宮台真司が語る『コクリコ坂から』と父性の関係──不自由を引き受けた先にある希望と未来

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「『コクリコ坂から』はポスト震災の
価値観に耐えうる物語だ」として、評
価する宮台真司氏。(写真撮影/田中
まこと)
──本誌連載陣であり、映画フリークとしても知られる社会学者・宮台真司氏に、社会学的な観点から『コクリコ坂から』について語ってもらった。  東日本大震災の後に発表される作品は、作り手の意図とは関係なく、どうしてもポスト震災、震災後の社会についてどう考えているのか? ということが問われてしまいます。『コクリコ坂から』は、そのハードルを見事にクリアしていると思いました。  主人公である海や俊は、異父兄妹かもしれないという自身の生い立ちや貧しい家庭環境など、自分で選択ができない不自由の中にいる。そして、それが宿命であるかのように、彼らに覆いかぶさってきます。それは歴史ある部室棟・カルチェラタンを守ろうとする連中もまったく同じです。彼女たちは、自身の出自や家族、歴史といった、入れ替えや選択が不可能な「規定されたもの」を、あえて「引き受け」つつ、それに抗いながら、未来に進もうとする。その姿はとても凛々しい。  宮崎吾朗監督の前作『ゲド戦記』は、「父さえいなければ、生きられると思った。」というコピーに表れているように、自分の抱える問題を解決することが自分のいる世界を救うことに直結する、いわゆる"セカイ系"の単なるメンヘラによる父殺しの話でしたが、『コクリコ坂から』はそうではない。海が亡くなった父に向けて毎日旗を揚げていることに象徴されるように、父親を忘れられない、あるいは父親を忘れるということが何を意味するのか、を明確に意識して描かれています。
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スタジオジブリはもう死に体!? 関係者も嘆く国民的アニメスタジオの危機

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原作の『コクリコ坂から』
──宮崎駿監督の実子である宮崎吾朗氏が監督を務め、物議をかもした『ゲド戦記』から早5年。吾朗監督の新作『コクリコ坂から』が公開された。駿パパとのタッグで作り上げた本作は、またも酷評の嵐になるのか? それともスタジオジブリ新時代の到来を告げる嚆矢となるのだろうか!?  日本アニメ界が世界に誇るアニメーション監督・宮崎駿。その愛息・宮崎吾朗が初監督作品『ゲド戦記』を発表した2006年からちょうど5年。待望の第2回監督作品『コクリコ坂から』が、今月16日より全国東宝系にて封切られた。  いわゆるアニメファン向けの"アニメ"とは一線を画し、国民的アニメ映画の供給源として確固たる地位を築き上げているスタジオジブリ(以下、ジブリ)。吾朗氏が監督、脚本(丹羽圭子と共作)を一手に手掛け、鈴木敏夫プロデューサーが提案した「主人公・アレンによる父殺し」というセンセーショナルなアニメオリジナルのエピソードに話題が集中した問題作『ゲド戦記』に続く新作ということで、本記事が世に出ている頃にはすでに劇場に足を運んだ読者もいるだろう。  話題作を継続的に発表し続けるジブリだが、かねてよりいくつかの問題点が指摘されている。  85年より宮崎駿と盟友・高畑勲を中心として、アニメ制作を行ってきたジブリが、これまでに発表した長編アニメ映画は17作。そのうち、2人が監督した作品は12作に上る。  高畑勲の作風は、『火垂るの墓』(88年)『おもひでぽろぽろ』(91年)に代表されるような、重く地味なものが多く、かと思えばファミリー向けに制作された『ホーホケキョ となりの山田くん』(99年)は記録的な客の不入りとなり、公開翌年の00年度2月期決算では21億円の特別損失を計上するという壊滅的な結果を生んでしまった。
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