1月2日に放送された特番で、太川陽介&蛭子能収コンビが卒業したテレビ東京の人気番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』だが、続編のキャスティングが難航しているようだ。 番組関係者によると「放送後、視聴者からコンビ復活を求める電話やメールが殺到。あまりの反響の大きさに、ダメ元で2人に再登板してもらえるよう、説得することになったんです」と明かす。 この番組は、特番として2007年の春からスタート。初回視聴率12.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録し、以降も10%前後をキープするテレ東の看板番組に成長。昨年は劇場版も公開された。 番組の制作費は1本あたり800万円ほどで、通常の1時間バラエティ番組の約半分と、コスパの高さでも注目された。それだけに、太川&蛭子コンビが卒業しても番組を続行し、3月からは新しいコンビで収録に入る予定だったという。 有力候補だったのは、俳優・田中要次と芥川賞作家・羽田圭介のコンビ。そのほか、旅番組の常連ともいえる照英、花田虎上、大鶴義丹、原田龍二らの名前が挙がっていた。ところが、前述の通り、太川&蛭子コンビの復活を望む声が殺到したため、制作サイドは“ダメ元”で2人を口説き始めたという。 なぜ、ダメ元なのか? ちまたで伝わっているように、太川が蛭子を毛嫌いしているからだ。太川だけではない。蛭子と共演したタレントの多くは「やりづらい」と敬遠している。ビートたけしも「空気が読めないし、間が取れないから、やりづらい」と言っていた。 視聴者から見たら、その蛭子のズレっぷりが面白いわけだが、それが何度も繰り返されると、現場のテンションは低下するという。 『ローカル路線バス』でも、台本を無視したり、ロケ中に寝てしまうことは日常茶飯事。また、旅先の飲食店に入った際、制作陣も視聴者も地元の名物料理を期待するが、蛭子だけはカレーライスやとんかつを注文。このデリカシーとサービス精神のなさは、最初こそはウケていたが、そのうち視聴者からも「協力してくれるお店側にも失礼」などといった声が上がるようになった。 そんな蛭子に対して、年齢は下だが、芸能界では先輩の太川が見かねて、たびたび注意していたが、馬の耳に念仏。そのうち太川は蛭子を毛嫌いするようになり、2人の距離感は微妙なものになっていたようだ。 そんな中、蛭子は「もう年だから、3泊4日の過酷ロケはきつい」との理由で番組卒業を発表したが、ギャラの安さも降板を選んだ一因といわれている。 太川は1976年にアイドル歌手としてデビュー。テレビ界での実績もあり、番組でも進行役的ポジションを務めることから、1本あたりのギャラは数十万~100万円。対して、本業が漫画家の蛭子のギャラは、その半額程度だという。コンビを復活させるためには、蛭子のギャラアップが必須だが、蛭子のギャラを上げれば、太川のギャラも上げなければならない。 太川には、心の離れた蛭子とのコンビ再結成を了承してもらい、蛭子には魅力的なギャラを提示しなければならないとなると、テレ東がクリアすべきハードルは高い。凸凹コンビが再び見られる日は、やって来るのだろうか? (文=本多圭)
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『山田孝之のカンヌ映画祭』第3話 “あざとさ/痛さ”をコメディたらしめる地上波なりの着地点
俳優・山田孝之がプロデューサーとなり、突如カンヌ映画祭受賞を目指すと言いだした。監督を頼まれたのは、松江哲明と共にこの番組の監督も務める山下敦弘、そして親殺しの猟奇殺人犯を演じる主演は、まさかの芦田愛菜。巻き込まれたのか共犯なのか、とにかく動き出した、このプロジェクト。 前回の第2話では、日本映画学校にて、さまざまな関係者にカンヌや日本映画の現状についての話を聞きつつ、「僕がカンヌ行けない理由って、なんなんですか?」と、なぜか山田以上にスイッチの入ってしまった本職の映画監督・山下の暴走が見どころだった。 彼もさまざまな海外映画祭に出品していることや、かつ「日本のジム・ジャームッシュ(カンヌ常連)」と呼ばれていたことなどを考えれば、当然ともいえる態度と見れなくもない。 今村昌平が『うなぎ』で受賞した時のパルムドールのトロフィーを関係者に持たせてもらいながら、浮かれて写真を撮りたがる山下と、「はい、カンヌ!」とシャッターを押しながらも、「僕らのじゃないから」という理由で持つことすら拒否する山田。好対照ながら、カンヌへの気持ちを固める2人と、うなぎよりタレの染みたご飯が好きという素のあどけなさを見せつつも、随時ランドセルを背負い、この狂った状況に溶け込み、我々をハラハラさせてくれる不思議の国の芦田。 そんな連中の映画制作を記録したドキュメンタリーのような、そうでないような番組の第3回が放送された。 「第3話 山田孝之 パイロットフィルムを作る」を振り返る。 前回を軽く振り返る映像の直後、いきなり老人が首を吊った! と同時にタイトル曲へ。 冒頭だからと油断して観ていたら、いきなりの後頭部を殴られるようなスタート。どうやら今回は「首をくくる」人が出てくるらしい。 その日、「どうしても撮りたいものがある」と山田に呼び出された山下と芦田。 その2人の車中、「不安は不安ですけどー」と語る芦田に「不安は不安だよね!」と、どこかうれしそうな山下。芦田がその後、肯定的なことを言おうとしていた気配があるのだが、そんなことは関係ない。共感を喜ぶ山下の様子は、芦田の同級生の女子のようだ。 共感しあえるはずと見込んだのか、芦田に対し「こういうときに何回も聞き直すと、あの人、怒るから」と、「あの人」には絶対言えない「不安」を、ここぞとばかりに口にする。 この時、芦田(12歳)が山下(40歳)に愛想笑いをしつつ、若干気遣いの眼差しを向ける。この先の現場で、しとしとと苦難が降りかかる監督・山下が、多少元気だったシーンだ。 今回プロデューサーに徹し、映画には出演しないと言い切る「あの人」こと山田孝之は、どうやら先に現場入りしているらしい。 山中の森林に囲まれた現場。すでに多くのスタッフが、準備でせわしなく動いている。 「監督の山下さんと、主演の芦田さんです」 これから芝居をすればよい役者である芦田はよいとして、役者と同じタイミングで紹介され、突如現場に放り出さる監督。所在なさげに何度か会釈を済ますやいなや、「ちょっと一瞬いい?」と山田を連れ出す。 まわりが準備に追われるのを横目に、「何撮りゃいいのコレ?」「聞いてないんだけど」と、山田にこそこそ問わねばならない監督である山下の心境は、なかなかにハードなものだろう。 「今日はパイロットフィルムを撮ります」と、現場に着いて初めてその事実を聞かされる監督・山下。同時に、助監督に段取りの説明を求められてしまい、「俺が(説明)するの?」「ええ山下さん、監督なので……」「あーそっか」という流れるようなやりとりは、監督だけが見ている白昼夢のようだ。 パイロットフィルムとは、「スポンサーから資金を獲得するために先行してつくられる試験映像」で、企画書で説明しきれない世界観を短めの映像で提示し、資金を調達する近道になったりするものらしい。 今話題の映画『この世界の片隅に』では、クラウドファンディングにより集めた資金でパイロットフィルムを作り、その結果ようやく本編の製作にこぎつけたのは有名な話だ。 そんな大切なパイロットフィルム制作の日に、台本も渡されなければ(そもそも存在していないらしい)、監督がするような説明や指示は全て山田に持っていかれ、その説明等をスタッフらと共に聞きながら「そうだったの?」といった具合に誰よりも新鮮に驚く、監督であるはずの男・山下。 今回に限らずだが、特に今回は、勝手にことを進める山田のおかげで、監督としての立つ瀬がどんどんなくなる人間・山下がたまらなく愛おしい。 山田が他のスタッフらに説明しているのを、遠目で見ながら、こっそり「うんうん」とうなずく山下の姿を、山田ら越しに映したカットは、なんとも悲しい構図だった。 どうやら、このパイロット版は、母親に殺されかけた少女が、森で目を覚ますシーンらしい。主人公の中の「殺人鬼」が芽生える大事なシーンのはずだ。 リハーサル時などに、母親に殺されそうになる芦田の芝居に演出をし、まわりのスタッフを動かすのは常に山田だ。 役者のかわりに芦田の首を絞める母親の架空の動きをさせられたり、山田に、小道具の包丁の落とし方が『火サス』のようだと揶揄される監督であるはずの男・山下は、どう見てもペーペーの新米助監督程度にしか見えない。あんなに前回、カンヌに向けて誰よりも熱くなっていたのに(どうやら、監督という職業は、全員が、素直に全権を握って好きなように演出だけできるというものでもないらしい)。 「親は死んだと思ってここに放置してるんですけど、死んでないんです」 「寂しいんですよ、母に首を絞められたのが最後の記憶なんで」 「もう戻るんだったら殺すしかないんですよ」 監督の全く知らなかった人物の背景や芝居プランを、堂々と語るプロデューサー・山田。 山田の「自分の首を絞めてる母の顔ですね」という演出に、山下が「父じゃないんだ? そうか、母か」と懸命に監督としての理解を示そうとしつつも、間違ってしましい、悟られないように自ら訂正するくだりも。 現場到着から始まった今回の山下の混乱は、カメラテスト時の「よーい、はい!」の掛け声を思わず言い忘れ、監督なのにもかかわらず「あ、俺か」と思わず言ってしまったところに集約されている。それほど、山下に「監督」の実感がなくなってしまっていることがわかる。もはや、何者でもない山下(監督)。 芦田が、芝居中に叫ぶことを提案した際にも、許可を出したのは山田だし、両者を見て、ただ頷いていたのは山下だった。 リハーサル後に、「声、ない方がいいですか?」と芦田に指示を仰がれた監督・山下は、「……声は……」と困りながら、横にいる山田をちらりと自ら仰いでしまう。 「いや、もっといきましょう!」の山田の一声で、芦田が叫ぶことの存続が決まったのだが、完全に山下の中で姿が何かが崩壊してしまっているように見えた。 現場にたどり着くまでの道中、たくさんの機材を運びながら険しい山道を登るスタッフに「カンヌ、目の前なんで!」と、ミネラルウォーターを飲みつつ、涼しい顔で鼓舞する山田。パイロット版で1シーンを撮る前の機材を運んでいる最中に「カンヌ」も「目の前」も糞もない。対山下だけでなく、スタッフと山田との「ズレ」も浮き彫りにされる。 ここまで観て、今更ながらに思うのは、これは、痛い主演俳優や、言うことを聞かず口を挟んでくる大物役者、現場をわかってない映画会社やスポンサー側のお偉いさんらに振り回される中間管理職的な監督の悲哀を描くコメディであり、同時に、「山田」のような、痛く、「あざとく」映画を撮る人間を描く、やはりコメディなのだろう。いわゆる風刺とも言えるかもしれないが、そこまで何かを批判したいというよりは、問題を投げつつも、基本笑いたい、笑わせたい、楽しませたいといった地上波なりのサービス精神を感じる。 それは、状況がリアルすぎないように、主演に芦田という「子ども」のアイコンを配置し、ギャップを持たせたところにも現れているし、また、前回の『北区赤羽』よりも、山下に「番組の監督」であるのと同時に、製作している「映画の監督」という立ち位置を、より強調させたことにより、「プロデューサー」山田との関係性が明確になり、より観やすいものになったのではないかと思う。 そして、それが生きているのが今回の第3話だ。 山田が演出時に言った「本当のリアルって、リアルに見えないんで」「多少のフィクションを」という発言は、本音(リアル)なのかもしれないが、監督である山下を無視して演出している「痛い山田」の状況は、この番組の中でのフィクションなのではないか。 そして今回、強烈なインパクトを残したのは、目を覚ました芦田のバックで、首を吊って死んでいる父親役というか、遺体役で出演した、その名も「首くくり栲象(たくぞう)」という存在。冒頭の男性だ。 国立(くにたち)の自宅の庭を改造した、ステージと呼ぶには粗末な(失礼)、見るからにあばら家な(失礼)、しかしれっきとした主演の舞台で、毎晩「首をくくる」パフォーマンスを行っている表現者らしい。 その活動の一端は、彼の活動を追ったドキュメント映画『首くくり栲象の庭』やドキュメント映像である『密着24時!首吊り芸術家 - The Hangman』等でも観ることができる。 そこで確認できるのは、わずか数人の観客に囲まれ、庭の木に吊るしたロープで「首をくくり」、しばし吊られてみせるというパフォーマンス。首を吊るための庭の木の枝が低いからか、地面を若干掘ってある地面や、終演後、観客と語らう際に振る舞われる自家製の焼きうどんの生々しさ等が、実にリアルだ(『密着24時!首吊り芸術家 - The Hangman』より)。 今回も収録現場にて、なぜ首を? という誰しもが感じる問いに対し、「海がそこにあれば泳ぎたくなるように」目の前に「庭があるからだ」と答える姿は、わかるようなわからなような、まったくわからないような気持ちにさせてくれる。 「海=水泳」は、わかるのだが、「庭=首吊り」が理解できないのがその原因なのだが、そんな理屈ではない、首吊りのプロを出演させるあたりに、ドキュメンタリー好きの両監督の強い趣向が垣間見れる。 番組中で「この季節(初夏)なら3分は(くくってて)大丈夫」だと語る姿は、実にドキュメンタリーらしいドキュメンタリーだった。「空気も美味しいし」と言われ、何か言いたいが、言えないスタッフの表情も秀逸だ。 今回、このようなきわどい「題材」を登場させるために、「(包丁の)歯落とし、してあります」とか「看護師の人、来てんだ?」という、入れ込まなければ地上波で放送できなかったであろう、「説明」を自然に盛り込めているのが新しいと感じた。DVDや映画とは違う現代の地上波テレビという問題を、冷めてしまうようなテロップを排除しつつ、さりげなくクリアしている。 首くくり栲象が首をくくるシーンにだけ「絶対に真似をしないで下さい」と入れざるを得なかったのは、この「ドラマ」をドキュメンタリーとして見せている以上、仕方のないことだし、むしろそうまでしても入れたかった「題材」なのだろう。この番組のもう一人の監督である松江哲明は、自身のTwitterで、今回編集に悩んだことと同時に、ギリギリまでやらせてくれたテレ東の製作番組部(P部と表記)へ感謝の言葉を述べている。 ちなみにこの松江監督は、先日、新聞広告に出された映画『この世界の片隅で』へのコメントとして「緻密に調べ上げた上で、現実とファンタジーを同時に、そしてその境界を曖昧なままにするのが片渕監督の凄さ。誰も真似できないと思う。」と、発言している。 「現実とファンタジー」を「境界を曖昧なまま」描くことに触れたコメントは彼だけだった。 そして、完成したパイロットフィルムが番組後半、公開された。 お母さんによって殺されかけ、森の中で目を覚ました芦田、その後ろには首を吊った父親がゆっくりと風に揺れている。戻りゆく意識を辿るかのように、「うおおおおおーーー!!!」と天に向かい咆哮する芦田。『プラトーン』(1986)のウイレム・デフォーのように。ほんの3分ないショートフィルムだ。 タイトルは『穢の森/La forêt de l'impureté』。 やたらとテロップにフランス語を多用し、バリバリにカンヌを意識した作り。 しかも『穢の森』とは、前回「カンヌに近い監督」として名前の挙がった山下とも因縁のある河瀬直美のカンヌ審査員特別大賞(グランプリ)を受賞した『殯の森』(2007)に酷似していることがわかる。 山下が以前撮ったフェイクドキュメント作品の『道』(05)で、河瀬がモデルと思われる「痛い監督」を描いているのだが、やはり今回のこの番組の企画自体、それが元ネタなのではないのだろうか。 そして唐突に、このパイロット版を公開したイベント会場にカメラは移る。 映画評論家でお馴染み有村昆の「バカデミーシネマラボ」というトークイベントらしい。 このパイロットフィルムの反応を見るために山田自ら持ち込んだようだが、肝心のその反応は、「以上です」と山田が言わないと、いるはずの観客から拍手も起きなかったし、思わず「以上なんですか?」と有村昆に言われる始末。自分もそうだし、観客もとまどっていると代弁する有村は、さらにこの映画を今後どうしていきたいのかと問う。 「カンヌを目指す」とはっきり言い切る山田に、タイトルの出方とかそれっぽいとか芦田に驚かされたといいつつも、慎重に言葉を選び、コメントしづらそうな他の出演者(同じサンミュージックの芸人・藤井ペイジら)たち。 しかし、イベントの主催者である有村はいう。 ほとんどの山田の作品は拝見させてもらっているが、「カンヌを獲るために今の日本映画じゃないことをやろう」としていると。「親殺し」から一番遠い芦田愛菜のキャスティングを「あざとい」と言い切り、真っ向から「コンセプトが見えちゃう」と指摘する。 多くの人が感じたが口ごもったかもしれない感想を、責任感からなのか、しっかりと口にする有村。「あざとさ」が出るのはもったいないとフォローしつつも本質をついた発言だろう。 なおも有村は、「山田がやりたいことをやった方が」いい。(カンヌに)「寄せて、寄せて」というのは「方法論として逆なんじゃないか」と続ける。 それに対し、「みんな寄せていってる」「あざとくてもいいと思う」と、一歩も譲らない山田。 そのシーンはなかったが、突然登場したビッグゲストにおそらく観客は歓喜しただろう。スター登場以外に、そのスターの製作中の新作映画の一部まで観せてくれるというのだ。 なのに、その作品がまったくピンと来ないばかりか、まさかこんな気まずいやりとりを見せつけられてしまうとは。 当日、有村やイベント側以外に山田の出演をツイートしている観客がいないように見えるのは、何かしらの「配慮」があったからかもしれないが、少なくともこの番組がオンエアされるまで、その場にいた観客は、我々のような今回初めて観た視聴者以上に気持ちが悪かったはずだ。 エンディング。「スカート」の曲に乗せて、事務所でひたすら楽しそうに一輪車に乗る芦田と、それをソファーから見つめるサングラスの山田のカットは、まさに「カンヌに寄せた」「あざとい」映像に感じた。 有村に批判されたとき、山田は何を感じたのか。どう思って「反論」を口にしたのか。罠にかかった獲物を喜ぶ表情を、こっそり噛み殺していたのではないのか。 次回「第4話 山田孝之 金を集める」の予告で、いかがわしそうな長髪の社長らしき人物に頭をさげて名刺を受け取る芦田愛菜は、『明日、ママがいない』のようでもあり、『闇金ウシジマくん』のようでもあった。 知らないうちに、映画作りの段取りを学び、同時に、日本映画の問題点を考えさせられてしまうこのこの番組。松江のTwitterによると、まだまだ何悶着もあるらしいというから目が離せない。 (文=柿田太郎)テレビ東京系『山田孝之のカンヌ映画祭』番組サイトより
新婚の紺野あさ美アナ、「小顔すぎる修整写真」はモー娘。時代からのコンプレックスが原因か
ヤクルトスワローズ・杉浦稔大投手との入籍を発表したテレビ東京の紺野あさ美アナには、たくさんの祝福の声が寄せられているが、同時に関係者からは不安の声も上がっている。 「以前から情緒不安定なところがあったが、それが治っていない様子で……。新婚生活に悪影響がなければいいけど」 こう話す業界関係者によると、紺野はメディアに出る際に、画面に映る自分の姿を異様に気にしすぎるため、悩みすぎた挙げ句、体調不良に陥ることもあったという。 紺野は先日、新婚生活をスタートさせた夫とのツーショット写真をSNSで公開したが、明らかに加工した跡が見て取れ、ネット上で話題になったばかり。紺野が義父に撮影してもらったという雪景色の1枚は、紺野の顔が異常なほど小さくなっており、背景にも歪みがあった。 紺野の自意識の高さについて、雑誌編集者もこう話す。 「モー娘。時代、マネジャーが一度ゴーサインを出した掲載写真にダメ出ししてくるなど、注文がうるさかった。安倍なつみもかなりうるさいほうでしたが、紺野はその上をいってましたよ」 自撮りの加工は、藤原紀香や浜崎あゆみが無理に画像を縦に引き伸ばし、失笑を買っているが、芸能人のよくある“ヘタな細工”の類いではある。ただ、紺野の場合はアイドル出身にもかかわらず、そのコンプレックスを引きずっていることが周囲から不安視されてきた。 「こういうのは本人が気にすればするほど、裏目に出ることが多いんです。以前、紺野は黒いカラーコンタクトで瞳が大きく見えるようにしていたんですが、ネット上の評判は『顔が怖い』などと散々なものでしたからね」(同) 過去、体調不良を理由に休養した際は“局内イジメが原因”という報道もあったが、テレ東局内から「元タレントということで、むしろ特別待遇だった。入社してすぐに番組も担当させてもらっていたし、普通なら徹夜の多い勤務時間も、かなり緩くしてもらっていて、ほかのアナウンサーだったらやっている雑用だって最小限」との反論があった。本来の原因は、紺野アナの不安定な精神状態にあるというニュアンスだった。 紺野アナは2001年にモー娘。のメンバーとなったが、06年に学業を優先するため卒業。大学合格後に一度は復帰したものの、11年にテレ東に入社し、アナウンサーに転身した。 ただ、アナウンサーとしての力量はいまひとつで、入社4カ月で男性とのお泊まり報道が出て以来、広島東洋カープの野村祐輔投手をはじめ、たびたび男性との熱愛が騒がれるばかり。 アイドル意識が抜けていなそうな紺野だけに、モー娘。時代からファンに指摘されていたた「顔の大きさ」を必要以上に気にしているのかもしれないが、前出編集者は「顔が大きいとは思えない。肩幅が狭いために、そう見えやすいだけ」という。 「でも、そのトラウマには心当たりがあります。あるテレビ番組で同じモー娘。の藤本美貴が、レッスン中にメンバーと一列に並んでいるのに『もっと前に出ろ』と叱られたエピソードを話していて、それが紺野の顔の大きさのせいで遠くにいるように見えたというふうに受け取れたので、ファンの間で『コンコンは顔がでかい=ドラえもんみたい』という認識が広がったんです。実際には藤本の顔が小さすぎるってだけなんですが、紺野には“ドラ”とか“ドザ”とか、変なあだ名がつけられてました」 今回の無理な画像加工の背景に、そんなトラウマがあったのだとすればかわいそうな話だが、現在は横に頼もしい野球選手の夫がいるわけだから、さほど気にすることではなかろう。 (文=藤堂香貴/NEWSIDER Tokyo)紺野あさ美Twitterより
新婚の紺野あさ美アナ、「小顔すぎる修整写真」はモー娘。時代からのコンプレックスが原因か
ヤクルトスワローズ・杉浦稔大投手との入籍を発表したテレビ東京の紺野あさ美アナには、たくさんの祝福の声が寄せられているが、同時に関係者からは不安の声も上がっている。 「以前から情緒不安定なところがあったが、それが治っていない様子で……。新婚生活に悪影響がなければいいけど」 こう話す業界関係者によると、紺野はメディアに出る際に、画面に映る自分の姿を異様に気にしすぎるため、悩みすぎた挙げ句、体調不良に陥ることもあったという。 紺野は先日、新婚生活をスタートさせた夫とのツーショット写真をSNSで公開したが、明らかに加工した跡が見て取れ、ネット上で話題になったばかり。紺野が義父に撮影してもらったという雪景色の1枚は、紺野の顔が異常なほど小さくなっており、背景にも歪みがあった。 紺野の自意識の高さについて、雑誌編集者もこう話す。 「モー娘。時代、マネジャーが一度ゴーサインを出した掲載写真にダメ出ししてくるなど、注文がうるさかった。安倍なつみもかなりうるさいほうでしたが、紺野はその上をいってましたよ」 自撮りの加工は、藤原紀香や浜崎あゆみが無理に画像を縦に引き伸ばし、失笑を買っているが、芸能人のよくある“ヘタな細工”の類いではある。ただ、紺野の場合はアイドル出身にもかかわらず、そのコンプレックスを引きずっていることが周囲から不安視されてきた。 「こういうのは本人が気にすればするほど、裏目に出ることが多いんです。以前、紺野は黒いカラーコンタクトで瞳が大きく見えるようにしていたんですが、ネット上の評判は『顔が怖い』などと散々なものでしたからね」(同) 過去、体調不良を理由に休養した際は“局内イジメが原因”という報道もあったが、テレ東局内から「元タレントということで、むしろ特別待遇だった。入社してすぐに番組も担当させてもらっていたし、普通なら徹夜の多い勤務時間も、かなり緩くしてもらっていて、ほかのアナウンサーだったらやっている雑用だって最小限」との反論があった。本来の原因は、紺野アナの不安定な精神状態にあるというニュアンスだった。 紺野アナは2001年にモー娘。のメンバーとなったが、06年に学業を優先するため卒業。大学合格後に一度は復帰したものの、11年にテレ東に入社し、アナウンサーに転身した。 ただ、アナウンサーとしての力量はいまひとつで、入社4カ月で男性とのお泊まり報道が出て以来、広島東洋カープの野村祐輔投手をはじめ、たびたび男性との熱愛が騒がれるばかり。 アイドル意識が抜けていなそうな紺野だけに、モー娘。時代からファンに指摘されていたた「顔の大きさ」を必要以上に気にしているのかもしれないが、前出編集者は「顔が大きいとは思えない。肩幅が狭いために、そう見えやすいだけ」という。 「でも、そのトラウマには心当たりがあります。あるテレビ番組で同じモー娘。の藤本美貴が、レッスン中にメンバーと一列に並んでいるのに『もっと前に出ろ』と叱られたエピソードを話していて、それが紺野の顔の大きさのせいで遠くにいるように見えたというふうに受け取れたので、ファンの間で『コンコンは顔がでかい=ドラえもんみたい』という認識が広がったんです。実際には藤本の顔が小さすぎるってだけなんですが、紺野には“ドラ”とか“ドザ”とか、変なあだ名がつけられてました」 今回の無理な画像加工の背景に、そんなトラウマがあったのだとすればかわいそうな話だが、現在は横に頼もしい野球選手の夫がいるわけだから、さほど気にすることではなかろう。 (文=藤堂香貴/NEWSIDER Tokyo)紺野あさ美Twitterより
『山田孝之のカンヌ映画祭』第2話 日本映画の現在地と“プロ子役”芦田愛菜が迷い込んだ迷宮
山田孝之が突如「カンヌを獲る」と言い出した。その過程を追う「ドキュメンタリー」であるかのような、おそらく「フェイク」な番組。 山田は、その目的ために合同事務所「カンヌ」を設立し、盟友・山下敦弘に監督を依頼。『山田孝之の東京都北区赤羽』のときのように戸惑いつつ、プロデューサーとなった山田に振り回されながらも従う山下のもとに、猟奇殺人鬼エド・ケンパー(をモチーフとした?)役として、まさかの芦田愛菜(本物)を連れて来たところで、衝撃の第1話は幕を閉じた。 そして、第2話「山田孝之、カンヌを学ぶ」。 「なんで愛菜ちゃんなの?」「普通、やんないよね?」 やはり、猟奇殺人鬼を芦田(小学生)が演じるということに対して、あくまで懐疑的な監督・山下。至極まっとうな心理だろう。 「このお話を聞いたときから、演らせていただきたいなと」「山田さんのことを尊敬しているので」「すごくうれしかった」と、こちらも負けじと至極まっとうに意気込みを語る芦田愛菜。 やはりこの子は、決して巻き込まれたり、騙されて連れてこられたわけではない。自分の意思で殺人鬼を演じようとした上で、ここにいるのが確認できる。 たまらないのは、山下がまともな大人なら当然と思える疑問や戸惑い(芦田のキャスティングに関して)を口にするたびに、芦田が「この人は何を言っているんだろう?」という、極めて「正解」な表情を貫いてくれることだ。 完璧な子役を揶揄する意味での「芦田プロ」という言葉がネット界隈に存在するが、このときは佇まいが当たり前にプロすぎて、もはや「プロ」と揶揄する方が恥ずかしいというか、技量が揶揄を凌駕している。プロとあえて冠することが野暮に思えるくらい、この人は当たり前に凛としてプロの仕事をしている。 だから我々は、無邪気に「愛菜ちゃん、大丈夫ーー!?」と、ハラハラすればいいのだ。 山田が席を外した隙に「本当に無理だと思ったらやめていいからね」と、山下が良かれと思って出した助け船を、「(山田を)信頼してるので」と沈没させる芦田愛菜。 山下でなくとも、思わず「目を覚ませ」と言いたくなるほどの没頭ぶり。言ってはいないけども。 とにかく3人の固い握手で、カンヌを目指す彼らのロードムービーが始まった。 そのまま向かった日本映画学校で、一般の学生に交じり、カンヌに詳しいという矢田部吉彦の特別講義「国際映画祭への道」を受講する3人。芦田愛菜はしっかりとランドセルだ。 矢田部は「東京国際映画祭」で作品を選定する立場(プログラミングディレクター)だけあって、カンヌにも毎年足を運び、関わりもあるという。 プロジェクターに映るカンヌの情報を一字一句真面目にノートに記す芦田。何色も仕込まれた、きりたんぽ大の色ペンを使ってアンダーラインを引く姿は、おそらく小学生としての芦田だ。 その横で、堂々とプロジェクターを携帯電話で撮る社会人・山下。「カシャ!」というシャッター音が教室に響く。山田は口に手を当て聞き入っている。三者三様の聴講生たち。 カンヌの仕組みなどが語られたのち、フランス人の監督アラン・ギロディ作品の性表現について語られる際、講師の矢田部が口ごもる。 「一瞬、出よっか?」と山下に席を外すように促される芦田。ランドセルを背負い、気まずそうに10歳近く年上の周囲の学生に会釈を繰り返しながら、そそくさと退席する姿が、物悲しい。 しかしこれは芦田のための配慮というよりは、語りにくそうにしていた矢田部講師のための気遣いなのだろう。 その証拠に、退出後すぐに、その芦田の書きかけのノートに、「日本の性描写は不自然」「SEXを描くのであれば、SEXを描け」と山下が身も蓋もない代筆を加える。しかも悪筆だ。(カンヌへの出品は)「誰でも応ぼ可能」と、漢字と平仮名が混じった芦田の丁寧な文字から醸し出されていた、ほのぼのとした紙面のテイストが、激変する。 そんなことは露知らず、ベランダらしき場所で『森は生きている』を読んですごす芦田。 そして、このあたりから、山下が暴走しだす。 講義中の質疑応答にて、作品がコンペに選ばれるためには、ある種のコネも必要だと聞くや否や、その有力者の名前(ティエリー・フレモー)を必死にメモし、赤丸でチェックを入れる山下。 今カンヌで日本を代表する監督として黒沢清や是枝裕和の名前とともに、河瀬直美の名前が挙げられた際、強く「河瀬 要注意」と記し、対抗心をむき出しにする。 あげく、「僕とかは、カンヌでどういう評価をされてたりするんですかね?」と、踏み越えた質問を投げつける。 「それって別に今聞かなくていいんじゃないですか?」と、『赤羽』からの2人の関係において、初めて山田が山下を正論でたしなめる場面も。矢田部講師も苦笑いするしかない。 さらに山下の「ここぞとばかりに感」が止まらない。 「率直に言って、僕がカンヌ行けない理由って何なんですか?」 「僕の映画の足りない部分というか」 もはや、カンヌを獲ると言い出したのが誰だかわからなくなるほど、山下にエンジンがかかる。 「僕がカンヌにいたら絶対選ぶんですけどね」と、フォローする紳士的な矢田部に対し、「矢田部さんが、カンヌのスタッフになることはないですか? この先」と、むき出しの山下。山田に振り回されてここに来たはずなのに、そんなにカンヌに執着していたのか。 山下はかつて、やはり自身のフェイクドキュメンタリー作品『道/子宮で映画を撮る女』で、『萌の朱雀』撮影時の河瀬直美と思われる自主映画出身の「痛い」女性監督とスタッフとの軋轢を描いたり、その後も企画でショートフィルムを競って撮ったりもしている。(無論、現状を知ってはいたはずだが)改めて、関わりのある河瀬の名前が出たことで、スイッチが入ったようにも見えた。 講義後、講師の矢田部、安岡卓治(映画プロデューサー)らに話を聞く3人のもとに、やはりここで講師をしている天願大介が現れる。 山田も出演している『十三人の刺客』(10)の脚本家であり、パルムドールに輝いた『うなぎ』(97)の脚本も手がける天願は、『うなぎ』の監督・今村昌平(この学校の創始者)の息子でもある。カンヌ論を皮切りに、日本映画の惨状を饒舌に嘆く。 カンヌに行けるコツは? ・一般論としてカンヌの人はハリウッドが嫌い。憎悪している。 ・不親切に作る。説明しない。作家の中にある整理されていないものが出てこないとダメ。 ・観客にむけてサービスするエンターテイメントではなく、原型のまま出てこないとダメ。 ・直接的なメッセージを入れた方がいい。 ・嘘でもいいから現実の酷さを誇張する。バランスを崩す。 今の日本映画がコンペに行けなくなったのは? ・みんな同じことを経験して同じ価値観を共有してるから、小さな価値観が楽しい→「大喜利」が好きと表現。 ・これは体力がなくなった年寄りの遊びに他ならない。→日本映画はフィジカルが弱い。 ・微細な大喜利ゲーム・センス合戦は、国内では評価されても、同じものを共有していない「外行ったら一撃で倒されてしまう」 ・日本映画に限らず、日本全体がその傾向がある。 ・業界のルールを守りすぎている。もっとひどい目にあって作らないとダメ。 制作委員会方式を捨てて成功した『シン・ゴジラ』や、クラウドファンディングを生かして作られた『この世界の片隅に』が、「今の日本映画」としてどう位置づけられるのか興味はあるものの、このままなら、ただの現在の日本映画を嘆くインタビューを聞かされるだけの回であっただろう。 しかし、真面目に天願が映画論を語っている際、内容よりも気になったのは、傍に転がる芦田のランドセルだ。 なぜプロとして覚悟をもって参加している芦田が、一方で常にランドセルを背負っているのか。いくら現役の小学生だからといって、仕事中ずっと二宮金次郎よろしくランドセルを背負っている必要はないはずだ。 それは、カンヌや映画論を語るただのインタビュー番組を、物語へと半歩進めてくれる装置として機能しているのではないか。 女優・芦田愛菜ではなく、ランドセルを背負った愛菜ちゃんとして、ここに迷い込ませることで、この番組を、ただのドキュメンタリーから脱却させている。 芦田は決して出落ちだけの存在でもなければ、小ネタでもない。この番組の重要なパーツなのだ。 ここは芦田愛菜が突如迷い込んだ、現実とも虚構ともつかない世界だ。 子どもに殺人鬼を演じさせる、いい大人たちが無計画にいきなりカンヌを目指す、そんな狂った世界に漂流教室さながら迷い込んだ芦田を、我々は楽しめる作りになっている。 気になるのは、先ほど、天願がこき下ろした「今の日本映画」の中に、山下の作品も含まれていたのだろうかということ。明言はしなかったが(そもそも見ているのかもわからないが)『リンダ・リンダ・リンダ』(05)も『苦役列車』(12)も『マイ・バック・ページ』(11)も、天願には「今の日本映画」だろう。天願が脚本を書いた『十三人~』が含まれていたかはわからない。だが、山田の『クローズZERO』(07)や『闇金ウシジマくん』(12)や『荒川アンダー ザ ブリッジ』(12)は含まれていたのではないだろうか? この時、今を生きる映画人である2人はどう思ったのか。語られはしなかったが、2人の中にあった思いは、フィクションではなかったはずだ。 この後、違う場所で見せてもらった今村昌平のカンヌのトロフィーを手に持ち「これを俺ら獲るんだよね?」と山田に改めて問う山下にも、「俺らのじゃないからいらないです」「重さもそれまでは知らなくていい」と拒絶する山田にも、フィクションではない、それぞれの熱を感じた。 事務所に帰り、今村昌平のカンヌトロフィー受賞作にちなみ、うなぎを食す3人。 どうやらうなぎが苦手な芦田は、ご飯のみを食べる。 「タレのついたご飯が好きで」という言い訳は、「応募」の「募」の字を書けないのと同じく、プロからはみ出した等身大の愛菜ちゃんなのだろう。 すかさず、そのうなぎをかっさらう山下。愛菜ちゃんの「フィジカル」が弱くならないか心配だ。 今回は山田より、全般に山下が「立った」回だったが、それでも思慮深く話を聞く姿だけで画を「もたせて」しまう山田の存在感や、最後に、高田純次なら口で咥えたであろう今村のトロフィーを「ヒトの」とあっさり切り捨てる様に、らしさが見えた。 また、偶然だろうが、同じテレ東で直前に放映されている『バイプレイヤーズ』に、『うなぎ』に出演している役所広司のみならず、田口トモロヲと光石研までも出演しているので、奇妙な臨場感を生んでいたことにも触れておきたい。 次回予告「第三話 山田孝之 パイロットフィルムを作る」では、森で絶叫する芦田に演技指導をする山田。その襟元には、黄金のシュロの葉(パルムドール)のアクセサリー光っている。 先週にくらべ今週はやや大人しかった分、来週は大きく動き出しそうな予感がする。 (文=柿田太郎)テレビ東京系『山田孝之のカンヌ映画祭』番組サイトより
おっさんたちのテラスハウス『バイプレイヤーズ』が仕掛ける「関係性萌え」
「いま、3つ事件追ってるから」 「俺も3つ」 食卓を囲みながら、6人の男が話をしている。といっても、刑事や探偵ではない。 「この間、総理大臣やったら、ゴジラに殺されたんだよ」 最年長・大杉漣がそう言って苦笑いした。 これは、大杉のほか、遠藤憲一、田口トモロヲ、寺島進、松重豊、光石研という“日本映画を支える6人”の名脇役が主演として集結した『バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~』(テレビ東京系)の一幕である。 彼らは本人役を演じ、そのタイトル通り、シェアハウスで共同生活を送る模様を描いたコメディドラマ。監督は、映画『アズミ・ハルコは行方不明』などで知られる松居大悟らが務めている。 彼らが共同生活を始めるきっかけとなったのは、中国の動画配信サイトから大型ドラマ『七人の侍』のオファーを受けたからだ。いかにも怪しげなオファーだが、制作費は日本円で3億円、世界的監督がメガホンを取り、主演には役所広司が決まっているという。 しかし、出演には条件がある。それが、クランクインまでの3カ月間、役所を含む7人で共同生活をし、絆を深めるというもの。そのために、大杉の別荘で一緒に暮らすことになったのだ。 今期の各局のドラマを見渡すと、「本人役モノ」と「共同生活モノ」が目立つ。本作や、バカリズム、オードリー若林正恭、二階堂ふみの『住住』(日本テレビ系)はその両方の要素を持っているし、「本人役モノ」はほかに山田孝之、芦田愛菜らの『山田孝之のカンヌ映画祭』(テレビ東京系)が、「共同生活モノ」は、松たか子、満島ひかり、高橋一生、松田龍平の『カルテット』(TBS系)がある。 本人役モノが多いのは、ドラマの中によりリアルさが求められているという表れだろうか? 日本のテレビドラマの特徴のひとつとして、役者のパーソナルなイメージが浸透しているというものがある。これは良し悪しがあるが、そのイメージ通りの役柄にすれば、劇中、最小限の説明でその役柄のキャラクターが伝えられたり、逆にイメージと違う役柄を演じさせれば、そのギャップで驚かせることができるという利点がある。その究極の形が、本人役だろう。 そして共同生活は、よりそれぞれの個性や関係性を際立たせるものだ。「関係性萌え」というような言葉があるが、そういった感情を刺激させるシチュエーションだ。 本作で「中年のテラスハウスかよ」というセリフがあったが、むしろ思い浮かぶのは、アニメ『おそ松さん』(テレビ東京ほか)だ。 『おそ松さん』は、6つ子にそれぞれ強調された個性が与えられ、その個性と個性をぶつけることで魅力的な関係性を構築した。そして、いまやお笑い芸人ではなかなか作れないテレビのコント番組を、アニメで作ってしまったかのようだった。 『バイプレイヤーズ』でも、6人の個性が強調されている。 繊細で心配性な遠藤、リーダーだけどちょっと頼りなく、思い込みが激しい大杉、エキセントリックで宇宙人のように自由な田口トモロヲ、男っぽいが実は小心者の寺島、我慢と謙虚の人である松重、人懐っこくてみんなに愛される光石、というように。 彼らは、第1話からさっそくケンカをする。主役であるはずの役所が『七人の侍』のオファーを聞いていなかったことを知り、役所が出ないのであれば降りるしかないという話になったのが発端だった。 「たまにはやろうよ、みんなで主役をさ!」 という大杉の言葉に、寺島が反論したことから光石が失言をするのだ。 寺島「ちょっと待ってよ、『たまには』って何よ? 俺もみんなも主役やってるよ! 松重だって、遠藤だって」 光石「テレ東だろ?」 寺島「テレ朝もやってるよ!」 遠藤「テレ東の何が悪いんだ?」 光石「うるさいなあ。俺はNHKとか、キー局の話してるの」 遠藤「テレ東だって、キー局だろ?」 田口「NHKなら僕も」 光石「あんたBSだろ?」 まさに、本人役だからこそ、説明なしにできるケンカコントだ。 あたふたと家事にいそしむおっさんたち、おっさんにLINEのやり方を教わるおっさん、パソコンを“かな入力”するおっさん、おっさんに誕生日のサプライズを仕掛けようと準備するおっさん、プレゼント交換で各々のプレゼントを回すおっさんたち……。もともと渋い役者だからこそ、その分、かわいらしさが際立つ。 エンディングでは、本人役を離れた本人自身でリアルなアフタートークも披露され、サービス満点。 物語も、10年前に6人で作ろうとして頓挫したという自主映画が鍵を握っているらしいこと、大杉が何やら企んでいるらしいこと、「この中に裏切り者がいる」らしいことなど、全方位に“仕掛け”が満載されている。 虚構と現実がないまぜになった『バイプレイヤーズ』は、もちろんこのドラマ単体でも楽しめる作品だ。しかし、ドラマや映画を見続け、彼らを知っていれば知っているほど面白い。つまり映画ファン、ドラマファンへの最高のプレゼントなのだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらからテレビ東京 ドラマ24『バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~』
また、あいつらが“仕掛けて”きた! 気持ちよく振り回されたい『山田孝之のカンヌ映画祭』
いまや、カメレオン俳優として名をはす実力派俳優・山田孝之。 彼が2016年の夏に「カンヌ」で賞を獲ることを決意、その決意から思い立った行動を描くドキュメンタリー(風)番組。果たして、山田は「カンヌ」を獲れるのか? どんな映画を作るか? 何をしでかすのか? 一見、どう見ていいか迷う、この番組。放送枠や監督(山下敦弘、松江哲明)、主演が同じことから、2015年に同局で放送された『山田孝之の東京都北区赤羽』と同じ手法となる作品と見ていいだろう。 「手法」という言い方をさせてもらったのは、これらが、ドラマでもドキュメンタリーでもない、いわゆる「フェイクドキュメンタリー」「モキュメンタリー」と呼ばれる特殊な観せ方の作品だからだ。 『東京都北区赤羽』は、もともと清野とおる原作のエッセイ漫画で、作者本人が実名で登場、清野自身の赤羽での実際の暮らしをもとに描いた作品だ。 ここからは勝手な想像なのだが、いわゆるノンフィクション漫画である『東京都北区赤羽』をドラマ化するにあたり、そのまま脚本化することに抵抗があったのではないだろうか? 山田に漫画のままの「主人公・清野」を演じさせ、実在する街の人をそれぞれ役者に演じさせるだけの「ドラマ」にしてしまったら、原作の持つリアルなざらついた面白さはなくなる。 そうなれば、あの漫画の面白さである臨場感だったり、出会いの化学反応だったりを「再現」することは難しい。近いところではドラマ『孤独のグルメ』(同)が、原作の話を一切使わず「なぞる」ことをしなかったように、それを一歩進めて、新しいアプローチとして、山田自身を新しい「主人公」として、あの赤羽という街に降り立たせてみたのではないのだろうか。 それは、山田の発案なのか、監督や、制作の発案なのかはわからないが、結果的にあの「ドラマ」は(あえてドラマと呼ばせてもらうが)、後半、妙なグルーブを産み、新しい感覚と興奮を我々に味わわせてくれた。それは原作の漫画とはもちろん違うが、原作の新鮮味に負けぬ鮮度だったと思う。 この作品で、東京ドラマアウォード演出賞を受賞した監督は、一人が山下敦弘。『苦役列車』(12)や『天然コケッコー』(07)など、観る人によっては「何も起こらない映画」という印象を抱くであろう、いわゆるそういう映画の人だ。そしてもう一人が、主にドキュメンタリーで活躍する松江哲明。 これに山田を加えた、この3人だからこそ産み出せた空気だったはずだ。 後のインタビューで山下は「(監督2人とも)テレビのバラエティを観て育ったし、ドラマの影響も受けているので、それらの要素を全部やってみたい、山田くんのこの企画(『東京都北区赤羽』)ならできる、そして変なものは間違いなくできたという手応え」があったと語っている。 いくら言葉を並べても、実際に観ていない人にはピンと来ないとは思うが、雑に言わせてもらうと『ガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系)でよくあるリアルっぽいコントの長いやつみたいな感じだ。汲み取ってほしい。 さてそんな前作があってからの、今作『山田孝之のカンヌ映画祭』である。「第一話 山田孝之 カンヌを目指す」放送を振り返る。 カンヌでタキシード姿の山田と山下監督。これは山田の夢なのか? オープニング。カンヌを歩く山田のバックに流れる山田とフジファブリックのテーマ曲「カンヌの休日 feat. 山田孝之」が、しびれるほどかっこいい。歌詞は、カンヌで賞を獲った映画のタイトルがずらり。 東宝スタジオ。『勇者ヨシヒコと導かれし七人』の楽屋で、呼び出されてやって来た山下に、カンヌで賞を獲りたいとの相談を、ヨシヒコの衣装のまま、大真面目に持ちかける山田。 理由としては、近年、本を書いたり(『実録山田』ワニブックス)、MV(TEE「恋のはじまり」)の監督をしたり、いろいろ新しいことをしていく中で、賞が欲しくなり、狙うなら世界最高峰のカンヌだということらしい。『赤羽』の冒頭で、映画撮影を中断して、急に赤羽に移住すると言い出した「おかしくなっちゃった山田」の再来だ。 途中、カンヌへの想いを語る中で、日本アカデミー賞に1回も呼ばれたことがないことへの不満を「正直なんなんだ?」「存在知ったのも何年か前ですけど」という言葉で、真顔で吐き捨てる山田。気持ちいい。 その作品の監督を依頼され、特にカンヌを意識したことがないという山下に「意識してなかったから獲れなかったんじゃないですか? 意識してこっからやってけば獲れますよ?」「本気出せば」と早口でまくしたてる山田。もちろん真顔。見た目は「ヨシヒコ」だ。 途中、「ヨシヒコ」の「メレブ」まんまの姿のムロツヨシがふらりとやってきて「『北区』だ? 『北区』これ? 『北区』だ? 出せ出せ『北区』に」と楽しげに絡んでくる。否定する2人に「じゃあ何区?」。この人はこうやって仕事を増やしてきたのだろうなとしみじみ思う。 「人を巻き込む時とか、何かやる時は強引なところがある」というムロの山田に対する証言がリアルだ。 後日、横浜元町のビルにすでに合同会社「カンヌ」の事務所を設立し待ち構える山田。山下監督は今回も振り回されつつ食らいついてゆく。 『赤羽』から続く、このシリーズの面白さの一因に、山下監督の「芝居」のうまさがあると思う。実に自然に、山田に驚かされ、山田を問い詰め、山田に振り回される。今回もその名コンビは健在だ。 壁には漫☆画太郎による馬鹿でかい山田の肖像画がかけられ、まるで悪夢のような部屋。 漫☆画太郎の単行本の他に、『軍鶏』や『クリームソーダシティ』1、2巻が積まれている。『赤羽』では山田の部屋のDVDに『ゆきゆきて、神軍』や『A』などのドキュメンタリーに混ざってフェイクドキュメンタリーの『容疑者、ホアキン・フェニックス』があり、これらがテレビ版『赤羽』の「手法」や「元ネタ」を匂わす、かすかな布石となっていたのだが、今回はいかに? さて、今回山田がカンヌを目指すために作りたい映画の題材は『エド・ケンパー』。 エドモンド・エミール・ケンパー三世。身長206センチ。15歳で祖父母を銃殺し、ヒッチハイクした女性ら6人を殺害、その死体を犯して、のちに実の母親をハンマーで殴り殺した、いわゆる猟奇殺人犯だ。 前回の『赤羽』で山田が悩んだきっかけが、(架空の?)映画『己斬り』での自害のシーン。そして今回が、親殺しの殺人犯のそこにいたる心理を描きたいらしい。純粋な山田ファンが心配になるほどの症状だ。 「日本の人たち、逆輸入好きじゃないですか?」と、おそらく山田の中にたまったものの一部がこぼれ出す瞬間も、この「ドラマ」の一つの見所だと思う。 山田はプロデューサーとしてカンヌの最高賞「パルムドール」を狙いたいらしく、出演はしないと明言する。 すでに主演候補には個人的に話をして、相手事務所にもほぼ許可も取っているらしい。 「誰かは楽しみにしてて下さい」と煙に巻く山田。 『赤羽』でも、ふと思い立って詩を書き、ふらっと作曲者を紹介すると連れて行かれた先にいたのが、イエローモンキーの吉井和哉だった。 今回も油断できない。どんな大物俳優なのか。 日比谷公園のオープンテラスへ。主演俳優との待ち合わせ場所だ。 テラス席でカンヌ談義をする山田と山下。 ひとしきり話した後で、山田が席を立ち、待ち合わせ相手を連れて公園の遠くの方から歩いてくる。禿げた中年男性と歩いている。誰だろうか。 その男性の横にランドセルを背負った小さな児童が。 どこか芦田愛菜に似てる。 近づいてくる。 芦田愛菜によく似ている。 たしか芦田愛菜も小学生だったはずだ。 異様に芦田愛菜に似てる児童が、席に着く。 おもわず、山下が、「芦田愛菜ちゃん?」と尋ねる。 「芦田愛菜です。よろしくお願いします。」と答える児童。 芦田愛菜だった。 当たってた。 このとき、タイムラインが一斉に「芦田愛菜」になる現象が。 禿げた男性はマネジャーらしい。 戸惑いながら「親殺し」のことは聞いてるかと聞く山下に、「はい」と当然のように頷く芦田。いや、愛菜ちゃん。この瞬間、公園のカラスが騒ぎ出す。演出だとしたら恐ろしいが、偶然だろう。 カラスもたじろぐキャスティング。カンヌと親殺しとランドセル。咀嚼しきれない。 「全然不安はない、絶対できます」と山田。彼には、もう見えているようだ。 ここでエンディング。 次週「第二話 カンヌを学ぶ」の予告で、大学のような場所で必死にノートをとる愛菜ちゃん。どうやら悪夢は続くらしい。 ぞわぞわしつつ、エンドロールを眺めていると、「語り 長澤まさみ」の文字が。冒頭から聞こえてたナレーションは長澤まさみであったことに気づかされる。またタイムラインが活気づく。 『赤羽』後のインタビューで監督2人は、世間のリアルタイムなリアクションや議論を非常に面白がっていた。前回で知ったその反応を、今回はより強く意識して「仕掛けて」きたはずだ。 初回でこれだ。 見た人はがっつり掴まれたことだろう。 さてこうなってくるとハードルは上がってしまう。 どう展開するのか? どんな結末になるのか? 愛菜ちゃんの出落ちを越えられるのか? よこしまに考えてしまうが、一番楽めるのは、素直に観て、驚いて、振り回されることだろう。 『赤羽』から観ていて、ひとつ気になったのは、山田孝之は決まった台本を演じることに飽きてしまったのでは? という懸念だ。 同じことを何度も繰り返し、自分のセリフも相手のセリフの決まっている台本での芝居に比べて、これらの掛け合いは多分に刺激的なはずだ。カメレオン俳優などの評価を得て、早くも物足りなさを感じてしまっているのではないだろうか。 ダウンタウンが漫才よりもフリートークを選んだように、山田もドラマよりもモキュメンタリーを選んでいるのではないだろうか? それは極論だとしても、「狂った山田孝之」を「演じる」山田孝之には、他の芝居の時とは違う興奮を感じる。 今回、このドラマに振り回されつつも、山田のなかなか掴めない素顔も垣間見れたらと思う。 (文=柿田太郎)テレビ東京『山田孝之のカンヌ映画祭』番組サイトより
また、あいつらが“仕掛けて”きた! 気持ちよく振り回されたい『山田孝之のカンヌ映画祭』
いまや、カメレオン俳優として名をはす実力派俳優・山田孝之。 彼が2016年の夏に「カンヌ」で賞を獲ることを決意、その決意から思い立った行動を描くドキュメンタリー(風)番組。果たして、山田は「カンヌ」を獲れるのか? どんな映画を作るか? 何をしでかすのか? 一見、どう見ていいか迷う、この番組。放送枠や監督(山下敦弘、松江哲明)、主演が同じことから、2015年に同局で放送された『山田孝之の東京都北区赤羽』と同じ手法となる作品と見ていいだろう。 「手法」という言い方をさせてもらったのは、これらが、ドラマでもドキュメンタリーでもない、いわゆる「フェイクドキュメンタリー」「モキュメンタリー」と呼ばれる特殊な観せ方の作品だからだ。 『東京都北区赤羽』は、もともと清野とおる原作のエッセイ漫画で、作者本人が実名で登場、清野自身の赤羽での実際の暮らしをもとに描いた作品だ。 ここからは勝手な想像なのだが、いわゆるノンフィクション漫画である『東京都北区赤羽』をドラマ化するにあたり、そのまま脚本化することに抵抗があったのではないだろうか? 山田に漫画のままの「主人公・清野」を演じさせ、実在する街の人をそれぞれ役者に演じさせるだけの「ドラマ」にしてしまったら、原作の持つリアルなざらついた面白さはなくなる。 そうなれば、あの漫画の面白さである臨場感だったり、出会いの化学反応だったりを「再現」することは難しい。近いところではドラマ『孤独のグルメ』(同)が、原作の話を一切使わず「なぞる」ことをしなかったように、それを一歩進めて、新しいアプローチとして、山田自身を新しい「主人公」として、あの赤羽という街に降り立たせてみたのではないのだろうか。 それは、山田の発案なのか、監督や、制作の発案なのかはわからないが、結果的にあの「ドラマ」は(あえてドラマと呼ばせてもらうが)、後半、妙なグルーブを産み、新しい感覚と興奮を我々に味わわせてくれた。それは原作の漫画とはもちろん違うが、原作の新鮮味に負けぬ鮮度だったと思う。 この作品で、東京ドラマアウォード演出賞を受賞した監督は、一人が山下敦弘。『苦役列車』(12)や『天然コケッコー』(07)など、観る人によっては「何も起こらない映画」という印象を抱くであろう、いわゆるそういう映画の人だ。そしてもう一人が、主にドキュメンタリーで活躍する松江哲明。 これに山田を加えた、この3人だからこそ産み出せた空気だったはずだ。 後のインタビューで山下は「(監督2人とも)テレビのバラエティを観て育ったし、ドラマの影響も受けているので、それらの要素を全部やってみたい、山田くんのこの企画(『東京都北区赤羽』)ならできる、そして変なものは間違いなくできたという手応え」があったと語っている。 いくら言葉を並べても、実際に観ていない人にはピンと来ないとは思うが、雑に言わせてもらうと『ガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系)でよくあるリアルっぽいコントの長いやつみたいな感じだ。汲み取ってほしい。 さてそんな前作があってからの、今作『山田孝之のカンヌ映画祭』である。「第一話 山田孝之 カンヌを目指す」放送を振り返る。 カンヌでタキシード姿の山田と山下監督。これは山田の夢なのか? オープニング。カンヌを歩く山田のバックに流れる山田とフジファブリックのテーマ曲「カンヌの休日 feat. 山田孝之」が、しびれるほどかっこいい。歌詞は、カンヌで賞を獲った映画のタイトルがずらり。 東宝スタジオ。『勇者ヨシヒコと導かれし七人』の楽屋で、呼び出されてやって来た山下に、カンヌで賞を獲りたいとの相談を、ヨシヒコの衣装のまま、大真面目に持ちかける山田。 理由としては、近年、本を書いたり(『実録山田』ワニブックス)、MV(TEE「恋のはじまり」)の監督をしたり、いろいろ新しいことをしていく中で、賞が欲しくなり、狙うなら世界最高峰のカンヌだということらしい。『赤羽』の冒頭で、映画撮影を中断して、急に赤羽に移住すると言い出した「おかしくなっちゃった山田」の再来だ。 途中、カンヌへの想いを語る中で、日本アカデミー賞に1回も呼ばれたことがないことへの不満を「正直なんなんだ?」「存在知ったのも何年か前ですけど」という言葉で、真顔で吐き捨てる山田。気持ちいい。 その作品の監督を依頼され、特にカンヌを意識したことがないという山下に「意識してなかったから獲れなかったんじゃないですか? 意識してこっからやってけば獲れますよ?」「本気出せば」と早口でまくしたてる山田。もちろん真顔。見た目は「ヨシヒコ」だ。 途中、「ヨシヒコ」の「メレブ」まんまの姿のムロツヨシがふらりとやってきて「『北区』だ? 『北区』これ? 『北区』だ? 出せ出せ『北区』に」と楽しげに絡んでくる。否定する2人に「じゃあ何区?」。この人はこうやって仕事を増やしてきたのだろうなとしみじみ思う。 「人を巻き込む時とか、何かやる時は強引なところがある」というムロの山田に対する証言がリアルだ。 後日、横浜元町のビルにすでに合同会社「カンヌ」の事務所を設立し待ち構える山田。山下監督は今回も振り回されつつ食らいついてゆく。 『赤羽』から続く、このシリーズの面白さの一因に、山下監督の「芝居」のうまさがあると思う。実に自然に、山田に驚かされ、山田を問い詰め、山田に振り回される。今回もその名コンビは健在だ。 壁には漫☆画太郎による馬鹿でかい山田の肖像画がかけられ、まるで悪夢のような部屋。 漫☆画太郎の単行本の他に、『軍鶏』や『クリームソーダシティ』1、2巻が積まれている。『赤羽』では山田の部屋のDVDに『ゆきゆきて、神軍』や『A』などのドキュメンタリーに混ざってフェイクドキュメンタリーの『容疑者、ホアキン・フェニックス』があり、これらがテレビ版『赤羽』の「手法」や「元ネタ」を匂わす、かすかな布石となっていたのだが、今回はいかに? さて、今回山田がカンヌを目指すために作りたい映画の題材は『エド・ケンパー』。 エドモンド・エミール・ケンパー三世。身長206センチ。15歳で祖父母を銃殺し、ヒッチハイクした女性ら6人を殺害、その死体を犯して、のちに実の母親をハンマーで殴り殺した、いわゆる猟奇殺人犯だ。 前回の『赤羽』で山田が悩んだきっかけが、(架空の?)映画『己斬り』での自害のシーン。そして今回が、親殺しの殺人犯のそこにいたる心理を描きたいらしい。純粋な山田ファンが心配になるほどの症状だ。 「日本の人たち、逆輸入好きじゃないですか?」と、おそらく山田の中にたまったものの一部がこぼれ出す瞬間も、この「ドラマ」の一つの見所だと思う。 山田はプロデューサーとしてカンヌの最高賞「パルムドール」を狙いたいらしく、出演はしないと明言する。 すでに主演候補には個人的に話をして、相手事務所にもほぼ許可も取っているらしい。 「誰かは楽しみにしてて下さい」と煙に巻く山田。 『赤羽』でも、ふと思い立って詩を書き、ふらっと作曲者を紹介すると連れて行かれた先にいたのが、イエローモンキーの吉井和哉だった。 今回も油断できない。どんな大物俳優なのか。 日比谷公園のオープンテラスへ。主演俳優との待ち合わせ場所だ。 テラス席でカンヌ談義をする山田と山下。 ひとしきり話した後で、山田が席を立ち、待ち合わせ相手を連れて公園の遠くの方から歩いてくる。禿げた中年男性と歩いている。誰だろうか。 その男性の横にランドセルを背負った小さな児童が。 どこか芦田愛菜に似てる。 近づいてくる。 芦田愛菜によく似ている。 たしか芦田愛菜も小学生だったはずだ。 異様に芦田愛菜に似てる児童が、席に着く。 おもわず、山下が、「芦田愛菜ちゃん?」と尋ねる。 「芦田愛菜です。よろしくお願いします。」と答える児童。 芦田愛菜だった。 当たってた。 このとき、タイムラインが一斉に「芦田愛菜」になる現象が。 禿げた男性はマネジャーらしい。 戸惑いながら「親殺し」のことは聞いてるかと聞く山下に、「はい」と当然のように頷く芦田。いや、愛菜ちゃん。この瞬間、公園のカラスが騒ぎ出す。演出だとしたら恐ろしいが、偶然だろう。 カラスもたじろぐキャスティング。カンヌと親殺しとランドセル。咀嚼しきれない。 「全然不安はない、絶対できます」と山田。彼には、もう見えているようだ。 ここでエンディング。 次週「第二話 カンヌを学ぶ」の予告で、大学のような場所で必死にノートをとる愛菜ちゃん。どうやら悪夢は続くらしい。 ぞわぞわしつつ、エンドロールを眺めていると、「語り 長澤まさみ」の文字が。冒頭から聞こえてたナレーションは長澤まさみであったことに気づかされる。またタイムラインが活気づく。 『赤羽』後のインタビューで監督2人は、世間のリアルタイムなリアクションや議論を非常に面白がっていた。前回で知ったその反応を、今回はより強く意識して「仕掛けて」きたはずだ。 初回でこれだ。 見た人はがっつり掴まれたことだろう。 さてこうなってくるとハードルは上がってしまう。 どう展開するのか? どんな結末になるのか? 愛菜ちゃんの出落ちを越えられるのか? よこしまに考えてしまうが、一番楽めるのは、素直に観て、驚いて、振り回されることだろう。 『赤羽』から観ていて、ひとつ気になったのは、山田孝之は決まった台本を演じることに飽きてしまったのでは? という懸念だ。 同じことを何度も繰り返し、自分のセリフも相手のセリフの決まっている台本での芝居に比べて、これらの掛け合いは多分に刺激的なはずだ。カメレオン俳優などの評価を得て、早くも物足りなさを感じてしまっているのではないだろうか。 ダウンタウンが漫才よりもフリートークを選んだように、山田もドラマよりもモキュメンタリーを選んでいるのではないだろうか? それは極論だとしても、「狂った山田孝之」を「演じる」山田孝之には、他の芝居の時とは違う興奮を感じる。 今回、このドラマに振り回されつつも、山田のなかなか掴めない素顔も垣間見れたらと思う。 (文=柿田太郎)テレビ東京『山田孝之のカンヌ映画祭』番組サイトより
“ニッポン礼賛番組”TBS『メイドインJAPAN★』の下品で押しつけがましい演出に辟易
1月4日にTBS系で放送された『メイドインJAPAN★日本を誇りに思えるSP!』。番組冒頭で述べられた口上によれば「この番組は日本で暮らす外国人が、良いと思った日本製品を母国の家族に持って帰る番組」である。 外国では手に入らない、高性能・高品質なメイドインジャパン製品を手にし、使用した外国人が「こんないいもの使ったことないよ、さすが日本製!」「うちの国のより素敵!」と賞賛することで、見ている我々「日本人」たちの気分が良くなる、というのを狙った作りだ。 似ている番組はいくつかあるが、真っ先に浮かぶのは、テレビ東京系『和風総本家』だろう。特に、年末で第27回目となった「世界で見つけたMade in Japan」シリーズは、ほぼ同じコンセプトといえそうだ。 遡れば、NHKの『cool japan 発掘!かっこいいニッポン』や、ひいては『プロジェクトX』などから始まった「日本を誇る」という、このカテゴリー。 堅苦しかったこの分野を、民放バラエティ向けに手直し、丁寧に開拓して育ててきたのは、テレ東のお家芸といっていいだろう。TBSの『メイドインJAPAN』は、『和風総本家』など、この手の番組の好調を受けて生まれた番組に違いない。「世界で見つけたmade in japan」というシリーズを放送している『和風総本家』を向こうに張り、『メイドインJAPAN』という「まんま」のタイトルをつけてしまうTBSもすごいが、こうなることを予見してなのか、先に「総本家」というタイトルを付けているテレ東も、ある意味一枚上手だ。 いわゆる「日本ってスゴイ」系の番組が増えた理由は、様々あるだろう。「長く続く閉塞感から求められているのでは」という意見、「誇るべきものは誇るべき」という意見、「今までが謙遜しすぎだから、いいではないか」という意見、「自画自賛しだした国は危ない」という意見、時の政権の影響を懸念する意見。 正直賛否のあるジャンルだが、「分家」が勝手に生まれるくらい需要があるとジャンルともいえる。 それはそれとして、今回放送されたTBSの『メイドインJAPAN』を見ている中で、似ているように見えて、『総本家』にはないモヤモヤした違和感を覚えた。 ■「外国人が喜ぶ」=「日本人が喜ぶ」の構図 それは、『和風総本家』に比べて、過剰に感動を前面に押し出し、「モノ」をあげることで、やたらと外国人を喜ばせる=見ている日本人を喜ばせるつくりになっていたからだ。 日本の1/4~6の平均所得であるブラジルには、電動自転車や高級無水鍋。ものが今ひとつ流通していないロシアでは、万能調理器やシャワートイレ。「日本製品のよさ」というよりは「金にものを言わせて」商品をばらまいて喜ばせている印象が拭えない。 もちろん、もらったものはうれしいし、便利だろうけれど、この喜びは、まず第一に高価なものを「タダでもらっている」という部分にウエイトが置かれているのでは? と、下世話な見方をしてしまうのだ。 『和風総本家』では、外国で長年使われている「made in japan」なもの、それはもちろん、その使用者が自分で選び、「これがないと困る」とか「この品質はよそにない」と、自ら代価を支払った上で尊ばれている製品を紹介している。それを日本の職人が一つずつ丁寧に手作りしていたり、信じられないような時間をかけて制作されている様をVTRで紹介し、なおかつ、そのVTRを外国で愛用してる持ち主にも見せる。 するとその外国の日本製品愛用者、特に現地の職人の方なんかは、同じ「ものを作る職人」として日本製品に込められた誠意やこだわりに感服したり、目を細めて感心したりするのだ。 もちろん彼らは、この先もそれが壊れたら直したり買い続けるだろう。なぜなら、他の製品にはない良さを身を持って知っているからだ。その製品でなければダメな理由(精度や品質)もよくわかっている。 だが、『メイドインJAPAN』の場合は、外国に住む方々に、ゆかりの家族が無料で、それなりの値段がする製品をプレゼントするという構図である。 もちろん、家族や大切な人を喜ばせたいという「送り主」は、素直にその相手を思ってのことだろうし、送られた相手の「喜び」になんの罪もない。 実際に出演している方々は皆いい人たちばかりで、家族を思う気持ちに胸打たれる部分も、もちろん多々あった。 しかし、その「喜び」の見せ方に、下品というか、押し付けがましい意識を強く感じ、辟易してしまうのだ。 それでいて、肝心の「メイドインJAPAN」な製品についての掘り下げはほとんどなく、ただただ過剰に「いかに素晴らしい商品であるか」が強調され「いかに、これをもらってうれしいか」が繰り返される。その過剰な礼賛に、なんの悪意もなく見ているつもりなのに、何度も通販番組を連想してしまうほどだ。 ■“弱者”を登場させ「泣けます」と煽る演出 しかも、必ずと言っていいほど、各パートごとに、見事に「弱者」が存在する。「血のつながっていない、実の母を亡くした娘」「認知症の祖母」「病弱な父とバツイチの娘」「貧乏&パニック障害の母」といった、それぞれの苦難が、途中なんの番組だか忘れるほど、再現ドラマでたっぷりと見せられる。その製品がなぜ素晴らしいかの説明よりも長く、丁寧にだ。煽り文句でも、はっきりとテロップで「どうしてこんなに心が震えるんだろう」とかナレーションで「これ、ちょっと泣けます」とか言ってしまっている。 くどいようだが、出演者にはなんの落ち度もない。 ただ、「苦難のある人が、我ら日本の力で救われたのだ。日本最高、俺たち最高。奇跡!」という見せ方に、とにかく品位が感じられない。VTR明けに、判で押したように、必ずおのののかが涙を流しているのも、その一因かもしれない。 さらに、アメリカの祖父母の元に持っていった浄水器には、偶然かもしれないが番組スポンサーであるパナソニックの文字がしっかりと記されており、それを飲んだアメリカ人祖父らが「水道水がミネラルウォーターになったぞ」とか「アメリカにも浄水器はあるけど、ここまで美味しくなるなんて!」「日本の技術はすごいな」と、まさに通販番組のような吹き替えが当てられている。 メーカー名がはっきり出ていたのはドイツに運ばれた3Dプロジェクターのエプソンも同じで、専用のゴーグルをつけ、日本の桜の風景をみて、ドイツ人の母親が感動しているシーンは、やはりコマーシャルにしか見えなかった。何度でも言うが、見せ方の問題だ。どちらかといえば彼らは担ぎ出された被害者だとすら思う。 ■元の声を無音に……吹き替えも信用できない この番組は、吹き替えにも気になることが多い。 同番組では以前の放送でも、イランの方が話すペルシャ語が、本来の意味からだいぶ誇張した吹き替えがされていたようで、朝日新聞のテヘラン支局長にTwitterで指摘されている。 シャワートイレを使用した現地の方々が「ありがとう」のような感謝の言葉を数回口にしているだけなのに、「気持ちいいし、勝手に洗ってくれる」と、実に都合よく意訳されているというのだ。 今回訪れたドイツでも、ベッドがないのでいつもソファで寝ているという母親が、娘の持参したマットレスで寝た後「日本ってすごいものを作るのね。寝ることの大切さをちゃんと理解している国がドイツ以外にあるなんて驚いたわ」なんて、絵に描いたようなことを言ってくださる。その後も「(娘を)日本に行かせてよかった」「(トンカツを食べて)私も和食を勉強しようかな」「お母さんのおかげで『日本』という素敵な国のことを知りました」など次々「名台詞」が連発される。 しかし今回は、確認しようにも基本的に吹き替えの際は元の言語が完全に無音にされているため「証拠」は放送されていない。指摘を受けて改善するなら、元の声は残すべきだと思うのだが。 番組の最後が、母国ドイツに製品を持参した外国人の「親孝行できたと思います、これも日本のお陰と思いますね。本当に心から感謝しています」という言葉で締められているのも、恐縮するというか、もはや申し訳ない。結局、この言葉を言わせたいだけにも見える。 日本の良さを見直すとか、自身の国に誇りを持つことはなんの問題もないし、それを実感させてくれる番組があることも、それはまあいいだろう。 しかし、そう思いたい人ですら、この番組の見せ方では、納得できないのではないか? 日本人が喜び、外国人も楽しめて、スポンサーもつきやすく、制作者も企画が通りやすい、実に都合のいいい番組なのかもしれない。だが、疑問に思っている人も少なからずいるということもわかってほしいところだ。 (文=柿田太郎)TBS系『メイドインJAPAN★日本を誇りに思えるSP』番組サイトより
テレ東・大食い番組、放送枠縮小で打ち切り危機!?『大食い世界一決定戦』が残念すぎた……
テレビ東京の元日恒例となったバラエティ番組『国別対抗!大食い世界一決定戦』。ゴールデン帯を含む3時間半という大枠が組まれ、過去3回とも準優勝に終わってきた日本代表チームと、“異次元女王”モリー・スカイラー率いるアメリカチームとの死闘が繰り広げられた。 今回は、オーストラリアとイギリスを加えた4カ国で「総当りリーグ戦」を行い、上位2カ国が決勝戦で対決。予想通り、日本とアメリカが決勝に残り、最後は“爆食女王”もえのあずきが「あんかけ炒飯」を食べている最中、過呼吸に。そのまま救急搬送されるという、衝撃的な展開で幕を閉じた。 なお、同番組の平均視聴率は3.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と撃沈。だが、今回の『世界戦』は、“大食いファン”として同番組を見続けてきた筆者にとって、その数字以上に残念な部分も多々あった。 テレ東の『大食い』といえば、真剣さの中にも、同局『TVチャンピオン』の流れを汲んだ、素人参加番組特有の“楽しい雰囲気”や、視聴者に「おいしそう」「食べたい」と思わせるグルメ番組的な側面を併せ持っていたはず。実際、昨年は、檜山先生(檜山普嗣)とMAX鈴木(鈴木隆将)の大波乱となったラーメン対決や、敗退が決まった際のアンジェラ佐藤の号泣、もえあずや谷やん(谷崎鷹人)がめきめきと力を付ける姿など、大食いファンに多くの感動を与えてくれた。 しかし、今年の『世界戦』は、これまでとは全く違う印象を受けた。選手の終始「辛そう」な険しい表情が印象的で、番組全体が殺伐とした雰囲気。テレ東の大食い番組特有のユルさは失われ、ガチバトル感が増していた。 そんな変化を良しとするか悪しとするかは個人の好みと言えそうだが、気になった点を振り返りたい。テレビ東京公式サイトより






