不安、怒り、悲しみ……福島の子どもたちが描く"あのとき、きょう、みらい"

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『ふくしまの子どもたちが描く
あのとき、きょう、みらい。』
(徳間書店)
 赤や青、黄色に緑と、色とりどりの原色の絵の具を使用して描かれた子どもたちの絵。人々や動物たちが笑顔で描かれるこれらの絵を眺めていると、思わず顔がほころんできてしまう。だが、これらの絵が、被災地の子どもたちが描いたものであると知れば、そのほころびも薄れてしまうだろう。福島県相馬市に暮らす小学生たちの絵を集めた『ふくしまの子どもたちが描く あのとき、きょう、みらい。』(徳間書店)が刊行された。  編者である蟹江杏氏は、版画家として絵本の挿画や子どものお絵かきワークショップなどを行う人物。彼女は震災の翌日から、「被災地の子どもたちに絵本と画材を!」プロジェクトを開始した。かねてからの知り合いである、相馬市の教育委員会に勤務する佐藤史生氏を通じて、子どもたちに画材や絵本などを贈るこのプロジェクトでは、結果的に相馬市に7,500冊あまりの絵本と多くの画材を送ることに成功した。  また、4月初旬には実際の子どもたちの顔を見るため、蟹江氏は相馬に足を運ぶ。そこで、お絵かきワークショップを行った際、ある女の子は「私の描いたものを、みんなに見てもらいたい」と語ったそうだ。その真っ直ぐな言葉は蟹江氏を動かし、総合学習の授業として「ふくしまそうまの子どものえがくたいせつな絵展」を企画、各地で好評を集めたその展示は本書へと結実する。  そんな経緯とともに、本書に掲載される小学生たちの作品はおよそ120点。9.3メートルの大津波によって、相馬市では死者456人、行方不明者3人の被害を記録した(10月3日現在)。その中には、下校途中に津波に巻き込まれた小学生もおり、近親者が津波に流されて命を落とした生徒も少なくない。大人ですら乗り越えることの難しいこの事態に直面し、子どもたちは何を感じたのだろうか?  はじめ、子どもたちに出されたお絵かきのテーマは「新しい町」だった。色とりどりの絵の具を用いて、自分の理想とする「新しい町」を描く子どもたち。これからの時代を作る彼らが描く相馬の町は希望に満ち溢れた姿をしている。しかし、その後、より自由に描かせるためテーマを設定せずに画用紙を渡したところ、「放射能で外に出られないから、川で遊びたい」という願望を描いた子どもや、かつてあった平和な海を描く子ども、そして大津波で街や家が飲み込まれる様子を描いた子どもも多かった。ある少年は「津波の絵を描いてスキッとした」と担任の先生に話したという。彼は津波で自宅が流され、祖母を亡くした。  子どもたちは「素直で純粋」なだけではない。希望と共に、不安や恐怖といったネガティブな感情が、癒やされることのないままに同居している。だから、「津波の被害を乗り越える」「未来への希望に溢れている」といった先入観を捨て、じっくりと子どもたちの描いた絵に目を向けてほしい。そこには希望や無邪気さだけではなく、不安、怒り、悲しみ、さまざまな感情も未整理のままに描き出されていることに気づくだろう。絵画は、作者だけでなくそれを鑑賞する人を照らし出すものだ。子どもたちの絵から、あなたは一体どんなメッセージを読み取れるだろうか?  津波によって、すべてが洗い流された町は、視点を変えればあたかも真っ白な画用紙のようなもの。そこにどのような「新しい町」を描いていくのかは、子どもたちだけでなく、大人も一緒に考えていかなければならないことだ。 (文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●かにえ・あんず 東京生まれ。版画家。自由の森学園卒業後、ロンドンで版画を学ぶ。帰国後、国内外で作品を発表する一方、絵本、ポスター、舞台美術なども手がける。ライフワークとして子どものためのライブペインティングや、ワークショップも行っている。著書に『夜ごと消えるお姫さま』『あんずリズム』(アスラン書房)など。
ふくしまの子どもたちが描く あのとき、きょう、みらい。 無邪気さの裏に。 amazon_associate_logo.jpg
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新入社員は「Uターン転職男」と「養殖漁師」!? 被災ローカル線が"鉄道ダンシ"キャラを公募


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三陸鉄道公式サイトより
 東日本大震災の津波により大きな被害を受けた岩手県三陸鉄道(以下、三鉄)が来年度の新入社員キャラクターを募集し、ネット上で話題となっている。  岩手県の沿岸部を走る三陸鉄道は1984年開業で、宮古と久慈を結ぶ北リアス線(71.0km)と、盛(さかり)と釜石を結ぶ南リアス線(36.6km)からなる。国鉄時代の赤字ローカル線を引き継いだ第3セクターで、過去20年近く赤字が続いているという。  今回の震災で宮古駅の本社は被害を免れたものの、沿岸部を走る路線とあって、全線にわたって津波の被害を受けた。中でも島越(しまのこし)駅は駅舎が付近の陸橋とともに丸ごと消えてしまうという壊滅的な状況だったが、震災直後、社長自ら被害の現場を視察。震災5日後には一部区間で運転を再開させた。また、運転を再開した3月16日から31日までは運賃を無料にし、被災した地元住民の足となるため、採算を度外視した対応を行ってきた。現在は2014年4月の全線復旧に向け、全社員が一丸となって取り組んでいる。  今回のキャラクター募集について、同社公式サイトでは「全線再開と将来に渡る弊社の発展を見据え、また、地域雇用の確保という視点から、地元出身の男性社員キャラクターを募集することとなりました」と説明。「田野畑」と「恋し浜」という名字の2名のキャラクターを募集している  名前、勤務地、仕事内容といったベースとなる情報に加え、容姿や性格、人物背景等までこと細かに設定されており、「田野畑」青年はクールだが、心には地元への熱い思いがある人物。実家は酪農家で、高校時代は三鉄で通学していたので運転士に憧れているそう。東京の大学を卒業後、一旦就職するも震災を契機に帰郷。現在は実家を手伝いながら地域復興・活性化を考えており、三鉄に興味を持ったという設定。  一方、「恋し浜」青年は海の男で情に厚く、面倒見がいい。大船渡市小石浜出身で実家は代々、ホタテの養殖漁師。高校卒業後、漁師になるが、地域の活性化のため仲間と駅名改称に取り組んだことをきっかけに、三鉄と関わるようになる。三鉄復興を三陸復興のシンボルと考え、その手伝いをしたいと考えているそうだ。  今回の震災では、JR東日本が東北新幹線の復旧を急いだ反面、被災したローカル線の多くはいまだに完全復旧の目途が立っていないというのが現状だ。現行法上、三鉄の復興費用110億円のうち、国庫負担が可能なのは4分の1まで。残りの4分の1を地元自治体、2分の1を事業会社が負担しなければならず、三鉄の負担は約55億円に上る計算になる。これまで赤字経営だった三鉄にとっては、この額は致命的といっても過言ではない。そんな苦しい状況にありながらも、「当社の使命は、地域住民の皆様の生活の足となること、そして三陸沿岸地域の産業振興や地域の活性化に貢献することです。私たちは、被災地の復興のシンボルとなるよう、そして県内外から多くのお客様をお迎えして地域振興に貢献できるよう、社員一丸となって努めてまいります」と復旧に向け力強く語る三鉄を、ぜひ応援したい。  なお、キャラクターの募集期間は12月4日~2012年1月31日まで。2月中下旬に"内定が決定"し、"入社予定"は4月1日だという。 ●三陸鉄道 公式サイト <http://www.sanrikutetsudou.com/>
三陸鉄道運転席展望~南リアス線~2011年2月14日撮影 鉄ヲタ集まれ! amazon_associate_logo.jpg
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「復興支援は新たなステージに」これからの被災地支援のカギとは?

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震災3カ月後の宮城県南三陸町の様子(※記事参照)。
現在、ガレキは片付いたものの、大きく変わっていない。
前編中編はこちらから ■よりベターな方法を考案できるリテラシーが必要 ――8カ月に渡る活動の中で一番強く感じていること、教訓などはありますか? 西條 まずは被害の規模ですよね。知れば知るほど、本当にひどいことが起こったんだと痛感しています。最初に支援したからそれでいいという災害ではないですよ。行政のシステムに関していえば、今回の震災を踏まえ、変えた方がいいことはたくさんありますよね。  たとえば、姉妹都市は今回かなりうまく機能していたので、"臨時姉妹都市"をつくっちゃえばいいと思うんですよ。宮城県石巻市と全国の40くらいの市町村をつなげて、「今日から姉妹都市です、助けましょう」と。「勝手に動いていいです」と。いまの枠組みというのは、国も県も「何かあったら言ってください。そしたら動きますよ」という「要請主義」なんです。けれど、すべてが壊滅している中で要請なんてできない。そんなの、死にそうになって倒れている人に、「どこか悪いところがあったら言ってくれれば手当てしますよ」と言っているようなもので、そんな無茶な話はないんですよ。駆け寄って手当てしてあげなきゃいけないわけで、それをやったのがボランティアだった。  赤十字も以前は要請主義だったようなのですが、それではダメだということで最近は「能動主義」に移行していたため、今回は"とにかく北へ向かえ"と、震災直後から数十のチームが現地入りし、かなり機能しました。それを市町村レベルでもやるべきですよね。これは今からでも遅くはないですし、むしろ平時からそうした提携を結んでおく"緊急時援助姉妹都市"といった制度として成立させておけばよいと思います。
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――今回、赤十字を通した義援金がなかなか被災者のもとに渡らなかった問題についてはどのようにお考えですか? 西條 おそらく、すべての人にとって想定外の有事だったので今回は仕方がないとは思うのですが、物資支援の仕組みにしても、県に上げてそこから自治体に下げていくという仕組みはどこか詰まったら終わりで、実際、県や自治体の倉庫がいっぱいになったので、「要りません」となってしまったわけです。被災地の行政が壊滅的な打撃を受けたこれだけの規模の被害になると、従来のやり方では通用しないわけですから、僕らは新たな仕組みを考えたわけです。  それと同じで、赤十字の義援金が渡らなかったのも、上から下ろしていく構造上の問題だと思っています。地元自治体は壊滅的な打撃を受けて本当に大変な状況ですから、そこを介さずに直接義援金を渡す仕組みを考えるべきです。僕だったらNHKや地元新聞紙を使って、ここに連絡くださいとアナウンスします。罹災証明書のコピーとその他必要な書類を送れば直接振り込みます、と。そういうやり方ひとつで、地元の行政を介さないで必要としている人に直接義援金を送る事もできるわけですよね。  家電にしても、赤十字は仮設住宅に入った人には6点セットを渡しますが、屋根まで津波にやられて重要な家電はすべて失っている個人避難宅の人にはひとつも配布しないわけです。なぜかといえば、おそらくどこに住んでいるのか確認できずに、管理することができないためだと思います。しかし先に述べたように、とにかく広く周知して、罹災証明書のコピーとその他必要な書類を直接赤十字に送ってもらうようにすれば十分対応できるはずです。
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 最も何をしても5%ぐらいのミスや批判はあるかもしれませんが、そういう些細な過誤を気にして、必要なときに全員に届かないといった致命的な失敗をしてしまっては本末転倒です。5%をゼロにしようとすると、そこに膨大なエネルギーを注がなければならなくなるので、とたんにパフォーマンスが下がります。ですから、特に有事においては5%以内のミスはよしとして進める方が機能的なんです。行政による支援も、そうしたスタンスを明示して、何かあったら国が責任を取りますといってどんどん押し進めればいいと思うんですよ。それがリーダーシップというものだと思います。  あと一番大事なのは、やっぱり「方法の原理」のような、どんな状況になっても自分たちで考えて柔軟に対応できる方法を考案していくようなリテラシーを広げていくことですね。どんなに想定したって、それ以上が起こるというのが自然現象であり、そのことはみんな痛感したはずなので、想定外の事態に陥っても、それぞれが状況と目的を見定めて自律的に動けるような訓練こそが、原理的に重要になってくると思います。 ――「ふんばろう」の今後のビジョンについては? 西條 最終目標としては「ふんばろう」自体が必要なくなるのが一番いいですが、まだまだ支援は必要ですから、現地の状況を見て判断したいと思っています。ただ、完全なボランティアって、持続可能性という観点からするとやっぱり限界があるんですよ。ボランティアは「被災した方々のために何かしたい」という"気持ち"だけをエネルギーに動いています。ほとんどの人は、日中は会社で働きながらプラスαで作業していたり、中には完全無償のボランティアに専念している人もいるので、持続可能な形にしていく必要があるんですね。その意味では、各プロジェクトの体制を整えて、無理のない形で、独立的に、最小限のエネルギーで動けるような形にしていくことが必要と思っています。  またこれからは特に、いかに企業活動と矛盾しないかたちで被災地のためにもなる事業を作っていくか、ということがポイントになりますね。ですから今後、より一層、企業とのつながりをつくっていきたいと思っています。実際、PCプロジェクトや就労支援プロジェクトなど、僕らが「ふんばろう東日本企業連合」というプラットフォームになることで、様々な企業に参加していただき大きく進めているところです。持続可能な形にするためには、できるだけ現地に、企業を、と心がけていくのがよいと思います。
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PCプロジェクトの様子。
――行政との連携も視野に入れていますか? 西條 もちろん連携できるところはしていきたいと思っています。これまではスピードが重要でしたが、これからは雇用創出などが重要課題になるので、地元行政との連携は重要になってきます。実際、これまでも仙台市・大阪市・横浜市・山形県庁・岐阜県庁・愛知県庁・宮城県庁といった自治体において行き場をなくした膨大な物資をマッチングして、必要としている被災者のもとに届けてきましたし、PCプロジェクトでは、宮城県東松島市といった行政と組んで進めていっている地域もあります。あとは、全国の行政が「方法の原理」といった考え方を普段から身に付けておいて、有事のときは既存の枠組みにとらわれず、柔軟に対応していく訓練をしていくことも重要になると思います。 ――最後に読者のみなさんに伝えたいことは何かありますか? 西條 中には「少しぐらい支援しても何も変わらない」という人もいるのですが、僕はそうは思いません。たとえば、「ミシンプロジェクト」では、ミシンという物を支援しているのではないのです。そうではなく、一台のミシンをきっかけに、仕事に就けて、ひとつの家族の生活を支え、その貯金で、子どもたちが望む進路にいけるようになる「可能性」を生むわけです。そうした家庭の中から将来、先生になりたいといって、教育学部に進み、震災の辛い経験を乗り越えて立派な教師になり、何千人という子どもたちを育てる人だって出てくるかもしれません。みなさん一人一人の支援は、そういう「可能性」を生むことにつながっています。時間を止めて固定的に見ると、何も変えられないように思うかもしれません。でも、未来は小さなことをきっかけに大きく変わります。小さな力が集まることで、被災地の方々が前を向いて生活していくことにつながり、子どもたちの明るい未来を作る「可能性」になっていきます。僕らは「可能性を生む力」、すなわち「未来を変える力」を持っているんです。「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は、距離と関係なく、誰でも参加できるプロジェクトです。これを読んでいる方全員に必ずできることがあります。ぜひ、「ふんばろう」のHP(http://fumbaro.org/)を見て、自分にできることを行動してみていただければと思います。 (取材・文=編集部) ●さいじょう・たけお 1974年、宮城県仙台市生まれ。早稲田大学大学院(MBA)専任講師。専門は心理学や(科学)哲学。「構造構成主義」というメタ理論を体系化。2011年4月に「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、代表を務めている。Twitter→@saijotakeo●ふんばろう東日本支援プロジェクトhttp://fumbaro.org/
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「世間の関心が低くなる前に何ができるかが勝負」支援プロジェクトがうまく機能したワケ

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前編はこちらから ■世間の"支援疲れ"にどう対処するのか ――日が経つにつれ、被災地のニュースは目に見えて減ってきています。"支援疲れ"という言葉もたびたび耳にしますが......。 西條 やっぱりみんな、"日常"に戻りたいんですよね。普段の生活に戻りたいという気持ちが誰にでもあって、被災地の現状があれから何も変わってないなんて思いたくないんだと思います。そんなこと知ってしまったら、何もしない自分への罪悪感に苛まれてしまう。だから見たくない。どこまで自覚的にやっているかは別として、メディアはそういうことに敏感なので、その"空気"を察知してニュースを流さなくなりますよね。 ――それは仕方がないことなのでしょうか? 西條 仕方がない、とは思いませんが、ただ、"実際そういうこと"なんだということですね。僕でも、「もう大丈夫になっているんじゃないかな」と思いたくなる瞬間がありますから、その気持ちもまったく分からないではないんです。でも、被災地の現実は今なお厳しいんです。それを見て見ぬふりをして、自分だけ日常に戻るわけにはいきません。ですから、マスコミのみなさんにも、視聴率などに振り回されず、もう少し頑張って放送して欲しいと思っています。また、企業も支援金を出すのが厳しければ、自分たちの得意な分野のリソースを提供するという方法もあるので、「最初にお金出したからもうよいでしょう」ではなく、企業活動と矛盾しない復興支援のあり方を考えてみていただきたいですね。これからは、事業を通して社会に貢献するというあり方こそが、企業の持続可能性にもつながってくると思います。 ――世間の"支援疲れ"に対して、「ふんばろう」としてはどのようなアクションをしているのでしょうか?
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西條 現状、物資はまだ足りていないんです。現在掲載されている支援先の件数は2,300ほどですが、物資を送る側(支援する側)は当初の10分の1くらいになってきています。そのため、物資支援についていえば、「ふんばろう」のサイトに掲載する支援先の基準を少し厳しくしていこうと考えています。生きていく上で本当に必要なものに絞り、いまある支援力に合わせていくことで、本当に困っている人に届けたい、ということですね。  それから、やはり支援者を増やすことですね。まだまだ「ふんばろう」のことを知らない人が多いので、海外も含め、まだ動いていない人に活動を広げていくという努力もしています。いまも被災地の現状は変わっていない、ということをネットなどを通じて発信し、それぞれのプロジェクトの意義や、被災地の人の顔をちゃんと伝えていくことで、「支援しよう」と思ってもらえるように心がけています。  そうした状況だからこそ今、より多くの人に知ってもらいたい。誰でも参加できる仕組みになっていますから、知ってさえもらえれば一定の割合の人は協力してくれると思っています。たとえば、「ふんばろう」では当初からAmazonの「ほしい物リスト」を応用するシステムにより、これまで総数1万7,000個、約29,00万円にのぼる支援を行ってきました。国内はもちろん海外からでも、200円程度から、被災された方々が必要としている物資をワンクリックで届けることができます。ぜひ活用していただき、またご家族や会社の方などに広く知らせてもらえればと思いますね(http://fumbaro.org/shelter/list/amazon.html)。 ■「ふんばろう」のプロジェクトがうまく機能したワケ ――「ふんばろう」のプロジェクトはすべて、"人と人をつなぐ"というのが基本となっていますが、この構想は立ち上げ当初からあったんですか? 西條 はい。プロジェクトを立ち上げたのは4月に入ったときだったので、そのときはみんな「大変なことが起こった」と関心が高かったけれど、人は忘れる動物なので、必ずその意識は低下していく。それは目に見えていたので、低下していく前に何ができるかが勝負だと思っていたんです。そのために、人と人のつながりが必要だと。つながりというのは一度つくってしまえば、僕らの仕組みを通さずとも、直接やりとりがはじまりますし、関係性ができれば人間は忘れないんです。
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――確かに、被災地全体に目を向け続けることはなかなか難しいですが、「家電を送った気仙沼の●●さん」というつながりができれば、もう人ごとではなくなりますね。 西條 "遠い親戚"みたいな関係です。そういう個人のつながりを何百、何万とつくっているんです。 ――西條さんはもともと、心理学や哲学などがご専門で、構造構成主義という学問、何にでも通用する"方法の原理"を研究していらっしゃるそうですが、震災前、この原理が社会に対してどのような役に立つと思われていましたか? 西條 構造構成主義が一番広がっているのは医療や教育の現場なのですが、時代や文化を超えて通用する普遍性を備えた原理なので、本当にいろんな分野にプラットフォームとして広がっています。言ってみれば、従来の理論や方法論をバージョンアップさせるOSのようなものなんです。たとえば、方法とは、(1)ある特定の「状況」において、(2)特定の「目的」を達成するための手段です。これはすべての方法に当てはまる。この「方法の原理」を視点とすれば、状況と目的の2つを軸にすることで、特定の方法が役立つのかどうかを判断することができますし、より機能的な方法を作り出していくこともできるわけです。 ――それは、災害時においてもあてはまるのでしょうか? 西條 もちろんです。今回の震災は未曽有の災害で、誰も経験したことがなかった。ゼロベースで考えていかなければならない状況において、この原理はすごく有効です。特定のコンテンツを持たず、すべてそのとき・その場の状況と目的を見定めて考えるというスキームなので、目的からぶれることなく状況の変化に合わせて柔軟に対応していけるんです。 ――実際に「ふんばろう」では、この原理を使って次々とプロジェクトを立ち上げ、スピーディーで無駄のない支援を行ってきたわけですが、物事がどんどんうまく回っていく快感のようなものはあったのでしょうか? 西條 こんなに役に立つんだな、というのはすごく感じました。原理としては汎用性があるし、導入しさえすればかなり役に立つだろうな、とは以前から思っていましたが、ここまで急速に広まるとは思っていなかったですね。 ■被災者の心の傷は深く、入りにくい ――西條さんは仙台ご出身で津波の被害に遭われたご親族もいたそうですが、プロジェクトを進める上で、どのように気持ちのバランスを取っていたんですか? 西條 大好きな伯父さんも津波で行方不明になってしまいました。多くの人がテレビで仙台空港に津波が押し寄せるシーンを見たと思うのですが、後に発見された場所から、その空港から一本道を挟んだ倉庫にいたことが分かりました。初めて南三陸町に入ったときもテレビではまったく伝わらない被災地の惨状を目の当たりにして、言葉を失いました。多かれ少なかれ、特に被災地出身の人は、そういう経験をしているので「故郷が大変なんだからなんとかしたい」という気持ちが自然と湧いてくるものですが、ただそういう"気持ち"の部分と、プロジェクトの合理性の部分は分けて考えています。
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 大変な苦境に立たされた人が目の前にいて手を差し伸べたいというのは最初の出発点ですが、ではそれをどうしたらいいのか、というのはまた別の話です。たとえば「家電プロジェクト」では、僕らが被災地に家電を配ることで、地元の小売店の人が家電が思うように売れないと嘆いているという話も一部で耳にしましたが、だから支援をやめようとなってしまうのは話が違うわけです。こんなかたちで家電を送られることは今年だけでずっと続くことではないし、お店どころかすべてを失った人がいるんだから、まったく優先順位が違うでしょう、と。もともと困っているのに行政の手が入らないところをサポートしようということで始めたプロジェクトです。目の前の人を助けたいという気持ちはとても大事ですが、それだけでもカラまわってしまうので、全体の状況を冷静に見る視点も必要だと思います。たとえば、僕たちは家電を支援者に購入してもらって被災地に届ける際に、地元企業から購入する形のマッチングサイトを構築しています(http://kauloco.com/)。 ――被災者同士ではなかなか津波の体験を話せず、自分の心の中に溜めてしまう人が多いと聞きます。他のプロジェクトと比べ、やはり心のケアというのは難しいですか? 西條 実際、被災された方の傷は本当に深いですし、何十万人もいる。そう簡単にはいかない、というのは事実です。また東北の被災地ではカウンセリングに対する抵抗感が、都市部よりも高いんです。おかしくなった人がかかる、みたいに思われる方も多いので、それも心のケアを難しくしている一因かもしれません。ただ心のケアといっても様々なアプローチがあって、仕事がないことによる不安なども大きいので、就労支援などはやはり必要になってきます。したがって、こればかりは大きくこれをやれば万事解決するということはないと思いますので、いまは少し被災地の状況も落ち着いてきていますから、今後それぞれのチームごとに動いていき、ご縁があったところから手を差し伸べていくという形でやっていければと考えています。 ――具体的にいま動いているプロジェクトはあるんですか? 西條 現地の口コミでどんどん評判が広まっていくような、天才的な臨床家がいるんですね。そういう人に定期的に現地に入ってもらって、心に大きな傷を負っている方からどんどんセッションを受けてもらっています。また臨床系の人に現地に行ってもらってつながりを持ってもらい、その後PCプロジェクトと連動しながらスカイプなどでやりとりしてもらうという方法もはじめています。あとは、冬物家電をこれから配布するんですが、そこに僕らがやっている「命の健康プロジェクト」がまとめている資料の一つである「セルフケアの方法」(http://wallpaper.fumbaro.org/rinsyou/work/pdf/wh1e0p)や、いつでも連絡できるよう、福岡大学の長江信和講師がやっている「ユビキタス・カウンセリング」(http://www.ubiquitous-counseling.com/)という電話やネットで対応するカウンセリングにつなげています。 ――「ふんばろう」は組織を構えず、それぞれのチームをFacebook上に立ちあげるという形態を取っています。やはり、SNSの存在は大きかったですか? 西條  TwitterやFacebookがなければ、このプロジェクトはここまで拡散しなかったと思います。きっと、震災前は個人のコミュニケーションツールや、宣伝媒体、情報収集ツールだったと思うんですが、今回の震災で初めて"社会をよくするインフラ"として機能したんじゃないかなと。中東の革命もそうですし、日本においては震災がそうだったわけで。初めてみんなが少しでも社会をよくしようと真剣に使い始めたきっかけだったと思いますね。 (取材・文=編集部/後編に続く●さいじょう・たけお 1974年、宮城県仙台市生まれ。早稲田大学大学院(MBA)専任講師。専門は心理学や(科学)哲学。「構造構成主義」というメタ理論を体系化。2011年4月に「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、代表を務めている。Twitter→@saijotakeo●ふんばろう東日本支援プロジェクトhttp://fumbaro.org/
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「ただ物資を送っているだけではない」被災地の未来をつくる新しい支援のかたち

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「僕らは特定のNPOではなく、それぞれの
生活の範囲で参加できるプロジェクトなので、
『被災された方々のために自分も何かしたい』
と思われる方は気軽に参加してほしい」
と語る、西條剛央氏。
 東日本大震災から8カ月。原発問題を除き、被災地の現状がニュースとして伝えられる機会はめっきり減っているが、8カ月経ったいまも被災地の生活はそれほど大きくは変わっていない。被災地支援は、緊急物資から雇用の創出や心のケアへと徐々に移ってきている中、わたしたちは何ができるのか――。震災直後の4月から被災地に対する幅広い支援活動を行っているボランティア団体「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(以下、ふんばろう)代表で、早稲田大学大学院MBA専任講師の西條剛央氏に話を聞いた。 ――4月に立ち上がった「ふんばろう」ですが、現在までに(2011年10月末時点)約3,000カ所以上の避難所・仮設住宅・個人避難宅を対象として3万5,000回以上、15万5,000品目に及ぶ物資支援を成立させてきたと聞いています。 西條剛央氏(以下、西條) 立ち上げのころは、大きな避難所には支援物資が山積みになっているのに、本当に必要としている人の元には届いていないという状況でした。ですから、行政の手が回らない小さな避難所で必要な物資を直接聞き取り、それを「ふんばろう」のサイトにアップしてTwitterで拡散させ、全国の人が直接、物資を被災者に送るという仕組みで支援を始めました。それが瞬く間に広がって、現在までのボランティア登録数は1,600名を超え、ある程度継続的に活動している人だけで数百名はいると思います。最初はふたりで立ち上げたプロジェクトでしたが、現在では被災地3県(宮城県・岩手県・福島県)のほか全国各地に支部があります。 ――運営はどのようにされているんですか? 西條 たまにミーティングを行うこともありますが、基本的に通常の運営はFacebook上で行っています。 ――緊急物資支援のほか、一般家庭から中古家電を届ける「家電プロジェクト」や、ガイガーカウンターを無料で貸し出す「ガイガーカウンタープロジェクト」、重機免許が無料で取得できるよう支援する「重機免許取得プロジェクト」など、本当にたくさんの活動を行っていらっしゃいますね。それぞれのプロジェクトに対して、西條さんはどれくらいイニシアチブを持っているんですか? 西條 Facebook上に立ち上がっているグループは、チームやプロジェクト単位で全部で50くらいあります。立ち上げたばかりのプロジェクトについては、いろいろな人をつなげたり、体制が整うまでは僕が中心となってやっていますが、ある程度軌道に乗ったら、各プロジェクトのリーダーに任せて、何か重要な局面では相談を受けて舵取りしていくという形を取っています。ひとつのプロジェクトが軌道に乗るまでは、だいたい1カ月くらいでしょうか。 ■仕事がなければ自立することは不可能 ――震災から8カ月が経ちましたが、被災地の現状を教えてください。 西條 場所にもよりますが、生活機能的には大きく変わっていないように思います。避難所から仮設住宅に移ってプライベート空間を手に入れただけで、復興ということでいえば、ようやく始まったばかりだと思います。たとえば、宮城県南三陸町では信号3機しか残らないくらい壊滅してしまって、ガレキも当初よりはなくなっていますが、震災後新しく建ったのは5軒ほどのプレハブのコンビニほか数件に過ぎず、そういう意味では何も変わっていないんです。 ――いま現地で一番求められている支援はどのようなものなんですか?
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「重機免許取得プロジェクト」の様子。
西條 僕は雇用創出と就労支援という「仕事」、「心のケア」、そして「教育」の3本柱だと思っています。仕事がなければ不安にもなりストレスも増大しますし、子どもの教育環境も整えることもできないので、「仕事」は根本的に重要ですよね。震災直後は物を買う店も何もないので物資を送るしかなかったんですが、現地に仕事があれば自分で好きなものを買えるわけですからね。 ――現在は、先に触れた「重機免許取得プロジェクト」や、被災地の女性たちにミシンを贈って仕事にしてもらう「ミシンプロジェクト」など、雇用創出・就労支援を特に積極的に行っているのでしょうか。 西條 重機免許については、かなり初期の段階から考えていたんです。これだけガレキだらけになってしまったら、重機はどう考えても必要になるだろうと。いまは仮設住宅ができただけで、本格的な町をつくるのはこれからです。マイナスからすべてつくらなければならないわけで、建築系の仕事は今後長期にわたって需要がある。それは間違いないことなのだから、重機免許を取ってもらえれば仕事につながるだろうと思ってスタートさせました。このプロジェクトが動き出したのは4月末くらいだったんですが、みんな避難所にいて何もやることがない状況で、それは精神的にもよくないし、自分たちの手で町が復興できればそれは希望にもつながる。申し込み者が殺到し、岩手県陸前高田市で計121人が免許を取得しました。いま第2弾が、宮城県岩沼市で100名規模で始動しています。重機免許は数万円で取得できるんです。生活費の数万円はすぐになくなってしまいますが、重機免許を取得して仕事に就ければ年に数百万稼ぐことも可能になります(http://wallpaper.fumbaro.org/licence/)。
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「ミシンプロジェクト」の講習会の様子。
 「ミシンプロジェクト」は、被災地の女性たちにミシンを贈ることで元気になってもらい、将来的にミシンでの作品づくりを仕事につなげていただこうというプロジェクトです。「ミシンがあったらサイズのあわない服などの支援物資を調整したりできるから便利なのに」という被災地の声がきっかけで立ち上がりました。ただミシンを贈るだけではなく、特定の商品を作っていただけるようになるための講習会を開催し、帰りにミシンをお渡しして、その後、商品を納めていただいた方には制作費をお支払いするというかたちを取っています。また様々な会社からお声掛けいただいています。2万円のミシンが、これから200万円をつくる道具になる。僕らはただ物資を送っているのではなく、被災地の人たちがまた前を向いて生きる希望が持てるようになるための支援を行っているんです。これからは全国の関連企業さんのお力も必要になります。商品受注や販路確保のお話はもちろん、中古の工業用ミシンや裁断機を提供できるという方もぜひご連絡いただきたいですね(http://wallpaper.fumbaro.org/machine)。 ■win-winの社会的事業の構想 ――現在は、企業の協力を得た雇用創出・就労支援も進んでいるそうですね。 西條 「ふんばろう東日本企業連合」というプラットフォームに各企業さんに参加してもらい、就労支援プロジェクトを進めています。おおまかにいえば、現場ではお金が必要で、地元自治体にはさまざまな補助金が落ちていますが、それをもとに事業をつくるという作業が追いついておらずギャップが生じているので、そこを埋めることで地元に雇用を創出していこうというwin-winの社会的事業の構想です。これからも関心のある企業や自治体の方からご連絡いただければ前向きに対応していきたいと思っています。 ――すべてにおいて無駄がなく、すごくうまくいっているように見えるのですが、今までの失敗談などはあるんですか? 西條 肝心なところはうまくいっていると思うのですが、ひとつひとつのプロジェクトをかたちにしていき、それら全体をマネジメントしていくのは簡単なことではないですよね。立ち消えになってしまった企画もあります。「モバイルトップス」という、被災地で求められる機能性とおしゃれさを兼ね備えた「被災地専用Tシャツ」を作ろうという話になってユニクロさんに持ち掛けたんですが、そのまま夏が過ぎて消えていった(笑)。  もっとも、重要なプロジェクトは確実に成果を上げていますが、それは意識の高いボランティアのみなさんのご尽力の賜物ですね。表には見えないのですが、みなさん仕事が終わってからミーティングに来たり、夜中まで作業されたりと本当にすごいんですよ。「ふんばろう」は、そうした素晴らしい人たちの"気持ち"と"行動"によって成り立っています。 (取材・文=編集部/中編につづく●さいじょう・たけお 1974年、宮城県仙台市生まれ。早稲田大学大学院(MBA)専任講師。専門は心理学や(科学)哲学。「構造構成主義」というメタ理論を体系化。2011年4月に「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、代表を務めている。Twitter→@saijotakeo●ふんばろう東日本支援プロジェクトhttp://fumbaro.org/
河北新報特別縮刷版 3.11東日本大震災1ヵ月の記録 まだまだこれから。 amazon_associate_logo.jpg
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火事場泥棒話はなぜ報じられない? 東日本大震災で露見したタブーだらけのマスメディア

──東日本大震災によって国内の各業界に少なからぬ影響が出ているのは周知の通りで、それはまた報道の世界においても例外ではなかった。半年がたった今、今回の震災で新たに生まれ、固定化されつつある報道における規制には、どんなものがあるのだろうか?
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津波に飲まれて亡くなった人物の手と、それを見
つめる家族らしき人物の写真をニューヨーク・タイ
ムズが一面掲載。日本と海外メディアではこうし
た災害でも報じ方が異なっている。
 東日本大震災から半年余りが経過した。復興に向けた動きが草の根レベルから続いているが、この情勢下で新たな政権が組閣されるなど、日本全体が混迷している。また、同時に起こった福島第一原発事故もまったく収束の気配を見せず、社会にはうっすらと疲弊した空気が堆積したままだ。放射性物質の拡散や被ばく被害について、さまざまな情報が錯綜し、神経を尖らせて過ごす人も増えていることだろう。  神経を尖らせているのはまた、そうしたニュースを報じるマスコミも同様である。震災発生直後、国家レベルの非常事態に世間が浮き足立つ中で、何をどのように報じるか、各媒体の姿勢が問われた。特に、常日頃から大手マスコミを「マスゴミ」と呼んではばからないネット住民などは、それらの報道体制に対して、揚げ足取りレベルでも容赦ない批判を繰り返した。もちろん、災害発生直後となると規模が大きく体力のある報道機関しか現地取材に入ることは難しく、大手メディアが流す情報に頼らざるを得ない部分があったため、批判も生じたと考えられる。  当特集【2】の図【1】【3】のように、3月時点の報道において、テレビ局関係者による問題行動や発言がいくつかあったのは事実。『スッキリ!!』(日テレ)の大竹真レポーターや、首相会見中継におけるフジテレビスタッフなど、たとえ音声切り替えミスによる事故だったにせよ、非常時に報道に臨む者がそのような姿勢でいることは、批判されても仕方のないことだろう。 「中継中のああいった事故は珍しくないですが、大竹さんはタイミングが悪すぎた。中継が切れまくることへの皮肉だった、という話もありますが、被災直後の混乱した現場じゃ機材トラブルがあるのだって別に不思議はない。まぁ彼はレポーター系大手の圭三プロダクション所属ですし、あんなことがあっても、テレビ関係者の間ではクビになることはないと思ってる人が大半でしたけどね」(制作会社社員)  一方で、【2】のように、仕方なしに取った処置に対して、「不謹慎」という言葉を盾にした視聴者からの苦情も発生した。 「『非常事態をいいことに、ACが広告枠を買い占めている』と思った人もいたとかで、たいへんな誤解ですよ。通常のCMが入れられないから、差し替えでAC広告を入れてるのにね。『ポポポポーン』が耳障りだってところには同意しますけど(笑)、やり場のない苛立ちやストレスをぶつけた人が大半だったんじゃないでしょうか。一般企業のCMが再開したら再開したで、『まだそれどころじゃないだろう』と苦情が入るっていうんだから、じゃあどうすればいいんだよ!? って話ですよ」(キー局営業社員)  こうした報道をめぐる事件の中で最も大きなものは、東海テレビの「セシウムさん」騒動【4】だろう。午前の情報番組で、視聴者プレゼントの当選者名が表示されるべきところに「怪しいお米 セシウムさん」などと書かれたテロップが流れ、世間は騒然。表示する内容が決まるまで、仮で入れていた文字が誤って流れたものとされたが、制作時にスタッフ間でふざけてそうした文言を書いていたのだとしたら、よりタチが悪い。 ■破られた東電タブーそれでもテレビは......  原発事故をめぐる報道については、当初、マスコミにおける「東電タブー」によって、きちんと報じられないのでは? と、そうした事情を関知する人の間でささやかれた。  東京電力が毎年マスコミ各社に支払う広告宣伝費は300億円近くになるとされ、また、電力会社各社が加盟している電気事業連合会が支払う宣伝費も合計すると、1000億円に上るとする意見もある。マスコミ業界に厳然と存在する「スポンサータブー」から、原発事故には踏み込めないのではないかと危惧されたわけだ。しかし事故の規模は無視できるレベルになく、雑誌メディアを中心に、さまざまな独自取材記事が世に出ることとなった。  このように、従来は週刊誌等の雑誌においても、広告出稿の都合からタブー視されていたものの重しが外れたのは、今回の震災で大きく変わった点だろう。それでも、テレビのように幅広い層を対象にした媒体では、報じ方が難しいことには変わりがなかったという。
「プレミアサイゾー」で続きを読む
■プレミアサイゾーとは? 雑誌サイゾーのほぼ全記事が、月額525円で読み放題!(バックナンバー含む) 【プレミアにはこんな記事も!】 ・"奇形の人なんて存在しない !?"  表現規制が生む新たな差別を考える急成長ケータイコミックへの表現規制がマンガの市場を殺す!?テレビのタブーを破った男が激白! マツコ起用の理由「デカくて面白いから使っただけ!」

地震、津波、原発事故……それでも続く、日常を生きる意味『神様 2011』

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『神様 2011』(講談社)
「くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。春先に、鴫を見るために、防護服をつけて行ったことはあったが、暑い季節にこうしてふつうの服を着て肌をだし、弁当まで持っていくのは、『あのこと』以来、初めてである」(『神様 2011』本文より)  2011年3月11日を境に、私たちが住む世界は180度変わってしまった。巨大地震による津波などの被害で死者・行方不明者合わせて2万人以上の犠牲者を出し、原発が爆発した。原発から飛び散った大量の放射能は地球を何周もし、海や大地、そして農作物を汚染した。「ベクレル」や「シーベルト」、「内部被曝」「除染」なんていう、いままで聞いたことのなかった言葉が当たり前のように使われるようになり、専門家も誰も、この先私たちがどうなってしまうのか、確かなことは何も分からない。そんな見えない恐怖に日本中が包まれている。けれど、これもまた、「日常」の1ページであることには変わりない。  『神様 2011』(講談社)は、川上弘美が18年前に書いたデビュー作の短編『神様』を、震災後に改稿した作品だ。初出は文芸誌「群像」6月号(同)で、この2つの作品を同時に掲載した。  隣人である「くま」と主人公が散歩する、という寓話的なあらすじは変わらないのだが、『神様』に登場するマンションの住民や子どもの姿は『神様 2011』からは消え、替わりに「防護服」や「ストロンチウム」、「累計被曝量」などといった無機質な単語が登場する。「あのこと」という言葉が出てくるたびに少しドキッとして、何とも言えない、嫌な感じが胸に残る。『神様』と『神様 2011』、どちらの世界が現実でどちらが幻なのか、不思議な感覚に陥ってしまう。  川上は何気ない「日常」を描くのが得意な作家だ。どこにでもあるような、だけどたまらなく愛おしい、そんな日常。原発事故の前と後で、その日常は様変わりしてしまった。そのことへのやりきれなさと、何も知らなかった、知らないふりをしていた自分への静かな怒りが、デビュー作を書き換える作業へと川上を駆り立てたようだ。 「日常は続いてゆく、けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつものだ」(『神様 2011』あとがきより)  確かに、"終わりなき日常"は終わった。けれど、私たちがいま生きる世界も、まぎれもなく日常であることには変わりない。たとえ、それが3.11前に想像しなかった最悪の現実であったとしても、「もう嫌になった」と投げ出すことはできない。  暗闇の中でじっと目をこらせば、きっと見えてくるものがある。その「何か」は、人それぞれ違うだろうが、それこそが、いま私たちが生きる意味なのだろう。
神様 2011 人生は続いてゆく。 amazon_associate_logo.jpg
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遺体安置所で遺体と向き合う人々を追った壮絶ルポ『遺体 震災、津波の果てに』

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『遺体 震災、津波の果てに』(新潮社)
 2011年3月11日、日本列島に激震が走った。  東北地方の三陸沖を震源とするマグニチュード9.0もの巨大地震が起こり、宮城、福島、岩手県沿岸の町は、高さ10メートルを超える大津波に襲われた。もっとも被害の大きかった陸前高田などは、一瞬にしてひとつの町が丸ごと消えてしまった。  東日本大震災の死者・行方不明者は、およそ2万人。膨大な数の遺体が、津波で廃墟と化した町に散乱した。瓦礫の上に横たわる遺体、ちぎれてしまった腕や脚......。  本書『遺体 震災、津波の果てに』(新潮社)では、著者の石井光太氏が2カ月半という時間をかけ、被災地で200名以上に取材。その中から岩手県釜石市で遺体の収容や身元確認、葬送に当たった15人にフォーカスし、遺体とどう向き合い、どうやって立ち直って生きていこうとしているのかを追っている。   舞台となった釜石市では、旧二中(正式名称は釜石第二中学校)が遺体安置所となった。  釜石市は、釜石湾に面した人口4万人の小さな町で、海沿いの建物はことごとく流され、死者・行方不明者は1,000人を超えた。しかし、海沿いからたった1、2キロ先の国道1本を隔てた内陸側は津波の直接的な影響はなく、津波が発生した時どこにいたか、が生死の境となった。  それゆえ、生き残った人々は何十人もの顔見知りの死を受け止めながら、元・葬儀業者で遺体安置所の管理者を務めていた千葉淳氏を中心に、「自分たちにできることをしなければ」という思いで自発的に遺体安置所に集まった。市の職員は遺体を安置所へと運び、地元の医師や歯医者は身元確認を1日30体も40体も行い、必死に遺体と向き合っていた。       遺体安置所には行方不明者を捜す遺族が、次々にやってきた。市の職員や警察官にともなわれ、遺体を確認していく。 「これではありません」 「これも違います」  そして、突然の悲鳴が上がる。 「母です! 私の母です! ああ、やっぱりここにいた!」  娘は遺体に抱きつくようにしゃがみ込んで泣き始め、異常に静まった体育館内にその声が響いた。「もしも自分の家族だったら......」。その場に居合わせた人は、誰しもが自分自身と重ね合わせ、感情があふれそうになるのを必死でこらえていた。  そんな中、避難所に指定されている仙寿院の住職が訪れる。館内は歩く隙間もないほど遺体が並び、住職が故人の顔を見てみると、助けを求めるように口を開けていたり、逃れようと体をよじっていたり、水を飲んで苦しそうにしていたりし、どの顔にも浮かんでいるのは「苦痛」だった。  千葉氏が住職を案内する。 「彼女は臨月の妊婦なんです」 「この3人は家族なんです」  千葉氏は遺体の尊厳を守り、彼ら一人ひとりの名前や家族構成をしっかりと覚えていた。彼らのことを伝えることが使命とばかりに、涙を懸命にこらえ、丁寧に説明していく。そして、住職に提案する。 「ひとつ、お経を読んでくれませんか。そうしてくれると遺体も喜びます」  住職はうなずき、学習机でできた手作りの祭壇の前で、お経を読もうとする。  しかし、すぐ近くで幼い子どもの遺体にしがみついてしゃくり上げている女性の姿を目にし、涙腺がゆるんでいく。目をかたく閉じ、感情を押し殺してお経を続けようしても胸が苦しくなり、読経は途切れていった。  津波の恐ろしさがどんなものであったか。彼らが乗り越えようとしているものが何なのか。おそろしいまでの現実が、本書には詰まっている。 (文=上浦未来) ●いしい・こうた 1977年、東京生まれ。海外ルポをはじめとして貧困、医療、戦争、文化などをテーマに執筆。アジアの障害者や物乞いを追った『物乞う仏陀』(文藝春秋)、イスラームの性や売春を取材した『神の棄てた裸体』(新潮社)、世界最貧困層の生活を写真やイラストをつけて解説した『絶対貧困』(同)、インドで体を傷つけられて物乞いをさせられる子供を描いた『レンタルチャイルド』(同)、世界のスラムや路上生活者に関する写真エッセー集『地を這う祈り』(徳間書店)など多数。
遺体―震災、津波の果てに 忘れないために。 amazon_associate_logo.jpg
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「本を通じて何ができるか」凸版印刷・ブックワゴンと仮設住宅のいま

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図書館としてのクオリティーも高いブックワゴン。
 凸版印刷をはじめとするトッパングループが行っている、東日本大震災被災地域の仮設住宅を巡回する移動図書館「ブックワゴン」の活動がまもなく4カ月目を迎える。これは、普段から本や印刷物を身近に感じ、本好きが多い印刷会社としてできる復興支援をしたいという社員の声から始まった活動だ。マイクロバスを改造した2台のブックワゴンにそれぞれ2,500冊ほどの本を積み込み、仙台市内の仮設住宅10カ所を巡回している。ワゴンを運営するのは、もちろんトッパン社員。社内公募で選ばれたスタッフが週交代で業務に当たっている。「本と人がふれあう場を提供する」というコンセプトのもと行われているこの活動は、いま仮設住宅において重要課題となっている"コミュニティーづくり"のひとつのきっかけになるのではないか。トッパンブックワゴン事務局に話を聞いた。 ――移動図書館「ブックワゴン」は7月からスタートし、現在までに約3,000名が利用されているそうですが、この話が社内で持ち上がったのはいつごろなんですか? ブックワゴン東京事務局 櫻田かよさん(以下、櫻田) 震災直後からトッパンとして被災地にどのような支援ができるのか社内でいろいろと話し合っていたんですが、その中でこのプロジェクトの発起人である2名の社員から、こういうことをやってみたらどうかというアイデアが出てきたんです。 CSR推進室 山本正己さん(以下、山本) ブックワゴンは弊社としても初めての取り組みだったんですが、3月末には一度現地に入り、震災から1カ月経たないうちに具体的に動き出しました。ブックワゴンを始めるにあたり、トッパンらしい活動であること、全社員が参加できる活動であること、長期的に活動すること、という3つの指標を決め、企画を進めていきました。
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ワゴンの製造風景。
――ワゴンが動き出すまで準備期間が3カ月ありました。この時期を選んだのには何か特別な理由があるのですか?  山本 移動図書館という本を読んでもらう行為が、現地の復興のフェーズに対してどうフィットするのか分からなかったのでタイミングを見ていたという面もありますが、仮説住宅が立ちあがる時期をひとつの目標にしていました。まだみなさんが避難所にいる段階ではなく、仮設住宅に入って少しでも気持ちが落ち着いたときでないと、この活動の意味がないのではないかと思いまして。 ――全国のトッパングループ社員から約2,000冊の本が寄贈されたそうですね。 櫻田 限りなく新刊に近い本で、社員一人一人が仮設住宅に入居されている人に読んでもらいたい本を選んで寄贈してほしいということをお願いしました。本のおすすめポイントや感想などが書き込めるフォーマットを用意し、それを本の表紙裏に貼って寄贈してもらっています。当初は1,000冊くらいを目標としていたんですが、最終的には倍以上集まりました。中には一人で10冊以上送ってくれた社員も。売れ筋の本だけでなく、印刷会社ならではのマニアックな本もありましたね。その他にも、「<大震災>出版対策本部」をはじめとする、さまざまな団体・企業のみなさまからも寄贈をいただき、幅広いジャンルの本を収集することができました。
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全国から集まった社員の寄贈本。
一冊一冊、メッセージが添えられている。
――週交代で4人のスタッフがワゴンに乗り込み活動されているそうですが、どのような方が参加されているのですか? 櫻田 このプロジェクトは現段階で2012年3月末まで行うことが決まっているんですが、計132名が参加予定です。1、2日では現地の状況や仕事に慣れないまま行って帰ってくるだけで終わってしまうので、1週間すべて参加できる人に限って応募してもらっています。男女比はちょうど半々くらい。20代中盤から30代前半くらいの社員が比較的多いですね。募集枠に対して応募人数の方が多いんですが、いまブックワゴンをご利用いただいているお客様は、小さなお子さんからご高齢の方まで本当にいろんな方がいらっしゃるので、現地でさまざまなニーズに対応できるよう年齢層や性別がバラけるように留意しています。ブックワゴン事務局は東京と仙台にあり、仙台には3名のスタッフが常駐しています。現地で活動するスタッフには、本の貸し出しや本を探すお手伝いをしたり、現地の方との会話を通じて、ほっとやすらげる空間づくりをしてもらうよう、お願いしています。 ――プロジェクトを立ち上げる上で、一番苦労したのはどんなところですか? 櫻田 現地の方々との調整ですね。すごくデリケートな部分だったので時間を要しました。最初は本当に何も分からず、仮設住宅それぞれを管理されている方がいるのかどうかも分からない状況でした。今回は現地で復興支援活動をされている「NPOみやぎ・せんだい子どもの丘」「株式会社デュナミス」の方々にご協力いただいてワゴンを運営しているんですが、彼らと一緒に巡回する予定の仮設住宅に住んでいらっしゃる方の家を一軒一軒まわって、「今度こういうのをやるんですが、どうですか?」と話を聞くこともありました。  実際に現地に行くまではこのプロジェクトがどう受け止められるか、その温度感がまったく分からず不安はありましたし、仮設住宅にはすごくたくさんのボランティアの方が来ていたので、その中でどう会話を切り出していいのか、今後どう住民の方々と交流を持っていけばいいのか戸惑いましたね。
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オルゴールの音を鳴らして、ワゴンの到着を知らせる。
――現地の方々の反応はいかがですか? 櫻田 こちらが思っていた以上に、みなさん最初から好意的に受け入れてくださいました。そういう意味では、タイミングがすごく重要だったのかなと思いますね。NPOのみなさんも、「なんだかんだいっても、来てくれて何かしてくれるのはうれしいよ」「企業が自ら行動を起こして何かをやってくれるのはありがたい」と言ってくれています。 ――ブックワゴンに参加したスタッフの感想が現在ホームページにアップされていますが、「本が住民の方々の心のサポートにとても役立っていることを実感した」「本が日常に戻るきっかけをつくってくれている」など、本の力を感じた、という意見が多いですね。 櫻田 本というのはモノとしての価値だけではなくて、本と出会うことで記憶が蘇ったり、本を読むことで気持ちが楽になったり励まされたりするんですよね。もともと本を届けるというよりは、本を通じて生まれるコミュニケーションを届けようというのが活動のベースにあったのですが、現地の方々とコミュニケーションを取っていく中で、やっぱりそちらの方が大事だと気付かされました。 ■仮設住宅の様子 ――現在は仙台市内10カ所の仮設住宅を巡回していますが、巡回先はどのようにピックアップされたんですか? 櫻田 弊社の事業部が仙台にあるので、まずは仙台から一緒に盛り上げていきたいという思いがありました。巡回先10カ所は、NPOの方々に相談しながら、仮設住宅の入居率や、物理的にこのワゴンを駐車するスペースがあるかなども加味して決めました。巡回している仮設住宅の規模はさまざまで、一番大きい「あすと長町」は約240戸、一番小さい「高砂1丁目」は約30戸ですね。 ――仮設住宅の周辺はどのような環境なんですか? 櫻田 場所によって違いますが、だいたい元々ある公園の敷地内に建てられているケースが多いので、住宅地の真ん中だったり、隣接した場所にあります。あとは商業施設の建設予定地や小学校の建設予定地のグラウンドなども。元々人が住んでいるエリアに被災者の方々がバラバラに一気に引っ越してきた感じなので、当初はご近所づきあいもなにもない状況のようでした。 ――お互いコミュニケーションを取りたくてもどうしたらいいのか分からない、という面もありますよね。それこそ、ブックワゴンがそういったつながりを持つ場として機能しそうですが、仮設住宅以外に住む人もブックワゴンを利用しているんですか?
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少しずつ、横のつながりができ始めている。
櫻田 最初は仮設住宅に住む人にご利用いただきたいと活動していたので周辺住民の方には宣伝していなかったんですが、活動が安定してからは近くの児童館にご協力いただいて、児童館に来ているお子さんたちに広めてもらったりしました。現在では近隣の人も利用してくれています。  トッパンスタッフが現地に行ってみなさんのお話を聞くことも重要だとは思っていますが、わたしたちは半永久的にここで活動ができるわけではないので、現地の方々同士がどうしたらコミュニケーションをより図れるようになるのか、そういったことを考えながら活動することが大事だと思っています。 ――他のボランティアの方はどのような活動をされているのでしょうか? 櫻田 仮設住宅にはそれぞれ集会所か談話室というみなさんが集えるスペースが設けられていているのですが、そういった場所を利用してお茶会や交流会を行い、住民の方のお話を聞いたり、木の板に表札を書くボランティアや、仮設住宅内の使い勝手が悪いところを直す地元の大学生の団体もいましたね。 ――ボランティアとして現地で活動する中で、仮設住宅の問題点はどこにあると思われますか? 櫻田 個人的な意見になりますが、少しずつコミュニティーができ上がる一方で、いつかみんなここを出て行かなければならない。住民のみなさんそれぞれが住宅を出るタイミングには差が出てきます。どんどん人が出て行くのは喜ばしいことではあるけれど、残される人が受ける心の傷はとても大きいですし、そういった方々がどういうモチベーションで自立に向けて歩んでいくのかというのは、すごく難しい問題だと思います。2年間という期限が設けられた中でどう関係性を築いていくのか。若い世代が先に出て、高齢者ほど遅くなる。高齢者だけになってしまったときに出てくる問題というのもあると思います。ただ、現在仮設住宅にいらっしゃるみなさんはおそらく復興住宅に入っていくことになると思いますので、コミュニティーをつくるという過程や経験、つくられたコミュニティーがいかに大切かということは、復興住宅でも活きていくものだと思います。 ■今後の課題 ――現在はワゴン2台、仙台市内10カ所のみでの活動ですが、今後エリアを増やしていく予定はあるんですか?
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本日も巡回中です。
櫻田 ちょうど検討しているところです。だいぶ運営も慣れてきたので、要望があるところや、ニーズがありそうなところを広げていければと思っています。 ――このプロジェクトの核は「仮設住宅の新しいコミュニティーづくりや、さまざまな団体の活動のきっかけをつくる」ということでもありましたが、その手ごたえを感じていますか? 櫻田 ブックワゴンのようにいろいろな人が集まってこられる場所を持つことによって、新しいつながりができたり、会話が生まれたりするので、住民の方同士のコミュニケーションづくりには非常に効果があるのではないかと思っています。これから先、仮設住宅の中で自治組織ができ上がって住民の方たちが一歩先に進まれる中で、ブックワゴンとして何ができるのかということはもっと深く考えていかなければならないと思っています。本というのは、空いてしまった心の溝を埋めることもできますし、それぞれの方が今後、自立して元の生活に戻っていくにあたって必要な実用的な知識を届けるということもできます。復興のフェーズに合わせて、わたしたちがどういう本を届けていったらいいのか考えていくことは、みなさん同士のつながりやコミュニティーづくりに貢献できるのではないかと思います。  今後はわたしたちだけでなく、ほかの企業や自治体、あるいは地域の図書館という可能性もあるかもしれませんが、さまざまな方と連携して何かできればいいなと思っています。ただ、わたしたちは、「本を通じて何ができるか」ということに最後までこだわって活動していきたいですね。 (取材・文=編集部) ●ブックワゴン トッパングループが行っている、東日本大震災被災地域の仮設住宅を巡回する移動図書館。2台のブックワゴンが、本と人とがふれあう場を提供している。2011年7月~2012年3月末まで社員自らがスタッフとして同乗し、活動を行う。 <http://bookwagon.jp/
ぼくのいい本こういう本―1998‐2009ブックエッセイ集 応援したい。 amazon_associate_logo.jpg
【関連記事】 「写真はここで生きていたという証」被災者の思い出を取り戻す、被災写真洗浄ボランティア 【6.11 SHARE FUKUSHIMA】大破したコンビニでチャリティーライブ 被災地"圏内"に響く歌声 日本科学未来館に聞く、3.11の教訓とこれからの科学

「本を通じて何ができるか」凸版印刷・ブックワゴンと仮設住宅のいま

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図書館としてのクオリティーも高いブックワゴン。
 凸版印刷をはじめとするトッパングループが行っている、東日本大震災被災地域の仮設住宅を巡回する移動図書館「ブックワゴン」の活動がまもなく4カ月目を迎える。これは、普段から本や印刷物を身近に感じ、本好きが多い印刷会社としてできる復興支援をしたいという社員の声から始まった活動だ。マイクロバスを改造した2台のブックワゴンにそれぞれ2,500冊ほどの本を積み込み、仙台市内の仮設住宅10カ所を巡回している。ワゴンを運営するのは、もちろんトッパン社員。社内公募で選ばれたスタッフが週交代で業務に当たっている。「本と人がふれあう場を提供する」というコンセプトのもと行われているこの活動は、いま仮設住宅において重要課題となっている"コミュニティーづくり"のひとつのきっかけになるのではないか。トッパンブックワゴン事務局に話を聞いた。 ――移動図書館「ブックワゴン」は7月からスタートし、現在までに約3,000名が利用されているそうですが、この話が社内で持ち上がったのはいつごろなんですか? ブックワゴン東京事務局 櫻田かよさん(以下、櫻田) 震災直後からトッパンとして被災地にどのような支援ができるのか社内でいろいろと話し合っていたんですが、その中でこのプロジェクトの発起人である2名の社員から、こういうことをやってみたらどうかというアイデアが出てきたんです。 CSR推進室 山本正己さん(以下、山本) ブックワゴンは弊社としても初めての取り組みだったんですが、3月末には一度現地に入り、震災から1カ月経たないうちに具体的に動き出しました。ブックワゴンを始めるにあたり、トッパンらしい活動であること、全社員が参加できる活動であること、長期的に活動すること、という3つの指標を決め、企画を進めていきました。
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ワゴンの製造風景。
――ワゴンが動き出すまで準備期間が3カ月ありました。この時期を選んだのには何か特別な理由があるのですか?  山本 移動図書館という本を読んでもらう行為が、現地の復興のフェーズに対してどうフィットするのか分からなかったのでタイミングを見ていたという面もありますが、仮説住宅が立ちあがる時期をひとつの目標にしていました。まだみなさんが避難所にいる段階ではなく、仮設住宅に入って少しでも気持ちが落ち着いたときでないと、この活動の意味がないのではないかと思いまして。 ――全国のトッパングループ社員から約2,000冊の本が寄贈されたそうですね。 櫻田 限りなく新刊に近い本で、社員一人一人が仮設住宅に入居されている人に読んでもらいたい本を選んで寄贈してほしいということをお願いしました。本のおすすめポイントや感想などが書き込めるフォーマットを用意し、それを本の表紙裏に貼って寄贈してもらっています。当初は1,000冊くらいを目標としていたんですが、最終的には倍以上集まりました。中には一人で10冊以上送ってくれた社員も。売れ筋の本だけでなく、印刷会社ならではのマニアックな本もありましたね。その他にも、「<大震災>出版対策本部」をはじめとする、さまざまな団体・企業のみなさまからも寄贈をいただき、幅広いジャンルの本を収集することができました。
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全国から集まった社員の寄贈本。
一冊一冊、メッセージが添えられている。
――週交代で4人のスタッフがワゴンに乗り込み活動されているそうですが、どのような方が参加されているのですか? 櫻田 このプロジェクトは現段階で2012年3月末まで行うことが決まっているんですが、計132名が参加予定です。1、2日では現地の状況や仕事に慣れないまま行って帰ってくるだけで終わってしまうので、1週間すべて参加できる人に限って応募してもらっています。男女比はちょうど半々くらい。20代中盤から30代前半くらいの社員が比較的多いですね。募集枠に対して応募人数の方が多いんですが、いまブックワゴンをご利用いただいているお客様は、小さなお子さんからご高齢の方まで本当にいろんな方がいらっしゃるので、現地でさまざまなニーズに対応できるよう年齢層や性別がバラけるように留意しています。ブックワゴン事務局は東京と仙台にあり、仙台には3名のスタッフが常駐しています。現地で活動するスタッフには、本の貸し出しや本を探すお手伝いをしたり、現地の方との会話を通じて、ほっとやすらげる空間づくりをしてもらうよう、お願いしています。 ――プロジェクトを立ち上げる上で、一番苦労したのはどんなところですか? 櫻田 現地の方々との調整ですね。すごくデリケートな部分だったので時間を要しました。最初は本当に何も分からず、仮設住宅それぞれを管理されている方がいるのかどうかも分からない状況でした。今回は現地で復興支援活動をされている「NPOみやぎ・せんだい子どもの丘」「株式会社デュナミス」の方々にご協力いただいてワゴンを運営しているんですが、彼らと一緒に巡回する予定の仮設住宅に住んでいらっしゃる方の家を一軒一軒まわって、「今度こういうのをやるんですが、どうですか?」と話を聞くこともありました。  実際に現地に行くまではこのプロジェクトがどう受け止められるか、その温度感がまったく分からず不安はありましたし、仮設住宅にはすごくたくさんのボランティアの方が来ていたので、その中でどう会話を切り出していいのか、今後どう住民の方々と交流を持っていけばいいのか戸惑いましたね。
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オルゴールの音を鳴らして、ワゴンの到着を知らせる。
――現地の方々の反応はいかがですか? 櫻田 こちらが思っていた以上に、みなさん最初から好意的に受け入れてくださいました。そういう意味では、タイミングがすごく重要だったのかなと思いますね。NPOのみなさんも、「なんだかんだいっても、来てくれて何かしてくれるのはうれしいよ」「企業が自ら行動を起こして何かをやってくれるのはありがたい」と言ってくれています。 ――ブックワゴンに参加したスタッフの感想が現在ホームページにアップされていますが、「本が住民の方々の心のサポートにとても役立っていることを実感した」「本が日常に戻るきっかけをつくってくれている」など、本の力を感じた、という意見が多いですね。 櫻田 本というのはモノとしての価値だけではなくて、本と出会うことで記憶が蘇ったり、本を読むことで気持ちが楽になったり励まされたりするんですよね。もともと本を届けるというよりは、本を通じて生まれるコミュニケーションを届けようというのが活動のベースにあったのですが、現地の方々とコミュニケーションを取っていく中で、やっぱりそちらの方が大事だと気付かされました。 ■仮設住宅の様子 ――現在は仙台市内10カ所の仮設住宅を巡回していますが、巡回先はどのようにピックアップされたんですか? 櫻田 弊社の事業部が仙台にあるので、まずは仙台から一緒に盛り上げていきたいという思いがありました。巡回先10カ所は、NPOの方々に相談しながら、仮設住宅の入居率や、物理的にこのワゴンを駐車するスペースがあるかなども加味して決めました。巡回している仮設住宅の規模はさまざまで、一番大きい「あすと長町」は約240戸、一番小さい「高砂1丁目」は約30戸ですね。 ――仮設住宅の周辺はどのような環境なんですか? 櫻田 場所によって違いますが、だいたい元々ある公園の敷地内に建てられているケースが多いので、住宅地の真ん中だったり、隣接した場所にあります。あとは商業施設の建設予定地や小学校の建設予定地のグラウンドなども。元々人が住んでいるエリアに被災者の方々がバラバラに一気に引っ越してきた感じなので、当初はご近所づきあいもなにもない状況のようでした。 ――お互いコミュニケーションを取りたくてもどうしたらいいのか分からない、という面もありますよね。それこそ、ブックワゴンがそういったつながりを持つ場として機能しそうですが、仮設住宅以外に住む人もブックワゴンを利用しているんですか?
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少しずつ、横のつながりができ始めている。
櫻田 最初は仮設住宅に住む人にご利用いただきたいと活動していたので周辺住民の方には宣伝していなかったんですが、活動が安定してからは近くの児童館にご協力いただいて、児童館に来ているお子さんたちに広めてもらったりしました。現在では近隣の人も利用してくれています。  トッパンスタッフが現地に行ってみなさんのお話を聞くことも重要だとは思っていますが、わたしたちは半永久的にここで活動ができるわけではないので、現地の方々同士がどうしたらコミュニケーションをより図れるようになるのか、そういったことを考えながら活動することが大事だと思っています。 ――他のボランティアの方はどのような活動をされているのでしょうか? 櫻田 仮設住宅にはそれぞれ集会所か談話室というみなさんが集えるスペースが設けられていているのですが、そういった場所を利用してお茶会や交流会を行い、住民の方のお話を聞いたり、木の板に表札を書くボランティアや、仮設住宅内の使い勝手が悪いところを直す地元の大学生の団体もいましたね。 ――ボランティアとして現地で活動する中で、仮設住宅の問題点はどこにあると思われますか? 櫻田 個人的な意見になりますが、少しずつコミュニティーができ上がる一方で、いつかみんなここを出て行かなければならない。住民のみなさんそれぞれが住宅を出るタイミングには差が出てきます。どんどん人が出て行くのは喜ばしいことではあるけれど、残される人が受ける心の傷はとても大きいですし、そういった方々がどういうモチベーションで自立に向けて歩んでいくのかというのは、すごく難しい問題だと思います。2年間という期限が設けられた中でどう関係性を築いていくのか。若い世代が先に出て、高齢者ほど遅くなる。高齢者だけになってしまったときに出てくる問題というのもあると思います。ただ、現在仮設住宅にいらっしゃるみなさんはおそらく復興住宅に入っていくことになると思いますので、コミュニティーをつくるという過程や経験、つくられたコミュニティーがいかに大切かということは、復興住宅でも活きていくものだと思います。 ■今後の課題 ――現在はワゴン2台、仙台市内10カ所のみでの活動ですが、今後エリアを増やしていく予定はあるんですか?
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本日も巡回中です。
櫻田 ちょうど検討しているところです。だいぶ運営も慣れてきたので、要望があるところや、ニーズがありそうなところを広げていければと思っています。 ――このプロジェクトの核は「仮設住宅の新しいコミュニティーづくりや、さまざまな団体の活動のきっかけをつくる」ということでもありましたが、その手ごたえを感じていますか? 櫻田 ブックワゴンのようにいろいろな人が集まってこられる場所を持つことによって、新しいつながりができたり、会話が生まれたりするので、住民の方同士のコミュニケーションづくりには非常に効果があるのではないかと思っています。これから先、仮設住宅の中で自治組織ができ上がって住民の方たちが一歩先に進まれる中で、ブックワゴンとして何ができるのかということはもっと深く考えていかなければならないと思っています。本というのは、空いてしまった心の溝を埋めることもできますし、それぞれの方が今後、自立して元の生活に戻っていくにあたって必要な実用的な知識を届けるということもできます。復興のフェーズに合わせて、わたしたちがどういう本を届けていったらいいのか考えていくことは、みなさん同士のつながりやコミュニティーづくりに貢献できるのではないかと思います。  今後はわたしたちだけでなく、ほかの企業や自治体、あるいは地域の図書館という可能性もあるかもしれませんが、さまざまな方と連携して何かできればいいなと思っています。ただ、わたしたちは、「本を通じて何ができるか」ということに最後までこだわって活動していきたいですね。 (取材・文=編集部) ●ブックワゴン トッパングループが行っている、東日本大震災被災地域の仮設住宅を巡回する移動図書館。2台のブックワゴンが、本と人とがふれあう場を提供している。2011年7月~2012年3月末まで社員自らがスタッフとして同乗し、活動を行う。 <http://bookwagon.jp/
ぼくのいい本こういう本―1998‐2009ブックエッセイ集 応援したい。 amazon_associate_logo.jpg
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