
『人間仮免中』(イースト・プレス
マンガ評論家・永山薫のコミックレビュー。連載第9回は卯月妙子の『人間仮免中』です!
卯月妙子の10余年ぶりの描き下ろし新刊『人間仮免中』(イースト・プレス)を読んで俺は思わず、「なんじゃこりゃ~~!?」と、ぶっ飛んでしまった。あまりの絵の崩れっぷりに驚愕したのである。
もともと、卯月は粗いタッチで自らのハイテンション&ハイパッションを紙面に叩き付けてきた。漫画絵と劇画表現が融合した作風であり、そこにはやけっぱちの開き直りとしたたかな自己プロデュースが読み取れた。
それが、である。本書の絵はまるで子どもが見よう見まねで描いた『ちびまる子ちゃん』ではないか。線はヘロヘロで、デッサンは崩れ、どう見たって左手で描いたような絵なのだ。
卯月妙子に何が起こったのだろうか?
と、白々しく疑問形で書いたけど、このコラムを読んでいるような人はすでにご存じだろう。なんせ、本書が上梓されるやTwitterでは膨大な発言があり、毎日、新刊をチェックしている俺が、ちょいと遅れてアマゾンでポチッた時にはすでに2刷目になっていた。すでにアチコチで話題になっている。版元のイースト・プレスとしては、“してやったり”だろう(ついでに、俺の『エロマンガスタディーズ』も増刷してほしいものである)。
とはいうものの、卯月妙子といわれても、彼女が漫画を描けなくなって10年余り。罪障の深い漫画読みのおっさんおばはんや、若いくせに妙に昔のことに詳しいサブカルな若造を除いた若い世代には初めて聞く名前かもしれない。
卯月妙子は元ホステスで、元ストリッパーで、元AV女優で、舞台女優で、あやうく元漫画家になりかけた。
AV女優っていっても、動くヌードグラビア+疑似セックス付きとか、そういうアレではない。V&Rプランニングというマニアックなメーカーの、いわゆる「企画物」だ。そこで卯月妙子は単なる本番じゃなくって、食糞もゲロもミミズもオーライな女優さんだったわけだ。残念ながら、俺がAVライターをやっていたのは彼女のデビュー前だったので、現役当時の彼女のAVは見ていない。しかし、V&Rのエログロナンセンス&アナーキーなAVはそれなりに見ているので想像はつく。俺がAV評やってた当時の作品は、ハッキリ言ってひどかった。
余談だが「ビデオTHEワールド」誌(コアマガジン)で、同社社長である安達かおる監督作品に「田舎へ帰って田んぼでも耕してろ」と罵声を浴びせ、後に「東京出身だから田舎なんかないよ」と切り返されたのは俺だ。今なら炎上必至ですな。でも、俺は全然反省していない。V&Rが名作、問題作を連発し、多くの才能を育てたことは、いまさら言うまでもないが、それはまた別の話である。
で、卯月の代表作が『ウンゲロミミズ』(監督/井口昇)。タイトルだけでクラッと来る。ネット配信があるので現在でも視聴可能。見たいヤツは、気合いを入れて見るがいい。
彼女が水商売やエロ産業に足を突っ込んだのは、夫の会社が倒産したためだが、彼女の稼いだ大金を、精神病が悪化した夫はロクでもない企画に右から左に使い果たした挙げ句、「逝ってきまーす」と投身自殺。その顛末は本書にも描かれている。詳しく知りたい人は『実録企画物』『新家族計画』(全2巻/太田出版)を参照。いずれも電子書籍化されているので待たずに読めるぞ。後者はフィクションだが、卯月の体験がベースになっている。
さて、本書に話を戻そう。
本書はノンフィクションである。正確にはエッセイコミックと呼ぶべきかもしない。
プロローグは衝撃的だ。
「一日は一撃だ」
という寺山修司の『ロング・グッドバイ』がナレーションとして引用される中、虚ろな表情の卯月妙子が歩道橋へと向かう。「ぽー」「ぽー」「ぽー」がリフレインされる。
歩道橋にスタスタと上り、欄干に立ち、そのまま車道に向かって、顔面からダイヴする。
プロローグは第2章にあたる「人間仮免中 歩道橋バンジー編」へと続く。
第1章「人間仮免中」はバンジーの前日譚で、12年連れ添った夫と別れるところから話が始まる。統合失調症の卯月妙子が自殺するのではないかと危惧し続けた夫は、ついに神経症となってしまったのだ。
しかし、別れがあれば出会いもある。飲みに行った妙子の前に現れたのが、後に内縁の夫となるボビーだ。
下駄みたいな顔をした当時61歳。オーバー・ザ還暦。妙子とは二廻り以上、つまり親子ほど年の差がある。
卯月フィルター通してるから当然ちゃ当然だが、これがイイ男なのだ。とはいえ、只者ではない。堅気のサラリーマンで、昔気質の侠気溢れるオヤジ。若い頃には、民事介入であぶく銭を稼いだこともあれば、ヤクザとも付き合いがある。かんしゃく持ちで、それが原因で奥さんには逃げられてるし、酔うとセクハラ全開のエロジジイにもなる。しかし、卯月妙子一筋。一途である。
歩道橋ダイヴで顔面が崩壊し、かつての美貌がガタガタになってしまった妙子を変わらず愛し続ける。セックスもする。それによって卯月妙子は救われる。
本書の軸はボビーとの愛情生活である。その揺るぎない軸があるから、歩道橋ダイヴも、生還後の入院とリハビリと不自由な身体と執拗な幻覚も、日常の流れの中で読めてしまう。距離を置いて眺めれば深刻な地獄みたいな話なのに、笑えてしまう。
彼女は彼に無邪気に甘え、ダダをこね、ケンカし、仲直りする。愛が高じて、オマンコにボビーの名の刺青を入れる。気合いを入れて墨を入れるのではなく、自然と、気分で入れちゃうんである。背中には自殺した最初の夫の戒名を背負い、オマンコには内縁の夫の名前を刻む。単純にスゲェと言おう。覚悟の表明だろうとか、形を代えた自傷だとか理屈をこねても始まらない気がする。入れたいから入れた。子どもみたいな、ちびまる子みたいな絵がそう語っている。いや、そうとしか読めない。笑うしかない。
最初に書いたように絵はヘロヘロだ。
画力至上主義者ならば、目を背けたくなるようなヘタウマ絵である。
しかし、さらに驚いたのは、それが読む際の障害にはならないということだ。プロの漫画家が本気で「漫画」を描けば、多少の絵の崩れなんか関係なく、商品として通用するオモロイ漫画になってしまうのだから恐ろしい。
絵の崩れっぷりが、内容と絶妙に噛み合っている。
先述したが、以前の卯月作品には、捨て身のテンションがあった。露悪的で露出的で毒入りキケンだった。自暴自棄に破滅の坂道を転げ落ちる痛快さがあった。もちろん、それはそれで良かったのだ。俺ら、業の深い読者というケダモノは、狂った作家、暴れ者の作家、壊れた作家のタガの外れた作品が大好物なのだ。なので、当時の卯月妙子の凄味を懐かしむ人もいるだろう。だが、あれから10年以上。年を取れば取った分、人間は変わっていく。いいとか悪いとかではなく変わっていく。細胞だって全部入れ替わっている。変わらないヤツ、変わらないフリをしているヤツのほうが何倍もヤバイ。
残酷な結果論かもしれないが、吾妻ひでおがアルコール依存症になって失踪した結果、傑作『失踪日記』(イースト・プレス)が生まれ、花輪和一が銃刀法違反で投獄された結果、これまた傑作『刑務所の中』(青林工芸舎)が生まれたように、歩道橋バンジーが『人間仮免中』という漫画史に残る、あるいは暗黒漫画史に輝く傑作を生んだということもできるだろう。地獄に堕ちたからこそ描ける作品もまたあるのだ。もちろん、生還できなかったケースも多い。そして、彼らが地獄から掴んできた宝石を、俺を含めた読者たちは数時間で消費する。ヒデェ話だ。
とはいえ、卯月妙子の凄絶な人生は、少なくとも彼女自身にとっては凄絶でもなんでもなく成り行きである。どんな人間だってそれぞれ特殊で、それぞれがパーソナルな成り行きで現在に至る。
で、その成り行きの果てに子どもみたいな絵を描く彼女がいる。この絵は彼女が新たに獲得した絵なのだ。
本書で描かれる卯月妙子の姿は、子どものように素直で無邪気だ。衒(てら)いも、イイ格好も、ワルぶりも、プライドも全部脱ぎ捨てて、ヒトとしてのスタートラインに戻った。
ならば、完全に保護される子どものままで、周囲の愛情と援助に支えられて生きるのもありだろう。帯文に
「生きてるだけで最高だ!」
とあるように、人間なんてモノは生きてるだけで充分なのだ。生還できただけで幸せではないか。
だが、卯月妙子はどうしても漫画を捨てられなかった。
彼女は本書の「あとがき」にこう書いている。
「歩道橋から飛び降りて、顔を壊しましたし、片目の視力も失いましたが、この一件で、人の愛情のなんたるかを、思い知りました。
自分の、奇天烈な顔を見たとき、この一連の出来事を、漫画にしたいと思いました。漫画家の、業です」
(文=永山薫)
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アヴァール戦記 1
評価はわかれますが。

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『アヴァール戦記』第1巻(新潮社)
マンガ評論家・永山薫のコミックレビュー。連載第8回は中村珍の『アヴァール戦記』です!
中村珍の『アヴァール戦記』第1巻(新潮社)を読んでいたら、なんだか身体が痒くなってきた。
第3話「お風呂の話」のくだりで、中村珍が26日間、お風呂に入っていないことを明言した瞬間、身体のあちこちがムズムズし始めた。
俺は半世紀以上漫画を読み倒してきたわけです。漫画読んで、鳥肌を立てたり、すすり泣いたり、笑い転げたり、感動したり、怒り狂ったり、オナニーしたり、居眠りしたり......とまあ、いろいろなリアクションを体験してきたんですが、痒くなったのは初めてですよ中村珍さん。
さて、本書は中村珍初のエッセイ漫画。タイトルからファンタジー漫画だと思い込んでいる人もいるだろう。まあ、俺も連載を読むまではそうだった。
「おおっ、あの『羣青』(小学館)の中村珍がファンタジーか!」
なぁんて無邪気に驚いていた自分が今となっては懐かしいぜ。
さらにオメデタイことには、初めて「月刊コミック@バンチ」(新潮社)の連載を読んだのが震災後。
「震災で本編どころじゃなくなったんで急遽ルポ漫画にしたんだな。うんうん」
なぁんて思い込んでいた(この震災体験部分は独立して読んでも秀作である)。
その頃未読だった連載第1回において作者本人が、
「ファンタジー漫画は馬とか剣とか城とか出てくりゃかっこいいけど手がかかるんですねー」「その分描くのに時間かかるからアシスタントさん呼ぶでしょう? そーするとまぁ めちゃくちゃ¥かかるわけですよ......」「だから今回みたくエッセイの仕事とかオイシイですよ一人で描けるし」
と、ファンタジー漫画家とエッセイ漫画家とその愛読者を全員敵に回すようなことをのたもーていたことも知らずに勘違いしていたのである。
タイトルの「アヴァール」は5~6世紀に東ヨーロッパを支配した遊牧民族「アヴァール(Avars)」とはまったく関係がない、フランス語でケチ(Avare)という意味。Google翻訳してみたら「守銭奴」と出た。語尾がsだったら最近流行の歴史ファンタジーだったろうに語尾がeでは大違い。テーマはケチ。それもハンパなケチっぷりではない。ケチである「自分」の姿を露悪的に戯画化して晒して原稿料を取るってんだから、転んでもタダでは起きないくらい徹底しておられる(つーか、描くのが楽だからという理由で転んで突っ伏したままの自画像が異様に多いのも笑える)。
基本的にどんなテーマでもエッセイ漫画は面白い。それはオレタチの......といって悪ければ、俺の覗き趣味、ゴシップ嗜好にマッチするからだ。他人の幸不幸を安全な観客席から眺めて、「私生活もカッコイイなあ」とか「深いなあ」とポジティブに感動感心しちまったり、「いやあ家族も大変だなあ」とか「この人、思ってた以上にナルシーだったのね」とか「バッカじゃねーの」とか邪悪で鬼畜なツッコミを入れたりできる。作品を通して、その作者に優越感も劣等感も共感も反発も抱くことができる。早い話、エッセイ漫画って私生活の見世物化という側面が大きくなるほど面白いわけだ。とゆーと、「私生活を切り売りするなんて」と眉をひそめる良識人も多かろうが、俺的には売り物になるようなオモロイ私生活を送っているエッセイ漫画家さんたちには心底嫉妬するぞ。『中国嫁日記』(エンターブレイン)とか、ホントにウラヤマシイ。しかも、メッチャ売れてんだから許せないよね。
とはいえ、「エッセイ漫画」が「リアル」であるという保証はどこにもないというのが大前提。アホな人はその辺がわかってない。いいですか、漫画家や小説家は人をだまして面白がらせてナンボの商売ですよ。エッセイ漫画といえども美化したり、自己戯画化したり、キャラ作ったり、演出したり、読者を挑発したりするのは当然の話。100%のリアルを期待する方が間違っている。
だが、『アヴァール戦記』のキャラとしての中村珍にリアル中村珍成分が相当入っているだろうことは想像に難くない。風呂話もスケジュール管理が下手な漫画家にありがちな「あるある」だし、漫画制作とカネにまつわる話も俺の知る業界事情から類推しても「単なるホント」だ。帯文の「漫画業界大激怒!!!」「『羣青』の中村珍が開けてしまったパンドラの箱に関係者戦慄」「やってはいけない禁じ手満載。赤裸々な日常が明らかに!」なんてのはかなり大袈裟だけど、「あ、やっちゃった」感はある。
例えば、『アヴァール戦記』の原稿料がページ1万3,000円であることも明記してある。ゼニカネとケチの話を描くのなら、まず基本収入である原稿料を晒すのは当然だろう。とはいえ、漫画家の多くは自分の原稿料の多寡を公開しない。気になるのは税務署よりも同業者の視線だろう。嫉妬を買うのも格下に見られるのも、どっちもうれしくない話だ。それにページ単価がわかれば、その漫画家の収入は簡単に把握できる。法人にしていない漫画家の月収は原稿料×月産ページ数だ。単行本を出している場合は、その年の単行本刷り部数×定価×印税10%÷12を足す。アニメ、ゲーム、フィギュアなどの権利ビジネスは、ほとんどの漫画家には関係がない。
『アヴァール戦記』は通常12ページ。15万6,000円のお仕事だ。他にも連載を持っているからトータルの月収は100万円弱というところか? 後で触れるがこれは決して高収入ではない。
第1話で中村珍は担当編集者に、
「絵とかそんな込み入ったヤツ描かなくていいんですよね?」
と言ってのける。編集者も編集者で、
「あーもーあーもーテキトーでいーです!」
なんてアッサリ承認してしまう。当然のように中村珍は実践する。徹底して省力化をはかる。背景の白いヘニョヘニョの絵で、1ページ9分51秒でやっつける。時給換算7万8,000円のお仕事。確かにこれはオイシイ。これを俺みたいに「ひっでえな」と笑い転げる読者もいるが、挑発ネタとして消化できない真面目な読者もいるだろう。確実に怒る読者もいる。そのリスキーがまた笑いを倍加させる。
さらに現場のケチネタも投入する。アシスタントの作画の調子が悪い時には食事は安いカップ麺しか出さない。戦力にならない臨時アシには残り物のタッパーカレーだ。その上、給料払ってんのに食事まで支給するのは変だとグチをこぼす。友達のイラストレーターには不要品を売りつけて、なおかつページを埋めさせる。〆切がヤバくなれば、出来合いの背景トーン、ストックしてあった背景を容赦なく使う。
このあたりが帯文に言う「禁じ手」だ。よく言えば省力化、悪く言えば手抜きである。異論は多々あろうが、たとえクオリティーを落としてでも連載を落とさない。これがプロの漫画家の鉄則だ。いやまあ、まったくエラソーなことは言えない俺ですけど、業界のオヤクソクではそうなっております。たとえ、鉛筆の下書きでも入稿できないよりははるかにマシ。そういう世界なのだ。
そんなわけで、多かれ少なかれ漫画家は省力化を余儀なくされる(まったく省力化の必要がない人もいるが)。背景トーン、ストック原稿、コピー機とスキャナーとPhotoshopを駆使する。背景や小物の使い回しなんてかわいいほうで、キャラクターも拡大縮小コピーしてヘアスタイルを変えて使う超エコロジーな某大家もいたし、かつては不動産チラシの建物の写真をコントラストきつめにコピーして背景に使ってらっしゃった猛者もいた。コピーする時間すらもったいないと旧作の原稿から背景を切り取って使ったため復刻版が出せない漫画家もいる。
漫画家という職業に甘い夢を抱いている漫画家志望者や純真な漫画ファンには申し訳ないが、そーゆーもんなんである。もちろん夢も幻想も必要だ。それ抜きに漫画なんてショーバイは成り立たない。ただし、どんな業界でも現実は甘くない。収入ピラミッドのテッペンから20%のポジションにいる漫画家以外はほぼ自転車操業だ。例えば、サラリーマンで年収1,500万円というと大手企業の部長クラス以上だろうが、漫画家だとワリと普通にいる。ただ、これは年収ではなく年商と考えたほうがいい。大雑把に言って、年商から経費を引いたものが漫画家の年収だ。俺の知り合いの場合、年商1,500万円で年収300万円という漫画家がいる。他のもう少し売れている漫画家のケースで、年商3,000万円弱で経費は1,500万円強。年商が倍でも経費は200万円の差しかない。つまり、経費のほとんどが人件費だ。要するに漫画家は表現者であると同時に、下請けの家内制手工業の親方なのである。使い切れないほど稼げる漫画家ならカネとか権利の話はマネジャーに任せておけばいいが、そうじゃない80%の漫画家はコスト意識なしにはやっていけない。親方の肩にはアシスタントと呼ばれる職人さんたちの生活がかかっている。
その点、中村珍はコスト意識のはっきりした親方だと言えるだろう。ただし、この人のコスト感覚は少なくとも漫画を読む限りにおいては、どこか底が抜けている。アシスタントの食事の件も、調子良く仕事が進めば、銀座から寿司の出前を取るし、安く仕上げるはずの『アヴァール戦記』なのに細密でカッコイイ「ファンタジー漫画」絵のコストを説明するために実際にアシスタントを駆使して描き上げたはいいけど、大赤字を出してしまうし、バケツ一個を買わなかったばかりに震災の漏水事故で呆然となるし、一言足りないばかりに時間とカネを大幅にロスしてしまったりもする。
さすがに震災の120万円もの被害について、自己責任というのはムチャだが、それすらも、中村珍の「ケチ→ギャフン」な宿命のように感じられてならない。先述のように、どこまでがリアルかは別の話としても......。
『羣青』という大きな連載が完結した今後、中村珍の『アヴァール』はより切実なものになるはずだ。秋に出る第2巻では一体どんなことになっているのだろうか? ファンである俺はヤキモキし、鬼畜な俺はワクワクしているよ。
(文=永山薫)
分からなくってもダイジョーブ! 脳内麻薬を噴出させる異常な漫画『女子攻兵』

『女子攻兵 1』(新潮社)
マンガ評論家・永山薫のコミックレビュー。連載第7回は松本次郎の『女子攻兵』です!
出ました! 松本次郎の『女子攻兵』(新潮社)第1巻! 帯に「本年度最狂のSFロボ戦記」というアオリ文句が躍る。確かに狂ってる。松本次郎が狂っているだけではなく、この漫画を「月刊コミック@バンチ」に掲載する編集部も、喜んで読んでる読者も、俺も完璧に狂ってる。
女子攻兵とは何か? ミニスカ・セーラー服&パンチラ付きの女子高生型巨大戦闘ロボットだ。しかも、その頭部に人間が搭乗して、操縦する。おまけに素材は超合金じゃなくって、バイオ系で、腹をブッタ斬られればハラワタが飛び出すし、オシッコだって洩らす。早い話が、エヴァンゲリオンとか『進撃の巨人』(諫山創、講談社)とかを女子高生にしたと思ってくれ。サイズを気にしなければそれなりにかわいいが、ギャルやビッチの成分もタップリなので、拒否反応を起こすウブな坊やも多いだろう。そういうのがパンツ丸出しでウジャウジャ出てくるから、苦手な人はどうぞ気分悪くなってください。
それで、お話の印象は、3Dゾンビ虐殺系対人シューティングゲームの感覚に近い。てゆーか、操作できない分、動画掲示板でおなじみのゲーム実況録画を見てる気分。殺伐としてて、出口がなくて、不条理で、その癖、脳内麻薬がジワジワと湧いてきて、病みつきになって、気がついたら小1時間モニターを眺めてたみたいな、そんな感覚。
この漫画に関していえば、背景とか、世界観とか、状況説明とかを求めても無駄。冒頭の前置き的なテキストなんてひどいもんだ。
未来―――
異次元空間に新天地を求めて移住した人々は地球からの分離独立をもとめて武装蜂起。
地球連合軍との間に異次元戦争が勃発。
戦線は拡大、長期化。
地球連合軍は戦局を打開するべく、従来兵器全ての攻撃を無効にする新兵器「女子攻兵」を戦線へ大量投入、大規模な攻勢へ転じようと画策していた。
ナニコレ?
意味分かんねーよ。
未来っていつの話? 異次元空間って? 地球連合軍って?
SF的な考証もなければ、時代背景も語られないし、政治的なアレコレも分からない。
けど、分からなくっても大丈夫。
そもそもゾンビ虐殺シューティングゲームの箱に書いてある解説を真剣に読む人がいるんだろうか?
「謎の彗星の接近により世界はゾンビで一杯になってしまった。生き残るために闘え!」
でオーライ。いや、ゲームシステムさえ把握できてりゃ充分で、物語なんかどうでもいいんじゃないのか?
かくして、読者はイキナリ的に『女子攻兵』の世界に投げ込まれる。ゲームマスター松本次郎は、「なんで!?」「どうして!?」という読者の悲鳴を、力業で圧殺し、強引に作品世界に引きずり込む。
このへんが漫画の強味だ。これが小説だったら、読者がリアリティを感じるように、それなりの世界観を文章で呈示し、物語内でのルールを解説しなければならない。それも説明的にではなく、自然と解るように書かないと、「前置き長いだけで、ツマンネエ」とか、ついこの間、字の読み方を覚えたような小僧にバカにされたりする。
漫画は世界をそのまま絵で表現できる。漫画は「絵」でそう描いちゃえば、「そーゆー世界」になってしまう。もちろん、説得力は必要だが、これは絵のうまい・ヘタはあまり関係がない。キレイ・キタナイも関係ない。恥ずかしげもなく自分の妄想を公開できる破廉恥力と、読者をねじ伏せる剛腕力が大事なのだ。
その点、松本次郎は完全にリミッターが外れている。仇討ちが公認される狂った近未来を描く松本次郎の代表作『フリージア』も実にイヤな作品だったが、今回はさらに突き抜けている。
物語のキモは女子攻兵乗りが遅かれ早かれ精神を汚染されるという一点に集中する。衣服が人格を規定し、形成する。軍服が軍人を作る。特攻服を着れば気分は夜露死苦だ。女子攻兵の中の人も女子高生化してしまう。ジェンダーと体格のアイデンティティーが崩壊する。
巨大な武装女子高生たちが、「聖名」と称する女子名(○○ちゃんとか)で互いを呼び合い、ケータイでメールをやりとりし、いかにもなギャルトークを繰り返す。それを本書では「ママゴト」と呼ぶ。
主人公、つまり読者視点の代理人であるタキガワ中尉は、ママゴトに参加することを拒否し、必死で「男」で「軍人」という「マトモ」な「自我」にしがみつき、「汚染」に抵抗する。女子高生化する部下を叱りつけるが、その最中にも部下のツネフサ兵長のケータイには存在しないはずの「彼氏」からメールが届く。
「貴様 作戦行動中はケータイは切っとけって言っただろ」
とキレそうになる中尉を別の部下ハラダがなだめにかかる。
「ツネフサセンパイに何言っても無駄ですよー だってヤキモチやいてダダこねてるだけだからー」
そのヤキモチの理由というのが、ハラダがケータイのストラップを中尉とお揃いにしたからだというのだ。
「ハラダだけぬけがけして中尉とお揃いにするなんて」
「ずるいよねー」
気が狂いそうな会話の中で、中尉は「自分だけは違う」と抗う。確かに部下達は一線を超えている。女子高生成り切り度がハンパではない。
しかし、精神汚染は着実に進行する。いや、そもそも女子高生型巨大ロボットなんてキワキワのキワモノを兵器として認めた時点で狂っている。しかもセーラー服に巨大携帯だ。汚染は「現実」をも侵犯する。中尉の電源を切ってあるはずの携帯にツキコと名乗る「親友」からのメールが着信する。とうとう汚染度がピークに達したのか? しかしメールはギャル文ではあるが戦場を正確に把握している者にしか書けない内容だ。中尉はその情報が作戦遂行上、有効であるというリアリズムに徹し、戦闘を続行する。
第1巻で中尉たちが狩る敵は分離独立派勢力ではない。精神汚染がピークに達し、軍の制御が効かなくなった女子攻兵たちだ。かつての同僚だった「マトモな」女子攻兵を殺戮し、食らいつき、融合し、デタラメな人体の集合体と化して、
「おかーさん ともだち たくさん できたよー」
とつぶやく。いやはや暴走したエヴァよりタチが悪いぜ。
これが女子攻兵の、そして同時に女子攻兵乗りたちの末路である。そうなる前に任務から外された女子攻兵乗りには、ラボに監禁され、モルモットにされ、切り刻まれる運命が待っている。
では、破滅が避けられないことが分かっていながら、彼らは女子攻兵と一体化することによって得られる全能感に中毒し、降りることができなくなる。
この悪夢めいた世界ではマトモな人間は一人としていない。中尉の上官である大佐は、中尉の能力を利用しようとしているくせに中尉を自殺に追い込もうとするが、それすらもジョークだとうそぶく。第1巻終盤に登場するCIA軍事顧問のオデコには「CIA」と書いてある。彼らの作戦会議は、タチの悪いジョークをぶつけ合う狂ったコントだ。『フリージア』ではまだ異常と正常の対比があったが、本作ではもうぐちゃぐちゃです。みなさん変すぎます。頭オカシイです。
松本次郎が捏造した醒めない悪夢のような世界は、その訳の解らなさ故に、読者を深読みと誤読のドロ沼に誘導する。
例えば、頭のイイ人なら
「訳の解らなさでは実は我々の住む現実世界とやらも大差がない。現実世界だって道理は通らないし、充分に不条理だし、至る所で狂気が渦巻いている。その意味で『女子攻兵』は現実世界を茶化した諷刺漫画だとも言えるだろうし、ほとほと現実に愛想が尽きた呪いの書として読むこともできるだろう」
と解釈するかもしれない。シニカルなオタクならば、
「『巨大女子高生の殺戮合戦すればエロくてグロくて面白い』という単純な思いつきがとんでもない変態作品を生んでしまったということですねwww」
とも苦笑するかもしれない。それぞれが好き勝手に解釈すればいいし、解釈しなくてもいい。
この先、どう転がっていくのかは不明だが、中尉の行く手にはさらに、訳の分からないイヤな世界が待っているようだ。
ともあれ、狂気をエンターテインメントとして享受できる人、脳ミソのタガを外したくなった人にはオススメしよう。イヤな脳内麻薬が出ることは間違いないからな。
(文=永山薫)
●永山薫(ながやま・かおる)
1954年、大阪府大東市出身。80年代初期から、エロ雑誌、サブカル誌を中心にライター、作家、漫画原作者、評論家、編集者として活動。1987年、福本義裕名義で書き下ろした長編評論『殺人者の科学』(作品社)で注目を集める。漫画評論家としてはエロ漫画の歴史と内実に切り込んだ『エロマンガ・スタディーズ』(イースト・プレス)、漫画界の現状を取材した編著『マンガ論争勃発』シリーズ(マイクロマガジン)があり。現在は雑誌『マンガ論争』(n3o)共同編集人、漫画系ニュースサイト『Comics OH』(http://oh-news.net/comic/)編集長を務める。
リアルより魅力的かもしれない虚構はリアルが旬のうちに味わうべし『AKB49~恋愛禁止条例~』
AKB48がアニメになる!? 何ソレ? 今時「ピンクレディー物語 栄光の天使たち」デスカ! と思わずプチ切れたナガヤマです。 というのは冗談として、アニメ化するなら週マガで連載中の『AKB49~恋愛禁止条例~』(漫画:宮島礼吏、原作:元麻布ファクトリー・講談社)でしょう! と思ったのは俺だけではない(Twitterでつぶやいたら2~3人の賛同者がいた)。『AKB49~恋愛禁止条例~』ならば、選抜9人(アニメ48はメンバーからオーディションで声優を選ぶらしい)なんてケチなことは言わない。中心メンバーが次々とそれぞれの個性を活かした美味しい役で出てくるからだ。秋元康は何故、俺に相談しにこない(当たり前か)。 正直な話、最初の頃は『AKB49』なんて鼻で笑っていた。おいおい今時タイアップかよ。前世紀の「週刊明星」かよ。ピンクレディー物語かよ(しつこい)。 芸能界ものってツマンネェのが相場。唯一の例外が『シャイニング娘。』(師走の翁、ヒット出版社)だ。あれは面白いし、抜けるし、ファンとアイドルの共感幻想、共犯関係まで踏み込んだ傑作だ。成年コミックなので、お子様たちは18歳になったら読むといい。きっと一皮剥けるぞ。 というノリだったのに、なんとなく読んでるうちに、だんだん、面白くなってきたのである。 最近の男性向けマンガ誌。特にヤング○○系の雑誌の表紙とグラビアに注目すれば、AKB48の露出度が異常に高いことに気づくだろう。 いや、こないだ見たのはNotYetとかいうグループだったぜというオトーサン、それもAKBのユニットですから。 単体で、ユニットで、NMB48みたいな地方バージョンとかYN7とかYJ7とか雑誌企画のユニットとかAKB48にあらずんばアイドルにあらずという世界。しかも、総選挙だの、ジャンケン大会だので、人気(露出度とプレゼン力に左右される)と運という芸能界の力関係を透明化してしまうという面白さも。 おかげさまで全く興味がなかったはずなのに、いつの間にかものすごく気になっているのだ。 洗脳力がタダゴトではない。 どのくらいタダゴトでないのかといえば、先日とあるコンテンツ系のシンポジウムに潜り込んだらパネラーの先生が何を語っても最後がAKB48の分析になってしまって頭を抱えていたが、プロのメディア研究者が「ミイラ取りがミイラになる」くらいタダゴトではないのである。 もちろん、いい歳ぶっこいたオッサンである俺様がこともあろうに『AKB49』を面白く読めるようになったも、洗脳の賜物であろう。 「特定の情報を集中的に与えられた脳は否応なしに、その情報のレセプターを発達させ、脳内辞書(データベース)を充実させていく」 というのが俺の持論だ。大昔、中森明菜をネタに記事(「自宅でできる芸能レポーター」みたいなネタ記事)を書こうとずーっと調べたり、歌番組を見てるうちにホントに好きになって困ったことから思いついた仮説である。 ただ、そうした洗脳分をさっ引いても良くできた面白い漫画であることは保証しよう。 どんな漫画が全然説明してなかったので、ざっくり説明する。 同級生の女の子がAKBに憧れてて、オーディションを受けるってんで、応援してやろうと女装してオーディションに混ざっちゃったら自分も合格しちゃって、男のなのにAKBの研究生! というお話。 実際にAKB48の研究生になるには、それなりの手続があるはずだし、いくら女顔だって無理のある設定だが、そこはまあドリームということだ。 さっさと逃げればいいのに、主人公・浦山実は片想いの吉永寛子を見守るため、研究生・浦川みのりとして、ムリヤリな二重生活に突入する。 コミカルな要素はあるがコメディではない。ラブコメではあるが、キモはそこにはない。 吉永寛子をサポートするという理由は、男の子をAKB48に入れるための作られた必然でしかない。そもそも同性の「みのり」は寛子の恋愛対象たりえない。2人の間に友情は育っても、最初から「恋愛」の門は閉ざされている。「実=みのり」も当初の目的は堅持しつつも、研究生である自分にハマッていく。AKB48のすごさに痺れ、他の研究生との仲間意識とライヴァル意識が芽生え、チームの一員として、いやそれどころか、先輩方から見れば新世代リーダーと目されるほどの存在になっていく。 秋元康の理不尽とも言える試練、即ち「期限までにチケット1万円の研究生講演を満員にできないと全員クビ」とか、最近だと、みのりたちのユニット「GEKOKU嬢」を1カ月間工事現場で働かせたりとかの無理難題や、公演中の事故、急病、寛子の親バレなどなどを乗り越えて、みのりと研究生たちは成長を遂げる。 これは作画担当の宮島礼吏も認めるようにスポ根ものである。 元々芸能界は体育会体質だからスポ根的文脈に違和感はない。厳しい監督・コーチ(秋元康)がいて、厳しいけど優しい先輩(AKB48の正規メンバーたち)がいて、試練と成長と団結がある。 しかも、虚構のAKB48の美化が巧妙に行われている。単純に「可愛くて、根性があって」ではなく、ネガティブな部分も折り込んで美談に換える。例えば秋元才加の過去のゴシップも、「いくら謝っても謝りきれない」と練習に打ち込む才加の描写で昇華される。 リアルのAKB48をベースにした虚構のAKB48、すなわち漫画のキャラとして自立したAKB48はリアルよりも魅力的だ。 元麻布ファクトリーの虚実のコントロールが効いた脚本は見事だし、さらにその背後でGOサインを出しているあろうリアル秋元康の黒幕感も流石だと思う。 では、主人公は女装少年ではなく、弱いくせに一本筋が通っていて実は根性がある古典的なヒロインである寛子でもいいではないか? 『ガラスの仮面』アイドル・バージョンでいいじゃないか? なんでわざわざ女装なのか? もちろん、アイドル志願の女の子がヒロインでも、飛ぶ鳥を落とす勢いのAKB48である。それなりにアンケートは稼げただろう。 だが、寛子では週刊少年マガジンの想定する男子読者にとっては自己投影の度合いが低くなる。 本当は男である「浦川みのり」というアイドル候補生を置くことによって自己投影はたやすくなる。しかも「みのり」は女性っぽくふるまおうとはしない。ガサツだし、言葉遣いも「浦山実」と大差ない。ノリもまさに部活の新人なのだ。 ここでは、例えば『プラナスガール』のような男の娘漫画的な感覚、つまり異性装のエロチックな愉しみ、女装者に自己投影する倒錯的な快楽はない。 キモはあくまでもAKB48を魅力的に演出することに尽きる。 みのりは「研究生=未来の正規メンバー」に読者が自己投影し、最終的にはリアルAKB48と自己同一化とまでは行かなくとも、きわめて近しい位置にいるという幻想を持たせるための回路なのである。 すでに忘れられているかもしれないが、第1巻のプロローグでは近未来にビートルズを超え、世界的スターとなったAKB48の姿が描かれている。 しかし、そこには浦川みのりの姿はない。「あなたは知っているだろうか、彗星の如く現れ、彼女たちを世界のスターダムへと押し上げた 伝説の49人目......"神に推された"メンバーがいたことを──」と書かれている。 身も蓋もなく言ってしまえば、世界進出しようにも浦川みのりは正体をバラさないかぎりパスポートを取れないからだが、そうでもなくても、この作品を成功させ、リアルAKB48の人気に寄与することができれば回路の役目は終わる。 どこかで浦川みのりは消失しなければならない。 それを考えるとちょっと切なくなる俺は、かなり洗脳の度合いが進んでいるのだろう。困ったことだが。 (文=永山薫) ●永山薫(ながやま・かおる) 1954年、大阪府大東市出身。80年代初期から、エロ雑誌、サブカル誌を中心にライター、作家、漫画原作者、評論家、編集者として活動。1987年、福本義裕名義で書き下ろした長編評論『殺人者の科学』(作品社)で注目を集める。漫画評論家としてはエロ漫画の歴史と内実に切り込んだ『エロマンガ・スタディーズ』(イースト・プレス)、漫画界の現状を取材した編著『マンガ論争勃発』シリーズ(マイクロマガジン)があり。現在は雑誌『マンガ論争』(n3o)共同編集人、漫画系ニュースサイト『Comics OH』(http://oh-news.net/comic/)編集長を務める。『AKB49~恋愛禁止条例~(4)』講談社
とことんブレない! 幕末でもヤンキー! おまけに下品~加瀬あつし『ばくだん! 幕末男子』~

『ばくだん! 幕末男子 1』(講談社)
マンガ評論家・永山薫のコミックレビュー。連載第5回は加瀬あつし『ばくだん! 幕末男子』です!
最近やたらと目につくのがタイムスリップ物だ。
例えば漫画好きの間で評価が高い『信長協奏曲』(石井あゆみ)は成績の悪い(つまり歴史の知識が皆無)高校生が信長になっちゃうって話だ。
かつて『ジパング』において、イージス艦をミッドウェイ海戦直前の太平洋上に送ったかわぐちかいじの最新作は、ビートルズのコピーバンドがビートルズがデビュー前の日本にタイムスリップしてビートルズに成り代わっちゃう『僕はビートルズ』(原作・藤井哲夫)だ。かわぐちかいじってタイムスリップ好きだよねえ。他にも、『モテキ』の久保ミツロウの新作は3年前の自分にミニマム・スリップする『アゲイン!!』だし、6月に完結した『夢幻の軍艦大和』(本そういち)もそうだ。高校生が三国志の時代に......の『龍狼伝』『龍狼伝 中原繚乱編』(山原義人)も順調に巻数を増やしている。記憶に新しいところでは現代の医師が幕末に行っちゃう『JIN-仁-』(村上もとか)はドラマ化もされちゃう大ヒットだ。イチイチ挙げ始めるとキリがない。
こうしたタイムスリップ物のキモは、「あのとき、ああじゃなくこうしてたら歴史は変わったかもなあ?」、あるいは「歴史の教科書ではこうなってるけど実は......だったら面白いのに」って、歴史の授業の間につい余計なファンタジーに逃げる中高生的な発想だ。
まあ、普通のボンクラな高校生はそうした空想や妄想を「ははっ、ありえねぇ」と忘却して立派なボンクラ大学生やボンクラ社会人になるわけだが、まかり間違って漫画家になっちゃった場合、「おおっ、あのときの空想、使えるかも」となるワケですね。
この秋、俺が推薦したいタイムスリップ物を発表しよう。それが加瀬あつしの『ばくだん! 幕末男子』だ!
作者本人は『ばくだん!』のあとがきで、「幕末版『カメレオン』」と言い切っちゃてる。オールドファンならば「おおっ、そうか、分かった!」だろうが、イマドキの読者は分からない。だって、20世紀の漫画だもん。どんな作風なのか知りたければ漫喫なりなんなりで過去作を読めばいいんだけど、それすら面倒というアナタはトットとアンチョコを見るべしだ。
「一見典型的なダメ男である主人公が、類まれなる奇跡的な幸運と個性的な仲間の助け、そして本人の努力によって成り上がっていく展開が多い」(Wikipedia)
とWikiさんがサクッとまとめている通りだ。キーワードは「ヘタレ/ヤンキー/成り上がり/強運/下品/卑怯/憎めないバカ」で、『ばくだん!』も、そのまんまです。
主人公のマコちんことマコトこと安達真琴は転校デビューを狙うヘタレヤンキー。体の前面には無数の傷があり、それを看板にしているが、それも実は前の学校でのリンチの痕。タバコの火でも押しつけられたのかと思いきや、上半身裸にされて体に豆を撒かれ、周囲で「はとぽっぽ」を歌いながら、鳩についばませるという、底辺校ヤンキーの発想とはとても思えない創造性に富んだというか、よほど暇でないと思いつかないようなバカなリンチである。もちろん鳩山元首相への諷刺なんて含意はない。そんな下らないリンチを俺が受けたとしたら、一生モンのトラウマですよ。
でもマコちんは俺のような繊細なインテリじゃなくって、バカでお調子者でスケベという、どうしようもないダメ人間。あくまでもヤンキーをやめないし、主人公になりたい願望は人一倍だ。そんな大バカ野郎が、修学旅行先の京都で自分の肖像が印刷された千円札を拾ってしまう。チャチなオモチャではない。偽札? 悪戯? それとも、主役願望が天に通じてのお告げ?
「歴史に名を残せとでも......?」
かくしてその謎の千円札に導かれるままに(とゆーか他校の不良に追われて)、巻き添え食った幕女(歴女の中でも幕末ラブの女子)である高階蓮(たかしなれん)とともに、三条大橋から幕末の風雲渦巻く京へとタイムスリップしてしまうのだ。
スカジャン&ボンタン姿のマコトは到着早々、「異人かぶれの奸物」として攘夷浪士に天誅されそうになっちゃうのだが、ここでも「類まれなる奇跡的な幸運」に守られて、新選組局長・近藤勇の登場です。ここからが「類まれなる奇跡的な幸運」の乱れ打ち! 近藤勇に命を救われたくせに、ソッコーで裏切ろうとするマコトくんだが、本人の計略が裏目に出て、近藤の命を救ってしまい、一目置かれる存在になってしまい、ついには新選組の隊士になってしまうのだ。そんなメッキがすぐ剥げるのが普通の漫画。「そんなバカな!?」的奇跡の連続で、沖田総司との手合わせも、土方歳三から暗殺指令を受けた斎藤一の凶刃からも逃れてしまうのである。これってどこまで続く綱渡り? 謎の千円札によって将来の大人物になることは担保されている。後世、千円札の肖像画になるとなれば、伊藤博文に代表されるが如く、維新の元勲、つまり勝ち組でないと話にならない。ということは、マコト君の作る未来とは幕府側勝ち組の世界か、途中で寝返るかのどちらかだろう。と思ってたら、加瀬あつしは甘くない。問題の千円札は肖像が薄くなったり、全然別の図柄になったりしてくれる。つまり、必ずしも確定された未来を指し示しているわけではないのだ。マコト君はこのまま新選組で成り上がっていくのか? 土方歳三との確執は? 今のところ活躍していないが、物語の鍵を握ってそうな男装の女剣士・山南敬助と幕女の蓮がどう動くのか?
歴史に「IF」を挿入するのがタイムスリップ物の見せ場だが、これだけ「IF」だらけというのも珍しい。どう考えてもとんでもない「歴史」が描かれることになるのは間違いない。現代のヤンキーは歴史を作ったりできないが、幕末ならば活躍の余地がある。可能な限り、バカで下品でぶっ飛んだ歴史改変に挑んでいただきたい。
しかし、一番スゲェのは加瀬あつしのブレなさである。いや、ブレないにも程がある! マコト君どころか、新選組の面々も攘夷派の連中も、ほぼ全員がヤンキーという時代劇コスプレ・ヤンキー漫画だし、どーしよーもなく無理やりなオヤジダジャレも、やたらチンポをおっ立てる下品さも健在なり。本気になったオッサンのパワーにひれ伏せ!
(文=永山薫)
●ながやま・かおる
1954年、大阪府大東市出身。80年代初期から、エロ雑誌、サブカル誌を中心にライター、作家、漫画原作者、評論家、編集者として活動。1987年、福本義裕名義で書き下ろした長編評論『殺人者の科学』(作品社)で注目を集める。漫画評論家としてはエロ漫画の歴史と内実に切り込んだ『エロマンガ・スタディーズ』(イースト・プレス)、漫画界の現状を取材した『マンガ論争勃発』シリーズ(昼間たかしとの共編著・マイクロマガジン)、『マンガ論争3.0』(n3o)などの著作がある。
ばくだん!~幕末男子~(1) どうなる、マコちん!
■【コミック怪読流】バックナンバー 【第4回】人気はSNSのお陰? これからが勝負の絶望的活劇漫画~諫山創『進撃の巨人』~ 【第3回】小さく産まれて大きく育った、お風呂漫画~ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』~ 【第2回】ホラー少女が鈍感力でライバルをなぎ倒す~椎名軽穂『君に届け』~ 【第1回】いっそゾンビな世の中に──花沢健吾『アイアムアヒーロー』
人気はSNSのお陰? これからが勝負の絶望的活劇漫画~諫山創『進撃の巨人』~

『進撃の巨人 4』(講談社)
マンガ評論家・永山薫のコミックレビュー。連載第4回は諫山創『進撃の巨人』です!
オッサンは荒削りで勢いがあってハッタリの効いた漫画が好きなんだよ! というワケで、今回は話題爆裂、ミリオンセラー街道進撃中の諫山創の『進撃の巨人』(講談社)だ。漫画好きでこの作品のことを知らなかったらモグリだと思うが、モグリさんたちのために、簡単にまとめちゃうと、遠未来の地球らしきところを舞台にキショク悪い全裸巨人の群と人類が闘うのドラマ。
で、人類サイドは残念無念の連戦連敗中。高さ50mの壁に囲まれた城塞都市に立てこもってなんとか生き長らえている。ところが、巨人の中には壁よりもデカイ50m超級ってヤツがいて、こいつが壁をブチ壊す。その穴から並の15mサイズの巨人がワラワラと侵入。巨人どもは揃いも揃って美食家なので、人間を捕まえちゃあ生きたままバクバク喰っちゃう。
主人公の少年エレンを含む戦士の皆さんが果敢に対抗しているものの、基本ラインは絶望的な後退戦だ。一つの壁を粉砕されたら都市の一区画は見捨てられ、住人は美味しく完食されちまう。とは言え、一方的な殺戮の宴で終わっちゃったら全3巻で完結! サヨナラ人類なワケだけど、ご安心あれ。エレンが巨人と一体化したり、巨人化したりして、人型決戦兵器になるみたいな展開。
確かにこれは面白い。
逃げ場ゼロの閉塞感。容赦のない暴力描写。誇張された遠近感。キモすぎる巨人の造型。それだけでも充分お腹いっぱいなのに、この魅惑的な地獄世界を主に少年少女からなる戦士がワイヤーを使ってビュンビュン飛び回る。この「立体機動」の爽快な浮遊感は絶品。空中ブランコを乗り継ぎながら剣を振るうと言えばいいのか、これは絶対3D動画で見てぇ!
キャラも立っている。子ども時代、女の子を助けるために悪党を迷いなく刺殺したエレン。救われたミカサはそれがトラウマとなり、命懸けの闘いに参加することによって自らのアイデンティティを保っている。臆病だが直感に優れた少年。そう、これは今時の漫画らしく、どこか壊れた、あるいは欠損した思春期の少年少女の冒険譚なのだ。
ブログや書評で、俺が言いそうなことは大体書かれている。人類が立てこもる城塞都市は、逼塞(ひっそく)する現代日本の姿じゃないのかとか、特に若年層のやり場のない鬱屈を反映してるんじゃないかとか、ヱヴァンゲリオンの影響とか、ヘタウマだとか、諸々の過去作からの系譜だとか、全くその通りだと思う。そういうのを読みたい人は探して読んでくれ。
謎解きも始まってて、カバー下の表紙に描かれたタペストリー風の装画に書かれた文字を解読したブログが評判になっている。ネタバレが怖くない人は、検索して見つけて欲しい。だが、まだ単行本は3巻しか出ていない。全体に散りばめられた伏線、謎は全く回収されていない。この世界の姿も断片的にしか分からない。
巨人とは何なのだろうか? 人間が殺すことができるからには何らかの生命体なのだろうが、作中で語られるように人間のような知性を確認できず、生殖器が存在せず、従って繁殖方法が不明で、「そもそも巨人が/人間のいない環境下で/100年以上存在していることを/考えると......食事を摂ること/自体 必要無いものであると/推測できる」とされる存在とは一体? しかも50m超級の巨人に至っては、突然姿を現し、姿を消す(だったら城塞都市の中心にいきなり出現できると思うのだが)。巨人についてグルグルと考えを巡らせると、エレンやミカサのいるセカイが果たして現実の世界なのか? なんて疑問まで頭をもたげてくる。このセカイが地獄で巨人が鬼なのか? 巨大生物の中のセカイで、巨人は白血球みたいに異物である人間を喰っているのか? それともヴァーチャルなセカイで、巨人はウイルス/アンチウイルスなのか?
もちろん、あらゆる謎を明かにする必要はないし、不条理や不可知の部分もまた必要だ。とは言え、諫山創の拡げた風呂敷の面積はかなりデカイ。これをどう畳んでいくのかが見所でもあるわけだが、唯一、気になるのは作品の出来以上に注目と人気が過熱していることだ。画力を含め、これから伸びるだろう、いや伸びて欲しいというノビシロへの期待値が大きい。いや、大きすぎるんじゃないか? 作者には相当のプレッシャーがかかっていることは想像に難くない。この期待に応えられなかったら? そう考えると少々怖い。読者サイドに、「これは面白そうだから、じっくり育てよう」という我慢が足らないんじゃないか? と思えてしまう。少なくとも、昨年暮れに出た『このマンガを読め!』(宝島社)の男組第一位になっちゃったのはムチャだと思う。
『進撃の巨人』が注目されたのは、第1巻が出た2010年の3月頃。常に面白い漫画を探し求めているマニアックな漫画ファンや漫画系ブロガー、評論家スジの間では連載中から「これって、スゴイ漫画なんじゃ?」みたいな情報が飛び交っていたらしい。俺自身は夏目房之介さんのブログを読んで「へーっ、こんなのあるんだワクワク」となった次第だから相当遅い。単行本発売以降は加速度的に話題が拡がって、『このマン』男組一位に輝き、最近じゃ同時期のベストセラーランキングに1、2、3巻が並ぶという快挙まで成し遂げた。
面白い漫画が売れた。確かにそれだけの話だろうか? 掲載誌「別冊少年マガジン」(講談社)の発行部数はタッタの6万部にすぎない。「週刊少年マガジン」が157万部、「月刊少年マガジン」が85万部。桁が違う。それが、累計263万部(1月末)のミリオンセラーを生み出したんだから、これまでの常識からいえば「奇跡」に近い。
いくら素晴らしい作品でも掲載誌が少部数だと、最初から大きなハンデを背負うことになる。別マガ編集部もそのことは百も承知だ。テレビ番組でバラしてたけど、『進撃の巨人』の認知度を上げるために「週刊少年マガジン」に番外編を掲載するという出張作戦を展開している。こうした編集部、出版社の努力の効果も大きいのだろうが、果たしてそれだけだろうか?
答えの一つはソーシャルメディアの一般化ということではないか? 乱暴に言っちゃえば、中東諸国の独裁政権に対する民衆の蜂起も、東京都青少年育成条例騒動における反対の声の盛り上がりも、根っこは同じではないか? 日本のTwitter人口は2011年1月の段階で約1,421万人、mixiが約1,123万人、Facebookが460万人だ。情報は一気に拡散し、共有され、さらに拡散する。もちろん誰かが「この漫画が面白い!」とつぶやいただけで情報が拡散するという単純な話ではない。漫画レビュー系のブログ、ネットマガジンのコラム、あるいは紙媒体での評価という「情報の裏付け」など幾つかの条件が重なった時に「情報爆発」が起こる。
ある貧乏な漫画家にこの説を披露したところ、
「ということは、マイナー誌の無名の新人でも、いい作品さえ描けば売れる可能性が出てきたってことだよね」
と表情が明るくなった。もちろん、そこまで簡単ではないなけれど。少なくとも現状よりは少しは明るい展望が見えてきたのも事実である。その意味でも『進撃の巨人』の進撃の果ては、注目すべきだし、夢を託したいとも思うのだ。
(文=永山薫)
●永山薫(ながやま・かおる)
1954年、大阪府大東市出身。80年代初期から、エロ雑誌、サブカル誌を中心にライター、作家、漫画原作者、評論家、編集者として活動。1987年、福本義裕名義で書き下ろした長編評論『殺人者の科学』(作品社)で注目を集める。漫画評論家としてはエロ漫画の歴史と内実に切り込んだ『エロマンガ・スタディーズ』(イースト・プレス)、漫画界の現状を取材した『マンガ論争勃発』シリーズ(昼間たかしとの共編著・マイクロマガジン)、『マンガ論争3.0』(n3o)などの著作がある。
進撃の巨人(3) 巨人、巨人、巨人。
■【コミック怪読流】バックナンバー 【第3回】小さく産まれて大きく育った、お風呂漫画~ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』~ 【第2回】ホラー少女が鈍感力でライバルをなぎ倒す~椎名軽穂『君に届け』~ 【第1回】いっそゾンビな世の中に──花沢健吾『アイアムアヒーロー』
小さく産まれて大きく育った、お風呂漫画~ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』~

『テルマエ・ロマエ II』
(エンター・ブレイン)
マンガ評論家・永山薫のコミックレビュー。連載第3回はヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』です!
「えーっ! なんでこんなに売れてんの!?」と驚愕しちゃったのが、ヤマザキマリの『テルマエ・ロマエ』(エンター・ブレイン)だ。公式サイト(http://www.enterbrain.co.jp/comic/TR/)の発表によれば、1、2巻の累計で150万部。確かに「マンガ大賞2010」、「手塚治虫文化賞短編賞」のダブルクラウンによって漫画ファン以外の、言わば「全国区」の認知度がアップしたというのが大きいのだろう。母艦の「コミックビーム」(同)が発行部数2万5,000部という漫画雑誌としては少部数であることを考えると、とんでもない数字である。参考までにデータを挙げておくと、一番発行部数が多いのが「週刊少年ジャンプ」(集英社)の約281万部、一番少ないのは「IKKI」(小学館)の1万3,750部である(数字はいずれも「マガジンデータ2010(2009年版)」社団法人日本雑誌協会より)。「小さく産んで大きく育てる」の見本というか、「雑誌はプレゼン、本番は単行本」というか、この出版不況の中で、めでたい話ではある。受賞効果とは別に地道な販促(雑誌付録のてぬぐいとか)、営業努力(書店営業とか、東京都公衆浴場組合から推薦をもらってくるとか)あればこその結果だろう。
もちろん、いくら賞を受賞しようが、営業が頑張ろうが、優れた作品でなきゃ、ここまでは売れません。まず間口が広い。ポイントは誰もが入るお風呂。ものぐさ者以外は大好きなお風呂。冬場にはうれしい温泉。現役だけど懐かしい銭湯。この辺で、ビッと来る。でも温泉ウンチク漫画ではない。主人公は古代ローマの悩める建築家ルシウス・モデトゥス。その彼が毎回、古代ローマのお風呂(ローマ人はお風呂マニアックスだった)から、「平たい顔」の異民族の住む異世界(要するに現代日本)にタイムスリップして、日本のお風呂文化からアイデアを得て、古代ローマに持ち帰るというコメディ連作。そもそも古代ローマ文化なんて、俺みたいなローマ史オタクならともかく、フツーの人は知りません。皇帝ネロとかカリギュラとかの暴君伝説を知ってるくらいならまでいい方で、ひどい人になると「ああ、あの筋肉映画『300』の世界ね」なんて勘違いしてたりする。いや、あれは時代が違うし、ローマじゃないし......。そんなワケで『テルマエ・ロマエ』のローマ・パートの舞台となる西暦130年代、文人皇帝ハドリアヌスの治世について知ってる人なんて、学者とローマ史オタクだけ。
でも、古代ローマ史オタクの俺から言わせてもらえれば、古代ローマってメッチャ面白いんだよ。現代と違うのはテクノロジーだけ。ビンボー人でも5階建ての高層アパートに住んでたし(地震で大変なことになるけど)、パンも食ってたし、ワインも飲んでた(イタリアだし)。サングラスをかけていた皇帝もいた。衣食住へのこだわりも、金銭欲も性欲も、ちょっとでも楽したいという欲望も今となんら変わりがありません。人権思想なんてのもすでに登場してたしね。もっとも「奴隷も人間じゃ」と主張した哲学者のセネカはネロ帝の側近で、大富豪。当然ながら奴隷を搾取してたという建前と本音の人......というのも現代のエライ人々と変わらない。
そんなワケで個人的にはいつかこの古代ローマを舞台にした小説か漫画原作を......と思ってた。歴史大作は、中華モノ以外でも古代ギリシアの『ヒストリエ』(岩明均/講談社)という成功例があるし、全く芽がないわけじゃない。キリスト教が国教になる以前の古代ローマではゲイもバイもごく普通だったわけで、世界最古の小説『サテュリコン』(ペトロニウス)なんか、美青年二人が美少年を取り合いながら、性と飽食と犯罪にまみれていくというオハナシで、なんか、腐女子にもウケそうな気がするぞ。そう言えば『テルマエ・ロマエ』でも美少年との悲恋で知られる皇帝ハドリアヌスの治世で、ルシウスは皇帝との関係を疑われ、奥さんに逃げられちゃったりする。とは言え、よく分からない世界を描いて、なおかつ売れるというのは大難事。そこんところを、お風呂つながりにしちゃったヤマザキマリはエライ。これってお風呂を軸にした比較文化論漫画という読み方もできるし、カルチャーショック・コメディとしても読める。しかも、小栗左多里『ダーリンは外国人』(メディアファクトリー)的な日本人から異文化を見る視点を一回反転させて、異文化側から異文化としての日本を見るという立ち位置なのが秀逸。この操作によって、日本人読者は、日本を「再発見」することができる。
しかし、このルシウスという男、お風呂関係でありさえすれば、銭湯から鄙びた湯治場から果てはお風呂のショールームにまでタイムスリップする。今のところ出没しそうもないお風呂と言えば、オトーサンたちには申し訳ないがソープランドくらいだ。流石にそれはマズイだろう、いくら第一巻の表紙がおちんちん丸出しだとしても(あれは彫刻の模写だからいいのか? 青少年健全育成条例的に)。まあ、ちょっとイロっぽい話としては第2巻の巻頭の第6話で、EDになっちゃったルシウスの遍歴を描くエピソードがある。ちんちんがいっぱい出てきて、それなりにエッチなので、オトーサンたちはお楽しみに。
ルシウスが現代日本のお風呂からどんなアイデアを古代ローマに持ち込むかはネタバレになっちゃうので詳しくは書かないが、建築にかかわる大がかりな施設から、シャンプーハット(これくらいはバラしてもいいか?)みたいなチープなアイデアまでさまざま。それらをどうやって受け止めて、どのように活かすのか? この辺の目の付けところのアホらしさがキモなわけですね。こういうことを思いつくだけでもすばらしい脳回路だと思う。しかも、その発想を該博な古代ローマ史の知識が裏打ちしているのだから鬼に金棒。なんでも、作者の配偶者はその道の専門家らしい。古代ローマの解説ページなんかも用意してあって、本作を読めば、古代ローマの知識もバッチリ。今でも使えそうな金属製の垢すりとか、ちんちんに脚の生えた携帯ストラップにしたいようなおまじないグッズがあったとか、どうでもいいような楽しいネタが満載。「これって比較文化論?」とかめんどくさいことを考えないでも雑学がどんどん頭に入ってくる。できれば読者のみなさんには、偉大なる日本文化の再発見と同時に、旧きを知る教養的楽しみも味わい、できれば古代ローマ史オタクの獣道(けものみち)に踏み込んでいただきたいと思う。
とは言え、地味な漫画であることも確か。大好きな作品にこういうことをいうのもなんだと思うが、どう考えても「いやあ、賞をあげちゃっていいの?」だし、最初に書いたように「こんなに売れるって一体どうなってんの?」なのだ。俺から見れば『テルマエ・ロマエ』は「山椒は小粒でキリリと辛い」ってツウ好みな漫画。雑誌の人気投票で言えば、常に真ん中からやや下くらいに位置していて、「ちょっと変わり種で捨てがたい」って思われてて、舌の肥えた固定客を掴んでいるような漫画だと思う。で、俺みたいな漫画評論家が「発見」して、書評で一回取り上げて、ちょっと話題になる。それがこの作品のベストポジションだと俺は思う。だが、それを時代が許してくれない。「マンガ大賞」は書店員を中心とした有志による選考、「手塚治虫文化賞」は一次選考候補には読者の推薦も含まれる。つまり、漫画に対してアクティブな人々の意志が反映される。近年の両賞の候補作を眺めると、そこに「目立たないけど優れた作品、漫画好きのための少部数雑誌を応援したい」という共通した意識が感じられる。これは逆に言えば、「放っておくと、そういう作品、雑誌が潰れちゃうかも」という危機感の裏返しなのかもしれない。
(文=永山薫)
●永山薫(ながやま・かおる)
1954年、大阪府大東市出身。80年代初期から、エロ雑誌、サブカル誌を中心にライター、作家、漫画原作者、評論家、編集者として活動。1987年、福本義裕名義で書き下ろした長編評論『殺人者の科学』(作品社)で注目を集める。漫画評論家としてはエロ漫画の歴史と内実に切り込んだ『エロマンガ・スタディーズ』(イースト・プレス)、漫画界の現状を取材した『マンガ論争勃発』シリーズ(昼間たかしとの共編著・マイクロマガジン)、『マンガ論争3.0』(n3o)などの著作がある。
テルマエ・ロマエ II12 まさかの大ヒット。
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ホラー少女が鈍感力でライバルをなぎ倒す~椎名軽穂『君に届け』~

『君に届け12』(集英社)
マンガ評論家・永山薫のコミックレビュー。連載第2回は椎名軽穂『君に届け』です!
女子中高生を中心に女性読者のハートをワシ掴みにしちゃってるのが椎名軽穂の『君に届け』(『別冊マーガレット』連載中/集英社)だ。アニメ化もされたし、映画化にもなった。単行本も確実に売れている。J-BOOKSの週単位ベスト30によれば、最新の第12巻は9月27日初登場1位。恐ろしいことにその後、11月1日集計分までの連続6週にわたってベスト30位圏内をキープしているのだ。ちなみに、ほとんどのベスト30登場コミックスは2~3週で圏外に落ちている。累計1400万部。一巻あたり100万部超。総売上54億6,000万円。メディアミックス効果があるとはいえ、ここまで売れてるとは思ってもみなかった。
昔ほどではないにせよ、マッチョな野郎共にとって少女漫画はちょっと敷居が高い。しかもそれが、この『君に届け』みたいにド直球な学園ラブストーリーだとさらにハードルが高くなる。でもコレは読んでおいて損のない秀作だ。
物語そのものはド定番。主役の彼女と彼が互いに一目惚れしてるのに、そうとは気づかず、微妙にすれ違い、ライバルの妨害、周囲の応援等々もあって、徐々に近づいていくというオハナシ。......と書くと全く新味がないのにもかかわらず、実際に読むとハマる。ほのぼの、ニコニコ、ハラハラ、ドキドキと読ませる読ませる。二人が急接近して互いの想いを確認するシークエンスでは思わず目頭が熱くなってしまいましたよ。いやはや年取って涙腺緩くなったのか? 俺もヤキが回ったもんだぜと思ってたら、知り合いのいい歳したオッサ......、いやオジサマ、お姉様方の多くが「泣いた」というのだからタダゴトではない。
とにかく、椎名軽穂は上手い。少女漫画ラブストーリーの王道、つまり一つ間違うと、アリキタリで陳腐な凡作になりかねない路線を極上の作品に仕上げてしまった。そのカギはまず、キャラクター造型の見事さだろう。ヒロインの黒沼爽子から破格としかいいようがない。なにしろ第1巻の帯に
「史上最もダークな見た目、だけどピュアホワイツな少女まんがヒロイン」
とワザワザ明記されちゃうくらい圧倒的な存在感なのだ。容貌は普通だが、前髪パッツンのストレート黒髪ロン毛で、下三白眼の恨みがましい目つき。はっきり言って暗い。下手にちょっかい出したら、呪われそうなくらい暗い。これで鉄球でも振り回したら、まんまゴーゴー夕張@『キル・ビル』(栗山千明)だぜというくらいダークでコワイ。小学校以来の仇名が「貞子」である。連載第一回目の登場シーンなんか、ほとんどホラーコミックだ。この外見だけでもヤバイのに、コミュニケーション・スキルが超低レベル。孤立して当たり前である。横並びがデフォルトで、目立ちすぎると敬遠あるいは排斥されるのがニッポンのコミュニティーのオヤクソク。おかげさまで貞子には「霊感がある」「1日3回、目が合ったら不幸に襲われる」という噂が飛び交う始末。
なんで、こんな子がヒロイン? と男読者は思う。やっぱヒロインは美少女でないとね。男性向けなら確かにそうだ。しかし少女漫画のヒロイン像は美醜ではなく、その存在が読者から愛されるかどうかがポイント。特に中高生向けはそうだろう。読者だけには爽子の内面の愛らしさが見えている。内気で純情で、みんなと友達になりたがってる不器用な子だと分かっている。第1巻の帯には「いっしょに応援したくなる」とあるが、その通りだろう。読者よりも「ちょっと不器用」で「ちょっとダメ」な子。でも、爽子の抱える問題は、実は女子の多くが、いや人間なら誰しもが抱えている問題だ。爽子は誰の中にもいる。
爽子ほど不器用な人間は、そうそういないだろう。両親とは仲がいい。いや、ほとんど溺愛されている。この居心地の良さが、外部のセカイとの接触を阻害しているのかもしれない。にもかかわらず、ヒキコモリになることもなく、爽子は前向きにセカイの扉を開こうとする。現実にはなかなかそうはできないと思うのだが、そのけなげさが共感を呼ぶ。そしてそこには「努力しない限り、コミュニケーションは成り立たない」という明確でド直球なメッセージが込められているわけだ。
とはいえ、個人の努力だけではコミュニケーション・スキルのレベルアップは困難だ。そこに登場するサポーターが、こんなヤツいねーよ(けどいたらいーな)的なサワヤカ君の風早翔太であり、翔太の友人である野球少年の龍であり、爽子と机を並べることになるサバサバした男っぽい性格の千鶴とギャルのあやねだ。翔太は別格の王子様で誰にでも親切だから当然といえば当然なれど、サバサバ系&ギャルの迷コンビはクラスの女子コミュニティーから半分浮いているという意味で爽子とカテゴリは違うものの「同類」なのである。このあたり、都合のイイ設定なわけだが、そこはそれも含んだファンタジーなので、突っ込むのは不粋というもの。面白いのはこのサポーターズにも、それぞれ「想いが上手く伝わらない」あるいは「伝えるべきではない」といった「想い」を抱えている点。オールマイティに見える翔太ですら、爽子への恋愛感情が上手く伝えられなくてジタバタしているのだ。
本人が前向きでサポーターがいれば、なんとかなりそうだが、それだけじゃドラマにならない。ちゃんと敵役も登場する。具体的な形では、お人形のように愛らしいが腹黒なくらい恋に前向きな胡桃沢梅だし、女子コミュニティーにありがちな同調圧力、嫉妬だったりする。本作が上手いのは、そうした加害者側の心理(これもコミュニケーション不全の一形態)をも押さえている点。さらに注目すべきは爽子自身の持つ「鈍感力」だ。もちろん時には傷つくし、悩みもするが、傷つきすぎないし、悩みすぎない。周囲のイジメに近い扱いも、意地悪も、嫌味も、爽子の核心にまでその刃を届かせることができない。この鈍感力はコミュニケーション不全と裏腹な関係にあるのだろうが、基本的にお人好しなのである。爽子の鈍感力と天然力によって、コミュニケーション能力が遥かに高い敵役はぶっ飛ばされて、なぎ倒され、より深く傷ついてしまうのだ。
この物語は、ラブロマンスであると同時に、コミュニケーション不全というハンデを負った女の子が、周囲のサポートもあって、徐々にコミュニケーション・スキルを身につけていき、それによって世界が拡がっていくという『奇跡の人』的な障碍克服物語であり、『電車男』的なコミュニケーションのドラマとして読むこともできる。つまり、スポ根漫画で泣けるオッサン、育成ゲームにワクワクしたゲーマーならば間違いなくハマる!
(文=永山薫)
●永山薫(ながやま・かおる)
1954年、大阪府大東市出身。80年代初期から、エロ雑誌、サブカル誌を中心にライター、作家、漫画原作者、評論家、編集者として活動。1987年、福本義裕名義で書き下ろした長編評論『殺人者の科学』(作品社)で注目を集める。漫画評論家としてはエロ漫画の歴史と内実に切り込んだ『エロマンガ・スタディーズ』(イースト・プレス)、漫画界の現状を取材した『マンガ論争勃発』シリーズ(昼間たかしとの共編著・マイクロマガジン)、『マンガ論争3.0』(n3o)などの著作がある。
君に届け 12 こんなにいい子なんていないけど。
【関連記事】 いっそゾンビな世の中に──花沢健吾『アイアムアヒーロー』 『バクマン。』が示す「友情・努力・勝利」の変化とは? 非モテもイケメンもごちゃごちゃ言わずに『モテキ』を読め!
ホラー少女が鈍感力でライバルをなぎ倒す~椎名軽穂『君に届け』~

『君に届け12』(集英社)
マンガ評論家・永山薫のコミックレビュー。連載第1回は花沢健吾『アイアムアヒーロー』です!
女子中高生を中心に女性読者のハートをワシ掴みにしちゃってるのが椎名軽穂の『君に届け』(『別冊マーガレット』連載中/集英社)だ。アニメ化もされたし、映画化にもなった。単行本も確実に売れている。J-BOOKSの週単位ベスト30によれば、最新の第12巻は9月27日初登場1位。恐ろしいことにその後、11月1日集計分までの連続6週にわたってベスト30位圏内をキープしているのだ。ちなみに、ほとんどのベスト30登場コミックスは2~3週で圏外に落ちている。累計1400万部。一巻あたり100万部超。総売上54億6,000万円。メディアミックス効果があるとはいえ、ここまで売れてるとは思ってもみなかった。
昔ほどではないにせよ、マッチョな野郎共にとって少女漫画はちょっと敷居が高い。しかもそれが、この『君に届け』みたいにド直球な学園ラブストーリーだとさらにハードルが高くなる。でもコレは読んでおいて損のない秀作だ。
物語そのものはド定番。主役の彼女と彼が互いに一目惚れしてるのに、そうとは気づかず、微妙にすれ違い、ライバルの妨害、周囲の応援等々もあって、徐々に近づいていくというオハナシ。......と書くと全く新味がないのにもかかわらず、実際に読むとハマる。ほのぼの、ニコニコ、ハラハラ、ドキドキと読ませる読ませる。二人が急接近して互いの想いを確認するシークエンスでは思わず目頭が熱くなってしまいましたよ。いやはや年取って涙腺緩くなったのか? 俺もヤキが回ったもんだぜと思ってたら、知り合いのいい歳したオッサ......、いやオジサマ、お姉様方の多くが「泣いた」というのだからタダゴトではない。
とにかく、椎名軽穂は上手い。少女漫画ラブストーリーの王道、つまり一つ間違うと、アリキタリで陳腐な凡作になりかねない路線を極上の作品に仕上げてしまった。そのカギはまず、キャラクター造型の見事さだろう。ヒロインの黒沼爽子から破格としかいいようがない。なにしろ第1巻の帯に
「史上最もダークな見た目、だけどピュアホワイツな少女まんがヒロイン」
とワザワザ明記されちゃうくらい圧倒的な存在感なのだ。容貌は普通だが、前髪パッツンのストレート黒髪ロン毛で、下三白眼の恨みがましい目つき。はっきり言って暗い。下手にちょっかい出したら、呪われそうなくらい暗い。これで鉄球でも振り回したら、まんまゴーゴー夕張@『キル・ビル』(栗山千明)だぜというくらいダークでコワイ。小学校以来の仇名が「貞子」である。連載第一回目の登場シーンなんか、ほとんどホラーコミックだ。この外見だけでもヤバイのに、コミュニケーション・スキルが超低レベル。孤立して当たり前である。横並びがデフォルトで、目立ちすぎると敬遠あるいは排斥されるのがニッポンのコミュニティーのオヤクソク。おかげさまで貞子には「霊感がある」「1日3回、目が合ったら不幸に襲われる」という噂が飛び交う始末。
なんで、こんな子がヒロイン? と男読者は思う。やっぱヒロインは美少女でないとね。男性向けなら確かにそうだ。しかし少女漫画のヒロイン像は美醜ではなく、その存在が読者から愛されるかどうかがポイント。特に中高生向けはそうだろう。読者だけには爽子の内面の愛らしさが見えている。内気で純情で、みんなと友達になりたがってる不器用な子だと分かっている。第1巻の帯には「いっしょに応援したくなる」とあるが、その通りだろう。読者よりも「ちょっと不器用」で「ちょっとダメ」な子。でも、爽子の抱える問題は、実は女子の多くが、いや人間なら誰しもが抱えている問題だ。爽子は誰の中にもいる。
爽子ほど不器用な人間は、そうそういないだろう。両親とは仲がいい。いや、ほとんど溺愛されている。この居心地の良さが、外部のセカイとの接触を阻害しているのかもしれない。にもかかわらず、ヒキコモリになることもなく、爽子は前向きにセカイの扉を開こうとする。現実にはなかなかそうはできないと思うのだが、そのけなげさが共感を呼ぶ。そしてそこには「努力しない限り、コミュニケーションは成り立たない」という明確でド直球なメッセージが込められているわけだ。
とはいえ、個人の努力だけではコミュニケーション・スキルのレベルアップは困難だ。そこに登場するサポーターが、こんなヤツいねーよ(けどいたらいーな)的なサワヤカ君の風早翔太であり、翔太の友人である野球少年の龍であり、爽子と机を並べることになるサバサバした男っぽい性格の千鶴とギャルのあやねだ。翔太は別格の王子様で誰にでも親切だから当然といえば当然なれど、サバサバ系&ギャルの迷コンビはクラスの女子コミュニティーから半分浮いているという意味で爽子とカテゴリは違うものの「同類」なのである。このあたり、都合のイイ設定なわけだが、そこはそれも含んだファンタジーなので、突っ込むのは不粋というもの。面白いのはこのサポーターズにも、それぞれ「想いが上手く伝わらない」あるいは「伝えるべきではない」といった「想い」を抱えている点。オールマイティに見える翔太ですら、爽子への恋愛感情が上手く伝えられなくてジタバタしているのだ。
本人が前向きでサポーターがいれば、なんとかなりそうだが、それだけじゃドラマにならない。ちゃんと敵役も登場する。具体的な形では、お人形のように愛らしいが腹黒なくらい恋に前向きな胡桃沢梅だし、女子コミュニティーにありがちな同調圧力、嫉妬だったりする。本作が上手いのは、そうした加害者側の心理(これもコミュニケーション不全の一形態)をも押さえている点。さらに注目すべきは爽子自身の持つ「鈍感力」だ。もちろん時には傷つくし、悩みもするが、傷つきすぎないし、悩みすぎない。周囲のイジメに近い扱いも、意地悪も、嫌味も、爽子の核心にまでその刃を届かせることができない。この鈍感力はコミュニケーション不全と裏腹な関係にあるのだろうが、基本的にお人好しなのである。爽子の鈍感力と天然力によって、コミュニケーション能力が遥かに高い敵役はぶっ飛ばされて、なぎ倒され、より深く傷ついてしまうのだ。
この物語は、ラブロマンスであると同時に、コミュニケーション不全というハンデを負った女の子が、周囲のサポートもあって、徐々にコミュニケーション・スキルを身につけていき、それによって世界が拡がっていくという『奇跡の人』的な障碍克服物語であり、『電車男』的なコミュニケーションのドラマとして読むこともできる。つまり、スポ根漫画で泣けるオッサン、育成ゲームにワクワクしたゲーマーならば間違いなくハマる!
(文=永山薫)
●永山薫(ながやま・かおる)
1954年、大阪府大東市出身。80年代初期から、エロ雑誌、サブカル誌を中心にライター、作家、漫画原作者、評論家、編集者として活動。1987年、福本義裕名義で書き下ろした長編評論『殺人者の科学』(作品社)で注目を集める。漫画評論家としてはエロ漫画の歴史と内実に切り込んだ『エロマンガ・スタディーズ』(イースト・プレス)、漫画界の現状を取材した『マンガ論争勃発』シリーズ(昼間たかしとの共編著・マイクロマガジン)、『マンガ論争3.0』(n3o)などの著作がある。
君に届け 12 こんなにいい子なんていないけど。
【関連記事】 いっそゾンビな世の中に──花沢健吾『アイアムアヒーロー』 『バクマン。』が示す「友情・努力・勝利」の変化とは? 非モテもイケメンもごちゃごちゃ言わずに『モテキ』を読め!
いっそゾンビな世の中に──花沢健吾『アイアムアヒーロー』

『アイアムアヒーロー 4 』
(小学館)
マンガ評論家・永山薫のコミックレビュー。連載第1回は花沢健吾『アイアムアヒーロー』です!
気分が滅入っている時の花沢健吾はキツイ。『ルサンチマン』にしても『ボーイズ・オンザ・ラン』にしても、暑苦しい非モテ野郎が愛と誠意を胸に、はた迷惑な空回りを演じてくれて、ちっとでも主人公の境遇や考え方に近い読者は胸が痛くなって、ブン投げたくなるだろう。でも、読んでしまう、読ませちまうのが花沢健吾。ホント、イヤな野郎だ。
さて、花沢の最新作『アイアムアヒーロー』(「BIG COMIC スピリッツ」連載中)は、これまでの作品以上に強烈だ。乱暴に言うと、まったくイケてない主人公が頭がヘンになっていくと同時に、セカイの方も発狂(ゾンビパニック化)していくってお話。
で、単行本第1巻では、主人公・鈴木英雄君の鬱屈と静かな狂気がこれでもかと描かれる。人間って一人きりの時は変なコトをやってんのがフツー(人前でできないモノマネとか、ダンスとか、全裸オナニーとか......)とはいえ、英雄君の場合は自分にしか見えない脳内友達の「矢島」が便器の中から顔を出してくるわ、ベッドの下やブラインドのスキマから妖怪が出てくるわ、それを奇怪な術式で封じようとするわ、仕事場でも独り言を言い始めるわ、もはやブツブツ系の危ない人と紙一重。一回クリニック行けちゅーに! 話題の『マンガでわかる心療内科』(作画:ソウ、原作:ゆうきゆう/少年画報社)とか読めっちゅーに。
英雄君の職業は漫画家。単行本も出している。でも次の連載が何年も決まっていない。アシスタントで生計を立てながら、編集部への持ち込みを続けている。アシスタント先の先生は売れっ子の漫画家だ。エロ漫画家っぽい描写(チンコのトーン指定とか)があるんだけど、「数人のアシスタントを使って不眠不休で描いているエロ漫画家」は俺の知る範囲では存在しない。あれはどう見たって週刊連載を持ってる漫画家の仕事場だ。とはいえ、その一点を除けば超リアル。華やかでもなけりゃカッコよくもねえ。汗臭い家内制手工業。これって『バクマン。』(作画:小畑健、原作:大場つぐみ/集英社)の世界じゃないよねー。でも、それが現実。週刊連載持ってる先生だったらそれでもいい。同業者だって一目置いてくれるし、零細企業のオヤジくらいには儲かるし、ファンにとっては憧れの先生だ。億単位の年収を手にする可能性だってまだまだあるぜ。アシスタントはどうか? もちろんピンキリの世界だけど、英雄君レベルだと月収で20~25万円程度。悪くはない。ワンルームマンションに住んで、ファッションもカジュアルブランドでそれなりだ。趣味は射撃。同業者のカノジョもいるぞ。ただ、問題は年齢だ。35歳。アシスタント専業ならともかく、もう一発当てるにゃツライお年頃。持ち込み先の担当編集者に「......うーん、......まあ、そっかぁ......そーなると今から就職も難しいかぁ......」と言われる始末。これって翻訳すると「漫画家辞めたら?」ってことだよな。まあ、こんなこと言われたら俺はグーで殴ってますけどね。ちなみに花沢健吾は1974年生まれの36歳。作者自身がリアルで体験したイヤなこと、恨みつらみ、妬み、嫉み、不安、イラ立ちなどなどを英雄君に投影しているのかもしれない。
年齢だけでも、相当キツイのに、彼女は元彼のオタク漫画家の才能を誉め称えるし、職場には、デブ&メガネで女子アナの話しかしないウザすぎるチーフがいるし、ちょっと可愛い同僚アシスタントは先生に喰われてる。なんかもう閉塞感バリバリちゅーか、こうした周囲の状況が英雄君の症状悪化に拍車をかけていることは間違いない。しかし、改善することは不可能ではないはずだ。専門家による心のケアでかなり楽になれると思うし、もうちょっと視野を広げて持ち込み先を変えてみる(超学館のみって無理すぎる)とかすれば状況は全然違ってくるのだが、それができりゃあ、ここまでこじれてないわけだ。マジメな小心者ほどブッ壊れやすい。
でもまあ、非モテから見れば彼女がいるって一点だけは救いだよね。自分をさらけだして甘えることのできる唯一の逃げ場があるわけだ。ところが、セカイの終わりってヤツが、ドーン・オブ・ザ・デッド(ゾンビの夜明け)がやってくる。序盤から始まってたゾンビ出現の前フリが第1巻終盤でようやく臨界に達する。あたかも、ダムが決壊するみたいに、一気にゾンビの輪が拡がってしまう。いわゆるパンデミック、爆発的感染だ。イタイ日常を延々読ませて、ギリギリまでタメといてド~~~~ンッ! いやあ、御褒美ですよ! 爽快、痛快、ザマー見やがれ! これって時代を超えて、自分が不遇だと感じている若い連中にとっちゃフツーの感覚だと断言しよう。セカイがぶっ壊れる。法律も常識も通用しねぇ。それは絶体絶命のピンチだ。しかし、もうその瞬間から職場にも学校にも行かなくていい。義務も責任もあったもんじゃない。フリーダム。絶対的な自由時間が目の前に拡がるのだ。セカイなんか滅びてしまえ! と心の中で一度も叫んだことのない人、「世界を呪うなんて異常だよ」と思える人はシアワセだ。一生、そのシアワセが続くといいよね。登場人物の一人はこうつぶやく。
「俺達の時代がやってきたんだ」
これに激しく同意しちゃった人は第2巻以降の悪夢のように痛快なブッ殺しワールドを堪能すればヨシ。ゾンビ物としては『学園黙示録HIGHSCHOOL OF THE DEAD』(作画:佐藤ショウジ、原作:佐藤大輔/富士見書房)が人気で、虐殺度&お色気サービス(コレ邪魔だよな)も高めなんだけど、リアル度ではコチラが買い。ゾンビ描写、喰われる連中の断末魔描写においては花沢健吾の黒さ全開です。普通の人々もヤンキーもヤナ野郎も外人も可愛い子供も無差別にヤラレちゃう。ハラワタははみ出る、顔を囓り取られる、脳が露出する、首が飛ぶ。腐乱死体の写真を参考にしてんじゃないかと思える腐れっぷりには唖然となった。オヤクソクだが、噛まれたら感染してゾンビになっちゃうわけで、一匹ゾンビがあらわれたら、後はネズミ算のように増殖していく。ゾンビは痛みも疲れも感じない。おまけに怪力だ。さらに関節とかもどうなってんのか分からない。とてつもなくひん曲がった体で、人間様に襲いかかる。もちろんゾンビはブッ殺していい。いや、動いてる死体だから殺すもクソもない。でも、英雄君も他の人々もゾンビ現象だって認識がなかなか持てないもんだから、すぐには虐殺ゲームのスイッチが入らない。これ、どうなってんの!? 殴っていいの? とオタオタ遠慮してるうちに次々噛まれたり、喰われたりしてゾンビになっていく。コワイしキモイのに、どうしようもなくオカシイ。掃除中にゾンビになったおばちゃんがモップを目に突っ込んだまま徘徊してたり、折りたたまれた形でババアゾンビが疾走したり、アフロなゾンビが「あいーん」(by志村けん)をエンドレスで繰り返したり、グロテスクを突き抜けて笑うしかない光景が次々登場。ほんとに恐怖と笑いは紙一重ってことを実感できちゃう。
もちろん我らがヒーロー、英雄君もいい味出してる。大パニック進行中なのに、駅から脱出する時には「キセル」を気にするし、大破したタクシーや、無人のコンビニにお金置いてきたりするもんね。もうカネなんか何の価値もないし、法律も道徳も蒸発しちゃってんの、小市民気質が抜けない。命懸かってるのに、周囲の顔色をうかがって、気をつかいまくる。「バカか、オメェは」とツッこんでしまいましたよ。ホントに使えない野郎だぜ。俺ならもっと上手くやんのに。とりあえずホームセンター行ってサバイバルに使えそうなもんかっぱらうとか、無人の警察か銃砲店を見つけて武器を調達するとか、いろいろあるだろうに。もう、なんか序盤における日常での不器用さが、パニック後のセカイでもそのまんま受け継がれているわけだ。このあたりもまたリアル。人間、簡単には変われないんだよね。できれば、英雄君にはどんな展開になっても一皮剥けないで欲しい。多少は「成長」するにしても、読者の優越感(ダメダメじゃんコイツ)を満足させ、想像力(俺ならこーするね)を刺激するイマイチ使えないヤツとしてジタバタしていただきたい。それこそが、全く新しい、花沢健吾のみが描けるクソリアルなヒーロー像なのではないか?
(文=永山薫)
●永山薫(ながやま・かおる)
1954年、大阪府大東市出身。80年代初期から、エロ雑誌、サブカル誌を中心にライター、作家、漫画原作者、評論家、編集者として活動。1987年、福本義裕名義で書き下ろした長編評論『殺人者の科学』(作品社)で注目を集める。漫画評論家としてはエロ漫画の歴史と内実に切り込んだ『エロマンガ・スタディーズ』(イースト・プレス)、漫画界の現状を取材した『マンガ論争勃発』シリーズ(昼間たかしとの共編著・マイクロマガジン)、『マンガ論争3.0』(n3o)などの著作がある。
アイアムアヒーロー 4 オチ漫画。
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