
38歳の生涯を閉じたクリス・カイルの自伝『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』の映画化。リアルな戦場シーンはモロッコで撮影された。
映画というメディアの特性のひとつに、複眼的な視野を内包していることが挙げられるだろう。小説のほとんどはひとりの作家によって書かれるが、映画は監督だけでなく、脚本家、プロデューサー、カメラマン、キャスト……様々な視点が盛り込まれることによって、作品の世界観に立体感と奥行きを持たせることができる。監督にそれらの視点を束ねる力量がなければ、単なる駄作で終わってしまうわけだが。現在84歳となるクリント・イーストウッド監督による『アメリカン・スナイパー』は、その点での心配はない。なにせ、イーストウッド監督は映画界の現人神である。『アメリカン・スナイパー』の原作本『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』(原書房)は4度にわたってイラク戦争に従軍したクリス・カイルの一人称で語られる回顧録(要所で妻タヤの証言が入る)であり、スナイパーライフルのスコープから覗いた戦場の生々しさが描かれているのに対し、イーストウッド監督は戦場シーンは臨場感たっぷりに、だがスコープだけでは見えない世界を俯瞰した立場から厳粛さを持って見つめている。
テキサス州生まれの主人公クリスは、ずっとカウボーイになることに憧れていた。幼い頃に父親に連れられて狩猟に出掛け、一発でシカを倒してみせたことから、「お前には射撃の才能がある」と褒められた。弟が学校でケンカに巻き込まれた際には、父親からこう教えられた。「人間には3つのタイプがある。羊と狼と番犬だ。お前は邪悪な狼から大勢の羊たちを守る番犬になるんだ」と。クリスは父親の教えを生涯守り抜くことになる。誰からも愛された熱血漢クリスは、やがて“伝説”と“悪魔”という2つのニックネームで呼ばれることになる。伝説と悪魔、クリスの正体は一体どちらだったのか? イーストウッド監督はその答えを、本作を見た観客ひとりひとりに委ねる。

製作と主演を兼ねたブラッドリー・クーパー。シールズ隊員だったクリス役を演じるため、18キロ増量による肉体改造を自分に課した。
現代のアメリカは、当然ながらイーストウッドがかつて映画の中でタフなガンマンを演じたような西部劇の時代ではない。大人になったクリス(ブラッドリー・クーパー)はカウボーイになる夢を諦め、海軍に入隊した。厳しい特訓に耐え、晴れて世界最強の特殊部隊ネイビー・シールズの一員となる。2001年9月11日、NYのワールドトレードセンターが同時多発テロによって崩壊する瞬間をニュース映像で見たクリスは、恋人タヤ(シエナ・ミラー)との新婚生活もそこそこに戦場へと向かう。大量破壊兵器を隠し持つ“悪の枢軸国”イラクをやっつけるためだ。西部開拓期に生まれそびれた男にとって、中東の未知なる国での戦闘は働きがいのある任務だった。建物の屋上に潜んだクリスはスナイパーライフルで、米軍に敵対する反米武装勢力を公式で160人、非公式で255人射殺した。米軍史上最多記録だった。クリスは戦友たちからは“伝説”と賞讃され、イラクでは“悪魔”と恐れられた。そして、クリスは自分が戦場で2つのニックネームで呼ばれていることに誇りを感じていた。
クリスの父親が語った「羊を守る番犬になれ」という教えは、子どもを教育する上では間違ってはいない。だが、複眼的な視野を持つ『アメリカン・スナイパー』には“合わせ鏡”的なもう一匹の番犬が登場する。米軍史上最強の狙撃手となったクリスと戦場で対峙する、反米勢力側の狙撃手ムスタファ(サミー・シーク)だ。ムスタファは五輪の射撃選手として活躍したが、祖国存亡の危機に反米勢力に身を投じた。イラク人である彼からしてみれば、米国のほうが「大量破壊兵器を隠し持っている」と言いがかりをつけて攻め込んできた邪悪な狼だった。ムスタファこそが同胞たちを米軍から守る番犬なのだ。クリスとムスタファ。空爆で廃墟化した市街地で、2匹の番犬同士がライフルスコープごしにキバを剥き合う。お互いに豆粒大にしか見えない間合いで、相手の喉笛に噛み付き合う。

最愛の妻タヤ(シエナ・ミラー)のもとにクリスは生還を果たすが、戦場での過酷な経験は純朴だったカイルを別人に変えてしまった……。
イーストウッド監督は本作の映画化にあたり、とてもシンプルなメッセージを込めている。それは、戦争という状況を狭視界で捉えることの危険性だ。素手で殴り合うケンカなら、カウボーイ魂を存分に発揮すればいい。しかし、ケンカと戦争はまったくの別物だ。戦争とは国と国との利権をめぐる争いであり、その利権の恩恵にありつくことのない階級の人たち(主に失業者たち)が戦場に送り込まれ、見知らぬ相手と殺し合いをさせられる最悪の外交手段である。劇中でクリスはイラク行きを反対する妻タヤを「家族を守るためなんだ」と説得するが、イラク戦争は本当に米国市民を守るための戦争だったのだろうか? イラクから帰還したクリスはPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患い、心配したタヤは病院で診てもらうことを勧める。クリスが160人ものイラク人を射殺したことが原因だろうと考える精神科医に対して、クリスはきっぱりと言い切る。「野蛮人を殺したことは後悔していません。もっと多くの仲間を救うことができたんじゃないのか。そのことを考えると辛いんです」。
米軍によるイラクの首都バグダード空爆と精鋭部隊の投入により、開戦から3週間でサダム・フセインによる独裁政権はあっけなく倒れた。だが、その後のイラクは内戦状態が続き、フセイン軍の残党とアルカイダから分裂したテロ組織が合流し、ISIL(イスラム国)が生まれることになる。イーストウッド監督は、カウボーイに憧れ、父親の教えを忠実に守り、妻と2人の子どもを愛した純真なひとりの男の生涯を最大限の敬意を払って描く一方、米軍がイラクに残した混乱と死体の山から新しい憎悪とカルマが生まれつつあることを伝える。そして、家族のもとに無事に生還を果たした戦場のヒーローに、皮肉という言葉を使うことが憚れるほど残酷な結末が訪れる。エンディングロールで流れる鎮魂歌が耳から離れない。
(文=長野辰次)

『アメリカン・スナイパー』
原作/クリス・カイル『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』 脚本/ジェイソン・ホール 監督/クリント・イーストウッド 出演/ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー、ルーク・グライムス、ジェイク・マクドーマン、ケビン・ラーチ、コリー・ハードリクト、ナビド・ネガーバン、キーア・オドネル
配給/ワーナー・ブラザーズ映画 R15 2月21日(土)より新宿ピカデリー、丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
(C) 2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC
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