デレックはネット専門の探偵に犯人探しを依頼する。
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弁護士のボイド(ジェイソン・ベイトマン)は、息子のベンが自殺を図ったことに衝撃を受ける。SNS上でのやりとりが原因だったらしい。
 3つめの問題は、未成年者たちが集う違法ポルノサイト。ニュースレポーターのニーナ(アンドレア・ライズブロー)は、ポルノサイトのチャットでイケメン少年のカイル(マックス・シエリオット)と知り合い、顔を出さないことを条件に取材を申し込む。家庭や地域社会に自分の居場所が見出せない少年少女たちが自分たちのコミュニティを築き、生活費を稼ぐ手段としてポルノサイトを運営していることが分かった。ニーナが取材した番組は反響を呼び、CNNで全国放映されることが決まった。カイルと祝杯をあげるニーナだったが、カイルの将来のことが次第に気になり始める。数日後、テレビ局にFBIが現われ、違法サイトに関する情報を提供するよう求めてきた。取材ソースは明かせないと抵抗するニーナだったが、テレビ局のお抱え弁護士ボイド(ジェイソン・ベイトマン)から「コンプライアンスを遵守するべし」と指示される。カイルを売って身の保全を優先するか、カイルとの信頼関係を守るべきか、ニーナは二者択一を迫られる。  バラバラに起きた事件のようだが、物語を追っていくうちに、3つのトラブルはそれぞれ絡み合っていることが分かってくる。自殺を図り、病院で昏睡状態が続くベンの父親は弁護士のボイドで、いつも仕事に追われ、ベンが学校でも家庭でも孤立していたことに気づかずにいた。ベンを自殺に追い込んでしまった同級生ジェイソンの父親は、ネット専門の探偵マイク(フランク・グリロ)。マイクはネットの危険性を熟知するあまり、ジェイソンに対しパソコンの使用を厳しく制限していた。その反動で、ジェイソンはネット上でいたずら行為に走ってしまう。ネット探偵マイクが調べあげた情報をもとに、デレックは妻とチャットしていた相手・シューマッカー(ミカエル・ニクヴィスト)の自宅へと向かう。弁護士のボイドは息子が病院に運ばれたことに動揺し、レポーターのニーナが起こした揉め事を早急に解決しようと焦る。3つの事件は当事者たちの心のスレ違いが原因で起き、やがて複雑に混線し、取り返しのつかない状態へと陥っていく。ネット社会の縮図が115分のドラマの中で描かれていく。  一見、どうしようもなくこんがらがってしまった負の連鎖劇に思える本作を、痛みと温かさを感じさせるヒューマンドラマにまとめ上げたのはヘンリー=アレックス・ルビン監督。ドキュメンタリー映画『マーダーボール』(06)がアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされた経歴を持つが、劇映画は本作が初めて。『マーダーボール』は車椅子ラグビーで体中にアドレナリンをたぎらせた身障者たちが激しくぶつかり合う格闘ロマン。車椅子ラグビーに生き甲斐を見出す身障者たちの狂乱ぶりが観る者の心を揺さぶる快作だった。身体性200%のスポーツドキュメンタリーから、一転してネット社会を題材にしたシリアスドラマに挑んだ意外性が面白い。今回は劇映画だが、キャストたちの目の届かない場所にカメラを配置して隠し撮りさながらに撮影し、脚本通りのテイクを撮った後にキャスト自身の生の言葉をアドリブでしゃべらせたテイクも撮るなど、ライブ感を活かした演出を盛り込んでいる。フィクションとしてのドラマではなく、観ている我々と地続きの出来事として本作を届けたいという想いが強かったのだろう。
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ネット専門の探偵マイク(フランク・グリロ)。自分の息子がパソコンで何かトラブルを引き起こしたことに気づくが……。
 同じ5月24日(土)に公開される早見和真原作、石井裕也監督の『ぼくたちの家族』と同様に、『ディス/コネクト』もまた家族の崩壊と再生が描かれる。『ぼくたちの家族』の父親(長塚京三)はマイホームさえあれば温かい家庭を築くことができると信じて働き続けてきたが、母親(原田美枝子)の入院がきっかけで多額のローンが残っていることが発覚。子どもたち(妻夫木聡、池松壮亮)は母の介護と膨大な借金に向き合わざるをえない。幸福な家族のシンボルだったマイホームが、一家を苦しめることになる。『ディス/コネクト』の弁護士ボイドもネット探偵のマイクも、家長である自分が懸命に働けば、子どもたちはその背中を見て真っすぐに育ってくれると信じていた。だが、子どもたちには、いつも背中を向けている冷たい大人としてしか認識されない。ネット上で知らない人と仲良くなるのは簡単なのに、同じ屋根の下で暮らす家族とは顔を向き合って本音を語り合うことは容易ではない。だが、本音で向き合うことを避けていては、再生の道は開かれない。タッチパネルの操作と違って、それはとても煩わしく、鈍い痛みを伴う作業だ。  『ディス/コネクト』の後半、弁護士のボイドは息子のベンがなぜ自殺を図ったのか真相が知りたく、ベンのネット上の履歴を調べ始める。息子のパソコンを覗くという行為は、思春期の少年の心の闇に足を踏む込むことと同じだった。ボイドはそこでジェシカという少女に出会う。彼女もまた心に深い闇を抱えていることをボイドは知る。事件の真相が分かったところで、ベンの意識が回復するわけではない。父親であるボイドにできることは、ただひとつ。病院で眠り続ける息子の手をしっかりと握り、その温もりを確かめることだった。 (文=長野辰次) disconnect04.jpg 『ディス/コネクト』 脚本/アンドリュー・スターン 監督/ヘンリー=アレックス・ルビン 出演/ジェイソン・ベイトマン、ホープ・デイヴィス、フランク・グリロ、ミカエル・ルクヴィスト、ポーラ・パットン、アンドレア・ライズブロー、アレキサンダー・スカルスガルド、マックス・シエリオット、コリン・フォード、ジョナ・ボボ、ヘイリー・ラム  配給/クロックワークス PG12 5月24日(土)より新宿バルト9ほか公開  (c)DISCONNECT,LLC 2013 http://dis-connect.jp

“義妹萌え”をポップでフェティシュに実写化!『最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。』

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人気コミックの実写化『最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。』。高校生の美月(橋本甜歌)の股間に貞操帯(T・S・T)が妖しく食い込む。
 最近、角川映画のようすがちょっと気になるのだが。角川書店と合併してKADOKAWAに社名変更し、現在はブランド名としてのみ残る角川映画だが、壇蜜の初主演作『私の奴隷になりなさい』(12)がロングランヒットを記録して以降、かなりの独自路線を突き進んでいる。『私の奴隷』は壇蜜の写真集やメイキングDVDも同時期にリリースするという角川映画の伝統芸・メディアミックス効果もあり、“壇蜜”という一種の社会現象を生み出した。続いて佐々木心音主演の官能ファンタジー『フィギュアなあなた』(13)、さらに過激さを増した壇蜜主演のSM映画第2弾『甘い鞭』(13)、桜庭一樹原作のライトノベルを芳賀優里亜主演で映画化した『赤×ピンク』(6月18日DVDレンタル開始)とR指定の異色作を次々と公開。どれも主演女優が大胆なフルヌードを披露していることで共通している。5月17日(土)より劇場公開される恋愛コメディ『最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。』は、『天才てれびくんMAX』(NHK教育)などで活躍した元ジュニアアイドルの橋本甜歌を主演に抜擢。テレビアニメ版ではヒロインの自慰シーンなどがBPO(放送倫理・番組向上機構)で審議された問題作に、橋本甜歌はまさに裸で勝負している。  『最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。』、略称『妹ちょ。』は、高校生の美月(橋本甜歌)と同じ高校に通う夕哉(小林ユウキチ)が親同士の再婚によって同じ屋根の下で暮らし始めるというベタすぎるくらいベタな“義妹萌え”の世界だ。家族が増えたことを素直に喜ぶ夕哉に対し、人づきあいが苦手な美月はよそよそしい態度しかとれない。両親が別れれば、また孤独な生活に戻ることになる。それなら最初から仲良くしないほうがいいと。そんな美月に、交通事故に遭ったものの成仏できないという自称幽霊の寿日和(繭)が取り憑いてしまう。内向的な美月に比べ、日和は幽霊と思えないほどポジティブな性格。優しい夕哉に恋心を抱いており、この想いが叶えられれば成仏できるとのこと。日和が憑依した美月は、素っ裸で夕哉の寝床に潜り込むなど“危ない妹”に大変身。しかも、股間には日和が成仏しないと外れないという貞操帯(T・S・T)が装着されている。ビザール調の貞操帯が、美月の股間で妖しい黒光りを放つのだった。  実写化するには、あまりにもベタすぎる『妹ちょ。』の世界。この企画を成立させるために呼ばれたのが、人気カメラマンの青山裕企氏だった。『スクールガール・コンプレックス』『絶対領域』『パイスラッシュ −現代フェティシズム分析−』などフェティッシュな写真集で知られる青山氏を監督に起用したことで、『妹ちょ。』は下世話なエロ映画になるギリギリのところでポップさと思春期の危うさを漂わせる作品に踏み止まった。共同監督を務めたのは伊基公袁(IGGY COEN)氏。日大芸術学部監督コース卒業、TVディレクターを経て、AV監督になったというプロフィールの持ち主。エロティックさとコメディを両立させる演出力が評価され、青山氏と共に監督デビューを果たすことになった。
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両親が仕事で家を空け、美月は義兄の夕哉(小林ユウキチ)と2人っきりで暮らすことに。血は繋がっていないから近親相姦にはならない?
 青山監督のフェティッシュな世界観と伊基監督のコメディタッチの演出との相乗効果によって、橋本甜歌が演じるヒロイン・美月が3D映像のように二次元の世界から飛び出してきた。内向的な性格の美月と日和が憑依したことで萌えキャラに突然変異する、橋本甜歌の一人二役ぶりがとても自然に感じられる。陰と陽の二面性を持つキャラクター像は、いかにも10代の女の子らしい。また決して芝居がうまいわけではないが、橋本甜歌というタレントにとっても二面性を演じ分けることは自然なことのように映る。『天才てれびくんMAX』にレギュラー出演していた時期は“いい子”として愛され、その後はギャルブロガー“てんちむ”としてぶっちゃけキャラへと変貌を遂げた。多分、どちらも彼女のリアルな一面なのだろう。日和を演じたグラビアアイドル・繭の女性らしい成熟したボディに比べると、20歳そこそこの橋本甜歌の裸体はさほどエロスを感じさせるものではない。だが、ラストシーンで見せるヘアヌードには、思わずときめいてしまった。ヘアでこんなにも胸が高鳴ったのは、宮沢りえの写真集『サンタフェ』以来ではないか。  『妹ちょ。』や一連のR指定作品を手掛けているKADOKAWAの大森氏勝プロデューサーは、橋本甜歌を主演にキャスティングした経緯を以下のように語る。 「ヌード、しかもフルヌードになって、そこそこの製作費を回収できる女優さんを探さなくてはいけないのがこの手の企画の難しいところです。演技が巧くても無名では難しく、かといって有名な女優さんは無理。初脱ぎで、かつキャラクターがたっていて、知名度もある……ということをいつも念頭において探しています。『妹ちょ。』の場合は、妹っぽい属性をもった子でなくてはいけないので、タレント性がないと難しいのではないかと思っていました。そんな時、コンビニの成人誌のコーナーで、橋本さんのグラビアが掲載されている雑誌を見たんです。確か、赤いビキニを着て、まだ少女のような幼さの残る顔と胸、そしていまどきの長い足。とてもナチュラルなグラビアで、これまで見たことのないタレント性を感じました。主役の格がある、と一瞬で思ったんです。調べたら、子役で人気を博し、少女時代を綴った『中学生失格』がベストセラーになったてんちむ=橋本甜歌さんだと分かった。すぐスマホで調べて所属事務所に電話して、原作と企画書をもって伺ったところ、子役で有名だった彼女がギャルタレントから大人のナチュラルなイメージへ転身するのに、大きなきっかけを求めているタイミングだったんです。青山監督も伊基監督も彼女に会って、ぴったりだと印象をもった。そしてなにより、橋本さんが原作のファンで、ご本人が『やりたい!』という意思が明確だったのが、いちばんの決め手だったと思います」
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自称幽霊の日和(繭)に取り憑かれた美月。原作やテレビアニメ版とは異なる映画版としてオリジナルの結末が用意されている。
 脱いでくれる女優なら「誰でもOK!」なわけではなく、企画の特性とイメージチェンジを図る女優側とのタイミングがうまくハマらないと映画として成立しないとのことだ。それにしても、メジャー系とは一線を画する角川映画のこの独自路線はどこまで続くのだろうか。7月19日(土)には、お菓子系アイドルとして人気を博した木嶋のりこ主演作『ちょっとかわいいアイアンメイデン』の公開が控えている。名門女子高の拷問部を舞台にしたR15作品で、YouTubeに予告編がアップされてすぐに削除されたというかなりの過激さが売りだ。エロくて、ポップでフェティッシュという新分野は果たして確立できるのか。ライトノベルというジャンルから直木賞作家・桜庭一樹ら本格派の作家たちが育ったように、表現の自由度が高いR指定路線から新しい才能が飛び出していけば面白い。サブカルシーンからメジャーへのジャンピングボードとしての機能を果たす新しい角川映画に期待しよう。 (文=長野辰次) imocho_movie04.jpg 『最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。』 原作/松沢まり 監督/青山裕企、伊基公袁 脚本/伊基公袁、港岳彦 音楽/ハジメンタル 主題歌/神前美月「HOW’S IT GOING?」 出演/橋本甜歌、小林ユウキチ、繭、矢野未夏、葉山レイコほか 配給/KADOKAWA R-15 5月17日(土)より池袋シネマ・ロサほか全国公開  (c)2014「最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。」製作委員会  http://imocyo.jp

“聖なる儀式”としてのカニバリズム(人肉嗜食)! 伝統を尊ぶ一家に代々伝わる秘密のレシピ『肉』

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田舎で暮らすパーカー家に伝わる“伝統料理”を題材にしたR18映画『肉』。みんなが同じ料理を食することで、家族の絆を固めている。
 降雨のシーンは映画の中で“浄化”を意味する。米国・ニューヨーク州郊外にある小さな田舎町を舞台にしたR18映画『肉』は、冒頭で延々と雨が降り続ける。よほど浄化されなくてはならない深い罪がこの町には隠されているらしい。この町では昔から行方不明者が後を絶たない。残された家族の悲しみが豪雨となって降り続けているかのようだ。氾濫した川は土砂を押し流し、深く埋められていた白骨死体が発見される。死体を調べてみると、人為的に解体され、しかも茹でられていることが分かった。静かなこの町には食人鬼がいる……! そして、この町は身を潜めて暮らす食人鬼にとって格好の狩猟場だったのだ。  子どもの頃に昔話『かちかち山』を読んで、おじいさんが“ばばぁ汁”を「おいしい、おいしい」と飲むくだりに衝撃を受けた人は少なくないだろう。楳図かずおの人気コミック『漂流教室』でクラス委員の大友くんが死んだ仲間を丸焼きにして食べるシーンはトラウマ級のインパクトがあった。人間が人間を食べる“カニバリズム”は、現代人が最も忌み嫌うタブー中のタブーだ。それゆえ、文学や映画の題材としてたびたび取り上げられてきた。武田泰淳原作の『ひかりごけ』(92)やイーサン・ホーク主演作『生きてこそ』(93)は実在の事件を再現し、人間の脳みそをソテーする『ハンニバル』(01)は大ヒットした。それこそホラー映画には多数の食人鬼が登場してきたが、トランスフォーマー配給の『肉』(原題『We Are What We Are』)が興味深いのは、カニバリズムを土着信仰や食文化の側面からアプローチしている点にある。
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母親が亡くなり、パーカー家の伝統行事を受け継ぐことになったアイリスとローズ。幼い頃は当たり前だと思っていた習慣が姉妹を苦しめる。
 降り続ける豪雨の中、昔ながらの質素で慎ましい生活を送っているパーカー家のエマ夫人が不意に亡くなる。地元の医師は亡くなる直前のエマの手足がパーキンソン病の患者のように震えていたこと、またエマの死体を検死したところ、脳が部分的に萎縮していたことを知る。ニューギニアの奥地で暮らす食人族が狂牛病によく似た症状を患っていたのによく似ている。一体、パーカー家の人々はどんな食生活を送っているのだろうか。  母親のエマを失い、パーカー家の子どもたちは動揺していた。パーカー家では毎年この時期に断食を行ない、断食明けには家族そろって晩餐を囲むことになっている。晩餐用の料理は、これまでずっとエマが用意してきた。厳格な父親フランク(ビル・セイジ)は、うら若い美人姉妹アイリス(アンビル・チルダース)とローズ(ジュリア・ガーナー)に、エマに代わって晩餐の準備をするように命じる。地下室に繋がれた“生け贄”を屠殺し、食肉として調理しなくてはならないという、少女たちにとっては過酷すぎるパーカー家の伝統儀式だった。  パーカー家の人々が人肉を食するようになったのは、アメリカが独立して間もない18世紀後半にまで遡る。新大陸に移り住んだものの、未開の土地でパーカー家の先祖たちは食べる物に困り、餓死寸前だった。森へ出掛けた叔父が戻らず、そして体が衰弱していた母も姿を消した。代わりに新鮮な肉がそこには残されていた。こうしてパーカー家は苦難の時代を生き延び、その後は身内以外から生け贄を探し出して現在に至っている。パーカー家にとって食人行為は、一族の繁栄と家族の絆を確かめ合う大切な儀式だったのだ。父親に逆らうこともできず、まだ幼い弟もいるため家から逃げ出すこともできず、アイリスとローズは初代パーカーが書き残した秘伝のレシピを参考に人肉料理に取り掛かる。
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次女ローズを演じたジュリア・ガーナー。「ホラー映画は苦手だけど、この作品はシリアスな家族の繋がりを描いたユニークな作品」と語る。
 過酷すぎる宿命を背負ったパーカー家の長女アイリスを熱演したのは、『ザ・マスター』(12)で新興宗教の教祖一家の娘役を演じたアンビル・チルダーズ。アンビルは「モルモン教の家庭で育ち、子どもの頃の境遇によく似ていたわ。とても厳しい家で、家族の団結は強かったけれど、友達はできなかった」と自身の少女時代を振り返っている。次女ローズを演じたのは、カルト集団による洗脳の恐怖を描いた『マーサ、あるいはマーシー・メイ』(11)で女優デビューを果たしたジュリア・ガーナー。青白い顔が『ビートルジュース』(88)の頃のウィノナ・ライダー、『アダムス・ファミリー』(91)のクリスチーナ・リッチーを彷彿させる美少女だ。本作への出演を「チャレンジが好きだし、こういう変わった役をやるのは刺激的だった。怖いといえば、すべて怖かった(笑)。でもある意味、そのためにこの仕事を選んだようなものだから。怖いと思うからこそ、エキサイトしてチャレンジしたくなるのよ」と話す。これからの飛躍が期待できそうな逸材である。近代文明を拒絶した生活を送るアーミッシュを世間に知らしめた『刑事ジョン・ブック 目撃者』(85)のケリー・マクギリスが隣人役なのも興味深い。  厳粛なる儀式としてのカニバリズムを描いた本作を観ていると、キリスト教における“聖体拝領”を思い浮かべずにはいられない。カトリック信者たちが分かち合うパンはイエス・キリストの肉を、ワインはキリストの血を意味している。愛する者と一心同体化したいという願いがそこには込められている。アイリスとローズもまた、家を出ていく前に最後の晩餐を開くことを決意する。最後の晩餐の席で注がれるワインは、かつてなく濃厚で生温かい。生きていく覚悟と狂気が隠し味となったパーカー家最高のディナーが始まろうとしていた。 (文=長野辰次) nikumovie_sub2.jpg 『肉』 脚本/ニック・ダミチ、ジム・ミックル 監督/ジム・ミックル 出演/ビル・セイジ、アンビル・チルダーズ、ジュリア・ガーナー、ジャック・ゴア、ケリー・マクギリス  配給/トランスフォーマー R18+ 5月10日(土)より新宿武蔵野館にてレイトショーほか全国順次公開 ※新宿武蔵野館では手軽に楽しめる「肉食割引」「超人割引」を実施! (c)2013 We Are What We Are, LLC. http://niku-movie.com