基地問題が抱える“いちばん恐ろしいもの”とは? 辺野古の実情を追うドキュメント『戦場ぬ止み』

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辺野古ゲート前では、基地建設の抗議運動が連日続いている。反対する側もゲート内への資材搬入を守る沖縄県警もどちらも同じ沖縄県人同士だ。
 すでに沖縄では戦争が始まっていた。いや、そうではない。沖縄ではずっと戦争が続いたままだったのだ。沖縄の基地問題を沖縄県外の人にも分かりやすく解いたドキュメンタリー映画『標的の村』(13)が異例のロングランヒットとなった三上智恵監督の最新作『戦場ぬ止み(いくさばぬ とぅどぅみ)』は、辺野古の基地建設が進む沖縄は剣が峰に立たされたギリギリの状況であることを伝えている。そして、それは沖縄だけの問題ではなく、民主主義国であるはずの日本の根幹を揺さぶるものであることに気づかされる。  前作『標的の村』は、琉球朝日放送でキャスター兼ディレクターを務めていた三上監督がテレビ朝日系列の30分のドキュメンタリー番組『テレメンタリー』向けにもともとは作ったものだ。2012年9月に全国放送された後、沖縄ローカルで60分バージョンを放映。テレビ業界内でいくつもの賞を受賞し、それで終わるはずだった。だが、2013年8月に91分バージョンの劇場版を東京のポレポレ東中野ほか全国各地で上映したところ、口コミで予想外の大ヒットとなる。テレビ放送では届かなかった沖縄で暮らす人々の怒りと悲しみが、劇場から全国へと伝播していった。オスプレイ配備に反対するやんばる東村高江集落の人々の抗議活動を萎縮させるために国が悪質な“スラップ裁判”を仕掛け、7歳の少女まで容疑者扱いしていたこと。辺野古移転は普天間基地の代替案ではなく、もともとベトナム戦争時に米軍が計画していたものだったこと。米軍の予算不足で断念していた案が、日本の予算を使って永続的な基地として完成するという国にとって不都合な事実をスクープしていた。そして何よりも、基地周辺で暮らす人たちの息づかいがスクリーン越しに伝わってきた。全国ネットのニュースから、大切なものがボロボロとこぼれ落ちていることを痛感させるドキュメンタリーだった。 「テレビと映画では訴求力がまるで違うことに、私自身が驚きました(笑)。『標的の村』は何とかオスプレイ配備を世論の力で阻止したいという想いで作ったものです。テレビ版を観て、怒りを覚えた方もいたと思うんですが、放送枠が深夜や早朝だったため、見終わった後に寝てしまったり、朝ご飯を食べているうちに怒りが薄れてしまう。その点、劇場版は1日のスケジュールを調整して、電車賃を払って、わざわざ映画館まで観に来てくれた人たちばかり。映画の中で描かれていることを自分のものとして受け止め、さらに口コミで広めていってくれた。実際に沖縄まで来て、反対運動に参加してくれた人たちが大勢いたんです」(三上監督)
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基地反対派の人たちは、翁長知事の当選に大喜び。これで基地問題は解決に向かうと彼らは信じたが、東京の政治家たちの対応は冷たかった……。
 高江のヘリパッド建設問題と市民による普天間基地全ゲート封鎖事件を中心に描いた『標的の村』の劇場公開から2年、『戦場ぬ止み』ではジュゴンやサンゴが生息する大浦湾の埋め立て工事が“粛々と”進む辺野古の現状が全面的にクローズアップされる。辺野古に配備されるオスプレイ100機は“標的の村”高江で実地訓練が行なわれることになっている。高江、辺野古、そして普天間はひとつに繋がっている問題なのだ。辺野古にある米軍キャンプシュワブのメインゲートでは、85歳になる文子おばぁが基地建設の資材を運び込むトラックの前に立ちはだかる。機動隊員に押されても「一緒に引かれようよ」と動じない。文子おばぁが15歳のときに沖縄に米軍が上陸し、凄惨な地上戦が繰り広げられた。壕の中に身を隠していた少女時代の文子おばぁは、米兵が投げ込んだ手榴弾と火炎放射器で左半身に大火傷を負った。幼い弟を庇った母親は全身大火傷となった。終戦後は障害の残る母と弟を養うために、がむしゃらに働いた。「生きてて楽しいことはひとつもなかった」という文子おばぁは、迫るトラックも機動隊も怖くない。それよりもみんなが戦争のことを忘れ、沖縄が再び戦場になることが恐ろしい。基地反対運動に関わる沖縄の人々の素顔をカメラは映し出していく。  『標的の村』が琉球朝日放送制作だったのに対し、基地のゲート前に貼られた琉歌の一節から付けられた『戦場ぬ止み』は三上監督の自主映画に近い形で作られたものだ。『標的の村』大ヒット後の2014年、三上監督は開局以来19年間勤めた琉球朝日放送を退職し、フリージャーナリストとして『戦場ぬ止み』を撮り上げた。 「うれしいことに『標的の村』は全国560か所以上で自主上映されるほどの大反響がありました。週末の休みを利用して舞台あいさつなどに参加していたので、『標的の村』のヒットが会社を辞めた直接的な理由ではないんです。『標的の村』の劇場版を編集しているときから、局は辞めることになるだろうなとは考えていました。40歳過ぎるとデスクワークを求められるようになり、現場は若手に譲るようにという風潮がテレビ局にはあるんですね。まぁ、そんなのを無視して、現場にこだわり続ける破天荒なテレビマンはどの局にもかつてはいたんですが、そういうのが難しくなってきているように感じます。多分、テレビ局に限ったことではないと思うんです。この10年くらいで日本社会全体がだんだん息苦しくなってきている。表現の自由が狭められてきているんじゃないでしょうか。19年間かなり好き放題にやらせてくれた琉球朝日放送には感謝していますし、スタッフと一緒に取材していた頃はとても恵まれていたなって思います。でも、今はひとりで取材するしんどさよりも、自由に取材できることの喜びのほうが勝っていますね(笑)」(三上監督)
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大浦湾の埋め立てに反対する船やカヌーを制圧する“海猿”こと海上保安官たち。男には厳しいが、若い女性には弱いらしい。
 基地のゲート前で反対運動を続ける人たちはネット上で“プロ市民”というレッテルが貼られるが、三上監督のカメラはそんな彼らの人間くさい面も映し出す。機動隊と反対運動の人々が全面衝突する寸前で、リーダー役のヒロジさんは演説に絶妙なジョークを交え、危機をやんわり回避する。怪我をすれば抗議活動が続けられなくなるし、対立する機動隊や警備会社のスタッフもみんな同じ沖縄県人なのだ。本当の敵は彼らではない。夜になると歌や踊りが座り込みを続ける人たちを和ませる。そんな闘い方を、沖縄の人たちは70年間ずっと続けてきた。  伊藤英明主が主演した『海猿』シリーズですっかり有名になった海上保安庁だが、大浦湾で抗議活動する船やカヌーには非常に厳しく接する。映画界のヒーローである“海猿”のもうひとつのコワモテな一面も伝える。また戦後日本の復興を裏社会から描いた『仁義なき戦い』(73)をはじめとする数々の名作に出演した映画界のスターである菅原文太さんにとって、『戦場ぬ止み』は元気な姿を見せた最期の映画にもなっている。県知事選前の沖縄を訪問した文太さんは、「沖縄の風土も日本の風土も、海も山も空気も川もすべては国のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです」という名スピーチを残している。翁長知事の当選を見届けてから、文太さんは息を引き取った。映画繋がりで、もうひとつエピソードを。三上監督は琉球朝日放送に入社する前、毎日放送時代に深夜番組『シネマチップス』に出演していた。『シネマチップス』は新作映画を女性アナウンサーたちが自由に評する、関西の人気番組だった。だが、作家の椎名誠が自分の監督作を酷評されたことに怒り、毎日放送に謝罪を要求するという騒ぎが起きた。「すごく勉強になりました。あの一件があったから、もっと明快な形で物づくりをやりたいと思うようになったんです。私にとっての物づくりがドキュメンタリーだったんです。いい機会を与えてくれてありがとうと、今なら言えますね」と三上監督は笑い飛ばす。  『標的の村』と同じように、『戦場ぬ止み』でも辺野古への基地移転を容認した前沖縄県知事や建設を指示する現職の閣僚たちにコメントを求めることを三上監督はあえてしていない。数年すれば顔が変わり、本音で話すことのない人たちを取材してもあまり意味はないからだ。辺野古はダメ、普天間もダメ。では、基地移転問題はどうすればいいのかという具体的な回答も用意はされていない。その代わり、沖縄の基地問題を曖昧模糊なものにしている、恐ろしいものの正体に『戦場ぬ止み』を観た人たちは気づくはずだ。オスプレイも米兵も、平気で噓を付く政治家も、近隣国との軋轢も怖い。でも、いちばん恐ろしいのは、沖縄で起きていることを「自分には関係のないこと」「基地問題はよく分からない」と無関心でいることなのだ。日本中を無関心というモヤが覆っている限り、沖縄の戦争はいつまでも終わりを迎えない。 (文=長野辰次)
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『戦場ぬ止み』 プロデューサー/橋本佳子、木下繁貴 監督/三上智恵 音楽/小室等 ナレーション/Cocco 製作/DOCUMENTARY JAPAN、東風、三上智恵  配給/東風 7月18日(土)より東京・ポレポレ東中野、大阪・第七藝術劇場ほか全国順次公開 (c)2015『戦場ぬ止み』製作委員会 http://ikusaba.com/ ※米国人監督ジャン・ユンカーマンによるドキュメンタリー映画『沖縄 うりずんの雨』も全国各地で順次公開中(神保町・岩波ホールは7月31日まで)。『映画 日本国憲法』(05)で憲法第九条の重みを説いたユンカーマン監督が、第二次世界大戦末期の沖縄で行なわれた地上戦の実態を、米軍の資料映像や地上戦を生き残った人々の証言で解き明かしている。また、戦後の米軍沖縄基地に配属された米兵たちはレイプ事件を起こしても、ほとんど処罰を受けていないなどの治外法権問題に関しても追跡取材している。

米国はこうして失業率、犯罪発生率を激減させた! 法律が認めた人間が持つ凶暴性の解放『パージ』

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感涙作『6才のボクが、大人になるまで。』からドン引きホラー『フッテージ』まで多彩な作品に主演するイーサン・ホーク。振り幅の大きさが彼の魅力。
 失業率と犯罪発生率をいっきに減少させ、国民の労働意欲を飛躍的に向上させる画期的な法案が米国で可決された。その法律は「パージ法」と呼ばれるもので、国民一人ひとりの精神を安定させ、そして社会全体を浄化(purge)させる効果があると賞讃されている。では、そのパージ法とはいかなるものか? 1年に1日だけ「パージ・デイ」が決められ、その日は夜7時から翌朝7時まで全ての犯罪は合法となる。器物破損、傷害、窃盗、放火、強姦、殺人などあらゆる犯罪が一夜限り許されるのだ。ただし、パージ・デイの12時間は警察、消防、医療などの救急サービスは全て停止。自分の身は自分で守らなくはならない。パージ法が施行され、米国民は日頃溜め込んでいたストレスを存分に吐き出すようになる。そして、米国はかつての開拓時代のような活気を取り戻すことに成功した―。もしも、そんな法律が本当に施行されたら……という近未来の米国社会を描いたのがイーサン・ホーク主演の異色サスペンス『パージ』だ。  1994年に出版された中島らものホラー連作集『白いメリーさん』(講談社)の中に『日の出通り商店街 いきいきデー』なる短編小説が収録されている。どこにでもある平凡な「日の出通り商店街」では年に一度のビッグイベント「いきいきデー」が催され、商店街の住人たちはこの日は自由に殺し合っていいことになっている。中華料理店、酒屋、電気店、天ぷら屋の店主たちは普段感じているご近所への不満をそれぞれの職能を活かしてぶつけ合うという血みどろのお祭りだ。参加者の中には「いつも人の命を救ってきたので、たまには殺してみたくなった」と劇薬入りの注射器を手にした老医者もいる。人間の中に潜む破壊衝動や凶暴性の解放は、作家にとっての大きなテーマのひとつなのだろう。『あまちゃん』を大ヒットさせた脚本家・宮藤官九郎と三池崇史監督のタッグ作『ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲』(10)では、朝と夕方の各5分間だけ警官や議員などの権力者はあらゆる犯罪が許される「ゼブラタイム」が与えられていた。日本発のこのゼブラタイムは「犯罪減少に繋がる」と米国の幾つかの州では導入が検討されていたことになっていたので、権力者だけでなく米国民なら誰もが平等に参加できるように改良されたものが「パージ法」のようである。
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自宅は当然ながらジェームズが売っているセキュリティーシステム仕様となっているが、肝心のジェームズは「完璧なシステムではない」とトホホな発言。
 超低予算ホラー『パラノーマル・アクティビティ』シリーズのジェイソン・ブラムと“破壊衝動の権化”マイケル・ベイが製作者として名前を連ねる『パージ』は、裕福なサラリーマンの一軒家が舞台となるシチュエーションものだ。ジェームズ(イーサン・ホーク)はセキュリティーシステムの販売会社に勤めている。パージ法が施行されたお陰で、セキュリティーシステムはバカ売れ。ジェームズ一家が暮らす高級住宅街でも、ご近所さんはみんな購入してくれた。ジェームズは営業成績を上げ、家を増築することもできてウハウハ。まさにパージ法さまさま。パージ法は社会経済の活性化にも役立っているのだ。今年もパージ・デイがやってきた。ジェームズは妻メアリー(レナ・ヘディ)、高校生の長女ゾーイ(アデレイド・ケイン)、引きこもりぎみの息子チャーリー(マックス・バークホルダー)との夕食を終え、全自動のセキュリティーシステムを稼働させる。善良な市民であるジェームズ一家は誰からも恨みを買うような心配はなかったが、どんな不審者が現われるか分からない。すべての窓にシャッターが降り、ドアは完全にロック。ジェームズ宅は要塞と化した。  夜7時から翌朝7時まで家の中で静かに過ごせば、パージとは無関係で終わるはずだった。街ではパージ賛同者たちによるマンハンティングが始まった。この日は何人殺しても罪には問われない。隠れ場所のないホームレスたちが真っ先に標的となる。モニター越しに街の様子を眺める息子チャーリーの目線を通じて、パージの実態が徐々に明かされる。パージ法は人間の心や社会を浄化するというが、実際はホームレスや失業者といった最下流層を一掃するための法律だった。ホームレスや失業者が減れば、国は彼らに生活保護費や失業手当などを支払わなくて済み、国家予算は潤う。しかも、毎日汗水流して働く勤労者たちにとって、ホームレス狩りはいいガス抜きにもなる。権力者たちにとっては一石二鳥の効果があった。  ホームレス狩りを目の当たりにしたチャーリーは、耐え切れずに自宅の全自動セキュリティーを解除してしまう。ジェームズは息子の行動に激怒するが、後の祭りだった。電源がオフになり真っ暗闇になったジェームズ宅に、ホームレスが駆け込む。やがて、パージ法に賛同する過激な武装集団が続々と玄関前に押し寄せ、「ホームレスを引き渡せ。さもなくば、こちらから押し入るぞ」と最後通牒を告げる。朝7時まで、まだまだたっぷりと時間があった。ジェームズは一家の主として決断を迫られる。
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ジェームズ宅に次々と現われる招かれざる客たち。パージ・デイなのでどんな犯罪もOKだが、翌日以降に遺恨が残らないよう顔は隠している。
 本作のジェームズ・デモナコ監督は、脚本提供作『アサルト13 要塞警察』(05)などで主演俳優イーサン・ホークとタッグを組んでいる仲。『アサルト13』は閉鎖寸前のボロ警察署に警官役のイーサン・ホークらが立て篭って、スナイパーたちと銃撃戦を繰り広げたが、『パージ』では自慢のマイホームが血まみれの戦場と化していく。さらにパージ賛同者たちだけでなく、ジェームズに恨みを抱く意外な人物たちもパージにかこつけて襲い掛かる。ジェームズ父さん、大ピンチ! 米国民はそんなジェームズ父さんに共感したのか、『パージ』は全米で1億ドル突破の大ヒットに。続編『パージ:アナーキー』も翌年公開され、こちらもスマッシュヒットとなった。『パージ』が一軒家を舞台にしたシチュエーションものだったに対し、キャストを一新した『パージ:アナーキー』は街全体を舞台にしており、フジテレビ系の人気番組『逃走中』を映画化したような内容となっている。  こんなトンデモ法が施行されるなんて映画の世界だからさ、と笑い飛ばすことができるだろうか。日本でも、憲法を無視したとんでもない法案がもうすぐ採決されようとしている。 (文=長野辰次)
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『パージ』 製作/ジェイソン・ブラム、マイケル・ベイ 監督・脚本/ジェームズ・デモナコ 出演/イーサン・ホーク、レナ・ヘディ、アドレイド・ケイン、マックス・バークホルダー 配給/シンカ、パルコ R15 7月18日(土)よりTOHOシネマズ日劇ほか全国公開 (c)Univesal Pictures
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『パージ:アナーキー』 製作/ジェイソン・ブラム、マイケル・ベイ 監督・脚本/ジェームズ・デモナコ 出演/フランク・グリロ、カーメン・イジョゴ、ザック・ギルフォード、キエレ・サンチェス 配給/シンカ、パルコ R15 8月1日(土)よりTOHOシネマズ日劇ほか全国公開 (c)Univesal Pictures

これはインドネシア版『ゆきゆきて、神軍』か? 虐殺者たちとの対話『ルック・オブ・サイレンス』

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罪を問われることなく、町の権力者として暮らす「9.30事件」の虐殺者たち。無料の視力検査を受ける彼らの目には何が映っているのか。
 罪なき市民が次々と虐殺された。犠牲者の数は100万人とも200万人とも言われている。1965年にインドネシアで起きたクーデター「9.30事件」をきっかけに権力を握ったスハルト軍事政権に対し、反抗的な態度をみせた市民、インテリ層、羽振りのよい華僑らは、共産主義者の烙印を押され、裁判もないまま処刑されていった。軍隊が直接手を出すと問題になるので、地元のチンピラたちが処刑を請け負った。事件の真相を知った米国人ジョシュア・オッペンハイマー監督が今では町の権力者に収まっている虐殺者たちを取材したのが、ドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』(12)。カメラを向けられた虐殺者たちは映画スター気取りで、当時の拷問&処刑の様子を嬉々として再現してみせた。衝撃的な内容から『アクト──』は世界各国で上映され、大反響を呼んだ。その『アクト──』の姉妹編となる『ルック・オブ・サイレンス』がいよいよ公開される。  『ルック・オブ・サイレンス』は、『アクト──』と同じくジョシュア・オッペンハイマー監督の渾身作。『アクト──』は加害者本人に虐殺事件を再現させるという発想が斬新だったが、『ルック・オブ・サイレンス』は加害者と被害者の遺族をカメラの前で対面させるという、『アクト──』以上に刺激的かつ深遠な内容となっている。本作の主人公となるアディは、虐殺事件の際に兄ラムリを失った。アディは兄ラムリが亡くなってから2年後に生まれ、母親からは「お前は死んだラムリによく似ている。ラムリの生まれ変わりだ」と言われて育った。ジョシュア監督が「9.30事件」の虐殺者たちを取材していることを知ったアディは、取材に同行することを申し出る。大きな屋敷で暮らす虐殺者たちに、「罪の意識はあるのか」どうかを確かめたいと。これはあまりにも危険な取材だ。そこで眼鏡技師であるアディは無料で視力検診をするという口実で、虐殺者たちの家を訪ね、その様子を虐殺者たちとはすでに面識のあるジョシュア監督がカメラに収めることになった。  虐殺者たちの視力検査をしながら、世間話を装って「9.30事件」当時の話題へと誘導していくアディ。加害者側のリアクションはさまざまだ。「共産主義者は信仰心がなく、スワッピングをする」と主張するイスラム教の信者。殺人実行部隊を指揮した人物は「俺は処刑リストにサインをしただけ。それに俺も上からの命令に従っただけだ」と答える。大勢の同胞たちを殺した罪悪感はなく、平然と言い放つ。いや、罪悪感を抱えたままでは生きていけないので、自分の行為を正当化し、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえる。「虐殺者の多くは頭がおかしくなった。でも、俺は平気だった。なぜなら、俺は犠牲者の血を飲んだからだ」と語る男もいる。彼は迷信を信じ込むことで、正気を保ってきたのだ。我慢し切れず、「僕の兄もあの事件で殺されたんです」と打ち明けるアディ。ピーンッと張りつめた緊張感が走る。さらに自己弁護を続ける虐殺者たちの言葉を、アディは静かに物悲しげに聞いている。沈黙とインドネシアの湿った熱気が、加害者たちの口からこぼれ落ちた言葉を吸い込んでいく。  アディと懇意にしている実の叔父も事件に関わっていたことが分かる。共産主義者と思われる人物たちを押し込んだ強制収容所で、若い頃の叔父は看守を務めていたのだ。甥っ子であるアディの兄ラムリが収容されていることも知っていたが、どうにもならなかったという。「私は誰も殺していない。ただ見張りをしていただけだ」と見るからに人が好さそうな叔父はそう弁明する。
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かつての虐殺者たちと対峙するアディ。住所や本名を明かさない、帰り道はルートを変えるなど細心の配慮をしながら、命懸けの取材を続けた。
 アディが加害者たちの家を訪ねて回っていることを知った母親は心配する。ラムリが殺されたときは辛かった。その上、アディまで失いたくない。老いた父も母も、ラムリが無実の罪で同郷者たちから虐殺されたことをずっと黙って耐えてきた。同じ町に虐殺者たちが今もいるからだ。町の権力者となった彼らに逆らっては暮らしていけない。アディとその一家は、“沈黙”という名の牢獄で息を潜めて生きていくしかなかった。でも、アディの育ち盛りの子どもたちまで、同じ牢獄に押し込めるわけにはいかない。アディが危険を冒してまでジョシュア監督の取材撮影に同行したのは、その沈黙の牢獄を自分の代で打ち破るという決意があってのことだった。  加害者たちが口にする「上からの命令に従っただけ」「直接、自分の手で殺してはいない」という弁明。第二次世界大戦中に、ユダヤ人虐殺ための鉄道輸送計画を考えたアドルフ・アイヒマンが「ヒトラーの命令に従っただけ」と自分の無罪を主張したことを想起させる。人間は自分より立場が上の人間に命令された場合、命令内容が非人道的なものでも容易に従うことはアイヒマンテストで実証されている。大虐殺はインドネシアやアウシュヴィッツだけで起きた悲劇ではない。人間は誰しも、虐殺に加担しかねない危うい社会動物なのだ。だが、ジョシュア監督はアイヒマン裁判やアイヒマンテストの結果を持ち出すことで納得し、そこで思考停止してしまうことを懸念している。 ジョシュア「アイヒマン裁判を傍聴した哲学者ハンナ・アーレント(裁判記録『イエルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』の執筆者)のことを僕はとても尊敬しています。でも、彼女がアイヒマンと対峙したのは裁判所という場所で、被告人と傍聴人という限定された関係でした。アーレントはアイヒマンのことを『彼の唯一の罪は、浅さ(shallowness)だ』と断じていますが、僕はそれには違和感を覚えるんです。アーレントとアイヒマンとの関係に比べ、本作ではアディと虐殺者たちとは非常に至近距離で直接的に対峙したわけです。アディは声を荒げることもなく、虐殺者たちを非難することもなかったけれど、虐殺者たちの弁明に耳を傾ける彼の表情はとても複雑で変化に富んでいたのではないでしょうか。この映画は虐殺者たちを罰するために作ったものではありません。アディと対峙した加害者側の人たちも実に複雑なリアクションをみせています。認知的不協和と呼ばれるものだと思うんです。アディと向き合うことで、加害者たちの複雑な人間性が浮かび上がっていることに注目してほしいんです」  被害者の遺族が闇に葬られた事件の真相を知る関係者たちの自宅を一軒ずつ訪ねて回るというスタイルは、原一男監督の傑作ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』(87)を彷彿させる。『ゆきゆきて、神軍』も日本の歴史的暗部にメスを入れた衝撃的な内容だった。そのことを伝えると、ジョシュア監督は笑いながら首を振った。
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母親はアディのことが心配で堪らない。だが、アディは兄の死の真相を知ることで、自分自身のアイデンティティーを手に入れることになる。
ジョシュア「確かに自宅を訪問して回るというスタイルは同じですね。でも、『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三さんとアディはまったくキャラクターが異なります(笑)。言葉は適切じゃないかもしれないけど、奥崎さんは暴力人間です。奥崎さんは事件の真犯人を暴き出し、みずから罰しようとする。でも、アディは違います。アディは加害者たちを責めるつもりはなく、彼らが兄の死に対して罪悪感を感じているのなら和解するつもりで訪ねて回っていたんです。アディが奥崎さんみたいな攻撃的なキャラクターだったら、僕はきっと映画にはしていなかったでしょうね。『ゆきゆきて、神軍』は歴史の暗部に言及した内容ですが、その点でも違います。『ルック・オブ・サイレンス』は今もインドネシア社会を覆っている現在進行形の問題を扱っており、その解決の糸口を探し出すためのものなんです」  前作『アクト・オブ・キリング』が米国でアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされ、多くの国で注目を集めたことから、インドネシア政府はようやく重い口を開き、虐殺の事実があったことを部分的に認めるようになった。危険な取材を敢行したアディとその家族は、虐殺者たちと一緒に暮らしていた町を離れ、安全な地域に引っ越したそうだ。支援者たちの後押しもあって、念願のメガネ店を近々開くことも決まったという。ドキュメンタリー映画が現実社会を動かすことに成功したわけだ。だが、だからといって安心することはできない。客席で映画を観ている我々も、いつ“沈黙の檻”に閉じ込められるか、虐殺を黙認する立場になるか分からない。すぐにタブーを生み出してしまう日本人はとりわけ気をつけたい。 (文=長野辰次)
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『ルック・オブ・サイレンス』 製作総指揮/エロール・モリス、ヴェルナー・ヘルツォーク、アンドレ・シンガー 製作・監督/ジョシュア・オッペンハイマー 共同監督/匿名 撮影/ラース・スクリー 配給/トランスフォーマー 7月4日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開 (c) Final Cut for Real Aps, Anonymous, Piraya Film AS, and Making Movies Oy 2014 http://www.los-movie.com

児童虐待、学級崩壊、独居老人にどう対処する? 『きみはいい子』の教師が考えた風変わりな宿題

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小学校の教師・岡野(高良健吾)は児童らが直面する家庭の問題に有効な手だてを思いつけない。孤立した子を見守ることが唯一できることだった。
 「先生は怒るのに、もう疲れました。そこで難しい宿題を出すことにします」。小学校の教師である岡野は、授業中に好き勝手にしゃべり、動き回る子どもたちを前にそう宣言する。自分が担当するクラスが学級崩壊してしまい、マジメな生徒まで不登校になってしまった。教師としての自信を失った岡野にとって、この宿題はクラスを再生させるための最後の切り札だった。岡野の出した宿題の内容を知り、子どもたちは口ぐちに「ヘンタ~イ! ヘンタ~イ!」と騒ぎ立てる。学級崩壊、幼児虐待、独居老人……シビアな社会問題を扱った中脇初枝の連作小説集『きみはいい子』が映画化された。池脇千鶴の熱演を引き出した『そこのみにて光輝く』(14)の呉美保監督と脚本家の高田亮が再びタッグを組み、原作が取り上げた難問の数々に向き合っている。  2010年に大阪のマンションで起きた2人の幼い姉弟の餓死事件がきっかけで、小説『きみはいい子』は書き下ろされた。同じひとつの町で起きた出来事が、5つの短編小説として描かれている。映画版では原作の5つのエピソードから「サンタさんの来ない家」「べっぴんさん」「こんにちは、さようなら」の3つを選び出し、ひとつの物語にまとめ上げた。それぞれのエピソードが少しずつ重なり合い、登場人物たちが意外なところで繋がり合うことで、ひとつの町が成り立っていることを浮かび上がらせている。  肉親による幼児虐待を描いた「べっぴんさん」のエピソードは、尾野真千子が一児の母・雅美を演じる。雅美は3歳になる娘・あやねとマンションで暮らし、夫は単身赴任中でめったに帰ってこない。雅美は日々の不安や苛立ちを、娘にぶつけてしまう。ある日、同じマンションに住むママ友・陽子(池脇千鶴)のベビーカーをあやねが倒しそうになった。部屋に帰って、母子2人きりになると、雅美は娘の襟首をつかみ、床に放り投げ、ビンタの嵐を見舞う。尾野の演技が迫真なだけに、異様に恐ろしい。『愛を乞う人』(98)の原田美枝子とタメを張る怖さだ。アザができるほど娘のあやねを折檻した雅美は、その直後に自己嫌悪に陥り、トイレに篭って泣く。雅美も子どもの頃に母親から折檻されて育った。母親のことを憎んでいたのに、自分が母親になったら同じことを繰り返してしまう。雅美の泣き声を聞いたあやねが、トイレのドア越しに「ママ、ママ」と呼び掛けてくる。小さな彼女は母親が自分を置いてどこかに消えてしまうのではないかと不安で堪らないのだ。いい母親になろうと思えば思うほど、雅美はより追い詰められていく。
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雅美(尾野真千子)は母親から折檻されて育った。自分の娘が泣き出すと、「うるさい!」と怒鳴り、つい手が出てしまう。
 学級崩壊とネグレクト問題を扱った「サンタさんの来ない家」の主人公・岡野(高良健吾)は、小学校に勤める新人教師だ。平凡だが、温かい家庭で育った岡野は、安定した職業として教職を選んだ。高良健吾の代表作『横道世之介』(13)のお調子者・世之介みたいに気のいい男だが、どこか社会に対してまだ甘えがある。4年生のクラスを任され、それなりにやる気のあった岡野だが、学校の決まり事や親からのクレームにがんじがらめにされ、ヘトヘトになる。男女差別に繋がるから、生徒は男子も女子も“さん”づけで呼ばなくてはならない。“くん”づけで呼ぶと、学年主任から注意される。子どもに話し掛けるときは、怖がらせないようにしゃがみこんで、子どもと同じ目線で話すよう指導される。生徒に声を掛けるだけで、ひどく神経をすり減らしてしまう。授業中におしっこを漏らした生徒がいたので、大急ぎで床を拭いた。親から感謝されるかと思ったら、「先生を怖がって、おしっこを我慢したせいだ」と逆に責められた。岡野がルールやクレームに縛られていることを子どもたちはすぐに見抜き、授業中は私語が絶えず、「トイレに行く」と言って教室を抜け出す子どもたちが増える。イジメも目立つようになってきた。もう岡野の手には負えない、学級崩壊だった。  だが岡野は、学級崩壊よりも恐ろしい事実に気がつく。クラスでいつもポツンとひとりでいる男子生徒の神田さんは、なぜか土日も学校に来ている。よほど学校が好きなのかと思っていたが、そうではなかった。神田さんは給食をよくお代わりして食べていたが、それは親から食事を与えられていなかったからだった。給食費も滞納しており、親を呼び出そうとしても仕事が忙しいことを理由に姿を見せようとしない。フツーの家庭で育った岡野にとって、親から食事を与えられない子どもが目の前にいるという事実はショックだった。心配した岡野が神田さんを連れて自宅アパートを訪ねると、パチンコ屋に通う義父(松嶋亮太)から「家庭の問題に口を出すな」と追い返されてしまう。岡野は自分の無力さがホトホト嫌になる。  岡野が教壇に立っても、子どもたちはいつものように落ち着きがなく、騒いだままだった。そこで岡野は風変わりな宿題を出すことにした。それは「今日、家に帰ったら、家族の誰かにぎゅっとしてもらうこと」というものだった。子どもたちはざわつき、「ヘンタ~イ! ヘンタ~イ!」と囃し立てる。だが、刮目すべきは翌日の教室のシーンだ。このシーンは、手持ちカメラによるドキュメンタリータッチでの撮影となっている。高良の出演パートは順撮りで行なわれ、教師役を演じた高良とロケ地となった北海道小樽市に暮らす児童たちとのやりとりを自然な形でカメラに収めている。前日、高良から宿題を言い渡された子どもたちの表情を、カメラは一人ひとり映し出していく。「ぎゅっとされて、どんな気持ちになった?」と高良に尋ねられ、子どもたちは「不思議な気持ちがした」「温かかった」「赤ちゃんのときみたいだった」「安心した」とそれぞれ脚本にはない自分の言葉で答える。子どもたちは照れながらも、うれしそうな素の表情を浮かべる。それまでにはなかった活気と明るさで教室は覆われていた。
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学級崩壊してしまった岡野のクラス。一人ひとりは“いい子”のはずなのに、集団化するとグレムリンのように手に負えなくなってしまう。
 岡野のクラスの子どもたちのほとんどは幸せだ。家に帰れば、ぎゅっと抱きしめてくれる家族がいる。でも中には給食だけを楽しみにしている神田くんのように、ぎゅっとしてくれる家族がいない人もいる。家に帰ってもぎゅっとしてくれる家族がいない場合は、大人も含めてどうすればいいのか。すっかり流行らなくなったがベルマークを集めるように、家族ではない誰かから優しくされたり、親切にされた思い出を少しずつ貯めていくしかない。ひとつひとつは些細なことでも、小さな善意や親切心が胸いっぱいに貯まるころには、サイアクな状況を脱することができるはずだ。「こんにちは、さようなら」のエピソードでは、認知症が始まった独居老人・あきこ(喜多道枝)と発達障害を抱えた少年・弘也(加部亜門)との交流が描かれる。あきこと弘也は血縁関係で結ばれているわけではなく、登下校時に弘也が家の前を掃除するあきこに「こんにちは、さようなら」とあいさつをするだけの関係だ。クモの糸のようにとても細い繋がりだが、ひとり暮らしの長いあきこにとっては大きな支えとなる。家族でなくてもいい、恋人でなくてもいい。誰かに優しく接してもらった温かい記憶があれば、人間はそこそこ生きていけるのではないだろうか。 (文=長野辰次)
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『きみはいい子』 原作/中脇初枝 脚本/高田亮 監督/呉美保 出演/高良健吾、尾野真千子、池脇千鶴、高橋和也、喜多道枝、黒川芽以、内田慈、松嶋亮太、加部亜門、富田靖子 配給/アークエンタテイメント 6月27日(土)よりテアトル新宿、丸の内TOEI、立川シネマシティほか全国ロードショー  (c)2015「きみはいい子」製作委員会 http://iiko-movie.com

人気俳優もスタッフもみんなリストラの対象に!? 映画界の今後を大胆予測『コングレス未来学会議』

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ハリウッド女優のロビン(ロビン・ライト)は全身をスキャンして、永遠に年をとらないCGキャラクター女優としての道を選ぶことに。
 デジタル化が進み、映画産業の光景は大きく変わった。フィルム上映にこだわった街の映画館は次々と姿を消し、新しくできた巨大シネマコンプレックスに人々は吸い込まれていく。小さな映写室から上映を見守ってきた映写技師たちの多くも仕事を失った。フィルム撮影からデジタル撮影に変わったことで、製作現場でも大勢のスタッフが変革の波に呑まれた。当然ながら、俳優たちも無傷ではいられない。CGキャラクターが大活躍するジェームズ・キャメロン監督のSF大作『アバター』(09)を観た人は、「生身の俳優じゃなくても充分面白いじゃないか」と感じたのではないか。モーションキャプチャーが普及すれば、イケメン俳優の価値はなくなってしまう。「Hulu」のCMのように故人をCGで蘇らせることも可能だ。これから映画産業はどうなっていくのか? そして、映画という娯楽を享受してきた我々の生活もどう変化していくのか? アリ・フォルマン監督の『コングレス未来学会議』は、映画産業の20年後、40年後を大胆に予測してみせる。  イスラエル出身のアル・フォルマン監督は前作『戦場でワルツを』(08)で自分が軍役時代に遭遇したレバノン内戦の悲惨な記憶をアニメーションとして再現してみせた。『惑星ソラリス』(72)の原作者として有名な作家スタニスクフ・レムが1971年に発表したSF小説『泰平ヨンの未来学会議』で描かれた未来社会を、フォルマン監督は再びアニメーションとして映像化してみせる。『戦場でワルツを』はモノトーンな色調のアニメーションだったが、本作では今敏監督の『パプリカ』(06)を思わせる極彩色の夢の未来社会を登場させる。フライシャー兄弟の『ベティ・ブープ』を彷彿させる懐かしくかわいらしい絵柄のアニメーションだが、描かれる世界は強烈なトリップ感をもたらす過激なものになっている。  『戦場でワルツを』がフォルマン監督の自伝だったように、本作は主演女優ロビン・ライトのセミドキュメンタリーとして物語が始まる。ロビン・ライトはロブ・ライナー監督の『プリンセス・ブライド・ストーリー』(87)で映画デビューを果たし、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)の怒濤の生涯を送るヒロイン・ジェニー役で注目を集めたハリウッド女優。テキサス生まれらしい芯の強さを感じさせる彼女は大女優になることを期待されていたが、ハリウッドの問題児ショーン・ペンと交際、結婚、そして出産し、女優としての活動はペースダウンしていく。その後ショーン・ペンとは離婚するが、ドキュメンタリー映画『デブラ・ウィンガーを探して』(02)でロザンナ・アークエットが「40歳を過ぎた女優には、それまでのキャリアに見合った仕事は来なくなる」と主張したように、もう若くはないロビン・ライトも女優としてのターニングポイントに立たされる。と、ここまでがロビン・ライトの実話。そんなロビン(ロビン・ライト)は長年付き添ってきたマネージャーのアル(ハーヴェイ・カイテル)からリストラを勧告されることに。
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息子の主治医に『トゥルーマン・ショー』(98)のポール・ジアマッティ、マネージャーにハーヴェイ・カイテルら実力派俳優が起用されている。
 男選びに失敗し、わがままで撮影をドタキャンした過去を今さらマネージャーのアルから蒸し返されるライト。でも、子どもたちの将来を考えたら、まだまだお金は必要だし、人生経験を積んだ分、もっといい演技ができる自信がある。40歳を過ぎた今でも、充分若々しく映るはずだ。焦るロビンに、ハリウッドから最後の契約が舞い込む。それは、これまで以上に高額の契約料だった。ただし、これは1本の映画への出演料ではなく、ロビンの全身をスキャンしてCGキャラクター化するという内容のものだった。肖像権を丸々映画会社に売り渡すことになる。『マトリックス』(99)のキアヌ・リーブスはすでに契約済みらしい。映画会社のCEOであるジェフ(ダニー・ヒューストン)は躊躇するロビンをこう諭す。「これからは嫌な男優とのキスシーンやベッドシーンにもう悩まなくていい。余った時間は自分が好きなように過ごせばいいんだ」と。息子アーロン(コディ・スミット=マクフィー)が難病を患っていることから、ロビンは渋々ながらこの契約書にサインする。息子の心配もあったが、いつまでも年をとらない若々しい自分の姿がスクリーンで輝き続けるという誘惑に、女優であり、ひとりの女であるロビンは抗えなかったのだ。  全身をスキャンしてもらうためにロビンが撮影スタジオを訪ねると、かつての映画業界ならではの賑やかさはすっかり消えていた。静寂さがスタジオを支配し、人の気配がまるでしない。これからの映画製作に必要なのはコンピューターを操作するオペレーターだけで、個性的な才能や職人的技術を誇ったスタッフのほとんどはお払い箱になっていた。俳優たちもこのCGキャラクター化の波に乗りそびれれば、淘汰されていくだろう。3Dスキャン用のブースでロビンは精一杯笑ってみせるが、その笑顔にはどこかもの哀しさが感じられた。  この後、物語は20年が経過し、ロビンがCGキャラクターの契約を延長するかどうかの決断を映画会社に伝えるべく、映画会社が指定したホテルへと向かうシークエンスへと一気に飛ぶ。ここから先は、ロビンにとっても我々観客にとっても驚愕の映像世界が待ち受けている。ロビンが向かったホテルのあるアブラハマシティは“アニメ専用地域”となっており、街全体がアニメーション化され、その街で暮らす人たちはみんな自分が好きなアニメキャラクターとなって過ごしていたのだ。ロビンも受付で薬を渡され、薬がもたらす幻覚効果によってアニメキャラクターへと変身する。映画会社は映画を製作・配給するものづくりの会社から、人々に現実世界を忘れさせる映像的快楽を提供する製薬会社へと変貌を遂げていたのだ。愕然とするロビンの身の上に、さらに予期せぬ出来事が次々と降り掛かることになる。
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アニメーション化された未来社会。誰もが自分の好きなキャラクターになることができ、老いや身体的障害に悩むことのない夢の楽園だった。
 原作小説では宇宙飛行士だった主人公ヨンが映画女優のロビンになるなど、大きく脚色されている本作。フォルマン監督はこう語っている。 「僕の基本的な考えは、古典を翻訳するなら、原作に囚われることなく、自由になる勇気を持つ必要があるということ。原作にはない新しい次元を見つけたいし、原作では共産主義体制の時代が寓意化されているところがあるけど、そこは現代の生活に見合うように改変しなくちゃいけない。そう考えながら脚本を書いているうちに、原作に書かれた化学薬品による独裁体制は、エンターテメント業界、とくに巨大スタジオが牛耳る映画産業における独裁体制に変わっていったんだ」  幻覚作用によって生み出されたアニメーションの世界で、ロビンは意識を失い、さらに20年の歳月が流れる。浦島太郎状態となったロビンの目には、アニメーション化がさらに進み、実態を失った異様な世界が映っていた。そこは誰もが老いの悩みからも身体的な不自由さや外見的コンプレックスからも解放された極楽浄土だった。見た目は美しいが、中身は空っぽな寒々しい世界だった。でも、それは元々はロビンが息子アーロンの病気を心配して、自分の肖像権を売り渡したことから始まった世界だった。凧揚げが大好きだったアーロンは、今どうしているのか。年老いたロビンは鳥に姿を変え、空をさまよいながら息子の姿を探す。ロビン・ライトが歌う「フォーエバーヤング」が流れる。君がいつまでも若く、そのままでいますように。ボブ・ディランが歌った名曲が、アニメーション化されたカラフルな世界に逆説的に響き渡る。物語の終わりに、ロビンはどんなにデジタル化が進んでも変わらないものを見つける。 (文=長野辰次)
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『コングレス未来学会議』 原作/スタニスクフ・レム『泰平ヨンの未来会議』 監督/アリ・フォルマン 出演/ロビン・ライト、ハーヴェイ・カイテル、ジョン・ハム、ポール・ジアマッティ、コディ・スミット=マクフィー  6月20日(土)より新宿シネマカリテほか全国順次公開 (C)2013 Bridgit Folman Film Gang, Pandora Film, Entre Chien et Loup, Paul Thiltges Distributions, Opus Film, ARP http://www.thecongress-movie.jp/

あの伝説の“暴走狂人”が30年ぶりに帰ってきた!! 破壊神話『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

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トム・ハーディ主演による『マッドマックス 怒りのデス・ロード』。CGは極控えめに、生身のゴツゴツした戦い&カークラッシュが繰り広げられる。
 ジョージ・ミラー監督の『マッドマックス2』(81)を初めて観たときは衝撃的だった。シリーズ第1作『マッドマックス』(79)もカーアクション映画として充分すぎるほど刺激的だったが、製作予算が10倍に増えた『マッドマックス2』は文明滅亡後の荒廃した世界を舞台に、それまで観たことのなかった壮絶なSFアクション大作へと大進化を遂げていた。法律もモラルも存在しなくなった近未来のディストピアを描いた作品として、永井豪が「週刊少年マガジン」「月刊少年マガジン」で1973年~78年に連載したコミック『バイオレンスジャック』がすでに存在したが、永井豪のあの狂気と破壊の世界が実写化されたことへの驚きがあった。主人公マックスが救世主として崇められる『マッドマックス/サンダードーム』(85)でメル・ギブソン主演三部作は完結することになるが、まさか30年ぶりに『マッドマックス』の新作に会えるとは! 「どうせ、前シリーズは越えられないだろう」とタカを括っていたところ、トム・ハーディ主演『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に再び衝撃を喰らうはめになった。  『マッドマックス』シリーズは終末戦争を生き残った人々が水や食料を奪い合う無法の世界だが、そこには不思議な解放感も感じられる。車検まったく無視の改造車やモヒカンヘアの裸のバイカーたちが自分たちの欲望に身を任せ、果てしない荒野を爆走している。『マッドマックス2』に登場した悪の首領・ヒューマンガスはホッケーマスクで顔を隠しているが、マッチョバディにSMっぽいボンテージファッションをまとっている。ヒューマンガスの腹心・赤モヒカンのウェズはバイクの後ろに美形のボーイフレンドを乗せて、いつもラブラブだ。彼らは自分の性癖をまるで隠そうとしない。『マッドマックス』の世界の住人たちは資源がないながらも自由を謳歌していた。永井豪の『バイオレンスジャック』も暴力がはびこる世界を描きながら、文明を失ったことで逆に逞馬竜をはじめとする登場キャラクターたちが目を輝かせていく姿が魅力的だった。永井豪がコミックの世界でイマジネーションを奔放に炸裂させたように、オーストラリア大陸で生まれ育ったジョージ・ミラー監督も自身の映像的イマジネーションを『マッドマックス』の荒野に解き放ってみせた。我々観客はそのイマジネーションの洪水を浴びることが堪らない快感だった。そして30年という歳月を経ても、ジョージ・ミラー監督のイマジネーションはまったく色褪せていなかった。というか、さらに凄いことになっているではないか。  『—怒りのデス・ロード』の内容をひどく乱暴に言ってしまうなら、すべてを失って虚無状態に陥っていたひとりの男が戦いの中で自尊心を取り戻すという物語だ。元警察官のマックス(トム・ハーディ)は愛車インターセプターに乗って荒野をさすらっていたが、武装集団ウォーボーイズに捕獲されてしまう。麿赤兒のように全身白塗りの不気味なウォーボーイズたちは、この土地の資源を独占するイモータン・ジョー(ヒュー・キース=バーン)に仕えていた。警察官という職と家族を失い、さらに愛車と自由まで奪われてしまうマックス。だが健康体であることから、寿命が短いウォーボーイズたちの「輸血袋」としてイモータン・ジョーの砦で辛うじて生存を許される。そんな折、イモータン・ジョーの片腕だった女傑フュリオサ(シャーリーズ・セロン)が、ジョーの性奴隷となっていた若い5人の女性たちをウォータンクに乗せて脱走。フュリオサ追撃隊に、輸血袋であるマックスも連れ出される。『マッドマックス2』の影の主人公タンクローリーをさらにパワーアップさせたウォータンクをめぐり、映画史上空前のカーチェイスが勃発する!!
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ウォータンクを運転する義手の女フュリオサ(シャーリーズ・セロン)とマックスはタッグを結成。死のロードの終着地にユートピアは待っているのか?
 フュリオサが運転するウォータンクとイモータン・ジョーたちを乗せた改造車を中心に、総勢150台もの車やバイクが延々とカーアクション&クラッシュを繰り広げる。マックスの愛車インターセプターはさら過激にチューンアップされ、改造戦車、武装バギーカー&バイク、さらには巨大アンプを搭載し、ギタリストが生演奏を鳴り響かせる異様なトラック「ドゥーフ・ワゴン」まで登場! これはもう、モーター社会が生み出した改造車たちの百鬼夜行といっていい(昼だけど)。原型をとどめぬ姿となった車たちの暴走する魂と魂が激しく火花を散らし合う。そんな戦いの中で、本能だけで生きながらえていたマックスはイモータン・ジョーを憎むフュリオサと共闘することに。次第に2人は男女の仲を越えた友情、いや友情よりも固い同士愛で結ばれていく。さらにウォーボーイズのはぐれ者・ニュークス(ニコラス・ホルト)が加わり、マックスたちは自由と自尊心を取り戻す戦いにトップギア全開で挑むのだった。  『—怒りのデス・ロード』がクランクインするまで、長い長い道のりだった。前シリーズ三部作を終えたジョージ・ミラー監督は『ベイブ』(95)や『ハッピーフィート』(06)といったほのぼの動物映画で余生を過ごす好々爺になってしまったと思い込んでいたのは大間違いだった。さらに壮大なスケールの新シリーズを始動させるチャンスを虎視眈々と狙っていたのだ。恐るべし70歳! 今世紀に入ってメル・ギブソンを再び起用した新作の製作に着手するも、9.11同時多発テロからイラク戦争へと続く国際的な世情不安からプロジェクトは中断に。この間にメル・ギブソンは降板。豪州出身のヒース・レジャーが候補に浮上するも、ヒースは2008年に急逝。『ダークナイト ライジング』(12)の悪役ベインに決まっていたトム・ハーディを新マックスに抜擢し、2011年に豪州での撮影を予定していたが、今度は歴史的な大雨によって荒野が緑化してしまい、再び中断。2012年にアフリカのナミブ砂漠にロケ地を変更することでようやく撮影に漕ぎ着いた。アレハンドロ・ホドロフスキー監督の『DUNE』のように幻の企画として終わっていてもおかしくなかったが、ジョージ・ミラー監督は諦めなかった。過去の栄光を懐かしみながら生きることを良しとしなかった。10か月にわたる不毛の砂漠でのロケ撮影を経て、ついに新作は完成。不屈の闘志を持つジョージ・ミラー監督は、マッドマックス本人に他ならない。
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恐怖と暴力で荒野を支配するイモータン・ジョー(ヒュー・キース=バーン)。鎧を着た武者のような出立ちは、どこかスラムキングを彷彿させる。
 『-怒りのデス・ロード』には、とても美しいキスシーンがある。マックスとフュリオサは男女の仲を越えた同士ゆえに、そんな甘い関係には陥らない。イモータン・ジョー率いる改造車の大群とウォータンクとのデッドヒートの真っ最中に、V8エンジンを偏愛するニュークス、それに続いてマックスは走行中のウォータンクのボンネットへにじり寄り、スーパーチャージャーの吸気口に口移しでガソリンを吹き込む。ニュークスとマックスの熱い想いに応えて、ウォータンクはエンジン音のうなり声を響かせる。映画の世界は様々な甘く官能的なキスシーンを描いてきたが、こんなにも熱く刺激的なキスは他には思い当たらない。ジョージ・ミラー監督が生み出した『マッドマックス』という狂気の世界に、監督の分身であるマックスたちが口移しで精気を吹き込んだ瞬間である。 (文=長野辰次)
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『マッドマックス 怒りのデス・ロード』 製作・監督/ジョージ・ミラー 脚本/ジョージ・ミラー、ブレンダン・マッカーシー、ニコ・ラソウリス 美術監督/コリン・ギブソン 出演/トム・ハーディ、シャーリーズ・セロン、ニコラス・ホルト、ヒュー・キース=バーン、ゾーイ・クラビッツ、ロージー・ハンティントン=ホワイトリー、ライリー・キーオ、アビー・リー、コートニー・イートン 配給/ワーナー・ブラザーズ映画 R15 6月20日(土)より全国ロードショー  (c)2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI)LIMITED http://www.madmax-movie.jp

喪失感を抱えた美しきユートピア『海街diary』食卓に並ぶ家庭料理に溶け込んだ家族との思い出

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綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずが姉妹を演じた『海街diary』。是枝裕和監督らしい、喪失感が漂う静謐な作品となっている。
 一見すると、海辺のその街はとても静かで、自然とうまく調和しており、そこで暮らす人たちはみんな親切で優しい。事件らしい事件は起きず、四季に彩られた1年間がゆったりと過ぎていく。人気漫画家・吉田秋生の同名コミックを、是枝裕和監督が映画化した『海街diary』は美しい四姉妹が暮らすユートピアの物語だ。姉妹はお互いをいたわり合うが、よく見ると彼女たちの足元には埋めがたい喪失感が流れていることに気づく。喪失感を抱えている者同士ゆえに、彼女たちは結びついていることが分かる。  『海街diary』は是枝監督の代表作『誰も知らない』(04)と同様に、親から捨てられた子どもたちが主人公だ。1988年に発覚した巣鴨子供置き去り事件を題材にした『誰も知らない』では母親(YOU)が出ていった後の一家を、長男(柳楽優弥)と長女(北浦愛)が父親・母親代わりになって幼い兄妹の面倒を看た。『海街diary』では姉妹の長女である幸(綾瀬はるか)が、離婚をきっかけにそれぞれ家を出ていった両親の代わりを務めている。幸は妹たちの世話を焼くことで、“親に捨てられた”という自分自身の心の傷を懸命に塞いでいる。次女の佳乃(長澤まさみ)と三女の千佳(夏帆)はそんな親代わりの幸に甘え、子どもの役を演じ続けている。傍から見ると仲のよい姉妹に映るが、彼女たちは親子の役割を互いに演じることで“家族”というシステムを循環させてきた。いつしかそれが当たり前となり、もはや彼女たちには演じているという意識もない。  家族を演じることでトラウマを克服してきた三姉妹に、新しい家族が増えることになり、久々にさざ波が起きる。中学生のすず(広瀬すず)は15年前に家を出た父親と不倫相手の間に産まれた異母姉妹だ。山形の温泉郷で亡くなった父親の葬儀に参列した三姉妹は、そこで初めてすずに会う。すずは母親も早くに亡くしており、天涯孤独の身となった彼女のことを幸たちは放っておけない。15年前の自分たちを見ているようだった。葬儀中ずっと気丈に振る舞っていたすずに対し、別れ際に幸は「鎌倉に来ない? 一緒に暮らそう」と声を掛ける。劇団「三姉妹」が劇団「四姉妹」として新しい物語を奏で始めることになる。綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆という映画やテレビドラマでの人気と実績を兼ねそろえた女優たちの中に、是枝監督がオーディションで選んだ新人・広瀬すずが溶け込んでいく様子をカメラが追う。ドキュメンタリー出身の是枝監督ならではの手法だろう。また、原作のイメージそのままの古民家が四姉妹を受け入れる舞台として、大きな役割を果たしている。
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新しい妹・すずに地元名物のしらす丼を振る舞う三姉妹。自分たちの好物をすずが受け入れてくれるか、姉たちは気になって仕方ない。
 原作以上に事件らしい事件が起きない是枝版『海街diary』だが、法事シーンが度々登場する。四姉妹の父親の葬儀が原作と同じくオープニングエピソードとなっており、喪失から始まる物語であることが明示されている。父親は不倫相手(すずの母親)と駆け落ちし、それっきり縁が切れてしまっていたので、父親の葬儀に参列しても幸たちは涙が出てこない。泣けないことが余計に辛い。幸たちをかわいがってくれた祖母の法事には、家を出て再婚した母親(大竹しのぶ)が現われる。久々の対面だが、幸と母親はウマが合わず、会うといつも口ゲンカになってしまう。法事の場で、壊れてしまった家族の関係性が改めて露呈することになる。さらに、海街で暮らす人たちにとって重要な人物とのお別れにも姉妹は遭遇する。美しい姉妹たちの成長物語だが、絶えず喪失感が流れ続けている。  喪失感に押し流されてしまわないように、四姉妹はよく食べる。すずが鎌倉に引っ越してきた初日には、ざるそば&揚げたての天ぷら。いつも母親とケンカしてしまう幸だが、幸の得意料理であるシーフードカレーは母親から直伝されたものだ。湘南名物しらす丼にすずにとっての思い出の味である「しらすトースト」。海猫亭で食べるアジフライもうまそう。様々な家庭料理が次々と食卓に並ぶ。数多くの料理の中でも、長女と次女の影に隠れがちな三女の千佳がこっそり作る「ちくわカレー」はとりわけ味わい深い。千佳がまだ幼い頃に父も母も家を出ていったため、千佳にとって唯一の肉親は亡くなった祖母だった。すでに年頃になっていた幸と佳乃は、祖母が作る「ちくわカレー」をビンボーくさいと嫌ったが、千佳にとっては「ちくわカレー」こそがいちばん家族の温かさを感じさせるメニューだった。幸と佳乃が留守のときを見計らって、千佳は輪切りにしたちくわを煮込んだ特製カレーを新しい妹・すずに食べさせる。慣れない食感にビミョーな顔をするすずだったが、新しい家族に「ちくわカレー」の味を知ってもらい、千佳は満足する。いつもヘラヘラして能天気そうな千佳だが、実は四姉妹の中で誰よりも家族との繋がりを欲している淋しがり屋であることが浮かび上がる。カレーにまみれたちくわのように、千佳の心の中も空虚だった。千佳が作る「ちくわカレー」はちょっとマヌケで、少しせつない味付けだった。  姉妹たちが暮らす古い一軒家に加え、近所の定食屋・海猫亭も重要な舞台だ。海街においてこの気取りのない小さな定食屋は、大切なコミュニティスポットとして機能している。この店に行けば、いつでも店主の二ノ宮さん(風吹ジュン)が元気な笑顔で迎え入れてくれる。すずのような新参者も歓迎してくれる。二ノ宮さんが経営する海猫亭があるからこそ、海街はユートピアになりえているといっていい。是枝監督は『歩いても 歩いても』(08)や『そして父になる』(13)で父子というタテの関係を見つめ直してきたが、『海街diary』では姉妹というヨコの関係性、そして姉妹が暮らす海街というコミュニティへと視野を広げている点も興味深い。
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海猫亭の二ノ宮さん(風吹ジュン)と山猫亭のマスター(リリー・フランキー)。どちらの店も海街の人たちには欠かせない憩いの場だ。
 『海街diary』を観ていて、小津安二郎監督の『東京物語』(53)を彷彿する人も少なくないはずだ。『東京物語』は長きにわたって日本社会の基盤だった家族制度が戦後の復興と入れ替わるように崩壊してしまったことを描いていたが、是枝監督は『東京物語』と同じような静謐なドラマ『海街diary』で柔軟性のある新しい家族像と周囲からそれを支えるコミュニティの重要性を提示している。また、『東京物語』に戦争の影が差し込んでいたように、『海街diary』にも大きな影を感じさせる。原作の連載がスタートしたのは2006年だが、喪失感を抱えた人々が寄り添うように暮らしている海街の光景は、この映画が3.11後に作られた作品であることを観る者に意識させる。是枝監督は原作の第1巻が発売された2007年に映画化を思い立ったそうだが、然るべきタイミングでの公開になったのではないか。  四姉妹がこれからどうなっていくのかは定かではない。いつまで古い一軒家でユートピアのような暮らしを続けられるかも分からない。多分、数年後には四姉妹のうち、誰かが抜けることになるだろう。それでも彼女たちは、ちくわカレーやしらすトーストといった家庭料理を口にする度に、自分が一緒に過ごした家族のことを思い出さずにはいられない。そして彼女たちは新しく見つけた自分の家族に、思い出のメニューを振る舞うはずだ。そのとき新しい家族はどんな表情で、そのメニューを口に運ぶだろうか。喪失感は癒されるだろうか。 (文=長野辰次)
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『海街diary』 原作/吉田秋生 監督・脚本・編集/是枝裕和 音楽/菅野よう子 撮影/瀧本幹也 出演/綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず、大竹しのぶ、堤真一、加瀬亮、風吹ジュン、リリー・フランキー、前田旺志郎、鈴木亮平、池田貴史、坂口健太郎  配給/東宝、ギャガ 6月13日(土)より全国ロードショー  (c)2015吉田秋生・小学館/フジテレビジョン 小学館 東宝 ギャガ http://umimachi.gaga.ne.jp

石井岳龍と染谷将太のインディーズ魂が大爆裂!! 鼓膜と脳天を直撃する轟音上映『ソレダケ that’s it』

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ストリートを疾走する大黒(染谷将太)。自分の背中におぶさった生い立ちや運のなさを振り払うかのように走り続ける。
 染谷将太はいつも眠そうな顔をしている。映画界で引っ張りだこの若手俳優なのに、退屈な日常に辟易したような表情でスクリーンの中に佇んでいる。ハリウッドのスター俳優でありながら、『狩人の夜』(55)や『恐怖の岬』(62)などのカルト作で奇妙な役を度々演じたロバート・ミッチャムの愛称が“スリーピング・アイ”だったことを思い出させる。そんな眠たげな染谷将太が、石井岳龍監督の『ソレダケ that’s it』では覚醒を迫られることに。かつて石井聰亙と呼ばれ、『狂い咲きサンダーロード』(80)『爆裂都市 BURST CITY』(82)『ELECTRIC DRAGON 80000V』(01)といったパンクでアナーキーな映画を生み出してきた石井岳龍の現場で、これまで見せたことのないハイボルテージな男に変貌を遂げた。  石井岳龍と染谷将太は『生きているものはいないのか』(12)ですでにタッグを経験済みだが、『生きているものはいないのか』は人類滅亡をシュールかつブラックに描いたオフビートなコメディだったのに対し、『ソレダケ』は“生きる”ことへの猛烈な渇望がドストレートに描かれる。泳ぎ続けないと死んでしまうサメのように、染谷将太は劇中ずっと走り続けるか戦い続ける。アドレナリンを噴出しっぱなしで、眠そうにしている余裕がまるでない。石井岳龍、染谷将太という邦画界の逸材同士に強烈な化学反応をもたらしたのが、全編に流れるbloodthirsty butchersの爆音サウンドだ。2013年5月に急逝した吉村秀樹率いるbloodthirsty butchers(以下ブッチャーズ)はメジャーでのヒット曲こそなかったが、四半世紀にわたってライブシーンを熱くしてきた伝説のハードコアバンド。ブッチャーズの放つ攻撃的で重厚なサウンドが、石井岳龍を、染谷将太を、そして観客をも覚醒させる。  物語はモノトーンな色彩で始まる。現代社会なのか、ディストピア化が進んだパラレルワールドなのかよく分からない世界で、大黒(染谷将太)は路地をがむしゃらに走る。裏社会の調達屋・恵比寿(渋川清彦)がロッカーに隠していたハードディスクを盗み出し、鬼の形相の恵比寿から追われているからだ。ディスクの中には家出人やホームレス、破産者たちの戸籍情報がたっぷり入っている。裏社会では戸籍などの個人情報が売買され、戸籍を失った人間はユーレイとして生きながらえなくてはいけない。大黒もその昔、実の父親から虐待されまくった挙げ句に戸籍を売り飛ばされた。戸籍というIDを失った大黒は、定職に就くことも死ぬことすらもできない。裏社会で野良犬のようにして生きてきた。
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ドン底の下流社会で出会った大黒と阿弥(水野絵梨奈)。2人は現代のボニー&クライドとして逆襲の狼煙を上げることに。
 追っ手から逃れる中で、大黒は自分と同じような境遇の裏風俗嬢・阿弥(水野絵梨奈)と出会う。大黒と阿弥はお互いを罵り合いながらも、共にドン底の状況から脱出することを夢想する。阿弥は裏社会で女たちを束ねる女衒的存在の猪神(村上淳)の庇護を求めようとするが、それではダメだ。裏社会を牛耳るギャングの大ボス・千手(綾野剛)の支配下に猪神も恵比寿も置かれている。ドン底から這い上がるためには、元凶である極悪非道の男・千手を倒すしかない。  死んだように生きながらえることよりも、死ぬ気で生きることを大黒は選択する。ただ逃げ回っていた前半はモノトーンだった世界に色彩が宿る。「逃げない自分になることで、違う未来を手に入れる」という大黒の決意に阿弥も同調する。そしてクライマックス、武装した大黒と阿弥は千手のアジトへと殴り込む。コルト・ガバメントをガムテープでぐるぐると右手に巻き付ける大黒。阿弥は『007』のジェームズ・ボンドが愛用するワルサーPPK。2人とも死んでも戦い抜く覚悟だ。高倉健は『昭和残侠伝』シリーズで池部良と共にケジメをつけるため、敵対するヤクザ一家に乗り込んだ。“スリーピング・アイ”ロバート・ミッチャムも『ザ・ヤクザ』(74)で高倉健と共闘し、愛する女の弔い合戦に向かった。若松孝二監督の『われに撃つ用意あり』(90)では、原田芳雄と桃井かおりが封印していた情熱と自尊心を取り戻すためにカチこんだ。命を預け合ったもの同士が、虎穴へと押し入っていく。  このときの大黒と阿弥は男と女ではなく、生きるために戦う2匹の野獣となる。2匹の野獣は天に向かって咆哮する。ブッチャーズのサウンドが石井岳龍のインディーズ魂に火を点け、その火の熱さがメラメラと染谷将太、さらに水野絵梨奈へと燃え移る。こんなにも熱く、火傷してしまいそうな映像に出会うことはそうそうない。視覚と聴覚だけでなく、床の振動や空気の音圧も感じ、観ている我々の肌もざわざわと粟立つ。
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主演作『新宿スワン』の公開が週末に控えている綾野剛。拷問マニアであるサディスト・千手役を実に楽しそうに演じる。
 もともとはブッチャーズの吉村が発表前の新しいアルバム(2013年リリースの名盤『youth』)と拮抗する形のロック映画を作ってほしいと、石井監督に持ち掛けたことが本作の発端だった。吉村の熱意に突き動かされた石井監督が撮影準備を整えた矢先、2013年5月27日に吉村は急性心不全でこの世を去る。享年46歳だった。一度は流れた企画だったが、吉村が残したブッチャーズの音源の熱さに引き寄せられるようにスタッフ&キャストが再結集し、“死んでも負けない人間”の物語として蘇った。各劇場には「3chバズーカ音響」を配し、爆音上映として公開される。公開初日は、吉村の命日である5月27日が選ばれた。死ぬまでパンク、死んでもパンク、蘇ってもパンク! 眠気や厭世観を根こそぎ吹き飛ばす、大轟音上映がいま始まる!! (文=長野辰次)
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『ソレダケ that’s it』 監督/石井岳龍 楽曲/Bloodthirsty butchers 出演/染谷将太、水野絵梨奈、渋川清彦、村上淳、綾野剛 配給/ライブ・ビューイング・ジャパン 5月27日(水)より新宿シネマートほか全国順次公開 (c )2015 soredake film partners. All Rights Reserved. http://soredake.jp

不幸のスパイラル少年と究極ニートオヤジが激突!?『天才バカヴォン 蘇るフランダースの犬』

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“幻の国”満州国で生まれ育った赤塚不二夫の分身キャラクターであるバカボンのパパ。劇場版アニメの主人公として、ポリティカルサスペンスに挑む。
 号泣アニメとして日本人の心に刻まれている『フランダースの犬』とギャグ漫画の金字塔である『天才バカボン』をコラボレートさせてしまった無茶ぶり劇場アニメ『天才バカヴォン 蘇るフランダースの犬』。両作品のファンを挑発するかのような、こんな非常識な企画を考えたのはフラッシュアニメ『秘密結社 鷹の爪』シリーズで知られるFROGMANだ。かつて「東映まんがまつり」にて『マジンガーZ対デビルマン』(73)なる劇場版ならではの珍コラボが存在したが、マジンガーZもデビルマンも永井豪原作で、東映アニメのキャラクターだったから実現可能だった。『母をたずねて三千里』や『赤毛のアン』と並ぶ「世界名作劇場」の人気作と、アナーキーな笑いを満載した赤塚不二夫ワールドが融合できるのか? なかば怖いもの見たさで、劇場に足を運ぶことになる。   赤塚不二夫生誕80周年企画として始まった『天才バカヴォン』。脚本&監督をつとめることになったFROGMANは、バカボンのパパの競演相手としてハリウッドの誇る超大物キャラクターであるエイリアンやプレデターに出演オファーしたそうだが、あえなくハリウッド側から却下されてしまった。バカボンのパパの競演相手として、もっとありえないキャラはいないのか。そこでFROGMANが思い浮かんだのが、「パトラッシュ……、疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ……」という言葉を残して非業の死を遂げた少年ネロと忠犬パトラッシュだった。折しも『フランダースの犬』もアニメ放映から40年というメモリアルイヤー。日本アニメーションがOKし、今回の異色対決が実現した。モハメド・アリとアントニオ猪木の異種格闘技戦のように展開がまるで読めない。  1967年から「少年マガジン」にて連載が始まった『天才バカボン』には謎が多い。バカボンの名前の由来はバカボンド(放浪者)から、いやサンスクリット語のバガボン(世界でもっとも尊い人)からなど諸説があるが、どれが本当なのか。バカボンのパパは働いていないが、バカボン一家はどうやって食べているのか。そもそもバカボンのパパの鼻の下に生えているのは長い鼻毛なのか、それともバーコード状のチョビ髭なのか。多くの謎を抱えながらもバカボンのパパ(声:FROGMAN)は息子のバカボン(声:犬山イヌコ)ら家族と共に陽気に暮らしている。だが、バカボン家の謎に執拗にこだわる人間がいた。悪の秘密結社インテリペリの総帥ダンテ(声:村井國夫)は、森羅万象のすべてを予測できる万能コンピューター・オメガを完成させるが、オメガを起動させるためにはこの世界のすべてのデータを入力しなくてはならない。そのためには『天才バカボン』最大の謎である“バカボンのパパの本名”を知る必要があった。そこでダンテがバカボン家への秘密工作員として地獄から召還したのがネロとパトラッシュ。絵画コンクールで一等賞になって画家になるという夢を叶えることなくルーベンスの名画の前で凍死したネロ(声:瀧本美織)とパトラッシュ(声:FROGMANの愛犬)は、地獄の炎に焼かれながら人間社会への復讐のチャンスを待っていたのだった。
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絵画コンクールに落選し、失意のうちに亡くなったネロとパトラッシュ。悪の総帥ダンテによって、地獄から呼び戻された。
 過去のアニメ版では植木職人だったこともあるバカボンのパパだが、今回は完全なる無職。それでも、バカボンのパパは毎日楽しそうに悪ふざけしながら「これでいいのだ」と自分の置かれた状況を全肯定しながら暮らしている。オプチミストとしてのバカボンのパパを、バカボンもママもハジメちゃんも愛してやまない。バカボンの小学校に転校してきたネロとパトラッシュは、底抜けに明るいバカボン一家と接触していくうちに、風車小屋の放火犯と疑われ、牛乳運びの仕事さえ奪われたこの世の恨みつらみが次第に氷解していく。無職のバカボンのパパも、人を疑うことを知らないバカボンも、そして19世紀のベルギーの寒村からやってきたネロとパトラッシュも、「東から昇るお日様を西から昇らせる」ことに夢中になっていく。頭で考えればそんなことは不可能だと分かるのに、バカボンのパパはそれを良しとしない。バカボンのパパは誰も考えもしなかったことに全身全霊を傾ける。そこには「有名になりたい」とか「お金がほしい」といった邪念はまったくなく、100%のバカバカしさをバカボンのパパは追求する。そんなパパと一緒になってバカをやるのが、バカボンもネロもパトラッシュも堪らなく楽しい。  バカボンのパパは定職に就いてないけど、毎日バカ笑いしながら暮らしている。一方、ネロは身寄りもなく、仕事も家も失い、絵の才能を開花させられず、不幸のスパイラルを断ち切れないまま孤独死してしまった。バカボンのパパも真逆のキャラクターであるネロも、どちらもFROGMANのもうひとつの顔だろう。菅野美穂主演の自衛隊コメディ『守ってあげたい!』(00)など実写映画の製作スタッフとして若き日を東京で過ごしていたFROGMANだが、邦画業界の薄給かつ超ハードスケジュールに耐えられず、奥さんの故郷である島根県に移住。月3万円の平屋で、たまにくる町内イベントの撮影などの仕事を請け負い、年収60万円(奥さんのパート代と合わせて年収160万円)という清貧ライフを送っていた。お金はないけど時間はある生活の中で、FROGMANはバカボンのパパみたいな無職一家のサバイバル物語をフラッシュアニメ『菅井君と家族石』にしてネットで配信した。この自主アニメが世間に評価されていなかったら、劇中のネロのように社会への憎悪の炎を燃やすことになっていたのではないか。FROGMANにとってバカボンのパパは理想の大人像であり、世間に認められることなくその短い生涯を終えたネロは自分がそうなっていたかもしれない、他人とは思えない存在だった。  バカボンのパパの能天気さ、バカボンの純朴さ、ママとハジメちゃんの優しさに触れ、ネロとパトラッシュは久しぶりに人間の温かさを思い出す。だが、現実社会がそんなに包容力のある人たちばかりではないのもまた事実。ネロが名作アニメ『フランダースの犬』からやってきた他所ものであることを、イジメっ子の西河内(声:濱田岳)たちに責められ、ネロの怒りがホラー映画『キャリー』(76)のようにバクハツする。人間が抱く想念のエネルギーはものすごい。鬼神と化したネロと犬神パトラッシュは首都圏をたちまち火の海にしてしまう。街中がパニック状態に陥る中、ひとりだけ平然としている男がいた。そう、世間の常識にいっさい縛られることのないバカボンのパパである。ママの心配をよそに、バカボンのパパとバカボンは、ネロを影で操るダンテのアジトへと向かう。このときのパパの台詞が痺れるほどかっこいい。 「バカがバカでいられる間は、この世は大丈夫なのだ」
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バカボンのパパの悪戯のせいで、テロ騒ぎが勃発。悪の秘密結社が動き出す前に、バカボンのパパはかなりヒドいことをやらかします。
 この世界が常識人ばかりだったら、笑いという概念はとっくの昔に消滅していただろう。今よりもっと息苦しい社会になっていたに違いない。でも、この世界にはバカボンのパパがいる。バカボンのパパがフルスイングな大バカをやらかす限り、地上から幸せの灯りが消えることは決してないのだ。 (文=長野辰次)
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『天才バカヴォン 蘇るフランダースの犬』 監督・脚本/FROGMAN 主題歌/クレイジーケンバンド「パパの子守唄」 出演/FROGMAN、瀧本美織、濱田岳、犬山イヌコ、岩田光央、上野アサ、澪乃せいら、FROGMANの愛犬、秋本帆華(チームしゃちほこ)、上島竜兵、村井國夫 配給/東映 5月23日(土)より新宿バルト9ほか全国ロードショー  (c)天才バカヴォン製作委員会 http://bakavon.com

人工知能搭載ロボットに生存権は認められるか? サイバーパンクなホームドラマ『チャッピー』

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日本ではPG12での公開となる『チャッピー』。スラム街で生きるロボット・チャッピーの体験学習は日本のティーンたちの目にどう映る?
 パッと見、ロボットのチャッピーはあまりかわいくない。元々、廃棄処分になっていたロボットに人工知能ソフトをインストールしたもので、生まれて間もないのに中古感が漂う。『機動警察パトレイバー』のイングラムみたいにウサ耳型センサーがぴょこんと出ているけれど、表情は乏しい。ボディにはセンスの悪い落書きがあちこちに施してある。正直なところ、チャッピーはドラマの主人公としては感情移入しづらいキャラクターだ。でも、そんなチャッピーが自分に残されているバッテリー(=寿命)があと5日間で切れると知って、叫ぶ。「ボクは死にたくない!」と。ロボットの悲痛な叫びに、観ている我々人間の心の中で何かがカチッと動き始める。映画『チャッピー』は人工知能が搭載された一体のロボットの生存権をめぐるSFドラマであり、同時に新しい家族が誕生する過程を追った新感覚のホームドラマでもある。  脚本&監督は、『第9地区』(09)で衝撃的なデビューを飾った南アフリカ出身のニール・ブロムカンプ。『第9地区』はアパルトヘイト問題を人間とエイリアンの関係に置き換えたアイデアが秀逸だった。『チャッピー』も治安の悪さで知られる南アフリカの首都ヨハネスブルグを舞台に、ロボットのチャッピーの目を通して現代社会を鋭く洞察する。時代設定は2016年とすぐそこ。明日、起きてもおかしくない出来事が描かれている。  人間の創造主が誰なのかは曖昧だが、チャッピーの創造主(メーカー)ははっきりしている。兵器製造を手掛ける大企業トテラバール社に勤めるインド系の若い科学者ディオン(デーヴ・バデル)が生みの親だ。ディオンはヨハネスブルグでもさらに犯罪率の高いスラム街をパトロールするロボット警官チームの開発者。死を恐れずに犯罪に立ち向かい、汚職に手を染める心配のないロボット警官は、人材不足に悩む警察庁に大喜びで迎え入れられた。ミッシェル社長(シガニー・ウィーヴァー)に褒められ、ディオンは鼻高々。次は警官ロボットに人工知能を搭載することで、より高度な人間のパートナーにしようとディオンは考える。だが、ミッシェル社長は「ロボットに知能は不必要」と却下。そこでディオンは会社に無断で廃棄ロボットに人工知能をこっそりセットしようとする。
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ギャングに育てられたチャッピーは、首から金ネックレスをじゃらじゃら掛けた不良ロボットと化してしまう。更生させるのは難しそう。
 そんなとき、警官ロボットの戦闘能力の高さに目を付けたギャングのニンジャ&ヨーランディが、ディオンと廃棄ロボットを拉致。ニンジャたちが立ち会う中、人工知能を搭載したチャッピーが誕生する。天馬博士によって作り出された鉄腕アトムが心優しいお茶の水博士によって育てられたように、チャッピーはディオンの手を離れて、ギャング団のアジトで育てられることに。赤ちゃん状態のチャッピーを、女ギャングのヨーランディが目一杯かわいがる。ヨーランディは自分の肉親に求めていた愛情を、代わりに自分が母親になることでチャッピーに注ぐ。一方、強盗稼業をなりわいとするニンジャは、チャッピーに武器の使い方を習得させる。生みの親であるディオンは“ロボット三原則”に基づいて「人間を銃で撃ってはいけない」とチャッピーに教えるが、育ての親となるニンジャはストリートで生きていくためにはタフさが必要だと力説する。「お前のバッテリーはあと5日間しかもたない。代わりのボディを手に入れるために、お前にはやらなくちゃいけないことがある」と。自分が生きることと、モラルを守ることはどちらが大切か? 生まれて間もないチャッピーは、難しい命題をその真新しい頭脳で考えなくてはいけなかった。  人工知能は搭載されているものの、頭の中はまだ真っ白なチャッピーが、ニンジャ&ヨーランディ(南アフリカで人気の夫婦ラッパー)たちと暮らすことでどのように育っていくかが本作の見どころ。モーションキャプチャーを使ってチャッピーを演じたのは、ブロムカンプ作品の常連俳優シャールト・コプリー。チャッピーの好奇心に満ちた幼年期、親の言うことにいちいち「なんで?」「どーして?」と質問で返す少年期、自分は何のために生まれてきたのかに大いに悩む思春期……と繊細に演じ分ける。そしてチャッピーの成長に従い、ニンジャ&ヨーランディも大きく変わっていく。裏社会で生きていくための集団だった彼らだが、チャッピーの世話を焼き、生活を共にするうちに関係性が次第に変容していく。ヨーランディはチャッピーに愛情を注ぐことで母性が芽生え、荒くれもののニンジャでさえ懸命に自分の真似をするチャッピーを見ているうちに父性に目覚めることになる。ただのワルの集まりだったのが、チャッピーを中心にした“家族”という関係性が生じていく。いくつもの配線が繋がってチャッピーが動くように、ニンジャ&ヨーランディもチャッピーとの関係性を重ねることで“家族”として起動することになる。  ロボットながら自意識を持ったチャッピーは、やがて人間社会で迫害されるはめに。中でもディオンとライバル関係にある科学者のヴィンセント(ヒュー・ジャックマン)は重装備ドローンを操作して、チャッピーをこの世から抹消しようとする。ミッシェル社長も人工知能を搭載したロボットは危険だと考えている。だが迫害されることで、チャッピーとニンジャ&ヨーランディはより家族の繋がりを濃くしていく。この輪にディオンも加わり、これまでに見たことのない新しい家族像が生まれる。そして、最初は全然かわいくないと思っていたチャッピーに、すっかり夢中になっている自分がいることに気づく。
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科学者のヴィンセント(ヒュー・ジャックマン)はロボットが知能を持つことに大反対。ミッシェル社長にチャッピーの危険性を訴える。
 機械が意識を持つようになった人間社会はどうなるのだろうか。人工知能型OSと人間との恋愛を描いた『her/世界でひとつの彼女』(14)のラストは思いもしなかった展開が待っていた。『ターミネーター』シリーズは自我を持つコンピューターによって人類が支配されてしまう暗い未来を予測している。ちなみに、コピーロボットの開発で知られるロボット工学者の石黒浩博士は「ロボットは人間の心を写す鏡である」と語っている。その言葉に従えば、ニンジャもヨーランディも、そしてディオン、さらにはヴィンセントも、チャッピーの中にいるもうひとりの自分に気づいたということらしい。ロボットの登場によって人間社会の在り方も、人間個人の意識も大きく変わっていくことを『チャッピー』は予言している。 (文=長野辰次)
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『チャッピー』 監督/ニール・ブロムカンプ 出演/シャールト・コプリー、デーヴ・パテル、ニンジャ、ヨーランディ・ヴィッサー、ホセ・パブロ・カンティージョ、ヒュー・ジャックマン、シガニー・ウィーヴァー、ブランドン・オーレット 配給/ソニー・ピクチャーズ PG12 5月23日(土)より公開 (C) Chappie -Photos By STEPHANIE BLOMKAMP http://www.chappie-movie.jp