※当記事は、熊本地震の発生にあたり、サイゾーの過去の記事から再掲載しています。 台風18号が2009年10月8日早朝、愛知県に上陸。各地を暴風雨に巻き込みながら日本列島を北上した。愛知県の国道ではトラック4台が横転し、和歌山県では倒木に新聞配達中の男性がバイクで衝突して死亡。気象庁によれば、「昭和34年に東海地方などを襲い、死者・行方不明者5,098人を出した伊勢湾台風に匹敵する」としている。 アジアモンスーン地帯に位置する日本列島は、元々が台風の常襲地帯。地形も急峻で断層や破砕帯が散在するなど、地理的にも地形的にも災害が発生しやすい自然条件にある。このため、毎年のように台風や地震等の自然災害に見舞われている。 そして、こうした災害復旧に欠かせないのが民間の「災害ボランティア」だ。全国の自治体が立案している「市町村災害復旧計画」も民間ボランティアの参加を大前提にしており、今や我が国の災害対策は彼ら抜きには語れないのが実情だ。しかし、そんなありがたいはずのボランティアが、とても迷惑な存在になってしまう場合があるという。 災害ボランティアの大原則は「自己責任」だ。現地への交通費や宿泊費、食費などの必要経費は、いうまでもなく自分負担。ところが現実には、「フラっとやってきて、『寝る場所はどこですか』とあたりまえに聞いてくる人が多い」(中部地方の某町役場職員)のも現実だ。災害対策本部(市町村役場の総務課などに設置される場合が多い)に電話をかけてきて、「安い民宿を紹介してくれ」と宿の斡旋を求める人もいる。徹夜で業務に追わることもある現地の役場職員が、全国からの宿の斡旋に対応していたらそれだけで業務はパンクしてしまう。各自で確保するように説明する職員に「手伝いに行ってやるのになんという冷たい対応だ! だから役人はダメなんだ!」と逆ギレして周囲を呆れさせる例も少なくない。 また、ボランティア志願者はどうしても土日に集中するため、必然的にこの二日間は人手が余りがち。その結果、土日のボランティアセンターでは大勢の人がテントで待機する光景がしばしば見うけられる。すると「貴重な休みをさいてやって来たのにいつまで待たせるのか」と怒り出す困った人が現れる。復旧作業を遊園地のアトラクションと勘違いしているのだろうか。仕事量と人手がちょうどよくかみ合う日ばかりではない。「待つのもボランティアの仕事ということでご理解を......。もう少しお待ち下さい」となぜかお詫びをしているスタッフさえもいる。 ちなみに筆者は北陸のある被災地へボランティアに行った際、ボランティアセンターの職員が、長時間待機する人たちに、即席の「方言講座」を開いて必死になだめている場面に遭遇。「そんな話を聞きにきたんじゃない!」と声を荒げる男に頭を下げるスタッフの姿は、実に痛々しかった。 また、若い層に多く見られるのが異様なまでの頑張り屋さんだ。体力に自信があるのか使命感が強いのか、とにかく全身全霊で作業を続け、「疲れた」「きつい」を連呼しながら頑張り続け、自らのブログに「意識が朦朧として更新もつらいがガンバルしかない」と悲壮な覚悟を綴るストイック(?)な人たちもいる。その結果、熱中症で倒れて救急車のお世話になり、かえって現場に迷惑をかけてしまう例も。疲労がたまれば休みも必要。意識が朦朧とするほど疲れているなら一日くらい休めばいい。どうしても休みたくなければ睡眠をたっぷりとり、たまには午後から"出勤"する方法もある。健康面での自己管理もボランティアに求められる重要な要素の一つだ。 支援物資も大きな問題。実は「救援物資は第二の災害」といわれるほど、現地にとっては厄介な存在なのだ。全国から怒涛の如く送られてくる物資の整理は自治体職員らが人海戦術で行うしかなく、しかも利用価値がない物も大量に含まれている。1993年北海道南西沖地震の被災地・奥尻島では、救援物資 5,000トンの保管のために1000平米の仮設倉庫を3,700万円かけて建築。さらに仕分の結果、衣類を中心とする1200トンが不要と判断され、カビや腐敗など衛生面の問題から焼却処分となり、これに560万円の予算が投入された。 「とりあえず何か送ろう」という安易な支援ほど現地にとって迷惑なことはなく、実際に京都府災害ボランティアセンターのように「救援物資は現地の復旧作業の妨げになる場合があるので送らないように」とサイトではっきりと呼びかけている例もあるほどだ。 とはいっても、被災地で人助けをしたいという気持ちそのものは非常に尊いもの。先にも述べたように、無償で貢献してくれるボランティアの存在なくして災害復旧が成り立たないのも事実だ。最近では各ボランティアセンターともサイト上でかなりの情報を提供してくれる。まずはネットや電話で被災地の情報を収集し、危険度や必要な経費も考慮に入れながら行くかどうかを判断したい。自己管理が原理原則の大切さを理解したうえで、その時自分ができると思う範囲で参加することが、災害ボランティアのあるべき姿といえるだろう。 (文=浮島さとし/本記事は「日刊サイゾー」2009年10月8日掲載のものです)イメージ画像(「Thinkstock」より)
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「復興支援は新たなステージに」これからの被災地支援のカギとは?

震災3カ月後の宮城県南三陸町の様子(※記事参照)。
現在、ガレキは片付いたものの、大きく変わっていない。
前編、中編はこちらから
■よりベターな方法を考案できるリテラシーが必要
――8カ月に渡る活動の中で一番強く感じていること、教訓などはありますか?
西條 まずは被害の規模ですよね。知れば知るほど、本当にひどいことが起こったんだと痛感しています。最初に支援したからそれでいいという災害ではないですよ。行政のシステムに関していえば、今回の震災を踏まえ、変えた方がいいことはたくさんありますよね。
たとえば、姉妹都市は今回かなりうまく機能していたので、"臨時姉妹都市"をつくっちゃえばいいと思うんですよ。宮城県石巻市と全国の40くらいの市町村をつなげて、「今日から姉妹都市です、助けましょう」と。「勝手に動いていいです」と。いまの枠組みというのは、国も県も「何かあったら言ってください。そしたら動きますよ」という「要請主義」なんです。けれど、すべてが壊滅している中で要請なんてできない。そんなの、死にそうになって倒れている人に、「どこか悪いところがあったら言ってくれれば手当てしますよ」と言っているようなもので、そんな無茶な話はないんですよ。駆け寄って手当てしてあげなきゃいけないわけで、それをやったのがボランティアだった。
赤十字も以前は要請主義だったようなのですが、それではダメだということで最近は「能動主義」に移行していたため、今回は"とにかく北へ向かえ"と、震災直後から数十のチームが現地入りし、かなり機能しました。それを市町村レベルでもやるべきですよね。これは今からでも遅くはないですし、むしろ平時からそうした提携を結んでおく"緊急時援助姉妹都市"といった制度として成立させておけばよいと思います。

――今回、赤十字を通した義援金がなかなか被災者のもとに渡らなかった問題についてはどのようにお考えですか?
西條 おそらく、すべての人にとって想定外の有事だったので今回は仕方がないとは思うのですが、物資支援の仕組みにしても、県に上げてそこから自治体に下げていくという仕組みはどこか詰まったら終わりで、実際、県や自治体の倉庫がいっぱいになったので、「要りません」となってしまったわけです。被災地の行政が壊滅的な打撃を受けたこれだけの規模の被害になると、従来のやり方では通用しないわけですから、僕らは新たな仕組みを考えたわけです。
それと同じで、赤十字の義援金が渡らなかったのも、上から下ろしていく構造上の問題だと思っています。地元自治体は壊滅的な打撃を受けて本当に大変な状況ですから、そこを介さずに直接義援金を渡す仕組みを考えるべきです。僕だったらNHKや地元新聞紙を使って、ここに連絡くださいとアナウンスします。罹災証明書のコピーとその他必要な書類を送れば直接振り込みます、と。そういうやり方ひとつで、地元の行政を介さないで必要としている人に直接義援金を送る事もできるわけですよね。
家電にしても、赤十字は仮設住宅に入った人には6点セットを渡しますが、屋根まで津波にやられて重要な家電はすべて失っている個人避難宅の人にはひとつも配布しないわけです。なぜかといえば、おそらくどこに住んでいるのか確認できずに、管理することができないためだと思います。しかし先に述べたように、とにかく広く周知して、罹災証明書のコピーとその他必要な書類を直接赤十字に送ってもらうようにすれば十分対応できるはずです。

最も何をしても5%ぐらいのミスや批判はあるかもしれませんが、そういう些細な過誤を気にして、必要なときに全員に届かないといった致命的な失敗をしてしまっては本末転倒です。5%をゼロにしようとすると、そこに膨大なエネルギーを注がなければならなくなるので、とたんにパフォーマンスが下がります。ですから、特に有事においては5%以内のミスはよしとして進める方が機能的なんです。行政による支援も、そうしたスタンスを明示して、何かあったら国が責任を取りますといってどんどん押し進めればいいと思うんですよ。それがリーダーシップというものだと思います。
あと一番大事なのは、やっぱり「方法の原理」のような、どんな状況になっても自分たちで考えて柔軟に対応できる方法を考案していくようなリテラシーを広げていくことですね。どんなに想定したって、それ以上が起こるというのが自然現象であり、そのことはみんな痛感したはずなので、想定外の事態に陥っても、それぞれが状況と目的を見定めて自律的に動けるような訓練こそが、原理的に重要になってくると思います。
――「ふんばろう」の今後のビジョンについては?
西條 最終目標としては「ふんばろう」自体が必要なくなるのが一番いいですが、まだまだ支援は必要ですから、現地の状況を見て判断したいと思っています。ただ、完全なボランティアって、持続可能性という観点からするとやっぱり限界があるんですよ。ボランティアは「被災した方々のために何かしたい」という"気持ち"だけをエネルギーに動いています。ほとんどの人は、日中は会社で働きながらプラスαで作業していたり、中には完全無償のボランティアに専念している人もいるので、持続可能な形にしていく必要があるんですね。その意味では、各プロジェクトの体制を整えて、無理のない形で、独立的に、最小限のエネルギーで動けるような形にしていくことが必要と思っています。
またこれからは特に、いかに企業活動と矛盾しないかたちで被災地のためにもなる事業を作っていくか、ということがポイントになりますね。ですから今後、より一層、企業とのつながりをつくっていきたいと思っています。実際、PCプロジェクトや就労支援プロジェクトなど、僕らが「ふんばろう東日本企業連合」というプラットフォームになることで、様々な企業に参加していただき大きく進めているところです。持続可能な形にするためには、できるだけ現地に、企業を、と心がけていくのがよいと思います。

PCプロジェクトの様子。
――行政との連携も視野に入れていますか?
西條 もちろん連携できるところはしていきたいと思っています。これまではスピードが重要でしたが、これからは雇用創出などが重要課題になるので、地元行政との連携は重要になってきます。実際、これまでも仙台市・大阪市・横浜市・山形県庁・岐阜県庁・愛知県庁・宮城県庁といった自治体において行き場をなくした膨大な物資をマッチングして、必要としている被災者のもとに届けてきましたし、PCプロジェクトでは、宮城県東松島市といった行政と組んで進めていっている地域もあります。あとは、全国の行政が「方法の原理」といった考え方を普段から身に付けておいて、有事のときは既存の枠組みにとらわれず、柔軟に対応していく訓練をしていくことも重要になると思います。
――最後に読者のみなさんに伝えたいことは何かありますか?
西條 中には「少しぐらい支援しても何も変わらない」という人もいるのですが、僕はそうは思いません。たとえば、「ミシンプロジェクト」では、ミシンという物を支援しているのではないのです。そうではなく、一台のミシンをきっかけに、仕事に就けて、ひとつの家族の生活を支え、その貯金で、子どもたちが望む進路にいけるようになる「可能性」を生むわけです。そうした家庭の中から将来、先生になりたいといって、教育学部に進み、震災の辛い経験を乗り越えて立派な教師になり、何千人という子どもたちを育てる人だって出てくるかもしれません。みなさん一人一人の支援は、そういう「可能性」を生むことにつながっています。時間を止めて固定的に見ると、何も変えられないように思うかもしれません。でも、未来は小さなことをきっかけに大きく変わります。小さな力が集まることで、被災地の方々が前を向いて生活していくことにつながり、子どもたちの明るい未来を作る「可能性」になっていきます。僕らは「可能性を生む力」、すなわち「未来を変える力」を持っているんです。「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は、距離と関係なく、誰でも参加できるプロジェクトです。これを読んでいる方全員に必ずできることがあります。ぜひ、「ふんばろう」のHP(http://fumbaro.org/)を見て、自分にできることを行動してみていただければと思います。
(取材・文=編集部)
●さいじょう・たけお
1974年、宮城県仙台市生まれ。早稲田大学大学院(MBA)専任講師。専門は心理学や(科学)哲学。「構造構成主義」というメタ理論を体系化。2011年4月に「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、代表を務めている。Twitter→@saijotakeo。
●ふんばろう東日本支援プロジェクト
<http://fumbaro.org/>
「世間の関心が低くなる前に何ができるかが勝負」支援プロジェクトがうまく機能したワケ

前編はこちらから
■世間の"支援疲れ"にどう対処するのか
――日が経つにつれ、被災地のニュースは目に見えて減ってきています。"支援疲れ"という言葉もたびたび耳にしますが......。
西條 やっぱりみんな、"日常"に戻りたいんですよね。普段の生活に戻りたいという気持ちが誰にでもあって、被災地の現状があれから何も変わってないなんて思いたくないんだと思います。そんなこと知ってしまったら、何もしない自分への罪悪感に苛まれてしまう。だから見たくない。どこまで自覚的にやっているかは別として、メディアはそういうことに敏感なので、その"空気"を察知してニュースを流さなくなりますよね。
――それは仕方がないことなのでしょうか?
西條 仕方がない、とは思いませんが、ただ、"実際そういうこと"なんだということですね。僕でも、「もう大丈夫になっているんじゃないかな」と思いたくなる瞬間がありますから、その気持ちもまったく分からないではないんです。でも、被災地の現実は今なお厳しいんです。それを見て見ぬふりをして、自分だけ日常に戻るわけにはいきません。ですから、マスコミのみなさんにも、視聴率などに振り回されず、もう少し頑張って放送して欲しいと思っています。また、企業も支援金を出すのが厳しければ、自分たちの得意な分野のリソースを提供するという方法もあるので、「最初にお金出したからもうよいでしょう」ではなく、企業活動と矛盾しない復興支援のあり方を考えてみていただきたいですね。これからは、事業を通して社会に貢献するというあり方こそが、企業の持続可能性にもつながってくると思います。
――世間の"支援疲れ"に対して、「ふんばろう」としてはどのようなアクションをしているのでしょうか?

西條 現状、物資はまだ足りていないんです。現在掲載されている支援先の件数は2,300ほどですが、物資を送る側(支援する側)は当初の10分の1くらいになってきています。そのため、物資支援についていえば、「ふんばろう」のサイトに掲載する支援先の基準を少し厳しくしていこうと考えています。生きていく上で本当に必要なものに絞り、いまある支援力に合わせていくことで、本当に困っている人に届けたい、ということですね。
それから、やはり支援者を増やすことですね。まだまだ「ふんばろう」のことを知らない人が多いので、海外も含め、まだ動いていない人に活動を広げていくという努力もしています。いまも被災地の現状は変わっていない、ということをネットなどを通じて発信し、それぞれのプロジェクトの意義や、被災地の人の顔をちゃんと伝えていくことで、「支援しよう」と思ってもらえるように心がけています。
そうした状況だからこそ今、より多くの人に知ってもらいたい。誰でも参加できる仕組みになっていますから、知ってさえもらえれば一定の割合の人は協力してくれると思っています。たとえば、「ふんばろう」では当初からAmazonの「ほしい物リスト」を応用するシステムにより、これまで総数1万7,000個、約29,00万円にのぼる支援を行ってきました。国内はもちろん海外からでも、200円程度から、被災された方々が必要としている物資をワンクリックで届けることができます。ぜひ活用していただき、またご家族や会社の方などに広く知らせてもらえればと思いますね(http://fumbaro.org/shelter/list/amazon.html)。
■「ふんばろう」のプロジェクトがうまく機能したワケ
――「ふんばろう」のプロジェクトはすべて、"人と人をつなぐ"というのが基本となっていますが、この構想は立ち上げ当初からあったんですか?
西條 はい。プロジェクトを立ち上げたのは4月に入ったときだったので、そのときはみんな「大変なことが起こった」と関心が高かったけれど、人は忘れる動物なので、必ずその意識は低下していく。それは目に見えていたので、低下していく前に何ができるかが勝負だと思っていたんです。そのために、人と人のつながりが必要だと。つながりというのは一度つくってしまえば、僕らの仕組みを通さずとも、直接やりとりがはじまりますし、関係性ができれば人間は忘れないんです。

――確かに、被災地全体に目を向け続けることはなかなか難しいですが、「家電を送った気仙沼の●●さん」というつながりができれば、もう人ごとではなくなりますね。
西條 "遠い親戚"みたいな関係です。そういう個人のつながりを何百、何万とつくっているんです。
――西條さんはもともと、心理学や哲学などがご専門で、構造構成主義という学問、何にでも通用する"方法の原理"を研究していらっしゃるそうですが、震災前、この原理が社会に対してどのような役に立つと思われていましたか?
西條 構造構成主義が一番広がっているのは医療や教育の現場なのですが、時代や文化を超えて通用する普遍性を備えた原理なので、本当にいろんな分野にプラットフォームとして広がっています。言ってみれば、従来の理論や方法論をバージョンアップさせるOSのようなものなんです。たとえば、方法とは、(1)ある特定の「状況」において、(2)特定の「目的」を達成するための手段です。これはすべての方法に当てはまる。この「方法の原理」を視点とすれば、状況と目的の2つを軸にすることで、特定の方法が役立つのかどうかを判断することができますし、より機能的な方法を作り出していくこともできるわけです。
――それは、災害時においてもあてはまるのでしょうか?
西條 もちろんです。今回の震災は未曽有の災害で、誰も経験したことがなかった。ゼロベースで考えていかなければならない状況において、この原理はすごく有効です。特定のコンテンツを持たず、すべてそのとき・その場の状況と目的を見定めて考えるというスキームなので、目的からぶれることなく状況の変化に合わせて柔軟に対応していけるんです。
――実際に「ふんばろう」では、この原理を使って次々とプロジェクトを立ち上げ、スピーディーで無駄のない支援を行ってきたわけですが、物事がどんどんうまく回っていく快感のようなものはあったのでしょうか?
西條 こんなに役に立つんだな、というのはすごく感じました。原理としては汎用性があるし、導入しさえすればかなり役に立つだろうな、とは以前から思っていましたが、ここまで急速に広まるとは思っていなかったですね。
■被災者の心の傷は深く、入りにくい
――西條さんは仙台ご出身で津波の被害に遭われたご親族もいたそうですが、プロジェクトを進める上で、どのように気持ちのバランスを取っていたんですか?
西條 大好きな伯父さんも津波で行方不明になってしまいました。多くの人がテレビで仙台空港に津波が押し寄せるシーンを見たと思うのですが、後に発見された場所から、その空港から一本道を挟んだ倉庫にいたことが分かりました。初めて南三陸町に入ったときもテレビではまったく伝わらない被災地の惨状を目の当たりにして、言葉を失いました。多かれ少なかれ、特に被災地出身の人は、そういう経験をしているので「故郷が大変なんだからなんとかしたい」という気持ちが自然と湧いてくるものですが、ただそういう"気持ち"の部分と、プロジェクトの合理性の部分は分けて考えています。
「ただ物資を送っているだけではない」被災地の未来をつくる新しい支援のかたち

「僕らは特定のNPOではなく、それぞれの
生活の範囲で参加できるプロジェクトなので、
『被災された方々のために自分も何かしたい』
と思われる方は気軽に参加してほしい」
と語る、西條剛央氏。
東日本大震災から8カ月。原発問題を除き、被災地の現状がニュースとして伝えられる機会はめっきり減っているが、8カ月経ったいまも被災地の生活はそれほど大きくは変わっていない。被災地支援は、緊急物資から雇用の創出や心のケアへと徐々に移ってきている中、わたしたちは何ができるのか――。震災直後の4月から被災地に対する幅広い支援活動を行っているボランティア団体「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(以下、ふんばろう)代表で、早稲田大学大学院MBA専任講師の西條剛央氏に話を聞いた。
――4月に立ち上がった「ふんばろう」ですが、現在までに(2011年10月末時点)約3,000カ所以上の避難所・仮設住宅・個人避難宅を対象として3万5,000回以上、15万5,000品目に及ぶ物資支援を成立させてきたと聞いています。
西條剛央氏(以下、西條) 立ち上げのころは、大きな避難所には支援物資が山積みになっているのに、本当に必要としている人の元には届いていないという状況でした。ですから、行政の手が回らない小さな避難所で必要な物資を直接聞き取り、それを「ふんばろう」のサイトにアップしてTwitterで拡散させ、全国の人が直接、物資を被災者に送るという仕組みで支援を始めました。それが瞬く間に広がって、現在までのボランティア登録数は1,600名を超え、ある程度継続的に活動している人だけで数百名はいると思います。最初はふたりで立ち上げたプロジェクトでしたが、現在では被災地3県(宮城県・岩手県・福島県)のほか全国各地に支部があります。
――運営はどのようにされているんですか?
西條 たまにミーティングを行うこともありますが、基本的に通常の運営はFacebook上で行っています。
――緊急物資支援のほか、一般家庭から中古家電を届ける「家電プロジェクト」や、ガイガーカウンターを無料で貸し出す「ガイガーカウンタープロジェクト」、重機免許が無料で取得できるよう支援する「重機免許取得プロジェクト」など、本当にたくさんの活動を行っていらっしゃいますね。それぞれのプロジェクトに対して、西條さんはどれくらいイニシアチブを持っているんですか?
西條 Facebook上に立ち上がっているグループは、チームやプロジェクト単位で全部で50くらいあります。立ち上げたばかりのプロジェクトについては、いろいろな人をつなげたり、体制が整うまでは僕が中心となってやっていますが、ある程度軌道に乗ったら、各プロジェクトのリーダーに任せて、何か重要な局面では相談を受けて舵取りしていくという形を取っています。ひとつのプロジェクトが軌道に乗るまでは、だいたい1カ月くらいでしょうか。
■仕事がなければ自立することは不可能
――震災から8カ月が経ちましたが、被災地の現状を教えてください。
西條 場所にもよりますが、生活機能的には大きく変わっていないように思います。避難所から仮設住宅に移ってプライベート空間を手に入れただけで、復興ということでいえば、ようやく始まったばかりだと思います。たとえば、宮城県南三陸町では信号3機しか残らないくらい壊滅してしまって、ガレキも当初よりはなくなっていますが、震災後新しく建ったのは5軒ほどのプレハブのコンビニほか数件に過ぎず、そういう意味では何も変わっていないんです。
――いま現地で一番求められている支援はどのようなものなんですか?

「重機免許取得プロジェクト」の様子。
西條 僕は雇用創出と就労支援という「仕事」、「心のケア」、そして「教育」の3本柱だと思っています。仕事がなければ不安にもなりストレスも増大しますし、子どもの教育環境も整えることもできないので、「仕事」は根本的に重要ですよね。震災直後は物を買う店も何もないので物資を送るしかなかったんですが、現地に仕事があれば自分で好きなものを買えるわけですからね。
――現在は、先に触れた「重機免許取得プロジェクト」や、被災地の女性たちにミシンを贈って仕事にしてもらう「ミシンプロジェクト」など、雇用創出・就労支援を特に積極的に行っているのでしょうか。
西條 重機免許については、かなり初期の段階から考えていたんです。これだけガレキだらけになってしまったら、重機はどう考えても必要になるだろうと。いまは仮設住宅ができただけで、本格的な町をつくるのはこれからです。マイナスからすべてつくらなければならないわけで、建築系の仕事は今後長期にわたって需要がある。それは間違いないことなのだから、重機免許を取ってもらえれば仕事につながるだろうと思ってスタートさせました。このプロジェクトが動き出したのは4月末くらいだったんですが、みんな避難所にいて何もやることがない状況で、それは精神的にもよくないし、自分たちの手で町が復興できればそれは希望にもつながる。申し込み者が殺到し、岩手県陸前高田市で計121人が免許を取得しました。いま第2弾が、宮城県岩沼市で100名規模で始動しています。重機免許は数万円で取得できるんです。生活費の数万円はすぐになくなってしまいますが、重機免許を取得して仕事に就ければ年に数百万稼ぐことも可能になります(http://wallpaper.fumbaro.org/licence/)。

「ミシンプロジェクト」の講習会の様子。
「ミシンプロジェクト」は、被災地の女性たちにミシンを贈ることで元気になってもらい、将来的にミシンでの作品づくりを仕事につなげていただこうというプロジェクトです。「ミシンがあったらサイズのあわない服などの支援物資を調整したりできるから便利なのに」という被災地の声がきっかけで立ち上がりました。ただミシンを贈るだけではなく、特定の商品を作っていただけるようになるための講習会を開催し、帰りにミシンをお渡しして、その後、商品を納めていただいた方には制作費をお支払いするというかたちを取っています。また様々な会社からお声掛けいただいています。2万円のミシンが、これから200万円をつくる道具になる。僕らはただ物資を送っているのではなく、被災地の人たちがまた前を向いて生きる希望が持てるようになるための支援を行っているんです。これからは全国の関連企業さんのお力も必要になります。商品受注や販路確保のお話はもちろん、中古の工業用ミシンや裁断機を提供できるという方もぜひご連絡いただきたいですね(http://wallpaper.fumbaro.org/machine)。
■win-winの社会的事業の構想
――現在は、企業の協力を得た雇用創出・就労支援も進んでいるそうですね。
西條 「ふんばろう東日本企業連合」というプラットフォームに各企業さんに参加してもらい、就労支援プロジェクトを進めています。おおまかにいえば、現場ではお金が必要で、地元自治体にはさまざまな補助金が落ちていますが、それをもとに事業をつくるという作業が追いついておらずギャップが生じているので、そこを埋めることで地元に雇用を創出していこうというwin-winの社会的事業の構想です。これからも関心のある企業や自治体の方からご連絡いただければ前向きに対応していきたいと思っています。
――すべてにおいて無駄がなく、すごくうまくいっているように見えるのですが、今までの失敗談などはあるんですか?
西條 肝心なところはうまくいっていると思うのですが、ひとつひとつのプロジェクトをかたちにしていき、それら全体をマネジメントしていくのは簡単なことではないですよね。立ち消えになってしまった企画もあります。「モバイルトップス」という、被災地で求められる機能性とおしゃれさを兼ね備えた「被災地専用Tシャツ」を作ろうという話になってユニクロさんに持ち掛けたんですが、そのまま夏が過ぎて消えていった(笑)。
もっとも、重要なプロジェクトは確実に成果を上げていますが、それは意識の高いボランティアのみなさんのご尽力の賜物ですね。表には見えないのですが、みなさん仕事が終わってからミーティングに来たり、夜中まで作業されたりと本当にすごいんですよ。「ふんばろう」は、そうした素晴らしい人たちの"気持ち"と"行動"によって成り立っています。
(取材・文=編集部/中編につづく)
●さいじょう・たけお
1974年、宮城県仙台市生まれ。早稲田大学大学院(MBA)専任講師。専門は心理学や(科学)哲学。「構造構成主義」というメタ理論を体系化。2011年4月に「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、代表を務めている。Twitter→@saijotakeo。
●ふんばろう東日本支援プロジェクト
<http://fumbaro.org/>
【再掲】災害現場の困ったちゃん!? ボランティアに求められる自己責任の大原則
※当記事は、熊本地震の発生にあたり、サイゾーの過去の記事から再掲載しています。 台風18号が2009年10月8日早朝、愛知県に上陸。各地を暴風雨に巻き込みながら日本列島を北上した。愛知県の国道ではトラック4台が横転し、和歌山県では倒木に新聞配達中の男性がバイクで衝突して死亡。気象庁によれば、「昭和34年に東海地方などを襲い、死者・行方不明者5,098人を出した伊勢湾台風に匹敵する」としている。 アジアモンスーン地帯に位置する日本列島は、元々が台風の常襲地帯。地形も急峻で断層や破砕帯が散在するなど、地理的にも地形的にも災害が発生しやすい自然条件にある。このため、毎年のように台風や地震等の自然災害に見舞われている。 そして、こうした災害復旧に欠かせないのが民間の「災害ボランティア」だ。全国の自治体が立案している「市町村災害復旧計画」も民間ボランティアの参加を大前提にしており、今や我が国の災害対策は彼ら抜きには語れないのが実情だ。しかし、そんなありがたいはずのボランティアが、とても迷惑な存在になってしまう場合があるという。 災害ボランティアの大原則は「自己責任」だ。現地への交通費や宿泊費、食費などの必要経費は、いうまでもなく自分負担。ところが現実には、「フラっとやってきて、『寝る場所はどこですか』とあたりまえに聞いてくる人が多い」(中部地方の某町役場職員)のも現実だ。災害対策本部(市町村役場の総務課などに設置される場合が多い)に電話をかけてきて、「安い民宿を紹介してくれ」と宿の斡旋を求める人もいる。徹夜で業務に追わることもある現地の役場職員が、全国からの宿の斡旋に対応していたらそれだけで業務はパンクしてしまう。各自で確保するように説明する職員に「手伝いに行ってやるのになんという冷たい対応だ! だから役人はダメなんだ!」と逆ギレして周囲を呆れさせる例も少なくない。 また、ボランティア志願者はどうしても土日に集中するため、必然的にこの二日間は人手が余りがち。その結果、土日のボランティアセンターでは大勢の人がテントで待機する光景がしばしば見うけられる。すると「貴重な休みをさいてやって来たのにいつまで待たせるのか」と怒り出す困った人が現れる。復旧作業を遊園地のアトラクションと勘違いしているのだろうか。仕事量と人手がちょうどよくかみ合う日ばかりではない。「待つのもボランティアの仕事ということでご理解を......。もう少しお待ち下さい」となぜかお詫びをしているスタッフさえもいる。 ちなみに筆者は北陸のある被災地へボランティアに行った際、ボランティアセンターの職員が、長時間待機する人たちに、即席の「方言講座」を開いて必死になだめている場面に遭遇。「そんな話を聞きにきたんじゃない!」と声を荒げる男に頭を下げるスタッフの姿は、実に痛々しかった。 また、若い層に多く見られるのが異様なまでの頑張り屋さんだ。体力に自信があるのか使命感が強いのか、とにかく全身全霊で作業を続け、「疲れた」「きつい」を連呼しながら頑張り続け、自らのブログに「意識が朦朧として更新もつらいがガンバルしかない」と悲壮な覚悟を綴るストイック(?)な人たちもいる。その結果、熱中症で倒れて救急車のお世話になり、かえって現場に迷惑をかけてしまう例も。疲労がたまれば休みも必要。意識が朦朧とするほど疲れているなら一日くらい休めばいい。どうしても休みたくなければ睡眠をたっぷりとり、たまには午後から"出勤"する方法もある。健康面での自己管理もボランティアに求められる重要な要素の一つだ。 支援物資も大きな問題。実は「救援物資は第二の災害」といわれるほど、現地にとっては厄介な存在なのだ。全国から怒涛の如く送られてくる物資の整理は自治体職員らが人海戦術で行うしかなく、しかも利用価値がない物も大量に含まれている。1993年北海道南西沖地震の被災地・奥尻島では、救援物資 5,000トンの保管のために1000平米の仮設倉庫を3,700万円かけて建築。さらに仕分の結果、衣類を中心とする1200トンが不要と判断され、カビや腐敗など衛生面の問題から焼却処分となり、これに560万円の予算が投入された。 「とりあえず何か送ろう」という安易な支援ほど現地にとって迷惑なことはなく、実際に京都府災害ボランティアセンターのように「救援物資は現地の復旧作業の妨げになる場合があるので送らないように」とサイトではっきりと呼びかけている例もあるほどだ。 とはいっても、被災地で人助けをしたいという気持ちそのものは非常に尊いもの。先にも述べたように、無償で貢献してくれるボランティアの存在なくして災害復旧が成り立たないのも事実だ。最近では各ボランティアセンターともサイト上でかなりの情報を提供してくれる。まずはネットや電話で被災地の情報を収集し、危険度や必要な経費も考慮に入れながら行くかどうかを判断したい。自己管理が原理原則の大切さを理解したうえで、その時自分ができると思う範囲で参加することが、災害ボランティアのあるべき姿といえるだろう。 (文=浮島さとし/本記事は「日刊サイゾー」2009年10月8日掲載のものです)イメージ画像(「Thinkstock」より)

