お笑いコンビ・ダイノジの大谷ノブ彦が、お笑い芸人の水道橋博士ともめている。トラブルとなったのは、水道橋博士が編集長を務める有料メールマガジン「水道橋博士のメルマ旬報」の連載をめぐってのこと。 連載執筆陣の1人である大谷は7月30日に自身のTwitterで、同メルマガの連載を2カ月休むとツイート。だが、編集長の水道橋博士は休載について事前に聞いておらず、「相談もなく2ヶ月休載とか勝手に発表される。これは困るというより、もはや付き合いきれないレベルなので、ダイノジ大谷くんとの契約は打ち切ります」とリプライ。さらに博士は、「昔から彼の自己愛と自意識は常に自分の方が『上』なんだよ。それがどれほど失礼なのかは気がつかない。誰に対しても」と、苦言を呈した。 「博士は以前、大谷の著書に帯推薦文を寄せたことがあったのですが、大谷側が博士に無断でそれを改ざんしてしまい、『先輩の帯文を勝手に書き換えるのか!』と憤慨して、大谷との関係を一時期絶っていました。自己愛と自意識ウンヌンという博士の苦言は、こうしたことも指しているのでしょう。その後、メルマガの連載を依頼するまでに関係は復活しましたが、ここにきて2度目の決裂となりました」(お笑いライター) パーソナリティを務めていた『ダイノジ 大谷ノブ彦のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)では、リスナーに自身を“ボス”と呼ばせたり、お笑いナシで洋楽ロックやハロー!プロジェクトなどについて熱く語る大谷には、かねてから「うっとうしい」「面倒くさい」といった評判がつきまとっている。自他ともに認める嫌われキャラだ。 そんな大谷の素顔を、後輩芸人が匿名を条件に明かす。 「大谷さんは、よくも悪くもウラオモテのない人。先輩だろうが後輩だろうが、おかしいと思えば容赦なくかみつくし、逆に自分が間違っていると気づけば、素直に謝ったりします。たいしたことでもないのに、涙を浮かべながら後輩に謝罪しているのを見たことがありますね。そうした一本気なところは誰もが認めているんですが、ちょっと判断基準というか、怒ったり喜んだりするポイントがほかの人とズレている感じで、そういうところが扱いづらいと思われる原因だと思います」(同) 今回のトラブルで、大谷は今月1日になってネット生配信中に博士に電話謝罪を試みるも、博士はロケ中だったようで電話に出ず、結局、カメラに向かって「ほんとにすみませんでした」と頭を下げるにとどまっている。吉本興業公式サイトより
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EXILE事務所のイジメよりひどい!? シゴキ、鉄拳制裁……たけし軍団の“過酷”ぶり
EXILEの所属事務所LDH内のいじめ報道を受け、15日放送の『バラいろダンディ』(TOKYO MX)で浅草キッドの水道橋博士が「たけし軍団に比べれば甘い」とコメントしたことが話題だ。「週刊文春」(文藝春秋)によれば、LDHは新入社員に土下座、丸刈り、大食いなどを強要し、長時間労働も常態化する“超ブラック企業”であるという。たけし軍団は、それ以上に過酷な世界なのだろうか? 「たけし軍団は、ビートたけしの弟子たちで構成されるグループです。弟子の教育の厳しさでは、業界随一といえます。軍団の新人教育係であるダンカンのシゴキや、武闘派として知られるつまみ枝豆の鉄拳制裁などはよく知られていますね」(放送作家) たけしの一番弟子は、そのまんま東こと元宮崎県知事、元衆議院議員の東国原英夫である。そこからグレート義太夫までが、狭義のたけし軍団となる1軍である。その下に、2軍となるたけし軍団セピア、さらに3軍となる浅草キッドブラザーズが続く。3軍メンバーは、たけしが若手時代を過ごしたストリップ劇場である浅草フランス座に送り込まれ、そこで生き残ったのが水道橋博士と相方の玉袋筋太郎。中でも水道橋博士はダンカンに付き、放送作家見習いをする傍ら、さまざまな洗礼を受けている。 「ダンカンが草野球好きのため、先乗りスコアラーをさせられていたようですね。対戦予定のチームの試合に行って記録をつけ、動向を探るというものです。とはいえ、実際は、ただの知らないおじさんの草野球です。そのほかにも、入院した時は枕元にゲイ雑誌を山積みにされたり、家を建てようと土地を買った時には『オウム真理教杉並道場建設予定地』の看板を建てられるなど、ダンカンはやりたい放題だったようです」(同) もちろんこれらのエピソードは、まだ表に出せる笑い話であることには違いない。たけし軍団が、浮世離れした場所であることは確かなようだ。 (文=平田宏利)
“田原伝説”再び――田原総一郎はマイケル・ムーアの師匠だった!?

かつて、東京12チャンネル(現・テレビ東京)のディレクターとして数々の秀逸なドキュメンタリー番組を制作していた田原総一朗。近年、田原がディレクターを務めた番組のフィルムがテレビ東京の倉庫から大量に発掘され、『田原総一朗の遺言』としてBSジャパンで放映。その高いクオリティーは、視聴者の話題をさらい、DVDとなって発売されるまでになっている。いったい、田原ドキュメンタリーの真髄とはなんだったのか? そして現在、田原は自分の作品をどのように見つめているのだろうか? 番組で相方を務める浅草キッド・水道橋博士とともに、そのドキュメンタリー史に残る偉大な仕事を振り返ってもらった。
■山下洋輔を殺そうとした
――まず、かなり年の離れたお2人ですが、水道橋博士が田原さんに興味を持たれたきっかけはなんだったのでしょうか?
水道橋博士(以下、博士) 10年前に雑誌の企画で対談をしたのが初対面でした。ちょうどマイケル・ムーアがアカデミー賞を受賞した頃で、彼が名作ドキュメンタリーとして知られる『ゆきゆきて、神軍』の原一男に影響を受けたと語っていたんです。その原一男が、僕が『やりすぎコージー』(テレビ東京系)の“都市伝説”の中で「日本で最初のAV男優は田原総一朗だった」と紹介した作品の制作現場にいた。つまり、僕の中で「田原さんはマイケル・ムーアの師匠だ」という推論ができたんです。
――田原さんは学生運動から連合赤軍、芸能人やポルノ女優に至るまで、さまざまなテーマや被写体を記録しています。これらのテーマに共通する部分はあるのでしょうか?
田原総一朗(以下、田原) NHKやTBS、日本テレビにはできないものをやろうと思っていたんです。当時、東京12チャンネルは“テレビ番外地”だった。視聴者が12チャンネルまでダイヤルを回さなかったんですね。制作費も他局のほうが圧倒的でした。当時、僕らの番組の制作費の3分の1はフィルム代だったんですが、NHKや他局ではフィルム代は制作費のうちにもカウントされません。僕らは他局の10分の1くらいの制作費で番組を作っていたんですね。クルーも他局がアシスタントを含め6~7人で行動するのに、12チャンネルはカメラマンとディレクターの僕2人だけでした。
――制作費でも注目度でも人員でも及ばないから、他局にはできないようなテーマで挑むしかなかった。
田原 他局にはできないテーマってなんだかわかりますか? 危険なものです。学生運動を取材するときに、僕らは機動隊やデモ隊の後ろではなく、その間に入って撮影していたんです。学生が投げた火炎瓶を足蹴にし、催涙弾で目をやられながら撮影を行っていましたね。
博士 『私は現在を歌う ~藤圭子 6月の風景』で田原さんが追っている藤圭子も、時代状況としてタブーな存在だったんです。当時はナベプロが全盛の時代。インディーズの演歌歌手がチャートのトップを走り続けるなんて、ありえないことだった。しかも、しゃべらない、貧困の中に生まれたという設定がある彼女を、田原さんはカメラの前でしゃべらせた。他局にはできない、芸能界の掟破りをしていたんです。
田原 『バリケードの中のジャズ ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト~』は、山下洋輔が「ピアノを弾きながら死にたい」と言っていたことが始まりでした。彼がピアノを弾きながら死ねる状況を作ろうとしたんです。
――本気で殺そうとしたんですか!?
田原 そう。だから、あの作品は失敗だった。彼が殺されたら、僕は当然逮捕されます。でも、それでいいんです。
博士 田原さんは「塀の上を走るのがドキュメンタリーだ」と定義していますからね。逮捕され刑務所に入ることは覚悟の上で撮影しているんです。ギリギリの人に取材しながら、自らもギリギリの状況に追い込まれていく。田原ドキュメンタリーは、そうやって撮影されていたんです。
■12チャンネルとニコニコ動画の類似点
取材同日に開催されたDVD発売イベントには、歌手の岡村靖幸をはじめ、多くのファンが詰めかけた。20歳の頃からファンだったという日本テレビ土屋敏男プロデューサーも登壇し、テレビ局の垣根を越えた異色の対談に会場は沸いた。しかし、来場者の姿を見ていると、コアなドキュメンタリーファンというよりも、「何か面白いものを求めている若者たち」といういでたちの人々ばかり。いったい、どうして田原作品は時代を越えてその鋭い視線を突き付けられるのだろうか?
――今回DVDとなっている作品は、70年代に撮影されたものです。当時の世相などを理解していないと解読するのが難しい部分もたくさんありますが、そのような知識がなくても、全然古びているという印象を感じさせません。
博士 僕らは、過去の名作ドキュメンタリーの回顧展をやっているつもりはないんです。どれも「この時代だからできたんだよね」という作品ではないんです。いつの時代もドキュメンタリーは偏っているほうが面白いし、正しいんです。
田原 公平や客観性など、そんなものはあり得ない。自分の目で見るんだから、偏っているに決まっています。それを正直に出したんです。
――自分の過去の作品が、どうして今の若い人に響いていると思いますか?
田原 若者は、今の状況に強い危機感を持っています。ところが民主も自民も、何も変えてくれそうにはない。「なんとかしなきゃいけない」という気持ちがあって、こういうドキュメンタリーを見てくれるんじゃないでしょうか。
――確かに、今のテレビには、こういった気骨のある番組は少ないですね。
田原 僕はニコニコ動画に時々出演するんですが、テレビに出せない人間を出せるから面白い。小沢一郎、鈴木宗男、堀江貴文もニコニコ動画で放送しました。鈴木宗男さんは、収監3日前にニコニコ動画で70分も話してくれたんです。
――“テレビ番外地”であった12チャンネルとニコニコ動画は雰囲気が似ているんでしょうか?
田原 そうですね。僕のドキュメンタリーも12チャンネルだからできた。12チャンネルの上層部も、他の局がやらないことをやらないと視聴者が見てくれないということがわかっているので、基本的に賛成してくれていたんです。
――現在、ドキュメンタリーを取り巻く状況は厳しさを増すばかりです。この状況を、どのようにご覧になっていますか?
博士 機材の小型化によって、素人がいくらでもドキュメンタリーを撮れる環境になっています。町山智浩さんが一昨年に行った『松嶋×町山 未公開映画祭』でも紹介されたように、アメリカには、いいドキュメンタリー作品がたくさんあるし、上映する媒体もありますよね。ただ、日本ではいくらいい作品が制作されても、ドキュメンタリーが話題になることも少なく、紹介する媒体も少ないので、継続的に作品を撮り続けられる環境がないんです。
田原 しかし、作り手側の問題もあります。どういうわけか、ドキュメンタリーは被害者ばかりに焦点を当てた暗いものが多い。安易なんです。かわいそうな人を撮って涙を流せば作品っぽくなります。けれども、視聴者は暗いものは見たくない。喜劇のように面白く、問題の核心を突くようなドキュメンタリーをたくさん作ればいい。マイケル・ムーアも原一男も暗くありません。
博士 『スーパーサイズ・ミー』のスパーロックが、アメリカのテレビで『30 Days』というドキュメンタリーをつくっています。30日間最低生活をやってみるという、日本の『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系)のような番組です。ただ、モーガン・スパーロックの番組は、最低生活を行っていくと貧困層に落ちていくという構造を見せ、社会の仕組みが間違っているということにも気づかせてくれます。しかもめちゃくちゃ面白いんですよ。
――田原さんが現在、被写体として追いたい人物はいますか?
田原 天皇をやりたいですね。何度も取材を申し込んでいるけど、いつも断られてしまう。誰もやってないことをやりたいです。
――今年78歳ながら、「誰もやってないことをやりたい」と、田原さんを突き動かすものはなんでしょうか?
田原 好奇心です。ブッシュ、クリントン、ブレア、サッチャーなど、さまざまな世界のリーダーに取材をしましたが、天皇はまだできていないんです。フセイン大統領も取材許可が下りて、やれるギリギリまでいった。けれども、バグダッドに入ったら「フセインに会ったらCIAに爆撃されて命を失う」と言われました。僕は「死んだっていいからやらせろ」と言ったんですが、「あなたじゃなくて、フセインが殺されたら大変だからダメだ」ということで、できなかったんです。
――田原さんは好奇心のためなら死ねると?
田原 もちろん!
(取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]/撮影=尾藤能暢)
“田原伝説”再び――田原総一郎はマイケル・ムーアの師匠だった!?

かつて、東京12チャンネル(現・テレビ東京)のディレクターとして数々の秀逸なドキュメンタリー番組を制作していた田原総一朗。近年、田原がディレクターを務めた番組のフィルムがテレビ東京の倉庫から大量に発掘され、『田原総一朗の遺言』としてBSジャパンで放映。その高いクオリティーは、視聴者の話題をさらい、DVDとなって発売されるまでになっている。いったい、田原ドキュメンタリーの真髄とはなんだったのか? そして現在、田原は自分の作品をどのように見つめているのだろうか? 番組で相方を務める浅草キッド・水道橋博士とともに、そのドキュメンタリー史に残る偉大な仕事を振り返ってもらった。
■山下洋輔を殺そうとした
――まず、かなり年の離れたお2人ですが、水道橋博士が田原さんに興味を持たれたきっかけはなんだったのでしょうか?
水道橋博士(以下、博士) 10年前に雑誌の企画で対談をしたのが初対面でした。ちょうどマイケル・ムーアがアカデミー賞を受賞した頃で、彼が名作ドキュメンタリーとして知られる『ゆきゆきて、神軍』の原一男に影響を受けたと語っていたんです。その原一男が、僕が『やりすぎコージー』(テレビ東京系)の“都市伝説”の中で「日本で最初のAV男優は田原総一朗だった」と紹介した作品の制作現場にいた。つまり、僕の中で「田原さんはマイケル・ムーアの師匠だ」という推論ができたんです。
――田原さんは学生運動から連合赤軍、芸能人やポルノ女優に至るまで、さまざまなテーマや被写体を記録しています。これらのテーマに共通する部分はあるのでしょうか?
田原総一朗(以下、田原) NHKやTBS、日本テレビにはできないものをやろうと思っていたんです。当時、東京12チャンネルは“テレビ番外地”だった。視聴者が12チャンネルまでダイヤルを回さなかったんですね。制作費も他局のほうが圧倒的でした。当時、僕らの番組の制作費の3分の1はフィルム代だったんですが、NHKや他局ではフィルム代は制作費のうちにもカウントされません。僕らは他局の10分の1くらいの制作費で番組を作っていたんですね。クルーも他局がアシスタントを含め6~7人で行動するのに、12チャンネルはカメラマンとディレクターの僕2人だけでした。
――制作費でも注目度でも人員でも及ばないから、他局にはできないようなテーマで挑むしかなかった。
田原 他局にはできないテーマってなんだかわかりますか? 危険なものです。学生運動を取材するときに、僕らは機動隊やデモ隊の後ろではなく、その間に入って撮影していたんです。学生が投げた火炎瓶を足蹴にし、催涙弾で目をやられながら撮影を行っていましたね。
博士 『私は現在を歌う ~藤圭子 6月の風景』で田原さんが追っている藤圭子も、時代状況としてタブーな存在だったんです。当時はナベプロが全盛の時代。インディーズの演歌歌手がチャートのトップを走り続けるなんて、ありえないことだった。しかも、しゃべらない、貧困の中に生まれたという設定がある彼女を、田原さんはカメラの前でしゃべらせた。他局にはできない、芸能界の掟破りをしていたんです。
田原 『バリケードの中のジャズ ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト~』は、山下洋輔が「ピアノを弾きながら死にたい」と言っていたことが始まりでした。彼がピアノを弾きながら死ねる状況を作ろうとしたんです。
――本気で殺そうとしたんですか!?
田原 そう。だから、あの作品は失敗だった。彼が殺されたら、僕は当然逮捕されます。でも、それでいいんです。
博士 田原さんは「塀の上を走るのがドキュメンタリーだ」と定義していますからね。逮捕され刑務所に入ることは覚悟の上で撮影しているんです。ギリギリの人に取材しながら、自らもギリギリの状況に追い込まれていく。田原ドキュメンタリーは、そうやって撮影されていたんです。
■12チャンネルとニコニコ動画の類似点
取材同日に開催されたDVD発売イベントには、歌手の岡村靖幸をはじめ、多くのファンが詰めかけた。20歳の頃からファンだったという日本テレビ土屋敏男プロデューサーも登壇し、テレビ局の垣根を越えた異色の対談に会場は沸いた。しかし、来場者の姿を見ていると、コアなドキュメンタリーファンというよりも、「何か面白いものを求めている若者たち」といういでたちの人々ばかり。いったい、どうして田原作品は時代を越えてその鋭い視線を突き付けられるのだろうか?
――今回DVDとなっている作品は、70年代に撮影されたものです。当時の世相などを理解していないと解読するのが難しい部分もたくさんありますが、そのような知識がなくても、全然古びているという印象を感じさせません。
博士 僕らは、過去の名作ドキュメンタリーの回顧展をやっているつもりはないんです。どれも「この時代だからできたんだよね」という作品ではないんです。いつの時代もドキュメンタリーは偏っているほうが面白いし、正しいんです。
田原 公平や客観性など、そんなものはあり得ない。自分の目で見るんだから、偏っているに決まっています。それを正直に出したんです。
――自分の過去の作品が、どうして今の若い人に響いていると思いますか?
田原 若者は、今の状況に強い危機感を持っています。ところが民主も自民も、何も変えてくれそうにはない。「なんとかしなきゃいけない」という気持ちがあって、こういうドキュメンタリーを見てくれるんじゃないでしょうか。
――確かに、今のテレビには、こういった気骨のある番組は少ないですね。
田原 僕はニコニコ動画に時々出演するんですが、テレビに出せない人間を出せるから面白い。小沢一郎、鈴木宗男、堀江貴文もニコニコ動画で放送しました。鈴木宗男さんは、収監3日前にニコニコ動画で70分も話してくれたんです。
――“テレビ番外地”であった12チャンネルとニコニコ動画は雰囲気が似ているんでしょうか?
田原 そうですね。僕のドキュメンタリーも12チャンネルだからできた。12チャンネルの上層部も、他の局がやらないことをやらないと視聴者が見てくれないということがわかっているので、基本的に賛成してくれていたんです。
――現在、ドキュメンタリーを取り巻く状況は厳しさを増すばかりです。この状況を、どのようにご覧になっていますか?
博士 機材の小型化によって、素人がいくらでもドキュメンタリーを撮れる環境になっています。町山智浩さんが一昨年に行った『松嶋×町山 未公開映画祭』でも紹介されたように、アメリカには、いいドキュメンタリー作品がたくさんあるし、上映する媒体もありますよね。ただ、日本ではいくらいい作品が制作されても、ドキュメンタリーが話題になることも少なく、紹介する媒体も少ないので、継続的に作品を撮り続けられる環境がないんです。
田原 しかし、作り手側の問題もあります。どういうわけか、ドキュメンタリーは被害者ばかりに焦点を当てた暗いものが多い。安易なんです。かわいそうな人を撮って涙を流せば作品っぽくなります。けれども、視聴者は暗いものは見たくない。喜劇のように面白く、問題の核心を突くようなドキュメンタリーをたくさん作ればいい。マイケル・ムーアも原一男も暗くありません。
博士 『スーパーサイズ・ミー』のスパーロックが、アメリカのテレビで『30 Days』というドキュメンタリーをつくっています。30日間最低生活をやってみるという、日本の『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系)のような番組です。ただ、モーガン・スパーロックの番組は、最低生活を行っていくと貧困層に落ちていくという構造を見せ、社会の仕組みが間違っているということにも気づかせてくれます。しかもめちゃくちゃ面白いんですよ。
――田原さんが現在、被写体として追いたい人物はいますか?
田原 天皇をやりたいですね。何度も取材を申し込んでいるけど、いつも断られてしまう。誰もやってないことをやりたいです。
――今年78歳ながら、「誰もやってないことをやりたい」と、田原さんを突き動かすものはなんでしょうか?
田原 好奇心です。ブッシュ、クリントン、ブレア、サッチャーなど、さまざまな世界のリーダーに取材をしましたが、天皇はまだできていないんです。フセイン大統領も取材許可が下りて、やれるギリギリまでいった。けれども、バグダッドに入ったら「フセインに会ったらCIAに爆撃されて命を失う」と言われました。僕は「死んだっていいからやらせろ」と言ったんですが、「あなたじゃなくて、フセインが殺されたら大変だからダメだ」ということで、できなかったんです。
――田原さんは好奇心のためなら死ねると?
田原 もちろん!
(取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]/撮影=尾藤能暢)
"原発擁護"芸能人に強まる風当たり インテリ芸人・水道橋博士はどう動く?

公式ブログ「博士の悪童日記」より
伝説のスキャンダル雑誌「噂の真相」の元デスク神林広恵が、ギョーカイの内部情報を拾い上げ、磨きをかけた秘話&提言。
事故発生から1カ月以上たつにもかかわらず、収束にはほど遠い福島第一原発事故。長引く放射能漏れの事態に、パブリシティー協力など原発推進に手を貸した著名人への批判が巻き起こっている。石原良純、星野仙一、弘兼憲史、茂木健一郎ら。
特に放射能漏れ以降も、「原発擁護」を繰り返していた勝間和代などは、あまりの風当たりの強さからかついに白旗を揚げ「配慮を欠いていた」と謝罪。著名人だけではなく、原発推進派であった原発関連学者たちも、次々と自己批判する事態となっている。
「推進派も、ダダ漏れが続く放射線の恐怖や世間の風当たりに勝てなくなったのでしょう。『安全、安全と言っても、では家族を福島に行かせられるのか?』と言われれば黙るしかないような状況ですからね」(某週刊誌記者)
そんな"原発推進"文化人の中にあって、意外だったのが浅草キッドの水道橋博士だ。水道橋博士は2009年に「アエラ」(朝日新聞出版)で浜岡原発を見学PRしており、さらに東日本大震災直前にも「週刊現代」(講談社)で2週にわたり柏崎刈羽原発で安全をPRするタイアップ記事に登場しているのだ。
「水道橋博士は芸人という枠を超え、サブカルやメディア状況、社会情勢などに造詣が深く、書評・文筆までこなすインテリ芸人としての地位を確立しています。これまでのスタンスからすれば、反原発でもおかしくはない」(前出)
とはいえ、居並ぶインテリどもが率先して安全をPRしていたのだから、今回の事態に対し、何も水道橋博士だけに責任があるというのではない。だが、原発事故後の彼の言動を見ると、どうしても突っ込みたくなるのだ。
公式ブログ「博士の悪童日記」を見ると──。
<(大地震直後)テレビに映る映像に......もはや涙が止まらない。完全に取り乱す。>
そして3月16日。
<原発に関しては異論反論交錯する。情報提供が不十分、したがって客観的情勢判断できない状況。>
<カミさんも子供たちも動揺が続くが、意を決して朝から荷造り。「あまり深刻に考えずに......前倒しの春休みだと思って、日頃会えない、おじいちゃん、おばあちゃん孝行をして欲しい!>
原発事故にオロオロし、家族を西へと疎開させるに至ってしまうのだ。もちろん小さな子どもがいるのだから、こうした判断も当然だ。だが、直前に「原発は大丈夫」と言った自身の言動への自己批判、いや言及さえ一切ないのはいかがなものか。
その後も、
<今日、遡ればどんどん事態が悪くなっているではないか......。モニターの前で何度もため息をついた。>
<帰宅後、ニュースでは、プルトニウム検出の報。やっと漫才も終わり家族は東京に帰ってきたというのに......もちろん僕はずっと東京で仕事だが......子供たちは......。明日、今一度、話しあおうと思う。>
と、オタつく一方、ここには諸悪の根源である東電や原発に対する批判は一切ない。なんだか感傷的な文章である。
「今回おかしかったのは、原発=東電PRに加担して、安全だと言っていた推進派の人々の方が、むしろ放射能を恐れる傾向にあることです。彼らは政府や東電の言う『安全』だという言葉を全く信じていない。もちろん自分たちのこれまでの言動も、ね(笑)」(原発問題に詳しいジャーナリスト)
福島県知事が東電社長に対し「福島に長期滞在していない」と批判したが、同様に推進派こそが放射能におびえるというパラドックス──。原発の当事者や推進派著名人がこうなのだから、一般市民が何を信じていいか分からないのも当然だろう。
まだ遅くはない。水道橋博士には「東電や原発にはコロっとだまされたよ。ギャラもよかったからさ」と表明してほしい。その上でギャラや裏話も暴露し、ギャラの何分の一かを義援金にすればいいと思う。
まだ間に合う!!
(文=神林広恵)


