タレントの吉木りさが、歌手のmisonoと“舌戦”を繰り広げたことで話題となっている。どうやらmisonoが売ったケンカらしいのだが……。 吉木は以前、ラジオ番組の新年会でmisonoから「あんた、さっきから何なん?アンタがしゃべってること全部ウソやん。これだからウチ、グラビアアイドル嫌いやねん!」などと絡まれたらしいのだが、それに関してずいぶんと根に持っている様子。 8日放送の『アッパレやってまーす!』(MBSラジオ)に出演した吉木。同じくレギュラーであるロンドンブーツ1号2号・田村淳が、番組冒頭で自らTwitterで薬物使用を否定したのが話題になったが、吉木が「噛みついた」のはそこであった。 吉木は「「私はそれよりもmisonoが!あのmisonoがコピペして、そのままツイッターに!」と発言。どうやら、misonoは田村淳が薬物否定したTwitterの文面をそのまま引用して自身のTwitterに載せ、薬物疑惑を否定したことに憤慨しているようだった。 吉木の“猛攻”はなおも続き「(薬物を)絶対やってないとは思うんですけど…、いやいやいや、コピペすんなよ!」とmisonoに苦言を呈した。普段のおっとりした雰囲気からは想像もつかない辛らつぶりに、驚いたリスナーも多かったことだろう。 しかし、吉木は9日、自身のTwitterで「がー!!言い過ぎてしまって今猛烈に反省してる……!!! 私が大人気なかった……お騒がせして不快な思いさせてしまいすみません」と、感情に任せた自身の発言に猛省している文面をツイート。さすがに個人的すぎたと悟ったのだろうか……。 こういう場合、ネット上の反応としては「どっちもバカだな」「冷静になれよ」など両者ともに非難されるのが“お約束”なのだが、今回に関し、吉木に対する苦言はほぼ見当たらないのが現状である。 「なんといっても、相手がネットユーザーからとにかく嫌われているmisonoですからね。『どっちも好きではないがmisonoよりはマシ』『吉木は悪くない』『絡んできたのはmisono』と、吉木を全面的に擁護する声がほとんどの状況です。昨年、特に芸もなくロンブーにおんぶにだっこなのはまだいいとして、『引退するする詐欺』までしたmisonoを擁護しないのも当然でしょう。今回の出来事で、逆に吉木の好感度が上がったくらいだと思いますよ」(芸能記者) この一件で、改めて世間から“不必要”と認識されているのが明らかになったmisono。「嫌いやねん」という言葉が自分に返ってきたようだ。因果応報ということか。『OKOLE』(ワニブックス)
「572」タグアーカイブ
祝『すべらない』春日MVS! オードリーの“コンビそろった”トーク力は、どう培われたか
7月11日に放送された『人志松本のすべらない話』第29弾(フジテレビ系)で、オードリーの春日俊彰が、最もすべらなかった話に送られるMVSを獲得した。初出場にして初優勝の快挙を成し遂げたことになる。相方である若林も3回目の出場を果たしており、コンビそろっての出場は珍しい。 春日は、溺愛する姪っ子の授業参観にまつわるエピソードを披露。その場で、前日に行ったキャバクラで出会った人と思わぬ再会をするまでを、じっくりと語り下ろした。 春日といえば「トゥース」や「鬼瓦」などの一発ギャグのほか、最近ではボディビルや水泳など体を使った仕事も多い。しゃべりよりは肉体派の印象が強い芸人だ。 しかし、オードリーはコンビそろってフリートークの名手であることは意外と知られていない。2人のトーク力を鍛え上げているのが、深夜ラジオ番組『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送系)だ。 「オードリーは2008年末の『M-1』で準優勝を果たし、ブレークします。ラジオは翌09年10月からレギュラーがスタート。番組の特徴は、2人がそれぞれフリートークのネタを持ち寄っていることですね。芸人コンビのラジオは、どちらかが聞き役に徹することも多いのですが、オードリーの場合、フリートークでも若林パート、春日パートが毎週あります」(放送作家) フリートークの内容はロケ先や旅行先で起きた出来事、ショーパブなど下積み時代の話、芸人仲間にまつわる話、中学高校の同級生である2人の共通の友人知人にまつわる身内話など多種多様だ。 「ラジオのフリートークのネタ探しのために、毎週行動を起こしているようなところもあります。いわば毎週自分たちにハードルを課して、乗り越えているような形です。素材をいかに広げるか、面白くするかという試行錯誤を通して、フリートーク力が鍛えられていったのかもしれません」(同) 『オードリーのオールナイトニッポン』は時折、録音放送もあるものの、忙しいスケジュールを縫うようにして生放送が続けられている。盤石のトーク力は、土曜深夜に蓄積されているのだろう。 (文=平田宏利)『オードリーのオールナイトニッポン』より
芸人顔負けの話術でリスナーを引き込む 鈴木おさむ『よんぱち~WEEKEND MEISTER~』
ラジオ解説者・豊田拓臣がラジオ難民に贈る、オススメの番組ガイド いきなりのボヤキで恐縮だが、我ながら中途半端な時期に連載を始めてしまったと思う。ラジオ業界は4月と10月に番組改編が行われるからだ。つまり、次回を含む4回の原稿で取り上げた番組が、今月いっぱいで終了……なんて事態もあり得る。そんな恐怖心と戦いながら、オススメ番組を紹介させてもらおう。 今回は『よんぱち~WEEKEND MEISTER~』。TOKYO FMで金曜日の午後1時から4時30分まで放送されており、放送作家の鈴木おさむと、タレントの木夏リオがパーソナリティーを務めている。 タイトルの「よんぱち」とは、放送後に訪れる土曜日、日曜日のこと。その「48時間」をより盛り上げるエンタテインメントを提案するのが趣旨である。番組開始は2004年。今年で10年目、2月28日で放送500回を迎えた長寿番組であるが、「ラジオ関連の企画で取り上げられない」と、鈴木おさむが寂しがっているというウワサを耳にした。おそらく、「鈴木おさむ=テレビの放送作家」との印象が強いからだろう。 しかしこの番組を聴けば、氏に対する認識が大きく変わるに違いない。通常、この手のコンセプトでは、エンタメ情報の提供を主眼に置いた「情報番組」になることが多い。具体的にいえば、週末に行われる音楽・お笑いライブ、映画、舞台や、オススメの新譜、書籍を紹介していくという作りだ。 だが『よんぱち』は、鈴木おさむの個性が前面に押し出された「パーソナリティー番組」である。聴けば聴くほど、氏の“エンタテインメントへの愛情と造詣の深さ”が伝わり、それらを形にする技量に驚かされるのだ。 特に、ゲストとのトークを聴くとよく分かる。この番組は、話題のエンタメに関わる人物(出演俳優や歌手、作家など)を3人ゲストに招き、話を聞くのがメインコーナーとなっている。大抵の場合、鈴木おさむがゲストに問いかける形で進行するのだが、氏は、言葉を投げかけた直後に相手が良い回答、すなわち発展性のあるネタを持っているかを瞬時に見抜く。そして、あると判断すればゲストに主導権を委ね、ないと思えば自分の体験談を元にトークを膨らませていくのだ。放送作家でありながら、一流のしゃべり手と比較しても遜色のないコミュニケーション力を持っているのである。 事実、氏は恐ろしく頭の回転が速い。自分がインタビューされる側になった場合でも、普通ならば2~3回やり取りした後に出てくる回答が、1発で出てくる。要するに、相手がどんな言葉を欲しているのか、すべてお見通しなのだ。結果、必要な話は聞けているのに、インタビューは10分で終わる……なんてライターにとっては不思議な現象が起きる。 上記は余談だが、その切れ味は番組にも表れている。パートナーの木夏リオが進行を担当するコーナーはテンポが違うとか、もしくは鈴木おさむから話を振られて回答にまごついているといった印象を受けるかもしれないが、彼女が遅いのではない。氏のテンポが速すぎるのだ。そもそも3時間半にわたり、あのスピードと情報量に付き合える人間はなかなかいない。想像に過ぎないが、生放送終了後の木夏リオはクタクタになっていることだろう。 そうやってハイペースで情報量の多いトークをしていながら、内容がリスナーの頭にすんなり入ってくるのも、氏のすごさといえよう。その理由は「丁寧さ」にある。例えば、自分が担当しているテレビ番組のエピソードを披露する際は、「僕が担当している○○って番組には△△君が出ているんだけど、そこで……」といったように、前提条件からちゃんとしゃべってくれる。その上で時系列が行ったり戻ったりせず、話の「結」へまっすぐに向かっていく。しゃべり手や芸人も顔負けの話術といえよう。 では、氏は特別な訓練の末に、それらの能力を得たのか。おそらく違う。氏の活動を鑑みるに、エンタテインメントが好きで、自分の携わった作品を1人でも多くの人に知ってもらいたい。ならば、どうすればいいか……と突き詰めていった結果、今のしゃべりが身についたのだろう。実際、テレビ、ラジオ、舞台、執筆など幅広いジャンルに取り組み、すべて同列に扱っているのだ。どうしても報酬や相手にする人数の多寡で優劣をつけてしまいがちだが、氏はどれも同じように、どれも大切にしているのが分かる。だからこそ色眼鏡なしに現状を把握、分析し、必要なものを提供でき、結果として売れっ子作家になったのであろう。 以前はTBSラジオでも番組を持っていたが、現在、氏が担当しているのは『よんぱち』のみである。もっと氏のパーソナルな部分がのぞける番組も聴きたい……。そう思うのは私だけではないはずだ。 (文=豊田拓臣/文中敬称略)『よんぱち~WEEKEND MEISTER~』
実は本格的なしゃべり手? 元・フジ平井理央の意外な才能が開花する『WONDER VISION』
ラジオ解説者・豊田拓臣がラジオ難民に贈る、必聴の番組ガイド 本稿執筆時では、みのもんたの担当番組終了と、4月からの新番組開始がアナウンスされている。だが、自分が生まれる前からしゃべっている人に対し、何かいえるほどの人間ではない。身の丈をわきまえつつ、当コラムに取り組ませてもらう。 さて、今回紹介するのは『WONDER VISION』。J-WAVEで日曜日の朝6時から9時まで放送されている番組だ。ナビゲーター(しゃべり手をJ-WAVEではこう呼ぶ)は平井理央。幼い頃からアイドルとして人気を博し、大学卒業後にフジテレビへアナウンサーとして入社。2012年に結婚・退社し、フリーへと転身した……という経歴は、日刊サイゾーをご覧の方ならご存じだろう。 番組開始は昨年4月。コンセプトは「ソーシャルデザインを合言葉に、より楽しい世の中を作るためのヒントを探す」。番組の趣旨に横文字が多く、放送局がオシャレ。……ラジオが好きな人ほど、敬遠してしまいそうだ。 だが、それらを補って余りあるほどの魅力が、平井理央のしゃべりにはある。まず第一に、口調に押しつけがましさが一切ない。そのため、堅苦しくなってしまいそうなコンセプトの番組を、非常に楽しく聴かせてくれるのだ。本人もインタビューで、「私、人間の中身として適当だったりとか、ちょっとひょうきんな部分もあったりして」(『ラジオ番組表2013年春号』三才ブックス)と話しているが、その性格が反映されているのである。 また、声だけで感情を表すのが抜群にうまい。楽しい話題のときは明るい声でしゃべり、悲しい話のときは少しトーンを落とすといった基本的な手法ではあるのだが、その微妙な変化でリスナーに自分の気持ちを伝え、共感を得ることができる。映像を見せ、自分の感情を隠して情報を伝えるテレビのアナウンサー出身とは思えない技を持っているのだ。 一方でゲストが来たときには、元アナウンサーの腕を惜しみなく披露してくれる。話の聞き役に徹して情報を引き出した上で、相手のトーク力に合わせた会話ができるのだ。その長所が遺憾なく発揮されたのが、今月16日の放送であろう。この日の番組テーマは、「いいチームの作り方」。ゲストに専修大学附属高校の教師と、元プロ野球選手の古田敦也を迎えた。同時にではないが、同じ日に技量がまったく異なる2人とトークをしているわけだ。 前者は、日本で唯一「チーム作り」という授業を行っている教師。授業内容や始めたきっかけなどを尋ねたのだが、教師は「具体的にどんなことをするのか?」という問いに、「“アイスブレイク”といって、ミニゲームなどのレクリエーションを学んだりします」と答えた。これだけでは、授業内容も効果もリスナーには伝わらない。そこで彼女は、「ゲームを学ぶと、どういうことが起こるんですか?」と質問し、相手をフォローしている。しかも優しい口調で何気なく、である。こうして相手の緊張を徐々にほぐし、気持ちよくしゃべらせることに成功している。 後者は言うまでもなく、東京ヤクルトスワローズで選手兼監督を務めたほどの人物だ。頭の回転が速く、質問者の意図を察して回答できるため、現役時代からしゃべりには定評がある。そこで彼女は、「今、お話をうかがっていて、『はい、監督!』って言いそうになりました」なんて変則的な返答を交えながらトークを進めた。彼女にこのようなちょっとした冗談を入れられるセンスと、入れていいタイミングを見計らう能力があるからこそ、『WONDER VISION』から「気取った番組」といった嫌な臭いがしてこないのだ。 そして彼女は、相手に合わせるだけではなく、自分の考えを論理立ててしゃべることもできる。番組のエンディングで感想を述べるのだが、本番中に聞いた話や出来事を交えながら的を射た総括をしている。3時間で何を伝えるべきか、本当に伝えられたかを客観的に分析できている証拠といえよう。容姿や声のかわいさが取り上げられがちだが、実は本格的なしゃべり手。それが平井理央なのである。 最後にもう1つだけ。『WONDER VISION』のようなコンセプトの番組では、評論家や何らかの教授といったお堅い肩書の人をしゃべり手にしてしまいがちである。その中で、彼女をナビゲーターに据えたスタッフの慧眼に拍手を送りたい。こういったチャレンジの積み重ねが、ラジオ人口の増加につながっていくのではないだろうか。 (文=豊田拓臣/文中敬称略)平井理央 公式サイトより
『中学生円山』が、そのままラジオになった!? 『宮藤官九郎のオールナイトニッポン GOLD』
ラジオ解説者・豊田拓臣がラジオ難民に贈る、必聴の番組ガイド 今回紹介するのは、『宮藤官九郎のオールナイトニッポン GOLD』。2013年にNHK連続テレビ小説『あまちゃん』が大ブームとなった「クドカン」こと、宮藤官九郎がパーソナリティーを務める番組である。 放送時間は毎週火曜日の22:00~24:00。ニッポン放送をキーステーションに、全国のラジオ局でネットされている。 さて、あまりしゃべるイメージのないクドカンだが、自ら「たけしチルドレン」だと公言している。81年1月から90年12月まで放送された、『ビートたけしのオールナイトニッポン』の多大な影響を受けているというのだ。正確には、「たけしになりたかったけど無理なので、その前で笑っている高田文夫になりたい」と思ったそうだ。しくじりにつながりそうな発言だが、9年ほど前に高田先生を取材させてもらったとき、クドカンを褒めていたので、すでに本人公認の話なのだろう。 それはさておき、この番組はクドカン自身がラジオ好きなことと、番組の作り手でもあることが相まって、ラジオの魅力が詰まった番組になっている。偉そうな言い方をさせてもらうと、ラジオでの遊び方が分かっているのだ。 その点は「烏丸せつこ最強説!」と、「お母さんに代わって!」の2コーナーが端的に示している。まず「烏丸せつこ最強説!」は、2本の映画の濡れ場をクドカンが鑑賞し、より興奮させてくれた女優が勝ち残るというコーナーだ。映画の音声は放送に乗らないが、クドカンが拙い(失礼)言葉で状況を説明してくれる。最初はリスナーが好きな女性芸能人とその魅力を投稿し、クドカンが最強だと唱えている烏丸せつこを超えられるか競う内容だったのだが、回を重ねるうちに趣旨が変わっていった。そして、14年2月4日現在で勝ち残っているのは、津川雅彦である。……もう、何がなんだか分からない。 「お母さんに代わって!」は、投稿をくれた若い女性リスナーと電話をつなぎ、本人とのトークはそこそこに、その母親とじっくり話をするコーナーである。何を意図してこんな内容にしたのか、考えれば考えるほど深みにはまる。 ただ、これがラジオなのだ。何事においても「情報がなければ価値がない」と判断されがちな現在において、「下らない」「意味がない」の一点突破で2時間の番組が作れてしまうのである。 「いやいや、テレビでもできるのでは?」と思う向きもあるだろう。だが、「烏丸せつこ最強説!」を映像付きでやろうとするとどうなるか。まず、権利関係の問題が発生する。映像を流すために、著作権者などの許可を取らなければならない。さらに、最近では出演者本人の許可も必要な風潮になっている。となると、OKしない女優もいるだろう。権利権利とうるさい昨今、「面白い」だけでは企画が通らなくなっているのだ。と同時に、良識がある(と自分では思っている)方々からの抗議も覚悟しなければならない。番組の作り手からすれば、はっきりいって面倒臭い。これらが各種エンタテインメントをつまらなくしている「自主規制」につながっていくのだが、余談なので今回は割愛させてもらう。 ともかく、映像や音声を使わなければ、上記の点は一切気にしなくていい。鑑賞者の言葉から想像を膨らませ、一緒になってリスナーが盛り上がっている分には文句のつけられようがない。しいていえば、「その姿が気持ち悪い」などの意見があるかもしれないが、完全に無視して構わない。なぜなら、そんな発言をする時点で、「私は仲間になれません」と表明しているからだ。リスナーになり得ない人間の意見で軸がブレる。これほど本末転倒なことはないだろう。 「お母さんに代わって!」も同様である。映像ありでやろうとすると、相手の元へカメラが行き、「画作り」が始まる。「娘さんは1カメで撮るので、目線はそっち。お母さんは2カメで撮るので、顔をあっちに向けるように」的な指示である。そして映像の世界では、画作りが出演者の行動を制限することがままある。「カメラのフレームに入らないから、この範囲内で動いてください」なんてことが、平然とまかり通ってしまうのだ。そんな不自然な姿を見て、面白いとは思えないだろう。何より「お母さんに代わって!」は、声だけだから笑えるのだ。映像があったら想像の余地がなくなる。結果、一部の嗜好の人にしか楽しめない内容になってしまう。 もちろん迫力を伝えるには映像のほうが優れているし、画で見せれば誰にでも分かるといった長所はあるので、「映像はすべてダメ」といっているわけではない。ただ、音だけでも楽しめる方法があると、頭にとどめておいてほしいのだ。 話を『宮藤官九郎のオールナイトニッポン GOLD』に戻そう。 この番組の面白さは何かを突き詰めていくと、「中学生がそのまま大人になって遊んでいる」感に行き着く。クドカン監督の映画『中学生円山』のテイストが、音声だけのメディアで繰り広げられていると考えてほしい。 また、フリートークでは、脚本家としても役者としても売れっ子であるクドカンの私生活が垣間見える。芝居の共演者との関係や稽古場であった妙なこと、さらには娘と遊んだときの様子など、他メディアでは聴けない話も満載だ。ラジオファン、クドカンファンだけでなく、演劇好きや業界通ぶりたい人も必聴の番組といえよう。 (文=豊田拓臣/文中敬称略)大人計画 公式サイトより
稀代のイジられキャラ・狩野英孝を“泳がせる”壮大な長尺コント『バカリズムのオールナイトニッポンGOLD』
当代随一の“イジられキャラ”狩野英孝の取扱説明書が更新された。しかし、書き換えた主は意外にも、縦横無尽にツッコむ剛腕司会者ではない。むしろその対極に位置する、ボケの世界の住人・バカリズムこと升野英知である。つまりそこにあるのは、「ツッコミ対ボケ」という、笑いの典型的な構図ではない。12月9日、『バカリズムのオールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送 毎週月曜22:00~24:00)にゲスト出演した狩野は、升野の繰り出す質問によって巧みに「泳がされる」ことで、秀逸な迷言・妄言を連発することに成功した。 この日の放送はスペシャルウィークにつき、特別編成の3時間スペシャル。その中の1時間を、番組は狩野に費やした。「費やした」という言葉が、これほど相応しいケースも珍しい。何しろそこには、中身などひとつもなかったのだから。 番組中盤、ゲストとして呼び込まれた狩野はまず、「テレビでは話さない、狩野さんの素顔に迫りたい」と、升野からその主旨を告げられる。この時点で、これ以降の会話が芸人同士の馴れ合いではなく、一定の距離を保ったインタビュー形式であり、ドキュメンタリーであることが決定される。なんの前触れもなくバカリズムワールドが立ち上がり、狩野ワールドを完全に飲み込んだ瞬間である。 だが次の瞬間、いきなりそのバカリズムワールド崩壊の危機が訪れる。「僕はそういう風には思ってないですけど、テレビだと割と飛び道具的な部分もあるじゃないですか?」という升野の質問に対し、狩野が「パーティーグッズ扱いね」と、思わぬ自覚を明かしたのである。まさかの展開である。自分自身を客観的に把握されてしまうと、このコントは終わってしまう。 状況を立て直すため、升野は「今おいくつなんですか?」という、恐ろしくどうでもいい質問を放つ。だが、そのどうでもいい流れが功を奏し、続けて放った「ひとりっ子なんですか?」という問いに、「ふたりっ子です!」と即答する狩野。いよいよエンジンが掛かってきた。手応えを得た升野が一歩踏み込んで、「イジられるという部分はあったんですか?」と訊くと、「いやいやいやいや、そんなの一切ないですよ!」と断言し、「クラスでのパーティーグッズ的なポジションではなかったんですか?」という質問には、「ないないないないないない」と食い気味に6回否定する狩野。冒頭の「パーティーグッズ扱い」に対する自覚症状はなんだったのかという、摩訶不思議な立ち直りっぷりである。そして、いよいよ狩野らしい自己肯定感の強いフレーズが、期待以上の極小スケールで放たれる。 「学級会でも、相当回してましたからね、僕」 学級会をまるで『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)のように語る、この「針小棒大」感こそが狩野の真骨頂である。映画学校時代には、「レボリューション」というあだ名で呼ばれていたらしい。 さらに、これまた誰も興味のない狩野の恋愛話の流れから、「バレンタインのチョコを最高何個もらったことがあるか?」という升野の問いに対し、「それ、お母さんも入れていいんすか?」「入れてよかったら、3かな」と、自慢気に答える狩野。返す刀で升野は「じゃあ、2もらったってことですね」と、無駄に膨らんだ内容をきっちり整理する。“わざわざ足したものを引く”という、完全に不毛なプロセスが生む、この絶妙な不条理感。これぞ、天然キャラのポテンシャルを巧みに引き出す、升野流「泳がせ術」の真髄である。 それにしてもこの、「お母さんも入れていいんすか?」という狩野の提案は、やはり天才的だ。とにかく数を増やすことでスケール感を出したいのだろうが、「この分だけ増やしますよ」と自ら宣言してから増やした分は、カウントされないに決まってる。思考回路のスタート地点とゴールがまったくつながっていないというのは、やはり一種の才能だと思う。幼稚なだけかもしれないが。 その後も狩野の武勇伝は尽きることなく引き出され、「高2のとき、病院の屋上で先輩にボコられた(理由は『弁当屋の前を女と歩いていたから』)」「新百合ヶ丘の駅前でやったストリートライブで100人以上集め、それが『新百合の幻の伝説』と呼ばれている」「マセキのライブで何カ月もスベり続け、スベりストレスで血尿が止まらなくなった」等、気がついてみれば、どこまでが本当でどこからがウソだかさっぱりわからない「ファンタジックなドキュメンタリー」という、新ジャンルを開拓。狩野の去り際になってようやく、このインタビューのテーマが「『ラーメン、つけ麺、僕イケメン』が生まれるまで」という、壮大なんだか小さいんだかわからないものであったことが明かされ、腑に落ちない狩野を尻目に、1時間にわたるインタビュー形式の長尺コントが完成する。 狩野が去った後、番組のラストで升野は、「新しい絡み方を聴いてしまったから、ちょっと聴いてる人たちの脳が疲れたかな」と語っていたが、まさにそんな斬新な角度がスリルを生むような、これはちょっと革新的な放送だった。リスナーとパーソナリティーが共犯関係にあってゲストを陥れているという感覚は、紛れもなくドッキリの構図ではあるが、ゲスト本人はただ自分にとっての事実(それが「真実」であるかどうかは別にして)を話し、騙されたという自覚もなく帰ってゆく。そういう意味でこれは、ドッキリでもドキュメンタリーでもコントでもない。あるいは、それらすべてなのかもしれない。 (文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>) ◆「逆にラジオ」過去記事はこちらから『バカリズムのオールナイトニッポンGOLD』
「大モテない先生」の結婚という危機をも容赦なき笑いに変える『JUNKサタデー エレ片のコント太郎』
しゃべりと笑いと音楽があふれる“少数派”メディアの魅力を再発掘! ラジオ好きライターが贈る、必聴ラジオコラム。 ひとりの芸人の結婚により、非モテの共同戦線に衝撃が走った。11月16日深夜に放送された『JUNKサタデー エレ片のコント太郎』(TBSラジオ 毎週土曜深夜1:00~3:00)の番組終了間際、パーソナリティーのひとりであるエレキコミックのやついいちろうとタレント・松嶋初音の結婚が、思いがけずサラッと発表されたのである。果たしてこれは非モテの希望なのか、裏切りなのか? 客観的に見れば、これはもちろんいち芸人の結婚に過ぎない。しかしやついは、番組内で「大モテない先生」と崇め奉られ、先陣を切って非モテの本音を吐露することで多くのリスナーを惹きつけてきた。もちろん、すべては聴き手とのあうんの呼吸を前提とするユーモアであり、全体が丸ごと一種のコントとさえいえるかもしれないが、その根底に「モテない」「モテたい」という共感が横たわっていたのは間違いない。番組HPにも、《JUNKの中でも抜きん出てモテない3人がお送りする、モテの下流社会ラジオ》という文字が躍っているように。 そもそも、深夜ラジオはいつから非モテのものになったのか。たとえば昔の人気番組であったビートたけしやとんねるずの『オールナイトニッポン』には、少なくともパーソナリティー側に非モテ感はほとんどなく、むしろスター然としたモテ感のほうが強かった。リスナーの投稿ネタは今と変わらず非モテ感満載だったが、構図としては、モテの先輩としてのパーソナリティーが、非モテの童貞リスナーたちの言動を、自らの青春時代に照らし合わせて笑い懐かしみながら引っ張ってゆくという形だった。 そう考えていくと、やはりターニングポイントとなったのは、伊集院光のブレークだろう。彼以降、パーソナリティー自身の「現役非モテ感」が、リスナーの共感と信頼を勝ち得るという図式が一般化する(もちろん語り手の話の面白さが大前提だが)。とはいえそんな伊集院も、やついと同じくタレントと結婚しているのだが。ちなみに、いま最も「現役非モテ感」のあるパーソナリティーといえば、ナインティナインの岡村隆史だろうか。 つまり冒頭で「非モテの共同戦線」といったのは、そういった「パーソナリティーとリスナーが同じ非モテの地平でつながっている状態」を指すのだが、では『エレ片』はその戦線崩壊という危機に、どのようなスタンスで立ち向かったのか? 先々週の投げっぱなしの結婚発表を受けた先週の放送はまさに、リスナーのそのような問題意識を受けて立つような興味深い内容だった。 この日の放送はまず、「エレ片の結婚ト太郎」という、緩めにもじったタイトルコールから始まった。実は結婚発表後のポッドキャストで、「エレ片」の「片」ことラーメンズの片桐仁は、自分だけやついの結婚を知らされていなかったことにマジギレし、「やついは昔から隠すから」「腑に落ちない」「疎外感がすごい」などと完全にすねていたのだが、ここでは別人のように朗らかに番組タイトルを叫ぶという意外な幕開け。となれば、このままぬるいお祝いムードで番組が進むのかと思いきや、やついの相方である今立進が徐々にリスナーの鬱屈した気持ちを代弁し始める。「『モテない』ってとこで生きててほしかった」「『モテない』の走りが速すぎて背中が見えないやついさんでいてください!」「モテない(ウサイン)ボルトでいてください!」と、非モテのトップランナーを惜しむ言葉を連発。浮ついた祝福ムードは、すっかり雲散霧消する。 一方で、片桐も負けてはいない。「奇跡っちゃ、奇跡ですよね。結婚ってこと自体が」「『こんな奇跡がありましたよ』ってのを、リスナーも体験できたわけだからね」と完全に上から目線の皮肉を浴びせ、今立の「映画化したほうがいいよ、映画化」という決定打を導き出す。今立の口からはさらに「俺はアルフィーの高見沢さんになる」という、誰も求めていない永遠の王子宣言まで飛び出し、やついの結婚を「事実」から「ネタ」へと鮮やかに調理して番組に取り込んでゆく。 それ以降も、リスナーからの罵詈雑言(「やついさんは、もう死んじゃうんですよね?」「死刑宣告と同じ」「これはどう考えても詐欺です」等)まみれの祝福メールを読み上げ、さらにはわざわざ声優をスタジオに呼んで、結婚までの道のりを悪意に満ちた視点から異様にぶ厚くラジオドラマ化してイジり倒した挙げ句、最終的には今立も片桐もすっかりやついの結婚に飽きて興味を失い、「先週のことのよう」とまで言い放つに至るという、めくるめく展開。結婚という事実をネタとして徹底的に消費し尽くすことで、リスナー間に漂う、得も言われぬモヤモヤ感を笑いに乗せて吹き飛ばし、いったん状況をリセットしてパーソナリティー3人のフォーメーションを再構築することに成功しているように思えた。 ラジオは本音のメディアだとよくいわれるが、さすがにここまで剥き出しに、容赦なく味方を追い込む番組は滅多にない。しかし、その容赦のなさこそが面白さであり優しさでもあるという、そういう過酷な状況の中で信頼を獲得しているのが芸人という人たちなのだと、この回を聴いてあらためて痛感させられた。もちろん今後は、特に非モテ感の扱いにおいて方向性に変化が生じてくるかもしれないが、この3人の手に掛かれば、あらゆる事実はネタとして笑いに昇華されるに違いない。むしろ、この結婚を機に3人の関係がどう動いてゆくのかに興味が湧く。 (文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>) ◆「逆にラジオ」過去記事はこちらから『JUNKサタデー エレ片のコント太郎』
現在進行形で動き続ける、奇術的トークステーション『久米宏 ラジオなんですけど』
しゃべりと笑いと音楽があふれる“少数派”メディアの魅力を再発掘! ラジオ好きライターが贈る、必聴ラジオコラム。 『報道ステーション』(テレビ朝日系)を見ているといまだに、「このニュースについて、久米宏なら何を言うだろう」と考える。それは古舘伊知郎の切れ味の悪さに対する不満であると同時に、久米の鋭さが視聴者に遺した確かな副作用でもある。だがその副作用には、絶好の特効薬がある。『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ 毎週土曜13:00~14:55)というラジオ番組である。 近年はテレビにほとんど出なくなった久米の、現在唯一のレギュラー番組である。ラジオというメディアは基本的に、しゃべり手のポテンシャルを引き出すという機能を持つ。中には大御所が「昔取った杵柄」をただ振り回すだけのラジオ番組も存在するが、この番組における久米は、むしろ新鮮味にあふれている。 この番組において久米の面白さを最も高純度で引き出しているのは、12分間にわたるオープニングトークである。彼の話術の最大の特徴は、「話題が動き続ける」ことにある。毎度12分の長尺の中で、政治・気象・宇宙・スポーツ・カルチャー等々、あらゆるジャンルを自在に横断しつつ複数の話題が入れ替わり立ち替わり登場するのだが、その展開は、ひとつの話が別の話題に「変わる」ことの連続というよりは、やはり話題が「動き続ける」という方が感触的に正しい。完全に転換するわけでも、完全につながっているわけでもない。その絶妙な按配がスリルを生む。 たとえば9月の放送では、まもなく日本シリーズが行われるというスポーツの話題から、「にっぽんシリーズ」か「にほんシリーズ」かという発音問題へとつなぎ、そこから自身のアナウンス学校時代の思い出話へ突入。自分たち新入社員がアナウンス学校でやっていたのは「毎日恥をかくこと」であり、一緒に恥をかいた者同士に生まれる「同期愛」や「連帯感」というものがある、という話へ。そして最後には、会社は違うが同期入社のあのアナウンサーの名を「Mもんた氏」と無意味なイニシャル混じりで挙げ、「擁護するわけではないですけど、同じ年に同じように恥をかいたと思うと、ある種の連帯感というものがある。ただの連帯感ですけど」と複雑な余韻を残してオープニングトークを終えた。 タイムリーなスポーツの話題から入り、自身の思い出話を経て、最後に再びタイムリーな芸能の話題に戻る、という「現在→過去→現在」という時間の往還も見事だが、実は最後の「Mもんた氏」の話題は現在形であると同時に過去の思い出話でもあって、最終的に最も刺激的な話題で現在と過去を包括するという理想的な形で終えている。さらには時制の問題だけでなく、彼の場合、自身と話題との距離感というのも自由自在で、世間的なニュースと自身の身のまわりの出来事が同次元で語られる。この場合であれば、スポーツと芸能ニュースの間にプライベートな話題が挟まれる形になっているが、やはりラストの「Mもんた氏」の話は、芸能ニュースであるとともにプライベートな話でもあるという二重構造になっている。 また、正月一発目のオープニングトークでは、マグロの初競りの話が資本主義原理の話になりマグロの睡眠の話になり、突如目の前のアシスタント堀井美香アナの居眠り疑惑へと発展したのち、総務省の睡眠調査データを持ち出してきて検証した結果、堀井アナはやはり秋田美人だという地点になぜか着地するという、至極アクロバティックな展開。またある時は、ベテルギウスの話がいつの間にやら「小説すばる」(集英社)の話(星つながり)になっていたり、中村勘三郎の話が足利義満にたどり着いたりと、動きながらパスをつないだその先にファンタジーを生み出していく筋立てには、まるで久米自身がよく話題にする欧州最先端のフットボールを目撃しているような興奮がある。 とはいえもちろん、毎度そこまで超難度のアクロバットが決まるわけではなく、特に複数の話題をつなげようという意志が感じられない回もあれば、着地がふわっと流れる場合もある。だが、そんなときにもトークが魅力的に感じられるのは、その展開力や表現力だけでなく、彼の情報収集能力によるところが大きい。そしてその基盤には、彼の「現在形の情報に対する異様なまでの貪欲さ」がある。 そもそもこの風変わりな番組タイトルには、「ラジオなんですけど、テレビの話をしよう」という意味が込められていたという。フリートークでも最近見たドキュメンタリーやニュース、ドラマの話から入ることが多いが、いずれにしろ昔のものではなく、今やっている番組が取り上げられることが圧倒的に多い。ほかにも新聞、本、映画、インターネットなど、あらゆるメディアから得た情報、あるいは自身の日常体験をきっかけに話が進められるが、彼の視点は常に現在を中心に捉え続けている。 歳を重ねるにつれて価値観が凝り固まり、現在の情報に対して閉じた状態で独断を述べる傾向は一般に間違いなくあるが、今の久米は69歳にして、おそらく現在の世界に対して最も開けた状態にあるのではないかと思わせるほどに、あらゆる情報を次々と貪欲に取り込んでいる。やはり仕事を減らしたことにより、自由に使える時間ができたことが大きいと思われるが、その話の端々から伺える博識っぷりは並大抵ではない。 そして知識もやはり、獲れたてが一番おいしい。見た直後のテレビの話や読んだ直後の本の話というのは、なぜか面白い。仕入れたばかりの知識にはまだ確かな熱が残っていて、内容だけでなくそのテンションまで丸ごと相手に伝わるのだろう。だからこの番組には、現在と併走し続ける臨場感があり、動き続ける久米宏の現在進行形がここにある。彼はなお自らを更新し続けている。 (文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>) ◆「逆にラジオ」過去記事はこちらから『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ)
タモリのドーナツ化した個性を築き上げた「なりすまし力」という才能『われらラジオ世代』
しゃべりと笑いと音楽があふれる“少数派”メディアの魅力を再発掘! ラジオ好きライターが贈る、必聴ラジオコラム。 タモリほど個性が強いのに、適応力のある人間はいない。基本的に相反するこの2つの要素がタモリの中で平然と両立しているのは、実はタモリの持つ個性が、一般にいわれる個性とは基本的に異なるからだ。彼の個の中心は、常に空洞化されている。そのドーナツの中心にある穴こそが、タモリである。 『笑っていいとも!』(フジテレビ系)終了を電撃発表した翌日から、タモリが5年ぶりのラジオ・パーソナリティーを務める番組が3夜連続で放送された。ニッポン放送開局60周年記念番組『われらラジオ世代』(ニッポン放送 10/23水曜~10/25金曜21:00~21:50)という大仰な名を持つその番組は、しかしいかにもタモリらしい密室的な「個」を感じさせる内容だった。 この番組は「ラジオの現在、過去、未来を語る」というコンセプトで、それぞれの曜日に久保ミツロウ&能町みね子、笑福亭鶴瓶、ももいろクローバーZをゲストに迎えてトークを展開する、というものだが、タモリにかかれば核となるコンセプトなどもはや関係がない。そこにあるのは、ゲストとの対話によって導き出される秀逸な「こぼれ話」の集積であり、中心ではなく辺縁にこそ、彼の面白さの本質がある。 番組は生ではなく事前収録されたものであり、ゆえに『いいとも』終了の件には一切触れていない。だがそんな目先のこと以上に、タモリの過去、現在、未来を貫く本質的な哲学が、なんでもない周辺から、どうでもいいようなふりをして語られる。 初日の放送では、久保&能町を相手に、タモリ流の摩訶不思議な人間関係学が披露された。タモリが『オールナイトニッポン』をやっていた頃の話になると、「いろんな悪口ばっかり言ってました」と懐かしみ、「悪口言ってると(相手が番組に)出てきてくれる」「出てきたら結構面白い。いまだにつき合いありますけどね」と意外な場所へと着地する。今でいうと、完全にドランクドラゴン鈴木拓的な「炎上ビジネス」だが、敵(のちに味方)は近田春夫や井上陽水といった売れっ子の猛者たちである。なんと覚悟の据わったイタズラ心だろうか。 さらに話は、「悪口言って、随分得したことがあるんですよ」と続き、「ワインが嫌い」だと言えば、食通の小説家が「最高級のものを飲ましてやる!」と息巻いてヨーロッパからワインを持ってきて飲ませてくれ、フランス料理もブランデーもその方式で最高級のものを味わえたという。その話を聴いた能町が「『まんじゅう怖い』みたいですね」といったのはまさに言い得て妙だが、結果としてそこからワイン好きになるのではなく、「一番いいのを飲んだからワインはもう(飲まなくて)いい」と、最終的に「無に帰す」のがいかにもタモリらしい。 2日目の鶴瓶との対話では、さらに人間タモリの本質に迫る言葉が不意に登場する。30歳で芸能界入りしたタモリは、歳下の鶴瓶や、さらには明石家さんまよりも芸歴では後輩であるからややこしい、という話の流れから、「(歳下の先輩に対し)どこでなし崩しに先輩面をするかが、この世界に入ったときの第一命題だった」と、タモリの口から思わぬ告白がこぼれた。鶴瓶はその言葉がにわかには信じられぬようで、「悩んでたん?」と何度も確認していたが、そこで「悩んでた風を出したら、ますます乗り遅れるから」と答えるタモリは、やはり一枚上手だ。その後、「入って4~5年目で『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)の審査員やってた」という今では考えられない話に至り、いよいよタモリの本質を突く、決定的なフレーズが本人の口から飛び出す。 「俺の本当の芸は『なりすまし』ってやつだよね」 確かに、タモリの持ち芸である4カ国語麻雀もインチキ神父もイグアナのものまねも、紛うかたなき「なりすまし」の極致である。その能力は、赤塚不二夫や山下洋輔や筒井康隆など、彼を東京に連れ出した才人たちからの無茶ぶりに即応することで鍛え上げられたものであると同時に、そういう稀有な力を持っているからこそ、彼は東京に引っ張り出されたともいえる。タモリはいまだに、タクシーの運転手相手に医者になりすますなどして楽しんでいるという。新聞を読むのも、あらゆる職業になりすますためだと。 あるいは『いいとも』司会者という30年以上にわたる「昼の顔」も、長すぎる「なりすまし」だったのかもしれない。そう考えたのは、番組最終日のももクロを迎えた回では、最初の2日間と違い、彼の個性よりも「昼の顔」的な適応力が前面に出ていたからだ。 終始ももクロのペースで進められたこの日の会話は、タモリの話を心待ちにしていた人間にとっては、正直物足りないものだった。タモリは前日の鶴瓶との会話の中で、ラジオの魅力について、「過剰に盛り込むことはいらない」「自分の外に出すもんじゃなくて、心の中で自問自答してるようなことを乗せたほうが面白い」と語っていた。最終日のにぎやかな放送はそれとは真逆の方向であるように聞こえたが、ここであえて自分を出さず、司会者の役割に徹するその適応力こそが、タモリを密室芸人から「昼の顔」に押し上げたということもできる。そしてその適応力とは、つまり「なりすまし力」のことでもあって、それは間違いなく彼の個性の本質でもある。タモリの中で、個性と適応力は一体化している。 タモリはこの週、同局の昼ワイド番組『上柳昌彦 ごごばん!』で旧知の上柳アナからインタビューを受け、「やる気のある者は去れ!」という自らの言葉に続けて、こんなことを言っていた。 「やる気のある奴っていうのはね、中心しか見てないんだよね。お笑いってのは、だいたい周辺から面白いものが始まっていく。やる気のある奴はそれを見てない」 ちなみにその昔、『オールナイトニッポン』でタモリはこう言った。 「思想をまとってくる者ほど愚劣な者はない。一番悪い奴は、最初に思想をまとってやってくる」 つまりこれは、「思想を持たないという思想」である。自らの中心を持たないという思想である。彼の個性に中心はなく、周辺しか存在しない。その個は巧妙にドーナツ化されている。彼はその中心の穴から周辺を眺め、面白いものを常に探している。そしてドーナツは、穴が開いているからおいしい。その真ん中の穴こそが、タモリなのである。 (文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>) ◆「逆にラジオ」過去記事はこちらから『タモリ』(Sony Music Direct)
不慣れなラジオの世界に切り込む、大喜利王者の一番槍『バカリズムのオールナイトニッポンGOLD』
しゃべりと笑いと音楽があふれる“少数派”メディアの魅力を再発掘! ラジオ好きライターが贈る、必聴ラジオコラム。 あのバカリズムが、ラジオで意外にも初々しさを炸裂させている。初々しさとはつまり、ある種の違和感であり、かわいげであり、アナーキーさでもある。リスナーによるネタ投稿を重視する芸人ラジオとバカリズムが得意とする大喜利との親和性を考えると、むしろなぜこれまで彼がラジオという場所にコンスタントな活動の基盤を持たなかったのか不思議なくらいだが、この10月から始まった『バカリズムのオールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送 毎週月曜22:00~24:00)は、バカリズムにとってラジオで初めての、まさしく「待望の」レギュラー冠番組である。 バカリズムの発散する初々しさは、自らも番組内で認めているように、実のところラジオに対する「不慣れ」から来ている。3度の単発放送を経てのレギュラー化ではあるが、まだまだ十分に不慣れである。それは、ラジオパーソナリティーとしての経験値の少なさによるものであると同時に、ラジオリスナーとしての経験不足によるところが大きいだろう。実際、バカリズムは芸人には珍しく、これまでラジオをあまり聴いてこなかったという。彼のネタのニッチな方向性からすると、ラジオの投稿職人上がりだといわれたほうがむしろ自然なくらいだが。ちなみにそのコントの作り込み具合と映画学校出身であることから、映画もさぞたくさん見ているだろうと思われがちだが、こちらもそんなに見ておらず、30過ぎてから『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をようやく見て、おすすめ映画に挙げたら笑われたという。 さらにはラジオや映画だけでなく、各方面の情報に疎いらしく、大人気朝ドラ『あまちゃん』(NHK)も見ていないため、NHKのレギュラー番組に出演者が来た際にはリアクションに困り、「ですよねー」と「そうそう」という当たり障りのない相づちでなんとか乗り切ったと語る。『半沢直樹』(TBS系)も見ていないから「倍返しだ!」とカマされてもさっぱり乗れず、「お・も・て・な・し」もいまだによくわかってないから「どうやら、滝川クリステルさんが放ったギャグなんですよ」と、いい感じの誤解を表明してみせる。 つまりこの人にとって、不慣れであり情報に疎いということはある種のデフォルトであって、さほど珍しい状態ではないということである。この状態で頻繁に単独ライブを開催するほどのネタを高水準で生み出し続けているというのは信じがたい事実だが、むしろ「まっさらな状態で物事に向き合える」という創作上のメリットがあるというのもまた間違いない。それは彼のように「物事に新たな角度を見出す」タイプの人間には必要不可欠なスタンスである。 たとえば、バカリズムには「都道府県の持ちかた」という代表的なネタがある。彼は以前、伊集院光の番組にゲスト出演した際にその発想の源について訊かれ、「たまたま部屋に貼ってあった地図をボーッと眺めていたら、どこに何県があるとかわからないから、都道府県が情報ではなく『形』として目に飛び込んできて、持つとしたらあそこだよなぁ」と思ったのがきっかけだと語っていた。情報が頭に入っていないからこそ、プレーンで新たな視点を獲得できるという、まさに彼の創作スタンスを象徴する好例だろう。もちろん、最後の「持つとしたら」の部分へたどりつくには、常人にはなし得ない飛躍が必要だが。 そんなバカリズムの創作姿勢を踏まえてこの『オールナイトニッポンGOLD』を聴いてみると、彼の不慣れに感じられる部分が、実は新たな視点を獲得するための強力な武器であることが見えてくる。 基本的に彼はまだ、「ラジオならではの距離感」に取り込まれていない。それが不慣れであり初々しくも感じられる最大の要因なのだが、あらゆるジャンルには特有の距離感というものがあって、それはリアルとSNS上の人間同士の距離感がまったくの別物であるように、ラジオにも独特の距離感というものがある。その距離感はその世界においては「常識」になっているから、そこに新たな基準を持ち込むと、一時的に受け手の混乱を招いたりもする。 実際、レギュラー放送初回の冒頭でバカリズムは、リスナーからの「なんとお呼びしたらいいですか? 好きな呼ばれ方はありますか? もしくはリスナーとわかる呼び方を新たに決めるとか」という内容の、ラジオでは良くあるタイプの距離感を詰めてくるメールを途中まで読んだ上で、「長い!」のひとことで一蹴するという、会心の一撃をいきなり繰り出した。結果として、このやりとり自体が「ありがちなラジオ」に対するパロディとして成立しており、すでに互いの距離感が確定している状態であれば温かい笑いが生まれるはずなのだが、その後リスナーからは、「オープニングでバッサリとリスナーを切り捨てる姿に足が震えています。バカリズムさんは僕たちのことが嫌いですか?」「バカリズムさんは長いメールが嫌いということで……」という怯えたメールが寄せられるという不測の事態に。 とはいえ確かに、この手の質問メールは半ば儀礼的なもので、特に面白く答えようのないものであるという判断は、おそらく正しい。ちょっと厳しいように感じるかもしれないが、これはリスナーを単なるファンとしてではなく、対等な対話相手としてその実力を認め、尊重するというスタンスの表れでもある。その証拠に、彼はコーナーに寄せられたそれぞれのメールに対し、非常に分厚いコメントをつけ加えて笑いを増幅させる。たとえばエロに関する偏見を募る『エロリズム論』のコーナーでは、「好きなアーティストを訊かれたときに、『誰も知らないと思うけど』を枕詞にしてマイナーバンドを答える女はマグロだ」という投稿に対し、「超わかる」「優越感に浸ってる顔」「サブカルぶってる女の感じ」「わかったわかった、はい詳しい詳しい」「マグロでもカジキマグロ」「貞操観念ゆるいくせにマグロ」「で、乳首が長い」「全然、歳言わない」「会う人によって歳変えてたりする」と、異様に元ネタを深追いして自身の偏見を乗っけまくるシンクロ率の高さ。 かと思えばやはり厳しい部分もあって、各コーナーごとに「面白がり方は発想というよりもチョイスの部分」「変にうまいことたとえるのではなくて、もっと不条理な感じ」などと、もちろん初回というのもあるが、リスナーに踏み込んだ方向性のアドバイスまで授けている。普通は「投稿者任せでコーナーの方向性がその都度変わっていき、収集がつかなくなった時点でコーナー終了」というパターンの番組が多いのだが(それはそれで面白い)、ここまでやるのは、かつて『JUNK』(TBSラジオ)をやっていた頃のアンタッチャブル柴田以来である。しかしこの遠すぎたり近すぎたりするバカリズム独特の距離感は、いずれにしろリスナーのセンスを尊重した姿勢と見るべきだろう。結果として投稿者のモチベーションはかなり上がっているはずだ。 それ以外にも、番組内に挿入される2度のニュースを読み上げる報道部のデスクの女性に異様に興味を示し、「2回目のニュースまでの間、何してたんですか?」「『デスク』って格好いいですよね」「デスクはみんなあるじゃないですか。僕もデスクあるんですよ家に」と急激に距離を詰める質問を連発するなど、その独特の距離感と角度のある視点は至るところに発揮される。 新しいものは常に外部から持ち込まれるといわれるが、もちろんその世界に一歩足を踏み入れたら、外部の人間も内部の人になる。つまり新参者には、内部にいながらにして外部からの視点を持ち続けることが求められるわけだが、ラジオにとってバカリズムは、話のプロである芸人であり投稿職人気質を持っているという意味では内部に、一方でラジオパーソナリティー経験の少なさ、そして聴取経験の乏しさという意味では、今のところまだ外部の感覚を残している。この先、経験を積むことでいくらか様相が変わるのかもしれないが、そもそも彼は、不慣れで情報のないところから奇抜な発想を立ち上げる魔術師である。その点を踏まえるならば、ラジオがバカリズムを飼い慣らすよりも、彼の外側からの視点がラジオをいい意味で変えてくれるのではないかと、期待が膨らむ。 (文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>) ◆「逆にラジオ」過去記事はこちらから『バカリズムのオールナイトニッポンGOLD』









