葛飾北斎親子は江戸のゴーストバスターズだった!? 杉浦日向子が愛した世界『百日紅 Miss HOKUSAI』

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葛飾北斎の娘・お栄を主人公にした『百日紅 Miss HOKUSAI』。プロダクションI.G.が製作し、欧州6カ国への配給が決まっている。
 江戸文化をこよなく愛した漫画家・杉浦日向子さんの連作集『百日紅』を、原恵一監督が『百日紅 Miss HOKUSAI』として長編アニメーション化した。天才浮世絵師・葛飾北斎の娘であるお栄(後の葛飾応為)を主人公にしたもので、北斎のゴーストペインターをつとめるほどの腕前を持っていたお栄が絵師として独り立ちを決意するまでの1年間を江戸の風俗と四季の移ろいを織り交ぜて描いている。百日紅(さるすべり)、白木蓮、椿といった花々が咲き乱れ、町人文化が花開いた江戸時代後期の化政文化の華やかさを再現している。  原監督はブレイク作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(01)の中で“古き良き昭和文化の匂い”を再現したテーマパーク「20世紀博」を生み出し、大人の観客たちを魅了した。本作でもその才能を再び遺憾なく発揮している。時代考証家・稲垣史生氏に弟子入りしていたこともある杉浦さんの著書の力を借りて、スクリーン上に大江戸テーマパークを開催してみせる。このテーマパークは最新4Dシアターかと思うくらい、優れものの演出が施してある。お栄が隅田川に掛かる両国橋を渡るシーンから物語が始まるが、隅田川にそよぐ風、江戸市中を照らす陽射し、橋をわさわさと行き交う人々の体温さえも伝わってきそうだ。お栄は目の不自由な妹・お猶を連れて、夏は川遊び、冬は雪見見物に出掛ける。お猶が手にした隅田川の水や雪の冷たさが、しっかりと感じられる。お栄役の声優を杏がつとめていることもあり、フェイクドキュメンタリー番組『タイムスクープハンター』(NHK総合)よろしく、自分があたかも江戸時代に足を踏み入れたかのような錯覚に陥る。  葛飾北斎、本名・鉄蔵(声:松重豊)と23歳になる娘・お栄(声:杏)は絵を描くことに夢中で、着の身着のままの生活を送っていた。当代一の人気絵師とは思えないような貧乏長屋で暮らし、部屋の中は散らかしっぱなし。ゴミが溜れば、引っ越せばいいという似た者親子だった。いつの間にか、酒好きで女好きな弟子の池田善次郎(声:濱田岳)、後に美人画で人気を得る渓斎英泉が居候している。その日暮らしを続けるこの3人に加え、犬が一匹住みついているのも犬好きな原監督らしい。  原監督は江戸時代の風俗を再現するだけでなく、江戸っ子の“粋”を盛り込むことを忘れない。締め切りに追われている北斎は、版元に悪態は突くが、愚痴はこぼさない。また、どんなに忙しくても、街で噂の美人や怪奇現象を自分の目で確かめるためにすっ飛んでいく。そんな酔狂な父の背中を見て育ったお栄も、ぶっきらぼうな性格だが、絵を描くことを自分の生涯の仕事と決めている。ギャランティーの額や注文主の家柄は関係ない。宵越しの金よりも、絵師としての心を揺さぶる題材に出会うことをこの親子は最優先している。
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93回も引っ越しを繰り返した北斎の住居兼アトリエ。画狂親子の頭には、自炊や掃除といった言葉は存在しなかった。
 江戸時代の売れっ子浮世絵師は、今でいえば宮崎駿か庵野秀明みたいな人気アニメーション監督か。北斎は春画の名手でもあったから、AV監督でもあったといえる。「蛸と海女」は“触手系”のルーツだろう。「富嶽三十六景」をはじめとする風景画も多く残しているから、地道な取材を厭わないフォトジャーナリストでもあった。研ぎ澄まされたセンサーを持つ北斎とそのアシスタントであるお栄は、江戸市中で起きる怪異に次々と遭遇することになる。表現者としての好奇心と業が、どうしようもなく不思議なものを引き寄せてしまうのだ。遊郭・吉原ではろくろ首の花魁と接見し、またお栄が描いた地獄絵があまりにリアルなことから現実世界にまで鬼が火車を引いてやって来る。江戸時代は今よりも夜の闇がもっと濃く、魑魅魍魎たちが跋扈していた。人々も物の怪の存在を信じていたから、彼らはより生き生きとしていた。江戸時代は身分制度が確立されていたが、庶民たちはお金では手に入らない粋を愛し、生活の中にファンタジーが息づいていた時代でもあった。  原作にもある「龍」のエピソードが秀逸だ。例によって北斎の代筆でお栄は龍を描くことになる。締め切りはあと1日。テクニックは充分にあるお栄だが、幻の神獣を描くとなるとさすがに身構える。酔っぱらった善次郎が連れてきた若き天才絵師・歌川国直(声:高良健吾)がお栄に助言する。 「龍にはコツがありやす。筆先でかき回しちゃ弱る。頭で練っても萎えちまう。コウただ待って、降りて来るのを待つんでさ。来たところを一気に筆で押さえ込んじまう」  この国直の台詞は龍の描き方というよりは、形のないフィクションをどうやって自分のものとして体得するかという“創作の極意”みたいなものだろう。その夜、男たちを長屋から追い出して筆を握ったお栄は、雷雲の中から身体を覗かせた巨大な龍と接近遭遇することになる。ただ絵を描くことが大好きだったお栄が、日常の向こう側に潜む“何か”に触れた瞬間だった。  原監督は杉浦作品の大ファンで、アニメーターとして多大な影響を受けたという。『河童のクゥと夏休み』(07)でクゥが龍と遭遇するシーンは、それこそ『百日紅』の「龍」のエピソードからインスパイアされたものだ。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』(02)には白木蓮の花が散る印象的なシーンがあるが、これも『百日紅』の影響とのこと。お栄が妹のお猶を連れて舟遊びを楽しむシーンは原作にはないが、杉浦さんは豊島園のウォータースライダーがお気に入りだったというおきゃんな一面を思い出させる。同じく姉妹で雪見に出掛けるシーンは、“東京という現象は人々の想念のカタマリだ”と主人公に語らせる『YASUJI東京』のオマージュか。椎名林檎の「最果てが見たい」が主題歌として流れるが、これも杉浦さんのロック好き、椎名林檎ファンだったことを汲み取ってのもの。「杉浦さんの原作は完璧。僕は杉浦さんのいい道具になることを心掛けた」と原監督は語る。
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男っぽい性格だったと言われるお栄だが、年の離れた妹・お猶には優しい。目の不自由なお猶に、世界の美しさを伝える。
 美人漫画家として知られた杉浦日向子さんだが、体力を消耗する漫画執筆業は35歳で引退し、2005年7月に46歳の若さで亡くなった。自分が難病であることは公言しなかった。100日間にわたって咲き誇る百日紅のように、限られた時間の中で『百日紅』や『百物語』などの名作を描き残した。肉体から抜け出した杉浦さんは、今頃は大好きだった江戸時代に生まれ変わって暮らしているのだろうか。ふくよかで艶っぽい杉浦さんに出会った北斎かお栄、もしくは英泉は、ハッとするような美人画を描くに違いない。 (文=長野辰次)
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『百日紅 Miss HOKUSAI』 原作/杉浦日向子 脚本/丸尾みほ キャラクターデザイン/板津匡覧 監督/原恵一 声の出演/杏、松重豊、濱田岳、高良健吾、美保純、清水詩音、筒井道隆、麻生久美子、立川談春、入野自由、矢島晶子、藤原啓治  配給/東京テアトル 5月9日(土)よりTOHOシネマズ日本橋、テアトル新宿ほか全国ロードショー  (c)2014-2015 杉浦日向子・MS.HS/「百日紅」製作委員会 http://sarusuberi-movie.com

マイノリティー側から眺めた世界はかくも美しい! 早熟の天才が描く社会派ドラマ『Mommy/マミー』

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映画界の超新星グザヴィエ・ドランの監督作『Mommy/マミー』。障害を持つ少年と親になりきれないシングルマザーとの濃い親子関係が描かれる。
 映画とはコドクな人間によく効く薬である。医者の処方箋なしで手に入り、気分をハイにもダウナーにもしてくれる。ただし、粗悪品が多く出回っているので、カスを握らせられることもままある。その点、いま注目度急上昇中のグザヴィエ・ドランは非常に純度が高い新銘柄だ。不純物だらけの映画にすっかり馴らされていた人でも、グザヴィエ・ドランの最新作『Mommy/マミー』には心地よいトリップ感を味わうことができるだろう。  グザヴィエ・ドランは1989年のカナダ・モントリオール生まれ。弱冠20歳のときに主演作『マイ・マザー』(09)で監督&脚本デビュー。イケメン好きな女子がよだれを垂らしそうな端正なルックスの持ち主だが、ゲイであることをカミングアウトしている。性同一性障害の教師とその恋人との10年間にわたる葛藤を描いた『わたしはロランス』(12)は日本でもヒット。25歳にして早くも監督5作目となる『Mommy/マミー』を発表し、カンヌ映画祭で巨匠ゴダールと審査員特別賞を分かち合っている。超新星X(Xavier Dolan)が映画界でどれだけ期待されているかが分かる。  グザヴィエ作品はどれもマイノリティー側の人間が主人公だ。3人の男女の恋愛トライアングルを描いた『胸騒ぎの恋人』(10)や心理サスペンス『トム・アット・ザ・ファーム』(13)でも同性愛の若者を演じた。マイノリティー側からの視界がとても新鮮に感じられる。また、非常に濃い母子関係が描かれるのもグザヴィエ作品の特徴。新世代の申し子と評されるグザヴィエだが、作品の内容そのものは意外とスタンダードではある。そして何よりも彼はビジュアルセンスに優れている。色彩豊かなグザヴィエ作品を浴びるように観ることで、脳内物質が大量分泌され、テンションが上がってくる。さらに、鮮やかな映像に絶妙にマッチした音楽が心地よい。天才児グザヴィエの目や耳を通すことで、世界はこんなにも美しく、それゆえに切ないということを再認識させられる。
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オアシスの「WONDERWALL」、ラナ・デル・レイの「BORN TO DIE」などサントラの選曲センスも堪らんものがあります。
 『Mommy』の主人公は、ADHD(注意欠如多動性障害)を抱える少年スティーヴ(アントワーヌ・オリヴィエ・ピロン)と女手ひとつでスティーヴを育てるシングルマザーのダイアン(アンヌ・ドルヴァル)。スティーヴは感性豊かな男の子だが、社会常識に欠け、キレやすい。いったん暴れ出すと、手が付けられなくなる。夫との死別後、スティーヴを矯正施設に預けていたダイアンだが、スティーヴは施設でも問題を起こしてしまう。引っ越し先で母子水入らずの新生活を期待と不安混じりでスタートさせることに。案の定、ささいなスレ違いからスティーヴの感情が爆発。新居での初日から母子間で壮絶なバトルを繰り広げることになる。そこへひょっこりと顔を出したのは、お向いに住んでいる休職中の教師カイラ(スザンヌ・クレマン)だった。感情の起伏の激しいスティーヴとダイアンの2人だけだとケンカが絶えないが、おっとりした性格のカイラが間に入ることで、3人はうまくバランスを保つことができた。  カイラも勤務先の学校でトラブルがあったらしく、吃ってゆっくりとしか話すことができない。失声症らしい。長らく引きこもり状態が続いていたカイラだが、ダイアンの陽気さとスティーヴの無邪気さに心が動かされる。2人の世話を焼くことで、カイラ自身も癒されていく。ダイアンが清掃員の仕事に出ている間、集中力が続かないスティーヴにカイラは根気よく勉強を教え続けた。それまで就学は不可能と思われていたスティーヴだが、表現力の才能を伸ばし、進学を考えるようになる。3人にとって美しい夢のような時間が過ぎていく。  交通ルールなんて知らないよと、スケボーに乗ったスティーヴが公道を疾走する姿は、まるで野に放たれた野生動物のようにとても自由だ。オアシスの「WONDERWALL」をはじめとする名曲が次々と流れ、美しいパステルカラーの光景と溶け合っていく。スクリーンサイズが横長のシネスコサイズではなく、1対1の正方形であることから、どのシーンもレコードのジャケット写真が動画となって流れているように感じられる。主人公のスティーヴと同様に、監督のグザヴィエも映画の定型にとらわれることがない。
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教員のカイラは失声症になり、休職状態。社会から必要とされていない3人だが、3人がそろうとそこはパラダイスのような楽しさに溢れていた。
 『Mommy』はグザヴィエの監督デビュー作『マイ・マザー』の進化形とも言えるだろう。少年役こそ10代のアントワーヌ・オリヴィエ・ピロンに譲っているが、アンヌ・ドルヴァルとスザンヌ・クレマンは『マイ・マザー』に続いて同じく母親役と教師役を演じている。『マイ・マザー』の母子と同じように、『Mommy』のスティーヴとダイアンの母子も似た者同士ゆえにケンカが絶えない。愛情があまりに濃すぎて、一緒にいるとどうしようもなく傷つけあってしまう恋人同士でもある。この母子の強い結びつきの中には、懇意になったカイルでも迂闊には入ることができない。障害を持つ子どもに対する母親の愛の深さを、厳しい現実が皮肉にも際立てることになる。  レコードジャケットのように美しい名シーンの数々を見ているうちに、記憶とは決して使い捨てられた遠い過去の遺物ではないことに気づく。ひとつひとつの記憶が積み重なって、今の自分がいるのだと。そして、どんなにコドクな人間にも、かつて無償の愛情を注いでくれた恋人がいたことを鮮明に思い出させてくれる。その恋人の名前は、マミーという。 (文=長野辰次)
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『Mommy/マミー』 監督/グザヴィエ・ドラン 出演/アンヌ・ドルヴァル、スザンヌ・クレマン、アントワーヌ・オリヴィエ・ピロン 配給/ピクチャーズデプト PG12 4月25日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA、109シネマズ二子玉川、センチュリーシネマ、シネ・リーブル梅田、シネマート心斎橋、京都シネマ、シネツインほかにて全国順次公開中 Photo credit : Shayne Laverdière / (c) 2014 une filiale de Metafilms inc. http://mommy-xdolan.jp

障害者コミュニティは壮絶なヒエラルキー社会!? 字幕、吹替えなしの肉弾ドラマ『ザ・トライブ』

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聾唖者たちがむきだしの演技を見せる『ザ・トライブ』。セルゲイ(グレゴリー・フェセンコ)とアナ(ヤナ・ノヴィコヴァ)との恋愛は成就するのか。
 聾唖学校を舞台に、手話による交流を描いた青春感動ドラマなのだろうと勝手に想像していた。上映が始まり、自分の思い込んでいたイメージとは180度異なり唖然呆然となる。ウクライナ映画『ザ・トライブ』は聾唖学校が舞台だが、そこで描かれているのは暴力とセックスが横行する世界。障害者たちのコミュニティ内でのヒエラルキーの凄まじさに凍り付いてしまう。字幕も吹替えもなし。実際の聾唖者たちによる手話によって、ドラマは進んでいく。観る者は必然的に主人公の置かれている状況と前後の展開、手話に込められた感情と顔の表情で内容を推し量るしかない。それゆえに観る側は、通常の映画とは比べものにならないほどの集中力でスクリーンを凝視することになる。  主人公は純朴そうな若者セルゲイ(グレゴリー・フェセンコ)。どうやら聾唖学校への転入生らしい。全寮制の学校で、セルゲイはなかなか自分の居場所を見つけることができない。校内は族(トライブ)が仕切っており、セルゲイは校舎裏に呼び出されて裸にされ、族のリーダーからボディチェックを受ける。さらに族のメンバーが囃し立てる中、腕力自慢の男子生徒たちにかわいがられることに。新顔への手荒い歓迎会だ。ここでセルゲイは予想以上のタフさを見せ、複数人を相手に互角にやりあってみせる。セルゲイはリーダーに気に入られ、族の一員として迎え入れられる。校内でのカツアゲに留まらず、聾唖学校で作ったと思われるお土産品の実習販売に見せかけて、列車内での窃盗にも励む。セルゲイは族の中で実力者として頭角を現わしていく。
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寄宿舎で暮らすアナたちは体を売ることで、せっせとお金を稼ぐ。彼女が守銭奴になったのは、自分の置かれた現状から脱出するためだった。
 族は裏ビジネスにも手を出していた。リーダーの愛人・アナ(ヤナ・ノヴィコヴァ)と同室の女の子は、夜になると寮を抜け出し、トラックの運転手たちを相手にした売春にいそしむ。ある晩、アナたちをトラックの溜まり場まで送迎していた上級生が、バックするトラックの発信音が分からずに轢死してしまう。その後任に選ばれたのがセルゲイだった。ビッチなファッションに着替えたアナに接しているうちに、セルゲイは辛抱たまらずお金を渡して筆下しをお願いする。セルゲイ、エッチのほうでもパワーファイターぶりを発揮。無言で肉体と肉体をぶつけ合うセルゲイとアナ。セルゲイはリーダーへの上納金をチョロまかしてはアナに貢ぎ、組んずほぐれつの愛欲の日々が続く。リーダーの女に手を出し、しかも上納金をくすねていたことがバレ、セルゲイはリンチに。アナは妊娠が発覚。セルゲイとアナの欲望に身を任せた青春は静かに崩れていく。  本作が長編デビュー作となるミラスラヴ・シュボスピツキー監督は、1974年ウクライナの首都キエフ生まれ。「子どもの頃に通っていた学校の近くに聾唖学生たちの寄宿舎があり、彼らのコミュニケーションの取り方、ゼスチャー、ケンカの仕方に惹き付けられた」と語っている。全員が聾唖者であるキャストはSNSを使って募集し、ロシア、ウクライナ、ベラルーシから集まった約300人の中からオーディションで選ばれた。カツアゲ相手の足を掴んで、逆さ吊りにしてみせる怪力を見せた主人公セルゲイ役のグレゴリー・フェセンコは、キエフのリアルなストリートキッズ。撮影期間の3カ月、不良仲間から隔離しての俳優デビューだった。大胆なセックスシーンに挑んだアナ役のヤナ・ノヴィコヴァもまったくの新人で、チュリノブイリに近いベラルーシ出身。女優になるために、恋人と別れての決意の出演だった。撮影の合間、キャストやスタッフは反政府デモや暴動に度々参加していたそうだ。それもあって、作品の中にも殺伐とした乾いた空気が流れ込んでいる。
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異様なほどリアルな堕胎シーン。手術室代わりの浴室に、アナの悲痛なうめき声が響く。手話が分からない分、恐怖感が遅れて一気に押し寄せてくる。
 手話を学んだ人なら、本作をまるっと理解できるかというと、そうでもない。本作のキャストが使っているのはウクライナ手話なので、日本人が彼らの手話内容を完全に理解することは難しい。手話をボディランゲージとして受け止め、登場人物たちの迫真の表情から真意を読み取るしかない。戸惑い、苛立ちを覚えながらも物語を懸命に追いかけていくうちに、少しずつ状況が読めてくる。売春の元締めをしているオッサンは聾唖学校の教員であること。もしかしたら、この学校のOBなのかもしれない。アナが中絶手術を受けることになる闇の堕胎屋も言葉を話さない。彼女も聾唖者らしい。そしてアナと同室の女の子が売春に明け暮れているのは、ウクライナという旧共産圏の国を出て、もっと自由な国・イタリアに行くための資金集めであることが分かってくる。裏ビジネスに手を染めなくては生きていけない障害者たちのリアルな現状を本作は伝えるだけではない。彼らは法は犯しているが、健常者からの助けを借りずに自分の力で生きようとしている。その毅然とした表情に心を動かされる。  『ザ・トライブ』はサイレント映画時代に先祖返りしたかのようなエネルギッシュさに満ち、また言語が発明されるよりも昔、バベルの塔が崩壊する以前の神話時代の出来事に立ち会っているかのような厳粛さも感じられる。チェルノブイリ原発事故やベルリンの壁崩壊後に生まれたセルゲイやアナたちは、それこそ本能にとても忠実に生きる新しい“種族”なのかもしれない。そして荒々しい血に塗られた物語のクライマックスには、“サイレント・オブ・バイオレンス”とでも称すべき驚愕の結末が待ち受けている。言葉の綾ではなく、本作を最後まで見届けた瞬間、まさに言葉を失うことになる。 (文=長野辰次)
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『ザ・トライブ』 脚本・監督/ミロスラヴ・スラボシュピツキー 出演/グレゴリー・フェセンコ、ヤナ・ノヴィコヴァ、ロザ・バビィ 字幕なし・手話のみ 配給/彩プロ、ミモザフィルム R18+ 4月18日より渋谷ユーロスペース、新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー中  (c)GARMATA FILM PRODUCTION LLC, 2014 (c) UKRAINIAN STATE FILM AGENCY, 2014 http://thetribe.jp

体罰&モラハラの洗礼から真の芸術は生まれる? サディスティック教師の流血指導『セッション』

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親父にもぶたれたことないのに! 『セッション』の主人公ニーマン(マイルズ・テラー)は泣きじゃくりながら地獄の特訓に耐える。
 ムチで打たれたような衝撃がある。映画でここまでの体験をしたのはいつ以来だろうか。映画『セッション』の原題は『Whiplash(ムチ打ち)』。パワーハラスメントやモラルハラスメンなんて言葉はここには存在しない。弱肉強食、体罰上等! それでもOKなヤツだけ徹底的に鍛えてやるぜ。そんなサディスティックな鬼教師と音楽の世界で名前を残すことを願う野心満々な青年との狂気の師弟関係を描いたドラマだ。真の芸術はモラルや常識といったしがらみから遠く離れた世界にこそ生息することを教えてくれる。低予算のインディペンデント作品ながら、今年のアカデミー賞で作品賞ほか主要5部門にノミネート。鬼教師J・K・シモンズが助演男優賞を獲得するなど3部門で受賞を果たした。  SM音楽ドラマ『セッション』の主舞台となるのは米国屈指の名門音楽院。ニーマン(マイルズ・テラー)は偉大なドラマーになることを夢見て入学してきた。有名なフレッチャー教授(J・K・シモンズ)が指揮する「スタジオ・バンド」に参加したいと考えている。フレッチャーのお眼鏡に適えば、音楽業界での成功は約束されたも同然だからだ。ある日、新入生たちで組んだ新人バンドの練習をフレッチャーが覗きに現われる。緊張しながらも演奏してみせる新入生たち。「スタジオ・バンド」の練習に来るように呼ばれたのは、控えドラマーのニーマンだった。この日のために、フレッチャー好みの早打ちの練習をニーマンは積んでいた。友達がいない彼はうれしさのあまり、いつも通っている映画館の売店に勤めている女の子・ニコル(メリッサ・ブノワ)をデートに誘う。自分から女性に声を掛けるなんて到底出来ない内気な性格だが、万能感みなぎる今ならどんな夢でも叶えることができそうだった。  だが、ニーマンの幸せな学生生活はここまで。フレッチャー教授に呼ばれて参加した「スタジオ・バンド」での地獄の日々が始まる。全米から才能のある若者たちが集まった音楽院の中でも、「スタジオ・バンド」はエリート中のエリートぞろい。このメンバーの中で正ドラマーの座をつかむのは容易ではない。「演奏を楽しめ」というフレッチャーの優しい言葉に安堵してニーマンは初演奏を披露するが、フレッチャーの顔色が一瞬で変わる。椅子を投げつけられた上に「クズでオカマ唇のクソ野郎!」と罵倒される。「スタジオ・バンド」に参加した初日、ニーマンは子どものように泣きじゃくるしかなかった。
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思いつく限りの罵声を浴びせる鬼教師フレッチャー(J・K・シモンズ)。音楽版『フルメタル・ジャケット』(87)か『ミザリー』(90)の世界だ。
 「スタジオ・バンド」で生き残るには、血みどろの特訓あるのみ。寸暇を惜しんでドラムを叩きまくるニーマンの持つスティックが血で染まる。正ドラマーになるには、自分にも他人にも非情になるしかなかった。ニーマンから交際を申し込んだニコルに対し、「練習の足手まといになるから別れよう」と告げる。フツーの大学生であるニコルは、あきれかえるしかなかった。「チャーリー・パーカーのように早死にしてもいいから、名前を残したい」と男手ひとつでニーマンを育ててくれた温厚な父親(ポール・ライザー)に対しても、傲慢な態度を見せるようになる。周りからどう思われようが関係なかった。フレッチャーが振り向くようなキレ者のドラマーになることが、ニーマンの唯一の願いだった。  ニーマンとフレッチャーの遭遇は、ロバート・ジョンソンが伝説の十字路で悪魔と出会ったようなものだろう。ロバート・ジョンソンは悪魔に自分の魂を売り渡たし、代わりにギター演奏のテクニックを伝授されたと言われている。ブルース奏者としての名声を手に入れたロバート・ジョンソンだが、放蕩生活の果てに27歳で夭折する。ニーマンが憧れているサックス奏者のチャーリー・パーカーも酒と麻薬に溺れて34歳で亡くなった。たとえ肉体が滅んでも、名曲と名演奏の伝説が後世に生き続ける。ひと握りの天才だけに許される特別な死生観だ。若くて世間知らずなニーマンは、そんな伝説のミュージシャンたちの仲間になることを本気で目指していた。  フレッチャー教授は人間の姿をした悪魔だ。ただし、フレッチャーが仕えているのは地獄の魔王ではなく、音楽の神様である。音楽の神様に身も心もすべてを捧げる覚悟の若者をフレッチャーは探していた。これから社会に出ていく学生たちに善悪の在り方を説く聖職者では決してない。真の芸術が誕生する瞬間、創作熱の沸騰する現場には、善と悪という二元論的な価値観は存在しない。言い換えるならば、才能のない者たちが善と悪の価値観を唱え、善という価値観の中で安心して暮らしているということ。才能のない人間同士がいたわり合う、そんなぬるま湯の世界からお前は飛び降りられるかとフレッチャーはニーマンを挑発する
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映画館でバイトしているニコル(メリッサ・ブノワ)はフツーの大学に通うフツーの女の子。音楽には詳しくないけど、笑うと笑顔が素敵だった。
 人間は極限状態に追い詰められることで覚醒を始める。『イミテーション・ゲーム 天才数学者とエニグマの秘密』(公開中)の主人公である英国の数学者アラン・チューリングは第二次世界大戦中に暗号解読機を開発し、それがベースとなってコンピューターが生み出されることになる。コンピューター誕生の背景には、対ナチスドイツ戦という特殊な社会状況があった。『セッション』では天才か凡人かまだ定かではない若者ニーマンが一線を踏み越えて覚醒を果たすかどうか、そのギリギリの攻防を新鋭デイミアン・チャゼル監督はスリリングに描く。  チャゼル監督が高校時代の実体験をもとに『セッション』を撮ったのは27歳のとき。わずか19日間の撮影期間で、この傑作を撮り上げた。徹夜続きでほとんど寝ていなかったチャゼル監督は撮影期間中に主人公ニーマンさながら自動車事故を起こし、病院に担ぎ込まれている。脳震とうの疑いがあったが、撮影スケジュールを守るために翌日には撮影現場に立っていた。大学時代に映画を1本撮り、コンサート会場を舞台にしたサスペンス『グランドピアノ 狙われた黒鍵』(13)に脚本提供していたチャゼル監督だが、実質的な監督デビュー作といえる『セッション』を完成させるまでは死んでも死に切れないという強迫観念が彼を突き動かしていたようだ。  物語のラスト10分、フレッチャーとニーマンの白熱のセッションが繰り広げられる。もはや、どちらが教師か生徒かは関係なかった。善悪の彼岸に立った2人のセッションは、此岸にいる我々の心さえも激しく揺さぶり続ける。 (文=長野辰次)
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『セッション』 製作総指揮/ジェイソン・ライトマン 監督・脚本/デイミアン・チャゼル 出演/マイルズ・テラー、J・K・シモンズ、メリッサ・ブノワ、ポール・ライザー、オースティン・ストウェル、ネイト・ラング  配給/ギャガ 4月17日(金)よりTOHOシネマズ新宿ほか全国順次ロードショー (c)2013 WHIPLASH, LLC All Rights Reserved. http://session.gaga.ne.jp

麻薬王が賛美されるメキシコ無法地帯の叙事詩! 『皆殺しのバラッド』に見る麻薬カルチャーの現実

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手にはカラシニコフ、肩にはバズーカ。邪魔する奴は頭を吹っ飛ばすぜ♪ 物騒な歌詞で“ナルコ・コリード”のバンドは熱狂的な人気を呼んでいる。
 さかしまの世界がスクリーンに映し出される。警官は覆面を被って顔を隠し、麻薬の密輸で成功を収めたギャングたちは英雄として賛美され、彼らを主人公にした歌や映画が大ヒットしている。そして、街にはギャングたちの抗争の巻き添えをくらった罪なき市民たちの死体が犬や猫のように転がっている。街の人たちは血に染まった路上の清掃で忙しい。近未来のディストピアを描いたSF映画かと勘違いしてしまいそうだが、そうではない。『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』は歴然としたドキュメンタリー映画だ。毎年1万人以上もの死者が出ているメコシコ麻薬戦争の実態を、イスラエル出身の報道カメラマンであるシャウル・シュワルツ監督は危険と隣り合わせの状態で4年間にわたって取材・撮影を続けた。  生々しい殺人現場を検証する警官は、まるで銀行強盗犯のように目抜き帽を被っている。なぜ警官が顔を隠しているのか。顔バレしてしまうと、勤務明けにギャングたちに襲われる可能性が強いからだ。警官だけでなく、警官の家族が狙われるケースも少なくない。本作の主人公のひとりであるリチ・ソトは、米国との国境にある街シウダー・フアレスに勤務する善良な警官。ハリウッド映画『悪の法則』(13)の舞台にもなったこの街では、年間3000件以上もの殺人事件が起き、「世界で最も危険な街」と恐れられている。しかし、メキシコでは起きた犯罪に対してわずか3%しか捜査されず、99%の犯罪は罪に問われることなく放置される。街の人たちはギャングからの報復に怯えて口を閉ざし、警察も下手に捜査を進めようとすると命がない。  リチ・ソトはそれでも覆面姿で現場検証を進め、現場に落ちていた銃弾などの証拠品を拾い集める。犯人の検挙に繋がることはほとんどない孤独な作業だ。麻薬組織からの裏金を受け取っている政治家や汚職警官が多く、仮に犯人が刑務所に送られても簡単に脱獄できることをメキシコ市民は知っている。リチ・ソトのマジメな同僚たちは次々とギャングの凶弾によって殉職していく。勤務から無事に帰宅したリチ・ソトに対し、母親は「こんな危ない仕事は辞めて、早く結婚して」と頼む。家族との慎ましい夕食を摂りながらリチ・ソトは悲しそうに首を振る。「他に仕事なんてないよ」。不景気なメキシコで転職するなら、後はギャングになるしかない。リチ・ソトはカメラに向かって語る。「自分が生まれ育ったこの街は、もともとは美しい街だったんだ」。それが今では死体から流れる血と腐敗臭が漂う生き地獄の街になってしまった。
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麻薬カルテルから押収した武器弾薬。豊富な資金でメキシコ軍の特殊部隊までヘッドハンティングするため、警察はうかつに手を出せない。
 もうひとりの主人公となるのは、米国LA在住の人気歌手エドガー・キンテロ。“ナルコ・コリード”と呼ばれるメキシコ歌謡のシンガーソングライターだ。エドガーはギャングたちから武勇伝を聞き、それを歌にする。怖いもの知らずのギャングが自動小銃とバズーカ砲を持って警察と戦う勇壮な歌詞と哀愁を帯びたメロディとのギャップが奇妙な味わいのナルコ・コリードが出来上がる。いい曲ができ、ギャングがその曲を気にいると高額のチップがもらえることもある。メキシコ系米国人であるエドガーはLAで暮らし、実際にメキシコには足を踏み入れたことはない。すべて伝聞で作った曲ばかりだが、それでも彼の所属するバンドは人気で、ライブハウスではヒップホップスターのような熱狂ぶりで迎え入れられる。  麻薬王たちを英雄視したナルコ・コリードはメキシコでは放送禁止扱いとなっているものの、米国ではウォールマートでCDが販売されているほど。ナルコ・カルチャー(麻薬文化:本作の原題)としてメキシコとメキシコ移民の多い米国ではすっかり定着している。もっといい曲を作りたい。エドガーは国境を越えて、メキシコで曲づくりすることを考えるようになる。自分の皮膚感覚で曲を書けば、もっとリアルなものができるに違いない。美人な奥さんは大反対だ。特定の麻薬王を賞讃する歌を歌えば、敵対する組織の反感を買ってしまう。夫を危険なメキシコに行かせて、今の裕福な生活を手放すわけにはいかない。  自分が子どもの頃のような美しい街を取り戻したいという切ない想いを胸に抱く警官リチ・ソトと、ナルコ・コリードの人気歌手として麻薬戦争をリアルに体感してみたいと思うエドガー。国境を挟んだあまりにも対称的な2人の男の仕事ぶりをカメラは収める。絶望的な現実の中で見る淡い夢と過剰なフィクションの世界で求められるひと筋のリアルさ。決して相容れることのない2つの願いが、スクリーンの中で対峙する。
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カラフルな霊廟が次々と建てられている庭園墓地の景観。麻薬戦争の影響で、葬儀ビジネスはずいぶん潤っているようだ。
 “バイオレンスの詩人”と謳われたサム・ペキンパー監督は、西部劇『ワイルドバンチ』(69)でメキシコをならず者たちの天国として描いたが、現在のメキシコが『ワイルドバンチ』そのままの世界であることに言葉を失う。メキシコ麻薬戦争は、2006年に前カルデロン政権が麻薬組織の撲滅を打ち出したことから始まった。麻薬組織は膨大な資金を元手に軍隊並みの武装集団と化し、カルデロン政権6年間の死亡者数は12万人にも及ぶとされる。政権が変わった今も事件数はなかなか減らない。メキシコの麻薬組織がせっせと麻薬を米国に密輸している背景には、メキシコが領土の三分の一を失った米墨戦争(1846~1848)での恨みがあるとも言われている。麻薬を米国に垂れ流すことで、米国社会に報復しているということらしい。麻薬で儲けたギャングたちは義賊的な人気を得て、ますます彼らに憧れる若者が増えていく。若い女の子たちは、彼氏にするならギャングがいいと口を揃える。  さらに不思議な光景を、シュワルツ監督のカメラは映し出す。メキシコはカトリック信者が多かったが、政府同様に従来の宗教では当てにならないと新しい信仰が広まりつつある。ガイコツ姿の聖母サンタ・ムエルテを崇拝する信仰はここ10年でずいぶんと広まった。ムエルテ信仰には諸説あるが、16世紀のスペイン征服以降に先住民の死神信仰とカトリック聖人とが融合した民間信仰だと言われている。また、麻薬王たちの墓場もかなり独特だ。デコトラ、デコ電ならぬ、デコ墓である。ひとつひとつの墓はそれぞれ小さな宮殿のよう。庭園墓地を俯瞰してみると、まるでディズニーランドみたい。札束と女を好きなだけ抱いて、かっこよく生き、派手に散る。明るい墓地で、死後の世界も愉快に過ごす。メキシコ人の死生観にもナルコ・カルチャーは影響を与えている。  どうすればメキシコ麻薬戦争を終わらせることができるのか? 主な輸出先である米国でマリファナを合法化することで、麻薬組織の資金源を減らそうという案がある。メキシコの惨状を見てきたシュワルツ監督もこの案を支持する。 「マリファナを合法化することはリスクも伴うが、闇マーケットを小さくする効果があることは確か。それともうひとつ、個人的に考えているのはメキシコだけでなく米国の銃社会も見直すべきだということ。メキシコでギャングたちが使っている銃と弾丸は、(麻薬の代償として)アメリカから流れているものだからだ。メキシコ麻薬戦争なんて呼ばれているけど、そうじゃない。正しくはアメリカ・メキシコ麻薬戦争なんだ」  『皆殺しのバラッド』を公開したことで、メキシコに再び足を踏み入れることは容易ではない。シュワルツ監督はそう語った。メキシコから米国に流れた麻薬が、銃器になってメキシコに戻ってくる。さらに強大化した麻薬組織は、ますます大量の麻薬を米国に送り込む。メキシコと米国は果てしなく続く、合わせ鏡の関係にある。 (文=長野辰次)
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『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』 監督・撮影/シャウル・シュワルツ 製作/ジェイ・ヴァン・ホーイ、ラース・クヌードセン、トッド・ハゴビアン 編集/ブライアン・チャン、ジョイ・アーサー・スターレンバーグ 音楽/ジェレミー・ターナー  配給/ダゲレオ ※非常に暴力的な内容を含むため、15歳未満の入場は不可  4月11日(土)より渋谷シアター・イメージ・フォーラムほか全国順次ロードショー (c)2013 by Narco Cultura,LLC  http://www.imageforum.co.jp/narco

修羅場経験者ウディ・アレンが語る“恋愛の極意”奇術師の恋『マジック・イン・ムーンライト』

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現実主義者の奇術師スタンリー(コリン・ファース)と天真爛漫な占い師ソフィ(エマ・ストーン)。水と油の関係の2人が恋をしたら、どーなる?
 恋愛とは男女の騙し合いである。恋する男と女はそれぞれ男優と女優であり、アドリブで筋書きのない芝居を演じ続ける。簡単に馬脚をあらわすのは三文役者であり、名優になればなるほど相手に心地よい夢を見させてくれる。ウディ・アレン監督の最新作『マジック・イン・ムーンライト』は、恋多き人生を送ってきたウディ・アレンが79歳にして辿り着いた恋愛観を主題にしたコメディ。ウディ・アレンの分身役を英国の実力派男優コリン・ファースが務め、米国の若手女優エマ・ストーンと恋に堕ちていく様子を描いている。  主人公2人の職業が、いかにもウディ・アレンらしい。コリン・ファース扮する英国人スタンリーは人気奇術師、対するエマ・ストーンは米国から欧州にやって来た売り出し中の占い師ソフィという役どころだ。観客を欺くことを生業としている奇術師と、インチキめいた予言でお金持ちたちからお金を巻き上げる占い師が、お互いに騙し合いながらも心を惹かれ合っていく。  ウディ・アレンは『スコルピオンの恋まじない』(01)では犬猿の仲の男女が催眠術で恋に陥るドタバタを描き、『タロットカード殺人事件』(06)ではアレン自身が売れないマジシャンを演じ、主演のスカーレット・ヨハンソンとちゃっかり共演した。『さよなら、さよならハリウッド』(02)でウディ・アレンが演じた主人公の職業は当初は映画監督ではなく、マジシャンを考えていたそうだ。スタンダップコメディアンとして人気が出る以前のウディ・アレンは手品の修業を積んでいた時期もあり、ウディ・アレン作品には魔術師、霊媒師、占い師といったうさん臭い職業の人たちが頻繁に登場する。そんな怪しい職業同士の男女が惚れ合ってしまったらどんな展開が待っているのかを、アレン翁は明るい南仏を舞台に軽快に綴っていく。  時代は1920年代と、これまたウディ・アレンが『ミッドナイト・イン・パリ』(11)でも描いたお気に入りの時代設定。スタンリー(コリン・ファース)はステージ上では中国人奇術師ウェイ・リン・スーと名乗り、華麗なイリュージョンで観客からの喝采を集めていた。そんなスタンリーの楽屋を、古くからの友人ハワード(サイモン・マクバーニー)が訪ねてきた。資産家のカトリッジ家に最近占い師が出入りするようになり、すっかりカトリッジ家の人々をたぶらかしている。その占い師のインチキを暴いてほしいと。無神論者で現実主義者のスタンリーは、人の鼻を明かすことができるこの依頼に興味津々。婚約者とガラパゴス諸島へ旅行する予定を延期して、カトリッジ家の別荘のある南仏コートダジュールへ。そこでスタンリーを待っていたのは、インチキ占い師には見えない、明るくて健康的な米国人女性のソフィ(エマ・ストーン)だった。
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ソフィを霊媒者にした交霊会の様子。ヨーロッパのブルジョア階級は、この手のスピリチュアル系のイベントが大好きだったそうです。
 スピリチュアルの類いは一切信じないスタンリーは貿易商だと偽ってソフィに近づくが、ソフィはお得意の霊視術でスタンリーが普段は東洋人の格好をしている人気マジシャンであることを見抜いてしまう。その上、カトリッジ家の別荘で行なわれた交霊会では、ポルターガイスト現象が起きるのを目撃することに。スタンリーはソフィのスピリチュアルパワーにすっかり舌を巻いてしまう。実在した奇術師ハリー・フーディーニ(1874〜1926)は超能力や心霊術のイカサマを次々と暴くことで有名だったが、スタンリーはどうもフーディーニには成り切れない。  いつも斜に構え、毒舌を吐いてばかりのスタンリーなのに、なぜソフィの占いトリックを見破ることができないのか? それはスタンリーが若くて魅力的なソフィに恋をしてしまったから。恋愛モードに陥ってしまった人間の目には、現実世界とは異なるファンタジックな世界が広がって見える。一方のソフィはカトリッジ家のボンボンに結婚を申し込まれるが、そのまま玉の輿に乗ることには躊躇している。結婚相手として、このあまりにもおめでたいおぼっちゃんはいかがなものか。プロヴァンスでひとり暮らしするスタンリーのおばさん・ヴァネッサ(アイリーン・アトキンス)の家まで、自動車で小旅行するスタンリーとソフィ。エンジンの故障や夕立やらのトラブルに見舞われるけど、月夜に照らされた帰り道、2人は心の距離をぐっと縮めることになる。  ソフィのインチキ占いを見破るつもりで南仏に来たスタンリーだが、自分がまだ知らない不思議な世界があるのかもしれないと考えるようになる。ソフィとの奇術vs.霊能バトルに負けることになるが、むしろうれしそうだ。無神論者ゆえに婚約者と「ダーウィンの進化論」で知られるガラパゴス諸島への旅行を考えていたスタンリーだが、未知なる世界があることを知って小躍りしたい気分だった。  人間の目の前に広がる現実世界はとても味気ない上に、窮屈で仕方ない。それならば、夢を見る楽しみを知っていてもいいじゃないか。男女の化かし合いであることを承知で、人間は恋をする。そして、恋に堕ちていくその引力には誰も逆らうことはできない。ウディ・アレンは現実を一瞬だけでも忘れさせてくれるマジックの世界、半世紀に及ぶ自身の映画づくり、そして男女のロマンスを同等のものとして位置づけている。味気ない現実世界を日々生きていく上での、大切なショータイムだと考えている。
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お互いに好意を抱いているスタンリーとソフィだが、共に婚約者がいる身。2人の恋は、南仏の開放感がもたらした一瞬の気の迷いなのか。
 ただし恋愛は夢と同じで、いつかは醒めてしまうもの。タネも仕掛けもバレてしまった相手のことを、それでも愛おしく思えるか。女性問題でいくつもの修羅場を経験してきたウディ・アレンだが、首をすくめながらこんなふうに語り掛けてくる。傍から見るとひどく滑稽に映るだろうけど、恋に堕ちてみるのもそう悪いもんじゃないよと。 (文=長野辰次)
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『マジック・イン・ムーンライト』 監督・脚本/ウディ・アレン 出演/コリン・ファース、エマ・ストーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン 配給/ロングライド 4月11日(土)より新宿ピカデリー、丸の内ピカデリー、渋谷Bunkamuraル・シネマ、シネ・リーブル池袋、品川プリンスシネマほか全国ロードショー Photo: Jack English (c)2014 Gravier Productions, Inc. http://www.magicinmoonlight.jp

世界の終わりに咲いた、世界でたったひとつの花 モキュメンタリーの終着点『コワすぎ! 最終章』

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『コワすぎ! 劇場版』のラストに登場した、新宿上空に浮かぶ巨人。その出現から1年半が経ち、人々はもはや日常風景として受け止めていた。
 現実とフィクションの間には明快な境界線はあるのだろうか? そしてもし、現実とフィクションを隔てている境界線が消滅してしまったら、一体どうなってしまうのか? 白石晃士監督がライフワークとしている『コワすぎ!』シリーズの第7弾となる『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 最終章』を見ながら、そんなことを考えた。低予算のホラー作品ながら、モキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)としての面白さを追求する白石監督の情熱と奇想ぶりでカルト的な人気を博してきたオリジナルDVD『コワすぎ!』シリーズ。『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 史上最恐の劇場版』(14)は連日にわたって上映館が満席となり、ニコニコ動画でのシリーズ一挙上映の視聴者数は30万人にも及んだ。シリーズ完結編となる『コワすぎ! 最終章』では劇場版で投げ掛けられた大いなる謎に、白石監督自身が演じるカメラマン田代が挑むことになる。  2012年からリリースが始まった『コワすぎ!』シリーズは、3.11以降のこの国の何を信じればいいのか分からない不穏な空気を映し出してきた。テレビ局や新聞社が扱わない超常現象を追う弱小映像会社の工藤ディレクター(大迫茂生)、アシスタントの市川(久保山智夏)、カメラマン田代(白石晃士)の3人が主人公だ。視聴者からの投稿映像をもとに、現代に甦った口裂け女、廃墟に出没する幽霊、河童伝説の残る池、トイレの花子さん、「東海道四谷怪談」の生みの親・鶴屋南北の正体……といった数々の謎に迫り、工藤ディレクターたちは現実世界とは別の異世界があることを確信する。  これまで取材した怪奇現象は、すべて「タタリ村」が元凶になっていることを掴んだ取材クルーは、現在は廃村となっている「タタリ村」へ。そこで工藤たちが目撃したのは、山の向こうに姿を見せた大巨人だった。さらに取材の一線を踏み越えた工藤らは、この巨人は第二次世界大戦中に旧日本軍が呪術と科学を融合させて生み出した生体兵器・鬼神兵であること、戦後もその研究は継続して行なわれ、工藤の生い立ちが関係していることを突き止める。低予算の実写ホラー作品である『コワすぎ!』が、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』(84)や庵野秀明監督の『新世紀エヴァンゲリオン』(95~96/テレビ東京系)といった名作アニメの世界観を取り込んで、壮大なSFファンタジーへと大変身していく驚きと快感が劇場版にはあった。劇場版で広げに広げた大風呂敷を白石監督はどう回収していくのかが、『コワすぎ! 最終章』の見どころとなっている。
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『コワすぎ!』取材クルーのカメラマン田代(白石晃士)。異世界へと姿を消してしまった工藤と市川を救出するために孤軍奮闘する。
 巨人との遭遇の一件以来、工藤ディレクターとアシスタント市川は姿を消したまま。ずっと取材を共にしてきたカメラマン田代は、2人がまだ異世界で生きていることを信じている。そして、東京の上空には巨大な人影がぽっかりと浮かぶ。劇場版のラストシーンに続く形で最終章が始まる。東京上空に浮かぶ巨大な人影を人々は巨人と呼んでいるが、これは工藤ディレクターたちが「タタリ村」で目撃した鬼神兵と関係していることは間違いない。一連の巨人騒ぎを収録したドキュメンタリー映画『コワすぎ! 劇場版』は大ヒットしたが、ひとりぼっちになった田代は歓びを分かち合う仲間がいない。孤独を噛み締めながら田代は劇場版の売上げで、自分が使っているハンディカメラから世界中に配信できる「T-stream」を開発。深夜に田代がさっそく生中継を始めると、カメラの前に忽然と謎の男(宇野祥平)が現われる。正体不明のこの男は、こっちの世界とあっちの世界との境界が曖昧になっていることを告げる。さらに工藤と市川はあっちの世界で生きており、その救出に手を貸すという。  カメラを手にした田代は謎の男の指示に従って、工藤と市川をこの世に甦らせるための試練に臨むことになる。「古事記」の黄泉がえり伝説を思わせる展開だ。夜明け前の真っ暗な東京をさすらう田代と謎の男。東京上空に浮かぶ巨人はますます巨大化し、この世とあの世との境界線が崩壊寸前なことを知らせている。暗闇では黒いゴミ袋で作られた等身大の人形たちが蠢いている。このゴミ袋人形は、『ハウルの動く城』(04)に出てきたブヨブヨのゴム人間みたいで気持ち悪い。街ではサイレン音が低く鳴り響く。この世界がゆっくりと崩れていく様子を、田代のカメラはリアルタイムで中継していく。  世界はこんなふうに終わっていくのかもしれない。3.11後の眠れない日々が続いたあの恐怖感を、白石監督は低予算作品の中で再現してみせる。未曾有の事態をテレビの中継画面は映し出す一方、その合間には間の抜けた公共CMが流れ続けたあの奇妙な数週間。フィクションであるはずの『コワすぎ!』だが、作品の中に漂う不穏さ、確かな情報がない中で決断を強いられる主人公の戸惑いがひどくリアルに感じられる。『コワすぎ!』シリーズに出演した人々の多くは、その姿を消してしまったともいう。どこまでがリアルで、どこからがフィクションなのか、その境界線はとても曖昧だ。
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カメラマン田代が生中継している最中に現われた謎の男(宇野祥平)。彼の口から出てくる言葉はキチガイじみている。信用できるのか?
 崩壊が迫る世界でひとりぼっちの戦いを強いられるカメラマン田代にとって、頼るべき存在は謎の男しかいない。言っていることはキチガイじみているが、常識が通用しなくなった現実世界では、もはや彼の言葉を信じるしかない。カメラマンとしての職業的な勘で、田代は彼の言動に賭けてみる。少なくとも、当たり前ではない結末が待っているはずだ。この謎の男は白石作品のファンならピンとくる、『オカルト』(09)に登場したあの男にそっくり。謎の男が現われたことで、これまで白石監督が手掛けてきた『コワすぎ!』シリーズ以外の『超・暴力人間』(11)や『殺人ワークショップ』(14)などの作品も一気に繋がりを見せ、見事な円環となっていく。白石監督はなぜ『コワすぎ!』シリーズでは“田代”と名乗っていたのかという疑問も氷解していく。信用できない現実社会に対し、拮抗するように白石監督が生み出してきた虚構世界が連なって立ち上がっていく。  フィクションの中に真実を浮かび上がらせるモキュメンタリーの世界を突き詰めていくと、その果てには何が待っているのだろうか? 白石監督は最果ての世界に、妖しくも美しい大輪の花を咲かせる。世界の終わりに咲いた、世界でたったひとつの花を我々は目撃することになる。 (文=長野辰次)
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『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 最終章』 監督・脚本・撮影/白石晃士 出演/大迫茂生、久保山智夏、白石晃士、宇野祥平 配給/「戦慄怪奇ファイル コワすぎ!」上映委員会 4月11日(土)より渋谷アップリンクほか全国順次公開 (c)2015ニューセレクト  http://albatros-film.com/movie/kowasugisaishu

いじめ、暴行、闘病からの逆転人生『がむしゃら』女子レスラー安川惡斗は逆境でこそ存在感を増す

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凄惨な喧嘩マッチで物議を醸した安川惡斗とヤンキーキャラの世IV虎。『がむしゃら』では両者がまっとうな技を繰り広げている試合も伝えている。
 2月22日、女子プロレスを久しぶりに観戦しようと思い立ち、後楽園ホールに向かった。ビジュアル系レスラーが多いとされるスターダムの大会だ。大会前や休憩中には、その日のメーンイベントに出場する安川惡斗の主演ドキュメンタリー『がむしゃら』の予告編が大型ビジョンに何度も流れていた。チャンピオンベルトを賭けたメーンイベントで挑戦者の安川が勝てば、彼女がスポーツ紙やプロレス誌に露出する機会が増えて、『がむしゃら』のいいPRになるな。そんなことを思いながら観戦していた。試合前からベルト保持者である世IV虎と調印書にサインするしないで揉める。2人が以前から犬猿の仲であることを強調する、プロレス用語の“アングル”だろうと軽く考えていた。ところが試合が始まっても2人は噛み合ない。両者が感情を剥き出しにして顔面攻撃を交わす。体格で勝る世IV虎が圧倒し、馬乗り状態のまま安川にパンチを浴びせ続ける。でも、ここまではプロレスによくあるパターン。安川はリング下にエスケープするが、この後ベルト戦にふさわしい熱い攻防を見せてくれるに違いない。そう考えていた矢先に安川サイドから青いタオルがリングに投げ込まれ、釈然としないまま試合は終わった。スタンド席からは分からなかったが、安川は顔面骨折を負ったことを後からネットニュースで知った。ガチな闘争心とショーマンシップとのせめぎ合いがプロレスの面白さだが、ガチさが一方的にその境界線を突き破ってきた怖さを、ネット画像を見ながらじわじわと感じた。  病院に運ばれた安川惡斗と映画『がむしゃら』は、本人や関係者の思惑とは全く違った形でその存在を広く知られることになってしまった。だが、安川はこれまでも何度も逆境に陥り、それを糧にして伸びてきたレスラーだ。大会の数日前、安川にはその『がむしゃら』の試写室で会っていた。『がむしゃら』から大変な熱量を感じたことを本人に伝えると、彼女は「うれしい!」という表情を全身で表現してみせた。体格がいいわけでもない安川は全然プロレスラーっぽく見えなかったけれど、そんなギャップが彼女の独特な魅力になっているんだろうなとも感じた。  『がむしゃら』には3人の安川が登場する。ひとりはリング上で悪役レスラーとして暴れ回る安川惡斗。もうひとりは、本名の安川祐香。青森県三沢市で生まれ育った彼女は、中学時代からイジメに遭い、自宅に引きこもり、自傷行為を繰り返した。そして、正反対のキャラクターである安川祐香と安川惡斗との橋渡し役となったのが女優・安川結花。暗い青春を過ごしていた安川だが、高校時代に演劇の世界に触れ、現実とは異なる世界があること、自分ではない別人を演じることの面白さを知った。日本映画学校俳優コースに進んだ彼女は、安川結花という芸名で、舞台や映画に出演するようになる。舞台『レスラーガール』でグラドル兼プロレスラーとして人気を集めていた愛川ゆず季と共演したことがきっかけで、女子プロレスの華やかな世界に憧れ、愛川の所属するスターダムに入門。自分から進んで悪役レスラーになることを志願し、2012年に安川惡斗としてプロレスデビューを果たした。中学・高校でイジメられ続けた負のエネルギーを一気に反転させたかのような弾けっぷりで、リング上の安川惡斗は素顔の安川祐香とも女優の安川結花とも異なる別人としての輝きを放つようになる。
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2012年にプロレスデビューした安川惡斗は、看板レスラー・愛川ゆず季に全力で噛み付いていくことでヒールレスラーとして覚醒していく。
 『がむしゃら』を撮った高原秀和監督は、日本映画学校の講師を務めていたことから、18歳の頃からの安川を知っていた。ドキュメンタリーの中で「お前はお前のままでいいんだ」という言葉が支えになったと安川は語っているが、この言葉を投げ掛けたのが高原監督だった。「プロレスは相手と全力でぶつかり合う。プロレスをやれば性格が変わるぞ」と、プロレス界入りする前の安川に話していたのも高原監督だった。演劇の世界を知って、引きこもり状態を脱した安川だが、まだ映画学校時代は他人と目を合わせて話すことがうまくできなかったらしい。安川が変わっていく10年間を見守ってきた高原監督だからこそ、『がむしゃら』は生々しさに溢れるドキュメンタリーとなった。  安川と高原監督との信頼関係を強く感じさせるのは、安川の里帰りシーンだ。米軍基地があることからジェット戦闘機の轟音が常に響く三沢市に帰ってきた安川は、高原監督を思い出の公園へと案内する。ここは活発だった少女時代によく遊んでいた場所というだけでなく、中学2年のときにレイプ被害に遭った場所でもある。学校帰りに公園で年上の男たちに襲われ、暴行を受けたことは家族にも学校関係者にも話せなかった。「子宮が痛い」「人間って少しずつ壊れていくんだと分かった」と泣きそうな顔で笑ってみせる安川。自分の暗黒時代を包み隠さずに語る安川に対し、高原監督は目をそむけることなくカメラを回し続ける。  プロレスと出会ったことで、自分が輝くことができる場所を見つけた安川。だが、プロレスラーとしてのデビュー後も逆境の連続だ。腕立て伏せが一回もできないという体力的ハンデは、スターダムでの練習後に別のトレーニングジムに通うことで懸命にカバーしたが、白内障、バセドー病、頸骨損傷と次々とドクターストップが掛かる。でも、その度に彼女は這い上がり、リングに復帰してみせた。全女時代からキャリアを積み、スターダムの重鎮となっている先輩レスラーの高橋奈苗は「プロレス力は人間力。安川はたくましくなってきた」と成長ぶりを認めている。世IV虎が安川のことを「はっきり言って、嫌いです」と口にするシーンもあるが、それはレスラーとしての技量以上に安川が目立つことに対して彼女なりに苦言を呈していたようにも感じられる。  試写室で安川に、自身が主演を務めたドキュメンタリー映画『がむしゃら』の感想を尋ねてみた。
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休まずトレーニングを積み重ねる安川惡斗を、ジムを経営する元総合格闘家の大山峻護は高く評価。安川も安心した笑顔を見せる。
「映画を観て、私っていつも笑いながらしゃべっているなぁって気づきました。ヘラヘラしていて、気持ち悪いなと(笑)。以前、スポーツカウンセリングしている先生に言われたことを思い出しました。『笑いながら話す癖があるけど、それは一種の自己防衛の現われなんだよ』と言われたんです。本当にそうなんだなと、映画を観て分かりました。他の人から『気持ち悪い』と言われるのが、よく分かった(苦笑)。自分じゃ、これまでいろいろ乗り越えてきたつもりだったんですけど、まだまだ乗り越えなくちゃいけないことがいっぱいありますね。いい勉強になりました(笑)。以上!」  安川惡斗は不思議なレスラーだ。悪役レスラーとして憎々しいファイトを見せたかと思えば、女優・安川結花仕込みのマイクパフォーマンスでは、自分の心情を真っすぐに吐露することで観客の心をつかむ。かと思えば、時折ひどく弱々しい素顔の安川祐香がさらけ出てしまう。解離性人格障害と診断されたこともある安川はキャラクターの変貌ぶりで周囲の目を惹くが、まだ自身のキャラクターをうまくコントロールすることができずにいる。どこまでがガチなのか、フェイクなのか読めない危うさが漂う。いや、フェイクの中から生じるリアルさこそが彼女の真骨頂なのだろう。  現在はリハビリ中の安川は、入院先の病院を訪ねてきた世IV虎の謝罪を受け入れ、リング復帰後は世IV虎と再戦したいと語っている。2人が再戦を果たしたとき、安川惡斗はヘラヘラ笑いではない本気の笑顔を自分のものにしているはずだ。 (文=長野辰次)
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『がむしゃら』 監督・撮影・編集/高原秀和 撮影/森川圭、中沢匡樹 音楽/野島健太郎 出演/安川惡斗、高橋奈苗、脇澤美穂、夏樹★たいよう、世IV虎、岩谷麻優、紫雷イオ、木村響子、ロッシー小川、風香、大山峻護、真綾、水戸川剛、彩羽匠、宝城カイリ、愛川ゆず季 配給/マクザム 3月28日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開 (c)MAXAM inc. http://www.maxam.jp/gamushara

普通じゃないからこそ、世界はこんなにも美しい! 天才学者の数奇な生涯『イミテーション・ゲーム』

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“コンピューターの父”アラン・チューリングの伝記映画『イミテーション・ゲーム』。戦時中の暗号解読がコンピューター開発に繋がった。
 数式の力を使って、死んだ人間を甦らせたい。ホラー映画の話ではない。アラン・チューリング(1912~1954)は実在した英国人数学者だ。23歳にして数式を解く人間の頭脳の論理を模した仮想上の機械「チューリング・マシン」を考案し、このアイデアは現代に至るコンピューターの礎となっている。ベネディクト・カンバーバッチ主演の『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』はアラン・チューリングの数奇な生涯を追い、彼が人工知能の研究に尋常ならざる情熱を注いだ秘密に迫っている。  『イミテーション・ゲーム』では3つの時間が並行して流れる。ひとつはチューリングの少年時代、もうひとつはマンチェスター大学の教授として過ごした晩年。そしていちばんのハイライトシーンとして描かれるのが、チューリングが英国政府の要請を受けて、ドイツ軍の暗号エニグマの解読に挑む第二次世界大戦中のエピソードである。ドイツ軍が誇るエニグマは、解読は絶対不可能とされていた難解な暗号だった。ケンブリッジ大学の特別研究員だったアラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)はチェスの英国チャンピオンのヒュー・アレグサンダー(マシュー・グード)らと共に、エニグマ解読のための極秘チームに参加することになる。ところが共同作業を嫌うチューリングは、ひとりで暗号解読マシンの製作にのめり込んでいく。無数のローターにコードが血管のように張り巡らされた巨大な暗号解読マシンこそ、世界初となるコンピューターのプロトタイプだった。  チューリングは少年の頃から変わり者で、それゆえに学校ではイジメの標的となっていた。そんなチューリングに優しかったのは1歳年上のスチュワートだった。校内トップの成績を誇るスチュワートと一緒に難しい数式を解き明かす瞬間は、少年時代のチューリングにとって無上の喜びに感じられた。明るい未来が約束されていたスチュワートだったが、無情にも18歳にして病気で亡くなってしまう。唯一の親友を失い、孤独な日々を過ごすチューリングは、みずからが考え出した人工知能の概念を応用したエニグマ解読マシンの開発に生き甲斐を見出す。劇中のチューリングは、このエニグマ解読マシンに「スチュワート」という名前を付ける。チューリングにとっては敵国ドイツ軍の暗号を解くこと以上に、夭折した親友を人工知能という形でこの世に甦らせることのほうが重大だった。だが、生まれたての頭脳である「スチュワート」には、まだエニグマを解読するプログラムが備わっていない。予算と時間ばかり費やすチューリングの研究は失敗かと思われた矢先に、ひとりの幸運の女神が現われる。
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アラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)は暗号解読チームに参加するが、天才ゆえに凡人たちからは奇人変人扱いされ続ける。
 暗号解読チームに新たに加わった女性、ジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)はどんな難解なクロスワードパズルでも瞬く間に解いてみせる天才だった。ジョーンは旺盛な知的好奇心に加え、女性ならではの社交性と現実的な処世術も持ち合わせていた。そうでなくては保守的な英国社会では生きていけなかった。チューリングはジョーンの聡明さを敬い、ジョーンは数式の世界をこよなく愛するチューリングの純粋無垢さに惹かれる。ジョーンが取りなす形で、チューリングが作り上げたエニグマ解読マシン「スチュワート」の改良化に、ヒューら他の暗号解読チームのメンバーも協力することになる。やがて暗号解読チームはエニグマ解読の手掛かりをつかみ、ついに「スチュワート」がその暗号文を読み上げる日が訪れる―。エニグマ解読によって、ドイツ軍はUボート作戦の大幅な変更を余儀なくされ、第二次世界大戦は早期終結へと向かう。チューリングは英国を勝利に導いた大殊勲者となるが、エニグマ解読の事実は国家機密扱いとなり、戦後50年間にわたってチューリングの業績は公表されることはなかった。  BBCドラマ『SHERLOCK(シャーロック)』で大人気を博したカンバーバッチの変人ぶりは、もはや名人芸の領域だ。変わり者ゆえの純朴さを感じさせるカンバーバッチに、母性本能をくすぐられる女性ファンはますます増えるだろう。また、カンバーバッチは『イミテーション・ゲーム』の撮影に入る前に、舞台『フランケンシュタイン』でフランケンシュタイン博士と怪物役を日替わりで演じていたというのも興味深い。そして、カンバーバッチとは『つぐない』(07)でも共演しているキーラ・ナイトレイが素晴しい演技を見せる。暗号解読チームの紅一点であるジョーンは、どうしようもない変人のチューリングをあるがままの存在として受け止めてみせる。男女の性愛を越えた大きな愛情で、すっぽりとチューリングを包み込む。孤独な天才を明るく照らす、まさに夜の光り(ナイトレイ)だった。暗号解読チームの解散後、ひとりぼっちで研究を続けるチューリングに対し、ジョーンは最高に温かい言葉を投げ掛ける。 「普通じゃないあなたがいるからこそ、世界はこんなにも美しいのよ」
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ジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)はチューリングの数少ない理解者だった。チューリングと一般社会との橋渡し役を務める。
 41歳にして、アラン・チューリングは非業の死を遂げることになるが、彼が生み出した概念がベースとなってコンピューターは実用化されていくことになる。チューリングはこの世から姿を消したが、それは肉体的な死であって、彼の頭脳は今も生きている。数式の世界で、親友のスチュワートと共に難解な問題を解くことに喜びを見出しているのではないだろうか。 (文=長野辰次)
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『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』 監督/モルテン・ティルドゥム 脚本/グレアム・ムーア 出演/ベネディクト・カンバーバッチ、キーラ・ナイトレイ、マシュー・グード、ロリー・キニア、アレン・リーチ、チャールズ・ダンス、マーク・ストロング 配給/ギャガ 3月13日(金)よりTOHOシネマズみゆき座ほか全国ロードショー (c)2014 BBP IMTATION,LLC http://imitationgame.gaga.ne.jp

アイドルは「さよなら」の代わりに映画を残した 銀幕越しの温もり『世界の終わりのいずこねこ』

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学校帰りに廃墟で寛ぐイツ子(いずこねこ)といつもヘルメットを被っている親友のスウ子(蒼波純)。地球滅亡よりも進路や家族のことが心配。
 アイドルと映画は、コドクな人間に優しい。映画は単に物語を提供するだけでなく、コドクな人間に観客という役割を与えてくれる。現実社会に居場所を見つけることができなくても、映画館の入場券さえ持っていれば、1時間半から2時間前後の時間を誰もが客席に座って過ごすことができる。アイドルもまた、コドクな人間にファンという役割を与えてくれる。アイドルを応援し続ける限り、そのアイドルはコドクな人間にとっていちばんの理解者となり、理想の恋人にさえなってくれる。ただし、映画はいつかエンドロールが流れ、アイドルの多くは活動期間が非常に限られている。コドクな人間は、やがて否応なく現実社会に引き戻されることになる。ソロアイドルとしてコアな人気を集めた「いずこねこ」の最初で最後の主演映画『世界の終わりのいずこねこ』には、アイドルや映画に対してコドクな人間が感じる淡い魅力がぎっしりと詰め込まれている。  舞台は2035年の関西新東京市。20年前に起きた原因不明のパンデミックにより東京は消滅し、生き残った人々は関西に新しく造営されたイミテーションの東京で暮らしている。すでに食料は尽き、時折地球に飛来する木星人がバラまく猫缶を人類は主食にしていた。もはや地球人は、姿を見せない木星人の飼い猫状態だった。でも、そんな日々が続くのも、あと10年だけ。巨大隕石が地球に向かって接近しており、10年後には全人類は完全に滅亡してしまうのだ。木星人の力でも、地球の運命を変えることはできないらしい。明るい未来のない世界だが、イツ子(いずこねこ)は毎日学校に通っている。パンデミック後に生まれたイツ子は、希望という言葉だけでなく、絶望という言葉の意味さえも知らないのだ。  希望を抱かない代わりに絶望もしないイツ子たちのことを、学校の担任教師・ミイケ(西島大介)は「君たちは絶望に慣れすぎている」と嘆くが、そんなイツ子にも楽しみはある。学校から帰ったイツ子は母親(宍戸留美)への「ただいま」もそこそこにお気に入りの衣装に着替え、ネット配信を使って、アイドル活動を行なっていたのだ。自分の部屋に篭り、鬱病を患う父親(いまおかしんじ)が若い頃に作った曲を、自分で考えた振り付けで歌い踊るイツ子。アクセス数は大したことないけど、ネット上のファンたちとのコール&レスポンスがイツ子には楽しい。週末ヒロインならぬ、終末ヒロイン。それが、ディストピアを生きるイツ子にとっての唯一の生き甲斐だった。やがて、隕石は10年後ではなく、7カ月後に地球と衝突することが分かる。それでも、やはりイツ子は、アイドルとして歌い踊り続ける。
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登校中に廃墟で絶滅危惧種の猫を見かけたイツ子は、学校で幻聴を聞くようになる。イツ子が見た猫は、伝説の「いずこねこ」だった。
 高萩市でロケが行なわれた本作には、廃工場シーンが度々登場する。廃工場の中に佇む制服姿のイツ子は、まるでパルテノン神殿に迷い込んだ仔猫のように愛らしい。アイドルには廃墟がよく似合う。アイドルが放つキャピキャピさと歴史を終えた廃墟とはあまりにも対称的すぎて、逆に相性がいいのだろう。アイドルもまた、自分のアイドルとしての寿命が限られていることを悟っているのか、初々しいはかなさがそこには漂う。長い歴史と限られた輝き、大きな存在と小さな温もり……。暗い宇宙空間にぽつんと浮かんだ地球という天体を、俯瞰して見つめているような気分になってくる。  「いずこねこ」を約3年間にわたってプロデュースしてきたサクライケンタが原案、教師役で出演もしている漫画家・西島大介と神聖かまってちゃんのライブ動画で知られる竹内道宏監督が共同で脚本を手掛けた本作は、アーサー・C・クラークのSF小説『幼年期の終わり』をベースにしていると思われる。『幼年期の終わり』では地球人類は高レベルの異星人と交流することで、戦争も人種差別も宗教紛争もない、より高い次元へと進化を遂げることになる。そして、本作の主人公・イツ子を演じた「いずこねこ」こと茉里は、2014年8月でソロユニットとしての活動を終了し、やはり同年7月に解散したBiSのカミヤサキとのデュオ「プラニメ」として新スタートを切った。すでに消滅してしまったアイドル「いずこねこ」の旅立ちを、観客/ファンは時間差で見送る形となっている。  映画のクライマックスは、イツ子のオンステージだ。イツ子のネット上でのアイドル活動が木星人であるレイニー&アイロニー(緑川百々子、永井亜子)の目に留まり、イツ子は木星へと移住することになる。木星人の世界は進化しすぎてしまい、イツ子の発する初期衝動エネルギーを木星人たちは欲していたのだ。親友のスウ子(蒼波純)、お母さん・お父さん、ミイケ先生ともお別れすることになる。さよならの代わりに、イツ子は最後に「いずこねこ」の代表曲「rainy irony」を歌う。 辛いから前を向かない 夢も追いかけないの 願えば叶うなんてこともないの 行きどまりよ♪
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母親は元祖フリーアイドルのルンルンこと宍戸留美。父親は『彗星まち』『たまもの』を手掛けた映画監督いまおかしんじ。ユニークな配役だ。
 アイドルらしからぬネガティブな歌詞を全身全霊の笑顔で歌い上げるイツ子/いずこねこ。そして、彼女の口から「そんな世界さえ愛す」という温かい歌詞がこぼれ落ちる。終末世界でさえ愛してみせるという少女のひと言によって、世界の運命は大きく変わっていく。  映画はいつかエンドロールが流れ、アイドルはやがて活動を終了する。待っているのは、空っぽで退屈な日常だ。でも、「そんな世界さえ愛す」とイツ子/いずこねこを真似て口ずさんでみる。コドクという長い長い呪縛から解き放たれた自分がそこにいることに気づく。エンドロールを見届け、映画館を出た後の街の風景がほんの少し変わった気がする。そんな世界さえ愛す。もう一度、つぶやいてみる。 (文=長野辰次)
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『世界の終わりのいずこねこ』 監督・脚本/竹内道広 共同脚本/西島大介 原案・音楽/サクライケンタ 出演/茉里(いずこねこ)、西島大介、蒼波純、緑川百々子、永井亜子、小明、宍戸留美、蝦名恵、いまおかしんじ  配給/SPOTTED PRODUCTIONS 3月7日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開 (C) 2014『世界の終わりのいずこねこ』製作委員会 http://we-izukoneko.com