東日本大震災から3年半──福島県の農園を苦しめる“復興詐欺”横行の現実

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 ※イメージ画像 photo by muo1417 from flickr 
 原発の風評被害から必死に立て直しを図る福島県の農園で、復興対策の「オーナー制度」が悪用される詐欺事件が起こっている。  農園のオーナー制度は、桃や梨、リンゴなどの畑や木のオーナーになって収穫を楽しんでもらうもの。以前から全国各地で人気となっているが、風評被害に苦しむ福島の農園では、特にこの制度を採用する動きが加速中。これに、善意でオーナーに名乗り出る人々の輪も広がっていた。  しかし、6月中旬にこの話を持ち掛けられた神奈川県在住の会社員・Aさんは「飲食店で知り合った人物に話を聞き、6万円を投資したところ、だまされてしまった」という。 「福島で桃園を経営しているという人物で、震災の影響で非常に苦しいと話していました。最近は年間6万円で樹木オーナーを募集しているというので、応募しました。桃の売り上げから一部が被災者救済にも寄付されると説明を受けましたが、プロセッションという会社の口座に6万円振り込んだ後、音信不通になったんです」  Aさんは、伝えられていたいわき市の桃園にも行ってみたが「現地は桃など1本も生えていない、林野だった」という。すぐに被害届を提出したが、現在まで犯人は捕まっていない。福島県警によると「こうした震災後の支援関係の詐欺は、およそ年間250件ほどある」という。 「過去には、被災して空き家になったままの場所を住所として悪用しているケースもあって、だまされた人たちが現地に来ては、詐欺に気付いたりしている」(県警)  8月末、いわき市の農園で桃狩りの運営者をあたってみると「お客さんから“怪しいオーナー話を聞いた”と相談を受けることがあります。観光客激減の中で必死に運営している我々にとっては、本当に悲しい話」と答えた。  一方、こうした問題に立ち上がる民間の有志もいる。福島大に通う学生が、被災地関係の詐欺を徹底調査、情報収集して各地に流して周知させる取り組みを始めようとしているという。  先日は久間章生・元防衛相が代表を務めるNPO法人の元幹部らが「放射能の影響で宿泊施設の建設が中止となった」と東電にウソの損害賠償を請求、約1,800万円をだまし取ったとされる事件もあったが、日本の非常事態で大小問わず詐欺が横行していることはあまりに悲しい。 (文=ハイセーヤスダ)

国からの“圧力”も!? 強気から一転『美味しんぼ』が弱気になったワケとは――

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『美味しんぼ 110』(小学館)
 「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で連載中の人気漫画『美味しんぼ』で描かれた福島県の放射能汚染の様子が波紋を呼んでいる。  問題となったのは、同漫画の主人公の新聞記者が福島第一原発を取材後、原因不明の鼻血を出す場面。12日発売号では描写がより過激になり、前双葉町長だった井戸川克隆氏が実名登場し、福島の住民で鼻血や倦怠感を訴える人が出ているのは「被ばくしたから」と明言している。  さらに、大阪で受け入れた震災がれきを処理する焼却場近くの住民約800人にも同様の症状が出ていると訴えている。  これに対し、福島県12日、ホームページ上で「本県への風評被害を助長するものとして断固容認できず、極めて遺憾」と非難。大阪市の橋下徹市長も「フィクションという漫画の世界でも、ちょっとやりすぎ。作者が取材に基づいていると言っているようなので、事実というなら根拠を示してほしい」と批判した。  国も敏感に反応した。菅義偉官房長官は「被ばくと鼻血に、まったく因果関係はない」。安倍晋三首相に至っては福島に乗り込み、風評被害に毅然と対応することを表明した。  当初、強気だった出版元の小学館も、ここまでのハレーションは想定外。内部関係者によると「物議を醸すことは織り込み済みで、編集部内ではどんなに叩かれようが絶対謝罪しないと決めていた。ところが、最近になって上層部から『やりすぎるな』と“天の声”が入ったそうだ。国が動いているからだろう」と話す。  結果、19日発売号の特集記事では「編集部の見解」として村山広編集長名で「多くの方々が不快な思いをされたことについて、編集長としての責任を痛感しております」と反省の弁を掲載。同号をもって、いったん『美味しんぼ』が休載となることも発表した。 「休載は以前から決まっていたことですが、編集部内ではこのまま突っぱねていたら国を敵に回すことになるので、安堵の声も聞かれます」(前出関係者)  とはいえ、本当に『美味しんぼ』だけが“悪”なのか? 原発問題に詳しい中部大学教授の武田邦彦氏は、自身のブログで同作を擁護。「公害の立証責任は誰にあるのか?」と題し「本来は『鼻血が出た』ことを心配しなければならない環境大臣までが、『不快だ』というような事態である」と断罪。続けて、1960年代に四日市で起こったぜんそくの例を挙げ「数人のゼンソクがみられる時に、テレビ局がゼンソクを発症していない人を数人取材して、それを放映するという手段は犯罪に近い。今回でも『私は鼻血を出さなかった』という取材をして放送していたところもあった。(中略)今日のテレビを見ていたらある首長が『鼻血が出たというならデータを示せ』とか『多くの人が鼻血が出ているかどうかわからないのにいい加減のことを言うな』と言い、それをテレビが放映していた。これまでの公害では全く見られなかったことで、このようなことが起こったのは、マスコミが『権威に従う』ということ、つまりNHKの会長が言ったように『政府が右と言ったのだから、右と放送せざるを得ないじゃないか』という現代のマスコミの倫理観を示している」と報道機関にも注文つけている。  「どちらが悪い」という論点ではなく、この機会に福島県の“今”を国民全体で議論することが重要なのだが……。

東日本大震災から3年「粘り強く脱原発の芽を──」藤波心も熱く語りかけた第3回『Peace On Earth』

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藤波心
 東日本大震災の追悼の場として、2012年3月から始まった『ピース オン アース』。3回目となる今回、3月8日、9日、11日の3日間に渡り、東京・日比谷公園で行われた。  大惨事が起こった3月11日、午後2時46分。ステージ上には加藤登紀子、SUGIZO、藤波心らが。そして追悼に訪れた市民たちと共に黙祷が捧げられた。 「震災から3年が経ちました。その間、震災の関連で亡くなられた方が2,634人もいます。福島では1,660人。孤立している人が今もいます。そういう人たちにどけだけ力を与えることができるか。これからが大切です。頑張ろう。素晴らしく生きましょう。未来のために」(加藤登紀子) 「3年前の震災から、僕らは何を学び、何を考えなくてはならないのか。考えなくてはいけないことは命。命なくして、経済の発展もありません。僕らはこれまで地球・自然と共存する方法を間違えていたと思います。これからは生活文化のスタイルを考え直さなくてはいけません。未来は自分たちが作るものなのです」(SUGIZO) 「震災から3年、日本はまた原発再稼動に向かっています。国は経済のためだといって。(脱原発派は)選挙で負けていますが、まだまだ輪を広げていきたいと思います。粘り強く脱原発の芽を咲かせましょう」(藤波心)
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黙とうを捧げるSUGIZOら
 力強く熱いメッセージを投げかけてくれた。 (撮影・文=シン上田)

【追記アリ】「車に泊まり込み、必死で撮影」ヤラセ報道のドキュメンタリー映画『ガレキとラジオ』監督がコメント公表

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南三陸町復興ドキュメンタリー『ガレキとラジオ』公式サイト
 5日、朝日新聞紙上で“ヤラセ”があったことを暴露されたドキュメンタリー映画『ガレキとラジオ』の監督2名が、公式Facebook上でコメントを発表した。  同映画は、2011年の東日本大震災後に、宮城県南三陸町で活動していた臨時災害FMラジオ局に密着したという「涙と笑いと感動のドキュメンタリー」(作品HPより)。報道によると、同作品中では、娘と孫を津波で失った女性がラジオに励まされる場面が描かれたが、実際にはこの女性は同ラジオ局の電波が届かない地域に暮らしており、ラジオを聞いていなかったのだという。  この報道を受けて、同作品の監督である梅村太郎、塚原一成の両氏は連名でコメントを公表。まず「撮影スタッフは自分たちで調達した車に泊まり込み一年近く必死でラジオ局を撮影しつづけました」と撮影の苦労を打ち明けた上で、「当然、ご本人、ご家族の了承を頂き、撮影を行いました。(中略)現在はご心労をおかけしておるとのことを、大変申し訳なく思います」と謝罪。「ドキュメンタリーとして許される範囲の『演出』として考えておりました」としながらも、「それがドキュメンタリーを逸脱したものだというご指摘は真摯に受け止めたいと思います」としている。  このコメントは「何卒、本映画の趣旨をご理解頂けますよう、心からお願い申し上げます」と締められているが、Facebookには早くも「本映画の趣旨、とは真実を捻じ曲げても『演出』を優先するということなのでしょうか」「震災ビジネス気持ちイイか?」など、厳しい意見が書き込まれている。  『ガレキとラジオ』は12年8月に公開され、現在でも各地で自主上映会が行われている。 【編集部追記】 同日、『ガレキとラジオ』でナレーションを担当した俳優・役所広司が自らのブログで「ドキュメンタリーでやってはならない演出で出演された女性の方に、新たな苦しみを与えてしまったこの映画は、今後二度と上映されるべきものではありません。」とのコメントを発表しています。 http://yakushokoji.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-ed04.html

原発作業員が綴る現場のリアルと、二極化する報道へのアンチテーゼ『福島第一原発収束作業日記』

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『福島第一原発収束作業日記』(河出書房新社)
 先月の『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)で、福島第一原発問題が取り上げられた。「本当に汚染水は危険なのか?」「福島第一原発はコントロールされているのか?」「東京電力の今後」について政治家や識者やジャーナリストが議論を交わしていたが、そんな中、「今までの議論を聞いていてどう思うか?」とアナウンサーが観覧者にマイクを向けると、福島から来たという年配の女性の怒りが爆発した。 「現場作業員の士気が下がっているなんて、現場作業員の実態を知らないで簡単にものを言わないでください。皆さん、本当に頑張っています」  テレビを見ていた人たちには、女性の怒りは感情的に映ったかもしれない。しかし、本書を読めば、誰しもがあの場で声を荒らげたくなるはずだ。  『福島第一原発収束作業日記』(河出書房新社)は、とある原発作業員の2011年3月11日からのツイートを、日記調にまとめたものである。福島第一原発でどのような作業が行われているのかが細部にわたってミクロな視点で描かれており、大手メディアが報道しないリアルと、生じている現場との齟齬が感じられる。そして、その齟齬は、そのまま被災地以外と被災地という図式になっていると思う。  というのも、現在の東京の日常において、福島第一原発への意識は薄い。それこそ、何かトピックスがない限り、テレビも新聞もトップニュースとして扱うことはほとんどない。  本書は、我々が福島第一原発の実態を何も知らないことを痛感させる。それは、東日本大震災後、当時の政府や東京電力経営陣の捏造を見抜けず、大本営発表に踊らされた過ちを繰り返す可能性を意味している。政府や東京電力上層部を監視できなかったゆえに生まれた“人災”を。  実は震災直後、内閣総理大臣補佐官に任命された民主党の馬淵澄夫氏は、福島第一原発の汚染水を懸念し、すぐに対策を練っていた。 「当時、東京電力の経営者は(遮水壁を作ることによる)1000億円の新しい債務がのしかかることについて、たいへん債務超過の懸念を示して、これに対して反対する立場を取っておられました。しかしながら海洋流出を止めないといけません。海への汚染を絶対起こしてはならないということで、私は当時のカウンターパートである副社長と話をして、この海への壁を作ることのプロセスを進めようと努力をしていました。 2011年の6月14日、記者発表まで準備をしていました。そこでは四方を囲む遮水壁、ベントナイトというんですが、その記者発表までをする予定だったのですが、最終的にはこれは延期されました。これは東京電力側によって、先ほど申し上げた債務超過の起こることを恐れる要請をうけて、当時の民主党政権が、その懸念を受け入れたのだと私は思います。 そして6月の27日、東京電力の株主総会の前日ですが、私は突然総理大臣補佐官の職を解かれることになりました。理由はわかりませんが、まあ少なくとも任命権者から任を解かれたことで、私はこの収束の作業から身を離れることになりました。そしてその後、民主党政権においてはこの遮水壁は作られませんでした」(エコーニュースより引用)  馬淵氏が明かしたように、汚染水問題は“人災”であり、権力の暴走でもある。それを防げなかったのは、我々が騙され、無知だったからだ。にもかかわらず、馬淵氏がなぜ更迭されたのかという議論も起こさなかった大手メディアに、いまだに身を委ねている。  こういった上層部の迷走のしわ寄せを受けるのは現場である。二転三転する指示に振り回され、自分たちがベストと考える作業ができない。誤ったトップダウンに、なす術もなく翻弄されてしまう。  古代ローマの拷問に、身動きを取れなくした人間を暗闇に入れて、額に水を一滴ずつ垂らすというものがある。数日ならばなんてことのないが、これが延々と続くと耐えられなくなってしまうというものだ。本書で福島第一原発の現場作業員の現状を知り、そんなことを思い出した。 「なぜ、国が一括して作業員を雇い、給料の中抜きをする仲介会社が出ないような仕組みを作らないのか」「なぜ、国が中心になって、事態を収束させないのか」「なぜ、時間的に不可能な工程表を出すのか」「なぜ、予算を削減するのか」  積み重なる「なぜ?」が現場作業員を苦しめる。しかし、当時も今も、そのような現場を伝える大手メディアはほぼ皆無であり、いまだに責任問題すらも論じられていない。芸能人のスキャンダルは追い掛け回すが、当時の東京電力経営陣は糾弾すらされていない。  著者がTwitterをスタートさせたのは、そんなメディアに対するアンチテーゼでもある。現在も変わらず、原発への報道は二極化している。大手主要メディアは驚くほど好意的に報じ、その逆張りのように、週刊誌やネットメディアやフリーランスは過激に煽る。どちらも扇動的であり、ノイズがある。「正確な情報」を見極めるのが難しい。だからこそ我々は、原発について、自分の頭で考えなければいけない。  原発の最終処理は何万年単位の時間が必要だといわれている。未来の人たちからすれば、我々が意味を理解できなかったピラミッドやナスカの地上絵を見るような感覚で、原発という危険な代物の最終処理場と接するのだろう。  このまま、万が一の対応も、最終処理も、未来に託すしか方法がない原発を利用していいのか。それとも、ウルトラC的な技術を生むための研究と並行するのか。原発を甘受してきた日本国民全員が是々非々で論じる必要がある。「どっちでもいい」はやめにしよう。我々が生み出す世論で、メディアや政府を動かさなければいけない。本書はその一端を担うものだ。 (文=石井紘人@FBRJ_JP)

大震災の被害に遭ったのは人間だけじゃない! 被災地に取り残されたペットと家畜の過酷な現状

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『犬と猫と人間と2』の飯田プロデューサー(画面右)。『犬と猫と人間と』(09)の続編と
発表され、全国から多くのカンパが寄せられた。
■前編はこちらから  『犬と猫と人間と2』の後半は、福島第一原発事故の警戒区域に残された牛たちの世話をするボランティアスタッフたちがクローズアップされる。その中心となっているのが岡田久子さん。2011年3月下旬から避難指示区域に残された犬や猫たちに水や餌を与えに、宮城から片道2時間かけて通っていた岡田さんは、同年6月からは牛たちの世話もするようになった。20km区域内の家畜たちは区域外への持ち出しを国から禁じられ、鶏と豚はほぼ全てが餓死もしくは殺処分に。牛も2,600頭が死に追いやられた。殺処分に踏み切れなかった牧場主もいるが、牧舎の中には餓死した牛が倒れ、その横では糞尿まみれで痩せ細った牛たちに死が迫っている。ボランティアの手が足りず、どうにもならない。区域内では獣医を呼ぶこともままならない。人間の都合によって命を左右される動物たちの過酷な現実をカメラは記録していく。 宍戸 実のことを言うと、今回はタイトルにある通り、犬や猫たちのドキュメンタリーにするつもりだったので、岡田さんから牛たちの話を聞いたときは、「取材しても、作品に盛り込めないしなぁ」と消極的でした。牛たちの取材は見送ろうとしたんですが、「農水省や県に牛の惨状を訴えても、なしのつぶて状態。せめて、この状況をweb上で訴えたいので、動画撮影をしてほしい」と頼まれて、「動画撮影だけなら」と協力することにしたんです。牧舎を訪ねたところ、もう驚きました。「これが現実なのか……」と。無関心を決め込もうとしていた自分自身への怒りが湧いてきました。 飯田 僕も追加取材の段階で、宍戸くんの取材に同行しました。宍戸くんの現場に口を挟みたくないので、なるべく行かないようにしていたんです。浪江町の「希望の牧場」と「やまゆりファーム」をもう一度撮影するので一緒に訪ねたのですが、情けないことに僕は牛たちの遺体置き場に近づけなかった。死んだ牛の腐敗臭がすごく、吐き気を催してしまったんです。映像には臭いまでは映りませんが、近づいただけで服に臭いが移るほど強烈でした。夏場の牧舎の中での撮影は、本当にきつかったと思います。 ──国は全頭殺処分の方針を、震災から1年後には「区域内で生かすだけならよい」と方向転換。300頭以上の牛を生かしてきた「希望の牧場」に、岡田さんらが世話をする「やまゆりファーム」の65頭の牛たちが迎え入れられていくことに。牛たちが大移動していく様子は、まるで神話「ノアの方舟」を思わせる感動的なシーンです。しかし、感動だけでは済まないシビアな現実が……。 宍戸 岡田さんが「牛の面倒は自分たちでやるから」という条件付きでお願いして、「希望の牧場」の牧場主である吉沢正巳さんが引き受けることになったんです。ですが、吉沢さんとボランティアである岡田さんたち2~3人で、400頭近い牛たちの世話をするのは不可能なこと。生き延びた牛たちの間で生存競争が起き、餌にありつけない牛はどんどん弱っていくんです。 飯田 厳しい状況なんだけど、宮城から片道2時間かけて浪江町まで週5日通い続ける岡田さんに対して、吉沢さんが「なんでそんなに頑張れるの? これって何かの宗教?」って冗談っぽくツッコミを入れるよね。あのシーンが良かった。しんどい状況の中で、ふっと人間味が感じられる。ああいうやりとりをカメラが拾うことで、ドキュメンタリーの雰囲気ってずいぶん変わってくるよね。
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福島第一原発の20km圏内に残された牛たち。行政は商品価値のない
経済動物として殺処分を求めたが、踏み切れなかった牧場主も少なくなかった。
──確かに動物ボランティアのスタッフたちの献身ぶりは、一種の宗教のようにも感じさせます。岡田さんは笑って「宗教じゃない」と首を振っていますが、どうしてあそこまで熱心に活動できるんでしょうか? 宍戸 岡田さんに限らず、ボランティアのみなさんの声を公約数にすると「動物たちの現状を知ってしまったから。自分が行かないと、動物たちが死んでしまうことが分かっているから」ということです。岡田さんは、ご主人が神奈川に単身赴任していて、休日にはご主人も一緒にボランティア活動を手伝っているんです。岡田さんからは「人手が足りないので、牛の世話を手伝ってくれないか」と、取材していた僕も頼まれました。現場を見てしまうと、やはり断れないんです。「やまゆりファームが軌道に乗るまででいいから」と言われたんですが、なかなか軌道に乗らずに、その後も手伝い続けています(苦笑)。 ──『犬と猫と人間と2』は宍戸監督がいろんな状況に遭遇していく、巻き込まれ型サスペンスならぬ“巻き込まれ型ドキュメンタリー”。各取材先で手伝いもしていたそうですが、実際のところ、カメラを回していた時間と手伝いをしていた時間は、どちらが長かったんでしょうか? 飯田 鋭い質問だ!(笑) 宍戸 それはですね……正直なことを言うと、ボランティア作業を手伝っていた時間のほうが、カメラを回していた時間よりも長かったと思います(笑)。「アニマルクラブ石巻」でも手伝い、原発事故で飼い主とはぐれた犬や猫たちを保護している福島市の動物シェルター「SORA」でも手伝い、「やまゆりファーム」でも牛の世話を手伝っていました。どこも人手が足りていない状態でしたから。 飯田 岡田さんも「この人なら、口説き落とせる」と踏んで、宍戸くんに頼んだんじゃないかな(笑)。でも、撮影を忘れなかっただけ、エライよ。最初、「ボランティアをしながら撮影をしたい」と相談してきた宍戸くんに対して、僕は「どちらかにしたほうがいい」とアドバイスしたんです。どっちを取れとは言いませんでした。それは本人が決めればいいことですから。このとき宍戸くんは「撮ります」と答えたんだよね。はっきり言うと、“撮る”ことのほうが難しい。ボランティアとして手伝うほうが、役に立っていることを自分も実感できて、その場での満足度は高い。カメラなんて、その場では何も役に立たないですから。だから両方をやろうとすると、ボランティアのほうに走ってしまうんじゃないかと思った。そのことが僕は心配だった。勘違いしてほしくないけど、僕も取材のときは、最低限の撮影が済んだら相手を手伝ったりすることはあります。取材で相手の時間を奪うわけですし、長期間の取材になると、かなりの精神的な負担も掛けてしまいます。手伝うことで相手とコミュニケーションを図るという一面もあるんです。「撮影だけしろ、手伝いはしなくてもいい」と言ったわけじゃないからね(笑)。 ■義援金で購入したペットを手放す、悲しいスパイラル ──終盤、カメラは再び石巻へ。被災者たちは仮設住宅で新生活をスタートさせますが、義援金や給付金で新たにペットを購入。そのペットたちを早々に手放すはめに陥るという悩ましい問題が生まれているんですね。 宍戸 震災で家族や住まいを失った寂しさを紛らわすためにペットを衝動買いしてしまうんですが、結局ペットの世話ができなくなるというケースが生じています。僕が取材したペットショップのペット購入率は、震災後、通常の1.5倍に伸びたそうです。 飯田 失ったものをもう一度手に入れたい、という被災者の心情は理解できる。被災地では車や家電製品も売れていると思います。でも、ペットの場合は生活必需品ではないわけですよね。身近に動物がいてくれることで救われる人もいれば、やっぱり動物と一緒に暮らすのは無理だったと手放してしまう人もいる。 宍戸 そうですね。今回の取材を通して、やっぱり人間は犬や猫や牛たちに対して、緊急時でも責任を持って面倒を見なくちゃいけないということを強く感じました。また、災害によって日常を奪われてしまった人たちに接することで、人生は突然に変わってしまうこともある、それだけに人であれ動物であれ、命と命との出会いは大切にしよう、と今まで以上に考えるようになりましたね。
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社会の弱者へ眼差しを向ける飯田プロデューサー。「問題点が浮かび上がり、また問題が解消されて
いない今、公開する意味があると思うんです」
──取材先で「飯田さんの弟子」を名乗った宍戸監督の成長ぶりを、師匠の飯田プロデューサーはどう感じていますか? 飯田 今回、編集は僕がかなり主になってやってしまったけど、撮影に関して本当に頑張った。特に牛たちの様子は、密着してよく撮影したなと思います。取材を始めた最初の頃とは全然違っている。ひとりのドキュメンタリー監督の成長記としても観ることのできる作品になったんじゃないかな。今日みたいに取材に答えることで、監督自身が気づかされることって多い。今はドキュメンタリーの監督って、ひとりでカメラを回していることが多く、取材中は頭を下げてばっかり。監督という自覚が持てない(苦笑)。だから、ある意味、ドキュメンタリー監督は作品の公開が決まり、取材を受け、舞台あいさつを重ねていくことで監督らしくなっていく部分があると思います。宍戸くんには、これからも取材を続けてほしいですね。特に牛たちがどうなるのか、最後まで見届けてほしい。 宍戸 もちろん、今回の取材で出会った人たちのその後は、これからも追っていきたいです。実家のある名取市から離れていることもあって、頻繁には行けてないんですが、「やまゆりファーム」には月1~2度は手伝いに行っています。 ──最後にもうひとつ。前作『犬と猫と人間と』の公開から4年。ペットの殺処分をめぐる問題は、かなり状況が変わってきたように思います。飯田さんは、どのように現状を見ていますか? 飯田 『犬と猫と人間と』では年間30万頭以上の犬や猫たちが殺処分されているという2006年度のデータに触れましたが、2011年度は17万頭に減っています。これまでは10年間かかって半減していたのが、5年間でほぼ半減している。改善されてきていると評価していいでしょうね。野良猫の不妊手術や棄てられた犬や猫の譲渡先を探す、民間のボランティアスタッフや動物愛護団体、各自治体の職員のそれぞれの努力が実ってきているということだと思います。僕が思っていたよりも速いスピードで、社会が変化しましたね。 ──人間の意識が変わることで、殺処分に遭わずに済む動物たちも多いわけですね。 飯田 そうですね。ただし、現場の努力だけでは限界がある。これからは殺処分数を減らしていくことが難しくなるでしょう。制度そのものを見直すことが求められる。ペットを販売している業者などを含め、ペット産業そのものを規制しないと、数字は減らないように思います。17万頭という数字は、まだまだ多いです。より多くの人に動物たちの置かれている状況を知ってもらう必要があるでしょうね。  * * *  『犬と猫と人間と』、そして『犬と猫と人間と2』は動物たちを主題にしたドキュメンタリーだが、動物たちを必要とする人間社会そのものを描いた作品でもある。8年前、“猫おばあちゃん”こと稲葉さんが飯田さんに託した願いが、徐々にだが静かに広まりつつある。 (取材・構成=長野辰次) greqghg.jpg 『犬と猫と人間と2 動物たちの大震災』 監督・撮影・ナレーション/宍戸大裕 構成・編集・プロデューサー/飯田基晴 音楽/末森樹 製作/映像グループ ローポジション 配給/東風 6月1日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次ロードショー (c)宍戸大裕 http://inunekoningen2.com ●ししど・だいすけ 1982年宮城県仙台市生まれ、名取市在住。学生時代に飯田基晴主宰の映像サークル「風の集い」に参加し、映像製作を学ぶ。学生時代のドキュメンタリー作品に『高尾山 二十四年目の記憶』がある。福祉関係のNPO勤務を経て、現在は映像製作に携わる。本作で劇場デビューを果たす他、飯田監督の『逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者』(12)を共同取材した。 ●いいだ・もとはる 1973年神奈川県横浜市生まれ。新宿で野宿生活する“あしがらさん”の日常を追った『あしがらさん』(02)で劇場デビューを飾った。2006年に「映像グループ ローポジション」を仲間と共に設立。地域猫の世話をしていた稲葉恵子さんから依頼を受けた『犬と猫と人間と』(09)が反響を呼び、ダイジェスト版DVD『いぬとねことにんげんと』(11)も製作した。大震災時に東北沿岸部で犠牲になった障害者の割合が健常者の2.5倍だったことを伝える『逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者』(12)が現在DVDとしてリリース中。

大震災の被害に遭ったのは人間だけじゃない! 被災地に取り残されたペットと家畜の過酷な現状

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『犬と猫と人間と2』の宍戸大裕監督(画像左)と飯田基晴プロデューサー。
物いわぬ被災動物たちの現状を取材して回った。
 動物たちの命の大切さを知ってもらえる映画を作ってほしい。ドキュメンタリー映画を撮る飯田基晴監督は“猫おばあちゃん”こと稲葉恵子さんから頼まれ、ペットブームに沸く日本で犬や猫たちがどのような状況に置かれているのかを取材し、4年がかりで『犬と猫と人間と』(09)を完成させた。飼い主が手放した犬や猫たちの多くは各自治体が設けた保護施設で殺処分に遭い、その数は年間30万頭以上にも及ぶことに言及した同作は、単館上映ながら大きな反響を呼んだ。前作から4年、第2弾となる『犬と猫と人間と2 動物たちの大震災』が公開される。サブタイトルにあるように、2011年3月に起きた東日本大震災によって被災地で暮らしていたペットたちはどのような状況に陥ったのか、さらには福島第一原発事故によって警戒区域に残されたペットや家畜たちはどうなったのかを追っている。今回、飯田監督はプロデュースに回り、宮城県在住の若手映像作家・宍戸大裕監督がカメラを手に1年8カ月にわたって被災地を訪ね歩いた。宮城から上京した宍戸監督には『犬と猫と人間と2』の撮影の裏側を、そして飯田プロデューサーには前作で取り上げたペットの殺処分問題がその後どうなったかについても語ってもらった。 ──前作『犬と猫と人間と』は、当サイトでも大変な反響がありました。飯田さんは中学校で動物たちの命の大切さを考える授業を行うなど、映画の公開後も様々な活動を続けていますね。 飯田 映画の作り手がそこまでやる必要があるのか分かりませんが、子どもたちと一緒に考えることは自分にとっても大切だと思うんです。最初に稲葉さんに頼まれたときに「大人にも子どもにも命の大切さを教えてほしい」と言われました。『犬と猫と人間と』は各地で上映会が開かれましたが、上映時間が118分ということもあり、子どもたちに気軽に観てもらうのは難しかった。そこで再構成した20分のダイジェスト版を作り、学校の授業などで活用してもらっています。学校で「犬や猫の命について考えてみよう」と問い掛けると、自分で考えることができる子は「じゃあ、犬や猫以外の動物はどうなの?」と思うかもしれません。ペットとして飼う犬や猫の命と、牛や豚の命はどこが違うの? と。僕が授業をするときは、そんなことも子どもたちと話し合っていますが、大人でも答えられない問いです。また結果として、今回は犬と猫だけではなく、福島の警戒区域に残された牛たちについても触れています。
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福島市にある動物シェルター「SORA」の代表・菅野利枝さん。
警戒区域で保護された犬30匹、猫20匹前後の世話をしている。
──宍戸監督は学生時代に飯田さんからドキュメンタリー製作のレクチャーを受けたそうですが、最初から『犬と猫と人間と』の続編を作ろうという意識でカメラを回し始めたわけではなかった? 宍戸 そうですね、最初から映画にしようと考えていたわけではないですね。震災までは東京の北千住で暮らしていたんですが、実家のある宮城がどんな状況なのか心配で2011年3月19日に帰郷し、そのときからカメラを回し始めました。地元の人たちが生きている姿をとにかく映像として記録しようと思ったんです。でも、被災した方たちにカメラを向けることができなかった。カメラを向けたら、何か言葉を掛けなくちゃいけない。『犬と猫と人間と2』の冒頭で全壊した家の前に佇んでいた男性に「ご実家ですか?」と僕が話し掛けて無視される様子が映っていますが、被災地の真っただ中で、まともに取材することができなかったんです。 飯田 被災地の現実に、自分なりに向き合おうとしたわけだよね。意気込みはあっても、実際に被災した人にカメラはそうそう向けられない。 宍戸 被災地を回って3日間は何も撮れませんでしたが、石巻で一匹の猫が瓦礫だらけになった商店街を横切るのに気づいて、慌ててカメラで追ったんです。そのとき「いい画が撮れた?」と声を掛けてきたのが、お好み焼き屋のご主人・小暮榮一さん。震災前から野良猫に餌をあげていた小暮さんから話し掛けられたことで、ようやく落ち着いてカメラを回せるようになったんです。その後、飯田さんから動物愛護団体「アニマルクラブ石巻」の様子を見てきてほしいと電話で頼まれ、アニマルクラブを通して被災動物たちの実情を知りました。そこで被災地が復興していく様子、震災を生き延びた動物たち、それに復興に大きな影響をもたらしている原発事故問題を、ひとつの作品にできないか考えるようになったんです。 飯田 僕も最初は宍戸くんの撮った映像が、映画になるとまでは考えてなかった。被災地の動物たちの状況が分かればいいなくらいに思っていた。ドキュメンタリー作品は、実際にどんな人に出会っていくか次第で全然変わってくるもの。アニマルクラブ石巻の代表・阿部智子さんに会うことは僕から頼んだわけだけど、宍戸くんは「飯田監督の弟子ですが……」なんて自己紹介しながら取材してたよね。僕は弟子なんか取った覚えは全然ないのに(笑)。 宍戸 すみません。阿部さんが施設内の片付けで忙しそうにしていたので、「何か言わなきゃ」と、咄嗟に出てしまった言葉なんです(苦笑)。
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宮城県名取市在住の宍戸監督。「幸いにも自分の実家は無事でしたが、自分の故郷が
どう復興していくのか記録しなくてはと思ったんです」
──最初はなかなか取材が覚束なかった新人監督が、ペットたちを介することで被災者たちの心情に寄り添っていくようになる。動物たちを題材にしたドキュメンタリーですが、宍戸監督自身が成長していくセルフドキュメンタリー的な側面もありますね。 宍戸 自分ではセルフドキュメンタリーを作ろうなんて意識はなかったんですが、結果的にはそうなったかもしれません。僕としては取材先で出会った人たちの人柄に魅了されて、カメラで追い続けたという感じなんです。取材を続ける中で、足りない部分を少しずつ自分で考えて取材していくうちに、作品にまとまったという感じですね。 ■原発事故が招いた惨状。無言で語る動物たちの記録 ──津波被害の大きかった石巻で動物たちはどうなったのか、宍戸監督はペットを飼っていた被災者たちを取材するように。避難所や仮設住宅は、ペットの持ち込み禁止だったところが多かったと聞いています。 宍戸 避難所での生活が長引くようになり、話し合いによって棟ごとにペットOK、ペットNGと棲み分けがされるようになったんです。でも、避難所の中にはペットが認められず、仕方なく車の中でペットと一緒に寝泊まりしている方もいました。映画に登場する小野夫妻は、3,000人くらいの被災者が滞在した中学校で避難者のリーダーを務めていたんですが、ご自身が犬を飼っていたこともあり、早くから話し合いでペット持ち込みOKな教室を設けていました。ただ、教室の中で猫を放し飼いにしていたところ、夜中に猫が眠っている人たちの布団の上を走り回るので、夜間はケージに入れるなど、避難所ごとにルールが作られていったんです。話し合いで改善されていったように思います。 飯田 でも、ペットの持ち込みが認められるようになるまで、数カ月を要した避難所もあるわけだよね。避難所ごとに異なるのではなく、ペットと一緒に暮らしている社会として事前に考えておくべきだと思うよ。避難所が早くから受け入れることを決めていれば、救うこともできた命もあるわけだし、飼い主も苦しまずに済んだはず。福島の避難指示区域でもペットの避難を認めるか認めないかが地域によって異なり、多くのペットたちが取り残されることになってしまった。2013年になってから環境省がそれぞれの自治体に、ペットとの同行避難を原則とすると言い渡しました。中越地震が起きた新潟ではペットに対応できる避難所が作られた一方、いまだにペットを認めない自治体もある。震災を経験した地域だけ改善されるのではダメだと思う。被災地では何が起きたのか、きちんと見つめ、それを他人事にするのではなく、教訓として自分たちのもの、社会の共通認識にしていくことが大事でしょう。 ──自宅を失った上に、可愛がっていたペットたちを死なせてしまったことで、より深い傷を負った愛犬家、愛猫家たちが少なくなかったようですね。続いて宍戸監督は福島第一原発事故の避難指示区域へ。無人化した街に犬や猫たちの死骸が散在する光景は胸が痛みます。事故死、衰弱死した動物たちの痛ましさに加え、その動物たちを飼っていた家族も離散し、生活が営まれていた街そのものが崩壊してしまった恐ろしさを感じさせます。 宍戸 撮っていて自分も辛かったです。避難指示区域に残された犬や猫たちに水や餌を与えていたボランティアの岡田久子さんは、街の中心まで何度も入っていたので、もっと悲惨な光景を目撃していると思います。鎖でつながれた状態の犬の亡きがらに僕も触れたんですが、とても冷たく硬くなっていました。辛かったんだろうな、苦しかったんだろうなと、そのときは当たり前のことしか想像できませんでした。でもその後、残された牛たちが段々と弱って死んでいく様子を見たことで、より具体的にそのことを感じるようになりましたし、怒りも込み上げてきました。 ──その怒りは、誰に対するものでしょうか? 宍戸 原発事故を招いた東電や国の責任者への怒りですね。飼い主への怒りではないです。同時に自分への憤りも感じたんです。岡田さんから避難指示区域がどんな状況かは話してもらっていたんですが、実際に自分の目で見るまでは想像できなかった。動物たちの死体を見て、「なかったことにはできない」「彼らが存在した証しを残そう」と強く思いましたね。 (後編につづく/取材・構成=長野辰次) greqghg.jpg 『犬と猫と人間と2 動物たちの大震災』 監督・撮影・ナレーション/宍戸大裕 構成・編集・プロデューサー/飯田基晴 音楽/末森樹 製作/映像グループ ローポジション配給/東風 6月1日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次ロードショー (c)宍戸大裕 http://inunekoningen2.com ●ししど・だいすけ 1982年宮城県仙台市生まれ、名取市在住。学生時代に飯田基晴主宰の映像サークル「風の集い」に参加し、映像製作を学ぶ。学生時代のドキュメンタリー作品に『高尾山 二十四年目の記憶』がある。福祉関係のNPO勤務を経て、現在は映像製作に携わる。本作で劇場デビューを果たす他、飯田監督の『逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者』(12)を共同取材した。 ●いいだ・もとはる 1973年神奈川県横浜市生まれ。新宿で野宿生活する“あしがらさん”の日常を追った『あしがらさん』(02)で劇場デビューを飾った。2006年に「映像グループ ローポジション」を仲間と共に設立。地域猫の世話をしていた稲葉恵子さんから依頼を受けた『犬と猫と人間と』(09)が反響を呼び、ダイジェスト版DVD『いぬとねことにんげんと』(11)も製作した。大震災時に東北沿岸部で犠牲になった障害者の割合が健常者の2.5倍だったことを伝える『逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者』(12)が現在DVDとしてリリース中。

「前向きな言葉に隠されたつらさ」震災をきっかけに“AV女優”という仕事を選んだ女たち

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 東日本大震災は、多くの人々の人生を変えた。津波によって家が流された者、家族や友人を失った者、ボランティア活動に目覚めた者……。また、自分の生き方を見直した人も多いことだろう。  震災をきっかけに「AV女優」という職業を選択した女性たちに迫った本が、ルポライター・山川徹による『それでも彼女は生きていく』(双葉社)だ。震災を経てAV復帰した椎名ひかる、AVの現場で処女を喪失した女性、就職が決まっていた貿易会社から内定を破棄された女性……。震災を契機に彼女たちがAV女優という仕事を選ぶまでには、数多くのドラマがあった。  AV女優たちを追うことによって見えてきた震災の現実とは、一体どのようなものだったのだろうか? ――本書では震災をきっかけにAV女優となった宮城・岩手・福島出身の7人に話を聞いています。どうして彼女たちの声を記録しようと思ったのでしょうか? 山川徹(以下、山川) きっかけとなったのは、被災地の取材中に聞いた「AV女優や風俗嬢になる女性がいる」というウワサ話でした。僕自身、20代の頃に東南アジアや東欧の貧しい地域を旅して売春婦たちと接した経験があり、そういった女性たちに共感することがありました。震災を経て、お金のために裸にならざるを得ない女性たちの存在にリアリティを感じられたんです。 ――実際にインタビューを行った際の様子はいかがでしたか? 山川 1人あたり2~3時間にわたってじっくり話を聞かせてもらいました。初めはぎこちなかったのですが、彼女たちをネタにしたり茶化したりする気持ちがないのが伝わったのか、記憶をたどりながらしっかりと当時を振り返ってくれましたね。彼女たちにとっても、こんなに時間を割いて震災を振り返るという経験はなかったようで、終わってからとても感謝されることもありました。 ――AV女優があまり人前で震災の経験を語ることはないでしょうね。 山川 震災をしっかりと対象化できている子もいますが、特に10代の若い子たちには、まだつかみきれてない部分も多い。ある仙台出身の女優は、震災から2年が過ぎても「絶対に見に行きたくない」と、車で30分もかからない沿岸部を訪れようともしませんでした。本書では「AV女優」という枠組みを設定しましたが、その中にいる女優たちも震災に対するスタンスは一様ではありません。 ――本書の中で、彼女たちが「私は被災者じゃない」「被災していない」と語っていたのが印象的でした。いくら沿岸部の出身でないとはいえ、AVに出演するという選択肢を選ばなければならなかった彼女たちもまた、被災者なのではないかと感じてしまいます。 山川 その通りですね。彼女たちは高校、大学を卒業し、自分がこれからどう生きるかを選択するターニングポイントで震災に遭遇しました。まだ若すぎて、自分の人生を歩む前の彼女たちには、選択肢の中から適切なものを選び取るだけの社会的な経験がない。そういった状況で、彼女たちはAV女優という職業を選択しています。  そもそも、「被災者」は、何かを失ったから被災者になるというわけではないと思います。知人の地元新聞記者は、主戦場にしていた三陸沿岸が破壊され、住民が苦しんでいる様子を見てPTSDのような症状になってしまったそうです。行政的なくくりでは、彼は被災者ではありませんが、震災の影響を強く受けていることは確かでしょう。 ――AV女優を選択した彼女たちの言葉からは、後ろめたさや悲壮感のようなものはあまり感じられませんね。 山川 「稼ぎたい」「お金を貯めたい」と、将来の夢を語る彼女たちの言葉はとても前向きでした。彼女たちには頑張ってほしいと思いますが、家族に隠し、バレたら結婚するのも困難、それにインターネットで全世界にセックスが配信されます。彼女たちの前向きさの裏に隠されたリスクを考えると、どこかもどかしい思いがあります。 ――本書あとがきにも「前向きな言葉に隠されたつらさ」と書かれていますね。 山川 彼女たちに限らず、被災者と呼ばれる人たちは、東京発の「絆」「頑張ろう」といったスローガンのせいか、「前向きに生きなければ」と思わされてしまう。しかし、本音の部分では「絆ってなんなの?」「誰が言っているの?」という疑問を持っている人は多いんです。生きる上で前向きなほうがいいのはもちろんですが、ずっと前向きに生きなければならないというのも、つらいのではないでしょうか。 ――東京で生活していると、震災はどことなく“終わったこと”に感じてしまいます。今でも気仙沼や石巻に足を運んでいる山川さんは、この状況に違和感がありますか? 山川 東北に行くたびに感じますね。震災直後はほとんど震災絡みの仕事ばかりでしたが、最近では震災のことを書く機会も少なくなっています。日常の仕事としては、震災とは関係のないものが多いのが現状です。  今年も多くのメディアでは3月11日に向けて特集を組み、それが終わったらぱったりと報道がやんでしまった。被災者から不信感を持たれても、やむを得ないのではないでしょうか。僕も震災から1年目は毎月足を運んでいたのが、だんだん2カ月に1回くらいのスパンになってきています。冗談半分ですが、被災地に住む大学時代の先輩からは「被災者を食い物にしたのか」と言われました。 ――冗談半分とはいえ、重い言葉ですね。 山川 本音も半分だったと思います。 ――では、被災地・被災者が求めていることは、なんなのでしょうか? 山川 取り残されないことだと思います。震災直後の2011年4月に、大船渡と陸前高田の集落に行ったんです。まだ震災から1カ月しかたっていないのに「福島のことばかりで私たちのことは忘れられている。忘れないでほしい」と泣きつかれました。小さい集落だったから、物資もボランティアも来ない。取り残された感覚だったんです。それから2年を経ても、そんな感覚が被災地には残っています。 ――本書を通じて、山川さんが描きたかったことはなんでしょうか? 山川 親や友人に言えないようなことをしていても、人間は、自分の生き方を肯定していかなければ生きていけません。僕は、彼女たちの生き方を応援したいと思いながら書きました。ある女性読者からは「AVに出るという選択以外は共感できる」という感想をもらったんです。これはAV女優の物語ですが、同時に東北の普通の女の子の物語でもあります。20歳そこそこの若い女の子が、震災で何を感じて、AVに出るまでに何があったのかを読んでほしいですね。東京では震災についての報道が沈静化していますが、彼女たちはまだ、震災の延長線上で生きているんです。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]) やまかわ・とおる 1977年、山形県生まれ。ルポライター。東北学院大学法学部卒業後、國學院大學二部文学部に編入。在学中より『別冊東北学』(作品社)の編集に携わる。著書に、東日本大震災を一年間取材した『東北魂 ぼくの震災救援取材日記』(東海教育研究所)、調査捕鯨に関する『捕るか護るか? クジラの問題』(技術評論社)、『離れて思う故郷』(荒蝦夷)など。

【東日本大震災から2年】東北の人々が抱える「被災者」と「被災地」の呪縛

IMG_0405.jpg  東日本大震災から2年が経過し、日本中から緊張感が薄れつつある。こうした状況で、被災地や被災者にはこれまでにない圧力がかかっているという。それは一体どんなものなのか、その実態を探るべく、震災直後から取材を重ねてきた仙台出身のジャーナリスト・丸山佑介氏がレポートする。 ■明暗が分かれた震災後の生活から見えてくるもの  東日本大震災から2年が経過した被災地では、震災自体をすでに過去のこととして片付けようとする人もいれば、いまだに先に進めていない人も多くいる。これは無理からぬことで、震災に対しての思いが多種多様で個々人によって異なっている上に、被った損害、保険金や見舞金といった支給されるお金も、勤務先や居住地などさまざまな理由から差異が生じてしまっているからだ。その結果、被災した当事者間でも「明暗」がクッキリと分かれてしまっている。  現在、仮設住宅に暮らしている人は約32万人。そこにも格差がある。  大手メーカーの工場が林立する宮城県の沿岸部では、従業員が近所に家を購入するケースが多い。一戸建の住宅は沿岸部に近いエリア、マンションは内陸に位置していた。すでにおわかりであろうが、一戸建ての多くが津波で居住不可能なダメージを受けた一方で、内陸部のマンションには大きな被害はなかった。  ある大手メーカーでは、住宅が震災で被害を受けた社員たちに一律で見舞金を支給したが、ここで格差が出た。  支給された金額では、一戸建てはもちろん、マンションを購入する頭金にもならなかったのだ。しかも住宅ローンは返済し続けなければならず、結局行き場がなく賃貸アパートで暮らしているという。逆にマンションの場合には同じ場所で暮らせるため、震災前よりかえって家計が潤うことになった人たちもいるというのだ。  このような格差現象は被災地では珍しくない。震災前よりも豊かな生活を送る人もいれば、より厳しい生活を強いられる人もいる。そうした混在した状況こそが現実なのである。そして、ここに登場するすべての人が「被災者」と呼ばれている。ここに彼らを縛る圧力があるのだ。 ■東北沿岸部を覆う呪縛の空気  当然のことながら、「被災者」や「被災地」は、もとからあった呼び名ではない。そもそも被災地などという地名はないし、被災者などという人種も存在しない。震災発生後に自然発生的に呼ばれるようになったにすぎないのだ。  「被災地」は岩手、宮城、福島といった県境をまたぐ名称として使われていた。同様に、震災で被害を受けた人たちのことをまとめて呼んだ名称が「被災者」なのである。  ところが震災後1年が過ぎたあたりから、多くの住民たちが自ら「被災者」や「被災地」と称するようになった。それも県外の人間に対してではなく、地元の人間同士の会話でも使われるようになった。メディアが使う回数が増加するのに伴って、岩手、宮城、福島に暮らす人々も「被災者」「被災地」と自称するようになってきている。  統計をとっているわけではないのだが、震災当初や2012年度には自らを「被災者」「被災地」と言う人はそれほど多くなかった。ところが昨年ころから、筆者の友人や親族も使うようになっていった。一体なぜ、そのような言い方をするのだろうか? 石巻に住む知人に理由を聞いてみたところ、意外な答えがかえってきた。 「最初は抵抗あったけど、言いやすいし、みんながそう呼ぶからね」  ほかにも複数の知人に同じ質問をぶつけてみたが、一様に同じ答えが返ってきた。たしかにその通りなのだろう。みんなが使うから使うというのは不自然なことではない。だが、この答えに至る彼らの心理を読み解いていくと、震災後に見舞われた「呪縛」の存在が見えてくる。  自分たちのことを「被災した住民」だったり「自分の暮らす街が震災の被害を受けた」などと称するのは、言い回しからしても面倒なことは間違いない。しかし、第三者がそう呼ぶことについては注意が必要である。  筆者が現地で出会った人の中には、支援を受ける対象として、「被害者」であることを求められているような気がすると明言する人もいた。こうしたことからも、無言のプレッシャーとして同調圧力がかかっているのが見て取れる。  ここで注意したいのは、特定の人物による圧力ではなく、漠然とした日本国内を取り巻く空気が追い詰めているということなのだ。不確定な要素によるプレッシャーなど気にしなければいい、という見方もできるだろう。しかし、口下手な東北人の気質なのかもしれないが、「被災して支援を受けた」ことに対して背負うべき十字架なのだとの思いがある。  震災直後から現在に至るまで、日本国内のみならず世界中からの援助があって生き延びることができたのは、まぎれもない事実である。その当時は感謝することしかできなかった。しかし、現在では援助に報いる必要を各々が感じているのだ。そうした心情の変化が、今になって援助された側に重くのしかかってきている。そして、それが呪縛となり、自らを「被災地」「被災者」と呼ばせてしまっているのだ。  こうなった原因はあくまでも巨大地震と大津波という天災で、本人たちにはなんの非もない。それでも多くの人たちに助けられたという事実は彼らにのしかかっている。  「被災者」「被災地」を自称しなくなったときに、本当の意味での復興が東北に訪れるのだろう。 (取材・文=丸山佑介/犯罪ジャーナリスト<http://ameblo.jp/maruyamagonzaresu/>)

三陸の海が育んだ新しい生命『ダンゴウオ―海の底から見た震災と再生―』

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『ダンゴウオ―海の底から見た震災と再生―』
(新潮社)
 津波が洗い流した車や家は、見るも無残な形で海の底へと引きずり込まれた。その残骸は今も海の底に残り、静かに波に揺られている。水中写真家の鍵井靖章による『ダンゴウオ―海の底から見た震災と再生―』(新潮社)は、三陸の海の底でダンゴウオというかわいらしい魚に出会ったことをきっかけに、海底が徐々に復興していく様子を切り取った写真集だ。  震災後、わずか3週間で取材のために宮古の海に潜った鍵井。リアス式海岸に育まれた美しい海だったそこは、数メートル先も見渡すことができないほどに濁っていた。地上と同じようにガレキが散乱し、ゆったりと泳ぎまわる魚たちや、潮の流れにゆらめく海藻の姿などは皆無。そのままの形で流された家、転覆したままの漁船、海の中でも、地上と同じように目を背けたくなるような光景が広がっていた。しかし、この絶望的なダイビングの中で、鍵井は親指の爪ほどしかない大きさのダンゴウオに出会う。ぷっくりと丸い形をしたこの魚は、ダイバーから「北の海のアイドル」として人気も高い。ダンゴウオと奇跡的に出会えたことが、鍵井にとって写真集をつくる大きな原動力となった。  鍵井は2年にわたり、定期的に三陸の海に潜った。当初はガレキまみれの海底は濁った色彩のない世界であり、ウニやウミウシなどには出会うことができても、魚に出会うことができなかった。しかし、時が経つにつれ、水は澄みわたるようになり、海藻が生い茂り、ハゼ、カジカ、アイナメなどの魚たちが姿を表わす。少しずつ、海は元の姿を取り戻していったのだ。 「津波にもまれた海で、新しい命の姿を見たときに、『生命を撮影したい』と思うようになりました(略)被災地で生まれる新しい生命から、東北の海の力強さ、底力を感じずにはいられない」  震災から1年。津波にさらわれた海でかわいらしいダンゴウオやリュウグウハゼたちが卵を産み、稚魚を孵化させていく様子は、まさに自然の力強さを実感させるだろう。大津波でも流すことのできなかった生命は、また新しい季節に新しい生命を生み出していく。  本書の中でも特に印象的なのが、車の残骸の写真だ。ワンボックスカーと思われる車の中にはオキアミが集っていた。そのオキアミを求めてシートベルトにはウニ、ワイパーレバーにはヤドカリ、タイヤはカニの家になっている。海の底には不似合いなガレキも、自然はその一部として受け入れて、生き物たちはそこでそれぞれのドラマを紡いでいく。  震災から2年がたち、地上のガレキは撤去され、生活を取り戻しつつある人々も多い。メディアには「復興」という言葉が飛び交っている。しかし、僕が以前取材した福島県に住む被災者は「復興という言葉はピンとこない」と語っていた。ガレキが取り除かれたら復興なのか、建物が元通りになったら復興なのか、それとも避難者がゼロになり仮設住宅が取り壊されれば復興なのか――。メディアが喧伝する「復興」は、時に当事者にとって、まったく実感を得られない空疎な言葉として響いてしまう。  大地震や津波は自然の力によって引き起こされた。だからこそ、その傷跡を回復するのもまた、自然の力なのではないだろうか。ゆっくりと、静かに変化していく海底の景色を眺めていると、「復興」という言葉が少し実感できるような気がする。 (文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●かぎい・やすあき 1971年、兵庫県生まれ。オーストラリア、伊豆、モルディブでダイビングガイドを行う傍ら、水中撮影に励む。1998年、モルディブより帰国後、フリーランスとして独立。水中のあらゆる事象を精力的に撮影し、プランクトンからクジラまで、独特の世界観で水中の世界を写し取る。1998年「ミナミセミクジラの海」で第15回アニマ賞受賞(平凡社)、2003年日本写真協会新人賞受賞。