原発依存症に陥った福島を生んだのは「中央への服従心」だった!?

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著者の開沼博氏。27歳の冷静な視点が光る。
 未曽有の大震災から早くも5カ月近くが過ぎた。ここに来て、首都圏の人々の注目は、津波による被災地よりも福島原発に多くが向けられていると言っていいだろう。自治体独自に放射線量を測ったり、個人でガイガーカウンターを購入し、家の周辺を測ったり、また脱原発デモを行ったりと。  しかし、そもそもなぜ福島県に原発が作られ、周辺住民がどう感じて生きてきたのかということを知らない「都会の人間」は多いのではないか? 福島県いわき市出身の社会学者・開沼博氏は、震災前の2006年から福島原発に興味を抱き、フィールドワークを重ね、内側から原発問題を考察してきた。その集大成が『「フクシマ論」 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)である。今回、福島と原発の関係、そして震災後の世間の動きについて開沼氏に話を聞いた。 ――そもそも福島原発に興味を持ったのはなぜですか? 開沼博氏(以下、開沼) 最初は2006年の夏前くらいに青森県・六ヶ所村核燃料再処理施設に行ったんです。行く前は「今でも根強く施設立地の反対運動が行われ、施設に嫌悪感を抱きながら声をひそめて生活しているじゃないか」というありがちなイメージを持っていた。しかし、実際にそこに住んでいる人に話を聞いてみると「原燃さん(六ヶ所村核燃料再処理施設の事業者)が来てくれたお陰で生活ができている」「1年の内の半分は出稼ぎに出ないといけない土地だったが、施設が来てから1年中家族と一緒にいれるようになった」と言う。福島に行ってみても、特に原発のある4町(双葉町、大熊町、楢葉町、富岡町)では「東京電力(以下、東電)が来てくれたお陰で」という雰囲気がある。そして、それは今も大きくは変わりません。そういう原発を抱える現地のことは東京から見ていたらわかりづらいことであって、その実態に興味を抱き調査をはじめました。 ――開沼さんは福島県いわき市出身ですが、いわき市ではそういう雰囲気は感じられませんでしたか? 開沼 いわき市民が普段、原発を意識することはそれほどなかったですね。原発のある4町の人々も原発があることは知っているけれども、毎日「原発あるなー、怖いなー」と意識するかと言えば、そんなことはなかった。それは東京の人が「東京タワーがあることは知っているけれども、別に改めて昇ることはない」という感覚に近いのかもしれない。福島の4町には40年間にわたって原発があるわけですから、多くの人にとって「生まれた時から記憶の中に自然とある風景」なんです。 ――本書のテーマは「日本の戦後成長と地方」ですが、このテーマに興味を抱いたのは? 開沼 そもそもの学術的な話で言うと、「成長社会が終わったあとは、どういった社会になるのだろう」ということを考えたかった。「ポスト成長社会」と私は呼んでいますが、これまでもそれを「成熟社会」とか「縮小社会」と名づけて捉えようとしたり、もちろん「成長はまだ終わっていないんだ、そうするためにがんばるんだ」という立場もある。でも、こんなことになってしまったのも含めて、どうすればいいのか考えあぐねているのが実情だと思います。このテーマについて、もうひとつ抽象度を上げると「近代」がテーマになります。社会学は「近代社会とは何か」を問う学問だと私は思っています。しかし、その近代社会が曖昧になりつつある。成長が終わるとは、そういうことかもしれないなと。じゃあ今までの理論で捉えられない近代を、どういう視座から捉えていくことが必要なのかと考えたのが、最初の問題意識でした。そこで考えたのが、戦後の成長を、私が理論的な下敷きとしたポストコロニアリズム(ポスト植民地主義)との関係で捉えていくという方法でした。日本の中央と地方との関係にある種の「植民地性」を見ることで新たな社会の描き方ができるのではないかと思ったんです。 ■地元民には、東電に対する「信心」がある ――福島県は只見川電源開発、常磐・郡山の新産業都市などを誘致しています。かつて貧しかった一帯が地域振興策の中で一番魅了的な原発を誘致したのは、貧困を克服するためというのが一番大きかったのでしょうか? 開沼 原発のある地域が取り立てて貧困だったかというと必ずしもそうではないんです。1950年代、60年代の日本はまだ道路もコンクリートになる途中の「途上国」です。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界ですね。その場その場に合った地域開発が日本のあらゆるところで行われていました。たまたま福島県の沿岸地域では、すべての市町村に発電所を置いていくような開発が行われた。発電所は大量の雇用を生みますし、地域開発としては有効でした。そういう流れの中で、たまたま原発が置かれたというのが私の認識です。 ――仮に原子力でなくても良かったということですか? 開沼 原子力でなくても良かったと思います。それが巨大公共事業とか工場などであっても良かったと思います。だから、用地と海水の確保などの条件さえ整えば、どの地域でも福島になる可能性はありました。 ――テレビで見る成長著しい東京と地方ではかなり違ったのでしょうか? 開沼 その当時、日本は豊かであるという幻想ができ始めていました。それはメディアを通して作られていた。ベネディクト・アンダーソンの言葉でいう「想像の共同体」ですね。テレビでは東京オリンピックや『ひょっこりひょうたん島』が流れるのを見ながら、自分たちの想像の中では、日本という国は非常に豊かで、イケイケドンドンであるというイメージがある。にもかかわらず、いざテレビを消して、家の外を眺めてみると、とんでもないクソ田舎であると。当然都会になりたいという欲望が生まれる。そこでスッと差し出されたものが原子力であったんだと思います。 ――本書の中で、そうしたムラと国・中央がaddictional(常用的に、依存的に)な関係になってしまうと指摘されています。addictionalな関係とは具体的にどういうことでしょうか? 開沼 ムラが原発をどんどん欲していくような中毒的な状況を指します。経済的な話が一番わかりやすい。原発は一回置くと、最初はかなりのお金が入るんです。ですが、固定資産税からの税収は年々下がり、一方で金がある時に作った施設のメンテナンス費はかさむ。時間が経つとともに財政的に厳しくなっていきます。減った収入分を埋め合わせるために原発なり関連施設なりをさらに建設してくれということになってしまいます。 ――他の観点だと? monaka.jpg 開沼 本書の中でも触れていますが、一番肝になるのは文化的にもaddictionalになってしまうことです。たとえば、「原子力モナカ」というお土産物が売られていたり、国道沿いに「回転寿しアトム」という寿司屋があったり。東京の人から見れば特異な光景かもしれませんが、地元の人にとっては大きな違和感もなくそれが存在している。それだけ「原子力ブランド」が浸透し、原発と共生する社会が確立していると言える。 ――そうした地域に、原発によって経済的な恩恵を受けている人はどれくらいいるんですか? 開沼 いろんな捉え方がありますが、人口の3分の1から4分の1は原発関連で生計を立てていると思います。その家の人が原発関連で働いていなくても、親戚付き合いや近所付き合いはあるので、なんらかのステークホルダーになってしまう。そう簡単に「原発は危ないから嫌だ」と言える状況ではないんです。原発関連で働くと言っても、今メディアで報じられるように白い服を着てマスクをつけている人だけではなくて、実際にはガードマンの仕事があれば、瓦礫をトラックで運び出す仕事や仕出しの弁当を作る人、原発の中で働く人を相手にした保険外交員もいる。年配の人や技術がない人も含めて原発ではたくさんの人が働いている。 ――ムラと中央がaddictionalな関係になると、ムラが中央に「自動的かつ自発的に服従」するような関係が生まれると分析されていますが?
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開沼 それは何段階かに分けて分析しています。最初の段階では、どうにか自分たちの田舎を都会に近づけるために、他の地域と競い合いながら新幹線や高速道路を持ってくるみたいな形で、中央に対して「自発的な服従」をしていくようになった。それがいつの間にか財政的な問題や文化的な問題でaddictionalになっていき、「自動的かつ自発的な服従」が完成したという風に私は捉えています。ここでのポイントは「服従」が、その言葉から想像しやすいような権力による強引な支配によるどころか、むしろ、服従する側が勝手に権力にひれ伏してしまうという一見奇妙な現象が起こっているということです。 ――こうしたムラと国の服従の関係は日本の他の地域でもみられますか? 開沼 一番理解しやすい例が、財政破綻した夕張市です。かつて賑い日本中に名が通った街が、巨大資本の撤退とともに一気に寂れる。地域と国との間にある種の共依存関係ができている。同じようなことはどこでも起こりえます。 ――そうした服従の中で東電信仰のようなものが果たした役割は? 開沼 それを本書の中では「信心」と呼びました。2000年代の初めに東電で事故や隠蔽事件がありましたが、ある町長さんは「東電を信じて共に歩んでいくことが私たちにとっていいことなんです。それしかありません」と発言している。そして、地元の人も「東電が大丈夫だと言っているから、大丈夫でしょう」と納得してしまっていた。それ故に3.11間際まで原発は維持され続けた。 ――もし福島に原発がなかったら、福島はどうなっていたと思いますか? 開沼 財政状況は現状以上に悪かったでしょう。ただ、原発がなくてもやっていける自治体は他にいくらでもありますから、なにか困ることがあったかというとそれはわからないです。しかし、歴史を振り返れば「原発なき福島」を想像すること自体困難だとも言えます。本書の中でも検討しましたが、明治以来、福島は東京から「ほどよい位置」にあった。明治の初期から水力発電で東京の蒲田まで電気を送ったり、戦中は、石川町でウラン鉱石を採って、日本の原爆開発計画に貢献した。戦後すぐ、只見川電源開発や、映画『フラガール』でも有名になった常磐炭田のように「エネルギーの供給地」として東京の成長を助けていた。東京の成長を常にサポートする役割を日本の近代化の中で福島は担わされてきたんです。 ■デモが起きても「フクシマ」は忘れられる運命!? ――ここからは3.11以降のお話を中心に聞きたいのですが。まず、4月10日には高円寺で脱原発デモが行われ、1万5,000人の人が集まりました。これに対して本書の中では批判的に言及しています。 開沼 いや、やってる方がいるのは全然いいんです。でも私自身は参加する気はない。震災前から労働組合のある党派は、40年間原発反対運動をしてきたわけですね。それが有効な手段ではなかったから原発はなくなっていない。答えは、もう出ています。1万5,000人は確かにすごいと思います。いわゆる「生きづらい若者」にとっては「居場所」として非常に意味があったとは思いますが、脱原発という点では無効だと言わざるを得ない。そして、ただ無効なだけなら放っておけばいいですが、デモ自体がハラスメントにつながりかねないことに無自覚なままになされている故に批判をせざるをえない。「即座に原発をなくせ」ということが、ただでさえ生活が苦しい原発立地地域の人間にとっては仕事を奪われることになる。それがどれだけウザいか。「奇形児を作らせるな」と障がいがある方もデモに参加している中で叫ぶ。新たな抑圧が生まれかねない状況がある以上、手放しでは見過ごせません。 ――1年前、沖縄米軍基地問題では人々はあんなに熱狂していた。にもかかわらず今では誰もそんなことを気にしないままに粛々と問題の処理が進められている、という例を出されていましたが、福島原発もいずれ忘れ去られてしまうのでしょうか? 開沼 それは間違いありません。東電なり経済産業省なり文部科学省の原子力政策を担う部門は、とりあえず福島の原発から放射能物質が出ないように押さえ込みさえすれば、この問題は解決すると思っている。押さえ込んでしまえば、今原発に関心を持つ人も、少なからず、元通りの無関心派になります ――自分たちの生活に直接危害がなくなると関係がなくなってしまう? 開沼 原子力ムラの当事者ではない人の関心は2点に収斂されます。結局、この復旧作業の落とし所はどこなのかということと、出ちゃっている放射能はどんだけ危険なのかということです。その答えがわからないから、イライラしてデモに行ったり、ガイガーカウンターを買って計測したりしている。逆に、その答えがある程度明らかになれば、そこに「日常」が戻ってこざるをえない。もはや原発に関心を持つ理由はなくなっていく。言い方を変えれば、デモを今の規模で続けるためには福島に不幸であり続けてもらう必要がある。これはある面で事実です。「イライラ」をガソリンにして「脱原発」のエンジンを回している。その裏にある「ありものの知識や知識人への信頼の仮託」の構造は、3.11の前も後も何も変わっていません。そして、それは時間の経過の後に形は違えど同じ問題を反復することにつながります。そこから逃れるためには、シンプルに言えば、歴史を見ることであり、東京からは見えにくい現場のリアリティに向き合うことなんじゃないかと思います。 ――いわゆる知識人の発言が右往左往している印象もありますが。 開沼 勝手に右往左往するだけならいい。ただ、必死に逃げてよくわからない言い訳をしたり、よくわからないにもかかわらず、とりあえずヒステリックに脱原発派を煽ったりすることは混乱を増長させるだけ。知らないなら知らないでいい。怖いなら怖いでいい。あとは黙ってればいい。今回の原発を受けての知識人たちの行動、インテリと呼ばれる層にいる人間たちの短絡的な行動が、結果的に一般の人たちの不安をますます煽っているだけなのだとすれば残念です。 ――そういう中で自然エネルギーの話も出ていますが。 開沼 自然エネルギーは悪いと思いません。また、原発の是非の立場を問われた時に「長期的には脱原発に向かうのがいいと思う立場です」と答えておくのが現状のベストアンサーです。どっから弾が飛んできても怪我をしません。でも、少なくとも原発周辺に住む人々にとっては、今食っていけるか否かが重要。今、あるいはこの先に自分たちの生活を支えるものでないなら、どうでもいい。「外野からどうこう語る知識人」ほどの理想主義的な幻想は持っていない。現実を見ている。当然のことです。そして、もとから原発で働いていた人にとっては、得体の知れない幻想に乗り換えろと騒ぎ立てられるより、淡々と原発を動かしてほしいというのがとりあえずの本音。「自然エネルギーを導入すれば新たに雇用が生まれる『はず』です」と言う「善意」ある言葉を投げかけた時に「そんな不確定のことのために人生をかけられません」「それまでどうやって食っていけばいいんですか、生活費あなたが払ってくれるんですか」という問いは当然返ってくる。 ――今後、原発について考えていかなければならないことは何でしょうか? 開沼 まず第一に、成長のために地方を踏み台にしてきたことを認識しなければなりません。本書の中で「2つの原子力ムラモデル」を提示しました。つまり一方には、電力会社や政府を中心とした「原発を置きたい側」=中央のムラ、もう一つは、「原発を置かれたい側」=地方の側の原子力ムラがある。政府叩き・東電叩きをしてカタルシスを得ることに終始するのは無意味。この、私たちが無意識のうちに踏み台にしてきた「2つの原子力ムラ」を変えて行く必要があることを認識しなければなりません。 ――最後にこの本をどんな人に読んでほしいか。また、まだ読んでいない人へ一言お願いします。 開沼 何か原発について声を大にして主張したがる人に読んでいただければと思います。主張するなと言っているのではありません。その気持ちが圧倒的な「善意」に基づくという自覚があったとしても、実は知らぬ間に暴力や抑圧に転化してしまっていることを受け止めなければならない。一言で言うならば、「まず原子力ムラを肯定せよ」ということです。私たちは、原子力ムラの上に乗っかってきたし、黙認しながら生活をしてきた。必死に何かを叩きのめしたい気持ちはよくわかります。ただ、間違いなく、その叩きのめしたいものは、昨日の自分自身の顔そのものです。これまでは改めて鏡に映して意識することはなかったかもしれないけれども、事実としてこういう顔をしていたんだということをまず受け止めなければならない。日本の近代、あるいは戦後成長が無意識的に乗っかってきた基盤がそこにある。不安・不満解消のためのセンセーショナルな反応はすでに一巡しつつある。その先にあるのは愚かな反復でしかない。原子力ムラを一度受け入れる、つまり、それによって成り立ってきた「原発がある幸せ」を無意識的にせよ選択してきてしまっていた、今もいる、ということを改めて捉えなおす必要がある。その後に初めて「原発なき幸せ」についての議論が始められます。  * * *  福島原発関連の本は数多く出版されているが、内側から迫った本は少ないのではないだろうか。福島原発に対する新たな視点を与えてくれることは間違いない。 (文=本多カツヒロ) ●かいぬま・ひろし 1984年福島県いわき市生まれ。2009年東京大学文学部卒。2011年東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。
「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか なぜ? amazon_associate_logo.jpg
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「私たちはどこへ向かうべきなのか」写真家・広川泰士氏が語る"日本の風景"としての原発 

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美浜原子力発電所(福井県/『STILL CRAZY』より、以下同)
 今月26日から、東中野にあるspace&cafe「ポレポレ坐」にて写真展『STILL CRAZY  Nuclear power plants as seen in Japanese landscapes』 が開催される。これは写真家の広川泰士氏が1994年に発表した、日本全国の原子力発電所53基を撮影した同タイトルの写真集の一部を、再度展示するというもの。モノクロの写真からは無機質な、死んだような静けさがじわじわと漂ってくる。そんな原発を"日本の風景"としてカメラに収めた広川氏だが、一体その意図はどこにあったのだろうか。また、今回の福島第一原発事故を受け、どのような思いを抱いているのか、広川氏に話を聞いた。 ――広川さんは広告写真やテレビコマーシャルなどでご活躍される一方、世界中の美しい自然の姿を撮影されていますが、そういった中で、この『STILL CRAZY』はとても異質な気がします。そもそもなぜ、原発の写真を撮ろうと思われたのですか?
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福島第一原子力発電所(福島県)
広川泰士氏(以下、広川) 僕は1950年生まれなんですが、子どものころから「原子力平和利用」だとか「希望の光が灯った」とか、さんざんそういうプロパガンダを聞かされて育ったんです。でも、大人になるにつれて、原子炉を廃炉にするにもどうやって解体すればいいか分からないし、増え続ける核廃棄物をどう処理するのかも分からない。そんな状況で見切り発車してしまった国の原子力政策に、疑問を感じるようになったんです。果たして、人間が取り扱うことができるものなのかどうかと。原子力発電所というものを見たこともなかったので、それで日本の中でどのような佇まいでいるのか実物を見てみたいと思ったんです。それに、原発に対しては当時からいろんな議論があったんですが、それ以前に、まずは見ることから始めたらいいんじゃないかという思いもあって。そんな折、「アサヒカメラ」(朝日新聞出版)で10ページに渡る原発写真の特集をやることになり、1991~93年にかけて撮影しました。 ――広川さんとしては、原子力政策に対して声高に異議申し立てをしようと思っていたわけではなく、中立的な立場で、日本の一つの風景として発表したかったそうですが。
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高速増殖原型炉もんじゅ(福井県)
広川 僕の制作活動の中で風景というのはすごく重要な位置を占めているので、抵抗なくというか、自然な流れだったんですね。我々は原子力発電所に囲まれて生きているんだし、そこで発電される電気の恩恵にあずかっているっていうのは紛れもない事実だった。その上で、ここからどうするのかということを、個々が考えればいいんじゃないかと思っていたんです。無関心な人はそれまでだし、おかしいと思う人はそこからまた考えて何か始めればいいんじゃないかと。 ――53基の原子炉はすべて許可を取って撮影されたそうですが、実際に間近で見てみて、どのような印象を受けましたか? 広川 建屋の中には入らないという条件で敷地内に入れてもらったんですが、やっぱり、異様な大きさなんですよね。森の奥の方にある広大な敷地に立っているんですが、車なんかと比べるとやっぱり圧倒的でした。それぞれの発電所の関係者が案内してくれるんですが、必ず「安全だ、安全だ」と口をそろえて言うんですよ。でも、言われれば言われるほど、安全じゃないんだろうなと内心では思っていました。「コンクリートの壁が6~8メートルあるから大丈夫です」とか力説するんですが、そこまでしないとダメだということはよっぽど危険なものを取り扱っているということですからね。
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柏崎刈羽原子力発電所(新潟県)
 発電所の近くにはたいてい、渋谷にあった電力館のように、電気がどうやってできるのかとか、レントゲンを撮ったり飛行機に乗るとこれだけ被曝するけど安全ですとか、原子力の安全性をPRする施設があるんです。撮影を始めた当初は僕も知識がなかったので、原子力で発電するっていうのは、魔法みたいに核融合の科学反応で自然に電気ができるのかと思っていたんです。でも実際は、核分裂反応でできた熱でお湯を沸かし、その蒸気でタービンを回して発電する。これって火力発電や水力発電と構造自体は同じなのに、その元となる部分で原子力はすごく複雑なことをして危険なものを閉じ込め、お金も時間もかけて、それで蒸気なのか......と拍子抜けしましたね。 ――この『STILL CRAZY』というタイトルですが、"反原発"的というか、すごく政治的な意味合いが強い気がします。ご本人としては、どういう意図で付けられたんですか? 広川 そのようにも取れますが、実はこれ、ポール・サイモンの「Still Crazy After All These Years」というラブソングから取ったんです。だから「まだゾッコンなんだぜ」という皮肉めいた意味もある。僕はみんなもっと、原発に対して危機意識を持っているんじゃないかと思っていたんですが、発表した当時、大多数の人は無関心でした。それが僕にとっては驚きだった。当時から日本の原発依存度はすごく高かったけれど、ずっと「安全だ、安全だ」と言われていたから、本気で危険だと思っていた人はほとんどいなかったんでしょうね。
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泊原子力発電所(北海道)
――日本では「静かで不気味な写真だ」という意見が多かったそうですが、海外の反応はどうだったんですか? 広川 こういうタイトルだったということもあって、面白がってくれましたね。プリンストン大学の美術館やサンフランシスコにある近代美術館がコレクションしてくれたり、昨年はドイツのステュットガルトで行われた反原発のアートフェスに招待されて写真を展示したんですが、海外の方が評価してくれる人がいるんだなという手ごたえはありました。 ――今回の原発事故を受け、率直にどう思われましたか?  広川 結局、人間が手にするべきではないものをいじってしまったのではないか、という気がするんです。原発は立地にも建設にも時間とお金がかかる。過疎の風光明媚なところに造るということは道路もないので、まずは工事車両が通れるように大きな道路を造るところからはじめなければならない。トンネルを造ったり、海を埋め立てたり、一大開発ですよね。建設地の村にもお金をおとして、反対派を排除して、やっと完成する。でも、それだけのことをやって耐久年数はたった40年なんですよ。さらに今はもう新しいのが造れないからといって、それを60年に延ばそうとかいっていた矢先に今回の事故が起こった。たかだか40年しか動かないのに、わざわざそんな大掛かりなことをやるっていうのは、すごく不自然ですよね。何を言ってるんだ、って話ですよ。それに核廃棄物の半減期は何万年もする。効率が悪すぎますよね。原子力は安いとかなんとかいろいろごまかして推進しようとする人がいますが、どう考えてもおかしいですよ。
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浜岡原子力発電所(静岡県)
 一方で、原発の担当者と話していると、"自分の人生は原発とともにあった"みたいな人がいるんですよ。まず土地を収用するところからはじまって、村の人と馴染むためにお祭りに加わったり、住み着くくらいの勢いでその事業に打ち込む。それで原発が完成すれば、やっぱり感無量なんですよね、やっとできたって。村は村で、年寄りしかいないところに立派な体育館や立派な施設ができても利用する人がいない。だけど雇用が生まれる。もともと出稼ぎくらいしか収入源がなかった場所に、今の若い人たちは生まれたときから原発があるわけで、そこで働くのが憧れみたいになっている。お金にもなるし、そういう循環ができてしまっているわけだから、危ないから今すぐ全部の原発を停めろ、みたいなことは一概には言えない状態になってしまっていますよね。 ――そういうシステムができてしまっている以上、そこから組み替えていって、徐々に徐々になくしていく方向にするしかない、と。そういうお気持ちは当時からあったんですか? 広川 いえ、最近ですね。もう、シロかクロかでは決められない社会状況になってしまった。でも、だからといって前に進まないと何も変っていかないから、改善する方向でいま歩きださないといけないですよね。今現在、ものすごい犠牲を生んでいるわけだし、この事故を契機に考え方を一新しなければならないと思います。僕らの世代やもっと上の世代というのは便利な生活と引き換えに原発を容認してきたわけだから、すごく責任がありますよね。 ――その写真集の発表から17年が経ったわけですが、今回の写真展はどういう経緯で開催が決まったんですか。 広川 3月下旬に有楽町の外国人特派員クラブで写真展をやる予定があったんですが、その準備の最中、震災が起こったんです。もともとは別のプログラムを展示する予定でしたが、今これを見せるべきだと思って『STILL CRAZY』を展示したんです。その時に「一般の人にも公開するべきじゃないか」という意見をいろんな方からいただいて、僕自身ももっといろんな人に見てほしいという気持ちになったんです。ポレポレの本橋成一さんとは以前から面識があって、何かやらないかというお話をいただいていたので、とんとん拍子に話が進みました。 ――どういった人に見に来てほしいですか? 広川 老若男女、ありとあらゆる人ですね。日本で暮らしている以上、これはもう他人ごとではないですからね。 (取材・文=編集部) hirokawsan.jpg ●ひろかわ・たいし 1950年神奈川県生まれ。74年よりフォトグラファーとして活動開始。東京工芸大学芸術学部教授。広告写真、テレビコマーシャルなどで活躍する一方、ザルツブルグ、パリ、ミラノ、アムステルダム、ロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルス、ヒューストン、シドニー、東京他、世界各都市での個展、美術展への招待出展多数。講談社出版文化賞、ニューヨークADC賞、文部科学大臣賞、経済産業大臣賞、日本写真協会賞、日本映画テレビ技術協会撮影技術賞、A.C.C.ゴールド賞、A.C.C.ベスト撮影賞、他受賞。プリンストン大学美術館、ロサンゼルスカウンティ美術館、サンフランシスコ近代美術館、フランス国立図書館、神戸ファッション美術館、東京都写真美術館、他に作品がコレクションされている。 <http://hirokawa810.com/●写真展『STILL CRAZY Nuclear power plants as seen in Japanese landscapes』 会期:7月26日(火)~8月11日(木)月曜休・入場無料 会場:space&cafe「ポレポレ坐」<http://za.polepoletimes.jp/> 開催時間:火~土 11:30-21:00/日 11:30-18:00(最終日は20:00まで) ・会期中トークショー 日時:7月30日(土)19:00開場/19:30開演 ゲスト:佐伯剛(雑誌「風の旅人」編集長) 8月5日(金)19:00開場/19:30開演 ゲスト:村越としや(写真家)、木橋成一(写真家・映画監督) 料金:予約2,000円/当日2,500円(ワンドリンク付き) ●広川泰士と子供たちの写真展「家族・写真」 会期:7月29日(金)~9月5日(月) 会場:青山ブックセンター本店内・ギャラリー 開催時間: 10:00~22:00(最終日は19:00まで) 問い合わせ:03-5485-5511(青山ブックセンター本店) 広川氏が被災地の相馬市の避難所を訪ね、避難所に暮らす家族を撮影したポートレート作品と被災地の子どもたちにフジフィルムのインスタントカメラ「写ルンです」を渡して撮ってもらったスナップ写真を同時に展示。 <http://www.aoyamabc.co.jp/event/bookfes2011-hirokawa-morimoto/> ・会期中トークショー 広川泰士(写真家)×森本千絵(アートディレクター) 日時:2011年8月9日(火)19:30~21:30(開場19:00~) 会場:青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山 料金:1,200円
STILL CRAZY これが日本の姿。 amazon_associate_logo.jpg
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【サッカー女子W杯】「とても恵まれていた」元東電の2選手が"なでしこジャパン"で奮闘中

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優勝候補の筆頭だった開催国ドイツを沈めたのは、
"元東電"丸山の一発だった。
 ドイツで行われているサッカー女子ワールドカップで初のベスト4入りを果たした"なでしこジャパン"(女子日本代表)。そのチームで、東日本大震災に伴う福島第一原発の事故を受け活動を休止した東京電力女子サッカー部に所属していた2人の選手が奮闘している。  絶対不利が予想された開催国ドイツとの準々決勝。延長にまでもつれた一戦を決するゴールを沈めたのは、後半開始から途中出場したスーパーサブのFW丸山桂里奈だった。 「タイミングよく、いいボールがきた。あそこしか空いてなかったし、(右足を)思い切り振り抜こうと思った」  角度はなかったが、キャプテン澤穂希からのキラーパスを見事ゴールネットに突き刺した。  28歳の丸山は2005年に東京電力に入社し、福島を拠点とする東京電力女子サッカー部「マリーゼ」で09年までプレー。「東京電力の社員として午前中は仕事に専念し、午後2時間ぐらい練習する感じでした」(丸山)。その後は、米国女子リーグに挑戦し、昨年9月にジェフユナイテッド市原・千葉レディースに移籍。今年5月、08年北京五輪以来久しぶりの代表復帰を果たした。  マリーゼの本拠、Jヴィレッジ(福島県楢葉町)は、日本サッカー協会が東電からの130億円の助成金(福島県内に原子力発電所を含む多くの施設を所有していた東京電力が、地元への貢献として地域振興施設として寄贈した)で97年に作った国内最大のナショナルトレーニングセンターで、「練習環境や経済面などは、女子リーグの中ではとても恵まれていた」(丸山)という。  ドイツ戦当日、スタジアムへ向かう前にホテルで行われた日本代表の全体ミーティングでは、東日本大震災の被災地の映像を見て、それをエネルギーに変えたという。 「みんな泣いて、私も号泣してしまった。日本が本当に苦しい中、サッカー選手として一生懸命頑張っている姿を見せるしかない」(丸山)  原発事故発生後には、自身のブログでの発言がきっかけでブログが炎上してしまったこともあったが、震災で苦しむかつての同僚や知人、被災地で今も不十分な暮らしを強いられている人たちへの想いをプレーで表現。強豪ドイツを相手に奪った決勝弾は地元紙で「天才的」と称賛されたが、それは懸命のプレーから生まれた「気持ち」で奪った1点だった。  そしてもう一人が、左サイドバックとして全4試合にフル出場している鮫島彩。06年からマリーゼでプレーしていたものの、東電の活動休止を受け、W杯直前に米国ボストン・ブレイカーズへの移籍が決まったばかり。 「大会前に移籍先が決まって個人的には落ち着いた感じでW杯に参加できていますが、まだサッカーができてない子(元マリーゼのチームメート)もいるので、その子たちへの感謝、責任を持って戦いたい」と必死のプレーで最終ラインからチームを支えている。  なでしこジャパン快進撃の裏にある元東電2人の奮闘。彼女たちは、与えられた責務をしっかりとこなしている。 (文=栗原正夫)
ほまれ ラモっさんにチューしてもらえるかな♪ amazon_associate_logo.jpg
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「反省も謝罪も誠意も一切ナシ!?」株主総会で露呈した東京電力の無責任で傲慢な正体

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エントランスには多くの私服警官の姿。
 去る6月28日、東京電力の第87回定時株主総会が、東京・港区にあるザ・プリンス・パークタワー東京で行われた。福島第一原発の事故などから、以前から注目を集めていた総会である。  当日、現地を訪れるといきなりその異様さを痛感させられた。地下鉄の出口から会場までの道に、幾人もの警察官の姿があったからである。当の総会の警備であることは明らかだった。    通常、株主総会の警備に警察官が動員されることは極めて稀である。かつて、総会屋が盛んに活動していた時期には、総会会場付近に警官が配備されることはあった。また、企業が何らかのトラブルを抱えており、それによって重大な混乱が生じる恐れがあるときなどに、警官が警備に当たるケースはいくつか起きている。しかし、そうしたケースでもせいぜい数名から多くても30名程度の警官が配置される程度であった。  しかし、今回の警官動員は異例であった。道路だけでなく、ザ・プリンス・パークタワー東京の周囲、施設内に至る入口という入口をことごとく警官がガードしている。まさに厳戒態勢と呼んでもおかしくないレベルだ。警官の数も、筆者が目視で数えたところ、制服と私服合わせて100人はいたと思われる。
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至るところに警官の姿が。
 さらに、現場には総会に参加する株主で長蛇の列ができていた。定刻の10時になっても、まだ会場には入りきらなかった。結局、ほぼすべての入場し終えたのは10時38分ごろだった。  現場にいた東電の職員や後に出席した株主などに聞いたところ、受付では出席する株主に対する持ち物検査が行われた。その内容は「バッグの中を見せて下さい」という程度の簡単なものだったが、こうした例は株主総会ではむしろ少ない。さらに、カメラや録音機器の持ち込みは禁止され、持参していた場合には「受付でお預かりさせていただきます」(東電職員)とのことだった。  しかし、総会会場にカメラやボイスレコーダーを持ち込むことを禁止している総会はそれほど多くはない。もちろん、違法でもない。  11時現在で、出席株主数は「8,657名」(東電職員)。その後も、遅れて何人もの株主が到着した。  会場外ではマスコミ各社と警官隊が待機。脱原発推進団体のメンバーらがアピール活動などを行ったが、とくに大きな混乱はなかった。途中、12時43分ごろから株主として会場に入っていた、脱原発を進める「eシフト」の氏家雅仁氏が路上で状況を報告。「東電経営陣が誠実に答えているとは思えない」などと述べた。会場は質疑応答などで紛糾しているものと思われた。  退席した株主などからの話によると、会場は5つに分けられ、メイン会場には東電役員が壇上に並ぶという、総会で定番の形式。他の会場では議事等の様子をモニターで眺めるしかなかった。発言する場合には、他の会場のいる株主はわざわざメイン会場まで移動しなくてはならなかった。  さて、株主からの原子力発電からの撤退を提案した、問題の「3号議案」の審議に入ったことが分かったのは、15時を過ぎたころだった。その後、16時を過ぎたあたりで、閉会そして散会となったことが外にいたマスコミなどに伝えられた。  退出してきた株主から聞かれたのは、東電に対する失望や不信の声だった。  総会は、議長を務めた勝俣恒久会長がほぼすべて仕切る形で進められたという。議事の中心はメイン会場で、しかも「半分以上の席が東電関係者で占められていた」(42歳男性)という。
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ホテル前では抗議活動も。
 株主総会で席の前列の何列かが社員株主で埋められているケースは通例となっている。しかし、今回の東電の総会では、相当な数の動員がかけられた可能性が高いことは、多くの出席株主からの証言で推測できる。  そうした動員株主による「異議なし!」「議事進行!」の声が飛び交うのも、多くの総会でみられることだ。  だが、今回はかなり強引なケースもあったらしい。ある男性は野次を飛ばしたところ、その動員株主と思しき者から「黙れ!」などと怒鳴られて外に連れ出され、人けのない場所に連れて行かれそうになったという。「ヤクザの総会屋みたいだった」と男性は言うが、その手の総会屋が現在も活動しているという話は、絶えて聞かない。むしろ、そうした特殊株主が活動していたのであれば、対処用に動員された警察が動くはずである。しかし、そうした気配はまったくなかった。  また、多くの株主があきれたのは、勝俣会長ら東電の傲慢で不誠実な態度だった。  今回の総会では、事前に東電側が複数の大株主から委任状を受け取っており、それによって東電の思惑通りの結果になるという仕組みだった。そのことを、勝俣会長は列席の株主たちにこんなふうに告げたという。 「あなたたちが何を言っても、委任状ですでに過半数を取っているんです。何をやっても無駄です」  そして、3号議案はあっさりと否決された。挙手できたのはメイン会場だけで、ほかの会場の株主は「黙ってモニターを眺めているしかなかった」という。しかも、多くの株主が「明らかに賛成の挙手が多かった」にもかかわらず、議長の勝俣氏は即座に「反対多数とみなし......」と宣言した。これも、「委任状」によるもので、挙手の必要など最初からなかったのである。形式的に行っただけであった。  こうした東電の態度に多くの株主が、「誠意がまったく感じられない」(69歳男性・千葉)「まったくの茶番。あんな株主総会ならやる必要なんて無いよ」(70代男性)「株主を完全にバカにしていますよ」(66歳女性・大田区)などの声が多く聞かれたが、怒りというよりもあきれたという感じの株主が少なくなかった。  また、テレビや新聞では「反対多数により否決」などという表現で報道されたが、これではあたかも反対挙手が圧倒的に多かったように感じられるのではなかろうか。しかし、「反対票の大部分は委任状によるもの」と説明する報道はほとんど見かけない。  他にも、「今回の福島の事故について、役員一人一人は責任をどう考えているのか」という質問がなされたが、これも勝俣氏がまとめて形だけの回答をするのみで、各々の役員が発言することはなかった。また、「役員は私財をなげうって事故被害者の救済に当てるべきではないのか」という質問には、「(私財は)プライベートな問題なので答えられない」と回答。さらに、原子力事業についても、「私たちは国の政策にしたがって進めただけのこと」「原子力委員会の言う通りに事業を行っただけ」などと、まるで当事者ではないかのような発言を連発。株主からは「まるで他人事みたい」「自分たちが被害者のような言い方だった」との声が続いた。  国内だけでなく世界中が注目する株主総会で、なぜ東電はこれほど誠意や反省が感じられない、無責任ともとれる発言を繰り返したのか。ここに、東電というものの「体質」がうかがえるように筆者には感じられた。 (文=橋本玉泉)
東電帝国―その失敗の本質 情けないよ。 amazon_associate_logo.jpg
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「原発周辺は宝の山?」商機を求めて"放射線を吸収する菌"に群がる東電関係者たち

 東京電力とも密接な関係にある原子力関連組織の有志研究チームが「放射線を吸収する菌」の本格研究に乗り出したことが分かった。  この菌は3年ほど前、チェルノブイリ原発事故での放射線研究の一環で発見されたもので、原子炉の壁から採取されたところ、放射線を吸収して成長していることが判明。「まるで"放射線を食べる菌"だ」と世界的な話題となっていた。  これを日本でも研究に乗り出すというわけだが、福島の原発事故にも何か有益な部分があるというのだろうか。 「現時点では答えはノーです」  あっさり否定したのは研究チームの関係者だ。 「吸収するといっても放射線を減らす力を持っているわけではないので、直接的な放射線対策にはなりません。ただ、いろいろな点で応用ができるので、いずれにせよ放射能関係で役立つ可能性を秘めています。詳しくは語れませんが、我々の着眼した研究には多額の出資をするというベンチャー企業も名乗りを上げてくれています」  放射能に関連するベンチャービジネスは日々、盛んになりつつあるが、この関係者は先日、タンザニアで放射性物質を吸着させる菌が見つかったことも言及した。  これは先月、金沢大学名誉教授、田崎和江氏が発見したもので、同関係者によると「こちらの方はうまく活用すれば放射性物質の拡散を防げる可能性を秘めている」という。こちらも既に世界各国の企業から研究への出資申し出があるという。 「そういう状況なので正直、福島の原発事故後、放射線が広がった地域は宝の山に見えてしまいます。土壌中の微生物を調べようと多くの研究者が出入りして、まるで金脈を探すような感じになっているんです」(同関係者)  こうしたビジネス欲で結果的に放射能汚染の問題解決が前進するのなら歓迎だが、一方で不快感を示す声もある。  クリーンエネルギー開発を推進する都内団体の関係者は「東京電力と近い連中がこの機会に放射能ビジネスを模索するのはおかしい」と指摘する。 「東電は社内でベンチャー起業制度を持っていて、社員による新事業を支援する仕組みになっているので、今回の原発事故に関連したビジネスチャンス探しも活発化しているんです。自分たちが起こしたトラブルなのに、その被害を金もうけに利用するのは許されない。大資本の東電が出てくると他の中小企業は対抗できず飲み込まれてしまい、研究の妨げになってしまう。結局は、この分野が原子力発電と同じようにまた東電に独占されてしまいますよ」(同関係者)  原発事故は「国と学者と東京電力の拝金主義による人災」という声もあるが、この期に及んでも金もうけのことしか頭にないのなら鬼畜にも程があるだろう。 (文=鈴木雅久)
もやしもん(10) 菌ってすごいのね。 amazon_associate_logo.jpg
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「ここまで露骨に癒着していたとは」東電・ゼネコン・仙谷由人氏が夜の銀座で……

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『陰の総理・仙谷由人vs.小沢一郎』
(徳間書店)
 いまだ解決の見通しが立たない、東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故。そんな中、銀座のクラブ関係者から東電幹部と、ゼネコンや政治家との"不適切な関係"が漏れ伝わってきている。  特に、東電と準ゼネコン・水谷建設とのそれは顕著だ。水谷建設といえば「政商」として有名で、5年前には脱税で元会長が逮捕されている。その脱税で作った裏ガネが、政界や裏社会に流れたのではないかとささやかれている。  この脱税事件の元となったのが、福島第二原発の残土処理事業。この事業は東電から前田建設工業が受注し、その下請けとして水谷建設が行っていた。水谷建設が孫請け業者に業務を発注した時に、所得隠しが行われたとされている。この事件をめぐっては、東電からの発注金額が不適正だったのではないかと、東電の元会長が特捜部の事情聴取を受けていた。つまり当局は、東電が発注額を上乗せし、その過剰資金を使って、水谷建設に政界や裏社会に対して裏工作をさせていたとにらんだのだ。  結果的に、政界や裏社会に捜査のメスが入ることはなかったが、東電と水谷建設の蜜月ぶりは明らかになった。銀座のクラブ関係者は「脱税事件が起こる前までは、東電の幹部連中は毎晩のように銀座8丁目の高級クラブ『S』で、前田建設と水谷建設の接待攻勢に遭っていましたよ。払いはすべて水谷。東電の幹部の中には店のホステスを愛人にして、その手当まで水谷に面倒を見させていた人も居たんです」と言う。もちろん、これらのカネは巨大な事業発注を通して東電からゼネコンに流れたもの。  別のクラブ関係者は、「実際にはクラブ『S』に来ていないのに、店のスタッフは来たことにして水谷に請求書を出す。いわゆる架空請求で水谷からカネを吸い上げ、店からは東電の幹部たちにリベートが払われていたという話もありましたよ。いわば、マネーロンダリングの舞台だった『S』が東電関連の客の売り上げで持っていたことは間違いありません」と語っている。  さらに、銀座では東電幹部に交ざって、民主党の仙谷由人代表代行も一緒に飲み歩いていたところが目撃されている。仙谷氏といえば、国家戦略相時代、海外に日本の原発技術を売り込むためにトップセールスを展開していたが、東電幹部とそこまで露骨に癒着していたとは驚く。  巨大企業・東電から流れ出した莫大なカネが、ゼネコンや夜の銀座を介して政治家たちを汚染していたとしたら、国の原発への安全政策が骨抜きになるのもさもありなんというものだ。 (文=本多圭)
陰の総理・仙谷由人vs.小沢一郎 ズブズブ。 amazon_associate_logo.jpg
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