物づくりに取り憑かれた若者が流す狂気の血涙! 原作とは異なる展開が待つ実写版『バクマン。』

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「週刊少年ジャンプ」を舞台にした『バクマン。』を撮影中の大根仁監督。自他共に認める漫画マニアぶりが発揮された映画だ。
 若手人気キャストを一堂にそろえ、軽快な主題歌が流れる。大ベストセラーコミックの実写映画化『バクマン。』は、一見すると明るく爽やかな青春サクセスストーリーに感じられるが、それはあくまでも表向きのパッケージにすぎない。カラフルなパッケージを破いてみると、中からは汗臭くてドロドロとした、少年が大人へと成長を遂げていく過程の通過儀礼に挑む物語が待ち構えている。ポップカルチャー花盛りな現代社会に、もはや創世記の神話ともいえる『まんが道』の世界を、大根仁監督は最新の意匠で現代に甦らせた。  日本一の発行部数を誇る「週刊少年ジャンプ」の舞台裏を細やかに描いた同名原作コミックは、絵がうまいサイコーと文才のあるシュージンとの中学時代のコンビ結成から、高校生で漫画家デビューを果たし、後からデビューした新人漫画家たちに追われる立場になるまでを全20巻で綴った大河ドラマとなっていた。初監督作となった劇場版『モテキ』(11)をスマッシュヒットさせた大根監督は、情報量の非常に多い『バクマン。』の実写化にあたり、何よりもスピード感を重要視している。面白い漫画と出会うとページをめくる手が止まらなくなる、漫画世界に没頭してしまう、あの悦楽感を実写映画で試みている。2時間という枠に収めるため、舞台をサイコーとシュージンの高校時代に変更し、漫画家デビュー&初めての連載に挑んだ高校2年から高校卒業までの2年足らずの日々を凝縮して描いている。  人気漫画家になるという夢に向かって突き進む青春ストーリーに疾走感を与えるため、登場キャラクターは原作からかなり絞った形となった。サイコー(佐藤健)の家族も、シュージン(神木隆之介)の実家も映画版には一度も出てこない。サイコーの叔父である亡くなった漫画家・川口たろう(宮藤官九郎)が、回想シーンに現われるのみ。家族から小言を言われることもなく、実家にご飯を食べに戻ることもなく、叔父が遺した仕事場でサイコーとシュージンは一心不乱に漫画を描き続ける。漫画家デビューを果たし、連載漫画がアニメ化された暁には、学園いちの美女で声優を目指す亜豆美保(小松菜奈)とサイコーは結婚するという約束を交わす。そんな10代の少年ならではの夢を叶えるため、サイコー&シュージンは大人への通過儀礼に挑む。  家族が姿を見せず、実家という生活空間が描かれない。大根監督いわく“ビー・バップ・スタイル”だそうだ。ヤンキー漫画『ビー・バップ・ハイスクール』は20年間も連載が続いた大長寿コミックだったにもかかわらず、主人公トオルとヒロシの家族や家庭はいっさい描かれなかった。ヤンキー仲間たちとのおバカな日常生活がまるで楽園のように描かれていた。大根監督もあえて、サイコーやシュージンの家族や家庭を見せないことで、青春期特有のフワフワとした至福感、高揚感を映像化している。
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モニター越しに指示を出す大根監督。映画撮影は『モテキ』『恋の渦』(13)に続いて3作目となり、落ち着いた演出だった。
 楽園感を決定づけているのは、亜豆が姿を見せる校舎の踊り場シーン。窓から初夏の陽射しが差し込み、亜豆役を演じる小松菜奈のまだ何色にも染まっていない透明感がいっそう映える。揺れ動くカメラアングルは、亜豆のことを小学生のときから想い続けてきたサイコーの心臓のバクバクぶりを伝えている。劇場版『モテキ』で主人公宅にお泊まりした長澤まさみをこのうえもなくエロチックに撮った大根監督のこだわりのカメラワークだ。『モテキ』の長澤まさみがエロスの女神だったように、『バクマン。』の小松菜奈演じる亜豆はサイコーにとっての創作の女神となる。美しい女神に見初められたことで、サイコーはそれまで口にできなかった漫画家になるという夢を現実世界に解き放つことができる。  ミューズである亜豆との交際、そして結婚を目指して、サイコーの筆が走る。シュージン原作、サイコー作画の処女作『Wアース』は、少年ジャンプの編集者・服部(山田孝之)のアドバイスを取り入れ、新人コンクールである手塚賞に入選。パーティー会場では、同期入選した漫画家仲間たちと出会う。パーティーの夜、サイコー&シュージンの仕事場に新人漫画家たちが集まって、気炎を上げる。原作にはない、この「トキワ荘」オマージュシーンは、笑いと男のロマンが詰まった格別なものとなっている。サイコー&シュージンは夢の第一歩である「漫画家になる」というハードルはクリアすることができた。だが、2人は漫画家デビューするよりも、漫画家であり続けるほうがずっとずっと大変なことに気づかせられる。週刊連載はベテラン漫画家でも超ハードワークだ。さらに少年ジャンプには「アンケート至上主義」という厳格なシステムが待ち受けている。漫画家がどんなに苦心して描き上げても、読者からの支持がなければあっけなく連載は打ち切られる。最新のプロジェクションマッピングやCGを取り入れて、サイコー&シュージンと天才漫画家・新妻エイジ(染谷将太)とのアンケートバト ルが華麗に描かれるが、彼らが闘っている舞台はそれこそ大勢の漫画家たちの夢の残骸が積み重なってできた墓場でもある。プロの世界に身を投じたサイコーは、肉体と精神をジリジリと蝕まれていく。  亜豆は創作の女神、理想の女性像ゆえに、サイコーと亜豆の関係は原作以上にうまく進展しない。サイコーは心身ともに疲労困憊し、血尿を出して倒れる。それまでの夢のようにキラめいていた世界が、一転して悪夢モードへ突入する。初めての連載漫画『この世は金と知恵』は編集長の佐々木(リリー・フランキー)の命令で休載を余儀なくされる。もしかしたら、これまでの出来事はクラスで目立たない高校生のサイコーが脳内で勝手に思い描いていた妄想だったのではないのか。そんな想いさえ、観ている側は抱く。サイコーが入院しているのに家族は誰も姿を見せない。ひょっとしたら、サイコーに「漫画家になろう。博打しようぜ」と持ち掛けてきたシュージンも、「いつまでも待っているから」と約束してくれた亜豆も、サイコーが夢みた幻だったのではないだろうか。やはり夢は夢の世界で見るべきものなのか。
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画面に映るかどうかビミョーな細部にまで、大根監督のこだわりが詰まっている。エンディングのクレジットロールまで目が離せない。
 フワフワとした夢の世界は終わりを告げ、これから先はサイコーの狂気が物語を押し動かしていく。病院をこっそり抜け出したサイコーは仕事場へと戻り、下書きしか済んでいない原稿の仕上げに取り掛かる。シュージンは仕事場で待っていた。よかった。相棒はちゃんと存在していた。この後は、少年ジャンプの黄金則である“努力・友情・勝利”を原作以上にクローズアップしたオリジナルのクライマックスとなる。このクライマックスシーンの後半、サイコーは一滴の涙をこぼす。この涙は決して、シュージンら仕事仲間との友情に感動して流した温かい涙ではない。プロの漫画家としての狂気と執念、アマチュアとして漫画家に憧れていた自分自身の少年期との決別を感じさせる、実に複雑な苦みのある一滴となっている。  サイコーを演じた佐藤健が本番中にふいに涙を流したことに、大根監督は驚いたそうだ。脚本にはなく、演出でもそのような指示は出していなかった。だが、佐藤健が演じたサイコーがひと粒の涙をこぼしたことで、フィクションの世界である『バクマン。』が血肉の通った現実世界のものへと変わっていく。ほとんどのコミック原作の実写化企画は、原作の世界観から抜け出せずに原作ファンを一瞬だけ楽しませるものに終わっているのに対し、実写版『バクマン。』は主演俳優が流したひと粒の涙によって、原作世界のテイストとも、大根監督が考えていたものとも異なる作品へと変貌を遂げた。サイコーが流した狂気の涙は、とてつもなく重い。そして、その狂気や言葉にならない感情こそが、漫画や映画というフィクションの世界を突き動かしている最大の原動力なのだ。 (文=長野辰次)
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『バクマン。』 原作/大場つぐみ、小畑健 脚本・監督/大根仁 音楽/サカナクション 出演/佐藤健、神木隆之介、染谷将太、小松菜奈、桐谷健太、新井浩文、皆川猿時、宮藤官九郎、山田孝之、リリー・フランキー  配給/東宝 10月3日(土)より全国ロードショー公開  (c)2015映画「バクマン。」製作委員会 http://bakuman-movie.com

“時かけ”に匹敵する新ヒロインが銀幕デビュー! シュールな日常生活『徘徊 ママリン87歳の夏』

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『徘徊 ママリン87歳の夏』に主演したママリンこと、酒井アサヨさん。本人は映画に出ていることをまるで理解していない。
 時空をさまようタイムトラベラーを主人公にした『時をかける少女』は、原田知世が主演した実写映画版、仲里依紗が主演した劇場アニメ版&実写リメイク版、それぞれが高い人気を誇っている。繰り返し繰り返し、何度も視聴されている。そんな多くの人たちに愛されるタイムトラベルものに、新たなるヒロインが加わった。大阪府在住、87歳になる酒井アサヨさん、通称ママリンはドキュメンタリー映画『徘徊 ママリン87歳の夏』の中で、過去から未来へと一方通行で流れていく時間の川を遡行して、少女時代や青春時代へとタイムトラベルしていく。ただし、タイムトラベルはママリンの脳内だけの出来事なので、周囲の人間には彼女がどの時代を旅しているのかは定かではない。そのことから珍妙なやりとりが生じる。  ママリンこと酒井アサヨさんは奈良県でひとり暮らしをしていたが、2006年に認知症と診断され、08年から長女・酒井章子さん、通称アッコちゃんが暮らす大阪市北浜のマンションに身を寄せている。この親子の日常生活のやりとりが不謹慎ながら爆笑を呼ぶ。 ママリン ここはどこなの? 刑務所? アッコ 刑務所ちゃうよ。私の家だよ。 ママリン あっ、そうなの? よかったぁ。で、あんたは誰なの? アッコ 私は章子。あなたの娘ですよ。 ママリン えっ、本当に? あなた、アッコ姉ちゃんなの? えらく大きくなりすぎましたなぁ……。で、ここはどこなの?  認知症を患う母と介護にいそしむ娘とのやりとりは、本人たちの身になれば到底笑えないはずなのだが、あまりにも息のぴったりと合った親子漫才か不条理劇を観ているようで、試写会では度々笑いの渦が起きた。  認知症や介護を題材にしたドキュメンタリーと聞くと、陰鬱な内容を想像して身構えてしまうが、本作ではママリンとアッコちゃんのとってもシュールな日常生活が、この親子に対する的確な距離感や考え抜かれた画角、緩急をつけた編集によって一種のエンターテイメントとして映し出されていく。2人の間をのんびり行き交う2匹の飼い猫も画面に和みを与えている。本作を撮ったのは神戸在住の映像作家・田中幸夫監督。前作『凍蝶圖鑑』(14)は性的マイノリティーたちを主題にしたドキュメンタリーだったが、世に言う“変態さん”たちが集まるパーティー風景がまるで現代のユートピアのように描かれていた。田中監督は「僕は美しいものにしか興味がない」と語っていたが、本作もその言葉にふさわしい作品となっている。田中監督とママリンの出会いは、その『凍蝶圖鑑』がきっかけだった。
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アッコちゃんに見送られて、ママリンはデイサービスへ。アッコちゃんが自由を満喫できる大切な時間だ。
 田中監督「大阪で『凍蝶圖鑑』の公開記念プレイベントをやることになって、大黒屋ミロに連れていかれたのが、アッコちゃんがオーナーをしているギャラリー兼自宅マンションだったんです。アッコちゃんとビールを飲みながら、『私、認知症の母がいて、介護してんねん』みたいな話を聞いていたら、そこにデイサービスからママリンが帰ってきて、あの絶妙な会話劇が始まったわけです(笑)。そのやりとりは親子の繋がりを感じさせ、僕にはとても美しいものに感じられた。僕は正直、認知症や介護そのものには関心がないんです。それよりも、片方が壊れてしまったとき、もう片方はその関係をどう維持していくのか、腹の括り方に興味があったんです」  当然だが、アッコちゃんとママリンは一緒に暮らし始めてすぐにベテラン漫才師のようなボケ&ツッコミを体得したわけではない。ママリンを引き取ってから半年後、デイサービスを利用するようになり、ようやく息をつけるようになった。それまではアッコちゃんも壊れてしまいそうなほど、ハードな日々が続いた。ママリンは体調がいいときはニコニコしているが、ささいなことで怒り出すと、暴言を吐き、暴れ回り、手が付けられなくなる。目を離すと深夜でも早朝でもマンションを出て、徘徊を繰り返す。介護に追われるだけの生活から脱しようと、フリーの編集者&ライターでもあるアッコちゃんは「本にでもせんと元がとれんわ」と4年前からママリンの徘徊記録を残すようになり、またママリンの言動に、ときにツッコミを入れることで笑いに変え、ときに距離を置いて静かに見守るようになった。  ママリンは頻繁に「ここはどこ? もう家に帰らないと」という言葉を口にする。アッコちゃんはその度に「ここは北浜にある私のマンション。6年前から一緒に暮らしているんだよ」と説明するが、会話が終わってしばらくすると、再び「ここはどこ? 家に帰る」とループする。アッコちゃんが「どこに帰るの?」と尋ねると、「門司に帰る」という。北九州の門司は、ママリンが生まれ育った街だ。どうやら両親のもとで暮らした少女時代にママリンの脳内はタイムスリップしているらしい。激昂しているときのママリンは施錠されたマンションのドアを「ここから出せ」とドンドン叩く。ママリンにはこのマンションが少女時代に戻ることを阻む刑務所みたいに映るのだろう。カメラはじっと、その様子を捉え続ける。ドンドンドン、ドドンドドン。いつしか、ドアを叩く音がリズムを刻み始める。『無法松の一生』(43)で知られる小倉の夏祭り・祇園太鼓を模したものだろうか。87歳の老女から生まれ育った故郷への想いが溢れ出す様子は、スクリーン越しに観ている我々もせつない気持ちにさせる。ドアを開けたママリンは、今はもういない両親と暮らした故郷を目指してテクテクと歩き出す。 でも、途中で道が分からなくなり、街をグルグルと回り、迷子になってしまう。ママリンは両親の温もりを求める小さな小さな少女へと変わっていく。アッコちゃんは離れた場所から黙って見守っている。  田中監督によると、その日やそのときによってママリンがタイムトラベルする時代は異なるらしい。「8割は少女時代を過ごした門司の家に帰りたがっているみたいですが、ときどき大阪の下町で看護士として働いていた時代に戻っていることもあるようです。当時はママリンにとって新婚時代であり、アッコちゃんがまだ小さかった頃でもあるんです」と田中監督は説明してくれた。門司の実家を出たママリンは大阪の診療所で見習い看護士として働き始め、やがて正看護士となり、結婚&出産。その後、奈良で暮らすようになったが、1998年にご主人は他界し、その後はひとりで暮らしてきた。両親の愛情に包まれた少女時代、やりがいのある仕事を見つけ、新しい家庭を築き上げた青春&新婚時代にママリンの心は引き寄せられていくようだ。
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体調がいいときは、近所の喫茶店で一緒にお茶を楽しむ。お店の人もママリンの症状を理解し、徘徊に気づくと声を掛けてくれる。
 地元・関西地区ではすでに上映が行なわれ、ママリンはアッコちゃんと一緒に舞台あいさつに上がった。大阪での舞台あいさつの2度目はママリンの機嫌が悪く、スクリーン裏で親子ゲンカになったが、京都での舞台あいさつは体調もよく、お客さんたちの前で元気に童謡「浦島太郎」を歌ってみせたという。脳内トラベラーが時のうつろいに翻弄された浦島太郎の童謡を歌うなんて、なんとシュールなことか。  不謹慎ついでに夢想する。もしかして、ママリンは周囲の人たちが分からないだけで、本当にタイムトラベルしているのではないだろうか。少女時代や看護士時代もやはり不安や辛い目に遭ったはずだ。地面にしゃがみこみたくなるようなこともあっただろう。でも、そんな若かった頃のママリンの前に、朗らかに笑う老婦人が突然現われる。どこか見覚えのある、優しいその笑顔は「大丈夫よ。あなたは87歳になって、実の娘と漫才師みたいなボケ&ツッコミを毎日やるようになるのよ」と伝えている。若き日のママリンがその笑顔に勇気づけられて起き上がると、もう老婦人は姿を消している。2014年の世界でアッコちゃんがママリンの帰りをずっと待っているからだ。 ママリン ここはどこなの? アッコ 私とママリンが6年前から一緒に暮らしている家だよ。 ママリン えっ、本当? よかったぁ。  愛しくも、せつない日常生活をカメラは記録していく。 (文=長野辰次) 『徘徊 ママリン87歳の夏』 監督・撮影・編集・製作/田中幸夫 出演/酒井アサヨ、酒井章子、2匹の猫  配給/風楽創作事務所、オリオフィルムズ 9月26日(土)より新宿K’s cinema、横浜ジャック&ベティほか全国順次公開 (c)風楽創作事務所 http://hai-kai.com

八重歯フェチを虜にする!! 民族衣装チャドルに隠された野性『ザ・ヴァンパイア 残酷な牙を持つ少女』

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ペルシア語での台詞が交わされる、イランを舞台にした初の吸血鬼映画『ザ・ヴァンパイア 残酷な牙を持つ少女』。
 中東と西洋の文化が融合した新しい才能が誕生した。イラン系の女性監督アナ・リリ・アミリプールの長編デビュー作『ザ・ヴァンパイア 残酷な牙を持つ少女』はこれまでになかった新感覚の映画だ。イランを舞台にした吸血鬼ものと聞くだけで好奇心を掻き立てられるが、ホラー映画のジャンルに収まらないスタイリッシュな映像の美しさとイマジネーションの奔放さに目が釘付けとなる。初めてデヴィッド・リンチやジム・ジャームッシュの作品と出会ったときのような驚きと喜びを感じさせてくれる。そして、イランの民族衣装であるチャドルをまとった少女の、口元から長く伸びた八重歯のような妖しい牙に魅了される。 『ザ・ヴァンパイア』の舞台となるのはイランにある架空の街・バッドシティ。現実の中東と同じように、この街で暮らす人々もイスラムの神ではなく、貨幣経済によって支配されている。夜のストリートにはドラッグの売人や売春婦がたむろし、仕事がない男たちはドラッグをキメることで日々の憂さを晴らしている。そんな荒廃した街に、ひとりの名前のない少女が現われた。ボーダーシャツの上にチャドルをまとい、深夜でも平然と歩いている。彼女は街の人たちのすさんだ心の中にすっと忍び込んできた吸血鬼だった。性悪なドラッグの売人やホームレスを見つけては、次々と餌食にしていく。街の人たちはクズ人間が姿を消しても誰も気にしない。  スウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』(08)が素晴しかっただけに、それに匹敵する吸血鬼映画は当分現われないかと思っていたが、あっさり覆されてしまった。『ぼくのエリ』が欧州で増え続ける中東からの移民問題が背景となっていたように、『ザ・ヴァンパイア』もドラッグや社会格差といった中東のシビアな世情を反映したものとなっている。表向きは敬虔なイスラム教徒たちが暮らすイラン社会だが、その一方では毎年数百人単位でドラッグ常用者たちが処刑されている。極刑が待っていることを知りながら、刹那的な快楽を求めてドラッグに手を出してしまう人々が後を絶たない。現実社会の歪みが集約された街・バッドシティで、吸血少女はひとりの若者と出会う。『ぼくのエリ』のいじめに苦しむ少年のコドクさが200歳の少女エリを呼び寄せたように、『ザ・ヴァンパイア』の主人公である若者と少女もずっとコドクで、それゆえに強烈に惹かれ合う。
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未婚の男女がお互いの肌に触れ合うのは、イスラム社会ではタブー。当然ながら、人間ではない吸血少女は平然とルールを破る。
 地下パーティーの帰り道、ドラキュラのコスプレ姿で酩酊していた若者アラシュ(アラシュ・マランディ)は、チャドルを被った少女(シェイラ・ヴァンド)が自分のことをじっと見つめていることに気づく。なんちゃってドラキュラのアラシュは吸血少女の餌食になるのではないかと、客席にいる我々は息を潜めて成り行きを見守るしかない。ところがアラシュは意外な行動に出る。少女の手をとって、「冷たいね」とさすり始める。手が冷たい人は心が温かいというが、吸血鬼の場合もそうなのだろうか。虚を突かれた少女が戸惑った瞬間、アラシュは少女を両腕ですっぽりと包み込む。少女はチャドル越しに人肌の温もりを感じる。このとき、2人は言葉を交わすことなく分かり合った。お互いに、誰も知らない暗い井戸の中で暮らしてきたコドクな身の上なのだと。初期のデヴィッド・リンチやジム・ジャームッシュ作品のように静謐なモノクロ映像の中で、せつないボーイ・ミーツ・ガールの物語が奏でられていく。  1990年代に日本でもイラン映画ブームが起きたように、クオリティーの高さを誇るイラン映画だが、映画や音楽などの表現に対するイラン国内の規制は厳しさを増している。国際的に知られるアミール・ナデリ監督やバフマン・ゴバディ監督は表現の自由を求めて亡命し、イランを代表する巨匠アッバス・キアロスタミ監督も近年は海外で映画を撮るようになった。ドラッグ、売春、ホームレス……とイランの内情を赤裸々に描いた画期的な『ザ・ヴァンパイア』だが、実はカリフォルニア州の廃墟化した街で撮影されたもの。アミリプール監督の両親はイラン人だが、彼女自身の生まれは英国で、米国育ち。イラン人コミュニティーで生を受け、古今東西さまざまな映画を浴びるように観て育ち、家族やメディアなどから得た情報をもとに思い描いたアミリプール監督の“心の故郷”がバッドシティなのだ。  チャドルの下にボーダーシャツを着た吸血少女は『勝手にしやがれ』(59)のジーン・セバーグ、父親と葛藤し続ける白Tシャツの若者アラシュは『エデンの東』(55)のジェームズ・ディーンのイメージ。夜の街をたむろする売春婦はソフィア・ローレン、刺青だらけのドラッグの売人はSF映画『チャッピー』に出演していた南アフリカの人気ラッパーNINJAをモデルにしている。マイケル・ジャクソンがモンスターに変身する「スリラー」のPVも大好きだそうだ。アンリプール監督の頭の中に渦巻くさまざまな映像の断片がデビュー作の中に混在している。既成の素材を組み合わせたファストフードのような作品だが、現代人の味覚にマッチしたなかなかの味わいである。
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夕食(=人間狩り)に出掛ける前は、年頃の女性らしく入念にメイクを施す吸血少女。アゲアゲな気分で、男たちに襲い掛かる。
 吸血鬼映画には官能シーンが欠かせない。『ザ・ヴァンパイア』の主人公2人は禁断の恋に陥る。アラシュは少女にピアスをプレゼントするが、少女の耳はまっさらだった。少女はアラシュに安全ピンを手渡し、穴を開けるようせがむ。少女が吸血鬼であることを知らず、ドキドキしながら少女の耳にピアス穴を開けるアラシュ。安全ピンが突き刺さった瞬間、少女は初めての痛みに思わず嗚咽し、そして普段は隠している鋭い牙をほんの一瞬だけ見せてしまう。吸血少女が恥じらう姿が何とも愛らしい。八重歯フェチだけでなく、耳フェチも虜にしてしまう、とてもセクシャルなシーンとなっている。  人の生き血を吸って生きている少女が何者であるのか、本編ではいっさい明かされない。どのような生い立ちなのか、どんな経緯で吸血鬼となったのかも謎のままだ。部屋に飾られたポスターからロック好き、ポップアート好きなことが察せられるが、年齢は不詳。ただ、ドラッグの売人を襲った後、バスタブに浸かるシーンで胸があらわになり、乳房は成熟した大人の女性のものではないので、まだ若い女性らしいということぐらいしか分からない。バッドシティを所在なさげに漂う名前のない少女は、アミリプール監督自身だろう。自分のルーツに触れることなく育ったアミリプール監督は、自分は何者であるのかというアイデンティティーを確かめてみたくて、この映画を撮ったのだ。その結果、イラン映画ともハリウッド映画とも異なる、摩訶不思議なモンスター映画が誕生した。  人の生き血を吸う少女が、これからどこに向かうかは誰にも分からない。多分、少女は街や家に居場所を見つけられずにいるコドクな人間の前に姿を現わすはずだ。伝統衣装チャドルの下には、抑えがたい野性と母性が隠されている。 (文=長野辰次)
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『ザ・ヴァンパイア 残酷な牙を持つ少女』 製作総指揮/イライジャ・ウッド 監督・脚本/アナ・リリ・アミリプール 出演/シェイラ・ヴァンド、アラシュ・マランディ、マーシャル・マネシュ、モジャン・マーノ、ドミニク・レインズ、ミラド・エグバリ、ロメ・シャダンルー、レザ・セィクソ・サファリ、マスーカ  配給/ギャガ・プラス 9月19日(土)より新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー  (c)shahre Bad Picture  http://vampire.gaga.ne.jp

究極のフェチズムと暴力がもたらす危険な陶酔感! “キック・アス”の興奮が蘇る『キングスマン』

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小道具へのこだわりに、スパイ映画ならではのフェティッシュさを感じさせる『キングスマン』。ハリーはエグジーに紳士の着こなしをレクチャーする。
 家庭環境に恵まれなかった人間が、世間から後ろ指をさされたり同情されたりせずに済む方法は2つある。ひとつは昔からの悪友たちとつるんで、一生狭い場所で暮らしていくか。もうひとつは広い世界に出ていって、他人から笑われないよう自分を磨き続けるか。そのどちらかしかない。映画『キングスマン』に登場する若者エグジー(タロン・エガートン)は、失業者や犯罪者たちが溢れ返る肥だめみたいな街でずっと暮らしてきた。父親は早くに亡くなり、母親はDV男と同居し、国からの生活保護費だけを頼りに生きている。のちに国際的諜報機関キングスマンの一員として巨大悪と戦うことになるエグジーは、まずは自分自身のクソったれな生い立ちと戦わなくてはいけなかった。  原作は人気コミック作家のマーク・ミラー、脚本&監督はマシュー・ヴォーンという大ヒット作『キック・アス』(10)のコンビによるスパイアクションが『キングスマン』だ。着る物といったらジャージしか持っていなかったストリートキッズのエグジーが、格闘術・観察眼・交渉能力に秀でた超一流スパイであるハリー(コリン・ファース)と出会うことで、スーツ姿が似合う一人前の紳士へと生まれ変わる過程が描かれる。男の子版『マイ・フェア・レディ』(64)か『プリティ・ウーマン』(90)といった趣きがある。女性だけでなく、男もいつだって変身願望を抱いているのだ。  エグジーの実の父親は、キングスマンに所属する優秀なスパイだった。だが、キングスマンの存在は公表されておらず、ただ出張先の事故で亡くなったとだけエグジーは聞かされていた。夫を失ってからの母親はアル中やDV野郎とばかり付き合ってきた。ダメ人間同士がお互いの傷を舐め合う共依存ってヤツだ。そんな状況を憎むエグジーも学校を中退し、おちこぼれ仲間と街をうろついている。負のスパイラルから、どうにも抜け出せない。そこにオーダーメイドのスーツをバリッと着こなした英国紳士ハリーが現われ、「君のお父さんは素晴しい人物だった。私が生きているのは、君のお父さんのお陰だ」と命の恩人の遺児であるエグジーに救いの手を差し伸べる。スパイ養成合宿に参加して、生まれ変われと言う。
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女殺し屋ガゼルを演じたのは、ダンサーとして高い身体能力を誇るソフィア・ブテラ。『どろろ』の百鬼丸と戦わせてみたい。
 髪をきっちり横分けした怪紳士の言葉を信じていいものか。人身売買組織や新興宗教ではないのか。結局、判断を下すのは自分自身しかいない。今の生活を変えたいと願う強い想いが、エグジーを突き動かした。長年暮らしてきた公営団地にエグジーが別れを告げるシーンが秀逸だ。エグジーの好き勝手にはさせないと、養父や街のゴロツキたちが玄関先で待ち構えているが、エグジーはパルクールの要領で階段を使わずにするするすると壁を伝って団地から抜け出してみせる。エグジーはいつかこの日が来ることを待っていた。頭の中で何度もシュミレートし、体を鍛えてきた。家を出る準備は万端だった。晴れてエグジーは、ハリーの推薦でスパイ養成合宿に参加。名門大学で優秀な成績を収めた良家の子息子女たちと狭き門を競い合うことになる。学歴はないエグジーだが、苛酷な環境を生きてきたタフさと生まれ変わりたいと願う強い気持ちは誰にも負けていなかった。「人は紳士に生まれない。学んで紳士になるんだ」とハリーはエグジーの背中を押す。  英国に中世から伝わる伝説「アーサー王と円卓の騎士」になぞらえ、エグジーが王族に認められる騎士になるまでを描く『キングスマン』だが、『キック・アス』『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』(11)のマシュー・ヴィーン監督作だけに見どころが多い。本作を飛びっきり魅力的な作品にしているのは、悪の起業家リッチモンド(サミュエル・L・ジャクソン)に仕えるガゼル(ソフィア・ブテラ)に尽きる。原作では黒人男性だったガゼルだが、映画ではクールビューティーにアレンジ。そしてこの悪女ガゼルは、三池崇史監督の人気作『殺し屋1』(01)の大森南朋のようなカカト落としを必殺技としている。しかも、ガゼルの両足は足首から先がカーボンファイバー仕様の義足となっており、鋭いブレードを装着。標的となった男は突如現われた美女が大開脚してみせたことに驚き、次の瞬間には頭からまっぷたつにされる。男たちに死という究極の陶酔感を与える美しい天使、いや恐ろしい殺し屋なのだ。  ガゼルが義足になった経緯はいっさい語られない。マシュー・ヴォーン監督のフェチズムが生み出したキャラクターだと言っていい。“纏足”は足フェチたちの性的欲望を満たした中国の奇習だが、ガゼルの両足は人工美を備えた高機能な纏足である。義足によって過去と決別したガゼルと自分の肉体を鼓舞して懸命に生まれ変わろうとするエグジー。彼らは必然的に対決することになる。2人が死のダンスを踊るクライマックスは、スパイ映画の名作『007 ロシアより愛を込めて』(63)へオマージュを捧げたこの上もない快楽シーンとなっている。
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演技派俳優のコリン・ファースはアクション映画に初挑戦。問題となる教会での大乱闘シーンはワンテイクで撮影された。
 本作を魅力的にしているもうひとつの要素は、この作品は大きな矛盾を抱えているという点だ。原作では007ことジェームズ・ボンドと同じく英国の諜報機関MI6の一員としてハリーたちは描かれていたが、映画版のキングスマンはどの国にも属しない独立組織となっている。『キック・アス』や『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』(13)の自警団の延長上にあるものなのだ。特定の国や企業の利益に偏らない世界平和に努めるキングスマンだが、やっていることは正義という名のもとに下される暴力の行使である。キングスマンが戦うIT長者のリッチモンドも彼なりの正義にもとづき、地球の人口を適正な数に削減しようとする。完全なる人間が存在しないように、完全なる正義もありえない。クズ人間になる寸前だったエグジーを救い出したハリーだが、人種差別主義者が集まった米国の教会では大量殺戮を犯す。リッチモンドが開発した怪電波の影響なのだが、このグロテスクなはずの大虐殺シーンは観る者の脳髄をバイオレンスの甘美さで痺れさせるものとなっている。後半、正義の味方であるはずのキングスマンたちはもう一度、大量殺戮を働く。よりポップでブラックな笑いをブレンド した形で。  これらのウルトラバイオレンスシーンがなければ、『キングスマン』はR指定にはなっていなかっただろう。だが逆に、おちこぼれ少年の美しき更生談だけでは熱狂的な大ヒット作にもなっていなかったはずだ。正論と本音、理性と野性。この世界で生きてくためには、相反するどちらの要素も必要となる。清濁併せ飲むことで、エグジーは真の大人へ、そしてセクシーな男へと成長を遂げていく。 (文=長野辰次)
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『キングスマン』 原作/マーク・ミラー 監督・製作・脚本/マシュー・ヴォーン 出演/コリン・ファース、マイケル・ケイン、タロン・エガートン、サミュエル・L・ジャクソン、マーク・ストロング、ソフィア・ブテラ、ソフィー・クックソン、マーク・ハミル 配給/KADOKAWA R15 9月11日(金)より全国ロードショー (C)2015 Twentieth Century Fox Film Corporation http://kingsman-movie.jp

名台詞「お前はすでにヤッている」が脳に刺さる! 多部未華子がエロきゅんな『ピース オブ ケイク』

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多部未華子、綾野剛が官能シーンに挑んだ『ピース オブ ケイク』。2人が演じた主人公・志乃と京志郎は、抑えがたい恋愛感情に呑み込まれていく。
 恋におちた瞬間のフワフワとしたゼログラビティ感、そして惚れた相手への胸の中へとぐい~んと引き寄せられていく甘美なひと時。体が触れ合うと激しい電流が全身を貫く。あの陶酔感が忘れられず、人は何度でも恋をしてしまう。田口トモロヲ監督、多部未華子主演による『ピース オブ ケイク』は人が恋におちる瞬間をディテールたっぷりに描き、狂おしいまでに成長したその感情がどのような終焉を迎えるかまでを克明に描いている。いわば、人間にはコントロールしがたい“恋愛”という感情の一生をドラマ化したものとなっている。 『ピース オブ ケイク』は2003年~2008年に雑誌連載されたジョージ朝倉の同名コミックが原作。“ピース オブ ケイク”とはひと切れのケーキを食べるくらい簡単なこと、朝飯前という意味。主人公の梅宮志乃(多部未華子)は男がいないと不安な女の子。正樹(柄本佑)から交際を申し込まれ、体の関係を重ねていた。男に迫られると断れない性格だった。このまま正樹と結婚するのかなと考えていた矢先、職場の同僚とひと晩だけ浮気したことが正樹にバレ、 別れを告げられる。正樹に特別な感情を抱いていたわけではないが、交際を求めてきた相手から振られたのはショックだった。正樹とのエッチの際に使っていたピンクローターを可燃物か不燃物かどちらに棄てるかで悩みながら、当分恋はしないと誓う志乃だった。心機一転を図って安アパートに引っ越すが、隣室に住んでいるヒゲ面の男・菅原京志郎(綾野剛)が気になってしまう。ヤバい。志乃のタイプだった。志乃の男絶ちの誓いはあっけなく崩れる。  京志郎には成田あかり(光宗薫)という同棲中の彼女がいる。これで惚れずに済むと安堵する志乃だったが、あかりは志乃を意識しまくり。そのことが志乃の闘志に火を点けてしまう。異様に面倒くさい女・あかりは同じビデオレンタル店で働く京志郎と志乃の仲を疑い、アパートから失踪。あかりという障害がなければ、もう志乃と京志郎の間を阻むものはなにもない。2人は一直線に激しく求め合う。取り壊し寸前のボロアパートが愛の世界へと変わっていく。清純派のイメージの強かった多部未華子だが、綾野剛との濡れ場は惚れた男と初エッチする女の子のドキドキ感がリアルにじんじんと伝わってくる。濃厚キス&エロシーンに、下着を脱いで真っ向勝負を挑む多部未華子の女優魂が気持ちよい。
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初めてのお泊まり旅行で盛り上がる志乃(多部未華子)と京志郎(綾野剛)。まずは温泉地名物「秘宝館」で、お互いのエロ偏差値をチェック。
 晴れて恋人関係になった志乃と京志郎のお泊まり旅行も盛り上がる。熱海の隠れ人気スポット「秘宝館」デートで、2人はきゃっきゃっとはしゃぐ。原作にはないオリジナルシーンだが、大人の恋愛ドラマであることを印象づける。露天風呂つきの温泉旅館では、しっぽり裸のお付き合い。恋愛が成就した幸福感でいっぱいの2人だが、京志郎のケータイにあかりとの新しい会話履歴は残っていたことから、普段は温厚な志乃の怒りがバクハツ。京志郎はあかりとまだ切れてなかったのだ。「エッチはしていない」と懸命に弁解する京志郎に対して、志乃は言い放つ。「お前はすでにヤッている!」。あんなに楽しかった温泉旅行だったのに、帰りはどんよりダウナー気分に。まるでジェットコースターに乗っているかのように、2人の恋愛感情は幸せの絶頂から奈落へと急降下していく。どうしようもなく恋が始まったように、別れの日もどうしようもなく訪れてしまう。  人気女優をキャスティングした恋愛映画のほとんどは、セックスシーンは省くか、ベッドに倒れ込んだら次のシーンはもう翌朝というパターンなのに対し、パンクバンド・ばちかぶり時代に数々の破天荒パフォーマンスで伝説を残したトモロヲ監督は、そんなヤワな表現では済ませない。プロデューサーから「R指定にはしない」と釘を挿されていたが、逆にR指定ギリギリの表現にこだわった。トモロヲ監督を含め男子4人からなる演出部で、ベッドシーンの絡みを事前にムービー化。映倫に見せ、どこまでの表現なら許されるのかを入念に確認し、さらに多部未華子、光宗薫らベッドシーンのあるキャスト陣にもムービーを見せ、OKをもらった上で本番に挑んだ。さすが、元エロ劇画家・田口智朗! この演出部による男だけのベッドシーンのムービー、DVDの特典にすればかなりのニーズがあるに違いない。 
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謎の多い女・成田あかり(光宗薫)は物語のキーパーソン。かなり濃厚な濡れ場で存在感を示した光宗も、女優として露出が増えていきそうだ。
 トモロヲ監督といえば、監督デビュー作『アイデン&ティティ』(03)が強い余韻を残した。1990年代前半のバンドブームに踊らせられたロック青年・中島(峯田和伸)を主人公に、自分が本当にやりたいことをやり続けることと食べていくことを両立させる難しさを切実に描いた。みうらじゅん原作の『アイデン&ティティ』が男目線で高円寺周辺のサブカルシーンで右往左往する若者たちの姿を捉えたように、ジョージ朝倉原作の『ピース オブ ケイク』は女の子目線で、より現代の中央線文化を描写する。『アイデン&ティティ』の中島の彼女(麻生久美子)は男にとっての“理想のミューズ”だったが、『ピース オブ ケイク』の志乃は生身の25歳の女の子だ。当たり前のことだが、男だけでなく、女性もまた自己表現欲や野心を抱えながら、恋や仕事に懸命に生きていることに気づかせられる。男と女の違いは、どうやら恋愛に関する発火温度と燃焼速度がビミューに異なるという程度のものらしい。  物語の後半、『アイデン&ティティ』の主人公・中島を演じた峯田和伸が現われ、恋に億劫になっている志乃をギター片手に挑発する。恋愛は出口の見えない不思議な迷宮だ。原作者が異なるはずの『アイデン&ティティ』と『ピース オブ ケイク』がいつしか迷宮の中でリンクしている。ギターをかき鳴らす峯田の歌声に呼び寄せられ、意外な人物が志乃の前に姿を見せる。志乃にとってストライクど真ん中の男だったが、痛い恋愛を経験した志乃はもう状況に流されるだけの受け身の恋愛からはきっぱりと卒業していた。志乃の前に待っているのは、絵に描いたような理想の恋愛ではなく、もっとディープでより激しい大人の恋愛だった。 (文=長野辰次)
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『ピース オブ ケイク』 原作/ジョージ朝倉 脚本/向井康介 監督/田口トモロヲ 音楽/大友良英 主題歌/『ピース オブ ケイク 愛を叫ぼう』加藤ミリヤ feat.峯田和伸  出演/多部未華子、綾野剛、松坂桃李、木村文乃、光宗薫、菅田将暉、中村倫也、安藤玉恵、森岡龍、山田キヌヲ、宮藤官九郎、柄本佑、峯田和伸  配給/ショウゲート PG12 9月5日(土)より新宿バルト9、渋谷シネマライズほか全国ロードショー http://pieceofcake-movie.jp

熱闘! 殿堂入りを目指す男たちの情熱がほとばしる『最後の1本 ペニス博物館の珍コレクション』

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アイスランドの隠れ人気スポット「ペニス博物館」のシッギ館長。自分が生きている間にペニスコレクションを完成させることに意欲を燃やす。
 オスのヘラジカにとって巨大な角は“男性のシンボル”そのものだ。発情期を迎えたオスのヘラジカたちはお互いの角を激しくぶつけ合って、自分の存在をアピールする。ドキュメンタリー映画『最後の1本 ペニス博物館の珍コレクション』を観て、ヘラジカのことを思い浮かべたのと同時に、人間もまた自然界で生きる動物であることを思い知らされた。それほどまでに本作に登場する男たちは自慢のペニスとペニスで激しいツバ競り合いを演じるのだ。  本作の主舞台となるのはアイスランドにある「ペニス博物館」。そして中心人物となるのはこの珍博物館の館長シグルズル・“シッギ”・ヒャールタルソン。中学校の校長を務める傍ら、友人から冗談で牛のペニスの骨をプレゼントされたのがきっかけで、哺乳類のペニスをコレクションしてきた。家の中がペニスの標本だらけになるのを嫌がった妻からの要望もあり、1997年に世界唯一の「ペニス博物館」がオープンする。来場者を圧倒するマッコウクジラの巨大ペニスのホルマリン漬けから、確認するのにルーペが必要なハムスターの極小ペニスの骨など、シッギ館長が個人的に集めた大小さまざまなペニスの標本とペニスに関する美術品が陳列されている。極北の島国で生きる男の尋常ならざる情熱を感じさせるではないか。  もうすぐ70歳を迎えるシッギ館長には憂いていることがあった。館内にはあらゆる種類の哺乳類のペニスをそろっているが、まだひとつだけ展示できずにいる動物がいる。そう、人間である。臓器移植と同じで、人間のペニスは法的な手続きを経たドナー(提供者)の同意書がないと手に入れることができないのだ。シッギ館長の熱い想いに応えるべく、2人の男が勃ち上がった。
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館内にはホルマリン漬けとなった大小さまざまな哺乳類のペニスたちが並ぶ。だが、人間のペニスだけはまだ飾ることができずにいる。
 ひとり目の候補者は、アイスランドが誇る冒険家パゥットル・アラソン。冒険家として知られているだけでなく、若い頃は300人以上の女性と関係したという性豪でもある。90歳を越える高齢ながら、今でも美女とのデートを楽しんでいる。でも自分が死んだらペニスの使い道はもうないから博物館に寄贈するよと、カッカッカッと高笑いする。これに「ちょっと待った!」を掛けたのは米国在住のトム・ミッチェル。ラージサイズのマイペニスを「エルモ」と呼んで溺愛している、ちょいと危ないオッサンだ。博物館に飾られる人類代表の第1号ペニスになるべく、自分が生きている間にペニスを切除して引き渡すと申し出る。氷河と300人の女たちが鍛え上げたアイスランドの名刀か、それとも広大な米大陸が育んだ巨大妖獣エルモか。2本のペニスは火花を散らしながら激しいデッドヒートを繰り広げる。  男性のシンボルであるチンコについて考えるということは、男という生き物は何であるかを洞察することでもある。巨根自慢の米国人トムは、冒険家アラソンのような著名人ではない。ベッドを共にした女性たちしか、トムのあそこの凄さは知らない。ならば自慢のチンコを博物館に飾ることで、自分の存在を世界に、そして後世にまで伝えよう。そう願っている。亀頭部分に星条旗のタトゥーを彫ってしまうほど自分のペニスに深い愛情を注ぐトムだが、実はコンプレックスの裏返しでもある。トムにとってエルモは頼もしい相棒だが、そのエルモのお陰でトムは少なからず女性関係でトラブルを起こしてきた。バツ3のトムはカメラに向かって心情をこぼす。「チンコを切り離すことで、残りの人生を実りあるものにしたいんだ」。  一方の冒険家アラソンも切実な悩みに直面していた。かつては前人未踏の山岳地帯と各国の女体を探検してきた百戦錬磨のアラソンだったが、高齢化に伴ってペニスが縮みつつあるのだ。“男”であることにこだわりを持つアラソンだけに、これは認めたくない現実だった。自分のペニスが急激に縮みつつあることにアラソンはひどく落ち込む。できれば地元アイスランドの名士の威風堂々たるペニスを博物館に飾りたいと考えていたシッギ館長も、アラソンの意外な告白に動揺を隠せない。小さく縮んだペニスを展示することは、地元名士のプライドを傷つけることになるのではないか。おもろうて やがて哀しき チンコかな。このドキュメンタリーは、さらなる予想外の展開へと向かう。
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米国在住のトム・ミッチェル。ペニスだけでなく、陰嚢部分と陰毛との3点セットで、しかも自分が生きている間に寄贈すると申し出る。
 シッギ館長はチンコを待つのに疲れてしまった。チンコが縮んだことを嘆くアラソンだったが、“男”でなくなった後も人生は続く。博物館に寄贈されるのはいつになるか分からない。ではその間、トムはどうしていたかというと、エルモにサンタクロース、リンカーン、バイキングなどのコスプレをさせて自撮りしたチンコス画像を次々とメールで送ってきた。シッギ館長のリアクションが鈍いと機嫌が悪くなる。シッギ館長はコレクションの対象物であるチンコは大好きだが、チンコに付随する本体(人間)にいちいち対応するのがウザくなってくる。チンコ待ちの生活が嫌になる。もともとシッギ館長が博物館をオープンしたのには理由があった。身体の大事な一部なのに、どうして性器を見せることはタブーとなっているのか。もっとオープンに性器に関する知識を広める場があってもいいのではないか。世の中に潜む多くの不条理なタブーを破るきっかけに、この博物館がなれればいい。そんな崇高な志が込められているのに、その肝心な部分を理解してくれる人があまりにも少ない。もういいッ! シッギ館長は博物館の存在意義を誰よりも理解している人間のペニスを、つまり自分のペニスを収蔵する手配を始める。  3本のペニスによる壮絶な三つ巴戦の結果、ようやく博物館に収められる1本が決まる。ホルマリン漬けになったチンコは物静かに、だが雄弁に語り掛けてくる。どんなに文明が発達しても、人間は動物の一種に過ぎないのだということを。 (文=長野辰次)
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『最後の1本 ペニス博物館の珍コレクション』 製作・監督/ジョナ・ベッカー、ザック・マース 出演/シグルズル・“シッギ”・ヒャールタルソン、パゥットル・アラソン、トム・ミッチェル 配給/ギャガ映像事業部 8月8日より新宿シネマカリテほか全国順次公開中 (c)2012 OTIS JONES LTD-ALL RIGHTS RESERVED http://saigo-no-ippon.gaga.ne.jp

空襲で焼け死ぬ前に一度セックスしてみたい……二階堂ふみが演じる戦時下の青春『この国の空』

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「今すぐ食べて」。体が熱くなって仕方がない里子(二階堂ふみ)は、隣に住む妻子持ちの市毛(長谷川博己)にトマトを差し出しながら懇願する。
「私はこのまま結婚もせず、死んでいくのかしら」。19歳になった里子は空襲警報を聞きながら、ふとそんな考えがよぎる。男と愛し合うことも知らず、私は処女のまま死んでしまうのね。そんなことを考えているうちに、里子の頭の中は真っ白になってしまう。二階堂ふみ主演映画『この国の空』は太平洋戦争末期の東京を舞台にした官能系青春ドラマだ。連日のように空襲が続き、本土決戦が叫ばれている。広島には新型爆弾が投下されたらしい。もうすぐ、みんな死んでしまうかもしれない。それなら、死ぬ前に想いを寄せる男性に一度でいいから抱かれたい。戦争に対する恐怖と性への好奇心が心の中で激しく葛藤する主人公・里子に、沖縄出身の人気女優・二階堂ふみがヌードシーンも厭わず成り切ってみせる。  1945年3月の大空襲で東京の大部分は焼け野原になってしまった。里子(二階堂ふみ)が母・蔦枝(工藤夕貴)と暮らす杉並区善福寺一帯は空襲の直撃は免れていたが、若い男たちは徴兵され、子どもたちは田舎に集団疎開してしまい、女性と年輩の男しか残っていない。まるでセミの抜け殻のように、町は活気を失っていた。里子はそろそろ縁談話が持ち上がってもいい年ごろだったが、どこにもその相手がいない。そんな中、里子は隣に住む銀行支店長の市毛(長谷川博己)のことが気になり始める。38歳になる市毛は妻と子どもを田舎に預け、ずっとひとり暮らしを続けていた。時折、敵性音楽であるバイオリンをこっそり演奏したりしている。留守がちな市毛に配給品を届けたり、市毛に頼まれて部屋を片付けているうちに、里子は既婚者である市毛との禁断の恋にどうしようもなく引き寄せられていく。  おしゃれな現代っ子のイメージの強い二階堂ふみだが、昭和初期の「~ですわ」という丁寧な言葉遣いと質素なファッションが逆に新鮮に映る。レトロな開衿シャツに亡くなった父親の遺品を仕立て直したと思われるズボンを組み合わせたシックなコーディネイト。防空頭巾ですら、チャーミングに着こなしてみせる。そんな二階堂ふみが演じる里子の、戦時中という非常時の日常生活が描かれる。娘の嫁ぎ先に疎開することになったご近所の木南さん(石橋蓮司)のところに転出届けを渡しに行き、お礼に貴重なブドウ糖をもらう。甘い物に飢えていた里子は手に付いたブドウ糖の粉を舐め、小さく笑みをこぼす。空襲で焼け出された伯母の瑞江(富田靖子)を居候させることになるが、日に日に少なくなる食事をめぐって母は伯母とすぐケンカになる。その度に里子が間に入って仲裁しなくてはならない。庭に植えたカボチャやトマトに、モンペ姿でかいがいしく柄杓で肥えを掛けるのも里子の役目だ。里子が物心ついたときから日本は戦争をしていたので、もうすっかり戦時下の慎ましい生活が身に付いてしまった。
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6歳上の親戚の女の子は戦時下でも嫁入りしたのに、もうすぐ20歳になる里子には縁談話がひとつもない。里子の頭の中は市毛のことでいっぱいになる。
 ゴーストタウン化してしまった東京を、里子は久しぶりに離れることに。母と一緒に郊外の農家まで闇米の買い出しに出掛ける。夏の陽射しの中をずいぶん歩いて汗を掻いた里子は裸足になり、清流の中でしばし涼む。開放感のあるこのシーンを観て多くの男性は思うだろう。「あぁ、川を流れる水になって、二階堂ふみの足の指のすき間を流れたい」と。またある日、里子は市毛の留守中、片付けを口実に市毛の寝室にまで足を踏み入れる。そして、おもむろに市毛が使っている枕カバーの匂いを嗅ぐ。やはり、多くの男性は思うだろう。「あぁ、二階堂ふみに匂いを嗅がれる枕カバーになりたい」と。そんな不埒な妄想をしてしまうほど、里子と実年齢が重なる二階堂ふみの美しさが匂い立っている。  1983年に発表された原作小説『この国の空』を映画化したのはベテランシナリオライターの荒井晴彦。二階堂ふみのキャスティングよりも先に、脚本だけでなく監督も兼任することを決めていたそうだが、『私の男』(14)でも10代と思えぬ妖艶さを見せた二階堂ふみを演出することが『身も心も』(97)以来となる監督業の大きなモチベーションになったのは間違いない。脚本家・荒井晴彦の初期代表作に『遠雷』(81)がある。ハウストマトを育てる農家に嫁入りすることになったデビュー間もない頃の石田えりの熟れたてのトマトのような、たわわなおっぱいが目に染みる作品だった。本作でもトマトが重要なツールとして使われている。夜更け、悶々として寝付けずにいた里子は庭で実ったばかりのトマトをもいで、市毛宅を訪ねる。真っ赤なトマトを市毛に差し出して、「今すぐ食べて」と迫る。
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里子は市毛と闇米の買い出しに出掛ける。先行きの見えない戦争と夏の暑さが、2人の間にある年齢差と倫理観をドロドロに溶かしてしまう。
「今すぐ食べて」という里子の気迫に押された市毛は、うなずきながらトマトにむしゃぶりつく。市毛の手に握られたトマトは汁を垂らしながら、市毛の口の中へと吸い込まれていく。もう里子も市毛も我慢できない。里子のシャツのボタンは慌ただしく外され、ふんどし一丁になった市毛に押し倒される。里子の頭の中は真っ白になっていく。 『この国の空』は反戦映画ながら、とてもエロチックな作品だ。里子は戦争に負けた日本がこれからどうなっていくのかという社会情勢よりも、年上の市毛には妻子があるという倫理観よりも、処女のまま死んでしまうのは嫌だという自分の衝動に正直に生きる。戦争は嫌。竹槍で戦うよりも、愛する男の肌に触れていたい。わずかな時間でいいから、結婚生活を味わってみたい。二階堂ふみが演じる里子の一途な願望を、誰も否定することはできない。 (文=長野辰次)
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『この国の空』 原作/高井有一 脚本・監督/荒井晴彦 出演/二階堂ふみ、長谷川博己、富田靖子、利重剛、上田耕一、石橋蓮司、奥田瑛二、工藤夕貴 配給/ファントム・フィルム 8月8日よりテアトル新宿、丸の内TOEI、シネ・リーブル池袋ほか全国公開中 (c)2015「この国の空」製作委員会 http://kuni-sora.com

日本はドイツのような分断国家になる寸前だった!? 敗戦処理内閣の苦悩『日本のいちばん長い日』

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『日本のいちばん長い日』で昭和天皇を演じた本木雅弘。ギリギリまで出演するかどうか悩んだが、義母・樹木希林に背中を押されて決意した
 もしポツダム宣言の受諾があと数日遅れていたら、広島・長崎に続く第三の原爆が京都、もしくは小倉、新潟に投下されていたかもしれない。沖縄戦のような壮絶な地上戦が、米軍を相手に九州でも繰り広げられていたかもしれない。南下してきたソ連軍によって北海道は占領されていたかもしれない。8月15日は日本人にとって特別な意味を持つ1日だ。終戦関連のテレビ番組の多くで玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書)を耳にするだろう。では、現人神だった天皇が国民に肉声で敗戦を告げる前代未聞の玉音放送が決定するまでに、政府と軍部の間でどのような攻防があったのか。日本が連合国に無条件降伏した1945年8月15日に至るまでの舞台裏をクローズアップした歴史群像劇が『日本のいちばん長い日』だ。  『日本のいちばん長い日』は1967年にも映画化されている。岡本喜八監督による東宝版『日本のいちばん長い日』は、オールスターキャストによる超大作映画だった。最後まで徹底抗戦を主張した陸軍大臣・阿南惟幾(三船敏郎)と、阿南の剛直さをのほほんとかわす鈴木貫太郎総理(笠智衆)とが対称的に描かれていた。戦争を実体験した世代ならではの迫力と重厚感がモノクロフィルムに焼き付いていた。『クライマーズ・ハイ』(08)や『駆込み女と駆出し男』(上映中)などを手掛けた原田眞人監督による『日本のいちばん長い日』は、阿南陸相と鈴木貫太郎総理の家庭人としての素顔も織り交ぜ、現代的にソフィスティケートさせたドラマとなっている。そして、何よりも岡本監督作との大きな違いは、昭和天皇を真っ正面から描いていることだ。岡本監督作では八代目松本幸四郎(松たか子のおじいちゃん)が昭和天皇に扮していたが、遠景か背中のショットだけだった。アレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』(05)を観たことで本作の企画を思い立った原田監督は、昭和天皇(本木雅弘)、阿南惟幾(役所広司)、鈴木貫太郎(山崎努)の3人の男たちの関係性が日本全土の焦土化を回避 しえた重要な鍵として捉えている。
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海軍の退役大将だった鈴木貫太郎(山崎努)は政治に疎かったが、昭和天皇からの指名を断れず、敗戦処理内閣を率いることになる。
 鈴木貫太郎内閣は海軍のシンボル・戦艦大和が轟沈した1945年4月7日に成立し、終戦直後の8月17日に総辞職している。4カ月あまりの超短命内閣だったが、敗戦が色濃くなった厳しい時局の中、長引く戦争を終結させるという重大な使命を背負わされていた。海軍の退役大将だった鈴木貫太郎は77歳という高齢での総理指名だったが、昭和天皇の強い希望あってのもの。裏表のなさで知られていた鈴木貫太郎はおよそ政治家向けではなかったが、その性格ゆえに侍従長として宮内庁に7年間務めた経験があり、昭和天皇がもっとも信頼していた人物だった。発言力が強い陸軍を抑えるために鈴木貫太郎が陸軍大臣に選んだのは陸軍大将の阿南惟幾。侍従武官を4年間務め、やはり昭和天皇の信頼が厚かった。この3人が一致団結したことで、日本は無事に終戦を迎える……というほど簡単には戦争に幕を降ろすことはできなかった。  陸軍を中心に“一億玉砕”を唱える声が強く、安易に敗戦や降伏を口にすれば、鈴木貫太郎内閣はいっきに空中分解しかねない危険があった。阿南陸相は陸軍の代表であり、また次男を南方戦線で戦死させており、多くの血が流れたこの戦争を自分だけ無傷のままで終わらせることはできなかった。6月には沖縄が米軍に制圧され、7月には連合国側がポツダム宣言を発表する。それでも閣僚会議は遅々として進まない。8月に入り、米軍が広島・長崎に原爆を投下、さらにソ連も参戦。日本が分断化される危機が迫り、ようやく鈴木貫太郎総理が動いた。  原田監督版『日本のいちばん長い日』を観て感じるのは、日本ならではの主従関係、そしてシステムへの従順さに対するもどかしさだ。日本全土が焦土化してしまうかもしれない瀬戸際の段階になっても、日本の指導者たちは降伏を受け入れられずにいる。本土決戦で連合国軍に一矢報いてから、少しでも有利な条件で講和を結ぶべきだという声に鈴木貫太郎内閣は揺さぶられていた。早期終戦を望んでいた昭和天皇と厚い信頼関係で結ばれていたはずの鈴木貫太郎総理と阿南陸相だが、忠臣ゆえにポツダム宣言が求める「無条件降伏」を呑むことができない。無条件降伏すれば、天皇家を連合国側に委ねることになるからだ。昭和天皇もまた立憲君主制では天皇が政治に直接口を出すことは許されていないことを自覚しており、激しいジレンマを抱えていた。8月9日深夜、皇居内の地下壕で昭和天皇の立ち会いのもと御前会議が開かれるが、それでもまだ決着がつかない。最終的に鈴木貫太郎総理が政治タブーである、天皇みずからが判断を下す“聖断”を仰ぐ形で、15年間に及ぶ長い長い戦争は終止符を打つことが決まる。だが、さらなる波乱が皇居内で勃発する。
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皇居内の地下壕で昭和天皇が立ち会う御前会議が開かれる。無条件降伏を受け入れるかどうかで、重苦しい時間が流れていく。
 8月14日夜、皇居内で玉音放送の収録が行なわれる一方、陸軍では不穏な動きが起きていた。本土決戦を前に日本が全面降伏することを知った畑中健二少佐(松坂桃李)ら若い将校たちが近衛第一師団長を殺害し、師団長命令を偽造、皇居内を占拠するクーデターが発生する。宮城事件と呼ばれるものだ。玉音放送を収録したレコード・玉音盤は、あやうくクーデター軍の手に落ちるところだった。畑中少佐らは阿南陸相を神輿に担ぎ上げ、全国民に徹底抗戦を訴え掛けるつもりだった。だが、肝心の阿南陸相は敗戦の責任をひとりで負い、玉音放送が流れる前に陸相官舎にて割腹自殺を遂げることになる。  一見、難解で重苦しい歴史ドラマと思われがちな『日本でいちばん長い日』だが、とても明快でシンプルなメッセージで貫かれている。それは戦争を始めることは暗愚な政治家でも容易にできるが、血が流れてしまった戦争を終結させるのは生半可な覚悟ではできないということだ。日本史の教科書ではわずか数行で済まされる鈴木貫太郎内閣だが、鈴木貫太郎は2.26事件で4発の銃弾を頭や胸に浴びながらも奇跡的に生き延びた強運の持ち主だった。日本を終戦に導くことを自分に託された使命とし、それを完遂した。野心や打算では動かない男たちが70年前のこの国にいたことを想う。 (文=長野辰次)
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『日本のいちばん長い日』 原作/半藤一利 監督・脚本/原田眞人 出演/役所広司、本木雅弘、松坂桃李、堤真一、山崎努、戸田恵梨香、松山ケンイチ 配給/アスミック・エース、松竹 8月8日(土)より全国ロードショー (c)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会 http://nihon-ichi.jp

肉親と精神科医から食い物にされた天才の悲劇!! ビーチ・ボーイズ暗黒神話『ラブ&マーシー』

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サーフィン、ビキニガール、自動車などをテーマにヒット曲を量産したビーチ・ボーイズ。だが、彼らの音楽性が評価される機会は少なかった。
 ロック史上もっとも美しいアルバムと呼んでも過言ではない、ビーチ・ボーイズの歴史的名盤『ペット・サウンズ』。ビーチ・ボーイズのリーダーだったブライアン・ウィルソンの天才児ぶりが遺憾なく発揮された一枚だ。オルゴールを思わせる美しい旋律とハーモニーの絶妙さは、アルバムのリリースから半世紀が経過した今も色褪せることなく、多くのリスナーの心の琴線をつま弾き続けている。だが、1966年の発表当時は内容があまりにも斬新かつ内向的すぎたため、ビーチ・ボーイズの健康的な明るさを愛したファンからは理解されず、「ブライアン・ウィルソンがひとりで勝手に録音した実験作」という低い評価しか与えられなかった。ファンだけでなく関係者からも自信作が評価されず、メンバーからも「ビーチ・ボーイズらしくない」と酷評され、ナイーブな心を持つブライアンは精神を病んでいくことになる。その美しさとは裏腹に、あまりにも悲劇的な運命を背負ったアルバム『ペット・サウンズ』が製作された舞台裏を、ポール・ダノ&ジョン・キューザック主演作『ラブ&マーシー』は解き明かしていく。  『ペット・サウンズ』の収録曲が、どれも泣きたくなるほど美しいのには理由があった。ビーチ・ボーイズはブライアン、デニス、カールのウィルソン家三兄弟に従兄弟のマイク、ブライアンの高校時代の同級生アルの5人で結成されたファミリーバンドだった。生活を長年ともにしてきた彼らならではの息の合ったハーモニーがビーチ・ボーイズの売りだった。そこに60年代カリフォルニアの底抜けに明るいイメージが加わり、1962年にデビューするやたちまち大ブレイクする。ブライアンたちに音楽の手ほどきをした父親のマリーがバンドマネージャーを務めたが、この父親がブライアンをはじめビーチ・ボーイズのメンバーを散々苦しめた。売れない作曲家だった父親は息子ブライアンの恵まれた音楽的才能に嫉妬し、自宅でもツアー先でも事あるごとに息子を罵倒し続けたのだ。ビーチ・ボーイズ人気に陰りが出ると、ビーチ・ボーイズの楽曲をさっさと叩き売りするという暴挙にまで出ている。  幼い頃のブライアンたちは父親の暴力の犠牲にもなっていた。ブライアンの右耳の聴覚がないのは、父親にひどく殴られたせいだという説もある。また、長男ブライアン以上に、ひどい暴力に晒されたのは次男のデニスだった。ビーチ・ボーイズでいちばんの人気を誇ったセクシーガイのデニスだが、晩年は酒とドラッグに溺れ、最期は海で溺死を遂げている。幼少期のDV体験が彼の死期を早めたともいわれている。ビーチ・ボーイズの美しい音楽は、父親の暴虐ぶりを忘れるために生み落とされたものだったのだ。少なくともウィルソン兄弟は美しくハモっている間だけは、父親の悪行を忘れることができた。レコーディングにまで執拗に口を出してくる父親に業を煮やし、ブライアンはマネージャー業からの解雇を命じるが、そのことを父親は根に持ち、さらにネチネチと責め続けた。父親を仕事の場から外すことはできたものの、自宅に戻れば憎悪を溜め込んだ父親が待ち構えている。これは堪らない。ブライアンは22歳のときに、自分がプロデュースしたガールズグループ「ハニーズ」のマリリン・ローヴェル(当時16歳)と最初の結婚をすることになる。
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23歳のブライアン(ポール・ダノ)は傑作アルバム『ペット・サウンズ』を完成させるが、あまりにも時代を先取りした内容だった。
 父親だけでなく、レコード会社も売れる曲を作ることだけをブライアンに求めた。ライブツアーは弟たちに任せ、ブライアンはスタジオに篭り、逃げ場のない状況の中で『ペット・サウンズ』のレコーディングを始める。孤立しがちな現代人の心を優しく捉える『ペット・サウンズ』だが、実はブライアン自身の避難シェルターでもあった。穢れのない音楽の世界に逃げ込むことで、ブライアンは辛うじて息をすることができた。『ペット・サウンズ』が誰にも真似できない崇高さに満ちているのには、そんな哀しい秘密が隠されていたのだ。  映画『ラブ&マーシー』では、ビーチ・ボーイズ全盛期だった20代のブライアンをポール・ダノ、『ペット・サウンズ』が評価されずドラッグ漬け状態となった中年期のブライアンをジョン・キューザックが2人一役で演じ分けている。かつてキラキラしていた才能が輝きを失ったしょぼくれ感を、ジョン・キューザックが見事に体現してみせる。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(07)でダニエル・デイ=ルイスと互角の演技バトルを演じた若手俳優ポール・ダノは、『ペット・サウンズ』製作時のブライアンそっくりなぽっちゃり体型を再現。歌唱トレーニングを積み、ブライアンばりのファルセットボイスも聴かせる。自宅のピアノで「神のみぞ知る」の原曲を演奏してみせるシーンは、名曲誕生の瞬間に立ち会ったかのような鳥肌が立つ。だが、自宅で酒を呑んでいた父親は「女々しい曲だ」「タイトルを変えろ」とネガティブな言葉しか息子に投げ掛けない。ブライアンのイノセントさは名盤『ペット・サウンズ』を生み出すが、作った本人はガラス細工のように粉々に砕け散る寸前だった。  ブライアンの不幸は、父親との軋轢だけではなかった。アルバムセールスが米国では不調だった『ペット・サウンズ』だが、同時期にレコーディングしたシングル曲「グッド・ヴァイブレーション」が大ヒットし、ブライアンはギリギリ土俵際でサバイブすることができた。『ペット・サウンズ』よりもさらに凄いアルバムをと、伝説のアルバム『スマイル』の製作に着手するが、ドラッグの使用量が増えたブライアンの奇行が目立ち始め、『スマイル』はお蔵入りしてしまう。結局、幻のアルバムと化していた『スマイル』が発売に漕ぎ着けたのは37年後の2004年(!)だった。才能と労力を注ぎ込んだ『スマイル』を完成させられなかったことに、当時のブライアンはすっかり落胆した。バンド活動から離脱したブライアンはますますドラッグとアルコールに傾倒し、さらに過食に走る。若妻マリリンは子育てするのに手一杯で、夫の深い悩みのすべてを受け止めることはできなかった。神に選ばれし才能に恵まれながらも、ひとりぼっちで廃人同然の引きこもり生活を送るブライアン。そんな彼に近づいたのが精神科医のユージン・ランディだった。
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ドラッグ中毒に陥ったブライアン(ジョン・キューザック)は、精神科医ユージン(ポール・ジアマッティ)の監視下に置かれることに。
 精神科医ユージンは賛否両論のある人物だ。彼がいなければブライアンはデニスのように早く亡くなっていただろうという擁護派と、ブライアンから莫大な治療費を巻き上げた上に、ブライアンの自伝やソロアルバムの利権という甘い汁まで吸った極悪人だとする断罪派に分かれている。映画『ラブ&マーシー』ではユージン医師(ポール・ジアマッティ)はブライアンを統合失調症と診断し、酒とドラッグとジャンクフードを取り上げる代わりに薬漬けにしてしまう。精神病患者が精神科医と呼ばれる人にいかに従順に依存してしまうかがまざまざと描かれ、サイコホラーのようなおぞましさを覚える。だが、名優ポール・ジアマッティ演じるユージン医師も多くの精神病患者の心の闇を覗き続けるうちに、彼自身が闇に侵蝕されてしまったかのような哀れさがある。ユージン医師はブライアンをマインドコントロールすることには成功するが、ブライアンの心の闇までは晴らすことはできない。  発表から半世紀が経った今も、『ペット・サウンズ』の輝きはまったく変わらない。それは漆黒の闇夜に存在する新月のような孤高さに溢れている。ブライアン・ウィルソンの孤独さが生み出した名曲の数々は、現代人の心にこれからもきっと寄り添い続けるだろう。 (文=長野辰次)
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『ラブ&マーシー』 製作・監督/ビル・ポーラッド 出演/ジョン・キューザック、ポール・ダノ、エリザベス・バンクス、ポール・ジアマッティ  配給/KADOKAWA PG12 8月1日(土)より角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国ロードショー  (c)2015 Malibu Road,LLC. ALL rights reserved. http://loveandmercy-movie.jp

食料が尽きたはずの戦場で食べた奇妙な肉とは? 嘔吐感に見舞われる戦慄のグルメ映画『野火』

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戦場で味わった不思議な食材を題材にした『野火』。本作を観た後で『マタンゴ』(63)を見直すと、これまでと違った後味を感じるだろう。
 戦場で飢餓状態に陥った田村は、朦朧とする意識の中で戦友から不思議な肉を与えられる。この肉のお陰で田村は命拾いするが、それはこれまで一度も口にしたことがない奇妙な味の肉だった。戦友は「ジャングルで捕まえた猿の肉を干したものだ」と笑って説明するが、田村はジャングルで猿を見かけたことがない。その代わり、戦場には日本兵の死体があちこちに散乱していた。田村は自分が口にした肉の正体に気づき、また自分もやがて戦友の食料にされてしまうのではないかという激しい恐怖感に襲われる。大岡昇平原作、塚本晋也監督&主演作『野火』は、世にも恐ろしい禁断のグルメ映画だ。  原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』(87)や松林要樹監督の『花と兵隊』(09)などのドキュメンタリー映画と同じく、『野火』は戦場におけるカニバリズムを題材にしている。第二次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。田村一等兵(塚本晋也)は結核を患っていたことから、分隊長(山本浩司)から病院行きを命じられる。わずかばかりの芋を持たされた田村は野戦病院に向かうが、病院はすでに負傷兵でいっぱい。診察費代わりに芋を巻き上げられた上に、「肺病ごときで入院しようと思うな」と病院から追い出されてしまう。部隊にすごすご戻れば、また分隊長にぶん殴られる。何度も部隊と病院を往復するが、田村はどこにも自分の居場所を見つけられず、ジャングルを彷徨うことになる。そうしているうちに戦況はますます悪化。米軍の砲撃と照りつける陽射しの中、食べるものはまったくなく、野草を口に入れて飢えに耐えていた田村は、目の前にゴロンと千切れて転がっている死んだ日本兵の足や腕に齧りつきたいという欲望に駆られていく。痩せ細った田村が狂気に取り憑かれていく様子を、塚本晋也監督自身が鬼気迫る表情で演じている。  塚本晋也監督といえば、製作・監督・脚本・美術・撮影・照明・出演・編集を兼任したインディペンデント映画『鉄男』シリーズで世界的に知られている存在。タランティーノやダーレン・アロノフスキーたちからもリスペクトされている。ブレイク作『鉄男』(89)は、都会で暮らす平凡なサラリーマンの身体が金属に侵蝕されていくという不条理なSFスリラーだった。息が詰まるような閉塞的な社会で、追い詰められた現代人が別の生命体へ痛みを伴って変貌していく姿を、塚本監督は度々描いてきた。『六月の蛇』(02)ではセックスレスの人妻(黒沢あすか)が、『KOTOKO』(12)では育児に悩むシングルマザー(Cocco)が精神と肉体のバランスを崩し、別人格が暴走を始める。ごく平凡な人間が社会状況に過剰に反応して、モンスター化してしまう恐ろしさが塚本作品には常に漂う。フィリピン戦線を経験した大岡昇平の原作小説を、塚本監督は高校時代に読んだそうだ。戦場という極限状態の中で平凡な男たちが餓鬼化していく『野火』は、塚本ワールドの原風景なのかもしれない。
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10年前から戦争体験者を取材し、フィリピン・レイテ島での遺骨収集に参加するなど塚本監督は地道に製作の下準備を進めていた。
 本来なら戦争映画として膨大な予算を要する映画のはずだが、塚本監督はギリギリの予算でフィリピンロケ、ハワイロケを敢行し、自主映画として完成させている。低予算ながら、米軍の砲撃による日本兵の人体破壊シーンなどは強烈だ。試写会で塚本監督はこのように語った。 「10年前からずっと撮ろうと考えていた作品です。いつか立派な監督になって、お金もふんだんに使って作りたいなと考えていましたが、立派な監督にもなれず、お金もない状況で作りました(苦笑)。先延ばししてもよかったけれど、最近どうも(社会情勢が)キナ臭くなってきている。ますます作りづらくなってきているように感じます。今しかないなと、むりくり作り上げました。予算は掛けていませんが、大勢の方たちの協力のお陰でやりたかったことができました。観た後はドッときて、2日くらい立ち直るのに時間がかかると思います。でも、立ち直ったときには、別の感慨が湧いてくると思うんです」  餓死寸前で行き倒れていた田村は、かつて野戦病院の前で食料を分けてやった若い兵隊・永松(森優作)に助けられる。奇妙な味の干し肉を口に押し込まれ、田村は辛うじて命を保った。永松は皮膚病で脚が不自由になった安田(リリー・フランキー)の分まで、“猿の肉”を手に入れるためにジャングルに出掛けていた。自分たちの食料も満足にないのに、なぜか永松と安田は親切に“猿の肉”を田村に分け与える。それは禁断の肉を食べてしまった自分たちの罪を田村にも背負わせるためなのか、それとも“猿の肉”が手に入らなくなったときのために田村を家畜として生かせておこうという魂胆なのか。多分、安田と永松とではそれぞれ思惑が異なる。若い永松は、食料を分けてくれた田村に恩返しすることで、ほんの少しでも人間らしさを自分の中に残しておきたいのだ。同じ日本兵の人肉を食うという餓鬼道に墜ちた安田だが、それでも完全な冷血鬼になりきることはできずにいる。『ヒルコ 妖怪ハンター』(91)の首から下がモンスター化してしまった親友たちのように、理性のひとかけが辛うじて永松を支えている。だが、どうしても自分が食べた肉の正体を確かめたくなった田村は、永松が生きた“猿”を狩猟している現場を目撃してしまう──。
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昼間は射るような陽射し、夜間は米軍の砲撃が容赦なく日本兵を襲う。戦闘シーンでは、自主映画と思えないような人体破壊描写あり。
 市川崑監督が撮ったモノクロ映画『野火』(59)では、主人公の田村(船越英二)は歯が悪く、干し肉を食べられないまま物語は終わる。終戦から14年しか経っていなかった当時は、カニバリズムを映画の中で直接的に描くのはあまりに生々しすぎたのだろう。だが、塚本監督が撮った極彩色の『野火』の主人公たちはしっかりと“猿の肉”を喰らう。あの世の食べ物を口にした人間は、もう現世には戻れないといわれる。戦争が終わっても、田村は以前の生活に戻ることはできない。田村の心の中ではいつまでもフィリピンで見た野火が炊かれ、黒い一条の煙が流れ続けている。 (文=長野辰次)
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『野火』 原作/大岡昇平 監督・脚本・編集・撮影・製作/塚本晋也 出演/塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森優作 配給/海獣シアター PG12 7月25日(土)より渋谷ユーロスペース、立川シネマシティほか全国順次公開 (c)SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER http://nobi-movie.com