
普段はアナログ系ホビーを取り上げているこの連載だが、やはり80年代のホビーを語る上で無視できないのがデジタル系ホビーの代表「コンピュータゲーム」だ。ファミコンやアーケードゲームが続々と登場し、子どもたちのハートをわしづかみにしていた80年代は、現在以上にコンピュータゲームに対して夢と希望が満ちていた時代だった。日進月歩で進化するグラフィックと、次々飛び出す工夫を凝らしたシステム。そして耳に残るサウンドに、僕らは胸を躍らせまくっていた!
今回は「バック・トゥ・ザ80’s」番外編として、そんなコンピュータゲームの進化とともに青春を送った少年・少女たちの青春を描き、大きな話題を呼んだテレビドラマ『ノーコン・キッド~ぼくらのゲーム史~』(テレビ東京系)の原案・シリーズ構成・脚本を手掛けた佐藤大氏に、ドラマの制作裏話と80年代のゲームに対する思い出を語ってもらった。
■ゲームに対する世の中の認識を変えたかった!
──まずは、企画の発端を教えてください。
佐藤 もともと10年以上前からゲームセンターを舞台にした青春物語をやりたいと思っていたんですけど、実際に動き出したのは3年ほど前です。最初は映画でやるという話でスタートしたんですが、テレビ東京のプロデューサー・五箇公貴さんに、ぜひテレビシリーズでやらないか、というお話をいただいたんです。
──そもそもなぜ、ゲームを題材にしたドラマを作りたいと思うようになったんですか?
佐藤 僕の原体験が、まさにゲームセンターで遊んでいた友達との付き合いや思い出なんです。ゲームって、「ゲーム脳」とか「コミュニケーション不足になる」とか言われて、定期的に悪者になるじゃないですか。でも、僕はゲームを通じて友達を作ったという実感があるんです。だから、そういう世間の意識をなんとか変えたかったんです。
そのほかに、僕は昔『ポケットモンスター』を作ったゲームフリークという会社に所属していたんですが、社員の半分くらいが当時のハイスコアラー(ゲームで高得点を獲得する達人のこと)だったんです。そこでスターゲーマーたちのエピソードを聞くことが多くて、それが本当に面白かったんです。そのエピソードをドラマ化したかった、というのもあります。
──ゲームプレイヤーたちのドラマという構成は新鮮でした。
佐藤 今までもゲームを題材にしたドラマというのはいくつかありましたが、クリエイターの話とかゲームが脇役に回っている話が大半だったので、今回はゲームの実機を使ってプレイヤーの話を描きたかったんです。そこが、今回の企画の根幹でしたね。
──本作は実際に当時の筐体(アーケードゲームのセット一式のこと)や、ゲーム画面が登場するところも話題になりましたが、出てくるタイトルのチョイスが絶妙でした。登場ゲームのコーディネートは、どう行われたのでしょうか?
佐藤 ドラマの大枠ができたところで、まず私と『ゲームセンターCX』(フジテレビONE/TWO/NEXT)も担当されている酒井健作さんとほかのプロデューサーたちで、出したいタイトルをリストアップしました。でも、「あれを出したい」「これを出したい」って全然収拾がつかなかったので、ジャンルで分けることにしたんです。RPG、アクション、シューティング、格ゲー、恋愛とジャンルに分けたら、わりとストーリー展開とすり合わせられるようになりました。もし入れたいゲームの許可が取れなかった時も、ジャンルが同じならドラマを先行させてほかのタイトルに差し替えることもできるので。
──多数のゲームが登場するということで、各メーカーへの許可取りも大変だったのではないでしょうか?
佐藤 そうなんです。今回のドラマで一番大変でした。本作は原作がないオリジナル物なので、「ゲームがどういう扱われ方をするかわからないので、まずは脚本を見せてください」と皆さんおっしゃるんですが、こちらも許可が下りないと脚本を書けない。自分としては、絶対に第1話に『ゼビウス』を出したかった。『ゼビウス』を根幹にして『ドラクエ』『バーチャファイター』を使いたかったので、これらのタイトルが使えなかったらヤバいと思っていたんですが、まずバンダイナムコさんにOKしていただき、第1~3話をナムコゲームで作ることができました。80年代序盤から中盤は、本当にナムコ黄金期でしたからね。この3本の脚本を持って他社さんに許可をいただきに行く、という形で今回の企画が実現しました。
だから、ストーリーをまとめることと、制作進行上の都合という2つの意味でジャンル分けを行いつつ、あの時代をどう象徴するジャンルなのかというところを考えながらタイトルをチョイスしました。あの時代のナムコは、神がかっていましたからね。

■コイン投入は「変身」で、ゲームシーンは「バトル」!
──やはり、80年代前半のナムコへの思い入れは強いですか?
佐藤 強いですね。本当は、『パックマン』は物語開始時点よりちょっと前の時代のゲームだったのですが、絶対に出したかったですし、『ポールポジション』もいわゆるリアビューのレースゲームとしては最初にヒットしたという点でポイントでした。ただ筐体があまり残ってなかったので、ミカドさん(高田馬場にあるレトロゲームに強いゲームセンター)に動いてもらえてよかったです。
また、ナムコに限らず、各メーカーに当時のポスターとかポップって、もう残ってないんです。そこで、SNSなどを通じてコレクターを探して、お借りしたんです。でも、すごく大事な物なので、そのまま使えない。ということで、それを撮影してプリントし直し、ポスターとして使いました。
──すごい手間ですね! そのこだわりから、あのゲームセンターのリアリティが生まれていたんですね。
佐藤 筐体も各メーカーに残ってないので、それも全部探して回りました。これはもう、ゲームコーディネートで参加していただいた安部理一郎さんとか、ナツゲーミュージアムさん(秋葉原にあるレトロゲーム系ゲームセンター)やミカドさんたちがいてくれたおかげですね。やはり、エミュレーターは使いたくなかったんです。それは見る人が見たら、絶対にわかっちゃいますから。結果的に見る人が見ないとわからない感じになっちゃいましたけど、テレビ東京の深夜ドラマだからこそできた、という感じがあります。そこはプロデューサーも含め、皆さんがわかってくれていたということですよね。
それと、シリーズ監督の鈴村展弘さんの力が非常に大きかったですね。彼はもとも「平成ライダー」シリーズとか『アキバレンジャー』とか撮られている方で、ゲームのバトルシーンをすごく丁寧に演出していただきました。普通の監督ならゲームのシーンを省いちゃうところを、コイン投入のシーンは「ヒーローの変身シーン」。ゲーム対決のシーンは「変身後のバトルシーン」という意識で、1~3話のゲームシーンをしっかり撮ってくれました。そんな鈴村監督にいいスタートアップを作っていただき、その後、いろんな監督にぶち壊してもらうという、すごくいいバランスで制作してもらえました。
■自分自身と向き合うきっかけになった『ノーコン・キッド』
──80年から90年代初頭といえば、ゲームとサウンド系のカルチャーをクロスオーバーさせる試みが、細野晴臣やいとうせいこう、スチャダラパーらによって何度も行われていた時代です。その中で佐藤さんも、クラブにモニターとゲームを持ち込み、クラブカルチャーとゲームカルチャーの融合を試みる「東京ゲーマーズナイトグルーヴ」というイベントを開催していました。劇中でも、そのイベントを下敷きにした「東京G2ナイトグルーヴ」というクラブイベントが出てきましたね。自身の活動がゲームの歴史として描かれた時は、どう思われましたか?
佐藤 気恥ずかしかったですよ(笑)。本当は避けたかったんですけど、企画を練る時間は10年くらいあったんですが、企画が通ってからは1カ月半で全部仕上げなきゃいけなかった。とにかく時間がなかったので、もう自分の引き出しを開けるしかありませんでした。加えて、最近ノスタルジックにゲームが扱われる際に、ゲームとクラブ文化やファッション文化を結びつける文脈が省かれがちなんですが、原案・シリーズ構成を自分がやる上で、このあたりを題材にしたら「自分らしさ」って出せるんじゃないかなと。
それと今回、砂原良徳さんが音楽を担当していて、彼にも一回ドラマに出演してもらいたかったんですよ。その時に、クラブDJっていうポジションが一番自然かなと思ったんですよね。そういう複合的なところから、クラブのエピソードが生まれました。観客のエキストラも、友達に電話しまくって、当時の衣装で来てもらったんです。当時の衣装を大切に持ってくれているのは、彼らしかいないので。
──まさに、人脈とキャリアを総動員して作られた作品ですね。
佐藤 本当に低予算だったので、手弁当でやる部分が大きかったです。だから使えるものは自分の過去も使う、という感じでした。確かに恥ずかしい部分もあるのかもしれないけど、こういうものがドラマとしてフィルムに残ることなんてなかなかないので、これはこれでいいのかなと思います。
──堀井雄二さんや遠藤雅伸さんをはじめ、ゲーム業界の伝説的クリエイターも数多く出演されていて驚きました。
佐藤 僕らにとって神みたいな存在の方たちなので、出演してくださった時は本当にうれしかったです。
──ゲーム業界人すら巻き込んで制作された『ノーコン・キッド』は、佐藤さんにとってどんな作品ですか?
佐藤 どうなんでしょう(笑)。結果論として、過去の自分と向き合わないといけなくなり、一回しか使えないアイデアで作ったドラマになりました。アニメーションをやりながらゲームの脚本もやってきたこれまでの自分のキャリアが、各メーカーさんたちが協力してくれた理由の一部になりましたし。当時は何者でもなかった友達を総動員した作品にもなっているので、そういう意味でも特別な作品です。
──佐藤さんの、ゲームと共に歩んできた人生が結晶になったという感もありますね。
佐藤 結果論ですが(笑)。最初から俺の結晶を見てほしい、という気はまったくありませんでしたが、そうなっちゃったなと(苦笑)。ちょうど今年で45歳なんですけど、砂原さんとは「40を過ぎてからでないと、こういうのは作れないよね」みたいな話をしてたし、主題歌を歌ってくれたTOKYO No.1 SOUL SETも、自分たちの昔に向き合うような曲を作ってくれました。だから当時、音楽的にもお世話になった方たちと仕事ができたということで、今回はゲームだけでなくクラブシーンで遊んでいた頃の自分とも向き合えましたし、たくさん映像作品を見てきた監督さんから、これからすごくなるだろうという若い世代の方とも一緒にやれて、新旧入り乱れた現場になりました。これもある意味、僕らしいのかなと。
■ラストのゲーセンは、すでに実現している!
──さて、そんな『ノーコン・キッド』ですが、かなり希望に満ちたラストシーンで物語は終わりました。現在、ゲームセンター業界はかなり厳しい状況という話はあちらこちらでいわれていますが、本作のラストは佐藤さんの「ゲームセンターは今後こうあってほしい」という希望ですか?
佐藤 そうですね。ゲーセンに対するノスタルジーだけで、「あの頃はよかったね」で終わったらすごく悲しいので、僕らなりの理想を表現してみました。古いものも新しいものも、それこそアーケード版『ぷよぷよ!!クエスト』みたいなスマホ的なものも全部詰め込んで、それらがつながっていくようになったらいいなと思っています。いろんなゲームが一つの場所に集まって、お互いの顔を見ながら遊べる場所があってもいいんじゃないかなと。今回取材に行ったミカドさんは、けっこう理想形に近かったですね。店長さんもキャラが立っているし。
それこそ『ゼビウス』とか『ポールポジション』みたいな古いゲームが現役である一方、新しいゲームがあって、イベントをしょっちゅう開催して、ニコニコ動画で中継して、でもその場に行かないとできないこともある。だから、今回のドラマでは、ミカドさんをけっこう参考にさせていただきました。放送終了後、「最後に出てきたゲーセンなんて、ありえないよ」とよく言われたんですが、「いやいや、実際に取材してここはアリだなと思ったから、ああいう形にしたんだけど」って言いたいですね。ナツゲーミュージアムさんもあるし、地方にもそういうゲーセンはまだ残っている。今はSNSとかいろんな情報網があるので、皆さんもそれを使って実際にゲームセンターに行って、ワンコイン入れてみてほしいです。
──最後になりますが、ドラマは97年頃以降のゲーム史が省略されています。今後、この時代のゲームを扱うような続編はありえるのでしょうか?
佐藤 本当にやりたいですし、ネタ的にもいろいろあったんです。この直後に音ゲーブームが始まって、恋愛シミュレーションの人気が爆発して、現在のオタク文化につながる。それと重なる時期に弾幕系ゲームが登場して、シューティングゲームが再びブレークする。さらにFPSという、ものすごい文化が海外からやってくるんですよね。格闘ゲームももっと盛り上がって、ウメハラ(梅原大吾)さんみたいなプロゲーマーも出現する。ネタは山ほどあるし、できれば映画版も作りたいのですが、これはもうDVDとBlu-rayの売り上げいかんによりますね。いろんな意味で、売れてくれたらいいですね(笑)。
(取材・文=有田シュン/文中敬称略)
●『ノーコン・キッド~ぼくらのゲーム史~』公式サイト
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http://www.tv-tokyo.co.jp/noconkid/>
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●「バック・トゥ・ザ・80's」トークライブVOl.1 開催!
「バック・トゥ・ザ80's」で取り上げたホビーを、開発者、関係者を招いて語り尽くすトークライブ開催決定。第1回は、連載12回でも取り上げた伝説のボードゲームシリーズ「パーティジョイ」をプレイバック。ここでしか聞けない、ナマの裏話が飛び出す!?
◇日時:2014年2月8日(土)18:30オープン/19:00スタート
◇会場:GAME CAFE&BAR Ninety
◇入場料:2000円(1ドリンク付き)
※1ドリンク以降のオーダーはキャッシュオンにて販売を行います。
◇チケット予約:キャパには限りがございますため、予約いただいたほうが確実です(※キャンセル料などは発生致しません)。
◇イベント公式サイト
<http://claricedisc.com/ev/20140208/partyjoy01.html>