柄谷行人、雨宮処凛らが緊急記者会見! 反原発デモで警察官が暴行!?

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記者会見の模様(画像は『USTREAM』より)
「デモでは、撮影しているのが警察官だとは知らず、カメラに向かって楽しそうにピースサインする若い参加者もいましたよ」  作家・雨宮処凛の言葉に、国内外の記者で埋まった会場が笑いに包まれた。  9月29日15時、東京・有楽町の日本外国特派員協会で、反原発とデモの自由を訴える「『デモと広場の自由』のための共同声明」を発表する記者会見が行われた。壇上には雨宮氏の他に、起草者である柄谷行人(文芸評論家)、鵜飼哲(一橋大学教授)、小熊英二(慶応義塾大学教授)という、日本のアカデミズムを代表するメンバーが顔を揃えた。  この声明の内容は、東日本大震災による福島第一原発事故が、すでに片づいたかのようにふるまう政府や経産省、東京電力の姿勢に加え、反原発デモを妨害する警察と、それを報じないマスメディアの姿勢に抗議するというものだ。  会見の冒頭、柄谷氏が声明を紹介するなかで、6月~9月に行われた「原発やめろデモ」に自らが参加した理由を語った。 「1980年代後半以降、それまではさかんに行われていた反原発デモがなくなり、マスメディア含め原発賛否の意思表示ができなくなってしまいました。こうした状況と、現在54基もの原発が日本に存在するという事実は、決して無関係ではありません。また、今回の震災では、被災地の方々の冷静なふるまいが海外メディアから賞賛を受けましたが、私は『なぜ日本国民は異様なほど怒らないのか?』と疑問を感じていました。昔はもっとみんな怒っていましたが、このような風潮はここ20年くらいで形成されました。そこで重要になってくるのがデモです。なぜならデモは、私のような素人や若者など誰もが参加でき、個々人が意思表示を行うことができるからです。つまりデモは国の成熟度を示すのです。そのようなデモに協力するのはとても面白いと思い、参加しました」  次にマイクを握った雨宮氏によると、6月以降都内で5回行われた「原発やめろデモ」の参加人数は計7万人以上にも及び、デモの現場では警察による妨害や参加者への暴行が行われていたという。 「9月11日のデモでは、正式に東京都に申請し承認されていた出発地やコースを、都は当日2日前になって変更を命令しました。当日も、トイレのためにデモの隊列を離れようとした女性を大勢の警官が取り囲み、沿道に出られないようにし、具合が悪くなる人が続出しました。隊列に大勢の警官が強引に割り込み、意図的に混乱状況をつくり出すなかで、警官から暴行を受け負傷した人もいます。結局、公務執行妨害などで12人が逮捕されました。私たちは、日弁連(日本弁護士連合会)に対し彼らの人権救済の申し立てを行う方針を決定しました」  しかし、こうした事実について大手全国紙などは、ベタ記事で短く報じるのみである。本誌がその理由について、今回の会見を外国特派員協会で行う理由と合わせて質問すると、小熊氏はこう答えた。 「記者クラブでの会見だと、国内大手メディアの記者しか参加できないにもかかわらず、彼らが会見内容を報道する可能性も低いからです。海外メディアの皆さんは信じられないかもしれませんが、日本の大手メディアには、『政治とは、政党内や政治家同士の駆け引きであり、一般市民のデモなどは報じるに値しない』という考えが未だに根強いと感じます」  会場の外国人記者たちは、小熊氏の言葉を聞きながらしきりにうなずいていた。  それにしても、会見で起草者たちは一様にデモの重要性を訴えていたが、TwitterやSNSなどネット上のコミュニティも広がり、情報を発信する手段が多数あるなか、なぜデモなのか? 会見終了後に柄谷氏に尋ねた。 「Twitterでの主張は発言者が見えない。つまり人権が伴っていないので、効力は限定的です。しかしデモには参加するのは生身の人間であるため、人権が伴っていますので、国家が最も嫌がります。それゆえ国家は、道路交通の安全などを理由に、デモをやらせまいとしてきました。しかし、国民の基本的人権より道路交通法が優先されるなど、あってよいのでしょうか? これは憲法違反です」  また、同様の質問について小熊氏はこのように答えた。 「デモには体温があるということです。個々人の自由意志で集まったさまざまな人びとが、リアルな行動を共にし、主張を発信することによる効果は、ネットとは比較になりません」  今回の起草者が参加する「原発やめろデモ」は、今後も定期的に行っていくという。 (取材・文=編集部) ●「デモと広場の自由」のための共同声明http://jsfda.wordpress.com/statement/●9月11日「原発やめろデモ」における警官と参加者の映像http://www.youtube.com/watch?v=xnruDaMxPO0
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当代随一の「封印作品」 安全神話を語り続けた禁断の「原発PR映画」上映会が東大で開催!

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いま現在も、福島第一原発周辺は立ち入り禁止になっているが......。
 3月11日の東日本大震災から早くも半年。いまだに福島第一原発事故の処理作業は終わらない。日本列島の中に人が立ち入ってはならない禁断の地が形成されるSFのような出来事が、現在進行形で続いている。そんな中、前代未聞の原発PR映画上映会が10月30日に東京大学本郷キャンパスで開催される。  「原子力発電と安全神話―原発PR映画を見る」と題されたこの上映会は、東京大学大学院情報学環などが行っている「記録映画アーカイブ・プロジェクト」の一環。このプロジェクトは、消失したり散逸してしまっている記録映画を、収集・保存・公開し、今後の研究や教育のために役立てようという目的で行われているもので、東京大学大学院情報学環、東京藝術大学大学院映像研究科、東京国立近代美術館フィルムセンターが参画している。  これまでも、ダムの建設を記録した『佐久間ダム』(全3部の超大作記録映画。音楽は、芥川也寸志)というダムマニアにはたまらない作品を上映するなど、忘れ去られつつある傑作記録映画を次々と公開している。  今回の上映会では「原子力発電の推進・普及とPR映画が果たした役割」について議論することを目的に、日本初の商用原子力発電所である茨城県の東海原発の建設を記録した『東海発電所の建設記録』、さらに、原子力発電所の安全対策を解説する『原子力発電所と地震』などが上映される予定だ。  また、1976年に完成直後の福島第一原発を取材し「安全神話」への疑問を投げかけたテレビ・ドキュメンタリー『いま原子力発電は...』も上映される。  上映後には、『いま原子力発電は...』を演出した羽田澄子氏や、社会学者の吉見俊哉氏らによる討論も行われる、盛りだくさんの内容だ。  被爆国であり原子力に対するアレルギーがある日本で「夢のエネルギー」である原発建設を進めるべく、電力会社などは膨大な広報活動を行ってきた。映画のみならず、著名人を用いたり、マンガで分かりやすく解説して、原発がいかに安全かを国民に知らしめる活動は繰り返されてきた。  そのことの是非や、原発の是非は別にして、それらの膨大な広報資料は、今や決して陽の目を見ることはない「封印作品」になってしまった。  今回上映される作品も、電力会社などからしてみれば「なかったことにして欲しい」作品ばかり。この機を逃しては、二度と見ることができないであろうラインアップだ。この時期に、この企画を進めた人々を賞賛するよりほかない。  研究者はもちろんのこと、さまざまなマニアにとっても垂涎の作品群であることは間違いない。しかしながら、会場の定員は180名とやや少なめである。早めの申込みをオススメする。 ●記録映画アーカイブ・プロジェクト第7回ワークショップ 「原子力発電と安全神話―原発PR映画を見る」 日時:2011年10月30日(日) 13:30-17:30(開場は13:00) 場所:東京大学本郷キャンパス(赤門横) 福武ホール・ラーニングシアター(B2F) 主催:東京大学大学院情報学環(記録映画アーカイブ・プロジェクト)  入場無料・HPにて事前登録制 <http://www.kirokueiga-archive.com/event/index.html>
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「正直、自分が受けたショックの100分の1も描けていない」しりあがり寿が見た3.11とマンガの可能性

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 マンガ家・しりあがり寿が東日本大震災以降に描いたマンガをまとめた単行本『あの日からのマンガ』(エンターブレイン)が話題を呼んでいる。震災からわずかひと月後に掲載され大きな反響を呼んだ「月刊コミックビーム」(同)発表作や、朝日新聞夕刊に連載中の時事4コマ「地球防衛家のヒトビト」などが収められた本作。"あの日"から現在進行形で続く信じがたい現実を前に、なぜしりあがり氏は震災をテーマにしたマンガを描き続けているのか。話を聞いた。 ――「地球防衛家のヒトビト」では3月14日掲載分から震災をテーマにマンガを描き続けていらっしゃいますが、創作意欲は衝動的に湧いてきたものだったんですか? しりあがり寿(以下、しりあがり) 11日に地震が来た後、すぐに描き始めたんです。衝動的でもあったし、「地球防衛家のヒトビト」という時事ネタを扱ったマンガを描いているのだから、描かないわけにはいかなかったんです。 ――震災から1カ月後には岩手県でボランティア活動をされたそうですね。その前後で、描く4コママンガに何か変化はありましたか? _MG_6061.jpg しりあがり ちょっと吹っ切れた感じはありました。僕は小心者だしボランティアとかガラじゃないけど、被災地に行かずに想像だけで描くっていうのは、どこか気が引けてしまって。本当に描いていいのかな、とか、被災者の気持ちはどうなのだろうとか思うけれど、でも描かなきゃいけない。どうしたらいいんだろうとモヤモヤしていたんです。でも実際に現地に行ってみると、たとえ2~3日でも、この目で見たことはウソじゃない。ストーリーがなくてガレキだけしか描いていない回もあるんだけれど、あれはしょうがないよ。何も浮かばなかったんだもの。あれしか浮かばなかった。 ――「コミックビーム」に掲載された短編「海辺の村」は特に大きな反響を呼びました。震災から50年後の未来を描いたこの作品ですが、「いつ失われるか分からない不安の中で豊かな生活を送ることをやめ、いつまでも続く幸せを選んだ」という一節はすごく印象的でした。まるで昭和30年代に戻ったかのように人々はつつましやかに暮らし、福島第一原発の周辺は風力発電でいっぱいになる、という風景は、現在のしりあがりさんが思い描く、理想の未来なのでしょうか? しりあがり 「海辺の村」は、3月20日くらいから描き始めたのかな。あのエンディングは僕の理想の未来というわけじゃなくて、消去法みたいなもんだよね。今までは、"幸せの中の不安"というのをテーマにマンガを描くことが多かったんだけれど、この時は逆だった。どこを向いても不安だらけだから、せめて希望を描かないといけないなって思ってね。で、その時点で自分なりにいろいろ考えたら、希望ってやっぱり、50年先まではないなって思ったんです。すぐは無理でも50年くらいのスパンで考えれば、下降から反転する可能性はあるかもしれない。再生エネルギーがうまく行き出すとか、それによって災害や放射能だけでなく戦争の不安からも解放されるような。戦争って結局は資源の取り合いだから、それがなくなるって希望じゃない? 逆に言うと、そこまでいかないと希望を見つけられなかった。みんなが明るく楽しくやっている時は「ちょっとどうなのよ?」って言いたいし、ヤバくなると、希望を見つけなきゃって思う。そういう意味では、僕は相当なへそまがりだよ。
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『あの日からのマンガ』「地球防衛家のヒトビト」より
――マンガというのはフィクションなわけで、もっとハッピーなエンディングにしようと思えばできたはずですが、ものすごくリアリティーのある形に落とし込んだのはなぜなんですか?  しりあがり 僕のマンガって、自分ではすごくリアリズムだと思っているんです(笑)。たとえば、シュールレアリスムって、ダリとかあり得ない光景を描いているけれど、ある意味、人の意識の中まで入ってきているから、見えるままの風景を描くよりもリアルでしょ? 不安な人にとっては、そういう風景の方がリアルだったりする。そういう意味では、常にリアルに描こうと思っているし、ずっと追求しているつもりでいるんだけどね。  マンガって割とファンタジーが多いけど、ファンタジーにしてもどこか現実に足場がないとリアリティーがない。僕は現実方向にもう一歩近づきたいなという気持ちがあって。10年前、9.11が起こったときにそれをテーマにしたマンガってあまり目にしなかった。文学とか音楽がそういう社会と連動するのに、それに比べてマンガってちょっと鈍いなって感じがして。力があるのにもったいないなって。僕は「くだらないもの」が大好きだけど、「くだらないもの」も「ファンタジー」も結局ある程度世の中が豊かで安定してないと成立しない気がしていて。だから少しは社会にコミットする必要があると思っているんです。そこにこの震災だからなー。  でも正直、自分が受けたショックの100分の1も描けていない気がするんです。だから期待して読まれるとすごく困る(笑)。そんなたいしたこと描いていないというか、その都度その都度の断片でしかないからね。
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『あの日からのマンガ』「海辺の村」より
――いま振り返ると、もうちょっと違う描き方ができたんじゃないかと? しりあがり うーん、やっぱり僕の力じゃ......っていうところもある。手を抜いたわけじゃないし、その時は一生懸命だったけれど、もっと絵がうまくてストーリーがうまい人が描いたら違うものが描けただろうし。逆にこれがきっかけになって、みんないろいろ描けばいいと思う。1,000年に1度の大地震だよ? 後世の人は、この地震が記されたマンガをいっぱい読みたいんじゃないかな? (ページをめくりながら)懐かしいね、今見ると。なんで僕、こんなに絵がヘタなんだろう?(笑) もうちょっと上手だったら泣けるのに......。泣けるシーンなのに、なんか笑えちゃうんだよね。 ――作品によってそれぞれ違うと思いますが、誰に向けて、どういう立場で描かれたんですか? しりあがり 特別に誰かに向けて描いたというよりは、それぞれの連載の一部分なので、それまでのシリーズの中で描いたっていう感じですね。しょせん、自分目線からは逃れられないし。 ――自分の気を静めるために描いていたという部分もあるんですか? しりあがり それもあるよね。さっき、希望というか未来を探したって言ったけど、それは自分のためだよね。モヤモヤとしていることを定着させることで落ち着くというか、踏ん切りがつくんじゃないかな。作品として描くことで、自分の体から切り離される感じ。変な話、例えば僕の身内に不幸があったとしても、僕は作品を描くと思うよ。 ――今回のマンガにはどれも、政府や東電に対する怒りの表現はありません。しりあがりさんご自身としては、今回の震災や原発に対して憤りはないんですか?
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『あの日からのマンガ』「川下り双子のオヤジ」より
しりあがり 本の中で「大きな賭けに負けた」っていう文章を書いているんだけれど、僕はまさかこんな大きな地震は来ない方に賭けていた。危険を訴える人がいるのは知っていたけれど、まさか原発が爆発するなんてことにはならない 方に賭けていた。誰が悪いというより、日本まるごと「しくじった」という思いが強かった。  マスコミや政府を批判するのも大切だけど、結局真実もウソもひっくるめて不信感に包まれただけじゃ元も子もないからね。代わりに信頼できる情報が出るようになったかというと、そんなに簡単な話じゃない。こうなったら怒っているよりも、小さなコミュニティーでもつくって、大切な人たちと生きていけるような仕組みをつくる方に力を使ったらいいんじゃないかと思ってしまう(笑)。 ――原発事故はまだ収束していないし、日々、放射能汚染が目に見えるかたちで表れてきています。現在進行形の問題をフィクションにして描くことには、作家として相当の覚悟があったと思うのですが。 しりあがり やっぱり怖かったですよ。だって、描いていることが変わっちゃうかもしれないから。3月下旬に描いたものが4月10日くらいに発売される間に致命的な爆発が起こるかもしれなかったし、状況は刻々と変わっていくから。それに、今回の震災は地域によって受け止め方に差があって、誰かの共感は呼ぶけれど別の誰かの反感を買う恐れもある。でも、描かざるを得ない感じだったなー。マンガのルーツにはポンチ絵とか風刺マンガとかもあるんだけれど、あれって写真の技術がそこまで普及していなかった時代に、従軍マンガ家が描いていたのが元だったみたい。戦場の様子をスケッチして新聞に載せる。マンガはジャーナリズムの一端を担っていた。そういう意味では、そこにあるものを描くっていうのは、基本っていう感じがしますね ――なるほど。実はそれとはまた別の視点になるんですが、想像を絶するような恐ろしい「現実」と向き合うには、やっぱり何らかのフィルターが必要だと思うんです。その役割の一端を、マンガも担えるということを証明した作品なのではないかという気がしています。不謹慎だとか自粛とかいう言葉がはびこる窮屈な状況の中で、「フィクションとして震災を捉える」という視点は、ひとつの風穴を開けてくれた。エンタテインメントとしてだけではない、マンガの新しい可能性を見せてくれたのではないかと。 しりあがり 「エンタテインメントって何か?」って、これも難しいけれど、僕は30年くらいマンガを描いてて、常にマンガの可能性を広げていきたいというのはあった。マンガって、コマがあって絵があって、そういうシンプルなものから広がって無限の可能性があるじゃん? ストーリーを入れなくたっていいし、何をしたっていい。最近、美術館で絵を描かせてもらう機会もあるんだけど、それって自分ではアートではなく、マンガの延長線上にある気がしているんです。 ――帯には「『たとえ間違っているとしても、今描こう』と思った」とありますが、このマンガを通して伝えたいメッセージとはどんなものなんでしょうか? しりあがり メッセージはないんです。今までの作品は何か伝えたいことがあってそのためにマンガを描くみたいなところがあったんだけど、今回は断片ばかりだから。もう、「あの時、自分はあんな想いでした」という記録でしかない。それぞれの作品に深みとかひねりや表現としての新鮮さがあるわけじゃないし、そもそも面白いとかうまいとかいうものではない。だけど、迷ったり、混乱したりしながらその都度描いたマンガは少なくとも「ウソ」じゃない。「確かにあの日からマンガを描いた」という証のようなものです。正直、1冊の本として出版するには自信がなかったんです。でも僕の周りの信頼している何人かが「これはいいよ」って言ってくれて、それで世に出してもいいかなって。これからも震災をテーマにした作品は描き続けたいなという思いはあるけれど、そろそろ本当に力がある人が描き始めるんじゃないかな(笑)。 (取材・文=編集部/写真=後藤匡人) ●しりあがり・ことぶき 1958年静岡市生まれ。81年多摩美術大学グラフィックデザイン専攻卒業後キリンビール株式会社に入社し、パッケージデザイン・広告宣伝等を担当。85年単行本『エレキな春』でマンガ家としてデビュー。パロディーを中心にした新しいタイプのギャグマンガ家として注目を浴びる。94年に独立後は、幻想的あるいは文学的な作品などを次々に発表、マンガ家として独自な活動を続ける一方、近年ではエッセイ・映像・ゲーム・アートなど多方面に創作の幅を広げている。
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日本一有名になってしまった村・飯舘村村長が綴った"までい"な暮らし

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『美しい村に放射能が降った
~飯舘村長・決断と覚悟の120日~』
(ワニブックスPLUS新書)
 前例のない原発事故が多くの人々を混乱させている。右往左往する政府や自治体、東京電力、原子力安全・保安院、そして学者や知識人、言論人と呼ばれる人々も例外ではない。ある人は「不謹慎であるけども」という前置きをしながら「原発は現代アートみたいなもの」と皮肉っていた。受け取る側の解釈一つによって、同じ数字が「ただちに健康に影響はない」ものであると同時に「今すぐに避難しなければならない」ものとなってしまう。  ホットスポットであることが判明し、計画的避難区域に認定された福島県相馬郡飯舘村。わずか人口6,000人あまりの小さな村は、突如として日本でいちばん有名な村となってしまった。この村の村長である菅野典雄氏による手記『美しい村に放射能が降った ~飯舘村長・決断と覚悟の120日~』(ワニブックスPLUS新書)が発売された。  阿武隈高地の北部に位置する飯舘村を、3月11日以前に知っていた人はどれほどいただろうか? 美しい自然とおいしい農作物、人間味あふれる人々。「平凡な日本の美しい田舎」と菅野氏が表現するように、そこは数ある小村の一つでしかなかった。本書には、この飯舘村を豊かにするために村長として奔走した彼の日々が綴られている。村の女性たちを海外に送り出す「『若妻の翼』プロジェクト」や、男性の育児休暇促進のために制定した「パパクォーター制度」など、そこには菅野氏が飯舘村のために全力を尽くしてきた歴史があった。  そんな飯舘村の歴史を象徴するような言葉が、「までい」という方言だ。  「真手」、つまり両手が揃った状態のことであり、「丁寧に」「心を込めて」といったニュアンスのこの言葉。それにあやかり、村長は村の生活を「までいライフ」と表現する。飯舘村では村人たちがともに支え合いながら楽しく、美しく、心安らかに歩んでいける暮らしを目指していた。  しかし、3月11日、村を大地震が襲い、降り出した雪とともに放射能が舞い降りた。  住民たちは避難する者、取り残される者、あるいはこの村に残ることを決める者とに分かれた。村長は村に留まることを決意し、「村を残すこと」を最大の目標とする。「放射能の害よりも避難の害の方が大きい場合だってある」と本書で綴っているように、村人にとって、故郷としての村を残すことは、命と同じくらい重要なことだった。  4月11日、計画的避難区域に指定され、1カ月を目安に全村避難を迫られるも、なかなか避難は進まない。避難にあたり、村長が政府に対して粘り強く交渉を続けていたためだ。そのような村長の行動は、「命を危険に晒すな」といった批判を全国から集めた。確かにその批判は正論かもしれない。しかし、避難"後"の村を考えた場合、村人たちの生活を守ることもまた村長としての重要な仕事だった。  6月22日、飯舘村役場は福島市役所飯野支所に開設され、一部の老人ホームや事業所を除き、避難は完了。この避難にあたり、村長は飯舘村に戻るまでの時間を「2年間」と明言した。しかし、この8月にも新たにプルトニウム239の親核種であるネプツニウム239が数千ベクレル検出され、その状況が絶望的であることが改めて明らかとなってしまった飯舘村。本当に「2年間」で村民たちが村に戻ることができるかは定かではない。しかし、村人たちの希望をつなぎ止めるためには「2年間」という約束が必要だった。この数字には、村長の村人に対する「までい」な気持ちが表れている。  『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)で一躍時の人となった社会学者の開沼博氏は、当サイトのインタビューで以下のように語った。 「何か原発について声を大にして主張したがる人に読んでいただければと思います。主張するなと言っているのではありません。その気持ちが圧倒的な「善意」に基づくという自覚があったとしても、実は知らぬ間に暴力や抑圧に転化してしまっていることを受け止めなければならない」  原発事故は、それぞれの立場の違いを浮き彫りにした。東京に住んでいる人/福島に住んでいる人、原発に関連のある人/原発とは無関連の人、子どもがいる人/いない人、それぞれの立場によってそれぞれの正論が存在する。今必要なのは、その正論を別の立場から批判することではなく、立場の違いを尊重しながら、他人の言葉に耳を澄ますことではないだろうか。  「村を守る」ことを仕事とする、菅野村長の言葉に静かに耳を澄ませてみると、東京では想像できない飯舘村の「までい」な暮らしが広がってくる。 (文=萩原雄太[かもめマシーン] ●かんの・のりお 1946年、現・飯舘村生まれ。70年帯広畜産大学草地学科卒業。酪農を営み、乳牛60頭を飼うかたわら、89年から7年間、飯舘村公民館の嘱託館長を勤める。96年10月、村長選挙で当選し、第5代目飯館村村長に就任、以来4期連続で勤める。合併しない「自主自立の村づくり」を進め、小規模自治体の良さを活かした子育て支援や環境保全活動、定住支援などユニークな施策で知られる。「丁寧に、心を込めて、大切に」という意味の方言から取った「までいライフ」を村の暮らしのモットーに掲げる。
美しい村に放射能が降った ~飯舘村長・決断と覚悟の120日~ 東電さん、読んでくれましたか? amazon_associate_logo.jpg
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原発依存症に陥った福島を生んだのは「中央への服従心」だった!?

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著者の開沼博氏。27歳の冷静な視点が光る。
 未曽有の大震災から早くも5カ月近くが過ぎた。ここに来て、首都圏の人々の注目は、津波による被災地よりも福島原発に多くが向けられていると言っていいだろう。自治体独自に放射線量を測ったり、個人でガイガーカウンターを購入し、家の周辺を測ったり、また脱原発デモを行ったりと。  しかし、そもそもなぜ福島県に原発が作られ、周辺住民がどう感じて生きてきたのかということを知らない「都会の人間」は多いのではないか? 福島県いわき市出身の社会学者・開沼博氏は、震災前の2006年から福島原発に興味を抱き、フィールドワークを重ね、内側から原発問題を考察してきた。その集大成が『「フクシマ論」 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)である。今回、福島と原発の関係、そして震災後の世間の動きについて開沼氏に話を聞いた。 ――そもそも福島原発に興味を持ったのはなぜですか? 開沼博氏(以下、開沼) 最初は2006年の夏前くらいに青森県・六ヶ所村核燃料再処理施設に行ったんです。行く前は「今でも根強く施設立地の反対運動が行われ、施設に嫌悪感を抱きながら声をひそめて生活しているじゃないか」というありがちなイメージを持っていた。しかし、実際にそこに住んでいる人に話を聞いてみると「原燃さん(六ヶ所村核燃料再処理施設の事業者)が来てくれたお陰で生活ができている」「1年の内の半分は出稼ぎに出ないといけない土地だったが、施設が来てから1年中家族と一緒にいれるようになった」と言う。福島に行ってみても、特に原発のある4町(双葉町、大熊町、楢葉町、富岡町)では「東京電力(以下、東電)が来てくれたお陰で」という雰囲気がある。そして、それは今も大きくは変わりません。そういう原発を抱える現地のことは東京から見ていたらわかりづらいことであって、その実態に興味を抱き調査をはじめました。 ――開沼さんは福島県いわき市出身ですが、いわき市ではそういう雰囲気は感じられませんでしたか? 開沼 いわき市民が普段、原発を意識することはそれほどなかったですね。原発のある4町の人々も原発があることは知っているけれども、毎日「原発あるなー、怖いなー」と意識するかと言えば、そんなことはなかった。それは東京の人が「東京タワーがあることは知っているけれども、別に改めて昇ることはない」という感覚に近いのかもしれない。福島の4町には40年間にわたって原発があるわけですから、多くの人にとって「生まれた時から記憶の中に自然とある風景」なんです。 ――本書のテーマは「日本の戦後成長と地方」ですが、このテーマに興味を抱いたのは? 開沼 そもそもの学術的な話で言うと、「成長社会が終わったあとは、どういった社会になるのだろう」ということを考えたかった。「ポスト成長社会」と私は呼んでいますが、これまでもそれを「成熟社会」とか「縮小社会」と名づけて捉えようとしたり、もちろん「成長はまだ終わっていないんだ、そうするためにがんばるんだ」という立場もある。でも、こんなことになってしまったのも含めて、どうすればいいのか考えあぐねているのが実情だと思います。このテーマについて、もうひとつ抽象度を上げると「近代」がテーマになります。社会学は「近代社会とは何か」を問う学問だと私は思っています。しかし、その近代社会が曖昧になりつつある。成長が終わるとは、そういうことかもしれないなと。じゃあ今までの理論で捉えられない近代を、どういう視座から捉えていくことが必要なのかと考えたのが、最初の問題意識でした。そこで考えたのが、戦後の成長を、私が理論的な下敷きとしたポストコロニアリズム(ポスト植民地主義)との関係で捉えていくという方法でした。日本の中央と地方との関係にある種の「植民地性」を見ることで新たな社会の描き方ができるのではないかと思ったんです。 ■地元民には、東電に対する「信心」がある ――福島県は只見川電源開発、常磐・郡山の新産業都市などを誘致しています。かつて貧しかった一帯が地域振興策の中で一番魅了的な原発を誘致したのは、貧困を克服するためというのが一番大きかったのでしょうか? 開沼 原発のある地域が取り立てて貧困だったかというと必ずしもそうではないんです。1950年代、60年代の日本はまだ道路もコンクリートになる途中の「途上国」です。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界ですね。その場その場に合った地域開発が日本のあらゆるところで行われていました。たまたま福島県の沿岸地域では、すべての市町村に発電所を置いていくような開発が行われた。発電所は大量の雇用を生みますし、地域開発としては有効でした。そういう流れの中で、たまたま原発が置かれたというのが私の認識です。 ――仮に原子力でなくても良かったということですか? 開沼 原子力でなくても良かったと思います。それが巨大公共事業とか工場などであっても良かったと思います。だから、用地と海水の確保などの条件さえ整えば、どの地域でも福島になる可能性はありました。 ――テレビで見る成長著しい東京と地方ではかなり違ったのでしょうか? 開沼 その当時、日本は豊かであるという幻想ができ始めていました。それはメディアを通して作られていた。ベネディクト・アンダーソンの言葉でいう「想像の共同体」ですね。テレビでは東京オリンピックや『ひょっこりひょうたん島』が流れるのを見ながら、自分たちの想像の中では、日本という国は非常に豊かで、イケイケドンドンであるというイメージがある。にもかかわらず、いざテレビを消して、家の外を眺めてみると、とんでもないクソ田舎であると。当然都会になりたいという欲望が生まれる。そこでスッと差し出されたものが原子力であったんだと思います。 ――本書の中で、そうしたムラと国・中央がaddictional(常用的に、依存的に)な関係になってしまうと指摘されています。addictionalな関係とは具体的にどういうことでしょうか? 開沼 ムラが原発をどんどん欲していくような中毒的な状況を指します。経済的な話が一番わかりやすい。原発は一回置くと、最初はかなりのお金が入るんです。ですが、固定資産税からの税収は年々下がり、一方で金がある時に作った施設のメンテナンス費はかさむ。時間が経つとともに財政的に厳しくなっていきます。減った収入分を埋め合わせるために原発なり関連施設なりをさらに建設してくれということになってしまいます。 ――他の観点だと? monaka.jpg 開沼 本書の中でも触れていますが、一番肝になるのは文化的にもaddictionalになってしまうことです。たとえば、「原子力モナカ」というお土産物が売られていたり、国道沿いに「回転寿しアトム」という寿司屋があったり。東京の人から見れば特異な光景かもしれませんが、地元の人にとっては大きな違和感もなくそれが存在している。それだけ「原子力ブランド」が浸透し、原発と共生する社会が確立していると言える。 ――そうした地域に、原発によって経済的な恩恵を受けている人はどれくらいいるんですか? 開沼 いろんな捉え方がありますが、人口の3分の1から4分の1は原発関連で生計を立てていると思います。その家の人が原発関連で働いていなくても、親戚付き合いや近所付き合いはあるので、なんらかのステークホルダーになってしまう。そう簡単に「原発は危ないから嫌だ」と言える状況ではないんです。原発関連で働くと言っても、今メディアで報じられるように白い服を着てマスクをつけている人だけではなくて、実際にはガードマンの仕事があれば、瓦礫をトラックで運び出す仕事や仕出しの弁当を作る人、原発の中で働く人を相手にした保険外交員もいる。年配の人や技術がない人も含めて原発ではたくさんの人が働いている。 ――ムラと中央がaddictionalな関係になると、ムラが中央に「自動的かつ自発的に服従」するような関係が生まれると分析されていますが?
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開沼 それは何段階かに分けて分析しています。最初の段階では、どうにか自分たちの田舎を都会に近づけるために、他の地域と競い合いながら新幹線や高速道路を持ってくるみたいな形で、中央に対して「自発的な服従」をしていくようになった。それがいつの間にか財政的な問題や文化的な問題でaddictionalになっていき、「自動的かつ自発的な服従」が完成したという風に私は捉えています。ここでのポイントは「服従」が、その言葉から想像しやすいような権力による強引な支配によるどころか、むしろ、服従する側が勝手に権力にひれ伏してしまうという一見奇妙な現象が起こっているということです。 ――こうしたムラと国の服従の関係は日本の他の地域でもみられますか? 開沼 一番理解しやすい例が、財政破綻した夕張市です。かつて賑い日本中に名が通った街が、巨大資本の撤退とともに一気に寂れる。地域と国との間にある種の共依存関係ができている。同じようなことはどこでも起こりえます。 ――そうした服従の中で東電信仰のようなものが果たした役割は? 開沼 それを本書の中では「信心」と呼びました。2000年代の初めに東電で事故や隠蔽事件がありましたが、ある町長さんは「東電を信じて共に歩んでいくことが私たちにとっていいことなんです。それしかありません」と発言している。そして、地元の人も「東電が大丈夫だと言っているから、大丈夫でしょう」と納得してしまっていた。それ故に3.11間際まで原発は維持され続けた。 ――もし福島に原発がなかったら、福島はどうなっていたと思いますか? 開沼 財政状況は現状以上に悪かったでしょう。ただ、原発がなくてもやっていける自治体は他にいくらでもありますから、なにか困ることがあったかというとそれはわからないです。しかし、歴史を振り返れば「原発なき福島」を想像すること自体困難だとも言えます。本書の中でも検討しましたが、明治以来、福島は東京から「ほどよい位置」にあった。明治の初期から水力発電で東京の蒲田まで電気を送ったり、戦中は、石川町でウラン鉱石を採って、日本の原爆開発計画に貢献した。戦後すぐ、只見川電源開発や、映画『フラガール』でも有名になった常磐炭田のように「エネルギーの供給地」として東京の成長を助けていた。東京の成長を常にサポートする役割を日本の近代化の中で福島は担わされてきたんです。 ■デモが起きても「フクシマ」は忘れられる運命!? ――ここからは3.11以降のお話を中心に聞きたいのですが。まず、4月10日には高円寺で脱原発デモが行われ、1万5,000人の人が集まりました。これに対して本書の中では批判的に言及しています。 開沼 いや、やってる方がいるのは全然いいんです。でも私自身は参加する気はない。震災前から労働組合のある党派は、40年間原発反対運動をしてきたわけですね。それが有効な手段ではなかったから原発はなくなっていない。答えは、もう出ています。1万5,000人は確かにすごいと思います。いわゆる「生きづらい若者」にとっては「居場所」として非常に意味があったとは思いますが、脱原発という点では無効だと言わざるを得ない。そして、ただ無効なだけなら放っておけばいいですが、デモ自体がハラスメントにつながりかねないことに無自覚なままになされている故に批判をせざるをえない。「即座に原発をなくせ」ということが、ただでさえ生活が苦しい原発立地地域の人間にとっては仕事を奪われることになる。それがどれだけウザいか。「奇形児を作らせるな」と障がいがある方もデモに参加している中で叫ぶ。新たな抑圧が生まれかねない状況がある以上、手放しでは見過ごせません。 ――1年前、沖縄米軍基地問題では人々はあんなに熱狂していた。にもかかわらず今では誰もそんなことを気にしないままに粛々と問題の処理が進められている、という例を出されていましたが、福島原発もいずれ忘れ去られてしまうのでしょうか? 開沼 それは間違いありません。東電なり経済産業省なり文部科学省の原子力政策を担う部門は、とりあえず福島の原発から放射能物質が出ないように押さえ込みさえすれば、この問題は解決すると思っている。押さえ込んでしまえば、今原発に関心を持つ人も、少なからず、元通りの無関心派になります ――自分たちの生活に直接危害がなくなると関係がなくなってしまう? 開沼 原子力ムラの当事者ではない人の関心は2点に収斂されます。結局、この復旧作業の落とし所はどこなのかということと、出ちゃっている放射能はどんだけ危険なのかということです。その答えがわからないから、イライラしてデモに行ったり、ガイガーカウンターを買って計測したりしている。逆に、その答えがある程度明らかになれば、そこに「日常」が戻ってこざるをえない。もはや原発に関心を持つ理由はなくなっていく。言い方を変えれば、デモを今の規模で続けるためには福島に不幸であり続けてもらう必要がある。これはある面で事実です。「イライラ」をガソリンにして「脱原発」のエンジンを回している。その裏にある「ありものの知識や知識人への信頼の仮託」の構造は、3.11の前も後も何も変わっていません。そして、それは時間の経過の後に形は違えど同じ問題を反復することにつながります。そこから逃れるためには、シンプルに言えば、歴史を見ることであり、東京からは見えにくい現場のリアリティに向き合うことなんじゃないかと思います。 ――いわゆる知識人の発言が右往左往している印象もありますが。 開沼 勝手に右往左往するだけならいい。ただ、必死に逃げてよくわからない言い訳をしたり、よくわからないにもかかわらず、とりあえずヒステリックに脱原発派を煽ったりすることは混乱を増長させるだけ。知らないなら知らないでいい。怖いなら怖いでいい。あとは黙ってればいい。今回の原発を受けての知識人たちの行動、インテリと呼ばれる層にいる人間たちの短絡的な行動が、結果的に一般の人たちの不安をますます煽っているだけなのだとすれば残念です。 ――そういう中で自然エネルギーの話も出ていますが。 開沼 自然エネルギーは悪いと思いません。また、原発の是非の立場を問われた時に「長期的には脱原発に向かうのがいいと思う立場です」と答えておくのが現状のベストアンサーです。どっから弾が飛んできても怪我をしません。でも、少なくとも原発周辺に住む人々にとっては、今食っていけるか否かが重要。今、あるいはこの先に自分たちの生活を支えるものでないなら、どうでもいい。「外野からどうこう語る知識人」ほどの理想主義的な幻想は持っていない。現実を見ている。当然のことです。そして、もとから原発で働いていた人にとっては、得体の知れない幻想に乗り換えろと騒ぎ立てられるより、淡々と原発を動かしてほしいというのがとりあえずの本音。「自然エネルギーを導入すれば新たに雇用が生まれる『はず』です」と言う「善意」ある言葉を投げかけた時に「そんな不確定のことのために人生をかけられません」「それまでどうやって食っていけばいいんですか、生活費あなたが払ってくれるんですか」という問いは当然返ってくる。 ――今後、原発について考えていかなければならないことは何でしょうか? 開沼 まず第一に、成長のために地方を踏み台にしてきたことを認識しなければなりません。本書の中で「2つの原子力ムラモデル」を提示しました。つまり一方には、電力会社や政府を中心とした「原発を置きたい側」=中央のムラ、もう一つは、「原発を置かれたい側」=地方の側の原子力ムラがある。政府叩き・東電叩きをしてカタルシスを得ることに終始するのは無意味。この、私たちが無意識のうちに踏み台にしてきた「2つの原子力ムラ」を変えて行く必要があることを認識しなければなりません。 ――最後にこの本をどんな人に読んでほしいか。また、まだ読んでいない人へ一言お願いします。 開沼 何か原発について声を大にして主張したがる人に読んでいただければと思います。主張するなと言っているのではありません。その気持ちが圧倒的な「善意」に基づくという自覚があったとしても、実は知らぬ間に暴力や抑圧に転化してしまっていることを受け止めなければならない。一言で言うならば、「まず原子力ムラを肯定せよ」ということです。私たちは、原子力ムラの上に乗っかってきたし、黙認しながら生活をしてきた。必死に何かを叩きのめしたい気持ちはよくわかります。ただ、間違いなく、その叩きのめしたいものは、昨日の自分自身の顔そのものです。これまでは改めて鏡に映して意識することはなかったかもしれないけれども、事実としてこういう顔をしていたんだということをまず受け止めなければならない。日本の近代、あるいは戦後成長が無意識的に乗っかってきた基盤がそこにある。不安・不満解消のためのセンセーショナルな反応はすでに一巡しつつある。その先にあるのは愚かな反復でしかない。原子力ムラを一度受け入れる、つまり、それによって成り立ってきた「原発がある幸せ」を無意識的にせよ選択してきてしまっていた、今もいる、ということを改めて捉えなおす必要がある。その後に初めて「原発なき幸せ」についての議論が始められます。  * * *  福島原発関連の本は数多く出版されているが、内側から迫った本は少ないのではないだろうか。福島原発に対する新たな視点を与えてくれることは間違いない。 (文=本多カツヒロ) ●かいぬま・ひろし 1984年福島県いわき市生まれ。2009年東京大学文学部卒。2011年東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。
「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか なぜ? amazon_associate_logo.jpg
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「私たちはどこへ向かうべきなのか」写真家・広川泰士氏が語る"日本の風景"としての原発 

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美浜原子力発電所(福井県/『STILL CRAZY』より、以下同)
 今月26日から、東中野にあるspace&cafe「ポレポレ坐」にて写真展『STILL CRAZY  Nuclear power plants as seen in Japanese landscapes』 が開催される。これは写真家の広川泰士氏が1994年に発表した、日本全国の原子力発電所53基を撮影した同タイトルの写真集の一部を、再度展示するというもの。モノクロの写真からは無機質な、死んだような静けさがじわじわと漂ってくる。そんな原発を"日本の風景"としてカメラに収めた広川氏だが、一体その意図はどこにあったのだろうか。また、今回の福島第一原発事故を受け、どのような思いを抱いているのか、広川氏に話を聞いた。 ――広川さんは広告写真やテレビコマーシャルなどでご活躍される一方、世界中の美しい自然の姿を撮影されていますが、そういった中で、この『STILL CRAZY』はとても異質な気がします。そもそもなぜ、原発の写真を撮ろうと思われたのですか?
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福島第一原子力発電所(福島県)
広川泰士氏(以下、広川) 僕は1950年生まれなんですが、子どものころから「原子力平和利用」だとか「希望の光が灯った」とか、さんざんそういうプロパガンダを聞かされて育ったんです。でも、大人になるにつれて、原子炉を廃炉にするにもどうやって解体すればいいか分からないし、増え続ける核廃棄物をどう処理するのかも分からない。そんな状況で見切り発車してしまった国の原子力政策に、疑問を感じるようになったんです。果たして、人間が取り扱うことができるものなのかどうかと。原子力発電所というものを見たこともなかったので、それで日本の中でどのような佇まいでいるのか実物を見てみたいと思ったんです。それに、原発に対しては当時からいろんな議論があったんですが、それ以前に、まずは見ることから始めたらいいんじゃないかという思いもあって。そんな折、「アサヒカメラ」(朝日新聞出版)で10ページに渡る原発写真の特集をやることになり、1991~93年にかけて撮影しました。 ――広川さんとしては、原子力政策に対して声高に異議申し立てをしようと思っていたわけではなく、中立的な立場で、日本の一つの風景として発表したかったそうですが。
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高速増殖原型炉もんじゅ(福井県)
広川 僕の制作活動の中で風景というのはすごく重要な位置を占めているので、抵抗なくというか、自然な流れだったんですね。我々は原子力発電所に囲まれて生きているんだし、そこで発電される電気の恩恵にあずかっているっていうのは紛れもない事実だった。その上で、ここからどうするのかということを、個々が考えればいいんじゃないかと思っていたんです。無関心な人はそれまでだし、おかしいと思う人はそこからまた考えて何か始めればいいんじゃないかと。 ――53基の原子炉はすべて許可を取って撮影されたそうですが、実際に間近で見てみて、どのような印象を受けましたか? 広川 建屋の中には入らないという条件で敷地内に入れてもらったんですが、やっぱり、異様な大きさなんですよね。森の奥の方にある広大な敷地に立っているんですが、車なんかと比べるとやっぱり圧倒的でした。それぞれの発電所の関係者が案内してくれるんですが、必ず「安全だ、安全だ」と口をそろえて言うんですよ。でも、言われれば言われるほど、安全じゃないんだろうなと内心では思っていました。「コンクリートの壁が6~8メートルあるから大丈夫です」とか力説するんですが、そこまでしないとダメだということはよっぽど危険なものを取り扱っているということですからね。
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柏崎刈羽原子力発電所(新潟県)
 発電所の近くにはたいてい、渋谷にあった電力館のように、電気がどうやってできるのかとか、レントゲンを撮ったり飛行機に乗るとこれだけ被曝するけど安全ですとか、原子力の安全性をPRする施設があるんです。撮影を始めた当初は僕も知識がなかったので、原子力で発電するっていうのは、魔法みたいに核融合の科学反応で自然に電気ができるのかと思っていたんです。でも実際は、核分裂反応でできた熱でお湯を沸かし、その蒸気でタービンを回して発電する。これって火力発電や水力発電と構造自体は同じなのに、その元となる部分で原子力はすごく複雑なことをして危険なものを閉じ込め、お金も時間もかけて、それで蒸気なのか......と拍子抜けしましたね。 ――この『STILL CRAZY』というタイトルですが、"反原発"的というか、すごく政治的な意味合いが強い気がします。ご本人としては、どういう意図で付けられたんですか? 広川 そのようにも取れますが、実はこれ、ポール・サイモンの「Still Crazy After All These Years」というラブソングから取ったんです。だから「まだゾッコンなんだぜ」という皮肉めいた意味もある。僕はみんなもっと、原発に対して危機意識を持っているんじゃないかと思っていたんですが、発表した当時、大多数の人は無関心でした。それが僕にとっては驚きだった。当時から日本の原発依存度はすごく高かったけれど、ずっと「安全だ、安全だ」と言われていたから、本気で危険だと思っていた人はほとんどいなかったんでしょうね。
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泊原子力発電所(北海道)
――日本では「静かで不気味な写真だ」という意見が多かったそうですが、海外の反応はどうだったんですか? 広川 こういうタイトルだったということもあって、面白がってくれましたね。プリンストン大学の美術館やサンフランシスコにある近代美術館がコレクションしてくれたり、昨年はドイツのステュットガルトで行われた反原発のアートフェスに招待されて写真を展示したんですが、海外の方が評価してくれる人がいるんだなという手ごたえはありました。 ――今回の原発事故を受け、率直にどう思われましたか?  広川 結局、人間が手にするべきではないものをいじってしまったのではないか、という気がするんです。原発は立地にも建設にも時間とお金がかかる。過疎の風光明媚なところに造るということは道路もないので、まずは工事車両が通れるように大きな道路を造るところからはじめなければならない。トンネルを造ったり、海を埋め立てたり、一大開発ですよね。建設地の村にもお金をおとして、反対派を排除して、やっと完成する。でも、それだけのことをやって耐久年数はたった40年なんですよ。さらに今はもう新しいのが造れないからといって、それを60年に延ばそうとかいっていた矢先に今回の事故が起こった。たかだか40年しか動かないのに、わざわざそんな大掛かりなことをやるっていうのは、すごく不自然ですよね。何を言ってるんだ、って話ですよ。それに核廃棄物の半減期は何万年もする。効率が悪すぎますよね。原子力は安いとかなんとかいろいろごまかして推進しようとする人がいますが、どう考えてもおかしいですよ。
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浜岡原子力発電所(静岡県)
 一方で、原発の担当者と話していると、"自分の人生は原発とともにあった"みたいな人がいるんですよ。まず土地を収用するところからはじまって、村の人と馴染むためにお祭りに加わったり、住み着くくらいの勢いでその事業に打ち込む。それで原発が完成すれば、やっぱり感無量なんですよね、やっとできたって。村は村で、年寄りしかいないところに立派な体育館や立派な施設ができても利用する人がいない。だけど雇用が生まれる。もともと出稼ぎくらいしか収入源がなかった場所に、今の若い人たちは生まれたときから原発があるわけで、そこで働くのが憧れみたいになっている。お金にもなるし、そういう循環ができてしまっているわけだから、危ないから今すぐ全部の原発を停めろ、みたいなことは一概には言えない状態になってしまっていますよね。 ――そういうシステムができてしまっている以上、そこから組み替えていって、徐々に徐々になくしていく方向にするしかない、と。そういうお気持ちは当時からあったんですか? 広川 いえ、最近ですね。もう、シロかクロかでは決められない社会状況になってしまった。でも、だからといって前に進まないと何も変っていかないから、改善する方向でいま歩きださないといけないですよね。今現在、ものすごい犠牲を生んでいるわけだし、この事故を契機に考え方を一新しなければならないと思います。僕らの世代やもっと上の世代というのは便利な生活と引き換えに原発を容認してきたわけだから、すごく責任がありますよね。 ――その写真集の発表から17年が経ったわけですが、今回の写真展はどういう経緯で開催が決まったんですか。 広川 3月下旬に有楽町の外国人特派員クラブで写真展をやる予定があったんですが、その準備の最中、震災が起こったんです。もともとは別のプログラムを展示する予定でしたが、今これを見せるべきだと思って『STILL CRAZY』を展示したんです。その時に「一般の人にも公開するべきじゃないか」という意見をいろんな方からいただいて、僕自身ももっといろんな人に見てほしいという気持ちになったんです。ポレポレの本橋成一さんとは以前から面識があって、何かやらないかというお話をいただいていたので、とんとん拍子に話が進みました。 ――どういった人に見に来てほしいですか? 広川 老若男女、ありとあらゆる人ですね。日本で暮らしている以上、これはもう他人ごとではないですからね。 (取材・文=編集部) hirokawsan.jpg ●ひろかわ・たいし 1950年神奈川県生まれ。74年よりフォトグラファーとして活動開始。東京工芸大学芸術学部教授。広告写真、テレビコマーシャルなどで活躍する一方、ザルツブルグ、パリ、ミラノ、アムステルダム、ロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルス、ヒューストン、シドニー、東京他、世界各都市での個展、美術展への招待出展多数。講談社出版文化賞、ニューヨークADC賞、文部科学大臣賞、経済産業大臣賞、日本写真協会賞、日本映画テレビ技術協会撮影技術賞、A.C.C.ゴールド賞、A.C.C.ベスト撮影賞、他受賞。プリンストン大学美術館、ロサンゼルスカウンティ美術館、サンフランシスコ近代美術館、フランス国立図書館、神戸ファッション美術館、東京都写真美術館、他に作品がコレクションされている。 <http://hirokawa810.com/●写真展『STILL CRAZY Nuclear power plants as seen in Japanese landscapes』 会期:7月26日(火)~8月11日(木)月曜休・入場無料 会場:space&cafe「ポレポレ坐」<http://za.polepoletimes.jp/> 開催時間:火~土 11:30-21:00/日 11:30-18:00(最終日は20:00まで) ・会期中トークショー 日時:7月30日(土)19:00開場/19:30開演 ゲスト:佐伯剛(雑誌「風の旅人」編集長) 8月5日(金)19:00開場/19:30開演 ゲスト:村越としや(写真家)、木橋成一(写真家・映画監督) 料金:予約2,000円/当日2,500円(ワンドリンク付き) ●広川泰士と子供たちの写真展「家族・写真」 会期:7月29日(金)~9月5日(月) 会場:青山ブックセンター本店内・ギャラリー 開催時間: 10:00~22:00(最終日は19:00まで) 問い合わせ:03-5485-5511(青山ブックセンター本店) 広川氏が被災地の相馬市の避難所を訪ね、避難所に暮らす家族を撮影したポートレート作品と被災地の子どもたちにフジフィルムのインスタントカメラ「写ルンです」を渡して撮ってもらったスナップ写真を同時に展示。 <http://www.aoyamabc.co.jp/event/bookfes2011-hirokawa-morimoto/> ・会期中トークショー 広川泰士(写真家)×森本千絵(アートディレクター) 日時:2011年8月9日(火)19:30~21:30(開場19:00~) 会場:青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山 料金:1,200円
STILL CRAZY これが日本の姿。 amazon_associate_logo.jpg
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自民党・平沢勝栄議員が「総理の献金事件は脱法行為」と断罪

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 菅総理の資金管理団体である「草志会」が、日本人拉致事件の容疑者親族が関係する団体に、多額の資金提供をしていた事実が明らかになっている。団体の名は「政権交代をめざす市民の会」(奈良握代表・以下、めざす会)。拉致事件の容疑者の長男が所属する政治団体「市民の党」(酒井剛代表)から派生した団体である。  菅総理は国会でのこの指摘に対し、「私の判断で寄付をした」と自身の関与を認めた上で、「政治的にいろいろな意味でプラスになると考えた」と平然と答えて周囲を唖然とさせた。  政府の拉致問題対策本部長である首相が拉致問題解決を放置しながら、実行犯の関係団体に多額の資金提供をしていたことになる。元警察官僚で公安事情に詳しい自民党の平沢勝栄代議士に、今回の事件の問題点について聞いた。前回に続き、菅直人と左翼勢力とのつながりについて考えてもらいたい。 (聞き手=浮島さとし/フリーライター) ──菅総理の献金問題は国を揺るがす大スキャンダルだと思うのですが、メディアの扱いがあまりに小さいと感じます。麻生太郎元総理が漢字を読み間違えただけであれだけ大騒ぎした朝日新聞も、今回は静かです。 平沢氏(以下、平沢) 産経(新聞)が早くから報じましたが、他紙は総じて鈍かったですね。とにかく、この事件は奇々怪々としか言いようがない。3年にわたり「草志会」から極左の政治団体へ金が渡っていたというんですが、普通は逆なんですよ。一般的に政治献金というのは、民間の政治団体が、自分たちが支持する政治家に対して、政治資金規正法の枠の中で献金をする。今回は代議士側から支持団体へ金が渡っていたというのですが、そんな話は聞いたことがない。 ──なぜ、候補者側から団体に献金が行われたのか。その趣旨が気になりますが。 平沢 私のところにもいろいろ情報が来ていますが、総括すれば、「めざす会」が菅さんたちの選挙運動に動いたと見て間違いないでしょう。渡った金はその報酬や経費です。この団体は(創価)学会員以上に凄まじい選挙運動をすることで知られていますが、その選挙部隊の力を借りるために菅総理の事務所が運動資金を用意したということでしょう。 ──だとすれば公職選挙法に抵触すると考えていいですか。 平沢 当然そうなります。公職選挙法では決められた費用しか使えないし、使途の内訳は選管に届け出なければならない。「草志会」が直接渡すと買収行為になるので、「めざす会」をいったん迂回したわけで、だとすれば、完全なる脱法行為です。運動員買収などが後から発覚して当選が取り消しになった代議士は過去にもたくさんいます。事実が明らかになれば、菅総理は当然、公職選挙法違反に問われることになります。 ──違法行為であることはもちろん、額が大きすぎるのも気になります。 平沢 構図も不可解で額も大きい。3回にわたって支払われているようですが、一度目に渡った5,000万円は政治資金規正法の上限枠いっぱいですからね。極めて重要な選挙戦略の一環として金が渡ったと見るのが妥当でしょう。菅総理は「連携・支援のため」などと平気な顔して言い訳をしていましたが、相手は毛沢東思想やマルクス・レーニン主義で革命を目指すことを公言している人物が率いる政治団体ですからね。 ──しかも、この金の原資は政党助成金です。国民の税金が、拉致事件の関係者が所属している極左団体に大量に使われていたことになります。 平沢 国民からすれば、一体この人はどこの国の総理なんだというのが実感でしょう。菅総理は拉致問題対策本部長でもあるわけですが、彼が拉致問題の解決に向けて何かをしたという話を聞いたことがない。何の興味も関心もないのでしょう。 ──反国家的な勢力が首相を支えているのは大変な危機的状況だと思いますが。 平沢 彼はもともとが、反国家的思想の運動家ですからね。日の丸・君が代も反対し、日本人拉致の実行犯の辛光洙の助命嘆願書に署名までした人物です。それが急に総理になってしまったから、いくら演技をしてもいろんな無理が出てるわけです。 ──菅総理の側近が、エネルギー利権のブローカーとして暗躍しているとのウワサもありますが。 平沢 そこも含めて調査中ですが、再生エネルギー法案によって利益をあげる者が出てくることは事実なわけで、必然的に利権が生まれます。特にソフトバンクの孫正義社長と菅総理の蜜月ぶりは際立ってます。今の状態では、孫社長の利益のために、一国の総理が法改正へ向けて動いているようなものです。孫さんは孫さんで、「菅総理は10年続けて」なんてエールを送っている。癒着としか言いようがない構図でしょう。 ──そもそも再生エネルギー法案は、菅総理ではなく、原発推進の経産省が温室ガス削減を目的に推し進めてきた買い取り制度で、「脱原発」とは本質的には関係ありません。原発推進か脱原発かの踏み絵にすべきものではないですし、当初は総理自身がこの法案にまったく関心がなかったことも知られています。 平沢 そこが菅さんのうまいとこでね。太陽光や風力のエネルギーを電力会社が買い取れば、確かに再生エネルギー分野の活性化にはなりますが、それだけでは電気代が大幅な上乗せになるし、原発がいらなくなるなんていう議論にはならない。ただ、国民はそういう言葉に弱いから、総理自身がまったく関心を持っていなかった法案を、突然今になって引っ張り出してきた。「一定のメド」という言葉にしてもそうですが、小技だけは怖ろしくうまいんですよ。 ──いずれにせよ、この献金問題だけは絶対にうやむやにすべきでないと考えます。野党の追及も十分でないと感じますが、自民党としてはどう取り組んでいくのですか。 平沢 7月12日に問題究明のためのプロジェクトチームを立ち上げました。各議員がそれぞれの立場で情報収集をしようと動いていますが、なにしろ公安も内調(内閣調査室)も、野党の調査には非協力的です。関係者数人と話をしましたが、明らかに上から圧力がかかっている。彼らも役人なんで困っているんですよ。これまで監視の対象だった極左勢力が、政権とずぶずぶの関係になってしまっているわけですからね。しかし、その中でもすでに情報は集まり始めていますので、自民としてはうやむやにするつもりはありません。 ──菅総理は脱原発を争点に、8月解散を模索しているとのウワサもありますが。 平沢 私はその可能性は低いと思う。やれば民主は負けますから。もっとも、菅さんは誰かに入れ知恵されると何するか分からない人ですからね。政権延命ができると踏んだらやりかねませんが。その時は、もう国民は騙されないはずですよ。ただ、菅さんが辞めて次の総理になってからなら、自民も苦しい戦いにはなるでしょう。いったん自民を離れた支持層はそう簡単には戻りませんから。 ──菅総理は今、民主党内でも相当孤立しているはずですが。 平沢 さっきまで民主党の代議士と一緒だったんですが、民主党内でも95%は"反菅"の立場だそうです。今、総理を内閣で支えているのは、江田五月と北沢俊美防衛大臣くらいでしょう。海江田万里経産大臣ははらわた煮えくり返ってるはずですよ。ただ、次(の総理)が一本化されていないから動けない。そういう意味では菅さんは非常に運がいい。それでも、8月後半に辞めないようなら、いくら民主党だって大きな菅おろしの動きが出るでしょうけどね。 ──政治の先に、被災地の救済や国の未来がまったく見えてきません。 平沢 まったくその通りでしてね。官尊民卑(かんそん・みんぴ)(注:政治家や役人を尊び、民衆を軽んじる国家体制)という言葉がありますけどね、今の政治はまさにそれなんです。「かん」は菅総理、「みん」は国民と民主党です。総理は今、民主党さえも貶めながら、自分の利益だけを求めて突っ走っている。菅総理の手帳には「無私」と書いてあるそうですが、これだけ「有私」の総理は見たことがない。彼が出してくるおかしな政策は、総理が自分のためにやってると考えれば全部つじつまが合う。ストレステストが最たるものです。迷走も迷走、もう滅茶苦茶ですよ。
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首相に「ストレステスト」を入れ知恵をした2人の極左人物とは?

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6月15日の市民集会で大歓声の中で
持論を展開する菅総理
 政府の原発対応が混迷を極める中、菅総理が突然言い出した「ストレステスト」(耐性検査)で日本中が大混乱に陥っている。現在、国内54基の原発施設は、定期検査も含めて35基が停止中だが、これらを再稼動するための条件として、施設が地震や津波などの事故に耐えられるかを調べる体制試験の導入を義務付けるというもの。言い変えれば、テストが済むまでは停止中の原発施設からの電力供給はできないことになる。  しかも、テストの内容やスケジュールなど、肝心な部分はすべて白紙。ヨーロッパ式のテストなら一年近くかかるとも言われており、施設の稼動が遅れた場合に想定される深刻な電力不足への対応も、具体策は何ひとつ決まっていない。経産相に代わって急遽"担当大臣"となった細野豪志原発事故担当相は、首相が初めて「ストレステスト」を国会で口にした6日の定例会見で、「早急に詰めたい」「具体案はこれから」と、ひたすら抽象論を繰り返した。  安全性の担保は重要だ。しかし、なぜ首相は突然、自分でも中身を理解できていない「テスト」の導入を、事前の党内調整や電力不足への対策など一切行わないままに言い出したのか。事実、政府が11日に安全評価の実施を発表した直後の13日、保安院の幹部が慌ててドイツやフランスの原発関係機関を訪問して調査していたことが分かり、政府の決定に具体策の裏付けが何もなかったことが明らかにになった。  こうしたドタバタに対し、海外メディアも「(テスト導入の理由は)菅総理の不人気と指導力の低下」「原発廃止への道筋や経済的リスクへの対策はない」(米ワシントンポスト紙)と冷ややか。「海外では」「ヨーロッパでは」を繰り返す菅総理の思惑に反し、国際的な信用は一切得られていない。  また、「テスト」は経産省の保安院でなく、細野大臣が所管する内閣府の原子力安全委員会もイニシアチブを持つ。経産省の意思だけでは再稼動ができないことになり、「経産相と思いは同じ」(菅総理)と言っていたはずの総理の急な心変わりがうかがい知れる。いったい誰が菅総理に入れ知恵をしたのか。  この点について、「2人の極左と言える人物が大きく影響している」と話すのは、ある民主党関係者だ。「今や党内は8割が菅不支持」と自嘲しながら、次にように証言してくれた。 「菅さんに入れ知恵したのは、一人は内閣参与のTという人物。東大で原子力を専門に学び、現在も大学で教鞭をとる立場で、菅総理とは古い付き合いです。問題なのは、このTの思想的背景。革マル系の団体や極左の市民団体と非常に関係が深い」  その言葉を裏付けたのが、6月15日に再生エネルギー特別措置法案の成立へ向けて、25の市民団体の主催で開かれた「再生可能エネルギー促進法成立!緊急集会」。出席した菅総理は、「私の顔を見たくないなら、この法案を通した方がいい!」と嬉々として"宣言"し、割れんばかりの拍手に包まれた会場からは「菅さんかっこいい!」との声が乱れ飛んだ。 「あの場にはグリーンピースジャパンや原水爆禁止日本国民会議など、Tと関係の深い極左メンバーが多く出席して場を盛り上げていました」  また、この関係者が言うもう一人の人物が、脱原発派で知られるイタリア人ジャーナリストのP氏である。 「日本での駐在暦が30年を超えるベテラン記者で、イタリアの極左テロ組織『赤い旅団』(ブリゲート・ローズ)の弁護士を務めていることで知られています。いわば極左中の極左なんですが、その人物と菅総理は先月6月29日に六本木で会食をしたと日経新聞で報じられました。菅さんに入れ知恵しているのはこの2人というのが関係者の一致した見方です」  「赤い旅団」とは1970年代から活動をしている極左グループで、過去には政治家や警察関係者、ジャーナリストらの誘拐や殺人事件を起こしている。そんなテロ組織の弁護士を公言するだけあり、P氏自身の武勇伝もなかなかのものだ。85年2月には、当時外国人登録法に定められていた指紋押捺を拒否して日本への再入国が認められず、法務大臣を相手に処分取り消しを求めて裁判を起こしている。  最近も元赤軍派議長の塩見孝也氏が主催する集会に、「赤い旅団弁護士」の肩書で出席し、塩見氏とツイン司会を担当するなど、極左運動家としてのびのびと活動中だ。
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指紋押捺を拒否して入国を拒否されたP記者の
「外国人差別は日本国憲法に矛盾する」などの主張を同情的に掲載する
1985年2月20日付け朝日新聞)
「菅さんが総理になった昨年、Pも外国人特派員協会の会長選挙に立候補するなど勢いづきましたね(編注:落選)。Pは最近、脱原発をテーマにした本を出版したんですが、その記念パーティーが29日にイタリア文化会館で開かれ、総理と会食したと報じられたのはその日の夜のことです。伸子夫人も顔を出していますから、家族ぐるみで親交が深いということでしょう。こうした状況に公安はピリピリしているようですが、公安にしても今まで監視対象だった極左グループが自分らのトップとべったりなんですから(笑)、どうしたらいいんだってのが本音じゃないでしょうか」  菅総理と言えば、資金管理団体の「草志会」が、北朝鮮による拉致事件の容疑者親族が関係する極左団体に6,250万円の献金をしていたことが、先の国会で追及されたばかり。原資は言うまでもなく税金(政党助成金)である。政府の拉致問題対策本部長である首相が、拉致問題解決に何ひとつ具体策を講じない一方で、拉致実行犯の関係者に国民の税金を提供していたことになる。  日本は安倍政権時代の06年、「北朝鮮国籍を有する者の原則入国禁止」措置を発動したが、14日に東京で開催されたアジア・オリンピック評議会総会に北朝鮮の委員が出席をしている。菅政権が「五輪関連行事へ配慮する」として、06年の制裁以来、初めて北朝鮮関係者の入国を許可したからだ。入国者が工作員でないかの"身体検査"などは「行われた気配はまったくない」(先の関係者)といい、一国の総理として国を守る意識の希薄さがあらためて露呈する形となった。  また、前記の市民集会にはソフトバンクの孫正義社長も出席していたが、メガソーラー事業への参入を表明している同社が、菅総理の唱える再生エネルギー政策の進展で大きく潤うのは言うまでもない。さらに、その際に必要となる大量の太陽光パネルを、韓国のサムスン電子から導入する方向で進んでいるともささやかれており、同社の会長が6月に来日するなど、すでに激しいロビー活動が展開されているとも言われている。 「そうした巨大な"再生エネ利権"をめぐるブローカーとしての役割をTやPが果たしている可能性が高いと見て、内閣調査室や経産省は2人をかねてからマークしているようです。逆に見れば、今回のストレステストはTのような勢力が総理をうまく使い、経産省をけん制した結果だとも考えられます」  国家百年の危機に直面しながら、目先の利を求める小物ばかりが闊歩する日本の政治。そのグダグダの先には、被災地や国の未来は微塵も見えてこない。 (文=浮島さとし)
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前田敦子の"ブサメン"疑惑にNMB48の"ブルマ"まで 芸能ニュースはAKB系一色!?

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なでしこジャパン主将・澤穂希の『ほ
まれ』
■女子サッカー・ワールドカップで日本代表のなでしこジャパン決勝進出 現在、開催中のサッカー・女子ワールドカップにおいて、9日に開催国で優勝候補のドイツを1-0で破るという快挙を達成。さらに13日には、スウェーデンを3-1で下し、決勝戦へと駒を進めた。日本の女子サッカーは同大会での史上初のメダル獲得が確定しており、この勢いのまま、優勝に向かって期待が高まっている。 【関連記事】 【サッカー女子W杯】「とても恵まれていた」元東電の2選手が"なでしこジャパン"で奮闘中 強ければ出自を問わないなんて、傭兵部隊みたいで格好いいね! 【サッカー女子W杯】「ヌードでアピールも」地元ドイツの女子代表がセクシーすぎる! 2011年7月11日付(日刊サイゾー) 日本代表は素朴な美しさがウリです。多分。 ザック新監督決定の裏事情と日本代表監督の見えない呪縛 2010年10月号(プレミアサイゾー) 注目を浴びる男女サッカー日本代表にも一抹の不安? ■菅直人首相も脱原発の方針を表明 反原発の高まる機運 東日本大震災以降、福島原子力発電所の事故を受けて高まっていた反原発の機運。全国各地で反原発デモが行われるなど、多くの市井の人々が同問題に関心を寄せている。そんな中、今月13日、今後のエネルギー政策についての記者会見において、段階的に原子力発電への依存度を下げ、「原発に依存しない社会を目指す」という方針を述べた。 【関連記事】 全国的に盛り上がる「6.11脱原発アクション」前夜 警察の規制も強化か 2011年6月10日付(日刊サイゾー) 日本にデモは定着するのか? "反原発"芸術は原発を変えたのか? 2011年6月号(プレミアサイゾー) 爆発するのは、芸術だけにしておいて! ■テレビ局各局で夏の新ドラマがスタート 7月はテレビ局の新ドラマがスタートする時期で、今夏も続々と話題作の放映が始まっています。『花ざかりの君たちへ イケメン☆パラダイス』『美男(イケメン)ですね』『それでも、生きてゆく』など......。果たして今期ナンバーワンに輝くドラマはどれか? 【関連記事】 初回視聴率10.1%、前田敦子版『イケメン☆パラダイス』とは一体「誰得」なのか!? 2011年7月12日付(日刊サイゾー) "決して女の子に見えない"という点では、ナイスなキャスティング? ジャニーズ帝国を崩壊させたイケメンビジネスの裏 2009年4月号(プレミアサイゾー) 今やイケメン枠も完全に硬直した感がありますが......。 ■凋落する音楽業界で熾烈なランキング争いが勃発? 今月20日に、東方神起やいきものがかり、NMB48やGReeeeNなどがCDを同日発売するとして、ランキングは混戦模様。そんな中、人気絶頂のアイドルグループ・AKB48の姉妹グループ・NMB48は、CDにイベント参加券やサイン入り生写真を封入するなど、いつもの戦略を立てるとともに、とんでもない公約を発表して、話題となりました。 【関連記事】 NMB48の"ブルマ公演"は確定か!? 東方神起、いきものがかりと同日対決 2011年7月12日付(日刊サイゾー) 話題のない音楽業界で、話題を振りまこうと孤軍奮闘する姿勢がステキです! MAX松浦&芸能界のドンが激怒! いきものがかり社長、Twitter発言で謝罪していた 2010年6月11日付(日刊サイゾー) NMB48に東方神起......またまた裏が怖い人ばっかりだから、 いきものがかりの社長も今度は発言に注意してくださいね。 「ランキングにJYJがいない!?」韓国SM社の止まらない権勢とオリコンの苦しい言い分 2010年3月12日付(日刊サイゾー) オリコンの社名の由来は「オリジナル・コンフィデンス」(絶対的な信頼)だそうです。 街宣車まで出動したJYJ とエイベックスの仁義なき戦い 2011年7月号(プレミアサイゾー) 結局、いつも損するのはファンなんですけどね。 プレミアサイゾー http://www.premiumcyzo.com/

ドイツ・ミュンヘンで「FUKUSHIMA」風評被害 脱原発から脱日本食への動き

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ミュンヘンから電車で5時間。ハノーバー中央駅で見かけた
「SUMO SUSHI(相撲寿司)」という名の日本食レストランも、昼時にもかかわらず
客の姿はみえず閑古鳥が鳴いていた。
 東日本大震災の発生からまもなく4カ月が経過する。筆者は現在、ドイツ南部の都市ミュンヘンに滞在しているのだが、震災後間もなくだった4月の訪問時に欧州のあちこちで目にした「Fukushima-Daiichi (福島第一原発)」という言葉はすっかり姿を消している。  だからだろうか、ドイツ人は日本人を見掛けると、決まってその後の「Fukushima-Daiichi」の様子を尋ねてくる。ホテルで、レストランで軽いあいさつを終えると、「ところで」と切り出してくるのだ。  欧州で最も原子力に批判的とされるドイツでは、「Fukushima-Daiichi」の事故を受けて、反原発の動きが強まり、各地でデモが発生。原発全廃を先送りにしていたメルケル政権も6月、大衆の声を反映する形でついに完全廃止を宣言するに至ったほど。それだけに街の人々の原発に対する関心は高いのだ。  そんなドイツのミュンヘンで今、思わぬ風評被害に遭っているのが、日本食レストランだという。日本食レストランと言っても、肉・魚・野菜など食材のほとんどは欧州で調達されている。店を仕切っている人だって、大抵の場合は"なんちゃって日本人"。マレーシアやバングラデシュからやってきた日本とは無縁のアジア人だ。  ミュンヘン在住の知人は、「まあ、ラーメンに入ってる海苔なんかは日本から持ってきたものもあったんだけど、それも今は入ってない。完全な風評被害だね。ラーメンの具だって、白菜やゆでたまごぐらいだから」と言うが、客足は遠のくばかりのようだ。 「(ミュンヘンの位置する)ドイツ南部は、チェルノブイリ原発跡地(旧ロシア、現ウクライナ)からだいたい2,000キロぐらいの位置にある。それでも、空中に舞った放射性物質が雨で地面に落ちて土壌を汚染しており、爆発事故から25年が経ったいまでも、この地域では例えばキノコなどの栽培が禁止されている。だから、みんな敏感になっている」(同知人)  近年、日本食レストランは世界中でその数を伸ばし「Sushi(寿司」や「Ramen(ラーメン)」は日本を代表するモノとして認知されてきた。しかし震災後、原発の問題もあってその様子は変わりつつある。  日本で一部の地域の茶葉から高濃度のセシウムが検出され出荷停止に至る事態もあったが、それ以前からレストランでは日本茶を控えていた店も少なくないという。脱原発の次は、脱日本食の動き。風評は思わぬ地で、思わぬ広がりを見せている。 (取材・文=栗原正夫)
緊急解説! 福島第一原発事故と放射線 何が正しいのか。 amazon_associate_logo.jpg
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