5人と不倫! 夫婦で謝罪した乙武洋匡氏の“乱倫すぎた”下半身事情「結婚前からデリヘル常連で……」

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 今夏の参院選で自民党の目玉候補として注目を集めていた乙武洋匡氏の不倫スキャンダルを、「週刊新潮」(新潮社/3月31日号)が報じた。  同誌によると、乙武氏は昨年のクリスマスから、女優の黒木華似の美女とダミーの男性スタッフ1名と共にチュニジアやパリを旅行。同誌がその事実を問いただすとあっさり不倫を認め、過去に5人の女性と不倫していたことも告白した。  また、同誌の発売日の24日、自身のオフィシャルサイトを更新し、「報道された私の行いは、これまで支えてきてくれた妻と、私を慕ってくださっている方々を裏切る行為であり、決して許されるものではありません」などと謝罪。  また、妻・仁美さんも「今日に至るまで二人でしっかり話し合った結果、3人の子どもたちのためにも、あらためて夫婦ともに歩んでいくことを強く決心致しました」とのコメントを掲載し、「妻である私にも責任の一端があると感じております」「本人はもちろん、私も深く反省しております」と謝罪する異例の事態となった。 「教育関係の仕事もしており、選挙のこともあるだけに本来ならば大スキャンダル。ところが、テレビ各局の上層部は政権与党・自民党の目玉候補だけに、当初は“自主規制”して後追い報道するのを見送ろうとした。しかし、乙武氏が素直に認め、謝罪するということで、それなりの扱いをすることを決めたようだ。それでもおそらく25日以降は各局とも扱わないだろうし、選挙にも何事もなかったかのように出馬するのでは?」(ワイドショー関係者)  同誌によると、乙武氏は猥談好きで、「僕は神様から特殊能力を授かった」などと、よく自分の「大事な部分」を自慢しているのだとか。2001年に仁美さんと結婚したが、かなりお盛んだったようだ。 「結婚前から、すでに閉館した都心の大手ホテルチェーングループが御用達で、そこに障害者専用のデリヘルを呼んでお楽しみだったようだ。都内のキャバクラでも目撃談が多く、美女を“お持ち帰り”したこともあったとか」(風俗ライター)  いわゆる“プロの女性”で満足していれば、スキャンダルが発覚することもなかったはずだが……。

“妻の謝罪”にドン引き……5人不倫告白の乙武洋匡氏に、周囲から「5人で済むわけない」の声も

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写真=岡崎隆生
 5人の女性と不倫関係にあったことが発売中の「週刊新潮」(新潮社)で報じらているタレントで作家の乙武洋匡氏だが、周辺から「5人なんて、そんな少ないわけがない」という声が上がっている。  乙武氏を知る雑誌編集者は「彼の女好きは業界じゃ有名だし、5人どころじゃないと思う。結婚前後から別の女性の存在はいつもあったし、みんな障害者だからと気を使って黙っているけど、彼と付き合いの長い人ならみんな知ってるでしょ」と明かし、あるテレビ関係者はSNSで「5人? いやいや僕が知ってるだけでも二桁はいるんだけどw 5人だけ認めればみんなビックリするからそこは疑わないもんね。奥さんに謝罪させるとか、素早く終息させる方法を必死で考えたっぽいのは乙武君らしい」と書いている。  450万部を超える大ベストセラー『五体不満足』(講談社)の著者で、2013年から昨年末まで都の教育委員を務めていた乙武氏は、01年に大学の後輩、仁美さんと結婚。長男(8)、次男(5)、長女(1)の3人の子を持つ父親だ。  しかし「週刊新潮」では昨年末、20代後半の女性とフランス、チュニジアを旅行し、「ダミー」として男性も同行させていたと伝えられている。同誌の直撃に乙武氏は当初、不倫を否定していたが、最終的に「彼女とは3、4年前からのお付き合い」「肉体関係もあります。不倫と認識していただいて構いません」と認め、さらに過去5人の女性との不倫があったと告白したという。  その後、乙武氏は公式サイトで謝罪文を掲載したが、同時に「妻は私を許し、やり直そうと言ってくれました」として妻の謝罪文も掲載。仁美さんは「このような事態を招いたことについては、妻である私にも責任の一端があると感じております」とした。  周囲から「5人どころじゃないはず」といわれる乙武氏の浮気癖、実際のその人数はわからないが、周囲に「テロの現場視察」などと言ってダミーの男性まで同行させていた手口は相当に手慣れたもの。確かにこの方法なら、長い間不倫をしていてもバレなかっただろう。  ただ、乙武氏には過去、不倫疑惑が持ち上がったこともある。3年前に銀座の隠れ家的なレストランで、車椅子を理由に入店拒否された騒動の際は、いつも付き添う介助スタッフがおらず、妻ではない別の女性と2人っきりで、仕事時のスーツ姿でもなかったことなどから「浮気」の現場と疑われていた。  ある業界人は「親しい人には妻に浮気がばれない方法を自慢していた彼が、今回それがバレそうになって入店拒否騒動に置き換えたのは見事な戦術!」とまでTwitterに書いており、騒動が不倫の隠ぺい工作だった可能性も浮上していた。  また、ある人物は同時期Twitterで「乙武の真実。もう10年ほどたちますが、乙武が嫁同伴でグアム旅行した時のことです。夜、女3人買ってました。なぜ知ってるか?それは添乗員が僕の同僚だからさ」などと書いていた。  この頃、実は「週刊新潮」の記者が「乙武さんの浮気をやりたいんだけど、矢口真里の不倫が大きくなって延期」と筆者に話していたことがあった。同誌は、粘り強くこのネタを追い続けていたとみられる。  ちょうど乙武氏は夏の参院選で、自民党と日本を元気にする会の2党からの出馬オファーがあり、本人も「今後、政治という道がベストだと判断する時が来れば、私の中でそういう覚悟をする時が来るのかもしれません」と、前向きな話をしたばかり。新潮が不倫記事を出すには絶好のタイミングだったといえるが、それでも妻にまで謝罪させる本人の対応は、テレビ関係者が言う通り、早い終息を狙ったあざとさが感じられ、ジャーナリストの江川紹子氏もTwitterで「妻に謝罪コメント出させるなんて、サイテーだにゃ」と投稿している。  結婚直前まで3股交際だったと週刊誌に報じられたこともある乙武氏。過去にTwitterの「名作のタイトルに一文字足すとよく分からなくなる」というテーマに、自らの著書名をネタに『五体不倫満足』と投稿していたが、そこに「身体が不自由でも不倫が満足にできる」というような他意はあったのだろうか? (文=ハイセーヤスダ)

「この身体が、被災者のためになるなら」乙武洋匡 自分の感情よりも、美学よりも【3】

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【1】【2】はこちらから ──やはり、テレビが障害者を映さないことで、乙武さんの『五体不満足』の言葉を借りれば「不便をもって生きている人」がたくさんいるという現状が伝わりづらくなっていると思うんですが、そうした中で乙武さんご自身が思うところを聞かせてください。 乙武 最近それこそTwitter上で「カタワ」という言葉を意図的に使っているんですけど、それに対して、差別的用語だから使うべきではないっておっしゃる方が当然いるんですね。僕の意図としては障害者そのものに対する概念を変えていかなければ意味がないと思っていて、最近、障害者の「害」の字をひらがなにして「障がい者」と表記しようという動きが広まっているじゃないですか。「世の中に害になる」とか何とか。僕はあれ、くっだらないと思うんです。そんなことを言ったら、きっと10年20年経ったら今度は障害者の「障」の字は「差し障る」という意味があるからひらがなにしようという動きが出てきて「しょうがい者」って全部ひらがなになっちゃう。だったらそもそも、全部ひらがなにした「しょうがい者」だって「カタワ」だって一緒でしょ、と。障害者に対する概念が変わってないのだから、どんな言葉を使ったって「これは差別的なんじゃないか」って常に考えてしまう。  例えば「背が高いですね」という言葉は一般的にほめ言葉のように使われますけど、それを言われて傷つく女の子って絶対いますよね。モデルさんやバレーボール選手なら、言われた方も喜ぶかもしれない。だけど、目の前のこの人は傷つくかもしれない。それって、みんな普通にコミュニケーションしてたら気付くことじゃないですか。そういうコミュニケーションが、対障害者になると、目の前にいる相手がどう感じるかということはスッ飛ばされてしまって、一般的に「カタワはやめよう、障害者の害の字は開こう」となる。そんな風に一概に否定するんじゃなくて、手足のある人、障害のない人と接するときと同じように、その人の前で使っていい言葉かどうか考えながらコミュニケーションをしようよっていうのが、僕が言いたいことなんです。 ──よく分かります。ただひとつ難しいのが、障害者本人よりも障害児を持つ親のほうがそういう言葉にデリケートになっていると思うんです。「うちの子を傷つけるな」という母親の気持ちって、やっぱり最強のものであって。個対個で話すときは、もちろん相手を慮ってケースバイケースで判断すべきことなんですが、メディアの中でそういう言葉を使っていくときに注意しなければいけない場面は少なくない。実際に、障害者の親たちからテレビ局にクレームが来る、テレビは過度に自粛する、言葉がなくなっていく、障害者という存在そのものが社会からスポイルされていく、という悪循環が起こっていると思うんですが、乙武さんが「大人になった障害者」という立場から、障害のある子を持つ親たちに言えることってありますか。 乙武 そうですね、もし子どもを守るつもりで言葉に敏感になったり、他に対して過剰な要求をしてしまっているんだとすれば、それが本当にその子のためになるのかということを考えてほしいな、と思うんですよね。そうやって障害のある人を特別視する社会、障害のある人を指す言葉に対してあれこれ考えさせるような、つまりは障害のある人を腫れ物を触るような存在にしてしまうことが、本当にこの後、その子にとって生きやすい社会になるのか。 IMG_8584.jpg  確かに僕がTwitterで発言している内容というのは一見過激に見えるし、障害者をバカにしていると捉えてしまう人がいるかもしれない。でも、僕が言っていることが少しでも実現に近づいたら、絶対に障害のある人の生きやすさにつながっていくと思っているから、わざとそうしているんです。  だから、その瞬間、その痛みだけを考えるんじゃなくて......親なんて、先に死ぬんですよ。その子が、その後の社会の中で生きていくときに、どんな社会になっていたら彼らが生きやすいのかってことを、もう少し視野に入れていただくと、「おまえ、カタワだろ」って気軽に言い合える関係性を他と築けたほうが、僕は絶対に楽だと思うんですよ。 ──そうですね、大人は次の世代に社会を遺さなければいけない。子どもたちの話で言えば、今現在も福島の原発周辺にはたくさんの子どもたちが暮らしていて、彼らは大きな悩みと苦しみの中にいると思うんです。なんで親が引っ越さないんだろう、なんで自分は避難できないんだろう、という中で生きている何十万人の子どもたちに今、私たち、日本の大人たちは何を伝えられるのでしょうか。 乙武 うーん......。なんと言うか、今、福島にいる子どもたちを、まるで地獄にいるように語る人たちがいっぱいいて、もちろん、3.11の前と後だったら、前のほうがいいに決まってるし、原発の近くに住むよりも遠くに住むほうがいいに決まっていると思うんですけれど、とにかく、今置かれている状況の中で常にベストを尽くすということしか言えないな、と思うんですよね。海外に目を向けたときに、もっと悲惨な環境の中で生きている子もいっぱいるし、二十歳まで生きられないという子どももいる。子どもたちの役割と大人の役割はやっぱり違うし、子どもたちは、それがどんな状況であれ、自分のできる限りのベストを尽くす、東京の子どもであれ福島の子どもであれ、ルワンダの子どもであれ、とにかくベストを尽くす。大人は、いかにその子どもたちがベストを尽くせる環境を整えてあげるのかってことなんですよね。その、子どもたちにとってベストの環境が何なのかっていうのは、今きっと議論をしている最中だと思うんですけど......。 ──なかなか答えは出にくい。 乙武 そうですね、うん......。ただその、僕自身のこともそうだし、すべての人間がそうだと思うんですけど、現在地の自分に対して肯定できていれば、そこまで生きてきた時間のすべてがプラスに感じられると思うんですよ。つまり、今僕が幸せだなって思えれば、この手足がないことも含めて幸せなんですよね。もし僕が幸せじゃないって感じていたとしたら、きっといろいろなことに原因を求めて、手足がないから幸せじゃないんだとか、そういうことを言い出していたと思うんです。だからこそ、失ったという事実がもう変えられないんだとしたら、今は深い悲しみの中にあり、大きな喪失感に包まれている中でも、これからの心の持ちよう次第で、数年後、数十年後に、幸せだなって感じられるときがきて、振り返れば、あんなこともあったね、あれがあったから自分は強くなれた、あれがあったから僕はあなたと出会うことができた、そういうふうに、プラスに、少しでもプラスに捉えられるように、これからの歩みを重視していくしかないのかな、ということを感じてますね。 (取材・文=編集部/写真=岡崎隆生) ●おとたけ・ひろただ 1976年、東京都生まれ。早稲田大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)が多くの人々の共感を呼ぶ。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、05年4月より、東京都新宿区教育委員会の非常勤職員「子どもの生き方パートナー」。07年4月~10年3月、杉並区立杉並第四小学校教諭として教壇にも立った。おもな著書に『だいじょうぶ3組』、『オトタケ先生の3つの授業』(共に講談社)など。 Twitterアカウント:@h_ototake
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【関連記事】 「誰のための自粛なの?」乙武洋匡の"不謹慎厨"に対する思いとは!? 「誰が小人を殺したか?」小人プロレスから見るこの国のかたち(前編) 「"差別用語"を使って何が悪い?」過剰な自主規制にモノ申す! 

「この身体が、被災者のためになるなら」乙武洋匡 自分の感情よりも、美学よりも【1】

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写真=長谷川健郎
 手足のない乙武くんが、プロ野球の始球式をやるらしい。  それはまるで、タチの悪い冗談みたいな話だった。デリケートな誰かが聞いたら「障害者を侮辱するな」と怒り出すかもしれないような、そんな類の戯言。あるいは、このところ乙武氏自身がTwitterで繰り返し発信しているような、とびきりブラックな自虐ギャグ――。  だが実際、5月6日の楽天イーグルス対西武ライオンズのナイトゲーム、Kスタ宮城のマウンドに乙武洋匡氏は立っていた。サウスポーから投じられたボールはふわりと弧を描き、ライオンズ片岡易之のバットはゆっくりと、その瞬間を慈しむかのように空を切った。  スタジアムは、割れんばかりの歓声に包まれた。「ただボールを投げる」という、健常者にとってはごく普通の動作が、やはりとことん普通ではなかったのだ。  この始球式が乙武氏にとって、震災後初の被災地入りの機会だったという。この日のKスタを含め、茨城、福島、宮城を回った彼の被災地訪問は『希望 僕が被災地で考えたこと』(講談社)という本になった。講談社26階の会議室に乙武氏を訪ねると、あの日ボールを投げた短い短い左腕を器用に操って、ごく普通に携帯電話でTwitterにメッセージを打ち込んでいた。 ──今回、被災地を訪れるにあたって「自分に何ができるのか」という、大きな葛藤があったそうですが。 乙武洋匡(以下、乙武) そうですね。震災が起こってから、ずっともどかしい思いがありました。Twitterを見ていると、友人たちが救援物資を持って被災地に行って、炊き出しのボランティアをしたり、がれきの撤去のお手伝いをしたりしていて。自分だって行きたい、という気持ちはあったけれど、いったい僕が行って何ができるんだ、かえって足手まといになるだけだろうと。ずっと悔しかったんですよ。でもだんだんと報道で、食料や必要最低限の生活物資が揃ってきたというのが分かったときに、今度は被災者の方々が前向きな気持ちを取り戻していくことが重要になっていくのかな、そのためのお手伝いなら僕にもできるのかもしれないな、と思えるようになってきた。それが4月の後半くらいですね。 IMG_8610.jpg ──ご友人で女優の水野美紀さんがボランティアに行った際に「自分がテレビに出ている人だから喜んでもらえた」と感じられたというお話がきっかけになったとか。 乙武 やっぱり水野さんと同じように、自分がテレビに出ている、知られている人間であるということのメリットというか価値のようなものもあると思うんですけど、また他の芸能人の方たちと僕が違うのは、僕が普通にしているだけで力を感じ取ってくださる方がいっぱいいるんですね。僕は小さいころから、普通にしているだけでほめられることが多かった。字を書いた、ご飯を食べた、歩いた、というだけで、「すごいね、そんなこともできるんだ」と。それはつまり、障害者だから何もできないだろうという前提があるからなんですが。  例えばね、僕、普段東京で町を歩いていて、突然おばあちゃんに拝まれたりするんですよ。おかしな話じゃないですか。でもきっとそれは、いろんな経験をされてきた方にとっては、こうしていろいろなものを失った身体で生きている人間を見ると、頑張っているんだな、自分もがんばらないとな、と思ってくださるものなんですよね。それは、これまでいただいたお手紙やメールでもすごく感じていて。 ──楽天の始球式を引き受けたのも、そうした思いから。 乙武 実際楽天からは、マウンド上にピッチングマシーンを設置して僕がそのスイッチを押すとか、逆に僕がバッターボックスに立ってプロのピッチャーに投げてもらうとか、相談の過程ではいろいろなアイデアがあったんです。でも、僕自身が「自分で投げさせてほしい」とお願いした。僕がこの短い腕とほっぺたの間でボールを挟んで投げる姿を見ていただくことで、乙武もいろんなものを失ったけれど、残された部分でああやってボールを投げてるんだ、私たちも確かにいろいろなものを失ったけれど、この残された命と残された人のつながりで、もう一度頑張っていこうと、そんな気持ちになってくださるなら......と。 ──その始球式をテレビで拝見しましたが、ものすごいビジュアルインパクトでした。正直に言えば、いろいろな感情があって、それはどこか後ろめたさ、あるいはこの風景を見て喜んでいいのか、という気持ちは湧いてきたんですけれど、それよりも、伝える力というか、ものすごく大きな感情が表現されていると感じたんです。でもそれは、これまで「自分は普通のことをしているだけだ」と言い続けてきた乙武さんが、ご自身の障害を利用することでもありましたよね。 乙武 今まではやっぱり、僕自身の感情とか思想、哲学のようなものの中では、それはきれいじゃないな、美しくないな、という思いがあったんですよね。でも今回いろいろ考えていくうちに、今優先されるべきは僕の感情でも思想でもなく、被災地の方々だなと思ったんです。そう考えたときに、僕の考えに多少そぐわなくても、僕自身がそこに対して拭いきれない気持ちがあったとしても、そんなことより優先されるべきは、僕がそれをすることで実際に力を与えられる人間がいるという事実なのかな、ということなんです。 ――それは今回の震災を経て、新たに芽生えた自覚というか、もしかしたら人生の中でも大きな転換点になるものなのでしょうか。 乙武 そのご質問で言うと、答えはまだ出ていないですね。この先も、被災地に対してだけでなく、普段の行動、普段の生活からそういった考えができるようになれば、それは人生の転機と言えるかもしれない。だけど、今回、被災地の方々に対して力になりたいという思いから、僕は特例的にそういうことをしたのかもしれない。今はまだ、ちょっと分からないです。 ──少なくとも今回に限っては、多くを失ったご自身の身体を見せることで、被災者に元気を与えることができた。 乙武 僕は二十歳のときに、なんで僕には手足がないんだろう、と考えたんですね。僕だけ違うということは、こういう身体を与えられた人間にしかできないことがあるんじゃないのかな、だから自分にしかできない活動をしていこう、それがここ15年間の僕のポリシーなんです。  ただ、そこで単純に「だから被害に遭われた方もそういう風に頑張ってください」とは言えないんです。僕は、最初からなかった。確かに結果論で言えば僕の身体はハンデが大きいし、周りの方とも大きく違う。だけど、同じ僕という時間軸の中で考えれば、最初からない、今もない、で、プラスマイナスゼロなんです。そこで何かを大きく失ったという喪失感はない。  そういった意味で、今回被害に遭われた方々は、あったものがなくなったという喪失感がすごく大きいと思うので、そこはやっぱり、僕と同じ土俵に上げて「僕もない中で頑張っているから、あなたたちも頑張って」という言い方は難しいんです。  ただ、現地の人がすごく喜んでくれたんですよね。自分たちが見放されてないんだ、こんなにみんなが、日本中から思ってくれてるんだっていう、そのことが伝わるだけでもやっぱりみなさん喜んでくださる。ほんとに、顔をくしゃくしゃにして「よく来てくれましたね」って言ってくださるんです。僕なんかが行くだけでもこんなに喜んでくださる方がいるんだな、というのは、すごく驚きでしたね。 (【2】へつづく/取材・文=編集部/写真=岡崎隆生) ●おとたけ・ひろただ 1976年、東京都生まれ。早稲田大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)が多くの人々の共感を呼ぶ。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、05年4月より、東京都新宿区教育委員会の非常勤職員「子どもの生き方パートナー」。07年4月~10年3月、杉並区立杉並第四小学校教諭として教壇にも立った。おもな著書に『だいじょうぶ3組』、『オトタケ先生の3つの授業』(共に講談社)など。 Twitterアカウント:@h_ototake
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「誰のための自粛なの?」乙武洋匡の"不謹慎厨"に対する思いとは!?

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 東日本大震災の発生後、世間では娯楽や経済活動を控えるといった"自粛"ムードが蔓延し、普段通りの生活をしているだけで「不謹慎だ」と言われるような風潮が目立ち、論争の対象になっている。乙武洋匡が、自身のTwitterで、「飲みにいってもいいんじゃないか」というツイートを「不謹慎だ!」と批判したユーザーに対して「でた、不謹慎厨!」と返答するなど大胆な発言をしていることも、注目を集めたトピックのひとつだ。これまでも、自らの障害をネタにするなど、突飛とも思える発言を繰り返してきた乙武氏は、このような世の中の反応をどうとらえているのだろうか。 ――今回の事態に、一部で過剰とも思えるほどに"不謹慎だ!"という声が上っている風潮について、どう思いましたか? 乙武洋匡(以下乙武) 震災後、テレビなどで流れる被災地の悲惨な光景を目にすることで、皆さんの中で「自分は平和な日常を送っていていいんだろうか?」という戸惑いや罪悪感が湧き、それが過剰な反応を生むきっかけになってしまったのだと思います。僕は、そんな"自粛ムード"が蔓延している中あえて開催を決行した、「キャラメルボックス」さんの演劇公演(「夏への扉」3月5日~27日)を見に行った時、すごく力をもらったんです。みんながピリピリしている中で締め付けられていた自分の心が、解放されたように感じました。  すごく印象的だったのは、その公演では、いつもは3~4回やっているカーテンコールを節電の影響で1回しかできなかった代わりに、役者さんたちが客席の通路を通って退場するというパフォーマンスがあったこと。できることの限られた中で、どんな工夫を加えたら見に来てくれた人に力を与えてあげられるのか考えた末の、素晴らしいアイデアだったと思います。 ■批判を恐れた"自粛"は他人に強要された"他粛" ――一方で、"自粛ムード"の影響で予定していたイベントが中止や延期になり、倒産した会社もあったようです。 乙武 集客や停電の影響があっての中止なら分かるけど、例えばまったく関係のない西日本でも自粛するというところには疑問を感じますね。本当に被災者の方々、被災地のためを思っての"自粛"なのか、この時期に開催をして批判を浴びることを恐れた自分たちのための"自粛"なのか。後者であれば、それは"自粛"ではなく"他粛"ではないのか、と。それをTwitterに書いたところ、フォロワーさんが「それは"自粛"ではなくて"萎縮"ではないか」と言っていたんです。すごくうまいこと言うな~と思いましたね(笑)。 ――震災後は震災前に比べて"不謹慎"のラインが変わったように感じるのですが......。 乙武 まったくそのラインは違ってきていると思いますね。僕の場合ツイートで「飲みに行ってもいいんじゃないか」と言ったことに対して"不謹慎"だと言われてしまった。でも、普通の生活で「飲みに行こう」ということに対して"不謹慎"だなんて、誰も言わないですよね? ――被災地の方からもTwitterで、「不謹慎だ!」と言われる事はあるんですか? 乙武 実はあまりないんです。むしろ逆に、「私たちが復興に向けて歩み始めた時には、それを支えられるように、活発に飲んで遊んで働いて経済を活性化させてください」と言ってくれる方もいます。"不謹慎だ"と過敏な反応をしてしまっているのは、むしろ被災地以外の方であることが多いんですよね。 ototake0401_1.jpg ――"不謹慎"発言で話題になっている有名人もいますが、気になったケースはありますか? 乙武 陸上の為末大選手が「今だからこそスポーツをするべきではないか」と発言をしたことに対し、賛否両論が巻き起こっているみたいだけど、スポーツ界にかかわらず、エンタテインメント業界についても、飲食・娯楽についても、積極的にやっていくべきだと感じています。それを不謹慎と思うのは自由だけど、相手にまで「不謹慎だからそれはやめるべきだ」と同じ行動を求めるのはおかしい。今、"不謹慎"かそうじゃないのかという議論をする時に、スタンスとして「相手に自分の思いを強要しない」ということが大事だと思っています。 ――今回の"不謹慎"騒動とうまく付き合ってるな、と思う人はいますか? 乙武 僕は最近デーブ・スペクターさんのTwitterにハマっていますね(笑)。 【こんな時にささやかなギャグですが・・・ミネラルウォーターの緊急輸出を検討しているアメリカの州→水売り州】  くだらないんですけど、ちょっと面白くないですか?(笑)あえて、"不謹慎"スレスレのダジャレを持ってくることで、クスッと笑ってしまった人はいっぱいいると思うんですよね。そういったことで救われた人もいると思うんです。 ――乙武さんはよく、Twitterで個人に対してリプライをしていますが、意識していることはありますか? 乙武 僕の発言には毎日、何百何千とリプライを頂くのですが、中でも多くの方に考えていただきたい内容に関しては、リツイート(※Twitterにおいて、ほかのユーザーのツイートを引用形式で発信すること)して広く意見を募るなどといったことはしています。 ■「僕に対して"かたわ"とからかうくらいの人の方が接しやすい」 ――東京都金町浄水場(葛飾区)の水道水から、乳児の飲み水についての国の基準の2倍を超える数値の放射性ヨウ素の検出したと発表をし、同浄水場から給水している東京23区と多摩地域の5市を対象に、乳児に水道水を与えるのを控えてほしいという報道があった際に、乙武さんがTwitterで「被曝する前から奇形だしな!とか言うと怒られるの?」と言われたことに「飲んだら、むしろ生えてくるかなo(^o^)o ワクワク」と返してらっしゃいました。どういうお気持ちであのような回答をしたんですか? 乙武 僕にとっては、そういうネタを振ってくれる人の方が接しやすいんです。逆に「そういうのはけしからん!」と思う人たちの方が接しづらい。2ちゃんねるでも、僕の手のことを"手羽先"という人がいて、面白いな~と思いました(笑)。本質は、言葉ではなく、その人が僕に対してどういう思いを抱いて発言をしているのかということだと思うんです。  例えば、僕に対して「かたわ!」と言う人がいたとすると、それは「不謹慎だ!」と言われたりするかもしれない。でも、僕のことを大事に思ってくれている友人が、「こいつ"かたわ"だからさ~(笑)」と言ってもそれは失礼ではないと思うし、僕も傷つかない。それが「乙武さんは、そんな体なのに頑張っていらっしゃって......」と、きれいな言葉で言っていても、実は障害者である僕のことを見下して言っていたとしたら、そっちの方が失礼だと思うんですよね。  だからといって、ほかの障害者の方に対しても同じようにからかっていいのかというと、それは、その人によって受け取り方が違うので、そのあたりはすごく慎重にならないといけないと思うし、障害者と接する場合だけではなく、普段の人間付き合いでも大事なことだと思うんですよね。  "不謹慎"も同じで、どんな言葉でも受け取る人次第だから、発信する方も聞く方も、常にそこは意識するべきだと思いますね。 ――最後に、乙武さんの近況について教えてください。 乙武 4月1日に東京都練馬区で「まちの保育園」をオープン。役員として経営に携わっていきます。ここまでの話ともつながりますが、現場の先生方には、子どもたちのためだと思うことは積極的に取り組んでもらい、その意図に対して保護者から寄せられてくるであろうさまざまな意見もあるかとは思いますが、すぐに謝るとか、やめるのではなく「意図に対して理解を求める毅然とした対応を心掛けてください」とお話をしました。賛否両論あることを覚悟の上で、しっかりと自分の思いを伝え形にしていくことが大事だと思います。
五体不満足 [単行本] 乙武さん、ありがとうございました! amazon_associate_logo.jpg
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