人はなぜ働くのか? 人気監督が導き出した答え『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』

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ジョン・ファヴロー監督&主演の『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』。6館での公開スタートから全米1239館公開と口コミで人気が広がった。
 地元の人たちに長年愛されてきたソウルフードが一堂に会するB級グルメの祭典「B-1グランプリ」がきっかけで、富士宮焼きそばや八戸のせんべい汁はずいぶんメジャー化した感がある。太平洋を挟んだ米国でも、似たようなB級グルメブームが起きている。ミシュランで紹介されているような高級レストランよりも、公園や街角に停まっているフードトラックのランチメニューが人気を呼んでいるのだ。リーマンショック以降、お財布の紐が固くなった米国のビジネスマンたちにとって、手頃な値段で楽しめるフードトラックはとても魅力的に映るらしい。全米各地の人気フードトラックが腕を競い合うフードトラックコンテストやフードトラック祭りも開催されているとのこと。『庖丁人味平』『一本包丁満太郎』を愛読したB級グルメマニアには堪らんイベントですな。見栄や格式にとらわれずに、本当に自分が美味しいと思う食文化を気軽に楽しんじゃおう。そんな近年のB級グルメ志向をうま~く調理してみせたのが、ジョン・ファヴロー監督&主演の『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』なのだ。  人気料理人ロイ・チョイのもとで修業を積んだジョン・ファヴローが、陽気なラテン音楽に合わせて手際良く作ってみせるのがキューバサンドイッチ。これが、めちゃめちゃ美味しそう。パンに自家製ローストポークとスライスチーズ、ロースハムを挟んだだけというシンプル極まりない家庭料理だが、ホットサンドプレスでアッツアツに焼き上げるのがポイント。ガブッと丸かじりすると、パンの香ばしさに続いて、肉の旨味とトロトロのチーズが口の中で混然一体となり、思わず顔がほころんでしまう。試写の後、赤坂見附のキューバ料理店で作ってもらったところ、これがマジで美味かった!  ジョン・ファヴローといえば、『アイアンマン』(08)『アイアンマン2』(10)を大ヒットさせたハリウッドの人気監督兼個性派俳優。職なし、金なし、女なしのコメディアンたちを主人公にしたインディペンデント映画『スウィンガーズ』(96)の脚本&主演俳優として売り出した頃はほっそりした体型だったけど、監督作『エルフ サンタの国からやってきた』(03)がハートウォーミングなコメディ映画として高く評価され、メジャー大作『アイアンマン』の監督を任されることに。ギャラのアップに比例して、存在感だけでなく体重もぐ~んとアップ。そんなハリウッドの勝ち組になった彼にとって、転機となったのが『カウボーイ&エイリアン』(11)。ダニエル・クレイグとハリソン・フォードの二大スターが共演した話題作だったけれど、これが大コケ。ハリウッドでメジャー大作を撮るようになって、すっかりスポイルされてしまったと貶されまくった。ぢぐしょ~、オレはただの太ったブタじゃねぇ! 捲土重来、初心に戻って、かつてのような低予算インディペンデントスタイルで作り上げたのが本作というわけ。
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『アイアンマン2』のブラックウィドウ役でおなじみのスカーレット・ヨハンソン。ファヴロー監督作とあって、お友達価格で出演を引き受けた。
 グルメ業界を舞台にした軽快なコメディ映画だが、ジョン・ファヴロー自身の心情がありありと描かれている。主人公カール・キャスパー(ジョン・ファヴロー)はLAの三ツ星レストランの総シェフ。仕事に熱中するあまり、家庭を省みずにバツイチになっちゃったけど、有名レストランの厨房を任されているし、超セクシーな恋人(スカーレット・ヨハンソン)もいる。たまに会う息子パーシー(エムジェイ・アンソニー)と共通の話題がないことが気掛かりだが、充分に世間の勝ち組に入っていいはずだった。ある日、カールのレストランをブロガーとして知られる料理評論家が来店することに。ここは新作メニューで評論家を唸らせてやろうと燃えるカールだったが、レストランのオーナー(ダスティン・ホフマン)が「待った」を掛けた。「お客さんたちは、うちの定番料理を楽しみにして来るんだ。いつも通りのメニューにするんだ」と。人気シェフとはいえ、カールは雇われの身。オーナーの指示に従って定番メニューを出したところ、評論家からは「カール・キャスパーは冒険心を失った」と酷評されてしまう。頭に来たカールは息子から教えてもらったばかりのツイッターで評論家に暴言を吐きまくり、果ては店内で大ゲンカ。かくして、カールはレストランをクビになり、失業者となってしまう。  若い頃はがむしゃらにゴール目指して突き進んだけど、肝心のゴールに到着してからの身の振り方がおぼつかない。世に言う“中年クライシス”状態に陥ったカールは、これをどう克服するのか? 職場を失ったカールは、別れた妻イネズ(ソフィア・ベルガラ)の勧めでフードトラックでイチからやり直すことに。米国最南端の街マイアミまで中古のフードトラックを引き取りに向かうが、ここで出会ったのがキューバから来た労働者たちに大人気のキューバサンドイッチ。「こりゃ、うめぇ!」と食通のカールも大感激。フードトラックの看板メニューが決まった。夏休み中の息子パーシーを伴っての米国横断フードトラックの旅が始まる。ケイジャン料理で知られるルイジアナ州では名物スイーツのベニエ、テキサス州では豪快で野性味たっぷりな本場バーベキュー……、米国各地のご当地グルメを親子で食しながらの旅が続く。そして、旅のゴールはあの毒舌評論家の待つLAでのリターンマッチだ。  フードトラックを運転しながらカールは思う。評論家の「冒険心を失った」という指摘は図星だった。だから、カールはムキになった。かといってオーナーの「レストランはお前のものじゃない。お客さんには定番メニューを出すんだ」という言葉も決して間違ってはいない。じゃあ、カールはどうすれば良かったのか? 結局、大きなレストランの厨房の奥に篭っていたカールは、いつの間にか評論家やオーナーの顔色をうかがいながら料理を作るようになっていたのだ。旅先で気取りのないB級グルメに舌鼓を打ち、フードトラックにキューバサンドを買い求めに来る一期一会のお客たちと言葉を交わすうちに、カールは自分が大事なことを見失っていたことに気づく。
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疎遠気味だった父子がフードトラックで旅をすることに。息子は仕事を通して、父はSNS上での社会との関わり方を学んでいくことになる。
 カールとパーシーの父子関係を描いた素晴しいシーンがある。フードトラックの開店初日、焼きたてのキューバサンドを大判振る舞いで無料サービスすることに。甲斐甲斐しく父の仕事を手伝うパーシーは、ちょっと焦げてしまったホットサンドを「捨てるのはもったいない」とお客にそのまま渡そうとする。それに気づいた父カールは、いつになく真剣な眼差しで息子に語りかける。 「父としても夫としてもダメ人間の俺だけど、唯一自慢できるのが料理の腕だ。俺の作った料理を食べた人が笑顔になること。それが俺にとってのサイコーの歓びなんだ」。  10歳の夏を迎えたパーシーにとって、旅先で見た青い空と父が作ってくれたキューバサンドの味、そしてこの言葉は一生忘れられない宝物になるだろう。人は何のために働くのか? ハリウッドで成功と失敗の両方を味わったジョン・ファヴローは『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』を撮り上げることで、その答えを見つけ出した。 (文=長野辰次)
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『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』 製作・監督・脚本/ジョン・ファヴロー 出演/ジョン・ファヴロー、ソフィア・ベルガラ、ジョン・レグイザモ、スカーレット・ヨハンソン、ダスティン・ホフマン、オリヴァー・プラット、エムジェイ・アンソニー、ロバート・ダウニーJr. 配給/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント PG12 2月28日(土)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開  (c)2014 SOUS CHEF,LLC. ALL RIGHTS RESERVED http://chef-movie.jp

イーストウッド監督が描く“イスラム国”誕生前夜 悪魔と呼ばれた男の正体『アメリカン・スナイパー』

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38歳の生涯を閉じたクリス・カイルの自伝『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』の映画化。リアルな戦場シーンはモロッコで撮影された。
 映画というメディアの特性のひとつに、複眼的な視野を内包していることが挙げられるだろう。小説のほとんどはひとりの作家によって書かれるが、映画は監督だけでなく、脚本家、プロデューサー、カメラマン、キャスト……様々な視点が盛り込まれることによって、作品の世界観に立体感と奥行きを持たせることができる。監督にそれらの視点を束ねる力量がなければ、単なる駄作で終わってしまうわけだが。現在84歳となるクリント・イーストウッド監督による『アメリカン・スナイパー』は、その点での心配はない。なにせ、イーストウッド監督は映画界の現人神である。『アメリカン・スナイパー』の原作本『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』(原書房)は4度にわたってイラク戦争に従軍したクリス・カイルの一人称で語られる回顧録(要所で妻タヤの証言が入る)であり、スナイパーライフルのスコープから覗いた戦場の生々しさが描かれているのに対し、イーストウッド監督は戦場シーンは臨場感たっぷりに、だがスコープだけでは見えない世界を俯瞰した立場から厳粛さを持って見つめている。  テキサス州生まれの主人公クリスは、ずっとカウボーイになることに憧れていた。幼い頃に父親に連れられて狩猟に出掛け、一発でシカを倒してみせたことから、「お前には射撃の才能がある」と褒められた。弟が学校でケンカに巻き込まれた際には、父親からこう教えられた。「人間には3つのタイプがある。羊と狼と番犬だ。お前は邪悪な狼から大勢の羊たちを守る番犬になるんだ」と。クリスは父親の教えを生涯守り抜くことになる。誰からも愛された熱血漢クリスは、やがて“伝説”と“悪魔”という2つのニックネームで呼ばれることになる。伝説と悪魔、クリスの正体は一体どちらだったのか? イーストウッド監督はその答えを、本作を見た観客ひとりひとりに委ねる。
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製作と主演を兼ねたブラッドリー・クーパー。シールズ隊員だったクリス役を演じるため、18キロ増量による肉体改造を自分に課した。
 現代のアメリカは、当然ながらイーストウッドがかつて映画の中でタフなガンマンを演じたような西部劇の時代ではない。大人になったクリス(ブラッドリー・クーパー)はカウボーイになる夢を諦め、海軍に入隊した。厳しい特訓に耐え、晴れて世界最強の特殊部隊ネイビー・シールズの一員となる。2001年9月11日、NYのワールドトレードセンターが同時多発テロによって崩壊する瞬間をニュース映像で見たクリスは、恋人タヤ(シエナ・ミラー)との新婚生活もそこそこに戦場へと向かう。大量破壊兵器を隠し持つ“悪の枢軸国”イラクをやっつけるためだ。西部開拓期に生まれそびれた男にとって、中東の未知なる国での戦闘は働きがいのある任務だった。建物の屋上に潜んだクリスはスナイパーライフルで、米軍に敵対する反米武装勢力を公式で160人、非公式で255人射殺した。米軍史上最多記録だった。クリスは戦友たちからは“伝説”と賞讃され、イラクでは“悪魔”と恐れられた。そして、クリスは自分が戦場で2つのニックネームで呼ばれていることに誇りを感じていた。    クリスの父親が語った「羊を守る番犬になれ」という教えは、子どもを教育する上では間違ってはいない。だが、複眼的な視野を持つ『アメリカン・スナイパー』には“合わせ鏡”的なもう一匹の番犬が登場する。米軍史上最強の狙撃手となったクリスと戦場で対峙する、反米勢力側の狙撃手ムスタファ(サミー・シーク)だ。ムスタファは五輪の射撃選手として活躍したが、祖国存亡の危機に反米勢力に身を投じた。イラク人である彼からしてみれば、米国のほうが「大量破壊兵器を隠し持っている」と言いがかりをつけて攻め込んできた邪悪な狼だった。ムスタファこそが同胞たちを米軍から守る番犬なのだ。クリスとムスタファ。空爆で廃墟化した市街地で、2匹の番犬同士がライフルスコープごしにキバを剥き合う。お互いに豆粒大にしか見えない間合いで、相手の喉笛に噛み付き合う。
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最愛の妻タヤ(シエナ・ミラー)のもとにクリスは生還を果たすが、戦場での過酷な経験は純朴だったカイルを別人に変えてしまった……。
 イーストウッド監督は本作の映画化にあたり、とてもシンプルなメッセージを込めている。それは、戦争という状況を狭視界で捉えることの危険性だ。素手で殴り合うケンカなら、カウボーイ魂を存分に発揮すればいい。しかし、ケンカと戦争はまったくの別物だ。戦争とは国と国との利権をめぐる争いであり、その利権の恩恵にありつくことのない階級の人たち(主に失業者たち)が戦場に送り込まれ、見知らぬ相手と殺し合いをさせられる最悪の外交手段である。劇中でクリスはイラク行きを反対する妻タヤを「家族を守るためなんだ」と説得するが、イラク戦争は本当に米国市民を守るための戦争だったのだろうか? イラクから帰還したクリスはPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患い、心配したタヤは病院で診てもらうことを勧める。クリスが160人ものイラク人を射殺したことが原因だろうと考える精神科医に対して、クリスはきっぱりと言い切る。「野蛮人を殺したことは後悔していません。もっと多くの仲間を救うことができたんじゃないのか。そのことを考えると辛いんです」。    米軍によるイラクの首都バグダード空爆と精鋭部隊の投入により、開戦から3週間でサダム・フセインによる独裁政権はあっけなく倒れた。だが、その後のイラクは内戦状態が続き、フセイン軍の残党とアルカイダから分裂したテロ組織が合流し、ISIL(イスラム国)が生まれることになる。イーストウッド監督は、カウボーイに憧れ、父親の教えを忠実に守り、妻と2人の子どもを愛した純真なひとりの男の生涯を最大限の敬意を払って描く一方、米軍がイラクに残した混乱と死体の山から新しい憎悪とカルマが生まれつつあることを伝える。そして、家族のもとに無事に生還を果たした戦場のヒーローに、皮肉という言葉を使うことが憚れるほど残酷な結末が訪れる。エンディングロールで流れる鎮魂歌が耳から離れない。  (文=長野辰次)
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『アメリカン・スナイパー』 原作/クリス・カイル『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』 脚本/ジェイソン・ホール 監督/クリント・イーストウッド 出演/ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー、ルーク・グライムス、ジェイク・マクドーマン、ケビン・ラーチ、コリー・ハードリクト、ナビド・ネガーバン、キーア・オドネル  配給/ワーナー・ブラザーズ映画 R15 2月21日(土)より新宿ピカデリー、丸の内ピカデリーほか全国ロードショー  (C) 2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC http://www.americansniper.jp

金メダリストの肉体を札束で手に入れた男の狂気! 米スポーツ界の暗部『フォックスキャッチャー』

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自分の存在を認めてほしい。過剰に膨らんだ承認欲求が呼び寄せた悲劇『フォックスキャッチャー』。実際に起きた金メダリスト殺害事件のドラマ化だ。
 巨匠ウィリアム・ワイラー監督の後期の作品『コレクター』(65)は、コミュニケーション能力に難のある男が“理想の女性”を自宅に監禁して飼育するという歪んだ愛情を描いた異色サスペンスとして人気が高い。今年のアカデミー賞で監督賞ほか5部門にノミネートされているベネット・ミラー監督の『フォックスキャッチャー』は、『コレクター』とよく似ている。大きな違いは、コミュニケーション能力に難のある男が飼育しようとしたのは“理想の女性”ではなく“理想の男性”だったという点。そして『コレクター』がフィクションだったのに対し、『フォックスキャッチャー』は1996年に起きた金メダリスト射殺事件を題材にしているということだ。  『コレクター』の内気な青年フレディは美大生ミランダを拉致する際に蝶の採集に使うクロロホルムを使用したが、『フォックスキャッチャー』の主人公ジョン・デュポンの手口はもっと巧妙だった。札束を積み、さらに相手の虚栄心をくすぐり、まんまと“理想の男性”を釣り上げてみせる。相手を傷つけることなく、金メダリストの美しい肉体を手に入れるのだった。  ジョン・デュポンは名門デュポン家の御曹司だった。デュポン家はアメリカ独立戦争の際に黒色火薬を製造販売して急成長を遂げた米国屈指の大財閥。生まれながらに富と権力が与えられていたジョン・デュポンは広大な自宅の敷地内にトレーニングセンターを設け、そこに有望なアマチュアレスリングの選手たちを集め、チーム・フォックスキャッチャーを名乗った。富と権力だけでは飽き足らず、自分が育てた選手にメダルを獲らせることで名声も手に入れようとした。1984年のロサンゼルス五輪ですでに金メダルを獲得していたデイヴ&マーク・シュルツ兄弟はそのための大事な切り札だった。それなのに何故、ジョン・デュポンは“理想の肉体”を持つ金メダリストを自分の手で射殺する凶行に及んだのか? 実録映画『カポーティ』(05)と『マネーボール』(11)で高い評価を得たベネット・ミラー監督は、ジョン・デュポン、デイヴ・シュルツ、マーク・シュルツの3人の男たちの金と汗と筋肉にまみれた危うい関係をあぶり出していく。  ジョン・デュポン(スティーヴ・カレル)がまず目を付けたのは、シュルツ兄弟の目立たない弟マーク(チャニング・テイタム)のほうだった。ロス五輪で兄デイヴ(マーク・ラファロ)はフリースタイル74キロ級で金メダル、弟マークも同82キロ級で金メダルに輝いた。ところが米国では大金が飛び交うMLBやNFLに比べ、アマチュアレスリングはマイナー競技に過ぎない。金メダリストながら、マークは経済的に困窮していた。一方の兄デイヴは社交性に富み、人望も厚いことから、コーチ業などの仕事に恵まれ、妻や幼い子どもたちと慎ましくも幸せに暮らしていた。マークにとって兄デイヴは優秀なレスリングパートナーであると同時に、いつも兄のおまけにしか自分は見てもらえないという劣等感を抱かせる存在だった。そんなマークに対し、初対面のジョン・デュポンは驚くほどの高年棒に加え、デュポン家の敷地内にある最新トレーニング施設と住居を無料で提供すると申し出てきたのだ。
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幼い頃に両親が離婚したシュツル兄弟。弟のマーク(チャニング・テイタム)は筋肉バカに、兄デイヴ(マーク・ラファロ)は人格者に育った。
 大財閥の御曹司は言う。「君は祖国アメリカのために体を張って闘った。それなのに祖国はあまりにも君に冷たいじゃないか」。マークにはジョン・デュポンが救世主のように思えた。幼い頃に両親が離婚するなど、ジョン・デュポンとマークには意外な共通項があった。兄デイヴは長年トレーニングを共にしてきたマークの旅立ちに一抹の淋しさを覚えるも、弟が独り立ちするいい機会だと快く見送る。デュポン家のバックアップのお陰で、マークは1987年の世界大会で金メダルを獲得する。だが、ジョンとマークの蜜月関係が続いたのはここまでだった。  自分が育てたマークが世界大会で優勝したことをジョン・デュポンは母ジャン・デュポン(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)に誇らしげに報告する。大豪邸に引きこもるように暮らす彼にとって、母親に認めてもらうことが最大にして唯一の存在証明だった。だが、母親は「レスリングは下等な競技」とまるで興味を示さない。伝統と由緒あるデュポン家ではレスリングよりも馬術競技のほうがグレードは高く、金メダリストのマークはサラブレッドよりも格下の扱いだった。  母親に褒めてもらいたい。その一心でジョン・デュポンはブレーキが効かない暴走列車と化していく。兄デイヴも執拗な札束攻勢の前に、ついに陥落した。さらに全米レスリング協会に多大な資金援助を行ない、自分が率いるチーム・フォックスキャッチャーを米国の代表チームにしてしまう。指導力に優れたデイヴを中心にチーム一丸となってソウル五輪を目指すことになるが、弟マークは面白くない。せっかく兄の支配下から離れ、フォックスキャッチャーのエースになったはずだったのに、これでは元の木阿弥ではないか。次第にマークはジョン・デュポンの影響で覚えたドラッグや酒に溺れていく。ジョン・デュポンもまた、自分に対してYESマンにならないデイヴの大人の対応ぶりに苛立ちを覚える。ジョン、マーク、デイヴの3人はあまりにも危うい均衡の上で五輪に挑もうとしていた。  『アベンジャーズ』(12)で無敵の超人ハルクを演じたマーク・ラファロと『マジック・マイク』(12)のストリッパー役で見事な裸体を披露したチャニング・テイタムがマッチョな兄弟役で共演。言葉を交わさずとも組み合っただけでお互いの体調や心理状態が分かり合えるほどの濃い絆で結ばれた兄弟役をリアルなレスリングシーンを交えて演じてみせるが、そこにコメディ映画『40歳の童貞男』(05)で人気を博したスティーヴ・カレルがまったくの無表情で絡むことで不穏な空気がレスリング場に立ち込める。直接的なホモセクシャルシーンはないものの、特殊メイクで競り上がったスティーヴ・カレルの巨大な鼻はジョン・デュポンのプライドの高さと性欲の強さを象徴したものだろう。
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ジョン・デュポン(スティーヴ・カレル)は地元警察の有力な支援者だったことから“名誉警官”として銃の携帯を許可されていた。
 実際のジョン・デュポンは世界的な化学メーカー・デュポン社の創業一族の末裔ながら、デュポン社の経営からは隔離され、屋敷の中で孤独な生活を送っていた。結婚歴はあるが、DVが原因で1年足らずで離婚している。20代の頃は水泳と近代五種で五輪代表の座をマジで狙っていた。でも、デュポン家に受け継がれてきた脆弱な肉体では、五輪の代表選手になる夢は叶わなかった。そこで金の力で有力選手やスタッフを集めるのだが、自分の思い通りにならないと「みんな、俺の金が目当てのくせに」と感情を爆発させては、コレクションの銃を乱射した。レスリング協会や地元警察はジョン・デュポンの精神状態がおかしいことを知りながら、気づかないふりを続けた。シュルツ兄弟と同様に、レスリング協会も警察もデュポン家の財産の恩恵に預かっていたからだ。『フォックスキャッチャー』が描いているものはシュルツ兄弟に降り掛かった災難でも、デュポン家に起きた醜聞でもない。金権主義とマッチョ信仰に染まった現代アメリカの悲劇にほかならない。 (文=長野辰次)
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『フォックスキャッチャー』 監督/ベネット・ミラー 脚本/E・マックス・フライ、ダン・ファターマン 出演/スティーヴ・カレル、チャニング・テイタム、マーク・ラファロ シエナ・ミラー PG12 配給/ロングライド 2月14日(土)より新宿ピカデリーほか全国公開  Photo by Scott Garfield (C)MMXIV FAIR HILL LLC. ALL RIGHTS RESERVED http://www.foxcatcher-movie.jp

現役アイドルに“顔射”を迫る鬼畜ドキュメント! アイドルvs.AV監督『劇場版BiSキャノンボール』

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3年半にわたってアイドルの常識を壊してきたBiSのメンバーたちだが、解散ドキュメンタリーで予想外の事態に追い込まれてしまう。
 人気アイドルグループの解散ドキュメンタリーを怖いもの知らずのAV監督たちが撮り上げるとゆー、とんでもない無茶ぶりで話題を呼んでいる『劇場版BiSキャノンボール2014』。撮られるアイドルグループは2014年7月8日に横浜アリーナにファン8000人を集めて解散ライブを行なったBiS。そのメンバー6人を解散ライブの前日から3日間にわたって密着取材したのは、カンパニー松尾を隊長とする大ヒット作『劇場版テレクラキャノンボール2013』(14)で異能ぶりを発揮したハメ撮り師たち。全裸PVやメンバー間の内紛さえもネタにしたアイドルらしからぬ非常識さで人気を得たBiSと『テレクラキャノンボール』で蛮勇を馳せたAV監督たちを掛け合わせると、一体どんな化学合成が生じるのか? 立ち見客でごった返すテアトル新宿の初日は、BiSファンと『テレキャノ』マニアとの期待と不安が入り交じった熱気で包まれた。  もともとはスペースシャワーTVで放送するBiSの解散ドキュメンタリー番組として企画されたものだが、非常識さで売り出したBiSの解散をフツーにまとめてもつまらない。そこで白羽の矢が立ったのが、希代のハメ撮りAV監督として熱狂的なファンのいるカンパニー松尾だった。でも、カンパニー松尾はBiSのことを知らないし、密着取材するにも時間があまりない。一度は断ることを考えていた彼の頭の中に閃いたのは、AV監督たちがどれだけ素人女性をナンパできるかを競い合う『テレクラキャノンボール』のフォーマットをそのまま活用するというアイデアだった。折しも、『テレクラキャノンボール』はAV作品ながら映画館で大入り満員が続いていた。そして奇しくもBiSメンバーは6人、『テレキャノ』のハメ撮り師たちも6人! 横浜アリーナでの解散ライブの前日のリハーサル、リハーサル後の夜、そして解散ライブ直後までの完全密着ドキュメントが始まった。  『テレキャノ』でおなじみカンパニー松尾らハメ撮り監督たちとBiSのマネージャー渡辺淳之介、スペースシャワーTVの高根順次プロデューサーらが集まった男だけの企画会議がめちゃめちゃ楽しそうだ。いつもは素人の女の子や熟女たちを相手にしているハメ撮り師たちは、現役アイドルをマンツーマンで撮影することになって浮き足だっている。ちなみにBiSメンバーには『情熱大陸』みたいなキレイなドキュメンタリー番組だよ~と伝えているらしい。でも、まぁ、フツーに考えれば相手は現役アイドルで、しかも解散ライブを控えている。ハメ撮りはありえない。じゃあ、逆にルール設定しても構いませんよねと、カンパニー松尾らはうれしそうにBiSキャノンボール用の得点システムを決めていく。  +3P→セミヌード、電話番号ゲット、貴重な過去の話  +2P→涙、寝顔、キス、靴下の匂い嗅ぎ、おなら  +1P→寝起き、ほっぺハグ、ハグ、肩叩き、手つなぎ  ただし「やめてください」は−5P、渡辺マネージャーからのクレームはポイント剥奪か退場  スーパーボーナスポイント  +100P→ハメ撮り  +9P→オナニー  +7P→フェラ  +7P→ヌード  +5P→手こき
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セクシーな肢体と男性客が狂喜する一瞬を提供してくれたのはコショージメグミ。彼女もまた思わぬ場面で、とんでもない目に。
 いよいよ撮影当日。BiSメンバーをカメラで追う監督たちの組み合わせが決まった。まずは第1ステージ。BiSメンバーをそれぞれの愛車に乗せ、都内から横浜アリーナまで誰がいちばん早く到着するかを競い合う。限られた時間の中で、BiSとは初対面の監督たちは彼女たちとの距離感を会話で探っていく。マスクで顔を完全ガードしているリーダーのプー・ルイをどう攻めるか、熟女系を得意とするタートル今田は考えを巡らす。AV好きなファーストサマーウイカは、カンパニー松尾が自分を撮ることになってはしゃいでいる。いいムードだ。そして『BiSキャノンボール』のキーワードとなる「伝説を残したい」という言葉をテンテンコから引き出したのは、ビーバップみのるだった。テンテンコはこの「伝説を残したい」という自分のひと言によって、悪夢のような一夜を過ごすことになる。  女の子の発した何気ない言動を見逃すことなく、がっちり食らいついていくハメ撮り監督の研ぎ澄まされた狩猟センサーに脱帽だ。第2ステージ。横浜アリーナでのリハーサルを終え、くたくたになっているBiSメンバーを近くのホテルまで各監督たちが送り届ける。横浜の夜景が見渡せるシティホテルの部屋は、どれもツイン。ベッドが2つ用意されている。各メンバーがOKさえすれば監督は朝までずっと密着取材できるのだ。メンバーは明日の解散ライブに備え、1分でも1秒でも早くベッドで眠りに就きたい。カメラで撮られていることを気にせず、下着姿になり、すっぴんを晒す。彼女たちのアイドルとしてのギリギリの結界とその結界の突破口を懸命に探し出そうとする監督たちとのせめぎあいが大きな見どころとなる。そして、その結界を平気で踏み越える狂人がいた! テンテンコから「伝説を残したい」という言葉を引き出したビーバップみのるだ。「僕と一緒に伝説を作ろう」と延々と粘る。ビーバップの考える伝説とは、“BiSなりのハメ撮り”である。ハメ撮りがダメなら、顔射させて。ホテルの窓の外は明るくなってきた。このままでは一睡もできずに解散ライブに臨まなくてはいけない……。悲壮感を漂わせたテンテンコは、ビーバップの提案した妥協案に協力するはめになる。  映画の撮影や写真を撮ることを、英語で表現するとshootになる。銃で狙い撃つことと、カメラで被写体を撮ることは同義語なのだ。撮るか撮られるか、撮影とは被写体とカメラマンとのタイマン勝負である。ビーバップみのるは自分が担当するアイドルのドキュメンタリーを「伝説に残る」ものにしようと一線を踏み越えてまで被写体を追い詰めていく。ホテルの一室で逃げ場のないテンテンコはBiS専用ラインで「死にたい……」とつぶやく。このシーンだけ見ると、ビーパップは大事な解散ライブを数時間後に控えたアイドルに極悪非道に振る舞う悪人に映る。だが、ドキュメンタリー取材とは、被写体の都合のいいときだけ、空気のように優しく寄り添うものではない。カメラが介在することで、被写体の意識はどうしても変化する。映像には被写体とカメラマンとの関係性がどうしようもなく映り込む。ドキュメンタリー撮影(もっと広く言えば取材するという行為全般)は、相手を容易に傷つけてしまうし、自分も返り血を浴びることになる。でも、そうやってガチで関係性を築いていくことでしか、観る者の心に響く作品を残すことはできない。『BiSキャノンボール』はそのことを改めて実証してみせる。
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ヌルいアイドルドキュメンタリーで終わらせるわけにはいかない。カンパニー松尾ら6人のAV監督たちは最後の最後まで粘り腰を見せる。
 最終ステージとなる横浜アリーナでの解散ライブ当日。ホテルでの出来事が知れ渡り、騒ぎとなる。AVに詳しいファーストサマーウイカが今回のドキュメンタリーは『情熱大陸』などではなく、『テレクラキャノンボール』だと気づいたのだ。騙されたこと、仲間がろくに眠らせてもらえずに解散ライブに上がらなくてはいけなかったことに、ウイカが大激怒する。ファンだったはずのカンパニー松尾に喰ってかかる。そして、その様子をカンパニー松尾はカメラに収め続ける。  結果、『BiSキャノンボール』はBiSメンバー6人の普段は見せない素顔に迫り、メンバーそれぞれの個性をくっきりと浮かび上がらせた。そして、テンテンコはアイドル界にひとつの伝説を残すことになった。『BiSキャノンボール』はアイドル映画の臨界点を塗り替えたといっていい。グループアイドルブームを反映したアイドル映画が続々と企画されているが、本作を上回る作品を生み出すのは簡単ではないだろう。 (文=長野辰次) 『劇場版BiSキャノンボール2014』 監督/カンパニー松尾 出演/プー・ルイ、コショージメグミ、ヒラノノゾミ、テンテンコ、ファーストサマーウイカ、カミヤサキ、渡辺淳之介、カンパニー松尾、バクシーシ山下、ビーバップみのる、タートル今田、梁井一、嵐山みちる、平澤大輔 配給/SPACE SHOWER NETWORKS 2月7日よりテアトル新宿ほか全国順次公開中(18歳以上のみ鑑賞可能) (c)SPACE SHOWER NETWORKS INC http://bis-cannon.jp

韓国で起きた女子中学生集団暴行事件の映画化! セカンドレイプが怖い『ハン・ゴンジュ 17歳の涙』

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ヒューマントラストシネマ渋谷で開催中の「未体験ゾーンの映画たち2015」の注目作『ハン・ゴンジュ 17歳の涙』。韓国で大ヒットしたインディーズ映画だ。
 土中のバクテリアたちが分解した養分を吸い上げた草花がやがて美しい花を咲かせるように、実録犯罪映画は現実社会に起きたおぞましい事件を養分にして観る者の心に刻み付くような美しい作品を生み出す。ガス・ヴァン・サント監督は1999年に起きた“コロンバイン高校銃乱射事件”を『エレファント』(03)として再現し、石井隆監督は1997年に起きた“東電OL殺人事件”をモチーフに『人が人を愛するどうしようもなさ』(07)を撮り上げた。実録犯罪映画とは人間の心の闇に咲いたトリカブトであり、彼岸花である。韓国映画『ハン・ゴンジュ 17歳の涙』もまた、忘れがたい実録犯罪映画の一編に数えられる。『ハン・ゴンジュ』は2004年に発覚した“密陽女子中学生集団性暴行事件”を題材にしたものだ。  携帯電話で呼び出された女子中学生が、延べ40数名の男子高校生に集団レイプされたこの事件。被害少女は「強姦したことをネット上でバラす」と脅されて、複数回にわたってセックスを強要された。事件発覚後も、加害者たちのほとんどは未成年者ゆえに実刑が下ることはなく、逆に被害少女の個人情報がネット上で晒され続けた。セカンドレイプ地獄に陥った被害少女は重度のうつ病を患い、引っ越しと転校を余儀なくされた。  地方都市・密陽で起きたこの事件がきっかけで、韓国では他にも未成年者による性暴行事件が多発していることが明るみになった。韓国映画界のクリエイターたちはこれらの事件に触発され、次々と問題作を手掛けている。韓国の閉鎖的な社会性を性暴行事件の温床として描いたホラー映画『ビー・デビル』(10)、加害者側の家族の視点から事件を見つめた『ポエトリー アグネスの詩』(10)、さらには被害少女の母親が加害少年たちへの報復に立ち上がる復讐バイオレンス『母なる復讐』(12)などが日本でも劇場公開されている。これら3作品は、『ビー・デビル』が事件を知りながらも無関心を決め込んだ友人、『ポエトリー』が加害者の暴走を止められなかった保護者、『母なる復讐』が少年法に泣き寝入りせざるをえない被害少女の母親、とそれぞれ異なる立場から事件にアプローチしていた。それに対し、『ハン・ゴンジュ』は被害少女を主人公に据え、彼女が事件後にどのような日々を過ごしたであろうかをクローズアップした作品となっている。
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どこにも自分の居場所を見つけることができないゴンジュ(チョン・ウヒ)だが、歌を歌っているときだけは心を落ち着かせることができた。
 実際の事件は被害少女は当時中学生だったが、『ハン・ゴンジュ』では高校生に変えるなどフィクションとして作られているものの、本作がデビュー作となるイ・スジン監督は少女の心の葛藤をナイーブに浮かび上がらせる。忌わしい事件に巻き込まれたハン・ゴンジュ(チョン・ウヒ)が下宿先から新しい学校に通い始めるところから物語は始まる。ゴンジュの顔は何かに怯えているような、怒っているような、そして全てに絶望しているかのような表情だ。事件のことを知らない人には、表情がまるで読めない女の子のように映る。ゴンジュは転校先では誰とも交わらず、下宿先のコンビニを手伝いながら、近くのスイミングプールで水泳の練習を始める。懸命に身体を動かしていれば、とりあえず嫌なことを思い出さずに済むし、塩素の強いプールの水に浸かることで自分の身体を清めた気分になれるのだろう。  いつもひとりぼっちのゴンジュに好奇心を抱いたのは同級生のウニ(チョン・インスン)だった。同年代の女の子とは異なるミステリアスさを漂わせるゴンジュのことが、ウニは気になって仕方ない。「あなたの声は素敵だわ。アカペラサークルに一緒に参加しない?」と無邪気に誘ってくる。ゴンジュは恨めしかった。ゴンジュも少し前までは、ウニのように同級生と戯れてシャイな男子学生に恋いこがれる普通の女の子だったのだ。できれば事件前に戻りたい。自分の人生をリセットしたい。プールで泳ぐ(というよりも、溺れかかっている)ゴンジュの姿は母親のお腹の羊水に戻りたがっているように映る。  毎日のようにおせっかいを焼き続けるウニに、とうとうゴンジュのほうが根負けした。ウニの仲間たちと一緒にイタリアの歌曲「恋人よ、さようなら(ベラ・チャオ)」をアカペラで歌い上げる。「つらい体験をした人じゃないと、あんな声は出ない」とウニの仲間たちもゴンジュの歌声を賞讃する。ゴンジュとウニたちとの愛おしくもせつない時間が流れていく。ゴンジュはようやく笑顔を見せるようになった。だが、美しい時間は残酷なほど瞬く間に過ぎていく。ある日、ゴンジュの通う学校に、加害者の親たちが示談書へのサインを求めて押し掛けてくる。アルコール依存症の父親が示談金欲しさに自分の娘を売ったのだ。セカンドレイプの恐怖が、再びゴンジュを襲う。ゴンジュが心を開いたことで築かれた新しい居場所は、あまりにもあっけなく崩壊していく。
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転校先の同級生・ウニ(チョン・インスン)はゴンジュの過去を知らない。ゴンジュの心を開かせようと、いろいろとおせっかいを焼くが……。
 ハン・ゴンジュという難役に挑んだのはチョン・ウヒ。ポン・ジュノ監督の『母なる証明』(09)に“しりとりセックス”に励む頭の悪そうな浪人生役で出演。日本でもヒットした『サニー 永遠の仲間たち』(11)では主人公たちとの間に遺恨を残す“シンナー少女”を大熱演し、コアな人気を得た韓国の若手女優だ。若手といっても、チョン・ウヒは現在27歳。脇役人生を歩んできた彼女にとって、インディペンデント作品ながらようやく手に入れた初主演作が『ハン・ゴンジュ』だった。ほとんどすっぴんで通し、補正下着でボディラインを押さえ込み、10代の少女に成り切ってみせた。美人女優ではないチョン・ウヒだが、芯の強さを感じさせる彼女が演じたことで、ハン・ゴンジュは容易には人の手に懐かない野良猫のような気高いキャラクターになりえた。  本作が公開されたからといって、被害少女の心の傷が癒されるわけではない。そっとしておいてほしいというのが心情だろう。だが、新人であるイ・スジン監督は劇中のウニがそうだったように、ハン・ゴンジュにおせっかいを焼き続ける。示談書を手にした加害者の親たちに追い回され、肉親に見捨てられ、心の中はズタズタのゴンジュは物語のラストで自分の人生のリセットを試みる。ハン、ゴンジュ! ハン、ゴンジュ! ヒロインへのエールが鳴り響く中、物語は息を呑むほど美しいフィナーレを迎える。 (文=長野辰次)
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『ハン・ゴンジュ 17歳の涙』 脚本・監督/イ・スジン 音楽/キム・テソン 出演/チョン・ウヒ、チョン・インスン、キム・ソヨン、キム・ヒョンジュン 配給/「ハン・ゴンジュ 17歳の涙」上映委員会 2月10日(火)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開 ※「未体験ゾーンの映画たち2015」内での上映。上映日や上映時間などは劇場HPで要確認 (C)2014 VILL LEE Film Co. All Rights Reserved. http://www.ttcg.jp/human_shibuya

これからボクの彼女(前田敦子)が枕営業します 男女の性欲と本音が交叉する『さよなら歌舞伎町』

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愛情の濃さとセックスの濃さは比例するのか? 染谷将太と前田敦子が共演したR15指定の恋愛群像劇『さよなら歌舞伎町』。
 前田敦子が“枕営業”を持ち掛けられるミュージシャンの卵を演じていることで注目されている『さよなら歌舞伎町』。ラブホから出てきた前田敦子の口から「好きでやったわけじゃないよ。マクラだからいいじゃん。デビューできるし……」なんてビッチな台詞が飛び出す。寺島しのぶを演技派へと覚醒させた『ヴァイブレータ』(03)など数多くの官能映画を手掛けてきたベテラン脚本家・荒井晴彦と廣木隆一監督がタッグを組んだ群像劇である本作。新宿・歌舞伎町にある一軒のラブホテルに秘密を抱えた男女が次々と現われ、溜っていた性欲と本音を吐き出し、そして去っていく。歌舞伎町のありふれたそんな日常風景が、ラブホ店長役の染谷将太の目線で描かれていく。  すげぇ~気持ちよかった! そう思って、同じ相手と同じ場所、同じ体位でもう一度セックスしても、同じような快感が得られるとは限らない。セックスとは一期一会のライブセッションだ。お互いのコンディションやモチベーションが微妙に異なれば、男性器の勃起度も女性器のウェット加減も変わってくる。それゆえ、そこで生まれる感情も毎回違ったものになる。生涯忘れられない会心のコラボレーションがあれば、逆にトラウマ級の悲惨な体験も存在する。その日、歌舞伎町にある平凡なラブホテル「ATLAS」では、いつもと同じように多くの男女がセックスに励んでいた。そして、その中の幾つかのセックスは、当事者たちにとって人生の重要なターニングポイントとなる。雇われ店長・徹(染谷将太)にとっても、大事な女性のセックス現場に接近遭遇することになる。  徹は同棲中の恋人・沙耶(前田敦子)や田舎で暮らす家族には一流ホテルに勤めていると話しているが、実は歌舞伎町のラブホが彼の勤務先だ。一流ホテルもラブホも同じサービス業、一流ホテルマンになるための修業期間だと自分に言い聞かせながら働いている。その日は午後からAVの撮影が入っていた。今さらAVの撮影にいちいちコーフンしないが、メイク中のAV嬢の顔を見て徹は驚いた。地元で専門学校に通っているはずの妹・美優(樋井明日香)ではないか。えっ、どーゆーこと? ラブホの店長という立場を忘れて妹を問い詰める徹。「お兄ちゃんこそ、なんでここにいるの?」と美優もびっくりだ。妹から事情を聞いた徹は、何も言えなくなってしまう。震災の影響で実家の経済状態は、東京で暮らす徹が考えていた以上にドン底だった。両親に負担は掛けられないと、美優は自分で学費を稼ぐためにAVに出演するようになったのだ。「AVなんか辞めろ。お金は俺がどうにかする」とは今の徹には言えなかった。美優が「保育士になる」という夢を忘れていないことがせめてもの救いだった。
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AVの撮影に現われたのは妹の美優(樋井明日香)だった。震災後にAV出演した女性たちの証言集『それでも彼女は生きていく』(双葉社)が参考文献に。
 妹の一件でどんよりしていた徹だが、さらに追い打ちを掛けるセックスに遭遇する。ギターケースを抱えた若い女性が中年男と一緒に入ってきた。ん、もしかして? フロントから飛び出した徹は、その後ろ姿がミュージシャンとしてメジャーデビューを目指している恋人の沙耶であることを確認した。一緒にいるのはレコード会社のプロデューサー(大森南朋)らしい。これが世に言う、枕営業ってヤツか!? 自分の彼女が枕営業するのを黙って見ていられるのか? でも、沙耶がずっとミュージシャンになる夢を追い掛けていたこともよ~く知っている。夢を叶えるために体を張っているのを邪魔できんのか? 自問自答しているうちに、徹の脳みそはグツグツ煮え立つ。そんなとき、「お風呂のお湯が出ないよ」と客室からクレームが掛かってくる。あのエロ変態中年プロデューサーの声だ。「その女、ボクの彼女なんですけど」とクレームをつけたいのは徹のほうだった。  徹は一流のホテルマンになること、沙耶はプロのミュージシャンになること、美優は地元で保育士になること。それぞれ自分の夢を持っているが、そんな明るい夢が本人たちを苦しめる。夢を手に入れるためには何らかの代償が必要なことはもう分かる大人になっていたつもりだけど、でも自分が追い掛けてきたキラキラ輝いていた夢がドドメ色に染まっていくようで、その現実を受け入れるのはやっぱり辛い。  演出作品がすでに90本を超える廣木監督は、メーンキャストだけで14人に及ぶ“グランドホテル形式”の群像劇を手際よくまとめた。前田敦子の露出度以外での不満点を挙げるとすれば、廣木監督のいちばんの持ち味である長回しシーンが存分に活かせなかったことだろう。カメラで被写体をじっくり映し出すことで、被写体の内面の揺れ動きを捉えるのを廣木監督は得意にしている。今回の『さよなら歌舞伎町』は徹、沙耶、美優以外にも、韓国人のデリヘル嬢(イ・ウヌ)、ワケありなラブホの清掃係(南果歩)、家出娘(我妻三輪子)、不倫中の公務員(河井青葉)たちのエピソードが並行して進み、アダルトチャンネルをスイッチングしているかのような刹那さが良くも悪くも漂う。廣木監督の持ち味がより生きているという点では、『娚の一生』(2月14日公開)がおすすめ。榮倉奈々と豊川悦司の共演作であるこちらの作品では、年齢差のある2人の心の距離が次第に近づいていく過程を廣木監督は丁寧に追っている。ひとつ屋根の下で暮らす男女の関係をじっくりと描いた上で、豊川が榮倉の素足を持ち上げて、足の指を愛おしそうに1本ずつしゃぶるシーンが待っている。足フェチならずとも、グッとくる大人の恋愛ドラマだ。
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男たちが吐き出す性欲を全身で受け止める聖女役を演じたのは『メビウス』の主演女優イ・ウヌ。今回も美しいヌードを披露している。
「好きでやったわけじゃないよ。マクラなんだからいいじゃん。デビューできるし。そんなこと気にするの? 小せぇよ」。翌朝、ラブホから出てきた沙耶は、徹の前で精いっぱい毒づいてみせる。そう言いながらも、本心では徹に思いっきりビンタしてほしかった。「お前が追い掛けてきた夢は、枕営業で手に入るようなものだったのか」と叱ってほしかった。でも、徹は自分のことすらままならず、恋人に対してそこまでの包容力は持ち合わせていなかった。歌舞伎町に差す朝日が2人には痛かった。お互いの心の傷を癒し合う術を知らない若い2人に代わって、韓国人のデリヘル嬢(イ・ウヌ)とその恋人(ロイ)は浴室で素っ裸になり、お互いの体を洗いっこする。キム・ギドク監督作『メビウス』で狂女役を怪演してみせたイ・ウヌが本作でもフルヌードを披露し、自分が重ねた噓と男たちが吐き出した性欲でまみれた身体を洗い流していく。その様子を廣木監督は得意の長回しでじっくりじっとりと映し出す。いつの日か、こんな美しい官能シーンを前田敦子も演じるようになるのだろうか。「本格的な女優」を目指している前田敦子は、自分の思い描く夢に今どれだけ近づいただろうか。 (文=長野辰次)
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『さよなら歌舞伎町』 監督/廣木隆一 脚本/荒井晴彦、中野太 音楽/つじあやの 出演/染谷将太、前田敦子、イ・ウヌ、ロイ(5tion)、樋井明日香、我妻三輪子、忍成修吾、大森南朋、田口トモロヲ、村上淳、河井青葉、宮崎吐夢、松重豊、南果歩 配給/東京テアトル R15 1月24日(土)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー (c)2014『さよなら歌舞伎町』製作委員会 http://www.sayonara-kabukicho.com

佐村河内事件にそっくり過ぎる『ビッグ・アイズ』ティム・バートンが描く創作現場の奇妙な人間関係

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米国で起きたゴーストライター事件を題材にした『ビッグ・アイズ』。KEANEというサインは夫婦の証か、それともペテンを招くきっかけだったのか。
 「STAP細胞はあります」会見と並んで2014年のワイドショーを賑わした佐村河内ゴーストライター事件。クラシック音楽界で起きたこの騒ぎで、“現代のベートーベン”という肩書きはフェイクだったこと、多くのマスコミが感動秘話を盛り上げる片棒を担がされていたこと、18年間にわたってゴーストライターを請け負った新垣隆氏への報酬は700万円に過ぎなかったなど様々な事実が明るみになった。理化学研究所で起きたSTAP細胞事件と同様に、密室的な空間における奇妙な人間関係が巻き起こした悲喜劇だった。海の向こうで、タイミングよくこのテーマを映画化したのがティム・バートン監督。奇才監督にとって久々の実録ドラマとなる新作『ビッグ・アイズ』は、1960年代に全米を揺るがしたゴーストライター事件の顛末を描いている。  史上最低の映画監督を主人公にした『エド・ウッド』(94)以来となる、ティム・バートン監督のノンフィクションドラマ『ビッグ・アイズ』。ファンタジー大作『チャーリーとチョコレート工場』(05)や『アリス・イン・ワンダーランド』(10)などの大ヒット作を手掛けたが、今回はゴーストライターならぬゴーストペインターというフィクショナルな存在を扱っているだけに、逆にファンタジックなシーンはほぼ封印。創作の現場における人間関係のおかしさ、大人の男女のきれいごとでは済まないブラックな部分に触れた意欲作となっている。主人公夫婦を演じたエイミー・アダムスとクリストフ・ヴァルツは、共にアカデミー賞の常連俳優らしくそつのない演技でシンプルな人間ドラマを盛り上げている。  1950年代の終わり、専業主婦のマーガレット(エイミー・アダムス)は幼い娘の手を引いて家を飛び出した。夫のDVから逃れるためだ。マーガレットは自由を求めて、米国西海岸のサンフランシスコへ。美大を出ているマーガレットは大好きな絵の仕事で食べていこうとするが、シングルマザーが生きていくには当時は厳しい時代だった。公園で小銭稼ぎの似顔絵描きをしていたマーガレットは、風景画家のウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツ)と知り合う。ウォルターは彼女が描く“瞳の大きな少女”の絵を「個性的だ。君には才能がある」と褒めちぎる。画業だけでは食べていけないウォルターは不動産業も兼ねていた。自信家で口が達者なウォルターに結婚を申し込まれ、マーガレットは迷わず受け入れる。幼い娘には父親が必要だし、経済的な安定は何よりも大事だと考えたからだ。
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商才のあるウォルター(クリストフ・ヴァルツ)は妻マーガレットの絵を自分の作品として売る。「女流画家は認められにくい」がその理由だった。
 結婚してしばらくは順調だった。ウォルターは娘にも優しく、自分の風景画と一緒にマーガレットが描いた“瞳の大きな少女”の絵もバイヤーに売り込んでくれた。やがて西海岸のセレブたちが集まるライブハウスに飾られた“瞳の大きな少女”は注目を集め始める。だがマーガレットが驚いたことに、ウォルターは「これは僕が描いた絵なんです」と“瞳の大きな少女”を売っていたのだ。咎めるマーガレットを「僕たち夫婦は一心同体だろ?」「君たち母子をお金で困らせるようなことはしない」とウォルターはうまく言い含める。折しも1960年代初頭はポップカルチャーが花開いた季節。ブームに乗って“瞳の大きな少女”は売れに売れる。富と名声を手に入れたウォルターは毎晩のように飲み歩き、一方のマーガレットは閉め切った仕事場に篭って黙々と絵を描き続けた。10年間にわたってウォルターのゴーストを務めたマーガレットだったが、ついに堪忍袋の緒が切れる。  ウォルター・キーンは妻マーガレットを一方的に搾取していた悪者かというと必ずしもそうではない。ウォルターが売り出さなければ、“瞳の大きな少女”が脚光を浴びることはなかった。また、マーガレットひとりが描く絵は点数が限られていたため、ウォルターは作品を印刷して大量生産するというポップカルチャーならではのアイデアを思いつく。ロイ・リキテンスタインやアンディ・ウォーホルと同じように、金持ちだけが享受していたアートを大衆に開放したのだ。ウォルターはマスコミの扱いも巧みだった。“瞳の大きな少女”の創作背景をインタビュアーに尋ねられたウォルターは「第二次世界大戦後、僕は画家修業のために欧州を旅しました。そこで悲しそうな目をした孤児たちと出会ったんです」ともっともらしいエピソードを語った。一般大衆は作品の善し悪しよりも泣ける物語を求めていることをウォルターは熟知していた。ウォルターは画家修業のために欧州に渡ったことがなければ、いっさい絵を描くこともできないことを、後にマーガレットは知ることになる。天才プロデューサーとペテン師は紙一重の違いのようだ。  口べたで内向的な性格だったマーガレットにとって、孤独さと不安げな表情を浮かべた“瞳の大きな少女”は自分の分身そのものだった。孤独な人間は自分の分身を生み出すことで、その孤独さを薄めようとする。自分の中に巣食う孤独さを見つめることこそが創作の原点である。マーガレットは常に自分が抱える孤独さに向き合ってきた。だが、それゆえに創作の世界をビジネスとして成立させることは難しい。口べたなクリエイターひとりきりでは、作品を発表することすら覚束ない。ウォルターが「すべて僕が描いた作品です」と言わず、「僕はプロデューサー。絵そのものは妻のマーガレットが描いているんです」と早い段階で公表していれば、キーン夫妻は“アート界の理想のチーム”と謳われていただろう。いや、マーガレットは結婚後もずっと孤独だったから、延々と“瞳の大きな少女”を描き続けることができたのかもしれない。
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友人や娘にまでも噓を付き通すことに疲れたマーガレット(エイミー・アダムス)は別居を決意。心の拠り所を“エホバの証人”に求める。
 1959年にカリフォルニアで生まれたティム・バートンは、幼い頃から歯科医院の待合室などに飾られた“瞳の大きな少女”の複製画を見て育った。友達の少ない少年ティム・バートンにとって、淋しげな“瞳の大きな少女”はとても身近な存在だった。ティム・バートンの2大代表作である『シザーハンズ』(90)のハサミ男(ジョニー・デップ)と『バットマン リターンズ』(92)のペンギン(ダニー・デヴィート)は、マーガレットが描く“瞳の大きな少女”と同じようにとても淋しそうな顔をしている。近年は商業ベースにどっぷり浸かっていたティム・バートンだが、低予算映画『ビッグ・アイズ』は久々に“淋しんぼ”キャラを全面に押し出した作品だといえる。結婚して自分の家庭を作っても、その人の孤独さが癒されるとは限らないらしい。  クリエイターとして何やら心境の変化があったのかと勘ぐっていた矢先、ティム・バートンは13年間連れ添った女優ヘレナ・ボナム=カーターとの事実婚の関係を解消したことを明かした。これまでも交際相手によって作風が大きく変化していったティム・バートン。彼がこれからどんなステージへ向かうのか、とても楽しみではないか。 (文=長野辰次)
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『ビッグ・アイズ』 監督/ティム・バートン 脚本/スコット・アレクサンダー、ラリー・カラゼウスキー 出演/エイミー・アダムス、クリストフ・ヴァルツ、クリステン・リッター、ジェイソン・シュワルツマン、ダニー・ヒューストン、テレンス・スタンプ  配給/ギャガ 1月23日(金)よりTOHOシネマズ有楽座ほか全国順次ロードショー  (c)Big Eyes SPV, LLC. All Rights Reserved. http://bigeyes.gaga.ne.jp

世にも美しい図鑑、ドキュメンタリー『凍蝶圖鑑』ここはセクシャルマイノリティーが集う夢の楽園

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多彩なセクシャリティー、フェチズムの持ち主が登場する『凍蝶圖鑑』。フランス人のVivienneさんは縛りの美しさに魅了されて13年になる緊縛調教師。
 とても美しい図鑑をめくっているような気分になる。ドキュメンタリー映画『凍蝶圖鑑』は“いてちょう ずかん”と読む。凍蝶とは、草陰に隠れて越冬する蝶のこと。幻想的な美しさと生命のはかなさ、そしてたくましさを感じさせる言葉だ。ただし、『凍蝶圖鑑』は図書館に並んでいるような昆虫図鑑ではない。同性愛者、トランスジェンダー、ドラァグクイーン、サディスト&マゾヒスト、ウェット&メッシー、身体改造愛好家……。ノーマルな嗜好を持つ人たちとは異なる、世に言う“変態さん”たちにスポットライトを当てている。  実に様々な凍蝶たちをビデオカメラで追ったのは、神戸在住の田中幸夫監督。そして田中監督と我々観客を、凍蝶たちが生息するアンダーグランドへと誘うのは漫画家の大黒堂ミロさん。バー経営者、イベンターなど多彩な顔を持つ彼はゲイであることをカミングアウトしており、彼の案内で未知なる図鑑のページが開かれていく。  ミロさんと共に大阪の下町情緒漂う歓楽街を歩く。近くに通天閣がそびえ、ノスタルジックさと温かみを感じさせる商店街が続く。ミロさんいわく、近くのマンションにはおじいちゃんたちがやっているゲイ専門のソープランドが存在するとのこと。ハッテン場として知られるピンク映画館やサウナもある。中学時代のミロさんは実家に自分の居場所がなく、この街でホームレスたちと飲み明かすうちにその道の先輩に声を掛けられ、ゲイに目覚めたそうだ。「ゲイだとか変態だとかじゃなくて、人恋しくて集まっていた人たちが多かったのかな」とミロさんは自身の青春時代を振り返る。  神々しいまでの美しさを感じさせるのは、あずみさんだ。生まれつき顔に血管腫があり、その容姿は否応なく人目を惹く。しかし、あずみさんは外見上が個性的なだけでなく、性同一性障害という複雑なアイデンティティーの持ち主でもある。昼は男性として会社で働き、夜は女装サロンでくつろいだ時間を過ごすあずみさん。そんな彼女をモデルにして、スチール撮影しているのが写真家の谷敦志さん。谷さん自身はノーマルだが、「性的マイノリティーの人たちにいつも助けられてきた」と話す。あずみさんはカメラに撮られることで、また写真家の谷さんはあずみさんを撮ることで、お互いのアイデンティティーが確立されていく。カメラの前で裸になったあずみさんが崇高な存在に思えてくる。
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吊り師・BONZIN氏によるボディサスペンション。危険な行為に映るが、衛生面を配慮し、医療技術を応用することで、最低限の傷で済むようになった。
 『凍蝶圖鑑』を観ているうちに、この図鑑は単に異形な人々を紹介しているだけではなく、異形の人々と社会との関わりを描いていることに気づく。ミロさんは大学教授を講師として招き、性倒錯についてのマジメな勉強会を開いている。あずみさんは谷さんのカメラを通して自分を表現し、性的マイノリティーの人たちをテーマに撮り続けてきた谷さんはパリのエロチズム博物館で個展を開くことになる。また、トランスジェンダーであり、詩人でもある倉田めばさんは刑務所を回って、薬物依存の過去に悩む受刑者へのカウンセリングを行なっている。彼らは彼らなりの視点と方法で、現代社会としっかり関わっていることが分かる。凍蝶の美しさは表面的な派手さや物珍しさに由来するものではない。厳しい環境でも生き抜く、生の輝きがそこにはある。  大阪、神戸、京都、パリと1年がかりで凍蝶たちを追った田中監督は味のある関西弁でこう語る。 田中監督「これまで38年間、関西を拠点にドキュメンタリー、ドラマ、企業のPR作品といろいろ撮ってきたんです。あるとき、大黒堂ミロさんと知り合って、『なんでボクらを撮らへんの?』と言われたのが『凍蝶圖鑑』を撮り始めたきっかけ。性的マイノリティーを扱ったドキュメンタリーはいろいろあるだろうと思って調べてみたら、日本では中島貞夫監督の『にっぽん’69 セックス猟奇地帯』(69)か『セックスドキュメント 性倒錯の世界』(71)があるくらい。海外でも『モンド・ニューヨーク』(87)くらいしかなかった。それならやるかと(笑)。でも僕はいたってノーマルな人間で、そっちの世界のことは分からない。それで関西では“変態の大御所”であるミロさんに紹介してもらい、ドラァグクイーンの先駆けであるシャンソン歌手のシモーヌ深雪さんやカメラマンの谷さんに会うようになったんです。変態と言っても幅広いけど、僕は美しいものが好き。美しいものって人によって違うでしょ。だから、排除するとかではなく、スカトロジーは今回はちょっとなぁ……と(苦笑)。スカトロジーが嫌いだとかではなく、僕には撮れないということなんです。僕が美しいと感じるものを撮ったんだけど、みなさん、どうかな? 楽しんでもらえるといいなぁという作品なんです」  興味本位で見始めた『凍蝶圖鑑』だが、驚きはあっても嫌悪感を覚えるシーンはなく、不思議なほど心地よさを感じさせる。田中監督の手持ちカメラを、被写体たちは身構えることなく受け入れている。また、カメラの前を猫たちが度々横切るのも目立つ。猫は居心地のよい場所を見つける天才だ。田中監督がカメラを向けた空間は、性的マイノリティーに限らず、ノーマルな人間にも、動物たちにとっても安らげる場所らしい。そしてクライマックスは、変態夫婦gonchang&akiko babyの結婚10周年記念パーティー。変態バーで出会ったサディストの夫とマゾヒストの妻との愛に満ちた10年間を祝うため、パーティー会場は様々な変態さんやクリエイターたちが集うユートピアと化している。
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刺青師の彫修羅(ほり しゅら)氏。「この仕事は舐められたら終わり。100kgある相手を片手で押さえながら彫らなきゃいけないこともある」と語る。
田中監督「彼らの世界って、優越がないんですよ。SMとスカトロジーはどっちがエラいとかはないし、自分とは違う性癖の人間を排除することもしない。お互いが違いを認め合う世界なんです。世間の常識とは異なる世界かもしれないけど、性的マイノリティーの世界ではそれが成立している。優越もなく、排除もない世界。それはある意味、アンダーグランド界のユートピアかもしれませんね。この映画はそんなユートピアを旅した僕自身の体験記でもあるんです」  世にも美しい人間図鑑は、常人が知らない理想郷への扉を開いてくれる大事なパスポートでもあるようだ。 (文=長野辰次)
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『凍蝶圖鑑』 監督・撮影・編集・製作/田中幸夫 助監督/北川のん 企画協力/山田哲夫 撮影協力/藪田政和 音効/吉田一郎、石川泰三(ガリレオ・クラブ) 写真/谷敦志 題字・デザイン/東學 企画・製作・配給/風楽創作事務所  1月10日(土)より新宿武蔵野館にてレイトショー公開 +R18  (c) itecho.jp = 風楽創作事務所 http://itecho.jp

高倉健主演のワーナー作品『ザ・ヤクザ』がDVD化 健さんがハリウッド映画に与えた影響とは……?

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ロバート・ミッチャムと高倉健が共演した『ザ・ヤクザ』。本作がなければ、『ブラック・レイン』(89)も『キル・ビル』(03)も存在しなかったかもしれない。
 昭和は遠くになりにけり。日本映画界を代表するスター俳優・高倉健さんが11月10日に、菅原文太さんが11月28日に相次いで亡くなり、そんな言葉を思い浮かべた人も少なくなかっただろう。年末最後ということで12月23日にDVDが再リリースされた高倉健さん主演のハリウッド映画『ザ・ヤクザ』(74)を振り返りたい。ワーナー映画である『ザ・ヤクザ』は、『タクシードライバー』(76)の脚本家として著名なポール・シュレイダーのデビュー作だ。兄レナード・シュレイダーは文太さんが出演した『太陽を盗んだ男』(79)の脚本を手掛けている。兄弟そろって大の日本文化びいきであり、カルト映画を語る際に欠かせない存在である。  『ザ・ヤクザ』は同志社大学と京都大学で5年間にわたって英文学の講師を務めたレナード・シュレイダーが原案を考え、兄レナードと同様に日本の任侠映画をこよなく愛する、当時は映画評論家だったポール・シュレイダーが脚本を執筆した。「やくざは八九三の数字に由来する。足して20。賭博では負けの数だ」というテロップが流れるオープニングから、シュレイダー兄弟の任侠ものへの偏愛ぶりが溢れ出ている。ほぼ日本で撮影が行なわれ、健さん主演の大ヒット作『昭和残侠伝』(65)の東映プロデューサー・俊藤浩滋が製作総指揮を執った。俊藤プロデューサーの自伝によると、シドニー・ポラック監督と共同脚本としてロバート・タウンが参加したことでメロドラマ要素が強くなったそうだ。  元探偵のハリー(ロバート・ミッチャム)は、太平洋戦争終結後の東京に進駐軍として滞在していた頃の記憶が忘れられずにいた。美しい日本女性・英子(岸恵子)と一緒に暮らした日々は、米国に戻ってひとり身の生活を送っているハリーにとって唯一の心温まる思い出だった。そんな折り、米軍時代の戦友であるターナー(ブライアン・キース)から助けを求められる。海運商であるターナーは日本のヤクザ組織・東野組と銃の密輸取引を進めていたが、期日までに銃を納品できず、ターナーの娘が人質として拉致監禁されてしまった。「娘を助け出してほしい」と旧友に頼まれ、ハリーは20年ぶりに日本に向かう。ハリーは英子のもとを訪ね、英子の兄・田中健(高倉健)の居場所を聞き出す。健は大物ヤクザで、健の助けを借りることで、ターナーの娘を救出しようとハリーは考えていた。太平洋戦争で米軍相手に戦った健は米国人を憎んでいたが、終戦後の混乱期に英子がハリーの世話になったことに義理も感じていた。かくしてハリーと健は、東野組を敵に回して人質奪回に赴く―。  70年代前半、ブルース・リー主演のアクション映画が爆発的にヒットし、米国ではブルース・リーに続く新しいアクションスターが求められていた。そこで白羽の矢が立てられたのが、日本のヤクザスター・健さんだった。物語の後半、健さんがロバート・ミッチャムを伴って東野組に殴り込みを掛けるシーンは、「昭和残侠伝」シリーズの花田秀次郎(高倉健)と風間重吉(池部良)が死地に赴くクライマックスシーンの再現だ。日本刀を手にした健さんは東野組のヤクザたちを次々と血祭りにする。健さんの背中では不動明王の刺青が生き血を吸って、妖しく輝く。健さんの独壇場である。もはや、バイオレンスシーンというよりも、死を覚悟した男が放つ官能美の世界である。銃を手にしたロバート・ミッチャムは、ただただ健さんの後ろ姿に見蕩れるしかない。
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剣の達人である田中健(高倉健)。道場で自分が教える「何も考えるな」という境地で、敵対するヤクザたちを次々と斬り倒していく。
 エキゾチックな世界観に加え、健さんが最後に指を詰めるショッキングな人体欠損シーンもあり、『ザ・ヤクザ』は米国をはじめ世界市場で興行的な成功を収めた。残念ながら当時の日本では実録ヤクザ路線『仁義なき戦い』(73)が人気を呼び、健さんが演じた古風なヤクザ像は飽きられていた。また“日本のヤクザは武士の末裔”と言わんばかりのシュレイダー兄弟の過剰な日本文化びいきがマイナスに働き、わずか4週間で劇場公開は打ち切られてしまった。だが、健さん主演の『ザ・ヤクザ』は一過性の消耗品に終わらず、その後のハリウッドに多大な影響を与えることになる。  作家の処女作には、その作家のすべてが詰まっていると言われる。ポール・シュレイダーにとって脚本デビュー作となった『ザ・ヤクザ』にもそれは言える。『ザ・ヤクザ』が興行的に成功したことで、『ザ・ヤクザ』と同時期に書いていた『タクシードライバー』も映画化されることになった。『ザ・ヤクザ』は太平洋戦争で終戦後も6年間にわたって南洋のジャングルを彷徨った田中健が平和な日本社会に溶け込むことができず、ヤクザ相手に情念を爆発させる。『タクシードライバー』の主人公トラヴィス(ロバート・デニーロ)はベトナム戦争に海兵隊として従軍するも、復員後は不眠症に悩まされ、深夜タクシーでしか働くことができない。孤立感を深めていくトラヴィスは、13歳の娼婦・アイリス(ジョディ・フォスター)をポン引きのもとから救い出すという強迫観念に取り憑かれる―。いわば、『ザ・ヤクザ』の健さんと『タクシードライバー』のトラヴィスは義兄弟の関係なのだ。健さんが欧米人には理解しがたい仁義を貫くように、トラヴィスは自分なりの正義をまっとうする。『ザ・ヤクザ』の成功がなければ、『タクシードライバー』はもっとチープなB級バイオレンス映画になっていた可能性が高い。マーティン・スコセッシ監督もロバート・デニーロもジョディ・フォスターも、ブレイクの仕方は違った形になっていただろう。  ポール・シュレイダー脚本作では『ローリング・サンダー』(77)もカルト的な人気を誇る。『ローリング・サンダー』の主人公も戦場帰りの男だ。ベトナム戦争で捕虜として7年間を過ごしたレーン少佐(ウィリアム・ディベイン)は英雄として帰郷する。だが、妻は他の男とできてしまい、息子もすっかりその男になついている。拷問という行為を愛することで拷問生活に耐えてきたレーンだったが、もはや故郷に自分の居場所はなかった。生温い生活は、拷問以上の拷問だった。ある日、レーンが受け取った義援金を狙うギャング団によって、妻と息子が惨殺されてしまう。レーンの生き場所がようやく見つかった。レーンは軍隊時代の部下・ジョニー伍長(トミー・リー・ジョーンズ)を従え、ギャング団の根城となっている娼館へと殴り込む―。『ローリング・サンダー』もまた『ザ・ヤクザ』の変奏曲である。健さんが指を詰める代わりに、『ローリング・サンダー』のレーン少佐は片腕を失う。ポール・シュレイダー作品の主人公たちは時代の変化に適応することを良しとせず、死地を求めることで輝きを放つ。ポール・シュレイダーはこの主題をさらに突き詰め、三島由紀夫の生涯をドラマ化した日本未公開映画『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』(85)を監督作として作り上げる。独自の美学を放つポール・シュレイダー作品の発火点となったのが、健さん主演作『ザ・ヤクザ』だった。  任侠映画の集大成だった『ザ・ヤクザ』が国内でコケたことは、健さんにとってショックだったに違いない。文太さんとの共演作『神戸国際ギャング団』(75)、オールスター出演作『新幹線大爆破』(75)を最後に専属契約を結んでいた東映を離れ、大映で『君よ憤怒の河を渉れ』(76)、東宝で『八甲田山』(77)、松竹で『幸福の黄色いハンカチ』(77)、角川映画『野性の証明』(78)と日本映画史に残る名作・話題作に続けて主演することになる。日本と米国の異なる価値観がぶつかり合った『ザ・ヤクザ』は、ハリウッドにとっても邦画界にとっても分岐点となる作品だったことが分かる。
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“スリーピング・アイ”と呼ばれたロバート・ミッチャム。『狩人の夜』(55)や『恐怖の岬』(62)などカルト作で強烈な個性を放った。
 健さんの映画俳優としての功績は誰もが認めるところだが、健さんが残した負の遺産について最後に触れておきたい。健さんが映画の中で演じたストイックなキャラクターは痺れるほどかっこよかった。健さんが演じてきた寡黙なキャラクターを、84年〜89年にわたってオンエアされた日本生命のCMでの「不器用ですから」という台詞はうまく言い当てていた。だが、このときの健さんがあまりに魅力的だったため、不器用な生き方=かっこいいと勘違いする一部の人間がこのCMを見て育った世代にはいる。  言うまでもなく、健さんが演じた“不器用キャラ”は映画やCM世界での虚像である。実際の健さんはスタッフや共演者への気配りを欠かさず、初めて逢った人には自分の手で名刺を丁重に渡すコミュニケーションの達人だった。そうでなければ生涯205本もの映画に出演することはできない。そんな現実を無視して、口当たりのよい虚構部分だけを鵜呑みしてしまった人間の行く末は悲惨だ。周囲とのコミュニケーションを図る努力をせずに、「不器用ですから」と自分で口にする人間の末路はシャレにならない。そもそも1回しかない人生を、器用に生きられる人間はどこにもいないはずだ。「不器用ですから」の台詞の後、健さんは伝えたい言葉があったのではないだろうか。健さんがいなくなった今、そのことを思う。 (文=長野辰次)
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『ザ・ヤクザ』 製作・監督/シドニー・ポラック 原作/レナード・シュレイダー 脚本/ポール・シュレイダー、ロバート・タウン 出演/ロバート・ミッチャム、高倉健、ブライアン・キース、岸恵子、ハーブ・エベルマン、リチャード・ジョーダン、ジェームス繁田、岡田英次、待田京介、クリスティーナ・コクボ、郷鍈治、汐路章 発売元/ワーナー・ブラザーズ・ホームエンターテイメント 発売価格/1429円(税抜価格) 12月23日よりDVDレンタル&発売中  (C) 2014 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved. http://www.warnerbros.co.jp

アナルの国からやってきた『バッド・マイロ!』カルト映画を過激&ポップに換骨奪胎しちゃった!

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ご当地キャラクターに新たに名乗りを挙げたのは、『バッド・マイロ!』のマイロくん。出身地はストレスに悩む男の尻の穴だ。
 桃太郎は桃から生まれ、ドラえもんはのび太の机の引き出しから現われ、メリーポピンズは空から舞い降りてきた。人気キャラクターはどこから登場するかがとても重要である。その点、『バッド・マイロ!』のマイロくんは人気キャラクターになりえる条件を楽々とクリアしている。黒目がちなつぶらな瞳に、ぬるッとした肌色のボディが印象的なマイロくんは、生温かい臭いと共に人間のケツの穴から這い出てくるのだ。しかも、このマイロくんはちっちゃい体ながら、宿主である人間が潜在意識で嫌っている人たちを次々と噛み殺してしまう凶暴キャラ。最近のゆるキャラブームに食傷気味の方にぴったりなゆるキャラならぬ、きつキャラなのだ。  マイロくんの宿主は、平凡なサラリーマンのダンカン(ケン・マリーノ)。勤務先の会社は不況に喘ぎ、オフィス内にあったダンカンのデスクは片付けられ、トイレの中にデスクを置かれてしまう。しかも、同僚たちのリストラ案を至急作成するよう命じられる。上司の嫌がらせに懸命に耐えるダンカン。家に帰れば美人妻サラ(ジリアン・ジェイコブス)が待っているが、それはそれでまた大変。ダンカンを女手ひとつで育てた母ベアトリスが「早く孫の顔が見たい」と執拗にプレッシャーを掛けてくる。ダンカンは職場でも自宅でもベッドの中でも心休まることができない。ストレスが原因で、お腹の調子は絶不調。病院で検査してもらうと、腸にポリープができているとのこと。手術の日まで、ずっと自宅のトイレに篭りっ放しに。やがてダンカンは妊婦が出産時に経験するような猛烈な痛みに襲われ、気絶してしまう。  ダンカンがトイレで気絶して以降、彼の周辺では次々と怪事件が発生する。ダンカンと一緒にリストラ案を作成していた会社の同僚、母が紹介した不妊治療の医師が血まみれ死体になって発見された。怪しいセラピスト・ハイスミス(ピーター・ストーメア)の催眠療法を受けたダンカンは衝撃の事実を知る。何と、ダンカンの腸にあったポリープが意志を持った生命体としてお尻から飛び出し、ダンカンにストレスを与えている人々を襲っていたのだ!!
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マイロくんはカンガルーの赤ちゃんみたいに、ダンカンのお尻の穴を行き来する。ダンカンは次第に父性愛に目覚めていくことに。
 人間の体の一部がモンスター化して、周囲の人々に危害を加えるというシュールな設定。ホラー映画好きな方ならご存知、デヴィッド・クローネンバーグ監督の初期作品『ザ・ブルード 怒りのメタファー』(79)が元ネタ。『ザ・ブルード』は精神治療を受けている妻の体からコビト状の腫瘍が次々と産み落とされ、身内に襲い掛かるという不気味すぎる内容だった。当時のクローネンバーグ監督は最初の妻と離婚調停中で、そのため『ザ・ブルード』には女性、そして妻への猜疑心がハンパなく漲っている。最初の結婚に失敗したことはクローネンバーグ監督に大きな影響を与えたらしく、最新監督作『マップ・トゥ・ザ・スターズ』(現在公開中)で描かれる家族像もぐにゃぐにゃに歪みきっている。  クローネンバーグ監督が『ザ・ブルード』で生み出した“怒りのメタファー”軍団に比べると、『バッド・マイロ!』のマイロくんは主人公ダンカンの温和な性格を反映してどこか憎めないキャラクター。怒って牙を剥くと、『バスケット・ケース』(82)のベリアル兄ちゃんみたいに怖くなるマイロくんだけど、ひと仕事済ませる(ダンカンの嫌いな人間をぶっ殺す)と帰巣本能でダンカンのお尻へと戻ってくるわけで、ダンカンの脚をずるずるッと登っていく姿は超ラブリー♪ 思わずほおずりしたくなる可愛さです。まぁ、ほおずりするとちょっと臭いけど。  クローネンバーグ監督のカルト作からアイデアをいただいた下ネタ系のパロディ映画かと思いきや、男性にとってシリアスな悩みが主題として次第に頭をもたげてくる。セラピストのハイスミスは、マイロがダンカンの尻から出現したのには理由があると指摘する。ダンカンが幼い頃に両親は離婚し、ダンカンは父親の愛情を知ることなく成長した。そのため、自分が大人になることを潜在的に恐れているのだと。父親に棄てられた自分が良き父親になれるはずがないと思い込み、父親になることへの恐怖心がマイロを生み出した。ハイスミスはそう説明する。折しもサラが妊娠していることが判明。だが、ダンカンは素直に喜ぶことができない。なぜなら、きっとマイロがまた尻から出てきて、妻とお腹の赤ちゃんに危害を加えようとするに決まっているから。
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ダンカンを苦しめる存在には容赦ない、戦闘モードのマイロくん。ダンカンの身重の妻サラにも躊躇なく襲い掛かる!
 物語の後半、ダンカンはそれまでずっと避けてきた忌わしい存在と向き合う。その忌わしい存在とは、音信不通状態だった父ロジャーである。ロジャーは人里離れた山奥で、ドラッグを吸いながら気ままな独居生活を送っていた。なぜ、彼は幼い息子と母を家に残して奔放したのか? やっぱり、自己チューなサイテー野郎なのか? 子どもの頃、なるべく考えないようにしていた問題だった。でも、もうすぐ父親になるダンカンは、当時のロジャーが抱えていた悩みを理解できる年齢に達していた。ストレスの大元凶である父親と対峙するダンカン。果たしてダンカンはストレスをコントロールして、凶暴なマイロを手なずけることができるのだろうか。  明るい希望が持ちづらい現代社会において、どうすれば本当の意味での大人になれ、新しい家族を構えることができるのか。そして、どうすれば家族を幸せにすることができるのか。真剣に考えれば考えるほど、お腹が痛くなってくる難問だ。でも、そんなときこそマイロの出番である。激しいアナル痛と臭いを伴って、マイロはマイロなりのやり方でダンカンが父親になることへの覚悟を促す。マイロは“怒りのメタファー”ではなかった。ダンカンたちに家族の結びつきを気づかせる“幸運のメタファー”だったのだ。 (文=長野辰次)
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『バッド・マイロ!』 監督・脚本/ジェイコブ・ヴォーン 出演/ケン・マリーノ、ジリアン・ジェイコブス、ピーター・ストーメア、パトリック・ウォーバートン  配給/カルチュア・パブリッシャーズ、武蔵野エンタテイメント R15 12月20日より新宿武蔵野館ほか全国順次公開中  (c)REDESTINED,LLC ALL RIGHT RESERVED https://www.facebook.com/badmilo.jp