横浜名物“帽子おじさん”のヤバすぎる過去にギョーテン!

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珍奇なものをこよなく愛するライター・北村ヂンが、気になったことや場所にNGナシで体当たり取材していく【突撃取材野郎!】。第22回は、横浜名物の帽子おじさんに会ってきました。  横浜近辺のイベントなどによく行く人だったら、一度は目撃したことがあるんじゃないかという名物「帽子おじさん」。  お手製の派手すぎる帽子をかぶって街中を練り歩いているんですが、インパクトありすぎなビジュアルだけに、遭遇してもちょっと話しかけづらい……。  そんなおじさんが、生誕80年を記念して個展『頭上ビックバン!帽子おじさん宮間英次郎 80歳記念大展覧会』を恵比寿のNADiff Galleryで開催中(現在は終了)ということで、ボクが代わりに帽子おじさんこと宮間英次郎さんに直撃取材してきました! あの愉快な帽子誕生の裏には、意外な事件があった!? ■内向的な子どもだったね ――「横浜の帽子おじさん」としておなじみですけど、生まれは三重県なんですよね。 「うん、伊勢のほうね。あの辺は旅館が多かったから、ウチの親父は戦前、女中さんたち相手に小間物屋というか、今でいう化粧品屋みたいなことやってたんだよ。でも、戦争で呉の海軍に徴兵されちゃって。広島に原爆が落ちた時には、たまたま鳥取だか島根だかに軍の物資を取りに行ってて助かったんだけど、ほかの人たちはほとんど死んじゃったらしいよ」 ――いきなり意外すぎる話からスタートしましたね。おじさんは、どんな子どもだったんですか? 「終戦して親父が帰ってきても、もう小間物屋なんて商売にならないから、夏はアイスキャンデーを売ったり、冬は水飴を売ったり、なんでもやってたんだよね。親がそういうことをやってるのって、子どもたちからすると、からかいの対象になっちゃうでしょ? おじさん、子どもの頃は体も小さかったから、いじめに遭ってたんだよ。もう学校もイヤになっちゃって、いつも下を向いているような内向的な子どもだったね」 ――内向的!? 今はこんな格好してるのに! 「いじめるほうは面白いだろうけど、いじめられるほうとしては本当にツラかった。だから、早く大人になって仕事をしたいと思ってたね。勉強もできなかったし、社会に出て自由になりたかったんだよ。それで中学を出たんだけど、まだ15歳だから何をしたらいいかわからなくて、最初はイヤイヤ親父がやっていた行商の仕事を手伝ってたんだけどね。それから17~8の頃、名古屋に出て行って……やっぱり若い頃ってバーテンとかが格好いいと思うでしょ? それでバーで働くことになったんだけど、なぜかボーイをやらされて」 ――バーテンじゃないじゃないですか。 「最初っからボーイをやらせるつもりだったのかなあ~? まあ当時は水商売やってる連中なんて、まともな人はいないわけよ。住み込みだったんだけど、布団がカビてるようなひどい部屋で……。すぐ辞めて『人生は、なんて厳しいんだ!』って思ったね」 ――いきなり挫折しましたね! 「それで、今度は自衛隊でも入ろうかって、京都の宇治駐屯地に入って訓練を受けたんだよ。体は細かったけど、それなりに体力はあったから、鉄砲の撃ち方とか、ほふく前進とかはついていけたんだけど、勉強が苦手でね……。ヤードやらフィートやら山の中で自分の居場所が確認できるかとか……いくら訓練を頑張っても、試験に受からないといつまでたっても二等兵なんだよ。それでイヤになって辞めちゃって」 ――挫折しますねぇ~。……それからどうしたんですか? 「実家に帰って、しばらくブラブラしていたんだけど“やっぱり仕事ないしなー”って、また自衛隊に入ろうかって思ったんだけど、入隊試験に学科があるから自信がなくて……」 ――えっ、一回受けた試験なんですよね? 「それでも自信なかったからさぁ~。弟を隣に座らせてカンニングしながら受験して、なんとか合格したんだけど、25歳の年齢制限に引っかかって入れなかったんだよね」 ――それ、受ける段階でわからなかったんですかね? 「数字弱いのに、わかるはずがないよ! それから大阪の西成に行って、日雇い仕事をやってブラブラしてたんだよね。当時は景気もよかったから、仕事がいっぱいあったんだ。一日働いたら疲れちゃうんだけど、日雇いだから次の日休んでも構わないし。あの頃、一日働けば8,000円くらいもらえて、西成のドヤは1泊550円とかだったから、たまに働くだけで全然生活できるんだよ。そんな自堕落な生活をしているうちに、競艇を覚えて……。西成から住之江に行ったり、尼崎に行ったり、琵琶湖に行ったり、グルグル回ってたね」
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3月21日~ 4月24日まで恵比寿のNADiff Galleryで行われた「頭上ビックバン!帽子おじさん宮間英次郎 80歳記念大展覧会」。どうにもこうにも目がチカチカします……
■痴漢をやめて帽子の世界へ ――それがいくつくらいの頃なんですか? 「30歳くらいかな? そんなことをやっているうちに、ちょっと道を踏み外しちゃってね。おじさん、子どもの頃から奥手だったから、ずーっと友達がいなかったんだよ。友達がいれば、道を外れそうになっても『そんなこと、やめたほうがいいよ』とかいさめてくれるじゃん。でも、友達いなかったら関係ないからね」 ――で、どんな道を外れたことをやってたんですか? 「要するに……痴漢だね」 ――痴漢! 「こう見えて昔は、結構いい男でモテたわけよ。中村錦之助とかそういう、のっぺりした顔が美形ってことになってたんでね。だから、映画俳優にでもなれるんじゃないかと思ってたの。でも蓄膿症の手術したら、顔の形が変わっちゃって……。映画俳優になっていじめていた奴を見返してやろうと思っていたのに、これから青春だっていう時期に、醜い顔になっちゃったんだよね。女だったら自殺しているよ。元の顔に戻らないとわかった時点で、自暴自棄になっちゃったんだ」 ――だから、痴漢しちゃったってことですか? 「まあそうだね。心が弱かったから仕方ないやな。この頃から、人生あきらめていたと思う。ギャンブルやって負けたら、次の日働かなきゃいけないでしょ? 心がカサカサしちゃうのね。あと、若い頃の性欲の勢いに負けてしまったんだろうね」 ――……。 「それから、東京の山谷、大阪の西成、名古屋の笹島、横浜の寿町……ってドヤ街を転々としながら日雇いをやって、痴漢もやって。旅の恥はかき捨てっていうじゃん。そういう感覚だったね」 ――痴漢で捕まったりはしなかったんですか? 「捕まった! うすうす警察にマークされていそうな感じはしていたけど、警戒心が足りなかった。目白だか高田馬場だかの駅で捕まって。“もうこんなことしてちゃダメだ”って、60歳手前くらいでキッパリ足を洗ったから」 ――随分長いこと痴漢してましたねぇ! 「捕まった後は本当に死ぬほど悩んで後悔して、一生後ろ指さされ、さらし者になって生きるよりも死んだほうがましだと思ったけど、なかなか自分の命を絶つことはできない……。ただ、悪いことは悪いことだけど、人を殺したわけじゃないからね。女の人から忌み嫌われるのはわかるけど……男の人なら少しはわかるでしょう?」 ――ま……まあ~。 「まあ、そういうことで痴漢からはキッパリ足を洗って、それから、こういう格好をするようになったんだよ」 ――!? 唐突すぎて意味がわかりませんけど、痴漢の代わりに帽子をかぶりだしたと? 「死ぬ度胸がなければ、いっそ開き直って? それまでは悪いことしてたけど、いまは更生している。これからは真面目にやろうという意思表示だよね。まあ、逆効果かもしれないけど」 ――は? 真面目にやろうという意思表示!? 「帽子おじさんをやりだしてから、初めのうちは『ちんどん屋』なんて呼ばれていたけど、だんだんと帽子が複雑になっていってからは、芸術的になったってわけじゃないんだろうけど、ちょっと上品な感じになってきたのか、悪口は少なくなってきたね」
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せっかくなので、記念撮影
■帽子は土日祭日、イベント時限定 ――最初の頃は、どんな帽子だったんですか? 「最初はもう簡単に、拾ったカップラーメンとかヤキソバの丼をかぶってみたりさ。それから、造花とか刺してみたり、もうちょっと派手にするなら土台が必要だなと思って、蛍光灯のかさとかを使うようになって……。アレだったらいっぱい載せられるでしょ? さらに金魚鉢をくっつけてみたり、いろんなことをやったね」 ――横浜近辺でよく見かけますけど、普段からこの格好をして出歩いているんですか? 「普段はしてないですよ。土日祭日とか 野毛の大道芸とか、隅田川の花火とか、そういうイベントの時にならするけど」 ――あ、そういうもんなんですね。最近、横浜にもうひとりの帽子おじさんが出没しているって知ってますか?
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おじさんの帽子コレクション
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「あー、知ってる知ってる。アレは私より10歳くらい若いヤツでしょ? アレはホント、パフォーマンス、目立ちたがりだな。自分の自慢しか言わないの。帽子も、ちんどん屋みたいに派手で、着物なんか着て自転車に乗っているよ」 ――やっぱり、真似されたなっていう意識はあるんですか? 「それはあるわな。なにしろ、目立ちたがりだもん。おじさんは、写真を撮りたければ別にいいですよっていう感じだけど、アレの場合は自分から積極的に写真撮られに行ってるから!」 ――おじさんの場合は、目立ちたいということでやっているわけではない? 「目立ちたいのも半分くらいあるけど、みんなに楽しんでもらいたいとか、まあいろいろと複雑な感情があるわな。でも、アレほど目立ちたがりじゃないですよ」 ――ちなみに、帽子の数はいくつくらいあるんですか? 「十何個とかかなぁ~? 今まで30くらいは作ってるけど、作っては壊しってしてるから残ってないんだよな」 ――この帽子が、海外とかではアートとして見られているということに関しては、どう思いますか? 「アートっていうのは申し訳ないね。そもそも、アートが何なのかわらないからね。周りの人たちがアートだって言ってくれるけど、コレが『アット』驚くような面白いもんかなー? ……って。まあ、自分からアートだって大声で言わけじゃないけど、周りが言ってくれる分には構わないよね」 ――それじゃ最後に、これから作ってみたい帽子は? 「いや、もうネタ切れだな。もう限界でしょ、これくらいで。これ以上いろいろと載っけたら、重くなりすぎちゃってかぶっていられないもん。まあ、あくまでも材料がそろったら作るっていう感じだね。できたら作るし、できなければ自然消滅ですね。そんなことより、競艇で金儲けて、世界一周とまでは言わないけど、アジア旅行くらい行きたいね!」 ***  痴漢をやめたから帽子を作りだした……という理屈はまったくわからないけれど、それが海外でアートとして認められちゃうというのはスゴイ。「天然」な人のすごみを感じますな。 「キンキンも石原裕次郎も同級生だけど、みんな死んじゃった」という帽子おじさんですが、まだまだお元気そう。競艇もいいけど、帽子の新作もドンドン作ってもらいたいところです!
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(取材・文・イラスト=北村ヂン)

小さい誌面にディープな情報がみっちり詰まった「ケイブンシャの大百科」今昔物語!

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記念すべきシリーズ第1弾
 まだインターネットの存在などまったく世の中に知られていなかった80年代。人々の情報源は、テレビ、ラジオ、そして雑誌や新聞などの紙媒体だった。  それは子どもの世界でも変わることはなかった。「てれびくん」「テレビマガジン」「テレビランド」などのテレビ情報誌や、小学館の学年誌。はたまた「コミックボンボン」「コロコロコミック」などの漫画雑誌が、子どもたちの情報源として日本中で重宝されていた。  しかし、これらの雑誌に掲載されている情報の大半は、広く浅い内容だったことも事実。 「もっと深く、もっと多くの情報を知りたい!」という具合に、子どもたちの知的好奇心は、やがて雑誌からの情報だけでは満足しきれなくなってきたのだ。そんな僕らを魅了していたのが、今はなき出版社・勁文社から発行されていた「ケイブンシャの大百科」シリーズだ。手のひらに収まるコンパクトサイズな豆本ながら、ちょっとした辞書のような分厚さを誇るこのシリーズは、まさに「大百科」と呼ぶにふさわしい充実した内容で、子どもたちにお値段以上の価値を感じさせてくれた。今回は、そんな80年代の「ケイブンシャの大百科」のお話だ。 ■オタク第1世代が大百科にもたらした影響  まずは、「ケイブンシャの大百科」の簡単な歴史を解説しよう。怪獣ブーム真っ盛りの1971年、勁文社の編集者であった佐野眞一氏が編集を手掛けた『原色怪獣怪人大百科』が大ヒットを記録。その後、佐野氏は同社を退社しノンフィクションライターとして活動を開始するわけだが、『原色怪獣怪人大百科』は毎年、登場怪獣数を増加しつつ『全怪獣怪人大百科』として発売されるようになる。そして70年代後半に子ども向けの豆本に再編集される。これが「ケイブンシャの大百科」シリーズの第1弾となり、以降、勁文社が倒産する2002年まで続く超ロングランシリーズとなる。  「大百科」シリーズの題材となったのは、特撮、アニメ、ゲーム、プラモデル、ラジコンといったホビーからプロ野球、映画タレント、アイドルなどの芸能・スポーツ。はたまたクイズ、お料理、昆虫、動物などの雑学まで多種多様。当時の子どもたちは、分厚い誌面に大量の情報が詰まった、コストパフォーマンスのよすぎる大百科を穴が開くほど読みふけった。このシリーズを読みすぎて、うっかりオタクの扉を開いちゃった子も少なくはないはずだ。そんな「ケイブンシャの大百科」がよりディープに、よりマニアックに進化していったのが80年代初頭のことだ。 「当時はオタク文化がちょうど盛り上がってきた頃で、その頃からマニア相手にも作り始めた面はあります」  そう語るのは、80年代初頭に勁文社で「大百科」シリーズを編集していた編集者・黒沢哲哉さんだ。 「当初は『大百科』シリーズには子ども向けの図鑑、というイメージがあったのですが、80年代初頭に(50~60年代生まれの)僕ら世代が勁文社に入ってきたことで、ちょっとずつノリが変わってきたんだと思います。当時、朝日ソノラマが昔の懐かしいものを掲載した雑誌『宇宙船』を出し始めたり、ガンダムブームが起こって、そこで出てきたマニア向けの要素を子ども向けの本にも入れ始めたんです。その結果、子ども向けというスタンスはそのままに、大人にも価値がある本が生まれ始めました。例えば、最初はそんなにデータとかもしっかりしてなかったけど、だんだんとスタッフやキャスト、放送日などのデータもちゃんと入れようよとかね」
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分厚い横面
 80年代初頭といえば、いわゆるオタク第1世代が世に出始めた時代である。幼少期より、テレビや漫画、SFなどのサブカルチャーに親しんできた黒沢さんたち、オタク第1世代が「大百科」シリーズに参加することで、どんどん「大百科」シリーズは濃い内容になっていった。  当時は今と違って、まだまだオタクカルチャーが世間に認知されるはるか昔の時代。当然、マニア向けの資料集など『機動戦士ガンダム』や『宇宙戦艦ヤマト』など大ヒット作以外はごくわずか。ということで、子どもに交じって「ケイブンシャの大百科」を買い求めるアニメ・特撮オタクも少なくはなかったそうだ。  ちなみに筆者が「大百科」シリーズに初めて触れたのはこの時代。当時では考えられなかった、いつも見ているテレビの中では怖~い女幹部が、大百科の中ではヒーローと一緒に笑顔でピースしているというオフショット写真がバンバン掲載されたり、今で言うところの同人テイスト満載のコミカライズが掲載されていたことをよく覚えている。  この頃、特撮番組の舞台裏がメディアに出ることは出版業界では異例の事態だったらしく、SF雑誌・オタク向け雑誌編集部から「レギュレーション違反だ」というようなクレームもあったそうだ。  とはいえ、当時まだ幼かった自分は「大百科」シリーズの、業界内のご法度記事を通じて「特撮ヒーローの舞台裏」にブラウン管には映らない大人の世界を感じ、後に立派なオタクになるきっかけとなったことは間違いない。そう考えると、「ケイブンシャの大百科」が当時のオタクカルチャーに与えた影響は小さくはなかったのではないだろうか。
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大ヒットを記録した
■全盛期を迎えた80年代初頭  冒頭でも述べた通り、「ケイブンシャの大百科」が扱う題材は非常にバラエティに富んでいたわけだが、それらはいかにして企画・編集され、どのくらいのペースで出版されていたのだろうか? 「時期によってばらつきはあったんですけど、だいたい月に4冊出していました。ほぼ週刊でしたね。編集は実質10人くらいで、年間50冊くらい出していたので、一人の編集者がだいたい年間で3~4冊を担当していました。売れていない本でも3~5万部は刷ってて、キャラクターものになると10万部くらい刷っていましたね。どの本も、ほぼ即重版がかかっていました。どんな本でもそこそこ売れているから、時々変な本が出てもそれなりに売れるんです。こちらとしても、とにかくコンテンツが欲しくて、常にネタを探していました。面白い話とかネタが編集部に入ってきたら、すぐに『それやろう』ってなるんですよ(笑)。だから大したマーケティングとかしていませんでした」
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珍品中の珍品
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水野晴郎がポリスのコスプレを披露
 なんと豪快なエピソードだろう。出版不況と言われて久しい昨今では、とても信じられない状況である。ちなみに「変な本」の中には、『エチケット・マナー大百科』『ユン・ピョウ大百科』『おりがみ大百科』『水野晴郎の世界のポリス大百科』など、タイトルを見るだけで興味が惹かれるものも多々。中には、いろいろな生物の排泄物を紹介する『ウンチの大百科』や、かなり時代を先取った性教育の大百科『からだなぜなに大百科』など、かなりエッジなものもあった。そんな「変な本」の中で、黒沢さんが携わった一冊が『忍者・忍法大百科』だ。 「当時、大百科は320ページ埋める必要があったんですが、忍法をネタにしても普通にやると埋まらないんです。まず伊賀忍者、甲賀忍者って忍者を紹介して32ページくらい。残りの300ページくらいをどう埋めるかというと、もう編集がでっち上げていくわけです。この本の場合は、忍者のコスプレをしてフォトストーリーを作ることになったんです。パーティ用のコスプレ衣装を用意して、僕の大学時代の後輩を呼んで、いきなり『これを着ろ』って命令していました(笑)。そのストーリーですか? もちろん僕たちで書きました」  その他、『怪獣プラモ大百科』では円谷プロ監修の『ウルトラQ』公式フォトストーリーを編集部で作ったり、『アニメアイドル大百科』では当時まだ晴海の東京国際見本市会場で開催されていたコミックマーケット会場に出向き撮影したコスプレイヤーの写真を掲載したりと、黒沢さんはかなり好き勝手に大百科を制作していたという。  ちなみにこの頃、映画評論家・町山智浩のような後のビッグネームも、編集者・ライターとして大百科に関わっていたという。このように個性的な人物が子ども向けに本格的な書籍を作り続けていたのが、80年代の「ケイブンシャの大百科」だったのだ。 ■ケイブンシャの大百科の終焉……そして現在
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キヨマー時代の一冊
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鉄道系も充実
 しかし、ケイブンシャの大百科の全盛期は、80年代後半には過ぎていたという。 「80年代後半になるとマンネリ化し始めたせいか、徐々に売れなくなってきていました。売れなくなると悪循環で、だんだんページ数が減って、金額が上がっていきます。そうなると、読者のお得感も減ってきたと思います。もう80年代半ばくらいからその気配がみられるようになって、そろそろ勁文社も大百科依存から脱却しようという空気になってきました」  この頃になると、特撮・アニメオタク向けの設定資料集や書籍も数多く出版されるようにもなっていたことから、高年齢層の読者も離れていたということだろう。ケイブンシャの大百科で、オタク趣味に目覚めてしまった子どもたちも、ある程度年齢を重ねて、よりマニアックな専門誌に情報を求めていったのかもしれない。いずれにせよ、日本全国の子どもたちやオタクに知識や情報獲得の快感を教えてくれたケイブンシャの大百科は、80年代のサブカルチャー史に多大な影響を与えながらも、誰にも評価されることなく役目を終えていった。 90年代に入ると、80年代に数多く出版された「変な本」は姿を消し、アニメやゲームの情報を集めたものと過去に出版された雑学系大百科の改訂版が主力となった。かつて「ケイブンシャの大百科」シリーズが持っていた、得体の知れないパワーは鳴りを潜め、2002年、勁文社の倒産とともに30年近くに及ぶ歴史に幕を下ろした。  しかし、ケイブンシャの大百科が僕らに与えてくれた熱気は、今も多くの人の胸にくすぶっている。そんな熱気を再び呼び起こしてくれるような一冊を、黒沢さんは10月18日に上梓する。
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 そのタイトルは、『よみがえるケイブンシャの大百科~伝説の70~80年代バイブル~』(いそっぷ社)。ケイブンシャの大百科の内容を振り返ることのできるテキストや、いま見てもワクワクする表紙画像、本文画像などをギュギュっとまとめた、まさしく「大百科の大百科」とでもいうべき一冊だ。 「勁文社は、編集の仕事のことは何も教えてくれませんでした。全部独学で学ぶしかありませんでした。それでも続けていたのは、やっぱり大百科を作ることが好きだったからでしょうね」  黒沢さんはこう当時を懐かしみつつ、ケイブンシャの大百科への愛を語る。最後に彼は「そうそう」と、当時の読者である子どもとの、あるエピソードを語ってくれた。 「ある子どもが、学校でアニメの歴史を調べてこいって言われて、『アニメの歴史を調べたいんですけど』ってたどたどしい声で電話してきたんです。でも、こっちも専門家じゃないから『よく分からないです』って答えると『はあ~』って、ものすごいがっかりした声を出すんです。それで、会社にある資料と他社の本をまとめて箱に詰めて送ってあげたら、親御さんから『期待を裏切らなかった。ありがとう』っていう長文の手紙と菓子折りが来たんです」  なんと心温まるエピソードではないか。 「やっぱり僕たちは、大百科を読んでくれる子どもたちに作っていたからね」  黒沢さんはそう語る。 「もっと面白い情報を詰め込みたい」と意気込む編集者・ライターと、「ケイブンシャの大百科なら、きっと知らない情報が載っているはず」と期待する読者の間にある信頼関係こそが、このシリーズの一番の魅力だったのかもしれない。 (取材・文=有田シュン[シティコネクション]) <イベント情報!> シティコネクションpresents 「『よみがえるケイブンシャの大百科~伝説の70~80年代バイブル~』発売記念! バック・トゥ・ザ80’sトークライブ Vol.2 ケイブンシャの大百科ナイト!」 今回の記事の内容はもちろん、さらにいろいろなエピソードや制作裏話が飛び出す爆笑トークライブを開催! 当日は、今はなき「ケイブンシャの大百科」編集部の映像も上映される!? 【日時】10月26日(日)開場 18:00/開演 19:00 【出演者】黒沢哲哉(元・ケイブンシャの大百科編集者)、☆よしみる(元・ケイブンシャの大百科編集・漫画執筆など)、有田俊(ライター)、斉藤淳一(歌手) 【会場】東京カルチャーカルチャー 【料金】前売チャージ券 2,100円 /当日チャージ券 2,600円(要1オーダー制 アルコール500円~、ソフトドリンク420円~) 詳細はこちらから <http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_140929204700_1.htm>

廃墟から産業遺産へ──未来へ受け継がれていく炭鉱の記憶『未来世紀軍艦島』

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『未来世紀 軍艦島』(ミリオン出版)
 廃墟が静かなブーム、なんて話も今はむかし。廃墟ファンも、そうでない人も、軍艦島といえばすっかりおなじみのスポット。廃墟界のスーパースターだ。2009年の立ち入り制限解禁以来、多くの上陸ツアーが組まれるなど、その人気はもはや静かなブームといえないほどの盛況ぶりを見せている。今年1月、政府はユネスコに同島の世界遺産登録に向けて推薦書を提出。先日、富岡製糸場が世界遺産に暫定登録されたことで、「軍艦島も世界遺産に」という機運が高まってきている。「秘境・軍艦島」から「世界遺産 端島(軍艦島)」となる日も、そう遠い未来のことではないかもしれない。  先人たちの生きた記憶は、興隆期の形を留め、未来へと受け継がれていく。『未来世紀軍艦島』(ミリオン出版)は、フリーカメラマンの酒井透氏が撮った軍艦島の写真集だ。全160ページに収められた写真は100点余り。青い海に浮かぶ島の外観は軍艦そのもの、工場の遺構はハードボイルドな雰囲気を漂わせ、住居跡は不思議ともの悲しい。大判サイズで観る遺構写真は圧倒的迫力に満ちている。巻末には島内地図や各写真の詳細な説明が掲載され、この一冊であたかも島内を巡っているような気分に誘われる。  端島(はしじま)は、長崎港から南西約18kmにある無人島で、明治初頭から1974年の閉山まで、海底炭鉱の掘削および製炭の拠点として大いに賑わい、日本の近代化を支えてきた。軍艦島の通称は、島の外観が軍艦に似ていることに由来する。1960年(昭和35年)の最盛期には5000人を超える人々が起居し、世界一の人口密度を誇った。  遺構には、人々が暮らした息吹が今も息づいている。  夜明け間近の鉱業所跡。幾重にも並んだベルトコンベアの支柱が稼働していたころ、活況は如何ばかりであったろうか。 dsaadf.jpg  荒れ果てた民家のふすまには「金魚とことりをおねがいします えさは少しでいい」その家の子どもが、残してきた金魚を案じて書いたのだろうか。脇には金魚と小鳥のイラストが添えられ、涙を誘う。 dfsakhfw.jpg  島唯一の寺院・泉福寺跡。屋根も外壁も破壊されているが、地蔵が海を望み、今も全島を守り続けている。 fwqrfwqfqwrwf.jpg ――足しげく通い、レンズを向けているうちに、そこに立ち現われてくるものがあった。様々なものが、まるで固有の表情を見せ始めたようにも感じられ、それはあたかも遺構や建物が命を吹き返してくるようだった。(本文あとがきより)  遺構は過去のものであるが、今を生きる私たちに、当時より熱く活気を伝え、より新鮮な感動を持って、ありし日を思い起こさせてくれる。忙しくて現地まで行けない人も、この『未来世紀軍艦島』が手元にあれば、居ながらにして軍艦島の息遣いを感じることができるだろう。 (文=平野遼)

おまけシール全盛期を盛り上げた「ガムラツイスト」「ラーメンばあ」今昔物語!

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アイデア満載なシールと、意外に壮大なストーリーが男子のハートをがっちりホールド! 
アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。懐かしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   日本全土がおまけシールブームに沸いていた1980年代後半。当時、おまけシール界の王者として君臨していた「ビックリマン 悪魔VS天使シール」(ロッテ)に迫る勢いで高い人気を誇っていたのが、「レスラー軍団抗争シール」シリーズである。「ラーメンばあ」(カネボウフーズ)、「ガムラツイスト」(ベルフーズ/カネボウフーズ、ベルフーズは現在、クラシエフーズに統合)という2種類のお菓子で展開していたこのシリーズは、プロレスを題材にした世界観。ちょっぴりゴージャスでお得な2枚重ね・3枚重ねシールや、キャラクターの強さが一目でわかるパワーゲージ。まるで漫画の1コマをシール化したようなストーリーシールなど、過剰なエンタメ志向が特徴で、凡百のおまけシールに満足できないユーザーの心をがっちりホールド! 後に、テレビアニメも2作品制作されるほどの人気を獲得した。  今回は、そんなおまけシール全盛期を盛り上げた「レスラー軍団抗争シール」のお話だ。 ■レスラー軍団誕生秘話  「レスラー軍団抗争シール」の歴史は、80年代後半に発売された棒状のラーメン菓子「ラーメンばあ」の登場から始まる。  同商品は、ラーメン軍と麺魔軍という2つのプロレス団体の抗争を描く「覆面レスラーシール」をおまけとして封入。すでに「ビックリマン 悪魔VS天使シール」に端を発するおまけシールブーム真っ盛りの当時、その後を追うおまけシールが多数、世の中に流通していたが、「覆面レスラーシール」は、 ・キャラクターの強さを数値化したパワーゲージを掲載 ・シールを使って、軍人将棋的なルールのボードゲームが遊べた ・2枚重ねのWシール仕様となっており、シールをめくることでキャラクターのパワーアップする様子が描かれた などなど、男子心をくすぐるギミックを複数搭載することで、その他フォロワーたちと一線を画していた。  その後、ほどなくして同じく「覆面レスラーシール」をおまけに付けた、いちご風味のガム菓子「ガムラツイスト」が登場。しばらくは、2つの商品に同じシールが封入されるという状況が続いた。  この「覆面レスラーシール」──後の「レスラー軍団抗争シール」のストーリー、デザインなどを一手に請け負っていたのが、現在も活躍するデザイン会社、スタジオ・メルファンだ。同社は、もともと漫画家として活躍していた桜井勇氏が起ち上げ、80年代以降の日本のキャラクターグッズ業界に多大な影響を与えた企業である。 「もともと自分はタカラ(現・タカラトミー)の『こえだちゃん』のデザインをしていまして、そこからイラストの仕事が増えていきました。そのうちに、いつの間にかイラストレーター集団となって、会社化したという経緯があります」(スタジオ・メルファン 桜井勇社長)  「こえだちゃん」といえば、今も人気の女児向けマスコット玩具だ。そんな人気キャラクターを手掛けていたスタジオ・メルファンに、おまけシール制作の声がかかったのは80年代半ばのことだ。  印刷会社・A社(仮名)のスタッフが、ビックリマン人気を受けて新たなおまけシールを企画。そのデザインをスタジオ・メルファンに発注したところから、運命は動き出した。  この企画に深く関わっていたのが、当時新入社員だった安島まゆみ氏と下條美治氏。そして、桜井氏が拝み倒してスタジオ・メルファンに合流してもらったというデザイナーの山下篤則氏だ。安島氏がシナリオを、下條氏がキャラクターデザイナーを担当し、山下氏、櫻井氏をはじめとするメルファンスタッフたちが着色するという体制の下、「覆面レスラーシール」はスタートした。  この頃は、ほとんど女子スタッフばかりだったというスタジオ・メルファンだが、もともと永井豪作品や『ベルサイユのばら』など壮大なスケールの漫画が好きだったという安島氏は、アイデアマンだったというA社のスタッフが次々と提案してくるむちゃブリ……もとい、アイデアの素を1本のストーリーに構成。イラストレーター陣はそれを受けて、ドン・ゴッド理事長、ロビン・ゴッド、星若丸、キラー・ジョー、アイ・ガーン大佐など、カッコよくて、どこかコミカルなキャラクターを多数生み出した。 ■プロレスから宇宙戦争までを描いた、壮大なストーリー!  その後、「ラーメンばあ」と「ガムラツイスト」は時間軸、世界観を共有しながらも別々のストーリーを展開するようになる。「ラーメンばあ」は地球上で繰り広げられるレスラーたちの戦いと、長年にわたる因縁の抗争を描く伝奇もの的なシリーズへ。また「ガムラツイスト」は、異星人との宇宙戦争を描くSFへと変貌していく。  それらをまとめ、シリーズは「レスラー軍団抗争シール」へと発展。ファンはそれぞれのシリーズを追いかけつつ、断片的に開示される情報を元に、2つの物語から構成される壮大な「レスラー軍団抗争シール」の世界に思いをはせていた。  今にして思えば、少年漫画テイストと大河ドラマ的ロマンを併せ持つ安島氏のシナリオと、少女向け商品のデザインを多く手掛けた桜井氏、彼が三顧の礼で迎えたという山下氏。はたまた、後に『星獣戦隊ギンガマン』『救急戦隊ゴーゴーファイブ』など、特撮ドラマでもキャラクターデザインを手掛けるようにもなる下條氏といった、三者三様の個性を放つイラストレーターのテイストが融合することで、「覆面レスラーシール」──もとい「レスラー軍団抗争シール」は他のおまけシールとは一味もふた味も違う、熱くも懐の深い作風を獲得することができたのかもしれない。 ■覇権まであと一歩だった!?   そんなストーリー面、キャラクター面で大きな魅力を放っていた「レスラー軍団抗争シール」シリーズだが、登場キャラクターたちの姿を収めたシールそのものにも見どころが多かった。 「当時『レスラー軍団抗争シール』を手掛けていたA社は、常に新しい印刷技術の情報を持っていたので、コスト的な問題がクリアできるとなると、すぐに『これをやってみよう』という話になるんです」  桜井氏の言葉を裏付けるように、「レスラー軍団抗争シール」シリーズには定番のキラシールのほかに、色鮮やかなホログラムシールや紫外線に反応して絵が浮き出るシール。2枚重ねよりもゴージャスな3枚重ねシールなどなど、弾を追うごとに新技術が惜しげもなく投入されたシールが続々登場し、全国の少年たちの目を楽しませた。  いわば「レスラー軍団抗争シール」は、日本の最先端のシール技術の実験場でもあったのだ。  そういった意欲的な挑戦をし続けた結果、「レスラー軍団抗争シール」はぐんぐんと売り上げを伸ばし、最盛期の「ガムラツイスト」の勢いは「ビックリマン」に拮抗するほど。そのおかげで、スタジオ・メルファンはA社から表彰されるほどだったというから、その人気ぶりがいかほどだったかうかがえるだろう(ちなみに「ラーメンばあ」よりも「ガムラツイスト」のほうが、売れ行きは良かったそうだ)。  ここからは筆者の臆測だが、「ビックリマン 悪魔VS天使シール」は中盤まではギャグ要素とシリアスな要素がバランスよく併存していたが、弾を追うごとに徐々に神話的な色彩を帯びていき、いつしか壮大な叙事詩とでもいうべき世界観に到達してしまった。そのため、序盤の「なんでもあり」なテイストを好んでいた「ビックリマン」ユーザーの中には、団体の離合集散やバトル要素の強いストーリーといった、まさにプロレス的エンタメを最後まで貫いた「レスラー軍団抗争シール」に乗り換えた人もいたのではないだろうか。  ともあれ、おまけシールを通じてさまざまな物語を体験できた当時の子どもたちは、幸福だったことは紛れもない事実である。 ■スタッフが再結集して生まれた「真おくのほそ道」シール!
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 その後、90年代に入るあたりで「ガムラツイスト」は第15弾で完結。「ラーメンばあ」は、シリーズ完結目前の第13弾で打ち切りとなった。以降も復刻シールが発売されたものの、単発企画で終わってしまっている。  このまま「レスラー軍団抗争シール」の魂は潰えてしまうのか……と誰もが思っていたが、2014年に入って当時のスタッフが再び集結し、新たなおまけシール商品「真おくのほそ道キャンデー」(企画販売・ワイエスコーポレーション)が登場した!
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 下條氏がキャラクターデザイン、「ガムラツイスト」「ラーメンばあ」のデザインを務めた山下氏がデザインおよびストーリーを担当。桜井氏が公式サイトにて展開しているコミック版の執筆を、それぞれ手掛けている(安島氏はすでに引退しているので、不参加)。
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 「真おくのほそ道」は、そのタイトル通り江戸期の俳人・松尾芭蕉が著した「おくのほそ道」をモチーフに、神々や妖怪がバトルを繰り広げるストーリーとなっている。  4月に第0弾が発売されるや、通販限定商品ながらたちまちソールドアウト! 「レスラー」世代のシールコレクターはもちろん、「真おくのほそ道」のキャラと世界に魅了された若い世代のファンもすでについているそうだ。 「『おくのほそ道』の世界を膨らませて、さらに面白い物語を描きたい」(山下氏) 「なるべく昔の(「レスラー軍団抗争シール」の頃の)感じを再現するようにキャラを描いていきたいです」(下條氏) と、各スタッフも久方ぶりの新作おまけシールに気合十分といったところだ。現在、第1弾の発売に向けてスタッフ一丸となって制作中とのこと。  シリーズ誕生から30年も目前に迫った現在も、「レスラー軍団抗争シール」の魂は形を変えて生き続け、おまけシールファンを魅了し続けている。 (取材・文=有田シュン[シティコネクション])

「ナムコ黄金期の『ゼビウス』で始めたかった」原案・脚本の佐藤大が語る、『ノーコン・キッド』制作秘話

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 普段はアナログ系ホビーを取り上げているこの連載だが、やはり80年代のホビーを語る上で無視できないのがデジタル系ホビーの代表「コンピュータゲーム」だ。ファミコンやアーケードゲームが続々と登場し、子どもたちのハートをわしづかみにしていた80年代は、現在以上にコンピュータゲームに対して夢と希望が満ちていた時代だった。日進月歩で進化するグラフィックと、次々飛び出す工夫を凝らしたシステム。そして耳に残るサウンドに、僕らは胸を躍らせまくっていた!  今回は「バック・トゥ・ザ80’s」番外編として、そんなコンピュータゲームの進化とともに青春を送った少年・少女たちの青春を描き、大きな話題を呼んだテレビドラマ『ノーコン・キッド~ぼくらのゲーム史~』(テレビ東京系)の原案・シリーズ構成・脚本を手掛けた佐藤大氏に、ドラマの制作裏話と80年代のゲームに対する思い出を語ってもらった。 ■ゲームに対する世の中の認識を変えたかった! ──まずは、企画の発端を教えてください。 佐藤 もともと10年以上前からゲームセンターを舞台にした青春物語をやりたいと思っていたんですけど、実際に動き出したのは3年ほど前です。最初は映画でやるという話でスタートしたんですが、テレビ東京のプロデューサー・五箇公貴さんに、ぜひテレビシリーズでやらないか、というお話をいただいたんです。 ──そもそもなぜ、ゲームを題材にしたドラマを作りたいと思うようになったんですか? 佐藤 僕の原体験が、まさにゲームセンターで遊んでいた友達との付き合いや思い出なんです。ゲームって、「ゲーム脳」とか「コミュニケーション不足になる」とか言われて、定期的に悪者になるじゃないですか。でも、僕はゲームを通じて友達を作ったという実感があるんです。だから、そういう世間の意識をなんとか変えたかったんです。  そのほかに、僕は昔『ポケットモンスター』を作ったゲームフリークという会社に所属していたんですが、社員の半分くらいが当時のハイスコアラー(ゲームで高得点を獲得する達人のこと)だったんです。そこでスターゲーマーたちのエピソードを聞くことが多くて、それが本当に面白かったんです。そのエピソードをドラマ化したかった、というのもあります。 ──ゲームプレイヤーたちのドラマという構成は新鮮でした。 佐藤 今までもゲームを題材にしたドラマというのはいくつかありましたが、クリエイターの話とかゲームが脇役に回っている話が大半だったので、今回はゲームの実機を使ってプレイヤーの話を描きたかったんです。そこが、今回の企画の根幹でしたね。 ──本作は実際に当時の筐体(アーケードゲームのセット一式のこと)や、ゲーム画面が登場するところも話題になりましたが、出てくるタイトルのチョイスが絶妙でした。登場ゲームのコーディネートは、どう行われたのでしょうか? 佐藤 ドラマの大枠ができたところで、まず私と『ゲームセンターCX』(フジテレビONE/TWO/NEXT)も担当されている酒井健作さんとほかのプロデューサーたちで、出したいタイトルをリストアップしました。でも、「あれを出したい」「これを出したい」って全然収拾がつかなかったので、ジャンルで分けることにしたんです。RPG、アクション、シューティング、格ゲー、恋愛とジャンルに分けたら、わりとストーリー展開とすり合わせられるようになりました。もし入れたいゲームの許可が取れなかった時も、ジャンルが同じならドラマを先行させてほかのタイトルに差し替えることもできるので。 ──多数のゲームが登場するということで、各メーカーへの許可取りも大変だったのではないでしょうか? 佐藤 そうなんです。今回のドラマで一番大変でした。本作は原作がないオリジナル物なので、「ゲームがどういう扱われ方をするかわからないので、まずは脚本を見せてください」と皆さんおっしゃるんですが、こちらも許可が下りないと脚本を書けない。自分としては、絶対に第1話に『ゼビウス』を出したかった。『ゼビウス』を根幹にして『ドラクエ』『バーチャファイター』を使いたかったので、これらのタイトルが使えなかったらヤバいと思っていたんですが、まずバンダイナムコさんにOKしていただき、第1~3話をナムコゲームで作ることができました。80年代序盤から中盤は、本当にナムコ黄金期でしたからね。この3本の脚本を持って他社さんに許可をいただきに行く、という形で今回の企画が実現しました。  だから、ストーリーをまとめることと、制作進行上の都合という2つの意味でジャンル分けを行いつつ、あの時代をどう象徴するジャンルなのかというところを考えながらタイトルをチョイスしました。あの時代のナムコは、神がかっていましたからね。
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■コイン投入は「変身」で、ゲームシーンは「バトル」! ──やはり、80年代前半のナムコへの思い入れは強いですか? 佐藤 強いですね。本当は、『パックマン』は物語開始時点よりちょっと前の時代のゲームだったのですが、絶対に出したかったですし、『ポールポジション』もいわゆるリアビューのレースゲームとしては最初にヒットしたという点でポイントでした。ただ筐体があまり残ってなかったので、ミカドさん(高田馬場にあるレトロゲームに強いゲームセンター)に動いてもらえてよかったです。  また、ナムコに限らず、各メーカーに当時のポスターとかポップって、もう残ってないんです。そこで、SNSなどを通じてコレクターを探して、お借りしたんです。でも、すごく大事な物なので、そのまま使えない。ということで、それを撮影してプリントし直し、ポスターとして使いました。 ──すごい手間ですね! そのこだわりから、あのゲームセンターのリアリティが生まれていたんですね。 佐藤 筐体も各メーカーに残ってないので、それも全部探して回りました。これはもう、ゲームコーディネートで参加していただいた安部理一郎さんとか、ナツゲーミュージアムさん(秋葉原にあるレトロゲーム系ゲームセンター)やミカドさんたちがいてくれたおかげですね。やはり、エミュレーターは使いたくなかったんです。それは見る人が見たら、絶対にわかっちゃいますから。結果的に見る人が見ないとわからない感じになっちゃいましたけど、テレビ東京の深夜ドラマだからこそできた、という感じがあります。そこはプロデューサーも含め、皆さんがわかってくれていたということですよね。  それと、シリーズ監督の鈴村展弘さんの力が非常に大きかったですね。彼はもとも「平成ライダー」シリーズとか『アキバレンジャー』とか撮られている方で、ゲームのバトルシーンをすごく丁寧に演出していただきました。普通の監督ならゲームのシーンを省いちゃうところを、コイン投入のシーンは「ヒーローの変身シーン」。ゲーム対決のシーンは「変身後のバトルシーン」という意識で、1~3話のゲームシーンをしっかり撮ってくれました。そんな鈴村監督にいいスタートアップを作っていただき、その後、いろんな監督にぶち壊してもらうという、すごくいいバランスで制作してもらえました。 ■自分自身と向き合うきっかけになった『ノーコン・キッド』 ──80年から90年代初頭といえば、ゲームとサウンド系のカルチャーをクロスオーバーさせる試みが、細野晴臣やいとうせいこう、スチャダラパーらによって何度も行われていた時代です。その中で佐藤さんも、クラブにモニターとゲームを持ち込み、クラブカルチャーとゲームカルチャーの融合を試みる「東京ゲーマーズナイトグルーヴ」というイベントを開催していました。劇中でも、そのイベントを下敷きにした「東京G2ナイトグルーヴ」というクラブイベントが出てきましたね。自身の活動がゲームの歴史として描かれた時は、どう思われましたか? 佐藤 気恥ずかしかったですよ(笑)。本当は避けたかったんですけど、企画を練る時間は10年くらいあったんですが、企画が通ってからは1カ月半で全部仕上げなきゃいけなかった。とにかく時間がなかったので、もう自分の引き出しを開けるしかありませんでした。加えて、最近ノスタルジックにゲームが扱われる際に、ゲームとクラブ文化やファッション文化を結びつける文脈が省かれがちなんですが、原案・シリーズ構成を自分がやる上で、このあたりを題材にしたら「自分らしさ」って出せるんじゃないかなと。  それと今回、砂原良徳さんが音楽を担当していて、彼にも一回ドラマに出演してもらいたかったんですよ。その時に、クラブDJっていうポジションが一番自然かなと思ったんですよね。そういう複合的なところから、クラブのエピソードが生まれました。観客のエキストラも、友達に電話しまくって、当時の衣装で来てもらったんです。当時の衣装を大切に持ってくれているのは、彼らしかいないので。 ──まさに、人脈とキャリアを総動員して作られた作品ですね。 佐藤 本当に低予算だったので、手弁当でやる部分が大きかったです。だから使えるものは自分の過去も使う、という感じでした。確かに恥ずかしい部分もあるのかもしれないけど、こういうものがドラマとしてフィルムに残ることなんてなかなかないので、これはこれでいいのかなと思います。 ──堀井雄二さんや遠藤雅伸さんをはじめ、ゲーム業界の伝説的クリエイターも数多く出演されていて驚きました。 佐藤 僕らにとって神みたいな存在の方たちなので、出演してくださった時は本当にうれしかったです。 ──ゲーム業界人すら巻き込んで制作された『ノーコン・キッド』は、佐藤さんにとってどんな作品ですか? 佐藤 どうなんでしょう(笑)。結果論として、過去の自分と向き合わないといけなくなり、一回しか使えないアイデアで作ったドラマになりました。アニメーションをやりながらゲームの脚本もやってきたこれまでの自分のキャリアが、各メーカーさんたちが協力してくれた理由の一部になりましたし。当時は何者でもなかった友達を総動員した作品にもなっているので、そういう意味でも特別な作品です。 ──佐藤さんの、ゲームと共に歩んできた人生が結晶になったという感もありますね。 佐藤 結果論ですが(笑)。最初から俺の結晶を見てほしい、という気はまったくありませんでしたが、そうなっちゃったなと(苦笑)。ちょうど今年で45歳なんですけど、砂原さんとは「40を過ぎてからでないと、こういうのは作れないよね」みたいな話をしてたし、主題歌を歌ってくれたTOKYO No.1 SOUL SETも、自分たちの昔に向き合うような曲を作ってくれました。だから当時、音楽的にもお世話になった方たちと仕事ができたということで、今回はゲームだけでなくクラブシーンで遊んでいた頃の自分とも向き合えましたし、たくさん映像作品を見てきた監督さんから、これからすごくなるだろうという若い世代の方とも一緒にやれて、新旧入り乱れた現場になりました。これもある意味、僕らしいのかなと。 ■ラストのゲーセンは、すでに実現している! ──さて、そんな『ノーコン・キッド』ですが、かなり希望に満ちたラストシーンで物語は終わりました。現在、ゲームセンター業界はかなり厳しい状況という話はあちらこちらでいわれていますが、本作のラストは佐藤さんの「ゲームセンターは今後こうあってほしい」という希望ですか? 佐藤 そうですね。ゲーセンに対するノスタルジーだけで、「あの頃はよかったね」で終わったらすごく悲しいので、僕らなりの理想を表現してみました。古いものも新しいものも、それこそアーケード版『ぷよぷよ!!クエスト』みたいなスマホ的なものも全部詰め込んで、それらがつながっていくようになったらいいなと思っています。いろんなゲームが一つの場所に集まって、お互いの顔を見ながら遊べる場所があってもいいんじゃないかなと。今回取材に行ったミカドさんは、けっこう理想形に近かったですね。店長さんもキャラが立っているし。  それこそ『ゼビウス』とか『ポールポジション』みたいな古いゲームが現役である一方、新しいゲームがあって、イベントをしょっちゅう開催して、ニコニコ動画で中継して、でもその場に行かないとできないこともある。だから、今回のドラマでは、ミカドさんをけっこう参考にさせていただきました。放送終了後、「最後に出てきたゲーセンなんて、ありえないよ」とよく言われたんですが、「いやいや、実際に取材してここはアリだなと思ったから、ああいう形にしたんだけど」って言いたいですね。ナツゲーミュージアムさんもあるし、地方にもそういうゲーセンはまだ残っている。今はSNSとかいろんな情報網があるので、皆さんもそれを使って実際にゲームセンターに行って、ワンコイン入れてみてほしいです。 ──最後になりますが、ドラマは97年頃以降のゲーム史が省略されています。今後、この時代のゲームを扱うような続編はありえるのでしょうか? 佐藤 本当にやりたいですし、ネタ的にもいろいろあったんです。この直後に音ゲーブームが始まって、恋愛シミュレーションの人気が爆発して、現在のオタク文化につながる。それと重なる時期に弾幕系ゲームが登場して、シューティングゲームが再びブレークする。さらにFPSという、ものすごい文化が海外からやってくるんですよね。格闘ゲームももっと盛り上がって、ウメハラ(梅原大吾)さんみたいなプロゲーマーも出現する。ネタは山ほどあるし、できれば映画版も作りたいのですが、これはもうDVDとBlu-rayの売り上げいかんによりますね。いろんな意味で、売れてくれたらいいですね(笑)。 (取材・文=有田シュン/文中敬称略) ●『ノーコン・キッド~ぼくらのゲーム史~』公式サイト  <http://www.tv-tokyo.co.jp/noconkid/> ----------------------------------------------------------- ●「バック・トゥ・ザ・80's」トークライブVOl.1 開催! 「バック・トゥ・ザ80's」で取り上げたホビーを、開発者、関係者を招いて語り尽くすトークライブ開催決定。第1回は、連載12回でも取り上げた伝説のボードゲームシリーズ「パーティジョイ」をプレイバック。ここでしか聞けない、ナマの裏話が飛び出す!? ◇日時:2014年2月8日(土)18:30オープン/19:00スタート ◇会場:GAME CAFE&BAR Ninety ◇入場料:2000円(1ドリンク付き) ※1ドリンク以降のオーダーはキャッシュオンにて販売を行います。 ◇チケット予約:キャパには限りがございますため、予約いただいたほうが確実です(※キャンセル料などは発生致しません)。 ◇イベント公式サイト <http://claricedisc.com/ev/20140208/partyjoy01.html>

ぼっち参戦も可能! 大人が本気で遊ぶ美術館『おもちゃ美術館』

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2万個の木のボールが敷き詰められた「木の砂場」で寝転がる。
 「当館は大人が本気で遊ぶ美術館ですので、十分に体調を整えていらしてください」 『東京おもちゃ美術館』に取材依頼をしたら、こんなことを言われた。四谷の廃校を改装して作られた『東京おもちゃ美術館』は、知る人ぞ知る“全力で遊べる美術館”。展示物の7割を触って楽しめるのだという。一体どんなハードなおもちゃ遊びが待っているのだろうか……。十分な睡眠をとった8月某日、現地へ行ってきた。  校舎の教室をそのまま展示室として使い、部屋ごとにそれぞれ「テーブルゲーム系おもちゃ」「昭和系おもちゃ」などテーマが設けられているが、できることは大きく分けて「見る」「作る」「遊ぶ」の3つ。 【おもちゃを見る】……「グッド・トイ展示室」「企画展示室」 【おもちゃを作る】……「おもちゃ工房」 【おもちゃで遊ぶ】……「おもちゃの森」「グッド・トイ展示室」「おもちゃの街 赤」「おもちゃの街 黄色」「ゲームの部屋」  そう、とにかく展示物の数も部屋の数もべらぼうに多い。館内案内図をもらった瞬間、「十分に体調を整えて~~」の意味が分かった。すべての展示おもちゃで遊ぼうとすると、半日は悠に過ごせる。  まずは受付近くの「グッド・トイ展示室」へ。色や形、感触、コミュニケーション性などの観点から選考された歴代の「グッド・トイ」が並ぶ部屋だ。展示のみのものもあるが、触って遊べるものがほとんど。夏休みという時期柄、やはり親子連れは多いが、中には若者が何かに取り憑かれたように木のおもちゃを積み上げている姿も……。単調ながらも病みつきになるタイプのおもちゃが多かった。
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「グッド・トイ展示室」
 隣の部屋に入ると、そこは「企画展示室」だった。年に数回、さまざまなテーマに沿って作品が飾られるこの部屋、今は日本の都道府県の伝統おもちゃが所狭しと並べられていた。ただ、館内で唯一、触って遊べるものがない展示のみの部屋だからか、やや閑散としていて、ほかの部屋と比べると華やぎに欠ける。ショーケースに近づいてよく見ると、味わい深い人形が多いのに……。
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「道祖神土鈴(長野)」。この二頭身と唇の存在感。袖には「米」の字が。
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「岐阜の張り子(岐阜)」。見透かされているような目。
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「八朔人形(栃木)」。質素な顔立ちが、いい味を出している。
 けん玉やだるま落としなど、昔ながらの昭和おもちゃを堪能できるのが「おもちゃの街 赤」の部屋。その隣の「おもちゃの街 黄色」では、ドイツのオストハイマー社製の高級な木のおもちゃや、一風変わったサイエンストイなどで遊べる。
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構造学を学ぶおもちゃ「スフィア」。ボール程度大からぐんと広がる。
 これだけでもずいぶんな数のおもちゃと触れ合ったが、ここまででまだ半分。部屋だけでなく、廊下にもところどころにおもちゃが置いてあり、通りすがりに軽く遊びつつ、次の部屋を目指す。部屋と部屋の移動ですら絶え間なくおもちゃ。ストイックにおもちゃ。おもちゃ以外のことを考える余裕もない。
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足の倍くらいの大きさの巨大ぽっくり。「モクバイク」というおもちゃだ。
 奥の部屋「おもちゃ工房」では、かざぐるま作り体験をやっていたので参加してみた(作るおもちゃは日替わり)。
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ボランティアスタッフの“おもちゃ学芸員”さんに教えを請う。
 上の写真では、楽しそうにスタッフさんに教わっているように見えるが、折り方の表裏を間違え、糊を塗る場所を勘違いしと、あらゆるドラマチックな出来事があった後の、付きっきりで教えてもらってホッとしている図である。図工の授業では誰よりも作品の完成が遅かった記憶が蘇った。工作が不得手な星の下に生まれた以上、もう一生こうなのだろう……。
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居残り……。他の参加者はとっくに完成。
 意外と没頭するのが、世界中のアナログゲームを体験できる「ゲームの部屋」。見覚えのあるボードゲームにテーブルサッカー、正式名称のよく分からない中国の謎のパズルなどが置いてある。日によっては日本テーブルサッカー協会の日本代表選手が教えに来てくれることもあるらしい。
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独楽を回してボウリングをするおもちゃ。
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中国のパズル。球体を組み合わせてピラミッドを作る。
 そして、最後にして最大のおもちゃ部屋「おもちゃの森」。入った瞬間、ふわっと木の香りに包まれるこの空間は、木のおもちゃを通して森林浴をする部屋だ。木の人形や積木、楽器などの正統派に混じって、箱いっぱいに詰まったそろばんの玉のコーナーが……! おもちゃの美術館なのに、なぜそろばん? と冷静になった今となっては思う。だが、そろばん玉を前にしたときは、それどころではなかった。そろばんの玉といえば、触り心地に定評がある。誰しも、そろばんの玉の一粒一粒をこう、指の腹でツルツル撫でたこと、あるでしょう? あのツルツルが、箱の中に10万個も詰まっているというのだ。干し草のベッド、ねこバス、と並んで、10万個のそろばん玉の中に手を入れるのは憧れの体験なのだ。  そろばん玉の中に、そろばんの枠を入れ、ガサガサと左右に動かし、そろばん作りの過程の一部も体験できる。玉をたくさん拾うには、枠を左右に動かす際に八の字を描くようにするといいそうだ。
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永遠にこのツルツルの中にいたい。
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特大サイズのそろばんもあった。
 そろばんで気持ちが高ぶりすぎて、すっかりクライマックスのような口ぶりになってしまったが、本当のクライマックスはこちら、「木の砂場」である。館内のエース的存在で、これ目当てに来るお客さんも少なくない。北海道産の木で作られた丸い楕円形のボールが2万個敷き詰められた“砂場”。
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座るもよし、寝るもよし。埋まるもよし。
●もり度 ★★★★★  盛りだくさんの『東京おもちゃ美術館』、外せないのは「おもちゃの森」。他は、和モノが好きなら「おもちゃの街 赤」、変わり種が好きなら「おもちゃの街 黄色」へ。「ゲームの部屋」以外は一人で遊べるおもちゃが多いため、ぼっち参戦も可能。 (取材・文=朝井麻由美) ●「東京おもちゃ美術館」 <http://goodtoy.org/ttm/> 新宿区四谷4-20 四谷ひろば内。丸ノ内線四谷三丁目より徒歩7分。開館時間は10:00~16:00、木曜休館。入館料は子ども500円(3歳~小学生)、大人700円(中学生以上)。なお、「おもちゃ工房」のおもちゃ作り体験は、土日は予約制、平日は午後ならいつでも参加可能。なお、’13年11月に沖縄県に姉妹館「やんばる森のおもちゃ美術館」( http://goodtoy.org/ttm/curator/yambaru.html )が設立される予定。 ◆「散歩師・朝井がゆく」過去記事はこちらから

文房具の限界に挑んだ、偉大なる恐竜「多面式筆箱」今昔物語

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誰もが憧れた多面式筆箱。
アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。懐かしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   かつて小学生だった僕たちにとって最も身近な実用品であり、一番長く時間を共にしていたグッズ。それこそが文房具であり、その筆頭を挙げるなら、やはり「筆箱」だろう。そして、この筆箱界の頂点に君臨していたのが、サンスター文具から発売されていた多面式筆箱である(断言)。  ガッシリとした重厚なフォルム。ボタンを押せば筆箱のあちこちから収納スペースが飛び出し、鉛筆がサンダーバードの出撃シークエンスよろしく起き上がる。そしてバカッと観音開きしたかと思うと、ありとあらゆる面のフタが開く。さながらノリは、変形ロボットか秘密基地である。  『ガンダム』やら『マクロス』やら『ダンクーガ』やら、合体&変形ロボットアニメが大好きだった僕たちは(っていうか筆者は)、実用性はともかくとして、小学生男子特有の「変形モノに対する盲目的な憧れ」を刺激しまくる多面式筆箱に胸をときめかせたものだ。今回は、そんな多面式筆箱の時代をプレイバックしよう。 ■恐竜的進化を遂げた、多面式筆箱の歴史  サンスター文具といえば、1967(昭和42)年に「象がふんでもこわれない!」というキャッチフレーズも懐かしい「アーム筆入」を発売した、文房具業界最大手メーカーの一つである。同社はアーム筆入発売前の昭和40年頃、磁石によってフタを開け閉めする「マチック筆入」を発売。当初は片面のフタが開くだけのシンプルな構造だったが、やがて両面が開くタイプが出現し、これが後に恐竜的進化を遂げる多面式筆箱の始祖となる。
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フルバースト状態! 今見ても惚れ惚れするボリューム感。
 この頃から日課表欄や万年カレンダーがフタの裏側に設けられたり、鉛筆をホールドできる機構があったりと、すでに多面式筆箱特有の「多機能ぶり」の片鱗が見え隠れしているが、77(昭和52)年頃になると、消しゴムの収納スペースを追加した「三面」、両面筆箱を可動パーツで接続し収納容量を増やした「四面」が出現。本格的な進化がスタートする。 「当時、次々と新しい機能を搭載した筆箱が出てきたのは、やっぱり他社との競争があったからでしょうね」  そう語るのは、サンスター文具・営業本部の山本雄三氏だ。 「競争が過熱すると、四面、五面と多面式筆箱も進化していきました。一番画期的だったのが、五面の多面式筆箱です。学校ではコンパクトな筆箱なのに、ランドセルに入れるときはバカッと開いて教科書と同じB5サイズになるんです。薄くて収納しやすくなります」  ノリはまさしくトランスフォーマー。その後も企業間で激しい開発競争が続いた多面式筆箱は、可動部分にも収納スペースを搭載し薄い形状に変形する先述の「五面」、さらに細かい収納スペースを搭載した「六面」「七面」……と多面化が進行。  この頃になると、メインの筆箱機能の充実に加えて鉛筆削り、のり、ルーペなどを内蔵したり、鉛筆ホルダーがロケット発射台のようにグググ……っと起き上がったり(しかも、ゆっくりと上昇するダンパー機能つき!)というガラパゴスな様相を呈し始める。
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最終形態の分離合体する九面筆箱。ノリはまさにコンバトラーV
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 80年代後半、最終的に九面に到達した多面式筆箱は、何を思ったのか分離合体機能を搭載。その名も「ジョイント9」! もうここまでくると、文房具ではなく立派なホビーアイテムである。最初は1500円程度だった多面式筆箱の金額も、その集大成ともいえるジョイント9で2500円にまで高騰してしまった。 「当時の男子は、F1とか機関車といったメカものが好きで、その絵を使うとなると、それに合わせて本体もメカっぽくするしかなかったんです。これも売れましたね」  言葉通り、多面式筆箱が恐竜的進化を遂げた黄金期の80年代。なんと、年間100万個もの多面式筆箱が売れていたそうだ。
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幻の十一面。接続部分には鉛筆削り、謎の収納スペースに加え、忘れ物チェック機能が搭載されている!
■予算とスペースの狭間で戦い続けた開発現場  そんな多面式筆箱開発事情だが、常にコストとの戦いだったそうだ。 「ケースを作る分にはそんなに問題はないのですが、その中に何かを入れることでコストがかさむことはよくありました。消しゴムを入れると消しゴム代が上乗せされるし、鉛筆削りをつけるとその分のコストがかかる。筆箱としての価格が上がると、今度は小学生が学校に気軽に持っていける道具じゃなくなるから、その葛藤は常にありました」  また、ビックリドッキリなギミックの開発にも、多大な予算を投入していたという。 「どういうアイデアを盛り込むか。それをどういうギミックで実現するかで毎回、四苦八苦していました。今はICチップで制御すればいいみたいな部分がありますが、当時はアナログな手段しかなかったので、スペース的にも予算的にもやれることにも限度はありましたね」  といった具合に、まさにアナログ技術の玉手箱ともいえる多面式筆箱だが、十一面が試作段階で開発中止となった時点で進化の歴史は終わった。その理由が「ギミックを増やしすぎた結果、文房具を入れるスペースが小さくなってしまったから」というから本末転倒だ。  しかし、筆箱の限られたスペースをフルに生かした無駄のない構造や、練り込まれたアイデア、ギミックこそ日本人の「ものづくり精神」の結晶である。物心ついた頃からプロフェッショナルたちのクリエイティブに接し、なおかつその進化の過程を目の当たりにできていた80年代の小学生たちは、非常に幸福な世代だったといえる。 ■文房具からゲームへ……ホビーの変遷とともに消えていった多面式筆箱  かねてより学校に玩具的なものを持ち込むことや、小学生が数千円するアイテムを学校に持ち込むことに対する反発も学校側やPTAにあったそうだが、当時の小学生男子はこぞって多面式筆箱を買い求め、買ってもらえない子はそんな級友を羨望のまなざしで見つめる日々を送っていた。しかし時代が平成に移り変わる頃になると、子どもたちの文房具に対する向き合い方にも変化が生まれ始めたと山本氏は語る。 「90年代くらいから、学校で玩具っぽいものでコミュニケーションを取る時代じゃなくなったんでしょうね。かつて文房具は玩具を持っていくことができない学校に持ち込める玩具代わりのツールでしたが、次第にその役割を携帯ゲームが担う形になったように感じます」  事実、90年代に入ると、小学生の筆箱のトレンドはシンプルな構造のカンペンケースに移行。さらに現在は布製、ビニール製の筆入れが主流となっているようだ。多面式筆箱の生産自体は90年代後半まで続いていたそうだが、その頃になると開発はすでに終了しており、毎年新しい図柄を張り付けていくだけの展開となっていったという。 「まだ女子はかわいいキャラクターがついてると買ってくれたりするんですが、男子は完全に興味がゲームに移っちゃったみたいですね。文房具は学校や親が用意してくれるものでいいから、その分、必死にゲームを買ってもらうようになっていったと感じます」  90年代には、スクウェア・エニックス(当時はエニックス)などから対戦ゲームを楽しめる「バトルえんぴつ」のような文房具が発売され大ヒットしていたが、これもゲーム要素があったからこそ売れたアイテムだったと考えると、やはり90年代には「機能性」や「ギミック」に対する小学生の興味は薄れていたのではないか、と推測できる。  もちろん、少子化の問題もあるだろう。  ともあれ、さまざまな要因が重なり、多面式筆箱の歴史は90年代末、ひっそりと幕を下ろした。現在もマチック筆入シリーズは生産されているが、両面のものが発売されているのみである。
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ズラリ揃った歴代多面式筆箱の雄姿!
■今もなお生き続ける、サンスター文具魂とその後継者  しかし、サンスター文具の多機能、そしてコンパクトに収納するアイデア文具への情熱は今も衰えてはいない。その代表格が、「スティッキール」シリーズだ。一見、リップクリームケースのように見える円筒が、一瞬にしてハサミ、ホチキスなどの文房具に変形! もちろん余ったスペースはホチキスの針を入れることができるといった具合に、「空いたスペースは、とりあえず収納スペースに」というサンスター文具魂もしっかり息づいている。 「サンスター文具には、なんでもやっちゃおうという気風がありますね。アーム筆箱を出した時も『壊れない筆箱なんて出したら、買い替え需要がなくなるんじゃないか』という声もあったけど、伊藤(幸信・元サンスター文具社長)が創業者を説得して『そんなにいいものなら、売り上げが減っても構わないから作りなさい』とゴーサインをもらって商品化しました。そういった意味では、今出しているアイデア文具も、売れるかどうかはやってみないとわからない。失敗しないと成功もありえませんしね。ただ失敗が続きすぎると給料に影響があるから、そこはバランスを取ってね(笑)」  山本氏は笑いながら語る。その顔は文房具を愛し、ありったけのアイデアと情熱を注ぐプロフェッショナルのそれだ。  最後に山本氏は80年代を、「文房具に夢があった最後の時代だったのでは?」と当時を振り返った。いやいや、サンスター文具は現在も夢いっぱいのアイデア文具を日夜開発しているではないですか。この勢いで、21世紀の技術を投入した新世代の多面式筆箱を作ったらどうなるんだろう……? そんなふうに、サンスター文具は今も我々に文房具への夢を抱かせてくれる。  なお、サンスター文具魂の詰まったアイデア文具「スティッキール」最新作のルーペは、8月下旬発売予定。一見化粧品のようなデザインだけど、実はルーペなんです。なんて、おしゃれなギミックを仕込むあたり、さすがである。 (取材・文=有田シュン) ◆「バック・トゥ・ザ・80'S」過去記事はこちらから

グチャグチャに汚されるのが快感! 日常から解放される「ゾンビバー」

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集合写真でピースはしない。ゾンビだから。
 「まーぁお客様! 気持ち悪くてございますぅー!」  六本木の月1限定バーイベント「ゾンビバー」での1コマである。今回は、本格的なゾンビメイクを施してもらえると聞いて「ゾンビバー」へやって来た。店に入るなり目の前には、カクテルを飲むゾンビ、スマホをいじるゾンビ、世間話をするゾンビ。混雑する店内で、ゾンビフードやゾンビドリンクのオーダーが次々と入り、ゾンビメイクも順番待ちだ。メイクを担当するゾンビスタッフさんは、「いい感じに腐ってきたわね~!」「いいわよ~、気持ち悪くて素敵よー!」と、お客さんを褒めておだてて一人、また一人とゾンビをこしらえていく。日本はこんなにゾンビになりたい人が多かったのか、と驚くほどあふれるゾンビ欲。満ち満ちた生命エネルギー。死んでいる存在であるはずの“ゾンビ”がイキイキしているこの矛盾。
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主催の一人・ゾンビーナ2号ナオミさん
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バーテンゾンビ
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スマホゾンビ
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カップルゾンビ
■ゾンビの乳首を食べてみた この店では、ゾンビの体の一部分を使った料理や、“ゾンビ感染”効果のある飲み物が出される。この日のオススメフードは、「ゾンビの切り落とし肉」(500円)と「ゾンビの大きめ乳首と干し小腸」(500円)。まずは、後者を頼んでみると、こんなものが出てきた。
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ナッツじゃないよ。乳首と小腸だよ!
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「ゾンビ菌カクテル」。“ゾンビ菌”が下のほうに沈殿している……。
 そして、飲み物にはそれぞれ“ゾンビ感染力”が設定されており、「ゾンビの生き血」(900円)は感染力“★4つ/強力”、「ゾンビール」(900円)は“★3つ/強”(★3つ)、そして、看板メニューの「ゾンビ菌カクテル」(900円)は“★5つ/最強”だ。「ゾンビ菌カクテル」の中に入っている菌と思しきツブツブの正体を聞こうとしても、 「搾りたてのゾンビ菌よ~! さっき私のおっぱいから搾ったの」(ゾンビーナ21号コロンさん) 「このゾンビ菌、どこから搾ったか聞きたい?(自身の女性器を指さしながら)」(ゾンビーナ2号ナオミさん) と、ゾンビの体から搾った菌だということしか分からなかった……。 ■ゾンビメイクで顔がグチャグチャに  腹ごしらえが済んだら、いよいよゾンビメイクの時間だ(1回500円)。目の周りを真っ黒にされ、全体に白いドーランを塗りたくられる。
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パンダ……?
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黒の上に白を重ねる。
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メイク道具。
 こうしてみるみるうちに鏡の中の自分の顔が汚れていき、その面積が広くなるにつれて、妙に気持ちが高揚していくのを感じた。汚されるのがうれしい、というわけではない。本来美しく飾り立てるものだったはずの“鏡の前でのメイク”で、真逆なことが起こっている、その背徳感からの高ぶり。そして、見たこともないような汚れた人が映る鏡を前にし、「これは自分ではないナニカだ」と頭が思い込もうとしている、そんな感覚もある。  そして、血のりで仕上げて、ゾンビが完成した。
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【Before】
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【After】
 自分ではない何者かに変身する、という意味ではコスプレも同じだが、多くの場合かわいいorかっこいいキャラクターになりきるコスプレは、“自分を魅力的に見せたい”という自意識がつきまとう。だが、ゾンビの場合グチャグチャに汚れていて、かわいい角度や目線も何もない。鏡を見たり、写真を撮ったりする際、写真うつりの良さ・悪さを一切気にせず大胆な表情やポーズをできる。“かわいい”からの解放である。それは、この後の「ゾンビウォーク」で確信に変わった。 ■ゾンビウォークで六本木を歩く  スタッフのコロンさん(ゾンビーナ21号)が、店いっぱいに増殖したゾンビたちを、六本木の街を練り歩く「ゾンビウォーク」に連れて行ってくれた。ちなみに、「ゾンビウォーク」はそのときの来客状況によるため、毎回必ず行うわけではないそうだ。 コロンさんは、「はーい、ひよこ組のみなさーん!」と言いながら、幼稚園の遠足よろしく引率する。ゾンビ外出の心得も教えてくれた。 【ゾンビ外出の心得】 その1:はしゃぎすぎて事故を起こして“本物のゾンビ”にならないこと。 その2:街を歩く普通の人間を脅かさず、大人のゾンビの対応をすること。 その3:片足に体重をかけた“ゾンビ歩き”をすること。  この片足に体重をかける歩き方がなかなかどうしてくせ者で、初心者ゾンビがやると、ただ単に足をくじいただけの人のようになってしまう。
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人間を捨てきれてないゾンビたち。
「そうよー、その調子よー! 歩くだけで楽しくなってきたでしょー? いいわね、あんたたち頭腐ってきてるよー!」と先輩ゾンビのコロンさんに叱咤激励されながら、ゾンビらしい歩き方をすべく試行錯誤をする。    また、道すがら、何度か写真撮影の許可を求められ、そのたびにみんな、どんどん殻が破れていっているようだった。(おそらく)メイクの下はクールな美人であろう女性も、(おそらく)普段はおとなしいであろう男性も、誰もが積極的に不気味なゾンビポーズをとる。顔が完全にメイクで覆われている分、驚くほど羞恥心が生まれないのである。  そして、最後はバーのある建物に戻るときの階段だ。ゾンビは普通に立って階段を上ってはいけない。四つんばいになり、階段を上りきったら「ううううぅぅ……」とうめくよう、コロンさんに指示される。ここまでくると恥じらう者はいない。15分ほどのウォーキングを経て、人間を捨てきれていなかったゾンビの卵たちは、立派なゾンビへと成長したのだった。
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 ゾンビをエンジョイしていたお客さんやスタッフさんに話を聞いて回ると、ほとんどが「実は、普段は地味なほうなんです」と言っていた。「ゾンビバー」は回を重ねるごとに女性のお客さんが増えていっているそうだが、それは普段の生活での、小ぎれいにしていなければならない呪縛から逃れたいからなのかもしれない。ゾンビの世界には、上目遣いや美肌信仰もなければ、顔を小さく見せるための手を頬に当てるなどといった写真テクもない。ゾンビに美人もブスもない。ドロドロのゾンビメイクをして死霊になりきることで、生まれたままのフラットな気持ちを呼び起こすことができるのだ。 ●極楽浄度 ★★★★★ 何か嫌なことがあったとき、「死にたい」「一度死んで苦しみから解放されたい」などと冗談で思うことがあるが、ここはまさに“死んで解放される場”だった。そしてひとしきり満喫した後、鏡を見ながらメイクを落とすときが我に返るとき。 (取材・文=朝井麻由美) ●「ゾンビバー」(ゾンビ集団ゾンビーナ) <http://www.zombiena.net/> ゾンビ集団ゾンビーナとは、イベントやパフォーマンスをするゾンビ集団。毎月最終日曜日に、六本木のバー「Night gallery cafe CROW」にて、「ゾンビバー」イベントを行っている。ゾンビ感染者を増やし、日本を世界的なゾンビ大国にするのが目的。バーでのメニューは毎月少しずつ変わる。「ゾンビバー」のほかにも不定期でイベントを開催。スケジュール詳細はHPを。なお、今月は「ゾンビバー」は臨時休業で、代わりに「ゾンビ林間学校」(7月28日11:00~)が開催される。事前エントリーの締め切りは7月25日まで。詳細はこちら(https://www.facebook.com/DaishiDanceXZombiena)。 「散歩師・朝井がゆく」過去記事はこちらから

女装おじさん主催の封印漫画『キャンディ・キャンディ』展!

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珍奇なものをこよなく愛するライター・北村ヂンが、気になったことや場所にNGナシで体当たり取材していく【突撃取材野郎!】。第21回は、知る人ぞ知る女装おじさんに会ってきました。 ■ファン主催の『キャンディ・キャンディ』展  ちょっと前、「Business Journal」の記事(「あの名作マンガはなぜ買えない? 創作者に"ものすごい"力を許す著作権の常識」)でも話題になっていたが、知名度はすさまじく高いのに原作者の水木杏子と作画家のいがらしゆみことの間でトラブルが起こりまくり、大人の事情によって出版することができなくなっている封印漫画『キャンディ・キャンディ』。少女漫画史に残る名作ということで、読んでみたいと思っている若い人も少なくないとは思うが、読むためには、結構なプレミア価格のついた古本を買うしかない。  そんな現状を憂えた『キャンディ・キャンディ』ファンが、個人で所有するキャンディ・グッズを大放出し展覧会を開催しているという。……もはや作者や出版社、アニメ会社主催では開催不可能な状態にある『キャンディ・キャンディ』展だが、あくまでファンが個人的に行う非営利展覧会ということで強行開催しているという。そりゃあよっぽど熱いファンがやってるんだろうな、と思い見に行ってきたのですが、主催者は……女装したおっちゃんでした。
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この人が主催者さんです。
■キャンディおじさん、著作権問題を憂える!  こちらが『キャンディ・キャンディ』コレクション展の主催者であるキャンディ・H・ミルキィさん。フリフリの衣装にリボン&カチューシャという完全なる女装をしているわりに、顔はまるっきりおっさん。原宿などでもフツーにこの格好で歩いているため「キャンディおじさん」などと呼ばれ、名物おじさん化しているお方だ。  このキャンディおじさんの存在は知ってたけど、キャンディ・キャンディ・コレクターだったとは知らなかった。まあ、考えてみれば「キャンディ」って名前はそのまんまだしね。
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オネエ言葉を使うわけでもないから、余計にインパクト大なんですよ。
――やっぱりその女装も『キャンディ・キャンディ』の影響から? 「いや、女装は『キャンディ・キャンディ』と出会う前からです。子どもの頃から姉の洋服とか着てましたから。女装はただの病気です。そして『キャンディ・キャンディ』は宗教だと思ってます」 ——―それじゃ『キャンディ・キャンディ』との出逢いは? 「大人になってからなんですよ。確か27~28歳の頃。昭和59年くらいだと思いますが、アニメの再放送を見たら『キャンディ・キャンディ』って、こんなにいい話だったんだ……と」 ——―少女漫画には、もともと興味があったんですか? 「いや、全然ないですよ。今も『キャンディ・キャンディ』以外の少女漫画には興味ないですから。水木先生、いがらし先生の、ほかの作品も読んでませんもん」 ――あ、そうなんですね。じゃあ、それまでは普通に少年漫画とかを……? 「戦闘機マニアなんで『紫電改のタカ』(ちばてつや先生の戦争漫画)とかが大好きでした。でも『キャンディ・キャンディ』ってストーリーも壮大だし、第一次世界大戦時を舞台にしてて、当時の戦闘機がリアルに描かれているんですよ。いがらし先生の画力のおかげだと思いますけど、これはソッピースキャメルだ、フォッカーDr.1だ……ってちゃんと分かるくらい正確に描かれているんですね。アレは男も狂わせますよ」 ――それでハマッて、グッズのコレクションを始めたと。 「いや、特にグッズには興味がなかったんですけどね。時を同じくして、初めて女装趣味の人たちが集まる女装クラブに行きまして……」 ――おっと、話が急展開しましたね。 「そこで女装ネームをつけることになり、どうしようかなー……と考えた時に思いついたのが『キャンディ』っていう名前だったんですよ。そのクラブには『加賀美あつ子』(ひみつのアッコちゃん)とか、漫画の名前をつけてる人も多かったんで。で、そういう名前をつけてると、周りが、好きでしょ? って『キャンディ・キャンディ』グッズをくれるようになるんですよ。もともとコレクター気質はあったんで、ちょっと数が揃ってくるとハマッちゃうんですね。それから、自分でも買い集めるようになりました。だから、ボクのコレクションはリアルタイムで買ったものではなくて、後から中古で買ったものばかりなんですよ」 ――この『キャンディ・キャンディ』コレクション展はもう何回も開催されているそうですが、なぜ始めようと思ったんですか? 「それはやっぱり、『キャンディ・キャンディ』を読みたくても読めない現状を、なんとかしたいと思ってるからです。これだけ多くの読者にとって思い入れがある作品を、作者たちのトラブルで勝手に封印されちゃ困るんですよ! 今、コミックスもビデオも手に入らないし、倉敷にある『いがらしゆみこ美術館』にも『キャンディ・キャンディ』の展示はないんです。原作者と作画家が揉めたせいで、出版社やテレビ局も触れられない、こんなアンタッチャブルな作品になっちゃった。じゃあどうすればいいかと考えたら、ファンが非営利で勝手にやるしかないんですよ。これで『キャンディ・キャンディ』を盛り上げていって、水木先生といがらし先生に和解してくれとは言いいませんが、せめて復刊のオッケーは出してもらって、誰でも気軽に読める状態に、後世に伝えられる状態にしてもらいたいですね」
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著作権問題を真面目に訴えるキャンディおじさん。
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紙芝居にして、著作権問題を分かりやすく解説しているそうです。
  ■グッとくるコレクションたち  藤子不二雄のコンビ解消後、著作権の複雑さから、長らく『オバケのQ太郎』が封印状態となっていた(現在は『藤子・F・不二雄全集』で復刻済み)時期を知る藤子ファンのボクとしても、読みたい漫画を簡単に読むことのできないつらさはすごく分かる。  出版社もテレビ局もビビッてもう触れようともしない『キャンディ・キャンディ』だが、水木、いがらし両先生とも、コミックスの復刊に関しては交渉をする気がないわけではないらしい。どこか勇気のある出版社が手を挙げれば、可能性も……。タブーに切り込むサイゾーさん、どーですかね!?  ま、それはそうとして、展示されていたキャンディおじさんのコレクションたちがなかなかすごかったので、最後にそちらも紹介させてもらいましょう。
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連載当時の「なかよし」や単行本。グッズがギッシリ!
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あんまり似てない当時モノのキャンディ人形たち。
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こちらも造形がヤバイ! キャンディ・シャンプー。
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もはや誰だか分からないキャンディふりかけ。
そばかすというか、クリリンのお灸の跡ですよ。
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ダン池田と近江俊郎……キャンディ要素が薄すぎる「スターカラオケ歌合戦」。
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申し訳程度にテーマ曲が入ってるけど……
ピンク・レディーのグッズをシール貼り替えただけでしょ!?
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尋常じゃない感じの刺繍が入ったキャンディ水着。
当時はパチモンも多かったらしいですから……。
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キャンディおじさんいわく「いがらし先生の名前を先に表記しているのは、
オフィシャル商品じゃない可能性が高いです」とのこと。
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取材を終えると、キャンディおじさんはコレクション展の宣伝と
著作権問題のアピールのために、街に繰り出していきました。
i01candycandy.jpg (取材・文・写真・イラスト=北村ヂン) 「突撃取材野郎!」過去記事はこちらから

マムシの生き血でノックダウン!? オカンが作る、“家庭の味風”ヘビ料理を食す

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こう見えて居酒屋です。
 どうか安直だなんて言わないでほしい。2013年、巳年。ヘビ年だ。ヘビ年だから、ただそれだけの理由で、ヘビ料理を食べてきた。十二支の中でも目立たないランキングではまあまあの位置についているであろう、ヘビ。何しろ直前が辰なのだ。ドラゴンの後だなんてあんまりだ。緑っぽくて長くてにょろにょろしている、というイメージは似ていても、圧倒的に華がない。「ねーうしとらうー」でも、「“みー”って何?」となりがちなヘビ。食べることによって、ヘビを全身で感じてみたい。  行ってきたのは、日吉にある「鳥八」。“ヘビ感”ゼロの店名とは裏腹に、店構えはこの通り。いかにもすぎる。滋養強壮界隈ではおなじみの、赤と緑のゴテゴテした色使いだ。一応、“居酒屋”の枠に入る店ではあるが、居酒屋であるというアイデンティティを捨て去っているようにすら見える。
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こういう店、麻布や六本木、代官山あたりには絶対なさそう。
■見るからに「効きそう」な店内  店内も期待を裏切らないディスプレイだった。いや、“ディスプレイ”などというカタカナを使うなんて許されないかもしれない。色あせたラベルの瓶が所狭しと並び、壁のメニューは赤字の楷書。“ヘビ料理の店とはかくあるべき”と言わんばかりの、実直さだ。なんというか、一言で言うと「効きそう」。
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存在感抜群のメニュー。
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なんかいろいろ良さそうなものが漬け込まれているお酒類。
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棚には虎の生殖器のお酒も……。手前に見える丸いのは虎のキンタマ。
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ヘビすらもおいしい家庭料理にしてくれそうなおばちゃん。
 ヘビ料理を作ってくれるのは、この女将さん。今にも肉じゃがやほうれんそうのおひたしを出してきそうな食堂のおばちゃん然とした風貌に、“ヘビを食べる”緊張感が一気に緩む。店じゅうに、「血行!」「エキス!」「強精!」「体力!」「必須アミノ酸!」などと元気よく書いてある薬局っぽさ。カウンターに立つ女将さんのオカンっぽさ。落ち着くんだか落ち着かないんだかよく分からない気持ちになりながら、料理の完成を待った。
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「マムシのタタキ」(5,000円)
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「マムシの唐あげ」(5,000円)
 待つこと数分。タタキと唐あげが運ばれてきた。タタキはなんと灰色。肉や魚のタタキ料理は赤や茶系の色と相場が決まってるのに、堂々の灰色である。  それではいただきます。
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おっ!?
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思ったより悪くない。
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 臭みも苦みもほとんどなく、消毒のために吹きかけられているウォッカの味しかしない。骨もそのまま砕かれているので、ザクザクとした食感が混じっている。かき氷(味なし)にアルコールをかけたらこんな味になりそうだ。  続いて、唐あげのほうは、ヘビの肉、内臓、卵、の各種部位が衣に包まれてやってきた。卵は、料理する個体によっては、ないこともあるそう。どの部位の唐あげも、揚げたてだったからか、衣の味ですべてが打ち消されていて、拍子抜けなくらいおいしくいただけてしまった。チョロいな、ヘビ。  思わぬ食べやすさに、すっかりヘビに対して気が大きくなってきたところにやってきたのが、生き血と肝のエキスだった。ヘビをさばいた際の血とエキスをアルコールで割っている飲み物で、どの料理にも必ずセットでついてくる。
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左が血、右が肝のエキス。
 今までの流れからすれば、案外ただのアルコールの味しかしないはず……。一縷の望みをかけて口にした。 ■しかし……  ……!
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※あまりの形相ゆえ、画像を加工してお届けします。
 あの味だった。口の中が切れたとき、鼻血が口に入ってきたとき、あのときのあの味だった。  飲めば飲むほど、底のほうに沈殿している血の色でグラスは赤く、味は濃くなっていき、私の顔は白くなっていったのだった。 ●唐あげの包容力 ★★★★★ 本来ならばヘビ料理やエキスを飲み食いしたらすぐに体がポカポカするはずが、足が冷えっぱなしの筆者を見かねて、残った唐あげとエキスをお土産にしてくれた。ニコニコしながら「今夜ちゃんと食べるのよ」と言う女将の母のような強制力には抗えず、その日の夜食は冷めた唐あげ(内臓部分)に。しかし、揚げたての風味はどこにもなく、ただただ苦くて弾力のある何かであった。ヘビがおいしかったのではなく、“揚げたての唐あげ”がおいしかっただけだったのだ。苦いそれをくちゃくちゃと噛み切りながら、唐あげという食べ物の懐の広さを知った夜だった。 (取材・文=朝井麻由美) ●『鳥八』 <http://ameblo.jp/torihachi-hiyoshi/> 神奈川県横浜市港北区日吉1-8-2。東急東横線日吉駅から徒歩約8分。営業時間は17:00~22:00(ラストオーダー21:30)。月曜定休。来店の際は要電話予約(045-561-6907)。 ヘビ類だけではなく、スッポン料理も安価で提供している。下記写真のような、マムシやスッポンの粉末も購入可能。詳細は電話で問い合わせを。
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「散歩師・朝井がゆく」過去記事はこちらから