カイヤと離婚できない川崎麻世が、せんだみつおの娘・るかと頻繁に“不倫デート”中!

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川崎麻世 オフィシャルブログより
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  東京・恵比寿にある“恵比寿横丁”で、ジャニーズ出身の俳優・川崎麻世と、せんだみつおの愛娘でタレントのせんだるかのツーショット目撃情報が寄せられた。恵比寿横丁とはJR恵比寿駅から徒歩2分くらいの場所にある、昭和の時代に栄えた「山下ショッピングセンター」に個性豊かな21店舗が集まってできた“のんべぇ横丁”のようなもので、いまや芸能人御用達の横丁といわれている。  この恵比寿横丁の常連が川崎麻世だ。川崎は、今年5月にも恵比寿横丁で、石原さとみ似の美女にマッサージしながら飲んでいる現場を目撃されている。その女性は名古屋から上京してきたエスティシャンで、現在は銀座のクラブに勤めているらしいが、その後、自宅マンションにお持ち帰りしたとも報じられた。さらにその次の日は、佐々木希似の美女と朝までカラオケが目撃されている。 川崎は10年くらい前から、妻でタレントのカイヤと長期別居中。別居の理由について、自身のブログで「夫婦には春夏秋冬がある。今はこのまま少し、距離を置いている」と語っているが、少しどころの騒ぎではない。恵比寿横丁の行きつけの店で、川崎は一人になると「カイヤが怖くて、離婚できない」と愚痴っているという。それでいながら、カイヤの目を盗んでは美女と飲み歩いているのだから、たいしたタマである。  この夫婦、昨年の3月には写真誌にW不倫が報じられていたが、お互い否定。しかし、約2カ月後の5月には、川崎の愛人の存在が女性誌に報じられた。その愛人とは、1999年にフジテレビのビジュアル・クイーンに選ばれた女性で、ピン芸人の狩野英孝が入籍後に不倫した相手と話題になった女性だ。だが、カイヤに知られたことで、その女性とは別れ、その後、せんだるかと頻繁に恵比寿横丁で飲むようになったという。2人の関係を知る芸能関係者は「るかは初めは一人で飲みに来ていたんですが、いつの間にか川崎と一緒に来るようになった。一時期は、毎晩のように飲んでいました。るかは、タレントとしては売れてませんが、性格はいいから誰からも好かれるタイプ。川崎とは、人目もはばからずイチャついてましたからね。不倫がウワサされていました」と言う。  父親のせんだが知ったら、心中穏やかではないであろうことは想像に難くない。川崎も、独身女性を不幸にしないためにも、勇気を出して、そろそろカイヤとの離婚を成立させたほうが賢明かもしれない。 (文=本多圭)

「もう一度、小室のプロデュースで歌いたい……」華原朋美の転落人生を彩った男たち

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『夢やぶれて-I DREAMED A DREAM-』(ユニバーサルJ)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  昨年12月に5年半ぶりの歌手復帰を果たした華原朋美が、周囲に「小室哲哉さんのプロデュースでまた歌いたい」と、盛んに漏らしているようだ。だが、かつて華原と小室の関係を取材してきた筆者から見ると、2人はプライベートはもちろんのこと、仕事上でも“復縁”しないほうが正解だと思う。それほど、壮絶な破局劇だったからだ。  華原が、まだ「遠峯ありさ」と名乗っていた売れないアイドル時代、出演したバラエティ番組での歌唱場面を小室が試聴。歌声に惚れこんで、芸名を華原朋美と改名させて、95年に歌手デビュー。大ブレークさせた。  マネジメントを担当したのは、小室との音楽出版契約を結んだ芸能事務所・バーニングプロダクションから派遣されたEというマネジャーだった。Eは小室と華原を守るために文字通り体を張ったが、あまりに威圧的な態度で、メディアを震え上がらせた。あるスポーツ紙のデスクは、Eの暴力団的威圧を恐れて配置転換を申し出た、という笑えない話もあったほどだ。  それだけに、メディアは小室と華原とのプライベートについては沈黙した。結果、何をやっても許されると思ったのか、小室に対する華原のわがままはエスカレート。さらに、以前からドラッグ使用のウワサがあった華原の奇行ぶりが目立ち始めた。  定宿にしていた新宿のホテルのエレベーターの中で、ピョンピョン跳ねている華原が目撃されたこともあった。そんな華原が怖くなったのか、小室は98年頃から、プライベートで距離を置くようになった。翌年1月に、華原は自宅でガス事故を起こす。真相は“ガス自殺未遂”だが、マネジャーのEは強引に真相を隠蔽しようとマスコミを恫喝した。だが、そうした行為がたたって、Eの姿はいつの間にかマスコミから消えた。  その後、華原が転落の一途をたどるのは説明するまでもないが、小室と別れて、しばらくたってから交際を開始、同棲していたのが、飲食店プロデューサーの安藤陽彦氏。現在は元「モーニング娘。」の加護亜依と結婚して、なぜか加護姓を名乗っている。華原が安藤氏にDVで鼻骨を折られたことで、所属事務所のプロダクション尾木は安藤氏と別れることを勧めるが、それを拒絶したために契約解除。事実上、芸能界を追放された。  その後も安藤氏と関係は続いたが、精神的に追い込まれて精神安定剤を常用。ますます追い込まれていくが、3年前に安藤氏と決別したことで解放された。安藤氏との関係は5年間続いたが、華原にとって決して思い出したくない過去であることは想像に難くない。その後、親族に支えられての懸命なリハビリの結果、昨年12月に奇跡的に歌手復帰を果たした。  元気になった華原が、かつての恋人でもあり、世に売り出してくれた小室のプロデュースでもう一度歌いたいという気持ちはわかるが、今の華原は小室だけではなく、マネジャーだったE、それに安藤氏のことを一切忘れて前進することが、ファンへの罪滅ぼしだと思うが。 (文=本多圭)

“裏切り”相次いでも……サンミュージック故・相澤秀禎会長のアイドルたちへの思い

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芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  「僕は生涯現役マネジャーだよ」と言っていたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎会長が5月23日、すい臓がんのために他界。享年83歳だった。  筆者は長年、相澤会長の会長室で、月に一度は芸能界の情報交換や世間話をしてきた。亡くなる10日くらい前に相澤会長の携帯に電話したところ、女性が電話口に出て「今、検査中で出られません」と切られて以降、電話がつながらなくなったので嫌な予感がしていたが、まさかがんだとは思わなかった。  相澤会長は、筆者に一度もがんだとは言わなかった。健康には気を遣い、月に一度は主治医がいる大学病院で定期検査して、異常がなかったと聞いていたからだ。むしろ、“どこどこの事務所の社長が大腸がんだって”と他人を心配していたほどだった。  相澤会長は人柄もよく温厚で、業界関係者からは“相さん”と呼ばれて愛されたが、その寛容な人柄が仇になったのか、自ら育てた女性タレントに裏切られることが多かった。  相澤会長は、俳優で現・千葉県知事の森田健作を第1号タレントして、サンミュージックを設立。その後、桜田淳子をはじめ、松田聖子、早見優、故・岡田有希子、それに酒井法子といった女性アイドルを育て上げて、一時、“女性アイドルの宝庫”といわれる時代があった。  相澤会長は、そんなタレントたちをデビュー前から自宅に下宿させ、家族同然に育てるというのが方針だった。しかし、親の心子知らずで、彼女たちに裏切られることが多かった。86年には、スターの座をつかんだ岡田有希子が、事務所のビルの屋上から飛び降り自殺。3年後には、松田聖子に早朝、自宅に呼び出されて、一方的に独立を宣言されたという。聖子の男性スキャンダルを体を張ってガードしてきた相澤会長にとって、これほど屈辱的なことはなかっただろう。その後、桜田淳子が、霊感商法が社会問題になった統一教会の“合同結婚式”に事務所の反対を押し切って出席。マスコミからバッシングを浴びたこともあり、相澤会長は断腸の思いで、桜田を追放した。  相次ぐ裏切りに嫌気が差したのか、その後、女性アイドルのマネジメントを手掛けることがなくなった相澤会長。代わって、息子の相澤正久社長はお笑いのマネジメントに積極的に取り組んで、芸人を次々に売り出した。相澤会長が筆者に「うちはお笑いばかりで、サンミュージックではなく、サンバラエティになった」と、うれしそうに語っていたことを忘れない。  09年には本社を、故・岡田さんの自殺現場として有名になった四谷4丁目のビルから四谷3丁目のビルに移転。直後に、酒井法子が覚せい剤取締法違反で逮捕された。実は逮捕される約7カ月前、筆者は相澤会長に、酒井がクスリをやっているという、ある人物から聞いた情報を伝えた。会長は酒井を呼び出して問いただしたが、彼女は頑強に否定したという。ところが、情報は当たっていたのだ。  酒井に裏切られた相澤会長は、今年に入って、久しぶりに手がける女性アイドルグループ「さんみゅ~」を売り出すのを楽しみにしていた。その思いもかなわぬまま、他界。さぞ、無念だっただろう。芸能界のアイドル史を作り上げた相澤会長にあらためて、合掌! (文=本多圭)

故・牧伸二さんに弟子の泉ピン子が線香一本上げに来ないワケとは

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『みんな悩んでる ピン子のツン
デレ人生相談』(光文社)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  ウクレレ漫談で一世を風靡した牧伸二さんが自宅近くの多摩川に身を投げて自殺を図ってから3週間が経過したが、弟子の泉ピン子がいまだに線香一本どころか、お悔やみの言葉さえ寄せていないという。一部マスコミによると、弟子時代に牧さんから受けた屈辱の日々を許せないからだというが、ピン子が女優になる前から知っている筆者にとっては、逆恨みとしか思えない。あらためて、ピン子の人間性を垣間見た気がした。  浪曲師を父に持ったピン子は、芸能界に憧れて高校を中退。三門マリ子という芸名で劇場の前座歌手をしている時に、ピン子の父親が役員を務め、牧さんが所属していた佐藤事務所に所属。牧さんの弟子になって、ギター漫談家としてデビューした。  漫談家としては売れなったが、その後、日本テレビの情報番組『ウィークエンダー』のリポーターとしてブレークしたことで独り立ち。その頃に筆者は取材でピン子と知り合った。ピン子は「雨の時でも傘を差すことが許されず、牧さんの荷物持ちをさせられた。ドサ回りで北海道のキャバレーに行った時は宿も用意されてなくて、キャバレーの楽屋に泊まらされた。夜な夜な、キャバレーの経営者が夜這いに来るんじゃないかと震えながら寝ていた。キャバレーのステージに立っても『ブス、引っ込め!』とヤジが飛び、料理を投げつけられた」と、筆者に屈辱の日々を語った。  しかし、後から知ったことだが、ピン子は親しくなったマスコミやテレビ関係者に同じような話をして、同情を買っていたようだ。ピン子に限らず、売れない時代は誰もがそれなりに苦労している。新人歌手が地方のキャバレーでキャンペーン中、酔客に罵声を浴びせられて泣いていた姿を、何度か目撃したことがある。  それを、牧さんにイジメられた、牧さんは何もしてくれなかったと恨んでいるとしたら、筋違いだ。当時の事務所のスタッフに聞くと、「牧さんは一度もピン子をイジメたことはない。人をイジメるような人ではない。かといって、人の面倒を見る人でもなかった。中学の1年後輩だった故・立川談志さんが『牧は徳がないからダメなんだ』と言ってましたが、そういう人なんです。ピン子の逆恨みですよ」という。  その後、ピン子は女優として遅咲きするや、売れない時代の反動か、ブランド品を買いあさり、贅沢三昧の生活。すべて事務所からの前借りだった。その額、なんと3億5000万円といわれた。事務所が「これ以上、貸せない」というと、借金を残したまま後ろ足で砂をかけるように独立。これには、牧さんも激怒したという。  「泉ピン子」という芸名は、牧さんが旅興行先で麻雀をやっている時に「顔がまんまるでイーピンにそっくりだから」ということで付けたのだが、佐藤事務所を辞めてからは芸名の由来が「父親が、ピンの芸人の一番になれと話したから」と変わっている。しかも雑誌のインタビューでは「自分にとって恩師は杉村春子先生」と語って、牧さんのまの字も出てこなかったという。  ピン子が独立した佐藤事務所はオーナーがやる気を失い、亡くなった後に解散した。一方、女優として開花したピン子は、TBSの人気ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の脚本家の橋田寿賀子さんや石井ふく子プロデューサーの威光を笠(かさ)に、共演者や新人女優イジメをしてきたのは有名な話だ。最近は、昨年秋に結婚した上戸彩とHIROを囲んで“結婚を祝う会”などを開いて、徳があるところを押し売りしているようだが、本質は変わっていない。過去にどんなことがあろうと、亡くなった師匠にお悔やみの一言も言えない人間はお里が知れている。  牧さんの自殺後、一部週刊誌が牧さんの愛人と隠し子の存在を報道したが、情報源は、牧さんの全盛時に、牧さんに散々たかっていた演芸評論家だという。牧さんの死については、会長を務めていた東京演芸協会の使途不明金が関係していると言われているが、死人に口なし。真相は定かではない。ピン子にしろ、演芸評論家にしても『渡る世間は鬼ばかり』ではないが、牧さんの周りが鬼ばかりだったことは確かなようだ。あらためて、牧さんに合掌! (文=本多圭)

故・牧伸二さんに弟子の泉ピン子が線香一本上げに来ないワケとは

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『みんな悩んでる ピン子のツン
デレ人生相談』(光文社)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  ウクレレ漫談で一世を風靡した牧伸二さんが自宅近くの多摩川に身を投げて自殺を図ってから3週間が経過したが、弟子の泉ピン子がいまだに線香一本どころか、お悔やみの言葉さえ寄せていないという。一部マスコミによると、弟子時代に牧さんから受けた屈辱の日々を許せないからだというが、ピン子が女優になる前から知っている筆者にとっては、逆恨みとしか思えない。あらためて、ピン子の人間性を垣間見た気がした。  浪曲師を父に持ったピン子は、芸能界に憧れて高校を中退。三門マリ子という芸名で劇場の前座歌手をしている時に、ピン子の父親が役員を務め、牧さんが所属していた佐藤事務所に所属。牧さんの弟子になって、ギター漫談家としてデビューした。  漫談家としては売れなったが、その後、日本テレビの情報番組『ウィークエンダー』のリポーターとしてブレークしたことで独り立ち。その頃に筆者は取材でピン子と知り合った。ピン子は「雨の時でも傘を差すことが許されず、牧さんの荷物持ちをさせられた。ドサ回りで北海道のキャバレーに行った時は宿も用意されてなくて、キャバレーの楽屋に泊まらされた。夜な夜な、キャバレーの経営者が夜這いに来るんじゃないかと震えながら寝ていた。キャバレーのステージに立っても『ブス、引っ込め!』とヤジが飛び、料理を投げつけられた」と、筆者に屈辱の日々を語った。  しかし、後から知ったことだが、ピン子は親しくなったマスコミやテレビ関係者に同じような話をして、同情を買っていたようだ。ピン子に限らず、売れない時代は誰もがそれなりに苦労している。新人歌手が地方のキャバレーでキャンペーン中、酔客に罵声を浴びせられて泣いていた姿を、何度か目撃したことがある。  それを、牧さんにイジメられた、牧さんは何もしてくれなかったと恨んでいるとしたら、筋違いだ。当時の事務所のスタッフに聞くと、「牧さんは一度もピン子をイジメたことはない。人をイジメるような人ではない。かといって、人の面倒を見る人でもなかった。中学の1年後輩だった故・立川談志さんが『牧は徳がないからダメなんだ』と言ってましたが、そういう人なんです。ピン子の逆恨みですよ」という。  その後、ピン子は女優として遅咲きするや、売れない時代の反動か、ブランド品を買いあさり、贅沢三昧の生活。すべて事務所からの前借りだった。その額、なんと3億5000万円といわれた。事務所が「これ以上、貸せない」というと、借金を残したまま後ろ足で砂をかけるように独立。これには、牧さんも激怒したという。  「泉ピン子」という芸名は、牧さんが旅興行先で麻雀をやっている時に「顔がまんまるでイーピンにそっくりだから」ということで付けたのだが、佐藤事務所を辞めてからは芸名の由来が「父親が、ピンの芸人の一番になれと話したから」と変わっている。しかも雑誌のインタビューでは「自分にとって恩師は杉村春子先生」と語って、牧さんのまの字も出てこなかったという。  ピン子が独立した佐藤事務所はオーナーがやる気を失い、亡くなった後に解散した。一方、女優として開花したピン子は、TBSの人気ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の脚本家の橋田寿賀子さんや石井ふく子プロデューサーの威光を笠(かさ)に、共演者や新人女優イジメをしてきたのは有名な話だ。最近は、昨年秋に結婚した上戸彩とHIROを囲んで“結婚を祝う会”などを開いて、徳があるところを押し売りしているようだが、本質は変わっていない。過去にどんなことがあろうと、亡くなった師匠にお悔やみの一言も言えない人間はお里が知れている。  牧さんの自殺後、一部週刊誌が牧さんの愛人と隠し子の存在を報道したが、情報源は、牧さんの全盛時に、牧さんに散々たかっていた演芸評論家だという。牧さんの死については、会長を務めていた東京演芸協会の使途不明金が関係していると言われているが、死人に口なし。真相は定かではない。ピン子にしろ、演芸評論家にしても『渡る世間は鬼ばかり』ではないが、牧さんの周りが鬼ばかりだったことは確かなようだ。あらためて、牧さんに合掌! (文=本多圭)

故・牧伸二さんに弟子の泉ピン子が線香一本上げに来ないワケとは

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『みんな悩んでる ピン子のツン
デレ人生相談』(光文社)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  ウクレレ漫談で一世を風靡した牧伸二さんが自宅近くの多摩川に身を投げて自殺を図ってから3週間が経過したが、弟子の泉ピン子がいまだに線香一本どころか、お悔やみの言葉さえ寄せていないという。一部マスコミによると、弟子時代に牧さんから受けた屈辱の日々を許せないからだというが、ピン子が女優になる前から知っている筆者にとっては、逆恨みとしか思えない。あらためて、ピン子の人間性を垣間見た気がした。  浪曲師を父に持ったピン子は、芸能界に憧れて高校を中退。三門マリ子という芸名で劇場の前座歌手をしている時に、ピン子の父親が役員を務め、牧さんが所属していた佐藤事務所に所属。牧さんの弟子になって、ギター漫談家としてデビューした。  漫談家としては売れなったが、その後、日本テレビの情報番組『ウィークエンダー』のリポーターとしてブレークしたことで独り立ち。その頃に筆者は取材でピン子と知り合った。ピン子は「雨の時でも傘を差すことが許されず、牧さんの荷物持ちをさせられた。ドサ回りで北海道のキャバレーに行った時は宿も用意されてなくて、キャバレーの楽屋に泊まらされた。夜な夜な、キャバレーの経営者が夜這いに来るんじゃないかと震えながら寝ていた。キャバレーのステージに立っても『ブス、引っ込め!』とヤジが飛び、料理を投げつけられた」と、筆者に屈辱の日々を語った。  しかし、後から知ったことだが、ピン子は親しくなったマスコミやテレビ関係者に同じような話をして、同情を買っていたようだ。ピン子に限らず、売れない時代は誰もがそれなりに苦労している。新人歌手が地方のキャバレーでキャンペーン中、酔客に罵声を浴びせられて泣いていた姿を、何度か目撃したことがある。  それを、牧さんにイジメられた、牧さんは何もしてくれなかったと恨んでいるとしたら、筋違いだ。当時の事務所のスタッフに聞くと、「牧さんは一度もピン子をイジメたことはない。人をイジメるような人ではない。かといって、人の面倒を見る人でもなかった。中学の1年後輩だった故・立川談志さんが『牧は徳がないからダメなんだ』と言ってましたが、そういう人なんです。ピン子の逆恨みですよ」という。  その後、ピン子は女優として遅咲きするや、売れない時代の反動か、ブランド品を買いあさり、贅沢三昧の生活。すべて事務所からの前借りだった。その額、なんと3億5000万円といわれた。事務所が「これ以上、貸せない」というと、借金を残したまま後ろ足で砂をかけるように独立。これには、牧さんも激怒したという。  「泉ピン子」という芸名は、牧さんが旅興行先で麻雀をやっている時に「顔がまんまるでイーピンにそっくりだから」ということで付けたのだが、佐藤事務所を辞めてからは芸名の由来が「父親が、ピンの芸人の一番になれと話したから」と変わっている。しかも雑誌のインタビューでは「自分にとって恩師は杉村春子先生」と語って、牧さんのまの字も出てこなかったという。  ピン子が独立した佐藤事務所はオーナーがやる気を失い、亡くなった後に解散した。一方、女優として開花したピン子は、TBSの人気ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の脚本家の橋田寿賀子さんや石井ふく子プロデューサーの威光を笠(かさ)に、共演者や新人女優イジメをしてきたのは有名な話だ。最近は、昨年秋に結婚した上戸彩とHIROを囲んで“結婚を祝う会”などを開いて、徳があるところを押し売りしているようだが、本質は変わっていない。過去にどんなことがあろうと、亡くなった師匠にお悔やみの一言も言えない人間はお里が知れている。  牧さんの自殺後、一部週刊誌が牧さんの愛人と隠し子の存在を報道したが、情報源は、牧さんの全盛時に、牧さんに散々たかっていた演芸評論家だという。牧さんの死については、会長を務めていた東京演芸協会の使途不明金が関係していると言われているが、死人に口なし。真相は定かではない。ピン子にしろ、演芸評論家にしても『渡る世間は鬼ばかり』ではないが、牧さんの周りが鬼ばかりだったことは確かなようだ。あらためて、牧さんに合掌! (文=本多圭)

故・牧伸二さんに弟子の泉ピン子が線香一本上げに来ないワケとは

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『みんな悩んでる ピン子のツン
デレ人生相談』(光文社)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  ウクレレ漫談で一世を風靡した牧伸二さんが自宅近くの多摩川に身を投げて自殺を図ってから3週間が経過したが、弟子の泉ピン子がいまだに線香一本どころか、お悔やみの言葉さえ寄せていないという。一部マスコミによると、弟子時代に牧さんから受けた屈辱の日々を許せないからだというが、ピン子が女優になる前から知っている筆者にとっては、逆恨みとしか思えない。あらためて、ピン子の人間性を垣間見た気がした。  浪曲師を父に持ったピン子は、芸能界に憧れて高校を中退。三門マリ子という芸名で劇場の前座歌手をしている時に、ピン子の父親が役員を務め、牧さんが所属していた佐藤事務所に所属。牧さんの弟子になって、ギター漫談家としてデビューした。  漫談家としては売れなったが、その後、日本テレビの情報番組『ウィークエンダー』のリポーターとしてブレークしたことで独り立ち。その頃に筆者は取材でピン子と知り合った。ピン子は「雨の時でも傘を差すことが許されず、牧さんの荷物持ちをさせられた。ドサ回りで北海道のキャバレーに行った時は宿も用意されてなくて、キャバレーの楽屋に泊まらされた。夜な夜な、キャバレーの経営者が夜這いに来るんじゃないかと震えながら寝ていた。キャバレーのステージに立っても『ブス、引っ込め!』とヤジが飛び、料理を投げつけられた」と、筆者に屈辱の日々を語った。  しかし、後から知ったことだが、ピン子は親しくなったマスコミやテレビ関係者に同じような話をして、同情を買っていたようだ。ピン子に限らず、売れない時代は誰もがそれなりに苦労している。新人歌手が地方のキャバレーでキャンペーン中、酔客に罵声を浴びせられて泣いていた姿を、何度か目撃したことがある。  それを、牧さんにイジメられた、牧さんは何もしてくれなかったと恨んでいるとしたら、筋違いだ。当時の事務所のスタッフに聞くと、「牧さんは一度もピン子をイジメたことはない。人をイジメるような人ではない。かといって、人の面倒を見る人でもなかった。中学の1年後輩だった故・立川談志さんが『牧は徳がないからダメなんだ』と言ってましたが、そういう人なんです。ピン子の逆恨みですよ」という。  その後、ピン子は女優として遅咲きするや、売れない時代の反動か、ブランド品を買いあさり、贅沢三昧の生活。すべて事務所からの前借りだった。その額、なんと3億5000万円といわれた。事務所が「これ以上、貸せない」というと、借金を残したまま後ろ足で砂をかけるように独立。これには、牧さんも激怒したという。  「泉ピン子」という芸名は、牧さんが旅興行先で麻雀をやっている時に「顔がまんまるでイーピンにそっくりだから」ということで付けたのだが、佐藤事務所を辞めてからは芸名の由来が「父親が、ピンの芸人の一番になれと話したから」と変わっている。しかも雑誌のインタビューでは「自分にとって恩師は杉村春子先生」と語って、牧さんのまの字も出てこなかったという。  ピン子が独立した佐藤事務所はオーナーがやる気を失い、亡くなった後に解散した。一方、女優として開花したピン子は、TBSの人気ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の脚本家の橋田寿賀子さんや石井ふく子プロデューサーの威光を笠(かさ)に、共演者や新人女優イジメをしてきたのは有名な話だ。最近は、昨年秋に結婚した上戸彩とHIROを囲んで“結婚を祝う会”などを開いて、徳があるところを押し売りしているようだが、本質は変わっていない。過去にどんなことがあろうと、亡くなった師匠にお悔やみの一言も言えない人間はお里が知れている。  牧さんの自殺後、一部週刊誌が牧さんの愛人と隠し子の存在を報道したが、情報源は、牧さんの全盛時に、牧さんに散々たかっていた演芸評論家だという。牧さんの死については、会長を務めていた東京演芸協会の使途不明金が関係していると言われているが、死人に口なし。真相は定かではない。ピン子にしろ、演芸評論家にしても『渡る世間は鬼ばかり』ではないが、牧さんの周りが鬼ばかりだったことは確かなようだ。あらためて、牧さんに合掌! (文=本多圭)

脱税疑惑の次は“レイプ報道”のGACKT「シリコンボール入れてない」と全面否定も……

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芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  脱税疑惑が消えないGACKTが、通信カラオケ最大手「第一興商」の持ち株会社「ホシ・クリエート」に移籍。5月11日から全国ツアーをスタートさせ、7月3日にはハリウッド映画『サイレントヒル:リベレーション3D』のイメージソングとなる新曲「CLAYMORE」を発売することが明らかになった。  だが、その直後の5月13日に発売された写真週刊誌「FLASH」(光文社)に、「私はGACKTに6時間レイプされた!」と、27歳女性の告発スクープが掲載された。女性の告発は「(GACKTに)殴られ、首を絞められ、手を縛られて、私は行為を強要されました。彼はアンダーヘアがいっさいなく、シリコンボール30個くらい入っていました」というショッキングな内容だった。  昨年8月28日、GACKTの自宅や所属していたゴーディエンターテインメントをはじめ、関係各所に東京国税局の100人余りの査察官が査察に入った。その際、GACKTは恋人といわれていた歌手のICONIQとベッドで寝ていたというウワサも流れた。査察後には、週刊誌や夕刊紙が、GACKTの黒い人脈や乱れた女性関係を報じたのは記憶に新しい。GACKTにはカナダ在住の元ワンギャルのFさんとの間に隠し子がいることが判明。さらにショックだったのは、女優の釈由美子が性の奴隷にされていたという報道だった。  GACKTの乱れた女性関係は、それだけにとどまらなかった。元「モーニング娘。」の安倍なつみほか、複数の交際相手の名前が挙がったのだ。そうした報道の直後から、元新宿のキャバ嬢と名乗る女性が、週刊誌に「GACKTにレイプされた」という内容の話を売り込みに歩いていたという。しかし、どのメディアも飛びつかなかった。売り込まれた週刊誌関係者は「あまりにも話が唐突すぎて、いまいち信ぴょう性に欠ける。ただ、レイプの被害届が受理されていれば、話は別でした」という。  今回、「FLASH」で告発した女性が同一人物かどうかはわからないが、「FLASH」は警視庁新宿警察署が女性の被害届を受理したと報じている。  ところが、GACKTの関係者は「受理されていない」と全面否定。「記事にはかなりの誤りがある。GACKTはシリコンボールを入れてない」と言い、「FLASH」に証拠写真として掲載されたGACKTに殴られたとされる顔のアザ写真についても、関係者は「女性が“レイプされた”と主張する翌日の顔写真を入手しましたが、顔にアザはありませんでした」と偽造の疑いがあるという。また、警察関係者は「被害届が受理されたとしたら、通常、GACKTへの処罰を求めて、続けて刑事告訴するもの」というが、現段階では被害女性が告訴したという話は聞かない。  いずれにしても、今後の被害女性の動向で真相がはっきりするだろうが、脱税疑惑に加えて、レイプ疑惑が持ち上がったにもかかわらず、GACKTは平然とコンサート活動を続けている。一体、どんな神経をしているのか? メディアは、GACKTの背景にいるといわれている芸能界の実力者を恐れているか、沈黙を続けて、疑惑の真相を追及しようとしない。いつものことながら、情けない話だ。 (文=本多圭)

「小林幸子を救って……!」演歌界を支える“互助会”『夢コンサート』をめぐる深イイ話

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「蛍前線」(BounDEE by SSNW)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  今年、デビュー50周年を迎えた演歌歌手の小林幸子。“お家騒動”の影響で昨年末のNHK『紅白』を落選したこともあって、記念コンサートのチケットの売れ行きが伸び悩み、予定していた全国50カ所の公演のめども立たず、途方に暮れている。  その一方で、小林と同時代にヒットを飛ばした往年の人気歌手たちが出演する『夢コンサート』が盛況のようで、各地でのスケジュールを次々に消化している。読者も、新聞や雑誌に頻繁に掲載されている『夢コンサート』のチケット販売の広告を目にしたことがあるのではないだろうか。筆者も、この『夢コンサート』の存在が気になっていた。  1960年代から70年代にかけてヒットを飛ばした歌手たちは、バブル期には、ギャラランクに差があったとしても、月に最低でも、5~10本の地方営業をこなしていれば生活は安定していた。ところがバブル崩壊後、演歌の衰退もあって、彼らの仕事は激減。生活に困る歌手も続出した。  『夢コンサート』の出演者の顔ぶれは、往年の映画スター歌手・小林旭、松方弘樹をはじめ、西城秀樹や元狩人、柏原芳恵、新沼謙治、三善英史、あいざき進也といった過去のスターたちばかり。昨年末、同コンサートに出演しているある歌手のマネジャーと、パーティーで同席する機会があった。そのマネジャーに『夢コンサート』について尋ねると、「『夢コンサート』を主催する“夢グループ”に年間のスケジュールを押さえられて、仕事が順調に入ってくる。ギャラは安く叩かれますが、仕事がないよりいいですよ。コンサートに出演する歌手たちは、最低限の生活が保障されたようなもんですからね。助かってますよ」と言う。  この話を聞いて、『夢コンサート』は歌謡界の互助会のような気がした。夢グループという会社の社長は石田重廣氏。都内でユーコーという通販会社を経営。同社のメイン製品だった“シルク100%掛け布団”という触れ込みの製品が、08年に実際は半分程度のシルクしか入ってないことが判明し、景品表示法違反で公正取引委員会から行政処分を受けたことを記憶している。その時に同社のCMキャラクターを松方弘樹が務めていた。さらに3年前に石田社長は、当時、参議院選挙に出馬して注目を浴びていた元アイドル女優の岡崎友紀との“金銭トラブル”を「週刊文春」(文藝春秋)に報じられたことがあった。石田氏は岡崎の元所属事務所社長で、彼女に莫大な金を貸しているという告発だった。  石田社長はあくまで通販会社の社長で、松方のタニマチだとばかり思っていたが、岡崎の元事務所社長で『夢コンサート』で売れなくなった歌手たちに活動の場を与えて、ファンを喜ばすという仕事をしていたのだ。毀誉褒貶ありそうな、この人物の評価はなんとも難しいが、この際、お家騒動が原因でいまだに芸能界のメインステージから干されている小林幸子を『夢コンサート』に出演させて、救ってやってほしい。このままだと小林は消滅しかねない。 (文=本多圭)

「談志さんがボロクソに……」ベテラン芸能記者が明かす、故・牧伸二さんの素顔

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『マキシンのウクレレ教室』
(ドレミ楽譜出版社)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  ウクレレ漫談で一世を風靡した牧伸二さんが亡くなった。自宅近くの多摩川で投身自殺したとみられる。  その報道の直後、牧さんと以前、同じ釜の飯を食った元マネジャーから「牧さんは、会長を務める『東京演芸協会』の金銭トラブルに悩んでいた」という情報を提供された。そして、この話は一部でも報道されることになった。東京演芸協会内に使途不明金があり、それに牧さんが関わっていたのではないかというものだ。  牧さんは「あーあーやんなっちゃった、あーあーあー驚いた」のフレーズで世の中を風刺するウクレレ漫談という新境地でブレークしたが、中学の後輩だった故・立川談志さんが「あんなの芸じゃない」とボロクソに批判したことで、牧さんの師匠だった故・牧野周一さんが談志さんに「公開討論をやろう」と激怒。見兼ねた談志さんの師匠、故・柳家小さんさんが牧野さんに謝罪して収まったという事件があった。  その後、牧さんは1963年から15年間にわたって放送された日本教育テレビ(現・テレビ朝日)の『大正テレビ寄席』で司会を務めて人気を博す。99年には東京演芸協会の会長に就任したが、3年後に脳出血で倒れて、一時は再起が危ぶまれた。その後、リハビリの末に見事復帰。しかし、デビュー当時から所属していた「佐藤事務所」は解散していた。  佐藤事務所には牧さんの弟子に当たる泉ピン子がいた。ピン子はデビュー当初は三門マリ子という歌謡漫談で地方を回っていたが芽が出ず、日本テレビの『テレビ3面記事 ウィークエンダー』というワイドショーのリポーターとしてブレーク。その後、女優として遅咲きしたが、売れた途端にピン子は、事務所に多額な借金を残して独立。裏切られたオーナーはピン子に約3億5,000万円の“借金返済訴訟”を起こした(その後、和解)。しかし、そのことがきっかけで事務所を経営する気力を失い、そして、そのオーナーが他界したために事務所は解散した。  そのため、牧さんは個人事務所を設立するが、仕事は激減した。そんな時に牧さんが会長を務める東京演芸協会の協会費約650万円の使途不明金が見つかり、協会員から、その行方を追及されたという。というのも、牧さんは一見、優しそうに見えるが、後輩たちの面倒を見なかったことから人望がなかったという。  佐藤事務所のマネジャーだった人物は「昔、牧さんと談志さんがモメた。それから、何年もたってから談志さんに呼ばれたんです。談志さんは『師匠は徳がないからダメなんだ』と言ったんです。皮肉なもんで、弟子のピン子も徳がないんですから」と話してくれた。  復帰後、仕事が激減した牧さんは、後輩らに使途不明金の行方を追及されて誰にも相談できずに悩んでいたという。しかも、最近では若手芸人の芸に「ついていけない」と、こぼしていたともいう。また、生前の牧さんを知るお笑い関係者は「牧さんは以前、水泳が好きだった。その彼が川に身を投げたというのは、覚悟の自殺だと思いますよ」と言う。  牧さんが演芸協会の使途不明金問題に悩み、誰にも相談できずに自殺したとしたら、あまりにも不幸な話だ。享年78歳の牧さんに、あらためて合掌! (文=本多圭)