「今、ドラマ業界で一番オファーが殺到しているのは、木村拓哉さんでも堺雅人さんでもないんです。意外かもしれませんが、落語家の立川談春さんです」(芸能事務所関係者) 昨年4月に放送された『ルーズヴェルト・ゲーム』(TBS系)に出演していた立川談春。 「立川さんはこの作品がドラマ2作目と、めったにドラマに出ません。この『ルーズヴェルト・ゲーム』では主人公のライバル役を演じ、かなり好評だったので、そのあとも各局から相当のオファーがあったそうですよ」(テレビ局関係者) 2011年に師匠の立川談志が亡くなってから一転、さまざまなメディアへの登場機会を増やした談春。 「一番の理由としては、談志師匠が亡くなったことで、落語界から大きな広告塔が失われたと感じたようです。弟子である談春さんは、談志さんの遺志を継承し、広く一般に落語を認知させるために、できる限りメディアに出ることを決めたそうです」(落語関係者) それ以降、ドラマをはじめバラエティ番組でMCをするなど、本業以外の活動を活発に行ってきた。 「ただ、ドラマのオファーもかなり来てるのですが『落語家の自分を大事にしたい。ドラマに出続けると、落語の世界とブレが生じてしまう』と断っているようです。でも、『よほど面白い作品なら出たい』とも言っているので、どの局が彼を口説き落とすかが注目されていますね。名前の割にギャラも1話30~50万円程度なので、局としても費用対効果が高いんです」(テレビ局関係者) 次に談春をドラマで見るのは、果たしてどの局か――。『赤めだか』扶桑社
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家元・立川談志が落語界に遺したものとは? 『立川流騒動記』立川談之助インタビュー

談志のDNAを継ぐ立川談之助
「喉に穴が開き、高熱を押して……」故・立川談志が筆談で弟子に残した4文字

談志大全 (上) DVD-BOX 立川談志
古典落語ライブ 2001~2007
(竹書房)
昨年11月21日、喉頭がんでこの世を去った落語家、立川談志(享年75)が弟子たちに最期に残した言葉が放送禁止用語だったことは、テレビでもさすがに報じられなかった。
「師匠と最後に会ったのは8月、声の出ない師匠と筆談したら、放送禁止用語の4文字を書いたんです」
こう話したのは弟子の立川志の輔で、その気になる中身について一門の関係者に聞いたところ「オ●●コ」という女性器を指す言葉だったことが分かった。
「一門が集まったのは恒例の暑気払いで、師匠がお気に入りの銀座の老舗バーで行われました。師匠の通い慣れた場所でしたが、地下のフロアには弟子に助けられながら降りたほど衰弱していました。巻いていたスカーフをとると気管切開で喉に穴が開いていました......」
例年なら話の中心にいる談志が、このときは聞き役として座っていただけだったという。
「みんな口々に師匠を楽しませようといろんな笑い話をしましたよ。そのうちにひとりが何か師匠から言葉をもらおうとペンを出したんです。すると師匠は細くなった腕で隅に小さく4文字を書いて一同を笑わせました。その後はすぐに帰られたんですが、後で聞いたら高熱を解熱剤で冷まして駆けつけたとのことでした」(同)
談志の死で多くのテレビリポーターが、この暑気払いに出た20名ほどの弟子らを取材したが、誰もこの放送禁止用語を口に出すわけにはいかなかったという。
「何人かは携帯電話のカメラでその文字を撮影していましたが、写真でも見せられないわけで」(同)
談志は生前から自ら考えていた戒名が「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」というもので、これもテレビでは報じられなかった。
「テレビじゃ報じられないようなギャグが大好きな師匠でしたが生前、噺家なら死ぬときも人を楽しませなくちゃ......とも言っていましたよ。"俺が死ぬときの新聞の見出しは『談志が死んだ』だ"と回文のジョークも言っていて、それを知っていた記者が実際にその見出しをつけてくれましたね。師匠に応える粋な計らいでした」(同)
97年に食道がんを公表した際、談志は記者会見で「俺が死にゃ、喜ぶ奴がいっぱいいるよ」と笑っていたが、実際には死の直後は悲しみの空気に包まれるばかりだった。
ただ、さすがは談志の弟子たちだ。「師匠が死んだから、これでもう解禁できる。客がドン引きするような師匠の話がたくさんあって『俺が死んだらネタにしろ。遺産代わりだ』と言われていたから、高座で使わせてもらいます」と弟子のひとり。
どんなときでも客を楽しませるという、談志イズムはしっかり継承されているようだ。
(文=鈴木雅久)
林家三平絶句……家元・立川談志死去報道の裏にあったフジテレビの非常識すぎる取材

談志大全 (上) DVD-BOX 立川談志
古典落語ライブ 2001~2007
(竹書房)
喉頭がんのために落語家・立川談志(本名・松岡克由)さんが21日に死去し、落語ファンは悲しみに包まれたが、その裏でフジテレビがとんでもない取材を行っていたことが発覚した。
談志さんが亡くなったことが発表されたのは、死去から2日後である23日の夕方。ただ芸能マスコミの間では、22日午後から「亡くなったらしい」との情報が駆けめぐっていた。
「どこの社もウラ取りに必死になったが、23日になっても確認が取れなかったんです」(ワイドショー関係者)
なかなかウラが取れなかった原因は、談志さんの家族が亡くなったことを誰にも明かさなかったため。落語家の師弟関係は「実の親子以上の関係」と言われるが、談志さんの家族は、身内だけの葬儀を終えた23日夕方まで弟子にも知らせないという、徹底した情報統制を敷いた。
「ウラを取るためマスコミ各社は談志さんの弟子に連絡したが、弟子は誰も知らなかった。師匠が死んだなんて信じたくない思いもあり、『デマです』と断言する弟子もいた。マスコミ各社がなかなかウラが取れなかったのは、そのためなんです」(同関係者)
そうした状況の中、フジテレビの取材班がとんでもない行動に出た。これは23日昼に行われたブルーレイ&DVD『カーズ2』の発売記念イベントでのこと。イベントに出席したのは落語家・林家三平と女優・国分佐智子夫妻だった。
「その時点ではまだ『談志さん死去』のウラは取れていない段階だった。にもかかわらずフジのクルーはイベント中に『談志さんが亡くなったそうですが』と三平に聞いたんです」(現場にいた報道関係者)
驚いた三平は「全然知らないです」と絶句。その後「噺家としては宝のような存在。『お前は落語ができるんだから、しっかりやりなさい』と言われたことがあります」と絞り出すように話した。この話は、後で"お悔やみのコメント"として報じられた。
前出の関係者は「フジのクルーの聞き方は質問というよりも『知ってますか?』と確認するような感じで、言わば三平にウラを取っているようなもの。『同じ落語家だから知っているかも』と思ったのかもしれないが、まだ談志さんの死去が確認できていない段階で聞くことじゃない。周りからも『やりすぎだ』と声が出ていた」と明かす。
まだ談志さんが亡くなったことが"デマ"である可能性もあった時点での話だけに、今回のフジテレビの取材は非常識と言われても仕方がないだろう。
家元・立川談志逝去 "師匠"の死に"弟子"ビートたけしは何思う……
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす! "落語界の風雲児"と呼ばれた立川流の家元の立川談志師匠が、21日に喉頭がんで亡くなっていたことが明らかになった。 少し前にビートたけしが「談志師匠のお見舞いに爆笑問題の太田(光)と行かなきゃな」と言っていたことを覚えている。実際にお見舞いに行ったかどうかは確認していないが、たけしは20日ごろから、『たけしアート★ビート』(NHK-BS)の海外ロケでヨーロッパに行っていたはず。そのため、どのメディアも、訃報直後にたけしコメントを発表していないが、彼自身は尊敬する師匠の死に目に会えず、さぞ悔やんでいることだろうと思う。 談志師匠は、ブラックユーモアと毒舌で独自の世界を築き上げて、落語界から異端児扱いされたこともあったが、落語の腕前を取っても師匠の右に出るもはいないと確信しているのは筆者だけではないはず。お笑い芸人としてのたけしの原点も「ブラックユーモアと毒舌」であり、それゆえ、彼は談志師匠に弟子入りまでしたのだ。談志師匠もたけしの才能を認めて、「立川錦之助」という高座名を与えている。 2010年8月に発売された「新潮45」(新潮社)では、談志師匠とたけしに爆笑の太田も加わって、歴史に残るブラックユーモア対談が実現した。この対談記事の見出し通り、「最後の大"毒"演会」になってしまったのが残念でならない。 今年の夏には、こんなことがあった。たけしが客員編集長を務める東京スポーツのインタビューで、彼に「『笑点』(日本テレビ)の司会者がタモリに代わるといううわさがあるけど、どう思う?」と振ると、開口一番「あのおやじ(司会の桂歌丸)何も面白くないもん。大喜利のネタは全部、何人もいる作家が考え出したものだし」と暴露して、「三遊亭圓楽を始め、みんなクビにした方がいいよ。もともと『笑点』に司会は立川談志さんがやっていて、若手の面白い落語家が出ていて、大喜利もハイレベルだった。ハイレベルすぎて視聴者がついていけず、視聴率が取れなかった。それを思うと、談志さんはいかにすごい落語家だったか」と絶賛していた。 たけしが訃報直後にお悔やみのコメントを求められたとしても、こうした談志師匠譲りの毒のあり、真実をついた言葉を発していたのではないか。 少し前に"落語ブーム"と呼ばれる時期があったが、そこから談志師匠のような真のスターは生まれていないし、たけし自身が実力を認めている噺家は一握りしかいない。そんな中で、最近は高座に上がることがないたけしが以前「落語をやってみたい」と語っていた。談志師匠の死を機に、師匠の意志を継いでチャレンジするのもいいかもしれない。"落語界の風雲児"の死に改めて合掌! (文=本多圭)『立川談志 ひとり会 第二期 落語ライブ
'94~'95 第十二巻』(竹書房)



