赤江珠緒アナウンサーが、テレビ朝日系の朝の情報番組『モーニングバード』を9月いっぱいで卒業することがわかった。赤江アナは、前身番組となる『スーパーモーニング』の司会を2003年から断続的に担当していた。当時は大阪の朝日放送(ABC)所属であり、07年4月からフリーとなっている。およそ10年にわたってテレビ朝日の朝の顔であっただけに、突然の降板劇は「テレビ朝日とのトラブル」「羽鳥アナとの不仲説」など多くの臆測を呼んだ。 テレビのレギュラー卒業とともに、気になる点は、『たまむすび』(TBSラジオ)の行方だろう。赤江は12年4月から、平日午後にラジオの帯レギュラーを持っている。午前はテレビ、午後はラジオと、2つの帯番組を掛け持ちしていた。 『たまむすび』は赤江をメインパーソナリティーに据え、日替わりの男性パートナーと掛け合いを見せている。現在のパートナーは、月曜・カンニング竹山、火曜・山里亮太、水曜・博多大吉、木曜・ピエール瀧である。 同番組は赤江ののんびりとした性格が出ていていいという評価がある一方、無難すぎて物足りないという声もある。 「前番組の『小島慶子 キラ☆キラ』は、ズバズバとモノを言う番組でした。男勝りな性格の小島は、リスナーやパートナーから“オジキ”と呼ばれていたほどです。ラジオでは受けるキャラクターですね。番組終了の理由も、局側から新たなリスナー層の獲得を求められたことに対し、小島が違和感を示し、降板を申し入れた形です。小島と赤江では、同じ女子アナが担当する番組でもかなりのギャップがありますね」(業界関係者) それでも、『たまむすび』は、聴取率調査においては、裏番組である『大竹まこと ゴールデンラジオ!』(文化放送)とデッドヒートを繰り広げている。人気番組であるといえるが、頭ひとつ抜け出すことができていない。 「ラジオではテレビ番組の裏話などが出ることも魅力のひとつです。それでも赤江アナの場合、午前中の帯レギュラーの裏ネタを午後のラジオでペラペラとしゃべることはさすがにできなかったでしょう。帯レギュラーがひとつに絞られることで、番組になんらかの変化が生ずることはありそうですね」(同) 『モーニングバード』の卒業理由のひとつには「仕事の幅を広げたい」との理由もあったともいわれる。10月以降の『たまむすび』がどう変わっていくのか気になるところだ。 (文=平田宏利)TBS RADIO『たまむすび』より
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「夫は専業主夫に……」豪パース移住で、フリーアナ・小島慶子が“大橋巨泉化”する!?
元TBSアナウンサーで現在はフリーの小島慶子が、7日発売の女性誌「VERY」(光文社)に連載する自身のエッセーで、今年2月に一家そろってオーストラリアのパースに移住したことを明かしている。 同エッセーによると、夫が長年勤めた会社を辞めたのを機に、海外移住に至ったという。パースはもともと小島の出身地で、かねてから自分の子どもが受験勉強に明け暮れていることを見かねていた彼女にとって、オーストラリアに最適な教育環境があったことも大きかったという。 「移住後は月の約半分を単身帰国して、芸能活動を続けているようです。ちょっと(大橋)巨泉さんのような感じですね(笑)。ただ、巨泉さんは『OKギフトショップ』という土産物店を現地で経営し、芸能以外での収入源を確保しているのに対して、小島は自身の芸能活動による収入しかない。ご主人はオーストラリアで“専業主夫”をしているそうなので、稼ぎ手は彼女だけ。これは結構なプレッシャーだと思いますよ」(芸能ライター) その言葉通り、同エッセーで小島もレギュラー番組や雑誌連載が間もなく終了することに触れながら、自分が一家の大黒柱として家族を養うことへの不安もつづっている。現在、小島のレギュラーは、テレビが『ゴロウ・デラックス』(TBS系)や『ノンストップ!』(フジテレビ系)、『ストライクTV』(テレビ朝日系)など、ラジオは『オールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送)といった具合。 「今後仕事を増やしていくには、女子アナ的なスタンスだけでなく、タレント的な展開が求められるでしょうね。昨年8月に、所属事務所をTBSの子会社キャストプラスからオスカープロモーションに移籍したのも、そうした布石だと思います。小島は、ほかの元女子アナ出身のフリーと違って“引き出し”も多く、番組進行的な役割だけでなくコメンテーターとしても起用できるので、仕事に事欠くことはないでしょう。個人的には、以前やったような水着グラビアみたいな仕事にも期待したい(笑)」(同) まさに前途洋々の移住生活のようだが、「唯一、懸念材料は夫婦関係」と、この芸能ライターは指摘する。 「月の半分は離れて暮らす上に、ご主人は番組制作会社をリタイアして専業主夫。一方、彼女が仕事で接する男性たちは、みんなバリバリ仕事をしているような連中じゃないですか。男性として、ご主人が物足りなくなって不倫に走ってしまう、なんてことは往々にしてありがち」(同) 小島の今後の仕事ぶりに注目だが、男性関係からも目が離せない?『解縛: しんどい親から自由になる』(新潮社)
川島なお美の「シェフ妻会」に見る、本当に面倒くさいのは誰か?
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9月29日に放送された、関西ローカル番組の『お笑いワイドショー マルコポロリ!』(関西テレビ)内で、元TBSアナウンサーでタレントの小島慶子が、視聴者の悩み相談に答え、「ママ友脱出法」を伝授した。 「幼稚園のママ友との定期的な“お食事会”が苦痛でたまらない」という相談者。行きたくないけれど、行かなければ仲間はずれにされてしまい、それはそれで苦痛なため、「上手な断り方」を知りたいという。これに対して小島は、「最初が肝心」だとし、初対面の挨拶の段階で、相手の波長に合わせて愛想良く振る舞うことをせず、おどおどした態度を取り人見知りのようなアピールをすることで、面倒な会に誘われなくなる、とアドバイスした。嫌なママ友のいる会合などは出席する必要はないとし、相談者にも「(そんなグループは)抜けちゃえ」と強気のエールを送る小島だが、彼女のやり方が果たして「上手な断り方」かどうかというのは疑問である。 つづきを読む川島なお美オフィシャルブログ(『なおはん』のほっこり日和)
小島慶子の幻影を振り払う、赤江珠緒の「うっかり道」『たまむすび』

TBS RADIO 『たまむすび』
しゃべりと笑いと音楽があふれる“少数派”メディアの魅力を再発掘! ラジオ好きライターが贈る、必聴ラジオコラム。
どこの世界においても前任者の残したイメージというのは非常に厄介なもので、後を継ぐ人間は、同じ路線を歩くのか、まったく別の路線を切り拓くのか、という厳しい選択を迫られることになる。しかも受け手はわがままなもので、常にその両方を望んでいる。ラジオの世界において、近年もっともそんな厳しい状況からスタートしたのが、『たまむすび』(TBSラジオ 月~金曜13:00~15:30)という番組だろう。
『たまむすび』は2012年4月、『小島慶子 キラ☆キラ』の枠を引き継ぐ形でスタートした。無論まったくの別番組なのだから、「前任者」という言い方はふさわしくないのかもしれない。しかし『たまむすび』開始当初、聴き手が明らかに「小島慶子的なもの」を求めていたという意味では、小島は前任者以上の存在だった。
番組は月~木曜を『モーニングバード!』(テレビ朝日系)でおなじみのフリーアナウンサー赤江珠緒が、金曜をTBSアナウンサーの小林悠がパーソナリティーを務め、曜日ごとに変わるパートナーとの2人体制で進めていく形をとっているが、パートナーのうち月曜担当のビビる大木と木曜担当のピエール瀧は『キラ☆キラ』から引き継いだ形であるため、『たまむすび』は“『キラ☆キラ』の後継番組”というイメージが余計に強くなってしまった。
番組開始直後、いち早く小島の幻影から抜け出したのは、皮肉にも金曜の小林悠×玉袋筋太郎コンビのほうで、「スナックママ×スナックの常連客」という初期設定が意外にも見事にハマり、初回から『キラ☆キラ』とはまったく別のベクトルを打ち出すことに成功した。
一方で月~木曜の赤江のほうは、「何事に対しても小島的な強い自己主張を求められているのに、その期待にうまく応えられない」という状況に陥っていた。実際、赤江のリアクションには、「へぇ~」「ふ~ん」「なるほど」といった相槌の言葉が多く、その先の感想や主張が特に出てこないという場面が続いた。
ただ、ここで改めて考えなければいけないのは、「じゃあ自己主張があればいいのか?」という問題である。そしてその先には、「小島は本当にそんなに最高だったのか?」という問題が横たわっている。そもそも受け手の期待がお門違いだったという可能性だって、充分にあるのではないか?
僕は小島のことを、「普段は厳しいが、時に生徒の趣味に理解を示す生徒指導の先生」のように感じていた。正義感が強くなかなか意見を曲げないが、生徒のバンド活動や休み時間の遊びには意外と寛容で、気が向くと自分も飛び入り参加したりするという、ある種、漫画的な人気教師のキャラクターである。自分が生徒であった頃には面倒な教師だと感じるが、卒業後に思い返すと、叱られたときの理不尽な気持ちも授業中の無闇な緊張感もすべてがいい思い出になり、卒業生が訪ねてくるタイプだ。
確かに、それはもちろん人気者の一つの典型ではあるのだが、同じくTBSラジオでパーソナリティーをしている伊集院光や爆笑問題の太田光、おぎやはぎの小木が公言しているように、小島を苦手だという人も多く、彼女の自己主張は面白いこともあれば、いきすぎて説教臭く感じることも多い。それに対し番組内で「オジキ」という愛称を授けたライムスター宇多丸はさすがの慧眼だが、『キラ☆キラ』とはつまり、「小島という教師が、サブカル畑のパートナーやリスナーという生徒たちを相手に、自分の意見・主張をぶつけていく」という対立構造を原動力としていた。意見の対立は大きな熱を生みだすから、SNS上でも派手に盛り上がりやすいし、逆に厳しい先生が生徒の意見をすんなり受け入れた際には、それはそれで珍しい出来事として価値が上がり話題になる。
もちろん、そういう形を全否定するつもりはない。その代わり、全肯定するつもりもない。「小島が『キラ☆キラ』で作り上げた形は、けっして唯一無二の理想形ではない」ということだ。ラジオの世界はもっと広い。そういう意味で、『たまむすび』の中で赤江は、ようやく自分なりの形を見つけ始めている。
その変化のきっかけとして象徴的なのは、10月から始まった「おばあちゃんのつぶやき!」というコーナーである。南海キャンディーズの山里亮太をパートナーに迎えた火曜日の14時台最初に配置されたこのコーナーは、老婆のナビゲーションで番組レギュラー陣の問題発言やミスをわざわざ紹介して糾弾していくという、正直「内輪ウケ」のコーナーである。
要はNG集のような企画なのだが、この揚げ足取りのようなコーナーが『たまむすび』全体の、さらには赤江というパーソナリティーの魅力を確実に掘り当て、凝縮しているのである。特に赤江の、番組開始当初の集中力が完全にどこかへ飛び去ってしまったかのようなミスや思い違い、いい加減な発言が妙に光り輝いており、早くも「女高田純次」の称号を授かってもいいのではないかというレベルにまで接近している。「ビートルズのメンバーの名前は?」と訊かれて、「ポールとマッカートニー」と回答。読むべき原稿をすっかり見失って「ペラペラペラ」とあちこち探しまわる音のみ長時間響かせる。「『モーニングバード!』で木みたいな服着てたよね」と他番組でのファッションセンスまでもイジり倒される。「天然ボケ」というよりは、単純に「かなりいい加減な人」という印象で、テレビや『たまむすび』開始当初のイメージからは相当な飛距離がある。そしてその隙が、不思議と彼女の人間的魅力につながっている。
赤江は以前、「子どもの頃にセミを取ってパンツに入れていた」というエピソードを披露したことがあって、そこには天然系のポテンシャルが垣間見えたが、確率的にはまぐれ当たりのようなものだった。しかしこのコーナーに触発されたのか、近ごろは安定して「うっかりミス」を供給するようになっており、ユーミンの好きな曲を訊かれて「卒業アルバム」(正解は「卒業写真」)、「ラマーズ法」を「サマーズ法」と言い間違えてみたり、「オリンピックのタイミングでつい巨大な世界地図を買ったが、デカすぎて貼れずリビングに放置」という向こう見ずな行動を告白したりと、完全にパンドラの箱を開けてしまった無双状態になっている。
何よりも人間的魅力が番組の面白さに直結しやすいラジオというメディアにおいて、パーソナリティーがどこまで心の扉を開いていくのか、あるいはリスナーやスタッフの力で開かれていくのかというのは重要なファクターだが、その開き方も、開くタイミングも、人間の一生と同じく千差万別である。もちろん自力でガンガン開いていく小島のようなタイプの人もいるし、一枚も開けずに番組が終了してしまう人もいる。だが、前任者の残したインパクトの大きさを考えると、赤江が開始半年にしてようやく離陸したのは必然ともいえるだろう。赤江珠緒には新しい「昼の顔」となるべく、「うっかり道」を迷わず邁進してほしい。その先にはきっと、小島とはまったく似ても似つかない「向こう側」が見えてくるはずだ。
(文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>)
◆「逆にラジオ」過去記事はこちらから
「ラジオは都落ちだと思ってた」"ラジオの女王"小島慶子、今だから語れるホンネ(後編)

■前編はこちらから
――そこで「局アナとしての役割を演じるのが職責だ」と理解しつつも、疑問を感じていたわけですね。
「"何かを伝えたい"と思ってアナウンサーという職業を選んだはずだったのに、実際にやってみたら全然違ったんですよ。『オマエの考えていること、言いたいことは封印して、言われたことだけを伝えろ』っていう仕事なんだって、入ってから気付きました。これはどうも私が素人頭で考えていた、"何かを伝える"っていうのとは違うぞと。だから結局、テレビでいくらしゃべっても、どんな人が見てくれていて、見た結果なにを思ったのかなんてほとんど分からないわけですよ。ホント、視聴率くらいしか手掛かりがない。そういう「伝わった、伝えたつもり」で、堂々と高いお給料をもらって『私たちは情報の伝え手である』とか言うアナウンサーの立場が気持ち悪かったですね。もちろん、キレイな若いお姉さんがキレイな日本語で、誰からも好かれるようなしゃべり方でモノを伝えるっていう役割はマスメディアにおいて、特にテレビにおいては絶対に必要な役割だと思っているので、局アナが必要ないなんてことはまったく思いませんよ。ただ、それと私のやりたいことは違ったんですよ」
――そのころは「ラジオだったら"何かを伝える"ことができるんじゃないか」とは思っていなかったんですか。
「アナウンサーになってからもラジオは大好きで聴いていましたけど、自分がラジオでしゃべるなんて本当に考えてもいませんでしたね。そもそも、テレビの局アナとして入社したつもりだったので、そのキャリアにおいてラジオに行くのは負けだなって。都落ちだって言われるんじゃないかっていう強迫観念がありました」
――そんな、ラジオが都落ちだと思ってた時にいきなり帯のレギュラーでラジオ番組(『アクセス』)の話が来たわけですよね。
「ラジオは都落ちだと思ってた上に、政治や社会問題を扱う番組なんて無理だよ、私まだ25ちゃいだもん......って思いましたね」
――でも実際にやってみたら、しっくりきたと。
「私が思っていた"何かを伝える"ということをやるためにラジオ番組が、しかも時事問題を扱う番組がふさわしいかどうかは分からなかったけど、信頼していた先輩からのアドバイスもあり、とりあえずやってみることにしました。そのころの私は『局アナっていう機能を果たすことが自分の仕事である』ということが分かれば分かるほど息苦しくなっていたんですけど、『アクセス』の現場では『聴いている人はしゃべり手が局アナだろうがなんだろうが関係がない、ひとりの人間としてどう話すかだけだ』って言ってもらえて、すごく楽になれましたね。こんなことを言ってもらえる現場はなかったんですよ」
――少なくともテレビではなかった。
「逆です、ずっと『局アナらしくやれ』『局アナっぽくしゃべれ』って言われ続けていましたから」
――その後、コンスタントにラジオの仕事を続けてきていますが、『久米宏 ラジオなんですけど』や『小島慶子 キラ☆キラ』など、それぞれ番組のタイプは違いますよね。
「私としては、番組の形態は違っても伝えているテーマは同じなんですけどね。『私はコレがやりたいんです』『コレをやるのにふさわしい場が来るまではやりません』って言っててもしょうがないわけですよ。それだったら、自分に振られた環境の中でやりたいことをやった方がいいじゃないですか」
――結局、小島さんが伝えたい"何か"って何なんですか。
「世の中って死んじゃいたいって思うような悪いことやイヤなことだらけに思えることもあるけど、そうじゃない面もあるんだよ、世の中そんなに捨てたもんじゃないよ......っていうことですね」
――そんなに死んじゃいたいことってあったんですか。
「正直、ありましたよ。中学生の時も、高校、大学でもそう思っていましたし。まあ、他人からしたら『そんなの死にたくなるような苦しみじゃないよ』って思うようなことかもしれないけど、本人にとっては大問題なわけですから。そんなつらい気持ちを持っている人が、ラジオを聴いて思わず笑ったりとか、『いい話あるじゃん』って思ったりして、かつての私がラジオに救われたように『世の中も捨てたものではないなぁ』って思ってもらえたらいいなって。もちろん、そんなことを思ってくれるのは何百万人が聴いてくれて数人とかだと思いますけど、でもそれって数値化できない価値ですよね。どんな番組をやる時でも、そういうことが伝えられたらなって思っています」
――それが時事問題を討論する番組であっても、バカ話をする番組であっても。
「はい。ただ、局アナっていう職責を背負っていると、それが非常に制限されていたんですよ。だから会社を辞めたんです」
――退職を決心した背景には『キラ☆キラ』の評判がすごく良かったというのもあるんじゃいないですか。
「そうかもしれませんね。『キラ☆キラ』では日常の中でのたわいない喜びとか、どうでもいいような失敗談とか、そういう非常にパーソナルな、他人から見たら価値が感じられないような話からも、ドラマや文学と同じように愛とか喜びとか悲しみを伝えられたらいいなと思っているんですが、そういう番組の背骨の部分をいちいち説明しないで、リスナーの方たちからのメールを淡々と読んでいくだけで『私の日常も捨てたもんじゃないなって思いました』とか『世の中って面白いことがあるんですね』っていう反響がとってもとってもいっぱい来たんですよ。ああ、これでよかったんだと。これだったら局アナじゃなくても伝えていけるのかなって思いましたね」
――TBSを辞めた後は「ラジオパーソナリティ」という肩書を名乗っていますよね。それだけラジオに力を入れていきたいということなんでしょうか。
「会社を辞める=アナウンサーを辞めることだと思っていたので、『フリーアナウンサー』っていう肩書というのはあり得なかったわけです。その上で、ラジオが好きだし、仕事に占める割合も多いので『ラジオパーソナリティ』と名乗ることにしただけで、別にラジオ専業を宣言したわけではないですけどね。今の時代、媒体の違いってそこまで意味があるのかなって思っているので。『キラ☆キラ』ではポッドキャストも非常にたくさんの人たちに聴いていただいていますが、それをラジオだって意識せずに聴かれていることも多いと思うんですよ。今はradikoやインターネットのストリーミング放送もやっているので、今まで接していた場所ではどうもしっくりこなかったという人が、ラジオっていう場に触れてもらえればと思っています」
――今回の本『ラジオの魂』も媒体関係なく、という活動の一環ということですかね。
「そうですねぇ。この本は、私がしゃべった内容をライターさんにまとめていただいたんですが、あれだけ支離滅裂にしゃべり散らかしたことを理解してくれて、自分で読んでいても『もしかして、私は10代のころからそんなに変わっていなかったのかな......』とかいろいろ発見がありました。ラジオで小島という人間に興味を持ってくれた人にはもちろん、仕事とやりたいこととの間で悩んでいる人や、子どもを産もうか仕事を続けようか悩んでいるような女性にも読んでもらいたいですね。ラジオ以外の切り口で、そういうことを伝えるのもアリなんじゃないかなと。別にこの本を出したことで『だから私を愛して!』とか『こういう私を理解して!』なんていう年齢は過ぎましたからね!」
(取材・文=北村ヂン/撮影=後藤匡人)
●こじま・けいこ
1972年オーストラリア生まれ。商社に勤務する父のもと幼少期を海外で過ごす。95年TBSにアナウンサーとして入社し、2010年6月に退社。現在はラジオパーソナリティとして、TBSラジオ『小島慶子 キラ☆キラ』のメインパーソナリティをはじめ、多方面で活躍中。
●『小島慶子 キラ☆キラ』
「みんなで世間話を楽しもう!」をキャッチフレーズに、個性豊かなパートナーたちと日替わりのテーマで送るトーク番組。毎週月~金13:00~。
公式サイト
<http://www.tbsradio.jp/kirakira/index.html>
「ラジオは都落ちだと思ってた」"ラジオの女王"小島慶子、今だから語れるホンネ(前編)

今やラジオ界を背負っている人物
と言っても過言ではない小島慶子氏。
TBSラジオお昼の人気番組『小島慶子 キラ☆キラ』。 ビビる大木、神足裕司、宇多丸、ピエール瀧、水道橋博士といったキャラの濃いパートナーたちを相手に一歩も引かないどころか、自由すぎかつ暴走気味なトークでパートナーやリスナーを翻弄しまくり、ラジオ界のみならず各所で評判となっている小島慶子。そんな彼女がラジオへの思いや自分の来歴を語り下ろした本『ラジオの魂』(河出書房新社)についてのインタビューをしようとTBSラジオのスタジオへ伺ったのだが、その会社の中だっつうのにTBSに対する手キビシイ意見がバシバシ飛び出し、聞いているこっちがハラハラしてしまった。
――ラジオを聴いたり、今回の本『ラジオの魂』を読むと「小島さんって変わった人だなぁ......」という印象が強くてですね。こうなった原点、どんな子ども時代を送っていたのかをまず聞きたいんですが。
「父親の仕事の都合で海外にいたこともありましたけど、日本人学校の日本人社会の中で暮らしていましたし、わりとありふれた子どもだったと思いますよ」
――え、ホントですか!?
「まあ、屈託なく人の輪に交ざるのが苦手で身構えてしまったり、転校生に対して通過儀礼的に行われる"いじめ"なんかをサラッとかわすというのができなかったりっていうのはありましたけど。......そういえば、私のことを際立って扱いにくいと思っていた先生もいたみたいですけどねぇ」
――先生に何かやったんですか?
「特に何かやったわけではないですけど、小学校6年生の時の先生が『小島さんは、ものすごく大人びた面と幼稚な面が両極端で中間がないからとても扱いにくい。小島さんのことを考えると胃が痛くなりますよ』って母に言ってたらしいです」
――直接本人には言わないというのがリアルですね。そして、中学生のころからラジオを聴き始めたそうですが、年代的に同級生でラジオを聴いてる人なんてほとんどいなかったんじゃないですか。
「MTV世代ですからね。みんなマドンナのミュージックビデオを見て踊ってる、みたいな時代でしたもん。深夜ラジオがブームだったのは一世代前ですよね。私の場合は姉の影響で『中学生になったらラジカセを買ってラジオを聴きながら勉強するのが格好いい』って思い込んでいたんですけど、学校で『昨日のヤンパラ(『三宅裕司のヤングパラダイス』ニッポン放送)聴いた?』って言っても話が通じるのは数人でした。しかも漫研の子とか、野球選手のおっかけをしている子とか、学校内で地味とかダサイとされている子たちばっかりで......。でも、私は一度もラジオを聴くことが格好悪いなんて思ったことはありませんでしたけどね」
――それだけ中学時代の小島さんにとってはラジオがしっくりきていたと。
「思春期のころって、自分と向き合うのがしんどいじゃないですか。自分自身が『あんまり好きになれないな』と思っている自分と二人っきりになることほど、うっとうしいことってないわけで」
――部屋で一人、無音でいるとどうしても自分と向き合っちゃいますからね。
「『もっとこういう自分だったらいいのに......』とか悶々と考えていると逃げ場がなくなっちゃいますし。そんな時に『こんな面白いことを言って笑わせてくれる人がいる』『同じ番組を愛して同じ時間にラジオの前に座ってる人たちがいっぱいいる』って知れたのは、うれしかったですね。身近にいる家族や友達、先生たちとの関係性が必ずしも快適ではなくて、たまたま今は私の周りにある環境と折り合いが悪いけど、世の中そのものが絶望的なわけじゃなさそうだぞと」
――心を許せる人がどこかにいるだろうと。
「そう思えたのは救いでしたね」
――その当時、自分のどんな点を「好きになれない」と思っていたんですか。
「友達がすごく欲しい、誰かに受け入れてもらいたいと思っているのに、他人との適切な距離の取り方が分からなくて、少しでも近い関係になった人にものすごく期待をしてしまっていたんですよ。それで、ほんのちょっとしたことで裏切られたような気分になったり。そういうのでいちいち傷ついている自分が嫌いでしたね」
――ただ、そんな学生時代を経ていても、TBSのアナウンサーっていう花形の職業に就いたら大成功じゃないですか。そこで野球選手でもつかまえて結婚......みたいな浮かれた生活を送ってもおかしくないのに、小島さんは「局アナとしての職責を全うしなくちゃいけない」「でも自分のやりたいことは......」と、まだ悩んでいたんですよね。
「それは、私が労働組合をやっていたことと、1995年入社だということが影響しているかもしれませんね」
――1995年?
「1995年って、1月に阪神淡路大震災、3月にオウム真理教の地下鉄サリン事件があったんですよ。それで4月にTBSに入社したんですけど、これから自分が出ていこうとしていた社会が、直前になって劇的に変わってしまったわけですね。それまでは、そうそうひどいことなんて起こらないだろうと思っていたのに、そうじゃなかった。ちょっと離れた街では大震災が起こり、自分が生きていかなくちゃいけない街で、誰かが自分を殺そうとしている。これが現実なんだ......って思いながら社会に出たんですね。こんな世の中に住み続けたくはないから、アナウンサーっていう、世の中を変える立場の端くれとして『職業とはなんだ』『職責とはなんだ』っていうのを社会人スタートの段階で考えざるを得なかったわけです」
(後編に続く/取材・文=北村ヂン/撮影=後藤匡人)
●こじま・けいこ
1972年オーストラリア生まれ。商社に勤務する父のもと幼少期を海外で過ごす。95年TBSにアナウンサーとして入社し、2010年6月に退社。現在はラジオパーソナリティとして、TBSラジオ『小島慶子 キラ☆キラ』のメインパーソナリティをはじめ、多方面で活躍中。
●『小島慶子 キラ☆キラ』
「みんなで世間話を楽しもう!」をキャッチフレーズに、個性豊かなパートナーたちと日替わりのテーマで送るトーク番組。毎週月~金13:00~。
公式サイト
<http://www.tbsradio.jp/kirakira/index.html>



