『桜Trick』や『幸腹グラフィティ』など、多くのアニメ化された作品を掲載していた芳文社の4コマ漫画誌「まんがタイムきららミラク」が、16日に発売された12月号で休刊することを発表し、注目を集めている。 同誌は2011年に「まんがタイムきらら」増刊号として創刊の後に独立。「きらら系」各誌の中では、ストーリーを重視する独自色を展開していた。 多くの作品がアニメ化される有力雑誌であったにもかかわらず、休刊に至った背景にあったのは何か。事情を知る業界関係者が挙げるのは「人手不足」である。 「最近、幾人か辞めたという話を聞いていましたから……本当に人が足りていないんでしょうね」(業界事情に詳しい編集者) 出版界でも業績は安定している芳文社だが、やはり人材は流動的。キャリアアップを目指す編集者には、また別の会社へと転籍していく人が常にいるもの。それが重なってしまったことが休刊の原因ということらしい。 しかし、仮にも商業出版している雑誌で、人手が回らないなんてことはあるのだろうか。 「やはり、雑誌が増えすぎたのが原因でしょう。正直、ちょっと統廃合して整理しないと読者も混乱していると思われていたところに、人手不足は、いい機会だったんでしょうね」(同) 確かに「まんがタイム××」というタイトルの雑誌は「きらら」系列だけで「きらら」のほか「きららMAX」「きららキャラット」「きららフォワード」、さらにWebの「きららベース」に「ミラクWEB」。正直、毎号買っている読者でも、自分が買っている雑誌がどれだったのか混乱しそうな勢いである。 おまけに、発売日も「ミラク」は毎月16日。「MAX」は19日。いや、確かにややこしい。 ちなみに、大人向け四コマ雑誌の「まんがタイム」のほうは「きらら」系をしのぐ、定期刊行6冊。よく混乱しないものだと感心するが……。 (文=四コマ取材班)「まんがタイムきららミラク」2017年12月号(芳文社)
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「まんがタイムきららミラク」突然の休刊──理由は「人手不足」か
『桜Trick』や『幸腹グラフィティ』など、多くのアニメ化された作品を掲載していた芳文社の4コマ漫画誌「まんがタイムきららミラク」が、16日に発売された12月号で休刊することを発表し、注目を集めている。 同誌は2011年に「まんがタイムきらら」増刊号として創刊の後に独立。「きらら系」各誌の中では、ストーリーを重視する独自色を展開していた。 多くの作品がアニメ化される有力雑誌であったにもかかわらず、休刊に至った背景にあったのは何か。事情を知る業界関係者が挙げるのは「人手不足」である。 「最近、幾人か辞めたという話を聞いていましたから……本当に人が足りていないんでしょうね」(業界事情に詳しい編集者) 出版界でも業績は安定している芳文社だが、やはり人材は流動的。キャリアアップを目指す編集者には、また別の会社へと転籍していく人が常にいるもの。それが重なってしまったことが休刊の原因ということらしい。 しかし、仮にも商業出版している雑誌で、人手が回らないなんてことはあるのだろうか。 「やはり、雑誌が増えすぎたのが原因でしょう。正直、ちょっと統廃合して整理しないと読者も混乱していると思われていたところに、人手不足は、いい機会だったんでしょうね」(同) 確かに「まんがタイム××」というタイトルの雑誌は「きらら」系列だけで「きらら」のほか「きららMAX」「きららキャラット」「きららフォワード」、さらにWebの「きららベース」に「ミラクWEB」。正直、毎号買っている読者でも、自分が買っている雑誌がどれだったのか混乱しそうな勢いである。 おまけに、発売日も「ミラク」は毎月16日。「MAX」は19日。いや、確かにややこしい。 ちなみに、大人向け四コマ雑誌の「まんがタイム」のほうは「きらら」系をしのぐ、定期刊行6冊。よく混乱しないものだと感心するが……。 (文=四コマ取材班)「まんがタイムきららミラク」2017年12月号(芳文社)
「週刊プレイボーイ」の水原希子“大特集”が完全爆死!「乃木坂46の時より25%近く低い数字」
「これはヤバイだろうと思っていたら、案の定、悲惨な結果になったようですね」 さる出版関係者がこう語るのは、10月2日発売の「週刊プレイボーイ」(集英社)のこと。創刊51周年に突入する記念月間のトップとなる号の表紙&グラビアに、女優でモデルの水原希子が登場。しかも巻頭全ページ&センターグラビア増ページ、両A面ポスターの付録までついていたのだが……。 「今回のグラビアはロサンゼルスで撮影されたもので、水原側の気合は相当なもの。『単にセクシャルなだけでなく、後から見返した時に宝物になるような写真が撮れたら』という彼女の決意を聞いた編集部は、なんと41ページという異例の大ボリュームでグラビア掲載を敢行。前半はビルの屋上で、お尻の見える超ミニスカートを披露し、後半はほぼスッピン状態でのベッドシーンや手ブラ、屋外や車内での水着姿などで構成されています。さらに、51周年目を飾る屋外広告にも、水原が起用されているんです」(週刊誌編集者) まさに、水原の水原による水原のための特別号とあって、編集部も売り上げアップに絶対の自信を持っていたのだろう。 「しかし、結果は実売率が40%にも届かない大爆死となった模様です。『週プレ』といえば、表紙&巻頭グラビアが最大の売り物で、雑誌の命運も、ほぼそこに懸かっている。この号のコンビニや書店での売れ行きデータを見ると、乃木坂46の人気メンバーが起用された時とは20~25%近く、小倉優香ら人気グラドルの号と比べても5~10%近く低い数字です」(前出・出版関係者) 創刊月の記念号1発目で勢いをつけたかった編集部も、さぞかしガッカリしたことだろうが、最近の水原はネガティブな話題に事欠かかない。 「10月9日のインスタグラムに、今回のグラビア掲載用に撮影された写真の一部をアップしたところ、『下品』『汚い』『美しくないものを見せるな』などと罵詈雑言を浴びて大炎上。8月にもトイレ中の画像を載せて批判されたほか、一部のアンチから差別的な発言をされるなど、いまや完全に“炎上女王”と化している。本業もパッとせず、9月16日に公開された出演映画『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』は初週6位で、3週目からは圏外に転落しています」(芸能ライター) 世間の水原アレルギーは、「週プレ」の想像以上だったようだ。「週刊プレイボーイ」2017年 10/16号(集英社)
みなさん……そんなに「イカ天」面白いと思ってなかったんじゃないか?
さて、前回に引き続き話題は「イカ天」である。 この番組を中心としたムーブメントについては、拙著『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)でも多くのページを割いて執筆した。というか、途中からページが足りないので、編集者と相談してページ数を調整して、増やしてもらった。 それでも、まだ書き足りない。 この時代のバンドの音楽史的な位置づけについては、専門の書き手がいるだろうから、そういう人たちの文献を参考にするといい。 ここで筆者が記すのは、あくまで視聴者~にわかな素人目線である。 いや、実に原点から素人目線である。 「イカ天」が隆盛を極めていた頃、筆者はまだ地方在住の中学生。ただ、地方とはいえちゃんと深夜に「イカ天」は放送されていた大都会・岡山である。その番組が面白いと聞いたのはクラスでの会話だったか、何かの雑誌だったか……。ともあれ、背伸びしたい厨二病の季節。深夜に筆者もチャンネルを回した。 そうして、ワクワクしながら観たイカ天の記憶。 今、思い出すのは、当時の相原勇がメッチャ可愛かったなあということだけである……。 おそらく、何かの拍子に「イカ天という番組が面白い」と聞き、チャンネルを回したはいいけど、筆者と同じ気分を味わった少年たちは、多かったのではなかろうか。とりわけ、地方には。そう「イカ天」「ホコ天」に象徴された80年代末期のアマチュア・バンド・ブームの地方のティーンエイジャーへの波及は少し遅かったのである。 当時、多くの雑誌が都会の最新情報を伝えてはくれたけれども、それは「あくまで遠くで起こっていること」に過ぎなかった。 だから「都会に行けば、ここで記されているようなことを実際に体験できるのだ」という思いに若者たちは取り憑かれていたハズだ。 それは、ネットなどを通じて情報や流行が、都会と地方で同調、画一化しているように見える現代との大きな違いではないかと思う。 ■「たま」はコミックバンドだと思われていた記憶 「イカ天」発のバンドとして記憶されるのは、奇妙ないでたちで谷崎や太宰の一節を歌う「人間椅子」。なぜか股間モッコリのレオタードスタイルで歌う「ブラボー」。バックで琴の音色が響く「マサ子さん」など多数。 そうした中で、とりわけ知名度があったのは「たま」だと思う。「たま」が「イカ天」に初めて出演したのは1989年のこと。翌90年には「さよなら人類」でメジャーデビュー。オリコン初登場1位となり、58万枚以上を売り上げている。その奇妙な音楽は、なぜか人々に大いにウケた。 これもどうだろう。 今「さよなら人類」を聞き直すと、音楽的センスのスゴさは自ずと理解できるハズ。けれども、当時はそうじゃなかったんじゃないかな。これも、とりわけ地方では、そういう印象が強かったハズ。 ともすればすぐに消えてしまいそうなコミックバンド。あるいは「ランニングの人が気持ち悪い」と、今の我々なら「何を言うんだ!!」と反論するような感想を持つ人も大勢いたと記憶している。 実のところ、これは筆者の個人的な記憶に過ぎない。けれど、新しすぎてついていけなかったような記憶がある人も多いのではなかろうか。 でも、そんな声は現代では、ほとんど拾うことはできない。 人の記憶というものは、調子のよい部分だけ盛られて残る。そうして盛られた記憶の中で、人はあたかも自分も世間の一般的な認識のとして話題に参加するもの。 こうして、当時のリアルな空気感は消えていく。それを救うのは、地道な取材と資料調査しかない……。 (文=昼間たかし)『たまセレクション』(日本クラウン)
みなさん……そんなに「イカ天」面白いと思ってなかったんじゃないか?
さて、前回に引き続き話題は「イカ天」である。 この番組を中心としたムーブメントについては、拙著『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)でも多くのページを割いて執筆した。というか、途中からページが足りないので、編集者と相談してページ数を調整して、増やしてもらった。 それでも、まだ書き足りない。 この時代のバンドの音楽史的な位置づけについては、専門の書き手がいるだろうから、そういう人たちの文献を参考にするといい。 ここで筆者が記すのは、あくまで視聴者~にわかな素人目線である。 いや、実に原点から素人目線である。 「イカ天」が隆盛を極めていた頃、筆者はまだ地方在住の中学生。ただ、地方とはいえちゃんと深夜に「イカ天」は放送されていた大都会・岡山である。その番組が面白いと聞いたのはクラスでの会話だったか、何かの雑誌だったか……。ともあれ、背伸びしたい厨二病の季節。深夜に筆者もチャンネルを回した。 そうして、ワクワクしながら観たイカ天の記憶。 今、思い出すのは、当時の相原勇がメッチャ可愛かったなあということだけである……。 おそらく、何かの拍子に「イカ天という番組が面白い」と聞き、チャンネルを回したはいいけど、筆者と同じ気分を味わった少年たちは、多かったのではなかろうか。とりわけ、地方には。そう「イカ天」「ホコ天」に象徴された80年代末期のアマチュア・バンド・ブームの地方のティーンエイジャーへの波及は少し遅かったのである。 当時、多くの雑誌が都会の最新情報を伝えてはくれたけれども、それは「あくまで遠くで起こっていること」に過ぎなかった。 だから「都会に行けば、ここで記されているようなことを実際に体験できるのだ」という思いに若者たちは取り憑かれていたハズだ。 それは、ネットなどを通じて情報や流行が、都会と地方で同調、画一化しているように見える現代との大きな違いではないかと思う。 ■「たま」はコミックバンドだと思われていた記憶 「イカ天」発のバンドとして記憶されるのは、奇妙ないでたちで谷崎や太宰の一節を歌う「人間椅子」。なぜか股間モッコリのレオタードスタイルで歌う「ブラボー」。バックで琴の音色が響く「マサ子さん」など多数。 そうした中で、とりわけ知名度があったのは「たま」だと思う。「たま」が「イカ天」に初めて出演したのは1989年のこと。翌90年には「さよなら人類」でメジャーデビュー。オリコン初登場1位となり、58万枚以上を売り上げている。その奇妙な音楽は、なぜか人々に大いにウケた。 これもどうだろう。 今「さよなら人類」を聞き直すと、音楽的センスのスゴさは自ずと理解できるハズ。けれども、当時はそうじゃなかったんじゃないかな。これも、とりわけ地方では、そういう印象が強かったハズ。 ともすればすぐに消えてしまいそうなコミックバンド。あるいは「ランニングの人が気持ち悪い」と、今の我々なら「何を言うんだ!!」と反論するような感想を持つ人も大勢いたと記憶している。 実のところ、これは筆者の個人的な記憶に過ぎない。けれど、新しすぎてついていけなかったような記憶がある人も多いのではなかろうか。 でも、そんな声は現代では、ほとんど拾うことはできない。 人の記憶というものは、調子のよい部分だけ盛られて残る。そうして盛られた記憶の中で、人はあたかも自分も世間の一般的な認識のとして話題に参加するもの。 こうして、当時のリアルな空気感は消えていく。それを救うのは、地道な取材と資料調査しかない……。 (文=昼間たかし)『たまセレクション』(日本クラウン)
「女のコがパンツを脱ぐ!!」やらせ番組だと思われていた「イカ天」への期待
5月に上梓した『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)は、ことのほかに話題となり、派生してさまざまな依頼もあり、ありがたいことこの上ない、今日この頃。 とはいえ、新書のページ数ゆえに、けっこうな部分を削除せざるを得なかった。というよりも、実際に本に記述したのは取材や調査で知った事実の十分の一程度か。まだまだ、書きたい衝動の収まらぬ事どもは、山の様にあるという具合である。 例えば、当時のテレビ事情。「イカ天」こと『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)のブームについては、ページを調整して、なるべく多くを語った。現在ありがちな回想では、多くの新たなスタイルのバンドが誕生し、盛り上がったことが語られる。 ただ、これは歴史の「綺麗な」一面に過ぎぬ。 実のところ、この番組が盛り上がった理由は、なんといっても世の男子たちが「女のコがパンツを脱ぐ」可能性に賭けていたことにある。第1回の放送で、完奏できなかったガールズバンド「ヒステリック」が「バカヤロー! ズボン脱ぐぞ! オラ!」と叫んで、パンツまで脱いでしまったのである。肝心の部分は、カメラマンの妙技で電波には乗らなかったのだが、噂が噂を呼び「何が起こるかわからない番組」=「もしかすると、エロいハプニングが起こるかもしれない」と考えて、チャンネルを回す人は急増したというわけである。 実は筆者も、肝心のこのシーンを観たのは、21世紀になってから。YouTubeが普及したことで、ご家庭のビデオテープに保存されていたであろう過去のテレビ番組の録画を、アップする人は増えた。著作権的な部分での是非は別として、なかなか見る機会のない、こうした映像を見ることができるのは貴重だ。 で、肝心のシーン。文字や言葉で聞くのと、実際に見るのは、まったく別。「バカヤロー!」と突然画面に入ってくるメンバーは、まったくエロくない。演奏シーンは見たことがないのだが、パンクバンドなのだろうか。エロくなくて怖いのである。 21世紀の今では忘れられた感覚だが、90年代まで世の男子は、新聞のテレビ欄をチェックして、深夜に放送されるエロそうな番組を探すことに余念がなかった。 朝、テレビ欄で深夜1時頃から『エマニエル夫人』放送なんてのを見つけると、もう一日中、興奮は止まらない。居間に1台しかないテレビで、どうやって家族に見つからないように番組を楽しむか。エロを楽しむためには、知恵と冒険が欠かせなかったのである。 1995年からフジテレビ系列深夜で放送されていた『THEわれめDEポン』なんて、テレビ欄を見る限り、絶対にお色気番組。だが、期待してチャンネルを回すと始まったのは芸能人による麻雀対決……これ以降、いまだに「テレビを容易に信じてはいけない」という気持ちは強い。 ■やらせ番組だと思われていたイカ天 さて、前述のイカ天におけるパンツ事件だが、この実相に迫っているのはメディア批評誌「創」1989年10月号に掲載された小森収「視聴率は二の次? 深夜TVの奇妙な隆盛」である。ここでは、番組のプロデューサーだった、田代誠のコメントが記されている。 「番組も最初は理解されていなくて、ヤラセの出来レースだと、バンド側が思ったらしいんですね。優勝するバンドは決まっていて、それがプロデビューするために仕組まれた番組なんだと。それで、どうせチャンピオンになれないのなら、メチャクチャやっちゃえということだったのじゃないか」 実に、この記事で記されているオーディション風景は和やかなものだ。番組前の説明会で「本番中パンツは下ろさないでください」という注意もあるが「必ずしもそうしたハプニングがこれからも起こると、考えているようには聞こえない。そういう注意自体シャレで言ってるようである」とある。 かくて、番組は隆盛を極め、新たな音楽の世界を繰り広げていくわけである。そこでは、次々と、それまでにないスタイルのバンドが登場したのであった。 ということで、続く。 (文=昼間たかし)『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)
「女のコがパンツを脱ぐ!!」やらせ番組だと思われていた「イカ天」への期待
5月に上梓した『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)は、ことのほかに話題となり、派生してさまざまな依頼もあり、ありがたいことこの上ない、今日この頃。 とはいえ、新書のページ数ゆえに、けっこうな部分を削除せざるを得なかった。というよりも、実際に本に記述したのは取材や調査で知った事実の十分の一程度か。まだまだ、書きたい衝動の収まらぬ事どもは、山の様にあるという具合である。 例えば、当時のテレビ事情。「イカ天」こと『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)のブームについては、ページを調整して、なるべく多くを語った。現在ありがちな回想では、多くの新たなスタイルのバンドが誕生し、盛り上がったことが語られる。 ただ、これは歴史の「綺麗な」一面に過ぎぬ。 実のところ、この番組が盛り上がった理由は、なんといっても世の男子たちが「女のコがパンツを脱ぐ」可能性に賭けていたことにある。第1回の放送で、完奏できなかったガールズバンド「ヒステリック」が「バカヤロー! ズボン脱ぐぞ! オラ!」と叫んで、パンツまで脱いでしまったのである。肝心の部分は、カメラマンの妙技で電波には乗らなかったのだが、噂が噂を呼び「何が起こるかわからない番組」=「もしかすると、エロいハプニングが起こるかもしれない」と考えて、チャンネルを回す人は急増したというわけである。 実は筆者も、肝心のこのシーンを観たのは、21世紀になってから。YouTubeが普及したことで、ご家庭のビデオテープに保存されていたであろう過去のテレビ番組の録画を、アップする人は増えた。著作権的な部分での是非は別として、なかなか見る機会のない、こうした映像を見ることができるのは貴重だ。 で、肝心のシーン。文字や言葉で聞くのと、実際に見るのは、まったく別。「バカヤロー!」と突然画面に入ってくるメンバーは、まったくエロくない。演奏シーンは見たことがないのだが、パンクバンドなのだろうか。エロくなくて怖いのである。 21世紀の今では忘れられた感覚だが、90年代まで世の男子は、新聞のテレビ欄をチェックして、深夜に放送されるエロそうな番組を探すことに余念がなかった。 朝、テレビ欄で深夜1時頃から『エマニエル夫人』放送なんてのを見つけると、もう一日中、興奮は止まらない。居間に1台しかないテレビで、どうやって家族に見つからないように番組を楽しむか。エロを楽しむためには、知恵と冒険が欠かせなかったのである。 1995年からフジテレビ系列深夜で放送されていた『THEわれめDEポン』なんて、テレビ欄を見る限り、絶対にお色気番組。だが、期待してチャンネルを回すと始まったのは芸能人による麻雀対決……これ以降、いまだに「テレビを容易に信じてはいけない」という気持ちは強い。 ■やらせ番組だと思われていたイカ天 さて、前述のイカ天におけるパンツ事件だが、この実相に迫っているのはメディア批評誌「創」1989年10月号に掲載された小森収「視聴率は二の次? 深夜TVの奇妙な隆盛」である。ここでは、番組のプロデューサーだった、田代誠のコメントが記されている。 「番組も最初は理解されていなくて、ヤラセの出来レースだと、バンド側が思ったらしいんですね。優勝するバンドは決まっていて、それがプロデビューするために仕組まれた番組なんだと。それで、どうせチャンピオンになれないのなら、メチャクチャやっちゃえということだったのじゃないか」 実に、この記事で記されているオーディション風景は和やかなものだ。番組前の説明会で「本番中パンツは下ろさないでください」という注意もあるが「必ずしもそうしたハプニングがこれからも起こると、考えているようには聞こえない。そういう注意自体シャレで言ってるようである」とある。 かくて、番組は隆盛を極め、新たな音楽の世界を繰り広げていくわけである。そこでは、次々と、それまでにないスタイルのバンドが登場したのであった。 ということで、続く。 (文=昼間たかし)『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)
人気コミック『ギャングキング』が“タトゥー裁判”の有罪判決で大打撃!?
あの人気コミックも、内容の変更を余儀なくされるかも? 医師免許を持たずに客にタトゥー(入れ墨)を施したとして、医師法違反(無資格医業)の罪に問われた彫師・増田太輝被告(29)の公判が9月27日、大阪地裁で行われ、「有罪」との判決が下された。 「医師法には、タトゥーの施術に関する明文規定はなく、彫師をめぐる初の正式裁判として注目されました。長瀬敬昭裁判長は『保健衛生上の危害が出る恐れがあり、医療行為に当たる』として医師免許が必要と指摘。罰金15万円(求刑罰金30万円)を言い渡しました。弁護側は『医師免許を要求するのは過剰な規制で、表現の自由や職業選択の自由を侵害している』と主張したものの、『保健衛生上の危害の防止を上回る利益があるとはいえない』として退けられました。認可制導入を求める署名活動も展開していた一部の彫師らは、『このままでは彫り物の文化がなくなる。彫師は地下に潜るしかなくなる』と肩を落としています」(社会部記者) さらに、この裁判はマンガ界にも飛び火。ある人気コミックへの影響が不安視されているという。出版関係者が明かす。 「累計発行部数1,000万部を誇る柳内大樹の人気コミック『ギャングキング』に影響を及ぼす可能性があります。同作は2003年に『ヤングキング』(少年画報社)で連載がスタートし、現在は『別冊少年マガジン』(講談社)に移籍。自分で自分の体に彫り物を彫った少年、“和彫りのジミー”の成長を描いた不良マンガの金字塔です。作中で、彫り物は『芸術』として描かれ、世界一の『彫り師』になる夢を持つジミーが、学校の生徒たちにワンポイント3,000円で営業しているシーンも出てきます。しかし、今回の判決に照らすとジミーの行為は違法となり、『犯罪を助長する』作品になってしまった。彼は憧れの彫師に弟子入りするために渡米しようとしていますが、表の世界で営業するつもりなら、医師免許取得に向けて猛勉強しなくてはならない。勉強とは無縁の不良生活を送るジミーですから、並大抵の努力では夢は叶いそうにありません」 こうなったら、タイトル通りギャングを目指す方向にシフトチェンジするしかない?『ギャングキング(29)』(講談社)
「プリキュアにはかなわない」という現実を超えて──ラノベレーベルにも乗り出す「キリスト新聞社」の目指す未来
「日曜日の朝は、特撮がありプリキュアもあり……まあ、勝てないですよ」 真っすぐな視線から注がれる言葉には、諦めの先の希望があった。 松谷信司は、キリスト新聞の編集長として、これまでもさまざまな試みを行ってきた人物である。聖書を題材に「モーセ召喚!!!」「聖書の世界を遊び尽くせ!!」をキャッチコピーにしたカードゲーム『バイブルハンター』。同じく聖書の人物が登場する『バイブルリーグ』。スマホで遊べるパズルゲーム『モーセの海割り』。 宗教改革500周年を迎える今年は、宗教改革をテーマとするアナログゲームのコンテストを実施。この作品は『ルターの宗教大改革』のタイトルで、ルターが95カ条の論題を張り出した500周年の記念日となる10月31日に発売される予定だ。 そんな新聞社が新たに発表したのが、キリスト教をモチーフにしたライトノベルレーベルの創刊だ。ライトノベル投稿サイト「トークメーカー」とコラボして行われている作品募集では、プロアマ不問はもちろんのこと、宗教不問・改宗不要とまで煽っている。 近年、さまざまな宗教が現代社会のカルチャーを利用した試みを盛んに行っている。人気アニメとコラボする神社や、仏教アイドルなどが次々と現れている。そうした中で、キリスト新聞社の試みは、かなり特徴的に見える。 それは、ここまでやっていいのかという“ユルさ”である。キリスト新聞は、いわゆる業界紙の中ですべての教派を扱う新聞である。創刊は1946年。日本のキリスト教界の中では伝統と権威のある新聞といえるだろう。それが、なぜここまで尖った試みを行うのだろうかということが引っ掛かった。 これまでも、興味の赴くままに神社仏閣の現在を取材したことはある。その中には、神田明神しかり、了法寺しかり、サブカルチャーを利用して人々に働きかけようとするところも数多くあった。けれども、サブカルチャーを取り入れながらも、宗教としての立ち位置は鮮明に打ち出していたように感じている。それに比べると、キリスト新聞のゲーム、そしてライトノベルレーベルには、ぐっとユルさが感じられる。 それに、是非の気持ちなどはない。むしろ、なぜここまでユルくするのだろう。そんな興味のままに取材のアポイントメントを取った。 ■40歳の若社長が語る「キリスト教信仰の危機」とは? キリスト新聞社があるのは、神楽坂の筑土八幡の近く。近年、道路も改修され古くからの街並みは徐々に21世紀へと変貌しようとしている。そんな変わりつつある街の一角にあるキリスト新聞社の入居する建物は、明らかに昭和の雰囲気だった。古ぼけたコンクリートの建物。その4階にある編集部は、オフィスというよりも事務所という言葉が似合う空間である。多くの人が行き来した、色あせた階段や廊下の床には、どこか硬い芯のようなものが感じられた。 そんな新聞社で、編集長であり6月からは社長にも就任した松谷は、まだ40歳である。アポイントメントを取った後、取材当日までの間に下調べをしていて、そのことを知った時に少し驚いた。伝統のある宗教の業界紙である。そんな会社の社長だから、きっと70歳くらいの信仰に人生を捧げてきたような、雰囲気のある人物が出てくると思っていたからだ。現場の第一線で活躍する年齢の人物が、社長にも就任する。そこには、ひとつの会社にとどまらない「業界」全体の何がしかの期待が込められていると思い、がぜん興味が湧いた。 神道でも仏教でも、よく語られている信者の減少と信仰の形骸化。それが、日本国内においては決して多数ではないキリスト教にとっては、より危機感を抱くことなのではないか。そんな誰もが思いつくような疑問を、松谷に尋ねてみることにした。 「まったく同じですね。お寺さんの話を聞いても、まったく課題は同じです。高齢化、なり手がいない。若者がいない。人がいない。お金がないのは共通です。住職がいないお寺が問題になっていますが、同様に牧師がいない教会も出てきて、問題になっているんです」 松谷が語ってくれたのは、私がにわかに想像したよりも深刻な各教派の実情であった。 最初に、松谷が問題として語ったのは、神学校を卒業して神父・牧師になった若者が、数年で辞めてしまうということであった。 神学校に入学をするということは、信仰に人生を捧げようという強固な決心があるように思える。けれども、そうした決意を固めた人でも持たないという問題を、教会は抱えているのだという。 「この時代、病んでいる方が多く教会にやってきますよね。神父や牧師になるのは真面目な方が多いので、真摯に対応しすぎて疲弊してしまうんです。朝も夜も構わず教会にやってくる人の相手をしたり、深夜に何時間も長電話の相手をしたり。牧師の場合ですと、奥さんや家族も被害を被ってしまうんです」 松谷の言葉は、驚くほどに率直だった。 とりわけ「病んでいる方」「真面目な方が多い」という言葉を使ったときには、少しドキっとした。なんらオブラートに包むことない物言い。でも、決して見下したり冷笑しているのでない。その言葉を使うとき、松谷の目は明らかに真剣そのものだった。同時に、そこまで刺すような言葉を用いなければならないということに「業界」の危機感が滲んでいるように見えた。私の思考の中でそのことと、ゲームやライトノベルが次第に糸で結ばれていった。 ■教会の「敷居の高さ」を取り除くために 私も、ライトノベルレーベルの立ち上げをきっかけに取材に訪れたわけであるが、現代日本に生きていてキリスト教の信仰に触れる機会はほとんどない。確かにキリスト教系の学校というものは、幼稚園から小中高大学まで全国各地にある。12月になれば、みんなクリスマスの準備を始める習慣は根付いている。けれども、聖書を読んだことがあるかといえば、そんな人はあまりいない。ましてや、そこに登場する人物や業績の知識を持ち合わせている人は少ない。「使徒」と聞いて思い浮かべるのは『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビ東京系、他)。あるいは『聖☆おにいさん』(講談社)くらいだろうか。それで、何がしかの知識の片鱗を得ても「なら教会に行ってみようか」と考える人は少ないだろう。 「敷居が高いですね。キリスト教系の学校というものは、けっこういっぱいあります。そうした学校に通っていても、教会で聖書読んでお祈りする人はあまりいません。娯楽の少ない時代には、教会に行けばおいしいお菓子や文化とかメリットはありました。でも今は、楽しいものがたくさんありますから」 その楽しいものとして、松谷は日曜朝の特撮、そして『プリキュア』の名を挙げた。日曜日の礼拝が、決して『プリキュア』にはかなわない。その、いわば「負け」を認めることが松谷の出発点になっているのだった。 「だから、若い人に触れてもらうために、マンガやゲームを制作したのです。そして、ラノベは絶対に必要なジャンルだと思っていました」 取材の前に、松谷が登場している幾つかの記事を読んだときに、松谷は「信徒以外の<にわかファン>」という言葉を用いて、もっと広くキリスト教をアピールする必要性を語っていた。けれども、松谷は単に新たな信徒を取り込むためだけに、サブカルチャーを利用しているのではない。むしろ「業界」内部に変化をもたらす必要性。もっと簡単にいえば「敷居を下げる」ことを求めているようだった。 キリスト教の「本場」ともいえるヨーロッパあたりを旅行すると一目瞭然だが、教会は日本の神社仏閣と同等に敷居が低い。ちょっと扉を開けて入って、礼拝の様子を覗き見しても咎められることはない。中には夜中でも開いていて自由に礼拝はできる教会もある。 けれども、日本の教会というものは、だいたいが入りにくさに満ちている。道路に面した門は閉ざされているし、その奥にある建物の扉はもっと重くて固い。何か、覚悟を決めなくては入ることのできない雰囲気がある。 「やはり、規模の違いでしょう。四谷の聖イグナチオ教会なんかは、わりと自由に出入りできます。でも、ほかの教会は基本、何もなく入っていくと不審者になっちゃいますね」 今までは「きっかけが、なさすぎた」と、松谷は言った。キリスト教の信仰を、簡単に学べるような本は少ない。少し興味を持って知ろうとすれば、日曜日の朝に礼拝にいかなければならない。そんな宗教で、おいそれと信者が増えるとは到底考えられないと、思った。 「今は、信者を増やすよりも、にわかのファン回りにいる人をどうやって増やすかを考えないと、コアなファンも育たないと思うんですよ」 そんな問題意識があっても、変化しようとしない教会。教派によっては、次代の聖職者を養成する神学校すら維持することのできないところも出てきているという。そうした、変わらない教会の意識を変えさせる方法が、ゲームでありライトノベルなのだろう。 「教会だけが、教会自身で変わるのはもう無理だと諦めています。外堀である、我々メディアとか第三者が『教会にはできないけど、私には言える』という立場で刺激を与えていかないと、生き残れないのではないかと思っています」 松谷の言葉には、まったく揺るぎがなかった。前述した通り、キリスト新聞はいわゆる「業界紙」である。ということは、業界とは常に持ちつ持たれつの関係にあるはずである。そうした専門的な媒体というものは、ネタ元であったり、購読者の属性に対しては、あまり批判をしないものだ。そんなことをしては、ネタももらえなくなってしまうし、場合によっては購読者が減る恐れもある。そんな立場の媒体のはずなのに、松谷には「こんな業界だから仕方ない」という諦観は、みじんもなかった。 もう、このまま現状維持では目減りしていくだけで後はない。ならば、やれることをすべて試してみよう。そんな開拓精神が満ちているように思えた。つまりそれは、単に最近はマンガやアニメ、ゲームがはやっているから、そこに乗っかってサブカルチャーを利用した宣教をしようというような軽いものではないということである。 「サブカルやっても儲かるワケではありません。結果は、すぐには出ないと思っていますし」 実は、ライトノベルレーベルの創刊だけでなく、キリスト教新聞は、今年大きな改革を実施している。これまで、通常の新聞と同じ大きさかつ、縦書きだった紙面を刷新。タブロイド判で横書きに切り替えたのだ。変更前と変更後、両方を見せてもらったが、それはまったくの別物である。変更前のものが新聞とすれば、変更後のものはフリーペーパーのようなスタイル。あまりに変わりすぎて、購読者からは「新聞が届かないのですが」と、クレームがきたほどだという。 「前から変えなきゃいけないとは思っていました。高齢化で、どんどん『読者が字が小さくて読めない』とかでやめていくばっかりだったのです。また、電子版を始めるにあたって従来のサイズは適さないと判断したのです」 題字も変わり、従来の新聞スタイルに比べると手軽に読むことのできる雰囲気になっているのは確かである。けれども、これも結果はすぐに出るわけではない。松谷自身も「判型を変えたからって購読者は激増しない」という。それでも、確実に変化を「業界」内部にも促す材料となっていることを確信しているように見えた。 そんな内部をも変化させる要素であるサブカルチャーの重要性を、松谷は冷静に判断していた。そのことを感じたのは、話がモーセの海割りから映画『十戒』へと及んだときであった。 チャールトン・ヘストン主演の『十戒』は、公開時に日本でも大ヒットした名作である。3時間超の映画の中で、残り時間が1時間を切る頃まで、ためて、ためて、ついにモーセの海割りシーンが大迫力で出現する。その記憶は多くの人に共有されていて、日本でも大勢の人がモーセといえば「海を割る人」くらいには覚えている。 「そう『ドラえもん』でも、十戒石板という秘密道具が……」 ふと、そんな言葉が口をついて出た。すぐに松谷も反応した。 「モーゼステッキという道具もありましたね」 多くの言葉を使わなくても一目瞭然。これが、サブカルチャーの成果である。藤子不二雄が『十戒』を観て大いに感動したエピソードは『まんが道』春雷編の中に記されているが、その感動が『ドラえもん』のエピソードのモチーフとなり、我々の記憶にと刻まれている。 松谷が目指しているのは、まさにこれである。ゲーム『バイブルハンター』や『バイブルリーグ』は、それぞれのカードに記された効果が、その人物の逸話とイコールになっている。つまり、ゲームで遊びながら、なんとなく聖書の登場人物を知っていくことができるわけだ。それで興味を持ち、原典である聖書を読むきっかけを得るような、本当の「にわか」が増加すること。それが、松谷のもくろみなのだ。 「東北学院大学の聖書入門という授業では、バイブルリーグを教材で使ってもらっています。授業で人物を取り上げて、なぜカードの効果がこれなのかとか説明した後に、実際にゲームで遊ぶんだそうです。これは、文字通りこちらの意図したことですね。三国志だって、ゲームやマンガで知った人がいっぱいいるじゃないですか。キリスト教だって聖書を読まなきゃわからないだけじゃなく、ほかにも入口があっていいんじゃないんでしょうか」 けれども、やはりほかの宗教と同じく、サブカルチャーを利用することへの不信感を持つ人も一定数は存在している。 「よく批判もされますよ。そもそもゲームにすることが不敬と考えている人もいます。お寺や神社と一緒で、ポケモンGO禁止の教会もありますしね。また『バイブルハンター』では、エヴァのイラストで肌の露出が多いというクレームが。聖書に忠実にすると、なんにもつけていないんですけどね……」 ともすれば、古色蒼然たる偏狭なクレームと受けとめることもできる。けれども、松谷はそれにいちいち腹を立てたりはしない。 「まあ、そんなくだらないことで炎上してはアレなんで、気を使ってはいますけど……」 批判は批判として粛々と受け止めて、我が道を貫く姿。それは、決して自分のやっていることに間違いがないことの確信があるからだと思った。 そんな状況の中で取り組まれているライトノベルの公募は、意外に注目を集めていると、松谷は言う。1週間で30作品あまりの応募があったというのだ。 ──やはり、文字数などの点でハードルを低めに設定しているからではないでしょうか? 「いえ、もともとハードルは高いと思うんです。舞台がミッションスクールとか、キリスト教の用語が出てくるラノベはたくさんあるわけで、どう差別化するかが課題だと思っています。そのため、キリスト教の理解を深めるための作品を条件にした。そうじゃなかったら、フツーのラノベになってしまいます」 ──では、どのような作品を求めているのでしょう。 「聖書をラノベ風にしたものとか、現代におけるキリスト教そのものを舞台にしたラノベ。キリスト教系の学校とかを舞台にして、面白おかしいだけじゃなく、根本には思想があるといいなというのが、希望ではあるんです」 ゲームがそうであるように、人によっては「不敬」と思うまでに、これでもかというほどに、面白おかしい路線を走っている。でも、そんなことができるのも、ちゃんと芯の部分があるからだと思った。「キリスト新聞」社長・松谷信司氏
■本物の教会でコスプレ撮影会も……「いのフェス」 そんな松谷の思いが如実に表現されているのが、キリスト新聞社が協賛に名を連ね、年1回各地の教会で開催されているイベント「「いのり☆フェスティバル(いのフェス)」である。 2011年に始まったこのイベントは、キリスト教に関係する催しやフリーマーケットで構成されるもの。松谷自身も実行委員として参加しているのだが「有志による実行委員会」という形を取っているだけに、さらに振り幅が大きい。毎年のチラシは、ほとんど同人誌即売会のノリで自ら「教会版コミケ」という表現も。昨年、名古屋で開催された時のチラシには「天国無双」と、最近人気の作品へのオマージュとおぼしき煽り文まで記されている。 そして、10月9日に開催される今年の「いのフェス2017」では、会場となる教会でコスプレ撮影会もできるというのが、売りになっているのである。これまで、結婚式場などのチャペルでコスプレ撮影会というものは存在した。けれども、今回は本物の教会。それも公式にこんな文章で告知している。 ---------------------------------------------------------- コスプレ交流撮影会 「ホンモノの教会で撮ってみた♪」 実際に礼拝が行われる場で写真が撮れるまたとない機会。 ---------------------------------------------------------- サブカルチャーを用いた、変革へ向けての鮮烈な爆発。それは、10年後、20年後、どういう結果をもたらすことになるのだろうか。 (取材・文=昼間たかし) ■聖書 × トークメーカー ライトノベル新人賞 http://talkmaker.com/info/303.html ■いのり☆フェスティバル http://www.inofest.com/
“ヤクザ雑誌はダメ”のご時世で、なぜ……「月刊実話ドキュメント」スピード復刊の裏事情
今年3月に休刊したヤクザ雑誌「月刊実話ドキュメント」が10月号から復刊した。休刊は珍しくないご時世だが、約半年でスピード復刊したのは異例の話。今回の復刊は、休刊前に発行元だったジェイズ・恵文社が新たな発売元となり、編集部の態勢はそのままで再スタートとなったようだ。 同誌が休刊となった理由にはいろいろな臆測が飛び、警察による圧力説なども浮上していた。しかし、事情を知る出版関係者は「編集者は周囲への影響を考えてハッキリ理由を言っていませんが、警察からの圧力だったら復刊はできません。ただ、ヤクザへの風当たりの強さが影響したことはあった様子」だという。 「4年前、出版社が竹書房からマイウェイ出版に変わったときも、その理由は竹書房が銀行から融資を受ける際、『ヤクザ雑誌はやらない』という条件が出されたという話でした。今回も別の出版社との交渉もあったようですが、やはり交渉先から『ヤクザ雑誌はダメ』で白紙になったりもしたそうです」(同) 「実話ドキュメント」は、かつて竹書房やマイウェイ出版から発行されていた創刊34年のヤクザ雑誌で、暴力団や右翼団体の動向を専門的な視点で追うのがメイン。創刊時の1984年は、山口組と一和会による暴力団抗争「山一抗争」があって大ヒットを飛ばした。二代目の編集長はいまや芸能レポーターとして活躍する井上公造氏。竹書房が同誌を手放したのは、「銀行の融資が必要なくらい、出版社の経営が厳しかったということでは」と関係者。 「当時の竹書房には『ドキュメント』のほか、もう一誌『実話時報』という社内制作のヤクザ誌もありましたが、そちらはアダルト系雑誌にリニューアルさせられていましたからね」(同) ヤクザ雑誌はあくまでヤクザの動きを伝えるもので、ヤクザと交遊があるメディアではないのだが、休刊は暴力団追放のご時世の悪影響を受けたということなのだろうか。 「ただ、復刊できたことに関しては、取次の力添えもあったと思います」と関係者。 出版社、書店がバタバタと倒産している出版界では、新規参入することはかなり難しく、よほどしっかりした経済的背景があるか、確実に売れるというプランを示さない限り、本を流通させる卸売業者、いわゆる「取次」が首を縦に振らないという。 「そんな中で復刊できたということは、取次が『実話ドキュメント』をそれだけ評価したということでしょうね。実際、復刊部数は休刊前のものを維持しているともいわれていますし。今、雑誌の売り上げは書店よりコンビニの方が大きいですが、本だけを売る専門店である書店と、売れるものだけ置くコンビニとでは、本に対する扱い方が根本的に違います。コンビニは本が売れなければ、その売り場に弁当やジュースを置いた方が良い、とすら考えるもの。そうなれば取次には大打撃なので、コンビニで少しでも売れそうな商品は残そうとしてくれます。『実話ドキュメント』は書店よりもコンビニでの売り上げが大きい雑誌と聞きますから、そこが復刊の決め手になったのでは」(同) ヤクザ雑誌は暴力団と警察、ともに取材しにくい対象を相手にしながら、出版社や銀行にまで冷たくされる風当たりの厳しい雑誌だが、それでも復刊に漕ぎ着けられたということは、世間のヤクザへの関心はまだ需要があるということでもある。 「でも、それも編集部が細々やっているから続けられているだけで、大儲けできているわけではないでしょう」と前出関係者。 「この業界、昔は実売率が7割を切ったら社長に怒鳴られてました。それが今では、4割売れただけでも御の字。本は委託販売のみですから、出荷した商品の半分以上が平気で返ってきちゃう。それでもなんとか利益を出すには、自分たちの給与や取材経費などを抑えながらやっていくしかないでしょう。お金以外のモチベーションがないとやれないですよね」 この復刊の直後、任侠山口組の織田絆誠代表が銃撃されるという事件が発生した。その犯人として、神戸山口組の直系組員が指名手配され、神戸山口組本部が兵庫県警によって家宅捜査されている。こうした動きがあるとヤクザ雑誌の取材力に期待する向きもある。 復刊した同誌の中身はほぼ休刊前そのままで、新たに片岡亮氏による格闘技連載、三垣篤稔氏による競馬連載などが加わった。公式ブログやツイッターなどもないアナログな「実話ドキュメント」、その古きスタイルには昭和ヤクザに共通するような香りも漂う。 (文=高山登/NEWSIDER)「月刊実話ドキュメント」(ジェイズ・恵文社)







