
現在も福島市に暮らす詩人・和合亮一氏。
「放射能が降っています。静かな夜です。」(『詩の礫』引用)
東日本大震災の発生から6日目の3月16日夜、福島県福島市在住の詩人・和合亮一はTwitter上に言葉を投下し始めた。福島第一原発が1号機、3号機に続き、4号機でも水素爆発を起こした、その翌日だった。
「放射能が降っています。静かな静かな夜です。」(『詩の礫』引用)
それから、詩人は毎日ツイートを繰り返した。ときに具体的に、ときに観念的に、その言葉は詩人と福島の極限的な状況を伝えた。詩人のTwitterアカウントは瞬く間に拡散され、やがて詩人の言葉は「詩の礫(つぶて)」と名付けられた。震災の最中にあって、多くの読者が「詩の礫」に触れ、直接に詩人と言葉を交換した。
「しーっ、余震だ。」(『詩の礫』引用)
立て続けに発生する震度4、震度5という大きな余震に揺さぶられながら詩人が綴った「詩の礫」は、一冊の本になった。震災から100日あまりが経過した6月下旬、上京していた詩人・和合亮一に会いに行った。
――震災時は勤務先の高校にいらっしゃったと伺っています。
和合亮一氏(以下、和合) 伊達市内の高校にいました。いままで体験したことのない、動物の背中に乗っているみたいな、そういう揺れでしたね。想像の域を超えたような揺れ。ただ、そのときはこんなに大きな被害が出るとは思っていなかったんです。2~3日もすれば日常生活に戻れるだろうと。ところが、その日の夜に、余震がひどくて駐車場で夜を明かそうとしていたら、ラジオから「仙台の若林区に300人の遺体が流れ着きました」という声が流れてきた。その情報を耳にしたときに、これはすごいことが起きているな、こんな破壊的なことって、経験したことないな、と。今回の震災が、衝撃を持って実質的に自分の中に入り込んできた感じでした。
――その後の3日間は避難所で過ごしたそうですが、書くことへの意欲が湧いてきたのはいつごろでしょうか。
和合 その3日間はほとんどライフラインが止まっていたので、食料や水を確保することで1日が手いっぱいでしたね。ただ、手帳にメモを書いていました。いままで自分が書いたことのないようなメモです。ずっと、ひっきりなしに書いていたんです。いま思えば、震災のショックで、書くことに徹していたような気がしますね。
――そのメモは、理路整然としたものなのでしょうか。
和合 すごく、幼稚な文章です。誰がこういうことを言ったとか、列に並んだ、並んで水をもらった、パンをもらった、そういうことですね。それと、飛び込んでくる死者の数をメモしていたり。何か、とにかく目の前であったことを書かずにはいられなかったんです。そうして自分自身を守ろうとしていたのかもしれません。
――とにかく、気を鎮めるため。
和合 気を鎮めるためですね。
――3月16日からTwitterへの投稿を始められるわけですが、その冒頭で「物の見方、考え方が変わりました」と書かれています。
和合 そうですね。それまで、原発は絶対安全だと言われていたし、福島にも地震は来ないと言われてきた。そういう目の前のものが、すべて崩壊に向かっていくような、そういう風景が見えたんです。自分の言葉自体も崩れて、がれきになってしまったような、そういう印象がありましたね。
*
「行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います。」(『詩の礫』引用)
*
――16日前後と言うと、原発が爆発した直後で、命の危険というものも感じていたのではないでしょうか。
和合 それはすごく感じましたね。もっと大きな爆発があるんじゃないか、という不安もあったし、とにかく余震が多かったので。『風が吹くとき』(あすなろ書房)という絵本があるんですが、それを思い出していました。
――そんな状況下で「作品を修羅のように書く」とは、どのようなことでしょうか。
和合 根源的な情動のようなものですね。初期のころの「詩の礫」は全部、即興なんです。思い付いたことをそのままツイートするという。ものを書いてきた人間の本能というか、いま思い出しても、自分が書いたんじゃないような、夢を見ているみたいな感覚です。キーを叩いていても、そこに自分の人格がない。自分自身が言葉にすがっている。ここに生きているということと、Twitterに言葉を投げ込むということが、同じレベルにあったんだと思います。
――詩を書く、という行為そのものが変わってしまった。
和合 いままでは、現代詩の技法というもの、その完成度を思いながら書いていたんです。比喩をどう使って、完成度の高いものを書くか、次には、その完成度をどう壊すか、そういう作業をしてきたんですが、震災後にはそういうものをすべてブン投げちゃった。完成度が高いとか低いとか、そういう価値基準や判断を持っていることがバカバカしくなってしまったんです。もう詩人としての勝負は辞める、と。震災前までは、僕の読者、詩集を買ってくれる方々というのがいて、僕は作品を書いてその読者に届ける、ということを考えていたんですけれど、震災後はまったくそういう想定がなくなってしまった。「詩の礫」も、誰かに届くということは考えていなかったですね。
――「詩の礫」はTwitter上で、和合さんのことを知らなかった人たちの間で広く拡散されていきました。そうした新しい読者の反応をリアルタイムで見ながら書いていたということですが、作品を発表した瞬間に具体的なリアクションが返ってくるというのは、どういう体験でしたか。
和合 言葉の力をもらっている、という感覚ですね。メッセージをもらうと、自分の中に波が立ってくる。波が立ってくるから、また書こうと思える。僕は詩の朗読を20年間やってきたんですが、そのときの感覚とすごく似ています。現場性がある。呼吸が一致しているという感じがするんですよ。見てくれている人と、一緒になっている感じ。パソコンの画面がうねっているような、Twitterを通して、いろんな人の呼吸が感じられるんです。
4月1日に、10回目の「詩の礫」を書いているとき、不思議な体験をしました。そのころの「詩の礫」は、ある程度準備をして、メモを横に置いて作っていたんですが、2時間書き続けたうちの後半の1時間に、メモをまったく見なくても書ける、即興で書けるという状態になったんです。この詩はラストにはどうなるんだろうという不安を感じながら、言葉がどんどん出てきた。最後は海に行って、水平線に美しい一艘の帆船が見えた、というところで終わるんですけど、それも最初からそういう展開になるとはぜんぜん思っていなかった。みんなの呼吸がそうさせてくれたっていうね。それまでの「詩の礫」とはまったく違う感触だったんです。その最後に「みなさんと一緒に未来を歩いた気がします」と書いたんですが、ネットでそういう目覚めのようなものを感じることは、震災前にはなかったことですね。
*
「11438人の影(日本中の詩友よ、今こそ詩を書くときだ、日本語に命を賭けるのだ、これまで凌ぎを削ってきた詩友よ、お願いする、詩を、詩を書いて下さい、2時46分、黒い波に呑まれてしまった無数の悲しい魂のために、お願いする、私こそは泣いて、詩友に、お願いする。)がバス停を過ぎる。」(『詩の礫』引用)
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――震災直後から和合さんの詩を読んでいた方というのは、直接大きな被害を受けていない方や、被災地にいてもインフラの復旧が早かった方が主だったと思うんですが、自分も含め、そういう人たちの間には「自分には何もできない」という無力感とともに、自分が被害を受けていないという事実に対して罪悪感のようなものがあったと思うんです。そういう人たちにとって、毎日更新される「詩の礫」というのが「この詩を読んでいる間、私は福島とともにある」という実感が得られるものとして機能していたのではないかと感じるんですが、和合さんご自身はその期間、詩人として、社会の中である役割を担っていたという思いはありますか。
和合 メッセージを、たくさんいただいたんですね。「情報に追われて生活をしていて、つらい中で、このTwitterを読んだことで静かな気持ちになり、いろいろ考えることができました」とか、両親を残して福島を離れている方が、「福島の状況を知りたい、父と母のことを考えたいから読んでいる」とか。そういうメッセージやお手紙をいただくんです。「心配で心配でしょうがなくて、いろんな人に話を聞きにいったんだけど、どの人の説明も、自分の心を満足させてくれなくて、『詩の礫』を読んでると、自分が求めてるのは、詩人の語りなんだな、と思いました」とか、「お父さんお母さんを亡くして、それでもう、何も考えられない日々を過ごしてたんだけど、この詩を読んで、まず泣いた、ずーっと泣いた、一日泣いてた、泣いたら、次どうしようかってことを考え始めることができました」って、どれもすごく丁寧に書かれていて。そうして待っている人がいるのであれば、書こうと思うんです。それを、物書きとしての役割と言っていただくのはすごくうれしいことですけど、本気で気持ちを救うことができるのであれば、少しでも手助けができるのであれば、それは続けたいと思いますね。
――詩人だから詩を書く、というのではなく、重そうな荷物を持ってあげていたような感覚でしょうか。
和合 そう。だから「詩の礫」って名前は付けているけれど、書いたものに詩が宿ってきてくれればいいかな、と思うんです。
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「うるせえ、放射能をぶっ潰してやる。震災をぶっ潰してやる。」(『詩の礫』引用)
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――「詩の礫」では、怒りの感情もすごくストレートに表現されています。地震に対して、地球に対して。その反面、誰か人間に対して怒っているという部分は見当たらない。例えば避難所やガソリンスタンドには自分勝手な人がいたかもしれないし、地元の行政にもいたかもしれない。もちろん東電や、政治家にも不満や怒りは大いにあったと思うんですが、「詩の礫」を公開していく中で、これは詩に書いてはいけない、この気持ちを表現してはいけない、と決めていたことはありますか。
和合 そこはやっぱり、詩だ、という意識があるんですね。詩である限り、何か高潔なものでありたいという気持ちがある。人を傷付けるものにはできないという。宮沢賢治の言葉に出会ったんです。「新たな詩人よ 嵐から雲から光から 新たな透明なエネルギーを得て 人と地球にとるべき形を暗示せよ」っていうね。詩を書くことの意味って、人と地球、人の次に地球が来るっていうのが、詩ならではの働きかけなのかな、と。だから今回の『詩の礫』を書いているときにも、誰かを傷つけてはいけない、被災者の人たちの気持ちを追い込んではいけない、という思いは、書く基準としてあったと思いますね。
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「美しく堅牢な街の瓦礫の下敷きになってたくさんの頬が消えてしまった」「こんなことってあるのか比喩が死んでしまった」(『詩の礫』引用)
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――「比喩が死んだ」という表現をされていましたが、確かに今回の震災で、多くの言葉が意味を変えました。例えば「原発」という言葉もそうですし、サザンオールスターズの「TSUNAMI」という曲もそう。報道の中で「市街地が壊滅しています」とNHKが繰り返している。それはフィクションの中でしか聞こえてこなかった表現だったはずですが、現実が比喩を追い越していくという状況を、言葉の表現者としてどのように受け止めていくのか、あるいは、日本語がここまで大きく姿を変えたとき、詩人はそれとどう向き合うのでしょうか。
和合 やっぱり詩を書くということにおいては、直接的でなくとも、比喩を追い求めていかなくてはいけないと思います。言葉が醸し出す何がしか、言葉の影のようなものを追いかけていかなくちゃいけない。おっしゃる通り、今は完全に現実が比喩を追い越してしまって、比喩というものが極限状態では成立しないということを、まざまざと見せ付けられたわけです。言葉が、まったく表情を変えてしまった。例えば「福島」なんて、震災前は「ふぐすま」なんて言われて、何もない土地だという印象だったけれど、今は世界中の人たちが分かってしまう。カタカナで「フクシマ」っていう、なんだか鋭くて恐ろしい言葉に変わってしまった。そういう言葉の表情一つひとつが変わってきた中で、変わってきたものを並べながら、やっぱり比喩を作っていくしかない。比喩を作るっていうのが詩人の命ですから、直喩にしろ擬人法にしろ暗喩にしろ、どうにかして比喩を成していかなくちゃいけないというのが、これからの課題だと思うんです。僕が選んだ方法というのは、とにかく目の前のことを、ドキュメントとして書いていく、記録として書いていく、いまあることを、いまあるままに発信していく。その中で、そこに新しい比喩が宿っていけばいいな、というふうに思いながら、実は書いています。
*
「目をあけた 福島の子よ」「雨の夜を歩き通した 子どもよ」「一番最初の きみの 夜明けだ」「生まれてきて くれて ありがとう」(『詩の礫』引用)
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――実は今日、一番聞きたかったのは、まさに和合さんがおっしゃっていた「フクシマ」という日本語の話なんです。もう世界中の人が、「チェルノブイリ」「スリーマイル」と言うときと同じ顔で「フクシマ」と言う、そういう状態になってしまったことは動かしようがなくて、それでも福島には、今もたくさんの子どもたちが暮らしている。彼らは、福島生まれ福島育ちという事実を一生背負っていかなければならない。健康被害ももちろん心配ですが、その思想やアイデンティティーにも大きな影響を与えることだと思うんです。汚染された地域で育った人間である、と見られ続けていく彼らに対して、私たち、日本の大人たちは、何をどう伝えていったらいいのだろう、ということなんです。
和合 そこがですね、僕がいま、ずっと考えていることなんですよ。放射能とともに暮らすという現実が、これからずっと続くと思うんですね。簡単に「子どもを逃がせ」って言ってくる人もいるけれど、例えば自主避難をしたとしても、避難した先でどう暮らすか、そこには仕事もなければ生活の基盤もない、お金だって下りないし、生きていけないんです。そういう現実を、福島は抱えてるんですよ。それは福島の空気の中で暮らさないと分からないことだし、浜通りには浜通りの空気の中で暮らさないと分からないことがある。一度故郷を離れたらもう戻って来られないという気持ちもあるし、親の問題もある。いま避難せずに生きている人たちって、何らかの理由があって福島にいるわけです。だから、福島で生きていく限り、それを大人たちがもっと語れるようになっていかなければいけない。福島の人たちの気持ちの拠りどころになれるような言葉を、僕はずっと自分の中に探しているんです。一言なのかもしれないし、長いフレーズなのかもしれない。今はまだ、分からないです。大人が子どもたちにどう接したらいいか、分からないです。言葉は何も解決しないでしょうけれど、何か時代のよすがになれるような言葉を、あれからずっと考えているんです。このままだと、われわれ福島の人間は、根無し草のまま、ずっと何の発信もできずに、原発が爆発したら爆発したまま、避難しろって言われたら言われたまま、まま、まま、っていう受動的な、そういう生き方、生き様で、悔しさを抱えながら、流されて生きていかなくちゃいけなくなるんですね。だから、ここに自分たちの生き様があったんだっていう、何かそういう言葉を残したいと、今は思っているんです。
*
「2時46分に止まってしまった私の時計に、時間を与えようと思う。明けない夜は無い。」(『詩の礫』引用)
(取材・文=編集部)
●わごう・りょういち
1968年福島県生まれ。詩人。高校教諭の傍ら詩作活動を行う。福島高校、福島大学卒業。99年、第一詩集『AFTER』で第4回中原中也賞、06年に第四詩集『地球頭脳詩篇』で第47回晩翠賞を受賞。詩集に『RAINBOW』『誕生』『入道雲入道雲入道雲』『黄金少年』『詩ノ黙礼』『詩の邂逅』。その他の著書に『パパの子育て奮闘記』『にほんごの話』(谷川俊太郎と共著)。ラジオ福島で『詩人のラヂオ 和合亮一のアクションポエジィー』のパーソナリティを務める。
Twitterアカウントは「@wago2828」。
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「反省も謝罪も誠意も一切ナシ!?」株主総会で露呈した東京電力の無責任で傲慢な正体

エントランスには多くの私服警官の姿。
去る6月28日、東京電力の第87回定時株主総会が、東京・港区にあるザ・プリンス・パークタワー東京で行われた。福島第一原発の事故などから、以前から注目を集めていた総会である。
当日、現地を訪れるといきなりその異様さを痛感させられた。地下鉄の出口から会場までの道に、幾人もの警察官の姿があったからである。当の総会の警備であることは明らかだった。
通常、株主総会の警備に警察官が動員されることは極めて稀である。かつて、総会屋が盛んに活動していた時期には、総会会場付近に警官が配備されることはあった。また、企業が何らかのトラブルを抱えており、それによって重大な混乱が生じる恐れがあるときなどに、警官が警備に当たるケースはいくつか起きている。しかし、そうしたケースでもせいぜい数名から多くても30名程度の警官が配置される程度であった。
しかし、今回の警官動員は異例であった。道路だけでなく、ザ・プリンス・パークタワー東京の周囲、施設内に至る入口という入口をことごとく警官がガードしている。まさに厳戒態勢と呼んでもおかしくないレベルだ。警官の数も、筆者が目視で数えたところ、制服と私服合わせて100人はいたと思われる。

至るところに警官の姿が。
さらに、現場には総会に参加する株主で長蛇の列ができていた。定刻の10時になっても、まだ会場には入りきらなかった。結局、ほぼすべての入場し終えたのは10時38分ごろだった。
現場にいた東電の職員や後に出席した株主などに聞いたところ、受付では出席する株主に対する持ち物検査が行われた。その内容は「バッグの中を見せて下さい」という程度の簡単なものだったが、こうした例は株主総会ではむしろ少ない。さらに、カメラや録音機器の持ち込みは禁止され、持参していた場合には「受付でお預かりさせていただきます」(東電職員)とのことだった。
しかし、総会会場にカメラやボイスレコーダーを持ち込むことを禁止している総会はそれほど多くはない。もちろん、違法でもない。
11時現在で、出席株主数は「8,657名」(東電職員)。その後も、遅れて何人もの株主が到着した。
会場外ではマスコミ各社と警官隊が待機。脱原発推進団体のメンバーらがアピール活動などを行ったが、とくに大きな混乱はなかった。途中、12時43分ごろから株主として会場に入っていた、脱原発を進める「eシフト」の氏家雅仁氏が路上で状況を報告。「東電経営陣が誠実に答えているとは思えない」などと述べた。会場は質疑応答などで紛糾しているものと思われた。
退席した株主などからの話によると、会場は5つに分けられ、メイン会場には東電役員が壇上に並ぶという、総会で定番の形式。他の会場では議事等の様子をモニターで眺めるしかなかった。発言する場合には、他の会場のいる株主はわざわざメイン会場まで移動しなくてはならなかった。
さて、株主からの原子力発電からの撤退を提案した、問題の「3号議案」の審議に入ったことが分かったのは、15時を過ぎたころだった。その後、16時を過ぎたあたりで、閉会そして散会となったことが外にいたマスコミなどに伝えられた。
退出してきた株主から聞かれたのは、東電に対する失望や不信の声だった。
総会は、議長を務めた勝俣恒久会長がほぼすべて仕切る形で進められたという。議事の中心はメイン会場で、しかも「半分以上の席が東電関係者で占められていた」(42歳男性)という。

ホテル前では抗議活動も。
株主総会で席の前列の何列かが社員株主で埋められているケースは通例となっている。しかし、今回の東電の総会では、相当な数の動員がかけられた可能性が高いことは、多くの出席株主からの証言で推測できる。
そうした動員株主による「異議なし!」「議事進行!」の声が飛び交うのも、多くの総会でみられることだ。
だが、今回はかなり強引なケースもあったらしい。ある男性は野次を飛ばしたところ、その動員株主と思しき者から「黙れ!」などと怒鳴られて外に連れ出され、人けのない場所に連れて行かれそうになったという。「ヤクザの総会屋みたいだった」と男性は言うが、その手の総会屋が現在も活動しているという話は、絶えて聞かない。むしろ、そうした特殊株主が活動していたのであれば、対処用に動員された警察が動くはずである。しかし、そうした気配はまったくなかった。
また、多くの株主があきれたのは、勝俣会長ら東電の傲慢で不誠実な態度だった。
今回の総会では、事前に東電側が複数の大株主から委任状を受け取っており、それによって東電の思惑通りの結果になるという仕組みだった。そのことを、勝俣会長は列席の株主たちにこんなふうに告げたという。
「あなたたちが何を言っても、委任状ですでに過半数を取っているんです。何をやっても無駄です」
そして、3号議案はあっさりと否決された。挙手できたのはメイン会場だけで、ほかの会場の株主は「黙ってモニターを眺めているしかなかった」という。しかも、多くの株主が「明らかに賛成の挙手が多かった」にもかかわらず、議長の勝俣氏は即座に「反対多数とみなし......」と宣言した。これも、「委任状」によるもので、挙手の必要など最初からなかったのである。形式的に行っただけであった。
こうした東電の態度に多くの株主が、「誠意がまったく感じられない」(69歳男性・千葉)「まったくの茶番。あんな株主総会ならやる必要なんて無いよ」(70代男性)「株主を完全にバカにしていますよ」(66歳女性・大田区)などの声が多く聞かれたが、怒りというよりもあきれたという感じの株主が少なくなかった。
また、テレビや新聞では「反対多数により否決」などという表現で報道されたが、これではあたかも反対挙手が圧倒的に多かったように感じられるのではなかろうか。しかし、「反対票の大部分は委任状によるもの」と説明する報道はほとんど見かけない。
他にも、「今回の福島の事故について、役員一人一人は責任をどう考えているのか」という質問がなされたが、これも勝俣氏がまとめて形だけの回答をするのみで、各々の役員が発言することはなかった。また、「役員は私財をなげうって事故被害者の救済に当てるべきではないのか」という質問には、「(私財は)プライベートな問題なので答えられない」と回答。さらに、原子力事業についても、「私たちは国の政策にしたがって進めただけのこと」「原子力委員会の言う通りに事業を行っただけ」などと、まるで当事者ではないかのような発言を連発。株主からは「まるで他人事みたい」「自分たちが被害者のような言い方だった」との声が続いた。
国内だけでなく世界中が注目する株主総会で、なぜ東電はこれほど誠意や反省が感じられない、無責任ともとれる発言を繰り返したのか。ここに、東電というものの「体質」がうかがえるように筆者には感じられた。
(文=橋本玉泉)
福島第一原発事故20km地域の"LOVE & PEACE" 幻のコミューン「獏原人村」の現在

通称「獏」こと「獏原人村(ばくげんじんむら)」をご存じだろうか?
国道399号沿いにある獏林道と呼ばれる山道を4kmほど進んでいくと目の前に現れる「獏」は、共同生活でエコライフを送る場所、つまりコミューン的な伝説の村として一部の人の間で知られている。この村を有名にしているのは、毎年7~8月ごろに開催されてきた「満月祭」。これは、太鼓のリズムに乗って満月をながめることに始まった音楽と仲間のきずなを大事にする、LOVE & PEACEなイベントだ。ウワサは口コミで広まり、今や参加者が毎年1,000人を超える祭となっている。
ところが、獏がある福島県双葉郡川内村は、一部が福島第一原発から半径20キロ圏内に引っ掛かるため、該当地域の住人たちはすでに避難している。大手マスコミでは報道されることのないこの村の現在がどうなっているのか、現地を取材してきた。
川内村の避難住民の一時帰宅が始まった5月上旬、「獏」を訪れた。
県道から脇道に入り、砂利道の続く獏林道を抜けて村にたどり着いた。急斜面にいくつかの建物があり、鶏小屋も見える。畑を開墾し、数百羽の鶏を放し飼いすることで生計を立てる農業共同体は、震災以前と変わることのない姿でそこにあった。車から降りて建物の方へ近づいていくと住居の前に女性の姿が見えた。
「卵を買いに来ました」
女性に向かって声を掛けると、驚いたような表情を見せた。この女性は獏に暮らすボケさん。獏を立ち上げたマサイさんの奥さんだ。そもそも獏は、1977年にマサイさんがヒッピーコミューンを目指してこの生活を始めたことに端を発する。30年以上が経過しているが、いまだ当時の理想「何ごとも無理せず、自然のままに、楽しく」を実現するためこの暮らしを続けているのだ。
突然の訪問者に驚きながらもボケさんはうれしそうな顔を見せ、「ちょっと待ってね」と卵を取りに建物に入って行った。
自給自足がベースにある「獏」では卵を一個40円で販売している。そのことを知っていたとしても、わざわざ道なき道を越えての訪問者はこの時期に皆無だろう。
卵を手に持って戻ってきたボケさんに、過去に満月祭に参加した経験があり近くまで来たので村の様子が気になって訪問したことを伝えると、急に「ああ、そうなんだ」と納得した表情になった。
「お茶でも飲んでいきなさい」
謎の訪問者の正体が分かった途端にそう言って家に招き入れてくれた。そして、現在の生活について語ってくれた。村に残るのは、マサイさんとボケさんの夫婦だけ。夫のマサイさんは満月祭の中心メンバーでもある。私が訪問したとき、マサイさんは卵の配達で留守だった。
本当はもう一組、3人家族が住んでいるが、お子さんが小さいとのことで奥さんの実家に避難しているという。
マサイさんボケさん夫婦も震災発生当初はいったん避難したそうだが、鶏が心配で戻ってきた。今のところかろうじて20キロ圏内に入っていない「獏」は自主避難エリアであり、戻ろうと思えば戻ることはできるため、鶏の世話を優先して出した結論なのだという。だが、福島第一原発の放射能は心配ではないのだろうか。
「これ、ずっとつけっぱなしなんだけどね」
ボケさんはそう言ってガイガーカウンターを取り出した。震災直後は警報アラームが鳴りっぱなしだったが、現在は数値も落ち着いているとのことだった(周辺エリアの計測値は毎時0.3~0.4マイクロシーベルト)。
「近いからといって放射能が強いわけではないのよ」
ボケさんが言うように、放射能数値は距離に比例するわけではないことはすでに報道されていたが、目の当たりにすると納得せざるを得ない。ボケさんは鶏がいる以上は避難できないし、子どもたちも自立しているのでこの場所にとどまると話してくれた。
今年の満月祭はどうなるのかを尋ねると、「お父さん(マサイさん)はやるっていってたよ」とのこと。留守中のマサイさんにはこのとき話を聞くことはできなかったが、ボケさんの話によれば決意は固いという。
「でも、原発のこともあるからこじんまりとやるみたい。さすがに大々的にはできないから」
私はボケさんにお礼を告げ、卵を購入して村をあとにした(取材を終えて食べた卵は、本当に美味しかったです)。
原発事故は自然と一体化した「獏」の暮らしだけでなく、マサイさんボケさん夫婦の理想さえもかき消そうとしている。それほどの大事故であったことを、今一度胸に刻む必要があるだろう。その一方で、大きな困難にも負けずに立ち向かおうとする人たちがいることも忘れてはならない。
(取材・文=丸山ゴンザレス/http://ameblo.jp/maruyamagonzaresu/)
【6.11 SHARE FUKUSHIMA】大破したコンビニでチャリティーライブ 被災地"圏内"に響く歌声

会場となった「セブンイレブンいわき豊間店」。
今年もそのビーチは、多くのサーファーや海水浴客で賑わうはずだった。東北地方でも有数の美しさを誇り、「鳴き砂の浜」としても有名な豊間海岸は、3月11日に発生した東日本大震災に伴う大津波で壊滅的な被害を受け、多くの死者・行方不明者を出した。3カ月が経過した現在でも1階部分が完全に破壊された民家群がその無残な姿をさらし、田畑には乗用車やトラックが転がっている。
そんな豊間地区の海岸線から目と鼻の先で営業していた「セブンイレブンいわき豊間店」もまた、がれきに埋もれた建物のひとつだった。店内に流れ込んだ木材や土砂や自動車が撤去されると、ひしゃげた鉄骨と天井だけが残っていた。
過日、同店の店長・金成伸一は、被災地取材に訪れたジャーナリスト・津田大介に、こんな話をしたのだという。
「つらいことはたくさんあるけど、ここで楽しいことをたくさんやって、楽しいことでつらいことを上書きしたい」
その思いが、ちょうど3カ月目の6月11日に、チャリティーライブ「SHARE FUKUSHIMA」という形で結実した。
■ボランティアツアーは即日完売
「SHARE FUKUSHIMA」の参加告知が行われたのは、開催のわずか2週間前。早朝に東京をたち、正午を挟んで被災地見学、がれき撤去やゴミ拾いなどのボランティア活動を行い、午後2時30分から約2時間のライブに参加し、夕刻に現地をたって東京に戻るというスケジュールのバスツアーは、たった1日で定員の84席を埋めてしまった。1万円のツアー参加費全額と義援金を合わせた100万円が、募金団体などを通さず直接いわき市豊間地区に寄付された。
「SHARE FUKUSHIMA」をプロデュースした津田大介は、こう語っている。
「ボランティアをやりたい人、こっち(被災地)でライブをやりたいと思っているミュージシャンはたくさんいる。ただ、まじめな人ほど、そういうものに二の足を踏んでしまうんです。そういう二の足を踏んでいる人の背中を押して、しかもそれが具体的な復興につながるようなことがやりたかった」

そんな津田の思いに共鳴したのが、音楽家・渋谷慶一郎とシンガーソングライター・七尾旅人。それに、いわき市在住のアーティスト・YDMだった。
5月9日に移動販売車による営業を再開した「セブンイレブンいわき豊間店」。むき出しになったフロアには不釣り合いなグランドピアノが運び込まれ、アンプセットやネット中継用の機材が次々に設置されると、簡易ステージが出来上がった。朝から降り続いた雨は上がったが、吹き抜けた海からの風には、ほんの少し腐敗臭が混じっていた。
「これから最高のライブが始まりますが、大きな地震が起きたら、このイベントをやめます。やめて逃げます。津波が来たら、あっちに高台があるので、あそこに逃げようということも決まっています。トラブルが起きたら、一緒に逃げましょう」
開演を心待ちにする参加者を前に津田がそうあいさつして、「SHARE FUKUSHIMA」は幕を開けた。
■3カ月目の「2時46分」、捧げられる黙とう
2時30分、渋谷と七尾による即興演奏から、ステージは始まった。渋谷のピアノに乗せて、七尾が言葉を、歌声を散りばめてゆく。やがて音楽が豊間の浜を包み込んだころ、渋谷のピアノがやみ、津田があらかじめ予定されていた一言をつぶやく。
「黙とう──」
2時46分だった。アーティスト、参加者、スタッフ、地元の方々、「SHARE FUKUSHIMA」に集まった100人以上の誰もが目を閉じ、1分間の沈黙を捧げた。あの日、すべてを奪い去っていった猛烈な津波の水面は、いま我々がいる場所の、はるか頭上にあったのだ。
長い長い1分間の黙とうの後、再び音楽は奏でられた。まずは渋谷がピアノソロを披露。まるで十指で語り掛けるようなその調べの合間を縫うように、地元のアーティスト・YDMがステージをカラフルなテープで彩っていった。最後に渋谷が「七尾の声をイメージして作った」という曲を演奏し、再び七尾とのセッションが始まる。
■被災地で歌う、ということ
七尾は震災後、精力的にチャリティーイベントなどでライブを行っているアーティストの1人だ。福島にも何度も足を運んでおり、その際いろいろな人と出会って生まれたのが、福島第一原発事故の影響で警戒区域となっている地域のことを歌った「圏内の歌」という楽曲だという。

七尾旅人氏。
「こういう場所で歌うことに、どれほどの意義があるのか分からない。いま、歌が意味を持つということはものすごく難しくて、津田さんが音楽イベントをやりたいって言ったときに僕も慎重になってしまって、どういう形だったらいいのかということをものすごく考えた。それでもやっぱり歌いたい曲もできてきて、この歌もそのひとつ。福島で歌うのは2回目です」
一言ひとこと、七尾はかみしめるように参加者に語り掛けると、ゆっくりとギターの弦を弾いた。
「子どもたちだけでも/どこか遠くへ逃がしたい/どこか遠くへ逃がしたい/離れられない小さなまち」
福島第一原発から50km圏内で奏でられたそのストレートなメッセージは、「SHARE FUKUSHIMA」スタッフによるUstream中継と、5名の中継班を現地に派遣した「ニコニコ生放送」によって、リアルタイムで数万人の視聴者に届けられた。
終演後、津田の紹介で、今回のライブの発端となった「セブンイレブンいわき豊間店」の店長・金成がステージに立った。「そんなに大した男じゃないよ」と照れ笑いを浮かべながらも、金成は参加者への感謝の言葉とともに、現地の苦しい状況と決意を打ち明けた。
「津波だけじゃなく、地震も、原発の問題もあって、地域のきずながズタズタになってしまったところもある。だけど、行政に頼るだけじゃなく、自分たちでこういうことを『やってみっぺ』と、何か始めてみたいと思った。そういう小さなことが、そのうち、大きな渦になっていくんじゃないかと。世の中には、いつも目の前に迷いがある。その中で、楽しい道を選んでいく。自分が夢中になれることに、夢中になっていく。そうすれば、道は開ける......っぺ!」
■「やってみたら、できちゃうもの」
搬出されるグランドピアノを見送りながら、「イベントのプロデュースなんてまったく初めてだった」という津田に話を聞いた。
「東京から連れてきた人たちに、被災地の現状を何の後ろめたさもなく見てもらって、それを持ち帰ってもらう。かつ、被災地のためになることをやってもらって、ライブを見て幸せな気持ちで帰ってもらうというパッケージを考えるまでは、すごく大変だった。でも、(七尾)旅人くんと渋谷くんがすごく共鳴してくれていたし、やれば絶対面白いイベントになるというのは分かりきっていた」

渋谷慶一郎氏。
参加した人、ネットで見ていた人には、この体験を「SHARE」してほしいと津田は語った。それが「SHARE FUKUSHIMA」の目的だった、と。
準備期間はたった2週間。グランドピアノの手配が整ったのは、わずか2日前だったという。演出スタッフとしてUstream中継を担当した編集者・伊藤ガビンは「回線がつながったのは開演の10分前。まったく、津田組はいいかげんでどうしようもないよ」と大口を開けて笑い、津田も「ガビンさんに言われたくないよ! でも、やってみたらできちゃうもの。信頼関係もあったしね」と今日一番の笑顔を見せた。
震災以降、Twitterをはじめとしてジャーナリスト・津田大介の存在感は日増しに大きくなってゆく。野暮と知りつつ、ずっと津田に聞きたかったことを聞いてみた。その猛烈なモチベーションは、いったいどこから来るものなのか、と。
「ソーシャルメディアの情報というのは可能性があるものなんだよっていうことを説いてきた立場だったので、最初はそれをどれだけ示せるかっていうのを自分で見極めたい気持ちもあった。正直な話、もっと役に立たないと思っていたけれど、思っていたよりも役に立ったな、というのが震災直後に見えてきた中で、じゃあこれから先、復興というところで、もっとソーシャルメディアの役割って大きくなるんじゃないかなって、ずっと感じていて。その中でひとつ具体例を作るというか、その積み重ねが大事だと思っているので、これが唯一の正解ではないけれど、ひとつのものとして面白いケースがつくれたんじゃないかなと」
確かに津田はこの日、土曜日の昼間に約100人の若者をボランティアとして被災地に連れ出し、100万円を現地に置いてきた。しかも、かかわった誰もが満足する形で、それを達成した。
その思いを、行動を、もっと多くの人が「SHARE」できたら──。
6月11日現在、東日本ではいまだ10万人近くが避難所で暮らし、罹災によって仕事や生活の目処が立たない方々はその何倍にも上るだろう。実際、ライブ後に立ち寄ったいわき市の久ノ浜地区では、2カ月前に訪れたままに(http://www.cyzo.com/2011/04/post_7045.html)、がれきの山が手付かずで残っていた。収束の兆しさえ見えない原発事故による被曝への恐怖は、静かに、しかし確実に東日本全体に広がりつつある。
それでも。
あの日の午後2時46分で止まった時計の針が、また少しずつ回り始めていることだけは間違いないはずだ。
(文中敬称略/取材・文=編集部)
●SHARE FUKUSHIMA
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全国的に盛り上がる「6.11脱原発アクション」前夜 警察の規制も強化か

4月10日に行なわれた、高円寺の
デモの様子。
原発に反対する行動「6.11脱原発アクション」が、今週末に実施される。6月8日現在で、予定されているアクションは全国41都道府県以上で、少なくとも140のイベントが確認されており、その数はさらに増える様子だ。それらアクションは11日および12日に行われ、内容は公道でのデモ行進をはじめとして、講演会、公開学習会、映画上映、パネルディスカッション、チャリティーライブ、写真展、バスツアーなどさまざまである。
ほかにも多種多様なイベントが予定されている。例えば被災地のひとつ福島県いわき市でもジャーナリスト津田大介氏のプロデュースで、渋谷慶一郎と七尾旅人が現地出身のアーティストYDMと即興のライブを行うイベントが催されるとのことだ。
3月11日の震災以後、東京電力本店ビル前での行動「東電前アクション」は継続的に行われており、4月10日の高円寺デモには1万5,000人が集まり、続いて行われた5月7日の渋谷デモにも1万人以上が参加するなど、当初からは想像もつかないような盛り上がりを見せている。
一方、デモに対する規制や取り締まりを懸念する声もある。渋谷で行われた「原発やめろデモ」で合計4名の逮捕者が出たことは、すでにインターネットなどでも流れてよく知られているが、うち2名はすぐに釈放、残る2名は勾留が延長された(※編集部註:2名も18日と27日に釈放)。5月17日に東京地裁で行われた2名の勾留理由開示公判では、傍聴人の中に公安担当とおぼしき私服警官の姿が見られた。また、弁護士が何度も質問したにもかかわらず、裁判官は「釈明の必要を認めません」と取り合わないなど、疑問に感じる場面が幾度かあった。これらに対して法廷内が騒然となると、傍聴人2名が強制的に退廷させられ、公判終了まで別室に収容させられるなどの事態が生じた。
今後の反原発・脱原発のアクションに対して、警察が大量の人員を投入してくるであろうことは十分に予想できよう。ただし、その効果については想定しきれない部分が少なくない。複数のジャーナリストや労働組合関係者は、「(今回の一連のデモは)一般市民の参加が圧倒的に多い。活動家や労組を相手にしてきた警察は、大量のデモ参加者に対してこれまで蓄積したノウハウが通用せずに戸惑うのではないか」と言う。
一方、警察の動きに警戒する意見も当然のことながら少なくない。
「警察は軟弱な行動しかできない。だから、予想外の行為に出る危険性もあるでしょう」
そう話すのは、警察関係に詳しいジャーナリストの寺澤有氏だ。
警察はマニュアル通りの対応しかできないだろうが、活動家でも何でもない一般市民が相手では、強硬な態度に出ることには躊躇するだろう。それだけに、いざイレギュラーな事態になったら、どうしていいのか分からなくなる可能性がある。
「我慢できなくなった警官が、『威嚇的な実力行使』に出る可能性はありますね。でも、そうなったらオシマイでしょう」(寺澤氏)
寺澤氏は「47都道府県で同時にデモが起きたら、警察といえど対処は困難ではないか」と指摘する。そして実際、それが6月11日に実現する可能性が高くなっている。
果たして、6月11日と12日がどのような日になるのか、予想もつかない。だが、その日が目前に迫っていることだけは確かである。
(文=橋本玉泉)
「原発周辺は宝の山?」商機を求めて"放射線を吸収する菌"に群がる東電関係者たち
東京電力とも密接な関係にある原子力関連組織の有志研究チームが「放射線を吸収する菌」の本格研究に乗り出したことが分かった。
この菌は3年ほど前、チェルノブイリ原発事故での放射線研究の一環で発見されたもので、原子炉の壁から採取されたところ、放射線を吸収して成長していることが判明。「まるで"放射線を食べる菌"だ」と世界的な話題となっていた。
これを日本でも研究に乗り出すというわけだが、福島の原発事故にも何か有益な部分があるというのだろうか。
「現時点では答えはノーです」
あっさり否定したのは研究チームの関係者だ。
「吸収するといっても放射線を減らす力を持っているわけではないので、直接的な放射線対策にはなりません。ただ、いろいろな点で応用ができるので、いずれにせよ放射能関係で役立つ可能性を秘めています。詳しくは語れませんが、我々の着眼した研究には多額の出資をするというベンチャー企業も名乗りを上げてくれています」
放射能に関連するベンチャービジネスは日々、盛んになりつつあるが、この関係者は先日、タンザニアで放射性物質を吸着させる菌が見つかったことも言及した。
これは先月、金沢大学名誉教授、田崎和江氏が発見したもので、同関係者によると「こちらの方はうまく活用すれば放射性物質の拡散を防げる可能性を秘めている」という。こちらも既に世界各国の企業から研究への出資申し出があるという。
「そういう状況なので正直、福島の原発事故後、放射線が広がった地域は宝の山に見えてしまいます。土壌中の微生物を調べようと多くの研究者が出入りして、まるで金脈を探すような感じになっているんです」(同関係者)
こうしたビジネス欲で結果的に放射能汚染の問題解決が前進するのなら歓迎だが、一方で不快感を示す声もある。
クリーンエネルギー開発を推進する都内団体の関係者は「東京電力と近い連中がこの機会に放射能ビジネスを模索するのはおかしい」と指摘する。
「東電は社内でベンチャー起業制度を持っていて、社員による新事業を支援する仕組みになっているので、今回の原発事故に関連したビジネスチャンス探しも活発化しているんです。自分たちが起こしたトラブルなのに、その被害を金もうけに利用するのは許されない。大資本の東電が出てくると他の中小企業は対抗できず飲み込まれてしまい、研究の妨げになってしまう。結局は、この分野が原子力発電と同じようにまた東電に独占されてしまいますよ」(同関係者)
原発事故は「国と学者と東京電力の拝金主義による人災」という声もあるが、この期に及んでも金もうけのことしか頭にないのなら鬼畜にも程があるだろう。
(文=鈴木雅久)
もやしもん(10)
菌ってすごいのね。

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被災地のペットを救え!「福島原発20キロ圏内・犬猫救出プロジェクト」緊急報告会

「原発事故が原因で死亡した人間はいない」などという悠長な言説も散見されるが、
すでに多くの小さな命が奪われている。
昨年末、ワイドショーをお騒がせしたジャーナリストの山路徹氏が、東日本大震災の被災地取材と並行して行っている「福島原発20キロ圏内・犬猫救出プロジェクト」の緊急報告会が5月20日に行われた。
当初は取材のために原発被災地に入ったという山路さん。現場に入ると、飢えと人恋しさのあまり駆け寄ってくる犬に多数遭遇した。避難所に連れて行けないため、やむを得ず放たれたペットたちだ。はじめは食糧をやっていたが限界があり、「どうにかして救いださなければ」と感じたという。Twitterで協力者を募ったところ、横浜で犬猫の保護ボランティアをしていた大網直子さん、カメラマンの太田康介さんが名乗りをあげ、プロジェクトを開始するに至ったという。
「こんなことをしている場合かという声もあるが、小さな命を救えない社会が大きい命を救えるわけがない。われわれと同じ社会に生きている彼らを見殺しにしていいのか」と山路さんは語る。救出した犬猫は、飼い主が見つかれば届けている。20キロ圏内は現在立ち入り禁止の「警戒区域」に指定されているため、救出をあきらめていた飼い主たちの喜びは計り知れない。「犬猫を助けることは、避難した方の気持ちも助けることにつながる」と大網さんは言う。

プロジェクトの中心メンバーである大網さん、山路さん、太田さん
(写真左から)。
プロジェクトを開始して1カ月以上で60頭以上を救出し、報告会では、ホッとしたような表情を見せる愛らしい犬や猫たちの映像が多く紹介された。だが、現実は生やさしいものばかりではない。水を求め用水路に落ちてしまった牛・餓死して腐乱した豚・飼い主を待ちわびて眠るように亡くなった犬など、痛ましい事実も報告された。無事救出できても、病気やケガをしている場合もある。
飼い主が見つからなかったり、避難所にいる場合は里親探しという難題も待ち構えている。現在は、山路さんのプロジェクトを含めてボランティア団体が中心となり救出にあたっているが、日本動物愛護協会や日本獣医師会らによる公的団体「どうぶつ救援本部(緊急災害時動物救援本部)」は何をしているのだろうか。

水を求め用水路に落ちてしまった牛たち。
「はじめは救援本部が広くケアをしてくれると思って、義援金も『救援本部へ』と呼びかけていたんですが、フタを開けてみたら徘徊犬は保護しないと言い、実質ほとんど救出できていない。屋内にいる犬猫は、飼い主の委任状があっても救出しないそうです。それはひどいとTwitterでつぶやいたら、救援本部から『山路さんがツイートしたせいでクレームがきた』と電話がかかってきました。でも本当のことですから。義援金の分配についても『保健所から意見書をもらってこい』と言うから保健所に行ったら『県庁へ』、県は『どこの団体にも意見書を出すつもりはない』と言う。何のために義援金を集めているのかと聞いたら、『それはこの場ではお答えできません』と(笑)」(山路さん)
現在、福島までの交通費やフード代、ケガなどの治療費はメンバーの持ち出しとカンパによってまかなっている。メディアを通じて大々的に支援を呼びかければいいが、警戒区域内で取材撮影した内容は、コンプライアンスを重視する大手メディアでは扱わない。行政は人間の避難で手いっぱいで、ペットのことまでは頭が回らない状況だ。葛尾村や飯舘村などが新たに計画的避難区域に指定されたことで、今後さらに1,000頭から2,000頭以上のペットが行き場を失う可能性があるという。ひとつでも多くの小さな命を救うにはどうすればいいか、プロジェクトは保護に頭を悩ませている。
(文=安楽由紀子/写真=住本勝也・APF通信社)
「メルトダウン? 英語に訳せばそうなりますか」国民をナメきった東電副社長の答弁
去る12日に東京電力(以下、東電)がようやく認めた福島第一原発1号機でのメルトダウン(炉心溶融)。冷却水から露出した燃料棒が溶け落ち、圧力容器を破損させて漏れ出していた事実が明らかになった。さらに東電では、「2、3号機でも同様のリスクがある」とその可能性を認めている。
東電はこれまで、格納器ごと水に浸す「冠水」で冷温停止を図る作業を進めてきたが、格納容器の破損で水がためられない以上、冠水の実施は困難。実際、これまで1号機に注ぎ続けてきた約1万トンの水のうち約1割が外部に漏れ出したと見られており、うち約300トンの水がこのほど1号機建屋の地下から見つかっている。計画の大幅な見直しを迫られた東電は、17日の定例会見で工程表の改訂版の発表を余儀なくされた。新工程表によると、冠水に代わる圧力容器の冷却方法として、原子炉建屋にたまった汚染水を除染処理、塩分処理して原子炉に戻して冷却を図る「循環注水冷却」(図参照)を採用。そのための設備を早ければ6月までに構築すると説明した。
東電が事故収束へ向けたロードマップとなる工程を初めて発表したのは約1カ月前。「収束へ向けて最も重要なのは原子炉を冷却すること」(武藤栄原子力・立地本部長=東電副社長)と東電が自ら強調するように、原子炉冷却は工程の根幹。その最重要工程が、わずか1カ月で修正されたことになる。また、溶けた燃料棒や汚染水が漏れ出た破損部分はいまだ特定できておらず、「循環注水冷却」があくまで応急措置に過ぎないことは明らかだ。
なにより、3月11日の地震発生から「ない」と言い続けてきたメルトダウンの事実が明らかになりながら、会見で淡々と説明を続ける東電関係者に、出席した記者たちのいら立ちは募った。説明に当たった武藤本部長、松本純一本部長代理は、共に慎重に言葉を選びながら「炉心溶融」「メルトダウン」という表現を一度も使おうとしない。
さらに、配布された資料にも「炉心溶融」の文字はどこにも見当たらない。気付けば、4月に発表された工程表に設けられていたはずの「現状」の欄が削除されている。そこにはこれまで、福島第一原発の「現状」として、「燃料の一部損傷」の文字が記されていた。本来なら今回のメルトダウン発覚により、この欄は「炉心溶融」と改められるべきはずである。その欄が消されている。発言からも資料からも、メルトダウン的な表現を排除した対策本部の意図的な姿勢がうかがい知れる。
当然ながら、記者団からの質問は「メルトダウンをどう認識しているのか」に集中した。
――メルトダウンはないと言い続けながらあったわけだが、これをどう考えるか。
「どうであれ、我々のやるべき対策は同じだと思っています。とにかく炉を冷やすこと。それに変わりはないわけで、これからも続けるということです」(武藤本部長)
――メルトダウンの事実はお認めになるのですね。
「私は英語が苦手なのであくまで日本語で炉心溶融という表現をしていますが、まぁ、翻訳すればそういうことになるのかもしれませんが」(同本部長)
――ご自身の認識が甘かったとは思われませんか。
「そうは思っておりません。我々は当初から、とにかく炉を冷やすことを最優先に考えてきた。それはこれまでも、これからも変わらないわけでして......」(同本部長)
まさに答弁は堂々めぐり。武藤本部長は表情を変えずに淡々と答え続ける。ある全国紙の記者は、「まだこういう態度でくるかね」とあきれたようにつぶやいた。
ちなみに東電は、2、3号機のメルトダウンについては、「(1号機と)同様のリスクはある」としながらも、データが不十分であるとしていまだに事実として認めていない。事ここに至っても、その場しのぎのごまかしを改めようとしていないのだ。
「避難されている方々のご帰宅の実現および、国民の皆様が安心して生活していただけるように全力で取り組む所存です」(武藤本部長の冒頭のあいさつより)との言葉がむなしく響く。国民の安心に向けて本気で取り組むならば、まずは正確な情報の公開と現状の認識が求められるだろう。もはや東電にその場しのぎをしている時間は一秒も残されていない。
■東京電力が福島第一原発の最新映像を公開
福島第一原子力発電所の対応に追われている東京電力は17日、今月6日に撮影したとされる同原発の最新映像を報道陣に公開した。
約13分の映像には、水素爆発で窓ガラスや什器などがめちゃくちゃに破壊された事務所の内部や、津波に流されて横転している職員らの乗用車などが映されているほか、放射性物質の漏洩を防ぐためにクローラーダンプと呼ばれる特殊車両で飛散防止剤を散布する作業、無人重機による放射線値が高いがれきの撤去など、過酷な作業の様子なども収められている。
また、作業員が寝泊まりをしている「免震重要棟」では、建物内部に放射線が入り込まないように作業員が注意深く出入りしている様子や、物資をバケツリレーで運び込む様子なども見ることができる。
福島第一原子力発電所の1号機では、3月12日には全燃料が溶融して圧力容器下部に落下するメルトダウン(全炉心溶融)を起こしていたことが分かっており、地震発生時から「炉心溶融はない」と言い続けてきた東京電力は、事故収束へ向けて工程の大幅な見直しを余儀なくされるなど厳しい対応を迫られている。
(文=浮島さとし)
チャイナ・シンドローム コレクターズ・エディション 33年前に"想定"されたこと。
あの原発でゲリラ撮影を敢行! 原発不安で話題の映画『原子力戦争』が見たい!

『原子力戦争』
一説には、原子力史上最悪のケースとも評される福島第一原発の問題。原因となった東日本大地震の発生から2カ月余りを経た今も、騒動は収束する気配を見せない。原子力発電の賛否は別として、日本の産業、そしてわれわれの生活を担うエネルギー政策が大きな修正を迫られていることは間違いないだろう。そうした中、一本の映画が一部で注目を集めている。
それが、黒木和雄監督作『原子力戦争』(1978)だ。田原総一朗の同名ルポルタージュを原案にしたドキュメンタリータッチのフィクションである。
すでに30年以上前に製作された作品にもかかわらず、原発問題が注目を集める今、リアリティーを感じずにはいられない。
物語の舞台は、原発のある海沿いの村。その浜辺に、原発の技師と東京でトルコ嬢(劇中の表現)をしていた村出身の女の死体が打ち上げられたところから始まる。
そして、情婦を殺した相手を見つけて金をゆすろうと村へやって来たヒモのチンピラ(演・原田芳雄)は、とんでもない事実を知ることになる。実は、村の原発ではとうてい隠ぺいできないような重大な事故が発生していて、それを告発しようとした技師は心中に見せかけて殺されたのだ。技師から書類を預かっていた男も首つり死体で見つかり、事件の背後には原発利権をめぐる巨大な闇が存在していることも、次第に明らかになる。
ハリウッド映画ならばスムーズに事件は解決に向かうものだが、そうはいかない。事件の真相を追う新聞記者は、自己弁護を重ねながら手を引いてしまう。重大な事故があったことに気付いた科学者さえも「事故のパニックによる原子力発電所開発の中止の方が国民にとってよほど危険」と、かかわり合いになることを拒否してしまう。
結果的に、救いも何もないまま原発の背後に巨大な闇が存在していることだけをにおわせながら幕を閉じる本作。注目すべきは、福島第一原発でゲリラ撮影を行っていることだ。
物語の中で、原田芳雄が演じるチンピラは、原発の入り口にやってくる。中に入っていこうとする原田(と、撮影クルー)に、警備員たちは「無断撮影はできません」と、カメラを手でふさごうとする。一方、原田は構わず警備員に「(原発を指さし)大きいねえ」と話し掛け、警備員の詰め所の中にも勝手に入っていく。
物語の展開には「まさか、そこまでは現実にはないだろう」と思うが、警備員の対応を見ると「やはり、何か隠しているものがあるのではないか」という疑惑を抱かずにはいられない。
まさに、原発が注目される今、ぜひ再び見てみたい作品なのだがDVD化されておらず、かつて発売されたVHSも廃盤。容易に見ることはかなわない。
実は、今年4月にはスカイパー!の「日本映画専門チャンネル」で放映が予定されていたのだが、震災後に「3月11日に発生した東日本大震災による福島原子力発電所への影響を勘案し」という理由で放送が中止になってしまった。
いったい、何に気を使っているのだろうか? どう見ても過剰な自粛である。
どこからかクレームをつけられることを、過剰に恐れているのか。あるいは、なにかしらの圧力が存在したのか。
こうなると「意義ある作品だから見たい」というよりも、「封印作品っぽいから見たい」という欲望の方が高まってくる。
名画座で上映される機会でも待つしかない『原子力戦争』だが、かつて販売されていたVHS版が一部のレンタルビデオ店では、現在も陳列されているそうだ。ただ、どこの店でも常に「貸し出し中」が続いているとか。原発不安の中で、映画の名も広く知れわたっているのだろうか。
(文=昼間たかし)
日本の事故処理に人民13億が疑念 中国で既成事実化する「日本核武装疑惑」
開いた口がふさがらなくなりそうな陰謀論が、中国で既成事実となりつつある。
「日本は福島第一原発に核兵器を隠している」
中国メディアでは、そんな福島原発に関する根も葉もないガセネタ報道が相次ぎ、まかり通っているのだ。
荒唐無稽な陰謀論に火を付けたのはネットメディアだった。例えば「spn睿商在線」は3月17日、「核開発推進の立場を取ってきた石原都知事などが中心となり、ひそかに核開発が進められていた。津波と地震は地下核実験の失敗によるもので、原発事故は漏れ出した放射能を隠ぺいする日本政府による自作自演」と報じている。
ただ、中国の有象無象のネットメディアでは、この程度のトバシ記事はご愛嬌ではある。
ところが4月15日になると、なんと共産党系の新聞「環球時報」までが、こうした陰謀論を報じ始めたのだ。
記事によると、「日本の著名ジャーナリスト、島津洋一氏が米ネットメディアで、日本が福島原発内で密かに核兵器を開発していた可能性を指摘する記事を発表し、国際世論を騒然とさせている」というのだ。
島津氏が著名ジャーナリストなのかどうかはさておき、そんな記事が国際世論を騒然とさせている気配はもちろんない。
しかしついには、共産党機関紙「人民日報」も4月26日、日本の核開発疑惑について取り上げている。
その内容は「日本政府が福島原発での放射能漏えいに関する説明会を北京で開いたが、出席した独立行政法人『原子力安全基盤機構』の佐藤達夫理事と日本大使館の山崎和之公使は、記者団の質問に答える形で日本の核開発疑惑を否定した」というものだ。
もはや「当たり前だろ!」とつっこむことさえ虚しいレベルだが、こうした根も葉もないガセネタ報道が既成事実化していることについて、ルポライターで『中華バカ事件簿』(扶桑社)の著者、奥窪優木氏はこう語る。
「中国のメディアも、今や売ってナンボ。人民の目を引くセンセーショナルなネタを競って飛ばしている。一方の人民は、共産党支配の下『政府はウソしかつかないものだ』という感覚が身にしみており、原発事故への日本政府ののらりくらりとした対応に、『なんか怪しい』と直感的に考えてしまう。そこに、メディアがこぞってこうした陰謀論を書き立てれば、『さもありなん』と思う人は少なくないでしょう」
今後、日本政府が原発の事故処理を速やかに行わなければ、中国メディアに食い物にされる一方ということか?
(文=高田信人)
中華バカ事件簿
トンデモ!

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