ドラマオファー殺到中! 落語家・立川談春をメディア進出させた“師匠・談志の死”

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『赤めだか』扶桑社
「今、ドラマ業界で一番オファーが殺到しているのは、木村拓哉さんでも堺雅人さんでもないんです。意外かもしれませんが、落語家の立川談春さんです」(芸能事務所関係者)  昨年4月に放送された『ルーズヴェルト・ゲーム』(TBS系)に出演していた立川談春。 「立川さんはこの作品がドラマ2作目と、めったにドラマに出ません。この『ルーズヴェルト・ゲーム』では主人公のライバル役を演じ、かなり好評だったので、そのあとも各局から相当のオファーがあったそうですよ」(テレビ局関係者)  2011年に師匠の立川談志が亡くなってから一転、さまざまなメディアへの登場機会を増やした談春。 「一番の理由としては、談志師匠が亡くなったことで、落語界から大きな広告塔が失われたと感じたようです。弟子である談春さんは、談志さんの遺志を継承し、広く一般に落語を認知させるために、できる限りメディアに出ることを決めたそうです」(落語関係者)  それ以降、ドラマをはじめバラエティ番組でMCをするなど、本業以外の活動を活発に行ってきた。 「ただ、ドラマのオファーもかなり来てるのですが『落語家の自分を大事にしたい。ドラマに出続けると、落語の世界とブレが生じてしまう』と断っているようです。でも、『よほど面白い作品なら出たい』とも言っているので、どの局が彼を口説き落とすかが注目されていますね。名前の割にギャラも1話30~50万円程度なので、局としても費用対効果が高いんです」(テレビ局関係者)  次に談春をドラマで見るのは、果たしてどの局か――。

家元・立川談志が落語界に遺したものとは? 『立川流騒動記』立川談之助インタビュー

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談志のDNAを継ぐ立川談之助
 落語家の立川談志さんが亡くなって、はや10カ月が過ぎようとしている。  その間、談志さんを振り返る書籍・DVDが多数発売されているが、今年6月「決定版談志本」と称し、ある1冊の書籍が発売された。その名は『立川流騒動記』(メディア・パル)。著者は、談志さんの弟子の一人である、落語家の立川談之助。談之助は1974年7月、立川談志に入門。当時、談志さんは参議院議員としても活動しており、談之助は談志さんの弟子兼私設秘書として3年間も国会に通うという、弟子の中でも異色の存在であった。  高座でもその異色ぶりは発揮され、「トンデモ落語」と称される現代風の改作落語や新作落語を数多く発表。さらには本業の落語以外にもパソコンゲームや美少女ゲームのレビュー、宇宙人の本を執筆するなど、マルチな才能で落語界を駆け抜けるベテラン芸人だ。師匠・談志は談之助を、愛着を込めてこう呼んだ「邪道真打ち」と……。  『立川流騒動記』は発売直後、落語ファンの間でまたたく間に話題となり、談志マニアの心をつかんだ。そんな「邪道真打ち」談之助にインタビューを試みた。 ──出版のきっかけは? 談之助 前々から、うちの師匠のことは書こうと決めていたんですよ。私はドキュメンタリーものが好きなんで、自分が書くとしたらやっぱり「実録物」しかないかなと。友人の唐沢俊一さんの助言もあって、去年の春先から書き始めて、秋先には出そうじゃないかと。もともと唐沢さんからは『(談志が死ぬ前に)文章として功績を残しておこうじゃないか』と言われていたんですが、執筆の最中に師匠が死んでしまいまして。それまでは師匠に読まれたらマズいなと思って、5割以上のブレーキをかけていたんですが、『もう気にすることは何もない』と思い、全力でアクセルを踏みました(笑)。ほら、うちの師匠はほかの師匠と違って、怒ったらカネを取りますから(苦笑)。 ──確かに『騒動記』はほかのお弟子さんの本と違って、資料的な意味でも楽しめました。 談之助 ウィキペディアの情報とか見ていても、間違いだらけで……。評論家の本なんかでも、間違っている部分が多いですから。もちろん、内部の話だから当事者でも真実の片側しか知らないものなんですが、三遊協会設立騒動(真打ち大量昇進制度に反発した六代目三遊亭圓生が、落語協会とは別に新たな協会を発足させた騒動)の時は、私はまだまだ前座の見習いみたいな存在でしたから、周りの動きを結構客観的に見られていたんですね。談志サイドにいても、「うちの師匠ひどいことするなぁ」と思っていたりね(笑)。落語家はどうしても我が強いものなんで、本当のことを書くと怒るんですよ。だから、圓生、志ん朝、圓楽、談志が生きていたら、ものすごいクレームの嵐だったと思いますよ(笑)。 ──落語家さんからのクレームは来ていますか? 談之助 今のところないですね。我々は、面と向かって文句は言わないですから(笑)。でも、志ん朝師匠の弟子は怒っているでしょうね。ほら、この本で志ん朝唯一ともいえる汚点を書いちゃったから(笑)。 ──確かにあのシーンは衝撃的でした。あのキチッとした志ん朝師匠とは思えない行動で……。 談之助 でも、私ウソは書きませんから(笑)。 ■立川談志の教え ──立川流創設後、立川志の輔、談春、志らく、談笑と売れっ子を多く輩出した談志師匠ですが、独立した後、何か教えに変化があったんでしょうか? 談之助 特にはないですね。というよりも、昔から談志は弟子に何も教えていません。ですが、志の輔以降、変わったことといえば、多くの弟子がセルフプロデュースを意識しだしたという点でしょうね。志の輔は28歳の入門で奥さんもいたから、落語の実力以上にセルフプロデュース力を高めるための努力をしていました。談春にしても、志らくにしても、志の輔の背中を見て育っているので、努力の方向性がセルフプロデュースのほうに向かっていたんです。でも、実はその努力の方向性はうちの師匠も同じ考えだったんですね。だから師匠はよく言っていましたよ、『おまえら、真打ちになりてえなら、アイドルと結婚するか、刑務所へ1年間行ってこい。すぐに真打ちにしてやる』とか(笑)。 ──談志師匠は立川流創設後、セルフプロデュースのほか、「唄・踊り・落語」ができることが条件だと言っていましたが、それはなぜでしょうか? 談之助 世間から師匠は「唄・踊り・落語」を条件に昇進を決める、芸に厳しい師匠といわれていましたが、実は違うんです。「唄・踊り・落語」というのはセルフプロデュースのできない弟子へ課した最低条件なんですね。自分の名前も売れない、スキャンダルも起こせない落語家なら、せめてそのくらいやれば飢え死にしないだろうという最低の条件。それが「唄・踊り・落語」なんです。今でいえば、生活保護のようなものです(笑)。現に、談春や志らくは、唄も踊りも何もできないですから。 ──確かにセルフプロデュースでいえば、談志師匠はズバ抜けたものがありましたね。 談之助 あれは「すごい」と、弟子から見ても思いますよ。師匠が志の輔に対してよく言っていたのは「NHKのレギュラーで名前が売れる奴は、ただの一流。だが、超一流ならばNHKのレギュラーすらすっぽかす」とか。そんなもん、うちの師匠しかできないですよ(笑)。 ■立川談志の都市伝説 ──昔、何かの本で「談志師匠はインターネットに興味がある」と読んだ気がするのですが、これは本当ですか? 談之助 これはウソです。うちの師匠はまったくと言っていいほど、デジタルがわからない人ですから。ウワサによると、電球すら換えられない(笑)。でも、パソコンは持ってましたよ。昔、SMAPの香取慎吾君と共演したパソコンのCMでプレゼントされたものが、自宅にありました。でも、師匠には一回も触れられずにほこりをかぶっていて、師匠の息子さんがそれでネットゲームをしてました。でも一回、師匠から「メールをやりたい」と相談を受けたことがあります。ですが、家族から「絶対にイライラするからやめて」と止められたようです(笑)。 ──そうなんですか。談志師匠は、流行り物とか結構好きそうなイメージがあるのですが……。 談之助 ウチの師匠はドケチで世界的に有名ですから(笑)。車も買わないし、日用品は使えればそれでいい。デジタルも苦手でしたが、実は自転車も苦手なんじゃないか? という話がありますよ。先代の圓楽師匠とウチの師匠が「どっちが自転車を乗れるか」で口論しているのを見たことがあります。現に、師匠の息子さんが自転車を欲しがっていたのですが、買ってもらえなかったそうですから。恐らく自分が乗れないのがばれたくないから、買ってやれなかった(笑)。 ■談志没後、立川流はどうなる? ──談志師匠が亡くなって半年以上がたちました。立川流は一番弟子の土橋亭里う馬師匠が代表として就任しましたが、何か変わったことはありましたか? 談之助 これまた特にはないですね(笑)。理事は世代別で6人(立川左談次、談四楼、談幸、志の輔、志らく、雲水)が就任しましたが、何も決まっていません。ただ、上納金は廃止したので、これだけは本当よかったです(笑)。主だったものはこれだけですね。 ──立川流が、芸術協会と圓楽党と組んで新宿末廣亭で興行を打つという話もありましたが……。 談之助 うーん。まあ寄席が好きな人は出るでしょう。ただ、現実問題として寄席はギャラが安いので、全員が全員出ることはないと思います。 ──志らく師匠が「立川流は最終的に流れ解散になる」と言っていましたが、これについては? 談之助 これは私もそう思います。なんといっても、師匠は「勝手に生きろ」とよく言っていて、本当にその言葉通りに生きて、その言葉通りに死んじゃった。だから、弟子にも死ぬことを伝えなかったし、葬式にも呼ばなかったんです。自分が一番勝手なんですよ。本当に弱りましたよ(笑)。ですが、これは談志の愛情なんじゃないかと、最近は思っています。生きている間は「俺の言っていることを守るんだ」と言っていましたが、死んでしまったら、もうおしまいでいい。「解散するも勝手だし、立川流を守るのも勝手にしろ」と、あの世で言っているような気がしますね。だから、私個人は「解散でもいい」と思っていますよ。そもそも立川流は立川談志がひとり作り上げたものですからね。しかも、私は落語協会を抜けて勝手に独立した立川談志の弟子なんだから(笑)。しかしねぇ、あの突然の死に方はやっぱり驚きましたよ。 ──某新聞には「死」を隠すのは、「談志のダンディズムだった」と書かれていましたが……。 談之助 ダンディズムなんかじゃないですよ。だって、隠す理由がまったくないんですもん(笑)。「隠してどうすんだ?」と、こっちが聞きたいくらいです(笑)。だから、これこそが「立川談志」だと、私はあらためて知ることになった。「俺は冗談なんだ。世の中を騒がして、舐めて生きたんだ」という言葉を自分の死で表現しちゃった。あれは弟子から見ても「やられた!」って感じですよ。私なんかもう40年近くも弟子でいるのに、ひっくり返っちゃいましたから(笑)。もう、最高のギャグですよ。参りました! ──あらためて立川談志のすごさがわかりました。ありがとうございました。では最後に一言お願いいたします。 談之助 そうですね。落語に興味のある、もしくは興味をもち始めた方にぜひ読んでいただきたいですね。戦後の落語界を騒がした大きな騒動、大量真打ち昇進問題、圓生の独立、そして立川流創立。この本に書いてあることは全部事実ですから。なぜ今の落語界はこんな状態なのか? という疑問は、この本を参考にしていただいたらわかると思います。皆さん、何卒よろしくお願いします。 『立川流騒動記』出版記念 「どうする?どうなる?立川流!」 【出演】唐沢俊一、立川談之助、立川談笑ほか 日時:9月17日(月/祝)OPEN 12:00 / STRAT 13:00 前売¥1800 / 当日¥2000(共に飲食代別) (会場/お問い合わせ)新宿ロフトプラスワン 新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2 TEL 03-3205-6864 web http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/

「喉に穴が開き、高熱を押して……」故・立川談志が筆談で弟子に残した4文字

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談志大全 (上) DVD-BOX 立川談志
古典落語ライブ 2001~2007
(竹書房)
 昨年11月21日、喉頭がんでこの世を去った落語家、立川談志(享年75)が弟子たちに最期に残した言葉が放送禁止用語だったことは、テレビでもさすがに報じられなかった。 「師匠と最後に会ったのは8月、声の出ない師匠と筆談したら、放送禁止用語の4文字を書いたんです」  こう話したのは弟子の立川志の輔で、その気になる中身について一門の関係者に聞いたところ「オ●●コ」という女性器を指す言葉だったことが分かった。 「一門が集まったのは恒例の暑気払いで、師匠がお気に入りの銀座の老舗バーで行われました。師匠の通い慣れた場所でしたが、地下のフロアには弟子に助けられながら降りたほど衰弱していました。巻いていたスカーフをとると気管切開で喉に穴が開いていました......」  例年なら話の中心にいる談志が、このときは聞き役として座っていただけだったという。 「みんな口々に師匠を楽しませようといろんな笑い話をしましたよ。そのうちにひとりが何か師匠から言葉をもらおうとペンを出したんです。すると師匠は細くなった腕で隅に小さく4文字を書いて一同を笑わせました。その後はすぐに帰られたんですが、後で聞いたら高熱を解熱剤で冷まして駆けつけたとのことでした」(同)  談志の死で多くのテレビリポーターが、この暑気払いに出た20名ほどの弟子らを取材したが、誰もこの放送禁止用語を口に出すわけにはいかなかったという。 「何人かは携帯電話のカメラでその文字を撮影していましたが、写真でも見せられないわけで」(同)  談志は生前から自ら考えていた戒名が「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」というもので、これもテレビでは報じられなかった。 「テレビじゃ報じられないようなギャグが大好きな師匠でしたが生前、噺家なら死ぬときも人を楽しませなくちゃ......とも言っていましたよ。"俺が死ぬときの新聞の見出しは『談志が死んだ』だ"と回文のジョークも言っていて、それを知っていた記者が実際にその見出しをつけてくれましたね。師匠に応える粋な計らいでした」(同)  97年に食道がんを公表した際、談志は記者会見で「俺が死にゃ、喜ぶ奴がいっぱいいるよ」と笑っていたが、実際には死の直後は悲しみの空気に包まれるばかりだった。  ただ、さすがは談志の弟子たちだ。「師匠が死んだから、これでもう解禁できる。客がドン引きするような師匠の話がたくさんあって『俺が死んだらネタにしろ。遺産代わりだ』と言われていたから、高座で使わせてもらいます」と弟子のひとり。  どんなときでも客を楽しませるという、談志イズムはしっかり継承されているようだ。 (文=鈴木雅久)
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林家三平絶句……家元・立川談志死去報道の裏にあったフジテレビの非常識すぎる取材

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談志大全 (上) DVD-BOX 立川談志
古典落語ライブ 2001~2007
(竹書房)
 喉頭がんのために落語家・立川談志(本名・松岡克由)さんが21日に死去し、落語ファンは悲しみに包まれたが、その裏でフジテレビがとんでもない取材を行っていたことが発覚した。  談志さんが亡くなったことが発表されたのは、死去から2日後である23日の夕方。ただ芸能マスコミの間では、22日午後から「亡くなったらしい」との情報が駆けめぐっていた。 「どこの社もウラ取りに必死になったが、23日になっても確認が取れなかったんです」(ワイドショー関係者)  なかなかウラが取れなかった原因は、談志さんの家族が亡くなったことを誰にも明かさなかったため。落語家の師弟関係は「実の親子以上の関係」と言われるが、談志さんの家族は、身内だけの葬儀を終えた23日夕方まで弟子にも知らせないという、徹底した情報統制を敷いた。 「ウラを取るためマスコミ各社は談志さんの弟子に連絡したが、弟子は誰も知らなかった。師匠が死んだなんて信じたくない思いもあり、『デマです』と断言する弟子もいた。マスコミ各社がなかなかウラが取れなかったのは、そのためなんです」(同関係者)  そうした状況の中、フジテレビの取材班がとんでもない行動に出た。これは23日昼に行われたブルーレイ&DVD『カーズ2』の発売記念イベントでのこと。イベントに出席したのは落語家・林家三平と女優・国分佐智子夫妻だった。 「その時点ではまだ『談志さん死去』のウラは取れていない段階だった。にもかかわらずフジのクルーはイベント中に『談志さんが亡くなったそうですが』と三平に聞いたんです」(現場にいた報道関係者)  驚いた三平は「全然知らないです」と絶句。その後「噺家としては宝のような存在。『お前は落語ができるんだから、しっかりやりなさい』と言われたことがあります」と絞り出すように話した。この話は、後で"お悔やみのコメント"として報じられた。  前出の関係者は「フジのクルーの聞き方は質問というよりも『知ってますか?』と確認するような感じで、言わば三平にウラを取っているようなもの。『同じ落語家だから知っているかも』と思ったのかもしれないが、まだ談志さんの死去が確認できていない段階で聞くことじゃない。周りからも『やりすぎだ』と声が出ていた」と明かす。  まだ談志さんが亡くなったことが"デマ"である可能性もあった時点での話だけに、今回のフジテレビの取材は非常識と言われても仕方がないだろう。
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家元・立川談志逝去 "師匠"の死に"弟子"ビートたけしは何思う……


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『立川談志 ひとり会 第二期 落語ライブ
'94~'95 第十二巻』(竹書房)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  "落語界の風雲児"と呼ばれた立川流の家元の立川談志師匠が、21日に喉頭がんで亡くなっていたことが明らかになった。  少し前にビートたけしが「談志師匠のお見舞いに爆笑問題の太田(光)と行かなきゃな」と言っていたことを覚えている。実際にお見舞いに行ったかどうかは確認していないが、たけしは20日ごろから、『たけしアート★ビート』(NHK-BS)の海外ロケでヨーロッパに行っていたはず。そのため、どのメディアも、訃報直後にたけしコメントを発表していないが、彼自身は尊敬する師匠の死に目に会えず、さぞ悔やんでいることだろうと思う。  談志師匠は、ブラックユーモアと毒舌で独自の世界を築き上げて、落語界から異端児扱いされたこともあったが、落語の腕前を取っても師匠の右に出るもはいないと確信しているのは筆者だけではないはず。お笑い芸人としてのたけしの原点も「ブラックユーモアと毒舌」であり、それゆえ、彼は談志師匠に弟子入りまでしたのだ。談志師匠もたけしの才能を認めて、「立川錦之助」という高座名を与えている。  2010年8月に発売された「新潮45」(新潮社)では、談志師匠とたけしに爆笑の太田も加わって、歴史に残るブラックユーモア対談が実現した。この対談記事の見出し通り、「最後の大"毒"演会」になってしまったのが残念でならない。  今年の夏には、こんなことがあった。たけしが客員編集長を務める東京スポーツのインタビューで、彼に「『笑点』(日本テレビ)の司会者がタモリに代わるといううわさがあるけど、どう思う?」と振ると、開口一番「あのおやじ(司会の桂歌丸)何も面白くないもん。大喜利のネタは全部、何人もいる作家が考え出したものだし」と暴露して、「三遊亭圓楽を始め、みんなクビにした方がいいよ。もともと『笑点』に司会は立川談志さんがやっていて、若手の面白い落語家が出ていて、大喜利もハイレベルだった。ハイレベルすぎて視聴者がついていけず、視聴率が取れなかった。それを思うと、談志さんはいかにすごい落語家だったか」と絶賛していた。  たけしが訃報直後にお悔やみのコメントを求められたとしても、こうした談志師匠譲りの毒のあり、真実をついた言葉を発していたのではないか。  少し前に"落語ブーム"と呼ばれる時期があったが、そこから談志師匠のような真のスターは生まれていないし、たけし自身が実力を認めている噺家は一握りしかいない。そんな中で、最近は高座に上がることがないたけしが以前「落語をやってみたい」と語っていた。談志師匠の死を機に、師匠の意志を継いでチャレンジするのもいいかもしれない。"落語界の風雲児"の死に改めて合掌! (文=本多圭)
立川談志 ひとり会 第二期 落語ライブ'94~'95 第十二巻 絶頂期のすさまじさ。 amazon_associate_logo.jpg
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