「もうエッチされてもいい!」危険ドラッグよりヤバい、“ドラッグルメ”なマンガ

 今年はたびたび脱法ドラックに関するニュースが世間を騒がせました。いろいろと物議を醸した「危険ドラッグ」という言葉もすっかり定着しましたね。また、中国ではアヘンの原料となるケシの実入りのラーメンを提供して常連客ゲット!→店長逮捕というびっくりニュースもありました。まさに「事実はマンガより奇なり」です。  とはいえ、もちろんマンガの世界だって負けていません。「麻薬入りメニュー」が出てくるマンガって、実は結構あるのです。正確にいうと「麻薬っぽい成分」入りの、食べだしたら止まらなくなるメニューですが、本コラムではこれらのメニューが出てくる、通称「ドラッグルメマンガ」をご紹介したいと思います。
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『包丁人味平』
●『包丁人味平』のブラックカレー  ドラッグルメのルーツ的存在としてあまりにも有名なのが、ビッグ錠先生のマンガ『包丁人味平』のカレー戦争シリーズで登場する、カレー将軍・鼻田香作の作る「ブラックカレー」です。  鼻田香作は6,000種類のスパイスを嗅ぎ分けることができる恐るべきカレー職人で、その鋭い嗅覚を保護するために、普段は鼻の部分だけに黒いマスクをつけています。その結果として、奈良公園にいる鹿っぽい見た目になっているんですが、ブラックカレーの恐ろしいところは、食べた人の感想は決まって「なんだか変な味」「コールタール食べてるみたい」と、決して褒められたものではないのに、気が付くと背景がドローンとなり表情はポワーンとして、再びフラフラと店の中に入って行ってはブラックカレーを注文してしまうのです。  この恐るべきブラックカレーの秘密ですが、鼻田香作がスパイスを調合しまくっているうちに、いつの間にか麻薬に近い成分になってしまっていたというもの。まったく恐ろしいカレーがあるもんですね。危険カレー、ダメ。絶対。
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『口裂け女あらわる!―昭和怪奇伝説』
●『黒い清涼飲料水』のおじさんコーラ  続いてご紹介するのは、ホラーマンガ作家の呪みちる先生の描く短編『黒い清涼飲料水』に出てくる通称「おじさんコーラ」です。  少女が夏休みのプールの帰り道に通りかかる公園で、アイスボックスに50円のコーラを詰めて売りに来るおじさんがいました。毎日毎日「おじさんコーラ」を買って飲んでいると、いつしかほかのジュースがまずくて飲めなくなり、一度おじさんコーラの味を思い出すと飲みたくて飲みたくてどうしようもなくなるという、禁断症状が現れるようになります。  初めは50円で売られていたおじさんコーラは、100円、200円、300円と次第に値段が上がっていき、お金が払えなくなった女の子たちはおじさんのエッチな要求と引き換えにコーラを買うようになっていきました。最初は拒んでいた少女も「もうエッチされてもいい」などと言いだす状況になったのです。  この話は、それだけでは終わりません。いつしか時は過ぎ、おじさんコーラの話はただの都市伝説となった頃、大人になった少女が飲料会社で不思議なおじさんコーラの味を思い出して作った商品が「Zコーラ」。そして「Zコーラ」は一度飲んだら病みつきになる空前のヒット商品となったのですが、実はその病みつきになる秘密の成分として、コーラの中にはなんと……人間のアレが入っていたのです(ギャー!)。というホラーマンガです。まったく恐ろしいコーラがあるもんですね。危険コーラ、ダメ。絶対。
chukaichiban.jpg『中華一番!』
●『中華一番!』のケシの実入りイカスミビーフン  13歳の少年中華料理人マオが活躍するマンガ『中華一番!』にも、ドラッグルメなメニューが出てきます。「広州料理界の魔女」チェリンさんが作る、真っ黒いイカスミビーフンがそれです。  チェリンさんは登場シーンからして火薬で食材を爆破したり、主人公マオの首のツボにこっそり鍼を打ち込んで味覚を失わせたりと、さすが魔女と言わんばかりのアウトローな行動を取るキャラでしたが、出来上がった料理もやはりヤバかった!  イカスミビーフン食べた人たちの背景がドヨーンとまだらになって「な、なんだこれは」「止まらぬ」「お……恐ろしく後を引く味だ!!」とガツガツと食べまくります。そこへ試食したマオが「チェリンさんは料理人として絶対やっちゃいけないことをやったんだ!!」「この料理には禁断の調味料が使ってあるんだ!」とブチギレます。  そうです、このイカスミビーフンに「ケシの実」が大量に使われていたのです!……って、試食して速攻で分かるマオ(13)も、実は結構なジャンキーなんじゃないかという疑惑がありますが、マンガではそこには一切触れられていません。まったく恐ろしいビーフンがあるもんですね。危険ビーフン、ダメ。絶対。
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『魔人探偵脳噛ネウロ』
●『魔人探偵脳噛ネウロ』のドーピングコンソメスープ  グルメマンガではありませんが、「魔人探偵脳噛ネウロ」に出てきたドーピングコンソメスープも、ドラッグ入りメニューとして有名です。  ドーピングコンソメスープは、成功を呼ぶレストラン「シュプリームS」の至郎田(しろた)正影シェフが生み出した究極のメニューです。レシピも、実にアウトデラックス。  鴨肉、チコリ、アスパラガス、ヴィネガー、塩、レモン皮、モリーユ、ポルト酒、砂糖、ハーブ・スパイス11種、コカイン、ヘロイン、覚せい剤、モルヒネ、ペンタゾシン、ステロイド系テストステロン、ヒト成長ホルモンhGH……後半は、ダイレクトに薬剤名が記載されてます。もう清々しいほどに真っ黒です。  これらの数えきれない食材・薬物を精密なバランスで配合し、特殊な味付けを施して煮込むこと七日七晩!! 血液や尿からは決して検出されず、なおかつすべての薬物の効果も数倍、血管から注入る(たべる)ことでさらに数倍!! これがドーピングコンソメスープだ!!……血管から注入って、それもうコンソメスープじゃなくていいじゃん。  ちなみに、コンソメスープを血管から注入(たべ)た至郎田シェフは、筋肉ムキムキの超人ハルクみたいなバケモノになっちゃいます。危険コンソメスープ、ダメ。絶対。(しつこい)
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『鉄鍋のジャン!』
●『鉄鍋のジャン!』の幻覚キノコ入りスープ  最後にご紹介するのは、やはり中華料理のマンガで『鉄鍋のジャン!』。このマンガほど、ドラッグルメ度が高いマンガもなかなかありません。  全日本中華料理人選手権大会で主人公のジャンが審査員に振る舞ったキノコスープが、実は二種類のキノコをブレンドして幻覚興奮成分を発生させたマジックマッシュルームスープなのでした。当初、審査員は「まあまあだ」「なかなかですな」という評価で、採点も10点満点中5点とか6点とか平凡なものでしたが、しばらくした後、審査員たちが瞳孔の開ききった目で「す……すまんがやっぱりもう一度、もう一度味見をしたい」「ぱふぅ」などと言いながらスープを飲み干し「10点満点で100点ぐらいすばらしい」「1万点いや5万点と書いてやる!」などとわけのわからないことを言い始めます。ていうか、なんで5万点。逆に中途半端だろ……。  『鉄鍋のジャン!』は、この幻覚キノコ入りスープ以外にも危険なメニューが多数出てきます。食べると体がピクピクして動けなくなるケシの実入り麻婆豆腐が出てきたり、食べると脳内麻薬物質エンドフィンを分泌させる子羊のローストが出てきたりして、まさに無法地帯。ドラッグルメの王者と呼ぶにふさわしい存在なのです。  というわけで、皆さんの人生に決して役に立つことのない、危険ドラッグよりヤバいドラッグルメマンガの世界をご紹介しました。ちなみに日本では、アンパンの上にケシの実が乗っているやつがありますが、あのケシの実は体に無害で安全なものらしいですよ。安全安心にドラッグルメしたければ、アンパンがオススメですね! (文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん<http://ablackleaf.com/>)

反日マンガの仮面をかぶった壮大な釣り!? 日本で唯一のテコンドーマンガ『テコンダー朴』

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『テコンダー朴』(晋遊舎)
 格闘技をテーマとしたマンガの題材といえば、すぐに思いつくのは空手、拳法、ボクシング、プロレス、総合格闘技といったところでしょうか。日本の国技、相撲のマンガもあるといえばありますが、ちょっとキワモノ感が強いです。平松伸二先生の『どす恋ジゴロ』なんて、実際の相撲のシーンよりもベッドで夜の大相撲をやってるシーンのほうが多いぐらいです。  ところで、お隣韓国の国技「テコンドー」をテーマとした珍しいマンガが存在するのはご存じでしょうか? しかも、日本の雑誌に掲載された日本人向けのマンガであるという、異色すぎる存在。その名も『テコンダー朴』です。  『テコンダー朴』の最大の特徴は、韓国の国技としてのテコンドーを扱ったマンガであると同時に、強烈な反日メッセージを盛り込んだマンガでもあるところです。主人公のテコンドー使いの青年、朴星日(パク・スンイル)が、邪悪で卑怯なチョッパリ(日本人野郎)をブチのめすシーンというのが、この作品の肝となっています。  なにしろ、マンガ内に出てくる日本人がことごとく卑劣なクズ野郎なのです。このマンガを読む限り、日本人はブチのめされてもしょうがない奴らの集まりです。 「薄汚ねえ在日野郎はさっさと韓国に帰って犬でも食ってろよ!」 「在日刈りだぁ?」 「汚ねえ朝鮮■落をブッ潰してやる!!さっさと日本から出て行きやがれー」  こんなセリフを吐きながら韓国屋台料理の店を破壊したり、在日韓国人の女子どもを容赦なく襲う日本人たち。うわぁ……日本人クズすぎる! 日本人って、こんな『北斗の拳』のモヒカン族みたいな国民性だったのか。最悪ですね!!  そんな憎き日本人に、朴の怒りのテコンドー奥義が炸裂します。両手を合わせて人差し指で相手を鋭く突く、その必殺技の名は「重根(チュングン)」。この重根は、伊藤博文を撃ち倒した韓国の英雄、安重根の拳銃をイメージした技(型)です。決してカンチョーではありません。そのほかにもいろいろとテコンドーの奥義が出てきますが、どれもこれもすごいです。 「奉昌(ボンチャン)」昭和天皇に手榴弾を投げつけた韓国の独立運動家、李奉昌をモチーフにした技 「統一(トンイル)」テコンドー最終奥義とされる南北朝鮮の統一の決意をあらわしている技  ……などなど。蹴り技イメージの強いテコンドーのイメージを覆す手技の数々が登場します。このうち、「重根」「統一」は日本国際テコンドー協会でも紹介されている実在のテコンドー型となっています。抗日のシンボル的存在である安重根をモチーフにしたり、南北朝鮮の統一を願った奥義があるとは、なんて政治的意味合いの強い格闘技なんでしょうか……。美女と毎晩夜の千秋楽を迎えまくってる日本の国技マンガとは、シリアスさが全然違いますね。  ちなみに作品中では、テコンドーは5000年の歴史があり、空手、柔道、剣道、相撲などあらゆる日本の格闘技が韓国起源であるとか、金剛力士像はテコンドー武芸者の姿がモチーフになっているなど、日本人なら確実に衝撃を受けそうな起源アピールも盛り込まれております。5000年の歴史を誇っているわりに奥義の名前が「重根」とか「統一」って、えらく現代的な気もしますけど。  本作品の主人公、朴星日の本当の目的は、朴の父親のテコンドー道場を道場破りによって潰した日本人格闘家、覇皇(はおう)を倒すことにあります。この覇皇という男がまた「大東亜共栄拳」なる、身もフタもない感じの名称の必殺技を使う男なのです。それにしても、自分で覇皇って名乗るなんて、なかなかの中二病ですね。  ストーリーは、朴が宿敵である覇皇と闘うことができる格闘技トーナメントの出場権を手に入れる第3話で最高潮の盛り上がりを見せるのですが、それ以降のストーリーは掲載誌である「スレッド」(晋遊舎)が休刊(事実上の廃刊)になったため、お蔵入りとなってしまいました。  実は、この「スレッド」が創刊された2007年は、03年以降に盛り上がった『冬ソナ』ブームや韓流ブームのアンチテーゼとして2ちゃんねるを中心に嫌韓ムーブメントが起こった年で、インターネット上で「嫌韓流」「ネット右翼」「売国奴」などのキーワードが使われるようになったのもこの時期です。「スレッド」もそれに迎合するように、嫌韓流をあおるような記事が多数掲載されている雑誌でした。  つまり、作品だけを読むと、表面的には反日マンガあるように見える『テコンダー朴』ですが、ありえないほど反日的な内容にすることで日本人読者の嫌韓をあおる目的があった可能性が高いのです。作品が途中で終わっているので、真相は闇の中なのですが。  そういうややこしい事情がある『テコンダー朴』ですが、貴重なテコンドーマンガであることには変わりはなく、その無慈悲な反日っぷりも含めて、純粋に面白い作品になっています。この先の展開が気になるところですが、いま再びこの作品を世の中に出したら、せっかく寝た子を起こすようなエラい事態になりそうなので、おそらく永遠に封印されることになるのでしょう。 (文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん<http://ablackleaf.com/>)

ガチで硬派なロリコンマンガ『あんどろトリオ』に見る、昭和のポジティブ変態

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『あんどろトリオ』(秋田書店)
 マンガの世界では、「ロリコン」という言葉はほとんど見かけなくなりました。しかし、美少女が出てくるマンガは減るどころか、むしろ商業的には活況の一途をたどっています。それはなぜか? おそらくは、2000年以降急速に普及した「萌え」という概念が、「ロリコン」というネガティブワードの隠れみのの役割を果たしているからではないでしょうか。「ロリコン」は、常に変態や犯罪などのネガティブイメージがつきまといますが、「萌え」だとマイルドな語感で、サブカルな香りすら漂います。「ロリコンは死んだほうがいいけど、萌え系はちょっとオシャレだよねー」みたいな。これは言葉のマジックですね。  1982年(昭和57年)から「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)に連載されていた内山亜紀先生の作品『あんどろトリオ』は、昭和の作品らしく萌えマンガとは一線を画した純度100%の正統派「ロリコンマンガ」であるといえます。まさに、真のロリコンを追い求める、硬派のためのロリコンマンガといっていいでしょう。  内山先生はロリコン漫画家の筆頭として多数の作品を世に送り出していますが、『あんどろトリオ』は「週刊少年チャンピオン」という超メジャー少年誌に堂々と、合法的に掲載されていたというのが文化的価値の高いところです。  内山先生の描く少女は、現代の萌えマンガ特有のデフォルメされたアニメ絵とは異なり、大人びた顔立ちに幼児体型をミックスしたような昭和の香りを感じさせる美少女です。いま見ると、尋常じゃない背徳感と不健全さが漂っています。プロも納得するガチのロリコンというのは、こういうものなんだろうなと思わせられるものがあります。  では、『あんどろトリオ』はどんな作品なのでしょうか? ひとことで言うと、女の子が毎回パンツを脱がされるマンガです。実にシンプル。読者の欲望にダイレクトに応えているマンガといえます。  これだけだと作品紹介としてあんまりなので、もう少し詳しく説明しますと、主人公は「つかさ」という小学生風の女の子です。つかさちゃんはデフォルトでパンツが見える上にどのアングルから見てもパンツが見えるという、ちょっとどういう構造になっているのかよくわからない服を着ています。つまり、ほぼ全ページにわたって常にパンツが描かれています。内山先生のパンツへの執念を感じさせますね。  つかさちゃんの取り巻きには、「センパイ」「少年」というキャラクターがおり、3人合わせて「あんどろトリオ」を形成しています。一方で、つかさちゃんのパンツを狙う「紅ガイコツ団」という変態軍団や「イヤラッシー」という変態犬も登場します。イヤラッシー……変態犬にはこれ以上ないほどに、ピッタリの名前です。  つかさちゃんのパンツを狙う「紅ガイコツ団」をガードするために、センパイがいろんなアイテムを発明するのですが、味方であるセンパイも変態なので、結局パンツが見えることには変わらないという変態の多重構造になっています。  ちなみに、センパイがどのくらい変態なのかと言いますと、自分の家がパンツの形をしています。なんというか、インジケーター振り切ってる感じの変態ですね。  そもそも昭和のエッチマンガの特徴として、自ら変態だと公言してはばからないポジティブ変態なキャラが結構登場していました。「変態ですが、何か?」みたいな。それに対して現代の萌えマンガは、どちらかと言うと、一見女子に興味がなさそうな草食系男子がハプニングでエッチなトラブルに巻き込まれるみたいな設定が多い気がします。男らしい凛とした態度の変態は、昭和時代のほうが多かったということですね。  話がそれましたが、センパイがつかさちゃんのために発明したアイテムであるチカン撃退用のパンツ、通称「ニャンコパンツ」はパンツに描かれている猫のプリントに触れると「なめ猫」が飛び出すという仕掛けになっています。このパンツから立体物が飛び出してくる描写は、マンガ誌上類を見ないブッ飛んだ表現と言えます。  この飛び出すパンツにはさまざまなバージョンがあり、かわいい赤ちゃん猫が飛び出すパターンや、おっかない番長が飛び出すバージョンもあります。そのほかにも、尿意をもよおすと股間から卵が生まれるパンツなどもあり、まったくもって意味が分かりません。  さらに、パンツだけではワンパターンと見たか、途中からパンツに変わってオムツの出現回数も増えてきます。素人目には、正直言って何も変わっていないのに等しいのですが、もしかしたらその道のプロが見れば、パンツとオムツは全然別物なのかもしれません。  これだけパンツだオムツだと毎回少女が脱がされているマンガがメジャー誌で掲載されていたというのは、いかに規制が緩い時代とはいえ驚くべき現象ですが、上も下もちゃんと隠すべき部分は巧妙に隠されており、この辺は少年誌掲載マンガとしてのギリギリの良心を感じます。まあ、ギリギリアウトって感じですけど。  というわけで、最近のヌルい萌えマンガに辟易していた古きよき変態の皆様には、ぜひ『あんどろトリオ』をお読みになっていただき、昭和のエロスが醸し出す背徳感を感じ取っていただきたいと思う所存です。読み終わる頃にはきっと、人様に迷惑をかけない一皮むけた硬派の変態になっていることでしょう。 (文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん<http://ablackleaf.com/>)

伝説の打ち切りマンガ『男坂』が30年ぶりに連載再開! 待ち受けるのは天上界か、それとも……

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『男坂4』(集英社)
 こんにちは。じゃまおくんです。普段は「BLACK徒然草」(http://ablackleaf.com/)というブログで、世の中に埋もれる愛すべきマイナーマンガの紹介をしているんですが、このたび日刊サイゾーで連載を始めることになりました。  今年、マンガ界に激震が走ったニュースといえば、なんといっても打ち切りマンガのレジェンド『男坂』の連載再開でしょう。マンガ界の先人たちは、こんな言葉を残しています。<『男坂』を読まずして、打ち切りマンガを語るなかれ>と。そもそも皆さんの人生で打ち切りマンガについて語らねばならないケースはほぼないと思うのですが、本コラムにおいては状況が違います。これから幾多のマイナーマンガや打ち切りマンガを紹介していくであろう、まさに登り始めたばかりのマンガ坂において、その原点ともいえる名作『男坂』を紹介しておかなければ、一歩たりとも先に進めないのであります。  というわけで、1980年代に「週刊少年ジャンプ」(集英社)を愛読していた人たちなら知らない人はいないであろう伝説の作品『男坂』ですが、作者はかの『聖闘士星矢』を生んだ車田正美先生です。その車田先生が構想に10年以上かけ、「俺はこいつを描きたいために、漫画屋になったんだ!!」と言い切るほどの意気込みで開始した作品なのです。  伝説となった有名な打ち切りシーンは、Google画像検索で『男坂』と検索すれば山ほど出てきます。それは「オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな、このはてしなく遠い男坂をよ…」というセリフに、極太毛筆フォントで「未完」という文字をデデーンと残した壮絶なものでした。打ち切りのことを「未完」と言い換えるポジティブさが、当時としてはものすごく斬新だったのです。  しかし、星の数ほどある打ち切りマンガの中で、なぜこの『男坂』だけがレジェンドなのでしょうか? もちろん、一朝一夕で打ち切りマンガのレジェンドになれるわけではありません。ちゃんとした理由があるのです。  ストーリーは、九十九里の硬派な中学生、菊川仁義(13歳)がそのケンカの才能を生かして日本各地にいるケンカの強い硬派たちを一堂に結集させ、日本侵略を企む世界各国のマフィアたちと闘う、というものです。硬派というだけあって、作品中に出てくるセリフもとにかく男くさくて、熱い名ゼリフぞろいです。 「男が目指そうとする道は、しょせん坂道でしょう!」 「オレたちは命燃え尽きるその日までかたい契りをもった義兄弟だぜ!!」 「ケンカに負けるようなヤツに男はいねえ!!男はつねに戦士(ウォリアー)であるべきだからだ!!」 「何万べん語っても語り尽くせねえことが、拳一発で分かり合えることもあるんだ!」 「いざっていう時は命をかけても大事なものは守りぬく、闘いぬく! それが硬派だ!!」 などなど、中二病感あふれる熱いセリフの数々。中二病と硬派は、紙一重だったんですね。ちなみに、日本侵略を企む世界各国のマフィアのドンたちも、平均年齢13歳の中学生です。13歳にして数千、数万人の部下を引き連れてマフィアを組織しているのです。僕が13歳の頃なんか、まだチョロQとかで遊んでましたよ。どれだけスケールがデカイか分かりますでしょうか。  ニューヨークのドン・ジャーメィン、イタリアのドン・バレンチノ、フランスのドン・マドモァゼル、スペインのドン・サンホセ、オランダのドン・ルスカ、プエルトリコのドン・ゴメス等々、まるでワールドカップのごとく、次から次へと各国を支配する中学生マフィアのドンたちが紹介されていきます。菊川仁義はそんな世界の脅威に対抗すべく、東日本の各地のボスたちにケンカを売っては傘下に収め、いよいよ北海道を仕切るボスを倒しに行くぞ! というところで、サクッと打ち切り。ちょっ……あれだけページを割いて紹介した世界のドンたちは、まったく出番なしかよ! という、このズッコケ具合。  前フリの段階で目まいがするような壮大なスケール感。広げきってシワひとつないレベルの大風呂敷。張られまくった伏線に次ぐ伏線。そして、それらを一切回収することなく、突然の打ち切り……これらすべての条件がそろっていたからこそのレジェンドなのです。  そういったことを踏まえて、そんなバカな、どうせデマだろうとささやかれつつも、ついに2014年6月、「週プレNEWS」(集英社)でWEB連載が開始されました。連載が再開されただけでもすごいのに、単行本第4巻が30年の時を経て刊行されるという、『ガラスの仮面』もビックリのインターバルっぷりで、ファンの度肝を抜きました。  「そもそも打ち切りネタで有名になった作品を再開させてどうするんだ」「意味ねーじゃねーか」とか辛らつな意見もありますが、そこはやはり語り継がれた名作……4巻の内容も、3巻までとまったく色褪せぬ面白さでした。菊川仁義の好きなアイドルとして紹介されるのが「キョン2」だったりして、時間の経過をまったく感じさせないあたりも素晴らしいです。  ちなみに4巻でも相変わらず北海道のボスと闘っていて、一向に世界のドンたちの姿は見えてきません。30年もの時を経ても、登り始めた『男坂』は、まだまだ果てしなく続くようです。このまま再打ち切りにならないことを祈るばかりですが、もし足掛け30年かけて復活したのにまた打ち切られるのであれば、それはそれで新たなレジェンドになるかもしれませんね。 (文=「BLACK徒然草」管理人 じゃまおくん<http://ablackleaf.com/>)

“いくえみ女子”はのび太? 不完全な“フツーの人”の成長物語『潔く柔く』

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『潔く柔く 13』(集英社)
男だって、堂々と女子マンガが読みたい!――そんな内なる思いを秘めたオッサンのために、マンガライター・小林聖がイチオシ作品をご紹介!  いくえみ綾の00年代の代表作というべき『潔く柔く』が、映画化される。10月26日公開ということなので、たぶんテレビなどでもガンガンCMが流れているだろうから(我が家にはテレビがないのでわかんないけれど)、普段は少女マンガに興味なんてない男性読者も、名前くらいは知っているんじゃないだろうか。  公式サイトなどでも「感動のラブストーリー大作」と銘打たれているので、映画版はたぶん真っ正面からラブストーリーなんだと思う。でも、原作は、単なるラブストーリーではない。少女マンガ史に残る大傑作なのだ。  原作の『潔く柔く』は、全10章からなるオムニバス連作で、それぞれの章が異なる主人公の独立した物語になっている。だが、同時にそれぞれの章と登場人物が少しずつ絡み合い、全体としては、事実上のシリーズヒロインである瀬戸カンナの物語につながっているという、複雑な構成になっている。  そこで繰り広げられるのは、確かに恋の物語だ。あるときは死んでしまった同級生に憧れていた女子高生の、あるときは中学生に言い寄られる女子大生の、それぞれに恋を軸にして話が進んでいく。シリーズの中心にいるカンナの物語も、あらすじだけを抜き出せば、冒頭に書いたように「好きだった男の子が死んじゃった女の子の恋物語」だ。  だけど、この作品は、悲劇のヒロインが王子様にめぐり会ってハッピーエンドを迎えるというような話ではない。カンナの物語は、確かに悲劇から始まっている。だが、いくえみ綾は、カンナが悲劇のヒロインとして生きることを許していない。  たとえば、ある章で死んでしまったカンナの幼なじみ・ハルタについて、別の同級生が語るシーンがあるのだけれど、これがすさまじい。 「でね! でね!」「そのハルタって死んだ男が またモテ系でさ お葬式とかでも女の子 泣きまくってさ~~」 (中略) 「あ~なんか思い出してきちゃった!」「せつな~~~い!」  語っているのは名もない(顔すら出てこない)同級生で、物語の中にも登場しないいわゆるモブキャラだ。だが、それにしたって、この描きようは冷徹だ。  ハルタの死は、同作の中心にあるエピソードであり、最後の最後までカンナにつきまとったものだ。物語の中では、アンタッチャブルな出来事ですらある。その一方で、物語の外側から見れば「過去のちょっと悲しい思い出話」であるという残酷さを、いくえみは描いている。「せつな~~~い!」と楽しげに語る、女の子たちの恐ろしさを、いくえみ作品は常に忘れずに描き込んでいる。  この毒っ気がいくえみ綾だ。“いくえみ男子”と呼ばれ、新しいモテ男の形として取り沙汰される男性キャラクターとは裏腹に、“いくえみ女子”は「フツーの子」が多いといわれるが、いくえみの描く「フツー」というのは、毒っ気を抱えているということでもある。  カンナも同様だ。いくえみキャラのセリフを集めたファンブック『いくえみ男子 ときどき女子 いくえみ綾 名言集』の中でも、いくえみはカンナについて「女子に嫌われ系」とバッサリとコメントしている。  こういうふうに紹介すると、多くの男の人に「あー、ヤダヤダ、女のドロドロしたドラマとか見たくない」と思われたりするのだけれども、いくえみ作品は深い影を持ちながら、どこかで泥沼感がない。むしろ、毒っ気があるからこそ、救いがある。  それはどういうことだろうと考えたとき、思い出したのは『ドラえもん』だった。「ドラえもん」の作者である藤子・F・不二雄は、常々「のび太は僕自身だ」と語っていた。何をやってもパッとしないのび太は自分の分身だと語り、「たいていの人たちは、自分の中に多かれ少なかれ"野比のび太"を抱え込んでいるのではないでしょうか」と述べている。  そんなのび太がひとつだけ持っているいいところを、藤子・Fは時々反省することだと語っている。時々だけれども、今よりよい人間になろうと努力するのが、のび太の美徳であると。  “いくえみ女子”は、女の子にとっての“野比のび太”なのだと思う。パッとしなかったり、うまくいかない部分を抱えていたり、嫉妬や憎しみに苛まれたりする、不完全でコンプレックスを抱えた女の子たちは、物語を通して、不完全なまま、それでも何かを変えようとあがく。  原作『潔く柔く』の中で、すごく好きなセリフがある。ハルタに憧れていた女の子・一恵がモノローグで語るセリフだ。 「あたしは人を救うことなんてできやしないけど」 「自分くらいなら救える」 「あたしはせめて あたしのことを救おう」  いくえみ綾は、徹底的に少女マンガの人だ。だけど、一恵のこのセリフに込められた、“フツーの人”が変わろうとする祈りのような思いは、男女を問わず、“フツーの人”の胸を打つと思うのだ。  長澤まさみが演じる映画版のカンナも、そういう“フツーさ”を持っているといいなと思っている。 (文=小林聖 <http://nelja.jp/>)

オンナとは“引き算”なのだ! 女性を哲学する最強の名言メーカー『おんなのいえ』

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『おんなのいえ 2』(講談社)
男だって、堂々と女子マンガが読みたい!――そんな内なる思いを秘めたオッサンのために、マンガライター・小林聖がイチオシ作品をご紹介!  「女性マンガ」っていうのには2種類ある。ひとつは「女性のために描かれたマンガ」。王子様キャラが出てきて、夢を叶えてくれるようなもので、いわゆる「少女マンガ」と呼ばれるタイプだ。  そして、もうひとつは「オンナについて考えているマンガ」。オンナという性を生きるということについて、掘り下げていくタイプの作品だ。かつては『ハッピーマニア』でオンナと恋を哲学した安野モヨコや、“オンナあるある”の名手である安彦麻理絵などが君臨していたジャンルで、最近なら『にこたま』でアラサーカップルの結婚と人生をめぐる物語を描いた渡辺ペコや、オンナの業を描き続けるヤマシタトモコあたりも入るだろう。  そんな「オンナマンガ」で今ひときわセンシティブなところを突いているのが、鳥飼茜の『おんなのいえ』だ。  29歳で彼氏に振られた長女・有香を中心に、その妹、父と事実上離婚状態の母というオンナだけの家族を描いた作品なのだけど、これが今屈指の名言メーカーなのだ。  たとえば、自分を振った彼氏を見返したいと話す有香に向かって語られる「男は別れた女の成長なんか、ひとつも興味ないよ」という身もフタもない言葉から始まる一連のセリフ。 「むしろ許せないのは敵じゃなくて、そいつに負けた恥ずかしい自分だ」 「本人が自分を許せない限り、終わんないんだよ」  このほかにも「ひとりでさみしい人間はね ふたりでもさみしい」などなど、おっかない名ゼリフがそこら中に出てくる。この辺のセリフ群は、男が読んでもちょっとのけぞってしまう威力がある。  だけど、同時に『おんなのいえ』はタイトル通り、徹底的にオンナについて描いている。ここで言う“オンナ”を象徴するのは、「損してる暇なんてない」という言葉だ。  このセリフは、ちょっと気になった男性が既婚者だと気付いた有香が、後日モノローグで語ったものだ。時間がない、遊び相手じゃなく、結婚できる人を探さなければいけない。アラサー女性なら、どうしてもついて回る感覚だろう。  だが、この感覚は有香世代だけのものではない。事実上離婚状態でありながら、正式に離婚せずにいた有香の母もまた、同様のことを語る。 「こんなに耐えて、こんなに費やしたのに」 「終わらしたら…キチンと決着したらその時間 その15年なんやってん? って」  これは引き算の感覚だ。  人生は基本的に足し算から始まる。新しいことを学び、経験し、年月を経るほどに持ち物が増えていく。ある年齢までは、たぶん男女ともに足し算の感覚を生きているはずだ。失敗しようが、間違えようが、足し算である限りは前進しているという感覚を生きられる。  ところが、オンナを生きるとき、ある時点でそれが引き算に変わる。失敗は時間のロス、足踏みもマイナス。正解の選択だけが、かろうじて人生を前に進めてくれる。そんな感覚だ。  アラサーという年齢は、女性の場合、この引き算の感覚が強くなる。しかし、一方で我々男は、仕事もプライベートもまだまだ足し算の感覚にある年齢だ。なんなら、ずっと足し算のまま生涯を終える人だっているだろう。このギャップは、アラサー男女の噛み合わなさのひとつの大きな原因だろう。  『おんなのいえ』は、この引き算の感覚が中心にある。「オンナである」というのは、一面では引き算を生きることでもあり、その意味で『おんなのいえ』とは「引き算のいえ」なのだ。  じゃあ、引き算を生きることに出口はあるのか? 目下連載中の本作では、まだその答えは出ていない。だけど、ヒントはある。前出の母のセリフはこう続く。 「でもなぁ 失った時間とはどっかで手を切らへんと」 「『変わる』ことはできひんかもしれんと思ってな」  「本人が許せない限り、終わらない」というセリフと通じるが、それはたぶん、引き算を終わらせることなのだ。オンナという引き算を、どうやってもう一度足し算にするか。気の持ちようで片付くほど、簡単なことではないけれど、きっと出口は足し算の人生を取り戻すことにあるはずなのだ。 (文=小林聖 <http://nelja.jp/>)

「退屈な二枚目」だらけの少女マンガに現れた、かっこいいゴリラ『俺物語!!』

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『俺物語!! 3』(集英社)
男だって、堂々と女子マンガが読みたい!――そんな内なる思いを秘めたオッサンのために、マンガライター・小林聖がイチオシ作品をご紹介!  「あいつ 女の子といる時は退屈な二枚目になっちゃうの」  『恋愛的瞬間』(吉野朔実)という作品に出てくるセリフだ。主人公のハルタが、無二の男友だちである司を評したもので、このあと「男といる時のほうが、司は面白いんだ」と続く。  いきなり今回取り上げる作品とは別のマンガから引用したのは、このセリフが男にとっての少女マンガの壁を象徴していると思ったからだ。  少女マンガは、その多くが恋愛をテーマにしている。なので、少年マンガのラブコメにヒロインがいるように、必然的にいわゆる“王子様”役の男子が登場することになるのだが、この王子様キャラというのがネックなのだ。  少女マンガの王子様役は、当然かっこよかったり、優しかったり、さわやかだったりととにかく魅力的だ。モテるのもよくわかる。だけど、一方でそういう王子様たちは、男から見て「友だちになりたい」と思わなかったりする。そう、王子様は男から見たら「退屈な二枚目」だったりしがちなのだ。  少年誌ラブコメのヒロインが女性に人気がなかったりするのと同様、「少女」マンガである以上、それは悪いことではない。けど、たぶん少女マンガにハマれない人にとって壁になっているもののひとつは、そういう王子様の「退屈さ」だと思う。  そんな中で異彩を放っているのが、「別冊マーガレット」で連載中の『俺物語!!』(作画:アルコ/原作:河原和音)だ。「このマンガがすごい!2013」オンナ編1位を筆頭に、各種マンガ賞に次々ランクイン。2012年最も話題になった作品のひとつなので、名前を知っている人は多いだろう。  『俺物語!!』は、少女マンガにおける革命的作品だった。何しろ、主人公・剛田猛男は角刈りのゴリラ顔。子どもを狙った不審者が出たと聞けば、自主的に小学校で見張りを始める正義漢だが、あまりに怖いため、自分自身が通報されてしまう始末。もちろんモテない。過去に惚れた女の子はみんな親友のイケメン・砂川に惚れる。そんな猛男が、一人の女の子を痴漢から助けたところから物語が始まっていく。  「設定上のブサイク」というキャラはそれなりにいるけれど、この作品の場合は、猛男を本当に情け容赦なくゴリラ顔に描かれており、決め顔も挙動もとにかく暑苦しくて笑わせるのだ。特に走る姿がものすごいインパクト。集英社が、疾走する猛男を描いた2メートル超の巨大ポスターを作っているのだが、店頭で見かけたときは笑えるやら怖いやらで頭がどうにかなりそうだった。たぶん、ポスターだけ見たら誰も少女マンガだと思わないはずだ。というか、恋愛ものだなんて思いもしないだろう。  どれくらいの人が知っているかわからないが、ここまで顔芸のできる恋愛マンガキャラは『ツルモク独身寮』(窪之内英策)の白鳥沢レイ子以来だと思う。しかも、笑わせた上で泣かせたりもするのだから、本当、おっそろしい作品だ。  だけど、僕が『俺物語!!』を好きで仕方ない理由は、インパクトのすごさや、笑って泣けるストーリーの部分ではない。猛男というキャラクターが、「男といる時のほうが面白い」からだ。  もちろん普通の王子キャラにも男友だちはいるし、友人関係が描かれることも多い。だけど、多くの王子キャラは、女の子たちの目線から切り取られた男の子であるがゆえに、「対女子」でのキャラクターしか見えてこない。物語の中で、恋愛に中心軸を置いているといいかえてもいい。だから、ときとして「退屈な二枚目」になる。  だけど、猛男はモテない。だから、そもそも女子との関係や、恋愛というコミュニティに軸足がなく、男友だちとの関係の中で人間性の本質が描かれている。まだ単行本に収録されていないエピソードでは、猛男が窓から上半身を出して背筋をしていて落下するなんてものもある。マンガ的な過剰さはあるにせよ、いかにもバカな男子らしい姿だ。  男の友情というのは、そういう少しもかっこよくない、バカバカしさにある。剛田猛男というキャラクターは、女の子たちの王子様であるよりも先に、「俺たちの友だち」なのだ。  だから、普段なら少女マンガは「こいつら、かっこいいなー、ちくしょう!」なんて思いながら読んだりするのだけど、『俺物語!!』を読むときは「どうだ、ちくしょう、かっこいいだろ、俺たちの猛男は!!」とちっとも関係ないのに、自分の友だちを自慢するみたいな気持ちになるのだ。 (文=小林聖 <http://nelja.jp/>)

案外男には読みづらい(?)吉田秋生のターニングポイント――『海街diary』

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『海街diary5 群青』(小学館)
男だって、堂々と女子マンガが読みたい!――そんな内なる思いを秘めたオッサンのために、マンガライター・小林聖がイチオシ作品をご紹介!  吉田秋生という作家は、「男にも読みやすい少女マンガ」っていうテーマで名前が挙がりやすい作家さんだった。「だった」というか、今でも割とそうなんだけど。  最近では男性向け・女性向けというのをそれほど意識しない作品も増えているし、そういう区分も不要なんじゃないかという声もある。僕も個人的には掲載誌がいわゆる女性誌だから読む・読まないということは当然ない。けど、一昔前は男がいわゆる少女マンガを読むっていうのは割と珍しがられたし、今も「少女マンガならパス」っていう人は少なからずいるだろう。だから、こんな連載をしてるっていうのもある。  さて、そういう中で、吉田秋生は「男性にも読みやすい」といわれる女性誌作家だった。特に過去の代表作である『BANANA FISH』は、謎のドラッグをめぐるストリート・ギャングたちの構想を描くハードボイルドな作品で、「女性誌に載っているのが不思議」といわれることもあるくらいだった。絵柄も(特に当時は)大友克洋の影響が見てとれる、少女マンガふうではないタッチだったので、男性にも入りやすいというのもあっただろう。  なのだけど、僕はというと、実は吉田秋生はものすごく“少女マンガ的”な作家だと思っていて、男性が入りやすいかといわれると、すごく疑問だったりした。前出の『BANANA FISH』にしても、なまじハードボイルドな作品であるがゆえに、主人公のアッシュ・リンクスと、もうひとりの主人公ともいえる奥村英二の関係にBLっぽい匂いを強く感じてしまうというのがあった。もちろん、この2人の関係の特殊さが『BANANA FISH』の魅力であり、面白さなのだけど、「男性誌のマンガみたい」と薦められて読んだら、生粋の男性マンガ読者は「何か違うな」と感じるんじゃないだろうか。  こう書いてしまうと誤解があるのだが、吉田秋生作品が全般的にBLテイストが強いかというと、そんなことはない。『河よりも長くゆるやかに』など、初期の短編・中編を見ても、むしろ「エッチなことばっかり考えてる、バカで単純な男の子たち」というのを見事にとらえており、女の子の夢を叶える王子様みたいな(男性マンガにおける『タッチ』の浅倉南的な)偶像性は低い。その点で、男性作家的だといっていいだろう。  だけど、吉田秋生が徹底的に少女マンガの人だなと思うのは、その作品が常に少年・少女を描いてきたからだ。『吉祥天女』や『櫻の園』に代表されるように、そのキャラクターたちは他者のセクシャルな視線に晒される苦悩を抱えている。本人が自覚するよりも先に、大人や他者によって「女性」であるとみなされ、「女性」であることを強要される、そういう悲しみと孤独がバックボーンにある。吉田秋生作品は、常にそういう思春期的なセクシャリティの問題を作品の真ん中に据えていた。  こういう思春期の繊細な心や孤独感というのは、男女問わず起こりうるのだけど、原理的にはやはり女性的なテーマだ。男の場合、思春期あたりというのはヤリたくてしょうがない時期、要するに欲望の主体であるので、自分のセクシャリティにギャップがない。これが女性の場合は、自身が性を受け入れる前に、そういう男性の欲望の客体となってしまうということが起こりやすいというわけだ。そういう意味で、吉田秋生の感性、作品は、絵柄など、一見した印象とは裏腹に、極めてど真ん中の少女マンガなのだ。  だけど、『海街diary』が始まったとき、「これは本当に男も読みやすいかもな」と思った。『海街diary』は、鎌倉に住む3姉妹と、父の死をきっかけに家族に加わった異母妹の物語だ。アラサーの長女から、20歳前後の妹2人、そして、思春期の異母妹と、さまざまな年代の女性たちが描かれるという意味で、家族の物語であると同時に、吉田秋生らしい女性の物語でもある。  だが、これまでと大きく違うのは、『海街diary』では、大人たちの物語が描かれている点だ。  吉田秋生は、前述のとおり、少年・少女を描く作家だった。そこには大人を象徴とした自分を取り巻く世界との不和があり、吉田作品は常にそこで苛まれる少年・少女の側に立ち続けてきた。  『海街diary』は、四女・すずたち少女の世代の物語を描く一方で、長女・幸たち、「大人」の苦悩や和解がもうひとつの主軸になっている。そこで描かれる「大人」は、「子ども」と対立する者ではなく、他者、とりわけ家族との不和に悩み続ける、実はそれほど子どもと変わらない人間の姿だ。親との関係、不倫などのドロッとした問題に悩む大人を、汚いものでなく、ごく当たり前のものとして描き、和解する姿を描き出している。  それは、一言でいえば作風の加齢であり、そこにはかつてあった、思春期の痛々しいまでの孤独や孤高感はない。徹底的に少女マンガだった面影が消えたといってもいい。  だけど、その加齢は新しい地平を見せてくれている。ナイフのように尖った思春期を越え、子ども時代とも、大人たちの世界とも和解する、そんな「かつての子どもたち」の姿がそこにはある。  「案外男には読みづらいかもな」と思っていた吉田秋生は、今、大人も子どもも、男たちにとっても柔らかな作家になったと思う。そういう意味で吉田秋生は、『海街diary』から入り、そこから「ど真ん中の少女マンガ」である過去の作品へと導いてくれる、まさに「少女マンガの入門作家」になったんじゃないかと思っている。 (文=小林聖 <http://nelja.jp/>)

「淫乱処女」であるメガネ男子・関根くんは、非モテの敵か味方か――『関根くんの恋』

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『関根くんの恋 4』(太田出版)
男だって、堂々と女子マンガが読みたい!――そんな内なる思いを秘めたオッサンのために、マンガライター・小林聖がイチオシ作品をご紹介!  「メガネ男子」ってやつが憎い。かくいう僕も、小学校時代からメガネをかけてきた生粋のメガネ使いだ。コンタクトレンズに浮気したことだって一度もない。なので、ごくごく当然のこととして、自分のことをメガネ男子だと思っていたんだけど、何年か前に女の子に言われた。「あんたはジャンルとしては、メガネ男子じゃなくて“のび太”だ」と。  のび太。彼女の区分では、日本を代表するメガネドレッサーであるところののび太は、メガネ男子ではないということらしい。確かにのび太は原作では、大人になってからメガネをやめているけれど、たぶんそういうことではない。メガネ男子とは、メガネをかけてりゃいいってもんじゃないのだ。  そんなこともあって、僕はメガネユーザーでありながら“メガネ男子”というやつに嫉妬している。それでいうと、ここ数年一番悔しいのが『関根くんの恋』(河内遙)の関根くんだ。関根くんに対する感情は、愛憎としかいいようがない。  『関根くんの恋』は、タイトルどおり主人公・関根圭一郎の恋愛を描いた作品だが、この関根くんがそそる。三十路で、周囲の女性がうっとりしてしまうほどのイケメン。仕事も抜群にできるし、なんでも人並み以上にこなせる。だけど、関根くんのすごみは、そういうスーパーマン的な部分ではない。  関根くんは、イケメンで優秀すぎるがゆえに、積極的に自分から女性にアプローチせずに済んできた。そういう関根くんが、人生で初めて自分の恋心に気付くところから物語は始まる。しかも、その恋に気付くのは、その相手が結婚した後なのだ。そして、そこから関根くんの新しい恋が始まっていく。  そういう関根くんの姿は、モテない男のそれでもある。ヒロインである如月サラに習う手芸に没頭しながら、ああすればよかったとかこうすればよかったとかイジイジ悩む姿は、はっきりいって童貞くさい。そういう関根くんが、どこか肯定され、許されていく物語は、モテない人生をやってきた僕にとっても共感でき、甘い気持ちにしてくれる。  一方で、関根くんの煩悶は強烈な魅力でもある。繊細なイケメンメガネ男子である彼が、童貞みたいに不器用に悩む。しかも、悩みながらも、女の子がベンチに座るときにさっとハンカチを敷いてあげたり、ごく当たり前みたいに花束を抱えて絵になってしまう。その立ち振る舞いが、いちいち完璧で色っぽいのだ。悔しいけれど、こんなことはモテない僕には絶対できないし、できてもサマにならない。関根くんは共感できる一方で、その色気で圧倒し、絶望させてくる。  はっきりいって、この関根くんのキャラクターは反則的だ。それは、女の子に置き換えるとよくわかる。イケメンで優秀、天然のタラシでありながら、不器用でウブという関根くんは、いわば「美人で淫乱な処女」みたいなもんだ。要するに本来は無理筋の存在で、美しい妄想だといっていい。  ただ、この反則性は欠点ではない。本来並び立たないはずの2つの魅力を、関根くんは説得力を持って同居させている。完璧な王子様の魅力を味わわせてくれると同時に、初恋のような初々しい気持ちもくすぐってくる。  いわゆる女性誌での作品発表が多い河内遙が、男性的な感性の作家だというつもりはない。本人がどういう人なのかも知らないし、男性観について聞いたわけでもない。だけど、河内作品の描く男性像は、常に煩悶している。脆さや舌足らず的な不器用さを持っている。  それは、単に草食系というより、モテない、恋愛に苦手意識がある層に響く力を持っている。だから、ひがむ気持ちの一方で、どうしても愛してしまうのだ。悔しいけど。 (文=小林聖 <http://nelja.jp/>)

メソメソしている自分を奮い立たせてくれる、狂気じみた社長の情熱『重版出来!』

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『重版出来!1』(小学館)
男だって、堂々と女子マンガが読みたい!――そんな内なる思いを秘めたオッサンのために、マンガライター・小林聖がイチオシ作品をご紹介!  世の中にはメンタルの強い人というのがいて、コケても打たれても、不屈の闘志で立ち上がり進んでいく。立派だと思うし、憧れもするけど、残念ながら僕はメンタルが弱く、そういう人間にちっとも近づけないまま年を取ってしまった。今でもちょっと衝撃を与えれば砕けるようなガラスのハートなので、しょっちゅう落ち込んで、人に知られないように自宅でメソメソ過ごしている。  そういう人間には、落ち込んだ気持ちをもう一度奮い立たせる何かが、自分の外に必要になる。で、それが友人でも恋人でもいいんだけど、僕の場合は基本的にマンガなのだ。だから、気持ちをグイッと上げてくれるマンガをいつでもいくつか心の中にストックしてあって、メソメソしているときに引っ張り出して読むことにしている。  そんなストックに最近加わったのが、出版業界を描いた『重版出来!』(松田奈緒子)だ。  お仕事マンガっていうのは「そこそこ面白いもの」になりやすい。ちょっと特別な職種だと、そこで働く人がどんなことをしているかなんて知らないことが多いので、マメ知識的な部分を掘り下げるだけでも結構面白く読める。たとえば、「重版出来」を「じゅうはんしゅったい」と読むなんて、ほとんどの人は知らなかったはずだ。そういうちりばめられたトリビアだけでも楽しめる。  けど、それは同時に「そこそこ面白い」だけになりやすいということでもある。読みやすいし、知識欲も満たしてくれるけど、ドハマリするほど面白くはない。そういう作品がよく出てくるのだ。  ケガで柔道の道をあきらめた主人公・黒沢心が、面接中に突然入ってきた暴漢を一本背負いで撃退し、見事採用を獲得する本作の第1話を読んだとき、面白いと思ったけれど、実は「よくある話かな」とも思った。よくできた出版業界モノ、ど根性編集物語……そんな感じかなと。  その予感は、ある程度は正しかった。人気が落ちてきている大御所作家の復活劇を描く第2話、マンガの単行本の発行部数決定やヒットへ結びつけるための営業、編集、書店の仕事を描く第4話から第6話までの3部作。さすが自分たちの業界だけあって、小ネタもいい。売れている作品の店頭在庫がなくなりかけて焦っているところに、追加注文分が届いて安堵する書店員のコマなんかは、リアル書店員の間でも「あるある(笑)」と話題になっていた。  でも、『重版出来!』がすごいのは、別にそういう小ネタ群ではない。この作品の根元には、一種の狂気じみたものがある。それが一番よく出ているのが第3話だ。  この第3話では、主人公・黒沢心が就職した出版社・興都館の社長の半生が描かれる。貧乏な家に生まれた彼は、出版社に入り、ヒットメーカーとなっていくのだが、彼がその中で手にした人生哲学が「運を貯めて、貯めた運をすべて仕事に注ぐ」というもの。仕事で勝つために、ギャンブルも辞め、ありとあらゆるラッキーを私生活から排除していく。  なぜそこまでするのかについて、彼は「本が私を人間にしてくれたからです。」と答える。見開き2ページをまるまる使って描かれるこのシーンは、第1巻の中でも屈指のシビれるシーンだ。と同時に、ここで描かれる社長の顔は、どこか狂気を感じさせる描かれ方をしている。すごくおっかないコマなのだ。  そもそも「運を貯める」という行動自体、ジンクス程度ならともかく、ここまで徹底するのはもはや正気ではない。彼はある意味、正常ではないキャラクターなのだ。  だけど、その狂気じみた情熱こそが、彼を押し上げたものであり、この作品の根底にあるものなのだと思う。ただ「仕事だからやる」という次元を超え、理屈をも超え、自分を自分たらしめる何かのために、仕事に仕える。そういう圧倒的な熱量があるからこそ、メソメソしているときの僕を支え、もう一度奮い立たせてくれるのだ。 (文=小林聖<http://nelja.jp/>)