「この身体が、被災者のためになるなら」乙武洋匡 自分の感情よりも、美学よりも【1】

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写真=長谷川健郎
 手足のない乙武くんが、プロ野球の始球式をやるらしい。  それはまるで、タチの悪い冗談みたいな話だった。デリケートな誰かが聞いたら「障害者を侮辱するな」と怒り出すかもしれないような、そんな類の戯言。あるいは、このところ乙武氏自身がTwitterで繰り返し発信しているような、とびきりブラックな自虐ギャグ――。  だが実際、5月6日の楽天イーグルス対西武ライオンズのナイトゲーム、Kスタ宮城のマウンドに乙武洋匡氏は立っていた。サウスポーから投じられたボールはふわりと弧を描き、ライオンズ片岡易之のバットはゆっくりと、その瞬間を慈しむかのように空を切った。  スタジアムは、割れんばかりの歓声に包まれた。「ただボールを投げる」という、健常者にとってはごく普通の動作が、やはりとことん普通ではなかったのだ。  この始球式が乙武氏にとって、震災後初の被災地入りの機会だったという。この日のKスタを含め、茨城、福島、宮城を回った彼の被災地訪問は『希望 僕が被災地で考えたこと』(講談社)という本になった。講談社26階の会議室に乙武氏を訪ねると、あの日ボールを投げた短い短い左腕を器用に操って、ごく普通に携帯電話でTwitterにメッセージを打ち込んでいた。 ──今回、被災地を訪れるにあたって「自分に何ができるのか」という、大きな葛藤があったそうですが。 乙武洋匡(以下、乙武) そうですね。震災が起こってから、ずっともどかしい思いがありました。Twitterを見ていると、友人たちが救援物資を持って被災地に行って、炊き出しのボランティアをしたり、がれきの撤去のお手伝いをしたりしていて。自分だって行きたい、という気持ちはあったけれど、いったい僕が行って何ができるんだ、かえって足手まといになるだけだろうと。ずっと悔しかったんですよ。でもだんだんと報道で、食料や必要最低限の生活物資が揃ってきたというのが分かったときに、今度は被災者の方々が前向きな気持ちを取り戻していくことが重要になっていくのかな、そのためのお手伝いなら僕にもできるのかもしれないな、と思えるようになってきた。それが4月の後半くらいですね。 IMG_8610.jpg ──ご友人で女優の水野美紀さんがボランティアに行った際に「自分がテレビに出ている人だから喜んでもらえた」と感じられたというお話がきっかけになったとか。 乙武 やっぱり水野さんと同じように、自分がテレビに出ている、知られている人間であるということのメリットというか価値のようなものもあると思うんですけど、また他の芸能人の方たちと僕が違うのは、僕が普通にしているだけで力を感じ取ってくださる方がいっぱいいるんですね。僕は小さいころから、普通にしているだけでほめられることが多かった。字を書いた、ご飯を食べた、歩いた、というだけで、「すごいね、そんなこともできるんだ」と。それはつまり、障害者だから何もできないだろうという前提があるからなんですが。  例えばね、僕、普段東京で町を歩いていて、突然おばあちゃんに拝まれたりするんですよ。おかしな話じゃないですか。でもきっとそれは、いろんな経験をされてきた方にとっては、こうしていろいろなものを失った身体で生きている人間を見ると、頑張っているんだな、自分もがんばらないとな、と思ってくださるものなんですよね。それは、これまでいただいたお手紙やメールでもすごく感じていて。 ──楽天の始球式を引き受けたのも、そうした思いから。 乙武 実際楽天からは、マウンド上にピッチングマシーンを設置して僕がそのスイッチを押すとか、逆に僕がバッターボックスに立ってプロのピッチャーに投げてもらうとか、相談の過程ではいろいろなアイデアがあったんです。でも、僕自身が「自分で投げさせてほしい」とお願いした。僕がこの短い腕とほっぺたの間でボールを挟んで投げる姿を見ていただくことで、乙武もいろんなものを失ったけれど、残された部分でああやってボールを投げてるんだ、私たちも確かにいろいろなものを失ったけれど、この残された命と残された人のつながりで、もう一度頑張っていこうと、そんな気持ちになってくださるなら......と。 ──その始球式をテレビで拝見しましたが、ものすごいビジュアルインパクトでした。正直に言えば、いろいろな感情があって、それはどこか後ろめたさ、あるいはこの風景を見て喜んでいいのか、という気持ちは湧いてきたんですけれど、それよりも、伝える力というか、ものすごく大きな感情が表現されていると感じたんです。でもそれは、これまで「自分は普通のことをしているだけだ」と言い続けてきた乙武さんが、ご自身の障害を利用することでもありましたよね。 乙武 今まではやっぱり、僕自身の感情とか思想、哲学のようなものの中では、それはきれいじゃないな、美しくないな、という思いがあったんですよね。でも今回いろいろ考えていくうちに、今優先されるべきは僕の感情でも思想でもなく、被災地の方々だなと思ったんです。そう考えたときに、僕の考えに多少そぐわなくても、僕自身がそこに対して拭いきれない気持ちがあったとしても、そんなことより優先されるべきは、僕がそれをすることで実際に力を与えられる人間がいるという事実なのかな、ということなんです。 ――それは今回の震災を経て、新たに芽生えた自覚というか、もしかしたら人生の中でも大きな転換点になるものなのでしょうか。 乙武 そのご質問で言うと、答えはまだ出ていないですね。この先も、被災地に対してだけでなく、普段の行動、普段の生活からそういった考えができるようになれば、それは人生の転機と言えるかもしれない。だけど、今回、被災地の方々に対して力になりたいという思いから、僕は特例的にそういうことをしたのかもしれない。今はまだ、ちょっと分からないです。 ──少なくとも今回に限っては、多くを失ったご自身の身体を見せることで、被災者に元気を与えることができた。 乙武 僕は二十歳のときに、なんで僕には手足がないんだろう、と考えたんですね。僕だけ違うということは、こういう身体を与えられた人間にしかできないことがあるんじゃないのかな、だから自分にしかできない活動をしていこう、それがここ15年間の僕のポリシーなんです。  ただ、そこで単純に「だから被害に遭われた方もそういう風に頑張ってください」とは言えないんです。僕は、最初からなかった。確かに結果論で言えば僕の身体はハンデが大きいし、周りの方とも大きく違う。だけど、同じ僕という時間軸の中で考えれば、最初からない、今もない、で、プラスマイナスゼロなんです。そこで何かを大きく失ったという喪失感はない。  そういった意味で、今回被害に遭われた方々は、あったものがなくなったという喪失感がすごく大きいと思うので、そこはやっぱり、僕と同じ土俵に上げて「僕もない中で頑張っているから、あなたたちも頑張って」という言い方は難しいんです。  ただ、現地の人がすごく喜んでくれたんですよね。自分たちが見放されてないんだ、こんなにみんなが、日本中から思ってくれてるんだっていう、そのことが伝わるだけでもやっぱりみなさん喜んでくださる。ほんとに、顔をくしゃくしゃにして「よく来てくれましたね」って言ってくださるんです。僕なんかが行くだけでもこんなに喜んでくださる方がいるんだな、というのは、すごく驚きでしたね。 (【2】へつづく/取材・文=編集部/写真=岡崎隆生) ●おとたけ・ひろただ 1976年、東京都生まれ。早稲田大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)が多くの人々の共感を呼ぶ。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、05年4月より、東京都新宿区教育委員会の非常勤職員「子どもの生き方パートナー」。07年4月~10年3月、杉並区立杉並第四小学校教諭として教壇にも立った。おもな著書に『だいじょうぶ3組』、『オトタケ先生の3つの授業』(共に講談社)など。 Twitterアカウント:@h_ototake
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中国組織もがれき撤去に参入 復興利権に食い込む反社会勢力

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不法投棄ビジネスの真相を告
発した『産廃コネクション』
 福島第一原子力発電所近くの街、福島県南相馬市をチャイニーズ・ギャングスターが訪れた──6月15日付のイギリス・ガーディアン紙はこのように報じた。記事によると、この人物は「中国犯罪組織」の一員であり、震災後、日本の政治家を伴って南相馬市の市長を訪問したが、市長は、その男が闇社会とのつながりを持っていることを知らなかったという。この「チャイニーズ・ギャングスター」の目的とは一体何だったのか。  この人物、表向きは日本名で知られている、いわゆる帰化中国人である。仮にAとしよう。Aは日本人の妻を持ち、結婚ビザで日本に滞在している。とはいえ、中国との関係は深い。対中国の輸出業務を行う会社を経営しており、同時に、ある在日中国人労働組合の代表を務めている。Aが被災地を訪れたのは、表向き、この労働組合の代表としてである。ところが、Aには裏の顔があった。ある捜査関係者が話す。 「Aは国際捜査に携わる捜査官の中では有名人。彼は紛れもない『中国マフィア』だ」  反社会的な行為を厭わず、一部暴力団ともつながりがあるといわれる中国マフィアグループ。Aは都内を中心に活動するグループの幹部であり、実質的なナンバー2だという。  ガーディアン紙によれば、Aは被災地の「復興利権」を狙っているという。現在、被災地にあふれるがれきの総量は2000万トン以上と見られている。これらのうち、福島第一原発付近のがれきはいわゆる「放射性廃棄物」であり、処分が難しい。実際、福島県郡山市で、小中学校の校庭で放射性物質を含む土が削り取られたが、埋立処分場付近の住民の反対に遭い、汚染された土は行き場を失った。その後、土は校庭に穴を掘って「仮置き」されている。放射性物質が漏れ出さないよう、何重にもシートで覆って埋めたというが、いまだに最終処分の方法は決まっていない。  国や自治体が放射性廃棄物の処理に頭を抱える中、民間の産業廃棄物処理業者が動きを活発化させていた。膨大な量のがれきを処理する利権を手にすれば、未曾有の利益が見込める。だが、民間の業者はどのようにがれきを処理するというのか。 「実は、Aの本業は貿易会社ということになっているが、実態は産廃業者。日本のゴミを中国に持っていっている」(前出・捜査関係者)  つまり、行き場を失った日本の放射性廃棄物が、海を渡り、中国に埋め立てられることになるかもしれないというのだ。  被災地における中国マフィアグループの動向を報じたのは、ガーディアン紙だけではない。6月16日付のインド・ザ・ヒンドゥー紙も、ガーディアン紙の記事を転載する形で報道。また、同日付の韓国・聯合ニュース紙も、ガーディアン紙の記事を引用しながら、「復興利権」を狙う中国マフィアグループの様子を伝えている。  ところが、こうした中国マフィアグループの動きを、日本のテレビ・新聞はまったくといっていいほど伝えていない。ある日本の夕刊紙は、Aが南相馬市を訪れたことを報じたものの、Aの「表の顔」による活動のみを取り上げており、被災地の復興に中国マフィアグループが食い込むことになるかもしれないという点には踏み込んでいない。それによれば、Aはボランティア活動として現地を訪れており、代表を務める労働組合の組合員や中国人留学生らと共に避難所を訪れ、餃子を振る舞ったのだという。もちろん、事情を知らない被災者たちは、Aらに対し好意的だった。  しかし、これをガーディアン紙は、「被災者に食べ物を振る舞うことで、 地元住民に取り入ろうとした」と報じている。つまり、積極的なボランティア活動は、地元との「パイプ」をつくるためのパフォーマンスにすぎず、「復興利権」獲得のプロセスの一部だったというのだ。
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自民党・平沢勝栄議員が「総理の献金事件は脱法行為」と断罪

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 菅総理の資金管理団体である「草志会」が、日本人拉致事件の容疑者親族が関係する団体に、多額の資金提供をしていた事実が明らかになっている。団体の名は「政権交代をめざす市民の会」(奈良握代表・以下、めざす会)。拉致事件の容疑者の長男が所属する政治団体「市民の党」(酒井剛代表)から派生した団体である。  菅総理は国会でのこの指摘に対し、「私の判断で寄付をした」と自身の関与を認めた上で、「政治的にいろいろな意味でプラスになると考えた」と平然と答えて周囲を唖然とさせた。  政府の拉致問題対策本部長である首相が拉致問題解決を放置しながら、実行犯の関係団体に多額の資金提供をしていたことになる。元警察官僚で公安事情に詳しい自民党の平沢勝栄代議士に、今回の事件の問題点について聞いた。前回に続き、菅直人と左翼勢力とのつながりについて考えてもらいたい。 (聞き手=浮島さとし/フリーライター) ──菅総理の献金問題は国を揺るがす大スキャンダルだと思うのですが、メディアの扱いがあまりに小さいと感じます。麻生太郎元総理が漢字を読み間違えただけであれだけ大騒ぎした朝日新聞も、今回は静かです。 平沢氏(以下、平沢) 産経(新聞)が早くから報じましたが、他紙は総じて鈍かったですね。とにかく、この事件は奇々怪々としか言いようがない。3年にわたり「草志会」から極左の政治団体へ金が渡っていたというんですが、普通は逆なんですよ。一般的に政治献金というのは、民間の政治団体が、自分たちが支持する政治家に対して、政治資金規正法の枠の中で献金をする。今回は代議士側から支持団体へ金が渡っていたというのですが、そんな話は聞いたことがない。 ──なぜ、候補者側から団体に献金が行われたのか。その趣旨が気になりますが。 平沢 私のところにもいろいろ情報が来ていますが、総括すれば、「めざす会」が菅さんたちの選挙運動に動いたと見て間違いないでしょう。渡った金はその報酬や経費です。この団体は(創価)学会員以上に凄まじい選挙運動をすることで知られていますが、その選挙部隊の力を借りるために菅総理の事務所が運動資金を用意したということでしょう。 ──だとすれば公職選挙法に抵触すると考えていいですか。 平沢 当然そうなります。公職選挙法では決められた費用しか使えないし、使途の内訳は選管に届け出なければならない。「草志会」が直接渡すと買収行為になるので、「めざす会」をいったん迂回したわけで、だとすれば、完全なる脱法行為です。運動員買収などが後から発覚して当選が取り消しになった代議士は過去にもたくさんいます。事実が明らかになれば、菅総理は当然、公職選挙法違反に問われることになります。 ──違法行為であることはもちろん、額が大きすぎるのも気になります。 平沢 構図も不可解で額も大きい。3回にわたって支払われているようですが、一度目に渡った5,000万円は政治資金規正法の上限枠いっぱいですからね。極めて重要な選挙戦略の一環として金が渡ったと見るのが妥当でしょう。菅総理は「連携・支援のため」などと平気な顔して言い訳をしていましたが、相手は毛沢東思想やマルクス・レーニン主義で革命を目指すことを公言している人物が率いる政治団体ですからね。 ──しかも、この金の原資は政党助成金です。国民の税金が、拉致事件の関係者が所属している極左団体に大量に使われていたことになります。 平沢 国民からすれば、一体この人はどこの国の総理なんだというのが実感でしょう。菅総理は拉致問題対策本部長でもあるわけですが、彼が拉致問題の解決に向けて何かをしたという話を聞いたことがない。何の興味も関心もないのでしょう。 ──反国家的な勢力が首相を支えているのは大変な危機的状況だと思いますが。 平沢 彼はもともとが、反国家的思想の運動家ですからね。日の丸・君が代も反対し、日本人拉致の実行犯の辛光洙の助命嘆願書に署名までした人物です。それが急に総理になってしまったから、いくら演技をしてもいろんな無理が出てるわけです。 ──菅総理の側近が、エネルギー利権のブローカーとして暗躍しているとのウワサもありますが。 平沢 そこも含めて調査中ですが、再生エネルギー法案によって利益をあげる者が出てくることは事実なわけで、必然的に利権が生まれます。特にソフトバンクの孫正義社長と菅総理の蜜月ぶりは際立ってます。今の状態では、孫社長の利益のために、一国の総理が法改正へ向けて動いているようなものです。孫さんは孫さんで、「菅総理は10年続けて」なんてエールを送っている。癒着としか言いようがない構図でしょう。 ──そもそも再生エネルギー法案は、菅総理ではなく、原発推進の経産省が温室ガス削減を目的に推し進めてきた買い取り制度で、「脱原発」とは本質的には関係ありません。原発推進か脱原発かの踏み絵にすべきものではないですし、当初は総理自身がこの法案にまったく関心がなかったことも知られています。 平沢 そこが菅さんのうまいとこでね。太陽光や風力のエネルギーを電力会社が買い取れば、確かに再生エネルギー分野の活性化にはなりますが、それだけでは電気代が大幅な上乗せになるし、原発がいらなくなるなんていう議論にはならない。ただ、国民はそういう言葉に弱いから、総理自身がまったく関心を持っていなかった法案を、突然今になって引っ張り出してきた。「一定のメド」という言葉にしてもそうですが、小技だけは怖ろしくうまいんですよ。 ──いずれにせよ、この献金問題だけは絶対にうやむやにすべきでないと考えます。野党の追及も十分でないと感じますが、自民党としてはどう取り組んでいくのですか。 平沢 7月12日に問題究明のためのプロジェクトチームを立ち上げました。各議員がそれぞれの立場で情報収集をしようと動いていますが、なにしろ公安も内調(内閣調査室)も、野党の調査には非協力的です。関係者数人と話をしましたが、明らかに上から圧力がかかっている。彼らも役人なんで困っているんですよ。これまで監視の対象だった極左勢力が、政権とずぶずぶの関係になってしまっているわけですからね。しかし、その中でもすでに情報は集まり始めていますので、自民としてはうやむやにするつもりはありません。 ──菅総理は脱原発を争点に、8月解散を模索しているとのウワサもありますが。 平沢 私はその可能性は低いと思う。やれば民主は負けますから。もっとも、菅さんは誰かに入れ知恵されると何するか分からない人ですからね。政権延命ができると踏んだらやりかねませんが。その時は、もう国民は騙されないはずですよ。ただ、菅さんが辞めて次の総理になってからなら、自民も苦しい戦いにはなるでしょう。いったん自民を離れた支持層はそう簡単には戻りませんから。 ──菅総理は今、民主党内でも相当孤立しているはずですが。 平沢 さっきまで民主党の代議士と一緒だったんですが、民主党内でも95%は"反菅"の立場だそうです。今、総理を内閣で支えているのは、江田五月と北沢俊美防衛大臣くらいでしょう。海江田万里経産大臣ははらわた煮えくり返ってるはずですよ。ただ、次(の総理)が一本化されていないから動けない。そういう意味では菅さんは非常に運がいい。それでも、8月後半に辞めないようなら、いくら民主党だって大きな菅おろしの動きが出るでしょうけどね。 ──政治の先に、被災地の救済や国の未来がまったく見えてきません。 平沢 まったくその通りでしてね。官尊民卑(かんそん・みんぴ)(注:政治家や役人を尊び、民衆を軽んじる国家体制)という言葉がありますけどね、今の政治はまさにそれなんです。「かん」は菅総理、「みん」は国民と民主党です。総理は今、民主党さえも貶めながら、自分の利益だけを求めて突っ走っている。菅総理の手帳には「無私」と書いてあるそうですが、これだけ「有私」の総理は見たことがない。彼が出してくるおかしな政策は、総理が自分のためにやってると考えれば全部つじつまが合う。ストレステストが最たるものです。迷走も迷走、もう滅茶苦茶ですよ。
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首相に「ストレステスト」を入れ知恵をした2人の極左人物とは?

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6月15日の市民集会で大歓声の中で
持論を展開する菅総理
 政府の原発対応が混迷を極める中、菅総理が突然言い出した「ストレステスト」(耐性検査)で日本中が大混乱に陥っている。現在、国内54基の原発施設は、定期検査も含めて35基が停止中だが、これらを再稼動するための条件として、施設が地震や津波などの事故に耐えられるかを調べる体制試験の導入を義務付けるというもの。言い変えれば、テストが済むまでは停止中の原発施設からの電力供給はできないことになる。  しかも、テストの内容やスケジュールなど、肝心な部分はすべて白紙。ヨーロッパ式のテストなら一年近くかかるとも言われており、施設の稼動が遅れた場合に想定される深刻な電力不足への対応も、具体策は何ひとつ決まっていない。経産相に代わって急遽"担当大臣"となった細野豪志原発事故担当相は、首相が初めて「ストレステスト」を国会で口にした6日の定例会見で、「早急に詰めたい」「具体案はこれから」と、ひたすら抽象論を繰り返した。  安全性の担保は重要だ。しかし、なぜ首相は突然、自分でも中身を理解できていない「テスト」の導入を、事前の党内調整や電力不足への対策など一切行わないままに言い出したのか。事実、政府が11日に安全評価の実施を発表した直後の13日、保安院の幹部が慌ててドイツやフランスの原発関係機関を訪問して調査していたことが分かり、政府の決定に具体策の裏付けが何もなかったことが明らかにになった。  こうしたドタバタに対し、海外メディアも「(テスト導入の理由は)菅総理の不人気と指導力の低下」「原発廃止への道筋や経済的リスクへの対策はない」(米ワシントンポスト紙)と冷ややか。「海外では」「ヨーロッパでは」を繰り返す菅総理の思惑に反し、国際的な信用は一切得られていない。  また、「テスト」は経産省の保安院でなく、細野大臣が所管する内閣府の原子力安全委員会もイニシアチブを持つ。経産省の意思だけでは再稼動ができないことになり、「経産相と思いは同じ」(菅総理)と言っていたはずの総理の急な心変わりがうかがい知れる。いったい誰が菅総理に入れ知恵をしたのか。  この点について、「2人の極左と言える人物が大きく影響している」と話すのは、ある民主党関係者だ。「今や党内は8割が菅不支持」と自嘲しながら、次にように証言してくれた。 「菅さんに入れ知恵したのは、一人は内閣参与のTという人物。東大で原子力を専門に学び、現在も大学で教鞭をとる立場で、菅総理とは古い付き合いです。問題なのは、このTの思想的背景。革マル系の団体や極左の市民団体と非常に関係が深い」  その言葉を裏付けたのが、6月15日に再生エネルギー特別措置法案の成立へ向けて、25の市民団体の主催で開かれた「再生可能エネルギー促進法成立!緊急集会」。出席した菅総理は、「私の顔を見たくないなら、この法案を通した方がいい!」と嬉々として"宣言"し、割れんばかりの拍手に包まれた会場からは「菅さんかっこいい!」との声が乱れ飛んだ。 「あの場にはグリーンピースジャパンや原水爆禁止日本国民会議など、Tと関係の深い極左メンバーが多く出席して場を盛り上げていました」  また、この関係者が言うもう一人の人物が、脱原発派で知られるイタリア人ジャーナリストのP氏である。 「日本での駐在暦が30年を超えるベテラン記者で、イタリアの極左テロ組織『赤い旅団』(ブリゲート・ローズ)の弁護士を務めていることで知られています。いわば極左中の極左なんですが、その人物と菅総理は先月6月29日に六本木で会食をしたと日経新聞で報じられました。菅さんに入れ知恵しているのはこの2人というのが関係者の一致した見方です」  「赤い旅団」とは1970年代から活動をしている極左グループで、過去には政治家や警察関係者、ジャーナリストらの誘拐や殺人事件を起こしている。そんなテロ組織の弁護士を公言するだけあり、P氏自身の武勇伝もなかなかのものだ。85年2月には、当時外国人登録法に定められていた指紋押捺を拒否して日本への再入国が認められず、法務大臣を相手に処分取り消しを求めて裁判を起こしている。  最近も元赤軍派議長の塩見孝也氏が主催する集会に、「赤い旅団弁護士」の肩書で出席し、塩見氏とツイン司会を担当するなど、極左運動家としてのびのびと活動中だ。
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指紋押捺を拒否して入国を拒否されたP記者の
「外国人差別は日本国憲法に矛盾する」などの主張を同情的に掲載する
1985年2月20日付け朝日新聞)
「菅さんが総理になった昨年、Pも外国人特派員協会の会長選挙に立候補するなど勢いづきましたね(編注:落選)。Pは最近、脱原発をテーマにした本を出版したんですが、その記念パーティーが29日にイタリア文化会館で開かれ、総理と会食したと報じられたのはその日の夜のことです。伸子夫人も顔を出していますから、家族ぐるみで親交が深いということでしょう。こうした状況に公安はピリピリしているようですが、公安にしても今まで監視対象だった極左グループが自分らのトップとべったりなんですから(笑)、どうしたらいいんだってのが本音じゃないでしょうか」  菅総理と言えば、資金管理団体の「草志会」が、北朝鮮による拉致事件の容疑者親族が関係する極左団体に6,250万円の献金をしていたことが、先の国会で追及されたばかり。原資は言うまでもなく税金(政党助成金)である。政府の拉致問題対策本部長である首相が、拉致問題解決に何ひとつ具体策を講じない一方で、拉致実行犯の関係者に国民の税金を提供していたことになる。  日本は安倍政権時代の06年、「北朝鮮国籍を有する者の原則入国禁止」措置を発動したが、14日に東京で開催されたアジア・オリンピック評議会総会に北朝鮮の委員が出席をしている。菅政権が「五輪関連行事へ配慮する」として、06年の制裁以来、初めて北朝鮮関係者の入国を許可したからだ。入国者が工作員でないかの"身体検査"などは「行われた気配はまったくない」(先の関係者)といい、一国の総理として国を守る意識の希薄さがあらためて露呈する形となった。  また、前記の市民集会にはソフトバンクの孫正義社長も出席していたが、メガソーラー事業への参入を表明している同社が、菅総理の唱える再生エネルギー政策の進展で大きく潤うのは言うまでもない。さらに、その際に必要となる大量の太陽光パネルを、韓国のサムスン電子から導入する方向で進んでいるともささやかれており、同社の会長が6月に来日するなど、すでに激しいロビー活動が展開されているとも言われている。 「そうした巨大な"再生エネ利権"をめぐるブローカーとしての役割をTやPが果たしている可能性が高いと見て、内閣調査室や経産省は2人をかねてからマークしているようです。逆に見れば、今回のストレステストはTのような勢力が総理をうまく使い、経産省をけん制した結果だとも考えられます」  国家百年の危機に直面しながら、目先の利を求める小物ばかりが闊歩する日本の政治。そのグダグダの先には、被災地や国の未来は微塵も見えてこない。 (文=浮島さとし)
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「プルトニウムは飲んでも大丈夫?」科学オンチでも愕然とする原発御用学者 の"妄言"と"業"

──東電に与し、原発に対して肯定的な発言を繰り返してきた"御用学者"が、槍玉に挙げられてきた。確かに、原子力を擁護し続けてきた罪は重いが、そうした"アンチ御用学者"のバイアスがかかることで、「本当に危険なことは何なのか?」という、本質的な問題が見えにくくなってはいないだろうか?
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『原発のウソ』
 3月11日以来、東日本大震災と福島第一原子力発電所のその後の姿が、あらゆるメディアで連日報じられている。そして、ニュース番組や新聞、雑誌記事の傍らには、名だたる大学の教授や大学病院の医師が識者として登場して、持論を展開している。未曾有の災害であり、史上最悪レベルの原子力事故だけに我々には、いま何が起きているのか、これから何をするべきなのか、わからないことが多すぎる。それだけに、その道のエキスパートである彼らの存在は心強い。  ところが、今回に関していえば、その言葉によくよく耳を傾けてみると、ドシロウトですら「それはあまりにも極論だろう」と、思わず首を捻りたくなるものも少なくない(当特集【2】参照)。そして、そんな発言をする学者はネットや一部週刊誌などで"原発御用学者"と呼ばれてしまいがちだ。  東電の御用学者とされるお歴々の代表的な発言は、当特集【2】の通り。たとえば、関村直人東大教授は「メルトダウンはあり得ない」「冷却水が漏れている可能性は低い」と力強く言い切り、諸葛宗男教授は、自らの作った農作物の出荷制限を受けるなど苦境に立たされ、将来に絶望し命を絶つことを選んでしまった農家の人々を「極端」と断じてしまっている。また、05年の発言ではあるが、大橋弘忠教授は「プルトニウムは、飲んでも体外に排出される」から大丈夫と明言。確かにプルトニウムを経口摂取しても、体内に吸収されることはないといわれてはいるが、それと内部被ばく、外部被ばくはまったく別の話。大橋発言は、ただの論理のすり替えにしか聞こえない。  あくまで結果論だが、彼らの発言がことごとく的外れであったことはご存じの通り。「先行きが不透明だからこそ、専門家は最悪の事態を想定すべき」だったのではないだろうか。  ところが、紙幅の都合で上記一覧からは割愛したが、このほかにも「人類は原発を知り尽くしていない。これからも事故は起きるだろうが、事故を克服して原発を使っていくべきだ」(畑村洋太郎東大名誉教授)、「今回の事故の補償費を含めると、原子力はコスト的な有利さが減じるが、それも小幅にとどまるものと思われる。基本的な原子力の経済的優位性は変わらないであろう」(宮崎慶次大阪大学名誉教授)などと、あからさまな擁護発言を行う学者すら存在するのもまた事実なのだ。  なぜ、彼らはこの期に及んでまで、そして御用学者のそしりを受けてまで、原子力発電を擁護し続けるのか。震災前から電力業界の体質を厳しく批判してきた元「噂の真相」副編集長の川端幹人氏は、「利権以外の何物でもない」と断言する。
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ドイツ・ミュンヘンで「FUKUSHIMA」風評被害 脱原発から脱日本食への動き

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ミュンヘンから電車で5時間。ハノーバー中央駅で見かけた
「SUMO SUSHI(相撲寿司)」という名の日本食レストランも、昼時にもかかわらず
客の姿はみえず閑古鳥が鳴いていた。
 東日本大震災の発生からまもなく4カ月が経過する。筆者は現在、ドイツ南部の都市ミュンヘンに滞在しているのだが、震災後間もなくだった4月の訪問時に欧州のあちこちで目にした「Fukushima-Daiichi (福島第一原発)」という言葉はすっかり姿を消している。  だからだろうか、ドイツ人は日本人を見掛けると、決まってその後の「Fukushima-Daiichi」の様子を尋ねてくる。ホテルで、レストランで軽いあいさつを終えると、「ところで」と切り出してくるのだ。  欧州で最も原子力に批判的とされるドイツでは、「Fukushima-Daiichi」の事故を受けて、反原発の動きが強まり、各地でデモが発生。原発全廃を先送りにしていたメルケル政権も6月、大衆の声を反映する形でついに完全廃止を宣言するに至ったほど。それだけに街の人々の原発に対する関心は高いのだ。  そんなドイツのミュンヘンで今、思わぬ風評被害に遭っているのが、日本食レストランだという。日本食レストランと言っても、肉・魚・野菜など食材のほとんどは欧州で調達されている。店を仕切っている人だって、大抵の場合は"なんちゃって日本人"。マレーシアやバングラデシュからやってきた日本とは無縁のアジア人だ。  ミュンヘン在住の知人は、「まあ、ラーメンに入ってる海苔なんかは日本から持ってきたものもあったんだけど、それも今は入ってない。完全な風評被害だね。ラーメンの具だって、白菜やゆでたまごぐらいだから」と言うが、客足は遠のくばかりのようだ。 「(ミュンヘンの位置する)ドイツ南部は、チェルノブイリ原発跡地(旧ロシア、現ウクライナ)からだいたい2,000キロぐらいの位置にある。それでも、空中に舞った放射性物質が雨で地面に落ちて土壌を汚染しており、爆発事故から25年が経ったいまでも、この地域では例えばキノコなどの栽培が禁止されている。だから、みんな敏感になっている」(同知人)  近年、日本食レストランは世界中でその数を伸ばし「Sushi(寿司」や「Ramen(ラーメン)」は日本を代表するモノとして認知されてきた。しかし震災後、原発の問題もあってその様子は変わりつつある。  日本で一部の地域の茶葉から高濃度のセシウムが検出され出荷停止に至る事態もあったが、それ以前からレストランでは日本茶を控えていた店も少なくないという。脱原発の次は、脱日本食の動き。風評は思わぬ地で、思わぬ広がりを見せている。 (取材・文=栗原正夫)
緊急解説! 福島第一原発事故と放射線 何が正しいのか。 amazon_associate_logo.jpg
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「福島から、一緒に未来を歩いてゆく」詩人・和合亮一 その言葉とともにあるもの

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現在も福島市に暮らす詩人・和合亮一氏。
「放射能が降っています。静かな夜です。」(『詩の礫』引用)  東日本大震災の発生から6日目の3月16日夜、福島県福島市在住の詩人・和合亮一はTwitter上に言葉を投下し始めた。福島第一原発が1号機、3号機に続き、4号機でも水素爆発を起こした、その翌日だった。 「放射能が降っています。静かな静かな夜です。」(『詩の礫』引用)  それから、詩人は毎日ツイートを繰り返した。ときに具体的に、ときに観念的に、その言葉は詩人と福島の極限的な状況を伝えた。詩人のTwitterアカウントは瞬く間に拡散され、やがて詩人の言葉は「詩の礫(つぶて)」と名付けられた。震災の最中にあって、多くの読者が「詩の礫」に触れ、直接に詩人と言葉を交換した。 「しーっ、余震だ。」(『詩の礫』引用)  立て続けに発生する震度4、震度5という大きな余震に揺さぶられながら詩人が綴った「詩の礫」は、一冊の本になった。震災から100日あまりが経過した6月下旬、上京していた詩人・和合亮一に会いに行った。 ――震災時は勤務先の高校にいらっしゃったと伺っています。 和合亮一氏(以下、和合) 伊達市内の高校にいました。いままで体験したことのない、動物の背中に乗っているみたいな、そういう揺れでしたね。想像の域を超えたような揺れ。ただ、そのときはこんなに大きな被害が出るとは思っていなかったんです。2~3日もすれば日常生活に戻れるだろうと。ところが、その日の夜に、余震がひどくて駐車場で夜を明かそうとしていたら、ラジオから「仙台の若林区に300人の遺体が流れ着きました」という声が流れてきた。その情報を耳にしたときに、これはすごいことが起きているな、こんな破壊的なことって、経験したことないな、と。今回の震災が、衝撃を持って実質的に自分の中に入り込んできた感じでした。 ――その後の3日間は避難所で過ごしたそうですが、書くことへの意欲が湧いてきたのはいつごろでしょうか。 和合 その3日間はほとんどライフラインが止まっていたので、食料や水を確保することで1日が手いっぱいでしたね。ただ、手帳にメモを書いていました。いままで自分が書いたことのないようなメモです。ずっと、ひっきりなしに書いていたんです。いま思えば、震災のショックで、書くことに徹していたような気がしますね。 ――そのメモは、理路整然としたものなのでしょうか。 和合 すごく、幼稚な文章です。誰がこういうことを言ったとか、列に並んだ、並んで水をもらった、パンをもらった、そういうことですね。それと、飛び込んでくる死者の数をメモしていたり。何か、とにかく目の前であったことを書かずにはいられなかったんです。そうして自分自身を守ろうとしていたのかもしれません。 ――とにかく、気を鎮めるため。 和合 気を鎮めるためですね。 ――3月16日からTwitterへの投稿を始められるわけですが、その冒頭で「物の見方、考え方が変わりました」と書かれています。 和合 そうですね。それまで、原発は絶対安全だと言われていたし、福島にも地震は来ないと言われてきた。そういう目の前のものが、すべて崩壊に向かっていくような、そういう風景が見えたんです。自分の言葉自体も崩れて、がれきになってしまったような、そういう印象がありましたね。  * 「行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います。」(『詩の礫』引用)  * ――16日前後と言うと、原発が爆発した直後で、命の危険というものも感じていたのではないでしょうか。 和合 それはすごく感じましたね。もっと大きな爆発があるんじゃないか、という不安もあったし、とにかく余震が多かったので。『風が吹くとき』(あすなろ書房)という絵本があるんですが、それを思い出していました。 ――そんな状況下で「作品を修羅のように書く」とは、どのようなことでしょうか。 和合 根源的な情動のようなものですね。初期のころの「詩の礫」は全部、即興なんです。思い付いたことをそのままツイートするという。ものを書いてきた人間の本能というか、いま思い出しても、自分が書いたんじゃないような、夢を見ているみたいな感覚です。キーを叩いていても、そこに自分の人格がない。自分自身が言葉にすがっている。ここに生きているということと、Twitterに言葉を投げ込むということが、同じレベルにあったんだと思います。 ――詩を書く、という行為そのものが変わってしまった。 和合 いままでは、現代詩の技法というもの、その完成度を思いながら書いていたんです。比喩をどう使って、完成度の高いものを書くか、次には、その完成度をどう壊すか、そういう作業をしてきたんですが、震災後にはそういうものをすべてブン投げちゃった。完成度が高いとか低いとか、そういう価値基準や判断を持っていることがバカバカしくなってしまったんです。もう詩人としての勝負は辞める、と。震災前までは、僕の読者、詩集を買ってくれる方々というのがいて、僕は作品を書いてその読者に届ける、ということを考えていたんですけれど、震災後はまったくそういう想定がなくなってしまった。「詩の礫」も、誰かに届くということは考えていなかったですね。 ――「詩の礫」はTwitter上で、和合さんのことを知らなかった人たちの間で広く拡散されていきました。そうした新しい読者の反応をリアルタイムで見ながら書いていたということですが、作品を発表した瞬間に具体的なリアクションが返ってくるというのは、どういう体験でしたか。 和合 言葉の力をもらっている、という感覚ですね。メッセージをもらうと、自分の中に波が立ってくる。波が立ってくるから、また書こうと思える。僕は詩の朗読を20年間やってきたんですが、そのときの感覚とすごく似ています。現場性がある。呼吸が一致しているという感じがするんですよ。見てくれている人と、一緒になっている感じ。パソコンの画面がうねっているような、Twitterを通して、いろんな人の呼吸が感じられるんです。  4月1日に、10回目の「詩の礫」を書いているとき、不思議な体験をしました。そのころの「詩の礫」は、ある程度準備をして、メモを横に置いて作っていたんですが、2時間書き続けたうちの後半の1時間に、メモをまったく見なくても書ける、即興で書けるという状態になったんです。この詩はラストにはどうなるんだろうという不安を感じながら、言葉がどんどん出てきた。最後は海に行って、水平線に美しい一艘の帆船が見えた、というところで終わるんですけど、それも最初からそういう展開になるとはぜんぜん思っていなかった。みんなの呼吸がそうさせてくれたっていうね。それまでの「詩の礫」とはまったく違う感触だったんです。その最後に「みなさんと一緒に未来を歩いた気がします」と書いたんですが、ネットでそういう目覚めのようなものを感じることは、震災前にはなかったことですね。  * 「11438人の影(日本中の詩友よ、今こそ詩を書くときだ、日本語に命を賭けるのだ、これまで凌ぎを削ってきた詩友よ、お願いする、詩を、詩を書いて下さい、2時46分、黒い波に呑まれてしまった無数の悲しい魂のために、お願いする、私こそは泣いて、詩友に、お願いする。)がバス停を過ぎる。」(『詩の礫』引用)  * ――震災直後から和合さんの詩を読んでいた方というのは、直接大きな被害を受けていない方や、被災地にいてもインフラの復旧が早かった方が主だったと思うんですが、自分も含め、そういう人たちの間には「自分には何もできない」という無力感とともに、自分が被害を受けていないという事実に対して罪悪感のようなものがあったと思うんです。そういう人たちにとって、毎日更新される「詩の礫」というのが「この詩を読んでいる間、私は福島とともにある」という実感が得られるものとして機能していたのではないかと感じるんですが、和合さんご自身はその期間、詩人として、社会の中である役割を担っていたという思いはありますか。 和合 メッセージを、たくさんいただいたんですね。「情報に追われて生活をしていて、つらい中で、このTwitterを読んだことで静かな気持ちになり、いろいろ考えることができました」とか、両親を残して福島を離れている方が、「福島の状況を知りたい、父と母のことを考えたいから読んでいる」とか。そういうメッセージやお手紙をいただくんです。「心配で心配でしょうがなくて、いろんな人に話を聞きにいったんだけど、どの人の説明も、自分の心を満足させてくれなくて、『詩の礫』を読んでると、自分が求めてるのは、詩人の語りなんだな、と思いました」とか、「お父さんお母さんを亡くして、それでもう、何も考えられない日々を過ごしてたんだけど、この詩を読んで、まず泣いた、ずーっと泣いた、一日泣いてた、泣いたら、次どうしようかってことを考え始めることができました」って、どれもすごく丁寧に書かれていて。そうして待っている人がいるのであれば、書こうと思うんです。それを、物書きとしての役割と言っていただくのはすごくうれしいことですけど、本気で気持ちを救うことができるのであれば、少しでも手助けができるのであれば、それは続けたいと思いますね。 ――詩人だから詩を書く、というのではなく、重そうな荷物を持ってあげていたような感覚でしょうか。 和合 そう。だから「詩の礫」って名前は付けているけれど、書いたものに詩が宿ってきてくれればいいかな、と思うんです。  * 「うるせえ、放射能をぶっ潰してやる。震災をぶっ潰してやる。」(『詩の礫』引用)  * ――「詩の礫」では、怒りの感情もすごくストレートに表現されています。地震に対して、地球に対して。その反面、誰か人間に対して怒っているという部分は見当たらない。例えば避難所やガソリンスタンドには自分勝手な人がいたかもしれないし、地元の行政にもいたかもしれない。もちろん東電や、政治家にも不満や怒りは大いにあったと思うんですが、「詩の礫」を公開していく中で、これは詩に書いてはいけない、この気持ちを表現してはいけない、と決めていたことはありますか。 和合 そこはやっぱり、詩だ、という意識があるんですね。詩である限り、何か高潔なものでありたいという気持ちがある。人を傷付けるものにはできないという。宮沢賢治の言葉に出会ったんです。「新たな詩人よ 嵐から雲から光から 新たな透明なエネルギーを得て 人と地球にとるべき形を暗示せよ」っていうね。詩を書くことの意味って、人と地球、人の次に地球が来るっていうのが、詩ならではの働きかけなのかな、と。だから今回の『詩の礫』を書いているときにも、誰かを傷つけてはいけない、被災者の人たちの気持ちを追い込んではいけない、という思いは、書く基準としてあったと思いますね。  * 「美しく堅牢な街の瓦礫の下敷きになってたくさんの頬が消えてしまった」「こんなことってあるのか比喩が死んでしまった」(『詩の礫』引用)  * ――「比喩が死んだ」という表現をされていましたが、確かに今回の震災で、多くの言葉が意味を変えました。例えば「原発」という言葉もそうですし、サザンオールスターズの「TSUNAMI」という曲もそう。報道の中で「市街地が壊滅しています」とNHKが繰り返している。それはフィクションの中でしか聞こえてこなかった表現だったはずですが、現実が比喩を追い越していくという状況を、言葉の表現者としてどのように受け止めていくのか、あるいは、日本語がここまで大きく姿を変えたとき、詩人はそれとどう向き合うのでしょうか。 和合 やっぱり詩を書くということにおいては、直接的でなくとも、比喩を追い求めていかなくてはいけないと思います。言葉が醸し出す何がしか、言葉の影のようなものを追いかけていかなくちゃいけない。おっしゃる通り、今は完全に現実が比喩を追い越してしまって、比喩というものが極限状態では成立しないということを、まざまざと見せ付けられたわけです。言葉が、まったく表情を変えてしまった。例えば「福島」なんて、震災前は「ふぐすま」なんて言われて、何もない土地だという印象だったけれど、今は世界中の人たちが分かってしまう。カタカナで「フクシマ」っていう、なんだか鋭くて恐ろしい言葉に変わってしまった。そういう言葉の表情一つひとつが変わってきた中で、変わってきたものを並べながら、やっぱり比喩を作っていくしかない。比喩を作るっていうのが詩人の命ですから、直喩にしろ擬人法にしろ暗喩にしろ、どうにかして比喩を成していかなくちゃいけないというのが、これからの課題だと思うんです。僕が選んだ方法というのは、とにかく目の前のことを、ドキュメントとして書いていく、記録として書いていく、いまあることを、いまあるままに発信していく。その中で、そこに新しい比喩が宿っていけばいいな、というふうに思いながら、実は書いています。  * 「目をあけた 福島の子よ」「雨の夜を歩き通した 子どもよ」「一番最初の きみの 夜明けだ」「生まれてきて くれて ありがとう」(『詩の礫』引用)  * ――実は今日、一番聞きたかったのは、まさに和合さんがおっしゃっていた「フクシマ」という日本語の話なんです。もう世界中の人が、「チェルノブイリ」「スリーマイル」と言うときと同じ顔で「フクシマ」と言う、そういう状態になってしまったことは動かしようがなくて、それでも福島には、今もたくさんの子どもたちが暮らしている。彼らは、福島生まれ福島育ちという事実を一生背負っていかなければならない。健康被害ももちろん心配ですが、その思想やアイデンティティーにも大きな影響を与えることだと思うんです。汚染された地域で育った人間である、と見られ続けていく彼らに対して、私たち、日本の大人たちは、何をどう伝えていったらいいのだろう、ということなんです。 和合 そこがですね、僕がいま、ずっと考えていることなんですよ。放射能とともに暮らすという現実が、これからずっと続くと思うんですね。簡単に「子どもを逃がせ」って言ってくる人もいるけれど、例えば自主避難をしたとしても、避難した先でどう暮らすか、そこには仕事もなければ生活の基盤もない、お金だって下りないし、生きていけないんです。そういう現実を、福島は抱えてるんですよ。それは福島の空気の中で暮らさないと分からないことだし、浜通りには浜通りの空気の中で暮らさないと分からないことがある。一度故郷を離れたらもう戻って来られないという気持ちもあるし、親の問題もある。いま避難せずに生きている人たちって、何らかの理由があって福島にいるわけです。だから、福島で生きていく限り、それを大人たちがもっと語れるようになっていかなければいけない。福島の人たちの気持ちの拠りどころになれるような言葉を、僕はずっと自分の中に探しているんです。一言なのかもしれないし、長いフレーズなのかもしれない。今はまだ、分からないです。大人が子どもたちにどう接したらいいか、分からないです。言葉は何も解決しないでしょうけれど、何か時代のよすがになれるような言葉を、あれからずっと考えているんです。このままだと、われわれ福島の人間は、根無し草のまま、ずっと何の発信もできずに、原発が爆発したら爆発したまま、避難しろって言われたら言われたまま、まま、まま、っていう受動的な、そういう生き方、生き様で、悔しさを抱えながら、流されて生きていかなくちゃいけなくなるんですね。だから、ここに自分たちの生き様があったんだっていう、何かそういう言葉を残したいと、今は思っているんです。  * 「2時46分に止まってしまった私の時計に、時間を与えようと思う。明けない夜は無い。」(『詩の礫』引用) (取材・文=編集部) ●わごう・りょういち 1968年福島県生まれ。詩人。高校教諭の傍ら詩作活動を行う。福島高校、福島大学卒業。99年、第一詩集『AFTER』で第4回中原中也賞、06年に第四詩集『地球頭脳詩篇』で第47回晩翠賞を受賞。詩集に『RAINBOW』『誕生』『入道雲入道雲入道雲』『黄金少年』『詩ノ黙礼』『詩の邂逅』。その他の著書に『パパの子育て奮闘記』『にほんごの話』(谷川俊太郎と共著)。ラジオ福島で『詩人のラヂオ 和合亮一のアクションポエジィー』のパーソナリティを務める。 Twitterアカウントは「@wago2828」。
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「反省も謝罪も誠意も一切ナシ!?」株主総会で露呈した東京電力の無責任で傲慢な正体

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エントランスには多くの私服警官の姿。
 去る6月28日、東京電力の第87回定時株主総会が、東京・港区にあるザ・プリンス・パークタワー東京で行われた。福島第一原発の事故などから、以前から注目を集めていた総会である。  当日、現地を訪れるといきなりその異様さを痛感させられた。地下鉄の出口から会場までの道に、幾人もの警察官の姿があったからである。当の総会の警備であることは明らかだった。    通常、株主総会の警備に警察官が動員されることは極めて稀である。かつて、総会屋が盛んに活動していた時期には、総会会場付近に警官が配備されることはあった。また、企業が何らかのトラブルを抱えており、それによって重大な混乱が生じる恐れがあるときなどに、警官が警備に当たるケースはいくつか起きている。しかし、そうしたケースでもせいぜい数名から多くても30名程度の警官が配置される程度であった。  しかし、今回の警官動員は異例であった。道路だけでなく、ザ・プリンス・パークタワー東京の周囲、施設内に至る入口という入口をことごとく警官がガードしている。まさに厳戒態勢と呼んでもおかしくないレベルだ。警官の数も、筆者が目視で数えたところ、制服と私服合わせて100人はいたと思われる。
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至るところに警官の姿が。
 さらに、現場には総会に参加する株主で長蛇の列ができていた。定刻の10時になっても、まだ会場には入りきらなかった。結局、ほぼすべての入場し終えたのは10時38分ごろだった。  現場にいた東電の職員や後に出席した株主などに聞いたところ、受付では出席する株主に対する持ち物検査が行われた。その内容は「バッグの中を見せて下さい」という程度の簡単なものだったが、こうした例は株主総会ではむしろ少ない。さらに、カメラや録音機器の持ち込みは禁止され、持参していた場合には「受付でお預かりさせていただきます」(東電職員)とのことだった。  しかし、総会会場にカメラやボイスレコーダーを持ち込むことを禁止している総会はそれほど多くはない。もちろん、違法でもない。  11時現在で、出席株主数は「8,657名」(東電職員)。その後も、遅れて何人もの株主が到着した。  会場外ではマスコミ各社と警官隊が待機。脱原発推進団体のメンバーらがアピール活動などを行ったが、とくに大きな混乱はなかった。途中、12時43分ごろから株主として会場に入っていた、脱原発を進める「eシフト」の氏家雅仁氏が路上で状況を報告。「東電経営陣が誠実に答えているとは思えない」などと述べた。会場は質疑応答などで紛糾しているものと思われた。  退席した株主などからの話によると、会場は5つに分けられ、メイン会場には東電役員が壇上に並ぶという、総会で定番の形式。他の会場では議事等の様子をモニターで眺めるしかなかった。発言する場合には、他の会場のいる株主はわざわざメイン会場まで移動しなくてはならなかった。  さて、株主からの原子力発電からの撤退を提案した、問題の「3号議案」の審議に入ったことが分かったのは、15時を過ぎたころだった。その後、16時を過ぎたあたりで、閉会そして散会となったことが外にいたマスコミなどに伝えられた。  退出してきた株主から聞かれたのは、東電に対する失望や不信の声だった。  総会は、議長を務めた勝俣恒久会長がほぼすべて仕切る形で進められたという。議事の中心はメイン会場で、しかも「半分以上の席が東電関係者で占められていた」(42歳男性)という。
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ホテル前では抗議活動も。
 株主総会で席の前列の何列かが社員株主で埋められているケースは通例となっている。しかし、今回の東電の総会では、相当な数の動員がかけられた可能性が高いことは、多くの出席株主からの証言で推測できる。  そうした動員株主による「異議なし!」「議事進行!」の声が飛び交うのも、多くの総会でみられることだ。  だが、今回はかなり強引なケースもあったらしい。ある男性は野次を飛ばしたところ、その動員株主と思しき者から「黙れ!」などと怒鳴られて外に連れ出され、人けのない場所に連れて行かれそうになったという。「ヤクザの総会屋みたいだった」と男性は言うが、その手の総会屋が現在も活動しているという話は、絶えて聞かない。むしろ、そうした特殊株主が活動していたのであれば、対処用に動員された警察が動くはずである。しかし、そうした気配はまったくなかった。  また、多くの株主があきれたのは、勝俣会長ら東電の傲慢で不誠実な態度だった。  今回の総会では、事前に東電側が複数の大株主から委任状を受け取っており、それによって東電の思惑通りの結果になるという仕組みだった。そのことを、勝俣会長は列席の株主たちにこんなふうに告げたという。 「あなたたちが何を言っても、委任状ですでに過半数を取っているんです。何をやっても無駄です」  そして、3号議案はあっさりと否決された。挙手できたのはメイン会場だけで、ほかの会場の株主は「黙ってモニターを眺めているしかなかった」という。しかも、多くの株主が「明らかに賛成の挙手が多かった」にもかかわらず、議長の勝俣氏は即座に「反対多数とみなし......」と宣言した。これも、「委任状」によるもので、挙手の必要など最初からなかったのである。形式的に行っただけであった。  こうした東電の態度に多くの株主が、「誠意がまったく感じられない」(69歳男性・千葉)「まったくの茶番。あんな株主総会ならやる必要なんて無いよ」(70代男性)「株主を完全にバカにしていますよ」(66歳女性・大田区)などの声が多く聞かれたが、怒りというよりもあきれたという感じの株主が少なくなかった。  また、テレビや新聞では「反対多数により否決」などという表現で報道されたが、これではあたかも反対挙手が圧倒的に多かったように感じられるのではなかろうか。しかし、「反対票の大部分は委任状によるもの」と説明する報道はほとんど見かけない。  他にも、「今回の福島の事故について、役員一人一人は責任をどう考えているのか」という質問がなされたが、これも勝俣氏がまとめて形だけの回答をするのみで、各々の役員が発言することはなかった。また、「役員は私財をなげうって事故被害者の救済に当てるべきではないのか」という質問には、「(私財は)プライベートな問題なので答えられない」と回答。さらに、原子力事業についても、「私たちは国の政策にしたがって進めただけのこと」「原子力委員会の言う通りに事業を行っただけ」などと、まるで当事者ではないかのような発言を連発。株主からは「まるで他人事みたい」「自分たちが被害者のような言い方だった」との声が続いた。  国内だけでなく世界中が注目する株主総会で、なぜ東電はこれほど誠意や反省が感じられない、無責任ともとれる発言を繰り返したのか。ここに、東電というものの「体質」がうかがえるように筆者には感じられた。 (文=橋本玉泉)
東電帝国―その失敗の本質 情けないよ。 amazon_associate_logo.jpg
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【震災3カ月】進まぬ復旧 被災地で見た「止まった時計」が語るもの 現地レポ(5)

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「あの時」から止まったままの雄勝小学校の時計
 3月11日2時46分に発生した東日本大震災は、戦後最大の自然災害として日本全土を震撼させた。筆者は今回、地震と津波の発生から三ヶ月後の被災地を取材するため、岩手県陸前高田市から宮城県気仙沼市、南三陸町、牡鹿半島、福島県南相馬市、いわき市などを回った。(現地レポ【1】陸前高田市1【2】陸前高田市2【3】南三陸町【4】いわき市四倉)  被災地では瓦礫の撤去や仮設住宅の設営、ライフラインや幹線道路の復旧などが粛々と行われる一方、被災直後の惨状がそのままの状態で残されているという現場に何度も遭遇した。政府は震災以来、復興ビジョンの策定へ向けて復興対策会議を重ねてきたが、会議の回数に比例して復旧が進んでいるとは言い難いのが実情だ。被災地で見たいくつもの「時計が止まったまま」の現場が、何よりもそれを物語っている。 ■破壊された校舎、止まった時計の針(宮城県石巻市雄勝町)  津波の被害で多くの児童が命を落とした雄勝(おがつ)小学校。校舎周辺の被害も凄まじく、教員ら関係者がはじめて校舎の中に入れたのは、津波から1カ月近く経った4月5日。瓦礫と化した教室の壁を避けながら、生徒の名前の入ったノートや絵、学級日誌などが集められた。破壊された校舎は今もほぼそのままの状態で、崩れ落ちた天井、突き破られた壁、なだれこんできた土砂が津波の凄まじさを物語っている。校舎の時計の針は今も津波を受けた時間を指したままだった。
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教室にはなだれ込んできた土砂が......
■津波で流された新北上大橋 復旧は半年先(宮城県石巻市)  北上川を挟んで国道398号線を結ぶ新北上大橋は、川面から約7メートル高かったにもかかわらず、津波を受けて橋の三分の一が流された。橋のすぐ東側に位置する大川小学校では7割の児童が尊い命を失っている。橋が流される様子は現場にいた石巻市職員が撮影し、現在もその動画がYouTubeなど動画サイトにアップされている。3カ月後の今も復旧工事は着工されておらず、流された橋の残骸が、川下数百メートルの位置でその一部を水面から覗かせていた。橋を管理する宮城県東部土木事務所によれば、「流されて喪失した橋の部分は約150メートル。その位置に同じ幅の橋桁を架け、橋脚間に20メートルごとの補助の橋脚を立てることで、とりあえず仮り橋として復旧します。開通は早くて年内には」としている。
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頑丈なはずの橋げたも津波の前ではひとたまりもなかった

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川下数百メートルに顔を出した橋の残骸
■漁港で腐敗し続ける生魚(宮城県牡鹿郡女川町)  日本有数の女川漁港を有し、缶詰や冷凍食品など、水産加工の拠点としても知られる女川町(おながわちょう)。震源に近かった同町は、リアス式海岸という地形の影響もあり、津波が直撃。高台にあった役場庁舎も波にのみこまれ、行政機能がマヒしたために避難所の確保や食料補給も滞った。震災直後のテレビ画面には、津波をかぶって商品価値をなくした生鮮魚貝類のコンテナが連日映し出された。そのコンテナは今も、腐敗した魚を詰めこんだまま、野ざらし状態で女川港に置かれいてた。3カ月間放置された鮮魚「だったもの」は、発酵しながらそれ自体が一つの異質な塊りと化して異臭を放っていた。腐敗臭は数キロ離れた女川町立病院に届くほどで、病院の駐車場ではハンカチを顔にあて顔をゆがめる人の姿も見られた。
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腐敗した魚がコンテナからあふれている
■あの大物歌手も経営していたリゾートホテル(岩手県陸前高田市)  陸前高田市で生まれ育ち、バブル期に「歌う不動産王」と呼ばれた千昌夫が経営していた時期もある「キャピタルホテル 1000」。ホテル名にある「1000」の由来もそこにある。現在は第3セクター「陸前高田地域振興」の管理下にある。広田湾に面した立地で美しいオーシャンビューが売りだったが、それだけにホテルは津波の被害を直接受けた。7階建ての建物は今も手つかずで、4階から下は爆撃を受けたかのような状態。15メートル近い波が押し寄せたことを物語っている。2階のレストランホールだったと思われる空間には華やかな面影は微塵もない。ホテル復旧のメドはまったく立っていないという。
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爆撃を受けたかのようなホテルのフロア

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客室もこのような状態では復旧は不透明だ
■倒壊したままの墓石と流された本堂(宮城県東松島市)  津波で住職が命を落とした東松島市にある長音寺(ちょうおんじ)は、本堂が津波であとかたもなく流され、昨年秋に完成した別館だけが、かろうじて柱や屋根だけを残して風雨にさらされていた。震災発生から100日目を迎えた18日には「百ヶ日忌 合同法要」が営まれ、約250名の被災者と遺族が法要に訪れたが、当日は亡くなった住職に代わり、父親の前住職(76歳)が取り仕切る形になった。一方、墓石は今もほぼすべてが倒壊したまま。親族と思われる檀家の人たちが時おり訪れては、墓石の周囲を黙々と片付ける姿が痛々しい。再建のメドは今もまったく立っていない。
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住職を失った長音寺

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昨年秋に完成したばかりの別館もこのような有様に
 震災から3カ月という時間が経過したが、避難所生活を送る住民は今も9万人を超えている。市街地を中心に粛々と進められている瓦礫の撤去作業も、岩手・宮城両県では7~8割がまだ手づかずで残されている。NHKが東北3県42の市町村長を対象に行った調査でも、6割以上が「被災者の生活再建の見通しが立っていない」と答え、被災者自身も半数近くが「生計の見通しが立っていない」と回答している。心理的にも物理的にも、復旧への道のりは遠い。 (文=浮島さとし)
東日本大震災―読売新聞報道写真集 7~8割がまだ手づかずで残されている。 amazon_associate_logo.jpg
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福島第一原発事故20km地域の"LOVE & PEACE" 幻のコミューン「獏原人村」の現在

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 通称「獏」こと「獏原人村(ばくげんじんむら)」をご存じだろうか?  国道399号沿いにある獏林道と呼ばれる山道を4kmほど進んでいくと目の前に現れる「獏」は、共同生活でエコライフを送る場所、つまりコミューン的な伝説の村として一部の人の間で知られている。この村を有名にしているのは、毎年7~8月ごろに開催されてきた「満月祭」。これは、太鼓のリズムに乗って満月をながめることに始まった音楽と仲間のきずなを大事にする、LOVE & PEACEなイベントだ。ウワサは口コミで広まり、今や参加者が毎年1,000人を超える祭となっている。  ところが、獏がある福島県双葉郡川内村は、一部が福島第一原発から半径20キロ圏内に引っ掛かるため、該当地域の住人たちはすでに避難している。大手マスコミでは報道されることのないこの村の現在がどうなっているのか、現地を取材してきた。  川内村の避難住民の一時帰宅が始まった5月上旬、「獏」を訪れた。  県道から脇道に入り、砂利道の続く獏林道を抜けて村にたどり着いた。急斜面にいくつかの建物があり、鶏小屋も見える。畑を開墾し、数百羽の鶏を放し飼いすることで生計を立てる農業共同体は、震災以前と変わることのない姿でそこにあった。車から降りて建物の方へ近づいていくと住居の前に女性の姿が見えた。 DSC02153.jpg 「卵を買いに来ました」  女性に向かって声を掛けると、驚いたような表情を見せた。この女性は獏に暮らすボケさん。獏を立ち上げたマサイさんの奥さんだ。そもそも獏は、1977年にマサイさんがヒッピーコミューンを目指してこの生活を始めたことに端を発する。30年以上が経過しているが、いまだ当時の理想「何ごとも無理せず、自然のままに、楽しく」を実現するためこの暮らしを続けているのだ。  突然の訪問者に驚きながらもボケさんはうれしそうな顔を見せ、「ちょっと待ってね」と卵を取りに建物に入って行った。  自給自足がベースにある「獏」では卵を一個40円で販売している。そのことを知っていたとしても、わざわざ道なき道を越えての訪問者はこの時期に皆無だろう。  卵を手に持って戻ってきたボケさんに、過去に満月祭に参加した経験があり近くまで来たので村の様子が気になって訪問したことを伝えると、急に「ああ、そうなんだ」と納得した表情になった。 「お茶でも飲んでいきなさい」 bakugen03.jpg  謎の訪問者の正体が分かった途端にそう言って家に招き入れてくれた。そして、現在の生活について語ってくれた。村に残るのは、マサイさんとボケさんの夫婦だけ。夫のマサイさんは満月祭の中心メンバーでもある。私が訪問したとき、マサイさんは卵の配達で留守だった。  本当はもう一組、3人家族が住んでいるが、お子さんが小さいとのことで奥さんの実家に避難しているという。  マサイさんボケさん夫婦も震災発生当初はいったん避難したそうだが、鶏が心配で戻ってきた。今のところかろうじて20キロ圏内に入っていない「獏」は自主避難エリアであり、戻ろうと思えば戻ることはできるため、鶏の世話を優先して出した結論なのだという。だが、福島第一原発の放射能は心配ではないのだろうか。 「これ、ずっとつけっぱなしなんだけどね」 baku04.jpg  ボケさんはそう言ってガイガーカウンターを取り出した。震災直後は警報アラームが鳴りっぱなしだったが、現在は数値も落ち着いているとのことだった(周辺エリアの計測値は毎時0.3~0.4マイクロシーベルト)。 「近いからといって放射能が強いわけではないのよ」  ボケさんが言うように、放射能数値は距離に比例するわけではないことはすでに報道されていたが、目の当たりにすると納得せざるを得ない。ボケさんは鶏がいる以上は避難できないし、子どもたちも自立しているのでこの場所にとどまると話してくれた。  今年の満月祭はどうなるのかを尋ねると、「お父さん(マサイさん)はやるっていってたよ」とのこと。留守中のマサイさんにはこのとき話を聞くことはできなかったが、ボケさんの話によれば決意は固いという。 「でも、原発のこともあるからこじんまりとやるみたい。さすがに大々的にはできないから」  私はボケさんにお礼を告げ、卵を購入して村をあとにした(取材を終えて食べた卵は、本当に美味しかったです)。  原発事故は自然と一体化した「獏」の暮らしだけでなく、マサイさんボケさん夫婦の理想さえもかき消そうとしている。それほどの大事故であったことを、今一度胸に刻む必要があるだろう。その一方で、大きな困難にも負けずに立ち向かおうとする人たちがいることも忘れてはならない。 (取材・文=丸山ゴンザレス/http://ameblo.jp/maruyamagonzaresu/
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