ダミーサークルで信者を勧誘する教団と、それにハマる市民はなぜ生まれる?

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アーレフ公式サイトより
前編はこちらから    オウム真理教幹部でアーレフの元代表でもあった野田成人氏と、新進気鋭の宗教学者・大田俊寛氏との対談は、宗教学や社会学のあり方と、そこに携わる研究者たちの姿勢に疑義を呈しつつ、「公として、死の扱い方には関知しない」といった国家的な構造が、オウムを生んだ一因という議論に発展していった。後半は、そんなオウムの後継団体であるアーレフ(現アレフ)の信者たちが「なぜ今も教団を離れないのか?」という疑問から、話は展開していった。 ――オウムの中では、「死」というものはどのようにとらえられていましたか? 野田成人氏(以下、野田) 教義の中では、輪廻転生という思想とその再生の過程というように解釈していました。 大田俊寛氏(以下、大田) それに関連して、野田さんにお聞きしたいことがあります。『革命か戦争か』(サイゾー)の中で、アーレフという教団においては、かつての終末予言は魅力を失っているし、人類の救済という大義名分もいまや非現実的なものとなっていると論じられている。ところが、なぜまだアーレフという教団にある程度の数の出家信者が残っているのかと言えば、いま教団や麻原を見捨ててしまうと、自分自身が来世で地獄に堕ちてしまうかもしれないという恐怖感があるからだと書かれています。しかし、現代人の一般的な見方からすれば、地獄に堕ちることが怖くて教団から離れられないというのは、あまりリアリティーが感じられない部分だと思われるのですが。 野田 補足して言うならば、大田さんがご著書で書かれていたように、アーレフという全体主義的な共同体の価値観の中に溶け込んでいたいという願望は、大きな要因としてあると思います。一生懸命やっている信者は、しっかり修行をすれば来世は大丈夫なのだと思っている。教団を離れられない信者は、そういったところを否定しきれないのです。また、事件後に新しく入ってきた信者がアーレフにはいるのですが、彼らは都市化した無機質な、つながりのない群衆の中での孤独にさらされていて、そういった状況から、統一的な全体像をつかむための価値観を求めている部分があります。現状、アーレフには新しい信者も古い信者もいますが、来世で自分は良い世界に行けるか行けないかというのは、信者の中の中心的な興味のひとつであると思います。それだけではありませんが。 ――オウムでは、洗脳する時に、地獄に堕ちるというような、かなり恐ろしい映像を見せていると言われていますが。 野田 過去にはそういうこともしていました。映像を見せていたのは、95年前後ではないでしょうか。 大田 野田さんも、そういう映像を見せられた経験があるのですか? 野田 私は94~95年には幹部でしたので、そういった映像を見た記憶はありません。私が出家したのは、87年の10月頃です。それから、アメリカやドイツへ布教活動に行きました。87年当時は、教団はまだかなりソフトで、麻原への帰依も強要されませんでした。昔は教団で出していた月刊誌があったのですが、その表紙は美人信者だったりしました。ところが、いつのまにか麻原を表紙にして、麻原色を強めていきました。それがどんどん強くなっていったのが、90年代半ばくらいです。 大田 現在、アーレフの信者数は、増加傾向にあるのでしょうか。 野田 辞める人もそこそこいますので、大体、横ばいか少し増えている程度だと思います。私は、アーレフは死んだ宗教だと思っています。新しく入って来る信者は、年齢的には20歳前後で、地下鉄サリン事件が起きた時は4~5歳だったりするので、事件があったことすらよく知らない信者もいます。 大田 新しい信者を惹きつける、一番の魅力になっているものは何でしょうか?
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大田俊寛氏。
野田 それは端的に言って、麻原です。教団の中では、麻原は10億宇宙にただひとりの存在であると見なされています。宇宙が10億集まった中で、一番の魂だということになっているのです。地下鉄サリン事件のことをどう説明しているのかというと、教団の中で統一的にどうかは分かりませんが、ひとつは「陰謀論」です。事件はやっていないけれども、フリーメイソンによってそう仕立て上げられているとか、そういう説明をしています。だから、本当の救世主である麻原は不当に牢獄に閉じ込められていると。 ――そのような陰謀論が信じられているのですか? 野田 信じる人は信じるし、おかしいと思う人の中には、私のところに相談に来てから、アーレフを辞めていった人もいます。言い方を変えると、いまの宗教が私的領域に追い込まれているので、何でもありという形になってしまっているところがあるのです。 ――偶像として麻原が掲げられているのは分かるのですが、麻原やアーレフが自分たちに何をしてくれるのかということについては、どう考えているのでしょうか。 野田 アーレフの勧誘形態として、自己啓発セミナーで新たに勧誘するということがある。教団の幹部が、セミナーで麻原の役を演じることもあります。もうひとつの要因としては、信仰というものの特性です。信じることそのものが、力を持つことがある。信じることによって、実際に麻原を拝んでいたら仕事が見つかったとか、願いが叶ったとか、「暗示の効果」に近い部分もあります。生きた教祖は教団にはいませんが、アストラル次元でつながっていると教団では言うのです。それを信じて、実際に力を得ている人もいますね。 ――教義はともかく、麻原を信じれば救われると考える人もいるということですが、確かに、いきなり素人に難しい教義の話をするよりは、その方が分かりやすいのかもしれませんね。 野田 教義に惹かれる人も、ある程度はいます。一応、仏教的な戒律を一生懸命守っていますので。何が正しいか、何が間違っているか分からない今の社会の中で、ひとつの指針になるものとして惹かれる人もいます。 大田 地下鉄サリン事件への関与をオウムが正式に認めたのは、95年からかなり時間が経ってからのことですよね。それは現在、内部でも正式に認めているのですか? それとも、先ほどうかがったように、陰謀勢力の仕業と言っているのでしょうか。 野田 結局、教団が公に認めたのは、99年のことです。96年から98年までは、事件への関与を認めるべきかどうか、現役信者や在家信者への影響を考えていました。認めるかどうかの判断は、私が意思決定をしていた部分でもあります。結果的に、表に対しては認めたのですが、信者はほとんど関心の対象としていないようです。あまり考えないようにしているというか、考えても整合性がつかないから、答えようがない。少なくとも出家信者に関しては、修行をしておけば高い世界に行けるからという理由で、その問題を棚上げしています。 大田 その辺りが、外部から見ると腑に落ちないところです。新しい信者が来た際、当然、地下鉄サリン事件とは何だったのか聞かれると思うのですが、納得のいく説明をするのは非常に難しいのではないですか? 野田 そうですね。教団内の信者で、それを整合的に説明できる信者はいないと思います。だから、陰謀論を出してきたり、ともあれ自分はこの修行によって恩恵を受けているのだから、といった形で済ませてしまう。しかしやはり、事件が勧誘のネックになっていることは事実です。ですから、ヨガや仏教のダミーサークルを作って、そこで信頼関係を構築してから、その後でアーレフということを明かします。そこでもちろん、離れていく人もいます。しかし逆に、あんなに悪い教団と思っていたのにイメージと違うということで、中に入って確かめようという人もいます。 ■カリスマ言論人を求める出版界の事情 ――最近では、スピリチュアルなものが盛り上がっています。スピリチュアルなものは新興宗教に入るひとつの入口になると思うのですが、アーレフはそういったものに関わっているのですか? 野田 GREEやmixiなどで、ヨガや潜在意識で能力を開花させるといった、ダミーサークルを作っています。 ――スピリチュアルなものを求めている一般の方についてはどう思いますか?
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野田成人氏。
野田 今の社会の構造として、死や生の意味付けに関する取り扱いの基準が欠けているという状況があるため、いろいろなものが乱立し、スピリチュアルなものを求めるという現象も生じていると思っています。 ――宗教学者としては、スピリチュアルなものの隆盛をどう思われますか? 大田 やはり、今回の対談で話してきたように、何のために生きているのかというとても大きな問題があります。人は生きている間に、さまざまな喜怒哀楽の感情を経験したり、日々の努力を重ねて必死に生きたりしていますが、そもそも死ねば全てがなくなってしまうのに、なぜこんなに苦労して生きていかなければならないのだろうと、ふと分からなくなる瞬間がある。生きるということは、死ねば全てが無に帰するのではないかという圧倒的な問いの前に、常にさらされているわけです。スピリチュアルなものは、その問いに対して非常に分かりやすく、簡略的で簡便な答えを与えようとしているように思われます。 ――占いなどでは、とても簡便な答えが求められているように感じますね。 大田 スピリチュアルなものが、本当に社会のあり方を変えるのかと言われれば、私にはとても信じられません。資本主義的な社会を生きていく上で、その生きづらさをごまかすというか、生や死の問題について仮初めの幻想的な答えを与えて、生きづらさを一瞬だけ緩和するという機能しかないのではないかという印象を持っています。ただ、一時的にではあれ、それらに触れて救われたように感じる人がいることも否定できないので、ナンセンスの一言で済ませられない部分もありますね。 ――オウムを総括する本を出された大田さんや、大田さんの世代(30代半ば)が今後果たして行く役割とは何でしょうか? 大田 近代のシステムは万能ではないし、野田さんのおっしゃるように、資本主義は陰を生んでいく。それは本質的にぜい弱なシステムであり、いつ崩壊するかも分からないシステムです。しかしだからといって、悩める現代人に対して俺が生き方を教えてやろうとか、こうすればこれまでの問題がすぐに解決できるといったことを軽々に発言しないということが、研究者が今後最も気をつけるべき点だと思います。人々に生き方を教える「カリスマ言論人」になって欲しいという圧力は、研究者や知識人の周囲にとても強く存在しています。それこそ資本主義の問題なのですが、そういうカリスマ言論人の本は部数も伸びるので、出版社側も、一大ブームを起こして本を売りたいという願望があるのでしょう。 ――カリスマ言論人に出てきてほしいという思いは、我々出版に関わる人間には、根強いのかもしれません。 大田 オウム事件のような宗教的問題を含め、ある問題が生じたときには、不安定な社会に生きる一員として、研究者もそういう状況に巻き込まれて生きていかざるを得ません。そして、その問題をどう解決できるのかということはすぐには分からないけれど、その問題自体がどのようにして成立してきたのか、どのような構造を備えているのか明らかにするということが、研究者の役割であると思っています。 ――お2人とも、出版後の反響はどうでしたか? 野田 私は叩かれると思っていたのですが、本はほとんど売れず、あまり反響はなかったですね。ある意味で事件を肯定するようなことも言っていたので、拍子抜けしました。 大田 次の本を書きませんかという依頼はいくつかいただきましたが、肝心の宗教学者からの反応は、一部を除いてほとんどありませんでした。どう考えても、私の本に応答するべき、オウム問題について私より責任の重い先人たちがたくさんいるはずなのですが。  最後に、私の方から申し上げたいことがあります。私は元々、グノーシス主義という古代の宗教を研究していたことから、今でもどこか、古代から現代を見ているところがあります。そういう歴史的な目で見ると、近代というのはとても特殊な時代に思われます。それまで人間社会の規範として存在してきたもの、その運動を制御するリミッターとして機能していたものが外されて、人口が膨大に膨れ上がり、その人口を支えるための政治的・経済的システムが、ここ100~200年の間に急速に複雑化しました。そして、誰も社会の全体がどうなっているのか分からないという、前代未聞の状況が成立してしまった。そういう世界を生きているのだということを、我々はよく自覚する必要があると思います。 ――そういった社会に、どう対処すればいいのでしょうか? 大田 社会がどのような仕組みで動いているのか、そこで生じるさまざまな問題にどのように対応するべきなのかといった事柄に答えを見出すことは、実際には非常に難しく、また当然そこから、「誰か答えを教えてほしい」という社会的欲求が出てくることになります。そして、そうした欲求に答える存在として、「私が答えを教えてあげよう」と称する知識人が輩出され、それと並行する形で、結局のところ人類の行く末はハルマゲドンかユートピアかだという、オウム的な二元論も生まれてきたのです。しかし、複雑な問題や状況に対して、安易な答えを与えることや、それらを単純な二元論にすり替えることは、私はすべて虚偽であると考えています。その意味において、野田さんの提示する「革命か戦争か」という二元論は、オウム的な思考の枠組みを、まだ完全には脱していないところがあるのではないか。むしろ、簡便な答えにすがったり、単純な二元論に陥ったりすることなしに、社会や人間に関わる問題をいかに粘り強く探求し続けることができるのかということが、真の「オウム以後」の課題ではないかと思うのです。 ※ ※ オウム真理教の内側を綴った『革命か戦争か』、オウム真理教事件を外側から総括した『オウム真理教の精神史』(春秋社)。内側と外側を対比させながら、オウムの事件について再度考察してみるのはどうだろうか。 (構成=本多カツヒロ) ●のだ・なるひと 1966年生まれ。1987年東京大学物理学科在学中にオウム真理教に入信・出家。95年教団内で正悟師の地位に就く。以降、幹部として教団運営において指導的役割を果たす。2007年アーレフ代表に就任。09年3月「麻原を処刑せよ」と主張したことによりアーレフから除名。現在はNPO「みどりの家族」を立ち上げ、ホームレスの自立支援や脱会信者の支援に力を注ぐ。独自にオウム事件被害者の賠償問題にも取り組んでいる。 ●おおた・としひろ 1974年生まれ。専攻は宗教学。一橋大学社会学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。著書に『グノーシス主義の思想――<父>というフィクション』(春秋社)がある。
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自ら「グル」になろうとした中沢新一ら研究者たちの罪と罰

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 オウム真理教による地下鉄サリン事件から、今年で16年が経過した。15年の節目には各出版社もオウム問題を総括すべく、書籍の刊行や雑誌で特集を組むなどしたが、大きな反響もなく、もはや事件は風化したというのが現実ではないだろうか。しかし、オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件は、いまだにきちんとした総括が行われているとは言いがたい。宗教学者の大田俊寛氏は、今年3月に出版された『オウム真理教の精神史 ロマン主義・全体主義・原理主義』(春秋社)において、宗教学者の責務を果たすべく、オウム事件の総括を試みた。今回、その大田氏と、元オウム真理教幹部でアーレフ(現アレフ)の元代表でもあった野田成人氏に対談を行ってもらった。野田氏自身、事件を総括すべく、昨年オウム真理教とアーレフ時代の出来事を克明に綴った『革命か戦争か オウムはグローバル資本主義への警鐘だった』(サイゾー)を上梓している。オウムという存在を、内側と外側から考察してきた2人の言葉から見えてくるものとは? ――野田さんは昨年『革命か戦争か』を出版されましたが、やはり地下鉄サリン事件から15年が経過して、あらためて事件を総括したいとお考えになったのでしょうか? 野田成人氏(以下、野田) 昨年、『革命か戦争か』を出したときには、私はすでにアーレフを辞めさせられていました。事件に関しては、元オウムの幹部としては、平謝りするしかありません。ただ、オウムの中でもいろいろな問題がありましたが、世の中を見ていて、日本社会の構造の問題について書いてみたいと思いました。 ――日本社会の構造の問題というのは? 野田 例えば、非正規雇用の問題であったり、他には僕が学生の頃はコンパが盛んに行われ、酒を一気飲みさせられたり、頭から酒を浴びせられたりしました。こんなことの何が楽しいのかとあきれていました。ちょうどバブルの真っ只中だったこともあり、世間はお金と物であふれていました。そういった物質主義的なところに違和感を覚えていたのも確かです。 ――大田さんは以前に「グノーシス主義」を研究されていますが、グノーシス主義とは何でしょうか? 大田俊寛氏(以下、大田) 一言で言えばグノーシス主義とは、紀元二世紀頃、初期キリスト教に発生した異端的宗派のことです。しばしば「キリスト教の最初にして最大の異端」とも呼ばれています。 ――グノーシス主義やキリスト教神学の研究から、今回出版された『オウム真理教の精神史』のように、考察の対象がオウムという現代宗教へ移ったのはなぜですか? 大田 グノーシス主義をテーマに博士論文を書き終え、非常勤講師として大学の教壇に立つ頃には、私は、宗教学は人文社会系の諸科学の中でも、とても重要度が高い学問であると考えるようになっていました。その理由は、人間が作る社会というのは、必ず何らかの「信用」や「信仰」を基礎にして成り立っているからです。例えば現代の資本主義では、それ自体としてはただの紙切れでしかない「貨幣」という存在への信用や信仰を中心に、社会が成り立っている。社会の構成要素には、必ず信用や信仰の次元が存在します。そして宗教についての学というのは、社会の中心にどのような「信仰」があるのかということを第一義的に明らかにするための学問である。ゆえに本来、社会科学の最も根幹にあるべき学問であると考えています。  ところが、現在の宗教学を見てみると、地下鉄サリン事件当時、東京大学の宗教学の先人たちがひどい振る舞いをしてしまったこともあり、まともに物を考えることができる人であれば、日本の宗教学者の言うことには耳を傾けようとしないという状況が続いています。サリン事件以降、宗教学者は完全に社会的信用を失ってしまったわけです。一方で宗教学の中では、宗教学はディシプリンを必要としない「ゲリラ学」であるといった、根本から誤った認識がいまだに拡がっており、私はこうした考え方が、オウム事件を後押しすることにつながったのではないかと考えています。私自身、一人の研究者として、宗教学の再構築に携わりたいと思っているのですが、その第一歩として、オウム事件を学問的にどう捉えることができるかということをあらためて問題にしてみたいと思いました。
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野田成人氏。
――今回の対談にあたって、お互いの著作を読んできていただいたのですが、率直な感想はいかがでしょうか? 野田 大田さんの『オウム真理教の精神史』を読んで大変興味深く思ったのは、オウムに対しての今までの批判というのは、オウムは仏教でもチベット密教でもないただの異端であるとか、その異端が勝手にサリン事件を起こしたのだというものが多かった。しかし大田さんは、オウム事件の背景には、近代の体制において、死を扱う宗教というものを私的領域に追い込んでしまったという構造的問題が存在すると言っています。私は、資本主義が生んだ構造的問題からオウムにアプローチしていますが、オウムという存在が、社会が抱えている構造的な矛盾からにじみ出てきたものであると見る点で、共通の捉え方ができるのはないかと思います。そういうことを宗教学者の立場から言っていただけるとありがたいです。 ――大田さんは野田さんの『革命か戦争か』を読んで、どう思われましたか? 大田 オウム真理教の元信者によって書かれたこれまでの著作は、地下鉄サリン事件がどのようにして起こったのかというところで終わっているものが多かった。しかし野田さんの著作では、地下鉄サリン事件の後、教団がどのような紆余曲折を経たのかについて書かれている。具体的には、教団内において麻原信仰への回帰の動きが見られることや、アーレフ内における松本家の支配体制の在り方、そして最終的に野田さんがそこから排除される過程についてなどが克明に記されており、その点でとても価値のある本だと思います。 野田 大田さんの本の帯の、「近代の暗黒面を暴く」というのはいいですね。 大田 この言葉は、編集の方が考えてくれました。野田さんの本では、近代に発展してきた資本主義のシステムが背景にあって、資本主義から排除されたものが巡り巡ってオウムのような集団になったという分析が見られるので、「近代の暗黒面を暴く」という視点において、私の著作と共通性が見られると思います。私自身はこれまで、グノーシス主義やキリスト教教義史といった分野を研究してきましたので、宗教現象を見るときに、そこにある理念や教義が、いつ頃現れてどのように発展していったのかということを歴史的に考えてみるということが、体質として染み込んでいるところがあります。95年以降、オウム真理教に関する論考は膨大に発表されましたが、しかしそれらはどれも歴史的な視点を欠いていました。ゆえに、オウムに対して研究者が行うべき仕事が果たされていない、中でも島田裕巳さんや中沢新一さんに対しては、本来宗教学者としてやるべき仕事をまったく行っていないと考えていたのです。 ■中沢新一の著作は、ネタ本として教団内に転がっていた ――著書の中でも、中沢さんや島田さん、また宮台真司さんについては批判的ですが、学者が本来、オウム事件に関してやるべきこととは何でしょうか? 大田 まず第一に、善悪の価値判断に関わることや、個々人の生き方を左右するようなことを、軽々に発言するべきではないということです。私は中沢さんに対して極めて批判的ですが、彼は事件当時、方向性を見失ったオウム信者たちを今後は自分が引き受け、彼らに生き方の指針を示すといったことを発言した。また、社会学者の宮台真司さんは、『終わりなき日常を生きろ』(筑摩書房)という著作を発表し、麻原の打ち出した方向性は間違っていた、ゆえに今後の主体はこうあるべきだというヴィジョンを、あたかも「新たなグルの指令」のような仕方で発信した。研究者という立場にありながら、「次は俺がお前たちの生き方を示す」といったメッセージを軽薄に発してしまったことには、大きな問題があったと思います。むしろ研究者は、安易に状況に介入するのではなく、その事件や現象がどのような歴史的経緯とメカニズムの上に成り立っているのか、あるいは、それが社会的に蓄積されてきたどのような問題によって生み出されたのかを、可能な限り客観的に説明することに努めるべきであると思います。 ――中沢新一さんの『虹の階梯』(平河出版社)はオウム真理教のネタ本であると言われていますが、実際、オウムの教団内では読まれていたのでしょうか? 野田 教団の中では麻原の書籍以外は読んではいけないのですが、『虹の階梯』だけは転がっていましたね。 ――麻原が『虹の階梯』について直接言及したことはあったのですか? 野田 それはありませんでしたが、教団の中ではネタ本として半ば公になっていたので、みんな参照はしていました。 大田 ポアという言葉をオウムに教えたのは、『虹の階梯』ですからね。 ――ネタ本を書いて、その後、オウムに関する論考を発表していた中沢新一さんの学者としての態度についてはどう思われますか? 大田 宗教学者として、近代における宗教の在り方や問題をどのように捉えるかという、学問的フレームワークを持っているべきだったと思います。しかし中沢さんの経歴を見てみると、そういった学問的フレームワークを十分に時間をかけて習得したという形跡がどこにも見当たらない。研究者としてのアイデンティティーに思い悩んだままネパールに渡り、チベット密教の修行のノウハウを身に付けて日本に帰ってきた。そしてニューアカ・ブーム(1980年代に日本の人文社会系で起こった流行)の一躍を担う人物として、広く世間から受け入れられた。こうして、一研究者としてのエートスや倫理観であるとか、学問的ディシプリンをどの段階でも身に付けることなく、ニューアカ・ブームに引きずられるように「売れっ子知識人」になってしまったのだと思います。 ――本書の中で書かれていますが、そうしたことが、中沢さんがオウム事件を総括していない理由なのでしょうか。 大田 私から見ると、中沢さんは、オウム事件を総括しようにも、そもそも「できない」のではないかと思います。中沢さんはニューアカ・ブームの波に乗って著名な知識人となり、その影響力から、非常に無自覚な仕方でオウムの運動を後押ししてしまったわけですが、そうした経緯全体を客観的に分析するための学問的フレームワークを、彼は持っていないのですから。ゆえにいつまでも、メディアからの言外の欲求に応じるような仕方で発言してしまう。そして学者という立場にありながら、その場その場の状況に流され続けてしまう。 野田 先ほど、宮台さんについても触れました。宮台さんは、ハルマゲドンを待ち望む「男の子的終末観」に対して、ブルセラ女子のように生きることが解決策だ、みたいなことを言っていましたね。
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大田俊寛氏。
大田 宮台さんはオウム的な終末論に対して、自分が生きる意味を考えたり、歴史に目的を求めたりするような主体はもう古いと訴えました。そして、自分の体を売りたいときに売ってお金を稼ぎ、欲望を叶えていくような、意味に囚われない主体というものをブルセラ少女に仮託し、こうした新しい世代によって「まったり革命」が起こると唱えた。本書の中でも指摘しましたが、こうした発想のベースにあるのは、ポストモダン的なニーチェ主義です。目的なき永劫回帰の流れに身を任せ、意味に縛られていた畜群的主体性を脱却して、超人という新しい主体として生まれ変わるという、ニーチェ主義の焼き直しであると思います。中沢さんや宮台さんの言説の背景にあるポストモダン的なニーチェ主義は、思想史的に見ればまさにオウムと同根であるということを誰かが指摘するべきでしたが、そのような人物は当時どこにもいませんでした。 ――話は戻りますが、大田さんはご著書と野田さんの本には共通性があるとおっしゃっていましたが、野田さんはどう解釈されますか? 野田 私は、死の問題について、『革命か戦争か』でもっと触れたかったのですが、どう考えていいか迷っている部分がありました。そして大田さんの本から、死の問題に関するヒントを得られたと思います。中世以前のキリスト教が支配している社会では、国家を含めたひとつのシステムの中で、死の位置づけが与えられていた。死を含めた、人生の意義づけが成立していた。しかし近代においては、宗教と死の問題が私的領域に追い込まれ、オウムのような宗教が出てきてしまった。近代の社会では、死というものを公の領域から遠ざけている一方、それに対して統一的な見解を見つけ出したいという欲望を反動的に掻き立てたところが、オウムにはあったのではないか。もちろん、中世のキリスト教社会での死の取り扱いが真実かどうかは別問題として、ひとつの基準があった。その基準がないというのは、近代におけるひとつの問題だと思います。 大田 死の問題についてですが、人間とは死者からいろいろなものを継承して生きている存在であるし、それによって社会を成り立たせている存在です。我々が話している言語だって、いま生きている人たちがすべて自分たちで創り上げたものかといえば、決してそうではない。我々より前に生きていた人たちが使っていたものを継承するという形で、言語を使い、生活して、社会を成り立たせているわけです。このように、死者との関係がどのようなものであるかということが、社会を成立させていく上で常に重要な事柄なのです。もちろん物理的に言えば、死者はもうこの世には存在しないので、死後の世界がどういうものか、死者の魂はどうなっているのかということは、宗教学の立場から赤裸々に言ってしまえば、どんなお話を作ってもその真実性を証明することはできないし、あくまでひとつの「フィクション」でしかないのですが。 ――現代では死の問題は、非常にタブー視されているというか、なかなか触れづらい問題ではありますね。 大田 しかし、奇妙なことではあるのですが、死者に関するフィクションを創設し、そのフィクションを中心に据えておかないと、人間の社会はアノミー的状況に晒されてしまう。人類は、歴史が分かる限りでは、もう何万年にもわたって、死者に関するフィクション──それはすなわち「宗教」と言っても良いかもしれませんが──を中心に、社会や歴史を作ってきたわけです。しかし、ヨーロッパというある特定の地域で宗教戦争が数多く起こってしまったために、宗教的な事柄をめぐって争うのはもう止めよう、宗教を社会の中心に据えるのは止めにしようという合意が成立した。これは歴史的に見ると、大変例外的な状態です。そしてそこから、政教分離という非常に特異な社会形成の様式が編み出され、それによって近代という時代が作られたのです。 ――日本も近代化において、政教分離原則を受け入れていますよね。 大田 私は、日本という国家は、近代という仕組みに「過剰適応」してしまったところがあるのではないかと思うのです。欧米では、さまざまな意見や議論があるにせよ、死に関わる問題は最終的にはキリスト教が担うのだという暗黙の了解がある。ところが日本では、近代が成立した歴史的経緯が捨象され、その表面的原理に過剰に適応してしまったところがある。そして、死とは何かという問題については、個々別々に勝手に考えてくださいという状況になってしまった。そこから、麻原が抱いたようなある種の幻想、社会ではとても共有できないような幻想が力を持つという状況が生まれてしまったのではないかと思います。 (構成=本多カツヒロ/後編に続く) ●のだ・なるひと 1966年生まれ。1987年東京大学物理学科在学中にオウム真理教に入信・出家。95年教団内で正悟師の地位に就く。以降、幹部として教団運営において指導的役割を果たす。2007年アーレフ代表に就任。09年3月「麻原を処刑せよ」と主張したことによりアーレフから除名。現在はNPO「みどりの家族」を立ち上げ、ホームレスの自立支援や脱会信者の支援に力を注ぐ。独自にオウム事件被害者の賠償問題にも取り組んでいる。 ●おおた・としひろ 1974年生まれ。専攻は宗教学。一橋大学社会学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。著書に『グノーシス主義の思想――<父>というフィクション』(春秋社)がある。
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「いったい目的は何!?」レスラー・ボクサー・格闘家が続々入信するカルト団体の怪

 カルト団体への入信をめぐって、格闘技界に奇妙な騒動が起こっている。  ある総合格闘技団体に出場していた選手4名が先日、長く所属していたジムを脱退。戸惑ったジム会長が理由を聞いたところ「もっとメンタルが強くなれる道場が見つかった」という返答があったが、他のジムに移籍した様子はなく、4選手が宗教的な瞑想儀式を行っているカルト団体に出入りしていることが分かった。 「選手たちに一体どういうことなのか聞いたんですが"心を鍛えるため"としか答えない」(同会長)  そこで、その団体について調べたところ、出版社を名乗る会社と各地でメンタルトレーニング的なセミナーを定期開催しており、ほかにも数多くのプロ選手が出入りしていることが判明。プロレスラー6名、ボクサー8名、力士4名、ほか格闘家10名以上。分かっているだけでも多くの格闘家が同団体主催のセミナーに通っている状況だ。  これだけなら別に問題はないが、奇妙なのは先の総合格闘家たちのように、この団体に出入りすると、なぜか"本業"への悪影響が出ていることだ。  プロレスラー2名はあるインディー団体に所属していたが、最近は試合数も激減。インディー団体関係者によると「以前は月7~8試合は行っていたものが昨年からは出場オファーをしても"スケジュールの都合がつかない"と断られるようになり、月に1試合程度になってしまった」という。 「レスラーの親から"息子が変なセミナーに通っている"と連絡があったんですが、選手本人に聞いてもハッキリ答えないので......」(同関係者)  また、千葉県のボクシングジムからは日本ランカー3名と彼らを指導するトレーナーの計4名がこのカルト団体に出入り。なんと現在この4名とも、所属ジムから脱退することをジム側と交渉中だというから驚きだ。  さらに、都内の相撲部屋からも3名の若い力士が問題の団体の主催するセミナーに参加しており、この部屋の関係者に問い合わせたところ「その力士たちが急に部屋での集団生活から出たいと言い出して困っている」ということだった。  格闘家たちがこの団体とかかわった途端、一様に妙な行動に走るようになっているわけだが、この団体のホームページに書かれている電話番号にかけてみても「参加に関する問い合わせ以外のことは答えられません」とシャットアウト。  前出の総合格闘技ジム会長によると「大金をとられている様子もない」とのことで、現時点でこの団体にかかわって直接的な被害などが出たという報告も聞かれてはいない。 「ただ、選手生命にかかわる後ろ向きな行動に走る部分が不安です」(同会長)  セミナーに参加した選手のひとりは「ラッキーパーソンに選ばれた」というようなことを口走っていたというが、この団体については組織の概要や規模など多くのことがまだ謎に包まれている。厄介なことにならなければいいのだが......。 (文=鈴木雅久)
カルトか宗教か どっちもいらない。 amazon_associate_logo.jpg
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「選手やコーチを折伏!?」"宗教戦争"を制した千葉ロッテ・西村監督を危惧する声

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千葉ロッテマリーンズ公式サイト
 かつてはチームメイトだった中日・落合博満監督と千葉ロッテ・西村徳文監督が雌雄を決した今年のプロ野球日本シリーズ。「第1・2・5戦が地上派の中継なしという近年希に見る注目度の低いシリーズ」(野球担当記者)というものの、第6戦でシリーズ24年ぶりの引き分け試合となる大激戦が展開され、最終第7戦を制したロッテが5年ぶりの日本一となった。 「クライマックスシリーズ(CS)導入後、パ・リーグ3位からの日本一は初めて。しかも、西村監督は就任1年目の栄冠。シリーズ前の会見で、『な、西村』などロッテ時代に先輩だった落合監督が先輩風を吹かせるなど完全に見下していた。しかも、シーズン中はあれだけ強かった本拠地・ナゴヤドームで1勝しかできず、落合監督にとっては屈辱的だったに違いない」(同)  しかし、本筋とは違うところで注目されていたのが両監督の"宗教戦争"だったという。  落合監督は、「以前、創価学会の会員だったが、91年に学会が日蓮正宗に破門されてからは宗門(日蓮正宗)の信徒になった。熱心な信徒で、他宗派の行事に参加することができないため、シーズン前の恒例となっているチーム全員での熱田神宮詣も『宗教上の理由』で欠席する」(宗教ジャーナリスト)というから、信仰に関しても"オレ流"。  対する西村監督は、「奥さんが熱心な創価学会の会員で自身も会員となり、今年で入会25年目の大ベテラン。学会の機関紙『聖教新聞』や機関誌『潮』に登場。05年、まだ千葉ロッテのヘッドコーチを務めていた千葉ロッテが日本一に輝いた際には、『聖教新聞』のインタビューで『(現役も含めて)プロ生活24年で、初めての優勝(中略)ホントに信心を貫いてきてよかったと、心から感激した瞬間でした』と語っていた。06年に学会内に発足したスポーツ部門の『創価勇勝会』に名を連ねている。おまけに、今年は創価学会創立80周年の記念すべき年だけに負けられなかったのでは」(同)ということもあってか、野球界での宗門vs学会の"宗教戦争"は西村監督および学会に軍配が上がった。  しかし、来シーズン以降の西村監督を危惧する声が早くも上がっている。 「今回の日本一でさらに信心が高まり、選手やコーチを折伏(=新規会員の開拓)しないかが心配。そういうことがあればチームがバラバラになるし、自らの進退問題につながることにもなりかねない」(千葉ロッテ担当記者)  ちなみに、このところ、就任1年目に日本一の栄冠に輝いた監督の2年目はというと、02年の巨人・原辰徳監督が03年はリーグ3位、04年の西武・伊東勤監督が05年はリーグ3位でCSにも敗れて日本シリーズ出場ならず、08年の西武・渡辺久信監督が09年はリーグ4位と振るわない。  就任から2年連続日本一を成し遂げた監督をさかのぼると、86年と87年にシリーズを連覇し、その後、西武黄金時代を築いた森祇晶氏だが、今回のシリーズでの延長戦はその森監督が指揮をとった86年のシリーズ以来。やはり、何か西村監督の"神懸かり"的なものを感じるだけに、来年はあっさり偉業を達成してしまうかもしれない。 (「サイゾー裏チャンネル」より)
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「目指すは教祖!?」フジ退社の高島彩 「かむながらのみち」にまつわる仰天証言

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「着信のドレイ 」(ポニーキャニオン)
 フジテレビ『めざましテレビ』で人気の女子アナ、高島彩が年内で退社することを公表した。  表向き退社の理由は「朝日を浴びて目を覚ます生活を送りながら、自分自身を見つめ直したい」と休養するためとしているが、フジ関係者によると「退社の申し出があったのは昨年のことで、慌てた上層部が"疲れているなら長期休養ではどうか"と譲ってもダメだった」という。  もっとも世間では、交際中の「ゆず」北川悠仁と結婚するための寿退社だと噂されているが、ここにきて仰天情報が飛び出した。 「北川の実家が運営する新興宗教の教祖を目指して修行をする」  こんな話が漏れてきたのは、その教団の総本山がある山梨県の神社関係者からだ。  北川の母親が運営する宗教法人「かむながらのみち」は1999年から自己啓発セミナーなども並行して活動しているが、北川が歌手として大成功してからは、神社の所有権を買い取るなど規模を拡大。ゆずのコンサートをこの神社の能楽殿で開催したり、歌詞にもセミナーでの精神性と共通する部分が露見されてきた。  高島が北川と結婚するということは、当然こうした宗教観にも同調していると見られるが、広告塔ならまだしも、まさか教祖を目指すとはあまりに信じがたい話だ。ただ、山梨の地元住民はこんな話をしている。 「教団では信者の大半がセミナーを受講しているんですが、昨年あたりから、修行を行っている関連施設で高島さんの姿が目撃されています。今は北川さんのお母さんが教祖ですが、その伝道に貢献している北川さんが結婚するとなれば、奥さんは当然、それを継ぐものだと話す信者の方も多いんですよ」  高島が同神社を参拝したという話は他でもすでに報じられている話ではあるが、これにはある芸能記者も「これから宗教に深く入り込むからこそ、情報番組でのアナウンサーは兼業できないという判断で退社を決めたのでは」と勘繰る。  てっきりフリーになって内田恭子や滝川クリステルのようになるのかと思っている人は多いだろうが、今度は自己啓発的に人々を"めざまし"するというのか。  現時点では退社後の進路は明言されていないため何とも言えないが、来年以降の高島には別の意味で注目が集まりそうだ。 (「サイゾー裏チャンネル」より)
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高島彩アナのフジ退社で再び注目集める「ゆず」北川母が教祖の新興宗教

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『着信のドレイ』(ポニーキャニオン)
 フジテレビの高島彩アナウンサーが年内限りの退社を発表。その理由のひとつには、自身の結婚準備があるとされ、4年越しの交際相手である北川悠仁(ゆず)に改めて注目が集まっている。 「今回の退社決断の背景には、北川の母親で、宗教法人『かむながらのみち』の教主である北川敬子さんのアドバイスがあったと言われています。『かむながらのみち』では、夫唱婦随による家庭円満を実践目標に掲げており、敬子さんは息子たちにもそうした家庭を築くように進言。高島アナも結婚の折には家庭に入る決意を固めていると見られます」(音楽事務所関係者)  宗教法人「かむながらのみち」は1999年に設立。山梨県にある同教団の総本山・身曾岐神社は、北川が6年前に数億円で所有権を買い取ったもので、彼自身も積極的に関与しているといわれる。実際に2006年以降、ゆずのコンサートは毎年夏に身曾岐神社の能楽殿で開催されており、同神社内ではゆずにちなんだお守りも販売されている。 「ゆずの熱心なファンの間では、身曾岐神社は『一度は訪れておきたい場所』となっています。ゆずのファンが入信したという話はあまり聞きませんが、『かむながらのみち』の教義自体は自己啓発的な要素が強く、同様の傾向がある北川の歌と重ねて聞いている人も多いようですね。北川一家の信仰については、多くのファンが好意的に解釈しているようです」(音楽雑誌関係者)  8月25日にリリースされたゆずの新曲のタイトルは「慈愛への旅路」(トイズファクトリー)。母親の教組名「北川慈敬」と「慈」の文字が共通しているほか、歌詞の自己啓発的な内容も、北川の「かむながらのみち」との関係を連想させる。 「北川はいずれ『かむながらのみち』を継承するのでは、と見る音楽関係者は多いですね。ただし、音楽活動は従来通り続けるはずです。というのも、一昨年に亡くなった北川の父親は鉄工メーカーを創業して成功した実業家で、母親の敬子さんとともに宗教団体『解脱会』の幹部でもありました。世俗での成功と、"精神世界"の充実を両立させるのは、いわば北川ファミリーの伝統でもあるのです」(前述の音楽事務所関係者)  一部報道では、身曾岐神社では今年に入り、修業に励む北川と高島の姿がたびたび目撃されているという。今後、結婚の日程がより具体的になるにつれ、北川ファミリーと「かむながらのみち」への関心も高まりそうだ。 (文=石田和宏/「サイゾー裏チャンネル」より)
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「イオンのやり方は間違っている!」 "イオンの葬式"騒動に見る日本人の仏教観

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身近な宗教を研究する宗教学の第一人者・島田裕巳氏。
 大手スーパーのイオンがカード会員向けに2010年5月より開始した葬儀紹介サービスが物議を醸している(参照記事12)。これまでは布施として「気持ち」を納めるはずだった寺院に対する葬儀費用が一律の料金体系として明示されたこのサービスは、宗派を超えて仏教界から大きな反発を受けているのだ。  「戒名料」や「読経料」など、「葬式と金」を巡るトラブルは、これまでにもたびたびあった。しかし「ここ10年ほどで急激に増加しつつある」と話すのは、『葬式は、要らない』『戒名は、自分で決める』(幻冬舎新書)などの著書を持つ宗教学者の島田裕巳氏だ。そこで、日刊サイゾーでは、この「イオン問題」を入り口として、葬儀とは何なのか、仏教とはどうあるべきなのかといった、日本人と宗教についての問題を網羅的に伺った! ■イオンのやり方は根本的に間違っている! ――近年の葬儀を巡る考え方について、これまでと違う潮流を感じられているそうですが。 島田裕巳氏(以下、島田) そうですね。そのきっかけの一つとして「直葬(ちょくそう)」という葬儀形態が世の中に出回り始めたと言うことが大きいと思います。直葬とは、非常に簡単と言うか、いろんなものを省いて火葬場に直行する葬儀の形なんですが、毎年その数が増加しており、私の周りでも直葬を行う人が増えてきています。また、葬儀自体を行わないという人も多くなってきていますね。 ――葬儀の形が変わりつつあるようですね。 島田 もちろん、以前にも火葬場だけでは済ませられないのかと思っている人はいました。けれども、施主としても世間体もあるし、葬儀屋もそういう対応をしていなかったんです。 ――なぜ、葬儀の形が変わりつつあるんでしょうか? 島田 都市化という状況が大きいでしょうね。都市に適合した仏教や葬儀のあり方というものが形になりつつあるんだと思います。 ――イオンが葬式の定額プランを打ち出していますが、このサービスを島田さんはどう見ますか? 島田 資本主義の論理ですよね。本来だったら「お布施」であり、「料金」ではないはずです。けれども、そういった形でイオンがお布施を取り扱っても、どのみち寺院にはお金が入ってくる。その恩恵に預かれるわけです。建前としては「けしからん」とは言いますが、現実には寺院にとってもそう悪い話でもないんです。 ――では、イオンの方法は許容できるという考えでしょうか? 島田 いえ、イオンがやっていることは根本的に間違っていると思います。彼らは「お布施」という趣旨を全く無視しています。戒名料も本来なら檀家関係がなければ意味がないはずのものなのに、それを全く踏まえずに「料金」を設定しているんです。けれども、そういった資本の論理が働くことで、あたかもそれが正しいかのごとく受け取られてしまうかもしれないですね。料金体系がはっきりすることはいいことなのかもしれないけれど、論理的に成り立たちません。 ――そして、資本の論理に食い物にされてしまうんですね。 島田 それに、イオンのような料金設定はこれまで寺院でもやっていたことなんです。以前から、戒名料の「相場」が公然の事実としてありました。それがイオンによって資本の論理に取り込まれたんです。 ――仏教界でも同じようなことをしていたんですね。 島田 そもそも、葬式のやり方や戒名の付け方も、本来の仏教の教えには存在しないものです。葬式仏教として発展してきた日本の仏教は、そういった矛盾を抱えているんです。だから、仏教界として強硬に抗議もできないし、イオンの葬式に関わったお坊さんの処罰もできない。 ■葬式仏教はいらない 生きている人間のための仏教を! ――今年1月に発売された『葬式は、いらない』はベストセラーになりましたが、読者からはどのような反応がありましたか? 島田 これまで思っていたことをよくぞ言ってくれたという反応もあるし、本の中で紹介した「手元供養はどうやったらできるのか?』みたいな問合せも多かったようです。葬式についての情報は限られているので、多くの人にとってはどうしたらいいか分からないんです。 ――一方で仏教界からはどのような反応がありましたか? 島田 最近では、3人お坊さんが集まると僕の悪口を言っているらしいですよ。 ――(笑) 島田 けれども「葬式は、いらない」というのは近年の流れであり、みんなの声ではないでしょうか。多くの人がそういったことを感じているのは事実だと思います。 ――『戒名は、自分でつける』というタイトル通り、戒名を自分でつけるような人も多くなっているんでしょうか? 島田 さすがに自分でつけるかどうかまでは分からないけど、要らないという人は多くなってきていますね。本にも書きましたが、寺と檀家関係を結んでいなければ必ずしも戒名を貰う必要はないんです。戒名を貰わないで俗名のまま葬ることはできます。 ――これまで寺院を経済的に支えてきた檀家の存在はだんだん弱まってきていますね。 島田 以前まではそれを「戒名料」という形で補っていたけれども、それも限界になってきてしまっているんですね。寺院との関わりが希薄になってしまい、法事もだんだん少なくなっています。葬儀の時に初七日や四十九日まで繰り上げ法要をしてしまいますよね。その後納骨をしたら、もう法要を行わない人も多くなってきています。 ――そのような「葬式離れ」の状況は日本の仏教特有のものなんでしょうか? 島田 そもそも日本は「葬式仏教」と言われるように、お寺の位置づけが特殊なんですよね。他の国にはこんな形の仏教はありません。これまでは日本特有のシステムとして維持されてきたんだけど、時代が変わるとそういう仏教のあり方自体が成り立たなくなっちゃう。普通の商売だって時代が変わると衰えたり成り立たなくなるでしょう。そういう意味でも「葬式仏教」っていう長く続いたビジネスモデルが通用しにくくなっているっていうことですよね。 ――では、今後、仏教は衰退していくのでしょうか? 島田 いや、仏教自体が衰退しているわけじゃありません。仏教自体に対する関心はむしろ強くなっていると思います。例えば、奈良や京都などの寺院に観光に行くでしょう? あれは戦後になってからのことで、戦前はそういう寺は軒並み衰退していたんです。仏像が野ざらしになっているようなことがざらにあったんですよ。  だから、今求められている仏教と言うのは、生きている人が関わる仏教なんじゃないかと思うんです。仏教の本来の教えは「無常」を説き、現世の栄華の追求の空しさを思うこと。釈迦自身も「生前に死後のことはできない」と説いたとおり、本来は生きている人間のためのものです。だから、「葬式は、いらない」という流れは、全く正しい方向なのではないでしょうか。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●島田裕巳(しまだ・ひろみ) 1953年、東京都生まれ。宗教学者、文筆家。東京大学大学院人文科学研究課博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授を経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。主な著書に『日本の10大新宗教』(幻冬舎新書)、『創価学会』(新潮新書)、『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(文春新書)など。
葬式は、要らない いつかはやって来る、その日のために。 amazon_associate_logo.jpg
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創価学会の機関紙に登場したねづっちにファンから「幻滅した」の声が殺到!

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ブレイクの影には先生のお力が!?
 「整いました!」の決めセリフで人気沸騰の"なぞかけ芸人"ねづっちが21日付の創価学会の機関紙「創価新報」の1面インタビューに登場し、波紋を広げている。  大見出しは「信心で『整いました!』芸の世界で夢を実現」。  同紙の中でねづっちは学会の活動に真剣に取り組んでからブレークしたと主張。"学会用語"もふんだんに盛り込まれており「折伏(勧誘)してくれた友達との出会いがなかったら、僕も、お笑いの道に入っていなかったかもしれません」「僕は1日1時間の唱題を続けています。どんなに忙しくても、いつも御守りご本尊を携帯して、執念で一時間やっています」など、学会の教えに心酔する様子が描かれている。  さらに衝撃の事実も発覚。ねづっちはブレーク過程で、同じく"なぞかけ芸人"の「ナイツ」の塙宣之から学会活動に対して叱責、励まされたことでテレビやラジオの仕事が舞い込むようになったと明かしている。つまり塙も学会芸人ということだ。現在、ねづっちは創価学会の芸術部員で、東京都杉並区の男子地区リーダーも務めているという。  生粋の"学会信者"であることを明かしたねづっち、にネットユーザーの反応は冷ややかだ。 「才能あると思っていたのに幻滅した」「一気にブレークしたのは創価の力か」、さらには「ショックだわ。ねづっちの顔が気持ち悪く見える」など、散々な言われようだ。  芸能界には久本雅美を筆頭に"学会タレント"は数多い。だが、それに対して難色を示す視聴者やネットユーザーは多く、カミングアウトには相当の覚悟がいる。  「それを分かった上で、堂々のカミングアウトですから、ねづっちの学会に対する信仰心は相当のものですよ。今後選挙で公明党員を"なぞかけ応援"する可能性は高いですね」とはスポーツ紙デスクの話だ。  飛ぶ鳥を落とす勢いのねづっちだが、今回のカミングアウトでおかしな方向に行かなければいいが......。
これでもととのいますか?~Wコロンのなぞかけツアー~ 吉と出るか凶と出るか......。 amazon_associate_logo.jpg
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あの幸福実現党に入党した大江康弘議員が激白!「覚悟を持たない人間に国家を語る資格はない!」

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大江議員の入党会見の模様
 第22回参議院選挙が先月24日に公示され、7月11日の投票へ向けて選挙戦がスタートした。「みんなの党」や「たちあがれ日本」などのミニ政党が乱立する中、既成政党に対する不満票がどこへ流れ、どの政党が"第三極"になりえるかがポイントとなりそうだ。  そんな中、宗教団体「幸福の科学」を母体とする団体「幸福実現党」へ、一人の現職議員が入党している。元「改革クラブ」の大江康弘参議院議員だ。今年の4月23日に舛添要一前厚生労働相が自民党を離党し、改革クラブへ合流して「新党改革」を旗揚げする際、大江氏はこれに異を唱えて脱退。5月14日付で「幸福実現党」への入党を発表した。ただし、教団へは入信しないという。  先の総選挙で大川隆法総裁を含む337人を擁立しながら全員が落選し、供託金11億円以上を没収された同党は、これにより国会で初めての議席を獲得したことになる。教団が率いる政党へ入党した経緯や、改革クラブを脱退した背景、党としての参院選への展望などを大江議員に聞いた(同議員は今回の参院選では非改選)。 ──幸福実現党への入党を決めた理由からお聞かせ下さい。 大江議員(以下、大江) 率直に、保守の理念と政策に賛同したからです。私は政治家ですから政策に共感できなければ行動をともにすることはできない。具体的には、日米同盟の堅持、拉致問題の解決、台湾問題などの国防・外交政策、景気回復を優先して小さな政府を目指す経済政策など、保守理念を体現する政策に賛同しています。 ──入党については、大川隆法氏に昨年から打診されていたと報じられていますが。 大江 それは間違いです。私の支援者の一人に幸福の科学のシンパの方がいまして、その人を通じて、昨年の総選挙の後に実現党の林幹事長と会う機会があり、その後も何度か政策論などを交換していた。4月23日に舛添議員が自民党を抜けて改革クラブに入党し、「新党改革」を旗揚げすることになったわけですが、そのやり方に納得できなかった私は改革クラブを脱退しました。その後、実現党と話が進んで5月12日に入党、大川総裁とも今年の5月に初めてお会いしました。 ──舛添氏が「改革クラブ」に入党するらしいという情報は、いつどのような形でお聞きになりましか。 大江 4月1日に、当時所属していた改革クラブの渡辺秀央代表に呼ばれ、そのとき初めて舛添氏入党の話を聞き、協力を求められた。私は、この話には大義がないと思ったのではっきり断ったんですが、渡辺代表は急に怒りだして、恫喝めいた言葉まで吐かれました。こんな人に9年間もついてきたのかと思うと正直哀しくなりましたね。 ──政治家としての舛添氏をどうご覧になっていますか。 大江 自民党を中から変えると言って多くの仲間を集めていましたが、実際はただ執行部批判を繰り返しただけでしたよね。今回の離党に誰一人賛同者がいなかったことからも信頼度の低さがうかがいしれます。タイミングの悪さといい、政治オンチとしか言いようがないですよ。 ──政党が国から政党交付金をもらうには、議員5名以上という要件を満たす必要があります。舛添氏が政党クラブに入ったのは交付金を得るためだけと指摘する声もあります。 大江 私はずっとそう言っている。舛添氏は政党交付金目当て、その舛添氏を党首に迎えて新党に参加した人たちは舛添人気目当て。人気に乗っかって「夢よもう一度」という人間たちが勝手に政党を作り上げただけ。野合の集まりで、そこに大義はない。自らが必死の思いと覚悟を持たない人間に国家を語る資格はないんです。 ──大江議員は07年に民主党の比例区で当選され、その後、小沢体制に反発して08年に改革クラブへ参加されました。今回は二度目の離党となりますが、いったん議員辞職した後に、今度の参院選挙で実現党から立候補するという選択肢はなかったのですか。 大江 そういうご批判があることは当然、承知しています。ただ、これは脱法行為ではなく、制度として認められている。その中で、一人でも多くの国民に私たちの政治信条を伝えていきたいというのが願いです。ただ今後、「おかしいじゃないか」という国民議論が起こり、国会で審議されることになれば、そこはしっかりと受け止めていかなければならないと思います。 ──民主党のどんな点に不満だったのですか。また、今の民主党をどうご覧になりますか。 大江 民主党は、本質的に国益を考えずに政局や選挙一点張りの発想なんです。政権を担う資格はない。菅総理は鳩山前政権の副総理で連帯責任があるはず。そのまま総理になるなどありえません。今まで自民党の総理が交代する際に「総選挙で民意を問え」と批判し続けた民主党が同じことをしている。メディアもそれを報じない。さらに、菅総理、仙谷官房長官、枝野幹事長という体制。鳩山政権よりさらに左寄りです。増税方針をとって景気を悪化させないかと、非常に心配して見ています。 ──創価学会と公明党との密接な関係とは違い、幸福の科学の信者さんたちは元々の支持政党に投票する人も多いと聞きます。議席の獲得は難しいという声が多いようですが。 大江 政党自体の歴史が浅いですし、信者さんへの縛りも一切ないようですから。ただ、私は政策を冷静に見て欲しいと思っています。政策内容は大変素晴らしいんですよ。今すぐでも政権与党ができるくらい(笑)。ぜひマニフェストをご覧になって下さい。ただ、いかんせん選挙経験が少ない。街頭演説やポスター貼りなど頑張っているとは思いますけど。とにかく、縁のある方々にしっかりとお声をかけさせていいただき、真摯にお願いしていくしかない。 ──大川隆法氏の"霊言"についてはどんなご意見をお持ちですか。 大江 畏怖の気持ちをもって受け止めているというのが正直なところです。もともと、宗教心を持って政治を行なうべきだと考えていましたし、これまで政治家としてがむしゃらに生きてきたため、その方面の勉強が不足しているのは事実です。ですから、大川総裁の本は一冊ずつ丁寧に読んでいますよ。ただ、5~6月だけで20冊以上出ているので、読む方が追いつかないというのはありますけどね(笑)。今後の私の課題は、早く信者のみなさんのレベルに近づくこと。しっかり努力していきたいと思っています。 (文=浮島さとし)
宗教立国の精神 こうして人は宗教へといざなわれるのです。 amazon_associate_logo.jpg
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宗教にまつわる素朴な疑問を解消『なぜ人は宗教にハマるのか』

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『なぜ人は宗教にハマるのか』
(著:島田裕巳/河出書房新社刊)
 宗教と言うと、何を思い浮かべるだろうか。  怪しい、危険だ、関わるとお金を巻き上げられる......。日本では、マイナスイメージが強く、何かしらの宗教に入っている人とは一歩引いて接してしまっている場合が多いかもしれない。それは、1995年に起きた地下鉄サリン事件や、01年のアメリカ同時多発テロなどの衝撃的な事件が、"宗教は信仰のためなら人殺しをも辞さない"という印象を作りあげ、攻撃的でない宗教に対しても不信感を募らせているように思える。  けれど、アジアや中東を訪れると、年齢や趣味を聞くことと同じぐらいの調子で「あなたの宗教は何ですか?」と聞かれる。それに対して、ほとんどの日本人は、「お寺で葬式を行うし、仏教かな。でも別に信仰しているとは言えないし......」と悩んだ末、「無宗教」と答えるだろう。  だが、本当に無宗教なのかと考えてみると、正月の初詣や結婚式など、重要な時期や出来事には、いつも寺や神社が関わっているし、神社に訪れる機会があれば、深く考えることもなく賽銭を投げ入れ、「今年も健康でいられますように」などと祈ってみたりする。 「何もない空間に向かって祈るわけはなく、そこに神が存在していることを前提に祈っているのではないだろうか」  これは、本書『なぜ人は宗教にハマるのか』に書かれている内容を一部要約したものだが、言われてみれば確かにその通りで、物心ついた時からの習慣になっている。物心ついた頃から、という点で言えば、例えば、戒律が厳しいように見えるイスラム教においても、わたしたちが何となく神社で祈っているように、1日5回神に祈ることを習慣として、欠かせないものになっているように思える。ただ、宗教と意識して祈っているか、意識していないかが、日本とイスラム教徒では大きく異なる。  著者の島田裕巳氏は、『日本の10大新宗教』(幻冬舎新書)では、創価学会を始めとする新興宗教の現状を綴り、『葬式は、要らない』(同)では、他国と比べ異常なまでに費用が高い日本の葬儀は本当に必要なのかと疑問を投げたり、身近な宗教を研究する宗教学の第一人者。学生時代には、「ヤマギシ会」という、農業を基盤とした共同生活を特徴とした団体に世俗生活を捨て、7カ月ほど入った経験があり、信者目線からも宗教を考えられる人物だ。  本書には、「親に押しつけられる宗教もある」「学校が宗教」「友だちの宗教」「宗教って何だろう」「危険な宗教もある」などの項目が並ぶが、その中でももっとも興味を引くテーマが、「どうして宗教にハマるのか」。  普通に生活している中で、人はどういう経緯で宗教の信者となるのか。そのきっかけ、原因、さらには宗教が流行する時代背景までもが書かれ、簡単に理解できるよう説明されている。  宗教に関する本は、始めはすんなり読み始められても、専門家が書くがゆえに、どんどんと話が込み入り、複雑になりすぎて、最後には読むことを断念してしまうことが多い。けれど、この本の対象読者は、"中学生以上大人まで"なので、非常に分かりやすい。  生きていれば、幸せに暮らしたいと願う。それが、人によっては、何かしらの宗教を信じ、祈りを捧げ、心の安定や安らぎを得ることかもしれない。無理に押しつけられる宗教は困るが、本人が宗教によって幸せで満たされているならば、それを否定する理由は何もない。  とは言え、外国人ならともかく、日本人で何かしらの宗教に入っていると聞くと、やっぱり違和感を受ける。この違和感の理由はどこから来るのか。そもそも宗教は、一体、何なのか。宗教のことを一度じっくり考えてみる良い機会になるかもしれない。 (文=上浦未来) ・島田 裕巳(しまだ・ひろみ) 1953年生まれ。東京都出身。東京大学大学院人文科学研究科博士課程終了。専攻、宗教学。95年のオウム事件に際し、事実誤認報道に基づくメディアのバッシングに遭い、日本女子大学を辞任。その後、オウムの考察を糸口に、探求の対象を現代日本社会全体に拡げて『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』(トランスビュー)に結実した。現在は、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。
なぜ人は宗教にハマるのか なぜでしょう? amazon_associate_logo.jpg
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