変態だっていいじゃないの、だって人間だもの。怒濤のセックス大河ドラマ『ニンフォマニアック』

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ニンフォマニア(色情狂)であることを自認するジョー(シャルロット・ゲンズブール)は、あらゆるSEXプレイに果敢に挑んでいく。
 快楽のためにセックスするのは、どうやら人間と一部の霊長類に限られているらしい。だとすると、快楽目的のセックスを追求するということは、非常に人間らしい(もしくは一部の霊長類らしい)行為ではないのか。ニンフォマニアとは“色情狂”のこと。快楽としてのセックスを常に欲している女性のことを指す。デンマーク出身の鬼才ラース・フォン・トリアー監督の『ニンフォマニアック』は、ひとりの女性の半生を男性遍歴を通して物語るというセックス大河ドラマだ。自他ともに色情狂であることを認める女主人公ジョーの性の大饗宴がVol.1(1時間57分)とVol.2(2時間3分)の合計4時間にわたって繰り広げられる。  物語は路上で行き倒れている中年女性ジョー(シャルロット・ゲンズブール)が親切な銀髪の紳士セリグマン(ステラン・スカルスガルド)に介抱される場面から始まる。お礼代わりにジョーは、自分が行き倒れになるまでの経緯をベッド上で語り始める。現代版『アラビアンナイト』といった趣きだ。Vol.1では若き日のジョー(ステイシー・マーティン)が性に目覚めていく様子が語られる。いわば、ヰタ・セクスアリス的世界。2歳にして浴室でカエルごっこをして、濡れた床に下半身を押し付けることで快感を覚えるジョー。学校にあった様々な備品は、どれも魅惑的なオナニーグッズだった。初体験は15歳のとき。バイク好きな青年J(シャイア・ラブーフ)にバージンを奪ってほしいと自分から頼んだ。Jはジョーを正常位で3回、バックで5回突いて果ててしまった。3+5=ロストバージン。痛みと屈辱しか残らなかった処女喪失だった。  そんな苦い思い出を払拭するかのように、高校生になったジョーは親友のBと共に列車内でのボーイハントに熱中する。思わせぶりな台詞と目くばせで、どちらが多くの男とエッチできるかを競い合う。すくすくとビッチに育っていくジョー。性に対する貞操観はその人の人格形成に大きな影響を与えるようだ。奔放なセックスで彩られた青春時代を過ごしたジョーは、高校卒業後も奔放な性生活を送る。Vol.1のラスト、ジョーに優しかった最愛の父親(クリスチャン・スレイター)が心の病で入院する。病院のベッドに付き添うジョーだが、意識の混濁した父と妄想の世界で禁断の関係を結ぶ。父が息を引き取った瞬間、ジョーの股間はびしょびしょになる。ジョーは肉親との永遠の別れと引き換えに最高のエクスタシーを感じた。タブーこそ、人類にとって最大の媚薬だった。
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高校生になったジョー(ステイシー・マーティン)は、親友Bと列車内で何人の男とエッチできるかを競い合う。このゲームで男の扱い方をほぼマスター。
 Vol.2で結婚&出産を経験するジョーは、新人ステイシー・マーティンからシャルロット・ゲンズブールへバトンタッチ。ステイシーの鮮烈なスレンダーボディが、唐突にゲンズブールの疲れ果てた熟女ヌードに変わることに戸惑いを覚える。愛のないセックスを繰り返していると、肉体も人格も別人のように変貌してしまうのだろうか。ぜひ「an・an」のセックス特集班に解明してほしい。家庭を持ち、母親になったことで、ジョーの二股三股は当たり前、一時は8人と分刻みで付き合っていた性生活も落ち着くかと思えば、さらにアブノーマルなプレイへと向かう。まだ幼い子どもを放ったらかして、SMサロンを主宰するセックスセラピスト・K(ジェイミー・ベル)のサディスティックさにハマってしまう。ジョーは家庭よりも快楽追求を選んでしまった。歯止めを失った彼女は、生きながら性の無間地獄へと堕ちていく。  家庭を失い、ますます過激なセックスにのめり込んでいくジョー。道端にいた黒人の巨根ブラザーズをホテルに呼び出し、3Pにも挑戦する。ジョーの暴走は、勤務先でも大問題となっていた。誰とでも寝るジョーがいることで、職場が混乱して会社として機能しなくなってしまったのだ。上司からの命令で、ジョーはセックス依存症の治療を受けることに。自分の性欲を制御できるように努力するジョーだったが、セックス依存症患者たちが集まる互助会に参加していく中で、ジョーの我慢袋が爆発する。「私はセックス依存症じゃない。私は色情狂なだけよ!」と啖呵を切るジョー。自分自身にとても正直なジョーは限りなくかっこよく、そして限りなく痛々しい。  映画には多かれ少なかれ監督個人の変態性が作品の中に滲み出るものであり、そういった作品が「作家性がよく表れている」と高く評価される傾向にある。さしずめラース・フォン・トリアー監督は、変態映画の王道をぶっちぎりで暴走する孤独なトップランナーだ。前作『メランコリア』(11)では、鬱状態の主人公を演じたキルスティン・ダンストが全裸でオナニーするシーンが強烈だった。キルスティン・ダンストは地球が滅亡する瞬間に、かつてないエクスタシーを感じていた。シャルロット・ゲンズブールが主演した『アンチクライスト』(09)ではセックスと罪悪感との関係を掘り下げていった。このテーマは『ニンフォマニアック』vol.2でも引き続き取り上げられる。過激な内容から難解なイメージを抱かれがちなトリアー監督作だが、『ニンフォマニアック』はとても分かりやすい娯楽作品に仕上がっている。トリアー監督に言わせれば、自分の体の中に湧き上がる欲望をうまく押し隠せる人間こそが、立派な社会人だということらしい。でも欲望を完全に切り離してみせる聖者よりも、自分の欲望にのたうち回るジョーのほうがとても人間らしいではないか。
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ジョーと中年男Hとの不倫現場に、H夫人(ユマ・サーマン)が子どもを連れて乱入。鬼気迫るユマ・サーマンの熱演ぶりに思わず爆笑してしまう。
 合計4時間に及ぶジョーの性遍歴を見て思うのは、彼女は本当に色情狂なのかという疑問だ。若い頃にセックスをしまくり、結婚した時点ですでに不感症に陥っていたジョーは、SMや3Pなどアブノーマルなプレイを求めるようになる。性的な充足感よりも、精神的な刺激に飢えているように感じられる。セックスでの刹那的な喜びでは満足できず、Vol.2では裏社会へ足を踏み入れていく。セックスそのものよりも、スリリングな生き方をジョーは求めているように映る。登山家が危険な山頂を目指すように、ジョーもまた快感のピークを目指して登り詰めていく。多くの人はほどほどのセックスで満足し、子育てや社会での出世に情熱の注ぎ先を換えていくのに対し、ジョーは飽くなき探究心で前人未到の領域へと向かう。ジョーは色情狂ではない、彼女は孤高なるセックス冒険家なのだ。なぜ、あなたはセックスするのかと尋ねられたから、ジョーはこう答えるだろう。「そこにチンコがあるから」。 (文=長野辰次) nymphomaniac04.jpg 『ニンフォマニアック』 監督・脚本/ラース・フォン・トリアー 出演/シャルロット・ゲンズブール、ステラン・スカルスガルド、ステイシー・マーティン、シャイア・ラブーフ、クリスチャン・スレイター、ジェイミー・ベル、ユマ・サーマン、ウィレム・デフォー、ミア・ゴス、ソフィ・ケネディ・クラーク、コニー・ニールセン、ジャン=マルク・バール、ウド・ギア 配給/ブロードメディア・スタジオ R-18 『ニンフォマニアックvol.1』は10月11日(土)より、『ニンフォマニアックvol.2』は11月1日(土)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開。 (c)2013 ZENTROPA ENTERTAINMENTS31 APS, ZENTROPA INTERNATIONAL KÖLN, SLOT MACHINE, ZENTROPA INTERNATIONAL FRANCE, CAVIAR, ZENBELGIE, ARTE FRANCE CINÉMA http://www.nymphomaniac.jp

世界は「使われなかった性技」であふれている! ピンク映画50周年記念『色道四十八手 たからぶね』

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ピンク映画界で活躍する愛田奈々をヒロインに起用した『色道四十八手 たからぶね』。ピンク映画の伝統を受け継ぎ、35ミリフィルムで撮影された。
 人と人との肌が触れ合う温かみと、その触れ合った肌はいつかは離れなくてはならないという切なさ。渋谷ユーロスペースで封切られる成人映画『色道四十八手 たからぶね』には、そんな生きとし生けるものの万感の思いが込められている。決して大予算を注ぎ込んだ大作でもなければ、大物キャストを起用したわけでもないが、ピンク映画50周年記念にふさわしい心に染みる官能ドラマとなっている。  『たからぶね』の企画・原案はピンク映画黎明期から活躍し、美保純のデビュー作『制服処女のいたみ』(81)や可愛かずみのデビュー作『セーラー服色情飼育』(82)などを撮り上げた渡辺護監督。製作準備中だった2013年12月24日に渡辺監督は大腸がんのために亡くなり、その遺志を引き継ぐ形で脚本を担当していた井川耕一郎が演出も務め、商業監督デビューを果たした。人と人との出会いと別れの妙こそが、人生でありドラマなのかもしれない。  本作のキーワードは、タイトルに謳ってある“たからぶね”。おめでたい宝船をめぐって、4人の男女の痴態が描かれる。主人公は千春(愛田奈々)と一夫(岡田智宏)という若い夫婦。一夫が出勤する際には千春がキスで見送るという、甘い新婚気分を漂わせている。セックスに関して千春は奥手だが、そんな妻のことを一夫はウブな女だとかわいく思っている。ある晩、千春がベッドの中で寝言で「たからぶね」と呟く。七福神が乗る宝船のめでたい夢でも見ているのかと、一夫は微笑ましく千春の寝顔に見とれていた。夫婦水入らずの幸せな時間が流れていく。  一夫は千春を連れて、叔父の健次(たかみつせいじ)と妻・敏子(佐々木麻由子)が暮らす家に遊びにいく。身寄りのない千春が敏子から家庭料理を習っている間、一夫は健次がこっそり隠し持っていた年代物のエロ写真集を見せられる。その写真集は江戸時代の春画を実演したもので、“四十八手”と呼ばれる様々な体位が網羅されていた。見慣れた体位からアクロバティックなものまで並ぶ中、あるページに一夫は目が釘付けとなる。そのページでは仰向けになった男が片足を直角に上げ、男の上に股がった女はその足にしがみついている。男の足を帆柱に見立てた性戯“宝船”、別名・交叉対向男性仰臥位だった。騎乗位で男を操る女は、まるで弁天さまのようだった。「宝船という体位があったんだ。よ〜し、いつか千春と試してみよう」とにやける一夫。でも、いつかという日は決して訪れない。千春のウブさは一夫にだけ見せていた仮面であって、実は不倫の常習者であることが分かる。しかも、千春の不倫相手は意外な人物だった……。
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ミステリアスな美しさを感じさせる千春(愛田奈々)。実家はなく、男たちの間をさまよい続ける寄る辺なき女だ。
 若い夫婦と熟年夫婦のそれぞれの性の営みを描いたピンク映画ならではのセックスコメディだが、4人の男女の絡みの他にも、江戸時代から伝わる春画の世界が男女のモデル(野村貴浩、ほたる)によって再現される。昔々、春画は性の教科書として花嫁道具のひとつだったなどのエロトリビアも盛り込まれる。カレーライスに添えられた福神漬けのようなサービスがうれしい。『たからぶね』は1962年に製作・公開された『肉体の市場』から始まるピンク映画50年の歴史だけでなく、日本の性文化そのものを俯瞰してみせる。数々の性戯の末に、自分も自分のご先祖さまも生まれてきたのだという連綿たる性の歴史がここにある。なんと広くて深い快楽の海だろう。そんな大海原の中、不思議な巡り合わせで千春と一夫は出会ったのだ。一夫は千春と過ごした甘い日々が愛しくて仕方ない。できれば、2人で“宝船”を試してみたかった。宝船に乗った千春は、一体どんな表情を見せただろうか。2人で一緒に舟を漕いで、もっともっと沖まで出てみたかった。この世界には、まだ2人が知らない秘宝や喜びがいっぱい隠されているのだ。  ピンク映画50周年記念作品『たからぶね』をプロデュースしたのは、ピンク映画専門誌「PG」を25年間にわたって自費出版し続けている林田義行、関西を拠点にしたピンク映画の無料情報誌「ぴんくりんく」を発行している太田耕耘キの両氏。『たからぶね』はもともとは渡辺監督が『喪服の未亡人 ほしいの…』(08)を撮り終えた後、新作として温めていた企画だった。だが、近年のピンク映画界は製作本数の減少など状況が大きく変わったため、脚本は完成したもののお蔵入り状態に。そこで渡辺監督と交流の深かった太田氏が林田氏に声を掛け、ピンク映画史のメモリアル作品として共同プロデュースが実現した。 「映画をプロデュースするのは初めての体験でしたが、ピンク映画50周年という節目の作品に携われるなんて希有なことだし、脚本も面白かったので、喜んで引き受けました。まぁ、引き受けたものの大変でしたが(苦笑)。ピンク映画50周年にあたる2012年には製作の目処が立たず、最終的に『ぴんくりんく』と『PG』での自主制作という形になったんです。また撮影に入る直前に渡辺監督が亡くなるという思いがけない事態にもなりましたが、入院中だった渡辺監督から『映画を完成させろ』と指名された脚本家の井川さんが独自色を出しながらも、渡辺監督が生前語っていた企画意図も汲み取った作品に仕上げてくれました。ゆくゆくは成人館でも上映したいと考えていますが、自主制作ゆえに契約館があるわけでもなく、この映画を上映してもらう営業をかけるところからのスタート。いわば、ピンク映画の原点に戻ったということです。まずは一般館での上映から始めるので、ピンク映画を知らない若い世代や女性の方たちにもピンク映画の面白さを感じてもらえるとうれしいですね」(林田氏)
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江戸時代の春画を再現。ピンク映画のみならず、日本のポルノグラフィー全体を振り返った壮大な内容となっている。
 ピンク映画の伝統に従い、35ミリフィルムで撮影し、アフレコで仕上げられた『たからぶね』。フィルム上映に最期までこだわった新橋ロマン劇場が8月末で閉館したため、『たからぶね』は都内でピンク映画をフィルム上映で観賞できるレアな機会となる(上野オークラはデジタル上映)。フィルムならではの温かみのある質感で撮り上げられた女優陣の柔肌と先人たちが編み出した性戯の数々をこの目に焼き付けたい。 (文=長野辰次) takarabune_04.jpg 『色道四十八手 たからぶね』 企画・原案/渡辺護 監督・脚本/井川耕一郎 出演/愛田奈々、岡田智宏、なかみつせいじ、佐々木麻由子、ほたる、野村貴浩  製作・配給/PG ぴんくりんく R-18 10月4日(土)より渋谷ユーロスペースにてレイトショー。以後、大阪・第七藝術劇場、京都みなみ会館、神戸映画資料館ほか全国順次公開予定 ※10月11日(土)よりユーロスペースにて特集上映《渡辺護 追悼、そして「たからぶね」の船出》を開催。渡辺護監督の貴重な旧作ピンク6本と井川耕一郎監督による『渡辺護自伝的ドキュメンタリー』を上映 (c)PG ぴんくりんく http://watanabemamoru.com

動物虐待防止協会が煽ったカンガルー大虐殺映画!!『荒野の千鳥足』が43年の歳月を経て日本初公開

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タダ酒ほど怖いものはない。青年教師のジョン(ゲーリー・ボンド)は途中下車した田舎町で地元住民たちのビール責めに遭い、理性を失っていく。
 ヤコペッティ監督が手掛けた『世界残酷物語』(61)をはじめとするドキュメンタリー作品は“モンド映画”として一時代を築いた。世界各地に伝わる奇習・珍祭を伝えるもので、祭りの生け贄として牛の首が切り落とされるなどの残酷シーンが売りとなっていた。見世物感覚で多くの人たちが映画館に足を運んだ。そんなヤコペッティ風味のモンド映画に、フランツ・カフカを思わせる不条理文学的な格調を与えたのがオーストラリア&米国の合作映画『荒野の千鳥足』(原題:Wake In Fright)だ。1971年に製作された本作はカンヌ映画祭に出品され反響を呼んだが、43年の歳月を経て日本でもようやく初公開される。  オーストラリアの雄大すぎる大平原を舞台にした本作の最大の見せ場は、酔っぱらって千鳥足状態になった主人公たちがジープに乗ってカンガルー狩りに繰り出す場面。草食動物であるカンガルーたちが、逃げることもなく次々とライフルの餌食となって倒れていく。動物愛護家なら泡を吹いて悶絶してしまいそうな大殺戮シーンである。調子に乗った主人公たちはカンガルーを相手に相撲まで取ってしまう。カンヌ映画祭では評論家たちに絶賛された本作だが、いつもは陽気で大らかなオージーたちは自国の暗黒面をあまりに赤裸々に映し出した内容を嫌い、公開から10週間後には豪州すべての映画館からこのフィルムは姿を消すことになった。米国でも興行に失敗し、オリジナルネガは紛失、プリントの保存状態も悪く、人々の記憶から忘れ去られた幻の映画と化していった。ピッツバーグの倉庫の片隅で“廃棄処分”のステッカーを貼られていたオリジナルネガが発見されたのが2002年。長い時間を掛けてレストア作業が行なわれ、悪夢のような映画が現代に甦った。  『荒野の千鳥足』の主人公はオーストラリアのど田舎で教員をしている青年ジョン(ゲーリー・ボンド)。オープニングシーンでカメラがジョンの勤める小学校を捉えるが、小さな校舎の他には駅のプラットホームがぽつんとあり、他にはジョンが下宿している安宿が一軒あるだけ。こんな場所で人間がどうやって暮らしているのかと思ってしまうような不毛地帯だ。クリスマス休暇を迎え、子どもたちは大喜びで学校を飛び出していく。いや、子どもたち以上にこの休暇を渇望していたのはジョンだった。子どもたちに教科書を読ませるだけの死ぬほど退屈な日々を脱し、シドニーで暮らす恋人としっぽりと年末年始を過ごすことができるのだ。喜びさんで1日数本しかない列車に乗り込むジョン。シドニーまでの道程は遠いため、ヤバと呼ばれる炭坑町に途中下車して一泊することに。喉の渇きを癒そうとパブに入るが、それが長い長い悪夢の始まりだった。気のいいヤバの人たちから、死ぬほどビールを奢られまくるジョン。ズブズブと底なしのビール地獄にハマっていく。
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酔っぱらったジョンは、他にやることもないのでカンガルー狩りに付き合わされる。殺されたカンガルーはペットフードの原材料に。
 たかがビールと侮るなかれ。アルコール度数の低いビールだが、長時間にわたって飲み続けると、ボディブローの連打を喰らったようにじわじわと体が言うことを聞かなくなってくる。いや、ビールだけで止めておけば、まだよかった。ビールを飲んでご機嫌になったジョンは、地元の男たちがみんな参加しているコイン投げゲームに参加する。ビギナーズラックでどんどん気が大きくなっていくジョン。気がつけば翌朝で、ジョンは持ち金全部を使い果たし、シドニー行きの切符すら買えなくなっていた。だが、ヤバの人たちはそんな彼にもとことん優しい。面倒見のいい地元の紳士の自宅に誘われ、闇医者のドク(ドナルド・プレザンス)やケンカ好きなハンターたちと一緒にビールを痛飲! 痛飲! また痛飲! 誘われるがままにカンガルー狩りにも同行。いつしかジョンは汗まみれ、ゲロまみれ、(カンガルーの)血まみれのドロドロ状態に。何度もこの状況から脱出しようとするも、朝になると泥酔姿で目覚めてしまう。カフカの不条理小説『城』のように、いつまで経っても目的地に到着できないまま、小さな町ヤバから抜け出せなくなってしまう。まるでヤバという町自体が食虫植物のごとく、若いジョンを絡め獲ったかのようだ。  見知らぬ町に迷い込んだ主人公が軽い気持ちでビールとギャンブルにハマってしまい、やりたくもないカンガルー狩りに加担してしまう。そんな自己嫌悪から、さらにビールを飲み干してしまい、悪循環から抜け出せなくなる。デヴィッド・リンチ監督の『ブルーベルベット』(86)は悪夢的世界を幻想的に美しく描いていたが、本作は悪夢的世界をひたすら忌わしくザラついた手触りで描いていく。テッド・コッチェフ監督は、後にスタローン主演作『ランボー』(82)をヒットさせたカナダ人。どちらも主人公が見知らぬ町でささいなことから追い詰められ、破滅を招くという展開で共通している。カンガルーの大虐殺場面は、地元のハンターたちが実際にカンガルー狩りをする様子を撮影したフッテージ映像であり、ドラマパートと繋ぎ合わせることで生々しい作品に仕上げた。イギリスの王立動物虐待防止協会が本作の撮影に立ち会ったが、カンガルーが虐待されている事実を世界にアピールするために「できるだけ残酷な映像を使ってほしい」とテッド監督に要請していたそうだ。どうしようもなく暇を持て余した人間は、酒かギャンブルか暴力かセックスに溺れるしかない。当時のオーストラリアの人たちが、この映画のことを嫌ったのも無理はないだろう。
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意を決してヤバの町から出ていこうとするジョン。だが、何度も試みても、なぜか振り出しに戻ってしまう。あぁ、ビールが怖い!
 『荒野の千鳥足』だけでも充分ふらふらになる怪作だが、《日本初公開!世界のどす黒い危険な映画》第二弾と称して、続いて公開されるのは1979年にイギリスで製作・公開された『SCUM/スカム』。イギリスの少年院を舞台にした『スカム』はもともとBBCで放送されるTVムービーとして作られたものだが、暴力表現と反体制的な内容から、放送禁止の憂き目に。そこで同じ脚本、ほぼ同じキャストで劇場映画としてセルフリメイクされた。「スカム(屑)」と呼ばれる不良少年たちを更生させるための施設である少年院だが、カーリン(レイ・ウィンストン)ら新入りの少年たちは院内の陰湿なイジメや指導官たちの無理解と虐待によって、残されていた人間性まで木っ端みじんに破壊されてしまう。  『荒野の千鳥足』と『スカム』、2本続けて見て思うのは、人間は環境に簡単に染まってしまうということだ。『荒野の千鳥足』はオーストラリアの大平原、『スカム』はイギリスの少年院と状況はまるで違うが、理性でいくら抗ってみても、体は無意識のうちに環境に溶け込もうとする。生き延びるための自然の摂理なのだろう。『荒野の千鳥足』も『スカム』も人間の動物的な一面をまざまざと描いてみせる。両作とも製作からかなりの時間が経過しているが、人間の本質は30~40年程度では大して変わらない。ヤコペッティの『世界残酷物語』の原題が、「MONDO CANE(犬の生活)」だったことを思い出した。 (文=長野辰次) chidoriashi04.jpg 『荒野の千鳥足』 原作/ケネス・ブック 監督/テッド・コッチェフ 出演/ゲーリー・ボンド、ドナルド・プレザンス、チップス・ラファティ、ジャック・トンプソン 配給/キングレコード R−15 9月27日(土)より新宿シネマカリテほかにてレイトショー ※シネマカリテでの初日には、通常料金でのビール飲み放題イベントあり。 (c)2012 Wake In Fright Trust.All Rights Reserved. https://www.facebook.com/chidoriashi.jp 『SCUM/スカム』 原案・脚本/ロイ・ミントン  監督/アラン・クラーク 出演/レイ・ウィンストン、ミック・フォード、ジュリアン・ファース、ジョン・ブランデル、フィル・ダニエルズ 配給/キングレコード R-15 10月11日(土)より新宿シネマカリテにてレイトショー https://www.facebook.com/scum.jp

天才・楳図かずお19年ぶりとなる最新作『マザー』。家族に対する“罪悪感”がモンスター化する恐怖!

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楳図かずお監督デビュー作『マザー』。赤白のボーダーシャツを着た片岡愛之助は、『シベリア超特急5』『築城せよ!』とカルトな主演作が多い。
 天才クリエイター・楳図かずおにとって、19年ぶりとなる最新作『マザー』。人類滅亡の黙示録『14歳』の連載を1995年に終えて以降、持病である腱鞘炎の悪化から漫画家としては休筆状態が続いているが、最新作『マザー』は楳図先生が脚本、絵コンテ、キャスティングから手掛けたオリジナル作品であり、77歳での映画監督デビュー作でもある。『半沢直樹』(TBS系)のおねえキャラでブレイクした片岡愛之助に赤白のボーダーシャツを着せることで自身の分身に仕立て、楳図ワールドの恐怖の源泉へと案内していく趣向だ。楳図ワールドを楳図先生自身が実写化するとどうなるのかという点で、非常に興味を惹かれる。  主人公は人気漫画家の楳図かずお(片岡愛之助)。恐怖漫画の第一人者として知られる楳図のアトリエ兼自宅を、新人編集者の若草さくら(舞羽美海)が訪ねる。さくらは楳図作品の大ファンで、「楳図作品がどのようにして生まれたのか、楳図先生の生い立ちを一冊の本にまとめたい」と申し出る。さくらのインタビューに答える楳図。和歌山県の高野山で生まれたこと、母親が生後7カ月の楳図に鉛筆を持たせたこと、父親が地元に言い伝えられる不思議な伝説を寝物語として語ってくれたこと……。幼少期の体験が楳図作品に強く影響を与えていた。  楳図は漫画家となり、東京に上京。自分にとって最愛の存在である母・イチエ(真行寺君枝)をひとりぼっちにさせてしまったという罪悪感を感じながらも、楳図は漫画執筆に没頭する日々を送る。連載の仕事がひと段落し、入院中のイチエに付き添うが、老いたイチエは「自分の葬式に行ってきたよ。イギリスの女王さまも来てくれたのよ」「お礼参りに行ってきたの。高野山のあちこちへ」「お前のところへも行くよ」と謎めいた言葉を残して、あの世へと旅立つ。母との別れを振り返る楳図の口から「幽霊でもいいから、母にもう一度逢いたかった」という言葉がつぶやかれる。取材意欲を掻き立てられたさくらは楳図の生まれ故郷を訪ねるが、そこで信じられない怪奇現象に遭遇。楳図の心の中の想いが具象化し、母・イチエが蘇ったのだ。懐かしくも恐ろしい姿となってこの世に現われたイチエ。これは楳図の妄想の産物なのか? それとも山に潜んでいた物の怪なのか? さらには楳図の生誕に関する秘密も明らかになっていく。
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上方歌舞伎の人気俳優・片岡愛之助と宝塚歌劇団出身の舞羽美海が共演。関西を代表する伝統的ショウビズ界からのキャスティングとなっている。
 絶対的な守護者であるはずの母親が自分に襲い掛かってくるという強迫観念は、楳図かずおが恐怖漫画家としての地位を確立した“へび少女”シリーズの一編『ママがこわい』や女性にとっての若さと老いをテーマにした『洗礼』など楳図作品で度々描かれてきた。心の中で念じた想いが具象化するというモチーフも、『漂流教室』『わたしは真悟』『ねがい』など楳図ファンにはおなじみのもの。過去・現在・未来と時空を越えて愛憎劇が繰り広げられる展開は、珠玉のラブストーリー『イアラ』を彷彿させる。漫画から映画へと表現手段が変わっても、『マザー』は楳図作品であることに間違いない。楳図ワールドのエッセンスが上映時間83分の中にぎっしりと詰まっている。  『マザー』を観て感じることは、子どもは親の素顔は何も知らないということだ。特に母親は子どもにとっていちばん近い存在であり、かつて子宮をくぐり抜けてこの世に生まれてきた子どもは母親のことは誰よりも熟知しているつもりでいる。でも、実は母親が子どもに見せているのは“母としての顔”であって、子どもは母親の“女としての顔”はほとんど知らない。月の裏側に何があるのかずっと謎だったように、母親も子どもには見せていないミステリアスな一面を持っている。いつも優しかった母・イチエの、女としての知らない顔を見ることになり、楳図は恐れおののくことになる。いちばん身近で、いちばんミステリアスな存在、それが母親/マザーなのだ。  吉祥寺の楳図先生宅にお邪魔して、『マザー』についておうかがいする機会があった。楳図先生が60歳のときに母・市恵さんは亡くなられたそうだ。「母が亡くなった2日後に、ダイアナ妃が事故で亡くなったので、『これは大変!』と当時のことはすごく覚えています」と語る楳図先生。劇中で病床の母親は不可解な言葉を口にするが、実際もそうだったらしい。中でも楳図先生にとって忘れられない言葉となったのは、「いいこと、ひとつもなかった」という母親のひと言。これは実家を離れ、自分の仕事に打ち込んできた子どもにとっては相当に辛い台詞だろう。自分にできる親孝行は何か? じゃあ、田舎でひっそりと生涯を終えた母の人生をリブートしてみよう。楳図かずお流に盛りに盛った、母親のもうひとつの華やかな生涯。それが楳図かずお監督デビュー作『マザー』である。
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楳図(片岡愛之助)は締め切りに追われ、母・イチエ(真行寺君枝)をかまってやることができない。やがて心の中の罪悪感が具象化していくことに。
 監督デビュー作を自身の膨大な数になる原作群の中から選ばずに、自身を題材にしたオリジナルストーリーを書き下ろしたわけだが、これには“ある含み”もある。楳図先生のいちばんの代表作といえば『漂流教室』だが、大林宣彦監督の映画版(87年)もフジテレビでのテレビドラマ版(02年)も楳図作品の壮大すぎるスケール観と豊潤なイマジネーションを消化できないまま中途半端に終わってしまった。『わたしは真悟』や『14歳』にいたってはまだ一度も映像化されていない。楳図作品のエッセンスさえきちんと汲み取ってくれれば、もっと自由奔放に映像化してもかまわない。自分がこれまでに発表した作品を映画ならではのスケール観のあるものとして蘇らせてほしい。楳図作品の生みの親/マザーである楳図先生から、世界中の映像クリエイターたちへ向けたそんなメッセージも込められている。  『パンズ・ラビリンス』(06)のギレルモ・デル・トロ監督、『スノーピアサー』(13)のポン・ジュノ監督あたりが『漂流教室』の実写化に手を挙げれば、かなり期待できるではないか。「心の中で念じたことは、いつか叶う」。楳図先生のそんな教えが頭をよぎる。 (文=長野辰次) mother_umezu04.jpg 『マザー』 原案・脚本・監督/楳図かずお 脚本/継田淳 主題歌/中川翔子「chocolat chaud」 出演/片岡愛之助、舞羽美海、中川翔子、真行寺君枝 配給/松竹メディア事業部 9月27日(土)より新宿ピカデリーほか全国公開 (c)2014「マザー」製作委員会 http://mother-movie.jp

大嫌いな人間をぶっ殺してすっきりしませんか? DVD化未定の超・問題作『殺人ワークショップ』

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白石晃士監督の『殺人ワークショップ』。ワークショップ参加者たちは、自分の中に生じた殺意を解放するよう講師から指導される。
 殺人ワークショップへようこそ。人間誰しも「こいつ、殺してやりたい」「こんなヤツ、いない方が世の中のためだ」と思ったことが一度や二度はあるはず。格差社会、競争社会の中でストレスを強いられる現代人ならば、なおさらだろう。自分の中に芽生えた殺意をどう処理すればいいのか悩んでいる人にぴったりなのが、この体験型講座『殺人ワークショップ』。腕力に自信がない人、これまで虫も殺したことがないという初心者でも大丈夫。実戦経験豊富な講師が最後まできっちり後押しして見届けてくれますから。ワークショップ参加者は、ワークショップ期間中に「殺したい」と思った相手を必ず仕留めることができるのです。  こんな危険なワークショップを考案したのは、白石晃士監督。あらゆる超常現象を盛り込んだ『オカルト』(09)やブレイク直前の「ももいろクローバー」に廃校レポートさせた『シロメ』(10)など斬新なホラー作品を生み出してきた気鋭の映画監督だ。白石監督作品の多くは、POVスタイルと呼ばれる主観映像で構成されたもの。ハンディカメラを持つカメラマンの視点から物語は語られ、ドキュメンタリー映像さながらの臨場感が楽しめる。低予算を逆手にとった演出方法で、白石監督はこのジャンルの第一人者。『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』シリーズはレンタルビデオ店の人気商品となっており、今年5月には『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 史上最凶の劇場版』が劇場公開。さらには『コワすぎ!』の豪華スピンオフである、オール韓国ロケ作品『ある優しき殺人者の記録』が9月6日から劇場公開されたばかり。虚構と現実との境界をブチ壊す問題作を次々と発表している、今もっとも尖った映画監督なのだ。  『殺人ワークショップ』は、実際に白石監督が講師をつとめた映画俳優養成のためのワークショップでの実習作品。劇中で講師をつとめる江野役の宇野祥平は、白石監督の『オカルト』や『超・悪人』(11)に主演している個性派俳優。虚構と現実を隔てる壁だけでなく、モラルや常識の壁もブチ壊してしまう白石ワールドの代弁者だ。そして、それ以外のキャストは実際のワークショップ参加者たちが演じている。そのため妙なリアリティーが作品に漂う。芝居をすることを生活の糧としているプロの俳優にはない、素人臭さと緊張感が作品中に溢れ、あたかも“殺人ワークショップ”は実在するのではないかという錯覚に、観ている側は陥ってしまうのだ。  都内のマンションの一室で開かれた“殺人ワークショップ”に若い男女が集まる。法を犯してまで人間を殺したいという動機はさまざま。同棲相手から毎日のようにDVを受けている女性、親友を自殺に追い込んだイジメっ子への復讐を誓う男性、できちゃった婚して幸せそうな生活を送る元恋人への恨みを抱える者……。講師の江野は能天気な関西弁でこうまくしたてる。「よし、みんな任せとき! ワークショップ参加者みんなで協力しあって、1人ずつ殺っていくんや。数ではこっちが上回るんから、絶対大丈夫や」。江野はマンションのドアに鍵を掛けた。殺人ワークショップの始まりだ。卒業制作としての殺人を無事に完遂するまで、誰もこのワークショップから逃げ出すことはできない。
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『オカルト』『超・悪人』で白石作品ファンにはおなじみの江野(宇野祥平)。渋谷のスクランブル交差点に、あの危険な男が帰ってきた!
 殺人ワークショップの講義内容は分かりやすく、とても実践的。講師は情熱を持って、参加者ひとり一人を指導する。殺人においていちばん気を付けたいのは、殺す直前になって躊躇してしまうこと。ビビって腰が引けてしまうと、相手から逆襲されてしまう。そこで江野は参加者たちにホンモノの刃物を握らせ、人間の肉体を刺すトレーニングを始める。「刺して抜く! 刺して抜く!」。江野の容赦ない怒声の前に、実戦トレーニングを強いられる参加者たち。ワークショップ会場に血のムクロが転がる。さっきまで呼吸をしていた人間が、冷たい肉塊と化していく。もう、これでみんな共犯者だ。ワークショップのガチぶりに恐れをなした者は、容赦なく江野の餌食に。さらにムクロが増えていく。人を殺すためにワークショップに参加したのに、ハンパな覚悟しかなかった者は自分の命を落としていく。人を殺すには、自分も死ぬ覚悟がないとダメなのだ。  江野の指導方法はワークショップというよりも、新興宗教や自己啓発セミナーの合宿によく似ている。参加者たちの携帯電話を預かり、外部と連絡できないようにした上で、マンションの一室に監禁。恐怖と暴力で支配し、参加者たちのプライドをズタズタにすれば、短期間で簡単に洗脳できてしまう。目標(殺人)をクリアできれば解放されることから、参加者たちは当初通りにターゲットに襲い掛かるしかない。江野は参加者たちのトレーニング成果をただじっと見つめるだけだ。  『コワすぎ! 史上最凶の劇場版』は低予算実写映画ながら、『もののけ姫』(97)や『新世紀ヱヴァンゲリヲン』シリーズを思わせる壮大なスケール感を見せた。「フェイクドキュメンタリー形式を使えば、撮れないものはない」と白石監督は大胆不敵に語る。ただし、フェイクドキュメンタリー形式には、「なぜカメラがここにあるのか」という説明が必要だった。撮影現場で起きた出来事という設定が求められた。だが、今回の『殺人ワークショップ』には『コワすぎ!』シリーズや『ある優しき殺人者の記録』でおなじみのカメラマン田代(白石晃士監督)は登場しないし、その必要もない。それは『殺人ワークショップ』というタイトルに興味を抱いて劇場に足を運んだ時点で、観客はすでに“殺人ワークショップ”の参加者のひとりとなっているからだ。人の殺し方に関心を持つ観客の好奇心に満ちた瞳がカメラとなり、瞳の奥の網膜にリアルな映像体験として焼き付いていく。『殺人ワークショップ』はカメラという設定なしでフェイクドキュメンタリーの面白さを活かした画期的な作品になっている。
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こちらは現在公開中の『ある優しき殺人者の記録』。人気AV女優・葵つかさ、『息もできない』のキム・コッピらが出演するフェイクドキュメンタリーだ。
 自己啓発セミナー受講者たちが自己分析を強いられるように、殺人ワークショップ参加者たちも自分自身を問いただすことになる。自分はなぜ相手に殺意を抱いたのか? 相手は本当に殺すべき存在なのか? 今までの自分はただ嫌なことから逃げ回っていただけではないのか? ワークショップ参加者たちのそんな疑問に対して、講師である江野は答えを返してはくれない。ワークショップ参加者たちは各自が握りしめた刃物や凶器で、その答えを導き出さなくてはならない。  ワークショップ参加者たちは吐き気に襲われ、血まみれになり、ナイフごしに人間の皮膚の薄さを感じながら、殺人を通して生きる意味、死ぬ価値を学んでいく。『殺人ワークショップ』の参加費は一般1600円、学生1300円。この値段が妥当かどうかは、あなたがその目で確かめてほしい。製作もとに尋ねたところ、「現時点でのDVD化の予定はない」とのことだ。 (文=長野辰次) satsujinworkshop03.jpg 『殺人ワークショップ』 監督・脚本/白石晃士 撮影監督/岩永洋 主題歌/北村早樹子「卵のエチュード」 出演/宇野祥平、木内彬子、西村美恵、徳留秀利、伊藤麻美、井ノ川岬、杉木悠真、重田裕友樹、川連廣明、須田浩章、細川佳央 製作・配給/ENBUゼミナール 9月13日(土)より渋谷アップリンクにてレイトショー、11月8日(土)より名古屋シネマスコーレにて上映。 (c)ENBUゼミナール  https://www.facebook.com/mdr.workshop aruyasashiki_02.jpg 『ある優しき殺人者の記録』 監督・脚本・撮影/白石晃士 出演/ヨン・ジェウク、キム・コッピ、葵つかさ、米村亮太朗 配給/ティ・ジョイ、日活 R15 9月6日より新宿バルト9ほか全国順次公開中 (c)NIKKATSE、ZOA FILMS http://satsujinsha-kiroku.jp

CMが軍事独裁政権を倒した実録ドラマ『NO』。これは政治キャンペーンか、一種の洗脳なのか?

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政治キャンペーンに関わることになった広告マンを主人公にした『NO』。主人公レネは大統領派の脅しに遭いながらも、理想のCMづくりを進める。
 15年間に及ぶ恐怖政治に引導を渡した若き広告マンがいた。ガエル・ガルシア・ベルナル主演の『NO ノー』は、南米チリの独裁者アウグスト・ピノチェトによる軍事政権末期に行なわれた国民投票の裏側を描いた実録ドラマだ。1日わずか15分のテレビキャンペーンによって、ひとつの国の歴史が大きく動いていく様子を当時の資料映像や実際に使われたキャンペーンソングを盛り込み、リアリティたっぷりに再現している。  日本で今年公開されたアレハンドロ・ホドロフスキー監督の『リアリティのダンス』は、チリで生まれ育ったホドロフスキー監督自身の自伝的作品として注目された。『リアリティのダンス』はチリの独裁者イバニュス大統領政権下の物語だったが、同じくチリを舞台にしたパブロ・ラライン監督の『NO』はそれから約50年後となる1988年の物語だ。陸軍総司令官のアウグスト・ピノチェト将軍は1973年にクーデターを起こし、大統領に就任。強制収容所では連日にわたって拷問が行なわれ、共産主義者とおぼしき知識人たちは次々と処刑されていった。インドネシアの暗部を描いた『アクト・オブ・キリング』同様、暴力によって市民を支配した恐怖政治の時代だった。『イル・ポスティーノ』(94)で主人公に恋愛指南する“チリが生んだ偉大なる詩人”パブロ・ネルーダもこのクーデターの最中に亡くなった。ネルーダの発言力を恐れたピノチェト政権による毒殺説が囁かれている。南米の共産化を恐れた米国CIAの後押しもあり、ピノチェト政権は長期にわたって独裁政権を維持する。  『モーターサイクル・ダイアリーズ』(04)で若き日のチェ・ゲバラに扮したガエル・ガルシア・ベルナルが『NO』で演じるのは、チリの広告クリエイターであるレネ・サアベドラ。実際に当時のテレビキャンペーンで腕を振るったマヌエル・サルセドとエンリケ・ガルシアの2人を組み合わせたキャラクターだ。ピノチェト政権を嫌って、長らく海外で生活してきたレネだったが、反大統領勢力からテレビキャンペーンの仕事を依頼される。ピノチェト大統領がさらに8年間続投するかどうか「YES」「NO」の信任投票が行なわれるまでの27日間、1日15分間だけ流れるテレビCMを制作してほしいというもの。国民投票といってもどうせ出来レースだろうと、ノンポリ派のレネは気乗りしなかった。  ところが、まぁ、大統領側「YES」陣営の作ったCMを見て、レネは愕然とする。「偉大なる将軍さま」とピノチェトのことを褒めちぎった歌を子どもたちに歌わせて、歌う子どもたちがボロボロ涙を流すという代物。北朝鮮のプロパガンダニュースといい勝負。こりゃ、ヒドい……。続いて「NO」陣営が用意したCMもレネは見ることに。「NO」陣営の映像はクーデター時にピノチェトたちがどれだけ残虐な行為を働いたかをドキュメンタリー風にまとめたもの。恐怖政治の実態を暴いた衝撃映像なのだが、レネは首を傾げる。果たして、このCMを見た人たちが投票所まで足を運ぶだろうか? プロの広告マンであるレネから見れば、「YES」陣営も「NO」陣営もどちらのCMも失格だ。だったら、プロの腕を見せてやろうじゃないの。レネのクリエイター魂に火が点く。でも、それは正義感や政治的ポリシーからではなかった。
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キャンペーンソング「チリよ、喜びはもうすぐやって来る」が耳に残る「NO」陣営のCM。当時の映像をリアルに再現している。
 プロの広告マンであるレネの両陣営に対するCM評はこうだ。「YES」陣営はピノチェト大統領(クライアント)をひたすらヨイショするだけで、CMを見るユーザーのことはまったく考えていない。一見すると力作のように感じられる「NO」陣営のドキュメンタリー映像だが、NO陣営の幹部は「民衆を啓蒙するため、そして勝ち取った放送枠を埋めるためのもの」と説明する。それでは「NO」陣営側の自己満足のためでしかない。CMとはテレビの前のユーザーたちがそのCMをまた見たいと感じ、CMに好感を覚えたユーザーたちがCMに映った商品を自分も手にしてみようと思わせるものでなくてはダメなのだ。レネは広告業界の先輩をブレーンに、手だれの作曲家とデザイナーも仲間に巻き込み、自分が理想とする“究極のCM”づくりを開始する。レネが作ったCMを見て、「NO」陣営の幹部たちはお口ポカーン状態。チリ人とはおよそ思えないモデル然とした若者たちがキャッチーなキャンペーンソングに合わせて歌い踊るMTV風のイメージビデオだったからだ。「これじゃ、まるでコーラのCMじゃないか」と頭を抱える「NO」陣営。だが、それこそがレネの目指す理想のCMだった。  「コーラのCM」と味方に酷評されまくったレネのCMだが、それまで政治に対して無関心を決め込んでいた若年層や、恐怖政治に怯えていた高齢層が、この底抜けに明るいCMに飛びついた。チリでは独裁政権が断続的に続いているが、もしかしたら本当に新しい時代が近づいているのかもしれない。毎晩流れるキャンペーンソング「チリよ、喜びはもうすぐやって来る」を何度も聞いているとそんな気がしてくる。これには「YES」陣営が慌てふためいた。たかが1日15分の、しかも深夜枠で流れるCMがこんなにも民衆に影響を及ぼすとは思っていなかった。レネが勤めるCM制作会社の上司グスマン(アルフレド・カストロ)に命じて、「NO」陣営そっくりの二番煎じのCMを流し始める。この時点でレネはしてやったりだった。製作費も放送枠も自由に使える「YES」陣営を、こちらと同じ土俵に引きずりこむことに成功したからだ。「YES」派と「NO」派のどちらの政治理念が正しいかではなく、どちらのCMが面白いかという戦いになっていく。チリの民衆は、かつてないユニークかつ国運を賭けた熱きCMバトルの行方に心を踊らせる。  CMの影響力や政見放送の舞台裏に興味のある人にとっては見逃せない内容の『NO』だが、観客には2つのハードルが待っている。ひとつは80年代の雰囲気を再現するために、パブロ・ラライン監督はあえてビンテージカメラで撮影しているという点。そのため、映像全体が粗いものになっている。クリストファー・リーヴやジェーン・フォンダらハリウッドの著名人たちが「NO」陣営へ応援メッセージを寄せるなどの当時の資料映像も違和感なく映画の中に溶け込んでいるものの、チリの現代史に興味のない日本人には昔のお話と思われかねない。CMや広告による洗脳力の強大さに言及した今日的なテーマの作品だけに、賛否が分かれるところだろう。
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「NO」陣営に雇われたレネ(ガエル・ガルシア・ベルナル)らフリーのCM制作スタッフ。戦いが終わった後は『七人の侍』(54)のような心境か。
 もうひとつは、テレビでのキャンペーン合戦に「NO」陣営は劇的勝利を収めることになるが、観客は主人公レネが味わうはずの高揚感を共有することができないという点。15年間にわたるピノチェトの独裁政権に終止符を打つことができた「NO」陣営は誰もが勝利の美酒に酔いしれるが、勝利の立役者であるはずのレネは自分のCM理論が正しかったことを確認して一瞬だけ微笑むが、すぐに醒めた表情に戻る。そして、足早に「NO」陣営から去っていく。CMが持つ影響力をフル活用して視聴者を煽っただけであって、チリ国民が本当の意味での民主主義に目覚めたわけではないことをレネは誰よりも分かっていたからだ。レネが帰る場所は、CMの製作現場しかない。「YES」陣営に協力していた上司グスマンと一緒に、また新しいCMを作る日々が始まる。レネにとってCMとは自分が食べていくための手段でしかないのだ。 (文=長野辰次) no_movie04.jpg 『NO ノー』 オリジナル戯曲/アントニオ・スカルメタ 脚本/ペドロ・ペイラノ 監督/パブロ・ラライン 出演/ガエル・ガルシア・ベルナル、アルフレド・カストロ、アントニオ・セヘルス、ルイス・ニェッコ、マルシアル・タグレ 配給/マジックアワー 8月30日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開中 (c)2012Participant Media No Holdings,LLC. http://www.magichour.co.jp/no

言葉の通じない海外で突然逮捕されたらどうなる!? ある女囚の叫び『マルティニークからの祈り』

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2006年に発覚した「チャン・ミジョン事件」を映画化した『マルティニークからの祈り』。海外収監者の悲惨な境遇が白日の下にさらされる!!
 高級リゾートマンションで暮らすことができても、自由に外出することも連絡をとることも許されなければ、そこは監獄と同じだろう。逆にどんなにボロボロの四畳半一間でも、愛する人と一緒の生活ならば、それは天国の日々となる。チョン・ドヨン主演作『マルティニークからの祈り』は、人間が置かれた環境条件がどれだけその人の精神状態に影響を及ぼすかをまざまざと教えてくれる。さらに、この作品が興味深いのは、実際に起きた事件を描いているということだ。2004年にフランスの空港で起きた韓国人主婦麻薬運搬事件(チャン・ミジョン事件)が題材。自国語しか話せない平凡な主婦が麻薬密輸の疑いで海外で逮捕され、裁判が開かれないまま2年間にわたって拘束され続けたという恐ろしい事件の顛末が明かされる。  ヒロインを演じたのは、『シークレット・サンシャイン』(07)での熱演でカンヌ映画祭主演女優賞に輝いたチョン・ドヨン。韓国映画界が誇る実力派女優の主演作で、しかも韓国映画がもっとも得意とする実録社会派サスペンス。なおかつ、絶望と肉欲が渦巻く女囚もの。映画好きにとっては堪らない、切り札が3枚もそろった見応え充分な力作となっている。  ジョンヨン(チョン・ドヨン)は韓国で暮らす普通の主婦。決して楽な生活ではないが、お人好しの夫ジョンベ(コ・ス)とかわいい娘ヘリン(カン・ジウ)と幸せに暮らしていた。ところが、ジョンベが親友の借金の保証人になったことから暗雲が立ち込める。親友は借金を残したまま首を吊り、ジョンベは2億ウォンの返済を肩代わりするはめに。アパートの家賃も払えずに途方に暮れる夫妻に、奇妙なアルバイトの依頼が届く。「金の原石を運んでほしい。万が一、税関でバレても罰金を払うだけで大丈夫だ」という眉唾な仕事内容。しかも、女性にしかできないらしい。いぶかしむジョンヨンだったが、背に腹は換えられないとこの高額バイトを引き受ける。フランスのオルリー国際空港の税関をドキドキしながら潜るジョンヨン。案の定、税関の係員に呼び止められて鞄を開いてみると、中身は金の原石ではなく大量のコカインだった。フランス語が話せないジョンヨンはまったく弁解できないまま、収容生活を余儀なくされる。  本作を観た人は誰しも、フランス在住の韓国大使館員たちの無責任さに怒りを覚えるだろう。ジョンヨンは大使館に何度も事情説明の嘆願書を送るが、エリート然とした大使館員たちは「また、麻薬おばさんからだよ」と鼻で笑い、嘆願書を読もうともしない。犯罪者のために国の税金を無駄に使えないと、通訳を手配することもない。フランスの国選弁護士がジョンヨンを訪ねるが、言葉が通じないので意味がない。ジョンヨンは家族に連絡することもままならず、いつ裁判が開かれるのかも分からない状態のままパリの留置場で孤独な生活を強いられる。やがてジョンヨンは、カリブ海の孤島・マルティニークにある女子刑務所へと移送。宝石のように輝くカリブの美しい光景とは裏腹に、ジョンヨンは家族に会えないことに悲嘆し、髪の毛が抜け落ち、みるみるうちにやせ細っていく。ここらへんの極限演技は、『ハッピー・エンド』(99)や『ハウスメイド』(10)でも体当たりぶりを見せたチョン・ドヨンの独壇場だ。『あしたのジョー』(11)での伊勢谷友介か、本作のチョン・ドヨンかというくらい鬼気迫るものを感じさせる。
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「ママはちょっとお出かけしてくるから、いい子にしててね」と軽い気持ちで娘と別れたジョンヨン(チョン・ドヨン)。まさか刑務所送りになるとは。
 チャン・ミジョン事件を取材した新聞記事、さらにドキュメンタリー番組『追跡!60分』を見て、映画化に動いたのはパン・ウンジン監督。『受取人不明』(01)などキム・ギドク作品で印象的な演技を見せていた元女優だ。アラン・パーカー監督の実録獄中記『ミッドナイト・エクスプレス』(78)同様のリアリティーに、女囚もののお約束ともいえるレズビアン看守によるヒロインの貞操危機シーンなども盛り込み、緊張感と娯楽性に溢れた社会派作品に仕上げている。裁判に必要な書類を紛失するなど大使館員たちの杜撰な対応がヒロインを苦境に追い込むが、このエピソードは事実らしい。ウンジン監督に事件の内情について聞いてみた。 「映画なのでキャラクターは多少戯化してはいますが、事件に関するエピソードは事実に基づいたものです。大使館員はチャン・ミジョンさんに『フランスでは麻薬に関わる事件は重罪。10~20年、中には100年の罪になることもある』と無責任な言葉を残して帰っています。『マルティニーク島には朝鮮語を話せる人間は誰もいない』という発言も実際に大使館員がしたものです。インターネットでこの事件のことを知った韓国人が『それはおかしい。私の親戚がいます』と名乗り出たことで、ミジョンさんはようやく通訳を得て、窮地を脱することができたんです。この事件のことを知らなかった人は韓国でも意外と多く、映画化をきっかけで事件の内容が広まりました。韓国の外交部(外務省)はこの映画のことを面白く思っていないようですね(苦笑)。フランスやドミニカ共和国でもロケ撮影してますが、外交部の無言の圧力を感じることがありました。多分、私は目をつけられていると思います(笑)。もし外交部が映画の公開に干渉してきた場合は、ノイズマーケティングで対抗してやるくらいの覚悟でした。こちらには実話なんだという強みがありましたから。でも、これは韓国だけに限った事件ではないと思うんです。日本をはじめどの国でも、海外で罪に問われて収監されたままの人たちは少なくないはず。なのに彼らが存在することは、母国の人たちにはほとんど知らされていない。こんな事件がもう起きてほしくないという願いから、この映画は完成させたんです」  ホテトル嬢連続拉致殺害事件を題材にした『チェイサー』(08)、障害児童の性的虐待を扱った『トガニ 幼き瞳の告発』(11)、幼女暴行事件と裁判の行方を描いた『ソウォン/願い』(現在公開中)など韓国映画は実録サスペンス、実録犯罪もののレベルが非常に高い。東野圭吾のベストセラー小説の映画化『容疑者X 天才数学者のアリバイ』(12)を撮るなど、日本文化に理解のあるウンジン監督は韓国映画界についてこう語った。
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刑務所から送られてくる手紙を心待ちにしていた夫ジョンベ(コ・ス)。だが、娘は「ママの顔、忘れてきちゃったよ」と残酷な言葉を……。
「日本では人気コミックや小説の映画化が盛んですね。話題になったテレビドラマも映画化されますし、逆に映画がノベライズやコミカライズされることも多い。メディア間の連係がとてもスムーズ。韓国でももちろん原作付きの映画はありますが、日本ほどではないように思います。最近の韓国映画の傾向として、実際に起きた事件を映画化するジャンルが人気なんです。声を出したくても声を出すことが叶わない、社会の影に隠れている人たちの心情を汲み取ったものです。一概には言えませんが、日本と韓国の文化の違いもあるかもしれません。日本の映画は個人的な問題をテーマにしたものが多いように感じますが、韓国では個人対組織、または対立する組織に属する者同士の対決といった図式のドラマを、作る側も観る側もどちらも求める傾向にあるようですね」  チョン・ドヨンの熱演に目が奪われる本作だが、妻の帰りを待ち続ける家族もまた辛い。妻のいない日々、夫は妻の残したパンティーを手にするが、どのパンティーもよれよれで擦り切れていることに気づき、夫は自分の不甲斐なさに号泣する。『高地戦』(11)や『超能力者』(10)の二枚目俳優コ・スが情けなく泣き崩れる印象的なシーンとなっている。「どの国でも、男性はみなさんこのシーンにとても共感するようですね」とウンジン監督はおかしそうに笑った。 (文=長野辰次) martinique-movie04.jpg 『マルティニークからの祈り』 監督/パン・ウンジン 脚本/ユン・ジノ 出演/チョン・ドヨン、コ・ス、カン・ジウ、ペ・ソンウ、コリンヌ・マシエロ 配給/CJ Entertainment Japan 8月29日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次ロードショー  (c)2013 CJ E&M CORPORATION,ALL RIGHTS RESERVED http://martinique-movie.com/

身に覚えのある男はスクリーンを直視できない!? “虚構”が“現実”を侵蝕する恐怖ドラマ『喰女』

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古典的ホラー『四谷怪談』を現代に甦らせた『喰女』。4時間以上掛けた特殊メイクでお岩に扮した柴咲コウがまじで怖い! トラウマになるよ!
 男には誰しも浮気願望がある。大恋愛の末に結ばれた恋人や奥さんがいても、素肌がまぶしい若い女の子についつい目移りしてしまう。行動に移すかどうかは別にして、浮気心を抑え込むのは非常に難しい。そんな男たちが胸の奥に隠し持っているやましさ、後ろめたさを、ひんやりと鷲掴みするのが三池崇史監督の『喰女−クイメ−』だ。古典的実録ホラー『四谷怪談』をベースにした『喰女』はあまりに恐ろしく、心に思い当たる節のある男性はスクリーンを直視できないだろう。『喰女』で描かれる恐怖は超常現象的なものではなく、女性が持つ情の深さ、嫉妬心、独占欲の恐ろしさなのだ。  『喰女』の面白さ(=怖さ)は、劇中劇という構造によって江戸時代後期に歌舞伎の演目として誕生した『四谷怪談』を現代に甦らせたことにある。日本のメジャー映画でここまで大々的に劇中劇を取り入れたのは、薬師丸ひろ子主演作『Wの悲劇』(84)以来ではないか。どこまでが芝居で、どこからが現実なのか分からない、怪しい迷宮世界となっている。客席で観ていた観客もいつしか作品の中に迷い込んでしまう。虚構であるはずの世界に現実が呑み込まれていく怖さに、思わず客席の腕掛けを握り締めてしまう。  『喰女』の主人公は、テレビや映画に引っ張りだこの人気女優・美雪(柴咲コウ)と美雪と同棲中の男優・浩介(市川海老蔵)の2人。浩介は二世俳優で、生まれついての才能は持っているものの、「女遊びは芸の肥やし」とばかりに朝帰りを続け、役者としては大成できずにいる。美雪との肉体関係がズルズルと続いているが、入籍しようという気配もない。そんな煮え切らない状況に白黒つけるべく、美雪は初めて挑む舞台『真四谷怪談』の共演相手に浩介を指名する。実生活で同棲中の女優と男優が、舞台でお岩と伊右衛門の夫婦を演じるというデンジャラスな配役だ。この時点で、美雪という女性はかなりの危険人物であることが分かる。浩介は度胸があるのか、何も考えていないのか、平然とこの挑戦を受けて立つ。かくして、どこまでが役づくりなのか、それとも本人の本音なのか判別できない、ドロドロの舞台の稽古が始まる。ショー・マスト・ゴー・オン。舞台と恋は最後の幕が降りるまで、途中でやめることは許されない。
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美雪(柴咲コウ)と浩介(市川海老蔵)は舞台『真四谷怪談』で共演することに。役づくりにのめり込み、どこまでが芝居か現実か分からなくなっていく。
 舞台稽古が始まって間もなく、浩介は『真四谷怪談』でお梅役を演じる若手女優・莉緒(中西美帆)との火遊びに興じる。莉緒が演じるお梅は、伊右衛門に横恋慕してお岩から奪ってしまう裕福な武家の子女役。浩介と莉緒は役づくりを兼ねてベッドを共にする。浩介の後先考えない役者バカぶりは、観客の目には否応なく現代のカブキもの・市川海老蔵のキャラクターと重なって映る。浩介の帰りを待ちながら夕食の準備をする美雪が、次第にお岩役に入っていく姿にゾッとさせられる。柴咲も大人の女の情念をじっとり演じられた今回の美雪/お岩の2役に、今までにない手応えを感じているようだ。出世作『バトル・ロワイアル』(00)での“世界でいちばん鎌の似合う女”相馬光子以来といえる強烈キャラクターを嬉々として演じていることが、スクリーン越しに伝わってくる。『喰女』は単なる劇中劇ではなく、市川海老蔵や柴咲コウの素の部分も透けて見える、いわば三重構造の劇中劇なのだ。『IZO』(04)でフィクションとリアルの壁をブチ壊した、三池監督らしい型破りな世界ではないか。  市川海老蔵の飲み仲間である伊藤英明が伊右衛門と悪巧みを働く宅悦役で出演しているのも、虚構と現実との境界をより曖昧なものにしている。映画では美雪の付き人・加代子(マイコ)が思わせぶりな言動で気を惹くが、原作小説『誰にもあげない』を読むと、付き人として美雪の交際相手のことも知っておくべきと、浩介と肉体関係まで経験していることが明かされている。美雪、莉緒だけでなく、加代子もまた女の怖さをまざまざと感じさせるキャラクターなのだ。  同じ舞台で共演することになった俳優たちの虚々実々なやりとりが繰り広げられる『喰女』だが、男と女が同じ家で一緒に暮らすということにもある種の演技が伴うだろう。男はその場しのぎの噓をつき、女はその噓を見破りながらも笑って受け止める。『喰女』にはフィクションとは思えない、リアルな怖さが漂う。普段はどんなに温厚な女性でも、一度怒りの炎が燃え上がると最凶鬼女に変身することを男は知っているからだ。
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美雪とお岩の2役を演じた柴咲コウ。ホラー映画というジャンルには収まらない、きれいごとでは済まない男と女のドラマとして演じてみせた。
 都市伝説的に言い伝えられるお岩さんの祟りの背景には、長い長い封建制度の中で虐げられてきた女性たちの恨みつらみが積み重なっている歴史があり、そのことが男により恐怖を感じさせる。さらに女性には、妊娠&出産という男には絶対できないことをやってみせる強靭な体力と精神力がある。どうしたって、男には勝ち目はないのだ。ただただ、涙目状態で『喰女』の二転三転するクライマックスと美雪と浩介の舞台の行方を見守るしかない。  浩介と浮気相手の莉緒は情事の後のベッドで、こんな会話を囁き合う。 莉緒「伊右衛門はどうすれば幸せになれたのかな?」 浩介「伊右衛門は幸せになんかなれないよ」  同性の肩を持つわけではないが、観ているうちに浩介/伊右衛門が次第に哀れに感じられてくる。男と女のゲームに勝ち目がないことを知っていながら、ゲームにエントリーしてみせた浩介。彼にできることは、愛情の裏返しである怨念の洪水を全身に浴びることだけだった。 (文=長野辰次) kuime_movie04.jpg 『喰女−クイメ−』 企画/市川海老蔵、中沢敏明 原作・脚本/山岸きくみ『誰にもあげない』(幻冬舎文庫) 監督/三池崇史 出演/市川海老蔵、柴咲コウ、中西美帆、マイコ、根岸季衣、勝野洋、古谷一行、伊藤英明 配給/東映 PG12 8月23日(土)より全国ロードショー (c)2014「喰女−クイメ−」製作委員会 http://www.kuime.jp

寂れゆく町に現われた男は救世主か悪魔なのか? 新エネルギー開発に揺れる『プロミスト・ランド』

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シェールガス革命に沸く米国の裏側を描いた『プロミスト・ランド』。主演のマット・デイモンが製作と脚本も手掛けている。
 田舎育ちの純朴な青年を演じることの多かったマット・デイモンだが、彼自身が脚本を書いた『プロミスト・ランド』では現代のメフィストを演じる。とても誠実で爽やかなナイスガイなので、彼がメフィストであることをみんなコロッと忘れてすんなり大事な魂を売り渡してしまう。本人すら自分がメフィストであることに気づいておらず、各家庭に福音を届けて回っているつもりでいる。でも、彼が立ち去った後の町は、人が住めない荒野と化してしまう。そんなメフィストがもう一人のメフィストと遭遇することで、ようやく自分が今までやってきたことに気がつく。悩めるメフィスト、それが今回のマット・デイモンの役どころだ。  マット・デイモンが製作・主演・脚本を兼ねた本作は、出世作『グッドウィル・ハンティング/旅立ち』(97年)で組んだガス・ヴァン・サント監督との久々のタッグ作。石油を遥かに上回る埋蔵量があるとされる新エネルギー“シェールガス”の開発に一喜一憂する人々の物語となっている。マット・デイモンとの共同脚本を手掛けた若手俳優ジョン・クラシンスキーが、もう一人のメフィストを演じている。  スティーブ(マット・デイモン)は大手エネルギー会社「グローバル社」に勤め、もっぱら米国内陸部の田舎町を訪ね回っている。シェールガスが埋蔵される土地の所有者に会い、掘削権を借り上げるのが彼の役割。田舎町に着いたスティーブは高級スーツを脱ぎ、安物のネルシャツとジーンズに着替える。ブーツはおじいちゃんが使っていた年代ものだ。訪問宅へは古ぼけたレンタカーで赴く。相棒役のスー(フランシス・マクドーマンド)も田舎町がよく似合う、地味めな中年女性。子育てに頭を悩ませる主婦たちのよき相談相手となっている。2人には大企業のエリートサラリーマンにありがちな上から目線な態度も慇懃無礼さもなく、「この人たちなら信頼できそう」と好感を持ってどの田舎町から迎え入れられる。スティーブとスーのチームは、グローバル社の他のチームより契約件数が断然に多い。  抜群の営業成績を誇るスティーブの強みは、彼自身がアイダホ州の農家の生まれで、産業のない田舎で暮らす人たちの今後のことを親身になって憂いているという点にある。このまま過疎化が進めば、小さな町の未来はお先真っ暗。でも、シェールガスの開発が進めば、町は人とお金で潤うではないか。グローバル社と契約さえ結べば、もう家や車のローンに追い立てられることも、子どもを進学させるかどうか悩む必要もない。あくせく働かずとも、毎月数百万円ものお金が振り込まれることになる。町の人たちは一生遊んで暮らせる大金を手に入れ、スティーブは会社の幹部への昇格に近づく。どちらにとってもウィンウィンな美味しい契約ではないか。
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優秀な営業成績を誇るスティーブ(マット・デイモン)。上司たちから「君は我が社の幹部候補だ」と煽てられ、やる気まんまん。
 どこにでもある平凡な田舎町・マッキンリーも、スティーブたちにとっては簡単に片付くはずの町だった。町の有力者への根回しを済ませ、あとは町民集会で形式的な説明を行なえば一件落着だった。ところが、地元高校の老教師フランク(ハル・ホルブルック)が異議を唱える。シェールガスはCO2の排出量が比較的少ない。また、米国だけでも150年分の埋蔵量があることから、石油利権を求めて中東に軍事介入しなくても済むなどのメリットがある。だが、シェールガスが眠る地層にまで亀裂を入れる“水圧破砕法”は大量の水を使い、そして破砕が要因となって水や空気を汚してしまう。さらに破砕の際に様々な化学薬品を投入することから、土地が汚染される。新エネルギーの開発にはすべからく弊害が生じるという事実から目をそらしてはいけない。そのことを念頭に置いて、もう一度考え直すべきではないのかとフランクを主張する。  お金か? それとも環境保護か? スティーブは少数派である反対グループを懐柔できると踏んで、3週間後に住民投票を行なうことでその場を収めた。この騒ぎを聞きつけ、環境活動家のダスティン(ジョン・クラシンスキー)が現われる。ダスティンはスティーブを上回る口の達者さとグローバル社に対する巧みなネガティブキャンペーンで、たちまち町の人たちの心をつかんでいく。どうやらスティーブは各地で環境保護運動を起こすことを食べている“プロの活動家”らしい。町を大企業の毒牙から守る守護天使のように見せているが、彼はそんなクリーンな存在ではない。小さな町でメフィストとメフィストが対峙し合うことになる。この2人は、町の小学校に務める女教員アリス(ローズマリー・デウィット)をめぐっても恋の火花を散らすことになる。  新エネルギーの開発に沸く田舎町を舞台にした本作を観ていて、思い浮かべるのは田原総一朗が1976年に発表したノンフィクション小説『原子力戦争』(ちくま文庫)だ。『原子力戦争』では原発建設予定地に莫大なお金がバラまかれる内情が赤裸々に描かれていた。それまでお金がなくても慎ましく生活することができた田舎で暮らす人たちに、都会からやって来た原発推進派はまずお金の味を覚えさせることから始める。昔ながらの人付き合いが残る田舎のコミュニティーをお金の力で根こそぎ壊してしまえば、原発建設は一気に進む。スティーブが勤めるグローバル社のやり方と『原子力戦争』で描かれた原発誘致の内情はとてもよく似ている。田原総一朗は「原子力発電は海の水や空気を汚す以上に、住民たち自身を腐食させている」と書き記した。新エネルギーを開発するということはその土地の景観を変えてしまうだけでなく、その土地で暮らす人々の生活や心まで丸ごと変えてしまうことに繋がるのだ。
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買収先の田舎町で暮らすアリス(ローズマリー・デウィット)といいムードに。スティーブは単なるビジネスだと割り切れなくなっていく。
 代々受け継がれてきた土地を守ることは大切。でも、このまま放っておけば小さな町はどんどん廃れていく一方。実に悩ましい選択だ。多分、どちらが正解か分からないからこそ、マット・デイモンはドラマ化することを考えたのだろう。どちらに一票を投じるかは、観た人それぞれに委ねられることになる。  最後に、本作で印象に残ったシーンについて。米国の田舎町らしく、小さな女の子がレモネードを売っている姿が何度か登場する。住民投票の当日も、会場の入り口で女の子がやっぱりレモネードを売っている。自分の家の農園で採れたレモンを絞って作ったお手製なのだろう。一杯25セントだ。住民投票の結果に気を揉むスティーブに女の子は「一杯いかが?」と勧める。紙幣で代金を払ったスティーブは「お釣りはいいよ」と立ち去ろうとするが、女の子はにっこり笑顔で釣り銭を手渡す。このレモネードは原材料費と手間賃を合わせた25セントが適正価格であって、それ以上のお金を受け取ることはレモネードの味を歪めてしまうことになるのだ。スティーブは25セントのレモネードを飲むことで、お金の意味を思い出す。メフィストであり続けるには、スティーブはあまりにも純粋だった。 (文=長野辰次) promised-land04.jpg 『プロミスト・ランド』 原作/デイヴ・エッガース 脚本/ジョン・クラシンスキー、マット・デイモン 監督/ガス・ヴァン・サント 出演/マット・デイモン、ジョン・クラシンスキー、フランシス・マクドーマンド、ローズマリー・デウィット、ハル・ホルブルック 配給/キノフィルムズ 8月22日(金)より日比谷TOHOシネマズシャンテ、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー  (c) 2012 Focus Features LLC. All Rights Reserved. http://www.promised-land.jp

女性の中に潜む少女性とおばはん的要素の妙味。『怪しい彼女』の“妖女”に男はみんな首ったけ!

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外見は20歳、中身は70歳のオ・ドゥリ(シム・ウンギョン)。オールディーズなファッションと情感たっぷりな歌唱力で男たちを魅了する。
 ひとりの女性の中には幾つもの人格が潜んでいる。少女のような純真な笑みを浮かべたと思いきや、次の瞬間には狙撃手のような冷たい横顔を見せる。あるときはコールガールのような思わせぶりな視線を送ったかと思えば、バーゲンセールに突撃するおばはんのようなしたたさを垣間見せる。まるでネコのようにクルクルと性格が変わる女性に振り回された経験を、多くの男性が持っているのではないだろうか。『サニー 永遠の仲間たち』(11)が日本でもロングランヒットしたシム・ウンギョン主演作『怪しい彼女』は、そんな女性ならではの特性を存分に楽しませてくれるエンターテイメント快作だ。『サニー』や『王になった男』(12)の大ヒットで韓国を代表する若手演技派女優となったシム・ウンギョンが、見た目は20歳の生娘だが、中身は70歳の毒舌ババアという怪しすぎるヒロインを実に楽しげに演じている。  『怪しい彼女』は藤子不二雄ワールドや楳図かずお先生の若き頃の傑作コミック『アゲイン』などを彷彿させるファンタジードラマだ。ヒロインは70歳になる鼻つまみ者のバーサンことオ・マルスン(ナ・ムニ)。ひとり息子を苦労して育てたが、その息子が大学教授となり、老人たちの溜まり場・シルバーカフェでいつもその自慢ばかりしている。自宅に帰れば、息子の嫁に小言の連射砲を浴びせまくり、病院送りにしてしまう。老害をまき散らし、周囲は大迷惑。ある日、家族が集まって自分を介護施設に入居させる相談しているのを耳にし、ショックを受けたマルスンは夜の街を徘徊する。行き場のないマルスンの目に留まったのは「青春写真館」という看板を掲げた小さな写真スタジオ。ショーウインドウに飾られたオードリー・ヘップバーンら往年のハリウッド女優たちのスチールにうっとりするマルスン。こんな私にだって輝いていた時分があったんだよ。そうだ、どうせもうしばらくしたら天国からお迎えが来ることだし、今のうちに葬式用の遺影を撮ってもらおうかね。あの嫁に任せたら、とんでもない写真を使われそうだしね。  「50歳、若くしてあげますよ」と写真館の主人は営業トークがうまい。気分よくマルスンがカメラに向かって笑顔を見せると異変が起きた。写真館を出たマルスンを街のチャラ男がナンパしてくる。「一体、70歳のバーさんを口説くなんて、この国はどうなったんだい?」と驚くマルスンは鏡に映った自分の姿を見て、さらにびっくり。なんと20歳の頃の姿(シム・ウンギョン)になっているではないか。再び手に入れた青春を思いっきり謳歌するマルスン。大好きだったオードリー・ヘップバーンにちなんで名前をオ・ドゥリと変え、第2の人生を歩み始める。シルバーカフェに行ってもオ・ドゥリがオ・マルスンだとは誰も分からない。懐かしのヒット曲をカラオケで歌うと、お客たちはやんやの大喝采を送る。20歳の女の子が人生の哀歓を込めて情感たっぷりにオールディーズソングを歌い上げるからだ。メタル系のバンドを組んでいる孫息子のジハ(ジニョン)が祖母だとは気づかずに「ボーカリストになってくれ」と声を掛けてきた。かわいい孫の頼みは断れない。かくして、メタル系バンドのボーカルを務めることになった、見た目20歳/実は中身70歳のおばあちゃん。テレビの音楽番組のオーディションを受けることになり、オ・ドゥリの快進撃が止まらない。
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女手ひとつで息子を育て上げたオ・マンス(ナ・ムニ)だが、気がついたらおばあちゃんになっていた。叶えられなかった夢が胸に去来する。
 オ・ドゥリの豪快な弾けっぷりには理由があった。若くして結婚したものの、愛する夫は出稼ぎ先で事故死。お腹に子どもを宿していた彼女はそれからは死にもの狂い働き続けた。子どもを食べさせることを優先させ、自分の靴や衣服を買う余裕はなかった。子どもの進学のために、世話になった人を裏切って後ろ指をさされる汚いまねもやった。子どもが一人前になり、ようやく首が回るようになったと思えば、もう自分はすっかりおばあちゃんになっていた。オ・ドゥリがステージで歌う曲には、人生の重みと青春のはかなさが込められている。  20歳に若返っても頭はおばさんパーマのままというシム・ウンギョンのコメディエンヌぶりが冴え渡る。かわいい顔して、口から出てくるのはおばはん言葉の大洪水。「噓ついたら、その口を引き裂くよ」なんてバイオレンスな台詞が平気で飛び出す。テレビ局の独身プロデューサー、ハン・スンウ(イ・ジヌク)と2人っきりでいいムードになったときは「好きな男性のタイプ? しっかり家族のために稼いでくれて、夜は強いほうがいいねぇ」とイヒヒと笑う。下ネタも全然OK! 見た目のかわいさと中身とのギャップに周囲の男たちは散々振り回される。でも、男たちはそんな彼女に振り回されるのが楽しくて仕方ない。  主人公が若返って人生をやり直すという物語は、『アゲイン』をはじめこれまでに幾多もあったが、『怪しい彼女』が特別な作品となっているのは、シム・ウンギョンという生身の女優が20歳のオ・ドゥリ、70歳のオ・マンスンという2つのキャラクターを見事に同居させながら演じていることに尽きるだろう。本作の大きな見せ場である歌唱シーンは、製作サイドは当初は吹替えを用意するつもりだったが、シム・ウンギョンが自分で歌うことを申し出た。歌唱トレーニングの効果もあるのだろうが、人生の酸いも甘みも嗅ぎ分けたベテランのシャンソン歌手のような堂々とした存在感で、青春まっさかりのアイドルみたいにキャピキャピッと歌い上げる。ひとつの曲を歌い上げる中で、メロディと歌詞の間を様々な時間が流れ、そして交差していく。ステージシーンは、まるでシム・ウンギョンが自分の人生をタイムトラベルしている様子を見ているかのようでもある。
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障害児の性的虐待を描いた実録衝撃作『トガニ 幼き瞳の告発』(11)のファン・ドンヒョク監督が一転してコメディに挑戦。監督の二面性もすごい!
 『怪しい彼女』を観て思うのは、女性という生物の摩訶不思議さだ。そして女優とは、女性ならではの特性を最大限に発揮してみせる職種なのだろう。ひとつの個体の中に眩しい生命力とその裏には見る見るうちに変貌していく退廃美が隠されている。女の子の中にはキラキラとした輝きと同時に、自分の人生をすでに全部見通してしまったかのようなクールさと大胆さも備わっている。多分、オ・ドゥリはスクリーンの中だけの存在ではない。あなたの目の前にいる女性の中にも、きっと彼女は潜んでいるはずだ。そう、すべての女性はみんな『怪しい彼女』なのだ。 (文=長野辰次) ayakano04.jpg 『怪しい彼女』 監督/ファン・ドンヒョク 出演/シム・ウンギョン、ナ・ムニ、パク・イナン、ソン・ドンイル、イ・ジヌク、ジニョン(BIA4) 配給/CJ Entertainment Japan 7月11日(金)よりTOHOシネマズみゆき座ほか全国順次ロードショー  (c)2014 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved http://ayakano-movie.com